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本日は、白髭橋の会社に出勤。まだ痛い五十肩を庇いながら首都高速を運転して、大川端のリバーサイド隅田に向かう。朝から、四連続会議で一日が終わる。みんな会議が好きである。俺は、ガキの頃よりデスクに座って会議が始まると瞬間的に眠くなってしまう性癖があった。ほとんどパブロフのまるね。そうして、会議が踊る間、ずっと一人でこめかみに力を込めて眠気との孤独な戦いを続けることになる。五人以上出席する会議は、まったく役に立たない。一時間以上の会議は、苦痛以外の成果をもたらさない。俺の会社も会議をやるが、三十分以上になることはまずない。会議がいかに、意味の無いものであるのかについていくらでも書けるが、意味の無いことをいくら書いても、意味が無い。やめた場合と、やった場合の比較を、損得勘定で計量すればそれでよい。結果は明らかである。会議が無ければ、エクスキューズの場が無くなる。仕事をするということは、その仕事の意味を自ら作り出すことである。仕事にはこれ以外にはないというような正解はない。自分がしていることに、自分の名前をつけて、次のプロセスにパスする。「後は頼んだよ」「あいよ」といった具合に依頼と信頼も同時にパスするのである。このパスの瞬間を感じるのはまことに心地がよいものである。そうでなければ、仕事はどこまでいっても隷従と責任転嫁の間にある苦痛でしかなくなる。自己決定、自己責任は、仕事の現場でこそ、いやたぶんそこでだけ使えるシステムである。仕事が終われば、他力本願でいくのがいいのである。「まいったな。後はおまかせ」「しょうがねぇなぁ」同じようだが、こっちは力が抜けてだらしがない。パスではなく投げだしただけである。自己決定の放擲。これでいいのである。往々にして、これが逆になっている。柳沢厚生労働相の女性機械説が指弾されている。しかし、こんなおっさんは何処にでもいたし、これからもいなくなることはない。政治家としては、頓馬としかいいようがないが、政治的な足場から、俺はこのおっさんの人権意識の未熟さを糾弾したり、「西欧では即辞任だ」とか「人間として恥ずかしい」とか言うつもりはない。同時に、「子供が生めるような環境や経済基盤が失われていることが問題だ」とも言う気にならない。確かに、女性を子供を生む機械(すごい比喩だね)であるといったような「前近代的な発想は恥ずかしい」ことだし、人権意識の未成熟は「国際社会の恥辱」である。そういうことは誰にでも言えるが、言えることと、本当にそれを骨の髄まで染み込ませているかは別なことだ。しかし、もし、少子化問題ということを、「子供を増やす」ことで解決できるという前提に立ってかような正論を言っているとするならばそれこそ、おかど違いではないかと、俺は思っている。どうして、少子化が問題なのか。日本の社会ということに関して言うのなら、少子化→子どもを増やす→解決というような前提はそもそも倒立した議論であると俺は思う。しかし、このように考えている人は多い。少子化の原因は、経済的な要因や労働環境だけで説明できるような簡単な話ではないことだけは確かである。どんな経済的貧困や劣悪な労働環境下にある地域でも人口増加は起こるし、その逆もまた起こりうる。その因果を合理的に説明できる知性を人間はまだもちあわせていない。いや、それは論理を超えたまだ見えない自然の過程なのかもしれない。だから、「政治的な課題」として少子化問題というものを考えるのならば、人口が減少する段階に入った社会にもっとも適切な社会システムとはどのようなものになるのかというイメージを作り上げることだろう。ある意味で、それこそヒューマンサイズを取り戻す絶好の機会かもしれない。政治家ならば、人口が減ったっていいじゃないかという論を誰か言えないものかと思う。ヒューマンサイズになって、以前よりは活力が失われたように見える社会は、大きくて、速くて、強いことがいいことだという価値観とは異なった価値観が必要になる。それが成熟ということだろう。もちろん、成熟した社会の中でも、あの、柳沢大臣のような素っ頓狂なおっさんはいるけれど。
2007.01.30
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ラジオカフェで会議の後、新宿の夜の雑踏を歩く。急ぎのメールをしなければならず、どこか腰を落ち着けられる喫茶店を探していたのである。学生時代は、高田馬場からよくこの街へ繰り出したものである。仕事を始めたのが渋谷道玄坂ということもあって、以後、飲み歩くといえばいつも渋谷で行き着けは、細長く伸びたニッカ(だったよな、確か)のバー、ブリック。カフェは、ライオン。飯は鉄板のたるやと決まっていた。たるやの婆あは元気でやっているんだろうか。ムルギーのカレーは今も健在か?決まった場所には、いつも決まった顔があった。新宿は際限の無い街といった趣で俺には居場所が無いと感じられた。それで、何となく敬遠していたのである。でも、ここには末広亭がある。どうしたって、末広亭には未練が残る。だから、この街から完全に遠ざかるわけにはいかなかったのだ。それでも、何十年ぶりかで歩く新宿の街は、やはり俺には大きすぎる街であり、とげとげしい雰囲気があっていつもどこかで拒まれている感じがする。末広亭を過ぎて四谷方面にあるけば街の雰囲気はがらりと変わる。その変わり目にラジオカフェの入居したビルがある。地下鉄新宿御苑前から至近の好位置である。早春には御苑の桃の花が香るらしい。『マネー革命』(NHKライブラリー)を読んでいると、一瞬にして五十億円失ったビクター・ニーダーホッファーの話や一日で千二百億円儲けたというジョージ・ソロスのインタビューに出くわす。一九七一年のニクソンショック以来、世界の通過は、それまでの金との互換というよりどころをなくして果てしの無い相対化に晒されることになる。変動相場制である。それに目をつけて金融情報のネットワークに参入したのがロイターである。この会社は、もともとはフランスとドイツの間の通信網の不足を背景に伝書鳩で情報の配信をすることを業務として立ち上がった会社である。俺には大きすぎる新宿の街を歩いていて、今、世界を席巻している投機経済のことが頭に浮かんできたのである。新宿の街は、いま人間が住めるところではなくなっている。人間が住めるサイズというものを、遥かに凌駕して成長し続けているように見える。ヒューマン・サイズというものから逸脱しているのである。それは、マネーに関しても同じである。人間が一生かかっても浪費し尽せないような巨額の金を個人のディーラーがコンピュータ端末によって動かしている。人間は利便性を追及してテクノロジーを発展させてきた。テクノロジーというものに俺は楽観的になることはできないが、この発展が止むことはないことだけは確からしく思える。テクノロジーはヒューマン・サイズを拡大しようと目論んで、いつの間にかそれを追い越してしまったのである。畢竟するところ、テクノロジーとは人間が取り扱える空間を何処までも巨大化し、あるいは、人間が数えられる個数をどこまでも細分化してゆくことをしている。記号化した金ならどんな巨額なものでも扱うことができる。記号化した人間なら、どれほど多くのものとも交信することができる。しかし、そのことによってたとえば世界中の人間が汗をかきながら集めた金をアメリカに一挙に還流させるというような国家的な戦略といったようながさつなロジック以外に、どんな意味があるのだろうかと思う。何の意味も無いさ、と抜け殻のようなニーダーホッファーの顔が告げているように見える。でも、他に意味のあることなんかあるのかいとも言っているようにも見える。このおっさん、あれからどうしただろうか。
