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源氏物語〔34帖 若菜 31〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。人々の胸に迫る思いを歌に詠んだが、その詳細は省かれている。夜が更けて源氏は退出し、従者たちはそれぞれ位階に応じた衣装を賜った。別当大納言は源氏を送り、六条院まで同行した。朱雀院は雪の降る日に無理をして起き上がったことでまた風邪をひいてしまったが、女三の宮の婚約がまとまったことで安心を覚えていた。だが一方で六条院(源氏)は、新しい婚約を引き受けた責任の重さと、紫の上との夫婦生活のあり方を変えざるを得ないという苦しみが心の中で交じり合い、悩みを抱えていた。私はこの人への愛情を少しも減らすどころか、むしろ深めていくだろう。しかし、その気持ちが伝わる前に、この人は疑って自分を苦しめるのではないか」と思うと心が落ち着かない。今では二人の間には隔てなどなく、すべてを打ち明け合って生きてきた夫婦であったからこそ、この話を隠しているのが源氏には苦痛でありながら、その夜は言い出せずに床についた。翌日も雪が降り続き、空は身にしみるように寒々しい色をしていた。
2025.10.31
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源氏物語〔34帖 若菜 30〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。もっと早く、たとえば権中納言(柏木)の独身のころに話を持ち出していればよかったと思う。だが太政大臣(源氏の娘の婿=頭中将)が先を越してしまったのが悔やまれる、と心情を吐露した。これを聞いた源氏は答えた。権中納言は誠実で忠実な夫になりうるが、まだ若く位も低いので、姫宮の後ろ盾としては力不足だろう。自分が深く愛情をもって世話をすれば、朱雀院のもとにいるのと変わらぬ安らぎを与えられるはずだと思う。だが自分もすでに年を重ねており、途中で死に別れる可能性が大きいのが不安である、とも述べた。こうして最終的に、源氏は女三の宮との結婚を引き受けることになった。その夜は遅くなったため、朱雀院に仕える高官も、源氏に従ってきた高官も、それぞれに饗応の席についた。料理は正式な饗宴ではなく、精進料理を風流に仕立てた趣あるもので、場は居間が用いられた。朱雀院の膳は、漆器ではない浅香の懸盤の上に仏家の作法で鉢にご飯を盛るものであり、在俗のころとはまるで違う光景であった。その姿に列席者は皆涙を流した。
2025.10.30
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源氏物語〔34帖 若菜 29〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。天皇という存在はあくまで「公の君」であり、政務に心を砕くことはあっても、私的な場で妹である内親王の面倒を細かく見続けることは難しい。女性にとってはやはり結婚によって、離れがたい縁で結ばれた男性の支えを得ることが最も確実で安全だと言える。もしどうしても心残りがあるのなら、密かに婿を選んでおくのがよいだろうと周囲の人々は進言した。それを受けて朱雀院は言った。自分もそう思うが、それがまた困難なのだ、と。昔の例を見ても、天皇の内親王が結婚することは多くあったが、自分のように出家し、すでに力の衰えた立場の者の娘にふさわしい配偶者を得ることは難しい。だからといって誰でもよいとは言えず、思い悩むばかりで病は重くなる一方、時は取り返せず過ぎていくので焦りばかりが募る。そこで朱雀院は、頼みづらいことではあるが、自分の娘である幼い内親王を光源氏に特別の厚意で預かってもらい、ふさわしい相手と縁組させてほしいと切実に頼んだ。
2025.10.29
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源氏物語〔34帖 若菜 28〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院は、今日か明日かと思うほどの重病でありながら、ただ生き延びていることにかまけて希望の出家を果たさぬまま死んではならぬと、思い切って実行した。命を失えば仏への勤めもできない。だからまず一歩でも出家という形をとり、たとえ大きな修行はできなくとも念仏だけは続けたい。自分がこうして生きているのは、この志を遂げたいと願う心を仏が憐れんでくださったからだと思う。だがまだ何一つ仏の勤めを果たしていないことを申し訳なく思うと言い、さらに続けて院は、心残りは、何人もいる娘たちのことだ。とりわけ母を失い、誰に託せばよいかわからぬ子のことが、私には何よりの苦悶となっていると言った。朱雀院は正面からは名指しせず語ったが、六条院はその言葉を聞き、深く気の毒に思った。同時に心の中では、その娘である女三の宮に対する好奇心も抑えきれず、冷ややかに聞き流すことができなかった。父である自分が頼みとしている姫宮のことを言葉にして託しておけば、疎かには扱わないだろうと考えられる。
2025.10.28
