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午前4時前起床。昨日、早くに床へついたので、目が早くに覚めました。なおかつ体調良好でした。晴れときどき曇り。 ウィークデーと同じ時間に朝食を取り、午前8時過ぎに家を出ました。蒲江向け。マリンカルチャーセンターを会場に開かれる蒲江ブリロードレースを走るためでした。5kmしか種目にありません。ベストが出ました。21分を僅かですが切りました。満足です。距離表示がないので正確ではありませんが、入りの1kmは4分30秒くらいだったかな。体が慣れ、徐々に調子が出てスピードを上げていきました。最後の1kmを一番速く走ったと思います。短い距離も長い距離も走り方は同じような気がします。なんだかコツをつかんだような気分です。 このレース、名の如しで各部門の優勝者にブリが賞品として渡されます。蒲江は養殖ぶりの産地です。親しみのあるよいレース名です。 誰も見知った人がいない中、モイ香先生夫婦がわざわざ私のためにだけ応援をしてくれました。嬉しかったです。先生には蒲江の珍味イカロールを頂きました。感謝感謝。 佐伯市の陸協メンバーが大会の運営を手伝っていました。青山のSさん、カルチャーセンター嘱託のS先生。お疲れ様でした。 レース後、そのマリンカルチャーセンターにある風呂へ入りました。貸し切り状態でした。広い湯船、眼下に陽光きらめく日向灘。沖合には2週間ほど前に訪ねた深島。両脇にみえる小島が北風の波に持ち上げられ、浮島になっていました。 この大会、走った人にはブリの熱めしの昼食が振る舞われましたが、私はカレーにしました。閉会式を待たずに岐路へつきました。途中、新記録の褒美にと、蒲江の塩月酒店で豊潤純米大吟醸を買いました。 帰宅したら、妻は第九のコンサート。出かけた後でした。居間のテーブルに「日の陰る前に干している布団を部屋へ入れておいて」との書き置き。雪の降りそうな雲行きだったので、早速そうしました。そのあと、ビールを飲みながら、録画した高校駅伝を見ました。私の町の代表、日本文理大学附属高校は男子が25位、女子が24位でした。鹿児島実業の逆転劇は見事でした。ウトウトしたあと薪割り。軽トラ1台分の角物をやっつけました。樫の大木だけにねじれがあり、なかなか斧が入りません。 帰宅した妻がひとしきりコンサートの感想を言いました。楽章の合間に拍手、第4楽章の合唱合間にも拍手、一人がすると大勢の人がつられて拍手拍手、パラパラが大拍手。田舎のコンサートではよくあることです。微笑ましいです。 晩ご飯はアユを焼きました。冷凍の落ち鮎を解凍しました。玉子が入っていて、豊潤によく合いました。 今日の写真は、深島の浮島姿です。もう一つはアユ。絶品でした。
2010年12月26日
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午前5時過ぎ起床。外気温6℃。晴れときどき曇り。朝っぱちにTELがなりました。嫌な予感、悪い知らせかと思いきや、そうではありませんでしたが、よい話しでもありませんでした。父からのTELでした。裏庭にあるシキミを植えかえるから加勢せよとのこと。あーあ、よだきーなー。味噌汁の残りをご飯にかけた猫マンマを掻き込み、午前8時を待たずに地下足袋を履きました。妻はまだ水平飛行でした。熊手、バチ、テミイ、チェーンブロックなどをリアカーに乗せ、父の家の裏庭に廻りました。シキミにタオルを巻き、その上に網ロープをかけました。先端をワイヤーで括った杉の支柱3本を立て、それにチェーンブロックを懸けました。フックは網ロープに。力任せに根こそぎ引き抜く作戦を採りました。全部で3本。案外、たやすい作業でした。これをリアカーに載せ、近くにある墓地に運びました。その隅に穴を掘り、植えました。穴掘り作業、結構疲れました。終始、父の監視下にあり、小言を言われながらの作業でした。今日は機嫌がよく、敷地の一部を指して曰く「お前たちの墓はこのあたりに造るとよい。」。私は、「僕らの墓なんか要らない、散骨、いや鶏の餌でよい」と言いたかったのですが、機嫌を損ねてはいけません。黙々と熊手をふるいました。午後10時過ぎに作業終了。汗をかきました。家に帰ったら、妻は出かけた後でした。顔面エステ。私は運動公園へ。ラン16km+スイム少々。ここには展望台があるのですが、その上り下りを含め1時間半。足がこわばって痛くなりました。プールに浸かり、ストレッチをしたら、すぐによくなりました。昼ご飯はつね三で食べました。寿司とごまだしうどんのセット。うどんは冷やで頂きました。お寿司、美味しかったです。そのまま、講演会を聴きに行きました。市役所に勤務する友人から是非にと言われていたのでした。男女共同参画というワケのわからない言葉がテーマでした。講師は漫画「サザエさん」のマスオさん役を務める声優、増岡弘さんでした。話の主題はともかく、氏は、会場の皆に次のことを問いました。出勤するときチューをするか、風呂で背中の流しあいをするか、するという人は手を挙げて。私は手を挙げ掛かりましたが、誰も微動だにしません。やばい、と思い、思いとどまりました。「愛情とは愛し続ける努力をすること」という言葉が耳に残りました。帰りにオーディオの師匠を訪ねました。師匠は印刷会社を経営しています。そこへ毎年、父が賀状を依頼します。仮り刷りが出来たので校正を、との連絡があったからでした。立ち話も何だから、部屋へちょっと寄っていかないか、というありがたい言葉。あこがれのオートグラフがある間に通されました。お母様に飲み物を馳走になりました。ミルクと砂糖の入ったコーヒー、練習後の体に染み入りました。かけてくれたCDはブレンデル、ハイティンク、ロンドン響のコンビでベーヤンの皇帝。ピアノは真珠の粒のよう、ブレンデルの真骨頂でした。オケはオーソドックス、アクのない紳士的演奏。ハイティンクの棒はいつも平坦、喜怒哀楽がない、感情移入が少ない、面白味に欠ける、もっと手厳しくいえば軟弱、この録音も第1楽章は全体的にそんな感じでした。ただ、穿った(偉そうですが)見方をすると、この傾向はピアノを引き立たせるための所為。師匠曰く「オートグラフは演奏の良し悪しをハッキリと示してくれる」。なるほど、今日のCDを聴いて、納得しました。あーあっ、オートグラフ、あこがれの名機、私も欲しいな。1時間ほど、楽しい会話をしました。師匠曰く「スパークの真空管アンプはパワーアンプの回路だ。プリと?いだら面白い。マッキンのC-29との相性がよいと思う。/(師匠はバイク乗りです)カワサキのバイクは川崎重工が造っている。日本のシェアはホンダが1番。外国産はハーレーが売れている。価格は2~3百万円する。ホンダが100万円強だから高い。昔、自分はBMWに乗っていた。映画『大脱走』でマックィーンの乗るのはトライアンフだと思う。/(師匠はカメラ趣味でもあります)デジカメ全盛時代だけれど、まだまだフィルムにはかなわない。」他にもバイクの燃費やら、オートマ化についての話も伺いました。どれも興味深かったです。帰宅したら、妻は同僚と飲み会。といってもアルコールを口にしませんから、今日は送迎不要でした。ジャズを聴きながら独酌。今日の写真はトラです。私に捨て台詞を言う時の顔です。「バッハを流せ」。
2010年11月06日
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午前6時起床。体調がすぐれません。熱はないけれど、なんだかふらふらしました。普段であれば、この時期、朝の冷気を心地よいと思うのですが、今朝は、空気を何ともいいようのない肌触りと感じました。朝一の朝礼で、話す声が自分の声とは大違い、聞く皆も不思議がっていました。終日デスクワーク。帰り、運動公園へ廻ろうかと思いましたが、完治するまでは大事をとろうと思い直し、真っ直ぐ帰宅しました。夕食を食べ、午後8時過ぎに床へつきました。
2010年10月07日
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午前5時半起床。未明に雷雨。終日晴れ、夕立がありました。朝ごはんを食べ、毎日の出勤時間より早い時刻に山行きとなりました。といっても登山ではありません。薪取りです。息子も一緒です。昨日行った親方の山へ,今日も入りました。あらかじめ倒しておいたアカガシとシロカシを玉切りました。汗びっしょりになりました。冷蔵庫で凍らせていたペットボトルが甘露でした。帰宅して薪小屋へ薪を積み上げました。昨日と今日,二日間頑張りましたが、僅か半月足らずの燃料にしかなりません。平成23年度の冬に燃やします。午睡のあと読書。「一週間」が面白いです。井上ひさしのユーモアはよいです。この本、シベリヤ抑留がテーマです。賞を取るに値すると思うのですが、いかんせん本人が死亡しました。残念です。今年出色のものです。お薦めです。夕方、息子は自転車練+スイム。私も運動公園へ廻りラン10km+スイム1km。さぼっていた水泳、やっと1kmをこなしました。もとに戻ったの感です。走りのほうは1kmのインターバルを4本混ぜました。といっても1km4分10秒くらいのスピードです。心なしか小股が切れ上がってきたような気がします。泳いだあと、シャワーを浴びていたら、ロマンスグレーの紳士に「何か大会へ出るのですか」と言われました。嬉しかったです。そう見えるような泳ぎと身体になったのかな。二日間の夏休み、何処へも行かず,息子と過ごしました。これはこれでオーバーホールです。今日の写真は山行です。写真では判りませんが,かなりの斜面です。軽トラが息絶え絶えでやっと登ります。チェーンソーのエンジンを止めると川のせせらぎが聞こえてきます。「都会の人はこういうところが好き」と息子が東京人のような口をたたきました。
2010年08月26日
