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龍となれ 雲おのずと来たる 武者小路実篤武者小路実篤は「一個の人間」「もう一息」に続き3度目の登場。作家として名を成した実篤だったが、若い頃から美術への関心が深く、美術に関する著作も数多く残している。40歳頃からは自ら絵筆をとるようになった。元々絵描きではないので、技術的には決して巧みなものではないのだろうが、一筆一筆を愚直に描いていて、その技巧的ではない、飾らない絵は温かみに溢れている。身の回りにあるもの、特に南瓜とジャガイモ等の野菜の絵が多いようだ。言葉を本業とする作家なだけに賛を添える事も多かったようだ。賛とは絵の余白に書き添えた文章または詩歌のことをいうらしい。本来は人物の事跡を述べて賞揚する中国文学の一形式だったものが、絵画にいれる習慣が一般化したもので、この絵画に入れるものが画賛。絵の作者とは別の人物が賛を付けるのが普通で、画も賛も同一人物が記したものを「自画賛」という。 これが自画自賛の由来となったようだ。今日の言葉は実篤が画賛としてよく書いていた言葉。龍といえば雲というぐらい、龍の絵には雲が描かれている。雲を呼び雨を降らすといわれる伝説の所為かもしれない。古(いにしえ)の時代、農業がすべてだった時には雨が降らないことは死活問題であり、その雨を呼ぶ龍は、恵みをもたらす偉大な存在だったのだろう。そうしてみると雲は、その偉大さの象徴なのかもしれない。逆に雲の助けのおかげで龍は天を駆けることができるとも考えられていたようだ。この時、雲がないから天を駆けることができないと思うのではなく、龍になってしまえば、雲は自然にやって来る、ということだろう。雲は“徳”をあらわしているともいわれる。何か行動を起こそうとするときに、何なにが無いからできないではなく、行動していけばそういったものが近くに来る、ともとれる。頑張って何かを一生懸命やっている人には、自然と支持者・応援者が現れ、応援してくれることが多い。この人たちが雲なのかもしれない。新年度となり、新たな旅立ちをした方々も多いと思う。是非、まずは龍になってもらいたい。龍となれ。 雲おのずと来たる。 このブログ長々とやっているが、昨年の4/1にこの形式にして復活してから丸一年。ご訪問くださるみなさまのおかげ様で続けられました。ありがとうございます!今後ともよろしくお願いいたします!
2011.04.02
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ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。“芸術は爆発だ”これは随分前からの私の信念であり、貫いてきた生き方だ。(中略)全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが爆発だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。 いのちの本当のあり方だ。 岡本太郎 『自分の中に毒を持て』岡本太郎(1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)日本の洋画家。芸術家。パリ(ソルボンヌ)大学に留学、ピカソに衝撃を受け抽象芸術運動に参加。またシュルレアリスム運動とも直接関わった。日本の縄文や沖縄の魅力を再評価。平面・立体の美術作品を数多く残し、文筆活動も精力的に行った。『芸術は爆発だ!』という名言で超個性派人間としてテレビでも活躍。なんといっても、『芸術は爆発だ!』の台詞と彼のキャラクターが強烈だったのを覚えている。1970年の大阪万国博覧会にてテーマ館のシンボルとして建造された『太陽の塔』を制作したことでも有名。(最近『20世紀少年』という漫画(映画)で改造されちゃっていたが・・・)今年は生誕100年にあたる年なのだそうだ。そのキャラクターしかおぼえていなかったので、岡本太郎氏のことを、あまりに天才であり、紙一重の人だというイメージで捉えていた。もっというと、“いっちゃった人”的な印象で、大変失礼な話だが、一般的な常識の世界とは違う世界の住人のように思っていた。どちらかというと“理論”は何も無く、“感覚”の非常に鋭い、いかにも芸術家であって、それが普通の芸術家よりも突出しているのだろうと・・・・。確かに“感覚”の非常に鋭い人ではあるのだろうが、その感覚を言葉で表現する事もとてもうまい、理論・理屈も達者な方なのだな、という事がこの本を読むと分かってくる。(秘書で後に養女となった岡本敏子氏による文章なのかな? と穿った見方もできるだろうけど・・・ 笑 )この『自分の中に毒を持て』は結構、お気に入りの本。芸術家という言葉を使ったが、太郎氏はこの言葉の直前にこんな事も言っている。いま世間で芸術と思っているのは、ほとんどが芸術屋の作った商品であるにすぎない。強烈な言葉。そして本当の芸術とはということを述べている。太郎氏にとって「芸術=生きること」だというのだ。「爆発」についても(中略)の後半で言及している。一般に「爆発」というと、ドカンと大きな音が響いて、物が飛び散り、周囲を破壊して、人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。が、私がいう「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。 国際的な評価を受けている芸術家なのだけれども、ぶっ飛んだキャラが受けて、変な人扱いをされつつテレビに出ていた人のイメージとはだいぶ違うのではないだろうか。子供の頃から胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かしがたい感覚を持っていたそうだ。絶対的な存在感のそれは自己のアイデンティティーのことのようだが、ずっとそれを守ろうと抱きしめていた。が、守ろうとし、大事にするから弱くなってしまう。と悟ったという。己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。――爆発するんだ。 自分を認めさせようとか、自分の役割をどう果たすかとか、という状況や成果を考えても袋小路に入り込むだけだと続く。いま、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。 人生は爆発だ!?分かる。分かるのだけれど・・・いまこの瞬間を爆発させなければいけないのも賛成するが、無目的、無償、となってくると刹那的な風にもとれちゃう。難しい。けど総論賛成!頑張って爆発しようぜ!(ここまで書いて、ふと心配になったのだが、この時期に爆発って不謹慎? 大丈夫だよね。うん。そういうことにしてしまおう。)
2011.03.26
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あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。マルクス・アウレリウス『自省録』(訳:神谷美恵子、岩波書店)マルクス・アウレリウスは以前「君の内面の平和は・・・」で触れたのでプロフィールは省略。「明日死ぬかのように生きよ。」というガンジーの言葉を思い出す。人生は永遠ではないのだから、今を精一杯生きろ!という意味だろう。「不可避のもの」とは“死”に違いない。ん?「善き人たれ」という表現なので、単純に精一杯というわけではないか?西欧人だし、バチカンのあるローマの皇帝ということから、パッと見では、「死後の永劫の地獄を怖れ、生きている間に悔い改める」というキリスト教を連想する。が、キリストを公認するのは200年程後のコンスタンティヌス帝まで待たなければならない。アウレリウスの時代のキリスト教は、勢力を伸ばしてきたといえ、ローマの神々を敬う既存の多神教文化を批判し、その上皇帝崇拝を拒むというとんでもない社会の異分子であり、怪しい新興宗教の一つに過ぎない。アウレリウスにしてみれば、自分が統治する社会を乱す悪者だったはず。キリスト教が全く関係ないとすれば、どういう意味なのか?彼はストア派の哲学者だったので、当然のごとく答えはその学派にある。ではこの哲学のいう“善き人”とはどんな人をさしているのだろう。結論だけいうと、「内なる自然」である「ロゴス」にジタバタしないで素直に従うということ、(「ロゴス」は知性と近いのものだと思う。徳とすべきなのかも。)がストア派の理想とする人間の生き方。この状態を「アパテイア(不動心)」と呼んだ。 (最初、結論の前にストア派の世界観を説明しようとしたのだが、 あんまり意味ないと思い直し削除した。 興味あれば参考として最後に置いておいたので見てみて)好奇心でストア派の説に触れたが、学説なんて実はどうでもいい。自分自身が理想とする生き方を送るには、時間が限られてるんだよ。ということが大事。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。参考---------------------------------------------------------------------キプロスのゼノンが創始したとされるストア派の世界観では、この世界は原因と結果の「因果律」と万物を支配する宇宙原理である「自然」(神?)によって決定されている。この「自然」は自然法則と動物の内にある「自己保存の衝動」(本能?)をいうが、人間だけはこの本能よりも「内なる自然」である「ロゴス」に従って生きる存在。自らの支配原理である「ロゴス」にではなく、動物的な「衝動」の方に従いたいという欲求こそが「ロゴスにいやいや従う」という人間の悪しき生き方の元凶であると考える。この「衝動に従おうとする欲求」さえ取っ払ってしまえば、人間は「ロゴスに素直に従う」という善き生き方を実現できる。 かくして「パトス」(負の方向に偏っているものすごく強い感情)の排除を目指す。「衝動」に関係するありとあらゆる「パトス」を排除した結果として、「アパテイア(不動心)」という状態を、人間の理想的なものとして提示している。この衝動の排除がストイック(禁欲主義)の語源となった由来だろう。 ---------------------------------------------------------------------参考とさせていただいたHPWebで読む西洋哲学史 ストア派(History of Western Philosophy Stoics) このHPによると-----------------------------------------------------------------ストア派の冒頭で、彼らの学説は実践的な方向に偏りすぎていたために、理論的な部分の完成度がプラトンやアリストテレスよりも低下して結果的に後世にまとまった形で残らなかったということを主張しました。-----------------------------------------------------------------という事らしい。確かに哲学という学問としては理論的な部分が重要なのでしょう。そこから完成度が低いとみなされるのも理解できる。でも私個人は実践し易いことの方が重要に思えるし、そっちを好む傾向があるようだ。なんとなく、儒教、それも孔子等初期のものに通じるものを感じる。儒教も朱子や王陽明になってくると理論的に完成されてくるが、『論語』をみるかぎりでは理論はないといってもいいぐらい。笑でも、深い!
2011.03.21
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驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ち亦たこれに及ぶ。 驥一日而千里、?馬十駕、則亦及之矣 荀子(荀況) 『荀子』(修身篇)(超意訳・直訳)驥は一日に千里も走るというけれど、足の遅い駄馬であっても十日も車につないで走らせれば、同じ距離を進むことができる。(凡才であったとしても、努力を続ければ、天才に追いつくことができるのだ。) 驥(き) ・・・一日に千里をはするという名馬。駑馬(どば)・・・足ののろい馬。駄馬。駕(が) ・・・馬に車を付けて走ること。荀子(紀元前313年? - 紀元前238年?)中国の戦国時代末の思想家・儒学者。諱は況、字は卿。孟子の『性善説』に対して、『性悪説』を唱え、外的規範である「礼」をもって秩序を正すべきと説いた。弟子に韓非や李斯がいる。『性悪説』とは、人間の性を悪と認め、後天的努力(すなわち学問を修めること)によって善へと向かうべきだとした説で、この立場から、孟子の性善説を荀子は批判した。だが、孟子の『性善説』も人間には「四端の心」が備わっているといっているだけで、完成した善であるといっているわけではない。そのまま放っておけばケダモノ同然なので、学問で矯正することが必要だとしている。結局、同じ事を言っているような気がするんだけど・・・。言葉の範疇というか定義の時点でずれた批判だったのかもしれない。※四端の心(「端」とは、兆し、萌芽の意味。)惻隠…他者の苦境を見過ごせない心(憐れみの心) 羞悪…不正を羞恥する心 辞譲…謙譲の心 是非…善悪を分別する心 元々がちょっとしたボタンの掛け違いであったとしても、人間の本性は善か悪かという背反する言葉を使ってしまうと教えを受ける方は輪をかけて違いが大きくなる。同じ儒教の教えの上での対立だったものが、片方は違う学問の完成に繋がっていく。今日の荀子や前出の孟子をはじめ、その祖である孔子などが活躍した、中国の春秋・戦国時代は諸子百家(しょしひゃっか)といわれる様々な思想が競い合っていた。その一つに、徳治主義を説く儒家と異なり、法治主義を説いた法家があった。(徳治は人間性というか道徳で世の中を治めようとし、法治は法律で治めようとする)荀子は徳の一つである「礼」(礼儀)で治めることを説いたのに弟子はそれを発展させ、法律で治める法家になってしまい、それの完成者といわれる存在になってしまった。それが『韓非子』の著者として有名な韓非や始皇帝の側近として活躍した李斯だった。特に李斯は始皇帝に焚書を進言したりしているので、儒家の評判が悪いようだ。そのためなのかは解らないが、師匠の荀子もあまり重要視されていない印象を受ける。実力主義や成果主義の有効性を説いていたりと、西洋的な考え方の人だったのかもしれない。いや、“東洋的な考え”と思っているのは、漢の高祖劉邦が叔孫通を任用し、武帝が大学者、董仲舒を得て、漢帝国の国教を孔子~孟子を正当とする“孔孟の教え”といわれる儒教に決めたことが原因で、孟子に馴染んでいるだけという気もする。法家の商鞅や韓非は合理的な考え方だし、合従策を唱えた蘇秦や連衡策を唱えた張儀などの縦横家はマキャベリと仲良くなりそうな気がする、また墨家の博愛主義はキリスト教と共通するところがあるように思われる。漢以来二千年も儒教が国家の精神的柱となっていたという歴史があって、現在の東洋的な考えが創り上げられてきたとすると、荀子が当時の世で変わっていたのではなさそうだ。いやはや、また脱線した上に自問自答?!汗世の中に天才といわれる人は、限りなく少数だろう。とすればほとんど全員が凡才となる。(乱暴な決め付け?失礼しました!笑)努力さえすれば、時間が十倍かかろうと同じ高みに昇ることができる。(そりゃ天才が同じことしたら追いつけないかもしれないが、 そんな事いってたら始まらない! )驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ち亦たこれに及ぶ。 ウサギと亀の物語。一歩一歩、歩いていく事が大事。ちなみに、この言葉を勧学篇としているものもあるようだ。ほとんど同じものがあるから紛らわしい。麒驥も一躍にしては十歩なること能(あた)わず、駑馬も十駕すれば則ち亦(ま)たこれに及ぶべし。 騏驥一躍、不能十歩 駑馬十駕、功在不舍。 荀子 『荀子』(勧学篇)(超意訳・直訳)よく走るすぐれた馬でも、一回の跳躍で十歩の距離を進むことはできない。足の遅い駄馬であっても十日も車につないで走らせ、途中で捨て去らなければ、功績をあげることができる。(こつこつと努力することが大切だ。成果をあげるには、こつこつ休まずにやるほかない)※騏驥(きき)・・・よく走るすぐれた馬のこと。
2011.03.20
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字数制限に引っかかり、もう編集する気力が残ってないのでやむなく分割。(続き)また韓国。--------------------------------------------------------------------------「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた日本人は粘り強く一貫した災害対処教育を幼稚園の時から受ける。机の横のフックにはいつも災害に備えて頭にかぶる防災ずきんがかけられている。地震が発生すれば「防災ずきん着用→机の下に待避→運動場に待避→秩序確保」まで目を閉じてもできるほどだ。徹底した災害予防教育は小学校入学後に初めての授業で習う「迷惑をかけるな」という日本固有の精神価値とともに、大型災害に落ち着いて対応するようにする秘訣だ。ここには自身に訪れた境遇を宿命として受け入れる日本人の特性も作用する。 災害にあった日本人が泣き叫ぶことがほとんどないのも、「自分がそうした行動をすれば自分よりも大きな被害にあった人たちに迷惑になる」という極度の配慮精神のためだ。災害現場で見た日本の姿。それは「日本はある」だった。中央日報日本語版 2011.03.14 --------------------------------------------------------------------------日本はある・・・・?こんな教育あるの?後半は納得かな。これも。--------------------------------------------------------------------------【コラム】日本はある日本は刺激的だ。日本の自然災難は異質だ。津波・地震・火山爆発に韓国人は慣れていない。それだけに災害に対応する日本人の方式は新鮮で強烈に迫ってくる。 巨大な災難を吸収、克服する日本の文化は特別だ。危機への対処が沈着だ。列に並び、順番をきちんと守る。ガソリンスタンドやスーパーでの割り込みもない。商店の略奪も見られない。個人の利己的突出もなく、周囲のことを考える。生死の争いの前でこうした集団的な秩序意識は驚異的だ。 国家的な悲しみは計り知れない。しかし絶望の中で泣き叫ぶことなく、悲しみを抑える。日本のテレビで遺族の号泣は見られない。遺体は撮らない。絶叫と激憤、喚き、大げさな振る舞いに慣れた韓国人に衝撃的な印象を残す。 日本人の落ち着きと秩序は配慮精神の勝利だ。他人に迷惑をかけることを日本人は本能的に嫌う。「人に迷惑をかけるな」という教育のおかげだ。嘆きや絶叫は伝染病のように伝播する。動揺と無秩序、恐怖と興奮を引き起こす。だから悲しみを静めて表出を自制する。感情の伝染病を周囲に移さないでおこうとするのだ。その徹底された節制は感嘆を呼ぶ。世界は文化衝撃を受けている。日本の底力だ。日本人はそのように存在する。それは日本の国格とイメージを高めている。パク・ポギュン編集人中央日報日本語版 2011.03.16--------------------------------------------------------------------------常々韓国のニュース映像で、感情を爆発させる韓国人を見て、スゴイなと思っていた。文化の違いを感じ、正直、大袈裟な感じを受ける事もあった。だが自然な感情だし率直だ。同時に、逆に韓国の人々が日本の映像を見た時はどう思うのだろうか、随分冷淡な国民性として映っているのかもしれないと考えることもあった。だからかも知れないが、このコラムはおもしろかった。それにこうみてくれるのは嬉しい。記事の方の「日本はある」などを日本で報道しているのがこれ。他の記事も紹介している。--------------------------------------------------------------------------被災者の冷静対応を称賛 「譲り合いの文化」「略奪ゼロ」紹介「お先にどうぞ」「いえ、私は大丈夫です」-。14日付の韓国紙、中央日報は、東日本大震災で被災地の住民たちが譲り合いの精神を忘れずに対応し、怒号が飛び交うこともなかったと称賛する現地ルポを伝えた。また、13日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは、東日本大震災の被災者が最悪の状況下でも秩序を保ち、他人を気遣い続けているとして「日本人の気質は損なわれていない」と好意的に伝えた。同紙は、日本語では「迷惑をかけてすみません」など、謝罪の表現が多用されると解説。時には無意味なほどだが、危機的状況の中では、こうした礼儀正しさが国民を一つに束ねる効果を発揮するようだと指摘した。フジサンケイビジネスアイ 2011.3.15 --------------------------------------------------------------------------他にも沢山の記事がある。エコノミックアニマルと蔑まれたのは昔の話にしても、その後もイエローキャブや買春しまくるエロオヤジ。最近では落ち目のかつての経済大国。などなど悪いイメージしか浮かばない。世界から嫌われている日本人というイメージが固まってきているのかと思っていたので、嬉しい限りだし、誇らしい。評価ではなく、応援もすごい。--------------------------------------------------------------------------「試練乗り越えられる」=国連総長、日本語で哀悼-大地震【ニューヨーク時事】国連の潘基文事務総長は11日、記者団に対し、三陸沖を震源とする大地震に関し、「日本政府と国民に心から哀悼の意を表します。日本がこの重大な試練を乗り越えられると確信しています」と日本語で声明を読み上げた。潘事務総長は、日本は世界で助けを必要としている人たちに対する最大の支援国の一つだと述べた上で、「この極めて困難な時に、国連は日本国民と共にある。われわれは(日本のために)全力を尽くすだろう」と強調した。時事ドットコム 2011/03/12 --------------------------------------------------------------------------「国連は日本国民とある」ってすごい。--------------------------------------------------------------------------英紙には「がんばれ、日本。がんばれ、東北」英メディアは連日、東日本巨大地震の被害と福島第一原発の状況を大きく伝えている。共通しているのは、日本国民に対する同情と支援の姿勢であり、悲劇に冷静に対処する日本人の「回復力」への評価だ。インデペンデント紙(13日付)は1面の全面に大きく「日の丸」のイラストを掲載し、日本語で「がんばれ、日本。がんばれ、東北」と書いた。デイリー・ミラー紙(14日付)は1面の題字下に「日本、みなさんは一人じゃない」とやはり日本語で書き、社説では「日本は復活する」と強調した。読売新聞 2011年3月15日 毎日新聞・画像 --------------------------------------------------------------------------頑張っていきましょう!!そして世界からのエールが被災地にも届け!
