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天は一人の人間にいくつもの才能、美点、強み、長所を与えることはない。一つの才能や能力に秀でている者は、往々にして大きな欠点や弱点を抱えているものだ。この言葉は裏を返すと、誰でも最低一つくらいは他人と差別化できる才能や強みや長所を持っているということではないだろうか。ただし、それをきちんと意識している人としていない人がいる。きちんと意識している人は、欠点、弱点、運命、境遇をそのまま受け入れて、自分に与えられている才能、強み、長所を伸ばそうとしている。意識していない人は、欠点、弱点、運命、境遇を目の敵にして失意の人生を送ることになる。私は幸か不幸か神経質性格者として生まれてきました。神経質者はリーダーや指導者として人の上に立って組織を動かすことは苦手です。行動力が旺盛であるとも言えません。問題解決能力が優れているとも言えません。どちらかというと気分本位で、困難なことからすぐに逃げてしまいます。人間関係の調整能力が優れているとも言えません。容姿が特別よいわけでもありません。運動能力もありません。しかし鋭い感受性を持っています。好奇心が旺盛です。分析力、思考力、創造力、創作力、深耕力、原因究明力、粘り強さ、生の欲望は目を見張るものを持っています。ないものをこれから身につけるよりも、すでに持っているもの、あるものを再評価して、伸ばしていくほうが理にかなっているのではないでしょうか。私は感受性、分析力、思考力、文章作成能力などが備わっていることが分かりました。ただそれに気づくのが少々遅すぎた感があります。もう少し早く森田理論の神経質の性格特徴を学習していたならばと思っております。
2024.05.03
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初心者が森田理論の基礎を学ぶために最適な本があります。この本の中に、森田理論学習が、自分の人生に役に立つかどうか判定するテストがあります。当てはまる番号を書き出してみてください。(実践森田療法 北西憲二 講談社 202ページより引用)1. 私は今の自分では環境に適応できない。(仕事や家庭や学校でうまくやっていけない)のではないかと不安です。2. 私は今の悩みを非常につらく感じます。3. 私の今の悩みは、自分の性格と関係があると思います。4. 私はつらい場面がまた起こるのではないかといつも不安です。5. 私の悩みは、他の人にはない特別なものだと思います。6. 私はなんとか私の悩みを取り除きたいと思っています。7. 現在、私は自分の悩みしか考えることができません。8. 自分の悩みに注意を向ければ向けるほど、悩みは強くなってしまいます。9. 私はこの悩みさえなかったら、自分の望むことができると考えています。10. 私は今の自分を全くだめな人間と思っています。自己否定感が強いです。11. 私はこうありたいという自分の欲望のため、苦しんでいます。12. 私は自分の悩みを取り除くためにいつも努力しています。13. 私は内気で、ちょっとしたことでも苦にするほうである。14. 私は物事にこだわってしまい、なかなかそこから抜けだせません。15. 私は他の人のいうことが気になり、傷つきやすいと思います。16. 私は自分の体や体の調子が気になる性分です。17. 私は引っ込み思案で新しいことにとりかかるのが苦手です。18. 私は物事をきちんとしないと、気になって仕方がありません。19. 私は負けず嫌いです。20. 私は自尊心(プライド)が強い方です。21. 私は全く不安のない状態を望んでいます。22. 私は自分の気持ちや周囲の人たちを思い通りに動かしたい方です。23. 私は白か黒か、ゼロか100か、どちらかに決めないと気がすまないほうです。24. 私は内弁慶(外ではおとなしく、内ではわがまま)です。25. 私は理屈っぽく、頭でっかちのほうです。15個以上に○が付いている方は森田神経質といえるでしょう。森田理論学習があなたの症状や悩みの解決に役立つことでしょう。自助組織NPO法人生活の発見会に入会して、仲間の力を借りて、森田人間学を学ぶことを強くお勧めします。もしこれらの悩みで、勉強、仕事、家事、育児、親しい人との付き合いに支障がある方は、生活の発見会のホームページに森田理論に詳しい精神科医の紹介があります。生活の発見会のホームページこういう方は、アリ地獄から地上に這い出るための治療が優先されます。現在神経症の治療としては、薬物療法、カウンセリング、森田療法、認知行動療法をはじめとしたさまざまな精神療法があります。神経症は蟻地獄の底に落ち込んでいるような状態です。その段階では、地上に這い出るためにどんな方法を選択しても構いません。その方法である程度日常生活が回復したときに、あとは何もしないというのは、再発の危険性もあります。さらに、不安にとらわれやすいという性格傾向は変わらないわけですから、この先も生きづらさがついて回ります。この生きづらさを解消して、これからの人生を実りあるものにしてくれるのが、森田理論学習に取り組むことなのです。ある程度回復したときに、再発防止と生きづらさの解消を目指して、仲間とともに、森田理論学習を開始されることをお勧めいたします。森田理論学習によって人生観を確立した先輩達が強力にアシストしてくれるはずです。
2022.03.29
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不眠で悩んでいる人に対して、森田理論では次のように説明されています。最初から一定の姿勢をとって、苦しくてもできるだけそれを変えないで、たとえ眠れなくても体を横にして休養しているだけでいいんだと覚悟していると、いつの間にか苦しいという感じに慣れてきて眠ってしまうものです。楽な姿勢を求めて、上になり、うつぶせになり、右向きになり、左向きになりをくり返していては、なかなか眠れなくなるのです。森田先生は逆説療法も取り入れられています。不眠の患者に、朝まで一睡もしないで起きておくことを勧められているのです。その時の心理状態を観察して、詳しく説明するように指示されています。するとその患者は「寝なければいけない」という歯止めが取れて、朝まで熟睡できたということです。この人は、不眠を積極的に受けいれることで、熟睡しなければという「かくあるべし」がなくなり、その結果熟睡できたのです。いづれにしても神経症的な不眠は、不眠をやりくりして眠る方法を探っている時は、どんどん不眠障害が増悪していく。不眠は天気と同じ自然現象で、人間の意志の自由は効かないと観念してしまえば、いつの間にか眠れるようになる。しかし、眠気が襲ってくれば、昼間2時間程度は昼寝をしていますという人は、夜熟睡することはできません。今日は睡眠の仕組みと役割について説明します。まず仕組みですが、人間はリズムで生活しています。体内時計は24.5時間から25時間のリズムで回転しているそうです。1日の生活リズムのことをサーカディアン・リズムと言います。起床してから14時間から16時間ほど経つと、脳の松果体から睡眠導入作用のあるメラトニンが分泌されます。朝6時に起床している人は、夜20時から22時ごろです。それから1時間から2時間後に眠くなるように設計されています。少なくとも22時から24時には寝床に入ることが必要になります。森田では規則正しい生活を維持することを勧めています。就寝時間と起床時間を確定させて、後目ざめている時間をいかに有効に活用していくのかが肝心だと思われます。つぎに睡眠の役割について説明します。脳全体としては、24時間休みなしに稼働しています。特に自律神経は休みなく稼働しています。大脳辺縁系に海馬というのがあります。情報や記憶の司令塔です。海馬は様々な情報を夜のうちに仕分けをして整理しているのだそうです。特に長期記憶の整理と格納場所を決めているのです。人間でいえば必要な書類をいつでも取り出せるように、インデックスやラベルを付けて、整理整頓し、よく分かるところに保管する役目を果たしています。これをしていないといざというとき必要書類を探し回ることになります。整理整頓と保管がきちんとなされていると、すぐに取り出して利用可能となります。脳科学者の池谷裕二氏は次のように説明されています。海馬は情報を整理しています。睡眠は、きちんと整理整頓できた情報をしっかりと記憶しようという、取捨選択の重要なプロセスなのです。だから「夢を見ない」というか「眠らない」ということは、海馬に情報を整理するという猶予を与えないことになります。つまり、その日に起きた出来事を整理して記憶できなくなってしまう。ですから、睡眠時間は最低でも6時間ぐらいは要るといわれています。もちろん個人差はあるのですが、6時間以下の睡眠だと脳の成績が凄く落ちるということは、2000年頃に科学的に証明がなされました。(海馬 池谷裕二 糸井重里 朝日出版 198ページより引用)
2022.01.20
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「ガスの元栓が締まっているかな」「玄関や窓の施錠は大丈夫かな」「エアコンや暖房機のスイッチは切ったかな」こういうことにとらわれて何度も家に引き返して確認行為をする人がいます。誰でも健康なときには、「閉まっている」という安全情報を「五感・無意識レベル」から入手していることが分かります。ところが、自己否定感が強くなるにつれ五感への信頼感も希薄になるため、安全情報を「五感・無意識回路」からではなく「閉まっている、大丈夫」というように言葉を使って「思考・意識回路」から入手するようになっていきます。その結果「閉まっていない」という反対観念の抵抗を受け何度も確認行為をする癖がついてしまうのです。(生活の発見誌 12月号 11ページ)全くその通りだと思います。これは脳の部位でいうと、必要以外のときにも前頭前野が出しゃばり出てくるということになります。ご存じのように前頭前野は人間以外の動物はほとんど発達していません。この部分は判断力、分析力、選択力、想像力、決定力、思考力を担っています。そのおかげで人間は文明や文化を大きく花開かせることができたのです。興味や関心、問題点、課題、目標、夢、希望などに対して、前頭前野をフル活用してきたからこそ可能になったのです。もともと人間に備わっているものですから、今更なくすることはできません。弊害が多いといって、なくする必要もありません。無くそうとすればするほど、注意や意識が向いてしまい、精神交互作用で泥沼に陥ってしまいます。本来人間に備わっているものですから有効に使わせていただくのが筋というものです。ですからこの働きを抑圧するという考えは無理があります。どんどん前頭前野を活用させてもらうという気持ちでよいのです。しかしよく考えてみると、一旦前頭前野で合理的だと判断したことに対しては、前頭前野を経由しないで別の脳の部位から指示が送られています。それによって無意識の行動をとっていることがほとんどです。何ら不都合は起きていません。日常生活はほとんど何も考えることなく、淡々と無意識の命令に従って行われているのです。例えば車の運転です。音楽や歌の練習をしながら、適切にハンドル操作を行っています。確認作業、シフトレバーの操作、方向指示器の操作、ブレーキやアクセルの操作、ワイパーの操作などを行っています。いちいち前頭前野でどうすれば一番適切な行動なのかと試行錯誤しているわけではありません。前頭前野はあらゆる面から比較検討して、決定を下していますので、スムーズな行動の妨げになるばかりです。そこでスムーズな行動がいったん滞ることになります。ですから、前頭前野は初めての行動の時は大いに活用して取捨選択する必要がありますが、習慣化された行動に対しては、出しゃばり出ては困るものなのです。また私たちの日々の行動は、ほとんど無意識的な働きによって行われているのです。そういう認識が必要になります。強迫行為を繰り返している人は、知らず知らずのうちに、前頭前野の働きを過信しているのだと思われます。そして結果として、無意識の脳の働きを軽視しているのです。まず、この2つの脳の役割分担を明確に意識することが大切です。普段の生活は無意識の脳の働きに任せてしまう。初めての事や重大なことは前頭前野で考えて方針を出すようになればよいのです。しかしそうしようとすればするほど、前頭前野がおせっかいを出している。前頭前野の働きを過信している人は、どっぷりと観念優先の世界に生きている人です。反対に経験、事実、現実、現状を軽視しているのです。観念の世界で考えた事と現実の乖離現象で一人相撲を取って苦しんでいるのです。森田理論でいう「かくあるべし」という世界にどっぷりとはまり込んでいるということになります。そのことを思想の矛盾で苦しんでいるといいます。対処法としては、「かくあるべし」という観念優先の態度を少しずつ弱めていくことが大切になります。森田理論では、事実本位の生活態度を身につける事を目標にしています。強迫行為で苦しんでいる人は、特に必要になると思われます。目の前の事実をしっかりと見つめる。観察する。実験する。抽象的でなく具体的に考えていく。事実をあるがままに認めて、受け入れる。その他事実本位に徹するために、純な心の活用、私メッセージの活用など様々な手法を提案してきました。この方向に意識を向けると前頭前野を休ませてあげることができます。無意識の行動を増やしていくということは、習慣化された日常生活にどんどん取り組んでいくことになります。凡事徹底に取り組むことで、車の運転のように自然に無意識の行動が増えてくるものと考えています。規則正しい生活、ルーティンを大切にする習慣を作り上げることが当面の課題になります。そして前頭前野と無意識の脳の働きのバランスを取る事を心掛けることが大切になってきます。