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午前5時起床。曇りときどき雨。九州南部の梅雨はまだ明けていません。その影響でしょうか、南の空から黒い雨雲が流れてきます。でも分厚いというのではなく、大きな塊ではあるのですが切れ切れの態で、その間から青空がのぞきます。足は速く、晴れたかと思うと突然の雨、驟雨に見舞われます。朝間は読書。活字を追うのが苦しいです。集中できません。酒の飲み過ぎで頭がいかれ始めたのでしょうか、それとも早く練習に行かなければと思う気持ちが心の底にあるのでしょうか。ということで午前中ラン16km+スイム0.5km。晴れたり降ったりという中、1時間半走り続けました。昨日今日といい練習が出来ました。プールは混み合っていました。子ども連れの夫婦が目立ちました。帰って缶ビールを1本。午睡。今日聴いた曲はチャイコの1番、ストコフスキー、アメリカ交響楽団。ストコフスキー節です。今日は、神の存在を信じないキリスト教徒がいるという話を読みました。だいたいのことを書くと次のようです。この時代、原子の世界から宇宙まで、科学の力で随分解明できた。世界が合理的に説明出来ると言うのです。しかしその人たちは「自然科学が世界の成り立ちを解明していけばしていくほど、この世界がはかりしれない精緻さで出来ている」(田川建三)に気づきます。而して、さらに踏み込んでその奥の世界ということになるとなかなか知り得ない。ということで、まだ計り知れないもののあること、たとえば宇宙に果てがあるのか無いのかとか、死後の世界の有無といった、今は誰も知り得ないことに思いを致し、やっぱり創造主の存在は必然だと言うようになる。しかし、これがいけない。わからないから神がいるという論理はあり得ない。神の存在を認識できないのだから少なくともわからないと言わないといけない、謙虚であるべきというのです。わからないから全能の神に結びつけるのは知識人のすべきことではない。かといって、聖書を否定してはいません。2千年にわたり脈々と読み継がれ信じられてきた信仰ですから、その価値・影響は神の存在云々とは別に大きなものを人類に与えてくれた。だから信仰は信仰であってよい。むしろ道徳的であるなら必要だ。ということで神の存在を信じないキリスト教徒がいるというのです。お寺は要らないが、信仰は必要と思う考えに似ています。親鸞や蓮如上人の如くです。何となく納得しました。今日の写真は蓮の花です。小島のレンコン畑に咲いていました。これから一杯やり、ツールドフランスを見て寝ます。
2010年07月19日
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午前7時起床。二日酔い。終日なにもせず、テレビの前に座っていました。梅雨明け宣言が出たのに、雨模様の天気でした。昼前、製材所へ行きました。過日、私が山から引き出した材木が製材されたので、これを見に行きました。思ったより量の多いのに驚きました。約7立米。4寸角で4mの柱が30本あまりかな。小さな家の柱には十分な量です。端は胴縁や垂木も少し出来ていました。これは父の納屋へ運び込む予定です。いつになるのかわかりませんが、名曲喫茶の建築資材にしたいです。今日から3日間、スカパー無料の日が続きます。中日・広島戦の中継を見ました。貧打のカープ、奮起せよ。次はスターウォーズ。このシリーズは始めてです。面白い。続いてオールブラックス対南アの試合。迫力があります。前への突進スピードが凄い。前半を終え、チャンネルを変えたらツールドフランスの中継をやっていました。こちらの方がいいです。レースの駆け引きもですが、コースの両サイドに流れる風景に惹かれます。ヘリコプターの撮す上空からの映像も素的です。
2010年07月17日
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午前5時起床。終日雨でした。梅雨入りし、先日までの風景が一変しました。緑が深くなり、空気がしっとり。私は好きですが、この湿気に疼痛を感じる人もいます。洗濯物が乾かず、主婦にとっては嫌な季節なのでしょう。サッカーを3試合見ました。さすがワールドカップです。アルゼンチンやイングランドのプレーを見て、日本の先行きに一層不安が募りました。昼過ぎに「橋本」へ置いた妻の車を取りに行きました。トンボ帰りで自宅へ戻りました。NHKラジオ第一で日曜バラエティを聴きました。この番組、面白いのです。つまみ聴きですが、番組構成はその名の通りバラエティ、小刻みものが続きますから楽しめます。東玉助さんのトークが好きです。夕食はビビンバでした。デザートは実家にもらったビワ。夜になって妻曰く「明日の給食献立はビビンバとビワ」。こんな偶然もあるのでしょう。前後しますが、昼下がり、伯母からTELがありました。家を取り壊す、古いレコードをおまえにやるから取りに来い、とのことでした。小雨の降る中、もらいに行きました。もう35年くらいになりますか、伯母の息子(私にとっては従兄)が癌で死にました。確か28歳でした。視力が弱く、出来ることは限られていました。タクシー会社で配車の仕事に就いていました。無線を操る喋り方が独特で、ドライバーには人気があったと聞いたことがあります。3回、大きな手術をしました。一度、自転車に乗って、拙宅の祖母(彼にとっても祖母ですが)に術痕を見せに来ました。 腹に縦長の30cm近くある傷が3本ありました。私が高校の時、亡くなりました。叔父が弔辞を読んだのを覚えています。結婚出来なかったことが返す返すも残念だというような内容でした。今日、伯母は「R(従兄のこと)が安い給料を貯めては買ったLPなのよ、大切にしてね」と言いました。全部で200枚近くあったでしょうか。橋幸夫、クールファイブなどに混じってジャズやイージーリスニング、アダモが混じっていました。ベンチャーズや民謡百選のボックスも。因幡晃も。好みのジャンルとは違いますが、整理して、一度は針を落としてみようと思います。オーディオも持って帰れといわれましたが、これはやめにしました。スピーカーはソニー。アンプ、プレーヤー、チューナーもそろっていましたが、ホコリをかぶっていることもあり、どうも気が乗りませんでした。写真だけでも写し、オーディオの師匠に鑑定してもらってもよかったと,ちょっと後悔しています。練習を休みました。午睡もしました。ノンアルコール。足の甲の痛みも大分引きました。よい休養になりました。
2010年06月13日
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午前7時前に起床。寝過ごしてしまいました。朝ランの余裕はありません。終日デスクワーク。今日も飲み会でした。鳥将軍という焼鳥屋でありました。白岳という熊本の米焼酎を飲みました。爽やかな味がしました。〆にチキンライスを食べました。2次会は一人でいつもの暖簾つねさんへ寄りました。隣り合わせた客は、大分市へ転勤になって単身赴任の教師でした。私より一つ年下、顔見知りです。教頭だそうで、毎日午前7時に出勤、夜9時過ぎまで学校にいるそうです。中規模校だけれど佐伯市に比べ都会の大分市だけに、赴任してみて大変さがよくわかった、佐伯の学校はのんびりしている、教師も甘い、と言うような感想を話してくれました。今日は妻も飲み会でした。保護者との懇親会。酒を飲まなかった彼女の運転で帰宅しました。今日はベーヤンのピアノソナタを聴きました。7,8,14,23,31,32。グルダやシフの演奏でした。「熱情」はルービンシュタインでした。
2010年04月23日
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曇りのち雨。午前5時起床。朝ラン8km。市道から林道へとつながるところに永馬という名の橋があります。この少し下流に帯工があり、このところの雨で増水した流れが、この段差に落ちてゴウゴウと音を立てていました。今日は河鹿鳴くの風情ではありません。走っていて、ポツポツ降り始めました。息子の学費を振り込みました。65万円。春と秋に大学から請求書が届きます。現在、4回生ですから、残すところあと1回です。これで満願成就としたいところです。でも就職難です。まさか大学院へ行きたいなどと言い出さなければよいのですが。今は昔と違って、就職を先送りするため、取り敢えず院へ進学というのもありなのだそうです。もしそうなったら、もう2年頑張らないといけません。夕方も雨。と言うことでランとプールは中止。真っ直ぐ帰宅しました。夕食はホルモン炒めでした。同僚が生の内臓を処理し、味をつけたものでした。彼が小さい頃、彼の母がよくしてくれた料理なのだそうです。その味を忘れることが出来ず凝り始めたと言いました。貰ったものは真空パック、冷凍してありました。味は複雑、家庭では出すことの出来ない美味しさでした。これなら充分商品になると思いました。同僚の彼は40代後半、ちょっとブラジル代表のロナウジーニョに似ています。バリトンがとても魅力的。何かお返しをしなければ。梅酒の10年ものを瓶詰めしてあげようかな。
2010年04月21日
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午前4時過ぎに目が覚めましたが、もう一度寝ました。雨が降っていたからです。朝ランは取りやめ。午後は上がりましたが、会議が長引き、会社を出たのは午後7時を過ぎてでした。結局、夕方も走ることができませんでした。アイスランドの火山が噴火して大変なことになっていると、連日新聞が報じています。世界経済に大きな影響を与えています。それはさておき、関連のニュースで、エチオピアで栽培されるバラが欧州経由で日本へ輸入されていることを知りました。本来はロンドン経由、それがドバイを中継にするようになり、機内倉庫の気温が上がり、バラに影響が出ているとのこと。と言うことで母の日を控えた日本のバラ市場に影を落としているらしいのです。風と桶屋の関係に思えてなりません。火山といえば、私は大学2年の夏、有珠山噴火の際、札幌の北24条でお酒を飲んでいました。したたかに酔っぱらって酒場の外に出てみたら、雨混じりの灰が降っていました。転んだ先輩は泥だらけ。北海道といえば、函館・駒ヶ岳の頂上に大きな火口がありますが、その中に降りた探検部の知り合いがガス中毒で死んだこともありました。別の話ですが、小さい頃、桜島が噴火し、大分にこの火山灰の降ったことも記憶にあります。私の住む九州には雲仙、阿蘇、久住連山といった、今も噴煙を上げる活火山があります。これらの中では、コニーデ状のものよりトロイデの姿が好きです。ということで、火山の爆発ニュースを読んで思い出したことを書きました。本日ノンアルコール2日目。日曜日のレースに備えています。
2010年04月20日
