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今月は予定外の出費&仕事の進行遅れにストレスが蓄積。そして、それがあいまって愚痴となって爆発したあとに来たのが生理だった(^_^;)タガが外れるときって、やっぱりこれか~っ。ここは反省。ガオー(*`◇)<炎炎炎炎ブオォォオ日記を読んじゃった皆様、ごめんなさいね。夕飯の時、朝娘に激怒したことを報告後、旦那にも「一度年間収支を出すように」と依頼しました。できなかったり、わからなかったら、ありったけの通帳寄越してくれればこっちでやる。老後をじっくり見据えるためにも、お互いきちんとした収支の把握が必要なのは確かだから、面倒がらずにやりましょうね☆彡と。うちの旦那は、私の母親が私に嫉妬するぐらい基本的には家庭的。バブリーまでは派手に遊んだようだが、結婚してからは伝書鳩。基本的な趣味は労働とテレビだし、こだわる買い物も通勤に使う車や携帯程度。私にも子供にもケチじゃないし、出し惜しみもしない。ただ、逆にそれが仇になって、忘れたころに私にツケが回ってくるときがあるのが、オイオイなだけ(^_^;)退職を意識し始めてから、自分の洗濯は自分でするようになったし、稼ぎ頭が数年後には妻に以降することも自覚したらしい。まったく何もしなかった「最後の亭主関白世代」を主張し続けた頃に比べたら、全然マシだ。なのであとは私の采配次第だろう。(これが面倒で放置しちゃうんだけどね)でもって、うちの娘は現在大学生。通学四時間(往復)にてんこ盛りの授業と課題に追われて、実際バイトどころではない。本人最初は、大学いったらバイトできる!お金が貯められる!と喜んでいたが、それどころではくなったから、私と家事契約をしたぐらいだ。でも、そのバイト代も基本的には「旦那の定年後→卒業までの学費を蓄える為のもの」であって、100%こずかいではない。だがら、後期に入って、前期より授業と課題が増えて家事どころではなくなった疲労感と金欠苦が物欲・我欲に表れたんだろう。外では我慢しても、親にはぶつけるからね。そして、任せていた家事が私に戻ってきたところで、私も疲労でブチ切れるという悪循環の結果が、昨日の状態だ。ただ、実際私がブチ切れたもんだから、娘は自腹で美容院に行って帰ってきた(笑)前髪を切られ過ぎて、ぷーぷー言ってたが、よっぽど髪の長さがストレスになってたのか、帰って来たときにはご機嫌だった(^_^;)なので私からの「ああいうときは、せめて月を変えて要求しなさい」というのにも了解していた。まあ、本人も忙しすぎて、月の前半に起こったことなんて記憶に残ってなかったようだが…そこは忘れるなって釘射した。とはいえ、無事に大学を出るまでには、用心に用心してお金のやりくりをしないと、怖いのよっていうのは、娘もわかっている。私がキリキリしているのも、結局は無事に娘を卒業させたいからだしね。だから、何が起こってもいいように預金はしなきゃ、そのための仕事も増やさなきゃってことで頑張ってるわけだから、そこはうまく協力しあわないとね。ぶっちゃけ、自分が娘の年頃には、すでに一人暮らしで昼夜働いていた。週に一度とはいえ、専門学校の付属講義も自力で受けていた。よく働いて、でもよく遊んだ。寝ないでもそれができた時代だった。だから、自分がやれたことだから、あんたにもできるでしょってつい思いがちだが、私と子供たちでは育った環境が違いすぎる(^_^;)子供たちは衣食住とお金に困ったことがない。親の不良・病気で人生を狂わされたこともない。祖父母の介護やドタバタはあったにしても、いまだに家から離れたくないぐらい家&家族好きだ。でも、これは私が「一秒でも早く家から脱出したい環境で育った反動」から作り上げた一種の理想郷だ。そこで「だからお前たちは甘いんだよ!」は言っても始まらない(^_^;)しかも、ハングリー精神の有無もさることながら、私は通学通勤に数時間なんてかからない都会に住んでいた。でも、ここは――――やっぱり移動に往復四時間は大きいよな~(^_^;)結局育ててしつけたのは自分だから、間違いや不都合が起こったら、全部自分に帰って来るしな~。ってことで、自分も新たに気持ちを入れ替えて、生活のリズムを変えようと思った。ストレスは心にも身体にもよくない。また余計に太っちゃうもんね。―*―***――*―**――*―*――10月目標 62→61台で終るぞ!10/01 62.2→目標61.5以下―*―***――*―**――*―*――体重 62.2体脂肪 BMI値 ―*―***――*―**――*―*――只今仕事中山盛り消化中―*―***――*―**――*―*――*炭水化物に気をつける*糖分取り過ぎに気をつける*ドリンク剤多用注意*徹夜回避―*―***――*―**――*―*――B 005/100% restartC 000/100%他雑務 ★☆☆☆☆―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.31
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思わず出がけに怒ってしまって反省。でも、超腹立つ!何かと言えば、娘に対して。十月はとにかく出費が多かった。以下全て娘にかかった分。・先月分の自宅バイト代・スマホの基本料金・後期学費のイレギュラー支払・電車定期代三か月分・駅のバイク駐車場が空いたというので新契約代・秋冬物衣類代・ヘヤカラーや洗顔料・来月誕生日で画材が欲しいというのでその分全部合わせて28万近い。にも係わらず、しれっとした顔で「気になるから髪の毛切りたいの~(美容院行きたい、お金頂戴の意味)」と三日続けて言われて、とうとう切れた(^_^;)「自分で行きなさいよ」「だって、自宅内バイトできなくなって、キツイんだもん」「こっちだって頼めなくなってきつい中、仕事してんだよ。負担増えてるの」「そんなこと言われたってしかたないじゃない! だったら早退してきて夕飯作れって言うの!?」――――こういう怒り方が旦那に似ていていや!外に出てるからって、えらいのかよ!夕飯できなきゃ、代わりに別の手伝い探せばいいじゃんっ。どっちにしたって、疲れた疲れたで私に風邪だけ移して早寝早起きに徹したくせして、よく言うよ!ついでに私が怒ってる本当の意味が通じてない。「誰が言った、そんなこと! もう、行け!」バタバタしていたので、結局そのまま学校に行ったが、帰ってきたら改めて言ってしまうだろう。お前、今月自分にいくらかかったか理解してるか!?少し考えろ! 親に気を遣え!!自分が自宅内で稼ぐのだって大変だって自覚したんだろう!?でも母は毎日これがタダ仕事だぞ。共働きでフル仕事の上に、家事報酬ゼロだぞ。ついでに母の稼ぎは親の扶養代が基本だぞ。それにこっちは打ち出の小づちを持ってるわけじゃないんだよ!医者や学校に必要なものなら仕方がない。寒いのも可哀想だから、百歩譲る。けどな、おしゃれはしなくても死なないよ!カットなんか一週間、半月後回しにしたって、痛くもかゆくもないよ!そもそも髪なんか伸びたら伸びたなりのおしゃれができるわ、頭使えよっ!せめて来月に言うとかできないの?予定外の出費山住で、私個人に負担かけてるんだから、おしゃれぐらい適当なところで我慢しろよっ!私は美容院代けちって、あんたに髪切ってもらたのよっ!(怒)ちなみに、旦那は旦那で肥えてスーツが着られなくなって息子に上げた。でも、自分は来月会社関係のパーティーで必要だから新しいのをセットで買って♪と言う(^_^;)ってか、買わなきゃ間に合わない!そもそも持ってたスーツが入らなくなったのなんか、今始まったことじゃないのに、急に言い出すのがいやっ!こういう計画性のない出費→でも気をつけていれば想定内のものを突然ポンと持ってこられるのが、一番腹が立つ!!共働きで生活費はそれぞれ分担してるから、物によってはこっちに要求がくるのは仕方がないと思う。けど、私は忙しい中でも半年先から一年先まで見越した家計簿をつけながら、やりくりしてる。支払いが多いのに、間違って不足が出て引き落としが足りない!とか嫌だからコツコツやってることなのに。こいつら父娘は平気でイレギュラー(しかも万単位、今回なんか十万単位!)出費を笑顔で放り投げてくる。もう、いっそ旦那から全部通帳取り上げたくなってきたっ!自分の給料がコントロールできない、こっちに不足を回すような使い方しかできないなら、全部私に管理させろ!何が一番腹立つって、やっぱり娘にイイ顔した分のツケが忘れた頃に不足になって私に来た上に、その娘にまで持っていかれるって、ないわ!!「だって、お母さんだって好きなものも高い物も買うじゃん!」「私は誰にも金払わせてないよっ!全部自分で払ってるよ!!」ぎゃお~っっっ!(*`◇)<炎炎炎炎ブオォォオはーはーはーっ。見苦しい話で申し訳ありませんでした。でも、払わせるなら払わせるなりのマナーとか遠慮とか少しでも見せてほしい私でした。 ―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.30
