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本日は大阪ロードの最終日。IMI大学院スクールというところで、4回講義の最終回。これで、しばらく大阪から解放される。昨日は時間が合ったので、通天閣あたりをぶらぶらしたのだが、なにか大阪の不思議な深みを感じた不思議な街歩きだった。大阪にはまだ、戦後の闇市的な空気、あるいはもうすこし複雑な、非抑圧民のエネルギーがくすぶっているようだ。これは、ちょっと腰を入れて大阪学を見てみる必要があるようだ。さて、この日記、千里中央駅で無線LANをつかってアップ。なかなか便利なことになっている。我が家も無線LANにしてあるのだが、多少セキュリティを失っても、誰でもが自由に入れるLANインフラを、街のあちこちに設けてもらいたいものだ。(もちろん、俺のようなモバイルユーザー以外には無縁の話で、そんなことに税金を使う必要も、ないのだが、これは身勝手な願望だ。)イラクが無残なことになっているが、これについては、また別の機会に考えてみよう。
2004.10.31
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大阪市立大学で、大阪駅北ヤードの開発をめぐるシンポジウムにパネラー参加。秋葉原の代表ということらしいが、本当のところ秋葉原開発に代表はいない。もちろん、ぼくはリナックスカフェをつくったに過ぎない、ストリートマーチャントでしかない。それにしても、街の開発に関していつも思うのは、街の本当のユーザーぬきで、開発が計画され進められていると言うことだ。これは、本来のビジネスロジックを無視している。顧客をなおざりにして商品やサービスをつくっているに等しい。秋葉原についても事情は同じだ。ジェネコン、役人、デベロッパー、大学教授がいろいろ登場しているが、本来のユーザーである、アキバの人々がそこには不在だ。また、街のフィールドワーカも街づくりには参加していない。こういったお決まりのメンバーが、日本中にお決まりのパターンで、どこにでもある、つまらない、街をつくって壊して、またつくる。
2004.10.28
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タイトル: オープンソースの現在株式会社リナックスカフェ社長(OSTA代表) 平川克美レーザーファイブ株式会社社長 窪田敏之1. オープンソースの可能性と問題点サーバ部門を席巻 ここ数年オープンソースが大きな注目を集めています。 とくにサーバ部門でのオープンソースソフトウェアの伸びは大きく、マイクロソフトの牙城を崩す勢いとなってきています。(アクセス メディア インターナショナル株式会社による2002年12月時のサーバ導入率調査によれば、Linuxがトップで66.7%に及んでいる。)産業部門だけではなく、公共部門でも電子政府のシステム構築にオープンソースを積極的に取り入れるとアナウンスするなど、ますますオープンソースの勢いが盛んになっているように見えます。一方プラットフォームベンダが続々とLinuxを採用し、システムインテグレータもLinux技術者の養成と囲い込みを開始したといえるでしょう。 これらの現象が、何故、どのようにして興ってきたのか。 これについてはプログラマ、会社、ユーザ、政府などそれぞれに固有の理由があり、たてまえがあり、本音があるといえるでしょう。というのは一つに帰着するような絶対的な理由を見つけるのは困難で、いくつかの考え方や利害、背景といったものが輻輳して今日のオープンソースの隆盛をもたらしていると考える他はないからです。 これらを整理する意味でも、オープンソースソフトウェアの持つ可能性と、限界などについて、冷静な目でもう一度振り返ってみたいというのが、この稿の目的です。オープンソースの源流 コンピュータが黎明の頃、ソフトウェアというものは現在のような産業ではなく、ハードウェアのオマケ的な性質を持つものでした。コンピュータは非常に高価な機械でしたし、量産されているわけでもありません。コンピュータ自体を設計した技術者達が自分で書いたソフトを使っていたのです。もう少しハードウェアが発展した頃、ソフトとハードを分業するようになり、ソフトの専門家が出てきましたが、まだソフトウェアの手法も確立しておらず、様々な技法がトライされ、一ビットでも短いソフトに高機能を盛り込む事を目指した腕自慢のソフト技術者が出てきました。その時代、ソフトウェアというものは工業製品というよりは、芸術作品あるいは工芸品的な趣を持つものでした。ソフトウェアはコピーが可能です。そこで知り合いの技術者を訪問するときには手土産代わりに自分の書いたソフトウェアを持って行き、お互いに使ったり中身を見て勉強したりしていたのです。 このような牧歌的時代はUNIXのような洗練されたOSが出現してくる遥か前から続いており、UNIXになってもその伝統は受け継がれてきました。