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終日ぐずついた天気。霧雨でした。時折強く降りましたが、日の差す時間もありました。午前2時に起きました。昨晩、午後9時前に寝たので、こうなってしまいました。アルコールを控えたせいかもしれません。コーヒーを煎れ、マンハッタンを2つ食べました。本を読んだり、ネットで映画を見たり。ポランスキー監督「戦場のピアニスト」。さすがアカデミー賞受賞作品だけあります。夜が白み始めて朝ラン10km。身体が重たかったです。シャワーを浴び朝食。今日はカンパーニュとミルクでした。食べ終えて、すぐに作業服へ着替えました。草刈り機を背負い、私の家の廻りと父のそれをやっつけました。2時間。手が痺れました。続いて雨の中、筍を探しに裏山へ行きました。7本掘りました。まだありましたが、湯がく釜の大きさに限界があるので、やめました。筍の皮むきは妻がしてくれました。簡易竈を置き、グラグラ煮立てました。いい香りです。糠が無かったので、米を入れました。午後、父の家のソファーと拙宅のものを入れ替えました。これまで使っていたものは革張りで、買うときは結構な値段でした。コーナー式でした。スプリングが弱り、妻が腰に悪いといいだしたのです。父の家に、布張りの硬いのがありました。母へ交換しようと持ちかけたら、即座にOKがでました。これまでのものより、一回り小振りです。今へ置いてみると、部屋が広く感じます。父が退院したら、なんというでしょうか。夕方プール、1.25km。高校の同級生、旧姓Yさんが来ていました。水着を新調していました。艶めかしかったです。昨日の朝日新聞に、好きな作曲家を投票で選ぶ記事がありました。順位は次の通りです。1 モーツァルト2 ショパン3 ベートーベン4 チャイコフスキー5 シューベルト6 ドヴォルザーク7 バッハ8 ブラームス9 ヴィヴァルディ10 メンデスルゾーン以下ドビュッシー、ワーグナー、シューマン、ハイドン、スメタナ、リスト、ラフマニノフ、ビゼー、サン=サーンス、J.シュトラウスと続きます。バッハがもう少し上にあってよいと思うのですが。ひいき目でしょうか。今日の写真は掘った筍です。すぐ煮ると美味しいです。これも春の味です。
2010年04月11日
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午前6時起床。睡眠は足りているのですが、とにかく眠い朝でした。出勤時、雪が舞いました。普段、茶屋ヶ鼻橋からは四浦半島が見えるのですが、今日は影も形もありません。白いカーテンに隠されていました。しかし、その天気も朝のうちだけ。終日よく晴れました。日中はデスクワーク。昨日も今日もチョコレートをたっぷり食べました。200円位のアーモンドチョコを1箱、昼休みにペロリです。レースに備えての仕儀です。夕方ラン10km。水には入りませんでしたが、水着を着てスチームサウナでストレッチをしました。汗がびっしょり出ました。今日の夕食は殻付きのカキでした。殻をナイフで開けると、とてもジューシーな香りがしました。仕方なしに日本酒をちょっとだけ舐めました。まぁいいか。今日の日経1面に「セメント2~3割削減」とありました。政権が代わり、コンクリートから人へ、というわけではないのでしょうが、太平洋セメントや宇部興産が減産体制に入るとのことです。太平洋セメントは大分工場佐伯プラントの閉鎖を検討中だそうです。知り合いが何人かここへ勤めています。津久見へ配転になるのでしょうか。まさか上磯へは移動しないわな。心配です。
2010年02月19日
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午前8時に朝ご飯。以前、このホテルへ宿泊したことがあり、朝食を気に入っての再泊だったのですが、ちょっと期待はずれでした。10時発の列車で佐伯向け。博多駅でIさんが妻にふくやの明太子を買ってくれました。帰りの道中も本で時間をつぶすことができました。帰宅は午後2時前でした。今日は月曜日ですが、会社を休みました。スーパーでネギトロを買いました。これが昼ご飯。ソファーへ横になり、年末に録画していた映画「ダイハード4」を見ました。典型的なアメリカ映画でした。ウトウトなりました。午後5時を過ぎてラン5km。山道で汗を流すと、先日の京都の賑わいといい、博多の喧噪といい、嘘のようです。夕食は残り物オンパレード。佐賀・伊万里の「色鍋島」という日本酒を飲みました。これは、先日、阿蘇を案内したKにもらったものです。まあ普通の酒でした。なんだか疲れちゃってバタンキュー。
2010年02月08日
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終日晴れ。しばらくランを休むことにしたら、吹っ切れました。当面の目標だった来週末のハーフマラソン欠場を決めて、気分が楽になりました。拙宅にはちょっと時代遅れのマッサージチェアがあります。背中と腰、それにふくらはぎを手当てしてくれます。随分使わず、埃をかぶっていましたが、今日は本を持ってこれの世話になりました。よいオーバーホールでした。横山秀夫を2冊読みました。『陰の季節』は松本清張賞を受賞しました。10年あまり前に出版された警察小説です。一昔前に撮影されたドラマを見るようで、時代遅れの感を受けますが、ストーリーはそれなりに楽しめます。嘉風はこのところ連敗。10勝し、敢闘賞を取ることができるとよいのですが。あと2日、何とか頑張って欲しいものです。年賀状挨拶文の下書きを書き始めましたが、思うようにゆきません。友人や、家族ぐるみの付き合いをいただく人100人ほどにプライベートの賀状を出します。前年にあったこと、あれこれ思ったことを書くようにしています。以前は年賀新聞を発行していました。長女が生まれた時から、長男が高校を卒業したときまでの21年間、B4~A3大の紙の表裏を使い、封書でこれを出していました。初めの頃は手書きでした。内容は拙宅のその一年の様子をダイジェストにまとめたものでした。今読み返すと、エピソードを交えた子どもの成長が一目瞭然です。古いビデオや写真とは違う趣があります。これはこれでよいです。話が逸れました。賀状の挨拶文作成のため、今年の日記と、このブログを読み返してみましょう。そうすると、手がかりがつかめるような気がします。お世話になる取引先、関連会社へのビジネス用は、オーソドックスなものに一言手書きの挨拶を添えるようにしていますから、こちらはすぐにできます。今夜はカナディアンウィスキーを飲みました。軽めで口当たりがよいです。
2009年11月27日
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終日晴れ。午前5時に起きました。ストーブに薪を足し、二度寝。今日は仕事が一段落したこともあり、ポカ休をとりました。大分へ映画を見に出かけました。シネコンでした。「風が強く吹いている」と「笑う警官」を見ました。「風が・・」の主演小出恵介がよかったです。駅伝の臨場感もありました。良質の学生ドラマです。「笑う・・」は札幌が舞台でした。昨秋に行った街が懐かしく思い出されました。松雪泰子が美しかったです。ストーリーは佐々木譲の切り口です。二つの映画とも、満足のいくものでした。館内はガラガラ。私を含め5人足らずでした。映画の合間が二時間ありました。回転寿司に入り、握りをつまみ、アサリの味噌汁を飲みました。その後、ウィンドゥショッピング。どの店も閑散としていました。スポーツ店を冷やかしました。ジャスコで高いショートケーキを幾つも買いました。妻への土産です。義母にもなめらかプリンを二つ。帰りの車中、カラヤンでマーラーの5番を聴きました。うっとりしました。真っ直ぐ帰宅せずに、プールへ向かいました。ここもガラガラ。佐伯豊南高校水泳部が泳いでいるだけでした。隣のコースでメニューをまねました。へとへとになりました。今日はランを休みました。夕食はキムチ鍋でした。冷酒浦霞純米を合わせました。コンビニで買ったものですが、まあまあでした。
2009年11月20日
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午前5時起床。終日晴れ。春のような陽気でした。朝間は本を読みました。父の運転手になり、大分へ行きました。大きな病院へ入院した叔父を見舞うためでした。前立腺肥大の手術をするのだそうです。父が80叔父が78。病室へ富有柿を持っていきました。叔父は、今の症状、経過、手術の内容をるる説明してくれました。話している途中、情けないと言いながらおいおい泣きだしました。私はいてもたってもいられなくなりましたが、父はそうではありませんでした。くよくよするな、だいたいおまえは一流大学を出て教育を受けたのになっちょらん、いつも般若心経を読んで素晴らしいと言っていたのに、坊さんがいないときは時分が仏壇に経をあげてやると言っていたのに、全く持って本当になっちょらん、たかが前立腺くらいで、と言うのです。次いで私の岳父、妻の父のことを引き合いに出し、さらに続けました。舌ガンで16年煩って亡くなったが、その間一言も愁訴不安を言わなかった、最後は自らホスピスへ入った、その覚悟はいかばかりか、それに引き換えおまえは云々とまた同じことを言うのでした。あれこれ考えると、夜眠ることができないという叔父の訴えには、眠ろうとせんでよい、起き上がって座してこの柿を食えと言うのです。柿を食べることの意味がわかりませんが、覚悟の段は妙に得心しました。その後、父と叔父は息子のこと、孫のこと、仕事のこと、読書のことについて話しをしたようでした。最後に叔父から、治ったら父を含む4人兄弟姉妹で昔話をするので、その内容を録音し文章に起こして欲しいと頼まれました。面倒くさくて嫌でしたが、病人の頼みだから仕方がありません。おやすいご用と作り笑顔で、引き受けました。帰りに、紀伊国屋書店へ寄りました。父が茶碗の本を見たいと言い出したのです。これも面倒くさかったです。仕方なしに明野へ連れて行きました。書店の隣のお店でトンカツを食べました。回転寿司に入ろうと思いましたが、寿司は嫌だと言われました。カツの大きさを大にするか小にするか訊いたら、小でよいと言いました。残したら私が食べるから大にすべしといい、2人とも大にしました。父は残さず全部食べました。道中、今の私の仕事や娘・息子のこと、妻のこと、母の病気のことなどを充分話す時間がありました。久しぶりに2人だけの会話をし、一緒に食事ができてよかったです。帰宅して、運動公園へ回りました。ラン8km+スイム0.5km。今日の写真は番匠川の支流堅田川の夕景です。サヨリがよく釣れます。
2009年11月08日