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源氏物語〔34帖 若菜 27〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。世間から寄せられる尊敬や信頼は並々でなく厚いものであったが、外形にこだわることを避けていたのである。朱雀院はこの訪問を心から喜び、病の苦しみを押して光源氏に会った。儀礼にとらわれず病室にもう一つ座を設け、源氏を招いた。源氏は髪を剃り落とした兄の姿を目にしたとき、世界が暗く閉ざされたように感じ、どうしようもない深い悲しみに襲われた。そしてためらうことなく口を開き、故院(先帝)が亡くなってからというもの、人生の無常を深く思い知らされ、出家を望みながらも、心弱くて何かにつけて思いとどまらされ、ついにはあなたに先を越されてこの姿をお取りになった。自分のふがいなさが恥ずかしい。一人の身であるならすぐにでも出家できるが、周囲のことを思うと実行に踏み切れずにいると語る源氏の姿は慰めようのない悲しみに満ちていた。朱雀院も病の身で心細く、冷静を装うことなどできず、弱々しい声で昔や今のことを語り合った。
2025.10.27
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源氏物語〔34帖 若菜 26〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院が法服に着替え、俗世と縁を絶つ出家の儀式を執り行うと、誰もが深い悲しみに打たれた。すでに俗世の恩愛を超越しているはずの僧たちでさえ涙をこらえきれず流したほどであるから、まして姫宮や女御、更衣をはじめとする后妃たち、殿中の男女すべてが声を上げて泣かずにはいられなかった。院はそうした泣き声を耳にしながらも、もとは出家と同時に寺に移るはずであった計画を変更せざるを得なかったことを残念に思い、それは皆が女三の宮に心を引かれているせいでそうなったのだと、そば近い者に語った。宮中をはじめとして、多くの人々が病を見舞う使いを寄越したことは言うまでもない。そのころ、六条院(光源氏)は朱雀院の病がやや持ち直したとの報せを受け、自ら見舞いに訪れた。院はすでに帝から譲位しており、形式的には太上天皇と変わらぬ待遇を受けていたが、光源氏はそれを表向きにはほとんど行われず、外出の儀式も簡素にし、立派すぎない車に乗り、随行の高官たちも簡略なかたちで従わせていた。
2025.10.26
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源氏物語〔34帖 若菜 25〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。返歌としては、思い出を語らず、ただ祝いの気持ちだけを込めて、「次から次へと見る人がいて、万代ののちまでも、この小櫛が神々しいほどのものとなりますように」と詠んだ。しかし病は決して軽くなってはいなかった。無理をして行った姫宮の裳着の式から三日後、ついに院は髪を下ろし、出家してしまった。普通の家であっても、主人が出家する時は家族に大きな悲しみがあるものだが、院の場合は数多くの后妃たちが深く嘆き悲しんだ。とりわけ寵愛の尚侍は、ずっと院のそばを離れずに涙に暮れた。院はその姿を見て、慰めようとしたがどうにもならなかった。朱雀院は出家の儀式を迎えることになった。子への愛情には限度があるはずなのに、身近な者があまりに悲しみに沈んでいるのを見ると、耐えがたい心苦しさを覚え、院も平静でいられなくなる。けれども何とか気持ちを抑え、脇息にもたれてじっと耐えていた。その場には延暦寺の座主のほか三人の高僧が戒師として参列していた。
2025.10.25
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源氏物語〔34帖 若菜 24〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。人々はこれを「出家を控えた朱雀院が催す最後の盛大な儀式」と受けとめ、帝や東宮も深く同情し、宮中の納殿に蓄えられていた唐物の珍しい品々を多く寄贈した。六条院(光源氏)からも数多くの贈り物が届けられ、それは出席者に配られる衣服や、主賓の大臣への特別な品々などであった。さらに中宮からは、姫宮の装束や櫛の箱などが豪華に調えられて贈られた。その中には、朱雀院が昔、この中宮が入内する時に贈った髪上げの道具が、新しく加工されながらも元の形を損なわず添えられていた。中宮権亮という、院の殿上にも仕える者が使いとして、それを姫宮のもとへ届けるよう命じられた。その贈り物には一首の歌が添えられていた。「昔のことを今に伝えるとすれば、この玉の小櫛は神々しいほどに古めかしくなったものです」これを見た院は、胸にしみる思いがしたはずである。若き日の思い出を呼び起こす縁起の悪いものとは考えず、大切にすべき品と思って、姫宮にお渡しになった。
2025.10.24
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源氏物語〔34帖 若菜 23〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。年の暮れが近づいてきた。朱雀院の病気は依然として重く、回復の見込みもないままだったので、姫宮(三の宮)の裳着の式を急いで準備することになった。これは過去にも未来にも例がないほど豪華で華やかな儀式になる様子で、宮中の人々は皆、落ち着かずにそわそわと騒ぎ立っていた。式は院の栢殿の西向きの座敷で行われ、御帳や几帳などの調度類は、日本風の織物は一切使わず、唐の后妃の部屋を模した飾りつけで、きらびやかで堂々としてまばゆいばかりに仕立てられていた。姫宮の腰結いの役は前もって太政大臣に頼まれていたが、この人物は仰々しく気の進まないふうである。院の願いに背いたことはこれまで一度もなく、厚い忠誠心から辞退できずに参列することになり、他の左右大臣や高官たちも、多忙や病気を押して無理にでも出席した。親王方も八方から参集し、殿上人は数知れず集まり、東宮に仕える者も宮中の奉仕者も残らず出席したので、まことに盛大な式と見えた。