2011.03.19
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But the Japanese people themselves were truly noble in their perseverance and stoicism and orderliness. 日本人の忍耐力や冷静さ、秩序は実に高潔だった ニコラス・クリストフ(NICHOLAS D.KRISTOF)米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)今日も関東地方で地震があり、まだまだ安心はできない様子。被災者の方々は救援物資も少なく大変な状況のようで痛ましい。だが、今、肉体的にも精神的にも限界のところで頑張っている被災者の人たちにこれ以上“頑張れ!”とは言えない。ただ、立ち直り元気になってくれることを祈り、信じるのみだ。時間がその傷を少しでも癒してくれることを願う。頑張らなくてはいけないのは、我々、被災していない日本人一人一人だろう。義援金の寄付や節電をする事はすばらしい。(ここ北海道では節電は無意味のようだが・・・)(被災者の為にという意味ではね。エコその他の意味では推奨されることでしょうが)だが、普通の生活に戻り、日常の生活をこそ頑張らなくてはいけない。悲惨な映像を繰り返し見ていると体験していなくても、体験したかのような状態になる。と精神科の医者だったか心理学者だかの誰かが言っていた。私も、どうしてもニュースが気になったり、呆然としてしまうことがある。なかなかブログを書く気にもなれなかったりする。こんな事ではダメだ!被災した方々が必死に生き抜こうとし、復興を期しているのに情けない。同情ばかりで、日本全体が沈滞してしまったら、支援する力も失うことになる。粛々と日常通りの生活に戻り、そこで精一杯頑張る事こそ大事なんじゃないか!と思うわけなのだ。前置きが長くなってしまったが、だからといってTVのコマーシャルのように、ある日突然、地震前と同じに切替えるというのもなかなかできない。その為の区切りとして、世界が賞賛している声を集めてみた。もう時間が経っていて、今さらなのだが、感動する言葉だ。地震の報道で悲しい涙ばかりではなかった。もちろん悲しみや痛ましさが根底にあるのだが、現地の人たちの姿に逆に励まされる事も多かった。そうした姿に、“人間”って素晴らしい!と思っていたのだが、他の国々の人たちは“日本人”は素晴らしい!と見てくれていたようだ。タイトルに付けたのは毎日新聞の記事の見出し。以下冒頭の言葉の部分を引用すると。--------------------------------------------------------------------------「不屈の日本」…米紙称賛米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は11日、阪神大震災当時に東京支局長だったニコラス・クリストフ氏の「日本へのお悔やみ、そして称賛」と題するコラムを掲載、日本人の精神力の強さをたたえ、復興に向けてエールを送った。クリストフ氏は、阪神大震災時の取材で、崩壊した商店街で略奪がほとんどなかったことや、支援物資の奪い合いが生じなかった事例を紹介。「我慢」という日本語を引き合いに「日本人の忍耐力や冷静さ、秩序は実に高潔だった」と説明し、「今後、それらが示されるだろう」と期待を寄せた。毎日新聞 2011年3月13日 --------------------------------------------------------------------------原文はこちら米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)見出しの「不屈の日本」は同じ米紙でもウォールストリート・ジャーナルの社説の題名。毎日の記事もこちらの社説のお話しから始めている。この記事の中では、日本の建築物の耐震技術の素晴らしさを説いている。「不屈の日本」私が見たテレビの報道では「高潔な日本民族」となっていたような気がする。思わずホイットマンの詩に謳われた侍を連想し、涙が出てきた。これもアメリカ。--------------------------------------------------------------------------「なぜ略奪ないの?」=被災地の秩序、驚きと称賛-米東日本大震災の被害や福島第1原発事故が連日、トップニュースで伝えられている米国で、被災者の忍耐強さと秩序立った様子に驚きと称賛の声が上がっている。「なぜ日本では略奪が起きないのか」-。米メディアは相次いで、議論のテーマに取り上げている。時事通信社 2011/03/16 --------------------------------------------------------------------------昨年だったか、知人の経営コンサルタントの先生との話の中で、この記事と同様、ハリケーンと暴動の話となったことを思い出す。日本では起きることは先ずないという趣旨の私の意見に対し、彼はいざとなったら日本も同じ、だとうそぶいた。(この先生は悪気はなく、私の意見には取り合えず反対する習性を持っているだけなので、 悪く取らないで下さいませ。笑 批判的な意見を生業とする職業病?笑)自分をコンサルタントと呼ばれるのも、先生と呼ばれるのも嫌いな彼は、実は感激屋さん。TVの前で涙していることでしょう。....脱線。我々から見るとなんでもないようなこの写真。中国の人々はこの写真で日本の民度が高いと賞賛してくれているという。何でか?全く解らなかったのだが、通行する人のために真ん中を開けているからだという。当たり前に過ぎないことで、こんな事褒められても、どうなのかなとも思うのだが、よそ様からするとそうではないようだ。それが世界的にそうなのか、中国人だけなのかはわからない。が、あの反日教育のお国で好意的に取り上げられるのはいいことなのだろう。 --------------------------------------------------------------------------「マナー世界一」 中国、日本人の冷静さを絶賛地震多発国で東日本大震災への関心が高い中国では12日、非常事態にもかかわらず日本人は「冷静で礼儀正しい」と絶賛する声がインターネットの書き込みなどに相次いでいる。短文投稿サイト「ツイッター」の中国版「微博」では、ビルの中で足止めされた通勤客が階段で、通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している写真が11日夜、投稿された。「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付いた。この「つぶやき」は7万回以上も転載。「中国は50年後でも実現できない」「とても感動的」「われわれも学ぶべきだ」との反響の声があふれた。大震災を1面で報じた12日付の中国紙、環球時報も「日本人の冷静さに世界が感心」との見出しで報じた。(共同)毎日新聞 2011年3月13日--------------------------------------------------------------------------お次も中国での報道の様子。--------------------------------------------------------------------------日本の秩序や防災対策を称賛 同じ地震大国・中国、連日トップ報道東日本大震災に、同じく地震に苦しむ中国が高い関心を寄せている。被災状況の報道の一方で、未曾有の震災に直面した日本人の秩序の良さや、防災対策を評価する声が目立っている。「教師は最後に電気を消してから教室を離れ、避難民は暗闇の中で秩序正しく並び救済物資を受け取る」と日本人が見せる秩序と冷静さを高く評価している。フジサンケイビジネスアイ 2011.3.16 --------------------------------------------------------------------------同じく日本に対して手厳しい筈の韓国でも・・・--------------------------------------------------------------------------<東日本大地震>一つになった日本に海外メディアが感嘆愛媛県松山市に15日、平日にもかかわらず、数百メートルの列ができた。東日本大地震で負傷した患者に緊急輸血が必要だというニュースが報道されてからだ。若者を中心に一日300人を超える献血者が集まり、献血まで1時間以上待たなければならないほどだった。献血された血液はすぐに日本赤十字社を通して被害地域に送られる。 こうした日本の姿に海外メディアからは激励と賛嘆が相次いでいる。中央日報日本語版 3月16日 --------------------------------------------------------------------------また中国。--------------------------------------------------------------------------生死にかかわる時でさえ集団の利益を優先する日本人=中国中国メディア広州日報は14日、東北地方太平洋沖地震が発生したことについて、「日本人は大地震という生死にかかわる時でさえ、公共秩序を守り、集団の利益を優先している」と評価する記事を掲載した。サーチナ(Searchina) 2011/03/16--------------------------------------------------------------------------そして台湾。--------------------------------------------------------------------------日本人は世界中から尊敬を浴びても足りない日刊紙「聯合報(ユナイテッド・デイリー・ニュース)」は、「世界を震撼させる天災で、日本人に心を動かされた」というタイトルで記事を掲載。「我々の隣国・日本が、地球史上めったにない規模の大きな災難に直面した。だが彼らの態度はいたって冷静。世界中から尊敬を浴びても足りないくらいだ」と伝えた。サーチナ(Searchina) 2011/03/19--------------------------------------------------------------------------褒めすぎではないのか?サーチナという会社は日中友好を図る目的もあるようなので、(この意図がダメということではない。これは素晴らしい意図。こうなって欲しい。)深読みすれば、中国でそんなに大きく報道されていないニュースも日本人が喜ぶモノがあれば紹介するのかも(?)知れないが、それを割り引いたってありがたい言葉だ。インドでも。--------------------------------------------------------------------------「被害の中でも規律保つ」インド紙が称賛の声紹介天井や壁が完全に崩れ落ちるような災害の中でも、すべての規律が保たれていた-。インド紙ビジネスラインは13日付で、日本への出張中に被災したインド人技術者が日本人の冷静な対応を称賛する声を紹介した。フジサンケイビジネスアイ 2011.3.13 --------------------------------------------------------------------------字数制限に引っかかり、もう編集する気力が残ってないのでやむなく分割。(続く)
2011.03.19
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タンポポ魂 踏みにじられても食いちぎられても死にもしない枯れもしないその根強さそしてつねに太陽に向かって咲くその明るさわたしはそれをわたしの魂とする坂村真民坂村真民は以前「生きるのだ」という詩でご紹介しているのでプロフィールは省略。今日のような大災害があると、前向きな言葉など虚しく響くだけのような気もするが、こんな時だからこそ、そういう言葉が力を持つと信じたい。わたしはそれをわたしの魂とするとあるので、タンポポのように逞しく、生きていくという宣言文ととれる。タンポポはしぶとい。私も庭いじりをするが、タンポポを根絶する事は至難の技。だが、それだけではなく、常に太陽に向かっている明るさがある。タンポポのような、その根強さ、その明るさ、が必要なのだ。地震・津波による被害の実態が刻々と明らかになってきている。テレビのこちら側にいても、映し出される光景に驚愕し呆然とする。口で言うほどたやすい事ではないだろう。でも、だからこそ、タンポポ魂を送りたい!(東日本大震災の2日後)
2011.03.13
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Memento mori. 死を忘れるな(死を記憶せよ、死を想え) ラテン語の格言地震の被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。東北沖大地震は東北地方だけでなく、全国的な規模の大きな被害をもたらしている様子。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。今は、一人でも多くの方が無事救出される事を祈るしかない。この天変地異ともいえる大災害で思い出されたのがこの言葉。以前同じラテン語の言葉 Carpe diem をご紹介した時にチラッと触れていた。自然の力は凄まじい。車が、家が、そして街そのものまでが丸ごと流されてしまう。普段、不景気だだの、金がない職がない、やれ浮気がどうの、などと悩んでいる事が一瞬でたいした問題ではなくなってしまう。(本当か?汗)(私の周りの人たちの悩み。大病を抱えていたり大きな悩みはあるのだろうが)人の一生の中で唯一確実な事は、みな必ず“死”が訪れることだ。とはよく言われる。が人間はその事をまったく意識しないで生活し、これからも生きていくという前提の中で、悩んだり苦しんだりしている。今普通に生きている私たちは、明日もきっと生きるものだと錯覚しているだけだ。明日、いや今日、今、なにがあるかわからない。災害に遭われた方々に死なぞ当たり前の事だと言っているわけでは決してない。心中察してあまりある。かける言葉も見つからない。金や財産がどうでもいいとも思わない。たとえ生命が無事であっても家や財産がなくなり明日からの生活の糧を失うことは大変な事だ。そうではなく、誰にも保証された明日なんかない!ということ。今、この瞬間を大事に、精一杯生きる。それしかないのではないか。汝は不死なる神ではなく、死すべき人間であることを自覚せよ 「汝みずからを知れ」(ギリシア語で「グノーティ・サウトン」、ラテン語で cognosce te ipsum.)の解釈としての言葉だが、今日のメメント・モリの意訳としてもおかしくない。(『ギリシア・ローマ名言集』(柳沼 重剛著))日常の悩みはちっぽけなことの方が多い。Memento mori. 死を忘れるな 死を想え最後に少し脱線するが、この言葉を題名にした写真集がある。20年も前に出版された古い写真集。藤原新也という方の本。これも衝撃的なものなので機会があれば手にとって見て欲しい。こちら藤原新也オフィシャルサイト -fujiwara shinya official site- でも一部見ることができる。
2011.03.12
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人参呑んで縊(くびくく)る癡漢(たわけ)あれば、河豚汁(ふぐじる)喰ふて長寿(ながいき)する男もあり。一度で父(てて)なし子(ご)孕(はら)む下女あれば、毎晩夜鷹買ふて鼻の無事なる奴あり。大(たい)そふなれど嗚呼天歟命歟。 平賀源内 『放屁論』平賀 源内(享保13年(1728年)- 安永8年12月18日(1780年1月24日))江戸時代の日本の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、(蘭)画家。号は鳩渓・風来山人・福内鬼外・貧家銭内など。多方面に才能を発揮した天才、奇才。だが、世間にはなかなか認められない一生だった。訳はいらない気がするんだけど、一応付けとこうかな。(超意訳・直訳)健康のために、高価な朝鮮人参を飲んでいたのに、自分で首をくくってしまうたわけものがいる。そうかと思うと当たったら死ぬかもしれないフグ汁を、好んで食べているのに長生きするものもいる。一度Hしただけで父親のいない子供を身篭る下女がいる一方で、毎晩、夜鷹を買って遊びまくっているのに、鼻が無事なまま済んでいるヤツもいる。大層な言い方だけれど、運か寿命か!人参 ・・・朝鮮人参。高価な薬ということ。夜鷹 ・・・江戸時代の街娼(がいしょう)の一種で、夜になると出てきて 野天、もしくは夜だけの仮小屋で売春した女性たちのこと。 遊郭なんかより数段格下。病気を貰う事も多かったのだろう。鼻の無事 ・・・梅毒にかからないで無事なこと。梅毒にかかると鼻がもげる? (解説するまでもない?けど念のため)天歟(か)命歟(か)・・・運か寿命かって感じだと思う。源内といえば『エレキテル』をすぐに思い出される人も多いだろう。日本での機械学・電気学の草分けといえる人。他にも火浣布(かかんぷ、石綿製の燃えない布)やライター等を開発している。こうした科学者(発明家?)の印象が強いのだが、もともとは※本草学者。日本各地から特産品を集めて物産博覧会を開催し、(現在のものと違い、現物をも集めた、薬学の学会という感じだったのだろう。)それをもとに『物類品隲(ブツルイヒンシツ)』という今でいう図鑑を刊行している。※本草学・・・動・植・鉱物とその薬用について研究する、薬学・博物学のこと。源内のことを、『解体新書』で有名な杉田玄白は、『蘭学事始』の中でこう評している。この男、業は本草家にて、生まれ得て理にさとく 敏才にして よく人気に叶ひし生まれなりき。 また、こってり脂濃くて夏にはうなぎを食べる人がいなく、困った鰻屋に相談されて考えたのが、「本日土用丑の日」という宣伝コピー、という話はよく知られている。コピーライターの元祖ともいわれているようだ。経営コンサルタントともいえる。他にも鉱山の開発にたずさわったり、源内焼という焼き物をプロデュースしたりと八面六臂の大活躍。浮世絵を多色刷りにしたのも源内の発案だった記憶がある。講談や浄瑠璃の作家としても活躍している。浄瑠璃の世界では、それまで上方言葉が使われていたが、彼は題材を関東に取り、江戸言葉や吉原の廓言葉を舞台で使っている。(「神霊矢口渡」)大きな転換だった事だろう。その号がしゃれていて浄瑠璃号「福内鬼外(ふくうちきがい)」と名乗っている。節分の豆まきか!と、思わず突っ込みを入れたくなる。笑名前といえば、「後編」に出てくる貧家銭内(ひんかぜにない)も貧乏で銭がないって・・・爆(内より無の方が分かり易いのに・・・笑) (貧家銭内は、源内自身の生い立ちに近い男で、彼自身の自画像とみられる。)ちょっと前に流行った青木雄二氏の漫画に出てくる登場人物を思わせる。このお茶目な一面が書かさせたのか?『放屁論』。屁。おなら。・・・・それと“こく”動作の動詞「放つ」をふっつけて放屁。これを論じているのだ。笑音に三等あり。ブツと鳴るもの上品にしてその形円(まろ)く、ブウと鳴るもの中品にしてその形いびつなり、スーとすかすもの下品にて少しひらたし。 なんのこっちゃ。笑当時、江戸に「放屁男(へっぴりおとこ)」なるものがいて、屁をこいて、見事に音楽をを奏でたりして人気を博した。この男に発想を得て『放屁論』となったようだ。源内は人の体内から出るものには貴賎があり、頭から出る智恵や声などは貴いとし、糞尿の類は賎しいとした。が、糞尿は肥料として使い道があるから一番ではない。最も賎しいのは屁で、何の役に立つ事も無いからだという。そして、この男はその役立たずの屁を見事に活用しているから偉い。となる。また(江戸時代当時の)昨今は、古の先人の教えをただひたすらに研究するだけの人が多い中、この放屁男は誰もが見向きもしないものに目をむけオリジナリティがある。と絶賛しているのだ。そこまで大層なモンでもないと思うが、筋は通っている。笑(「放屁男(へっぴりおとこ)」ということは“へっぴり腰”って放屁の時の腰つき?? “へっぴり腰”で屁こいてる人を見たことはないが・・・・笑 )冒頭の言葉はそんな『放屁論』にある一説。軽妙な語り口で面白い。自分自身が、山師、法螺吹きと半ば狂人扱いを受けていることに対する励ましなのか、人生の転がり具合の予測しづらさを書いているのだろう。「人間万事塞翁が馬」(「淮南子(えなんじ)」)を思い出すが、「塞翁が馬」は一人の人間の、福と思えることから禍(わざわい)へ、また禍と見えることから福へと人生に変化をもたらした話で、まったく禍福というのは予測できないものであるという故事成語になっている。ちょっとニュアンスが違う。いろいろな人間をみていき、普段の行動などの原因とそこから来るはずの結果、とが納得できにくいことも多い。ということをいっている。源内自身が、どんなに凄くても、(当然評価されてもいいはずが)評価されない事もある。という諦めの気持ちなのか、怒っているのか。自暴自棄気味ではある。でも、何かうまくいかない時、思い通りに事が運ばない時に、こんな言葉を思い出せれば、「こんな事もあらぁ~な!」てな具合に軽くいなすことも出来そうだ。人参呑んで縊(くびくく)る癡漢(たわけ)あれば、河豚汁(ふぐじる)喰ふて長寿(ながいき)する男もあり。一度で父(てて)なし子(ご)孕(はら)む下女あれば、毎晩夜鷹買ふて鼻の無事なる奴あり。大(たい)そふなれど嗚呼天歟命歟。「ま、なんとかなるさ!なるようになる!」平賀源内は人生についても、かなり投げやり。寐(ね)れば起(おき)、おきれば寐、喰ふて糞(はこ)して快美(きをやり)て、死ぬるまでが活きる命 『痿陰隠逸伝(なえ(ゆ)まらいんいつでん)』寝て起きて、起きては寝ての繰り返し。喰って糞して、Hでいって、死ぬまでが生きてる命。一刀両断。身も蓋も無い。本のタイトルがこれまた凄い。ちなみに、Hが出てくるけど源内さんは女性は苦手だったらしく。もっぱら男性が相手。衆道(しゅどう)における権威(?)だった様子。『江戸男色細見-菊の園-』という陰間茶屋と男娼のイエローページを出版しちゃってる。他にも『乱菊穴捜(みだれぎくあなさがし)』等がある。(このタイトルも凄い。汗)衆道(しゅどう)・・・日本における男性の同性愛・少年愛の事。 「若衆道」(わかしゅどう)の略。陰間(かげま) ・・・陰間とは歌舞伎等の芝居の修行中の少年。まだ舞台に立てず、 “陰の間”にいることから付けられた。 特に女形(女役)は、男性と性的関係を持つことが修行の 一環と考えられていた。江戸時代においては陰間遊びが町人の間で流行しており、明治になるまで男色は特別、変態的な行為とは見なされず、男色を行なう者は別に隠すこともなかったようだ。少なくとも私達が普通と思っている男女間のものと比較して倫理的に問題がある行為ではなかった。かなり変わった(間違った?)方向へ脱線。笑源内の墓碑銘「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」 (ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや)これを記したのも前出した杉田玄白で、友人である源内の才能に驚嘆しその死を惜しんだことが伺われる。 現代の我々から見ると相当な奇人だった。反面、日本の“ダヴィンチ”と称されるのも頷ける実績。私たちも小市民的な“いいこちゃん”を卒業して好き放題やったほうがいいのかも。
2011.03.06
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第一、先ず倒れ得る者は強うございます。倒れるところまで、グン、グンと行きぬける力を、私はどんなに立派な、また有難いものだと思っていることでございましょう。今度倒れたら、今度こそ、もうこれっきり死んでしまうかもしれない。が、行かずにはいられない。行かずにはすまされない心。ほんとうにドシドシと、ほんとうにドシドシドシドシと、真の「自分の足」で歩き、真の「自分の体」で倒れ、また自ら起き上られる者の偉さは、限り無く畏(おそ)るべきものではございますまいか。 『貧しき人々の群』(序にかえて) 宮本 百合子 全文はこちらで青空文庫宮本 百合子(1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)昭和期の小説家、評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇にデビュー、天才少女として注目を集めた。その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダーとして活躍した。日本共産党元委員長宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら活動を展開した。『伸子』『播州平野』『道標』など。 父方の祖父中條政恒は、福島県の典事(課長職)となり福島に移住し、「安積開拓の父」と呼ばれた人物。(『貧しき人々の群』に出てくる開拓者。)母方の祖父西村茂樹は、福沢諭吉や西周らと「明六社」を興した啓蒙思想家。百合子は明治の変革期に貴重な功績を残した二人の歴史上の人物の孫ということになる。父中條精一郎は、文部省の建築技師で、文部省建築課札幌出張所長となり、現在の北海道大学の前身である札幌農学校の校舎の設計監督や同校土木工学科の建築学講師の嘱託を務めた。幼い百合子も札幌で暮しており、北海道にも縁のある人物だった。彼女は共産党員であり左翼活動家でもあるようだが、私は一切そういった思想や、組織とは無関係。(わざわざ言うことでもないが・・・汗)(私の持論の中には左翼的な面もあるようだが、同じように右翼的な面もある。)でも調べていると、夫・宮本顕治との不仲を論証(?)しているサイトもあり、面白い。宮本百合子論 いやそんなことはどうでもいい。最近は女性が強くなったというが、いやいや、明治の女もとってもタフで強い!今度倒れたら、今度こそ、もうこれっきり死んでしまうかもしれない。が、行かずにはいられない。行かずにはすまされない心。 死んでしまうかも知れないと言いつつ、それでも行かずにいられない、という。ドシドシドシドシという擬態語がまたいい。無様だろうがなんだろうが、そんなことお構い無しに、堂々と行く様を思い浮かべられる。真の「自分の足」で歩き、真の「自分の体」で倒れ、また自ら起き上られる者 これが百合子の目指す姿だったのだろう。“自分の”足で歩き、倒れるのさえ“自分の”体。その上“真の”とわざわざ断ってさえいる。そして助けられるのではなく、自ら起き上がることができる。倒れる、挫折する、失敗することを大前提とした目指す姿。強く逞しい、そして厳しい。惚れ惚れする。倒れない事は、別に難しくはない。何もしなければいいだけ。だから挫折がない、失敗してないということは誇れる事ではない。宮本の姿勢こそが見習うべき姿。少し飛ばして続きを載せておく。けれども、どうでも歩き廻らずにはいられない何かが、自分のうちに生きているのでございます。たといよし、いかほど笑われようが、くさされようが、私は私の道を、ただ一生懸命に、命の限り進んで行くほかないのでございます。 自分の卑小なことと自分の弱いことに、いつもいつも苦しんでばかりいる私は、一体何度倒れなければならないのか?それは解らないことでございます。けれども、私はどうぞして倒れ得る者になりとうございます。地響を立てて倒れ得る者になりとうございます。そして、たといどんなに傷はついても、また何か掴んで起き上り、あの広い、あの窮(きわま)りない大空を仰いで、心から微笑出来ましたとき!その時こそどうぞ先生も、御一緒に心からうなずいて下さいませ。 力強い!17歳の文章とはとても思えない。 いかほど笑われようが、くさされようが、私は私の道を、ただ一生懸命に、命の限り進んで行くほかないのでございます。この部分は、坂本龍馬や勝海舟も言ってる事だが、こうありたいものだ。(世の人は、われをなにともゆわばいえ)共産党と関係のあるというだけで、言葉そのものとは全く関係ないところで、敬遠する人もいるだろう、そうすると折角いい言葉も読んでもらえなくなる・・・・なんて下心が出てしまい、「共産党じゃないよ」なんて説明する自分がいじましいというか、小っちゃいというか、せこくて嫌になる。どう思われようが、バーンと紹介すればいいだけなんだろう。・・・・けど、それでもその説明を消さないのは、やっぱり、バックボーンとか偏見なんか関係なく、いい言葉はいい!と解って欲しいから。ということにしておこう。ついでに言い訳すると、誤解されるかもしれないからといって、「じゃアップするのは止めようか」とは微塵も思わない。説明しても受け付けられない人はいるだろうけど、それはもう仕方ない。ってことは「私は私の道を・・・」を実践できてる???(・・・汗、嫌になるとかいっといて結局それかい!笑)(「親馬鹿」ならぬ「自分馬鹿」が再発。能天気親爺の戯言。 爆)私はどうぞして倒れ得る者になりとうございます。倒れ得る者になろう!
2011.03.05
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風狂狂客起狂風 来往婬坊酒肆中 具眼衲僧誰一拶 画南画北画西東 風狂の狂客、狂風を起こす婬坊、酒肆の中、来往す。具眼の衲僧、誰か一拶す、南を画し北を画し、西東を画す。 一休宗純 『狂雲集』(超意訳・直訳)戒律なんぞは全く守らない、気が狂ったような私が、激しい風を巻き起こす。酒屋や遊郭を行き来している(酒を呑み、女色を犯してる)本質を見抜く見識をもっていると自負する禅僧よ、誰でもいいから一つ私を推し量ってみろ南をはっきり区分したり、北を区分したり、西東を区分するようなものだ(方角をはっきりと区分できるはずがない。それと同じで私の本質は見極められまい。)酒肆(しゅし) ・・・酒を売る店。また、酒を飲ませる店。酒屋。風狂(ふうきょう)・・・常軌を逸した行動(戒律破りなど)を破戒として否定的にとるのでは なく、悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価した用語である。具眼(ぐがん) ・・・物事の本質を見抜き是非・真偽などを判断する見識をもっていると。衲僧(のうそう) ・・・衲衣(のうえ)を着けた者の意で、特に禅僧のこと。 衲子(のうす、のっす)と同意。拶 ・・・迫る、という意。押す意の「挨」と合わせ「挨拶」となるが、本来、 禅家で門下の僧に押し問答して、その悟りの深浅を試すことらしい。画(かく)す ・・・物事をはっきり分ける。区分する。(一線を画す など)一休 宗純(応永元年(1394)~文明13年(1481)11月21日) 室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧。狂雲子、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)などと号した。後小松天皇の落胤とされいる。(一休の墓は宮内庁の管轄らしい。)室町時代の茶人で「わび茶」の創始者と目されている人物村田珠光の参禅の師という説も。著書に『狂雲集』『続狂雲集』『自戒集』『骸骨』など。以前の一休の記事( No.1 NO.2 )先日の閑吟集で思い出したので、一休さん。型破りで大好きな人物。彼の奇行は、上辺だけ調え、その実は腐敗しきった僧たちを糾弾するための、偽善ならぬ偽悪だったのではないかという説もあるらしい。今日の言葉は、まさしく、他の禅僧に対する挑戦状の趣がある。いや、趣なんて軽くない、はっきりとした挑戦状。むしろ宣戦布告だったのかもしれない。風狂の狂客、狂風を起こす私たちも、ちまちま細かいルールや慣習を無視して、思いっきり暴れてみますか?!特に、社内の慣習や前例、業界の商習慣、なんてぶち壊す勢いが必要かも。ただ婬坊、酒肆の中、来往す。こっちの方はお奨めしませんよ。自己責任で!程ほどに!笑
2011.03.02
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世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なりただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や 夢幻や 南無三宝※ くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ 閑吟集(超意訳・直訳)世の中なんてちろっと瞬くまに過ぎ去ってしまうことよ ちろっちろっとどうしようもない どうしようもない 浮世は風に吹かれ波にもまれる一枚の葉っぱだどうしようもない どうしようもない 人は古来から70歳も生きることは稀なだただ何もかも ゆめまぼろしや水の泡のようなものよ 笹の葉に露が置かれる間しかないようにはかなく 思い通りにならない世の中だゆめまぼろしだ なむさん!(仏・法・僧に従う、助けてくれ!)まじめくさった人は見てられない 夢の夢の夢のようにはかないこの世の中を 正気な顔をしている何になるだろう、まじめくさってみたところで どうせ、一生は夢だ。ただ、狂えばいい。(我を忘れて面白おかしく遊び暮らせ or 狂ったように一生懸命生きればよい)閑吟集(かんぎんしゅう)永正15年(1518年)に成立した歌謡集。ある桑門(世捨て人)によってまとめられたもの、とされていて編者は不詳。連歌師の宗長という説もある。室町びとが感情を託して歌った小歌三百十一首がおさめられている。恋愛歌が中心。厳密には狭義の小歌のほか、吟詩、大和節、早歌、田楽節、近江節、狂言小歌等を含む。当時の刹那的な雰囲気や無常観などがよく現れている。四季・雑、あるいは四季・恋の順に配列し、さらに春の部が、柳・若菜・松・梅・花…のように連歌風に編集されている。 ※南無三宝(なむさんぽう)南無とは無条件に帰依すること。 三宝とは仏・法・僧の三宝のこと。 私は、仏・法・僧に従います。 ということ。南無三(なむさん)とは、この南無三宝の略。咄嗟の危難に対して助けを乞うおまじないの意味で使用されることもある。三宝に呼びかけて、仏の助けを求める語。驚いたとき、失敗したときなどに発する語。しまった。なむさん。決して教科書的とは呼べない歌集。恋愛の歌が中心だが、本音で生の感情を真っ直ぐに表現しているものが多い。世捨て人によってまとめられた形からなのか虚無的な思想が垣間見られる。いつも前向きな言葉を紹介していながらなんなのだが、こういう厭世的でどこか投げやりなのも意外と好きなのだ。笑以前ご紹介した一休禅師を思い出す。一休宗純(南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ) (丸くとも 一角あれや 人心)一休が亡くなったのが1481年、閑吟集が成立したのが1518年と40年近く離れているが、時代としては同じ室町時代なので、感覚が似ていたのかも知れない。閑吟集は戦国時代だろ?というご指摘があるかもしれないが、一休も応仁の乱後まで生きているので戦国の無常は感じていたはず。朝、目を覚ましても夕方まで生きている保証は何もない時代の狂気は共有している気がする。「狂」とう言葉は、文字通り狂う、常軌を逸した行動をするというのが本来の意味なのだろうが、気が違ったようにように何かに集中する意味もある。現実を知っているかのように冷静を装いながら死の影に怯えて生きるより、目前の事に集中し懸命に生きろ、とも取れる。今生きている我々としては、「歌え踊れ、面白おかしく刹那的に生きろ」というのではなく、この懸命に生きろ、という方の意味としたい。今を大事にしろ!という格言はたくさんある。そういったものも刹那的な快楽を追求するとしたのか、今を大切に懸命に生きろとしたのか、言葉だけを抜き出してしまうと微妙なところだが、私は後者を教訓とする。投げやりな厭世的な歌は好きだし、かっこよく見える。でも死ぬまで、「飲む・打つ・買う」と酒・博打・女(男?)の快楽を楽しむのが、果たして楽しいのだろうか、たまにだったら楽しいかもしれないが、いつもいつもじゃぁね。Carpe diem(その日を摘め!) あまりに突然のラテン語だが、この言葉にも通じるところがあるのではないか。洋の東西、古今を問わずの真理だろう。ちなみに「人生七十古来稀なり」は杜甫の「曲行」に由来している。 『曲江二首』其二 杜甫 朝囘日日典春衣、毎日江頭盡醉歸。酒債尋常行處有、人生七十古來稀。 穿花蝶深深見、點水蜻款款飛。傳語風光共流轉、暫時相賞莫相違。 (超意訳・直訳)朝廷の仕事が終わると、毎日のように春着を質屋に入れ、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。酒代の借金は普通のことで、行く先々にある。どうせ、この人生七十まで長生きすることは滅多にないのだ。花の間を縫って飛びながら蜜を吸うアゲハチョウが奥のほうに見え、水面に軽く尾を叩いているトンボは、ゆるやかに飛んでいる。私は自然に対して伝言したい、「あなたも私と共に流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、お互いに愛(め)で合って、そむくことのないようにしようではないか」と。 「碇豊長の詩詞・『詩詞世界』全一千五百首詳註」 黒澤明監督の映画「隠し砦の三悪人」劇中の火祭りのシーンでの民衆の唄にも似たフレーズがある。 人の命は 火と燃やせ 虫の命は 火に捨てよ 思い思えば 闇の夜や 浮世は夢よ ただ狂え この唄自体は黒澤明監督自身の作詞ということだ。何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ細かいことばかり気にして悩むのではなく、ただこの人生を狂ったように懸命に生きよう!
2011.02.27
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ヤイヤー夏冬かわらん子(に)ぬ方星(ふアぶす)がまよンザヌカワルガー曇りゃみーんよ光(ぶスかり)ぬ星(ぶす)がまよどゥゆたまいマーンニョ八十八(ぱつじユうぱつ)がみ百歳年(びやくさいどウす)がみ光(ぶスかり)どゥ行かでィよ(訳)ヤイヤー夏冬変わらない北極星のようにどこがかわるか曇ることのない光の星よわたしたちもほんとによ八十八まで百歳の年まで光っていこうよ 沖縄民謡 『運命の人』 山崎豊子山崎 豊子(1924年11月3日 - )日本の作家、小説家。本名、杉本 豊子(すぎもと とよこ)。毎日新聞社出身。大阪の老舗昆布商店小倉屋山本に生まれ、この生家をモデルにした『暖簾』で作家デビュー。1958年 『花のれん』で第39回直木賞 1991年 第39回菊池寛賞 1991年 『大地の子』で第52回文藝春秋読者賞 2009年 『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞 他に『白い巨塔』、『華麗なる一族』、『沈まぬ太陽』、戦争3部作(『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』)など多数の著作がある。「日本のバルザック」と呼ばれる一方、盗作疑惑が何度も指摘されている。『運命の人』は西山事件(別名、沖縄密約事件、外務省機密漏洩事件)という実際の事件をを基にした小説。日本有数の大手新聞社・毎朝新聞社(毎日新聞社)のバリバリ敏腕記者・弓成亮太(西山太吉)が主人公。社の将来を背負って立つだろうといわれる記者であり、大物政治家や高級官僚の懐に飛び込んでいき、スクープをモノにする凄腕。真夜中に記者の使命から来る重圧に苦しむ良心的なところがある反面、上司でも屁とも思わないような傲慢さもある。 アメリカ占領下にある沖縄の日本返還交渉において不自然さを嗅ぎつけ、密約の証拠となる書類を入手するがニュースソースを守るためにはっきりとした記事が書けずにいた。追求するにはギリギリのタイミングとなり、野党の弁護士議員を信用し書類を渡してしまう。くれぐれも慎重に扱うように伝言したにも拘わらず、情報源の事など全く考えないパフォーマンスに使われてしまったことから、ニュースソースである外務省の女性事務官ともども逮捕されてしまう。政治逮捕であり、知る権利の侵害だと最高裁まで戦っていく。面白かった。第四の権力であるマスコミ・新聞社の内幕を書く構想を温めてきて果たせずにいた想いと、自身の戦争経験から沖縄のしらゆり隊への思い入れという二つのプロットを西山事件でつないだのが本作らしい。絶望した弓成が沖縄に辿りつくのだが、沖縄の戦争体験の思い出を聞き始めるところはちょっと無理やり感があって、すっと入ってこなかったけど、まあ楽しめた。戦争体験が語られているのだが、どこからか持ってきたモノでないことを祈る。笑(盗作騒動が多いようなので・・・)私が大嫌いな老害の代表選手、渡辺恒雄氏が主人公の盟友・山部一雄として登場してくる。 その他、佐橋総理(佐藤栄作)、福出武夫(福田赳夫)、田淵角造(田中角栄)、小平正良(大平正芳)といった政治家。毎朝、読日、旭日といった各新聞社。どれもモデルがすぐに分かる。 ただ事件の発端となった若手弁護士議員・横溝宏(横路孝弘)は気づかなかった。主人公は情報源を守れなかった事にかなり後悔がある様子だったのだが、横路孝弘氏はこの事件について、軽率だったと反省なり後悔をしているのだろうか? 政治家さんは名前が売れたからOKなのかな?夫の逮捕だけではなく、女性問題があったり、雑誌などに追い回されたり、弓成の奥さんは一番大変だっただろう。一審後新聞社を退職した弓成は九州の実家の家業を継ぎ、東京の家族とは別居生活になる。その後最高裁で棄却され、実家を整理し、死に場所を求め彷徨し宮古島にわたるが、夫人には全く連絡しない。20年近く音沙汰なしで離婚もせずにいる夫婦が、再会を果たす。わだかまりが解けてきて夫婦で泡盛をさしつさされつした時に弓成が三線を弾きつつ歌うのがこの民謡。「歌詞はよく解らないが、星のように末長く光って行こうよと、 三線に託した夫の語らいに、由里子は深い愛情を感じた。」のだそうだ。(由里子は奥さん。)できすぎな女房。普通こうはいかない気もするが・・・。でもいい歌だ。わたしたちもほんとによ八十八まで百歳の年まで光っていこうよ光っていこう!!!戦争の悲惨さや同じ日本人として沖縄の怒りに共感する。でも一方で夫婦というものを考えさせられた。もう一つ。沖縄米軍兵士による少女暴行事件を報道した琉球新聞の記者と話している時に、折角スクープを手にしながら、どうしてすぐ記事にせず、また故意にぼかした記事にしたのかという疑問に対して、少女への配慮からであり、少女を傷つけるようなセンセーショナルな全国紙の報道姿勢に危惧していることを告げられ、自分の事件を面白おかしく記事にした雑誌などを思い出す。また自分自身が記事を書いていた姿勢を反省する。事件の話になり、一審では無罪を勝ち取ったじゃないかと励まされ、ニュースソースを守れず自分だけ無罪でも喜べなかったこと、その責任を取って退職したこと、仕事一筋だったのに記事をかけなくなったつらさなどを語るうちに、「いっそ――(死んでしまいたかった)」と声を詰まらせた。その時に、相手の記者に言われたのが、「沖縄にはヌチドゥ宝という言葉があります。ヌチは命、命あってこそ、という意味です。」これもいい言葉。あの地上戦を体験した沖縄の人間が日本で一番命の大切さを分かっている、と続く。その後、アメリカ側の秘密文書が公開されているのが発見され、弓成の主張が裏付けられ「生きててこそ・・・」を実感する事になる。ヌチドゥ宝
2011.02.26
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いつもご訪問いただきましてありがとうございます! 検索機能がどうもすっきり検索してくれないので、 また自分でも何を書いたか分からなくなってきたので、 索引を作りました。 詳しい知識もないまま無理やり作ったので、 カッコのいいもんでもないんですが、 一応使えると思うので、どうぞご利用下さいませ~♪ トップページに載せておきました。 このサイトの索引
2011.02.21
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何も言わんでも ええねん何もせんでも ええねん笑い飛ばせば ええねん好きにするのが ええねん感じるだけで ええねん気持ちよければ ええねんそれでええねん それでええねん 後悔しても ええねんまた始めたら ええねん失敗しても ええねんもう一回やったら ええねん前を向いたら ええねん胸をはったら ええねんそれでええねん それでええねんウルフルズ『ええねん』 作詞・作曲:トータス松本 ウルフルズ (ulfuls) 日本のロックバンド。1988年に結成。1992年、シングル『やぶれかぶれ』でデビュー。トータス松本(ボーカル、ギター)、ウルフルケイスケ(ボーカル、ギター) ジョン・B・チョッパー(ベース、コーラス)、サンコンJr.(ドラム、コーラス) トータス松本の通称は「魂揺さぶる男」。『ええねん』(アルバム)は、ウルフルズの8枚目のアルバム。2003年12月10日発売。『ええねん』(シングル)が2003年11月6日にウルフルズ24枚目のシングルとして先行発売されている。イイ唄だ。元気が出てくる。いつも叱咤激励系の話が多いので、今日はこんな唄。それでええねん それでええねんあるがまま、そのままでいいんだ!一番根っこの部分は自分自身が好きじゃなきゃはじまらない。自分を信じることもできないだろうし、何かを「やろう!」っていう気力も何も湧いてこない。自分を認めてあげる。あなたを心配してくれる人は周りにたくさんいるだろう。親や兄弟姉妹。奥さん旦那さん。恋人。友達。先輩後輩。上司。部下。取引先。学校の先生(?)。・・・・・etcそれでも一番自分の事を大事に思えるのは自分自身。逆に誰も自分の心配なんかする人はいない、って思ってる人もいるかもしれない。だったらなおさら自分が自分の事を大事にしてあげなきゃいけない。自分を好きになれなくてもいいのかもしれない。自分の事が嫌いな、自分も認めてあげよう。好きになれなくてもええねん。嫌いなままでもええねん。笑でも好きになりたいなら・・・自分がどういうことをするから嫌いなのか?を考えてみてもいいかもしれない。「自分」とその「行動」を分けることから始めて、嫌いな理由である「行動」をしないようにしてみるとか・・・・ま、こんな理屈も抜きにして、たまには無条件で自分を認めてあげよう。僕はお前が ええねん好きでいれたら ええねん同じ夢を見れたら ええねんそんなステキなふたりが ええねん心配せんで ええねん僕を見てれば ええねんそれでええねんそれだけでアイディアなんか ええねん別になくても ええねんハッタリだけで ええねん背伸びしたって ええねんカッときたって ええねん終わりよければ ええねんそれでええねん それでええねん つっぱって突っぱしる転んで転げまわる時々ドキドキするそんな自分が好きなら ええねんそんな日々が好きなら ええねん 情けなくても ええねん叫んでみれば ええねんにがい涙も ええねんポロリこぼれて ええねんちょっと休めば ええねんフッと笑えば ええねんそれでええねん それでええねん 何もなくても ええねん信じていれば ええねん意味がなくても ええねん何かを感じていれば ええねん他に何もいらんねん他に何もいらんねんそれでええねんそれだけで
2011.02.20
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常識に縛られるな!!限界を考えるな!! いつでも思考は無限に広げろ!!自分には無限の力があるのだと――今は発揮の仕方がわからぬだけだと――そう自分を信じるのだ!!そうでなければたった一度しかない人生が終わる時まで己という最高の僕(しもべ)をコントロールしきる事はできぬ!!肉体に限界はあるが精神に限界はない自分の力を信じよ!! マドゥライ 『3×3EYES』 17巻 高田裕三3×3EYES(サザンアイズ)高田裕三による漫画作品。1993年度第17回講談社漫画賞少年部門受賞。講談社『ヤングマガジン増刊海賊版』(月刊誌)1987年12月14日号 - 1989年4月10日号(第一部)、『週刊ヤングマガジン』1989年第9号 - 2002年第39号連載。単行本は全40巻。主人公藤井八雲が、行方不明であった民族学者である父の遺言を持って現れたヒロインのパイとの出会いから物語りは始まる。彼女は「三只眼吽迦羅(さんじやんうんら)」という三つ目の妖怪なので、人間にする方法を見つけてあげろという遺言だった。全く信じない八雲だったが、怪物が現れ命を落としかけ、不死身の肉体を得てしまう。「三只眼吽迦羅」は自らの護衛者である不死人の「无(ウー)」を作り出すことができる。思いもかけず不死人となった八雲と一心同体となったパイとの冒険物語。自分の力の無さを自覚した八雲が師匠として探し出した、齢5000歳の妖怪マドゥライ。着実に実力をつけてきた八雲だったが、まだまだこれから強くなるという時に、強敵の攻撃でマドゥライが瀕死の重傷を負ってしまった。八雲ではまだ、歯の立たない敵との戦いの中、自分の死を悟ったマドゥライが精神体として八雲の体を乗っ取り、実践の中で最後の修行をする。その時の言葉。常識に縛られるな!限界を考えるな!!常識とはなんだろう?社会生活を営むためのマナーのようなものだとするなら、それは必要だ。ゴミ捨てのルールを守らなかったり、アパートで夜中に音楽の音量が大きいようなときに「あの人は常識がない。」と言うのはこの意味だろう。他人を不快な思いをさせないための当然知っておかなければいけない知識。対して「そんなの常識だろう。」というときは、「そんなこと無理だ。」とセットの時が多いような気がする。昨年ブームになった「龍馬伝」で、岩崎弥太郎が龍馬に対して、「下士は上士に逆らえない」だかなんだかと涙ながらに言っていたのを見た覚えがある。それに対して龍馬が「上士も下士もない世の中が来るぜよ」みたいなことを言っていた。この時の弥太郎が「そんなの常識」側で、龍馬は、いってみれば、非常識側だ。その時代、その場所(ムラ)で、大多数の人が考えるだろうことが常識といわれる。「常識に縛られる」というときの常識はこちらの用法のことだろう。そして、この常識は正しいとは限らない。印象的な話だったので前にも書いたことがあるかもしれないが、ある企業のお話しがある。(印象的だったというくせに出典の記憶が曖昧だが・・・汗 おそらくドラッカーさんの本だったと思う。)新規事業の是非を検討していた会議でのこと。参加者はみなその事業に賛成で成功を予測していた。議論が出尽くし、さぁ決定かと言う時、社長は、その事業を保留とした。なぜなら、誰も反対しなかったから。何だそれって感じもしますが・・・。誰も反対しないと言う事は、この計画自体が、まだ精緻に検討されていない証明だという。なるほど。また、ある社長は、今の事業内容を始めたきっかけについて、相談した誰もが反対したので、他にやる人は少ないだろうという判断だったといっている。つまり“みんな”の言う事と反対のこと、いわば非常識が成功の要因だという。常識に縛られるな!!私は今まで、銀行や保険の営業という仕事の性格上、また異業種交流会などの主催をしていた立場上、たくさんの方々の事業計画や人生計画、もっというと夢についてお話を伺って来た。みなさんは、最近、“夢”の話をしたことがあるだろうか?人は今現在の自分の状況から物事を考えがちだ。もちろん銀行相手に融資の話の中で、現実を無視した夢物語を語られても、銀行員は当惑するだけでしょうが・・・・汗でも(現在ではとても無理そうなことでも)将来的、長期的な大きなビジョンと、その目標に向けて現在するべき(現実的な)取り組みはこれだという話、なら大分ニュアンスが違いますよね。現実をきちんと把握することはとっても大事。これがなきゃ地に足がついてない状態。フワフワしてどうしょうもない。でも、「夢は何ですか?」という問いに対して、現実的である必要はない。それなのに現実を無視できない。またさっきの常識の縛りから抜け出せない。という人が多すぎる。法螺でいい!から学歴、資金力、資格、能力なんかの現実を無視して自分が本当に何をしたいか?!という事を考えてみることも大事。そのときにわざわざ自分で限界を作る必要はまったくない。限界を考えるな!!なにもでっかければいい夢で、現実的だったらダメだと言いたい訳ではない。例えば「田舎暮らしがしてみたい!」という夢だって素晴らしい。誰だってすぐできそうだ。首都圏で家を買う事を考えれば、田舎では豪邸ができる。もちろん現実に戻ればクリアしなければいけない問題がたくさん出てくる。職はどうする?(退職後リタイアしてという話なら関係なくなるが)家を売っても住宅ローンが残るかもしれない。でもそれは夢を描いたからでてきたクリアすべき事柄に過ぎない。「週末に映画を見たい」なんて事柄とおんなじだったら夢にならないでしょ。障害がある。今すぐにできない。それを現実にしたいというのが夢。でも実際はここまで検討するところまで行かずに、「田舎に住みたい!でも知り合いもいないしなぁ!農業もできないし・・・」で、自分には無理だと最初から決めてしまい、何もしない。果たして知り合いが問題なのか?農業しなければ田舎には住めないのか?住んでりゃ知り合いぐらいはできるだろう。田舎暮し=農業で、農業したい!というのなら勉強すればいい。自営じゃなくて雇ってくれる事もあるかもしれない。でも田舎だって農業以外の職はある。絶対条件でないとすれば全く関係ないこと。要は自ら限界を作ってそれを言い訳にしている。常識に縛られるな!限界を考えるな!!ここで勘違いしないで欲しいのは、「甘くはない」ということ。覚悟は必要でしょ。何にしても。「田舎へ移住」が本当に自分がしたいことなのか?私の住む北海道も田舎の代表のような地域。(札幌近郊の都市部もあるが)移住してくるケースも多いようだ。だが雪の問題などで撤退(?)する人たちもまた多い。失敗することもある。でも気持ちが本当なら、将来、死の床で「ほんとは田舎でゆったり暮らしたかったなぁ」という後悔をするよりは、ちょっと考えが甘くて失敗したけど、一度経験できたという方が、よっぽど豊かな人生だと思うのだが・・・。起業ブームというのがあった。安易に起業を煽る政府やコンサルタント達には嫌悪感すら覚えた記憶がある。なぜなら覚悟の部分を何も触れずに煽っていたから。ブームに乗せられただけの人はかわいそうだが、やりたいことはやっていい。失敗せず成功した方がいいのはモチロンだけど、何もしないよりは失敗した方が数十倍いい。ちょっと脱線気味だけれど、今日の言葉の肝は、自分の力を信じよ!!障害なんてぶっとばせ!!そうでなければたった一度しかない人生が終わる時まで己という最高の僕(しもべ)をコントロールしきる事はできぬ!!自分を信じる!・・・一番大事なこと。 17巻と書いたのは古いほうの奴での巻数。新しくなっているみたい。
2011.02.19
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もう一息もう一息と言ふ処でくたばつては何事もものにならない。 もう一息それにうちかつてもう一息それにも打ち克つてもう一息。 もう一息もうだめだそれをもう一息勝利は大変だだがもう一息。 武者小路実篤 『もう一息』 武者小路 実篤(1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)日本の小説家。藤原北家の末裔で、子爵・武者小路実世の第8子として生まれた。志賀直哉、有島武郎らと文学雑誌『白樺』を創刊。これに因んで白樺派と呼ばれる。トルストイに傾倒した。また、白樺派の思想的な支柱であった。理想的な調和社会・階級闘争の無い世界(ユートピア)の実現を目指して、1918年に宮崎県児湯郡木城村(現・児湯郡木城町)に「新しき村」を建設。『友情』『或る男』等。武者小路実篤は前に「一個の人間」という詩を紹介していた。受験シーズンも真っ盛り、今日や来週が多いらしい。(もう終わった人もいるかもしれないけど・・・汗)受験生だけじゃない、うちの子供は受験生じゃないけど期末試験まで後10日を程だというし、私たち大人だって、仕事はエンドレスだとしても、もうそろそろ期末を控えている人(会社)が多いのではないのだろうか?!そこでこの詩。もう一息と言ふ処でくたばつては何事もものにならない。 そうなんだよなぁ!成功曲線というものの話を聞いたことがあるだろうか?!成功の割合を横軸を時間、縦軸を成功の度合いで示した時、(横軸は努力の度合いとしてもいいかも)成功は、正比例で右肩上がりの直線であらわされるものではないというもの。じゃ、どんな風に表されるかというと、低空飛行がずっ~と続いて、最後の最後でドバッと急上昇するカーブ。(図ではなくて言葉で表現するのが難しい。汗 反比例とも違うような気がするし・・・)どんなに努力しても、その努力が正当に(?)成果として出てくる訳ではない。コツコツとやっていても、徐々に結果が積みあがるという単純なものではなく、ある時、一気に花開くのだという。問題なのは、花開く保証もない中、その時期も全く分からない事。多くの人が、その成果が爆発する前に諦めてしまう。もったいない・・。だからこそ、もう一息!が大事。もう一息もうだめだそれをもう一息勝利は大変だだがもう一息。もう少し!最後の一踏ん張り、頑張ろう!!