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お世話になっているグループホームの会社から、請求・領収書とともに新施設の案内が届きました。仕事でテンパってて、よく見れていないところへ、ケアマネさん(交代後電話のみ。一度も会ったことがない!)から電話があって、移転を勧められました。今の施設より大きくて、院内完備。なので、そこへ行くと母が通院している精神科も同じ施設内で対応がどうこう……という利点がある。まだ資料を見ていないので、なんともだけど、へーと思いつつ、とりあえず肝心なことを聞いた。私「料金的にどうなんでしょうか」ケアマネさん「料金は現状と変わりません」私「わかりました。では、今ちょっと忙しいので、あとでまた詳しく」ケアマネさん「はい」――――で、本日改めて請求書のホーム賃金と見比べてみた。今のところ、古いしうちは両親ともに預けていた割引もあったので、二人部屋で基本室料91.750円新しいところ、確かに綺麗だけど基本賃料多床部屋で99.000円。うっかり二人部屋になったら120.000円。は!? どこが変わらないのぉっっ!!基本室料だけで最低7250円違うってことは、年間で87.000円の違いが出てくるのに!?このままあと何年、何十年介護生活が続くかもわからないのに、これで現状と違わない!?それとも、うちに限って「現状料金のままで移動できます」ってこと!?だったらまだ検討の余地もあるけど――――。でも、あの言い方だと「現状とそう変わりませんよ」ってふうに聞こえたんだけどな……。果たして、どうなのか!?ただ――――ぶっちゃけ人によるけど、中には「これぐらいの違いなら、違いに入らないでしょう」って、気軽に言ってくるケアマネさんもいるのよね自分が介護経験した人だったり、実際家族を預けてる人は、この手のうかつなことは言わないんだけど。そういう経験がないのか、平気で「うちは安いほうでしょう」とか「他はもっと高いから」とか、お得そうに言うの。そもそも介護にかかるお金がどれぐらい生活に負担をかけるか、考慮できないらしい。ふつうに貯金や年金がある人だって、健康か介護生活かって言ったら、大きな差。それを自分の家族や生活だってある子供が丸ごと全部負担してるっていうのに、もう少し気の利いた言い方できないのかなって、腹が立つときがある。やっぱりこういうのも慣れとか、麻痺なのかな?ちなみに我が家、この介護会社にはできたてほやほやの時からお世話になってて、父が生きてた時なんか、年間ん百万単位で払ってた時が何年もある。それで私が体壊して、あれこれ融通してもらったケアマネさんもいるから、悪くは取りたくない。けど――――こればっかりは、本当に担当運ってところもあって、たまに「引継ぎしたの?」って聞きたくなる人が登場するできれば今回は、ちゃんと理解のある人にあたってるといいな――――と願わずにはいられない。だからって、同情がほしいんじゃないのよ。ほしいのは、理解!そして、必要最低限の気遣い!それぐらい求めてもいいよね一応相手は慈善事業じゃない。「仕事」でやってることなんだから……。―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.30
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今日は、んヵ月ぶりに化粧して家から出た。でも、行き先は病院(^_^;)喘息と付き合い始めてかれこれ43年。ダイエット生活を始めてから、入院・救急駆け込み・点滴と疎遠になりました。ここ数年は常備薬と頓服でどうにかしのげてます。健康って意識したら、身体はそれなりに応えてくれるみたいです。ってか、この極意にたどり着くまでが、長すぎただけですが(笑)―*―***――*―**――*―*――10月目標 62→61台で終るぞ!10/01 62.2→目標61.5以下―*―***――*―**――*―*――体重 体脂肪 BMI値 ―*―***――*―**――*―*――只今仕事中山盛り消化中―*―***――*―**――*―*――*炭水化物に気をつける*糖分取り過ぎに気をつける*ドリンク剤多用注意*徹夜回避―*―***――*―**――*―*――B 010/100%C 000/100%他雑務 ★☆☆☆☆―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.29
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(伯母一家とのひとり相撲~和解決着まで)前日の記事に伯母一家のことを書いた。「それより私、今でも忘れられないのよね。小さいころのあんたに伯母ちゃんが怖いって言われて、すっごくショックだったこと」そう言われたところで、続きとした(^^ゞなので、続き。(笑)伯母は父の姉で、親戚の中では一番近しい付き合いをしていた。母の病気のことやうちの生活環境もある設定だけは理解していた。「しょうがないな」「迷惑ばかりかけて」といいつつも、兄弟の結束も強かったんだろう。だから父との繋がりもしっかりあった。そのこと自体は悪いことでもなんでもない。たぶん、泥沼喧嘩とかしているよりはいいよね。ただ、どんなに設定を理解していても、伯母は当事者ではない。私ではない。私と伯母は何もかもが違う。でも、伯母や伯母の子供たち(私より10~5才ぐらい年上)は私にこぞってよく言った。あんたも○○みたいだったら、もっと可愛げがあるのに。うちの子たちにも好かれるだろうし、すごく損してるのよ。○○を見習って、○○のようになったらいいのよ。そのほうがあんたのためだし、得よ。○○は父の末妹の娘で私の一つ下のいとこ。兄妹が多い長女で、思ったことなんでもはっきりと口にできた。年上に甘えることも得意で、だからに伯母の家でも可愛がられていた。だから伯母たちは「あんたが○○のようになれば、あんたにとってもプラスになる。私ももっと可愛がってあげるのに」と何かにつけて言っていた。そのたびに私は伯母たちが嫌になった。兄弟で比較されたった嫌がる子はいるだろうに、なんで一人で生まれた私がわざわざ普段話もしないいとこと比較されなきゃいけないんだよ!って思ったから。しかも、私にとって○○の言動は羨ましいと感じられるものではなかった。特別憧れる要素もなかった。なぜなら、そこにあるのは「子供らしい言動」というだけで、それを私がうちでやったら「母親病気悪化・激怒のあげくに殺されちゃうよ!」と思わされることが多かったからだ。そう――――伯母は私の生活設定は知っていても、実際を知らない。だから母のメンタルコントロールに心血注いで大人しくしていたことから、本当に大人しくなった私の実情なんかこれっぽっちもわからない。そして、何も知らずに私に対して、自殺行為をススメてきたわけだ。でもまあ、そこは仕方がない。だってわかってないから。「これが私にできる最大の自己防衛なんです」と、当時の私が誰にも口にしていなかったのだから、伯母一家は私の心情も日ごろのストレスも何も知らない。自分の価値観や経験、大人の責任(横暴?)から「こうしたほうがいいよ」言っただけ。それも百歩譲って、私への愛情から!そこまで納得していたにも係わらず、私が「この人たちは無理」って思った理由はこっちだ。「○○のように」と、常に○○と私といっしょくたにしたこと。「私個人とその努力を無視した」こと。私を「自分たちにとっての可愛い子、都合のよい子にしたい」という願望・意思表示をはっきりとしたからだ。もちろん、それは子供に対して「一番わかりやすい説明。例題。比較」として口にしたのだろう。ぶっちゃ本人、そこに対しては何も考えてなかった。ここで私が上げ足を取るよう発想をするなんて、想像もしないで口にしたと思う。でも、八歳、九歳程度あっても、毎日命懸けで母親に気を遣って生きてるサバイバルな子供なら、そういうひねくれた取り方だってするってことだ。そうじゃなくても、子供は自分だけを見てほしいものだろう。誰とも比べられたくないだろう。そう考えたら、私のこの発想は「子供らしい部分」じゃないか!?だって、どんなに悪気がないって言っても、こうしたらもっと好きになってあげるのにって言ったとしても、自分の存在そのものを認めてない相手に好意なんか求めないでしょ?ましてや伯母は、この段階で私を可愛がってたつもりかもしれないけど、私は可愛がってもらったというに認識がない。ようは、伯母が何をどう思ったところで、私自身に伯母への感謝や好意が生じてない段階で、積極性がない。自分の意見を言わない。感情の起伏が乏しい。大人しすぎる。愛嬌がない。人見知りだ。○○のようになったら、可愛いのに。もっと得なのに。これをごり押しされた上にガーガー言われたら、そら「伯母さん怖い」になるって。だって伯母には「母の精神病」みたいな「水戸黄門の印籠」がない。私からしたら、「病気でもないのに、こんなに自分の勝手を押し付けてくるのか! 怖っ!!」ってなるわけよ。そもそも田舎の方言もあって、口調も荒かったから、余計にね。とはいえ、そういう伯母が数十年経った今、父の病院や葬式でまで、「それより私、今でも忘れられないのよね。小さいころのあんたに伯母ちゃんが怖いって言われて、すっごくショックだったこと」これを言ったぐらいだから、よっぽど引っかかってたんだろう。人間どこで恨まれるか、わからないという典型だ。自分も含めて――――。ちなみに、これを言われた私の返事。「ああ、私は今ほどものが言えませんでしたからね。自分が言い返せない人は、みんな怖かっただけですよ」――――一応、最後まで気は遣った(^_^;)これ以上気にされたら、もと怖いから……。―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.29
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(伯母一家とのひとり相撲~和解決着まで)四畳半一間のアパート暮らし。旅行にいくでもなければ、引っ越すわけでもない。家を買うわけでもなければ、もっともお金がかかるだろう養育費だって、子供がとっとと独立してしまえば、一円もかからない。普通の生活レベルの親戚からしたら、こんな生活で我慢してるんだから、さぞ老後のために貯め込んでいるんだろう。そう思っていたらしい。滅多に係わらない母方の親戚。そして、特に父が何かと気を遣い、お金も使った伯母一家の皆さんは!☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;この伯母一家は、母を怒らせまいとして、いつも小さくなっていた私が、大人しいやら愛想がないやら、いろいろと言いまくった一家だ。前記事参照(まったく悪気はない。それが愛情だと思っている)伯母自身が長女気質で気性がはっきりしていて、言いたいことはなんでも口にするタイプ。ついでに言うなら、父方の女兄弟は全員そんな感じだ。(そして大半が離婚経験者…という)ただ、田舎から東京に出ていたのが、父とこの伯母だけだったこともあり、若いころには父の面倒をよく見たらしい。父も何かと助けてもらった恩がある上に、こちらの二度目の旦那さんが早くに亡くなっているので、子供たちがとても叔父である父に懐いた。父にとっては、すごく居心地のいい一家だったのだろう。だから、事あるごとに顔を出して泊まっては、母子家庭である伯母一家をフォローしていた。その分があれば、うちはもう少し生活水準あがったんじゃないの?