これこそがオープンソースの源流です。ソフトウェアとは「ソースコード」であり、誰もが変更したり書き加えたりできるものであったのです。マイクロソフトの登場 ここへマイクロコンピュータが出現し、ソフトウェアの歴史に大きなインパクトが起こりました。マイクロコンピュータはコンピュータのハードウェアの値段を劇的に引き下げ量産が可能になったのです。このため一つのコンピュータのために書いたソフトウェアを非常に多数のコピーにして使用できる事になりました。ここに注目したのがパーソナルコンピュータ(パソコン)の第一波の旗手達です。彼らはソフトウェアを「流通商品」として販売する事を「発明」したのです。今日の最も著名なIT企業の一つであるマイクロソフト社はこのレボリューションにおける勝者でしょう。マイクロソフトの戦略の最も際立ったものは、OSおよびアプリケーションソフトウェアのパソコンにバンドルして販売するという点でした。これにより、ユーザはハードとソフトを抱き合わせで購入することになり、ユーザのソフトウェア選択肢は極端に狭くなったのです。折からのネットワークの発展は、データの互換性というものを必要としたので、オフィススイートのような基本業務アプリケーションを自分の好みで選択することが難しくなったわけです。これがデファクトスタンダードというものであり、パソコン普及期には、ワード、エクセル、パワーポイントをバンドルしたマイクロソフトが覇者となったわけです。 ソフトウェアがブラックボックスになっているOSやアプリケーションソフトがデファクトを握ることは、開発者にとって開発の機会を著しく制限し、ユーザにとってはソフトウェアの選択肢を奪うことを意味します。(通信の相手や顧客のソフトウェアに合わせて選ぶわけですから。) こういった不自由さを解決するためには、開発者、ユーザがメーカの手から自らの自由を奪還することが必要でした。ストールマンとリーナス1989年にリチャード・ストールマンを中心にオープンで完璧なOSを作るプロジェクトであるGNUプロジェクトが開始されました。また、1991年にはリーナス・トーバルスを中心としてLinuxカーネルの開発プロジェクトが開始され、現在のようなLinux System が完成し、コミュニティによる共同作業によって日々改良が加えられています。(ストールマンは、Linuxという言葉は、OSの一部であるカーネルの呼称に限定すべきで、Linux Systemを指すものではないと主張しています。GNU/Linuxと呼ぶべきであるということです。筆者達は、Linuxという言葉はオープンソース全体の記号として使用していますが、これには多くの異論があることをお断りしておきます。) さて、オープンソースソフトウェアの最大の特徴は、ソースコードがオープンであることですが、それ以上に重要なことは、ユーザが開発者である点です。エリック・レイモンドによってバザール方式と呼ばれたハッカーコミュニティーによる共同開発システムの発明は単に、開発速度や開発観点を拡大したにとどまらず、ユーザサイドが自由な発想で開発できるというソフトウェア黎明期の自由度をもたらしたことです。リナックスを中心としたオープンソースソフトウェアの運動は、つぎつぎと世界中のハッカーに伝播し市場にも受け入れられることになりました。 サーバ部門では、シェアトップの地位を獲得するに至った現在の課題としては、これが企業のエンタープライズサーバ部門にどこまで入り込むか、あるいはどの時点でデスクトップコンピューティングにオープンソース時代が訪れるかといったところに来ています。また、大学や研究所内を超えてビジネス用途でオープンソースが活用できるのかといった、現実的な課題がここにきて急浮上してきました。2. オープンソースソフトウェア<省略> 3. オープンソースの信頼性とセキュリティについて<省略>4.オープンソースの事例<省略>5. オープンソースの将来2003年1月15日のAP通信によれば、マイクロソフト社はウィンドウズ・オペレーティング・システム(OS)のソースコードを、長い間にわたって秘密の知的財産として守ってきたが、これを限定的に公開すると発表しました。 マイクロソフト社にとってバイナリコードの複製による利益確保は存在そのものであり、聖域だったはずです。バイナリコードの元になるソースコードは彼らの生命線でありこれまでは絶対に隠蔽するべきものとされてきました。そのマイクロソフト社がなぜ「ソースコードを開示する」というこれまでには考えられなかったような大胆な行動をとったのでしょうか? 実際マイクロソフト社の新型OSであるWindowsXPはパソコン市場では完全に寡占状態になっており、対抗馬で万年二位のMachintosh OS やマニアックなLinuxやBSDに比較してダントツの一位のシェアを占めています。また実際に使用してみるとワークステーションとしては非常に使い易いことが判ります。