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ベンヤミンはかつて言ったことがある。世界について子供が持つ最初の経験は、「大人たちのほうが強い」ではなく、「自分には魔術の能力がない」ということである、と。 ジョルジュ・アガンベン『瀆神』 [1] 「自分には魔術の能力がない」ことに気づくことから人間は大人に近づく。それに気づくことのない未熟な精神はどうなるのだろう。発達しそびれた精神は、自分には魔術の能力がないと信じることができないのではないか。十分に年老いた政治家なのに、手に入れた政治権力を「魔術の能力」だと思い込み、行使しようとしている。この国にはそうとしか思えない例がある。 時あたかも、俳優の窪塚洋介さんが、ご自身が出演した映画『沈黙」の舞台あいさつで「東北大震災でたくさんの弱者が生まれました。他の国に何兆円もばらまき倒しているのに、自分の国の弱者に目もくれない。福島の原発は人災。あれだけのことがあっても再稼働なんて、危ねーっつうの。悪魔のような連中たちが、この国を切り売りしている」と政府の対応を批判したという。 もちろん、魔術の能力は悪魔が使うから魔術なのである。つまりは、「訂正でんでん」などと意味不明な呪文を唱える悪魔のような連中が政治権力を魔術として行使するのだ。かつて「言語明瞭なれど意味不明」という政治家への評言があったが、いまは「言語不明瞭で悪意鮮明」の評言がふさわしい。 間違った国語が話される「美しい国」などあるだろうか。 今日も野音ステージで。(2017/1/27 18:10~18:31) 原発事業に固執した東芝の破たんがいよいよ現実味を帯びてきた。ここに至るまでの経営戦略や政治的判断のことを考えると日本の政治・経済の未来は暗澹たるものがある、という話題で集会は始まった。 それに応じるように、東芝ばかりではなく、原子力関連の仕事があまりなくて日立も三菱も将来は期待できないのではないか、と数字を挙げて話された人もいた。 映画「『知事抹殺』の真実」を見た人からの報告もあった。原発立地県の知事として県民の安全のために東電や国と対立した佐藤栄佐久元知事が突然逮捕され、収賄額0円にもかかわらず収賄罪で有罪判決が出されるという奇天烈な「冤罪」事件のドキュメンタリーである。原子力を推進する権力にとって邪魔になる存在に対して国策捜査が行われ、きわめて不合理な判決が下されるストーリーは、とても不愉快なものだったと感想を述べられた。 先の新潟県知事選挙でも、泉田前知事が立候補を取りやめたいきさつについても、不穏なうわさがつきまとっていた。政府、検察、警察、そしてマスコミジャーナリズムも一体となって不法な権力を発動するとき、私たちがとるべき対抗手段は限られてしまう。映画によってそのような現実を見せつけられれば、いやな気持になるのは当然である。 政府は原子力を推進したい。私たちは原発を止めたい。その時、反対運動を一人のヒーローに託してしまうと、その人が狙い撃ちにされる。私たちそれぞれが連帯した集団のひとりひとりとして運動を進めることが最良なのである。国民の過半が原発に反対するからといって、国民の過半を冤罪に持ち込むことは不可能なのだから。 映画は嫌な気分をもたらしたが、エンディングテーマは吉田拓郎ふうの明るく元気の出るプロテクトソングだったと、録音された一部を聴かせてくれる人が続いた。 「脱原発をめざす宮城県議の会」の女性議員が、災害弱者についての勉強会を開いたことを報告された。東電1F事故での避難においても、避難が困難となる災害弱者が大勢いた。にもかかわらず、災害弱者を置き去りにするようないい加減な避難計画で女川原発を再稼働しようとしている。20人の県議の会メンバーとともに一緒に脱原発目指して頑張りたいと挨拶された。 今日のデモに来る途中である店に寄ったら、「今日は金デモだね」と声をかけられて、少しずつ原発反対のデモが知られるようになって嬉しかったと話された人がいた。その人は、岩沼市の先週の金デモにも参加されたという。10人ほどのデモだったが、こんなふうにいろんなところで脱原発を訴える運動があることはとても素晴らしいと話された。 1月29日開催の『原発のない東北の復興を考える』シンポジウムに対する賛同者、賛助金はこれまでの最高になって盛会が期待されるという報告もあった。雨上がり、勾当台公園から一番町へ。(2017/1/27 18:36~18:46) 小雨が降っていたので、集会は先週と同じように野外音楽堂のステージの上で行われた。