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石川マスターから回ってきた大瀧詠一師匠の『日本ポップス伝』を聞いていたら「天然の美」の話が出てきて、思わずドキリとしてしまった。つい先日、このブログにその「天然の美」の数奇な運命について書いたばかりだったからだ。この歌は、明治35年、佐世保の成徳女学校の生徒たちのために作られた。作曲は田中穂積。『追放の高麗人』の著者である姜信子は、この歌が中央アジアの辺境で、そこに暮す高麗人(コリョサラム)によって今も歌い継がれていることを知り、佐世保は、亀山八幡宮の近くにある「天然の美」の碑を訪ねる。そこで、成徳女学校の第一回生で、この歌の由来について語れる唯一の人だというシズコさんに取材する。「ええ、田中穂積さんは、武島羽衣さんが明治三十三年頃に書かれた詩がお好きで、その詩に佐世保の九十九島の美しい風景を重ね合わせて作曲されたというふうにうかがっています」シズコさんは、このように答える。百年の旅をすることになるこの歌について、大瀧師匠は、『日本ポップス伝』の中で、驚くべきことを語っている。田中穂積は、山口県岩国市出身の海軍軍人として、佐世保鎮守府の軍楽長として赴任した。俺は、この歌が旧満州国から中央アジアの辺境へと旅をする壮大な空間と時間の物語に心を揺さぶられたのだが、この日本の中においても、この曲の真髄が、時間軸を縦に連綿と受け継がれていることを知らなかった。大瀧さんは、音楽的デディケーションがどのように行われてきたのかという実例を、日本の音楽史の中を捕猟し、拾い出し、補助線を入れる。例えば、大正十年、野口雨情作詞・中山晋平作曲の「船頭小唄」。例えば、昭和四年、古賀政男作曲の「影を慕いて」。例えば、昭和四十一年、同じ古賀政男作曲の「悲しい酒」。これらの歌の根幹にあるものは、「天然の美」と同じものであるというのである。『日本ポップス伝』では、それを実証するために、右に「船頭小唄」左に「天然の美」を配置して音を流して引き比べるということまでしている。そして、最後には、これら四つの歌を前後左右のスピーカーから同時に流したのである。それは、ほとんど一つの壮大な楽曲のように聞こえてくる。歴史とは、コピーとデディケーションなのだと言っているようにも思える。ちなみに、「影を慕いて」は、古賀政男が、クラシック・ギターの巨匠アンドレス・セゴビアの演奏に触発されて作ったとも。この視点こそが、今日の著作権問題に欠けているものだろう。(いや、野暮なことは言いっこなしにしよう)昨年末、収録で大瀧師匠にお会いしたとき、別れ際に、「ヒラカワさん、日本ポップス伝をイシカワくんから借りて聴いて見てください」と言われたその意味が、漸く判りかけてきたような気がしたのである。
2009.01.25
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(写真は、吉原大門、見返り柳近くにあるさくら鍋の名店。エントリとは無関係だが、うまいよ。ここのけとばしは。)なんだか、外が騒々しいと思っていたら、きな臭い。秋葉原のリナックスカフェの目と鼻の先にある建築中のビルで火災が発生している。いま、朦々と黒煙を上げて燃えているところである。四年前にも、このビルと、リナックスカフェの間にあるビルが火災。リナックスビルは、火災のビルにカギ型に囲まれていたのだがこのときは焦げもせずに奇跡的に被害を受けなかった。(しばらくは、焦げ臭い匂いがビルの中に充満していたけれど)通り魔殺人事件の現場は、今回の火災ビル建つ交差点で起きた。まだ、交差点にはその余韻が残っている。そして、まさに新しい秋葉原の拠点として建設中のビルから火の手が上がる。どうしたんだ。どうも、この地は呪われている。秋葉大権現(火防の神様だというが)が怒っているのか。まあ、秋葉原というところは、以前は「逃れの町」であったが、今は、不満や嫉妬、行き場のない感情が集積してくる場所となりつつある。フィギュアや、メイドや、ゴスロリは、過剰な行き場のない感情が憑依しやすい表象なのかもしれない。かれらは昼間どこかから忽然とこの町で降りて屈折した呪いを発散し、日が沈むとどこかへ消えていってしまう。夜間人口の驚くほど少ない町は、生活の基盤も匂いもない呪いのどぶ川のような町でもある。俺?まあ嫌いじゃないけど、(だからここにいるんだけどさ)精神衛生上よろしくないことだけは確かなことだ。よろしくはないが、不必要だとも思わない。だけどさ、ここが、アニメなど日本のサブカルチャの発信の町だなんて言ってほしくはないと思っているだけである。
