昨日は、お陰様で、特別支援教室では、
「お店屋さんごっこ」ができ、
娘の中学校のPTA講演会では、
大勢の参加をいただきました。
途中、勤務の学校を抜け出して、会場設営をしたのですが、
その椅子が足らなくなり、3列ほど、足すまでになりました。
皆々さまのご協力に、心より感謝いたします。
ただ、寅さん個人としては、
実は、うかつにも、勤務してる学校と、PTAの学校の行事が
バッチリかち合うことに直前まで気づかず、どちらにも御迷惑をかけてしまいました。
まったく、委員長として、曲がりなりにも教師として申し訳ないことです。
ここで申し上げても仕方がないことですが、
あらためてお詫び申し上げます。
終わった後、どおっと、自己嫌悪に陥りました。
でもね、寅さんが間抜けなのは、前提条件なのです。
初期設定の問題なのです。
その間抜けの割には、よく際どいところをすり抜けたと
いや、訂正!(語弊があります。)
幸運にも破滅には陥らなかった。救われた。と(どっちも同じか)
感謝・感謝なのです。
本当に、PTA役員の皆様、健全育成委員の皆様、教頭先生はじめ職員の皆様、
社会指導主事の先生、講師の前教育長さん、そして、特別支援教室のI先生、M先生の
あたたかああああい、大きなふところのお陰です。
おっと、特別支援教室の生徒諸君の真っ直ぐな応援があったればこそです。
本当に、彼ら(生徒)には、勇気とパワーをもらいます。
ありがとうございます。保護者の方々、失礼いたしました。
いつもありがとうございます。
今回に限らず、寅さんは、いつも引っかき回しておいて、
後始末、整理ができず、自己嫌悪と社会的な活動への罪悪感とに
苛まれます。
もう、やめた。やめた。と本気で思います。
でもね、これって、とっても傲慢なことだってことを、
これまた、すぐに思い起こすんですよ。
自己嫌悪に陥るって、自分が、ある一定の何様かのつもりでいるからこそ、
思ってしまうんであって、
最初から、ゼロだと認識していれば、
失敗という痕跡を残せるだけでも、とってもありがたいことだと気づくんです。
たとえ、犯罪者になったとしても、生を得ているだけで、
儲け物です。
大自然に抱かれて生きていることは、人間の小賢しい社会活動を
吹き飛ばすくらい、すごいことです。
人間そのものが、無限の宇宙そのものです。
生きているだけでありがたいのに、
さらに、おまけとして、奇跡的に守られている幸運がいっぱいあるわけです。
何十年と生きてきただけで、幸運ですし、
当家では、破局に至らないできただけでも幸運です。
ウソとごまかしをモットーにしている寅さんが、
いまだに、M次官のように、また、A建築士のように、また、A餅屋さんのように
捕まって、子どもに顔向けできない状態になってないだけでも、
こりゃ、奇跡的なことです。
あれらの事件は、決して人ごとではありません。
そういう境遇と場に置かれれば、寅さんもきっとしてしまっただろうと
想像します。笑い事じゃないのです。
幸運にも、そういう立派な立場にいないだけなのです。
それに、こんなフーテン生活を8年も続けて来ることができたってのも、
奇跡的な幸運と言うほかありません。
もう、ダメだって時に、何度、いろんな方に救われてきたことでしょう。
自己嫌悪なんて、自分が何様のつもりなんだってんでしょう。
ただただ、ありがたい、ありがたい、合掌の世界です。
それにしても、この世は、おもしろいことがいっぱいあります。
これも、ありがたい、ありがたい、合掌。
こんな私に、本当の先生にならないか、という声をかけて下さる方も、
チラホラいらっしゃいます。
これも、信じられないくらい、ありがたいことです。
でも、現実的に、壁はいっぱいあります。
奇跡が起こってなれたとしても、また、そうでなくても、
素晴らしいことです。ありがとうございます。
教員でないから、私は自由に活動できました。
大勢の子たちと接することができました。
もしかして、どの先生よりも多いかもしれません。
たとえ一期一会だとしても、その瞬間に命をかけることができたのです。
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