いろんな教育論がありますが、
最高の原則は、何でしょう?
私は、人間の自由を絶対的に尊重することだと思っています。
自由を尊重するとは、
身体的にも、知情意としても、
個人の本来もっている発達プロセスの自由を保証することです。
裏返して言えば、個人の発達の自由を妨害しないことです。
え?何か、自由を妨害してるんですか?
そうなんです。
気づかないうちに、あらゆるところに
自然な発達を阻害するものがセットされています。
代表的なものに、早期教育があります。
また、小学生へのパターン学習。、タイムを競わせるやり方。
あれらは、一つの才能を伸ばそうとして、
その周辺の可能性を10も20も、殺してしまいます。
しかも、その伸ばそうとする能力も、
社会に出てからは、役に立ちそうもないものです。
または、社会の都合、大人の都合に合わせて
子どもに基準を押しつけています。
正しく発達させられなかった子は、
取り返しのつかない不自由さを抱えることになります。
それを教育の名の下に、行ってはいけません。
本当の教育者は、たとえ上司に睨まれても
早急に結果を求めず
その子の発達過程のリズムを守ります。
学力向上の名のもとに、
子どもの健全な発達が阻害されているとしたら。
学校の名誉のために
子どもの思考回路の発達が阻害されているとしたら。
それは、学校とは名ばかりの、家畜小屋でしかありません。
とりたてて、すごく良いことをしなくても、
発達の障害だけは、作らないようにしよう、というのが
教育者の良心でなければならないでしょう。
人間がもともと持っている、良く発育しようという力への
最高の畏敬を、教育はもっていなければなりません。
子どもへの畏敬の念を忘れた教育は、
どんなにすぐれた実績を残しても邪道です。
そこには、当然、子どもを自由な存在として向き合うことが含まれます。
子どもが大きくなったとき、自分が受けた教育をふり返って
自分の自由が侵害されたと思うことがないように
教育するのが、最高の原則だと思います。
(もちろん、医者が、病人に治療をしたからと言って、
自由が侵害されたとは、本人も思いません。
同様に、教育においても、
健全な発達の状態に「治療」をすることは、
自由を侵してはいません。)
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