2021.02.19
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森田先生は、死ぬときは、その前に皆に集まってもらいたいと思う。告別式も、死んで後には、自分は何も知らないから、なるたけは死ぬ前にやってもらいたいものです。(森田全集第5巻 593ページ)私はそういう気持ちは全くない。一人で死んでも構わない。葬式も家族葬で構わない。もっとも参列者が多いとも思われない。墓に入れてもらわなくても、海や山に散骨してもらっても構わない。森田先生は大勢の人に囲まれ、惜しまれながら死んでいきたいとおっしゃられています。事実、高知県香南市にある森田先生の墓は、大きくてりっぱなものでした。この差はどこから生まれてくるのだろうかと考えてみました。それは気質の差なのではないか。神経症の症状を見ればある程度納得できることではないかと考えました。森田先生は不安神経症でした。不安神経症というのは広場恐怖の人と同じように、自分が孤立することに不安を感じるものです。一人の時パニックに陥って生死の境をさまようような状態は何とか避けたい。そのためには日ごろから他人と仲良くして、親密な人間関係を築いておくことが必須になる。人に親切にする。他人の関心を掴んで、その期待に応える。笑いやユーモアを振りまく。人の嫌がることを率先して引き受ける。プレゼントをあげる。他人の行動や考え方を尊重する。人生の目的が他人を大切にして、暖かい人間関係の中で、和気あいあいと楽しく過ごしたいという点に凝縮されている。家族思い、子ども思い、仲間思いが何よりも価値があり、すべてに優先されている。単身赴任の人は、普段から金曜日に家族のもとに帰る事を心待ちにしている。それにのめりこむと、良好な人間関係作りばかりにエネルギーをとられて、本来の人生の目的を見失うことにもなります。共依存というのはその典型です。対人恐怖の人はどうか。他人からよい評価をしてもらいたい気持ちが人一倍強い。負けず嫌いなのです。目立ちたい、一目置かれる人間になりたいのです。自己中心的な面が強く、たとえ孤立しても何とか生きていけるはずだと思っている。その目的達成のためには、艱難辛苦乗り越えていく生命力の強さを持っている。単身赴任の場合は、別に家族のもとに帰らなくても、不安な気持ちにはならない。それより、自分の好きなところに行き、自分の好きなものを食べて、自由気ままに暮らしていきたい。単独行動をとるというのが、基本的なスタンスなのです。基本的には、他人と仲良くすることに何のメリットも感じていないのです。むしろ家族が自分の単身赴任先を訪れてくれれば、いろんなところに連れて行ってあげるというスタンスです。むしろ人間関係は煩わしいことが多いと感じているのです。一人で心安らかに気ままに暮らしていきたいという気持ちが強い。それでは普通神経症の人はどうか。ガンでもないのにもしガンにかかったらどうしよう。もしオレオレ詐欺にかかったらどうしよう。交通事故を起こしたらどうしよう。仕事でミスや失敗を起こしたらどうしょう。このような取り越し苦労ばかりしている人です。別の側面から見ると、完全主義、完璧主義、理想主義、コントロール欲求の強い人です。天気でいえば、毎日が日本晴れでないと、イライラしてストレスで苦しい。不安が全くない、完全無垢な状態でないと、安心して生きている心地がしない。つまり100%でないと承知しない人です。99点以下はすべて0点として取り扱っているのです。それを露骨に態度に表して、自分や他人や自然を否定しているのです。「かくあるべし」を押し付けて、絶えず対立や争いごとを繰り返している人です。60%でもよしとする。ほどほどの生き方に変えると楽な生き方ができると思うのですが、本人の気質ですからなかなか変えることができないのです。こうした気質の違いは、行動として表れて、周囲の人に良い意味でも、悪い意味でも影響を与えていきます。私たちは、自分の気質がどれに当たるのか、自覚する必要があると思います。問題はその気質が制御能力を失って、暴走してしまうことです。気質そのものにはよいも悪いもありません。ただそれをつよく前面に出すと。生きていく上において、不具合が生じてくるのです。その一つが神経症の発症です。これに歯止めをかけるのは、第3者の存在です。配偶者はできれば別の気質の人を選んでバランスをとっていく。集談会、趣味の会などできるだけ多くの人との関係を作り、自分の気質が暴走しないように制御をかけるという態度が必要になると思います。
2020.10.30
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4月号の生活の発見誌に、目上の人とか、知人と会って話したりする場合、どうしても目つきが悪くなって、顔があげられなくなるという人の話が載っていた。挨拶ぐらいはできるが、みんなと一緒に話し合って笑い興ずることができない。自分では、話の種はいくらもあっても、顔を上げようとすれば、硬くなって、見えるものすべてが不自然に強く目につき、傍にいる人など、気味が悪そうにされるので、苦しくてたまりません。これは電車で4人掛けの椅子に見知らぬ人と座り合わせたときに感じることです。特に他の3人が知り合いで、和気あいあいと会話をしている場合など居づらい雰囲気になります。目のやり場に困ります。眠ったふりをしたりスマホを見たりして、目を合わせないように注意しています。これに対して森田先生が的確なアドバイスをされている。「目が鋭くなる」とは、目がスラスラと動かないで、固定し見つめるために起こるので、自然の目が自由に動こうとするのをつい一定の所を、見てはならないと故意にけん制しようとするため、目がかたく動かなくなるためであります。これを治すには、この苦しいという感情は、けがや災難と同じで、防ぐことはできないものであると認識する必要がある。けがは痛く、恥ずかしいことは苦しく悩ましいのは当然のことである。すなわちそれは忘れたり、気を紛らせたりしても、どうすることもできない事である。最も正しいことは、従順におとなしく、逆らわずこれを忍受する事であります。そうすれば、感情の法則により、その苦悩は最も早く、薄紙をはがすように次第に消失するものです。これに反して、これに逆らおうとする時には、ますます執着になるものです。長上の人や知人と交話する時は、日本の礼法としては、その尊敬の度の強いほど、その人の膝の先、下腹・胸部というように、その近傍をぼんやり見ながら(その方向を見るともなしに目を向けながら)、先方が何かいう時、または自分の意見を確かめるとき、先方の顔を一寸瞬時、盗み見るのが法で、それがあたかも人情の自然であります。それをことさらに、見ないように、あるいは一定のところを見つめよう、人の目を見つめようという風に考えると、目が凄くなるのであります。また進んでは、自分が見てはいけないと思うところに注意や意識を無理やり向けていくことも有効です。それはかえって、自分の心の自然であるから、むしろそれに従うという心の態度であります。そうすれば、苦しい、恐ろしい、そのためにますます執着するような気持はするが、思い切って実行すれば、必ず早く治ります。「顔が上げられなくなる」そのままでよろしい。たって勇気を出して、顔を上げようとせず、オドオドして恥ずかしがっていればよいのです。以上申し上げる通り、その心持だけをただ実行しさせすれば必ず治ります。
2020.06.30
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石原加受子さんが確認行為を何度もする人に次のように言われている。(もっと自分中心でうまくいく ごう書房 35ページ)家を出る時に何度も何度も鍵を確かめずには居られない人がいる。それは小さい頃、親が自分の心に無断で侵入してきたから、心の鍵をかけておかずには居られなかったからだ、という解釈をしたらどうだろう。一般的に、一見マイナスに見える状態や症状は、あたかもそれを極悪人のごとくに否定したり、拒否したり、責めたりしがちである。しかし、このような解釈をすれば、 「何度も鍵を閉める」と言う行為は、自分を守るための純粋な行為だと言える。「何度も何度も鍵を閉める」ことで、自分を安心させていることになる。それは言い換えれば、 自分を「何度も何度も、愛してあげている」ことである。自分を愛するために、自分を守るために、そうしているのだ。「自分が自分にひどいことをするわけがない。自分にとって必要だからそうしている。無意識では納得して、あなたを理解しているのに、顕在意識のあなたはそれを拒否するから苦しくなる」のだ。面白い見方だと思う。これによると、子供のころの親との付き合い方に問題があった。親があまりにも干渉しすぎて、親のいわれる通りに行動してきたツケが確認行為という形で表面化してきているということだ。親が子供を自分の所有物のように思っていて、何でもかんでも口をはさむ。指示命令して親に服従させてしまう。そういう育て方をされていると、他人の思惑が気になり、自分の感情や気持は感じられなくなってしまう。自分が「こうしたい。ああしたい」という意志は育たなくなる。注意や意識が常に他者に向けられて守り一辺倒の人間になってしまう。こういう人間にならないように、親は子供の側にいるとき、できるだけ子供の自由にさせて、子供の行動を見守るという態度が必要なのだと思う。ではそのように育てられて、大人になってしまった人はどうすればよいのだろうか。確認行為自体を止めるためにいろいろと対策をとることも必要だろう。でもそれだけでは、次にガスの元栓が気になったり、電気の切り忘れが気になったりと収拾がつかなくなるのではないだろうか。一番は石原さんが言われるように、遅まきながらも「自分中心の生き方」に変更していくことではなかろうか。つまり自然に湧き起こってきた感情を認めて受け入れていく。自分の気持ちを大切にしていく。自分の意志を大切にしていく。五感や自分の身体感覚を大切にしていくことである。これは森田でいうと「かくあるべし」を少なくして、事実本位に生きていくということである。
2019.02.16