2007.01.29
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昨日ご案内いたしました、ラジオカフェで、関川夏央・内田樹・神田茜の鼎談音源を聞くことができないとのご指摘がありましたが、当方の手違いで、DRMという規制をかけてしまっておりました。本日より、誰でもお聞きいただけるようになりました(たぶん)ので、お詫びいたしますとともに、告知いたします。件の鼎談は、下記URLの試聴音源のところにあります。http://www.radio-cafe.co.jp(写真は、関川夏央さんを東京ファイティングキッズが囲むの図。ウチダくんのポーズがおちゃめ)
2007.01.28
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(写真は、うれしい上野茂都さんとのツーショット!)くたびれた団塊コンサルタント三人が、昨年の今頃「蕎麦屋の隅で、荷物を置いてとろろな気分@上野茂都」で企画したのがラジオカフェであった。まさか、蕎麦屋ネタがビジネスになるとは思わなかったが話は転々右中間に転がって、とうとう、本格的な会社設立に至る。ヒラカワにとっては十二足目の草鞋である。百足じゃないんだから、いい加減にしろと自分に言い聞かせているのだが、このプロジェクトばかりは外せない。生きているうちに、その謦咳に触れてみたいと思っている方が誰にでも何人かいるだろう。それを「声」のかたちで残しておきたい。声には物語があり、人の体温がある。それが、ラジオカフェという会社の思いである。本日、鬱蒼とした樹林(でもないか)に夕闇迫る新宿御苑前のラジオカフェ本社において、ラジオカフェ総決起集会が開催された。俺は興奮しちゃったよ。何せ揃った顔が豪華である。末広亭の出囃子筋からは今が旬の真打勢。柳家小ゑんさん、三遊亭遊雀さん。残念ながらわが師匠の柳家喜多八さんは、急用で欠席の報。(宴も終わって片付けに入る頃、名車、ベンツ自転車で駆けつけてくれた。師匠!)物書き筋は、『花は志ん朝』の大友浩さん。ご存知、作家 関川夏央さん。ラジオカフェ縁の詩人 小池昌代さん。せつない講釈師 神田茜さん。そして驚愕の飛び入りとなったのは三味線師にして彫刻家のあの上野茂都さん。もちろん、関西方面からはウチダくん。140Bの面々。江さん、中嶋社長、青山さん。武蔵小山の席亭、石川くん。四月よりメディアライツのご協力で、ラジオ関西で始まる『ラジオカフェで逢いましょう』の番組アシスタントの美女連。落語レーベルワザオギの社長と、デーブ川崎さん。その他多士済々。もう、この空気を吸っているだけでなんとなく、五十肩も癒される幸せ。この総決起集会の模様は、ヒラカワお気に入りのフォトグラファー、花井智子氏のスナップフォトにして、近々にラジオカフェのティザー・サイトにてご紹介する予定である。一度是非、そちらへ遊びにいらしてください。http://www.radio-cafe.co.jpこちらで、ラジオカフェ本格オープンの九月まで、様々な情報が発信されます。第一回ラジオカフェ寄席は、限定三十名の予約で五月開催。詳細は上記サイトで追ってご連絡致します。いや、失礼、なんかコマーシャルっぽいね。いや、もろ、コマーシャルなんです。みなさん、どうかご贔屓に。
2007.01.26
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このところ体調がよかったので飛ばしていたのであるが、先日朝起きたら、右肩がまったく動かない。しかも、ちょっと動かすと激痛が走る。これがあの、五十肩か。しかし、痛いですなこれは。で、右肩をかばいながら、キーボードを叩いていたら今度は、腹が攣って、自分の身体がコントロール不能に陥り何がなんだかわからなくなる。体中の筋肉のバランスが崩れているのである。しかし、人間の身体とは、微妙なバランスの上で平衡を保っているものであると、痛い腹をさぐりながら、感心している。痛くも無い腹を探られるというのはあるが、痛い腹を自分でさすっていれば世話は無いわけである。で、昨晩は、会社に旧友森田君とアゲインの石川くんが訪ねてこられた。森田君とは、小学校のときからの着かず離れずの関係であるが、彼は小学校のときにすでにおやじの風格を持っていて秋葉原によく出入りしており、ユーコンの飛行機を作ったり、ラジオをつくったりハム(無線)をやったりしていた。いまはパソコンと自家製のハムをつくっている。そういった優秀な理科系人間の彼は、その後日比谷高校に入り今は、某中堅の建設会社の社員である。小学校のときのおやじ顔は、四十年を経てもあまり変わらず、なるほど、流行らない歌は、すたれないというのが、上野茂都さんの名言だがふけ顔は、ふけないということをつくづく思い知らされる。森田君は自己主張ということをほとんどしない。ただ、寡黙に恬淡と日々を繋ぐ人生を送っておられる。きょうび、やたらと前へ前へと自己主張をしたがる人間ばかりが目立つなかで(お前がそうだろうってか)かれの生き方は、苦節を経たものにしか出ない煮汁が出ていて深い味を感じさせてくれる。人生に大切なのは、この煮汁である。石川くんを車で銀座まで送って、自由が丘まで、上野茂都を聞きながらドライブし腹が減ったので「ひとり焼肉」をしにいく。どうしても、焼肉が食いたくなったのである。五十肩には焼肉である。網の上でジュージュー音を立てて熱さをこらえているカルビ。ナムルを掻き混ぜていると、網の上で、焦げた葱が跳ねる。塩をもみこまれた牛タンとしんみりと対話をしながらの「ひとり焼肉」は、風情はあるが味はしない。
2007.01.24
