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日章旗は、武田信玄、藤堂高虎など一部の武将が戦陣に使用した「 白地に朱の丸 」の旗に等しい。幕末、幕府はこれを船の旗「日本國惣船印」と定めた。旭日旗とも呼ばれたが、現在の日の丸である。
江戸時代の 掛け軸
では、元旦 (すなわち初日の出) の光景を好んで描き、つがいの丹頂鶴が初日の出の前を渡る姿は吉瑞として特に愛でられてきた。しかし、 放射状の光線
を描くことはなかった。
戦国時代に先立って、九州肥後の国に現れた家紋には各種の 日足
(ひあし)
紋
があり、合戦、行軍、および 全ての慶弔に際して
使用された。このうち、十六日足の家紋は後の軍旗の原型となる。
国旗となった日章旗を国の祝日に掲げる習慣は明治になってから在日英国人から学んだものであり、今日も継続している。
神社本庁は明治に作られた国旗を なぜか古来の神社に 掲げる運動を展開してきたが、靖国神社参拝要請運動に並行して軍旗を掲げる試みも見られる。
これらの歴史的事実を踏まえれば、現在準備されている政府見解の是非は明らかではないだろうか。
今日、国際競技の場に 特定の軍旗
を持ち込む奇異な行為が見られるようになり、政府がこれを擁護する主張のために、根拠として挙げようとしていることは、まったくわが国の歴史に反する。まさに、見識が問われるところだ。
ここまで自国の歴史を平然と歪曲するのは、総裁選の街頭演説で旭日旗の意匠を借りた現首相の取り巻きが、実は 十二条旭日旗を中心に据えている統一教会の紋章 (トップ画像)を擁護しようという深謀かもしれない。
ドイツ軍の黒十字旗はナチの支配とは関係が無いから、今も使われている。当時、全権を掌握したのは ナチ党
組織を率いる雄弁なヒトラー
であり、国軍はその指揮下に置かれただけだ。
他方、日本では、沈黙を守る大元帥陛下を戴きながら、全ての議会政党が解散し、代りに大政翼賛会が組織されたが、権力を掌握していたのは、 議会を恫喝しつつ暴走する 軍部
であり、議会はその支配に屈していた。軍部を象徴する旧陸軍旗が鉤十字旗に相当することは明らか。
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