inti-solのブログ

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2015.08.22
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: 戦争と平和
先日、半藤一利原作の映画「日本のいちばん長い日」を見てきました。


敗戦に際して、降伏を主導した鈴木貫太郎首相に対して、阿南陸相は表向きは陸軍強硬派の主張を代弁して「戦争継続」を叫びつつ、裏では鈴木首相に協力して戦争終結に動いていた、という説があり、映画の中の阿南陸相はその説に従って描かれています。いや、そうではなくて阿南は言葉どおりの強硬派で、戦争継続を望んでいたのだ、という説もあります。実際のところ、腹の中で何を考えているかは本人にしか分からないので、何ともいえないところです。ただ、阿南は鈴木貫太郎の人柄に対して、尊敬の念を抱いていて、陸軍からの倒閣の動きを抑えていたことは事実のようです。

それにしても、戦争末期の時期、日本中の主要都市は空襲で焼け野原となり、多くの日本兵は飢餓線上をさまよっていた状況です。それでも「戦争継続」と叫んでいた、血の気の多すぎる軍人たちはどこで何をしていたのか。みんな東京の陸軍省や近衛第一師団の参謀とてして権勢を振るっていたのです。
映画の中では、空襲のシーン、原爆の爆発するシーンは多少ありますが、話のほとんどは東京の陸海軍省、皇居、首相と陸軍大臣の官邸が舞台です。これらの場所は、海軍省が燃えた以外は空襲では被災していません。当時の日本の中ではもっとも安全な場所で、餓死の危険も比較的少ない立場にいた人たちが、勇ましいことを言って戦死者(半分以上は餓死者)をどんどん増やそうとしていた、といわざるを得ません。

映画の中で「2千万人が特攻すれば戦局は打開できる」と叫ぶ軍人が出てきました。後で誰だろうかと調べたら、海軍の大西滝次郎中将、特攻作戦の生みの親であった人物が、そのように発言した記録があるようです。
2千万人特攻、想像を絶する話であり、狂気の沙汰としか思えませんし、そんなことをやっても戦局が打開できるはずがないことは明らかでした。それにしても、人の命を何だと思っているのか・・・・、何とも思っていないから、特攻などという作戦を始めたのでしょう。それでも、彼は敗戦直後に一人で自決することで、最低限の責任は取っていますけど。

ポツダム宣言が発せられたのは7月26日、その日から8月15日までの20日間、たったそれだけ日本の降伏が早ければ、広島長崎の原爆はなく、ソ連の参戦もなかった。それだけでも、史実より50万人程度は犠牲者が少なく済んだと思われます。
そして、結局彼らは降伏を阻止しようと、8月15日の未明にクーデターを図りました。近衛師団の森師団長を殺害して、師団長命令を偽造し、部隊を展開したのですが、最終的には史実の示すとおり、クーデターは失敗に終わり、戦争は何とかおわりました。 遅きに失したとは言え、あそこで戦争が終わっていなかったら日本はどういうことになっていたのか、想像するだに恐ろしいですが、陸軍強硬派のクーデターが成功していたら、そうなっていた可能性は充分にあります。


とはいえ、クーデターの首謀者の何人かは自決しましたが、生き残った人物も少なくないのです。当時も今もクーデター(現在の刑法では内乱罪)は重大な犯罪行為だし、彼らは近衛師団長(陸軍中将)を射殺するという明白な犯罪行為を犯したにもかかわらず、敗戦のドサクサで一切罪に問われることはなかったのです。





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最終更新日  2015.08.22 20:54:20
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