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このところ、毎日毎日、上野茂都ばかり聞いている。俺にしては大変に珍しいことである。しかし、一度聞いたら頭の中に音が棲みついてしまった。歩いているときも、バスに揺られているときも、仕事をしているときも、飯を食っているときも、一服しているときも、糞しているときも、寝ているときも。気がつくとそれぞれの ワルツを 踊ろうよと鼻で、歌っているのである。それが「煮込みワルツ」である。三味線と、チェロと、鳴り物と、喇叭とピアノのアンサンプルが、なつかしい音を奏る。(たぶん)歌声は、ひとりの酔っ払いが街道辻を歌いながら通っていく風情である。なによりも、歌詞が泣かせる。最近読んだ、どんな現代詩よりも、味わい深くて、後味がよい。煮汁が出ているからね。 つみれの花の咲くころに うづらうづらと まどろめば ちくわの友の夢を見る 空にがんもどきの 群れ遠く ふやけてはんぺん 雲になれ ちぎれてこんにゃく 石になれ ながれてしらたき 風になれ 輝いてぎんなん 星になれすがれた場末の一角にあるいつもはストリップ小屋の即席ライブハウスで観客は多くても二十名。暖房が無いので、みんなコートの襟をたてたまま壊れかけたいすに沈み込んで聞いている。そとはつむじ風が舞っていて舞台の上には疲れた中年の楽団のジンタ。どこの誰だか誰も知らない観客の中で俺もひとりの匿名の客となって、一度も聞いたことのないようなそれでいてなつかしいような音の世界の中で煮込んだおでんの具のように体が半分溶け出している。そんな気分なのである。
2007.01.22
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ジョエル・ベイカンの『ザ・コーポレーション』によると、株式会社が生まれたのは、十七世紀後半のイギリスである。当時は、起業家たちが元手を出し合って事業をおこなうパートナーシップ制が一般的な事業形態であった。そこに資本と経営が分離した株式会社というシステムが生まれる。株取引の中心であったロンドンの仲買人たちは、そこに一攫千金の夢を見たのである。インチキ企業の株を売りつける投資家を探してその金を巻き上げるのである。当初は、株式会社は、このような投機的な舞台に利用され、イギリスでは腐敗と醜聞の温床になるとの理由で、株式会社は禁止されることになる。株式会社はその後、復活するのだが、この発生当時のあやうさは、現代においても消滅してはいないように思える。最近の不二家の事件や、雪印乳業、三菱自動車工業などの不祥事に関する報道を見ていると、概ね経営陣の倫理観の欠如ということが指弾の対象となっているようだ。私は少し違う見方をしている。かれらは、日常の生活においてはおそらくは立派な紳士であり、家庭においても優しく、頼りがいのある父親であるだろう。かれらに、倫理観が欠如しているとすれば、同じ程度に、かれらを指弾するマスコミも評論家も倫理観は欠如していると言ったほうが良いだろう。これらの企業の不祥事は、経営者の個性には還元できないものが含まれていると考えなければ、私たちはこれを克服することは永遠にできないように思える。では、どこにその原因を求めたらよいのか。もちろん、世の中には怠慢な経営者もいれば、日々研鑽を重ねている思慮深い立派な経営者もいる。だから、経営者に問題がないとはいえない。しかし、私には、株式会社というシステム自体が、その原因を内包しているという考え方を導入しないと、この種の不祥事は解明することができないと考えている。かれら経営者は、会社を存続、発展させるために、出来得る限りの手段と方法を駆使して、日々努力に努力を重ねていたはずである。その結果として、かれらが選んだひとつの方法が、原材料費のコストダウンであり、期限切れ在庫の償却であり、下請け企業への外注費カットであった。結果として、商品に欠陥が出るリスクはあるが、そのリスクを犯しても、かれらにはこの方法を選ばせる理由があったのである。もし、倫理観というものを、禁欲的に仕事を遂行するというところに求めるならば、私情を排して、ミッションに忠実であったかれらは十分に倫理的であったとさえ言える。世の中の経営者すべてが、法を犯してまでのコストカットをするかどうかは別にして、必ずぎりぎりまでコストを抑えようと努力をしているに違いない。その理由はもちろん、利益を確保しなければならないという企業にとっての至上命令があるからである。では、その命令を出しているのは誰か。ここに、経営と資本を分離することで誕生した、株式会社というシステムの強さも危うさもあるのである。利益確保の至上命令を出しているのは、原理的には株式会社の所有者である株主である。では、株主とは何か。もちろん、個々を見れば様々な人間模様が見えてくるだろうが、原理的に言えば純粋に株価が上がることだけを期待している人間である。株主は、本来的には製品の質とか、企業文化には興味がない。銘柄とは、賭け金が上がるか、下がるかだけの記号的な対象でしかないのである。そして、かれらに雇われているのが経営者である。 経営者の倫理観とは、会社の倫理であり、それはとりもなおさず、株主利益を最大化するという命令を忠実に実行するということである。所有と経営が分離された株式会社というシステムにおいては、株主は企業が倫理的であるかどうかについては、本来的には興味がなく、経営者も従業員も、自己の倫理とは別に、株主の利益に忠実であるという経済合理的な行動をいつも余儀なくされているように見える。つまり、株式会社というものを、株主主権という形で捉えている限りは、所有と経営が分離した瞬間に、倫理観もまた分断されるのである。ここまでのロジックには、しかし重要な瑕疵が含まれている。それは、会社というものが存続し得なければ、株主利益というものもまた存在しないということである。このあたりまえの事実を見逃すのは、現在の社会が時間の効果というものをほとんどないがしろにしてきたからだと俺は思っている。将来の倒産という事態と、現在の株価利益を計りにかけたとき、時間の概念がなければ、だれでも現在の利益を優先させることになる。アメリカン・グローバリズムの顕著な特徴のひとつは、会社の価値というものを、ネット・プレゼント・バリューという物差しで計ることである。ネット・プレゼント・バリューとは、会社の現在価値であり、その中には、会社の信用、社員のロイヤリティー、組織の団結力といった見えない資産は含まれていない。ただ、現在の資産価値と、将来生み出すであろうキャッシュフローを現在に割り引いて合計した数値だけで、会社の価値というものを判断する。それは、株価や、会社を売り買いする投資サイドが便宜的に考え出したシステムに過ぎない。将来生み出すお金といえば、一見時間の概念が含まれているように見えるが実は、そこにあるのは現在のビジネスを飴のように引き伸ばしただけの時間でしかない。本当の時間の意味は、見えない資産の効果というものは、時間を経なければ確認することができないということを知ることだろうと俺は思う。そして、この見えない資産の効果を将来に向けてつなぎ合わせてゆくことが、会社経営のもうひとつのあり方であるはずである。倫理というものが分断されているとすれば、これをつなぎ合わせる作業を誰かがやらなければならない。それをすべて、経営者におしつけて事足りるという話ではないのである。
2007.01.20