2011.02.13
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「本ものの生き方」 金さえ儲かればよいそれが商売というものだとこう思いこんであたら生がいをアクセクと過ごしてしまってはいないだろうか。―――なにがしかの生計の資を得たいばっかしに あなたは今日も ペコペコと頭を下げ 表(うわ)べだけの笑顔をつくり モミ手しながら 嘘八百の説明をして 僅かのゼニをお客から奪おうとしているそういう商売の仕方を恥ずかしいことだとは思わないのだろうか!もし商売というものが自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして僅かのゼニをつかむだけのものであるなら、今日を限りそんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。 親子五人 モク拾いしてでもよい ニコヨンになってでもよい。 モット生きがいのある。 モット誠実にくらせる そして モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ!―――だが、私は信ずる、あなたがいよいよ今日死ぬという間ぎわにあなたの子供たちを集めて「お父さんは立派な商人だったよ」とハッキリと、自慢のできる商売の道がある―――ということを。岡田 徹 『岡田 徹 詩集』岡田 徹さんは以前「人の心の美しさを満たそうよ」という詩で紹介しているのでプロフィールは省略。 ニコヨン1949年6月、東京都の失業対策事業として職業安定所が支払う日雇い労働者への定額日給を240円と定めた。そしてこの百円2枚と十円4枚という日当から日雇い労働者のことをニコヨンと呼んだ。人を騙すのが商売と考えている人がたまにいるようだ。そうまで思っていないにしても、何とかうまくごまかして、利益を多くしよう、と考えている人たちはたくさん入るような気がする。また買ってもらいたいという欲望ばかり大きくなり、自分を押し殺して、卑屈になってしまう人もいるようだ。でもそうではない!そんな商売のやり方を岡田氏は、自分の心に自分自身で糞を塗りつけていると手厳しい。もし商売というものが自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして僅かのゼニをつかむだけのものであるなら、 今日を限りそんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。 本当にそう思う。これが商売というものなら止めてしまった方が晴れ晴れする!モク拾いでは生きていけないだろうが・・・笑(モクはタバコ。私は若かりし頃、モヤって呼んでましたけど・・・北海道弁?笑)顧客が必要とし、喜んでくれるものを提供すればいい。当然、適正な利益をいただく。これは卑屈にならなければいけないことではない。消費者の立場で言えば、そりゃ安ければ安いほうがいいに決まっている。でもそれは同じ品質の場合だけ。品質が違うのであれば、その違いに納得できるのであれば、お金を払う。高くてもいいものを求める人は必ずいる。反対に、品質なんてどうでもいいからとにかく安く!という人もいるだろう。(今は、こういう人が多いのかもしれない。大多数?それは分からないと思うが・・・)こういう人をお客さんにしたいのであれば、とにかく安くすることを考えればいい。人を減らしたり、材料を安いものに変えたりとしていく。その場合、安くなった理由で、言いづらい事をはっきりと顧客に言うべき。材質を変えたので長持ちはしないだろう、と思うのであれば正直に言ってしまおう。嘘八百は絶対ばれる。お客さんは馬鹿じゃない!でも顧客が安さを求めるからといって、限界を超えてはダメでしょう!安全だとか安心という最低限のところは守らなきゃいけない。 モット生きがいのある。 モット誠実にくらせる そして モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ! 誠実って立派な事のお題目ではないと思う。その方が自分が楽にもなるし、気持ちがいいし・・・大きな声では言えないが、実際、(その方が儲かると思うョ。) なんでちっちゃい声で喋ってるのかはわからないけど・・・笑 モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ!
2011.02.12
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これまでの人生が喜びに満ちていたとは言えないものの、いままでの自分を不幸だとも思わない。さきのことを案じはじめたら切がないのは若いころも同じで、上を見ても下を見ても切がないのだった。どう転んだところで終わることに変わりない人生の、終わり方を案じてもはじまらないし、安らかな死を求めて怯えるくらいなら、与えられた人生を楽しく生きたほうがいい。 彼女は腐ったりぐじぐじするかわりに、しゃんとして笑っていたかった。(中略)人並みに悔いもあれば恨みもあるが、明日道端で倒れても思い残すことはなかった。(中略)彼女はいま、何よりも人に迷惑をかけない生き方を心掛けている。それにはやはりひとりがよかった。重いものを持つのがつらくなったものの、働けるうちは働き、自分で自分を支えるのがよかった。世間の目にどう映ろうとも、貧相な見かけほど悲壮感はない。雨や雪の日はためらわずに休んで好きなことをし、晴れれば外に出て鉢植えの植木の世話もする。一日二合の酒を楽しみに、穏やかな気持ちで過ごせれば言うことはなかった。そんな自分を人と比べて不幸だとも思わない。 乙川優三郎 『夜の小紋』内“虚舟”乙川 優三郎(おとかわ ゆうざぶろう、1953年2月17日-)小説家。直木賞作家。本名島田豊。時代小説を数多く書き、好きな作家に山本周五郎を挙げている。1996年オール読物新人賞(「藪燕」)、1997年第7回時代小説大賞(「霧の橋」)、2001年第14回山本周五郎賞(「五年の梅」)、2002年直木賞(「生きる」)、など多数の受賞歴がある。これは主人公の老婆“いし”の人生観。まさに晴耕雨読の人生。よくあるご隠居の生活に似ているが、女性でこういう描かれ方は少ないような気がする。彼女は幼少期から苛酷で、不幸(?)な人生を歩んできた。呉服の行商を営んでいた父親は、商う物が物なのだから、粋でいなければいけないと、家が貧窮しているにもかかわらず夜遊びに明け暮れる。結局、商売もうまくいかなくなるが、それでも遊びは止めない見栄っ張りな父親。母はそんな父をいさめる事も出来ず、質屋通いでなんとかしのいでいた。そんな中、父親が若くして急逝する。どうにもならずに、口減らしと家計の援助のために奉公に出される“いし”。貰った給金は実家に送り、自分にはほとんどお金は残らない虚しい日々。先が見えず、家族の犠牲になり働く事に嫌気が差して来た頃、母親が給金を前借してくれと言って来る。弟に家業を再建させるのだという。・・・・そんな生活から逃げるように結婚。わずらわしい家族がいない職人気質の男。これで人並みに幸せになれるかと思うが、そこにも実家から金の無心が続く。遊び人ではあったが、父親は少なくとも商売には真剣で商品を見る目もあった。だが、弟は全く商売に真剣さが感じられない。金の無心にも遠慮は全くない。このことが夫婦関係に影響を与えてくるようになる。それは娘の結婚の話で決定的になった。職人の旦那は家業を継がせるべく、弟子と結婚させようとし、それが叶わないのならせめて婿を取り家を継がせたいと考える。“いし”は、娘の意中の男が長男であり、自分の家を継がなければならないことから婿でなくてもいいじゃないかと旦那を説得。 この件がしこりとなり、胸中を明かさなくなる夫。お金の管理も、いつしか任されなくなり、離婚を望むが夫は同意しない。三行半は男性の権限。“いし”は実家のことで迷惑もかけてきており、引け目を感じながら生きてきた。夫が亡くなり、商売もたたんだが結局何も残らなかった。そこで旦那の女が子供を連れてやって来る。お金の行き先に得心が行く。その女性に対して特に怒りの感情はなく、分けられる財産がないことを告げる。が女が帰った後、自分の人生を思い、やり場のない怒りに震える。そして、今の借家に住むようになり、行商で糊口をしのいでいる。こういう思い出が娘との会話の途中で思い返される。嫁いだ娘はたまに来ては一緒に住もうと説教をする。いつものように家族といる幸せを説き、世間体の話もしてくるが、“いし”には全くその気がない。「若い頃何がしたかったの?」娘に問われて、「ずっと一人で暮らしたかった・・・」と答える。娘は笑うが、家族のために生き、束縛され続けた女の本心だったのだろう。娘の帰った後、いつもよりちょっと呑みたくなり、もう一合呑み始め、ほろ酔い加減になった“いし”が、三味線を引っ張り出してきて、子供のときに習った長唄を、艶やかで屈託のない唄声で唄うシーンで終わる。粋だね!淡々としているのだが、なんかいい!一応時代小説になると思うのだが、侍も出て来ず、事件がおきるわけでもない。老婆の晩酌とたまたま来た娘との会話、そこに思い出が重なるというごく日常の風景なのだが、引き込まれる魅力がある。明日道端で倒れても思い残すことはないというどっしりとした強さ。世間の目にどう映ろうが関係ない!老婆は今の生活に幸せを感じている。どう転んだところで終わることに変わりない人生の、終わり方を案じてもはじまらないし、安らかな死を求めて怯えるくらいなら、与えられた人生を楽しく生きたほうがいい。人生の終わり方や安らかな死より、大事なのは“今”どう生きるか。楽しく生きたほうがいい、には大賛成!だが私はまだ“余生”ではない、ベストを尽くし、今、なすべきことをする!・・・でもあまり肩肘張らず、“いし”さんの人生観を見習って、浮世から達観したモノの見方ができれば楽になるのかも?ちなみに、タイトルの【虚舟】(きょしゅう)は単純に「人の乗っていない舟」という意味もあるが、「何の束縛もなくわだかまるところのない心。」という意もある。
2011.02.11
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ただ良心だけが私の支えだ、 良心というのは人間の良き伴侶で、 自己の潔白の自覚が人に強みを与えてくれる。 『神曲』 地獄篇第二十八歌 ダンテ・アリギエーリ 平川祐弘訳「話すのも恐ろしいものを見た。」に続く言葉。そして、「確かに見た。いまも目の前に浮かぶ。」とその恐ろしいものの描写が始まる。(胴体が斬り落とされた首の髪をつかみ、まるで提灯のように手にさげて行く。)(ベルトラン・ド・ボルン:以前の「怠惰・・・」に挿入した挿絵)自分に後ろめたさがないということは誰に対しても正々堂々としていられる。だから良心に従っていれば、その引け目を感じる必要がないことが強みになる。・・・ということだろう。そのことが恐ろしい光景を目撃した時の支えになるかどうかは疑問だが、日常であれば強みになるのは間違いないだろう。「不幸の日にあって 幸福の時を思い出すほどつらい苦しみはございません。」フランチェスカ 地獄篇五歌地獄巡りが始まり、辺獄(リンボ)と呼ばれる第一の圏谷(たに)を抜け、罪業を糾すミノスを過ぎ、第二の圏谷に入った。その地獄では、肉欲の罪を犯した者が地獄のひょう(風編に炎)風に小止(おや)みなく煽られ吹きまわされている。死後も二人一緒になったままで、パオロとフランチェスカの魂が飛ばされてきた。ダンテの問いに答えて、フランチェスカがその悲恋の身の上を語り始めた時の台詞。「幸福なりし日を回想するより大いなる苦しみはなし」 「不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。」 このような訳で名言とされ引用されている。「自由を求めて彼は進みます、そのために 命を惜しまぬ者のみが知る貴重な自由です。」 ウェルギリウス 煉獄篇第一歌地獄から煉獄の島に抜け出たところで、煉獄の番人カトーに、(地獄から逃げ出してきたのかと疑われ)奈落の掟が破られたのか?と身の上を問いただされたことに、ウェルギリウスが答えた中の一節。政治的な自由を求めるスローガンに転用され、全体主義に対抗する人々のモットーともなった言葉。もともとは罪の奴隷である自分を解放し、肉体から自由になるという宗教的な自由を意味するものらしい。ちなみに、このカトー翁とは、紀元前95年に生まれた人で、ローマの共和制と自由を守るためにカエサルと戦って敗れ自害したのだそうだ。紀元前の人ということはキリスト教の信者ではない(異教徒)のだから、ウェルギリウス同様、洗礼を受けなかった者がいる地獄の第一の圏谷(たに)・辺獄(リンボ)にいるべきじゃないのか…。その上、自殺者だという。自ら命を絶った者は、更に地獄の底に近い、第七圏谷の第二円で樹木と化しているはず。訳注でもこのことに触れられていて、ダンテは彼を倫理的な理想人物として尊敬していたから、地獄の自殺者達の中に加えずここの守衛としたのであろう。と解説されている。ダンテの好みで地獄・天国が自由自在。(苦笑)「私について来い。勝手にいわせておけ。 風が吹こうがびくとも動ぜぬ塔のように どっしりとかまえていろ。 次から次へと考えが湧く男は、 とかく目標を踏みはずす。 湧きあがる力が互いに力をそぎあうからだ」 ウェルギリウス 煉獄篇第五歌生前悔悛の遅かった者が待たされている煉獄前地で、ダンテが影を作っている (生身の体を持ち生きている)ことに気づいた亡者が、そのことを叫んだので、その声を気にして振り向いたダンテに、ウェルギリウスが注意した言葉。最初の一文は、「お前の道を進め。人には勝手なことを言わせておけ。」 「汝は、汝の道をゆけ。そして人々にはその言うにまかせよ」 等の訳文で名言として引用されることも多い。「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候。」 勝海舟や「世の人は、われをなにともゆわばいえ、わがなすことはわれのみぞ知る」坂本龍馬 といった言葉と同じ意味だろう。だが、後半部分も前半に劣らずに示唆に富む。一つの物事に集中せず、色々な事に気をそらしていてはダメだということ。「もうそのくらいにして前へ進め。 ここではみな帆をあげ櫂を使い、 全力を尽くして己の舟を進めねばならぬ」 ウェルギリウス 煉獄篇第十二歌煉獄の門をくぐり第一の環道で高慢の罪を清めている亡者(細密画の名人オデリージ)とダンテが、「軛(くびき)につながれた二頭の牛のように、その重荷を背負った魂と並んで進んでいた」。その時にウェルギリウスがダンテを叱責した言葉。煉獄では、魂はみな罪を清める為に全力を尽くしているのだから、邪魔をするのはいい加減にして、おまえも前に進め!という意味。だが、現実の人生においてもみな、帆をあげ櫂を使い、全力を尽くしている。おまえも自らの人生を、力一杯、前に進んで行け!ともとれないか。この言葉を受け歩き出したが、まだ足取りの重いダンテに、ウェルギリウスは「目を下の方へ向けて おまえの足が踏みしめる大地を見るがいい、 足取りがずっと楽になるだろう」とアドバイスしている。遠い道のりの先の事、やるべき事の全体を見ていると、あまりに遠かったり、大きかったりする為に足取りが重くなる。今なすべき事、目前の一歩と小さく分割し、集中することで、楽になる。意志は、意志が欲せぬかぎりは、滅びるはずはなく、 暴力が加えられて火が弱まることが千回あろうとも、 なお火勢が自然と盛り返すように、意志もまた燃えあがるはずのものです。 ベアトリーチェ 天国篇4歌ダンテはベアトリーチェとともに煉獄から天国に渡り、月光天にいる。誓願を立てたにもかかわらず、それを破ることを余儀なくされた人々の魂がこの一番低い天球に割り当てられている。ここで俗世を遁(に)げ、尼僧となる誓願をしたにもかかわらず、力ずくで還俗され結婚する事になった大王妃コンスタンツァ達の話を聞いた。(第三歌)そこで他者の暴力によってなぜ善い願いの功徳が減じるのか疑問に思ったダンテにベアトリーチェが説明する中の言葉。 この言葉に続き、暴力は意志が薄弱になるにつれ、 強くなります。これらの方々は清らかな場所へ 逃げるだけの力があったのにあのように負けてしまいました。とある。意志は、他の何者も変えることはできない。それを変えるのはただ意志の力のみである。意志は、自ら願うにあらざれば滅びず、あたかも火が千度も強いて撓めらるとも、なお、その中なる自然の力を現すごとくなり。 という訳もある。神曲 (La Divina Commedia )から、教訓は山ほど出てくる。キリがないし、私自身、神曲は終わり、と一区切りを付けたかったので、このように一気に大放出する事にした。ネタ切れの際には又復活させるかも知れないが・・・笑何度かご紹介したギュスターヴ・ドレの挿絵は『神曲』の世界を見事に映像化してくれる。600年近くも年が離れており、ダンテの思い描いた世界とドレの描いた世界は違うのかもしれないが、この二人の天才の合作は素晴らしい。『無為庵乃書窓』というサイトでバーチャル画廊化されているドレの挿絵を見つけたので、そちらでお楽しみ下さいませ。Dante's The Divine Comedy(神曲)
2011.02.06
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人の自由独立は大切なるものにて、この一義を誤るときは、徳も脩むべからず、智も開くべからず、家も治(おさま)らず、国も立たず、天下の独立も望むべからず。一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。 福澤諭吉 『中津留別之書』明治三年(1870年)『中津留別( なかつりゅうべつ )の書』留別とは、別れ去る者が残る者に留め置く言葉の意。母親を東京へ呼び寄せるため中津(現在の大分県)に戻った時に、故郷の人びとに残した書。先日の続き。福沢諭吉は、「高尚で、文明の名に恥じない」とはどんな人だと考えていたのか?これは人間とはどうあるべきか?!という福澤の理想像にも繋がっていく。また全国民が「文明の名に恥じない」ということは、欧米列強と伍していくために、「文明国として認められる」という国家の将来像というニュアンスも感じられる。さてさて・・・この『中津留別の書』は、福澤が生涯かけて伝えようとしたメッセージのエッセンスが詰まっているように思う。(全文がこちらインターネット図書館・青空文庫で読める。)その冒頭部分を見てみる。人は万物の霊なりとは、ただ耳目鼻口手足をそなえ言語・眠食するをいうにあらず。その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし、物に接し人に交わり、我が一身の独立をはかり、我が一家の活計を立ててこそ、はじめて万物の霊というべきなり。古来、支那・日本人のあまり心付かざることなれども、人間の天性に自主・自由という道あり。ひと口に自由といえば我儘のように聞こゆれども、決して然(しか)らず。自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。父子・君臣・夫婦・朋友、たがいに相妨げずして、おのおのその持前(もちまえ)の心を自由自在に行われしめ、我が心をもって他人の身体を制せず、おのおのその一身の独立をなさしむるときは、人の天然持前(もちまえ)の性は正しきゆえ、悪(あ)しき方へは赴(おもむ)かざるものなり。 引用にしてはちょっと長過ぎ?笑その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし・・・は、 偶然にもこないだの『神曲』で紹介したオデュセウスの演説にでてきた言葉、「諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである」と酷似している。(人間の考える事は、洋の東西を問わず、おんなじ。)だが、福澤はここで終わらない。更に独立の重要性を説く。次に自主・自由に進む。この後有名な表題の言葉がでてくる。人の自由独立は大切なるものにて、 このたった一つのことを誤るだけで、人として大切な、徳を修めることも、智も得る事もできず、故に家も国も、ひいては天下の独立も望むことができないという。諭吉は、最終的に、欧米列強国と対等の文明国として日本を認めさせ、真の独立を勝ち取る。そのために、全国の男女を教育して高尚な人間に導こうとしていた。・・・・と思うのだが、どうだろう。するとそのためには、個人一人一人が一身独立することが必要になる。自由独立は大切、自主・自由という道あり、・・・もそのことを言っているんじゃないか。(自由については、ここでも単なる我儘とは違うと断っているが、 「自由在不自由中(自由は不自由の中にあり)」という言葉で、 自分勝手主義へ堕することへ警鐘を鳴らしていた。)同じような意味で、福澤の代表的な言葉に「独立自尊」という言葉がある。この言葉は諭吉の戒名にまでも用いられている。(戒名は「大観院独立自尊居士」。)余程この言葉を大事にしていたのだろう。前回触れた、教訓集『修身要領』の第二条でこの言葉を定義している。「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」 そして、国民を高貴に教育する為に作られたこの教訓集の第一条が、福澤の理想とする人間像であり、今回のテーマの答えとなる。「人は人たるの品位を進め智徳を研きます/\其光輝を發揚するを以て本分と爲さざる可らず吾黨の男女は獨立自尊の主義を以て脩身處世の要領と爲し之を服膺して人たるの本分を全うす可きものなり」(『修身要領』第一条)。 ※黨〔党〕(とう)・・・仲間。共通の利害などで結ばれた集団※服膺(ふくよう)・・・常に心にとどめて忘れないこと。「膺」は胸の意。 (超意訳)人は人としての品位を進め知恵と人徳を研き、益々そのかがやきを高まらせる事を本来尽くすべきつとめとしないわけにはいかない。我国の男女は、独立自尊の主義をもって修身処世の要(かなめ)として、これを心にとどめて忘れないようにし、人として本来尽くすべきつとめを全うすべきものだ。「独立自尊」依存し合ってばかりいてはダメなのはハッキリしている。他人の所為にしてばかりもいられない!また、卑下してばかりいる人には何も成し遂げる事はできないだろう。自分のことが嫌いであれば、人のことを好きになり、思いやる事ができるものか。「独立自尊」この言葉を胸にしまっておかなければいけない。欧米のリベラリズムに影響を受け、脱亜思想である諭吉の思想。その根本が儒教(「礼記」大学 経(けい)一章)の修身斉家治国平天下から来ているのは奇妙な感じがするが、元武士である以上、儒教の素養は幼いときから積んでいたであろうから当然でもある。軽薄に西洋を賞賛していたわけではない事がわかる。異質な文化を咀嚼し自分なりのものを打ち立てていった。そこには旧弊を打ち壊しながらも、日本人として培った教養が背骨としてしっかりと根付いている。改めて日本の江戸時代の教育水準の高さを誇りに思う。(今は恥じ入るありさま。だけれども・・・。汗 その気になればやれる民族のはず!)※修身斉家治国平天下(「礼記」大学)まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治める。そうすれば天下は平和に治まる。福澤諭吉と並んで「天下の双福」と称された、福地桜痴(おうち)という人がいた。(本名、福地源一郎)「日本十傑」の指名投票で最も票を獲得したのが福沢諭吉。ついで福地源一郎であった。 「日本十傑」明治18年(1885)『今日新聞』(現『東京新聞』)が、その時代において各界を代表する人物の指名投票をもとに発表されたもの。福地は、福沢が没した時に、指折りの名文とされる次のような追悼文を送っている。「明治七年余が東京日々新聞を主宰するに当たり、君は余に告げて曰く、足下が新聞事業に従う、はなはだよし、ただただ慎みて政府と提挈(ていけい)することなかれ。提挈せば必ず足下を誤らんと。果たしてしかり、余は君の忠告を挌遵(かくじゅん)せざりしがために我を誤りたりき。噫々(ああ)君は余が益友なり信友なり、君かつて余に背かず、余実に君に背けり。」なるほど、桜痴の心情、諭吉を悼む気持ちがよく表れていて名文だ。前回「続く」で延ばしたため「雪池忌」ではなくなってしまったが・・・遅ればせながら合掌
2011.02.05
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私の生涯の中(うち)に出来(でか)してみたいと思うところは、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること 『福翁自伝』1899年(明治32年)福澤 諭吉(天保5年12月12日(1835年1月10日)- 1901年(明治34年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者。『学問のすゝめ』『福翁自伝』等など。(「最高額紙幣の人」であり一万円札の代名詞でもある。笑)『福翁自伝』は福澤の自叙伝で、慶應義塾大学では毎年新入生に配布されるそうだ。今日、2月3日は雪池忌(ゆきちき)とよばれる福澤諭吉の命日。 戒名は「大観院独立自尊居士」。享年66歳。『学問のすゝめ』と慶応義塾大学で有名だが、ホントにすごい人だ。(勝海舟を批判してのやり取りなどで、私は海舟派なんですがね。)明治維新後の日本に脱亜思想(中華思想・儒教精神から脱却して西洋文明をより積極的に受け入れる)の流れを作ったことは、近代化への貢献が大きい。 現代は逆に脱“欧”思想で儒教などの精神を取り戻す事が大事な気がするが、欧米列強がアジア進出を続けていた当時としては、やはり必要な事だったに違いない。また会計学の基礎となる複式簿記を日本に紹介した人物でもある。(借方貸方という語は福澤の訳。) 保険代理店を生業にしている私にとってはずせないのは、保険制度を日本に紹介した事。「災難請合の事-インスアランス-」と訳している。生命保険は生涯請合、火災保険が火災請合、海上保険を海上請合とし、この三種の災難請合を紹介している。(『西洋旅案内』) (請合とはなるほど・・・。でも安請合いしてしまいそうで、ちょっと怖い。笑)その他にも数多くの業績を持っている。今日の言葉は、そんな諭吉のミッション・ステートメント※とよべるだろう。(※・・・こうしたいこうなりたいという生き方宣言)なんと亡くなる2年前の64歳の時に言っている言葉。今でこそ60歳代はまだまだこれからという感じがするが、当時はそうではないだろうし、最初の脳出血の前とはいえ、晩年だという自覚はあったであろう。それなのに生涯のうちに成し遂げたいことを思い描いている。それも並みのスケールではない。 全国の男女を次第に教育して、その気品を高尚に導き、本当の意味で文明国としていく!と日本という国全体を導く事を考えている。 (単に全国民とせずに、全国男女というのが諭吉らしい。 当時の男社会で全国民としても、女に教育は不要だという輩が多かっただろうから、 男女平等の思想で、敢えて男女としたんだろう。)スゴイ!私たちはどうだろう。したい事を考える前に、自分の年齢、資金、学歴、資格etcと自分の不利な事を勘定し、勝手に制限をつけたりしてないだろうか。諭吉は、自分の使命を最後まで成し遂げようとした。病で執筆が難しくなったが、弟子達に国民を教育する為の教訓集の編纂を命じ、『修身要領』を完成。1900年(明治33年)に自らが創刊していた新聞で発表。その年のうちに福澤自身が全文を揮毫している。翌1901年(明治34年)に亡くなったが、その約半年後に出版された。ご参考に「近代デジタルライブラリー」収録の『修身要領』 実に見事な晩年。自らが勝手に、自分自身に制限をつけるのは間違いだ!不利な条件を数え上げても意味がない。それは言い訳に過ぎない。 見習わなければなるまい!あなたにとって、私の生涯の中に出来してみたいと思うところは何でしょう?ところで福澤諭吉は、「高尚で、文明の名に恥じない」とはどんな人だと考えていたんだろうか?いや、長くなりそうなのでここまで。続きは次回。(前回予告した『神曲』もあるし・・・、ヤバイなぁ!汗)
2011.02.03
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「パペ サタン、パペ サタン アレッペ」 "Pape Sat?n, Pape Sat?n aleppe!" プルートン 『神曲』地獄篇第七歌 ダンテ・アリギエーリ 平川祐弘訳 プルートンとウェルギリウス(地獄篇第七歌)『神曲』からの第三弾。以前の記事はこちら、さあ、おまえは怠惰を捨てねばならぬ。早急に是非を論ぜず、歩みを遅らせるがいいだろう。冒頭の言葉は、単に印象的な言葉だったから載せちゃったもので、特に教訓などではないので悪しからず。訳者の平川氏の訳注によると、【プルートン】ギリシャ神話のプルートン(地獄の下層界の神)とプルート(財宝の神)が中世では混同されていたという。財宝は大地から生ずる富であるから、その神であるプルートは地下の神としても認定されたのだろう。【パペ サタン、パペ サタン アレッペ】プルートンの怒りの句だが解釈は諸説粉々で、はっきりした意味はわからない。なおアンデルセン作、森鴎外訳「即興詩人」のアントニオが夢の中でうわごとでしばしばこの詞(ことば)をいうことになっている。・・・とある。(この森鴎外訳「即興詩人」で初めて『神曲』という訳が使われたのは前にも触れた通り。)冥府の神プルートンの咆哮であるこの言葉。il papa santo(聖なる教皇)という語と関連があるのではないかという説など諸説あり、おもしろい。このあたりに興味ある方はこちらのサイトに詳しいのでどうぞ!LEGACY OF ASHES(その7) 「パペ サタン、パペ サタン アレッペ」耳に残る不思議な言葉だと思いません? 怒りの句というより呪いの言葉っぽい!? それではいつものように教訓的な言葉。「諸君は諸君の生まれを考えよ。 諸君は獣のごとき生を送るべく生を享(う)けたのではない。 諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである」オデュセウス 地獄篇二十六歌地獄の第八の圏谷(たに)にある第八の濠(ほり)。ここでは権謀術策を事とした亡者が永劫の炎で焼かれているが、その中に二人一組で焼かれている者を見つけたダンテはウェルギリウスに頼んで彼らから話を聞いた。彼らはトロイア戦争時ギリシャ側の英雄、オデュセウスとディオメデス。(訳注によると彼らはトロイア落城の際の木馬をはじめ、数々の権謀術策を二人で 共同して行ったことから一つの炎の中で一緒に焼かれている。)オデュセウスはウェルギリウスの問いに答えて自身の最後の航海の様子をさながら一遍の劇中詩のごとく謳いあげた。その航海の中でジブラルタル海峡に達した時、乗組員を鼓舞激励する短い演説をしたという。(当時はそこが世界の果てであり、人間はこの先にはいってはならぬという印の 標柱がヘラクレスによって建てられているという。 ラ・ラビダの僧院の天井にも「この先進むなかれ」(NON PLUS ULTRA)と 書かれていた。これはコロンブスの航海の後、NONが消され、「先へ進め」に 変えられた。)この演説で、「先へ先へとはやり立つ彼らを抑えるのにかえって手間どったほどだった。」というぐらい激しく励ました。その演説の中の一節。下記のような訳もある。汝らは獣のごとく生くるためにつくられたものにあらず、徳と知識を求めんがためなり『神曲』の中でなら、平川訳の方が、韻を踏んでいて似つかわしいように思うが、一文のみを取り出して引用するならこれもまたいい。 ここで「獣のごとき生を送る」とは、危険を避け目的もなく安穏と生きることをいってると思われるが、努力や頑張りもなしにとも取れるだろうし、目先の楽しさだけを追い求めるような生き方もそうかもしれない。そうではなく、我々人間は「知識を求め徳に従うべく生まれた」!のだという。(徳についての解説はなかった。キリスト教において理想とされる性質なんでしょう。 どうしても論語などに出てくるものをイメージしてしまうけど、違うんだろうね。)いつまでも知的好奇心を失うことなく、貪欲に知識を吸収していこう。知ってる振りをしても何も得にはならない。部下だろうが、後輩だろうが分からなければ教えを請う事が大事。そして徳のある人(今では死語だが・・・)を目指すべきだ!『神曲』の中で、いつか書こうと思って取ってあるのが、この他にもまだあるんだけど、キリがないので後一回、まとめて載せて終わりにする。オデュセウスの演説を最後に載せておく。『諸君』と私は言った、『百千の危険を冒し 諸君は世界の西のさい果てに来た。 もはや余命の長くはない諸君が その短い夕暮の一刻を惜しむあまりに、 日の当たらぬ人なき世界を探ろうとする この体験に参加を拒みはしまいと信ずる。 諸君は諸君の生まれを考えよ。 諸君は獣のごとき生を送るべく生を享けたのではない。 諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである』
2011.01.31
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大正15年7月26日、星野温泉若主人への為に草す 「成功の秘訣」 一.自己に頼るべし、他人に頼るべからず。一.本を固うすべし、然らば事業自ずから発展すべし。一.急ぐべからず、自働車の如きも成るべく徐行すべし。一.成功本位の米国主義に倣ふべからず、誠實本位の日本主義に則るべし。一.濫費は罪悪なりと知るべし。一.能く天の命に聴いて行ふべし。自から己が運命を作らんと欲すべからず。一.雇人は兄弟と思ふべし、客人は家族として扱ふべし。一.誠實に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。一.清潔、整頓、堅實を主とすべし。一.人もし全世界を得るとも其霊魂を失はば何の益あらんや。 人生の目的は金銭を得るに非ず、品性を完成するにあり。 六十六翁 内村鑑三内村 鑑三(1861年3月26日(万延2年2月13日)- 1930年(昭和5年)3月28日)キリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。社会評論家。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。札幌農学校第二期生であり、北海道に縁がある人物。新渡戸稲造、宮部金吾とは東京大学予備門時代からの同級生。『余は如何にして基督信徒となりし乎』『代表的日本人』札幌農学校(北海道大学の前身)というとクラーク博士が思い出されるが、彼は1876年6月に来日、9月に新学校を開校(第1期生16名)、翌1877年4月に帰国している。なので内村や新渡戸は直接、薫陶を受けることはなかった。ところがその影響力は絶大で内村らに生涯を変えるほどの変化をもたらす。というのは、僅か半年ほどしか接しなかった一期生は皆キリスト教に改宗していて、その圧力により、半強制的に改宗させられることになる。「武士の子」であり愛国心の強い内村鑑三が、外来の宗教であるキリスト教信仰へと到った葛藤の経緯は『余は如何にして基督信徒となりし乎』に詳しい。自分は2つのJを愛する。ひとつはジーザス・クライスト(Jesus Christ)であり、ひとつはジャパン(Japan)日本である。2つのJ-イエスと日本-そのどちらをより多く愛するか、自分は知らない。自分はイエス(Jesus)を信ずるが故に、日本人に憎まれ、また余りに日本的であるが故に、欧米宣教師に嫌われる。しかし、私は2つのJ-イエスと日本-を失うことはできない。アメリカ留学中、上記の言葉のような葛藤と、拝金主義・人種差別の流布したキリスト教国の現実を知ったことによる幻滅とで苦悩していた。この時期、アマースト大学シーリー学長の言葉により、回心を体験。医者になる道を捨て伝道者になる道を選んだ。内村は、回心の感動にふるえながら、愛用の聖書の見返しに、英語で「我が墓に刻印されるべきこと」と生涯の誓願を書き込んだ。(1886年3月、25歳の時)To be Inscribed upon my Tomb.I for Japan;Japan for the World;The World for Christ;And All for God. 我が墓に刻印されるべきこと我は日本のため日本は世界のため世界はキリストのためそして万物は神のために 実際に彼の墓碑銘ともなったこの言葉は、無宗教な私にはピンと来ないが、生きる指針を書き留め、その言葉通りに生きた内村のミッション・ステートメントに他ならない。内村鑑三という人は一生涯キリスト者として生きた首尾一貫なのにも関わらず、とても振幅の大きい人のように思われる。それはナショナリズムでありながら愛国者であり、キリストなのに儒教的であったりするからなのだが、個人的には、こういう世間の分類に関係なく自分を持っている人がとっても好きだ。(私自身、右翼的だといわれたり、時に左派と言われたりする。 カテゴリに自分をはめ込む必要はない。・・よね。笑)内村鑑三『代表的日本人』(“Representative Men of Japan”)、新渡戸稲造『武士道』(“BUSHIDO : The Soul of Japan”)、岡倉 天心『茶の本』(“THE BOOK OF TEA”)。この世界的なベストセラーの著者が同時代に生き、同じように世界に日本を紹介した、というのは驚くべき事。明治人は凄かった。また前談で長々と続けてしまった。冒頭の「成功の秘訣」は温泉旅館の若主人のために経営の秘訣を説いたもの。この温泉旅館が現在の星野リゾート。自動車も徐行すべきというのは細かすぎて面白い。アメリカに倣うなというのも留学帰りであり、キリスト者の内村が言うと奇妙でもある。他人にではなく、己自身を頼れ!というのは独立心旺盛だった内村らしい。誠実本位の商売を勧めてるあたりは正に日本的。(石田梅岩などのの考え方と同じ)天命に従うのはいいとしても、自から己が運命を作ろうとはしてはいけない、というのは私は賛成できない。これはキリスト的なのかな?これを読む人、各人なりに、グサっと来るところは違うだろうし、私のように賛成できない箇所も出てくるかもしれない。でもやっぱりいい言葉。経営の言葉としたが、人生の言葉として誰にでも参考になる。最後の人生の目的は金銭を得るに非ず、品性を完成するにあり。これは噛締めなくてはいけない。(頑張ろう!)後世へ遺すべき物は、お金、事業、思想もあるが、誰にでもできる最大遺物とは、勇ましい高尚なる生涯である。 『後世への最大遺物』これもイイね!我が子がこの最大遺物を手に出来るように精進致します!