2025.10.23
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源氏物語〔34帖 若菜 22〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。光源氏は「たとえば、先帝のときも皇太后が東宮時代からの最初の女御で、大きな勢力を持っていたが、のちに入内した入道宮様に押しのけられてしまった例もある。しかもその宮の母の女御は、入道宮の妹で、容貌も入道宮に劣らず美しいと評判だった。だから、この三の宮も両親のどちらに似ても、平凡な美しさにとどまることはないだろう」と語った。つまり源氏は、結婚相手として自分を候補にすることには否定的だったが、一方で「三の宮という女性そのもの」に対しては強い関心や好奇心を抱いている様子を見せていた。要するにここでは、朱雀院は「六条院に三の宮を託すのが一番」と考えて固く決めているのに、源氏は「自分が妻にすることは良くない」「無常の世では命の保証もない」と慎重に退けている場面です。しかし完全に拒絶するのではなく、「入内」という別の道を示したり、「美しさ」について興味を見せているあたりに、源氏らしい複雑な心理が滲んでいる場面である。
2025.10.22
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源氏物語〔34帖 若菜 21〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。もし私が院のあとを追うように亡くなったら、その時どんなに気がかりになることか。自分自身のことを考えるだけでも、執着が残ってしまうようなことで、なすべきことではないと思う。私の子である中納言などは、まだ若くて地位も軽いが、将来は有望で国家を支える人物になる可能性を持っている。だから三の宮が彼に嫁いでも、釣り合いがとれないということはないだろう。ただ、あの子は真面目すぎて、一人の妻と平和に家庭を築いているから、それを理由に院は遠慮なさるのだろうか」と言う。こう言って、あくまでも自分が直接三の宮を妻に迎えることは取り上げなかった。左中弁はそれを見て、朱雀院の側では固い決意でこの縁談を進めようとしているのに、源氏が受け入れないのを残念に思い、朱雀院を気の毒にも思った。そこで「あちらの院(朱雀院)がどれほどこの縁談の成立を望んでいるか」という事情を詳しく伝えると、光源氏はさすがに微笑を浮かべて、「なるほど、たいへんな愛娘なのだろう。だからいろいろと将来を心配しているのだな。でも、宮中に入内させればよいではないか。すでに立派な后妃がいても、望みが全くないわけではない」と言う。
2025.10.21
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源氏物語〔34帖 若菜 20〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。光源氏も以前から、朱雀院が三の宮の結婚問題で心を痛めていることは聞いていたので「お気の毒に思うし、同情もする。だが院が自分の命に不安を感じているなら、私だって同じことだ。自分の方が長生きできる保証なんてどこにもない。たとえ兄が先に亡くなり弟があとに残るのが自然だとしても、それが必ずしもそうなるとは限らない。朱雀院が女三の宮を源氏に託す気持ちを持っていることは紫の上の耳にも伝わっていたが、彼女は「そんなことにはなるまい。あれほど前斎院を恋いながらも強いて結婚しなかったのだから」と気にも留めず、疑うこともなかった。その無邪気さを見ると、源氏は心苦しくて、「この人はどう思うだろう。だから私が何年かでも生き残っている間は、血縁のある姫宮方のことはできるだけ保護するつもりだし、とくに院が心配している姫なら特別に世話もするだろう。でも無常の世の中だから、私の命だって確実に残るとは限らないのだ」と言う。さらに「まして私の妻にしてしまうことは、むしろよくないことかもしれない。
2025.10.20
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源氏物語〔34帖 若菜 19〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。こうした婿選びの話は東宮の耳にも入った。東宮は、「こうした結婚は目先のこと以上に、後世の手本ともなることだから、よく考えて相手を選ぶのがよい。どんなに立派な人物でも、結局は普通の人でしかない。だから六条院に託すのが最善だろう」と考えた。これは直接院に進言したわけではなく、別の人を通して伝えられた言葉であった。要するに、この場面では「三の宮に求婚する候補者たちの思惑と駆け引き」が描かれているのですね。太政大臣は家の名誉のため、兵部卿宮は失恋の意地から、藤大納言は地位の保障のため、源中納言は揺れる心と妻への遠慮から、それぞれ思惑がある。そして最後には、東宮の冷静な意見が出て「やはり六条院に任せるのが最もよい」という結論へ近づいていく流れです。朱雀院は「なるほど、もっともな意見だ。とても良い忠告だ」と納得して、ますます決心を固めた。三の宮の乳母の兄である左中弁に頼んで、六条院(光源氏)に大まかな話を伝えさせた。