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終日晴れ。北風強し。午前5時起床。午前6時半に家を出ました。今日は、頼まれ仕事でした。帆船日本丸が佐伯港へ入港していました。佐伯海事地域人材確保連携協議会が招いたのでした。一般公開があるので、駐車場係をして欲しいと頼まれたのでした。休みなので、引き受けました。強風と寒さが予想されたので、厚着をした上に、上下ウインドブレーカーを着ました。離れたいくつかの駐車場に立つ部下たちとトランシーバーで連絡を取りながら、車のやりくりをしました。ほこりっぽいところに終日立ちんぼでしたが、ものすごい人出で、時間はあっという間に過ぎました。さすが日本丸です。見学者が多い。日本丸に隣り合って海上保安庁の巡視船「はかた」がもやっていました。こちらはアルミ船。言うならばアナログとデジタルです。どちらもホワイトシップ。対比に妙がありました。お役ご免は午後5時。足が棒のようになりましたが、よかれと思い、ストレッチの後、ラン4km。佐伯のシンボル城山の周りを回りました。硬くなった筋肉と関節、一汗かくことでほぐれました。走ってよかったです。夕食はイノシシ鍋でした。先日、本匠のOさんから頂いたものです。地元の米焼酎「唐変木」をあげたのですが、その礼にとのことでした。あらかじめ圧力鍋で煮てから味付けをしたとは妻の弁。柔らかく、美味しかったです。脂身はトロトロでした。はしりの冬野菜とマッチングし、燗酒に合いました。この猪肉、40kgほどの雌だったそうで、出産経験もないとのことでした。人間で言えば10代中盤の女性です。猟師の言によると、これが一等だそうですが、食べてみてその通りと思いました。Oさんへ感謝感謝。今日の写真は日本丸です。築地に勤務していた頃、先代の日本丸を東京・晴海埠頭で見たことがあります。一回り大きくなったような印象でした。
2009年11月04日
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雨が降ったりやんだり。北風強し。午前5時前起床。早朝出勤。営業の手伝いでした。上屋がなく、吹きっ晒しの会場、しかも時折雨の降る最悪の天気。朝からテントの組立てや交通整理に追われました。ぬかるみに足を突っ込み、靴の中がジュクジュクになりました。気持ちが悪かったです。おまけにそのぬかるみというのが、ただの泥水ではなく、動物性の汚水も混じっていて、何とも嫌でした。帰宅は夜の11時前でした。寒冷前線が通過し、寒くなりました。風呂に飛び込みました。熱燗を一杯引っかけながら、録画しておいた全日本大学駅伝を見ました。優勝候補筆頭の駒澤大学は4区で大ブレーキ。星選手は可哀想でした。出雲選抜大会に続き、日大が連続優勝。ダニエル様々なのでしょう。我が大分県の日本文理大学は25チーム中16位でした。私の町の高校を卒業した1区吉田亮太が区間7位と好走しました。その区間では、箱根で活躍する日大、駒沢、明治、山梨学院、東京農大の選手を抑えました。気分がよいです。ナンテンの実が色づき始めました。父の野菜畑は、秋冬の葉物が大きくなりました。近くの橋の欄干工事が始まります。通勤も朝ランもそこを通ります。約1ヶ月間、回り道になります。物心ついたときから架かっていた橋です。模様替えになるので、その前に写真を撮りました。ラン、スイムともなし。今日の写真は、先日剪定した白モクレンの枝先です。葉は枯れかけたのに、蕾がふくらみました。なんだか悲しいです。
2009年11月01日
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終日晴れ。朝ラン10km。最近目にするもの、ススキ、ビワの花、アジサイに似た白い花、カモ。夕方のスイムは無し。デスクワーク中心。午後、チーム内で今取り組んでいる案件の最終調整。夜になってA鉄工へストーブと煙突を接続する部品を取りに行きました。特別にあつらえてもらいました。思ったより安かったです。大助かりです。家に帰り、早速煙突と合わせてみました。問題なし。試し焚きをしたら、妻に暑い暑いと言われました。来週は寒波がやってくるそうです。楽しみです。「西の都」という芋焼酎を飲みました。宮崎県西都市のものです。お湯割りにしましたが、スマートな味でした。これはこれでよいのですが、飲むとなるとやはり私は白波派です。当てはサバ缶でした。八丈沖の第一幸福丸事故、これには驚きました。嵐の海、転覆した船腹に3日間以上と閉じ込められたまま漂流して助かったのでした。不安感、絶望感は如何ばかりだったでしょうか。想像すると、空恐ろしいです。救助されたのは、まさに奇跡でしょう。
2009年10月29日
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終日晴れ。午前5時前起床。朝ラン9km。朝食前にこれだけ走ると、身体が軽くなります。気持ちよいです。終日会議。夜のミーティングを早めに切り上げることができました。今日は、会社のラン仲間が飲み会を企画していました。これに間に合いました。28万石という居酒屋でビールと冷酒を飲んだ後、ボルドーで赤ワイン。帰宅は代行運転、午前様になりました。消防署の人と話す機会がありました。消防団や消防車、階級章について蘊蓄を聞きました。私の町には消防署にある消防車とは別に、消防団の保有する小型ポンプ車が130台あまりあるとか、消防署の星の光に似たマークには、ホース先端の吹き出し口や鳶口と水しぶきがデザインされているとか、2トンタンクの水は4本の吹き出し口を使うと1分持たないとか。面白かった。
2009年10月23日
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曇り一時雨。午後は晴れました。台風が近づいています。でも佐伯の南東を北東方向へ進むようですから、このあたりは心配無用です。午前5時前起床。朝のうちは雨模様、走ることができませんでした。読書、新聞の時間を過ごしました。朝食はご飯と味噌汁、それにアジのミリン一夜干し。これが最高です。今日は、終日外勤でした。社長に一緒しました。上司と部下も同行しました。上浦で会議を二つ。昼を挟んだので、支店近くのレストランへ寄りました。650円の海鮮丼を食べました。社長の奨めです。弊社の社長は、地元の店によく出入りしていますから、詳しいです。ブリとアジの刺身が載っています。盛りつけは素朴ですが、何せ鮮度抜群。美味しかったです。夕方、運動公園へ向かいました。夕闇の迫る中、ラン6km+スイム1km。雨の合間を縫っての走りでした。暗くなると、路面が見えにくくなります。防犯灯の灯りが頼りです。走る所が限られます。これから冬に向かいます。日の暮れてのランを思うと、憂鬱です。カープのブラウン監督辞任の報。残念です。ひいきのチームの監督交代は辛いです。審判の判定に抗議し、ベースを放り投げるパフォーマンスは最高でした。日本人女性と結婚し、広島に住んでいると聞いたことがあります。野村監督の後を受け、楽天を指揮することになるかもしれないということです。後任は野村謙二郎氏。彼は私と同じ佐伯鶴城高校OBです。現役時代は走攻守そろった、広島野球の見本を行く選手でした。カープの元監督に阿南準郎氏がいます。古葉氏の後を受け、3年間指揮しました。うち1回セ・リーグ優勝をしました。氏も佐伯鶴城のOBです。一つの高校から二人も監督を出すことは希だと思います。嬉しいです。これからも応援に熱が入りそうです。ちなみに、野村氏の実家は、私の町で肉屋を営んでいます。某紙記者から世界報道写真展の招待券をもらいました。別府にあるAPU(アジア立命館太平洋大学)で開催中の催しです。この大学は、鶴見岳の裾野、別府湾を一望するロケーションに有ります。風光明媚のところです。留学生が5割を超えています。がしかし、留学に名を借りた就労目的の学生を集めるいかがわしい学校とは違います。国際社会に通用する人間を育てるという教育方針に基づいた、学生にとっては厳しいカリキュラムを組んでいるとのことです。コミュニケーション力と企画力を付けさせるためのプログラムだと、本に書いてありました。話が逸れました。私にとっては、そんなことはどうでもよいのですが、何故大学のことを書いたのかというと、ここの学食がよいのです。留学生が多いので、国際色豊かなメニューなのです。しかも格安です。売店も大学生協の品揃えに加え、民族色を感じるものを置いてあります。週末に湯布院のレースへ行きます。帰りに寄ってみよう。
2009年10月06日
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曇りのち雨。肌寒い一日でした。午前4時半起床。しばらくネットサーフィン。最近、外の白むのは、午前6時前です。新聞が届くのは、バロックの森が始まってからです。朝ラン5km。外気温は16℃でしたが、半袖半パンで外へ出ました。ちょっと走ると、直ぐに汗ばみますから、大丈夫です。林道の取り付け付近で雌の鹿を見ました。道の先からこちらをじっと見ています。足を止めず、そのまま近づいたら、いきなりピューッと鳴き、向かいの山へ消えました。山にこだまする大きな声でした。近くの茂みからもう一頭、子鹿が走り出、後を追いました。一番奥にある民家の直ぐ近くでした。朝食の時、このことを妻へ話すと、野菜畑を荒らされて困るのでしょうねといいました。私は、へーっ、おまえもそんなことを考えるんだと思いました。午前中デスクワーク。午後、支店長の集まる会議で時間をもらい、或る課題について意見交換をしました。弊社にあって倦んでいる懸案です。発言が少なく、暖簾に手押しの感でした。会社が引け、郵便局へ行きました。エクスパックを買いました。500円です。小物を送るのに便利です。B4サイズ、厚手の袋です。中身、どれだけのヴォリュームでも封が可能なら詰め放題です。息子から依頼のあった自転車部品を入れました。森林組合へ廻りました。共有林の間伐契約書を持ち込みました。担当者はすでに帰宅した後でした。少し話を聞きたかったのに、残念でした。雨が降り、暗くなったこともあって、夕方のランは取りやめ。真っ直ぐ帰りました。午後7時でした。妻がパソコンへ向かい、真剣に書類を作っていました。学校で催す劇のシナリオのようでした。ということで夕食は午後9時からになりました。シャワーを浴びたあと、待てずに、焼酎へ手が行きました。池波正太郎『秘伝の声』(上)(下)文章が味わい深いです。ストーリーもよい。一杯やりながら、ゆるりと読むにはもってこいです。ノンアルコールは明日からです。今日の写真は昨日、ドピーカンの日に撮ったものです。番匠川上空です。気持ちよさそうに浮いていました。知り合いの酒店主の趣味です。
2009年10月05日