2011.01.29
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人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。人生がいつまでも始まらないことが怖いのです。 グレース・ハンセンDon't be afraid your life will end; be afraid that it will never begin.Grace Hansenグレース・ハンセン(Grace Hansen)アメリカの作家(らしい)。ThinkExist.com Quotationsという引用文のサイトは見つけたのだが、作者の説明はなかった。有名な言葉なので、聞き覚えのある人もいるかもしれない。名言集のようなところには必ずといっていいほど顔を出している言葉なのだが、作者についての情報は皆無。この人が直に語った言葉なのか、小説などの登場人物の言葉なのかも不明。でも、本当に空恐ろしい言葉。まだ人生が始まっていない!?いつか時間ができたらあれがしたい!お金が貯まったらこれもしたい!自分から一歩を踏み出さないと何も始まらない。みんなと同じように学校を卒業し、就職し・・・・周りに合わせてばかり、流されているだけでは、人生は始まってもいないのかも知れない。自分の学力だったら入れるのはこの学校。 何がしたいというわけでもなく、なんとなく受けて、せっかく入社できたからというだけでそのまま勤め続けるなんとなくとか、周囲の人とかではなく、自分自身で一つずつ決める。主体的に能動的に意思決定をする。“みんな”っていう他人は関係ない。自分の頭で考えて、自分の好きなことに賭ける!好きではないとしても、自分がやるべきだと思うことをやる。そうじゃないと、油断していたら、気づいた時には、自分の葬式を幽霊になって見てるのかもしれない。臨終の間際に後悔しそうな事があれば、“今”始めちゃいましょう!人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。人生がいつまでも始まらないことが怖いのです始まらないままで終わってしまうぐらいなら、例え、始めてしまったばかりにすぐに終わりが来てしまうとしても、始めた方がいいに決まってる!!文脈が分からないから、作者の言いたい事とはずれてしまったかもしれないが、それもまたよし!笑この言葉から感じた事を書いただけに終わってしまった。汗それにしてもこの人、シニカルというかモノの見方がスゴイ。もう一つグレース・ハンセンのものといわれる言葉。結婚式もお葬式も同じようなものです。 違うのは、もらったお花の香りを自分でかげることくらいよ。A wedding is just like a funeral except that you get to smell your own flowers. えぇ~。違うと思うけどなぁ!結婚生活が天国にしろ地獄にしろ、色々あるんだから楽しめばいい。葬式の後はなんにもないよ。(回忌はあるかもしれないけど。笑)
2011.01.26
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『將東遊題壁』男兒立志出郷關 學若無成不復還 埋骨何期墳墓地 人間到処有青山 『将に東遊せんとして壁に題す』 男児志を立て郷関を出ず 学もし成る無くんばまた還らず 骨を埋むること何ぞ墳墓の地を期せん 人間到る処青山あり 釈月性※埋骨豈惟墳墓地としているものもある。 (読み)まさにとうゆうせんとしてへきにだいすだんじこころざしをたててきょうかんをいづがくもしなるなくんばまたかえらずほねをうずむることなんぞふんぼのちをきせんじんかんいたるところせいざんあり※人間は、漢詩では(じんかん)と読むが諺では(にんげん)と読むことが多いようだ。(じんかん)は世の中という意味。※青山は(せいざん)と読み、骨を埋めるにふさわしい場所という意味。※墳墓地は、(祖宗を祀っている)墳墓ということから故郷の地という意味合いも持つ。釈月性(しゃくげっしょう)(文化14年9月27日(1817年11月6日) - 安政5年5月11日(1858年6月21日))幕末期の僧(浄土真宗本願寺派)。周防国遠崎村(山口県柳井市遠崎)、妙円寺の住職。詩文に多くの業績を遺した詩僧。尊皇攘夷の勤皇僧。大衆に対し持論である尊皇攘夷思想を流布・教化した実践活動は維新に大きく貢献した。時局を論じ特に海防の重要性を説いたことから海防僧と呼ばれた。釈は苗字ではなく釈門の意味。(釈門・・・釈迦の教えを奉ずる門流をいう。仏門。僧侶。仏家。)叔父が萩で住職をしていたため、早くから萩の諸名士と交際する機会を得ていた。特に吉田松陰の兄杉梅太郎と親交が深く、吉田松陰とも交友があったことで知られる。周防の松下村塾ともいわれる「清狂草堂(時習館)」という私塾を主宰。この人はこの漢詩で有名だが、どんな人だったかはあまり知られていない。ところが、まさしく八面六臂の大活躍。生家が本願寺派のお寺だったのでその住職となるが、その総本山本願寺の広如法主より時局に対する意見を求められ、「護法意見封事」として上呈。これは後に「仏法護国論」として出版、全国の本願寺派一万寺に配布され、僧徒の決起を促したものとなる。明治維新に大きく貢献。また、長州藩主に献じた藩政改革の意見書「意見封事」において藩侯への献策を述べ、長州藩こそ率先して討幕の主唱者たれと主張し、激しい言葉で藩侯自身の公私生活をも非難している。「内海杞憂」は、海防の必要性が差し迫った時のの具体的対応策を諭したもの。海防五策をたてて異国襲来への準備をすべきだとした。そして士農工商を問わずに近代的な新しい兵制を確立すべきを唱えた。(後に高杉晋作が設立した奇兵隊の元となる。モデルになったのは山田方谷の農兵隊。)紀州藩友が島の防備を厳重にすることの急が論ぜられたときには、梅田雲浜が月性を最適任者として遊説を薦め、ひと月かけて紀州に講説に赴き、その大任を果たしている。冒頭の「将東遊題壁」という漢詩は、27歳の月性が大阪に遊学する為に郷里を発つ時に詠んだ詩。(1843(天保14)年夏)(当時大阪における名儒、條崎小竹の梅花塾に入塾、その後塾頭に抜擢。)この決意の詩は「男児立志の詩」「勤王立志の詩」と呼ばれ、勤王の志士たちに愛唱されたそうだ。詩吟にもあり、そちらでは「男子志を立て、郷関を出ず学もし成らずんば死すとも帰らず。骨をうずむ豈(あに)ただ墳墓の地のみならんや人間いたる処青山あり」“死すとも”“豈ただ”と若干の違いがある。タイトルとした「人間到る処青山あり」は諺ともなっており、(人はどこで死んでも骨を埋める場所くらいはあるという意から。)大志を抱いて、故郷を出て大いに活躍すべきである、躊躇してはいけないということ。現代の日本人は、青山をおしゃれな地名のイメージも手伝って(?)、木々が茂った緑いっぱいの山と思って、素晴らしいところを想像している人もいるかもしれない。「人間どこに行っても到るところ素晴らしいところがあるよ」?ま、この意味でも教訓を得られるかも知れないが・・・。汗そのおしゃれな青山にも墓地があるのは不思議な偶然?(何言ってんだか?笑)漢詩は引き締まる。背骨から筋が通り、気合が入る。現代のやわらかい詩、優しく暖かい心になり、たまに考えさせるという詩もいいが、「ビシッと来る」この感じは漢詩がうわまわる。カッコいい!(何か浮ついた感想で恥ずかしいが・・・汗)特に、この詩は覚悟が伝わってくる。この覚悟、胆を括るということが現代人に欠けているところじゃないだろうか。どこで野垂れ死んでも構わないとは言わないが、この気概は見習いたい。以前取り上げた商人の道(福沢諭吉の言葉とされる)にも似た一節がある。おそらく月性を意識して作られたのだろう。農民は土着を喜ぶ。 大地に根を深く下ろそうとする。商人は何処からでも養分を吸い上げられる浮き草でなければならぬ。其の故郷は住むところすべてである。自分の墓所はこの全世界である。ちなみにこの題、実は「将東遊題壁二首」となっている。そう、壁に題したのは二首。もう一つの一首は冒頭の詩の前にある。意味は通してみる事が出来るよう、最後に冒頭のものと併記しておく。二十七年雲水身又尋師友向三津児烏反哺応無日忍別北堂垂白親 (読み)にじゅうひちねんうんすいのみしゆうをたずねてさんしんにむかうじうはんぽまさにひなかるべしわかるるにしのびんやほくどうすいはくのしん(意味)二十七歳となり、未だ修行の身である私は、こうして師や友を訪ねて三津(大阪)に向かう。(今日まで勉学の為とはいえ、)親の恩に報いて孝養を尽くす日もなかった。老いて白髪交じりの親となった母と別れるのが忍びない。(不孝の罪を感じずにはいられない。)(しかしながら、この天下騒然時、壮士止め難く、)男子が一旦志を立てて郷里を出るからには、もし学業が成就しないなら再び帰らない決意である。骨を埋めるのにどうして故郷の墓地に執着しょうか。世の中には、どこへ行っても骨を埋める青々とした墓地があるではないか。(そこに埋めてもらえば充分である。)※児烏反哺四字熟語にある「慈烏反哺」のことだろう。意味子が親の恩に報いて孝養を尽くすこと。親孝行のたとえ。からすは幼いとき親が口移しで餌を与えてくれた恩を忘れず、成長すると同じように老いた親に口移しで餌えさを与える意から。「哺」は口中の食物のこと。※北堂 古代中国で、家の北側の堂は主婦の居室となることが多かったことから、母親を指す。また、他人の母の敬称としても使う。母堂。ははぎみ。※垂白(白垂)は能の仮髪の一つ。左右の鬢(びん)から肩の下まで垂らす白い毛髪。そこからすると、白髪が垂れている様子のことだろう。本当は親想いな孝行を大事に思う人だった。母急死の翌年、四十二才の若さで没した。ちなみに、明治維新に関心のあった毛沢東が十七歳の時に『留呈父親』「孩兒立志出郷關, 學不成名誓不還;埋骨何須桑梓地,人間無處不青山。」と、この作品に基づいて、作詞し父親に贈っている。漢詩の本場中国の人が、感激し参考にするとは詩としての完成度も高いということだろう。
2011.01.23
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「道」 一里を歩んで佇む人がいる一里を歩んで力をつける人がいる二里を歩んで休む人がいる二里を歩んで汗の充実に感動する人がいる三里に向って足の動かない人がいる三里に向って燃え出そうとする人がいるつづけることは常に第一歩から始める若々しい勇気と希望を持つことであるつづけてこそ道なのである 石川洋石川洋氏は以前「自戒」という詩をご紹介しているので、プロフィールは省略。“一里”、“二里”という同じ距離を歩いても感じ方がまるで違う。どうせ歩くなら後者の感じ方が出来る人でありたい。感情は出来事などに対して自動的に湧いてくると思っている人が多いが、私にはそうではないように思える。感情は、自分で選べる!乱暴な運転の自動車がいたとすると、いつもはムッとする人でも、その車が、黒塗りの高級外車でガラスが真っ黒く中が見えない自動車だったら・・・何事もないことを祈る。同じ行為でも、それを情熱的なアタックだと思うか、しつこい奴だと思うか違ってくる。怒り:恐怖、好意:嫌悪という感情は、瞬間的で無意識だとしても、 判断して自分で選んでいる。だったら楽しかったり、前向きだったりした方がいいに決まってる。(中には、ポジティブシンキングしなければならない。 という呪縛に囚われすぎて、 こう考えたらダメだ!こういう風に捉えなきゃ! なんて痛ましい人もいるけど・・・汗 無理やり、べき論にすると間違うから自然に、選ぶ事も可能だ。と思えればOK!)若々しい勇気と希望を持つことである 青春にも有った様に青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。 若々しいというのは年齢とは関係ない。(私はまだまだそんな年ではないんで、大丈夫!実際に若いし・・笑)道を進む“勇気”と先に見える“希望”という両輪さえあれば困難にも挫けず進めるだろう。そして最も大事な事は、“第一歩”。最初の一歩を踏み出さなければ、続ける事なんて出来るわけが無い。何も始まらないのだから・・・このはじめの一歩が一番難しい。だから勇気がいる。よく「夢を言葉にして書き記せ」といわれるが、希望によって勇気を奮い興そうとしているのだろう。久し振りの道シリーズ。「人は人、我は我なり、とにかくに、我が行く道を我は行くなり。」 西田幾太郎(哲学者)わが行く道に茨多し されど生命の道は一つ この外に道なし この道を行く この道より 我を生かす道なし この道を歩く武者小路実篤僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 高村光太郎此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし 清沢哲夫
2011.01.22
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「人の心の美しさを満たそうよ」小さな店であることを恥じることはないよその小さなあなたの店に人の心の美しさを一杯に満たそうよ 岡田 徹『岡田 徹 詩集』岡田 徹(1904(明治34)~1957(昭和32)年)戦前から戦後にかけて活躍した商業指導家。経営思想家。昭和28年、商業界ゼミナールに講師として初参加。商人の哀歓と経営近代化に乗り出す決意や情熱、悩みを生々しくとらえて、圧倒的な支持を得た。商業界ゼミナールでは「怒りの新保、泣きの岡田」と並び称された。この詩を知ったのは随分前。びっくりドンキー(確か清田店)でレジの処に掲げてあった色紙を読み、とってもいい言葉だと心に残っていた。ただ短い時間だったので、強く印象に残った、小さな店であることを恥じることはないよ という言葉しか記憶できず、結局そのまま時が過ぎてしまっていた。誰の言葉だろう?(署名がなかったと思う)と気になり、後で調べようと思った事は覚えているのだが・・・汗縁があるのか、その言葉と再会することができた。先日、知人の女性社長から紹介された詩集に載っていたのだ。それがこの『岡田 徹 詩集』。それも一番最初に出てくる。岡田徹氏を代表する詩のようだ。いい言葉だもんなぁ!商売柄、中小零細企業経営者や自営業の個人事業主とお話しさせていただく機会が多い。以前、異業種交流会を主催していた事もあるので、その時も沢山の方々とのご縁を頂いた。独立(今風に言うと起業か)する、しようとする人には二種類あるように思う。一方は、デカクなる。多店舗展開する。ゆくゆくは上場だ。ということに頭がいっぱいの人。一頃話題になった「ほりえもん」さんと、彼に憧れる若い人たちが代表選手かな。勿論、そういった心意気は否定しないし、むしろ応援したい。でもそれだけではマズイような気がする。かたや、お客さんが喜んでくれるかどうかを心配する人たち。この人たちに心の美しさを感じる。当然、商売は儲からないといけない。いい人でも潰れたら仕方ない。周りみんなに迷惑をかける。「もしドラ」で、今さらながら話題になっているドラッカーさんも利益は明日の為の費用である と言っている。拡大思考、多店舗展開、大いに結構。その為にも、岡田さんが言う美しい心が必要だということだろう。優先順位が逆になると危ないよ。ちなみに、私がびっくりドンキーで見かけたときは、店長か誰かの趣味だろうと思い、いい趣味した店長だなぐらいに思っていたが、この言葉は、びっくりドンキーの原点ということだ。ドンキー発祥の原点(店)は、岩手県盛岡市に誕生したハンバーガーとサラダの店「べる」。13坪の、そのこぢんまりとしたお店にこの言葉が掲げられていたそうだ。久しく食べに行ってないが、また行ってみよう。(私はいつもカリーバーグディッシュ!二つ愉しめてお得な気分♪笑)最後に、プロフィールで唐突に出てきた、岡田氏の盟友「怒りの新保」の言葉。「正しきによりて滅びる店あらば滅びてもよし 断じて滅びず」 新保民八 これは、幕末の国学者・平田篤胤の歌を本歌取りしたものらしい。「滅びてもよし」とはなかなか言えないが、「断じて滅びず」には勇気百倍!花さん、ありがとう!感謝!