って思うような出費も、ここには惜しげなくしていた。なので、伯母一家は母や私の生活が本当にひどいものだとは知らない。だから、弟はそれなりやっているだろうに、嫁や娘がこれだから――――。ぐらいに思っていたかもしれない。何度サラ金地獄に陥ったかもわからず、私がどうして高卒後逃げるように家を出たのかも考えず、「あの家じゃ、出たくなっても仕方がないし、独り立ちが早いのは立派ね。でも、好きなことばかりして、親の面倒も見ないでっていうのはね~」とか、平気で言うわけだ。自分のところは、伯母が病気がちだったから、子供三人が力を合わせて家計を支えてくれた。あんたも学校出たんだから、そうするのが普通でしょう。って言いたかったんだろう。でもね、私が高校時代の三年間、バイト代から食費をフォローしてことなんか、この伯母も父も知らないの。部活も衣服も、自分にかかる費用は全部自分で働いて賄ってた事実もわかってないのよ。それなのに、父は私が出ていくと、「子供がいなくなったんだから、家計費を減らしていいんだろう」って、そうでなくてもギリギリの生活費しか渡してなかったのに、そこからさらに減らして自分のこずかいに回したのよ。この金銭苦が母の病気を悪化させ続けたことは言うまでもない。しかも、母は私には怒るし愚痴も言うけど、世間に対しては何も言えない人だった。完全な内弁慶、しかも私限定弁慶ちゃんだったから。結果、家を出た私への依存がひどくなるばっかりで、私はリールを長くしてもらった犬ぐらいな距離でしか、母から離れることができなかった。まあ、近所に越した自分も悪いんだけどね(^_^;)(予算的にそこがギリだった)それに、自分が母から目を離す怖さみたいなのも、たぶんあっただろう。なんにしたって、私は自分の部屋さえ持てれば、心に余裕が生まれるから。そういう意味では、いい距離間が生まれたことで、母に優しくできた。だからといって、父に特別手厳しかったわけでもない。心の余裕ができるって、そういうものだ。――――が、そんな我が家を、いつも父側からしか見ていなかった伯母一家。私自身も冠婚葬祭ごとだけはきっちりこなしたから、縁は切れてなかったんだけど、父が倒れたときに見舞いに来て、本当に気の毒そうに言ってくれた。「あんたも一人で大変ね。せめて兄弟がいたら、うちみたいに助けあえたのに」なんか、これを聞いてプツンと切れた。――――うちみたいにだ!?なので、ここぞとばかりにきっぱり言い返した。「いいえ! 仮に兄弟がいたとして、この両親の子ですよ。私の足を引っ張らない保証はどこにもないので、いりません。これ以上面倒な親族が増えるぐらいなら、一人で責務を追うほうがましです。むしろその方が、これ以上扶養家族や借金が増えることだけはないでしょうから、安心ですしね」独立して、結婚して、子供ができて。更に仕事でも自立して、親の扶養ができるまでになって、ようやくこの伯母に対等にものが言えるようになった私。(遅っ!)倒れた父には気の毒だったけど、ここぞとばかりに「どれほど父のために生活苦を強いられたか」「そして今も無一文で転がり込んだか」を暴露した。決して、老後のための蓄えなんかしてませんよ、あなたの弟さん!だって年金も生命保険も何一つ入ってないどころか、国保まで滞納ですからね!「伯母さんのところには、常にいい顔していたので、気づかなかったと思いますけどね」――――ああ、やっと言えた!でも、そう言った私に伯母は「そう。大変だったのね。弟が苦労かけて」と言いつつも「私が若いころに面倒見たから、私にだけはと思って、返してくれたんでしょうけどね」さも当然という顔で言った。たとえそれが事実だったとしても、この状況で遠慮もなくよく言えるな!と思った。どう考えたって、伯母が父を見た年月・金額よりも、父が見たほうが長いだろう?しかも、そっちは家族までは犠牲にしてないだろう!?それにもかかわらず、「それより私、今でも忘れられないのよね。小さいころのあんたに伯母ちゃんが怖いって言われて、すっごくショックだったこと」当時で二十五年は前の恨み言まで返された。「――――(^_^;)」まったく悪気のない伯母と、悪意にしか感じられなくなっていた私の一人相撲は、こうして父が亡くなるまで続くことに――――。つづく←え!?―*―***――*―**――*―*―――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.27
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先日テレビで年金のことやら老後のことやらをやっていた。で、興味を持ったのが持ち家の処分の仕方。これは子供に持ち家を残さない方法で、家を担保に銀行から老後の生活費融資を受けるというもの。なんでも「家の評価格の八割まで」ならお金が借りられる。そして、自分たちが死んだあとは、銀行が残った家を処分し、融資資金の相殺に宛てるというもので、ちょっと調べておく価値はあるかな♪と思った。別に先祖代々受け継いだ土地や家じゃないし、私たち夫婦が買ったものだしね。もちろん、子供に相続できる力があればいい。同居で楽しく過ごせて、次世代に難なく譲れるものなら、これに越したことはないと思う。だから、ここはこれから要相談だろう。子供は二人、男と女。すでに嫁と小姑のバトルを予期させる展開が起こっているわけだから、そういうことも踏まえてね。でも、実際の話。「家」そのもに維持費や税金がそれなりにかかっている場合、継いだ子供に支払い能力がなければ、結局手放す羽目になる。そうなったら相続税を払った挙句に、二束三文で売り払うという最悪な展開になるだけだろう。それで仮に次の住まいの頭金ぐらいになったとしても、そうまでして子供に何かを残す必要性を、私は感じてない。借金がないだけ、上等だろうという考えだからだ。それに、やっぱりこれは自分たちの夫婦の努力の結果であって、子供には子供の力で、自分の力に見合ったものを手に入れてほしい。今よりもっと大きなものになるのか、そうでないのかは、すべて子供次第でもいいんじゃないのって思うから。それに、一番の希望はやっぱり「自分が生きてる間に子供たちに迷惑をかけない」こと。そのために、今あるものを使いきってしまうのは、ぜんぜんありだと思うからね。それを思うと、お墓ひとつ買うにしても、一応子供たちに相談しないとな。なんて、気もしている。そのためにも、まずは一度!我が家の財政状態を完全に把握する必要があるから、旦那負担の経費とかも確認しないと~なんだけどね。ちなみに我が家、そんなに大きく立派なわけではないが、ちょっと小洒落て作られた建売だったがために、窓ガラス一枚割って入れ替えするのに十万かかる。子供がふざけてガチャンで十万だ(^_^;)カーテンは特注じゃないと長さが合わないし、庭に植えられた木々は素人では手が出せないから職人さんを呼ばないと無理。こういう「ものすごく身近なこと」に「え!?」っていうお金がかかってしまう、あとから「しまった!」と思うタイプの家だったりします。いや、もう…そのうち不都合な部分はリフォームしたいなと思うけど。長い目で見たら、基本企画にあった作りの家がいい。やっぱり故障に強いのは外車より国産!って感じです。とほほっ。―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.26
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思い立つまま吐き出すこと一週間。これぞ自己満足。まだまだ山ほどあるけど、今日は一息(笑)でも、こういうので実生活がきちんとコントロールできるなら、それだけでブログで毒吐きは有意義だよね。なんだかここ数日訪問者の数が急増したので、こんな愚痴に付き合ってくださった方がいるのかと思うと、それだけありがたいです。中には「私はこう思うよ」「あなたはまだ幸せよ」というような気持ちで読んだ方もいたかもしれない。けど、それをあえてコメントなどに残さずに行ってくれることは、とてもありがたいことです。だってただの愚痴だもの~(^_^;)ふと、はき出したくなっただけなんだよね。以前、リア友に話したら、やたらに「あなたはまだましよ。そうやって頑張れてるんだから」を連呼されて、愚痴さえ零せなくなったときがある。頑張れてるからマシって、意味わかんないよ?人間だから、頑張りたくないときもあるし、そもそもどうしてこの人たちのために頑張らなきゃならんのか!?法的に責任があるから、国民の義務だから、それで頑張らざるを得ないんだよ。そういう悲憤が根底にあるから、愚痴って出るんだよ。でも、まあ…そういう見方もあるんだろうし、そういう見方しかできない人もいるってことなんだろうね。なんにしても、もう週末だ。一週間って早いよ~。―*―***――*―**――*―*―――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.26