集会中に雨は上がって、35人が勾当台公園を出発するときには傘を畳んで歩き出すことができた。 今日はカメラのレンズに雨滴がつく心配はなくなった。一番町(広瀬通りまで)。(2017/1/27 18:46~18:50) 不調の胃がゲフゲフとなるように、政治家の悪い日本語に当たって気持ちがゲフゲフとなる。心の調子を整えようと、この数日で少しばかり冬の歌を集めてみた。「訂正でんでん」を聞いて死にそうになった心へのささやかな薬である。 噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ 葛原妙子 [2] 生きていれば意志は後から従きくると思いぬ冬の橋渡りつつ 道浦母都子 [3] 冬一日(ひとひ)暮れむとしつつ束の間のやさしさが空にただよふを見ぬ 安立スハル [4] 病む心はついに判らぬものだからただ置きて去る冬の花束 岡井隆 [5] 好きな短歌を抜き書きしているのだが、どういうわけか女性の歌が多い。上の三種を選んだらすべて女性の歌だったので、岡井隆の歌も加えてみた。言い訳めくが、女性歌人だけが好きなわけではない。挙げればきりがないが、岡井隆も寺山修司も塚本邦雄も福島泰樹も好きである。 政治家の言葉などではなく、そんな歌や詩を読みふけるはずだった老後はどこへ行ってしまったのだ。原発とうす汚れた政治言葉への〈私怨〉が私の老後のすべてになりそうで困惑している。一番町(青葉通りまで)。(2017/1/27 18:54~18:56) 「はじめに言葉ありき」。ロゴスとは言葉である。つまり、言葉は論理である。論理が論理であるためには、人々の間で言葉は共有されねばならない。明治以降の日本の教育が「読み書き」を重要視したことには大いなる意味がある。今ふうに言えば、コミュニケーションに言葉は不可欠である。健全な社会の成り立ちには言葉は不可欠のはずだ。 しかし、「訂正でんでん(訂正云々)」、「がいち(画一)」は総理大臣である。「みぞうゆう(未曾有)」、「ふしゅう(踏襲)」は副総理大臣である。体から力が抜けてしまう。日本の義務教育制度は完全な失敗だったのだ。基礎的な読み書き能力を小、中学校で学習しなくても政治権力のトップの座を得ることができるのだ。しかし、勉強しない子どもたちが誰でもそうなれるわけではない。世襲政治家が多いということは、貴族政治または封建政治における世襲制に似たシステムが現代日本には存在していることを示している。その社会ステムは、教師や親や子供たちの頑張りを貶めている。 学校の勉強を頑張らなかった人間が世襲で政治権力の座についている。そんな政治家が「頑張れば成功する」などといいながら「一億総活躍」などという白々しいスローガンを口にする。彼らが私たち国民の頑張りを無意味なものにしているというのに……。 いや、少なくとも私たちの頑張りをこのような社会を変えることに向ければいいのだ。頑張った人間がほんとうに報われる社会、頑張ることが困難な人間でも大切にされる社会にするための頑張りには意味がある。そういう頑張りでは、けっして自民党の政治家にはなれないが……。青葉通り。 (2017/1/27 19:01~19:04) ろくに日本語を使えない政治家に、脱原発を訴えるデモ人の言葉は届くのか、ほんとうに心配になる。今話題になっている政治家にはたぶん届かないだろう。「彼ら」の言葉が日本語なら、私たちの言葉は日本語ではない。私たちの言葉が日本語なら、「彼ら」の言葉は日本語ではない。 しかし、「彼ら」ではない政治家もいるはずだ。そういう政治家には必ず届く。なによりも、私たちと同じ日本語を話す無数の日本人には届くはずだ。そう信じる。[1] ジョルジュ・アガンベン(上村忠男、堤康徳訳)『瀆神』(月曜社、2005年)p. 24。 [2] 葛原妙子『現代短歌全集 第十四巻』(筑摩書房、1981年)p.44。[3] 『道浦母都子全歌集』(河出書房新社、2005年)p. 116。[4] 安立スハル『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房、1981年)p. 131。[5] 岡井隆『現代短歌全集 第十三巻』(筑摩書房、1980年)p. 203。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.01.27