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視線恐怖は2通りあります。1つは、自分の視線が他人を傷つけるのではないかという不安です。これは加害恐怖に近い不安です。家に子供と2人きりの時、唐突に包丁で子供を刺してしてしまうのではないか、あるいはベランダから子供を投げ落としてしまうのではないかというあってはならない感情が沸き起こってきたときに感じる不安です。この感情にとらわれてしまうと、重い神経症に陥ってしまいます。例えば、包丁を持って料理をすることができなくなる。あるいはおしめを替え、ミルクを与えたりすることができなくなってしまいます。森田理論を学習している人は、このあたりのからくりはよくわかっていますので、パニックに陥る事は少ないと思います。感情は暴れ馬のような自然現象で、時としてこのような感じたくない感情が沸き起こってきます。このような感情がわき起こると、もしかすると行動に移すかもしれないと不安になるのです。実際には、子供が可愛くて、子供を守ってあげたいという気持ちが人一倍強いのです。その反動として、子供傷つけ、危険な目に合わせることを恐れているのです。これは人間に、ある感情がわき起これば、自然にその反対の感情も沸き起こるという精神拮抗作用が発動しているために起きることなのです。そのように森田理論で学習していると思います。加害恐怖のひとは、本来は家族に対する愛情がとても深いのです。その家族に対して、傷つけるようなことがあってはならないという不安や恐怖の裏返しとして加害恐怖に苦しんでいるのです。加害恐怖で苦しい時は、不安や恐怖にばかり注意や意識が集中しています。その不安や恐怖を取り除き、逃れることばかり考えているのです。この不安や恐怖から逃れるためには、精神交互作用を断ち切って、具体的に家族の役に立つことを淡々とこなしていくことが肝要であると思われます。もう一つの視線恐怖は、他人から自分の事を批判的、軽蔑的に見られているのではないかという不安です。例えば、出勤途中、前の人を追い越して歩き始めた途端、それまで何ともなかった歩き方が急にぎこちなくなり、手と足の動作がちぐはぐになるようなものです。あるいは、自分が重大な身体的欠陥を抱えている場合、他人の視線がそこにばかり集中して、自分を否定している。そこから発展して、自分の全人格も否定されているに違いないと思い込んでいる場合もあります。こういう視線恐怖の人は、常日頃他人の思惑を気にして右往左往している人です。愛着障害を抱えて、他人に対する信頼関係が持てないでいる人です。他人から嫌われるようなことがあると、生きていけなくなる。そのために自分の気持ちや希望を打ち出していくことができなくなり、専守防衛で他人の思惑に振り回されているのです。こういう方は、まず友人、集談会、趣味の会、地域活動などで心の安全基地となるべき人を見つけることが大切になります。森田理論でいう不即不離の人間関係を幅広く築いていく中で、気心の知れた人を見つけることができます。そういう人間関係が全くないと孤立して、視線恐怖はますますひどくなってくると思われます。その後で、人間関係の在り方を森田理論で学習することが有効だと思われます。
2019.01.10
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集談会に参加する人の中には、戸締まりが気になる、ガスの元栓を締めたか気になる人がいる。普通の人は目や音、触覚で確かめて安全だとわかれば、次の行動に移る。たまに、その時に何かほかのことを考えていると、 「果たしてどうだったのか」と気になることがある。その時は、引き返してもう一回確認するということはある。しかしそれは許容範囲だと思う。確認恐怖の人は、その不安が不快になって、気が済むまで確認行為を続ける。そのために会社や学校に遅刻するようになる。社会生活に支障をきたすようになる。不快感を取り去ることが目的であるので、そのうち確認行為そのものは蚊帳の外になっている。本来確認行為は、五感を使って認知したものが、自己信頼感となって終結する。この場合、人間の思考の中枢と言われている前頭葉にその情報が伝えられることはない。しかし確認行為を繰り返す人は、確認行為が前頭葉に伝えられる。前頭葉は様々な問題や課題、すぐに結論の出ない問題について、さまざまな視点から検討をしている。この機能は人間だけに発達しているもので、動物にはほとんど見られない。優れた機能ではあるが、反面厄介な問題もある。取り越し苦労などしないで、直感的に、これだと思ったようなことは、その情報を前頭葉を経由しないで直接手足に指示命令した方がスムーズに事が運ぶ。情報を前頭葉に伝えることによって、練習では難なくできていたようなことが、金縛りに遭ったような状態になって、思わぬところで苦杯を舐めるということが起きてくることになる。レーシングカーやオートバイの競争、フィギアスケートや野球選手の動作、オーケストラの楽器の演奏などは、それまでに練習で培った動作の手順が大脳の運動野に記憶されている。アルトサックスのプロの人に聞くと、コンサートの前には1日10時間くらい練習するという。すると、楽譜がなくても自然に指が正確に動いてくれるようになる。実際本番では暗譜の状態で演奏している。楽譜がある場合でも、曲の流れを掴むだけである。練習不足の状態で、楽譜を見ながら演奏すると観客を感動させるような演奏はできない。しかし猛練習を積んで、これならほぼ完璧に演奏できると思っても、それは虫がよすぎる。コンサート会場の雰囲気、観客の状態の微妙なことが気になって、ふと前頭葉がちょっかいを出すことがある。「本当にうまくいくのか。演奏を間違って恥をかくのではないか。演奏仲間に迷惑をかけるのではないか」などの感情がわき起こってくるのである。前頭葉がそれらの不安に対して検討を始めるととんでもないことが起きる。できれば演奏中は前頭葉はゆっくり休んでおいてもらいたいのだ。練習ではほぼ完全に出来るまで、時間をかけて体に覚えこませている。仮に練習で完璧にこなせない場合は、その分前頭葉がしゃしゃり出て、お節介をする。演奏者はそのプレッシャーと戦わなければならない。本来は演奏に向けられるべき意識や注意が不安や恐怖のほうに向けられているのである。無意識の状態で手が自然に動いているという状態をつくりあげることが大切なのだ。そのために、プロの人はどういう風にしているのか。前頭葉がしゃしゃり出てこないために猛練習を重ねて自分を落ち着かせている。そうまでしても、人間の場合は必ず、ちょっと隙があれば前頭葉がしゃしゃり出てくる。イチロー選手、羽生結弦選手を見ていると、本番前にはルーティーンと呼ばれる同じ動作を繰り返している。これは、前頭葉がしゃしゃり出てこないために、自分の決めた本番前の手順を黙々と踏むことで、大脳の運動野からダイレクトに指示命令を届けようとしているのだ。確認恐怖症の人は、何か自分の好きな楽器をを見つけて取り組んでみると良いと思う。最初は前頭葉が盛んに働く。ところが、 1つの曲に取り組んでいると、そのうち手の動かし方を体が覚えてしまう。つまり前頭葉がお休みしてしまう。大脳の運動野から直接指示命令が伝えられているのである。観衆の前で演奏してみる。そこで前頭葉が働いてくると、ほぼ思ったようには演奏はできない。そこでは、いかに前頭葉を休ませて、大脳の運動野からダイレクトに手足に指示命令を伝えられるかどうかが成否のカギを握る。そういうことが体でわかれば、確認行為で前頭葉が働きすぎというのは、まずいことだと体感できる。これは観衆の前でやるプレゼンテーションや芸能、競技などでも言えることである。確認恐怖の人は、そういう体験が不足しているのかもしれない。確認恐怖は頭の中でそのメカニズムがわかったからといって、必ずしも克服できるとは限らないと思うのである。それは森田理論を理解した人が、必ずしも神経症克服できるとは限らないということと同じことだ。
2018.02.09
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森田先生は、不潔恐怖の患者は、ますます不潔になり、赤面恐怖の患者は、いよいよ恥を知らないようになると言われている。疾病恐怖の患者はますます不摂生となり、縁起恐怖の患者は自分の幸運も幸福もこれを犠牲に供して少しもかえりみない。みんな思想の矛盾によって、自分の思うことと、実際とがあべこべになってしまうのである。不潔恐怖の人は、物に触るとばい菌が自分の体に移っては困るので、人が触った吊革などは持つことができない。家に帰ると、その手をいつまでも綺麗に洗わなければ気が済まない。中には身につけていたものを脱いで洗濯したり、あるいはシャワーなどを浴びて身体を清めないと気が済まない人もいる。不潔恐怖の人は、これを馬鹿げた事と知ってはいるが、汚いと思う嫌な気持ち、不浄が少しでも残っているのではないかという不安な気分が苦しい。この気分本位に従って、理知ではそんなことはないということを知りながらも、事実に従順になることができない。そして不浄らしきものには一切手を触れようとしなくなる。次には何が不浄かと言う事を苦心して研究するようになる。森田先生の患者は、ものを触るとき常に紙を用いて、多いときには1日に100枚も使う。さらに、いつも木綿で作った手袋をはめている。トイレは汚いので、なるべく我慢している。そのためしばしば途中で尿を漏らすことがある。これを始末することができないので、できるだけもれたままで我慢している。大便に行く時は大変である。紙を何枚も重ねて使うので、大量の落とし紙を必要とする。手に不浄が染み出しは出ないかという心配からである。これでは大便が綺麗に払われるはずがない。これは常人ならば、想像するだけでも嫌なことである。患者はこの明らかな事実さえも心に考える余地がない。一心不乱に手に不浄が染み付きはしないかということのみを恐れているのである。患者は、ものに触れることが恐ろしいために、衣類を着替えることも、入浴することもできない。不潔恐怖のあまり、患者の身体はますます不潔になるのである。 (神経衰弱と強迫観念の根治法 133ページより引用)赤面恐怖の人は、自分の顔が赤くなると、人から自分のことを気の弱い変な奴だとみられることを恐れている。昔、飛行機で海外へ行くということが珍しかった頃、会社からの依頼で海外に単身赴任することになった人がいた。空港には会社の関係の人をはじめ、多くの人が見送りにきていた。ところが、その家の奥さんの姿が送迎デッキ見えなかった。奥さんは赤面恐怖症の為、人前に顔を晒す事を恐れたのである。空港までは来ていたが、会社の人たちが大勢集まっている場所には行くことができなかった。会社の人たちは姿を見せない奥さんに対して、なんと薄情な奥さんだろう、と思ったという。奥さんにしてみれば、赤面恐怖のため、みんなの前に顔を見せたくても見せられない自分の症状のことをわかってもらいたいという気持ちがあった。しかし、その気持ちは会社の人たちには伝わる事はなく、奥さんの行動の事実を見て、奥さんの人間性を疑ったのである。奥さんは、赤面した顔を人前にさらすことを控えて、会社の人たちが自分と主人のことを悪く思われないための精一杯の行動をとっていたのだ。それが唯一正しい方法だと信じていた。でも実際には、他人から変わった人、変人として非難ばかりされるような人間に成り下がっている。それがあらゆる対人関係の伴う場所で、同じような行動をとるものだから、とても苦しくて、もう死んだほうがましだというような状態に追い込まれているのである。これらは自分の強い願いとは反対のことばかりが起こっている。それは不安や恐怖などの気分ばかりを相手にしているからである。強迫観念というのは、やりくりしたり逃げたりすれば、すればするほど追いかけてくる。それは詐欺師にあやふやな対応をしていると、どこまでも付きまとわれて、骨の髄まで巻き上げられるようなものだ。森田理論では欲望があるからこそ、不安があるという。本来の方向性としては、どこまでも生の欲望の発揮を追及していく。ただし、無制限に追及していると欲望の暴走が起きる。その制御機能として不安が発生するようになっているのだから、適宜不安を活用して調和をとりながら、生の欲望を追及していく態度になればよいのである。このような不快感や違和感に左右される生活態度を気分本位という。森田理論は、気分本位、理知本位の生活態度を、事実本位・物事本位の態度に変えていくための学習である。
2017.09.17
