inti-solのブログ

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2016.01.25
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テーマ: ニュース(95880)
カテゴリ: その他
それホンモノ? 「良き伝統」の正体


「(ホテルで)酔って従業員に絡む人も」「寝間着にスリッパでロビーをウロウロする人は少なくなったが、じゅうたんにツバを吐いたりたばこを捨てて焦がしたり」「ひどいのはロビーのイスで足を開いて高イビキ」……
東京五輪の年、1964年3月19日付毎日新聞東京都内版が報じた日本人のマナーの悪さを嘆くホテル側の声の一部である。前年7月1日付では「汚れ放題東京の顔 銀座の歩道はゴミの山」との見出しで、通行人のごみのポイ捨てや住民が路上にぶちまけた「台所の残り物」が散乱する様子を伝えている。
そして今、日本のマナーに反する中国人観光客はいる。列に並ばなかったり、ごみを捨てたりする人を記者も見たことがある。だが−−。
「そこは『お互い様』です。最近まで私たちもそうでした。僕は70年代に米国留学したのですが、向こうで何に驚いたかというと、『割り込み』せず、みんなが列を作ること。当時の日本と大違いでした」と振り返るのは、社会心理学者で一橋大特任教授の山岸俊男さんだ。
鉄道利用者のマナーの悪さを報じた1951年2月の「サン写真新聞」に掲載された「割り込み乗車」の写真。「乗るときは一番後ろにいて、電車が来ると横に回り、ねじるように押し入る」らしい。
日本の駅で当たり前になっている「整列乗車」が生まれたのも戦後。東京では47年ごろ、営団地下鉄渋谷駅が最初らしい。駅長や駅員が整列乗車を訴えるプラカードを首から下げ、並び方を指導したのが始まりだ。これが後年、国鉄などに広がった。
戦後のさまざまな取り組みによって今のマナーの良さがある、ということ。
「怖いのは、そうした過去を忘れ、今あるものを『これが日本の伝統だ』『昔からそうだった』、そして『だから日本人は昔から優れていた』と思い込むこと。これは非合理的な思考だし、他国を見下す思想につながる。近ごろはそんな風潮が広がっているようで心配です」

冒頭の選択的夫婦別姓はどうか。戸籍が作られた奈良時代から明治中期までは別姓が基本、初めて同姓を強制したのは1898年の旧民法で、当時は同姓が基本だった欧米に倣ったのだ。
「でも、現在では同姓を強制している国は極めて例外的。なぜ日本はこれほど不自由なのでしょうか」と武蔵大の千田有紀教授(現代社会論)。欧米でも近年は別姓も選べるし、逆に別姓が基本だった中国では同姓も選べる。
「明治以降の夫婦同姓が家族本来のかたち、という考え自体が『日本の伝統』と呼べるのかは疑問だし、『別姓を認めると家族の一体感が損なわれる』という反対論も根拠があるのでしょうか」
中央大の山田昌弘教授(家族社会学)は「『多数派がやっていること』を伝統と言い換え、少数派を従わせようとしているだけです。自分と異なる考えを認めない。それを正当化するために『家族が崩壊する』と言い出す。」という。
「根底にあるのは『伝統の捏造』と同じ考え」と分析するのは作家で歴史研究家の原田実さん。道徳や公民の教科書が取り入れている「江戸の商人・町人の心得・風習である江戸しぐさ」が、1980年代に創作されたことを2014年に著書「江戸しぐさの正体」で指摘し、教育界に波紋を広げている。
「『昔は良かった』という考えがクセもの。この考えに従うと『今ある良いものは昔からあったはずだし、昔はさらに良かったはずだ』との考えに陥りやすい。だから『日本人の道徳・マナーは昔から優れていた』と考えてしまう。『戦後日本から道徳やモラル、公の心が失われた』と言う人は戦前を評価する傾向にあるが、これも同じ。本当にそう言えるのでしょうか」
試しに統計を見れば、戦前・戦中(1926〜45年)の殺人事件の人口10万人当たりの発生件数は1・25〜4・14件で、2014年の0・83件より高い。「現状否定のために過去を美化しても、史料に裏切られるのがオチ」と原田さん。(要旨)

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実は、数十年の歴史しかないものを、大昔から続いている伝統のように思う、というのは、誰しも陥りがちな錯覚の一つではあるかもしれません。
自分たちにとって望ましいもの、誇りに思えるものが、古い時代から続いてきたと思うことは心地よく感じられるし、また古い時代の思い出はえてして美化されやすいものです。
当事者自身が昔の思い出を美化するのは、ある意味で止むを得ないことですが、当事者として経験していない若い世代まで、それを真に受けて、いわば「集団の記憶」を受け継いでしまうと、伝統の捏造につながっていくことになりそうです。

引用記事では触れられていませんが、高度経済成長に伴って1970年代以降日本人の海外旅行が急増しましたが、その当初、どころか80年代のバブル全盛期くらいまでは、日本人の海外でのマナーも何かと問題になっていたものです。当時、その種の恥ずかしい日本人観光客の姿を批判する書籍や雑誌記事はよく見かけました。つまり、現在の中国人観光客の姿というのは、ほんの30年か40年前の日本人観光客の姿そのものなのです。

以前に、 「『昔はよかった』と言うけれど」「戦前の少年犯罪」という本を紹介したことがあります。
戦前の日本の公衆道徳がどれほどひどかったか、少年犯罪が今と比べてどれほど多かったか(なおかつ、質的にもひどい犯罪が多かった)ということを紹介する書籍です。上記引用記事でも、殺人事件の人口比発生率が現在より戦前戦中のほうがずっと高かったことが指摘されていますが、少年犯罪全般も、その傾向は変わらないようです。
全犯罪戦数では、20年から15年ほど前に犯罪が急増した時期がありますが、その後急減して、現在は統計史上もっとも犯罪の少ない時代になっています。また、2000年前後に犯罪が急増したといっても、殺人、強盗などの、いわゆる凶悪犯罪は、顕著に増加したわけではありません。それらの犯罪は1960年代以前のほうが、はるかに多かったのが現実です。

引用記事中でも槍玉に挙げられていますが、夫婦同姓が家族本来の形、などという考え方は、明治以降に作られた「伝統」に過ぎず、それまでは夫婦別姓でした。夫婦同姓という「伝統」は当時の欧米諸国の真似から始まっていることは明らかです。ところが、手本とした欧米諸国が夫婦別姓を認めてもそれを真似しようとはしなかった。一度はじめてしまった制度を改変するのが嫌だという、単なる硬直化に過ぎないものを、「伝統を守れ」と言い換えているだけに過ぎないように思えます。





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最終更新日  2016.01.26 07:37:01
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