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母…私が生まれる前から統合失調症。父…いっそ病名がほしかった。いろんな意味で病んでいた夫婦の元に生まれ育ってしまった私。只今、堰を切ったように溢れだす子供時代の記憶を書きとめ中。それでも親は親だから心底からは憎んでない。ただ、愛してるかと聞かれたら難しいだけ(笑)……………**……………**……………**……………母にはこんな口癖もあった。「私は悪いことなんか一つも言わない。ただ正直なだけよ!」これを踏まえて本日の毒吐き(^^ゞ十余年前、父が脳梗塞で倒れて、私が両親を引き取った。両親は私の家族、旦那や孫たちと一緒に暮らせて、それはそれで嬉しそうだった。でも、同居から一年ぐらい経ったころだろうか?ちょっとしたことが原因で、母にキレられた。母「子供が言うことを聞かない! 私を馬鹿にしてる!」私「子供は悪くないよ。ただ食べられない物を食べられないと言って泣いただけでしょう」――――目の悪い母が間違えてとんでもない食を作った!母「でも、あんたはそんな子じゃなかった! 子供が大人に逆らうなんておかしい!」私「それは、お母さんが怒ると怖いから、私がイエスマンに徹していただけよ。そもそも子供には反抗期もあるし、全部は言いなりにならないのは当たり前なの。お母さんが知らないだけよ」――――だって、一番大変な時に入院してて、育ててないから。母「そうやってあんたが甘やかすから、子供たちが言うこと聞かないのよ! 全部あんたが悪いのよ!」私「そうだね。今思えば、私が(恐怖心から)世界で一番お母さんを甘やかしたバカ娘だったね。今さらだけど反省するわ」――――さすがに子供にだけは呪縛をかけられたくなくて、この時ばかりは反撃した。すると母は更にこう言ったのだ。母「結局あんたは自分の子供が可愛いだけでしょ!! 私のことより大事なのよ!! もういいわよ!」私「――――…(・。・)は?」一瞬理解不能に陥るまま話は終わった。一人リビングに残された私はしばし呆然。この人は何者だろうか?では、あなたは私という子供のことは可愛くなかったのか?大事じゃなかったのか?自分自身のほうが何倍も可愛くて大事だったと…!?ついでに言うなら孫より自分ほうが大事・可愛いものなのか!?怒りはなかった。ただ、虚しかった。何をどうしようが、親は親だ。あの腹から出てきたんだから、憎み切れるわけはない。やっぱり機嫌のいい時、優しい時が本当の母だと思い込んだ。私は「母は病気のためにこうなのよ」と何度も自分に言い聞かせて、納得させてきた。それに、こういう境遇で育ったからこそ、自分はけっこう気が長い。と思う。他人に優しくできるところもある。と思う。母と同じ症状の人とも向き合える。と思う。話も聞ける。と思う。自分にできることなら、望んでもらえるならば、いつでもお手伝いしたいという気持ちもある。(ないのは時間だけ)ようは、この両親だからこそ、自分にとってプラスになったこともたくさんあると自身に言い聞かせて、極力両親を嫌わない・憎まない方向で来た。そうやって自分自身がメンタルバランスを維持してきたんだとも思う。けど、この一言に集約された母の本心を知ったときには、さすがに凹んだ。過去の言動と照らし合わせても、これは病気ではなく本心だ。平気で口にしちゃうところも病気ではなく、もともとの価値観や性格なのだ。「だめだこりゃ(´ー`)┌フッ 」自分なりに尽くしてきたつもりだった分、これ以後そんな気持ちにはなれなくなった。まあ、いろんな意味で気持ちが子供帰り(私を一番に構ってちゃん)しちゃったんだろうな~と、今なら思うが。二十四時間、家事・育児・仕事・介護に追われて、一日三時間寝られればよかったときの私だったので、それ以上母に対して気を遣うことができなくなったのだった。―*―***――*―**――*―*―――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.25
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母…私が生まれる前から統合失調症。父…いっそ病名がほしかった。いろんな意味で病んでいた夫婦の元に生まれ育ってしまった私。只今、堰を切ったように溢れだす子供時代の記憶を書きとめ中。「は!?」って言われそうだが、それでも親は親だから心底からは憎んでない。ただ、愛してるかと聞かれたら難しいだけ(笑)……………**……………**……………**……………結婚・出産してから入退院を繰り返した母は、よくこんなことを言っていた。*お父さんだって私みたいな病気持ちと結婚しなければ、もっとちゃんとしてたのよ。――――そもそも妹にふられて姉で妥協した男に「ちゃんと」なんて言葉は当てはまらないと思います。*お父さんは、私の父親に騙されたのよ。悪いのは、病のことは黙って結婚しろって言ったうちの父親なの。――――いえいえ、あなたも共犯者です。そう思うなら、自分で言ったらよかったじゃん。*お父さんは働くのは働く真面目な人なんだから、全部私が悪いんだわ。――――働いた分のほとんどを飲み屋とギャンブルにつぎ込み、足りなくなった借金しても遊びますが、これは真面目な遊び人ってことですか?ついでに言うなら勝運のないギャンブラーって始末悪いよ。*私がこんな病気だから、親戚もひどい。――――子供のころ(病む前)から邪険にされった恨み言も聞いてます。親戚もひどいが、それに負けないぐらいあなたもひどいときがいっぱいあります。*悪いこと(罵詈雑言・ヒステリーなど)は全部病気がさせるのよ!――――もとを知らないので、なんとも答えようがないんですが。根本的な性格が真っ新の善人とも思えないような自己中心&他力本願も表だってるような気がしますが。*茶夢ちゃんいい子ね。本当にいい子。みんなそう言ってほめてくれるわ。――――ええ、24時間365日「都合のいい子」絶賛演出中ですから!ふーっ。まだまだあるけど、書ききれない。子供心に我慢し続けた母への返事(反抗)。でも、これらを我慢しきれずに、とうとうぶちまけるときがやってくる。それは自分が子供を持ってから。同居後、今度は母からの呪縛が子供(孫)に向けられそうになったときのことだった。―*―***――*―**――*―*―――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.25
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昨夜娘が「ケーキ取りに来て」とメールしたりで、息子が取りに来た(*^_^*)一緒に夕飯食べて、四時間ぐらいはのんびりしていったかな。普段一緒にいないからこそ、こういう日が楽しいです。だが、旦那が飲んで食べて寝てしまった後、「そういえば」という話になった。「お父さんが子供たちにスマホを買ったから、大学(娘)の後期学費が足りない。その分出してって言われて、結局二十万持っていかれたんだよー。だから、安請け合いするなっていったのにさー」ただの近況・話題のはずだった。しかし、ここで息子がムキになった。「俺、自分で払ったよ! お父さんがどうしても出すっていうから、三万だけ助けてもらったけど、十万も出させてないよ!」「へ…(・。・)ってことは、母は余分に持っていかれたの!?」「おそらく自然消費で足りなくなったんじゃん?でも、俺のせいじゃないからな!あいつ(妹)は全額払ってもらったと思うけどさ(笑)」「了解。明日ネタにしてやるっ(-_-)/~~~ピシー!」とはいえ、学費予定の分から自然消費で、月に一万ぐらいはこずかいに流れたってことだろうかね~。まあ、そう言ったところで、きっと旦那は言うさ。「俺のこずかいの半分はあいつ(娘)のおねだりで消えてるんだっっっ!」結局全部出費の理由は娘ってことだよな(-"-)―*―***――*―**――*―*――10月目標 62→61台で終るぞ!10/01 62.2→目標61.5以下―*―***――*―**――*―*――体重 61.8体脂肪 31.2BMI値 24.8―*―***――*―**――*―*――しばらく仕事中心生活―*―***――*―**――*―*――*六時間睡眠→○*プロテインドリンク→×*野菜・海草の意識→×*低炭水化物の意識→×*夜のおやつは禁止→×*復活☆彡メディキュット→×*黒酢やサプリでサポート→○*お通じ→○*軽い運動・ストレッチ→×*肌の手入れ→○―*―***――*―**――*―*――A 110↑/100% オーバーB 010/100%他雑務 ☆☆―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.24
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*只今、堰を切ったように溢れだす記憶を書きとめ中。「私は病気だから怒ってあなたを殺しても罪にはならないんだからね」精神安定剤を飲み続けていた母のこれに勝るセリフはないと思っていたが、どっこいそうでもなかったことを思い出した。あれは独立してたから、19才の頃。ひどい喘息発作で救急病院に運ばれて点滴を打っていた私に、父はこう言った。「もう、いい加減に死にたいだろう」本人の性格や言葉の幅の狭さを考えると、これは「シャレ」「冗談」のつもりだ。だから、始末に悪い!!発作で苦しんでいる、もう死にそうって思ってる娘によく言えるよね!しかも、そういう娘と同じ部屋でずっと生活していて、ヘビースモーカーだったんだよね!いつか何か言い返してやりたい!!そう思いながらも、脳梗塞で倒れて介護生活に入った父親相手に、このセリフをぶつけることは一度もできなかった。仕返しよりも、自分の人間性を守るほうが大事だったから。とはいえ、身動きが取れなくなった本人は何度か言った。「もう死にたいよ」でも、今の医学では、そう簡単にコロリとはいかないんだよね。実際何かあったら「ああ、生きててよかった」って言うし「テレビカード買ってきて」とも言ったしね!しかも、こんな父親の長年の口癖はこれだった。「俺はコロッと死ぬんだから(好きなことしてて)いいんだよ」嘘をつけっっっ!父が倒れてから死ぬまでかかった十一年分の医療費・介護費・税金保険・生活費の総負担額は、おそらく手ごろなマンションが買える金額だ。仕事だけは順調だったから、支払いだけはどうにかしてこれたけど、入退院を繰り返されるたびに自転車操業で、最後は自分が喘息大発作で死にかけた。「もう死にたいだろう」自分で自分に囁きかけそうだった。でも、この親に育てられて、貧乏に強い私はしぶとく思ったわけだ。「いや、誰がこのまま死ぬものか!! まだ私の人生エンジョイしきってないわっ!!」そして今日も仕事するのです。―*―***――*―**――*―*―――毒吐きですみません(^_^;)お互い頑張りましょうね(涙)と思っていただけたら、ポチッとお願いします。
2013.10.24
