視線恐怖は2通りあります。
1つは、自分の視線が他人を傷つけるのではないかという不安です。
これは加害恐怖に近い不安です。
家に子供と2人きりの時、唐突に包丁で子供を刺してしてしまうのではないか、あるいはベランダから子供を投げ落としてしまうのではないかというあってはならない感情が沸き起こってきたときに感じる不安です。この感情にとらわれてしまうと、重い神経症に陥ってしまいます。
例えば、包丁を持って料理をすることができなくなる。
あるいはおしめを替え、ミルクを与えたりすることができなくなってしまいます。
森田理論を学習している人は、このあたりのからくりはよくわかっていますので、パニックに陥る事は少ないと思います。
感情は暴れ馬のような自然現象で、時としてこのような感じたくない感情が沸き起こってきます。
このような感情がわき起こると、もしかすると行動に移すかもしれないと不安になるのです。
実際には、子供が可愛くて、子供を守ってあげたいという気持ちが人一倍強いのです。
その反動として、子供傷つけ、危険な目に合わせることを恐れているのです。
これは人間に、ある感情がわき起これば、自然にその反対の感情も沸き起こるという精神拮抗作用が発動しているために起きることなのです。そのように森田理論で学習していると思います。
加害恐怖のひとは、本来は家族に対する愛情がとても深いのです。
その家族に対して、傷つけるようなことがあってはならないという不安や恐怖の裏返しとして加害恐怖に苦しんでいるのです。加害恐怖で苦しい時は、不安や恐怖にばかり注意や意識が集中しています。
その不安や恐怖を取り除き、逃れることばかり考えているのです。
この不安や恐怖から逃れるためには、精神交互作用を断ち切って、具体的に家族の役に立つことを淡々とこなしていくことが肝要であると思われます。
もう一つの視線恐怖は、他人から自分の事を批判的、軽蔑的に見られているのではないかという不安です。
例えば、出勤途中、前の人を追い越して歩き始めた途端、それまで何ともなかった歩き方が急にぎこちなくなり、手と足の動作がちぐはぐになるようなものです。
あるいは、自分が重大な身体的欠陥を抱えている場合、他人の視線がそこにばかり集中して、自分を否定している。
そこから発展して、自分の全人格も否定されているに違いないと思い込んでいる場合もあります。
こういう視線恐怖の人は、常日頃他人の思惑を気にして右往左往している人です。
愛着障害を抱えて、他人に対する信頼関係が持てないでいる人です。
他人から嫌われるようなことがあると、生きていけなくなる。
そのために自分の気持ちや希望を打ち出していくことができなくなり、専守防衛で他人の思惑に振り回されているのです。
こういう方は、まず友人、集談会、趣味の会、地域活動などで心の安全基地となるべき人を見つけることが大切になります。
森田理論でいう不即不離の人間関係を幅広く築いていく中で、気心の知れた人を見つけることができます。
そういう人間関係が全くないと孤立して、視線恐怖はますますひどくなってくると思われます。
その後で、人間関係の在り方を森田理論で学習することが有効だと思われます。
天は二物を与えずということ 2024.05.03
森田理論学習の適応診断 2022.03.29
不眠障害について 2022.01.20
PR
Keyword Search
Category
Comments
Calendar