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終日曇り。未明と昼前に少し降りました。午前4時過ぎに起きました。朝食の後、妻の借りてきたDVDを見ました。「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」という題名でした。ナンセンスなのですが、大笑いしました。駐在役の佐々木蔵之介がよかった。午前10時前に図書館へ行きました。本の借り換え。それから運動公園へ回り、ラン16km。湿度が高く、汗をびっしょりかきました。シャツからもパンツからもポタポタ、靴下も湿りました。今日のコース、稲が実り、黄金色が広がっていました。曼珠沙華の赤があちこちに群れ咲いています。コントラストが素敵でした。プールに入りましたが、100mしか泳ぎませんでした。スチームサウナでぐったりした時間を過ごし、真っ直ぐ帰宅。午後2時過ぎでした。図書館、運動公園への行き帰り、車中、ベーヤンの英雄をメンゲルベルグで聴きました。古い録音ですが、迫ってくるものがあります。ところで、ワインの飲み方というわけでははありませんが、音楽にも、指揮者の水平試聴と垂直試聴という楽しみ方もあると思います。水平試聴とは、ベーヤンの英雄を、同時代、たとえば戦時中に録音されたものを、指揮者やオケを変えて聴くこと。垂直試聴とは、同曲を、同じ指揮者とオケで、録音年を変えて楽しむこと。社会情勢・時代背景と、指揮者の加齢による成熟・枯れがわかり、面白いと思います。録音は、ライブの方がよいと思います。今、拙宅のライブラリで簡単に楽しめるのは、水平試聴の方です。垂直となると、カラヤンやワルターなど数人でしょう。閑話休題、紫芋をふかしたものだけが、遅い昼ご飯でした。甘くて、美味しかったです。冷たい水で流し込みました。デザートに早生ミカンを食べたら、眠くなりました。栗の皮を剥き始めた妻が、ラジオをつけてといいました。NHK第1放送にチャンネルを合わせました。「つながるラジオ」という番組でした。私はウトウトしていましたから、内容はよくわかりませんが、人生に関する話題と、リスナーからの便り、それに音楽という構成のようでした。ラジオも時にはよいものだとは妻の言。寝入ってしまって、妻の悲鳴に目が覚めました。包丁で指先を切ったようでした。絆創膏を貼ってあげましたが、傷は浅い。中入り後の土俵入りを見ました。前にも書きましたが、琴光喜がデヴィ・スカルノの名前が入った化粧まわしをしていました。琴欧洲は明治製菓。埼玉栄高校出身力士は、この高校の名が入っていました。面白いです。両横綱の土俵入りは、朝青龍の方がよかった。夕食は自然薯でした。摺り下ろして、ワサビとポン酢を混ぜ込みました。日本酒によく合いました。燗酒の前に、今日はギネスを飲みました。微細な泡が立ち、シルキーです。今夜はバロックでした。パオロ・バンドルフォ。マレの曲が染みいりました。
2009年09月22日
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午前4時半起床。スターデジオを聴きました。朝ラン10km。朝食前に水を飲んで出発します。5kmを過ぎた辺りで、調子が出てきます。門の鼻橋の橋桁下に、大きな真鯉が泳いでいました。以前は緋鯉もいました。しかし、物干し竿の先に金突きをつけたものを持ったおっさんが出没し、橋の上から突き刺すのです。最近は、見かけません。ちょうど緋鯉を突いたところへ行き合わせたこともありました。味噌汁にするのかと訊いたら、刺身だよ、側が赤くても洗いにすればわかんない、といいました。千石という焼酎(甲類)と合わせるのだそうです。タオルでほっかむりしていました。雲助のようなおっさんでした。妻が大分へ買い物に行きたいと言い出しました。二つ返事で運転手を買って出ました。行き先はわさだタウン。ショッピングモールです。北海道物産展をやっていました。昼食はここで食べました。北海焼きそば、海の幸味噌ラーメン、海の幸チャーハン。食べ物にうるさい妻ですが、満足したようでした。そこで別れ、私はスポーツ店へ。ランニングシューズとウェア、ソックス、スリッパなどを買いました。靴は、買う度に進化しています。試し履きをして、チョイスしました。それから自転車のコーナーへ行き、レース用のものを見ましたが、酒類、おっと種類が少なかったです。でも、触るとなんだかムラムラとしたものが湧いてきて、欲しくなりました。店を出ても、待ちあわせ時間までまだ2時間近くありました。建物の屋上駐車場で着替え、そこから大分川堤防の方を走りました。10km。気温が高く、ヘロヘロになりました。また屋上へ戻り、裸になって汗を拭きました。グロッキー。妻も、ウィンドーショッピングで足が疲れたといい、二人してアイスクリームをベンチでほおばりました。欲しいものは沢山あったが、まっ、いいか、ということで結局、衣類を1枚買っただけでした。モールの中のパン屋へ寄り、パンドカンパニューを買いました。北海道のつまみは我慢でした。高速を走って家に直帰、シャワーを浴び、相撲の応援をしました。食事前、妻は父の野菜畑へカボチャとナスを穫りに行きました。畑の隣に、栗の沢山落ちているのを見つけ、栗拾いをしたそうです。駕籠一杯にして戻りました。イガに何カ所も手を刺されたようでした。夕食の準備ができて、ワインを抜栓。葡萄酒は久しぶりでした。パンとソーセージを合わせました。半分以上を妻が飲みました。彼女、酔いつぶれてソファーにゴロリ。後は私の天下です。午後9時、吉田類の番組「酒場放浪記」を見ながら、智恵美人を飲み直しました。最後の〆はテンシュテット、ロンドンフィルのマーラー全集から5番を聴きました。今夜のタンノイは凄い。今日の写真は、拾った栗です。でも食べるのが面倒くさいです。
2009年09月21日
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寒の地獄の写真をアップします。これが湯船ならぬ冷水船です。硫黄臭い冷泉が滾々とわき出ています。どうですか、この透明感。この湯船の隣にストーブの部屋があります。暖取りはなりふり構わぬストーブでということです。
2009年09月20日
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終日晴れ。午前4時に起きました。朝ラン6km。刈り取りの終わった水田の中を幅2mほどの疎水が流れています。これに添う道を走りました。この辺り、春には若鮎が上ります。今日は、目にかかりません。流れが本流に交わるあたりは、潮の影響を受けます。時々、鱸が泳いでいます。筒(節を抜いた1メートルあまりの竹)を浸けたら、ウナギが入るだろうな、蒲焼きが食べたいな、というようなことを考えながら、汗をかきました。午前中デスクワーク。午後は会議でした。今日も設備投資が議題でした。帰りに一杯やりたくなりました。毎日、家で飲んでいますが、つねさんへ突っ込みたくなったのでした。善し悪しは別にして、会議は一応の結論をみたので、区切りということもありました。しかし、グッと我慢。運動公園で10km+スイム1km。帰宅したら、妻がパジャマ姿でした。午後9時前なので、別に可笑しくはありませんが、今日はエアロビの日ではなかった?と問うと、風邪気味とのこと。まさか新インフルでは?心配です。晩ご飯はカレーでした。食後、ミスマッチとは思いつつ、純米大吟醸の小瓶を飲みました。当てバッハの無伴奏チェロ。マイスキーでした。照明を消し、ランプを灯すと、雰囲気が出ます。タンノイの上にブロンズの猫像があるのですが、この陰が壁にシルエットを作りました。今日の写真は、生の猫とらです。屋根裏に続く階段から転げ落ち、顔を打ちました。痛そうです。
2009年09月17日
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終日晴れ。朝は肌寒くなりました。午前5時前起床。パンコーヒーの朝食。玉子を茹でました。これはこれでよいです。バロック音楽に合うからです。ご飯、味噌汁、納豆にバッハはミスマッチ。刺身を食べながらワインを飲むようなものです。仕事は午前も午後も会議。パイプ椅子へ座りっぱなしでした。会議の内容は大型設備投資に関することでした。投資の内容や銀行からの借り入れについて、財務の若手が唾を飛ばしながら力説しました。この姿を見ながら、重要な会議における役職、立場というものについて、考えさせられました。この会議、株主との話し合いでした。設備投資に対し、株主から不安視する声が上がり、弊社の財務部門がこれを払拭しようとするの構図でした。このレベルの会議には役員挙げて臨み、対応するのが本来の姿でしょう。しかし、役員は居並んだものの、殆ど発言しませんでした。正論、搦め手、横やり、揚げ足、株主のいろいろな発言を、平の担当者が一人で引き受けていました。部を分かつ私がとやかく言うべきことではありませんが、彼を少し気の毒に思いました。でも、人間はこのような会議を経て、成長します。それに、こんなことで腐ったり潰れたりする男ではありません。彼にとって、この試練は、よかったのかもしれません。となると、穿ち過ぎかもしれませんが、役員は仕事を任せることで部下を育てようとしてのことなのか。そうであるならばよいのですが、今日の例は、任せすぎの感がしました。余談ですが、その彼、剣士です。若いのに道場を主催しています。我が社期待の星というと、褒めすぎでしょうか。会議が長引き、会社を後にする時刻が下がりました。ランもプールも休みました。夕食時、妻との会話。彼女曰く、今日は栗拾いをした、生徒たちを父の栗畑へ案内した、皆喜び、教師たちも楽しんだ、一番喜んだのは父だった、生徒も教師もそれぞれの家庭へたくさん持って帰った、来年も授業へ組み入れたい、父はいつでもどうぞと返事をした、とのことでした。今日の写真は、知恵美人純米吟醸です。杜氏が代わり、味も変わりました。
2009年09月16日
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午前5時前に起きました。起き抜けの外気温は22℃でしたが、湿度が低く、北風ということもあって涼を感じました。ブラームスのピアノコンチェルト1番を伊藤恵のピアノ、朝比奈隆、新日フィルで聴きました。秋の立ち始めた朝に似合います。今日で9月も1/3が終わります。最近目にした季節を拾ってみました。空が高くなりました。時折、入道が顔を出しますが、涼しい風が吹くと、佩いたような絹雲が広がります。山の色づきは走りさえありませんが、夕日に当たると、黄みを帯びて往く夏の色合いです。番匠川は、朝日にキラキラ光っていましたが、僅かに金色をしたさざ波でした。水面を瀬切る群れは片口鰯でしょうか。その下にこれを追った鱸がいそうでした。富有柿はまだ青いですが、栗がはじけはじめました。昨夜、微醺を帯び、庭に出て鹿の鳴き声を聞きました。月光が冴え始めていました。虫の音が僅かに弱ってきたかな。それでも夕方の法師蝉は全山だし。この季節はやっぱりブラームスということで、独りごちました。今日は会社の飲み会でした。7月から8月にかけて張ったキャンペーンが終わり、その打ち上げをしようということになりました。会場は、「つね三」。何時もの店です。仲間5人、ハモしゃぶを食べ、獺祭を飲みました。大将がダバダ火振りの栗焼酎をサービスしてくれました。2次会は玉井。グラスワインはオーメドックでした。まわしの大きな関取のような味でした。私の職場は男性ばかりです。 どうですか、このシメサバ。 絶品のハモしゃぶ 岩国の銘酒 栗焼酎