2009.01.23
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写真は山口敬三 陶展『エロス幻影』出品の作品。ピーチエッグ。八十歳を過ぎてなお、この精彩。オフィスの入り口に展示して、毎朝拝むことにする。どうも、咳が止まらない。夜布団に入ると急に、咽喉のあたりに不審なものたちが蠢き出す。自分の身体をコントロールできなくなるのが始末に悪い。昨日も夜中に目が覚めて、げほげほいいながら、テレビのスイッチと入れる。アメリカ合衆国第44代大統領の就任式が行われている。大衆の前にオバマが姿を現すと胸騒ぎがしてくる。オバマ自身も心のどこかで「殺られるかもしれない」という恐怖と闘っているのだろう。その意味では、この男は身体を賭して表舞台に立っている。政治家になるとは、そういうことなのだ。この痩躯の男はそのことを思い出させてくれる。演説が始まる。「大きい政府、小さい政府が問題なのではない。問題はそれが機能するかどうかなのだ」というくだりに小さく拍手。ただ、山積する課題に対してオバマがどれだけの手腕を発揮できるのか、ほんとうはどのような思想の持ち主なのか、についてはほとんどまだ何もわからない。ただ、期待だけが過剰に膨らんでいる。この過剰が気になる。俺の方は、まあ、もう少し見ているしかないか。
2009.01.21
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それぞれのワルツを踊ろうよ。だいぶ前にこのブログにエントリしたタイトルと同じである。ラジオデイズの連載コラムにこのタイトルで書いた。このところ、ラジオデイズは快進撃である。あの大貫妙子さん、スポーツジャーナリスト二宮清純さん、ラグビーの増保輝則さん、作家山本一力さんなどなどそれぞれの分野の「聞きたい声」が続々と届く予定。「流行らない歌はすたれない」@上野茂都いや、路地裏ビジネスは不況に強いを再認識。流行っちゃいけないんである。ということで、一足先に地味にコラムの掲載。それぞれのワルツを踊ろうよ 数年前から備忘録の意味もあって、ブログ日記を書いている。時々、アルバムをめくるようにして「あの頃」の自分に会いに行くことがある。二年ほど前の頁を見ていたら、「それぞれのワルツを踊ろうよ」というタイトルの日記を見つけ、数年間の時間が逆流して渦を巻いているような感覚にとらわれた。そのブログ日記はこんな風に始まっている。「このところ、毎日毎日、上野茂都ばかり聞いている。俺にしては大変に珍しいことである。しかし、一度聞いたら頭の中に音が棲みついてしまった。歩いているときも、バスに揺られているときも、仕事をしているときも、飯を食っているときも、一服しているときも、糞しているときも、寝ているときも。気がつくとそれぞれの ワルツを 踊ろうよと鼻で、歌っているのである。それが「煮込みワルツ」である。三味線と、チェロと、鳴り物と、喇叭とピアノのアンサンプルが、なつかしい音を奏る。歌声は、ひとりの酔っ払いが街道辻を歌いながら通っていく風情である。なによりも、歌詞が泣かせる。最近読んだ、どんな現代詩よりも、味わい深くて、後味がよい。煮汁が出ているからね。 ♪ つみれの花の咲くころに うづらうづらと まどろめば ちくわの友の夢を見る 空にがんもどきの 群れ遠く ふやけてはんぺん 雲になれ ちぎれてこんにゃく 石になれ ながれてしらたき 風になれ 輝いてぎんなん 星になれすがれた場末の一角にあるいつもはストリップ小屋の即席ライブハウスで観客は多くても二十名。暖房が無いので、みんなコートの襟をたてたまま壊れかけたいすに沈み込んで聞いている。外はつむじ風が舞っていて舞台の上には疲れた中年の楽団のジンタ。どこの誰だか誰も知らない観客の中で、俺もひとりの匿名の客となって、一度も聞いたことのないような、それでいてなつかしいような音の世界の中で、煮込んだおでんの具のように、体が半分溶け出している。