inti-solのブログ

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2015.04.05
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前回の記事の最後に、

「次はチリ編ですが、この旅行のチリの部分については以前に記事を書いたことがあります。」

と書いたのですが、以前に書いた記事以外にも、まだまだ写真があるので、チリ編2ということで、旅行記を続けたいと思います。

チリ編1はこちらです。

チリ、そしてサンティアゴのこと

こちらの記事に書いたことと重複しますが、ボリビアの実質的首都ラパスから空路チリ最北端の町アリカに到着しました。そういえば、このとき、同じくラパスのエル・アルト空港からアリカ空港まで、私の乗った飛行機(LANチリのB737)と並行して、双発プロペラ機のDC3が飛んでいました。尾輪式で双発というと、DC3しかないですよね。(改めて調べたところ、DC4以降は4発機なので、間違いない)当時たって骨董品のような飛行機でしたが、写真は撮り損ねました。南米では、こんな飛行機も現役か、と驚いた記憶があります。

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ペルーのリマが年間降水量たった13mmで、サウジアラビアのリヤド(94mm)より降水量が少ないと書きました。ところが、上には上(あるいは、下には下)がありまして、リマよりもっと降水量が少ないのが、このアリカをはじめとするチリ北部なのです。アリカの年間降水量は、何と0.8mmです。世界一の乾燥地帯と言ってよいのではないかと思います。しかも、リマほどに霧が立ち込めるわけではない(それでも湿度は平均で70%台と高めですけど)ので、本当に植物がまったくありません。
が、その割には水が不足しているようには感じません。宿では、シャワーが不自由なくジャージャー使えた。ボリビアのアンデスから流れ下ってくる川の水があるからです。下着を洗濯したら、1時間かそこらでカラカラに乾いたのはさすがだと思いました。

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砂漠のど真ん中に森で囲まれた養魚場があって、カモメの群れが待っている姿というのは、なかなか驚くものがあります。ただし、ここは海からそれほど離れていませんけど。アリカから、タクシーで20分くらいだったと思うので、せいぜい10km程度かな。アサバ渓谷というところです。ここに博物館があって、それを見に行ったのですが、展示内容はまったく記憶がありません。

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ハチドリがいました。


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バスの中で知り合って、家に泊めていただいた老夫婦。とても親切でした。おじいさんは、ギターを背中に背負って弾く特技を持ってました。(もっとも、今にして思うと、私もチャランゴなら背中で弾けるし、ギターは大きさが厄介ですが、要するに手元を見ないでギターを弾ける人なら、背中弾きはそんなに難しくないです)

この家には、1994年にも再訪しました。ただ、そのときは、老夫婦はいなくて、娘さん夫婦と親族一同が歓迎してくれました。このお2人は、またアリカに行っていたのです(アリカにも子供が住んでいるので会いに行っているとの話でした)。ただ、おばあさんは車椅子生活になっていて、もうバスでは無理なので飛行機で行ったと言っていました。だから、肝心のお2人には、1989年の一度しか会っていないのです。あれから21年、お2人とも、天寿を全うされたでしょうね・・・・・・。
2度目の訪問までは文通を維持していたのですが、残念ながら、その後連絡が途絶えてしまったのです。
サンティアゴでは、老夫婦の家に1泊だけ泊めてもらって、翌日の夜行バスでパタゴニアの入口、プエルト・モンに向かいました。サンティアゴから南に1000km、3日間で陸路を2500km以上移動したわけです。チリの北のほうは超砂漠、サンティアゴ付近はそれよりはマシとはいえ、そこそこに乾燥地帯、それに対して地理の南部は緑滴る大地です。

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プエルト・モンから、日帰りで更に南のチロエ島を目指しました。バスごとフェリーに載っていきます。

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チロエ島北部の小さな町、アンクドに到着です。プエルト・モンからバスとフェリーで1時間くらい、と思っていましたが、改めてグーグルマップで確認すると、プエルト・モンからアンクドまで、80kmくらいあります。しかもフェリー込みですから、2時間くらいかかったのでしょう。
何にもないところですが、フラッと入った食堂の料理(シーフードだったけど、何の料理だったかは忘れました)がおいしかった。チロエ島には、更に南にカストロという町があります。そこまで行きたかったけど、さすがに日帰りじゃ無理かなと思ってあきらめました。アンクドから更に60kmくらいありますから、1時間くらいでしょうか。