2009年09月09日
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終日晴れ。午前5時に起きました。コーヒーとバロックの森。終日デスクワーク。何時もの日常に戻りました。会社の同僚に日田のソバ饅頭を配りました。ささやかな裾わけです。夕方、ラン10km。番匠川の河口コースでした。海岸を走りました。打ち寄せる波、おきに潜水艦が浮かんでいました。よい練習ができました。昨日の道がこのくらい平坦だったら、ベストが出たのにと思いました。途中、会社の美人OLに会いました。犬の散歩をさせていました。普段なら挨拶だけでやり過ごすのですが、美しさに惹かれ、犬をダシに止まって世間話をしました。彼女、年齢は40過ぎ、独身です。笑顔が素敵でした。美しい女性に会うときは、会うものです。もう一人、10年前にPTA連合会で一緒したSさんも散歩でした。大きな会社の社長夫人でしたが、訳ありで離婚。今はアパート住まいと聞きました。人にはそれぞれ事情があります。今日の写真は、スズメバチの巣です。拙宅の郵便受け上空にあります。水中眼鏡をし、露出部分をタオルで隠して麦わら帽子、合羽を着て、完全武装で退治を考えています。
2009年09月07日
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午前4時に起きました。ネットサーフィンで日田のことを調べました。今日は九州の小京都、日田市のレースに参加したのでした。焼きそばが美味しい、サッポロビールの工場がある、焼き物が有名、温泉がある、などが判りました。午前6時前に家を出ました。義母宅の直前で、レガシーのキーを忘れたのに気がつきました。妻が、ワッハッハと笑いました。そうです、今日は彼女が付き添ってくれました。拙宅へとって返し、再出発。途中、ローソンでウィダインゼリーを買いました。日田インターまで1時間半。別府から湯布院にかけて、霧が深かったです。このあたりは、雲海の名所です。盆地ならではの光景です。高速を日田で降り、前津江の方へ向かいました。急峻な谷を跨ぎました。建設中の大山ダム工事現場を抜け、羊腸の道を登っていきました。ダム建設反対の看板がありました。高度が上がり、棚田が目立つようになっても、会場へ着きません。さらに登りました。杉林の間を抜けると、大きな発電用の風車がありました。椿ケ鼻グリーンパークというところに着きました。ここがスタートゴール地点でした。直ぐ近くに釈迦岳ががありました。この地名は、九州北部に大雨が降ったとき、降水量のサンプル地点としてニュースへ登場します。レースは散々でした。5kmの折り返しまで殆ど登り。それもきつい斜度。2km走らぬうち、太ももに乳酸が溜まりパンパン。ゼゴゼゴ、もがきもがきの山登りでした。うねうね続く林道に閉口。78kgの体重が恨めしい。改めて減量を決心しました。タイムは47分。ベストから5分近く遅い。 走り終わったとき、もうこのレースには二度と出ないと思いました。しかし、参加賞の野菜の詰め合わせをいただき、美味しい豚汁を飲んだ妻は、また来ようといいました。彼女、即席のテント売店で農家手作りのイモの入った餅や栗赤飯を求め、悦に入っていました。風車の電力で沸かしたお風呂がありました。レースの日ということで無料開放でした。湯を浴び、サッパリして会場を後にしました。日田市に下り、閑散とした観光物産館で名物のソバ饅頭と 小鹿田(おんだ)焼の酒器を買いました。この窯は柳宗悦が絶賛したという話があります。焼きそばを食べようということになりました。物産館の店員さんに、この町で一番美味しいという店を紹介してもらいました。そこへ行くと、満員、待ちの人が入り口に並んでいました。食べたいという妻の言を無視し、高速に乗りました。津久見まで一気に走り、そこで降りました。入院中の叔父を見舞うためです。父から、骨盤骨折、ギブス固定、ひどい怪我だと聞いていました。しかし、病室へ行くと、大腿骨にヒビが入っただけ、コルセットをはめているけれど、歩行はでき、退院は来週とか。何だ、話が違うと思いつつも、一安心でした。こういう間違いは悪くありません。妻も義叔母とあれこれ話ができてよかったです。叔父夫婦は、私たちの仲人なのです。津久見からは、海岸沿いの国道を走りました。義母宅により、土産の栗赤飯を渡し、妻の車へ乗り換えました。妻に、お疲れさん、外食をしなくていいの?といわれました。レースの慰労と思ってのことでしょう。うれしいな。こんな妻に、時間が押すという理由で焼きそば一つ馳走してやれない私、反省です。スーパーに寄り、刺身を買いました。帰宅して、汗のものを整理、シャワーを浴び、いよいよ反省会です。今日のために取っておいた佐渡の銘酒「北雪大吟醸」を開けました。オーディオの師匠から頂いたものです。冷蔵庫の奥へしまっていました。芳醇にしておくゆかしさがあります。上品。今シーズン最初のレース完走を祝う晩に、願ってもない酒でした。甘露を含んだ妻も、にんまり、言葉なしでした。今日の写真は、その北雪と求めた酒器です。
2009年09月06日
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終日晴れ。朝、母からTELあり、父が「水泳はよいが走るのはもう止めろ」といっているとのこと。名にも出勤前の忙しいときに言わなくても。この一言には伏線がありました。父の弟、私にとっては叔父、彼が腰の骨を折り、入院したのです。住んでいるところは隣町の津久見。病院も津久見にあります。今週末の土曜日、見舞いに行くから運転手をしろとのことでした。引き受けたつもりでした。しかし、父は、私が週末の大会に出るため、同行を拒否したと誤解したのです。立腹し、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということで、走るのを止めてしまえということになったのです。50を過ぎて体を痛めつけたら、心臓を悪くし、大変だという親心もあるのでしょう。加えて、最近、家の回り、梅林庵敷地の草が伸び放題。これを刈らずに放置しているのも、癇に障ったのでしょう。ということで、今日は会社が引けた後、真っ直ぐ帰宅。蚊に刺されながら、2時間、真っ暗になるまで草刈り機を回しました。今日明日と練習は休みです。レース前だからよいのです。会社の帰り、ラジオが東京オリンピック誘致の話題を伝えていました。アンケートの結果、6対4で誘致反対が賛成を上回っているのだそうです。賛成派は国内開催ということで盛り上がる、観戦したいという興味に加え、経済効果に期待してのことでしょう。反対派は、抱える数多の内政問題をして、多額の予算を必要とするオリンピックどころではない、とうところでしょうか。開催地決定の要件として、開催地住民の支持が必須だということですから、東京開催は厳しいかもしれません。昨日の夕方、8月末で退職したA新聞記者のIさんへTELしました。長い記者生活の終わりが奇しくも政権交代の日と重なった、万感胸に迫るものがあると話していました。解る気がします。写真は夏ばてのトラです。
2009年09月04日
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午前2時に起きました。スイカを食べ、すぐに寝ました。午前4時に起きました。今度はブログを書いて、また寝ました。午前6時に起きました。何をやっているのでしょうか。晴れ時々曇り。最近の蒸し暑さは一服、凌ぎやすい一日でした。終日デスクワーク。夕方、ラン8km+スイム1km。プールでは、同じコースを40歳くらいの女性と泳ぎました。彼女のペースは200m毎に私から25m遅れ(1周抜かし、一つのコースを右側通行で泳ぐので、こなります)ます。しかし、クイックターンが上手でした。私は下手です。悔しいな。夕餉は焼きソバでした。マグロの中落ちとシラスの釜揚げを当てに、酔鯨純米吟醸をゆるりと。今日は山頭火を読みました。「其中日記(一)」でした。あばら家の庵に住み、施しを受ける。午前3時に起き、勤行し、庭を耕し、大根を植える。酒があればなくなるまで飲んでしまう。布施のお金で焼酎を買う。自炊。よいです、こんな生活。語彙は吟味され、文章はそぎ落とされています。がしかし、言外の膨らみには圧倒されます。この感性、野にある文化人です。憧れます。今日聴いた音楽は、ブラームスのピアノコンチェルト2番です。クナ指揮ウィーンフィル、1962年の録音です。カーゾン(pf)との組み合わせ、装飾を廃し、真っ向勝負の演奏です.テクニックを弄しているようなところは微塵もありません。村田兆治の直球です。奥入瀬の渓流ではなく、氷塊の混じったアムール川の怒濤のうねり、土石流のような感じです。これがクナ節です。その後、カサドのバッハを改めて聴きました。これをかけると、トラがフラリとやってきて、横になります。もう1枚同じ曲をカザルスで。1932年ものでした。定番のEMI物よりも録音がよいと思います。演奏は若々しいですが、バッハ特有の沈潜した悲しみはよく出ています。今日の写真はトラです。バッハ以外を流すと、こういうことになります。
2009年07月23日
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セミは種類によって大発生する年周期が異なるという話をNHKラジオで聴いた。種類ごとに、2年、3年、5年、7年、11年、13年の周期があるのだという。この配置をどうやって説明するのか。学者は、大発生したときの競合を防ぐためと説明する。つまり素数の最小公倍数は素数以外の数字にくらべ大きくなるので、大発生の年が重なる回数が少なくなる傾向にあるというのだ。たとえば2年と3年であれば一度重なったあと次に重なるまでの期間は6年を要すが、2年と4年であれば次に重なるのは4年後ということで、素数同士の方は数は小さいのに大発生の重なる期間は2年延びる。、種の保存力の小さい種類ほど大発生を先延ばしにし、他の種類との競合を避けるというメカニズムを選択したのではないかとの説。ウーン、奥が深い。
2007年12月17日