ブログ日記はここまでである。拙劣な殴り書きだが、ご容赦願いたい。上野茂都とは、多摩美術大学や武蔵野美術大学で彫刻を教えている痩身白皙の美青年で、(いや、もう中年なのかな)上記のような不思議な唄を、三味線片手に唄い続けている人である。上野茂都の紹介サイトには、高田渡、早川義夫、忌野清志郎ら、反骨の音楽家の絶賛を浴びる、とある。なるほど、知る人ぞ知るという歌い手であったのかと思う。さて、この『煮込みワルツ』は、次のように終わる。「湯気は立てても、具の中までは、暖められないそんな世の中。転げて浮かべ、煮汁の中で、それぞれのワルツを踊ろうよ」読み返してみて、私は、何故これほどまでにこの唄に惹かれたのかと思う。いや、勿論今聴いても、何度聴いても、いい唄だと思う。しかし、ただ、いい唄というだけでは、これほどまでに入れ込んで聴き続け、文章にも何度も引用し、人に吹聴したりすることはないだろう。その理由は、上記の日記のなかでも言及している「ジンタ」という独特の旋律と、その旋律の背後に隠れているある物語に因っている。『煮込みワルツ』は一種のコミックソングとも聞こえるが、その旋律は私が洟垂れ小僧だった頃に追いかけたチンドン屋が奏でていたメロディーであり、昭和初期を生きてきたものにはある種の感慨なしには、聴くことができないものが含まれている。ジンタの代表曲である『天然の美』は、サーカスなどでよくかかっていた懐かしい旋律で、その背後に幾つもの物語が潜んでいると思わせる何かが確かに存在している。上野茂都と出会った頃、私はある一冊の本に引き寄せられるようにして出会っている。『追放の高麗人』(姜信子著 石風社、2002年)という、モノクロームの写真と、文芸的ルポルタージュ(そんなジャンルはないかもしれないが)で構成された美しい本である。そして、この本の主人公は、まさにその『天然の美』というジンタなのである。この唄は、日本の古い演歌のようなものだと思われている方もいるかも知れないが、もともとは佐世保にある成徳女学校の校歌であった。明治三十五年頃の話である。ところが、まったく意外なことに、今でもカザフスタンやウズベキスタンといった国で、この唄が歌い継がれてきているのだという。何故、そんなことが起きるのか。『追放の高麗人』を読み進めていくと、だんだんとその事情が明らかになってくる。この唄は、旧ソ連領内にいた朝鮮人が、政治的な事情によって中央アジアの辺境まで追放されていくときに、心のうちに携えていた旋律であった。『天然の美』は、もともと日本に生まれ、日本帝国主義の時代に満州に渡り、それが沿海州に暮す朝鮮民族にリレーされて『故国山川』と名前を変えてその地で歌い継がれるようになる。そして、スターリンの時代に追放された高麗人と共に中央アジアの辺境まで漂流していったのである。 だから、この唄には、政治に翻弄され、抑圧された民族の百年に亘る流浪の記憶が染み付いている。 さて、もちろん私はそんな壮大な物語を斟酌して、上野茂都の曲を聴いていたわけではない。ただ、ジンタという旋律、リズムが生み出す懐かしさの、源流を探っていけば、そこには幾つもの支流があり、それぞれの物語に出会うことになるということだけは言えそうな気がする。なつかしさ、せつなさ、やりきれなさといった感情は、個人の感情の中の出来事であるよりは、もっと連綿とした生活史のなかに埋め込まれた記憶のようなものなのかも知れないと思うのである。
2009.01.15
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去年からずっと体調万全であったが、このところの気温変化に老体がついて行けずついに風邪をひく。今朝、うがいをしたら、唾に血が混じる。煙草の吸いすぎである。風邪を引いてなにが辛いかといって、煙草がうまくないのがどうもやりきれない。げほげほ言いながら、イヤホンで半藤一利さんの『昭和史』を聴き続ける。昭和十年代、日本が徐々に戦時体制になっていく様子がよく判る。昭和七年の上海事変、満州国成立。五・一五事件。国際連盟脱退。二・二六事件。日中戦争。日独伊防共協定締結。そして、国家総動員法交付。