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只今、堰を切ったように溢れだす記憶を書きとめ中。これを心の膿出しという。現在46才の私。バブル世代で、物心ついたときから『物』があふれ出したと思う。市営住宅が増えて、アパート・マンションのレベルもよくなってきて、都会とはいえ私が住んでいたところは下町なので持家も多かった。なので、周りを見渡しても私ほど悪環境で育った子はいない。高校を出て、自立するまで住んでいた環境。・木造アパートの四畳半一間。・共通キッチン・トイレ。・風呂なしなのでお風呂屋さんに通う。・アパートは全部で四部屋ぐらい。・住人は一階に住む大家さん父子と、他三十代ぐらい独身男性が各部屋に生活。(ただし、他の方は私が中学へ上がるころには巣立っていった)・時々テレビが質屋に入って姿を消した。・裸電球から蛍光灯に変わった記憶がない。・自分の収納スペースは押し入れの1/4。箪笥の1/3。・私用机はこたつの1/3スペース。・当然荷物は必要最低限。今でも三畳あったら快適に生活できるわ!私!!そう。私が生まれ育ったのは、もとが独身者用の木造アパートだった。そもそも既婚者は入れないのだが、そこは大家さんが理解の人だった。なので、父は結婚してもその独身者用のアパートで生活を開始した。ちなみに、私が一歳のころまでは、ここに母の母(祖母)も同居していたらしい。四畳半一間に家族四人(大人三人だからありか?)今、想像ができない。きっと大家族なんて目じゃない衝撃映像な世界だろう( ^^) _U~~では、なぜそんな生活環境が、私が両親を引き取るまで(32才頃?)改善されなかったのか。理由は多々ある。・父親が給料の大半をギャンブルと飲み代につぎ込んだ。・父親が自分の家庭より親戚に金を使った。・父親が仕事中に起こした車の自爆事故を隠ぺいするためにサラ金から融資を受けてごまかすも、そのままサラ金地獄に陥った。(ヤクザいっぱい来て脅された)・母が入院するたびにお金がかかった。・母が「他では生活できない。環境が変わったら病気が悪化する!」と主張し続けて、引っ越しを何度も断念した。・そういう生活に慣れすぎて、結果的に向上心を失った。思いつく限りだが、どれも最低な理由だ(^_^;)こんな父親の介護と扶養して、最後は立派な葬式出した私って偉いよね!?いまだに母親介護・扶養中だぞ、イエーイ♪こうやって愉快に考えないと、やっていけない(^_^;)ただ、この慣れというのは恐ろしいもので、自分の勉強机ひとつない空間で、不思議なことに耐え忍べていた。なぜなら、頭の中だけいつも空想の世界に飛んでいて、環境が辛くなればなるほど、未来予想図に花を咲かせた。すべての逃げ場をノートの中にもっていき、妄想し続けた世界で脳内生活し続けていったからだ。きっと当時ネット・ブログがあったら、そこそこ読者がつくんじゃないだろうかってぐらい、その逃亡ノート量はすざましい。でもって、私が少ないこずかいとたまにもらえたお年玉で買ったマンガ本以外のが、『家庭の医学書』と『家庭用六法全書』だった。生まれた時から悪環境に居すぎたせいか、それ以下へ行く思考は働かなかったようだ。どん底だけに上を見るというのが、生まれながらに培われたらしい。これは棚ぼた♪だから、子供の頃はよく思った。「こんなにえらい目に遭っているんだから、同じような他人の気持ちがわかる。だから、大きくなったら、そういう人たちを助けられる人になりたい」目標、精神科のカウンセラーか弁護士。でも、どんなに医学書や六法全書で偏った知識を取り込んでも、「基本的な学習能力が乏しかった」ので、暗記するだけに止まり、理解できていないのが落とし穴だった(^_^;)人間気持ちだけじゃ偉くなれないし、人の役に立つのは難しい。やっぱり勉強は必要だ。でも、これは親が与えた悪環境のせいだけではない。「好きなことしか勉強したくなかった」自分の責任だった(^_^;)とはいえ、こんな狭い空間に18年も閉じ込められた挙げ句に、いつ壊れるかもわからない精神病の母という爆弾処理班を勤めてきたのだ。(今思うと、これって家庭内虐待!? 気づいてなかっただけ!?)忍耐・我慢を通り越して、無頓着の域へ行ったのは、おそらく最高の自己防衛だ。だから、高校に入ってバイトができるようになって、自分のお金が得られるようになったときの悦びったらもう!どんなブラック企業にだって勤められるわ、私!!で、結局。およそ「普通からさえかけ離れた生活」を強いられ続けた私は、「いつか自分の机を持つ」からスタートし、「自分の部屋がある家を持つ」という願望・野望の塊になった。結果→とっても働き者よ(笑)苦労は金で買え→そんな金があったら米買うよ!この言葉に共感できるレベルの人がいたら、ぜひお友達になりたいです。―*―***――*―**――*―*―――毒吐きですみません(^_^;)お互い頑張りましょうね(涙)と思っていただけたら、ポチッとお願いします。
2013.10.24
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只今、堰を切ったように溢れだす記憶を書きとめ中。とりあえず、φ(..)メモ代わり。私が小学校に上がった頃、「私は病気だから怒ってあなたを殺しても罪にはならないんだからね」そう言って私に強迫観念を植え付けた総合失調症だった母。しかし、実際本人は「そんなこと言ったっけ」的で、よく覚えてない。私が捕らわれただけで、きっと一週間後には忘れてたかもしれない。なぜなら、自分に都合の悪いこと、自分が悪いことは綺麗に忘れていくところがあったからだ(^_^;)それに気付くのが、そうとうあとだった…(苦)――――***――――そんな母、小さいころに自分の生い立ちをよく話してくれた。いかに自分が家族のために尽くしたのか、それなのに家族や親戚から病気持ちのために邪険にされたか。恨み辛み込みでこんこんと。なので、私は親戚関係が苦手だ(^_^;)会ったことはないが、特に母方の祖父の印象はあまりよろしくない。なぜなら――――。母は中学を出ると、工場仕事とはいえ、今でもかなり有名な大手の医療製作企業に就職している。両親と妹。弟のために働かないといけなかったからだ。でも、家が商売をやっていたこともあり、そろばんだけは役に立つから習わせてもらって、中学時代に二級まで取っている。当時の二級は高校生でも難しいらしかったらしく、「お前に取れるわけがない」と、同級生どころか担任にまで馬鹿にされたらしい。けど、近所に一級持っていた優しいお姉さんがいて、「できるよ。Aちゃんなら絶対に受かる!」って言って、母が馬鹿にされたことを怒って奮起し個人教授しくれたらしい。名前は忘れられていたが、母の人生の中では、希少な登場人物だ。――――で、頑張った母は二級が取れた。世間は手のひらをコロッと変えた(笑)「Aちゃんにできるならうちの子にだってできるはず」と、子供にやらせる親増加。結果的に無理で――――ふんっ。とかもあったらしい。でも、当時の二級効果は本当に大きかったらしく、「奨学金が出るから高校にやってほしい」と中学校長が家まで出向いて祖父に直談判。でも祖父は「この子が働かないとうちが食えない。うちの面倒までみてくれるわけじゃないだろう」一喝で校長打破☆彡ただ、母が頑張った結果はちゃんと『就職』に反映されたってことだろう。これが母から聞いた、数少ない自慢話のひとつだ。しかし、その就職先が実は母の一生を大きく狂わせた。工場で起こったガス漏れ事故――――それが原因で母は脳神経を患った。ようは母の精神病(総合失調症)は事故から発っしている。そこへ持ってきて、たぶん家庭内ストレスが入り混じって重度化したんじゃないかと、今の私は分析中。で、事故当時にもっとちゃんと診てもらって、交渉していたら、会社責任と障害年金とうとうで、多少はのちの人生もフォローしてもらえただろう。それなのに、祖父は工場長と会社の重役が出てきて「ちゃんと謝ってくれた」という理由で示談。母は事故に巻き込まれただけなのに、「娘も悪かったんだろう」と意味のわからない謙虚さを発揮して、「その時の見舞い金だけを自分がもらって」病んだ母に会社を辞めさせた。貧乏故の世間知らずや無知もあっただろうが、一番は「病状自体を軽んじていた」んだろう。そうでなければ、そこから五十数年も経ってから孫である私が、あまりの出費に助けを求めたお役所で、「どうしてちゃんと障害年金の手続きしなかったんですか!そしたら生活の足しぐらいは下りたのに…。この長期に渡っての精神障害認定なら、必ずおりてますよ。誰も教えてくれなかったんですか?」――――なんて驚かれることはない。知らないよ!初めて聞いたよ。わかるわけないじゃん!!祖父母の時代の横着から今に至ってるのに!!それに貧乏生活が続いていたとはいえ、両親自身がまともに年金なんか払っていなかった。国保さえ二年も滞納したところで父親が脳梗塞で倒れて、私が借金ごと引き取ったんだ。まぁ、とにかく当時の人たちの無知やお人よしや勝手な都合で、母はその事故以来精神病院で安定剤をもらわないと「平静が保てない」生活になった。ただ、精神障害の認定が下りていたから、この病気にかかる治療・薬代だけは無料だった。だから逆に問題視しせずにスルーしてきたんだろうが、実際は大問題だ!(結局一生入院費やら介護費はかかるんだからさ! しかも支払は私!!)しかもこの祖父はまだやってくれた。「薬さえ飲んでいれば平静」に見えるんだから、「病院通いは隠しとけ!」と言って、母に結婚させた。しかも父は、もともと母の妹が好きだったらしいが、稼ぎが悪くて相手にされなかった。で、母にいったらしいという、基本からして間違ってるよ夫婦!それなのに、最終的に尻拭いをするためだけに生まれてしまったのが私だ。本当に、子は親を選べないね!!そして母は、私を生んだ早々育児ノイローゼにかかって持病勃発!薬ではコントロールできなくなって、初めての長期入院となった。ようは、病状がスタート時より悪化したわけだ。当然、父やその親族に病気のことが全部バレた!「騙された!」「なんてこと!」「よりにもよって、そんな病気を隠してたなんて!!」――――まあ、身内としたらそうだろうね(^_^;)でも、その時に父方の母(田舎の地元では超気丈で知られた祖母)が言った。「理由はどうあれ、自分が決めて結婚して子供が生まれた。お前が見なくて誰が見る! 面倒見ろ!!」一見すると素晴らしい発言だ。でも、そのおかけで、私はのちのち体たらくから問題起こしまくりなこの父親の面倒も含めて、両親を見る羽目になる。もちろん、その時はみんな「これが最善の選択」だと信じてるんだろうが、結果は親も祖父母も選べない子供に全部責務がおっかぶされていくのだった。いっそ親子の縁を切ればよかったのに――――。そう言われそうだが、三つ子の魂百まではけっこうすごい効果を持っている。「お前は将来、俺たちの面倒を見るために生まれてきたんだ」長距離トラックの出張から帰ってきて、酔っぱらうと私にこう言っていた父親。反発しながらも、結局面倒を看続けている私。マインドコントロールってすげぇよな(^_^;)不幸は数珠つなぎにやってくる――――よく言ったものだった。―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.23
