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ふと考えたことだが、人は「ものを考える」といったとき、
どういう姿勢をとっているのだろうか。
よく例にとっているロダンの「考える人」のように、
顎に手を当て、額にしわを寄せて。
あれが考えるポーズなのだろうか。
私は「そうじゃない」ように思える。
人は、困ったとき「頭を抱える」といった言い方をするが、
どうだろう。私自身ひとりで悩んでいるとき、
顎に手や、頭を抱えた経験も記憶は全くないのだが。
私に限ってではなく、
人は毎日、たくさんの処理しなければならない問題がある。
意識しようがしまいが、生きている限り
脳は「分別」を行っているから当然だ。
それはそれとして意識して真剣に考えるとき
私はどういうポーズを取っているのか、少し振り返ってみた。
でそれを思い出してみると、
やらなくてもいい部屋のレイアウトをいじった。
急がなくていいホームページの工事もした。
あまりたまっていないのにスクラップもした。
眠たいのに夜更かししビデオもみた。
私の場合の癖であろうか。考えるときは、
決まっていろんなくだらないことを次々やり、体を動かしている。
そう考えた、というかそのことに気づいた。
人は人に見せるポーズと、自分だけの時のポーズは
違うのではなかろうか。
だから映画や舞台の俳優さんたちみたいな言葉や動作、
たとえば大きく首や手を動かし、顔の筋肉を振るわせて言動をする。
これらは見せるポーズで、まず私たちの日常生活ではまず見られないものだ。
こんなふうに考えが広がっている今、この瞬間は私は顎に手や、頭を抱えてはいない。
キーボードを叩いているのである。
キーボードを叩きながら,書くことを考えているのです
どうも、考えるのには、静止姿勢ではなく「動く姿勢」が本来であるように思える。
彫刻は動かない。だからロダンは困って、
ああいうあり得ないポーズの彫刻を作って、
題名で補足説明することを「考えた」。
「考える人」の方は何も考えていないのに。
あれを「考えていない人」、あるいは「怠け者」と
命名していたらどうだっただろう。
事実、永田町、霞ヶ関の人達が、
「検討中です」というのは、今も,これからも
動かないことを意味しているというではないか。
それにしても考えることは、楽しい。(^_^)
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