2025.10.19
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源氏物語〔34帖 若菜 18〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院がかつてはっきりと自分への信頼を示してくれたこともあり、良い仲介者がいて三の宮を望んだら、院も冷たくは扱わないだろうという自信があったからだ。けれども彼には、これまで苦労を共にし、信頼してきた妻がいた。過去には関係を絶ってもよいほどの状況になったことさえあったのに、それでも別れずに添い続けてきた。その妻を差し置いて、今さら二度目の結婚をすれば、妻は必ず心を痛めるに違いない。また相手が高貴な姫であれば、自分の行動はさらに制約され、双方に不満が生じて自分自身が苦しくなるだろうと思われた。中納言はもともと多情な性格ではなかったので、動いた心を押さえて外には出さなかったが、それでも姫宮が他人に嫁ぐことは耐えがたく、大きな心の問題になっていた。朱雀院は、自分が出家して俗世から離れようとしているなかで、最も心残りとしているのは母を持たない幼い内親王(女三の宮)の将来である。内親王といっても、父の強い後ろ盾がなければ、普通の家の娘よりもかえって心細い立場になることが多い。もちろん皇太子である東宮(冷泉帝の子)も立派に次代の帝として天下の望みを担っている。
2025.10.18
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源氏物語〔34帖 若菜 17〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。太政大臣は、自分の長男である右衛門督がまだ独身でいて「妻にするなら内親王でなければ結婚はしない」と考えているようだ。もし三の宮の降嫁が決まったとき、長男が院の婿に選ばれたら、自分にとってこれ以上ない名誉だと考えた。そこで大臣は、自分の姉である夫人を通じて尚侍に働きかけ、一方では直接院にも懇願していた。兵部卿宮は、かつて左大将の妻に失恋した経緯があった。だから、その夫婦に対して見劣りするような結婚はできないという思いがあり、ぜひとも三の宮を妻に迎えたいと熱心に求婚していた。藤大納言は長い間、院の側近として仕えてきた人で、院が出家すれば有力な後ろ盾を失うことになるので、それを避けるために三の宮との結婚を望み、地位の安定を確保しようと功利的な考えで強く願い出ていた。源中納言もまた、婿候補が次々に現れるのを見ては心を揺らしていた。
2025.10.17
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源氏物語〔34帖 若菜 16〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。独身を貫き、誇り高い精神を持っていることも評価できるし、学問にも優れ、将来の政務にも期待できる。しかしそれでも、朱雀院にとっては「自分の愛娘の婿にふさわしい相手ではない」という思いが強く、結局は六条院しか考えられなかった。まとめると、ここは朱雀院が「三の宮を誰に託すか」を真剣に悩み、独身の危うさや世間の目を考えた上で、結局は六条院が最も安心できる相手だと結論づける。他の候補者も検討するけれど、それぞれ弱点があり、六条院以外には託せない、という親の切実な思いが表れている。朱雀院は三の宮の将来を思って心を悩ませていた。婿候補は多いが、女三の宮以外の姉宮たちに求婚する者はいない。だからこそ、院が三の宮をどれほど大事に思い、良い配偶者を選ぼうと心を砕いているのかということは、自然と宮中から外にも伝わり、我こそは候補だと意識する男たちが多くいた。
2025.10.16
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源氏物語〔34帖 若菜 15〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。たとえば兵部卿宮は容姿も立派で人柄も悪くはないが、兄弟である自分が客観的に批評しにくいことを差し引いても、どうにも柔弱すぎて芸術的な趣味に偏っており、世間からの信望も薄い。夫としては頼りないと言わざるを得ない。また大納言は、臣下の礼をもって仕えようという誠実な人物ではあるが、やはり帝王の娘の婿としては釣り合わず、許す気にはなれなかった。昔から帝の婿には何か一つでも抜きん出た人物が選ばれるのが当然であった。ただ都合がよいからという理由で選ぶのは恥ずかしいことだと考えたからである。右衛門督も候補の一人ではあった。尚侍が、彼が結婚を望んでいると伝えてきたのだ。確かに彼は優れた人物で、官位がもう少し上なら大いに考慮してもよいくらいだ。
2025.10.15