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「私は病気だから怒ってあなたを殺しても罪にはならないんだからね」母から言われた衝撃的なセリフのおかけで、私は母親(そして他人)の顔色を見ることにかけては超・用心深い子供→人間になった。母親(他人)が怒らない、感情的にならずに済む言動だけを選択することが、当たり前のようだが身に着いていった。でも、これが当たり前になってくると、自分の中でも『この日常』が『性格』として根付いてしまう。怒るべきときに怒れない。感情的になっていいはずのところで、感情的にならない。言うべき時に言えない。求められていないだろうことには手を出さない。自分からは求めない。何事にも受け身で、自己主張が乏しい。その結果、周りからもこの子は、感情的にならない。怒らない。我が侭を言わない。優しくて気の利く、とても(都合の)いい子として認定された。だが、その一方で親戚からは「子供らしくない」という批判もされた。積極性がない。自分の意見を言わない。感情の起伏が乏しい。大人しすぎる。愛嬌がない。人見知りだ。などなど…。子供心に思った。「人の気も知らないで!」母は落ち着いてるときなら、私にも他人にも優しい。もともと親兄弟のために身を粉にして働いてきた人だから、基本は頼られるの大好き、他人に何かしてあげるのが大好き。まあ、根本的なところで「人は悪くない」のだ。ただ、ちょっと自己中心入るけど(^_^;)そして、今なら子供の私に優しかったのは『依存』の表れだな。何かと「茶夢ちゃん、茶夢ちゃん、傍にいて~」いうのが、自分勝手な拘束だったなとわかるが、当時は「優しい母を守りたい」気持ちもあったんだろう。だから、母を怒らせなければいい。怒らせないこと、感情的にさせないことが、子供にできる精いっぱいの母守護だったし、それ以上に自己防衛だった。でも、そういう変な正義感やら責任感が混じっていたものだから、私は母親から脅迫を受けたことを父親にも話していなかった。告げ口するようでいやだったのか、父親自身をそもそも信じていなかったのか、そこはよく覚えてないが…。なんにしても、自分が大きくなって、本当に心を開いた友人たちが表れるまで、これは心の奥底に封印されていた。呪縛であり、母の元から離れられないような手枷・足枷だったわけだ。しかし、そんなことはまったく知らない周りの大人たちは、母親が病院通いなのは可哀想だけど、薬でコントロールできている。健常者と変わらない生活ができているものだと信じていた。だから、自分の価値観だけで『この子は…』と私の性格を決めてかかるようなことをよく言ったのだ。それも「あなたのためよ」「あなたが周りから可愛がられるためよ」と、わざわざ前打って。まあ、親戚だし、本人たちにはまったく悪気もないんだろうけど。でも、私は勝手なことを言われるたびに同じことを思ったわけだ。「人の気も知らないで!」ただ、これを繰り返されたところで、子供ながらいくつかの気づきに出会った。* 誰もが自分の価値観を物差し(基準)にする。* 悪気がないって、本当に悪くないのか?* どんな人間であっても、気持ちは言わなきゃ伝わらない。こんなだから、私の「早く稼げる大人になって、自由になりたい」願望は、日増しに膨らむ一方だ。と同時に、人間不信にも輪をかけていくことになるので、自分の殻の中にすっかり閉じこもることになる。しかしその一方で、殻を破るタイミングは常に探していた。私の生活環境改善への理想は、いつしか自分自身も「こんな子になれたら素敵だな」という理想・願望が生まれてきたからだ。そう、当時の少女漫画を彩った、不幸に負けない不屈のヒロインたちといっぱいであったことで――――。―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.22
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<熊本・少女遺体>養育困難、保護できず。民家で15歳だった住人の少女の一部白骨化した遺体が見つかった事件に寄せて、今一度記憶をたどってみる。小学校に上がってすぐだったと思う。何かの時に感情を荒立てた母が私に言った。「私は病気だから怒ってあなたを殺しても罪にはならないんだからね」小さいころのことなんてほとんど覚えていない私が、この言葉だけは四十年たった今でも鮮明に覚えてる。でも、よく考えたら幼児期に記憶しているのは、母が月に一度薬をもらいに通っていた精神病院の外観や中の様子がほとんどだ。当時、東京の府中にあった国内でも希少な精神科専門の大きな病院。母方のお墓が府中刑務所の近くにあったことから、月に一度のお墓参りとこの通院への同伴が小学校六年まで続いた。母は一人で電車に乗れなかった。対人恐怖から一人では遠出ができないというのが何年も続いた。(でも、人ごみの中は平気だったから、電車がだめだったのか?)病院まではうちから一時間以上かかった。なので、一人っ子である私にずっと付き添わせていたのだ。だが、これが毎月第三金曜日に必ず学校を休む羽目になった原因であり、高学年になるころには虐めの理由の一つになった。不定期ならまでしも、必ず月に一度の休みだ。「お母さんの病院に付き添っている」そう言っても、「どうして子どもが大人の病院に付き添うんだ」「おかしい」「ずる休みに違いない」と周りは私を責めた。「だいたい、どこがどう悪いんだよ。なんの病気だよ」聞かれても答えられない。精神病院に付き添っていると知ったら、さらに虐めが加速するのは想像できる。人が持つ本当の狂気なんかわかっていないだろう、まだ出会っていないだろう同級生たちに、「きちがい」と言われるのだけは嫌だった。(この言葉は、本当は書くのもいやだ。口にはしない。でも、平気で口にする人はたくさんいる)恥ずかしい、知られたくないのもあるが、「何もわかってない人間に、軽々しく言葉にされるのだけは嫌だった」というのが一番強い思い。一寸の虫にも五部の魂――――的な感じだ。そういうところは、私自身も小さいころから変わっていたかもしれない(^_^;)かといって、ごまかすという話術もまだ持っていなかった。だから、言われるまま「答えられない自分にも追い詰められて」泣くしかなった。担任には「家の事情」として報告していたはずだが、かばってもらった記憶はない。大変ね――――たったの一言も言われた記憶もない。教師なんて、学校なんて、こんなものだと思った。そして、他にも虐めの対象になっていたてことはたくさんあったし(総称して弱い者いじめ)、辛くて何度も自殺を考えた。でも、それでも学校には行き続けた。持病のぜんそく発作以外では、休んでいない。なぜなら、そこに心無い言葉や行動で人を傷つける野蛮人はいても、「本気で殺人を脅迫してくる同級生」までは、さすがにいなかったからだ。そう考えると、近年の学校の虐めはおかしい。他人を死ぬまで追い詰めて平気でいられるなんて、病んでいるとしか思えない。話がそれてしまったが、「私は病気だから怒ってあなたを殺しても罪にはならないんだからね」いろんな意味で奥が深い。今なら「へっ」ってところだが、当時の私には最高の脅迫だった。「この人を怒らせてはいけないんだ。いい子にしていなきゃ殺されるんだ」そう思い込まされる、最高の暗示だった。ただ、ここで肝心なのは「殺されたくない」と思っていた私自身だ。「生きたい」「早く稼げる大人になって、ここから逃げたい」とかたくなに願っていたことだ。けど、これが今につながっている。今もなお、母を介護中だが、それでも「生き続けている」ことに――――。―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.21
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今日は旦那が久しぶりに息子と一緒のバイト。かれこれ七年やっている。(中二からだからね)で、最近転職した「ゆうちょ」の話をしてきたらしい。当たり前のことだが、配達員スタートだから家を覚えて配達する。と、半月たらずで顔なじみ?「今日は手紙ある?」「あー、今日はありませんねー」「あらそう」なんて会話を、配達先のお年寄りと日々するようになったらしい(^_^;)いまどきの子にしては、年より慣れしてるからな(笑)ってか、お年寄りにしたって、若い男の子(21)となんでもないような世間話できたら、楽しいよね。わが子ながら「こいつすげーな」って昔から思うのは、大人でも腹を括らなければ対応できなさそうな、今にも逝きそうな年寄(申し訳ないがかなり怖い)にいきなり抱きつかれても、満面の笑みで笑い返すとこ。旦那の父とは、がんの末期でやせ細って肌色も真っ黒になってしまったときに(表現不適切だけど、ゾンビも真っ青)会えたのが最期だったが、その時息子は三歳。孫が来たと聞いて、いきなり瀕死の義父がガバッと起き上がって、お義母さんやお義姉さんどころか、旦那だって悲鳴をあげそうになったぐらいびびったのに、抱っこされてにっこりー!当然じぃちゃんもにっこりー!いまだに伝説ってぐらい、最期のじいちゃん孝行をした。その後じじ・ばば(私の両親)に同居介護が必要になっても、こんな調子だからマイペース。老人施設に行って、行きずりのばあちゃんにトイレから呼ばれても、返事をして対応できる。旦那と娘は「絶対無理!」って言い切るが、こういうところがあるので、結構息子には安心感がある。今の世の中、最終的に他人様のしものお世話ができれば、無職になることはないからね。ただ、ふと気になるのが息子と同棲中の彼女ちゃん。おじいちゃん・おばあちゃんに半分ぐらい育てられたから、今も行き来があるのはこの祖父母たち。年の割に元気で、そこは安心なんだけど、いつか動けなくなるのは人間だよね。――――でも、率先して尻拭いはできない・したくないタイプに見えるのよね……( 一一)(わんこのおしっこ・うんちも片付けたくないタイプだから)なんか、気がついたら彼女ちゃんの祖父母なのに、息子が看てる状況をたまに想像してしまうわ……。まあ、人間だから得手不得手があるだろうけどさ~。ちなみに私は、最近ちょっとおとぼけちゃんが出てきたわんこの尻の後始末に追われてます旦那と娘は「お母さん!」と、粗相を見つけると報告します。ま――――私にばっかり懐くって、結局こういうことだよね(^_^;)―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.20