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昼過ぎから雨が降り出した。夜には雪になるという予報だった。家を出て勾当台公園に向かう途中で、雨に雪が混じりだした。そのまま雪に変わるのかと思ったが、街の真ん中はずっと雨のままだった。 雨が降るくらいだから仙台としては暖かいのである。とはいえ、冬の雨が楽しいはずはない。野外音楽堂に人は少ない。前が降っているということで、集会は屋根のあるステージで始まった。 勾当台公園野音ステージで。(2017/1/20 18:08~18:30) 1月27日から公開される映画『スノーデン』のオリバー・ストーン監督がインタビューで語ったことの話題から集会は始まった。IWJの岩上安身さんの質問に答える形で、マルウェアによるサイバー攻撃(サイバー戦争)について話している。 スノーデンの証言は、アメリカが日本全体を監視対象にしているばかりではなく、送電網やダムや病院などのインフラ施設にマルウェアを仕込んでいるというもので、ストーン監督はスノーデンの証言は信じられると話している。 すでにアメリカ(とイスラエル)は、2007~2010年にイランの各施設にマルウェアを仕込むことに成功し、世界中にサイバー戦争は可能であることを知らしめている。日本のインフラ設備に仕掛けられたマルウェアは、日本がアメリカの同盟国を止めたときにそのが発動するだろうと考えられが、しかし、ストーン監督はそもそもアメリカは日本を同盟国とは考えていないのではないかと語る。つまり、メキシコ、ブラジル、オーストリアなどなども含めた普通の戦略対象国の一つにすぎないのである。 監督は、岩上さんのようにサイバー戦争の現実性を深刻に受け止めているジャーナリストはほとんどいないことを嘆いてもいる。これもまた、ギュンター・アンダースが語る「アポカリプス不感症」なのであろうか。核によって人類が絶滅するという世界の終わりを私たちがリアルに想像することができないのと同じように、サイバー戦争というバーチャル空間の戦争を私たちはリアルに想像することができていないのではなかろうか。 二日前(18日)に、原子力規制委員会が佐賀県の玄海原発3、4号機が新規制基準に合格したと発表した。もともと規制委員会は原発を再稼働させるために作られた御用委員会なので、そのような結論は想像の範囲内にすぎない。 玄海原発の30km圏内に壱岐島がかかっている。もともと30kmで避難計画を立てることに問題があるが、一つの島を30kmで分断して避難計画を立てるなどは愚の骨頂である、というのが主催者挨拶だった。 ニュージーランド旅行から帰ってこられた人が、原発のないニュージーランドについて話された。ニュージーランドには「非核法」があって、原子力を一切認めていない。かつて、アメリカの原子力空母の寄港を「非核法」によって断固として拒絶している。 原発ばかりではなく、現在は火力発電所の建設も認めていないうえ、水力発電のためのダム建設も住民に拒否されていて、自然エネルギーへの転換が進んでいる。自然度の高いニュージーランドから学ぶことが多い、と話された。 宮城県の環境生活農林水産委員会が「仙台パワーステーション建設問題に関する公聴会の開催を求めることについて」の請願の審議を行ったが、この件について公聴会を行う法制上の権限がないため、採択ではなく「趣旨採択」となったという報告もあった。公聴会は開かれないが、3月中旬には説明会が開かれるということである。 同じ委員会で8000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物を一般ゴミと混焼するという問題も審議されている。委員からは「もっと時間をかけて慎重にやるべき」、「保管してのちに焼却処分を行うべき」、「廃棄物を保管している農家へ東電が保管料を支払うよう県が働きかけるべき」などという意見が出されたが、県は混焼を目指すという主張に頑なに固執しているという報告もあった。 県の主張のなかに、「6年も保管している農家の我慢も限界だから焼却するのだ」というのがあったが、半減期30年のセシウムのことを考えれば、6年など短すぎて問題にならない。国や県が責任をもってきちんと保管すれば「農家の我慢の限界」などは発生することもなかったのである。県の主張は、行政の怠慢を農家の感情の問題にすり替えているにすぎない。 女川原発2号機の原子炉建屋3階で耐震強度が7割ほど低下したことが、原子力規制委員会での審査会合で明らかになったというニュースの話題も話された。