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昨日アクセス急増と書いたが、今日も止まらない。昨日と今日は、5000アクセスを前後。これって、炎上ってやつ? 違うか。じゃ、円丈。(国立の文七元結お聞きしたかったです、師匠)どうも、朝日に書いた記事があちこちで言及されたり、引用されているようである。支持のメールや、怒りの手紙なども届きだした。俺にとっては、ポリティカルな発言も、哲学的な考察も、あるいは駄犬まるの観察も、等しく自分で考える楽しみを記述しているだけなので、そこに特別な信条、思想があるわけではないのである。いや、そのような信憑の言葉というものから、出来得る限り隔たっていたいと言うのが本音のところである。憲法に関して発言して、匿名で「この糞、馬鹿、死ね」と言われても、書いたことは、俺がそのように思ったということを記述しただけであり、どこぞの党派綱領や上司の命令に従ったわけではないので俺がそのように思わなくなるまでは曲がりようがない。こっちのブログにいらしていただければ、お分かりだろうが考えている内容は相も変わらず、面白くも無い(だろう)身辺雑記と、論拠のはっきりしない、うだうだとした世相観察である。お付き合いいただいている方には、心よりお礼申し上げたい。さて、以前にも書いたことがあるが、皆が上がると思っているから、株価は上がる。ケインズを読むと面白いことが書いてある。(これも書いたね)株価を美人投票のアナロジーで語った部分である。うろ覚えなのだが、確かこんな記述だった。上位に投票した人には賞金がもらえるというシステムで投票を行うと、素人は自分が美人だと思った女性に投票する。この人は賞金が貰えない。プロは、自分が美人だと思った女性には投票しない。皆が美人だと思うだろう人に投票する。さらに、上手のプロは皆が美人だと思うだろう人に投票するひとが誰に投票するかを考えて投票する。さらに・・・。この趨行性には、終わりがない。その結果選ばれた女性は、美人ではなく、他者が誰を美人だと思っているのかという他者の標準であり、さらには、他者の標準が誰を選ぶかという行動性向の標準であり、さらには、他者の行動性向の標準をもう一人の他者がどう考えるかの標準であり・・・。このメタ標準の無限の次数の繰り上がりの中ではもはや、美人とはただの記号に過ぎず、誰がその記号にアクセスしているかだけが重要なことになる。これを別の言葉で言えばデファクト・スタンダード(=事実上の標準)という。俺たちが住んでいる現代は、この怪しげな中心喪失の世界である。グーグルという検索エンジンが大はやりなのも、これに関連していると思う。ひとつのキーワードに対して、それを含むトピックはいくらでも数え上げることができる。検索エンジンは、原則的にはそのうちのアクセスした数の多かった順にトピックを表示する。そうなると、次回からはこのトピックがアクセスされる優先権を持ってしまう。皆が見たいと思っている記事をデータベースが並べるのである。テレビや新聞の報道にしてもそれは言えるかもしれない。「皆がこうだろうと思っていることを報道する」というわけである。では、真実はないのかといえば、無いことは無い。それはたぶん、真実と言われうるような、確乎とした不動の事実というものは存在しないということだけである。ひとつの事柄をめぐって、百人が様々に発言したとすれば、その全てが事実というものを構成しているわけであり、ひとつだけを切り取ってこれが事実だということは言えない。それが、現実と言うものである。憲法の現実とは、護憲、改憲をめぐって、国論が二分しているということであり、どちらの論にも、決定的な根拠というものがないということである。その事実がまた国論を二分させる根拠にもなっているわけである。俺が言いたかったのはここまでである。曲解された方が多いようだが、俺は護憲の論陣を張りたかった分けではない。(無茶なロジックを使う改憲政治家は攻撃したけどさ)では、そのような現実の中で、個人はどのように行動すべきか。勿論、その正しい答えはない。正しい答えはないが、もし、いくつかある選択肢というものを冷静に比較考量できる眺めのいい場所といったものがあるとするなら、俺はその場所に立っていたいと思っているだけである。その場所は、所謂護憲派という党派の中にもないし、改憲派の中にもない。どうやったら、この党派性から逃れられるかということがまずあってしかるべきだ。あとは、自分で考えろってことである。
2007.01.18
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なんだかこのところ急にブログのアクセスが増えている。朝日新聞に書いたからかな。毎日、2000を超えるアクセスになっている。本日は3000を越えるだろう。まあ、読んでくれる人が増えるのは、ありがたいことである。大阪の荒木さんから、小冊子『新菜箸本撰』(しんさいばしほんえらみ)が送られてきた。毎度美しい装丁と色使いに気持ちが暖かくなるような仕事を感じる冊子である。今回は、第三号ということだが、大阪の趣味人ネットワークの中心で異才を放った森田乙三洞を取り上げて、その逸話を紹介してくれている。そこに登場する画家や文人たちの風貌とあいまって、この森田乙三洞という人物と、かれが開いた書店が醸している空気がなつかしくもあり、今の時代のその不在が物悲しくもある。『新菜箸本撰』のようなヒューマンサイズかつ非効率的なメッセージの伝達を何処かで誰かがやっている。荒木さんには、お礼を申し上げたい。もう一冊。本願寺出版の「魔性のおんな」編集者、藤本さんが送ってくれた『千の風(大切な人を失ったあなたへ)』は、分かりやすい言葉で「無常」を教えてくれる法話である。俺とうちだくんが参与なるものをやっている、大阪の異能編集集団140Bがお手伝いさせていただいたものでもあり、愛着のある冊子でもある。文中、迦陵頻伽(かりょうびんが)という言葉が出てくる。迦陵頻伽とは極楽浄土で鳴いている鳥のことだが、車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』で、ヒロインのアヤさんの背中に彫られた刺青でもある。いぜん、このブログで、この小説についてこんなことを書いた。上昇志向というものがあるとすれば、同時に人間には下降志向というものもある。下降志向はリスキーである。深淵に入り込んでしまえば這い上がることが出来なくなる。どこかで、人間は引き返してしまう。その引き返しどころで僥倖を拾ったりするやつもいれば、回復できない深手を負うやつもいる。どちらにしても、それは「未遂」の下降旅である。ひとは似非落魄者たらざるを得ない。小説の中でなら似非落魄者であっても、深淵を覗き見ることができる。もし、幸運にして下降志向の何たるかを書ききる作家に出会えればの話しだが。その下降志向の源淵を描ききった小説が「古代の少年がいまの世に生き返った」私と、「男の腐れ金玉が勝手に歌歌い出すほどの器量よし」のアヤさんの物語である。『千の風(大切な人を失ったあなたへ)』には、このようなドロドロしたお話は出てこない。出てはこないが、平静でやさしい語り口で綴られる慰めの言葉の切れ目からは同じような深淵が覗き見える。走ってばかりいる俺にとっては、立ち止まって考えてみるよい機縁をあたえてくれる。藤本さんに、お礼もうしあげたい。さて、もうひとつ。最近、はまりにはまっている音楽がある。こんど、武蔵小山でアゲインという音と落語の定席を主催する石川くんから回ってきた音である。歌っているのは、上野茂都。イラストを書いている人らしいが俺はこの人については何もしらない。ただ、この人の「炊事節」「煮込みワルツ」を聴いて体が溶け出すのを感じた。特に、「煮込みワルツ」は、聴いているだけで路地裏に遊んだ昔日の気持ちが帰ってくる。いいよ。すごくいい。これまで何度も聞いてきた音であるが、誰も奏でてこなかった音である。でも、知らないよね、ほとんど誰も。アゲインに行って、石川くんに聞くしかないだろう。