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高校時代、友人の一人が大憤慨して言ったことがあるのを思い出したので、φ(..)メモメモ。よく、私に向かって「何考えてるのか、わからない人だよね」って言う子がいるんだけどさ。でも、それって変じゃない?他人の考えがすべてわかると思っていること自体が傲慢でしょ!?だいたいどうして、他人がいつも何かを考えてるって思い込むの!?そもそも私、その子と一緒にいるときには、何も考えてないことが多いのよ。(ぼーっとしてるのが好きだから)考えてもいないのに、考えていることがわからないって、当たり前じゃん!こういうのが腹立つのよ!解釈は人それぞれだろうが、私はもっともな話だと思った。取って返せば、他人が何を考えていたところで、別にいいじゃんってレベルだ。それが日常に支障をきたすなら別の話。でも、そこには何も問題はない。友人に「あなたが……わからない」と言った子は、たんに自分とは違う属性の友人に対して興味を持ち、勝手にあれこれ想像するも明確な答えに行きつけなかったから、そのジレンマを本人にぶつけただけだ。それこそ自分勝手だ。「何を考えてるのかわからない」決してほめ言葉ではないだろうセリフを理由もなしに、(そういう話の展開になる状況もなしに)言われた側がどんな感情を抱くのか、まったく想像しないでぶつけるのだから、迷惑なんてものではない。友人は怒ったが、大半の人が「え!?」ってショックを受けそうな気がするしね。でも、こういうことがあったので、必要に駆られた時以外、不用意に他人の心情は想像しないことにしている。ちなみに私が嫌悪するタイプ。「ああ、知ってる知ってる」「わかる、わかる」「私もそう思ってたのよ!」まったく知らない、わからない、思ってもいないことがみえみえなのに、平気でこれを口にする。でもきっと、こういう人にはこういう人なりの考えや処世術があるのだろう。これまで何度も同じようなタイプの人に出会っているので、実際少なくないんだろう。私がお友達にはなれないだけで――――(^_^;)―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.18
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ほぼ毎日繰り返される光景です。旦那が会社から帰宅すると、「おかえり、おかえり~。ごはんにしようぜー」と懐くわんこ。晩酌がてら、旦那からおつまみをもらうのが好きだ。だから夜はとっても仲良し。しかし、これが朝になると一変する。玄関先で寝ているわんこ。旦那が四時に起きてくると「よう、おはよー」ってなもんだ。リビングの扉を開けてもらって、そちらへ移動。なんとなくそういう習慣がついているらしい。で、ここまではいい。だが、しかし!旦那が「お母さん、行くよ」と私を起こすと、途端に機嫌が悪くなって、旦那に唸る。私が旦那の見送りに玄関に立つや否や、やたらめったら旦那に絡んで怒る。不思議に思ってハグなんかして見せようもんなら、噛みつかんばかりの勢いだ(^_^;)ちなみにわんこは♂である。家内仕事な分、わんこと私は一日中一緒にいる。徹夜作業で、明け方近くに寝ることも多々あるが、わんこは私の足元にいて付き合ってくれる。ときには「もう、寝ようよー」と寝室に誘導しようとする。これがまた、可愛いったら!――――ってところで、朝に旦那が寝たばかりの私を起こすのが気に入らないんだろうか?旦那はわんこが見せる朝と夜の態度の違いに凹みつつも、朝に唸ってこないと具合を心配する。だから唸られるとわかっていても、毎日同じことを繰り返す。たんに旦那がドMなんじゃんと、私は思うのだが……。果たして、うちのわんこの気持ちやいかに――――!?ちなみに、娘に対しては気まぐれなわんこ。玄関までの送り向かいがないと、むすくれるのは娘だったりして(笑)―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.18
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休みに仕込んでから、ずっとおでん食べてます。おにぎりとおでん。最初にこれを用意しちゃうと、あとは仕事オンリーで一日過ごせてしまうので、他に何かしようとしなくなる。体重さえ面倒でちょっとスルーしちゃってるのがやばいな。せめて、やばいとφ(..)メモメモしておく(笑)でも、仕事だけしたいとき(しないと間に合わないとき)って、こんな感じに陥るのよね。そういう自分ともうまく付き合わないと、くずに肥えるわ~。あとは台風だ。この時期、やっぱりぜんそく患者は地味にしんどいです(^_^;) ―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.16
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娘の大学には月曜休み(祝日)がない(^_^;)なので、三連休もない。連休仕事に没頭しようにも、結局日曜の夜はおかずの仕込み。これをやっておかないと、明日からの食事・お弁当作りが回らない。とはいえ、娘が思ったより頑張っているので、こっちも頑張るしかない(^_^;)お弁当にはピタパンサンドが楽なので(洗い物が出ない!)、パンと具材を用意中。朝ごはんは鍋の残りで雑炊♪あとは、おでん。茹でたマカロニやほうれん草。野菜も適当にカットして、これで三日はスムーズに運べるかな?あ、自家製いくらの醤油漬けも仕込みました(*^_^*)明日の夜は、いくら丼もありってことで♪なんにしても、月の前半に風邪でこけると、あとに響きます(^_^;) ―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.13
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先日、新聞の契約更新の話が来た。仕事でテンパってたので、後日にしてくださいとお願いしたら、今日来た。特に別の新聞に変える予定もないので、引き続き半年契約でOKをした。すると、お兄さんが聞いてきた。「いつも景品は何をもらってますか?」「洗剤です」「液体と粉と、どちらがいいとかありますか?」最近の洗濯機事情もあって、お客さんのニーズに応えようってことだろう。なので、ノリで言ってみた。「どっちでもいいので、多くもらえたら嬉しいです~(^^ゞ」お兄さん、ぷっと笑うと「わかりました!」と、なぜかウケた。でもって、「ちょっと待っててくださいね」って言って、バイクに洗剤を取りに行くと、「もう、今回はサービスってことで。箱ごとどうぞ!」って、マジに八個入りセットをくれた。うっそー!! ラッキー!!「ありがとーございまーす♪」ってことで、思いがけず普段の倍はもらってしまった(*^_^*)大概これまでだと半年で四個ぐらいなのよね。もしかして、前回「次にして」とか言ったから、他に変えられたらやばい!と思ったのか。もしくは、みんな「液体がいい」っていうから、粉が余っていたのか。なんにしたって、こっちにしたらありがたい(*^_^*)これで今月は柔軟剤だけ買えばいいもんね♪これまで二十年も契約してて、一度も「多く」なんて言ったことなかったんだけど、たまには言ってみるのもありかもしれませんね☆彡――――まあ、今後も契約よろしくってことだろうけどね(笑) ―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.12
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今日は旦那が休みなので子供の学費を振り込みに行ってもらいます。(私は仕事♪)なので、Netで自分の口座から旦那の口座へ振り込み。忘れるといけないので、母の介護・生活費分も振り込み。あっという間に残金が――――寂しい。でも、数字を見ると「働かねば!」と嫌でも思わされるわ~。とくに、親にかかる費用をみていると、自分たちの老後にかかる金額がもろわかりで怯えちゃうっっ。近年の口癖。「向こうが逝くのが早いか、私が逝くのが早いか。何が何でも親よりは生きねばっ! そうでないと、旦那と子供だけじゃ支払いきれないもんね~(^_^;)」ってことで、健康維持用ダイエット!気を引き締めなきゃっっ。背に腹は代えられないとはいえ、生活の危機感が近年の私の健康を支えていると思うと、微妙な気分です(笑)でも、ダイエット生活にしてから、自分の医療費だけは激減したので、よしとする! ―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.11
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仕事の都合で昼夜逆転中。今夜は久しぶりにピタパンを焼きました。具の形に合わせて楕円にぷっくらと。旦那と娘のお弁当――――ボリューミーなチキンサンド。照り焼きにしたモモ肉一枚とレタスたっぷり。一個持たせたら、OKサイズってことで(笑)さてと――――もうひと踏ん張りしよ!! ―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.09
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昨夜すっかり聞き入ってしまったナツメロの数々。でも、名曲は名曲ってことで(^^ゞ気分転換して、仕事だー!!―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.08