声の大きいものが、無理を押し通しマスコミがこれを後押しし、国民も浮かれて付和雷同してゆく様子は、昔も今もあまり変わっていないように思える。ただ、日中戦争の行き詰まり打開に当時の地政学的状況を無視してドイツイタリアとの軍事同盟に走る近衛内閣に対して、対英米協調を主張し続けた山本五十六や、その周辺の海軍士官がいたこと、陋巷にあって、冷徹な観察眼を持ち続けている永井荷風といった少数の異端者というべき人々の小さな声がこの時代の底辺に流れていたことも忘れてはならないことだと思う。かれらが、何ゆえその立ち位置に立ち続けられていたのかはもっと仔細に検証されてもいいように思う。半藤さんは、随所で荷風の述懐を引用しながら、そこに民衆の本音、体感が息づいていることを伝えようとしているようである。それにしても、日本が真珠湾を攻撃する昭和十六年という年が、俺が生まれるほんの九年前の事であったという事実にいまさらながら驚くのである。世界恐慌が昭和四年であるから、十年と少しで、日本も世界もその姿を大きく変化させ、戦争への階梯を一段一段昇っていった。世界はあまりに、急激に変貌していったのである。今から九年前、つまり1999年と言えば、俺にとっては昨日のことのように鮮明かつ今と地続きの年である。アメリカも日本もまだバブルの余燼がくすぶっていた。俺は、これまで続けてきた仕事に一区切りをつけ、カリフォルニアのベイエリアに小さな事務所を開き、同時に東京で、新しい会社を設立した。当時のビジネス上の価値観は、いまほとんど反転している。世界はかくも脆いものなのかと思う。2008年は、この先どのような形で人々に記憶されることになるのだろうと思う。世界的な金融不安と、頻発する地域紛争とテロ。世界が風邪を引いて七転八倒している。雰囲気は、あの時と似ているような気もするし、全く違うともいえる。ただ、声のでかい奴が威張り出し、やたらと威勢のよいことを吹聴する奴の主張が無理筋を通し、マスコミがこれを持ち上げ、人々が付和雷同していけば、ろくなことは起こらないということだけは、どの時代にも共通なことのように思えるのである。その意味では、オバマ人気も不安なしとはいえない。いまのアメリカにどれだけの荷風がいるのだろうか。オバマという人の、思想も腹のうちもまだ何も明らかになってはいないのである。寺山修司がいみじくも言っていたように、英雄のいない時代は不幸だが、英雄を待望する時代はもっと不幸だからである。追記:英雄のいない時代は不幸だが、 英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。(ブレヒト『ガリレオ・ガリレイの生涯』より)
2009.01.12
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仕事で品川へ。いま書いている本に俺はこんな事を書いている。「確かに金融の崩壊は世界に一種のショックをもたらした。しかし、自由な市場の活力こそが経済発展の要であり、世界の問題を解決する動力であるという経済思想と哲学を世界に振りまき押し付けてきたアメリカが、自国の経済を救済するためにその思想も哲学もいともすばやく転換し、それに随伴していた国もまた無批判に追従していることにも驚くのである。結局、何でもありということなのか。書店を覗くと、平台にはグローバリズム批判や、レバレッジ金融批判の本が並んでいる。つい昨日までグローバル競争を勝ち抜くためにとか、レバレッジ投資戦略が並んでいた同じ場所に、正反対の論調の図書が並んでいる。酷い場合には同じ人間が、以前とは百八十度反対の立ち位置から市場原理主義批判を行っている」このブログの読者には、俺が、市場経済を推し進めてきたから、いまの問題が起こっている、だから統制的な経済に戻るべきである、昔に戻れと考えていると思っている方もいるようである。俺は一度もそのようなことを書いたことはないのである。経済的な課題が直面している問題は、緊急であり、現実的な問題である。緊急かつ現実的な課題に関しては、もっぱら最大の効果が期待できる政策と行動が求められている。しかし、現実的な政策や行動は、それを忌避するにせよ、連帯するにせよそれぞれの人間の立ち位置の中で行う他はないし、そうである以上限定的なものにならざるを得ない。