東日本大震災やその余震による強い揺れで建屋の壁が損傷して強度低下が進み、建屋全体の壁にはと1130ヶ所ものひび割れが見つかっている。 7割も耐震強度が落ちた建築物が安全とはとうてい考えにくい。東北電力は建屋だけの問題としているが、建屋の耐震強度がそれほど極端に落ちてしまうほどの揺れにあった原発本体に問題がないと想像するのはきわめて難しい。県の検討委員会で、「被災原発」としての規制基準を作るよう国に働きかけるべきだという専門家の発言がいかに重要であるかを立証するようなニュースである。 昨年12月に原発建設等を行うCB&I社の子会社CBIストーン・アンド・ウエブスター社(S&W社)を買収したばかりの東芝の損失が7,000億円にのぼるというニュースの話題もあった。2006年の米原子力大手ウェスチングハウスの買収から発生した損失を「東芝メディカル」という優良企業の売却益で何とか凌いだ東芝は、今度は半導体部門を分社化、売却して乗り切る方針らしい。そうすれば、東芝には原子力部門しか残らないことになる。原発に固執した大企業の末路が見えてくるような話題だった。いずれ、三菱や日立にもその将来像が危ぶまれる日がきっと来ることだろう。勾当台公園から表小路を一番町へ。(2017/1/20 18:38~18:44) 35人のデモは、勾当台公園から表小路を西に向かい、仙台市庁舎の前で一番町へと左に曲がっていく。 一番町に入る前は暗いが、雨に濡れた路面が車の光を反射してデモ人は美しい影になっている。雨降りはいやだが、雨の降る夜の写真は好きである。一番町を行く。(2017/1/20 18:48~18:59) とても心配なニュースをネットで見つけた。10月18日付けの下野新聞に掲載されていた「福島原発事故の10カ月後、周産期死亡率が急上昇したというというニュ―スだ。 周産期死亡率というのは、妊娠22週から生後1週までの死産や新生児死亡の割合で、それが岩手、宮城、福島、茨城、栃木、群馬の6県で2012年1月に前月に比べて15.6%も急上昇したという大阪の小児科医とドイツ環境保健センターの研究報告がアメリカの医学誌に報告されたという。 チェルノブイリ事故でも、後年さまざまな健康被害が発生したと報告されている。残念ながら、原子力推進を掲げる国際機関はなかなか認めようとしないが、この研究を報告した医師の林敬次さんが言うように、原発事故による「健康被害調査を広い範囲で包括的に実施すべき」であることは間違いない。 低線量被ばくでどのような障害が発生するか、いまだ不明なことが多いのはたしかである。しかし、不明であること、未知のことがらを人は畏れるべきである。ましてや、低線量被ばくがもたらすものは生命に関わることである。それは個人の生命であるばかりではなく、人類の生存の問題ですらある。私たちは、環境の放射線レベルがどれくらいで人類の生存は可能であるかを残念ながら知らないのである。 福島事故でばらまかれた放射能によって発生した汚染ゴミを焼却して再び環境に放射能をまき散らすこと、汚染土を建設土として全国にばらまいて日本の環境全体の放射線レベルを上げてしまうことに畏れを抱くべきである。その不可逆性を畏れるべきである。何よりも、私たちはいまだに無知なのだという事実そのものを畏れるべきである。氷雨の降り続く青葉通り。 (2017/1/20 19:04~19:10) いつの間にか、カメラのレンズに雨粒がついていた。気をつけていたつもりだったが、確認もしないで写し続けていた。雨滴によるボケも雨の日のデモらしくていいだろう(まあ、負け惜しみである)。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.01.20
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やっと仙台の冬らしくなってきた。ただし、暮れから正月にかけてはわが家にとっては受難の季節で、暮れが押しつまってから義母が肺炎で救急入院し、病院で正月を迎えるという年が3回もあった。 今年は無事に正月を迎えられたと安心していたが、6日の真夜中に救急入院した。誤嚥性肺炎の疑いである。さいわい肺炎の症状はとても軽くて、体力の消耗さえなければまもなく退院できそうである。 仙台の冬はこれからもっと厳しくなるが、義母にとっては体が冬に順応しきれない正月の頃が一番厳しいらしい。そんなことは百も承知で、少し熱が出て痰がからむようになれば痰の吸引や抗生薬で手を打って、3度ほど自宅で切り抜けていたのだったが、ついに及ばなかった。