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Oさんは阪神大震災のとき被災し、私の地区出身の女性が伴侶だったことから、その年からこの地区に住むことになった。S鋼管の工場を定年まで勤め上げた実直な方。今は小さな茶園で野菜作りが日課。朝晩の散歩途中によく出会った。煙草はエコーを吸い、二階堂の麦焼酎を毎日2合。丁寧な言葉を関西訛りで話す。彼の家の裏山にはカラスの群れが巣を掛け、毎朝毎晩大きな声で鳴く。離れた私の家まで聞こえるから、当人の困っていること推して諮るべし。彼はいま大将が餌取りへ出発したとか、今上等兵が群れ全体へ声をかけたとかを、群れの声色を聞くだけで判るという。カラスの群れの序列を鳴き声で区別できるらしい。
2007年01月30日
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午前4時過ぎ起床。外気温マイナス5℃。冷えている。ストーブの中に薪を入れると、しばらくしたら炎が暴走しはじめる。快感。仕事柄、人と会うことが多い。一昨日だったか、一昨昨日だったか、酒の匂いをプンプンさせる男と会った。話の中身は他愛のないものだったが、問題は別れてすぐにハンドルを握ったことである。当然飲酒運転。飲んでいるのを知りながら見て見ぬふりをするのは如何なものか。通報すれば事はすむのだが、後ろめたい気がしないでもない。だからといって彼が事故を起こし、他の人に迷惑をかけては元も子もない。これからは車種、ナンバーを確認の上、すぐさま通報するよう心がけねばならない。勇気を出して。
2006年11月17日
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午前5時起床。晴れ、厳しい残暑が戻ってきた。久しぶりに昼を外食で。アジ寿司とゴマ出しうどんのセット740円。いつもの暖簾で。自治会長のO氏に和歌山県の葡萄をいただいた。教え子から送ってきたそうな。巨峰の特級品。甘さ格別。美味しい。朝日のSさんが退職の挨拶にみえた。今後は自適の生活を送るということで、晴れやかな顔。胃をこわしているので、しばらく自宅で養生し、その間に次の人生を設計すると話した。月曜日はスターデジオのプログラムが替わる。バレンボイムの平均律とシュタイアーのモーツァルト。K331はフォルテピアノで。息子が、学校の副教材費口座振替依頼書を持って帰った。話しを聞けば、集金日に現金を持って学校へ行くと、盗難があるらしい。これを防ぐ意味では振り替えが一番。ネコカリが底をついた。自民大勝。郵政反対派旧自民は刺客候補に敗れた。ホリエモン落選。彼の主張(天皇制や経済政策)はいいと思うのだが。浪花節の亀井は好きになれない。ミカン箱候補逆転勝利。宗男当選するも有罪判決の場合、失職。九州高校野球秋の大会は沖縄県浦添市。ちょっと無理か。中国が松江、四国が松山。行くとしたら松山か。
2005年09月12日
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午前3時半起床、再度マルティノンを聴く。その後、WALTER LANG TRIOのPalhacoを聴く。明け方のジャズもいい。一昨日だったか、兄からTELあり、出張先の札幌で丸一日余裕ができたという。どこを見たらいいのかと、問い合わせ。本人は函館に行きたいようだったが、中標津に飛んで摩周湖を見ることを勧めた。函館は夜景とトラピストだが、朝市を加えてもなお道東。移動の時間を惜しむのなら札幌近郊で。藻岩山から石狩平野、夕張山地、北には暑寒別が見える。支笏湖の丸駒温泉でくつろぐのもいいなどと、勝手を言い放題。ところが、結局、その一日はつぶれてしまったとTELあり。なんのことやら。しかし、A先生のことといい、なんだかこの頃は札幌モード。いっちょ、行ってみるか。終日、小学校の体育館で選挙事務。午前6時半集合、午後7時まで投票事務。終わって、書類を選挙管理委員会へ。その後、山中にある市民プールで一泳ぎ。駐車場に着いて車から下りると、田んぼを隔てて向こう側の山裾に炭焼き小屋がある。ここからの煙が盆地に拡がり、何ともいえない木酢のいい匂いが漂っている。夜半、しっとりとした風情。松本清張『無宿人別帳』。
2005年09月11日
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雨、明け方はことのほか強く降る。昼間は小康。この間に妻と、彼女の実家へ行き、芝を刈る。帰りに妻の用事にいくつか付き合い、最後に市民プール。1,000m。100mのタイムを計った。自由形が1分40秒。平泳ぎが1分50秒。夜は今日も練習のあった息子のリクエストで焼き肉。草刈りの駄賃に貰ったシャンパンを開けたが保存悪く、駄目。スペインのHIGUERUELA(2003)を開けた。競馬は不如意。ジャン・マルティノンの幻想、牧神を聞く。フランス国立管。名演奏のリストによく上る奴だ。ジョナサン・サフラン・フォアと杉本博司の対談集。「人間は一箇所に住んでいると、その場所を当たり前のものとして、感謝することを忘れてしまう。」杉本博司の『Seascape』は素晴らしい。コンセプトは「古代人のみたものを写真に」。ことばで表現すると、「繰り返す安堵と不安」、「無と存在の交錯」か。いい写真だ。
2005年09月10日
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晴れ、午前3時半起床。気合いを入れて活字に向き合う。日中は厳しい残暑。道行く人はさすような紫外線に日傘をかざす。魚屋Kに寄るも台風の影響で刺身は鯛だけ。ごめんなさいで後にする。帰っての一杯は味の丸干し。街に出たとき、いつも車を止める駐車場で、知人がホンダのバイクをオーバーホールしていた。曰く、一つ一つのネジを無心に回す作業がストレスの解消になる、最高に楽しい時間だ。・・・人にはいろんな楽しみ方がある。私には無理だ。「英の中国詣で加速」とは読売の記事。ブッシュ政権が対中外交を進めようとしている中で、主要先進国も遅れをとらじと接近するのだろう。マーケットとしては今や世界一。ただ、この記事の裏には、今や世界一の経済発展を続ける印との関係を避けざるをえない英の苦慮が見え隠れする。英の印へ与えた20世紀前半の悪しき植民地政策は、今もトラウマと思う。ただ、その結果が中国への武器禁輸解除にならなければいいのだが。桐野夏生、第5回婦人公論文学賞受賞。『魂燃え』。人欄へ掲載した読売は編集手帳で文芸賞をとった15歳の少女のことを書いた。
2005年09月08日
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晴れ時々曇り。台風一過、残暑が戻ってきたが、秋の気配はいたる所に。ススキ、柿、トンボ、虫の音、高い空。夕方、市民プールへ。1,000m。今日は飲むまいと思ったが、缶ビールと日本酒。夕飯は残り物あり合わせで。少し物足りないのでトースト1枚追加。ということでワインも開ける。フルボディ。この町には古本屋がない。店を冷やかす楽しみはには代え難い魅力があるが、田舎暮らしには叶わぬ願いだ。ヤフオクや古書店のネットワークサイトがあるが、手に取ることができず、不完全燃焼。何よりも、中身と出会えない。私の場合、古書店歩きは捜し物を見つけるためのものではなく、出会いを求めてのものなので、「手に取り、めくる」ことが必須。初対面、数ページを眺めただけでその世界を想像し、買うか買わないかを決める。悩み、揺れては次のページをめくっていく、この時間が至福。ちょっと福岡まで足を伸ばしてみようか。西日本新聞が小中学生向けに掲載する見開き2ページのシリーズもの「世界とニッポン 大図解シリーズ」。今回は満州。関東軍、満鉄、「五族協和・王道楽土」。紙面を読む限り、これが日本の侵略でないとすれば、なんなのか。さて、その裏面は衆院選全国の状勢。満鉄には少しの思いがある。伯父が旧制中学を卒業した時、教員であった祖父(伯父にとっては父)は教壇に立つことを願ったが、進取の気概をもつ伯父は満鉄に入社、そこで赤紙を受け取り、サイパン、玉砕という軌跡を辿った。伯父が満州に渡ったとき、大連は租界として発展、満鉄も国策会社として飛ぶ鳥を落とす勢いだったろう。前途洋々たる街で、膨らむ夢に心を躍らせる姿が目に浮かぶよう。
2005年09月07日
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暴風雨。昨晩は畳にごろ寝。何度も目が覚めた。午前5時起床。6時過ぎに消防団長が顔を出す。団員の召集はしばらく様子を見ることにしたが、7時半を過ぎると自主的に集まってくる。8時を過ぎると雨風が猛烈になった。地区内の一部に床上、床下浸水。消防団が畳あげの加勢に行く。老女から避難したいとの要請あり、団が連れに行く。隣にある農協倉庫の屋根がめくれた。パトロールに出た団員の話では、孟宗竹が倒れあちらこちらの道を遮断しているらしい。夕方になり、対策本部からTELあり、小学校を避難場所として解放するので開けよとの指示。向かうも避難者無く、数時間後、ここを閉めた。午後8時には公民館への避難者も家に帰り、消防団も解散。帰宅は午後8時半。ビールを飲んでマタイ受難曲を聞き始めたがまぶたが重くなりバタンキュー。台風の印象。長雨だったが、川の増水は思ったほどではなかった。家の前の道に濁流の流れることはなく、昨年の大雨の時に比べると、被害は少ない。自宅も無傷。
2005年09月06日
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午前5時起床。雨が本降りになった。天気図をみると、台風の目がはっきりわかる。今後、大雨のおそれがあるとは天気予報。朝のうちにメンデルスゾーンとシューマンのピアノ協奏曲をCDRに焼く。午後になって、市役所から、台風のため災害対策本部ができた、夕方から公民館へ詰めるよう依頼あり。妻に、同所に来る仲間2人を合わせた分のにぎりめし作るよう頼み、泊まりに行く。台風の足は遅く、本番は明日。息子、強い雨の中を自転車で学校へ。送ろうと言ったが、大丈夫と答えた。公民館にある図書室の蔵書をゆっくり眺めた。どの本も古く、天には埃が付いていて、パラパラめくると埃が立ちそう。紙がやけ、手に取るのが憚られる。松本清張の文庫本を一冊。
2005年09月05日
