どうして、多くの学校や塾では、いまだに
高速計算ドリルや、書き取りドリルが横行しているんだろう?
って、寅さんは、考えてしまいます。
その危険性についての知識が無いから?
そうでしょう。
しかし、わかってても、この繰り返し練習の魔力から
離れられないというのも、多いんじゃないかと思います。
じゃ、その根拠となっているのは、何なのか?
と想像すると、実は、比較するのも失礼な
あの、パブロフの条件反射実験が、土台になってるんじゃないでしょうか?
Aという刺激のあとに、
Bという結果を与え続けると、
A→Bという条件反射ができる
というものです。
これを私たちは、無意識に(いや意識的に?)
人間の学習にも当てはめているんじゃないでしょうか?
実は、動物と人間という違いを無視しても、
動物実験の中でさえ、
あの理論の間違いは、とっくの昔にはっきりしてるんです。
どういうことか、と言いますと、
どんなに刺激を繰り返しても、
その動物の認知構造に合わないものは、
回路ができない、ということです。
そりゃそうですよね。
たとえば、青色のジュースを飲んだら、具合が悪くなるという
刺激を与え続けるとします。
でも色盲の人、(ちなみに寅さんは、赤と緑が区別がつきにくいです)には、
それは意味の無いことです。
色での学習が起こりはずがありません。
色じゃなくて、臭いに頼ろうとするかもしれません。
ここまで、はっきりしたものじゃなくても、
その動物や個体にとって、
認知構造のクセみたいなのがあります。
それに、制限されたり、歪められたりするのです。
ですから、やたらめったら、刺激を与えて条件反射を作ろうというのは、
的外れなのです。
じゃ、どうすればいいのか?
まず、認知構造を豊かにするのが、本筋なのです。
じゃ、それは、どうやって?
人間は、世界に問いかけることによって、
認識を深めてきました。
主体的に問いかけさせるのです。
簡単に言えば、仮説です。
ある体験から、赤ちゃんは、仮説を立てます。
その仮説に基づき、世界に働きかけてみます。
そうすると、違った反応が返ってきます。
今度は、それを取り込んだ、より高度な仮説を立てます。
そんな繰り返しが、無意識の中で、繰り広げられています。
だから、体験が大切なのですが、
これも、やたらめったら、体験すればいいってもんじゃないわけです。
仮説を豊かにしていくのに、ちょうど良いレベルと順序というのがあります。
仮説を立てることのが、有用だという成功体験も必要ですし、
適度な失敗体験と、それを克服する体験が、
ほどよくアレンジしている必要があります。
もちろん、あまり現状のフィルターから、かけ離れた刺激は、
認知さえされないのですから、仮説を立てようがありません。
そして、その仮説ですが、
実際は、「物語」・「ストーリー」として、もつものなのです。
人間の記憶は、ストーリーの中で留まっていて、
また、ストーリーの中で、活かされるのです。
よく歴史のテストで、時代の流れにそって、並べろというのがありますが、
もし、単純、丸暗記しかしてなかったら、
学生時代が、遠い過去になった人にとって、
思い出すのは、至難の技です。
しかし、歴史のストーリーで覚えている人は、
それを丹念にたどっていけば、きっと答えられるはずです。
算数だって、公式は、時間の経過で忘れます。
しかし、イメージ変換の物語として覚えた人は、
あきらめません。
自力で解けるのです。
いずれにしろ、単純な繰り返し練習は、
効率が低下していきます。
物語の無い、意味の無い、暗記や練習は、
人間の認知構造にフィットしないのです。
それを強制的にすると、恐ろしい結果が待っているのです。
ここで、きっと疑問が出ると思います。
だったら、スポーツの場合はどうなんだ?
千本ノックは、それなりに有効じゃないか?って。
たしかに、一見、スポーツでは、何も考えずに繰り返すことが
有効だと思われるかもしれません。
寅さんは、スポーツの専門家ではありませんが、
昔、バスケットをしていました。
(シュートコンピューターと言われてました。)
シュート練習をいっぱいしましたが、
何も考えずにやっていたわけではありませんでした。
一本、一本、手の感触を確かめながら、
今度は、足と腰の重心に注意を払いながら、
仮説を立てて、体の移動を実験していました。
強いチームの練習は、
「考える練習」だとよく言われます。
もし、監督の言うとおりに、ロボットのような練習ばかりしていたら、
千差万別の局面で、状況判断ができるはずがありません。
じゃ、千本ノックは?
あれも、推測ですが、
無意識のうちに、体の使い方を
一本、一本試しているんだと思います。
決してストーリーが無いわけではないのです。
仮説を立てながら、人間は成長していくのですから、
当然、その過程で、誤った仮説を立てる局面がでてきます。
それは、当然のことです。
ここで、スポーツにしろ、テストにしろ、見かけの成績は落ちます。
学習時間とともに、一本調子に成績は良くなるもんじゃないのです。
低学年の子に、水に木片を浮かべた重さを問うと
ほとんど、水+木片の重さと答えます。
しかし、いろいろ仮説を立てられる高学年になると
かえって、浮力について、考えてしまい、正解率が低くなるのです。
これは、これでいいのです。
逆に、こういう紆余曲折を経ないで、
つまり、仮説を立てないで、「記憶」してしまったものは、
使い道がないのです。
とにかく、物語の無い、主体的な問いかけの無い学習は、
人間の脳にフィットしません。
そして、フィットしないものを強制的に続けさせていると、
とんでもないことを、引き起こしていまいますよ~
という、ほんとはコワイ○○学習でした。
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