ただ、軽い症状のうちに訪問医が手を打ってくれるので、いつも大事に至らない入院ですんでいるのはとてもありがたい。 義母が入院している間は妻がつきっきりなので、三食を私が用意し、妻の分は毎日病院に届けるのである。「病院のレストランで済ますからいいよ」と妻が言ってくれる夢を見たが、やはり夢のままなのである。料理をするのは嫌いではないのだが、一週間も経つとネタ切れになるのが困る。 勾当台公園野外音楽堂。(2017/1/13 18:09~18:39) 青森県大間町に電源開発が建設中の大間原発の広大な敷地の中にただ一軒の民家「あさこはうす」がある。かつてこの敷地には157名の地権者がいたが、最後まで農地売却を拒否し、そこに「あさこはうす」と名付けたログハウスを建てて、生存権を盾に原発建設に反対し続けたのは熊谷あさ子さんだけだった。あさ子さんは2006年に亡くなったが、母の遺志を継いだ娘の厚子さんが「あさこはうす」で闘い続けている。「あさこはうす」は、日本の反原発の厳しい闘いの象徴のような存在になっている。 「年賀状が余っていたら「あさこはうす」へ葉書を出しましょう」と主催者挨拶は始まった。大間原発の建設敷地のほぼ真ん中にある「あさこはうす」は、フェンスに挟まれた狭い道で外部とつながっている。通行量が少ないことを理由に閉鎖が企まれているが、国内ばかりではなく海外から「あさこはうす」に毎日届く支援の手紙を郵便局員が運ぶことで、その道が生活道路であることを明らかにしている。その郵便物を途絶えさせることのないように葉書を出すことも大切な支援のひとつなのだ。 〒039-4601青森県下北郡大間町字小奥戸396 「あさこはうす」「あさこはうす」の熊谷厚子さんが1月15日投票の大間町長選挙に立候補している。大間町は、原発関連交付金にどっぷりと浸かり、大間原発の稼働で入る税金をあてにした箱もの政治で身動きできなくなっている自治体で、反原発の声を出すことはとても困難な町だという。難しい状況で一歩も引かずに闘い続ける姿勢に頭が下がるばかりだ。 東電福島第一原発の事故で放出された放射性セシウムはチェルノブイリ事故の2倍だった、という話から始まったスピーチは、1959年に科学技術庁(当時)が東海第一原発建設に際して原発事故による被害額を試算した事実が40年間も隠ぺいされつづけていた話題も取り上げた。 出力50万kW(女川原発1号機の3分の1)の原発の事故で2%の放射能が放出されるという仮定で見積もると、その被害額は当時の金で3兆7000億円になるという。公務員給与の比較から現在の金額に換算すると59兆円に及ぶ膨大な被害が予想されていたのだが、原発推進にとってあまりにも不都合なため隠し続けられた数字である。 岩手県から参加された人は、原発のない岩手県でも福島事故で汚染された県南地域の除染は終わっていない。原発立地県ではなくても事故の被害は起きることを強く訴えたいと話された。 宮城県知事は年頭挨拶で、8000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物を一般ゴミとして焼却することをすべての市町村の合意を得たいという趣旨の発言をしている。昨年暮れの市町村長会では合意が得られずいったんは延期になったが、けっして諦めたわけではない。これからも力を緩めず、反対運動に取り組んでいきましょう、と訴えられた人もいた。 福島でボランティア活動をしている人は、本当の意味で福島の復興は進んでいないことの意味について話された。福島へは復興予算も含めて10兆円もの国の予算がつぎ込まれているが、それが被災地には届いていない。たしかにホテルやアパートの類には大勢の人間がいるが、地元の経済の循環にその資金が入ってきていない。 福島につぎ込まれる国の資金は、その半分以上をゼネコンにピンハネされ、現地で働く人間にはかつかつの人件費しか支払われないため、被災地の経済循環にほとんど役立っていないのが現状である。ピンハネされた金は中央へ戻っていき、ゼネコンの留保金となったり、政治献金として政治家に還流していく。政治家と大企業が被災地を食い物にする典型的な「ショック・ドクトリン」的な構図になっている。 国は最低賃金法でピンハネを認めているが、尼崎市や野田市、川崎市あるいは奈良県のような地方自治体では「公契約条例」によって、自治体発注の事業で雇用される労働者の賃金のピンハネを禁じているところもある。