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この地区の班長なので、行政の各種配布物を配る仕事がある。今朝は選挙管理委員会からの選挙公報。こんなもの、本当に見る人がいるのだろうか。配り終えたら雨が降り出した。台風の影響か。シューマンのピアノコンチェルトを聴いたあと、床屋へ。帰宅したら妻からTEL、買い物に出かけたという。昼食は勝手にとのこと。チーズとパン、ワインを一杯。ビルスマを聴きながら午睡。蒸し暑く、熟睡できなかった。午後4時にプールへ。1000m。帰宅後、盆前に島の知人に頂いた雲丹を肴に一杯。新聞各紙は衆院選自民優勢。台風は明後日という。午後6時現在の天気図によると四国沖を通りそうな予感。そうなればここ九州大分は可航範囲。大丈夫なのだが。さて、進路はともかく9月。台風一過の後は一気に秋めくのだろう。
2005年09月04日
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午前5時起床。晴れ。昨日Rで求めたマンデリンを挽いて飲む。いい香り。父からTELあり、台風に備え、動かなくなって薪小屋の横にうち捨ててあるトラクターを移動させ、納屋の重しにするという。今春立てた納屋の横壁に付けるように寄せ、梁とトラクターを鎖で結ぶそうな。早速K製材所からユニックを借りてきて、トラクターを吊る。作業が思わぬ早く終わっので裏庭の草刈り。カマキリが多かった。一匹を捕まえジョログモのエバにかけたが、鎌の攻撃に怯んで、結局取り逃がすハメに。妻の掃除洗濯が一段落、息子も補習と水泳のため学校ということで、山奥の町へデート。「いとう」というジャズ喫茶。私は2度目。以前にも書いたが、ここの音は今ひとつ。色艶が無い。JBLなのでクラシックを聴くには望むべくもないが、持参したマイスキーのバッハをかけてもらうと案の定。ただ山奥、櫟林の中にポツンと一軒ある茶店だけに、雰囲気はいい。コーヒーも酸味が利いて美味しいし、器も個性あるものを使っている。手作りのクッキーとシャーベット状に凍らせたブルーベリーの実、これが付いて500円。ここのマダムは横浜出身という。偶然だが、妻と面識があった。以前、私の町で第九の演奏が行われていた頃、一緒に歌った仲という。2人の話が弾む。閑話休題、其所を後にして近くの道の駅へ。木酢を買い、ソフトクリームを食べ、更に山奥へ。「麦福」というパン屋へ寄り、クロワッサンを買う。店の近くには映画「阿弥陀堂便り」に出てくるお堂がある。映画「となりのトトロ」の猫バス(大きな板に描いたもの)が立てかけてあって、この地域ではちょっとした名所になっているらしい。ここを後にし、「鷹取屋神社」へ。駐車場から神社まではしばらく歩くことになるが、その道中が素晴らしい。樹齢200年を超す杉や檜の大木が至る所にたっている。今日の目的はこの木を見るため。妻へ、この大木は江戸時代から此処に生きているといいながら、幹に手を当て、木と会話。暫し此処に佇み、家路へ。途中山水を汲み、田舎豆腐を買い、市民プールでひと泳ぎ。水泳のS先生、高野夫妻にあう。帰ったら市報9部が届いていたので、近所に配る。パンとワイン、バタンキュー。 宝船佐々木譲のブログ、アムステルダムのゴッホ美術館のこと。関連して小林秀雄の『ゴッホの手紙』『モーツァルト』をこき下ろしている。小林は私が高校生の頃は大学入試問題によく使われていたが、30年も経つと、さすがに色あせるのだろう。文学者の作品は時代を超えて残るが、評論家の評論は時代と共に消え去る。ドライブ道中、後10年、今の私の仕事にキリがついたら、家の横に喫茶店をひらこうと話し合う。コーヒーは私は煎れ、妻が得意のロールケーキを焼く。何千枚もあるレコードやCDも眠りから覚めるし、何よりも、終日タンノイの音に包まれての生活が魅力。妻にもその気があることを知り、嬉しくなった。店の名前も考えた。もちろん「梅林庵」。
2005年09月03日
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晴れ、厳しい残暑。20時30分帰宅。途中、町のスーパーでホウボウの刺身を買う。まず冷酒で合わせ、その後、昨日の黒パンとコート・デュ・ローヌ、これはグルナッシュとシラー。チーズとソーセージに合わせたが、この時期の常温で飲んだのがいけなかった。ワングラスで冷蔵庫送り。息子のパスポートができた。なかなか男前。明きの修学旅行でニュージーランドへ行くという。楽しんでこい。百科事典『室町時代』の項。60ページを越えるインテリジェンス。教養として読む快感。
2005年09月02日
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晴れ。厳しい残暑。夕方、約束どおり防犯協会のWさんと縄暖簾Iへ。ここは彼の河岸。ずいぶん前から贔屓にしているらしい。店の中は、息子さんが死んでから御主人奥さんともに心なしか元気がない。白波を1本、あては刺身盛り合わせ、ホゴカラ、サイコロステーキ。味はなかなかのもの。Wさんとの会話が弾む。陸軍中の学校のこと、今般の選挙、人間の死生観、話題は尽きぬ。代行運転で帰宅。人間は齢を重ねても、あと何年は生きたいという生への執着を捨てきれない。そしてその何年とは、おおむね5年のようである。若い世代が死を意識しない理由は、何十年もの、人間が実感として感じる以上の約束された生が続くためであるが、枯れた世代にあってはそうはゆかぬ。死が現実のものになり、いやがおうにも自分の存在が無になることに対峙することになる。恐怖との戦いである。しかし、終日、このことばかりを考えているわけにはいかないのが人間で、死が必ずやってくることは事実として理解できていても、その一方であとどれくらいの期間、生を約束されたら、死の恐怖から一時的に解放されるのだろうかとの思いを無意識のうちに自問することになるのである。この答えが5年間。この5年間は病床にある人たちがほぼ共通して口にする年数だそうな。
2005年09月01日
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雨、午前中強く降る。午後上がるも夜は雷雨。稲光と家を揺るがす大きな音。ブラームス交響曲1番とドヴォルザークの新世界、ジュリーニのものを録音。用事で3年前にできた隣町のR中学へ。木造の建物。地元の木材を多用。建築費は11億円。うち起債6億円。生徒数80人弱。同行した60代のご婦人からパンを頂いた。その町の山奥にあるパン工房のもの。店は今春できたという。生地はフランスパン系。ワインに合わせた。義母に別府温泉の土産をもらう。ノシイカとニンニクの酒粕漬け。市民プール。800m。市の職員を退職後、JICAの派遣で中米へ行くというSさんとあう。60歳なのに頑張っている。息子が小学校の時世話になった水泳のコーチにも会った。駒大苫小牧の処分、高野連は野球部へペナルティを科しても、学校へ科すことができない。これが今回のねじれ現象を生んだ。衆議院選は投票日までの間、まだ状勢が大きく変わる可能性有り。百科事典 アフリカの項
2005年08月31日
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朝間、植えた茶の木に水をやるも曇り一時雨。途中、敷き草の中のコオロギを捕まえ、女郎蜘蛛に与える。スルスルとやって来て一巻きに。防犯協会のWさんと木曜日に飲む約束。夕方、妻と市民プールへ。今日は1,000m。A新聞を退職する記者に「小壷」を戴いた。美味しい。夕食のあと、アイスコーヒーに合わせる。ノンアルコール。今朝録音したブラームス1番、ジュリーに、ウィーンフィルのラベル作り。水泳部の息子、テレビドラマ「海猿」に夢中。中日阪神戦は雨で中止。本日、活字は新聞のみ。
2005年08月30日
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晴れ。朝晩は涼しくなった。これからいい季節になる。日経平均下げるもSJ株は1,500円高。いいぞ。娘から宅配便の住所記載漏れの指摘メール。電話番号を書いてあったのでいいではないか。それはそうと、運命の力序曲には取り組むのか。ヤフオクに森有正全集。出品価格8千円は安い。15,000円までは買いだ。『バビロンの流れのほとりにて』に痺れたことがある。彼は一夏、北大の学生会館だったか、に寄宿し、クラーク会館のパイプオルガンを弾いていたことがある。札幌の乾いた空気は、フランス哲学の思索によく合ったのだろう。学生の頃、彼の対談集がレコード発売されたことがある。タイトルは『思索の源泉としての音楽』。なんと響きのいい言葉か。バッハの音楽を言い得て妙。この中には彼の弾くコラール前奏曲も数曲入っていた。久しぶりに聴いてみよう。そういえば、夏休み、娘に『遙かなるノートルダム』を読むよう勧めたが、どうしたのだろう。秋冷ということで熱燗。そろそろ湯豆腐とおでんが恋しくなりそう。ショパンのワルツ、スケルツォをアシュケナージ他で聴く。名演。読みたい本澁澤龍彦『高丘親王航海記』(文春文庫)ガルシア・マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)アリステア・マクラウド『灰色の輝ける贈りもの』(新潮社)以上井上荒野の勧め本。本多秋五『物語戦後文学史』上、中、下(岩波現代文庫)日経コラム「漢字コトバ散策」、「刺客」。今年の総選挙で使われることば。もとは『史記』の刺客列伝。「風蕭々として易水寒く 壮士一たび去ってまた還らず」
2005年08月29日
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朝5時起床、朝日のIさんへ西院思うことなどをメール。ブランチ。久しぶりにコーヒーを入れ、妻とゆっくり会話。昨晩彼女が聴いた友人の近況に始まり、最後は最近の悩みまで。息子が起きてきて彼にもブランチ。車を取りに実家へ妻を送り、市民プールへ。本日800m。球場でリトルリーグ。中3までのクラブチーム。硬式だ。見ているとまだまだ幼い。帰宅は午後2時。録音していた音楽をCD-Rへ焼く。バッハの無伴奏ヴァイオリンリュート編、ブラームスピアノ協奏曲1番、ベートーベン田園、モーツァルトk550など。エッシェンバッハ指揮パリ管のブルックナー4番はトラックの問題で焼くことができなかった。残念。清水和音のショパン、スケルツォを聴いた。力強く、いい演奏だ。優男のイメージを払拭してあまりある。年の功か。金井美恵子は現代詩作家なのか。シュールな文章。荒川洋治は自らをそう名乗るが、それは彼女の方が先なのかもしれない。『自然の子ども』を読んでいる。馬、3kのマイナス。認識と経験が同義語であるか否か。認識の過程は、経験のそれに似ているようで、がしかし、決して同じものではない。
2005年08月28日
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