好き嫌いはあるとはいえ、大多数のビジネスおよびホームユーザの希望する機能を取り込んでおり、痒いところに手の届くような行き届いた設計になっています。人気があるのも「なるほどね」と頷けるものがあるのです。現在のパソコン技術の集大成であり、最高峰であることは誰もが認めるところでしょう。 ところが、この究極のOSであるはずのWindowsXPがサーバ市場においてはどうも旗色が芳しくない。これは何故なのでしょうか?結局これはプロフェッショナルのサーバ設計者、あるいは管理者にとって、WindowsXPがあまり使い易くない、という事を示しています。デスクトップ環境のワークステーションではあれほど使いやすかったWindowsXPがサーバ用途ではあまり使い易くない理由については、これまで説明してきた内容で概ねご理解いただけるだろうと思います。 Linuxがデビューしてから10年が経過した現在、インターネットサーバとしては結果的にLinux とWindowsXPが競合するようになりましたが、現状ではLinuxが圧倒的に優勢であり、逆転する要素も見当たりません。WindowsXP陣営から見ると、このような構造的、戦略的な不利な状況を改善するには冒頭で書いたような「オープンソース化」するしか方法は無かったはずです。そういう意味ではプロプライエタリなソフトウェアでさえもオープンソースの精神を取り入れ、近づいてきているのです。近未来全ての殆ど全てのソフトウェアはオープンソースそのもの、あるいはオープンソースに限りなく近い形態へ移行してゆくと考えられます。一方でオープンソースに移行しても、これまでのバイナリ配布によって利益を出すモデルが壊れる可能性も減少してきています。これはOSのような基本ソフトウェアを維持するには非常に多額の費用=人手が必要であり、バイナリの隠蔽性が利益を確保していた時代はいつのまにか過去のものとなりつつあるためです。現在利益の源泉になっているのはOS、およびGUI、ユーザビリティの設計そのものです。ライセンス違反して不正にソフトをコピーして使ったとしても、刻々進歩してゆくコンピューティングには追従しきれないのです。却って正規ライセンスを購入してサポートを受けたほうが結局安上がりになります。従ってオープンソースにすることは両者にとって利益になります。 オープンソース化によってWindowsは再びいくらかの強さ(=使いやすさ)を取り戻すはずであり、Linuxもまた進化します。このような健全な競合は結局ユーザの利益につながって行くのです。
2004.10.27
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組織のエートス多様性を認め、百花を咲かせよ(OECDミルシュタイン委員会報告書)[注1]■見えない資産 ベンチャー起業を立ち上げてゆくプロセスで、最も重要な課題の1つは、創業者ひとりのアイデアをチームのアイデアに変えてゆくということである。つまりは、「組織」を生成してゆくプロセスこそが、スタートアップ企業が、企業として成長してゆくための中心的な課題であるといえる。実はこれはそう簡単なことではない。 会社を作ることは、幾ばくかの自己資本と事務手続さえ踏めば誰にでもできる。会社を運転していくための資金の確保、商品の開発、顧客の開拓といった基本動作は、いわば会社を立ち上げるための必要条件であって、これだけで会社が回っていくわけではない。創業者にとって会社を作ることは、個人的な欲望や、アイデア、技術といったものを社会化させてゆくための装置づくりであって、目的ではない。最初のアポリア(難関)は、会社の初期的な成長の過程で、社員という「他者」を導き入れるところから始まる。社員は、創業メンバーとは異なる個人的なモチーフを胸に、会社のメンバーとなる。社員という「他者」の迎え入れこそが、スタートアップ企業が最初に抱える「資産」であり「リスク」である。人件費に押しつぶされて消えていく会社にとっては、社員はリスクそのものだったわけだ。創業者、経営者はここで初めて、人材教育、マネジメント、企業文化、企業理念などの問題に逢着する。やがて組織は創業者の意思とは別に自己運動を始める。会社が創業者の個人的なモチーフから出発して、1つの共同体として機能していくためには、チーム全員が共有できる「意欲の源泉」とでも言うべきものが必須のものとなる。 チームのメンバーが、そこに意欲の源泉を見出せるような「場」を共有してゆくことができなければ、経営者は「財貨」「昇進」「権力」などのインセンティブをとっかえひっかえ切り売りしながらチームマネジメントしてゆかなくてはならなくなる。会社はついにカンパニー(仲間)になりえず、収益装置でしかなくなるだろう。■組織モデル 草創期から成長期にかけて、ベンチャー起業は有形・無形の資産を形成していく。組織が形成されていくプロセスは企業が「信用」とか「組織の潜在力」という無形資産を形成していくプロセスに他ならない。