inti-solのブログ

inti-solのブログ

2008.08.27
XML
カテゴリ: その他


その次、1972年のミュンヘン・オリンピックでは、パレスチナ・ゲリラの襲撃によって(というより、武力解決の失敗によって)11人の死者を出した黒い九月事件がありました。

その次、1976年モントリオール・オリンピックでは、IOCとアパルトヘイト下の南アフリカの関係が問題となって、アフリカ諸国の大半がボイコット。続く1980年のモスクワ・オリンピックは、ソ連軍のアフガニスタン侵攻を受けて、日本を含めた西側諸国の大半がボイコット。このとき、全盛期だった多くの選手が、メダルを争う機会を失いました。有名なのは柔道の山下選手。彼は幸いなことに次のロサンゼルスオリンピックに出場し、金メダルを獲得しましたが、モスクワオリンピックの柔道日本代表の中で、ロサンゼルスオリンピックでも代表になれたのは彼1人だけでした。世界レベルの選手にとって、4年間という時間は余りに長かった。
その1984年ロサンゼルスオリンピックは、モスクワオリンピックを米国が主導して多くの国がボイコットしたことへの報復として、ソ連をはじめとする東側諸国のほとんどがボイコット(例外は中国・ユーゴスラビア・ルーマニア)。
続く1988年のソウルオリンピックは、旧東側諸国の大半が参加し、方肺状態には終止符を打ったものの、開催前年にオリンピック妨害を目的として、北朝鮮による大韓航空機爆破事件が起きています。
オリンピックとは、それほどまでに政治と国家間の対立、テロ、弾圧の道具と
され続けてきたイベントということができます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008.08.28 00:23:14
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: