inti-solのブログ

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2018.07.07
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テーマ: ニュース(95880)
カテゴリ: その他
オウム真理教 松本死刑囚ら7人執行 事件、節目
上川陽子法相は6日、東京・霞が関の法務省で記者会見し、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した教団元代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら計7人の刑を同日執行したと発表した。上川法相は事件の概要や各死刑囚の役割などについて説明。そのうえで「命を奪われた被害者、ご遺族らの恐怖、苦しみ、悲しみは想像を絶する。慎重にも慎重な検討を重ねて執行を命令した」と述べた。(以下略)
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今回7人もが同時に処刑されたことは、日本国内よりむしろ国外に与えた衝撃のほうが大きかったようです。

戦後最大規模の死刑執行、世界に衝撃 非人道的と批判も

によると、EU加盟28カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスが死刑執行に反対する共同声明を出した、ということです。
私自身は以前にも何度か触れましたが、死刑制度に対する賛否は、どちらの思いも交錯しているので、何とも言えません。ただ、一連のオウム事件に関して言うと、首謀者たる松本の死刑は、これは良し悪し以前に、避け難い、他の選択肢はないだろう、としか言いようがありません。しかし、麻原のマインドコントロール下にあった他の死刑囚に関しては、それで本当によかったのか、という疑念は捨て難いものがあります。

その麻原にしても、結局事件の責任に対して正面から向き合おうとはせずに終わってしまいました。もっとも、何をどうやっても、あの男を事件の責任に向き合わせることは不可能だったのかもしれませんが。

死刑の是非はともかくとして、オウムの一連の犯罪行為の推移を見ていくと、この団体がここまで犯罪を繰り返す以前に阻止できなかったのか、という疑念を強く抱かざるを得ません。
オウムによる一連の犯罪行為の中で一番最初のものは、1988年9月の信者死亡事件です。死亡の経緯自体は、どうやら事故死だったようですが、事態の発覚を恐れた麻原は証拠隠滅のために遺体を焼却して砕いて遺棄してしまった。さらに翌1989年2月には、脱会しようとした信者を殺害しています。
ここまでは闇から闇で、まったく表沙汰になることがありませんでした。

殺人が表面化しなかったことで気が大きくなったのか、一人殺せば10人殺すも同じ、と考えたのか、そのあたりは分かりませんが、ここまでの死体遺棄と殺人が表沙汰にならなかったことで、オウムは更なる犯罪に手を染めていきました。

この後、オウムの犯罪はとめどなくなり、信者の死亡事件(事実上リンチ殺害)、ボツリヌス菌や炭疽菌の培養と散布(失敗)、VXガスによる滝本弁護士襲撃(失敗)などを繰り返して、1994年6月の松本サリン事件に至ります。

その松本サリン事件でも、被害者の一人が当初、最初の通報者である河野義行氏が、たまたま自宅に農薬や化学薬品を持っていたために疑われることになり、真犯人であるオウムにたどり着くまでに時間を空費している間に、更なるリンチ死や拉致殺害を繰り返して、1995年3月の松本サリン事件に至りました。
地下鉄サリン事件は、一連の犯罪について、警察当局がようやくオウム真理教による組織的犯行と確信して、強制捜査に乗り出そうとした矢先に、強制捜査が間近なことを察したオウムが捜査のかく乱を狙って「先制攻撃」に出たものです。

坂本弁護士事件ですぐに強制捜査が行われていれば、おそれ以降の犯罪は阻止された可能性が高いし、松本サリン事件で河野氏に疑いをかけて時間を空費していなければ、あるいは強制捜査の動きをオウムに察知されていなければ、地下鉄サリン事件は防げた可能性が高いのではないでしょうか。
そう考えると、やはり捜査における最初のミスが致命的に大きかったと言わざるを得ないのではないかと思います。





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最終更新日  2018.07.07 11:41:25
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