ただ、その立ち位置を決定するものは、それぞれの人間の、世界観であるし、思想であるべきだ。思想的課題は、緊急かつ現実的な問題に対しては無力だが、そのような問題に出会ったときの立ち位置を決定するためには欠いてはならないものである。それは、ビジネスというものに関して考える場合にも全く同じであると思う。だから、私は『株式会社という病』の中で「原理的な問いが照準している時間はほとんど無限大だが、遂行的な課題に要請されている時間はほとんどの場合は限定的であり、緊急性を有している。これを取り違えると、現場ははた迷惑な困った問題を抱え込むことになるだろうし、原理的な問いも意味を失う。私は、そのことをわきまえないほど頓馬ではないつもりである。しかし、現場での辛艱(しんかん)がなければ本書を書くこともまたなかった」と書いたのである。俺がこの間書いてきたことは、思想的な課題についてであり、自己の立ち位置の問題についての考察である。ついでに、誤読されている方が多いので言っておきたいが、前エントリの、「雑巾がけ」をしろというのは、竹中氏に対しての言葉ではないですよ。自らに、あるいはすべての人々に問いかけた言葉である。現実的な問題を思想めかして語るのは俺の趣味ではないし、逆に、思想的な課題を、現実的な当為(なさねばならぬこと)に置き換えようとしたいわけではないのである。注意深くお読みいただければ、俺がそのような混同を自らに禁じていることがお判りいただけるのではないかと思う。「2008年問題」とは、まさに思想的な課題と、現実的な課題をどこかで取り違えたために起きた問題が頻発した年であったと思う。グローバリゼーションという歴史的必然に関して考えることは、すぐれて思想的な課題であるが、多くのひとが、グローバリゼーションという思想的な課題と、アメリカの国益戦略であるグローバリズムを混同し、グローバリズムは歴史的必然なのだといい、それに対応するために市場自由化を進め、金融技術に遅れをとってはならないと喧伝していた。グローバリズムはアメリカあるいはイギリスの国益に沿った戦略であり、日本はそれに対して対抗策としての戦略を立てるべきだとは、考えなかったのである。現在進行している経済危機や、格差、企業犯罪や、秋葉原事件などについて、それらが思想的な課題として何を投げかけているのかということについて、俺は自分の思考のリーチの届くところまで考えていきたいと思っているのであり、そのためには、現実的な俺(や、あなた)がどこまでそれらの事件に加担しているのかということを見つめなおす必要があると思っているのである。
2009.01.07
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お正月も今日で終わり。明日から、いや、まだ終わっていないので考えるのはよそう。今日は、アゲインマスターの石川くんに誘われて、武蔵小山清水湯へ、朝風呂。天然懸け流しの銭湯である。いいねぇ。朝寝、朝風呂。のんびりと全身をゆるめて、家に戻って原稿書き。本年三月以降に講談社から出版予定の「退化に生きる、我ら」。このタイトルは、二十代の頃やっていた同人誌『赤目』第二号に同人、森下哲志くんが書いた、詩ともエッセイとも言えない短い作品のタイトル。三十余年後に、おれはそのアンサーソングを書こうというわけである。でも、筆は遅々として進まない。進まないから、こうやって新年の書初めとしてブログに書くのである。新年二日は、いつもの年と同じように内田くん、アゲイン店主石川くんと自由が丘の書店で待ち合わせて、新年のご挨拶と時局に関する意見交換。早速、元旦の晩のNHKスペシャル『激論2009』の感想を述べる。竹中平蔵、岡本行夫、八代尚宏といった新自由主義を推進してきた連中とそれに対抗する金子勝、山口二郎、斎藤貴男が討論。勝間和代という人も出ていたが、何のためにどんな立ち位置で出ていたのかよく判らない、というかこのひとなんにでも顔をだして、「正論」を吐いているがその言葉のひとつも胸に届いてこないのは何故だろう。まあ、知らない方だし、どうでもいいっちゃいいんだけどね。俺は、金子にせよ、山口にせよ、ディベート巧者の竹中を何故論破できないのかと思いながらこの見たくもないテレビを見ていたのである。「だったら、見なけりゃいいじゃねぇかって。