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高卒後、家を出て一人暮らし。ダブルワーカーで自立していたとはいえ、週に二度は地元のホストクラブで踊ってた☆いやー、懐かしくて、ついノリノリしてしまった(笑)
2013.10.08
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すっきりしなにいというか、治ったつもりでまた次を移されてるというか、うーんっっって、感じです(^_^;)でも、仕事は待ったなし!がんばらなくっちゃねーっ!! ―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.07
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先日、突然スーツを取りに来た息子。ゆうちょのバイト面接に受かって、一安心( ^^) _U~~よかったねー♪しかも、聞けばバイトはバイトでも「雇用保険と厚生年金付き」の契約準社員とかってやつ!?運がよければ数年後には正社員になれるパターンのバイトだったようで、みんな「おおおっ! 棚ボタ!!」とびっくり。まあ、そこまでうまく転がるかどうかは本人の運と努力次第。そしてご時世にもよるだろうけど、なんにしても雇用保険に厚生年金はありがたいよね。息子自身も、ただのバイトとの違いを実感するだろうし、そうやって経験して「何が自分の生活や人生にとってのうまみになる」のか「生きがいに繋がる」のかを実体験していけばいいものね。ただ、最初の一週間だけは今やっている居酒屋バイトがかぶってしまうらしく、昼夜仕事。みんなから「居酒屋のほうをどうにかできないのか」と言われつつも、人手不足ですぐにはどうにもならない様子。最後の一週間きっちりやって、今後はゆうちょ一本で頑張るらしい。ってことで、母はドリンク剤のカンパで見守るのみ。あとはフォローしてね彼女ちゃん♪ ってところす。ちなみに娘は――――。今夜顔を出した息子に「あれ持っていきなよ」「これももっていく?」と買い置きの調味料をあれこれ倉庫から出して、持たせていた。結局同棲している彼女ちゃんへのしがらみよりも、兄への愛情のが強いんだろうね(笑)―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.06
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飲み物が謝って気管支のほうに入っちゃって苦しんだりしますが、今日は「ゆで卵の小さな殻」が入って大慌てました。本当に「あれ?」ってときにはすでに吸い込んでしまって、爪の先もないぐらい極小粒(ゴマほどもなかったと思う)の殻だったのに、途端に異物感で苦しくなってしまって。無理矢理吐き出そうとして咳をしてみたり、嘔吐したりして、二階から娘が「どしたの!?」と下りてきたほどでした(^_^;)やいはや…。思わず喘息発作まで誘発するかとヒヤヒヤしました。取れてよかったです。気をつけなくちゃね。―*―***――*―**――*―*――10月目標 62→61台で終るぞ!10/01 62.2→目標61.5以下―*―***――*―**――*―*――体重 62.1体脂肪BMI値 24.9―*―***――*―**――*―*――6/12→7/21意識改善 ―*―***――*―**――*―*――*六時間睡眠→○*プロテインドリンク→×*野菜・海草の意識→○*低炭水化物の意識→×*夜のおやつは禁止→○*復活☆彡メディキュット→×*黒酢やサプリでサポート→○*お通じ→○*軽い運動・ストレッチ→×*肌の手入れ→○―*―***――*―**――*―*――仕事…とにかく奮闘!A 041/100%B 005/100%他雑務 ☆☆―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.05
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とりあえず、今頭をよぎった願望だけ並べてみる。・好きな人たちが誰も病気してませんように。・家族仲がずっとよいように。・ローンが終わってますように。・現役で仕事してますように。・年金がちゃんともらえますように。・子供に心配がなくなってますように。・お庭いじりやパン作りに時間が持てますように。・お友達と楽しい時間が持てますように。・ささやかながら他人様の役にたってますように。(ボランティア継続)・いつも家の中が片付いてますように。・リフォームが終わってますように。・今は無理でも、そろそろ近所付き合いも……(笑)・お墓購入終わってますように。・次世代に心配なく、必要なものが引き継がれていますように。・死に際がきれいで、穏やかに終れますように。――――さて、この願望を全部かなえるには!?ひとつひとつクリアしていくしかないね~(笑)でも、まずは目の前の仕事の山からだ(^_^;)―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.05
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昨日息子に旦那のスーツを渡した。旦那曰く「そのままあげていいじゃん。どうせもう入らないし」確かに。旦那は「そんなに肥えてない」と言い張るが、明らかに「肥えた」。炭水化物を減らせというのに、どうにも「ラーメンライス好き」は治らない(^_^;)まあ、ここはこっちで食事制限をかけるしかないんだが……。問題は、こうなると普段スーツがなくなるしいうことだ。「金曜休みだから、新しいスーツ買いに行こうよ」「私は仕事ですけど」ついでに言うなら、旦那の「買いに行こうよ」は「お母さん、買ってね」だ。衣食住経費のうち衣食経費は私もちなんで、これは仕方がない。けど、あまりに簡単に「買ってね」とニコニコしていた旦那にちょっぴり腹が立ったので、言ってしまった。「でも、そうね。再就職の面接にも必要かもしれないもんね 買わなきゃね!」「……(^_^;)」だって、旦那のスーツと私の余所行きじゃ値段が全然違うのに!しかも、学費の補助を求められた翌日なのに、簡単に言うなよって思うじゃんっっっせめてこれぐらい言わせてくれっっっ――――近々、仕事がひと段落したら、旦那の懐(口座一式)にガサ入れしようと思います―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.03
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いきなり昼に来た。何かと思ったら、スーツ用の靴を取りに来た。「何すんの?」「ゆうちょにバイトの面接に行くの。配達員の募集があったから、面接とはいえスーツのほうがいいって周りに言われて」「おー、とうとう掛け持ちする気になったか。受かるといいね」「うん」だが、ふと思った。「ところであんた。礼服しか持ってないのに、まさかそれで行こうとしてないよね? シャツもネクタイも成人式用(ド派手)なのに」「白ワイシャツに変えるんじゃだめなの?」「ちょっと待て!(それじゃあ葬式だ)お父さんの見てくるから!」あわてて旦那のクローゼットに確認しにいった。旦那はスーツ仕事じゃないので、普段着で会社に行ける。だから礼服と出張用のスーツしかない。「あった! クリーニングされて、どうにかキープ!」腕は息子のが長いんだが、これならどうにかなる。息子に旦那のスーツを見せて、「これにしときな」と出した。すると息子、「へー、親父こんなのもってたんだー。着てるの見たことないよ」「そら、ここ何年も着てないからね(^_^;) たまに出張で着ると三割増しよく見えるから、ほめると喜ぶぞ(笑)」「それが親父のいいところだからね~(笑)」そんなこんなでスーツと靴を持っていきました。今日の三時から面接らしい。居酒屋バイトだけだと安定しないから、このさい配達バイトでもいいから決まるといいね――――と思う、母なのでした。ま、すべては同棲している彼女ちゃんとの生活のためなんだろうけどね―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.02
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昨夜は久しぶりにW浅野のドラマを見て元気をもらいました!娘は「えー、結局このドラマってオールバットエンド!?」とびっくりしてましたが、それでも最後まで楽しく見てました。最初は「昭和丸出し~」なんて言ってたくせして、最後は「面白かったって」(笑)。でも、やっぱりこれって役者さんそのものの魅力もありますよね。52才に53才とは思えないプロポーション!あの美しさがあったら、いくつになっても、どんな恋をしても似合うよな~なんて思った。改めて「もう少し身体を締めたいわ」と痛感しましたよ(笑)ピンクレディもそうですが、やっぱり輝いてる芸能人のキープ力ってすごい!今夜はパックぐらいしようと思います(笑)―*―***――*―**――*―*――10月目標 62→61台で終るぞ!10/01 62.2→目標61.5以下―*―***――*―**――*―*――体重 62.2体脂肪BMI値 24.9―*―***――*―**――*―*――6/12→7/21意識改善 ―*―***――*―**――*―*――*六時間睡眠→×*プロテインドリンク→○*野菜・海草の意識→×*低炭水化物の意識→×*夜のおやつは禁止→×*復活☆彡メディキュット→×*黒酢やサプリでサポート→○*お通じ→○*軽い運動・ストレッチ→×*肌の手入れ→○―*―***――*―**――*―*――仕事…とにかく奮闘!A 035/100%B 005/100%他雑務―*―***――*―**――*―*――昨日は来てくれてありがとう!!本当に嬉しい&元気が出ます!!!今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)
2013.10.02
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