この「見えないアセット」こそが企業の性格、文化、成長性に大きな影響を与えることになる。ドラッカーによれば、組織モデルはドイツ型、日本型、米国型の3種類があるという。 それぞれ社会市場経済のモデル、会社主義のモデル、株主主権のモデルである。これらの組織に対する各国の考え方は、そのままベンチャー企業における組織生成のモデルと相似している。少なくとも10年前までは。 周知のごとく20年にわたって成功をおさめた日本型モデル(従業員重視の会社経営)はいま、初めての難局に直面している。しかし、同時に米国型モデルもまた、大きな曲がり角に来ていることは見失いがちである。 問題は、どちらが正解かということにあるのではない。経営者や知識層が、短期的な収益確保の戦略を追い求めるあまり、グローバルかローカルか、株主主権か従業員主権か、直接金融か間接金融か、実力主義か年功序列か、人材の流動化か安定化かといった二項対立の図式的な思考に陥ってしまうことにある。 企業価値を見る上で、収益性は最も重要な指標の1つである。投資家にとって、株主にとって、投資リターン以上に重要なものはありえない。しかし、1つの企業がこの社会に生まれてきて、存在理由(プレゼンス)をもつこと、おそらくこれこそが起業家の初心に胚胎していたものである。企業のプレゼンスとは、誰もがそこで働いてみたいと思わせるような、企業理念、意思決定プロセス、影響力、製品やサービスの独自性、そしてそれらを生み出す経営方法といったものが作り出すオーラであり、個性とでもいうべきものである。■いまそこにある危機 90年代に急激に流入したグローバリゼーションの波は、日本のバブル崩壊と景気後退と重なり、個人、企業、地域共同体、国家のそれぞれのレベルでの見直しを要請した。個人・企業のレベルでは、3つの点で大きな変化が現れた。1つは、自己責任の強調であり、2つ目は労働の非正規化(パート化、契約社員化、派遣社員化)であり、3つ目は間接金融から直接金融への転換および株主主権を基にした会社経営への転換である。 これらの転換を包括的に語る語法が、旧来の日本型システムから世界に伍して戦えるグローバルシステムへの構造的改革を急がねばならないというものだ。だが、ちょっと待ってほしい。 日本型システムは、それほどまでにダメなものだったのだろうか。そして、世界と戦うことのできない従来の日本型のシステムこそが、今そこにある危機であり、日本経済失速の原因を作っているという認識は正しいのだろうか? わたしはそうは考えない。今の本当の危機は、その危機感がどこからくるのかについての自覚の喪失であり、投資サイドにリードされた経営サイドの哲学の不在であり、その結果としての企業のプレゼンス(個性)の後退である。あるいは、循環的に訪れる景気の波の分析や、つぎつぎと現れる戦略的タームの解釈の前に、目前の「変化」について、自ら語りうるオリジナルな語法を持ちえていないことこそが問題なのである。つまりそれが何を意味しているのかがよく見えていないにもかかわらず、闇雲に「市場化」「金融化」に邁進しているという、いわばコンテキストなき変革と価値観の変節こそが危機であるということだ。「市場化」「金融化」がいけないと言っているのではない。情報革命がもたらす、企業活動や企業倫理の変化に対する処方は、経営者ひとりひとりが自前で作り出すべきものであり、米国の戦略論を「輸入」することではない。 シリコンバレーに代表される、スピード経営、戦略経営、直接金融、株主中心の会社経営、労働資本の流動化、企業競争のゼロ・サムゲーム化といったものが、日本の経営土壌に一気に流入してきたのは、それが勝者の戦略として機能していたからである。このことは、米国型の戦略的な経営が米国経済を勝利に導いたということを必ずしも意味しない。話は逆である。経済的勝者が繁栄を永続化・固定化するために現在の戦略を構築したのである。 アメリカ型の株主主権のモデルも危機に直面しつつある。それはいわば好天用のモデルであって、経済が好調な ときにしか有効に機能しない[注2]。 すでにバブルがはじけていた90年代後半の日本は、談合システム、株式の持ち合い、経営の不透明性、汚職、贈収賄など、日本型システムの矛盾が一気に噴出した時期であった。経済成長率は限りなく0%に近づいた。この時期に、米国型を無批判に採用するのは、ドラッカーの言に従えば、悪天候の時に、好天用のモデルを採用するに等しいということになる。 日本型システムの逆転がグローバリズムなのではないというのがわたしの考えである。同様にグローバリズムの陰画が日本型経営システムでもないのである。二項対立的な2つのシステムがあるのではなく、IT革命という1つの「現実」を前にして、いつも独創的な「知」と、それを模倣する「知」という構造が前景化したということである。