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生活の発見誌では年末になると「苦しみの最中にある人へ」という特集が組まれる。私はそれを切り離して1冊の本にしている。その中から回答者のアドバイスとは別に自分の考えを述べてみたいと思う。28歳の女性の相談。最近特に、休みの時に一人でいると恐ろしくなると気があります。このまま家にいてはどんどん年をとるだけではないかと。一緒にいてほっとする男性に巡り会いたいということばかりが頭にあります。恐ろしいのですが、誘われればコンパに行ったり、最近では、パソコンの出会い系サイトで会うこともあります。男性に慣れる意味もあり、少しでも気に入った人に会っています。私は中学生のころから対人恐怖がひどく、学生生活はつらいものでした。いじめられても、自分を抑えて我慢してきました。誰一人助けてくれませんでした。人への不信感、強い対人不安を持ち、ふるえながらも、学生時代はアルバイト、現在は事務の仕事を4年間続けています。素敵な男性を見つけて付き合いたい。そして人並みに結婚して幸せな家庭を持ちたい。人間として、一人の女性として当然の欲求だと思います。その欲求を達成するためにはどうしたらよいのか考えてみましょう。あなたは誘われればコンパに行ったり、最近では、パソコンの出会い系サイトで会うこともありますと言われています。それも一つの手段です。でもちょっと危険で、よい結果に結びつく確率は少ないのではないでしょうか。それ以外には、信頼できる友達、親、親戚等自分の身の回りにいる人に声をかけて、「いい人がいたら紹介してね」とお願いしてみてはどうでしょうか。自分で見つけきれないときはこの手もあります。その他、趣味や習い事はされていますか。これは公民館活動などを見たり、町の広報誌を見たり、カルチャーセンターの案内を見たりしているといくらでもあります。自分の興味がある分野に参加してみると他の人との交流が始まります。若い男性が多く参加している場合は交際のチャンスも生まれます。またそういう人の中には大抵世話好きな人がいるものです。そういう人にそれとなく声をかけてみましょう。そういう意味では集談会などの学習会への参加なども人と知り会うチャンスが生まれます。あとボランティア活動への参加、地域のイベントへの参加などもあります。自然災害への支援、ハイキングや祭りのスタッフなどいくらでもあります。とにかくいろいろと人と接するチャンスにアンテナを張って実際に参加してみることが大切です。自分に素敵な男性を見つけたいという気持ちがあれば、願いはきっと叶うでしょう。次にあなたは強い対人恐怖でつらい人生を送られてきたといわれています。でも人への不信感、強い対人不安を持ち、ふるえながらも、学生時代はアルバイト、現在は事務の仕事を4年間続けています。これは森田理論から見ると素晴らしいことなのです。自分をほめてあげてもいいことなのです。普通は投げやりになり、会社勤めを辞めて家で悶々とした生活を送るというパターンにはまってしまう人もいるのです。そうなると意識や注意が内向して、自分を嫌悪したり否定したりして苦しむようになるのです。その悪循環にはまり込まないために仕事を4年間続けてこられたというのは大変評価できます。そうはいっても人の言動に左右されて、イライラしてしまう自分がいるのも事実でしょう。これは私の苦しかった状況と一緒です。この原因は、あなたの考え方の片寄り、認識の誤りにあります。それらを多少緩めてやると今現在抱えている苦しみや葛藤はかなり軽減できます。もう少し具体的にいうと、あなたは「自分はすべての面で他人に受け入れられなければならない」という「かくあるべし」が強いのではないかと思います。その願いが強ければ強いほど現実との間でギャップが生まれてきます。あなたは現実のみじめな自分を否定して理想の自分に引き上げようとされているのです。あなたの苦しみはそのギャップを埋めようとするその態度の中にあるのです。楽になるためには完全で完璧な理想の自分を捨てて、現実の自分に寄り添う自分に変えることなのです。今は「この人は何を言っているの」と反発されるかもしれません。でも私の体験からすると、森田理論学習でこのことをしっかりと学習されて、事実を素直に受け入れるという態度を体得された時、あなたが生まれ変わり、新たな人生の出発点になることが目に浮かんでくるのです。
2016.07.20
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30代の男性社員Fさんは、最近移動してきた上司から、よく休むことについて注意されました。気分変調性障害を持つFさんは、疲れがたまると有給休暇をとる、というパターンを作ってから職場適応がずっとよくなっていました。以前の上司は調子の悪いFさんへの理解があったのですが、新しい上司は事情も分からず、ただ「休みすぎる」と感じたようです。新しい上司は「今どき、誰でもうつ病だ。もっとしっかり健康管理しないとだめだ」と言い放ちました。以前のFさんは、気分変調性障害という病気を認めていませんでした。そのため仕事の能率が悪かったのです。でも精神科にかかり、気分変調性障害は病気であると認識しました。自分の性格や資質で片付くような問題ではない。治療を受けたり、考え方、行動パターンを変えて会社に適応できるようになったのです。前上司はそのことをよく分かってくれていたのです。Fさんは現在の上司の理解を得ることは難しいと考えて、「上司に巻き込まれないようにすること」を心がけるようにしました。気分変調性障害の人は自分の心身の状態が悪くても、上司からきつく指導されれば、それに巻き込まれてしまうことがあります。Fさんの場合は自分を見失うことなく自己主張ができています。素晴らしいことです。部下に理解のない上司はすべての面で部下を思いやることのない人です。そういう人は管理職としての資質に欠ける人です。組織としてまとまって目標を達成することが難しくなると思います。いずれじり貧となり管理職から外されることになるでしょう。それまでの辛抱です。そういう上司はどこの会社にもいます。まともに対応しないことも一つの方法です。それとチームとして仕事に取り組んでいる場合、一人抜けると誰かがその仕事をしなければなりません。誰もいない場合は他の同僚に負荷がかかります。他の同僚も同じように有給休暇をとっていれば特段問題は起きません。自分だけが時々有給をとっている場合は他の同僚から不平不満が出てきます。これは無視できません。有給休暇はある程度とることが義務つけられています。全員がとれるように計画を立てておくのが上司の役目だと思います。Fさんの場合はランダムに取得することになるでしょう。他の人の場合は計画取得になるかもしれません。また上司の役割はアクシデントに備えて仕事が滞らないようにすることです。仕事の分担を組み変えて流れを止めないこと。あるいは緊急対応として自分が現場に入ることなどです。そういう余裕を持った人員配置が必要なのです。よく有給をとる人を戦力外とみなして、最初から除外していくのでは組織として成り立ちません。非常識の域です。公平にとれるようにすることが肝心だと思います。しかし普通の会社は、最低の人数で、サービス残業して、目標達成できるようなシビアな職場が多いことも事実です。そんな中で、気分変調性障害の人はどう対応したらよいのか。まず休む時はなるべく早く伝えることです。それと上司や同僚に気分変調性障害は病気であることをおりにふれて説明することです。治療が必要であること。通院や薬物治療を行っていること。現在の状況。病気と仕事の能率の関係性こと。エネルギーを充電するための定期的な休養が必要であること。Fさんの場合は、前上司から現上司への申し送りが不十分でした。また、新上司は就任時個別の面談があるはずです。その時に現在の状況については十分理解してもらうことです。それでも理解を示さないというのは上司の方に問題があるのだと思います。
2015.08.21
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気分変調性障害の例5です。Eさんは職場で管理職に昇進しました。自分の仕事ぶりが認められて昇進を果たしたのです。部下が何人もいて課をまとめて成果を上げることを求められました。今まで自分の仕事は頑張ってなんとかこなしてきましたが、その仕事を部下に分担して自分は別の仕事をしなくてはならなくなったのです。自分の仕事は部下の教育、仕事の進捗状況の把握、問題点の抽出、仕事の改善、上司や関連部署への報告、連絡や交渉等です。Eさんは気分変調性障害で、きちんと仕事をしない部下に不満を感じても、それを注意することができません。自分が部下の代わりに手をつけてしまう。その方が気が楽なのです。その結果休日出勤、深夜まで残業するようになりました。また定期的な所内会議も手をつけることができなくなりました。上司から「もっと仕事を部下に任せなさい」と指導されましたが、自分の指導力不足を指摘されたと思い、自分を責めていました。すべては自分の指導力不足と考えていたEさんは、部下に仕事を振り分けることができずに、自分の一人で苦しんでいました。気分変調性障害の人は、人にものを依頼するということができません。断られた時の不快感に耐えられないのです。なにごとも悲観的、ネガティブに考えて、罪悪感で苦しんでいます。考えることが極端で大げさに考えるようになります。そして孤立してきます。それはそういう病気になっているのです。Eさんの場合は放置しておくと、大うつ病の発症につながることは目に見えています。自分の能力、性格、資質の問題として放置しておくとますます窮地に追い込まれます。病気にかかっているという認識を持つことが大切です。病気を治すということを優先しなければなりません。すぐに精神科を受診することです。気分変調性障害の人は、それは逃避であると自分を責めます。これはまずいいことです。管理職である自分が抜ければ、会社に多大な迷惑がかかる。また、精神的におかしくなって仕事ができなくなったと部下や上司、周囲から軽蔑の眼で見られる。これはどんなにかつらい事と思います。しかし今決断しないと悪循環が続きます。そして突然、人事異動で左遷や降格を命じられたりすることになります。その方がもっと傷つくと思います。私もそういう経験がありましたが、幸いなことに、それでも会社は、安易に退職を迫ることはありません。ラインから外れると格段に精神的に楽になります。また水を得た魚のように生き生きとしてきます。管理職いうのは、自分のことよりも、部下のことを意の一番に考えることができる人です。気分変調性障害に陥ると自己防衛的になりますので、基本的に管理職の仕事はちょっと無理ではないかと考えています。どちらかというと専門職の方があっている。現実的には難しい面がありますが、そういう意識を持っておくことは大切だと思います。
2015.08.20
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それではさらに次の気分変調性障害で苦しんでいる人の例です。主婦のDさんは、しばしば二重うつ病を繰返しています。娘の学校のPTAの役員を毎年やらされるので、負担が重いのです。そして、DさんのことをPTAのベテランだと思っている人たちは、本来Dさんの仕事でもないものまでDさんに頼ってやらせようとするのだそうです。ほかの役員はどうなのかと聞くと、ほとんどが、一年だけやって交代するそうです。なぜDさんが毎年役を引き受けているのかというと、はっきりと「やりたくない」という意思表示をしていなかったのです。例えばこんな感じです。他の親 今年もDさん、お願いできますか。Dさん あの、私は毎年本当にできが悪いので、今年はもっとおできになる方に代わっていただいた方がよいと思います。他の親 そんなことはありませんよ。毎年きちんと仕事をしていただいて、みんな頼りにしているんですよ。是非今年も引き受けてください。Dさん 困ります。今年こそ大失敗をしてみなさんにご迷惑をおかけしてしまうと思います。他の親 そんなことはないから大丈夫ですよ。是非引き受けてください。Dさんは、本当は断りたくて仕方がないのです。でもDさんの態度が優柔不断なために、他の親には真意が伝わっていないのです。他の親たちの気持ちは、「Dさんは、本当は名誉職としてのPTA役員を引き受けたいのだ。一旦は奥ゆかしく断っているのだろう。だから、もう少し強く依頼すれば引き受けてくれるはずだ。それは結果的にDさんが望んでいることなのだ。」それぐらいの軽い気持ちでいるのです。Dさんは気分変調性障害ですから、「今年は役を代わってもらいたい」ということは難しいのです。自分の気持ちを表現することで、相手を怒らせたり、拒絶されたりすることが恐ろしいのです。また自分の意見を言うことは「わがまま」であると思っている。自分が周りの人に配慮できない人間みられることにかなり抵抗があるのです。かなり困った状況にあっても、「他の人も忙しいから」「自分が抜けるとみんなが困るから」と思ってしまう。また子分のように扱われたり、虐待されていても、「相手も余裕のない時だから」「相手は私以外に頼れる人もないのだから」等と自分に言い聞かせる傾向にあります。これでは永遠に断ることはできません。そこでどう断ったらよいのか水島医師と考えてみました。最終的には次のようになりました。「皆さまにご迷惑をかけないように本当は引き受けられたらよいと思いますが、何年も実力以上の仕事を続けてきたので少々疲れております。今年は勘弁していただけませんか。」自分の気持ちをしっかりと盛り込みました。「もしもこんなことを言われたら」ということも考えて用意しました。「そう言っていただけるのは光栄ですが、ごめんなさい、今年はどうしてもできません」ここまで言えれば自分の気持ちがしっかりと相手に伝わります。本番ではなんとかいうことができたそうです。慰留はなく、長年の献身的な活動に感謝されたそうです。ここで重要なのは、気分変調性障害の人は、自分のネガティブな正直な気持ちを相手に伝えられないということです。相手の不機嫌な反応を予測してその感情に耐えられないのです。森田でいう予期不安です。そのことが自分を苦しめているのです。そういう時は身近で相談に乗ってくれる人に相談することです。私たちの場合は、集談会に集まる仲間です。具体的な問題を話し、どう対応すればよいのか意見を聞いてみることです。それも何人もの人に聞いてみるのです。それを整理して、事前に用意して、練習してみることです。行き当たりばったりでは、自分の気持ちは相手に伝えることはできないでしょう。なんでもないことのようですが、対人関係療法というのは具体的に少しずつ進めていかなくてはなりません。まさに行きつ戻りつの繰り返しです。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.19
