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おけはざま すぐ おおたきんじょう 桶狭間を過ぐ 太田 錦城 こうげん いにしえ とむろ こふん まえ たたか か しょう おご なん まった え 荒原 古を 弔 う 古墳の前 戦い克って将 驕る何ぞ全 きを得ん かいふうあめ ふ ひる やみ ごと きょうは きへい てん くだ 怪風 雨を吹いて昼 晦の如 し 驚破 す奇兵の天より降 るかと 詩文説明 荒れた原野の古い塚の前に佇むと思いは当時の信長の戦いが駆け廻る。此処で今川の軍勢は、勝利に酔って、武将たちは驕り高ぶり休んでいた。突然怪しい風と共に、曇って来たかと思う間に、忽ち昼間にも拘らず一変し暗くなり風雨となった。近づいていた信長軍、雨が止むのを期に一気に攻め込んだ、この奇襲に今川軍は仰天、天から兵が降って来たかと驚いて、ついに敗北してしまった。1、桶狭間古戦場跡(桶狭間は田楽坪とも云われ名古屋市と豊明市に跨っている様で双方 から出土品が出ており、どちらにも古戦場跡の碑が建っている。 (左が名古屋市の古戦場公園にある碑で、右側が豊明市の碑) 2、 信長は清州城に居て今川軍の大軍を前にして篭城か、出陣か思案にくれていたが、 翌日早々に幸若舞「敦盛」を舞い出陣した。(円形内は敦盛を舞う信長)3、敦盛古謡歌碑 1、大高城・沓掛城を落とし勝ち戦に今川軍は勝利に気を緩め油断していた (円内図)正午過ぎ頃、視界を遮るような豪雨が降りだす。これに乗じて信長軍は接 近し雨が止むのと同時にいっきに今川本陣に奇襲をかけた。 2、25000の今川軍に対し2000の信長軍であったが、この奇襲で見事勝利した。 (両軍の数は書物によって違いがあります。1枚の写真に円内を挿入し写真を少なくしました) 作者 太田錦城(1765~1825)明和2年~文政8年江戸中期の儒者。名は元貞、名は公幹、号は錦城。加賀(現在の石川県)大聖寺の医家の八子。明和2年に生まれる。京都の皆川淇園、江戸の山本北山等に学んだ。更に勉励、折衷学派を大成。のち加賀藩の儒官として三百石を賜った。文政8年(1825)61才にて病没。著書「九経談」「疑問録」など。
2015年06月24日
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