inti-solのブログ

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2012.08.09
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テーマ: ニュース(95878)
カテゴリ: その他
終戦67年 単身世帯の急増は亡国への道だ


≪単身世帯、標準世帯上回る≫
夫婦と子供から成る家族が標準世帯である。2006年、単身世帯数が標準世帯数を上回って最大の世帯類型となった。日本の人口史上初めての事態である。10年の国勢調査によれば、全世帯に占める単身世帯の比率は31%、標準世帯の比率は29%である。国立社会保障・人口問題研究所は、単身世帯比率が2030年には37%にまで増加すると推計している。
単身世帯といえば誰しも思い浮かべるのは、配偶者と死別した女性高齢者のことであろう。しかし、これは男性より女性の方が長命であることから生じる生命体の自然現象である。死別以外の単身世帯化の要因は未婚と離婚だが、これが現在ではごく日常的な現象となってしまった。「子供がなかなか結婚しないで困っている」というのはよく聞かされる親の愚痴話である。私の関係している職場でも30~40代の独身者がいっぱいいる。1回もしくは複数回の離婚のことを“バツイチ”とか“バツニ”といって、別段恥ずかしいことでもないような風潮である。
単身世帯がどうしてこうまで一般的存在となってしまったか、その要因を探る人口学的な研究書が私の書棚にも何冊か並んでいる。そこで明らかにされている要因をあえて1つにまとめれば、要するに未婚や離婚に対する人々の規範意識が変化し、結婚・出産・育児といったライフスタイルをどう形作るかは個人の自由な選択によるべきだ、とする考えが定着してしまったということなのであろう。

≪背景には憲法精神の具現化≫
憲法精神のみごとな「制度化」というべきか。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されねばならない」。前者が現行憲法の第13条、後者が第24条である。第13条において、個は絶対的存在である。第24条は、独立した個から構成されるものが夫婦であるというのみ、これが家族共同体の基礎だという語調はまるでない。
単身世帯の広がりは憲法精神の紛れもなき実体化である。それゆえであろう。戦後精神の牢固(ろうこ)たる守護者、わが与党民主党は、「第3次男女共同参画社会基本計画」なるものを10年12月に閣議決定し喜び勇んで次のように宣揚する。「多様なライフスタイルを尊重し、ライフスタイルの選択に対し中立的に働くよう社会制度・慣行を見直す。その際、核家族化、共働き世帯の増加、未婚・離婚の増加、単身世帯の増加などの家族形態の変化やライフスタイルの多様化に対応し、男性片働きを前提とした世帯単位から個人単位の制度・慣行への移行」を推進すると。
個がよほど重要な観念らしい。その観念をもとに配偶者控除の縮小・廃止、選択的男女別姓制度の導入、未婚・離婚の増加などに伴う家族形態の多様化に応じた法制の再検討に入るのだという。家族が流砂のごとくこぼれ落ちていくさまをみつめてこれを何とか食い止めよう、というのではない。逆である。現状を善しとし、さらにこれを促さんというのである。

≪家族解体狙う民主党左派勢力≫
消費税増税法案をめぐるあの無様(ぶざま)な党内抗争を眺めて、一体民主党とは何を考えている政党なのかとジャーナリズムは嘆くが、見当違いをしてはならない。隠然たる影響力をもつ左派的な政党事務局をも含む党の中枢部は、日本の伝統を憎悪し、伝統を担う中核的存在たる家族を解体せんと意図する戦闘的な政治集団なのである。
しかし、民主党中枢部のかかる目論見(もくろみ)は、その論理不整合のゆえにいずれ自壊せざるをえまい。単身世帯とは、みずからは後継世代である子供を産み育てず、子供をもつ標準世帯により重く賦課される保険料や税金に依存して老後を凌(しの)いでいく人々のことである。単身世帯の増加は、出産・育児という後継世代を恒常的に再生産する自然生命体としての営為を、あたかもそれが理不尽なものであるかのごとき認識に人々を誘ってしまいかねない。単身世帯という存在は、個々の単身者がそれをどう認識しているかは別だが、結果としては社会的エゴそのものである。かかるエゴを助長する政党に執権を委ねる国家は、亡国への道に踏み込まざるをえない。
また終戦記念日がやってくる。私どもはもう1つの終戦記念日をつくらねばならないというのか。