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それではさらに気分変調性障害で苦しんでいる人の例で見てみましょう。Cさんの恋人は、デートのときに、Cさんの希望も聞かずに自分の行きたいところに連れ歩きます。Cさんの体調がかなり悪いときでも徹夜の強行軍などをするので、Cさんはデートのあとの数日間、仕事を休まなければならないこともあります。Cさんはそんな自分を「デートに行けて仕事に行けないなんて、自己管理の悪さにすぎず、社会では認められないこと」と責めていました。彼からの誘いを無理だと感じても、はっきりと自分の意思を伝えられない自分を責めていました。さらに疲れ果てて仕事に行かれられない自分を責め、益々自責の悪循環にはまり込んでしまいました。健康な人は無理なことは無理とはっきり意思表示をすることが当たり前になっています。ところが気分変調性障害(慢性うつ)に苦しんでいる人は、その後の人間関係の悪化を恐れて明確に意思表示をすることができないのです。さらに悪いことに、相手の無理な要求であっても、「その期待にこたえられない自分が悪い」と感じてしまうのです。はっきりと意思表示しない自分を責めているのです。森田でいう自己内省性がマイナスに出ているのです。Cさんは精神科医の水島広子医師の治療で、自分は気分変調性障害(慢性うつ)にかかっていることと、自責的特徴を理解されました。そして、主治医からの伝言という形で彼に伝えることにしました。彼のように、どうしてはっきりと意思表明をしないのだろうと考えている人にとって、それが気分変調性障害という病気であると理路整然と説明されれば意外に納得するものなのです。反対に、病気の人は相手に余計な気を遣わせるのではないかと心配する人が多いのですが、実際はその反対です。相手の性格や資質の問題だと考えている限り、余計な気を使ったり、不要な疑念を抱いたりするものなのです。水島氏によると「病気ということでしたら納得できます」といってくれた人は多いそうです。だからといってCさんから彼にはっきりと意思を伝えることができません。そこで彼から「今日の体調はどう」と聞いてもらうことにしたそうです。体調は10段階に分けました。0は「全く無理はできない」10は「かなり無理をしても大丈夫」それをメールでしたら伝えられるということになったそうです。普通の人から見るとまどろっこしかもしれません。気分変調性障害の人にとってはそこが出発点です。そして少しずつステップアップしてゆくことが大切です。何しろ放っておくとすぐに罪悪感、自責感が出てくることを自覚しないといけません。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.18
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気分変調性障害を持つ女性社員Bさんは、会社の同僚が雑用をBさんばかりに押し付けてくることに不満を持っていました。同世代の同僚にすぎない彼女は、上司でもないくせに、コピー取りや食器洗いをBさんに命じてくるのです。彼女は万事に「上から目線」で、Bさんのことをバカにしたような言動もよくとっていました。Bさんは、自分の不満を感じてはいましたが、決して彼女には逆らわず、事態は変わらずに続いていました。面接の中で、このパターンをなんとか変えたいという希望を持っていました。会社では基本的にはコピーは自分でとる。食器洗いは順番を決めて交代制にするのが常識的なところではないでしょうか。この例は同僚がBさんを自分の分身のように自由に取り扱っています。当然Bさんには不平不満がつのります。その同僚は、いろんな雑用を他の人に命じることはありません。Bさんひとりに命じてくるのです。Bさんはなにもいいかえさないイエスマンなので命じやすいのです。一方Bさんには対人関係で波風を立てたくないという気持ちがあります。コピー取りや食器洗いは大騒ぎするほどのことでもないし、そんなことでお互いに気まずい思いをするのは大人げないのではないかと思っているのです。また自分の気持ちを正直に出すと、同僚が怒ってしまって、自分が傷ついたり、他の人に悪口を言われるのではないかとびくびくしているのです。自分が手を離せないほどの仕事をしていても、相手の意向に答えることを優先しているのです。これは気分変調性障害を持っておられるので、自分の気持ちとは裏腹に、相手との摩擦を回避するために自然にそう行動してしまうのです。そういうふうに自己内省的に自分を責めてしまうというのが特徴的に出ているのです。どうしたらよいのでしょうか。そんな対応をされたら、断ってしてしまえというのは、気分変調性障害の人には無理な話です。Bさんの気持ちはなんでしょう。本来自分のやるべき雑用を子分のように押し付けないでほしい。私はあなたの雑用係ではないのだ。コピーは自分でやってほしい。食器洗いは交代制にしてほしい。自分が忙しいときは、自分の仕事を優先したい。余裕があれば手伝ってあげるが、普通は目一杯の仕事があるので難しい。また自分だけではなく、他の人にも頼んでほしい。同僚とは対等な立場で仕事をしたい。とにかくこき使うことだけはやめてもらいたい等だと思います。交代制の提案については、話しやすい他の同僚に相談することはできないでしょうか。そして普通の会社では業務会議があります。その時に同僚から議題として提案してもらうことはできないでしょうか。それも難しければ、上司に相談するということも考えられます。上司から提案をしてもらうのです。自分が直接動かなくても、打開策はあるのではないでしょうか。ストレスを感じながら、安易に引き受けていると、不平不満がたまりいずれ爆発する可能性があります。また、Bさんは断って相手と対立関係になるということを恐れているわけです。これは「あなたメッセージ」の発信をするからそうなるのです。相手を拒否したり、否定する発言です。そういう場合は「私メッセージ」で自分の気持ちを相手に伝えるということを取り入れてみてはいかがでしょうか。これは直接相手を拒否したり、否定していることではないのです。自分の気持ちや意向を言葉に出すということなのです。「今この仕事で手いっぱいなの」「今は手が離せないの」「私今の仕事でパニくっているの。イライラしているのよ」これはオブラートに包んで相手の依頼を断っているのです。こんなことは日常生活でよくあると思います。催し物への参加を勧められた。飲み会に誘われた。カラオケに誘われた。物を買うように説得された。役を引き受けるように勧められた。等など。こういう場合は「私メッセージ」発信で対応するとよいのです。気分変調性障害の人は自分のイヤだという気持ちをどう相手に伝えるか。あらかじめ考えておくことが有効です。とっさには思いつかないと思います。相手の反応が気になって、すぐに拒否する、断ることができないのですから自分の気持ちの伝え方を普段からいくつか考えておく。これを是非お勧めします。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.15
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それでは気分変調性障害で苦しんでいる人の例で見てみましょう。Aさんは、自分はいつも人の中で浮いてしまうと悩んでいる人です。最近始めたアルバイトでも、他の人たちは親しそうに話しているのですが、Aさんだけはとめこめないのです。別にいじめられているわけではなく、感じよく挨拶をしてくれるので、どう見てもAさん側の問題のようでした。Aさんは、自分はやはり人間としてどこか欠けているのだ、と思っていました。Aさんと周りのやり取りについてよく聞いてみると、Aさんから周りへの働きかけは、堅苦しい挨拶をするだけということが分かりました。それ以外の状況では、話しかけることはおろか、微笑みかけることすらほとんどしていないのです。また、ほかの人たちが話しているときにも、Aさんは決して近寄らず、興味がありそうな顔もしていないことが分かりました。Aさんは気分変調性障害で苦しんでいる人です。そういう病気を持ちながらアルバイトをはじめられたのです。その前向きな姿勢は評価できると思います。初めての仕事、初めての人間関係の中でいろいろと気苦労は多いことと思います。常に抑うつ気分がありますので、症状のない人から比べるとつらい事と思います。採用の時、気分変調性障害に理解があればよいのですが、それを言うと不採用になることがありますので公言するのは難しいかもしれません。そんな時に役に立つのは森田です。私は症状がきついときは月給鳥という鳥になったつもりで、会社に行っていました。とにかく仕事をある程度こなして、生活費を稼いでくること。これだけに焦点をあてていました。これは先輩からのアドバイスでした。気が楽になりました。そして集談会でアドバイスされた事に素直にくり組んできました。特に小さい仕事をていねいにやるということでした。そのうち雑仕事がしだいにうまくできるようになりました。宴会などの幹事もできるようになりました。すると不思議なことに対人的な悩みよりも、仕事の出来具合が気になるようになりました。Aさんの場合、無理は禁物です。何しろ気分変調性障害という病気を抱えているのですから。これは最初によく自覚しておいてほしいと思います。ぼちぼちとやってください。Aさんはアルバイトを始めたばかりですから、他の仕事仲間は自分の悩みのことは全く気がついていないと思います。そういう時を利用して、できるだけ早めに仕事を覚えるようにしたら如何でしょうか。きっと良い方向に向かうと思います。その上でAさんの対人関係について考えてみましょう。Aさんは、「自分はやはり人間としてどこか欠けているのだ」とおっしゃっています。これは気分変調性障害の人の特徴的な考え方です。気分変調性障害は、水島広子さんがおっしゃられているように病気です。病気が治れば、そんなに自己否定するようなことは考えなくなると思います。自分は心配性でイライラすることも多いが、これは感受性が豊かであるということでもある。そういう個性を持っている人間なのだと思えるようになるでしょう。対人緊張が強いというのは、自分の考え方が片寄っている、認識の誤りがあるということだと思います。それを少し緩めてやることが有効です。森田理論学習では仲間とともにそのことに取り組んでいます。Aさんのような悩みは私にもあります。人がおもしろそうな話をしているところに入っていって、「何様のつもり」と思われるようなことがあってはいけない。また過去の自分のミスや失敗、自分の弱みを取り上げてからかわれたり、バカにされるようなことがあってはならないと自己防衛的に構えているのです。仮に雑談の輪に入ろうとしても、何も面白い話ができるわけでもないと思っているのです。これは雑談恐怖症です。雑談恐怖症は、自分が非難されるということをひどく恐れているのです。また、雑談の場でその場を取り仕切りたいという自己中心的な面もあります。このような状況の中でAさんは、仕事仲間にどんなことを期待しているのでしょうか。多分「自分から話しかけなくても、自分は、本当は人と親しく話をしたがっている。でもうまくできないという自分の状況を気づいてくれて、気を使って仲間に加えてもらいたい」と思っているのではないでしょうか。これは虫のよい話です。一度でも自分の気持ちを、相手に伝えておけば実現可能ですが、一度も伝えたことがありません。相手に超能力でもない限り、実現不可能な要望です。気分変調性障害の人は、自分の意見や希望を堂々ということなど「とんでもない」と思っているのです。自分の内面を明かせば、自分の欠点や弱みが筒抜けになってしまう。また拒否されたり、無視されたり、否定されると大きな傷を負ってしまいます。自分が何かを言うことで波風を立てることを恐れていますし、そもそも自分の意見や希望を言うことは「わがまま」なことだと思っています。Aさんの気分変調性障害を治し、対人緊張を軽くするためにはどんなことに取り組めばよいのでしょうか。薬物療法も必要かもしれません。これは精神科医に相談してみてください。考え方の誤りや偏りは、カウンセラーや自助グループの学習の中で修正していくことが必要です。水島広子さんの対人関係療法、認知療法、論理療法、森田理論学習などが有効となるでしょう。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.14
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まず気分変調性障害(慢性うつ病)に陥った人はどういう考え方をしているか。その特徴を見てみよう。大うつ病になった人とよく似ている。・まず自分が悪くなくても自分を責めてしまう。罪悪感を抱いてしまう。例えば職場でものがなくなったと騒いでいる時に、自分は何もしていないのに自分が疑われているように感じていたたまれなくなる。自分に責任がなくても、罪の意識を持ってしまう。・完全、完璧主義に陥っている。「失敗してはならない」「すべての人に受け入れられなければならない」「仕事で間違い、失敗、ミスはなってはならない」などという考え方をしていると、ミスや失敗のたびに落ち込むことになる。自分に一つでも欠点があると、自分のすべてがダメで、生きている価値や資格がないと思っている。自分自身が嫌になり、自己否定感が強い。・自分の欠点は最大に取り扱い、他人の欠点はたいしたことがないと過小評価する。この程度のことで圧倒される自分は未熟である。こんなことは誰でも乗り越えていることだ。こんなミスや失敗は他の人はしない。何なく乗り越えられるように見せなければならない。ネガティブな先入観で判断したり、確たる証拠がないのに悲観的な決めつけが多い。・ちょっとした失敗でもものすごく深刻にとらえてしまう。とるに足らないことが会社をやめるかどうか。生きるか死ぬかというような問題にしてしまう。・目の前のことに手をつけないで、「人はなぜ生きているか」「生きる目的は何か」等の哲学的な問題を考える傾向がある。・自分の気持ちを表現することができない。相手を怒らせたり、拒絶されたりすることが恐ろしいのである。また自分の意見を言うことは「わがまま」であると思っている。ものごとがうまく進まないのは、自分が発信している情報が少ないという自覚がない。・波風を立てることを恐れているのである。自分に厳しく、相手に甘い。自分がかなり困った状況にあっても、「他の人も忙しいから」「自分が抜けるとみんなが困るから」といって休暇や休職の診断書を提出しない。また子分のように扱われたり、虐待されていても、「相手も余裕のない時だから」「相手は私以外に頼れる人もないのだから」等と自分に言い聞かせている。水島氏は、こういう考え方は気分変調性障害という病気にかかっているから出てきているのだ。だから自分を責める必要はない。病気が治ればまともな考え方ができるようになる。さらに対人的な対応法を信頼できる医師やカウンセラーの協力を得ながら身につけていけばよいと言われています。病気であると思うと自分を責めることがなくなり、回復への第一歩を踏み出すことができのだと言われています。反対に安易に自分の性格の問題、資質の問題に矮小化してしまうと益々泥沼にはまり込んでしまう。これだけはなんとしても避けなければいけない。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.13
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集談会では抑うつで苦しいという方はたくさんおられる。大うつ病ほどではないが、慢性的なうつ状態が思春期前後から始まり現在に至るまで持続している。生活はなんとか維持されているが、精神的には不安におびえて、一日中憂鬱である。これは抑うつ神経症といわれるものだと思う。これに関しては、アメリカの精神医学会のDSM-4-TRによると、気分変調性障害に分類されている。その特徴は、1、 憂うつな気分がほとんど1日中存在し、少なくとも2年間続いている。憂うつな気分がない日があっても、憂うつな気分がある日のほうが多い。2、 憂うつな気分の時には、次の3つ以上が存在すること。・低い自尊心または自信、または自分が不適切であるという感じ・悲観主義、絶望、または希望のなさ・全般的な興味または喜びの喪失・社会的引きこもり・慢性の倦怠感または疲労感・罪悪感、過去のことをくよくよ考える・イライラしているという主観的感覚、または過度の怒り・低下した活動性、効率、または生産性・集中力低下、記憶力低下、または決断困難に反映される思考困難この気分変調性障害には抗うつ剤がある程度効くことは確かめられている。これは気分変調性障害が内因性の原因によるものだということである。ノルアドレナリンやセロトニン等の神経伝達物質のバランスの回復の結果、症状が改善するのでしょう。ただ約半数の人には効果があるが、半数近くの人には効果が確認できないそうだ。なぜか。それは適応障害の原因となっているストレス等が絡んでいるのではないかと思う。脳の神経伝達物質というよりは、心理的、身体的ストレス等が抑うつ感を発生させているのだ。気分変調性障害は心因性の原因が含まれているということである。ストレス等が原因とすると、気分変調性障害は病気というよりも、環境や人間関係、本人の資質、性格等の影響が強いように思われる。また、認識の誤りが強くて、物事を悲観的、ネガティブに受け止めてしまうその受け止め方を変えていかないと解決にはならないような気がする。つまり薬物療法と併用して、精神療法が必要だということである。精神科医水島広子氏は、それでも気分変調性障害は病気であると言われる。病気であると認めることが何よりも大切である。認めないと症状を長引かせ、克服できないと言われる。私はこの考え方は一理あると思う。私は今まで、慢性うつは薬の効き目が少ないのであるから、病気という面は少ない。本人の性格、資質の問題が大半であると思ってきた。そう思うと、自分を責めてしまうのだ。苦しみを深めてしまうのだ。水島氏の見解を聞いて認識の間違いがあることに気がついた。病気のために物事を悲観的、ネガティブに受け止めてしまうのだ。だから自分は気分変調性障害という病気になっていることをまずもって認めてしまう。白旗をあげるのである。抑うつ状態におけるネガティブな行動は自分の責任ではなくなる。病気のために引き起こされていたのだということが分かる。自己否定する必要はなくなる。自分を責めない分落ち着いてくる。冷静になってくる。会社の人にも、家族にも自分は気分変調性障害という病気になっていることを理解してもらう。すると思いもかけない解決の糸口が見えてくるのである。水島氏は病気であると認めることのメリットを次のように説明されている。気分変調性障害の人は、あらゆることを「自分をいじめるような形で」捉えることが多い。すべて「自分のせい」としてとらえています。他人に対して不満を感じる時でさえ、「でもそんな事態を招いた私が悪い」「これくらいのことを我慢できない私が悪い」というふうに捉えるのです。ですから気分変調性障害が「病気のせい」なのか「本人の資質」のせいなのかを明確にすることは、ことのほか重要です。苦しんでいるのは自業自得だと思う場合と、苦しい症状を呈する病気にかかっているにすぎないと思う場合では、症状の重さは同じであっても、受け取るストレスに大きな違いが生じます。そのうえで症状を治すための「人間関係療法」について説明されている。これについては明日以降説明してみたい。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.12
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岡田尊司氏は子どもの教育という視点から、子供の特徴や能力を大まかに3つのタイプに分けておられる。「視覚空間型」「聴覚言語型」「視覚言語型」である。「視覚空間型」の人は、転がってきたボールをけったり、狭いスペースを自転車で通り抜けたりできる。巧みにタイミングをとって反応したり、バランスをとりながら体を動かしたりすることが得意だ。変化に即座に対応することができる。動いていないとテンションが下がる。じっとしているよりも手足や体を動かすことを好む。行動的、活動的、運動的、体感的で失敗してもやりながらどんどん修正していろんな能力を身につけていく。好奇心旺盛で、感性を大事にしていて、それをもの作りなどに活かせる。体で覚えていくタイプである。反面暗記中心の講義型の学校教育は苦手な場合が多い。人づきあいよりも、マイペースでわが道を行く傾向がある。典型的な人は長嶋茂雄氏である。長嶋氏が巨人の監督の頃こう指導していた。「たまがこうスッと来るだろう。そこをグゥーッと構えて腰をガッとする。後はバァッといってガーンと打つんだ」これを手振り身振りで選手に説明していくのだ。視覚空間型以外の人にはよく分からない。スティーブ・ジョブズ氏もこのタイプだった。コンピーターの知識はあまりなかったが、社会がどういう製品を求めているかという感性はすぐれたものがあった。次に「聴覚言語型」の人は人の話をよく聞く。会話言語に強く、言葉の感覚にも優れていて、会話を楽しめる。会話の機微を解し、聞いた言葉もよく覚えている。分からないことは誰かに教えてもらう方がよく頭の中に入る。相手の気持ちを理解したり、場の空気を読みとったりするのが得意である。したがって、コミュニケーション能力に優れ、特に相手の話に耳を傾けたり、共感したりすることに長けている。いつも人の輪の中にいる。取り巻きをひきつれている。よく人の世話をしたり、めんどうをみている。対人折衝能力、組織をまとめ上げる、人を使う、営業等で大きな成果を上げることができる。オバマ大統領、岡田武史氏、小泉純一郎元首相のようなタイプだろう。神経症でいえば不安タイプの人はこの方面の特徴を兼ね備えている人がいる。教師、監督、営業、指揮者、調教師、リーダー等に向いている人である。「視覚言語型」の人はどういう人か。これは神経症のタイプに多い。このタイプは文字言語には強いが、会話は苦手というタイプである。論理的な文章は頭に入りやすい。具体的なものよりも抽象的な概念を扱うのが得意で、物事を論理化や図式化して理解するタイプである。分析するのは得意だが、自分でオリジナルなものを作り出すのは苦手である。とりとめのない雑談などは苦手である。特に、何か自由に話してください等といわれると困ってしまう。論理的な手掛かりがないから、どう話を組み立てていいのか分からないのである。記憶力がよく、ペーパーテストは強いので、学校の成績はよいことが多い。活字の虫、本の虫の人も多く、自分の興味のあることはよく調べていて、知識も豊富である。分析力、執着性、こだわり、論理的、思考的、完全主義、法則やマニュアル作り等に長けている。こういう人は官僚、研究者、弁護士や税理士等のサムライ業等に向いている。対人関係は苦手でマイペースを好む人である。(子供が自立できる教育 岡田尊司 小学館文庫 32ページより一部引用)本来この3つの資質のバランスがある程度とれているとよいのかもしれない。手先が器用で、行動的である。人と上手にかかわっていける能力がある。理知的で物事をより深く掘り下げて考えることができる。しかし世の中を見渡せばそんなスーパーマンのような人はなかなかいないようだ。子どもの場合は、ある程度教育によって鍛え直すことは可能だと思う。それは子供にクロールを教えるとよく分かる。手足の動きや息継ぎを教えるとそれなりに様になってくる。ところが大人になってからクロールを習得することはとても難しい。だから子供のうちに社会に出たときに困らない程度に教育していくべきだと思う。でも大人になった人は、再教育は無理ではないだろうか。大人の場合は、再教育よりは、自分の特徴を自覚した方がよい。自分は3つのどのパターンに属しているのか。神経質者はどちらかというと「視覚言語型」が多いいようである。理知的であり、観念的であり、理想主義者が多い。考えることは得意だが、なかなか行動には移らない。また対人緊張が強く、良好な対人関係を築くのが苦手な人が多い。そういう自分を自覚すると、自分の得意な分野は磨きをかけて伸ばしていく。神経質者は細かいことによく気がつく。感受性が強い。何でも熟慮することができる。用意周到怠りなく準備をすることができる。粘り強い。責任感が強い。分析力が鋭い。反省する力がある。大きな目標に向かってコツコツと努力することができる。「視覚空間型」「聴覚言語型」の人にはないすぐれた特徴を持っている。そこに焦点を当てて生きていく。さらに磨きをかけて伸ばしていく。そして自分に不足している部分、苦手な分野は、「視覚空間型」「聴覚言語型」の人に任せる。どちらも一長一短あるのだから、持ちつ持たれつで助けたり助けられたりするのがよいのではなかろうか。結婚する場合も、仲間と仕事をする場合も同じ「視覚言語型」の人同士よりも、「聴覚言語型」あるいは「視覚空間型」の人と組む方がうまくいく可能性が高いのではなかろうか。そういうスタンスで生活していく方がお互いのためであると思う。
2015.05.23
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アメリカの精神疾患の分類に「回避性人格障害」というのがあります。DSM-4-TR精神疾患の分類と診断の手引新訂版から見てみよう。社会的制止、不全感、および否定的評価に対する過敏性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち4つ(またはそれ以上)によって示される。1、 批判、否認、または拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける。2、 好かれていると確信できなければ、人と関係を持ちたいと思わない。3、 恥をかかされること、またはばかにされることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す。4、 社会的な状況では、批判されること、拒絶されることに心がとらわれている。5、 不全感のために、新しい対人関係状況で制止が起こる。6、 自分は社会的に不適切である、人間として長所がない。または他の人より劣っていると思っている。7、 恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険をおかすこと、または何か新しい活動にとりかかることに、異常なほど引っ込み思案である。これは森田理論でいう対人恐怖症である。最近よく言われる社会不安障害に重なる部分もある。対人恐怖の人は、華麗に飛び込み台から飛び込む人を見て、自分もあのように飛び込みたいと思った。そこで5メートルぐらいの飛び込み台に行ってみた。すると目もくらむような恐ろしさを感じた。死を予感させるような戦慄が走った。どうしても後ずさりしてしまう。飛び込むなんてもってのほかだ。そのうち飛び込み台に近づくことさえできなくなってしまった。こんな状態だと思います。バカにされたり、嫌な思いを恐れるあまり身動きが取れなくなり、逃避してしまうようになったのです。それがいつものパターンとして定着してしまっているのです。「どうせダメだ」「うまくいきっこない」「やっぱり思った通りだ」「無理だ」「無駄だ」と先入観で先々の行動をマイナスの思い込みで予測してしまうのです。それで気が晴れるわけではありません。行動しないで、自分のふがいなさ、情けなさで憤懣やるかたない状況に追い込まれているのです。
2014.10.20
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人間はまず自己肯定感が強いか、自己否定感が強いかに分けられる。つぎに認識の誤りが強いか、事実本位・物事本位が強いかに分けられる。以上組み合わせによって4つのタイプに分類される。タイプ1自己否定感が強い。「かくあるべし」を中心とした認識の誤りが強い人。このタイプの人は、もっとも神経症に陥りやすい人です。今神経症で苦しんでいる人は2つとも当てはまります。そして観念の悪循環、行動の悪循環が繰り返されています。タイプ2 自己否定感が強い。人の指示、命令などに服従している人。他人中心の生き方をしている人。自分の感情や自分の気持ちを抑えて他人の思惑ばかりを気にしている人。無気力、無関心になり生の欲望に乏しい。生きることはつらいと思うようになる。タイプ3 自己肯定感が強い。しかし「かくあるべし」を中心とした認識の誤りが強い。自意識過剰、自己中心的な人で他人に迷惑をかけることに罪悪を感じていない人です。行動ができるようになり、神経症のどん底から這い出してきた人の中に、このような人がいる。認識の誤りを克服していないので真に治ったとはいえない。神経症を克服したと有頂天になっていても、ある出来事をきっかけにしてすぐに再発することが多い。タイプ4 自己肯定感が強い。事実本位・物事本位の生活態度である。自分の感情や気持ちを大事にしている人です。自然に服従して境遇に従順な人です。不安というブレーキを有効に活用しながら、生の欲望を発揮している人です。このタイプが真に神経症を克服して、人生を謳歌している人です。「たかが人生、されど人生」という心境に至っている人です。こうしてみると、神経症を克服するためには、自己肯定感を育てること、認識の誤りを打破していくこと。とりわけ「かくあるべし」を打破していくこと。他人中心から自分中心の生き方に切り替えていくことがとても重要だと思われます。森田理論学習を続けることによって身につけることができるものばかりです。森田適応の方は、ぜひとも森田理論学習で手にしていただきたいと思います。
2014.04.27
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さて、完全欲の強い人は、いったん動き出すと、ずるずると同じことをいつまでもする傾向があります。そのあいだ他のことに目が向かないことが考えられます。これは神経症に陥り、自分の気になる症状に、いつまでも取りつかれてしまうことと同じことです。また反対に、できないと思うと全く行動しない。そして、意識はふがいない自分の心や体に向かい、自己嫌悪、自己否定するようになります。それを解消するためには、整理整頓は、一挙に全部しようと思わずに、今日は新聞の整理、明日は本箱の整理、そして次の日は寝室、その次の日は玄関やお風呂、居間という風に少しずつ分けたらどうでしょうか。そして一週間でまたもとに戻るように、ローテーションを組んでみたらいかがでしょうか。それから掃除は15分とか、30分とかの短時間にして時間になれば終わり、というようにけじめをつけたらどうでしょうか。多少未練があっても次の行動に移るのです。これは岩田真理さんが言われています。また感情の法則から見ると、いったん沸き起こった感情は取り消すことはできないが、行動を起こすことによって新しい感情を作り出すことができます。そうすると古い感情は次第に流れていくということにつながります。さらに言えば、「○○しなければならない」という「かくあるべし」は、神経症の発症の大きな原因となります。森田理論の学習によって、「かくあるべし」発生の原因、実態、理想と現実の乖離による格闘などを学習されることをお勧めします。そして「かくあるべし」を少なくする方法について学んで、体得する必要があると思います。これは自分一人で行うのではなく、集談会などで相互学習することが大切です。これらに取り組んで見られたらいかがでしょうか。
2013.12.18
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平成25年12月号の「生活の発見」誌に整理整頓ができずに困っているという人の相談が載っている。この方は趣味や仕事が忙しくなると、整理整頓ができなくなるといわれています。ということは「うつ」で行動力が鈍っているということではなさそうです。自分ではごみ屋敷のような家になってはいけない。いつも小奇麗な住まいにしておかなければいけないという「かくあるべし」にとりつかれて、不快な気持ちになっておられるのではないかと思います。その嫌な気持ちを取り去ってスッキリとした気持ちになることを望んでおられるのだと思います。「かくあるべし」の中でも、完全欲が強くでているように思います。完ぺきに整理整頓されたホテルのような部屋を望んでおられるのではないでしょうか。しかし、毎日人間が生活している以上、ホテルのように整理整頓することは大変難しいと思います。多少散らかっていても、生活するうえで支障がなければよろしいのではないでしょうか。どこに何を置いたのかわからなくなるといわれていますが、たとえば外出するとき必要なものはあらかじめバックの中に入れておくとか、箱を決めて入れておけばあわてることはありません。私は、外出するときのチェックリストを作っています。それを見て持ち物がそろっているかどうか、チェックしますので忘れることがありません。また短時間で整えることができます。
2013.12.18
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2013/12月号には「苦しみの最中にある人へ」という特集がある。とてもよい企画である。私は質問に対して、自分の思いをまず考えてみる。そして回答者の答えを読ませてもらっている。本当は集談会でみんながそのようにして、自分の考えを述べあえばとてもいい学習になるだろうと思っている。まず一人目の人の悩みは、日頃関わりのある人たちが雑談しているのを見ると、不安になるという人である。これは両親が忙しく、遠慮して最小限の会話しかしてこなかったのが影響しているという。この方の症状は私と同じです。多分小さいときから何かにつけて親から「かくあるべし」を押し付けられて育ったのだと思われる。ほめられ、受容されることが少なく、叱責、批判、強制、脅迫で育てられたのであろう。すると大人になっても他人の目が気になります。自分の言動が常に監視されて、非難されているように思えるのです。自分の意思というより、他人の思惑で行動するようになります。自分の人生を生きているのではなく、他人を気にしていつもびくびくしているのですから、気が休まる時がありません。こういう人は森田理論とどうかかわってゆけばよいのでしょうか。
2013.11.30
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長らく集談会に参加していて、人の思惑が気になって仕方がないという人がとても多い。かくいう私もそうだ。宮川俊彦さんという方がそのへんの心理を次のように書いておられる。ある生徒が友人関係に疲れたという。いつも友達に合わせて、「アッハッハ」とやっていると、顔の疲れを感じちゃって、つまらなくなってしまう。話題を誰かが出し、それに反応し、同じ感想や意見を言いながらも、そこにユーモアや、ちょっとだけの違いを出していくこと、自分をチロッと出しては、すぐに引っ込めるようなことをしてゆかねばならない。そんな友達づきあいしかない日常生活に、つくづく疲れてしまったというわけである。作り顔をしているから「顔がつかれる」という言葉がでてくる。学校では、友達とうまくやっていくことが一番大切なことになっているのだという。それをしっかりやらないと仲間外れにされる。いじめにもあいやすい。学校で友達が一人もいなくて、一人ポツンとしていることに耐えられることができるだろうか。昼食も休憩時間も一人。そして同級生の好奇の目に耐えて学校生活を送らなければならないのだ。あなたがもし会社員や公務員だとすると、組織の中の対人関係も同じことが言えるだろう。苦しくて仕方ない。どうすればいいのでしょうかとよく聞かれます。これは対症療法としての解決法は考えない方がよいと思う。私の考えはこうだ。私たちはもともと、自由に、積極的に、目標に向かって前向きに生きてゆきたいと思っている人たちばかりであると思う。自由に精一杯楽しい人生を過ごしたいのである。ところが実際にはそのような生き方をしている人は少ない。人間本来の生き方をしなくなった時どうなるか。その時自分の意識は内向きに、消極的に、閉鎖的になっていくと思う。すると逃避、自己保身、自己弁護、自己否定、他者攻撃、他者否定に向かうのではないかと思う。引きこもり、不登校、家庭内暴力、いじめなどの現象はその表れである。人の思惑が気になるというのはその中の一つであると思う。人の思惑が気になる人は、基本に立ち返って、まずは自分本来の生き方を目指していくべきだと思う。そのためには森田理論をフル活用してもらいたい。森田理論はその道筋を明確に示しています。まずは自分の置かれた境遇の中で、アンテナを四方八方に張って、どんなに小さいことでも、なすべきことに一心不乱になってくり組んでいく。すると「感じ」がでてくる。「感じ」に基づいて体を動かしてみる。すると次第に弾みがついてくる。そして好循環が始まる。意識は常に外向きに、前向きになる。すると自主的、積極的、創造的な人生へとつながっていく。いつもうまくいくとは限らないが、そういう生活態度を堅持していくことが大切です。感じる。考える。工夫する。行動、実践するという好循環を作るように心掛ければ、他人の思惑にばかり振り回されることは少なくなっていくと思う。