そりゃ、そうだけど」さて、鉄面皮の竹中さんが、「誰が今日の経済的混乱の犯人かなどという犯人探しをしたってしょうがないではないか。具代的にどうするのかが、問題だ。」と言う意味のことを言っていた。「問題は、停滞した経済を復活させるために何を今具体的にすべきかだ」と言われると、金子も山口も同じ文脈で別の答を探そうとする。違うだろ。違うってば。停滞は歴史的な必然なのだと何故、金子は自説(たぶん彼はそうじゃないかと思っているだけだけど)を展開しないのだ。資本主義の高度化のなかで、労働賃金の高騰と、飽和してゆく市場キャパシティなどによって、経済成長の停滞(というよりは均衡というべきか)は必然的な結果である。それをさらに続けようとすれば、経済成長の見込まれる発展途上地域を見つけ出して略取する(グローバリズムだね)か、詐欺のような金融システムで、仮想的な成長を延命させるかといった無理筋を押し通してゆくしかない。その結果が、この度の金融システムの崩壊なんじゃないのか、それを推進したのがあなたではないのかと何故言わないのか。「問題は、元気がなくなっている。内向きになっていることだ」と若者の海外渡航の現象をデータで示しながら正論めいていてよく訳がわからないことを勝間も言う。これも、違うぜ、データの意味づけが全く反対だと思いながら、我慢してみていたのである。「経済は成長させなければならない」「若者は元気で外に向かわなければならない」という呪文に、囚われているかぎり、この間の金融破綻までと同じ文脈で思考することから自由になれない。問題は(これこそ問題というに値すると俺は思うのだが)、文脈それ自体を変更するのかどうかということではないのか。つまり、経済成長しなくてもよい、その代わりに何を指標とするのかということ、内向きになることで、何が失われるのか、何を得られるのかを考え直すこと。自分を見つめなおすときには、内向きになるのは当たり前の話だ。まだまだ、内向き度が足りない。具体的に何をすべきか、なんていうことはいま、NHKがそれらしく用意した番組でいくら話し合ったところで、現状を変えもしなければ、に何も付け加えはしない。もちろん、具体的な行動というなら今すぐ、スタジオを出てやればよい。現実は逼迫している。いや、俺たちは言論でというなら、具体的な行動と乖離した具体案を並べ立てるより、現在の文脈そのものを続けるのかどうかということを考えるべきだろうと思うのである。考えるとはそういうことだ。視聴者の価値観にくさびを打ち込むような言葉を発してほしいと思いながら、俺は、だらだらしながら、だらだらとした討論を見ていたのである。勝間は、若者が内向きになっているのは、経済が停滞する原因だと考えているようだが、それは原因ではなく、経済成長を単一の指標としてやってきたこれまでのこの国の施策や、作り上げてきた社会の結果なのだと何故考えないのだろうかと思う。金子も、山口も、「それなら社会主義を選ぶというのか」という恫喝に口をつぐんでしまうが、別にそんな古臭い恫喝に怯えることはない。いま、まさに竹中らがモデルにしようとしたアメリカシステムこそが社会主義を採用しようとしているのである。そもそも、市場原理主義なんていうようなレッテル貼りはナンセンスと言っている竹中に、社会主義なんていうレッテルを貼りをする資格はない。だめだぜ。経済学者が社会主義なんて言っちゃ。俺は、内向き、下から目線が、しばらくのトレンドになるだろうと思う。それでいいと俺は思っている。その目線の先に、金融システムが崩壊したように、競争原理の称揚、自己決定自己責任といった価値観、労働形態の多様化といった労働市場システムなどの総体が、溶解してくるのを見据えてみるべきだとおもう。谷川雁ではないが、「イメージから先に変えよ」ということだ。この間のレバレッジ金融の崩壊は、お天道様に叱られたようなものだ。叱られたら、しばらくはシュンとなって、雑巾がけからやり直しますというのが正しい態度だと俺は思う。喩え仮想的にではあれ、一番低いところに位置どりしなければシステムの全体は、見渡すことなどできない。(と書きながら、新年早々の上から目線を反省)
2009.01.04
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