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源氏物語〔34帖 若菜 14〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院はさらに、自分が出家するにあたり、これから先のことも考えざるを得なかった。本当は姫宮がもう少し成長するまで自分の手元に置いていたいと願ってきた。しかし、近ごろの体調ではその願いをかなえることができず、このままでは信仰生活にも入れずに死んでしまうかもしれない。だからやむを得ず出家を決意し、姫宮のことは六条院に託すのが一番安心できると考えた。六条院にはすでに多くの妻がいるが、それを一々気にする必要はなく、こちらが寛大な心を持っていればよいことだ。華やかな時代を過ぎ、今は落ち着いた心境にある六条院であれば、三の宮の夫として最も頼もしい存在だろう。他に適当な候補者は見当たらないのだ、と院は考えを固める。一応、候補者として思い浮かぶ人物はいないわけではなかった。
2025.10.14
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源氏物語〔34帖 若菜 13〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。だからこそ、親として適当な配偶者を選ばずに放っておくのは不安でならないと院は考えた。結婚というのは、たとえ後に良いことも悪いこともあったとしても、親や兄が選んで決めたものであれば、その責任は本人にかからない。しかし恋愛の末に結婚した場合、もし良い結果になっても、最初に噂が立った時には「親の承諾もなく、家の許しも得ずに恋愛して夫を持った」ということが大きな恥として語られてしまう。普通の家の娘ですら軽率だと見られるのだから、高貴な姫宮の場合はなおさらだ。自分の体は自分のものだというのに、無理やり奪われて望まぬ相手の妻になるようなことがあれば、それもまた軽蔑される原因になる。三の宮はもともと少し弱さがあり、隙を見せやすい性質なのではないかと院は心配しており、だからこそ侍女たちが勝手に姫宮を振り回すようなことがあってはならない、そんな噂が広まるのは恥である、と強く釘をさした。
2025.10.13
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源氏物語〔34帖 若菜 12〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。内親王は本来なら神聖な存在として結婚させずに守るべきだとも考えられるし、高い身分の女性であっても結婚することで家庭の事情が世間に知られるようになり、余計な苦労や悩みを背負い込むことになるのだから、むしろ独身のままの方が良いのではないか、と否定的な気持ちに傾くこともあった。しかし同時に、親や兄が亡くなった後、独り身のままでいることは危ういとも思われた。昔の世の中では神聖なものはそのまま尊重されたが、最近の世の風潮ではそうした神聖さを無視して、強引に結婚を迫るような無道なことを平気で行う男が多くなり、そこから噂の種が生まれる。昨日までは高貴な親の娘として尊敬されていたのに、くだらない男にだまされて浮名を立て、亡き親の名誉を汚すような話はいくらでもある。姫宮といえど女である以上、そうした危険から逃れられるわけではなく、結局は運命がどう転ぶか誰にも分からない。
2025.10.12
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源氏物語〔34帖 若菜 11〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。だから姫宮も不快に感じる可能性は否定できない。姫宮を望む男は他にも大勢いるのだから、よく考えたうえで決めていただきたい、と。姫宮は非常に尊い身分の方だが、今の世の中では毅然として独身を貫き、立派に生きている女性も少なくないのに、三の宮にはどうもその強さが欠けていて安心できない。だからこそ私たち侍女が一生懸命に仕えても、大きな支えにはならない。世間の女性の例に照らしても、異例の独身生活を選ぶのではなく、結婚してこそ安心できるはずだ。特別な後見をしてくれる人物がいないのは、とても心細いことではないだろうか。朱雀院は、三の宮の将来について深く思い悩んでいた。
2025.10.11
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源氏物語〔34帖 若菜 10〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。もしこの縁談が実現すれば、どれほど立派で釣り合いのとれた夫婦となるだろう、と語った。その後、乳母は朱雀院に何かを報告するついでに、自分が前日に兄の左中弁と交わした話を持ち出した。兄は「院はきっと承諾するだろう。六条院にとっても長年の望みがかなう縁談だと考えるに違いない。だから朱雀院のお許しさえあれば、私から伝えよう」と言っていたことを話し、「どうしたらよいでしょうか」と朱雀院に問いかけた。乳母はさらに自分の意見を述べた。六条院は愛人一人ひとりに、その身分にふさわしい待遇を与え、思いやり深い人物であると聞いているけれども、普通の女性であれば、すでに妻のいる男性と結婚するのを幸せだとは思わないものだ。
2025.10.10
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源氏物語〔34帖 若菜 9〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。文章が長いとのご指摘を受け短くしたのをテスト公開もし姫宮が六条院へ嫁ぐことになったら、紫の上がどんなに優れた奥方であっても姫宮に勝つことは難しいだろう、いや、必ずしもそう単純にはいかないかもしれないが、と左中弁は考えを述べた。そして、院自身も「自分はあらゆる幸福に恵まれているが、ただ恋愛の面では人々から批判も受け、自分自身でも満足できないところがある」と漏らすことがある、と指摘した。確かにそう感じられる節はある、と彼は言う。院のこれまでの妻たちは皆ただの女性であり、皇族である内親王を一人も妻にしていない。だからこそ、院の身分にふさわしいのは姫宮のような高貴な女性であるはず。