2007.01.17
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昨晩は、田町の大学インキュベーションセンターで立教大学大学院の講師。大学院というものが、いかに「現場」で役に立たないか、実践的な「知性」とはどのようなものなのか、社長という商売は、いかに楽しいかなどについて二時間たっぷりとお話させていただく。もちろん、睡眠誘発ソフトであるパワーポイントは使わない。ケーシー高峰師匠に学んだ、黒板にチョーク。ビジネスの講義の場合、大学院で教えるのは、ケーススタディだったり、資金調達ノウハウだったり、リスクヘッジだったり、ポジショニング戦略だったりする。何だ、役に立つじゃないかと思われるかもしれない。俺は、この手の授業を見ると、いつも競馬の予想屋という職業を思い出す。競馬の予想屋とは、次のレースではこの馬がくる、こう買えばかならず儲かると客に教える商売である。今はどうか知らないが、俺が現役だったころの、渋谷の場外馬券売り場の中庭には野球帽をかぶって、みかん箱の上に立ち、声を張り上げ、赤鉛筆を振り回しているおっさんがいたものである。もう、お分かりだろうが、このおっさんは、自らの予想を自分で信じてはいない。もし、それが確実な予想であれば、それを人に教えることは、そのままオッズを上げることに他ならないからである。(つまり配当は低くなるってことね)誰にも秘密にしておいて、自分で買うのが予想屋のおっさんのもっとも合理的な選択であるはずである。つまり、経済合理性から言えば、競馬の予想屋という職業は有り得ないことになる。このおっさんの言うことが、でまかせであることはかれの儲かっていそうにない風体を見れば分かりそうなものだが、それでも、いつもかれのまわりには人垣ができていた。ビジネスにおいて確実なことは、確実な未来というものは無いということだけである。確実な未来が無いとすれば、蓋然性に賭けるしかない。ということで、成功した事例、マーケット状況を徹底的に調査分析する。予想屋のおっさんも、実はこれと同じことをしている。血統、戦歴、馬体、騎手、調教でのタイムなど調べられうる限りの情報をもとに、分析を試みる。それでも、レースは当たらない。だから、競馬においては強い馬が勝つのではなく、勝った馬が強いのだ、といった格言が生きるのである。かくて、おっさんも、人垣に並んだ客も一様に有り金を失って、おけら街道をうなだれて帰ることになる。では、損をしなかったものはいないのかといえば、いないことはない。ひとりは、馬券を買わなかったものであり、もうひとりは、ファンとして賭け金を、好きな馬に置いたものである。前者は、最初からこの競馬を賭け事としてではなく、馬が走る躍動美だとか、騎手が見せる芸術的な手綱さばきとか競争そのものの楽しさといったものに興味があった。つまり賭け事の文脈で競馬に参加していなかったものである。後者の方は、賭け事には参加したのだが、その賭け事自体が楽しみであり、それでいくら儲かるのかといったことは、二の次の問題であるようなものである。両者に共通するのは、未来の配当に期待していないということである。かれの賭け金は、競馬そのものを楽しむためのコストであって、配当は、お目当ての一頭が馬群を抜け出すか、あるいはそこに沈むかといった息詰まる瞬間に自分が参加できているという愉悦である。俺もむかし、イシノヒカルというどん尻強襲の名馬の追っかけだったことがある。暮れの有馬記念には、一儲けさせていただいた。その金は、後のレースですべて失ったが彼と一緒に味わった、ラストスパートの痺れるような快感はいまでも思い出すことができる。競馬においても、ビジネスにおいても確実な未来はないけれども、現在の姿を注意深く観察してみれば、確実なものはいくらでも、見つかるはずである。
2007.01.16
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なんか殺伐としている。妹殺し、夫殺し、バラバラ殺人。おそらく、そこにいたるまでには、さまざまな逃げ道、選択肢があったはずなのに、悪魔に魅入られたように、最悪のシナリオにそって行動してしまう。彼らが特に異常な性格の持ち主だったということはないだろう。複雑な家庭環境、青年期の挫折、子供のころの文集の文章。その中に、犯罪に結びつく因子があるはずだ。いまだに、(ていうか、あいもかわらず)そのようなコメントがあるが、(ていうか、ほとんどそうだな)そのようなコメンテーターは、自分がたまたま、修羅場に遭遇していないか、修羅場に至る前の段階で自己保身本能で引き返したという幸運を拾ったに過ぎないということを忘れている。だからといって、かれら、お気楽なコメンテータの自己保身術は、称揚されても非難される筋合いのものではない。臆病であること、外界の異変に敏であること、自分の日常性を踏み外さないことは生物学的な生存戦略としては、合理的なことであるからだ。しかし、それを他人にも適応できると考えることは間違っている。もし、かれらが、このような事件を少しでも減らしたいと思うなら(実際は、その逆のようにも思えるのだが)犯人の遺伝子の中を覗き見するよりは、自分の精神の中をもう一度見つめなおすべきだ。本意ではない保証人になって、にっちもさっちもいかなくなり自殺にまで追い込まれるといった例はいくらでもある。かれらは、徳政令が発布することを望むか、あるいは債権者に対して殺意を持つかもしれない。恋愛においてさえ、人は自らの意思を踏み外して法律侵犯や殺意といったものに囚われることもある。それが、機縁というものだろう。人間というものは時に、どうしても自らの戦略上のフィールドの外へ踏み出さなければならないような事態に、自らの意思とは無関係に遭遇してしまうことがあるということだ。それは、人間は自分ひとりで生きているわけではなく、他者、あるいは社会との関係に規定されるように生きているからである。いや、自分自身の中にさえ、人間は他者を飼っていると思ったほうがよい。なんで、あんなことをしでかしてしまったのだろうと思った経験はだれにでもあるはずである。法の一線を越えて犯罪者になるのか、あるいは呪詛を内に溜め込んで精神を軋ませるだけで終わるのかということの間の溝は人が思うほど深いものではない。人間の欲望とは一個の他者である。半ばは自分が醸成するが、半ばは他者がこれを作り出している。この欲望を亢進しようとするのも、制御しようとするのも、またもうひとつの別の欲望に過ぎないだろう。機縁とは何か。