国に最低賃金法を改正させることも必要だが、私たちが住んでいる自治体で「公契約条例」を成立させることが大切ではないか、と締めくくられた。 1月29日(日)13:00~に開催されることを主題とする『原発のない東北の復興を考えるーー市民による女川原発の再稼働を問うシンポジウム』のスタッフ募集の案内があった。第1回目は550人、昨年の2回目は630人の参加があった。今回はもっと多くの参加者を集めたいと頑張っているが、会場が広いためスタッフの不足が心配されるという。当日は12:30開場だが、手伝える方は1時間ほど前に集合してほしいという呼びかけであった。表小路。(2017/1/13 18:40~18:42) 久しぶりの勾当台公園での集会である。暮れに開催される「光のページェント」は、勾当台公園から出発するデモが通り抜ける定禅寺通りを主会場だが、勾当台公園も会場に含まれるため、その時期には勾当台公園は使えないのである。 集会は野外音楽堂で行われるが、そこから少し離れると本当に暗い。デモが公園を出て勾当台通りの広い交差点を渡るまではろくな写真が撮れない。シャッターが下りないほど暗かったり、撮れてもシャッター速度が遅くてブレブレである(露出優先のAFにしている)。一番町で(1)。(2017/1/13 18:48~18:52) 45人のデモが一番町に入る。暮れほど人が多いわけではないが、一番町をデモコースに入れられる仙台のデモは恵まれているような気がする。 デモに人数が一桁多ければさらに理想的である。一番町広瀬通り角は、待ち合わせの人たちが大勢集まっている場所だが、せめてそれに見合うだけのデモの人数だったらアピール力は抜群だろう。昼デモでは何百人というデモは何度かあったが、昼日中に大集団が待ち合わせで集まっているということはないのである。夕方6時ころのデモで200人くらいが歩くというのがいいなあ、と思ったりする。一番町で(2)。(2017/1/13 18:54~17:00) ニューヨーク市近郊のインディアンポイント原発を閉鎖するというニュースがあった。人口密集地域に近く危険だと廃炉を訴えてきた米ニューヨーク州のクオモ知事が2基の原発を2020~21年に停止させることで電力会社エンタージーと合意に達したという。福島事故後に閉鎖を求める声が強まったことを受けた政治的判断があったのである。 政治的判断といえば、この11日に台湾の立法院で2025年までの脱原発の実現に向けた改正電気事業法が成立した。台湾でも福島事故後に高まった反原発の世論を受けて、政治が国家レベルでの脱原発に踏み切ったのである。 二つともいいニュースだが、どちらも福島事故から学んでいるというのが重要であろう。多大な犠牲を出して福島事故を経験した私たちが学んだものは多い。しかし、福島事故から学んだ政治が実現しているのはすべて外国である。日本の政治家や官僚は何を学んだのだろう。隠ぺいの技術や、ごまかしのテクニックをひたすら磨き上げただけのようにしか見えないのが、なんともわびしい。日本は素晴らしい、日本人は優秀だなどと騒ぐテレビ画面のバカ面が目に浮かぶ。青葉通り。 (2017/1/6 19:03~19:06) デモはもっと人数が多い方がよいが、写真を撮るとなると50人くらいが写しやすい。大人数で視野に入らない部分が増えるとなんとなく不安なのである。いまさら言うのも変だが、私の写真は腕や技術で撮っているのではない。被写体との偶然の出会いだけが頼みの綱の写真なので、見えていない部分でシャッターチャンスがあったのではないかと思ってしまうのだ。 それにしてもデジタルカメラになってとても助かっている。私の腕でフィルムカメラではどうにもならなかっただろう。PCの記憶容量を喰うことを気にしなければ、デジカメは気楽なのである。めったやたらに写しておけば、その中には人に見せられそうな写真が少しはあるというものだ。 デモが終わった。いつもは歩いて帰るのだが、今日は地下鉄を利用して少しでも早く帰る。出かける前に米を研いで仕掛けてきたが、おかずは帰ってから急いで作るのである。電車の中で何を作るか考えたが、何も思い浮かばないうちに降りたのだった。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.01.15