2013.08.07
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生活の発見誌平成25年8月号より。集談会で雑談が苦手という話をよく聞く。雑談というのはもともとどうでもいい話。意味のない話。目的のない話。価値のない話。役に立たない話。いい加減な話。面白い話。スキャンダラスな話。面白半分の話である。責任を負わなくてもよい話。まとまりのない話。気のおけない話である。つまり親しい人とリラックスして、相手をけなしたり、自分がけなされたりして、たわいのない話をすることである。もともと楽しい会話のはずであるが、神経質者にかかると反対になる。むしろかしこまった話の方がやりやすい。将来を左右するような話。契約の話。賛成か反対か意思表示を求めるような話。会議での発言。仕事上の話。交渉事。利害が絡んだ話。普通の人はこちらの話の方が難儀をする。私もそうだか、なぜなんだろうか。どうして普通の人と反対になるのだろう。答えは生活の発見誌の中に書いてあります。苦しみの最中にある人は、認められたい、拒絶されたくないという欲望が強すぎる。雑談には相手の本音の断片が否応なしに入ってきます。自分が相手に認められたいという強い願望とは反対に、つらい現実に直面してしまうことになるのです。また他人は自分勝手に不機嫌にもなりますので、我々にしてみれば拒絶されたと勘違いしてしまうかもしれません。自分が症状で苦しんでいる時は相手に不快感を与えるというのが恐怖につながるのかもしれません。私流にもっと分かりやすくいえば、私たちは自分を守ることに汲々としているのだと思う。人からよく思われたいという気持ちが強すぎて、自分の弱みや欠点、ミスや失敗をつまびらかにすることができないのである。雑談の場は、強みや長所、幸運や成功の話よりは、弱みや欠点、ミスや失敗がよく似合う。すると我々は、いつとばっちりが自分にくるかも分からない。そうした場を避けるのである。嘘だと思うなら、他人の雑談を耳を澄まして聴いてみるがよい。相手をこき下ろしたり、自分がこき下ろされたりしても、それをネタにして楽しむ余裕がある人たちである。自分を守る必要なんて考えもしない人たちなのである。なんとうらやましい人たちなのだろう。この問題を森田ではどう考えたらよいのか。人からよく思われたいという欲望が人一倍強い人間だと認めることだと思う。否定したり、卑下する必要は全くない。その強い欲望の裏返しとして、雑談の場を避けているのである。森田ではこういう場合、人からよく思われたいという欲望にしたがって、「生の欲望」を発揮してゆきなさいといっています。雑談の場を避けている自分を否定していてはなにも問題は解決しません。欲望に従って行動することしかありません。
2013.07.30
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確認行為で悩んでおられる方は明念倫子さんの本をお勧めします。「強迫神経症の世界を生きて」です。ガスや電気、鍵の確認行為を何度もしないと気がすまないという人は、普通の人と比べると次のような特徴があります。普通の人でもたとえば鍵が閉まったかどうか気にしています。でも「ガチャ」という音を聞くと、心配はしていても大丈夫だと納得しています。そして不安があっても出かけていくことができるのです。ところが確認を繰り返す人は、大丈夫だとは納得ができないのです。音で確かめても、不安の気持ちが優っているのです。その不安の気持ちにとらわれてしまうのです。不安の気持ちにとらわれていけばいくほど、神経症の深みにはまっていくのです。不潔恐怖で何回も手を洗わないと気がすまない人もそうです。外出してバイ菌や細菌がついたのではないかということにとらわれる人もそうです。明念さんは、生泉会という強迫行為の自助グループを作られて学習されています。その中で普通の人のように不安だけども、人間に自然に備わった大丈夫だと反転するその気持ちの癖をつけていくことがポイントだといわれています。また五感(見る、聞く、味わう、触れる、臭う)を信頼する態度をつくことが大切だといわれています。まず、確認行為の際のドアの閉まる音、鍵の閉まる音、ドアの閉まった感触などに意識を集中してしっかり味わうようにします。次に何度か確認したら、「閉まっている」という事実は湧かなくても「確認した」という事実は認識しているのですから、その事実にすがってそれ以上は確認行為はしないようにすることが大切だといわれています。強迫行為をともなう強迫神経症は、生活の発見会の中に強力な味方がいますので、ぜひ参考にしてください。
2013.06.15
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事例1 人の評価が気になる 23歳 男性 公務員私は仕事で、上司に命ぜられたことを報告しなければならないとき、報告する前から、その上司に叱られるのではないかと心配したり、また外部からの依頼文書に対して期限までに資料を添えた回答文を作成して送らなければならないのに、どこから手をつけようかと考えているうちに、期限が迫ってきてパニックに陥り、憂鬱になってしまいます。次に対人関係については、他人と話をしていても、相手にあれこれと余計な神経をつかったり、また相手と共通の話題がないので、人と親しくなれません。友人が欲しいと思う反面、一人でいる方が楽だと思ってしまいますが、気が晴れません。事例2 夫が姑にやさしくするのに嫉妬する私の悩みは以前姑と言い争いになった時、夫が姑をかばった時から始まりました。どんなことがあっても夫は私の味方だと思っていただけに大変なショックで、喪失感を感じました。将来のことを考えると不安感に襲われ、不眠などもでてきて、絶望的な気分になります。その後、夫に私の気持ちを伝え、話し合い、夫のいうことがもっともだと納得できても、喪失感、不安感は消えません。あのトラブルの後、夫が姑にやさしくすると大変嫉妬してしまいます。悲しくなったり、腹が立ったり、冷静でいられなくなり、夫に冷たい態度で接してしまいます。事例3 視線恐怖 22歳 女性 会社員高校卒業後、民間の会社に入り、仕事や対人関係に気を使うことが多くなり、社会の厳しさを痛感しながらどうにか過ごしていましたが、2年ぐらい前の失恋をきっかけに、対人関係にすっかり自信をなくしてしまいました。人と対話していると胸がドキドキ緊張し、特に人の視線がこわくてまともに見られないのです。視線を合わせなければ失礼になると思い、無理に相手の目を見ようとすると自分の目もきつくなってしまい、自分の視線をどのようにすればよいのか、全く分からなくなってしまいました。特に一対一で話している時がきつくて、相手の話はほとんど頭に入ってこない状態です。この頃は知った人と道でであっても気づかないふりをしたり、人との対話の機会を少なくするように努めたり、会社の同僚や学生時代のお友達との付き合いもできるだけ避けて、自分の殻に閉じこもることが多くなりました。事例4 結婚していない劣等感に悩む 36歳 女性 会社員30代になってずっと悩んできたのですが、結婚していないことが強い劣等感になっています。何か自分が半人前の、みじめな存在であるかのように感じ、街を歩く時でも顔を伏せてしまいたくなります。お見合いもしてみましたが、意に染まない人と結婚しても、自分の性格では長続きしないと思います。男性に対してはどうしても消極的になります。また、特定の若い男性を意識してしまい、それが相手にもわかるようで、恥ずかしいやら、といってどうにもならず、困っています。一度しかない人生を、劣等感のため顔を伏せて生きていきたくありません。事例5 異性とのつきい方に悩む 23歳 男性 学生異性と話をするとき場がシラけたらいけないと思って緊張します。相手を面白がらせないといけないと思うのです。特に、若い女の子は、「ネクラはいや。真面目人間はダメ。面白くなければいや」という価値観を持っていると思うのです。面と向かって「面白いことを言って!」などといわれると、もうどうしてよいのか分からなくなってしまいます。普段は無口なのに、デートのときには饒舌になり、かえって下手なことを言って、結局失敗して落ち込んでしまうのです。
2013.01.21
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岩井寛さんが昭和64年1月号の発見誌に書かれた記事を紹介します。見た目は色白でスタイルのよい、実にういういしい奥さんがいました。こんな人がどうしてと思うのですが、この奥さんが自分の容姿に対して強い劣等感を抱いているのである。特に彼女は人前で顔が赤くなるということを劣等感としている。この奥さんが、ある日、中小企業の経営者である夫がヨーロッパ旅行をするので社員とともに羽田まで見送りに行った。しかし、若奥さんは親戚の人たちが夫を見送る間、ついに車から一歩もおりなかったのである。なぜに車から降りなかったのかと私が彼女に質問すると、「もし見送っている時に、私の顔が赤くなったらどうでしょう。会社の人や親戚の人が私の顔を見て、あの奥さんは何と変な女だと思うでしょう。私はそんなことで夫に恥をかかせたくなかったのです。」というのだった。このことを考えてみると、まず彼女の主観は我々が感じる客観性と正反対である。彼女の態度は、客観性を無視し、夫を無視し、社員を曲解した上に成り立っているのである。彼女は自分の赤面恐怖の、不安のことばかり考えていて、他者を無視してしまっているのである。おそらくこの奥さんは、客観的には「冷たい女性」「愛情のない奥さん」としか映らなかったことでしょう。神経症でとらわれてしまうと、はたから見るとそれは常識では考えられないような行動ととらえられます。でも本人はそうとは知らず、自分の主観の世界で苦しくて、どうにも抜け出せないであえいでいるのです。私は、この例は森田理論学習によって「かくあるべし」と「事実に従う」という学習と生活態度の転換を身につけることによってよくなる事例だと思います。
2013.01.12
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これは私たちの機関誌「生活の発見」に、悩みの最中にある人から相談事例として載っていたものです。私の症状と一緒です。 ある製造業の会社員です。25年勤めているのですが、職場の雰囲気になじめず、みんなから信用もなく蚊帳の外のような状態で苦しんでいます。具体的には、仕事上でのミスが多かったり、それに対して上司がぼろくそに言ったりして、またみんなの前で罵倒するため、下のもの、女子等もみんな自分を馬鹿にしているみたいです。給料泥棒とか、何をやっているんですか、しっかりやってください、本当に大学を出ているんですか等と言われます。症状としてはビクビクして仕事が手につかない。自信がない。こんな状態で社会生活を営めるのだろうか。廃人になるのではないかという恐怖感があります。本当につらい状況ですね。でも会社を休まないで行かれているので、森田をやれば必ず良くなるという確信があります。私が勤めていた会社の営業マンで、営業成績が極端に悪いため、上司面談であなたは他の仕事に転職されたらいかがですかと言われた人がいました。その人は家族がいるので止めるわけは行かない泣きだしたそうです。すると会社は愛媛、大阪、東京、名古屋と一年おきぐらいにどんどん転勤させ、なおかつ仕事も営業から外したりしてなんとか辞めさせようとしました。それでも彼はやめませんでした。私は彼を見てなんとか辞めずに頑張ることができました。
2013.01.08
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