inti-solのブログ

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2016.07.15
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カテゴリ: 政治
一昨日の記事に南沙諸島をめぐる仲裁裁判所判決について書きましたが、今更ながらこの裁判のフィリピン側代理人をつとめた米国の弁護士、ポール・ライクラー氏のことを知りました。かつて1896年、中米のニカラグアが米国による侵略を国際司法裁判所に訴えた際、そのニカラグアの代理人を務めた人物とのことです。

米国は、中南米諸国、特に中米とカリブを自国の裏庭扱いしてきました。そこに反米的な政権が成立すると、容赦なく介入を行って、政権をつぶしてきたのです。1954年には、グアテマラのアルベンス政権をそのようにして潰したし、60年代にはカストロのキューバにも侵攻作戦を試みましたが、これは失敗に終わりました。1973年には、チリのアジェンデ政権を、これは直接的な軍事介入ではありませんが、反アジェンデ派を支援して、クーデターを後押しします。
そうした中、1979年ニカラグアでは、腐敗の極みにあったソモサ独裁政権への反対運動から、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)がゲリラ戦に勝利し、政権につきました。しかし、1980年に成立した米国のレーガン政権は、サンディニスタ政権をキューバ、ソ連の手先という名目で、猛烈な圧迫をかけます。要するに米国の意のままにならない政府が気に入らないということと、当時、隣国エルサルバドルでもファラブント・マルティ民族解放戦線(FMLN)が激しいゲリラ戦を展開していたことから、ニカラグアの影響がエルサルバドルや、さらに他の国にも及ぶことを恐れたのです。(ドミノ理論)

米国のCIAに支援された旧ソモサ政権の残党グループが、もっぱら隣国ホンジュラスを拠点に、度々ニカラグアに攻め込みました。スペイン語で反革命(contra revolucionario)の頭文字をとって、コントラと呼ばれます。この状況下で、ニカラグアのFSLN政権は、国際司法裁判所に米国の侵略行為を訴えたのです。そのニカラグア側代理人が、今回の仲裁裁判のフィリピン川代理人、ポール・ライクラー弁護士だったわけですか。

米国の侵略を国際司法裁判所に訴えるに当たり、あえて米国人の弁護士に代理人を依頼したニカラグアのサンディニスタ政権も、それを引き受けたライクラー弁護士も、どちらも勇気がいる決断だったと思います。今の日本なら、ネトウヨに「反日弁護士」などと言って滅茶苦茶に攻撃されるでしょうし、冷戦時代の米国だって、少なからずそういうことはあったはずです。

余談ですが、この時米国が持ち出した理屈が、集団的自衛権なのです。つまり、ニカラグアは「革命の輸出」を行っている、ホンジュラスに侵攻しようとしている(前述のように、米国の支援を受ける右翼ゲリラのコントラは、ホンジュラスを拠点に、そこからニカラグアに侵攻していました)、だから、ホンジュラスを守るための自衛権の行使である、というわけです。歴史的に見て、集団的自衛権なるものは、ほとんどの場合、このように大国が小国を攻撃するための口実になっています。

裁判の結果は、ニカラグアの完勝でした。米国の言い分は退けられ、米国によるニカラグアへの干渉は国際法違反である、という判決が出ました。ポール・ライクラー弁護士は、自国政府と戦って、依頼人であるニカラグア政府に勝利をもたらしたのです。

が、それに対する米国の反応もまた、今回の中国と同じでした。まず、この問題に関して国際司法裁判所の管轄権は及ばないと主張し、それが否認されると、以降裁判への出廷を拒否し、判決の受け入れも拒否したのです。判決は米国のニカラグアに対する賠償も認めましたが、その支払いも拒否しました。ニカラグアは国連安保理に判決履行を求める決議を出しますが、米国の拒否権によって不成立、国連総会での決議は成立したものの、そのすべてを米国は無視しています。
その米国は、こんなことを言っています。

米 仲裁裁判の判断には拘束力 中国に従うよう促す




この主張自体は、発言主の属性を度外視すれば、まったくそのとおりです。中国はこの判決に従うべきだと、わたしも思います。しかし、自らの過去を棚に上げてそれを言う資格が、米国にあるのか。あえて言えば、中国の今回の仲裁裁判所判決に対する対応は、米国の行った先例に倣ったものでしかないのです。
結局のところ、中国だろうが米国だろうが、大国はみんなわがまま放題だ、ということに尽きるのです。ただ、中国と米国の違いは、国際的な影響力です。米国の傍若無人な振る舞いは、批判は多かったものの、国際世論から批判の集中砲火を浴びるというほどではありませんでした。日本政府(当時は中曽根政権)などは、米国のこの態度を一切批判していません。一方、今回の中国の態度は、各国政府からもマスコミからも国際世論からも袋叩きです。中国は大国になりましたが、それでも世界各国の首脳部やマスコミに対する影響力が、当時の米国と現在の中国では大差がある、ということです。中国は、そのあたりの力の差を読み違えて、安易にかつての米国の真似をしている傾向は否めません。

なお、ニカラグアでは、米国が判決受け入れを一切拒否する間に、サンディニスタ政権側もコントラ側も疲弊しきってしまいました。当の米国すら、コントラ支援の財政負担に耐えられなくなり、1989年に停戦となりました。純軍事的には、米国からの支援を絶たれたコントラの全面敗北でしたが、ニカラグア全土があまりに疲弊しきってしまったため、サンディニスタに対する民心も離れ、1990年の大統領選でサンディニスタは敗北、親米右派の新政権は、結局賠償請求を取り下げてしまうという結末になりました。
戦後のニカラグアは混乱を極め、旧コントラ側、サンディニスタ側ともに内部分裂を起こし、一時期はいずれの側も首脳部の統制が末端まで及ばない事態も生じましたが、かろうじて再度の内戦、無政府状態、破綻国家という事態は避けられ、これ以降はずっと選挙による政権交代が続いています。
サンディニスタ下野後、3代にわたって右派政権が続いた後、2006年にサンディニスタのダニエル・オルテガが大統領選に勝利、16年ぶりにサンディニスタが政権に返り咲きました。このとき、実は副大統領となったのは、元コントラの司令官だった人物です。
その3年後の2009年には、エルサルバドルでもFMLNが大統領選に勝っています。かつて、ゲリラ戦ではついに親米右派政権に勝てなかったFMLNは、選挙では親米右派に勝つことができたわけです。





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最終更新日  2016.07.15 21:36:38
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