2025.10.09
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源氏物語〔34帖 若菜 8〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。心の奥では、かつての尚侍との事件を思い返していた。乳母の中でもとくに中心的な一人の兄にあたる左中弁某は、六条院からの厚い恩顧を受けて親しく出入りしている人物であると同時に、この姫宮を深く敬う一人の伺候者でもあった。彼がやって来た折に、妹である乳母は朱雀院の望みを伝えた。「この話を、もし機会があれば六条院に申し上げてみてください。内親王は本来生涯独身であることが原則ですが、婿として、どのような場面でも力を貸してくれる人物を持つことは、独身の宮様よりもずっと頼もしいと思われ、この宮には院以外に誠意をもって世話してくれる後ろ盾はなかった。私がどんなにお仕え申し上げていても、それは限られたことしかできませんし、私ひとりだけが仕えているわけでもなく、多くの人々が関わっています。誰かがいつ不心得をし、思いもよらぬ事態を媒介して不幸を招くかもしれません。ですから、院がおいでになるうちにこの婚姻のことが決まれば、私はどれほど安心できるかわかりません。どんなに尊い身分の方でも、女性の運命というものは予測できないものですから、不安でたまらないのです。多くの姫宮の中でもこの方は特に大切にされているため、かえって嫉妬を受けることにもなり、私は心配で仕方ありません」と訴えた。左中弁は「話すことはしましょうが、良い結果になるかどうかはわかりません。院は恋愛において飽きっぽいとか気まぐれだとかいうことはない方で、むしろ珍しいほど誠実さを持っています。たとえ愛人にした人であっても、気に入るか否かにかかわらず、それぞれにきちんと居場所を与えてこられました。確かに多くの妻や愛妾を持っておられるけれども、結局は心から愛する夫人はただ一人だけなのです。そのため、同じ院の屋敷内にいながら寂しさを抱いて暮らしている女性も多いのです」と答えた。
2025.10.08
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源氏物語〔34帖 若菜 7〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。裳着の式の準備についてさまざまに指示を与える折に、院はふと、「六条院が式部卿宮の姫君を大切に育て上げたように、この姫をきちんと世話してくれる男性はいないのだろうか。普通の人々の中には、自分が選び出すような人格者はまず見当たらない。宮中には中宮がいて、その下の女御たちも皆、強い後ろ盾を持っている。そういう支えなしに後宮で暮らすのは大変なことに違いない。あの権中納言が独身のころに話を持ちかけてみればよかった。若いが立派な秀才で、将来も頼りになる人柄らしいのに」とも言った。すると、乳母のひとりがこう述べた。中納言は初めから真面目一途な性格で、これまでずっと最初の恋の相手である奥方のことばかり思い詰めていて、失恋の時代にも他の女性には耳を傾けなかった。その姫と一緒になった今では、第二の結婚の話が彼を動かすとは思えない。むしろ六条院のほうがそうした可能性を持っているように見える。恋愛好きで女性に対して好奇心を抱く気質は今も昔も変わらない。その中でもとりわけ高貴な女性に心を寄せ、今でも前の斎院を思い続けているのだと語った。院は「今もなお恋愛好きである点はありがたくない」と口にした。だが乳母が語るように六条院には多くの妻や愛人がいて、唯一の妻として認めさせることはできなくとも、やはり親代わりの良人として選ぶなら六条院が最もふさわしいのではないか、と考えていたようであった。院は「おまえの言うことは面白い。大切に育てた娘に良い人生を歩ませたいと願って配偶を探すなら、六条院に愛されることを願うのが自然なのだろう。人の一生は短いのだから、誰もが生きがいを求めるのは当然だ。もし自分が女であったなら、兄弟であっても兄弟以上に近づこうとしただろう。若い頃には本当にそう思ったのだ。だから女が誘惑に負けるのは道理で、自然なことだ」と語った。
2025.10.07
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源氏物語〔34帖 若菜 6〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。年配の女房たちが負けじと「それでもね、六条院様のお若いころのお美しさと比べたら、やはり違うわ。あの方は別格で、まぶしくて目がくらむほどの美しさだったのだから」と言い返す。しかし若い女房たちは納得しない。こうした世代を超えた美の論争が耳に届いた朱雀院は、懐かしむように微笑んで「その通りだ。六条院の美しさは人間の美の基準を超えていて、並ぶ者がない。最近はさらに磨きがかかって、光そのもののような存在になっている。きちんとした姿でいれば端麗さが際立ち、打ち解けて冗談を言えば愛嬌があふれ、誰もが心惹かれてしまう。唯一無二の魅力なのだ」と語った。