今風に言うなら、フレームワークといってもよいかもしれない。人間はひとつのフレームワークの中にいるとき、そのフレームが作った言葉で思考し、そのフレームが作った価値観でものごとを判断している。そのとき、そのフレーム自体は見えてはいないのである。見えてはいないが、人は欲望の赴くところによって、自分でも知らないうちにそのフレームワークの外へ出てしまうことがある。平和な家庭、仲の良い夫婦というのは、世間が作り上げたひとつのフレームワークである。ひとりになって、自らの内にある欲望と対話している場所は、このフレームが消失している場所であるだろう。かれにとって、平和な家庭こそが敵であり、仲の良い夫婦に割って入ってこれを破壊し尽くしたいと思うことの方が自然なのだ。この、世間のフレームワークの外側にも、言葉があり、思考がある。もし、この種の犯罪が、有意に増加しているとするのなら、それは、このフレームワークの外側にある、言葉や思考がやせ細っているということだと思う。それは、経済合理性や、テクノロジーでは鍛えることのできない部分であり、俺たちの時代が、ないがしろにしてきたもの、文学や、哲学の言葉に他ならないと俺は思っている。
2007.01.15
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なんか、西のほうでウチダくんがぷるぷると怒っているらしい。しかし、ウチダくんとはどうして、こうものを考えるタイミングが一致ししゃうんだろうか。俺も、丁度先日、同じようなことを書いたばかりなのである。ひとつは、現在書き下ろしている『株式会社という病』に書いたこと。こんなふうにね。「もの言う株主として、敵対的な株式買収で名を馳せ、証券取引法違反の疑いで逮捕されることになった村上ファンドの村上世彰氏は、逮捕直前の記者会見で、「皆さん、お金儲けは悪いことですか」と叫んでいた。ここにひとつの現代の特徴が現れている。私の記憶違いでなければ、会見ではその後、記者が小さな声で「いや別に悪くはないですけれど」と言っていた。これに対して私ならこう答える。「お金儲けは悪いことじゃない。しかし、お金儲けは悪いことですかと私に聞くのは良いことではない。それは問いではなく、自らの行為を正当化したいだけのエクスキューズであり、同時にお前だってお金儲けはしたいんじゃないのかという恫喝でしかないからである。」誰だってお金儲けはしたい。しかし、そのことと、それを公言してお金儲けこそが正義だと思うこととは決定的に違う。かれは自分がお金を儲けすぎたから、やっかみによって足をすくわれたと思いたがっているが実際はそうではない。ひとは自らの才覚と努力によってどんなにお金儲けしようが、賞賛されこそすれ嫌悪とやっかみの対象になることはない。法の範囲の中でフェアな取り引きをしていれば、あらぬ嫌疑を受けることもまたないだろう。札びらの威力によって、ひとの触れてはいけない部分を蹂躙したときに、ひとはかれを憎悪するのである。「触れてはいけない部分」とは微妙な言い方であるが、判りやすく言えば本来商品でないものを、お金のちからによって売り買いするということである。お金とは本来、商品の前では万能であるが、もともと商品ではない人間の精神的な領域、つまりは義理や人情、友愛や意地の前では無力であるべきなのだ。」もうひとつは、来週の水曜日掲載予定のビジネスアイに書いた原稿。それは、こんなことね。ちょっと、フライングだけど。(芳賀さんに怒られるかな)「七十年代から八十年代にかけて、都会には、これぞ「あいだ」と思わせる喫茶店があちこちにあった。渋谷には「名曲喫茶ライオン」と「らんぶる」、新宿には「スカラ座」、高田の馬場に行けば「あらえびす」、神田には「ショパン」、荻窪には「みゅすか」といった具合である。そのドアを開けると、モーツアルトやショパンの名曲が程よいボリュームで流れており、床は板ばりで、テーブルとテーブルの間には十分なスペースがあった。客はたいてい本を読むか、居眠りをしている。間違っても、そこで仕事の伝票を広げたり、競馬新聞に赤鉛筆で印をつけているような客はいなかった。学生は下宿を出て、大学に向かう「あいだ」にこの「喫茶店」に入り浸り、サラリーマンは仕事と仕事の「あいだ」にここに避難してきた。テーブルに就いて紫煙をくゆらせている面々の顔つきには一様に、説明できない不思議な表情が浮かんでいた。あれは何だったのだろうか。オンとオフというのとも少し違う。人間は、会社や家庭、学校や、役所に属することで自分と自分の家族を養っている。オフになるのは勿論自分の家のソファやベッドの上である。喫茶店は、あえて言えばオンとオフのあいだにある避難場所であり、アジール=逃れの町であった。ひとは、そのアジールに逃げ込むことで、仕事場でも家庭でも見つけることのできない何かを回復していたのかも知れない。不思議な顔とは自分が自分と対話しているときに浮かべる表情だったのかも知れない。テレビに「二十四時間働けますか」という栄養ドリンクのコマーシャルが流れてきたのはそれからほどなくしてからだった。そして街からポツリポツリと喫茶店が姿を消していった。」で、どこがウチダくんとシンクロしているのかと言うと、前段の「お前だってお金儲けはしたいんじゃないのかという恫喝でしかない」というところと、後段の「喫茶店は、あえて言えばオンとオフのあいだにある避難場所であり、アジール=逃れの町であった。ひとは、そのアジールに逃げ込むことで、仕事場でも家庭でも見つけることのできない何かを回復していたのかも知れない。」というところ。てことは、俺もこのところ、ぷるぷると怒っているということだ。爺の怒りを甘く見ちゃいけねぇよ。若いの。
2007.01.12
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年が明けて、なんだか、ばたばた忙しい。会社をひとつ作っているからである。ラジオカフェである。深夜にラジオから流れてくる音は、無宗教の俺にとって、俗世の福音のように染みるのである。聞いていて面白そうだと思うと、どうしてもやってみたくなる。それで、数々の辛酸をなめてきたのであるが、今度ばかりは後がない。オフィスの一角を使って、今月から、空手教室もやることになった。これは、元々やりたかったことなので、楽しみなのであるが、それだけまた、時間を奪われることになる。あとさきを考えないのは、もって生まれたお調子者の性である。そんなこんなで、サンケイビジネスアイのお仕事は、一月一杯で当分お休みをさせていただくことにした。来週の分はすでに書いているので、あと三本である。毎週一本は、何社にも足を突っ込んで東奔西走している身には時間的にハードなのである。後任は、友人の阿部くんが書くことになっている。学生時代より、半身を文学に浸し、半身を教育系の出版社に置いて口を糊してきた男で、そのバイタリティーと博覧強記を何に使うのかと思っていたのだが、いつの間にか、その大手教育出版社の社長になっていたという男である。何より、俺がかれが何を書くのかを楽しみにしているのである。阿部くん、バトンタッチしたからね。