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2017年第1回目のデモに参加するため家を出る。雪は降っていないが寒い。いや、雪が降っていないから寒いのだ。仙台では、雪の降らない晴天の日は寒いと相場が決まっている。 代謝が落ちているはずなのでもう少し厚着が必要かなと思っていたのだが、今のところ、去年と同じ服装でも間に合いそうだ。こうやって冬が越せれば、それはそれでありがたい。元鍛冶丁公園。(2017/1/6 18:05~18:27) 2017年最初の集会では、新年の挨拶と今年へ続く思いを語られる人が次々に手を挙げてフリー・スピーチに立った。 「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。けど、こんなデモ、早くやめたいんだ!」と始まった主催者挨拶は、パブリックコメントの話題に続いた。福島事故に対する東京電力の責任がいっさい問われないままに、経済産業省は福島第一原発事故の廃炉・賠償費用の一部や他の原発の廃炉費用の一部を、送電網を使う時の「託送料金」に上乗せして回収できるようにするという政策が導入しようとしている。たった2か月ほどで「中間とりまとめ」が出され、現在、1月17日締め切りでパブリックコメントを集めている。 政府が集めるパブリックコメントは、その内容はほとんど読まれず、どれだけ賛成、反対があったか、その数が問題にされる。それなら、一言でも、一行でも反対の意見を書いて出すのがいい。ネットにはたくさんの文例も載っているので、ぜひ参考にして多くの人が意見を提出してほしいと語られた。 暮れも押し詰まった12月27日に8000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物を一般ゴミとして焼却する問題を議論した宮城県市町村長会では全首長の合意が得られず、半年ほど結論が先延ばしにされた、という報告が当日スタンディング抗議に参加された人から報告された。脱原発仙台市民会議では、半年後の全県合意を目指す宮城県の動きに対応するため、1月15日には県内諸団体との活動経験学習交流会、1月27日の松森焼却場見学会などを計画している。 放射性ゴミの一般焼却は一旦延期されたものの、焼却に反対した栗原市などは放射能汚染ゴミの堆肥化、農地へのすき込みを計画しているという別の問題も明らかになった。集会でも、放射能ゴミを農地にすき込むことで私たちが毎日口にする野菜類が危険になることはないのかと心配する声もあがった。 これは汚染されたもの、これは汚染されていないものと区別されている限り、私たちは自分で注意して自分たちの身の安全を守ることができる。それが、焼却で大気中に広くばらまかれたり、堆肥として農地に薄くすき込まれたり、建設用土として全国で使用されてしまえば、私たちには放射能から身を守る方法がなくなる。空気も土地も、私たちの生きる環境はべったりと放射性物質で汚染されてしまうことになる。 低線量被ばくの影響に関する医学的知識はまだまだ十分ではない。十分ではないうえに、原発で金儲けしたいと考える政府と大企業とマスコミによって次第に明らかになる健康被害の情報は封じ込められている。将来、新たな低線量長期被爆の影響が隠しおおせなくなるほどはっきりと問題になった時、広く薄く拡散された放射性物質を回収することは不可能になってしまうのである。 そのため、従来の放射施物質管理の原則は、汚染を広げないこと、できるだけ集めて管理することであったが、この原則は福島事故以降政府や行政、御用科学者によって捻じ曲げられてしまったのである。 東北文化学園大学の震災復興と原発問題をテーマとした特別講座の最後の2回の講義について案内があった。1月12日、仙台原子力問題研究グループ、放射能対策支援室いずみ顧問の篠原弘典さんの「日本の原子力の歴史を問う」、1月19日、てらさわ小児科院長寺澤政彦さんの「甲状腺の異常と放射線被ばく チェルノブイリから福島まで」。ともに木曜日午後3時から4時半、東北文化学園大学1号館2階1257教室で開かれる。 1月12日の講師の篠原さんが多田瑤子反権力人権賞を受賞されたこと、この賞の前回の受賞者は、辺野古や高江の反基地運動を牽引していた山城博治さんだったことなども紹介された。 多田瑤子反権力人権賞を受賞された篠原弘典さんの講演会と受賞祝賀会が開催される(2017年2月19日(日)16時半からアエル6階の情報・産業プラザ・セミナールーム2)。出席申し込み方法は、FBの『講演会・受賞祝賀会』の頁に掲載されているが、会場の関係でできるだけ早く申し込んだ方がよいというアドバイスもあった。