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どこの新聞の珍説かは、いうまでもないでしょう。産経新聞です。
「単身世帯がどうしてこうまで一般的存在となってしまったか(中略)要するに未婚や離婚に対する人々の規範意識が変化し、結婚・出産・育児といったライフスタイルをどう形作るかは個人の自由な選択によるべきだ、とする考えが定着してしまったということなのであろう。」とありますが、その見方は誤りです。なぜなら、「単身世帯」と言っても、その中で特に増えているのは若者ではなく高齢者だからです。
この資料 の7ページ目に、1985年と2005年を比較した、年齢別の単身世帯数の推移が掲載されています。
実は、20代男性に関しては、単身世帯の割合はまったく増えていないのです。それに対して、男性は50代以上、女性は80代以上の年齢層で、単身世帯の割合がすさまじく増えていることは一目瞭然です。
では、何故高齢者の単身世帯が増えたのか。この執筆者のいう「標準世帯」と高齢単身世帯は表裏一体です。当たり前でしょう。夫婦と子どもの「標準世帯」(核家族)とは、祖父母が別居している世帯なんだから、核家族が増えれば、付随して祖父母だけの世帯が増えるに決まっているのです。

単身世帯が増加した最大の理由は、平均寿命が延びたことと少子化が進んだこと、つまり少子高齢化が進んだことに尽きるのです。そして、核家族化と少子高齢化は先進諸国に共通する※社会現象だから、先進国はどこの国でも単身世帯が増加しています。憲法の精神がどうのこうのというのは、寝言でしかありません。

※ただし、米国は先進国で唯一合計特殊出生率が2を超える国ですが、単身世帯の急増は他の先進国と同様です。 この資料 によると、2008年には単身世帯の割合が45.8%だそうです。


でも、それが何か悪いことでしょうか?
前述のとおり、単身世帯の増加は先進諸国(豊かな国々)に共通する現象です。豊かになるということは、選択肢が増えるということです。物質的な面でもそうですが、ライフスタイルという面でも同じです。経済的に豊かになりながら、家族のあり方という価値観は特定のモデルしか認めない、選択肢を認めないというのは、良い悪いという以前に不可能なことなのです。お金はいっぱいあっても、乗用車はトラバントしか認めません、なんて体制が永続し得ないのと同じことです。

家族のあり方は、社会の中であり得る選択肢の中から、それぞれが好きに選択するものです。どのような選択肢が好まれるかは、その時々の社会の状況に左右されるでしょう。それを、国家やイデオロギーが「こう」と規定しようとしたって、そんなことはできっこないのです。
だから、民主党が、「日本の伝統を憎悪し、伝統を担う中核的存在たる家族を解体せんと意図する戦闘的な政治集団」なんてのは、イデオロギーに目がくらんで、無根拠な発言に自分で酔っているとしか思えません。極右復古主義イデオロギーが国民に対して家族のあり方を説いたって無駄なのと同様、左派とかリベラル派が家族のあり方を説いたところで、影響力などたかが知れているのです。自他共に認める左翼である私自身、我が相棒とは普通に籍を入れて、我が相棒は夫(私)の姓を名乗っています。
一方、私の周囲には結婚後も妻が旧姓を名乗っている別姓夫婦が何組もいますが、奥さんの仕事上の必要性でそのようにしている人が大多数です。

家族のあり方に多様性を認めるなんてけしからん、一つの価値観しか認めてはならないというなら、そのための手段はただ一つ、貧しい国に戻るしかありません。片方では経済のために原発を動かせと言い、片方では貧しい国に戻らなければ実現不可能なことを言うとしたら、論理矛盾も著しいというものですが。





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最終更新日  2012.08.11 20:00:48
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