ここのところ、時間が空けば、ビジネス論を書いている。NTT出版の牧野くんにも、おだてられたり、脅迫されたりで、オブリゲーションを感じて、おちおち遊んでばかりはいられない。昨年は、やらねばと思う気持ちばかりが空回りして、なかなか筆をとる気持ちになれなかったのでついつい、連日の寄席通いになってしまった。正月に、目黒のルノアールにこもってやるぞと思って勇躍出かけたがルノアールは固く門を閉ざしていた。仕方がないので、自宅にこもって書きに書いた。百五十枚。そうしたら、もう書くことがなくなってしまった。あと百五十枚書かなくてはならないのだが、これからが大変なのである。内容はどうかって?そりゃ、薄味に決まってるじゃないか。ただ、まだ三ヶ月あるので、ほっぽらかしておいても、味は煮詰まってくるので、心配はしていない。他にもまだまだやらなければならないことがたくさんある。しかし、まだ酒が抜けないのと、耄碌とで思い出すことができない。そうして、ある時突然、頭上から「あのときのあれ、どうなりました」とかダブルブッキングしてるじゃないかと、宣告されて腰を抜かすのである。
2007.01.10
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フジサンケイ・ビジネスアイ掲載文消えた国民的時間―失ってみて分かる価値忘年会の後で、タクシーに乗った。妙にフレンドリーなドライバー氏と年々季節感がなくなるという話をした。かつて師走は、誰もがそわそわと忙しく立ち働いていた。一年の締めくくりということで、何となく切羽詰った感じがあった。今年のことは、今年で終わらせて、新しい年は、まっさらな気持ちで迎えたいと誰もが思っていたからである。だから、年の瀬にはやらねばならぬことがたくさんあった。積み残した仕事の整理、年賀状書き、大掃除、おせち料理の支度。大晦日には、それらを全て片付けて、家族のそれぞれが茶の間の炬燵に集まってくる。最後に炬燵に入るのは決まって、エプロンをはずしながらの母親である。そして、どこの家庭でもNHKの紅白歌合戦を見た。炬燵に入って、蜜柑をむきながら。この光景は、戦後家庭にテレビが入り始めた昭和三十年代から、世の中に二十四時間営業のコンビニエンスストアが出現する昭和五十年頃までの約二十年間続いた。そして、この二十年は、日本が高度成長といわれる経済発展を遂げていく右肩上がりの時代と重なる。まだまだ豊かな時代とはいえなかったが、安定した幸福な時代だった。その、幸福の象徴が、一家団欒、茶の間で見る紅白歌合戦だった。美空ひばり、三橋美智也、島倉千代子、春日八郎。彼らは国民的なアイドルで、誰もが彼らの歌を口ずさんだ経験を共有していた。記憶違い出なければ、視聴率は七十パーセントを超えた。大晦日の晩は、いくらかの例外を除けば、どこの家の窓にも同じ灯がともされ、同じ音が流れ、同じ会話が交わされていたわけである。いま考えてみれば、あの一体感は何だったのだろうかと思う。同時に、日本人が失った国民的な時間の共有というものが、懐かしくもあり、貴重なものにも思えるのである。護送船団方式とか、親方日の丸、終身雇用、年功序列といった、後に批判されることになるビジネス慣習も、この国民的な一体感と無関係には存在しなかっただろう。なぜなら、これらの慣習を支えていたのは、誰もが同じ船に乗っているという共同体意識であり、同時に同じ時間を共有しているものに対する信頼感であったと思えるからである。時代は変わった。何を境に変わったのかは定かではない。ただ、自己責任、自己決定、個人の自由の拡大といった現代の風潮の兆しが、この国民的な時間の共有の終わりに始まったとはいえるだろう。コンビニエンスストアの出現は、生活時間のリズムを、集団のそれから、個人のものへと変えていった。都市化にともなう住宅事情によって、家庭から茶の間が消えた。子供には個室が与えられ、いまや電話もテレビもひとりが占有する時代になったのである。それは、同時に日本人が同じ船から降りて、ひとりひとり別々の船を漕ぎ出したということである。収入の格差が生まれ、成功者と失敗者がくっきりと分別され、会社の同僚は運命を共にするものから、ライバルへと代わっていった。昔はよかったといいたいのではない。誰かが策略を施して、集団を個人へと分断したわけでもない。みんな自分たちが選択してきた結果である。全体としてみれば、生活の水準は、かつてとは比べようもない。ただ、過ぎ越しを振り返って、得たものと失ったものを思い浮かべて見るとき、確かに時代は変化したが、進歩したとは言いたくはない気がするのである。
2007.01.09
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アダム・スミスを読んでいると、世界の全体を捕まえるという気迫のようなものにまず圧倒されてしまう。あまりに、かれの「神の見えざる手」が有名になりすぎたために、市場原理の発見者のように思われているが、そして、それは事実なのであるがあまりに、そこばかりが強調され過ぎるのはかれの本意ではないだろう。それ以上に注目すべきことは、世界を偏見や、予断、利益誘導、不公正といったものからいかにして自由なところに位置付けるかということに向けてあくなき追求をしているということである。「神の見えざる手」は、そのためにスミスが発見した「方法」なのであって、すべてをそれにゆだねよとはかれは何処にも書いていない。考察は多岐にわたっている。分業の発生とその分析からはじまり貨幣の起源、商品、価格、資本、地代、税、植民地経営、国家、公共事業、教育と、およそ地上にあらわれる人間が作り出したもののすべてを視野に入れる。そして、すべてを視野に入れなければならない理由もまたかれが何をしたかったのかということのうちにあったということだろう。驚くのは、それらの考察は今の政治状況の中においても色あせることのない示唆にあふれているということである。彼は市場原理主義の発案者のように思われているが、注意深く読めばそうではないことはすぐにわかる。分業がいかに人間を歪めるかということの危険性に言及し、それゆえ教育の必要性を説き、公共事業の必要性にも多くの紙枚を割いている。彼が『諸国民の富』を書いた時代背景を考えないと、彼が権力による市場への介入や、社会のためにやるだと称して商売をしている徒輩を激しく攻撃した真意はつかめないだろう。そして、かれがその公正さへの追求といったものをどのような方法をもってすれば、もっとも合理的かつ説得的に語りうるのかということを考えた末に採用した戦略が「損得勘定」という人間に普遍的な欲望で世界を裁断するということではなかったかと思うのである。かれの理性によって世界を描き出すという壮大な野心に比べると、アダム・スミスの片言節句から市場原理主義を作り上げたエピゴーネンたちの言葉にはどこかにイデオロギッシュな利益誘導の匂いを感じてしまう。ミルトン・フリードマンは、ノーベル賞を受賞した、現代の市場原理主義の首魁だが、その文体が示す顔つきにはどこか底意を感じてしまうのである。説得力のない言葉を使うなら、フリードマンには、どんなに「理」があっても「愛」がない。分業の分析からはじめられたこの壮大な考想は、重商主義政策を批判し、英国の植民地支配を批判して、次のような感動的な言葉でしめくくられていることを多くの人は省みることがない。アダム・スミスに戻れと御用経済学者は言うかもしれないが、かれの心情の先にまで戻ったためしはないように思える。「いまこそ、わが支配者たちは、国民ばかりか、どうやらみずからもふけってきたこの黄金の夢を実現してみせるか、それができないなら、率先この夢から醒め、国民を覚醒させるよう努めるかすべき秋(とき)である。計画を完遂できないのなら、計画そのものを捨てよ。そして、もし、大英帝国のどの領土にせよ、帝国全体を支えるために貢献させられないというのなら、いまこそ大ブリテンは、戦時にこれらの領土を防衛する経費、平時にその政治的・軍事的施設を維持する経費からみずからを解放し、未来への展望と構図とを、その国情の真にあるべき中庸に合致させるように努めるべき秋(とき)なのである」
2007.01.07
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正月二日目は、師範のお宅へ新年のご挨拶。しこたま酒をいただいて午後は、自由が丘で内田兄弟、石川君と待ち合わせ。そのまま雀荘へ行きかけたが、自由が丘のあの雀荘は今はない。昔は毎週土曜日から日曜日にかけて駅前の雀荘で白熱していたものである。夜中におばちゃんが作ってくれたトーストがなつかしい。なんで、トーストだったのだろう。当時の写真を見ると、げっそりと頬がそげ、目ばかりが血走っている生活破綻者のような俺が笑っている。かれらと近くの居酒屋でわいわいと話に花を咲かせる。石川君がつくる新会社のライブハウス、「アゲイン」の話題。ウチダブログにもこのあたりのことが書かれている。http://blog.tatsuru.com/ウチダくんと俺が、石川君の会社の役員かつ株主であるからである。この「アゲイン」は五月より、俺たちの新会社である「ラジオカフェ」の定席にもなる。だから石川君は席亭というわけである。主に、新作落語を中心に、現代詩の朗読、講談、対談などの企画を現在つくっているところである。「ラジオカフェ」には、顧問として柳家小ゑん、「花は志ん生」の大友浩の両巨頭、スタッフとして文鳥舎の大森姉さんにもご参加いただいているという強力な布陣。落語レーベルのワザオギとも強固な提携関係を構築して磐石の構えをみせている。あとは、疲れた中年三人組の俺たちがどこまで呼吸が続くかといったところである。明けて三日は、当然のように新宿末広亭の正月初席へ。二重三重の長蛇の列。落語芸術協会の面々の顔見世興行である。日頃あまり見ていない芸術協会の芸達者たちが次ぎ次ぎに顔を出して豪華である。昇太、小遊三、ふく丸、円、米助、茶楽、歌春、ケーシー高峰、ピーチク。なつかしい顔もある。とりは歌丸で、お題は正月らしく「つる」そういえば、いろいろあった柳家三太楼あらため、三遊亭遊雀師匠がカムバックしている。小遊三師匠いわく、「松井をトレードしたような」大物の移籍である。俺は、密かに、遊雀師匠の追っかけになろうと決意しているのである。喜多八師匠の教室での兄弟弟子ふたりと、近くの喫茶店「バルコニー」で落語酔いを覚ましてから帰途に就く。可もなく不可もない正月三が日が終わる。長く生きていると、判ってくることがある。可もなく不可もないというのが、一番だというのもそのひとつである。
2007.01.04
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お正月の日が昇る。めでたくもあり、めでたくもなしといった心境である。今日も、朝六時に起きて(いや、まるに起こされて)、等々力の街を歩く。まるにとっては、正月もへったくれもないわけである。ただ、決まった時間に目覚めて、目覚めるや駆け出したくなって、排泄して、飯を食う。単純な生活だが、自然に後押しされた確固たる律動である。人間様は自然をいじくりまわしているうちに、肉体の底からわきあがって来る様な生命力をどこかに置き忘れてきたのかもしれない。暖かい冬だったが、ここ数日めっきりと冷え込んできた。ポケットに手を突っ込み、手綱だけもって、凍てついた正月の街を歩く。白い息を吐きながら、冬枯れの街を歩く。気持ちが良い。家に戻り、いただいたi-Tuneミュージックカードで中島みゆきをダウンロードする。「銀の龍の背に乗って」を聞きながら会社論をぼちぼちと書き進める。「実際のところ、経済的な価値観がこれほどまでに強力に私たちの生活を支配するとは、考えても見なかったことである。いまや、人間とはエデュアルト・シュプランガーが百年も前に言ったhomo economicus(=経済的人間)そのものになったといえるほど経済的価値観が肥大化している。その意味は経済合理性が、人間の行動を支配するようになったということである。人間は誰でもお金が大好きであるが、お金のためだけに生きているわけではない。しかし、現実は、人間はお金のために生きよと告げているかのように見える。世知辛い世の中になったと嘆くのは簡単だが、どこかで誰かが人間を回復させる処方を書かなければならない。」昼過ぎに、妻、娘、まると実家に新年のご挨拶に出向く。俺の両親の住む街と、妻の母親の住む街を車でまわる。家族が揃って行動するのは、一年で一回。正月だけである。どちらの親も年をとった。自分の年齢を考えれば当たり前のことだが、その当たり前にいまさらながら驚く。生気も毒気も薄くなった彼らを見ていて、年をとるのは悪くないと思う。サミエル・ウルマンに「青春」という詩がある。― 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ。 苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、 こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ 精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。 (岡田義夫訳)人気のある詩だが、情感も陰影もない、たちの悪い冗談である。苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望。こういったものが顔に刻まれ、情熱が消えてはじめて分かることがある。以前、ある国際ビジネスマンという人のオフィスに行ったとき、玄関にこの詩が額装されていた。後に分かったのだが、そのビジネスマンは詐欺師であった。白いものを黒と言い含める。そして、それが詐欺だということにも気がつかなくなる。そんな詐欺師的な作為がこの詩にも感じられるのである。ありのままを見つめ、ありのままに価値を見出すこと。孔子は、そう教えている。
2007.01.01
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