日本の経営者にとって、喫緊の課題は方向を転換するのではなく、これまで築いてきた無形資産の上にオリジナルな経営システムを開発することであって、勝者の鋳型に自己の経営を当てはめることではないだろう。■ロイヤリティの源泉 2002年6月7日の朝日新聞に小さな囲み記事が掲載された。世界8か国、2627社の人事担当者に実施した意識調査の結果、「従業員が高い忠誠心を持っている」と応えた日本人の割合は、実施8か国中7位で、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、メキシコなどより下位であったというものである。 わたしは、この結果は当然であると考えている。日本人の意識の多様化によって、会社奉公がすたれたとは思わない。日本企業がその従業員に対して、動機付けに失敗したとも思わない。日本人が変わったわけではない。ただ、昨日まで終身雇用や昇進制度に疑問を抱きながらも従ってきた従業員にとって、いきなり梯子を外されたという「不信」のトラウマは簡単には払拭できないというのが、その理由だろうと思う。 ペンシルベニア大学の人材研修センター所長であるピーター・キャペルによれば、米国企業経営者の最大の課題とは、80年代以降の度重なるダウンサイジングとリストラによって、企業の方から切り崩してしまった従業員の会社にたいする忠誠心を、再びどのようにして回復するかということだそうである[注3]。 冷静で、正しい認識だと思う。おそらくは、日本の経営責任者によってこそ言われねばならなかったこういった考察に接すると、グローバリゼーションに席巻されている現在の日本の産業状況の行方を云々する以前に、日本の「知」の脆弱なありようこそが、問われねばならないという気がする。模倣する「知」から、困難を直視して自ら解決を切り拓く「知」を回復する必要がある。 そのためにはもう一度、組織生成の原点に立ち戻る必要があるだろう。資本、技術、ビジネスモデルがあっても、結局はそれらを活用するメンバーの会社に対する「信頼」がなければ、会社は永続的な成長をしてゆくことはできない。永続的に成長するとは、組織が絶えず自己を超越するということに他ならない。組織が成長していくことと、メンバーのひとりひとりが成長し、自分の可能性を拡大していくという「神話」が信じられなければ、良質のロイヤリティが育まれることは無いといってもいいと思う。 この「自己超越の神話=成長の共有」は、それが正しいか否かという正邪の倫理、勝つか負けるかといった競争の論理の埒外にある。信じてやっていこうという「信頼」を担保するものは、収益性でも、ビジネスモデルでも、技術でもない。あえて言うならそれは経営者の哲学の強度と倫理である。それを経営者的エートスと言ってもいい。■2つの「物語」 言うまでもなく、会社に参加するモチーフは、百人百様である。生活費を稼ぐ、自己実現、社会的ポジション、人間関係などなどの上位にもっと大きな「物語」が存在している。あるいは「物語」があるのだという幻想を共有すること。このとき、百人百様のモチーフは、同一の「物語」の部分であり構成要素に収まる。 ここに2つの「物語」が存在する。リスクマネーを投じて回収してゆくリスク&リターンの物語と、人生を賭けて自らとその仲間達を帰属させてゆく「場」を作ろうと目論むアントレプレナーの物語と。この2つの物語の交錯するところに組織が生まれてくる。「数字」に還元できる会社の成長を支えていくのは、「量」には還元不可能な組織の成長である。 ビジネスの基本は「製品やサービス=価値」を提供して、顧客から「満足」を受け取るというシンプルなプロセスである。この「贈与」と「満足」のコミュニケーションには、経営者と会社の数だけの「物語」が生まれる。そして起業家は自ら作り出す「物語」に責任を持たなくてはならないということだけは、確かなことである。[注1]OECD, Corporate Governance: Improving Competitiveness and Access to Capital in Global Markets, Paris: OECD, April 1998)[注2]『ネクスト・ソサエティ』P・F・ドラッカー、上田惇生訳、ダイヤモンド社[注3]『雇用の未来』日本経済新聞社による
2004.10.26
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ブログを開始したら、すぐに10件のアクセス突破というお知らせ。なんかすごいことになっているのね。世の中。というわけでこの度、洋泉社より、上記の本を出版することになった。前作、神戸女学院大学の内田樹氏との共著、「東京ファイティングキッズ」に続いて著作としては、2作目となる。タイトルは、「反戦略的ビジネスのすすめ」。たぶん、おもしろいと思います。(ぼくは、面白かった。)
2004.10.25
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