何事につけても、まるで前世から大きな報いを受けているのではないかと思わせるような、非凡な点を備えた人物がいる。宮廷に育ち、帝からの愛情を一身に受けるような幸福を与えられていて、まさに運命に恵まれた人だ。先帝も、自分の命に代えてでも大切にしようとするほどに彼を愛したが、本人はそれにおごらず謙虚であり、二十歳を過ぎるまで納言の地位にもならなかった。そして二十一歳で参議と大将を兼ねることになったのだが、それに比べると中納言の昇進の早さは際立っている。その家は子や孫へと繁栄が受け継がれていく運命にあるらしく、実際、中納言は優秀でしっかりした学識も備えていて、かつての光源氏にそう劣らないほどの人物だ。父の時代を超えるほど幸運な道を歩んでいても、それが不当には思えないほどの立派さがある、と評された。そして可憐な姫宮の美しく幼い様子を目にしては、「心から大切に愛してくれて、不足なところは陰で補い教育してくれるような、安心して任せられる婿を選びたい」と考えられることもあったが、その後、乳母の中でも身分の高い者たちを呼び寄せた。
2025.10.06
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源氏物語〔34帖 若菜 5〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。今こうして静かな環境に暮らす院のもとへは、本来ならばたびたび訪ねて語り合いたいのに、大げさに受け取られるのを遠慮して長くご無沙汰してしまう。そういうことを、自分は時折ため息をついて悔やんでいるのだ──と中納言は述べた。その中納言はまだ二十歳に満たない若さであったが、容姿も振る舞いも整い、ひときわ美しい人物であった。朱雀院はそんな彼をじっと見つめ、心の中で思い悩んでいた女三の宮の行く末を、この若者に託すことができたならばと、ひそかに考え始めるのであった。朱雀院は源中納言に向かって「太政大臣の家に出入りしているそうだね。私は長い間あの大臣の態度がどうにも気に入らず腑に落ちなかったが、いまは円満に収まったことを喜ばしく思っている。けれど同時に、なぜかあの大臣がうらやましくも感じられるのだ」と語った。この言葉の真意を測りかねて中納言は少し不思議に思ったが、やがてそれが女三の宮の縁談を案じてのことだと察した。院は出家を前にして、信頼できる人物に宮を託し、安心して仏道に入ろうと考えていた。その意向は周囲の耳にも入っていたので、中納言もその連想に思い至ったのである。しかしながら、それにどう答えてよいかは難しく、結局「自分のようなつまらぬ者では、結婚相手を得るのもなかなか難しいものです」とだけ言ってお茶を濁した。一方で、この様子をのぞき見していた若い女房たちは、中納言の美貌に目を奪われ、「あの人はなんて美しい方だろう。立ち居振る舞いも気品があって、見事なものだ」と口々に囁き合った。
2025.10.05
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源氏物語〔34帖 若菜 4〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。世間では「六条院がいずれ復讐に出るだろう」と言う者もいたし、自分自身もいつか報いを受けるだろうと覚悟していたのに、実際に六条院から向けられたものは絶対の愛だけだった。その上、東宮に対しても深い好意を示してくれ、さらには婿舅の関係までも築いてくれた。その厚意を思うと、どれほど感激しているか言葉にできないほどである。しかし一方で、自分は愚かさに加えて親としての盲目的な愛情をあらわにしてしまうことが恥ずかしく、父であるのにかえって東宮に対して冷淡なように振る舞っている。今の帝についても、先帝の遺言どおりに位を譲り渡したおかげで、世の中に聖なる君主を立てることができ、自分の不名誉までも取り返してもらうことになった。これだけは強い意志をもって成し遂げられた善いことだと信じており、それには満足している。そして、この秋に六条院と行幸の折に久しぶりに会って以来、若い頃の兄弟のような情愛が胸に蘇り、どうしても会いたくてならないのだと打ち明ける。朱雀院はしおれた様子で、「直接会って話したいことがある。どうか六条院に勧めて、自分で来てもらえるようにしてほしい」と源中納言に訴えた。かつての過去の処置が過ちだったのか正当だったのか、それは今となっては誰も判断できない。ただ、中納言が大人になり役職についた後も、朱雀院が折に触れて教訓を与える際に、自分が冤罪によってどのような苦難を受けたかなどと、昔の不遇を恨み言のように語ったことは一度もなかった。本来ならば帝を支えて生涯仕えるべき立場であったが、人生を静かに考えたいという気持ちから早々に重責を離れ、閑職に退いたため、先帝の遺言も守りきれずにきてしまった。そして、朱雀院に対しても在位中は若輩で力もなく、上位の有力者が多くいたせいで、真心を尽くす機会も持てなかった。
2025.10.04