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何もないひなびた漁村ですが、博物館があり、帆船が展示されていました。博物館の管理人だったか、売店の人だったか(男性)と話をしたことおぼろげに覚えています。当時、ペラペラと会話できるようなスペイン語力はなかったので、きっと英語で話したのだろうと思います。非常にうろ覚えなのですが、日本にも津波があるだろう、みたいな話をしたような。日本と同様、チリも地震国ですからね。

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突然ですが、日本に帰ってきて、山中湖畔から富士山を撮影しました。

・・・・・・・・というわけではなく、チリ富士ことオソルノ山です。富士山より標高は1000mくらい低いものの、高緯度のため山頂には氷河があります。湖はジャンキウェ湖です。
チロエ島に行った翌日、プエルト・モン近郊の国立公園に行きました。ただ、このときは現地の旅行代理店で申し込んだツアーだったので(チロエ島はツアーではなく、個人で行った)、貸切バスであっちこっち回ったので、どことどこに行ったのか、よく分からないのです。「地球の歩き方」の当時の版にあるペトロウェというところに行ったのだと思うのですが、プエルトバラスを経由して、ジャンキウェ湖の湖畔を通って、その先は地名を覚えていないのですが、グーグルマップで見ると、ジャンキウェ国立公園をとおって、トドス・ロス・サントス湖まで行ったのではないかと思います。

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一枚だけ、前の記事にアップした写真を再掲します
プエルト・モン

プエルト・モンには2泊したのか3泊したのか、正確には忘れましたが、再び夜行バスでサンティアゴに向かいました。

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大統領府、通称モネダ宮殿です。これは、別の写真をすでに2枚アップしてあります。まだ、ピノチェト政権の時代です。もっとも、このとき大統領選の最中でした。反軍政派連合コンセルタシオン・デモクラシアのパトリシオ・エイルウィンが勝ち、ピノチェト政権が幕を閉じる1週間か2週間前のことです。

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サン・クリストバルの丘。ケーブルカーで登ったのでしょう。更に、ロープウェーに乗り継いだような、遠い記憶があります。サンティアゴは、実は目の前にアンデスの雪山がそびえているのですが、大気汚染がひどくて、普段は全然見えません。ところが、この公園まで上ってくると、汚れた空気の上に出るため、アンデスが見えるのです。ただ、その写真は撮らなかったようです。今だったら、歩いて登るだろうな。

Santiago1989XGA.JPG
昨日の記事で紹介しましたが、今日の記事に移動しました。サン・クリストバルの丘で撮ったようです。細かい説明は不要でしょう。

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この旅行でボリビア入国は89年10月31日、チリへの出国が11月8日でした。チリは11月20日に出国しています。全部通算すると、
10月22日成田発、23日未明ペルー着、11月20日(確かお昼前頃)サンティアゴ発、11月22日成田着。全行程32日間で、現地滞在日数は29日間。こんな長い期間の旅行は、もう機会がないかもしれません。
次に行く機会があるとしたら、前述のとおり、アリカからサンティアゴまで直行ではなく寄り道したいし、アンデスの裏側(アルゼンチン側)のメンドーサからサルタ・フフイ・ウマウァカをとおってボリビアまで行きたいし、チロエ島は南は島で行きたいし、もっと南の南部パタゴニアにも行きたいし・・・・・・、ペルーは北のほうに(トルヒーヨ!!それにワスカランを望むワラスにも)行きたいし、ボリビアでは6000m峰ワイナ・ポトシにアタックしたいし・・・・・・、行きたいところだらけなんだけど、それを全部一度に実現しようと思ったら、旅行期間は3ヶ月必要かも、残念ながら、その夢は当分実現しないでしょうね。でも、現地滞在1週間でもいいから、また行きたいぞ。





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最終更新日  2015.04.06 06:40:15
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