元鍛冶町通りから一番町へ。(2017/1/6 18:32~18:35) 集会が終わり、45人がデモに出発する。夜のデモのときにはいつも+1ほど露出補正をして明るく写るようにしているのだが、今日は補正なしで写している。だから写る写真はどれも暗い。夜なのだからこれが自然と思えるといいのだが、なかなかそうもいかない。 露出補正をすればISO感度が上がって写真が粗くなってしまう。それも不満なのである。フラッシュを使う手もあるが、フラッシュ光の不自然さが嫌いなので使ったことはない。一応はあれこれ考えるのだが、知識も技術もないので、適当に妥協するだけなのである。 一番町を歩く。(2017/1/6 18:39~18:49) 「暮れから正月まで、ぜひお話ししたくなるようなニュースはありませんでした」と主催者挨拶にあった。さすがに年末年始は政府も電力会社もたいした動きをせずに休暇に入ったのかもしれない。彼らが行動を起こせば、必ず(と言っていいほど)悪いニュースが伝わってくるので、こちらもひと休みできたということになったということだ。 とはいえ、二つほど目に留まるニュースがあった。一つは、暮れのどん詰まりの28日、東芝株がストップ安で市場が始まったというニュースである。前日、東芝は、この12月に原発建設等を行うCB&I社の子会社CB&Iストーン・アンド・ウエブスター社(S&W社)を買収したばかりだが、その資産価値は当初の予想よりはるかに低く、損失が数千億円(たぶん5000億円程度)に上ることを発表している。子会社のウェスチングハウスの損失分を含めると東芝は一兆円以上の損失を抱えることになる。 もう一つのニュースは、さらにもうひとつの日本の原子力企業・三菱のものである。三菱は、経営危機に陥ったフランスの原子力大手、アレバに500億円の融資を行うことを決定した。問題は、この融資がフランス政府の要請で、けっしてアレバの将来を見込んだ経営的判断だったとは言えないことである。これは アメリカでは資産価値がないとみなされている原発関連企業を東芝が次々買収して膨大な不良資産を抱え込んだ道を、三菱もまた歩み始めたのではないかと思わせるニュースである。 世界的レベルで言えば、原発産業はすでに斜陽である。原発大国のフランスの最大手、アレバですら例外ではなかった。原発先進国アメリカでも原発関連企業は売却される運命にあるほど原発産業は不況である。とうの昔に世界は脱原発に踏み出しているのである。そして今、世界の原発企業をめぐる負債は、東アジアの後進国の愚かな企業に押し付けられている構図になっている。周回遅れの先進国(つまりは後進国)では、国も企業も原発があれば経済が回るという妄想を脱却できないでいる。そして、この国の政官民一体となってもっと周回遅れの国々へ原発を強引に売り込んで生き延びようとあがいている。 エコノミストの中には日本の原発企業の抜本的見直しを期待する向きもあるが、企業ばかりでなく後押ししてきた政府も自分たちにとって好ましくない政治的判断を強いられる「抜本的な」見直しなんてできるのか、私は疑っている。 いずれにせよ、国民を道連れにしないでほしい。かれらと心中なんてごめんこうむりたい!青葉通り。 (2017/1/6 18:50~18:58) デモが終わって、冬らしくきりっと冷えた青葉通りのデモが来た道を戻って家に帰る。いつものようにワイン(今日は赤)を飲み、少し飲み過ぎたと思いながら遅い食事を終えた。まったくアルコールを受け付けない日も多いのだが、体を動かした日は飲めることが多いような気がする。 いいあんばいの酔い加減で寝ようと思ったころ、義母の熱が高い、血中酸素量が低いと妻が言い出し、訪問医に電話をかけ始めた。状況を報告したら、即入院ということになって救急車を待つことになった。 バタバタと入院の必要な荷物を二つの大きなバッグに詰め終えるころ、救急車が到着し、義母と付き添いの妻を送り出した。時計は12時を回っていた。眠る気になれなかったので、デモ写真の整理をした。どれも暗い写真で、RAWデータ写真の修正は楽ではないが、暗いものは暗く、それでいいんだと言い聞かせながら進めたが、半分も終わらすことができずに床に入った。 そんな一日の終わり………。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.01.08
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