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源氏物語〔34帖 若菜 3〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。女御に対して憎しみを抱くわけではないが、心から女三の宮の世話をする気持ちにはなれなかっただろうと考えられる。朱雀院は日ごろから明けても暮れても女三の宮の将来ばかりを心配していたためか、年の暮れが近づくにつれて病状が一段と悪くなり、御簾の外に出ることもなくなってしまった。これまでも物の怪のせいで時折病に伏すことはあったが、このように長く続いて衰弱することはなかったので、自分でも「ついに命の尽きる時が来たのだ」と受け止めるようになった。退位してからも、在位のころに恩恵を受けた人々は朱雀院の温厚で寛大な人柄を慕い、悩み事があれば慰めを求めるように訪ねて来ていた。そうした人々は、院の病が重くなるのを心から惜しみ、悲しんだ。六条院からも見舞いの使者が絶えず訪れていたが、やがて源氏自身が訪問したいと知らせてきたとき、朱雀院は非常に喜んだ。そして六条院の子である源中納言が参院したとき、病床の御簾の中へ招き入れ、朱雀院はいろいろな話をした。要するに、朱雀院は女三の宮の将来を案じて心を痛め、病が重くなり、自らも死期を悟るようになっていく。朱雀院は病床で源氏に向かって、かつて先帝が亡くなる前に自分へ遺言として語ったことを思い返していた。その中でも特に六条院と今の帝のことについては強く言い残されており、自分はそれを託されたのだと語る。帝位にある者は、自分の心にある思いをそのまま行動に移すことができない。個人としての愛情は少しも変わらなかったが、それでも自分の過ちから、六条院にとっては恨めしいこともした。にもかかわらず、これまで六条院から復讐のような態度は一切示されたことがなかった。
2025.10.03
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源氏物語〔34帖 若菜 2〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。貴重な財産や美術品として価値のある品々はもちろん、楽器や遊戯の道具など名品に近い物はすべて女三の宮へ譲り、その他の財産や調度品は他の皇女たちへ分け与えた。自ら世を去る時を見越しつつ、最も幼い娘に残せる限りの後ろ盾を与えようとした。その頃、東宮は父である朱雀院が重い病にかかり、さらに出家の準備をしていると聞き、お見舞いに訪れた。母の女御も同行していた。朱雀院は特別な寵愛があったわけではないが、東宮の母がかつて縁ある人であったことを重んじ、彼女にも親しく語りかけた。そして東宮には、やがて帝位に就く日を見据えて心構えや心得を教えた。東宮は年齢よりも大人びており、母方の一族にも有力な後援が多かったため、朱雀院はこの子の将来については安心していた。院は東宮に向かって、「自分はもうこの世に心残りはない。ただ多くの内親王たちの将来だけが案じられる。女というものは自分の意志ではなく、外からの働きかけによって悪名を立てられ、辱めを受けるような運命にさらされるのが常である。だから、どの姉妹に対しても、お前が帝位に就いた後は温かい庇護を与えてほしい」と語った。そして「その中でも、母に守られている者はまだ頼れる場所があるが、女三の宮は年も幼く、母を持たず、ただ私一人を頼みに育ってきた子である。私が寺に入ってしまえば、この子はどれほど心細い思いをすることか、それだけが気がかりでならない」と涙をぬぐいながら訴え、東宮に後事を託した。朱雀院は、母である女御に対しては深く信じているように見せながらも、女三の宮のことをよく語っていた。けれども、院がまだ宮中にいた頃、内親王の母であるその女御は特別に帝からの寵愛を受けており、朱雀院にとっては強力な競争相手でもあった。
2025.10.02
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源氏物語〔34帖 若菜 1〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。六条院であの華やかな行幸があった直後から、朱雀院は病を得てしまった。もともと体が弱い方ではあったが、今度の病はこれまで以上に重く、心細く未来を思い悩むほどであった。朱雀院は、これまでも出家を望んできたが、太后が健在である間は自分の思いどおりにできず、結局は今日まで俗世にとどまってきた。しかし今になって病が迫り、余命がいくらも残されていないという思いばかりが胸を満たし、これも仏からの勧めであろうと感じるようになり、ついに出家の準備を始めることになった。院には、皇子としては東宮が一人、そして皇女が四人いた。その中で、かつて藤壺の女御と呼ばれた女性は、三代前の帝の皇女で源氏姓を与えられた人であり、院がまだ東宮であった頃から側に仕えていた。后の位に昇ることもできるはずの女性であったが、実際には支える後援もなく、母方も力のない出自で、更衣の腹から生まれたために、競争の激しい後宮の中では苦しい立場に置かれていた。しかもその頃、皇太后が尚侍を後押しし、他の女性に第一の地位を与えまいと強力に庇護したため、帝も心の内では藤壺を気の毒に思いながらも后に取り立てることはできなかった。その結果、若くして帝位を退いたのちも、藤壺の女御には望みを持たせることができず、彼女は悲しみの中で病に倒れ、ついに命を落とした。しかし、藤壺が残した娘である女三の宮のことだけは、院は何よりも深く愛した。女三の宮はこの頃十三、四歳ほどに成長していた。出家すれば世を捨て山寺へ籠もることになるが、残された内親王は一体誰を頼りに生きていくのか。院にとっては、この娘を置き去りにしてしまうことこそが、最も大きな苦痛であった。西山に新しく御堂が建てられ、朱雀院はそこへ移る準備を進めていたが、その一方で娘である女三の宮の裳着の儀式の支度も整えさせていた。
2025.10.01
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