2011.01.19
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実(まこと)の商人は、先も立、我も立つことを思うなり石田梅岩石田 梅岩(1685年10月12日 - 1744年10月29日))江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。主な著書に『都鄙問答』『倹約斉家論』がある。背景として梅岩の生きた時代は、「元禄文化」華やかなりし江戸バブル時代から、暴れん坊将軍でおなじみの将軍吉宗による「享保の改革」が行われた経済危機による質素倹約時代。バブルは遠い昔になったが、現代の状況に似通っている。石門心学は、儒教や仏教、日本古来の神道の思想を取り入れたもので、その基になったのは、儒学の一派、宋学の流れを汲む天命論。ちなみに梅岩の思想は「石門心学」と呼ばれているが、梅岩自身は「性学」と呼んでいた。つまり梅岩曰く「学問とは心を尽くし性を知る」ということであり、心が自然と一体になり秩序をかたちづくる性理の学としている。これは南宋の朱熹(儒教の体系化を図った儒教の中興の祖)が創った朱子学の考え方。(朱熹の朱子学が性即理を主張したので性理学。 宋学のもう一つの系譜が朱熹と同時代の陸九淵らで、王陽明の陽明学へと連なっていく。 こちらが心即理を主張したので心学といわれる。 )理を抜いてしまった「性学」では、なんとはなしにいやらしい語感からなのか(?)、(四十八手とかHな学問と間違えられるww?笑)手島堵庵などの高弟たちが、後に「心学」と呼称を変えている。そして石田梅岩門下の「心学」といいうことで「石門心学」と呼ばれるようなったようだ。呼称を変えたはっきりとした理由は分からないが、本家中国でライバル関係の学派名に変えてしまうというのも不思議な話だ。(日本でも、幕府の体制側が朱子学で、陽明学は反体制側というイメージがある。)私も孔子は好きで色んな論語本を読んだ事はあるのだが、新儒学の違いは心もとない。(読んだといっても、入門的な本ばかりなので、恥ずかしい限りなのだけれども・・・汗)ここにでてくる「性即理」とか「心即理」などは何言ってるんだかちんぷんかんぷん。読み聞きした知識ながら、ちょっと不思議だと思いご紹介したまでで、浅学寡聞なもので間違いかも知れないのでご注意を!汗(分からない!という方もご安心を。私も分からん!笑 無責任だね。申し訳ない!)ちなみに・・・なんていいながら恥をかいてしまったが、もとい。当時は士農工商の身分制度の中、憎むべき卑しいものとされていた商人の営利活動を積極的に認め、勤勉と倹約を奨励した。「売利ナクバ、士ノ禄ナクシテ事フルガ如シ」(商人が利益を得るのは、武士が禄をもらうのと同じ)と、商行為の正当性を説いた。これは梅岩が長年、商家に勤めていた経験から商業の本質を熟知していたことからで、「商業の本質は交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に何ら劣るものではない」という新機軸を打ち立て、精神的な支柱を得た商人に支持されていったようだ。また一方で、商人は二重の利を取り、甘き毒を喰らい、自ら死するようなことをしてはならない など商人の職業道徳の指針を明確にしようとしていった。(主に「倹約」と「正直」)商人の基本的な心の在り方を示し、武士道に劣らぬ商人道を説いた人だった。ちなみに(またか?笑)「負けるが勝ち」という言葉があるが、これも梅岩が説いた言葉と言われてる。アメリカの社会学者ロバート・ニーリー・ベラーは、『徳川時代の宗教』(「TOKUGAWA RELIGION」)という本で、有色人種国家で唯一産業革命に成功した日本を分析しているが、梅岩と石門心学の功績を非常に高く評価している。世界に誇れる日本人。企業の不祥事が目立つようになり、CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)が最近よく言われるようになってきているが、日本で先駆けともいえるのが石田梅岩。実の商人は、先も立、我も立つことを思うなりこれが商売の本質だろう!!近江商人が長年蓄積してきた「三方よし」の思想と通じるものがある。(売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。)今年も正直に頑張ろう!! って、今、私は45歳。梅岩が遅咲きといわれ、借家の自宅で無料講座を開いたのも45歳。ヤバイ!頑張らねば!汗
2011.01.16
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立志尚特異 俗流與議難 不思身後業 且偸目前安 百年一瞬耳 君子勿素餐 志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない世俗の意見に惑わされてもいけない死んだ後の業苦を思い煩うな目先の安楽は一時しのぎと知れ百年の時は一瞬にすぎない君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ吉田松陰吉田松陰(1830年 - 1859年)江戸時代末期の思想家。 長州藩士、教育者、兵学者。明治維新の事実上の精神的指導者・理論者。私塾松下村塾を主宰し、幕末維新の指導者となる人材を多く育てる。 門人は「村塾の双璧」と称された高杉晋作・久坂玄瑞(「識の高杉、才の久坂」)を始め、まさに綺羅星のごとく錚々たる顔ぶれだった。(高杉・久坂に吉田稔麿・入江九一を加え「松門の四天王」と呼ぶ。)末弟子に過ぎなかった伊藤博文が初代総理大臣なのだから、スゴイ。言わずと知れた明治維新の立役者。これから激動の時代が始まるという矢先に、29歳の若さでこの世を去ったのだから、自身の至誠を貫き通したとはいえ、無念だっただろう・・・。二句ずつが対になっているようだ。先ず人と異なることを恐れてはならない世俗の意見惑わされてもいけない と、志を立てるときに障害となり注意すべきものをあげている。私はいかに目立つかを考え、出来るだけ他人と同じでは嫌だった記憶があるが、今の子供達を見ていると他者と同一で居たがる傾向が強いように思う。少しでもみんなと違う、浮いているといじめの標的になるというリスクを感じての事かも知れない。そもそも同一の人間なんて存在するわけがないのだが・・・。他者と自分との違いを理解し、相手を認める事が必要なのに、違いを見つけては攻撃し、攻撃されないように同一の振りをするなんて馬鹿げてる。・・・と、また微妙に脱線しかけてるので修正。目的を達成しようとしたら、他の人と違う事をしなければいけないときもある。そんな事やってと馬鹿にされる事もあるかもしれない。また、親や友人は(親切心からまた心配するあまり)そんな事無理だと否定してくる。そのような言葉に惑わされるようでは志は達成できない。惑わされるようならはじめから本当に覚悟があったとはいえない。死んだ後の業苦を思い煩うな目先の安楽は一時しのぎと知れ 志を立ててる人が地獄の業苦を心配する事はないだろうが、この極端な対比も面白い。あまりに先の心配をしても仕方ないし、目先ばかりでもダメだ。ということかな。百年の時は一瞬にすぎないいたずらに時を過ごすことなかれ最後の二句で時間の大切さを説いている。いい言葉だ。成人式とちょっとずれてしまったが、新成人に贈りたい言葉。まだまだおじさんだって負けてらんないから、私もこの言葉を噛締めていくけどね・・・笑安政六年、萩野山獄に幽閉されていた松陰は「安政の大獄」により江戸に召喚された。その際、門人一同に決別の辞を示している。至誠にして動かされざる者未だこれあらざる也。吾学問二十年、齢亦而立、然れどもいまだこの一語を解する能はず。今茲に関佐の行、願わくば身を以てこれをためさんと。すなはち死生の大事のごときは暫くこれを置かんと 超意訳(孟子にある)「至誠而不動者未之有也」という言葉について、二十年の学問を積み、年齢を重ねて生きてきたが、未だこの言葉を真に理解できたとは言えない。今、江戸召喚に際し、自分の身をもってこの言葉を試そうと思う。(取調べの場において、命を懸けて自分の至誠を貫き、その真心で幕府を動かすつもりだ。)生死という普通は大事な事といわれるものであっても暫くはこれを度外視していく。吉田松陰は純粋な人だったのだろう。至誠而不動者未之有也 これは孟子の離婁章句上(十二)にある「至誠而不動者、未之有也」 超意訳嘘偽りのない誠実なまごころを以って向かうなら、心動かされない者はいまだかっていない。どんな者でも必ず心を動かすことが出来る。署名の二十一回猛士の「二十一回」は、幼時の名字の「杉」の字を「十」「八」「三」に分解し、合計した数字が「二十一」となること、および、「吉田」の「吉」を「十一口」、「田」を「十口」に分解でき、これらを組み合わせると「二十一回」となることによりつけられている。辞世の句身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 『留魂録』(獄中にて門弟達に向けた遺書)親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん 『永訣書』(家族宛の遺書) 至誠に殉じた松陰。私も見習って至誠を持って生きて行きたいと思っている。ただ自分の中だけに基準を求めるしかない至誠は、ある意味危ないということも認識すべき。自分よがりの誠を突き詰めてもそれは手に負えないものとなる危険性がある。この辺を、同じように考えている所を見つけたのでそちらもご紹介。松陰の言葉の基となっている孟子の解説ページ。「孟子を読む」 一部抜粋引用「(前略) 自分の心の「至誠」さが正しいのかどうかが自分自身では検証できない。 「至誠」さだけが基準として暴走すれば、 「自分の心は表から見ても裏から見ても正しい(と自分で確信している)から、 間違っている世の中の権力者に天誅を下すのは完全に正しい」という倫理に行き着くに 決まっている。 あるいは「自分の愛は純粋で正しい(と自分で思っている)から、 片思いの人を誘拐して監禁するのは完全に正しい」という倫理が正当化されてしまうはずだ。 事実テロリストやストーカーの倫理観はこのようなものだ。 (後略)」 う~ん。確かに。気をつけよう!自分自身を客観的に見る視点も必要だ。
2011.01.15
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言ってしまえば、シャーマンは心持ち一つで誰にでもなれる。まずは信じる事。そして強く出来ると思う事。シャーマンに限らず全ての事は、出来るという思い一つで事をなす。 想いは全ての力の源であり、強い肉体も、様々な工夫も、全ては思いによって作られる。もし何かが、出来ないとすれば・・・それはすなわち、思いの力が足りないのだ。 全ては思い一つ。 しかし、これが人間にとって一番難しい。思いはあまりにもろいのだ。どんなに強い人間でも、思いが全く揺るがない事は難しい。しかし・・・精神の力のみが試されるシャーマンの世界では、その揺るぎのない思い一つが全てとなる。 麻倉 葉明 『シャーマンキング』12巻 武井宏之麻倉葉明は、葉の祖父で陰陽師。先日に引続き同じ漫画から引用。この漫画、結構こういった真面目なことを語るシーンが多いので、ネタに困ったら今後も登場させるかも・・・笑「木刀の竜」(梅宮竜之介)という、葉の友達がシャーマンになりたいと、葉明のもとへ教えを乞って来ていたが、葉明が課した入門の試練があまりに厳しすぎるのではないかと、麻倉幹久(葉の父、修験者)に問われた時の言葉。ホント、シャーマンなんていう特殊な職業に限らず全ての人に通じる言葉。心とは万事の本源である。という孫文の言葉と同じ。「できないと思うけど、一応、一生懸命頑張ります。」この台詞の予言(できないと思う)は、おそらく当たるだろう。「やっぱり出来なかったでしょう!最初から無理だったんだよ。」なんて言うかもしれない。でもそれはこの人の状況判断が優れているとか、洞察力があるという証拠には全くならない。最初から本人がヤル気ないのだから、出来るわけがない。例え、当人が一生懸命やったつもりになっていても、頑張ったと言い張っても・・・出来ないと信じ込んでいる人は、やっぱりできない。それは型どおりに処理したに過ぎない。出来るはずだという思いがあれば、そこから熱意も工夫も出てくる。全ての事は、出来るという思い一つで事をなす。 それでも「そんな事言ってもさぁ~、無理なもんは無理。」という人がいっぱいいるのは私も知ってる。それでいいのなら、そのまま無理だという持論を保っていればいい。おそらく無理な理由はいくらでも考え付くことだろうから、ずっと人のせい、状況の所為にしていくことも可能・・・なのかな?笑棚から牡丹餅が落ちてくる事故を夢想していれば、いつか落ちてくるかも知れない??笑もし何かが、出来ないとすれば・・・それはすなわち、思いの力が足りないのだ。 全ては思い一つ。思いの力だけじゃないかもしれない。実際、いろんな状況があるかも知れない。でもこの覚悟で物事に臨んだ方が、できる確率は格段に上がるはず。あなたはできる!! ついでに私もできる!笑ただ、この言葉には期限がない。結果が出るまで思い続けるしかない!
2011.01.14
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「進むべき道」か ―――オイラは確かにいいかげんかもしれねぇでも何が起こるかわかんねぇ 先の事におびえるよりも今 オイラにとって 何が大事かって 事の方がよっぽど重要な 気がするんよそれが 今のオイラの素直な気持ちだけどな大丈夫!きっとなんとかなるって!! 麻倉葉 『シャーマンキング』4巻 武井宏之シャーマンキング武井宏之による日本の漫画及びそれを原作としたアニメ。『週刊少年ジャンプ』(集英社)において1998年31号から2004年40号まで連載された。霊能力者(シャーマン)の少年麻倉葉が、シャーマンの頂点を決める戦い「シャーマンファイト」に参加し、全知全能の力を持つシャーマンキングとなるための戦いを描く物語。シャーマンキングとは、グレートスピリッツを持霊とし、この世の森羅万象を司る地球の王。(by ウィキペディア) 久し振りに漫画の台詞。この漫画、主人公の麻倉葉が実にゆるい。よくいえばマイペース。だらだらで主人公らしからぬキャラクター。シャーマンキングは全知全能の力を持ち、過去には釈迦やキリストもそうだったというぐらいスゴイ存在なのだが、この少年は「何の苦労もしないラクな生活がしたい」という志望動機。笑今、厳しいと評判の就職活動なら、絶対に落とされる。ただ、麻倉葉の婚約者・恐山アンナによると、「俺が世界を救う」って奴や「やってやるぜ」というガツガツした奴は結局、信用できずダメだという。それは、そいつらは自意識と己の欲でしか目的を持たないからという理由。(なんか難しくなってくる。)その点、葉君はラクしたいだけで自分の欲がない。だから目的に縛られることなく自由でいられ、余裕を持っていられる。さてさて冒頭の言葉。これはシャーマンファイトに参加することが決まっても相変わらずゆるゆるな葉に対して持ち霊(シャーマンの相棒のようなもの)である600年前のサムライの霊「阿弥陀丸」が、「考えが甘い」「いいかげんな気持ちでは勝ち抜けない」と諭した事への答え。何が起こるかわかんねぇ 先の事におびえるよりも今 オイラにとって 何が大事かって 事の方がよっぽど重要な 気がするんよ 先の事、将来への不安というのは誰にでもあると思うが、そんな事ばかり考えていても不毛。確かに将来に対する備えも大切だが、ある程度備えたなら、それ以上心配ばかりするよりは“今”を大切にするべきだ!ゆるいくせに核心を突いてくる。そして、大丈夫!きっとなんとかなるって!!この前向きさ!ただのゆるゆるのお馬鹿さんのいい加減な言葉とも取れるが、そうではない安心感を感じさせる。 今を大事にせよ!という言葉は一つの真理に違いない。沢山ありこのブログでも紹介してきた。一日一日を、たっぷり生きていくより他は無い。 太宰治Carpe diem (カルペ・ディエム) その日を摘め! ホラティウス 「明日は、明日こそは」と、 人はそれをなだめる ツルゲーネフ明日ありと思う心の徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 親鸞心配する事が多いのは 今をけんめいに生きていないからだ 石川洋一例としてざっと見ただけでこんなにあった。見落としてる言葉もあるかも知れない。まだ来てもいない未来を恐れるよりも、今、ここに、一番大事なものがある。オイラもそんな気がするんよ! (ゆるい葉の言葉遣いがうつった・・・笑)
2011.01.10
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「生きるのだ」 いのちいっぱい 生きるのだ 念じ念じて 生きるのだ 一度しかない人生を 何か世のため人のため 自分にできることをして この身を捧げ 生きるのだ 坂村真民『坂村真民一日一言』坂村真民(しんみん)(1909年1月6日 - 2006年12月11日)日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。癒しの詩人といわれている。最初は短歌を志したが、四国移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基本とした詩の創作に転じる。現実をまっすぐに見つめ、強く生きることを訴え続けた。分かりやすく、そして深く掘り下げられた詩は、年令、職業を間わず幅広く愛唱され、その生き方とあわせて、「人生の師」と仰ぐ人も多い。素朴で平易な言葉で綴られた詩が多く、私も大好きな詩人。「癒しの詩人」と称されるように優しく暖かな詩なのだが、その中に力強さが同居する。そのまっすぐなひと言ひと言は、生きる勇気と、明日への希望を与えてくれる。いのちいっぱい 生きるのだ新しい年ももう9日目。一度しかない人生!今年もいのちいっぱい生きていこう!!
2011.01.09
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人必死の地に入れば、心必ず決す 横井小楠 「元旦偶作」 萬里祥雲旭日晴 忽聞黄鳥報春聲 南山清気深無限 都傍高堂盃酒生 横存拝 印(小楠堂主)遠方にめでたい雲がたなびき、朝日が昇って晴れわたっている。ふと、ウグイスが春を知らせる声を聞いた。南山の清気の深さは限りない。御所のそばで杯に酒を注いでいる横井 小楠(しょうなん)(文化6年8月13日 - 明治2年1月5日)日本の武士(熊本藩士)、儒学者。維新の十傑の1人。坂本龍馬が横井小楠を訪ねたときに、後に龍馬の「船中八策」の原案となる『国是七条』を説いた。このことで龍馬に影響を与えたという一面だけがクローズアップされている。『“横井小楠の漢詩軸” 絶筆か』NHKニュース(幕末の思想家で、坂本龍馬などに影響を与えたとされる横井小楠が、暗殺される4日前の元旦に書いたとみられる漢詩の掛け軸が見つかりました。小楠が生涯最後に書いた「絶筆」である可能性が高いとみられています。後略)とのこと。未だにこういった新発見(?)があるんだ!とビックリしたニュース。水曜日(1/5)が小楠の忌日だったので、今日のこの言葉を書こうと思いつつ、書けずじまいだったところにこのニュースでタイミングにもビックリ!!(シンクロニシティ?笑)ちなみに有名な楠木正成の嫡男、楠木正行(まさつら)という南北朝時代の武将がいる。一見、今日の話に全く関係ないこの人は、「大楠公」と尊称された父・正成に対して「小楠公」と呼ばれている。横井小楠がその号を考えた時に、この人のことを意識していたかどうかは分からないが、「小楠公」が高師直・師泰との戦いに敗れ弟・正時と刺し違えて自害したのが、1348年1月5日。そう!横井小楠と同じ日が忌日。この2人奇妙な縁で結ばれていたようだ。さてさて人必死の地に入れば、心必ず決す必死になれば心が決まるのか心が決まれば必死になれるのか卵が先か鶏が先かみたいだが、小楠はなりふり構わず必死にやっていれば、心は決まり、迷いなどなくなるという。うだうだと考えてばかりではなく、先ずは必死になってやってみろ!ということだろう。お客さんと話していると、お子さんが転職するかどうか悩んでいるということがたまにある。本人と話すと決まって、現状、現実への不満が噴出してくる。親も同情しちゃってる。汗仕事がくだらない。上司が嫌だ。etc 笑シュガー社員という言葉もあるらしいから、珍しい話でもないだろう。先ずはその「くだらない」仕事をきちんと、それこそ“必死”でやってみた方がいい!「嫌な」上司を見返してやればいい!そうすれば心は必ず決まる。転職希望がなくなるかどうかは知らないが、少なくとも現実逃避はしなくなっているはず。以前、維新三傑をご紹介したが、横井小楠は十傑の一人。新政府に参与として招かれ、自分の思想を生かそうと希望を胸に上京し、新しい時代を切り拓くために奔走しはじめてまだ一年とたっていない。上京後病気がちだった体調が戻り、すがすがしい新年を迎えたことをうたった正月明け、仕事始めの帰路に暗殺された。さぞ無念だったことだろう!3日遅れの忌日に、 合掌。
2011.01.08
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年頭自警 陽明学者:安岡正篤 一.年頭まず自ら意気を新たにすべし 二.年頭古き悔恨を棄つべし 三.年頭決然滞事を一掃すべし 四.年頭新たに一善事を発願すべし 五.年頭新たに一佳書を読み始めるべし 『人生信條』安岡正篤安岡 正篤(1898年(明治31年)-1983年(昭和58年))陽明学者・思想家。昭和歴代首相の指南役を務め、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。「平成」の元号の発案者と私は思い込んでいたがそういう説もあるということらしい。確か「終戦の詔書」もこの人が草案したと聞いたことがある。いつもなら超意訳といくところですが、そんな大昔の言葉でもなく、訳するまでもなさそうなので辞書でひいたものを載せて終わりにする。当たり前の言葉も敢えて調べてみたので笑わないで下さいませ。意気・・・事をやりとげようとする積極的な気持ち。気概。いきごみ。悔恨・・・過ちを後悔して残念に思うこと。決然・・・きっぱりと決心したさま。思い切ったさま。発願・・・仏語。誓願を起こすこと。悟りを求める心や、人々を救おうという心を 起こすこと。年頭にあたりなすべき五つの項目をあげている。一.年頭まず自ら意気を新たにすべしお正月は誰しも新しい年に当たって心新たにするものだが、ここでいわれているのは、そんななんとなくのものではないだろう。自ら奮い起こして、気概を新たにしなければいけない。“まず”というのは項目の最初という意味もあるだろうが、これがなければはじまらないということではないか。次に古き悔恨を棄つべしと決然滞事を一掃すべしとある。意気が新たに沸きあがろうとも、昨年からの古い後悔に囚われていては次に進めない。また滞った物事を放りっぱなしでは身動きができない。徐々に終わらせていこうというような態度ではダメだ、断固としてきっぱりと一掃しなさいという。一善事を発願すべし、一佳書を読み始めるべし仏教用語らしいが、ここでは良い目標ということでもいいのではないか。そして良書を読めで終わる。ここでは簡単に良書としたが、本当はそんな単純なものではなく下記のような書のこと。--------------------------------------------------------------------------佳書とは、それを読むことによって、われわれの呼吸・血液・体液を清くし、精神の鼓動を昂(たか)めたりおちつかせたり、霊魂を神仏に近づけたりする書のことであります。--------------------------------------------------------------------------難しい。歴史上の人物とは異なり、安岡正篤氏を師と仰ぐ方々の多くはいまだご活躍の中で、私などが解説するなんて僭越なのだろうが、ご容赦を!一.年頭まず自ら意気を新たにすべし今日で三が日もおしまい。お正月気分をダラダラ引き延ばさず。自ら意気を新たにして行こう!また安岡正篤氏による違う新年の話もあったので、そちらも--------------------------------------------------------------------------新年の解 『郷研清話』(財団法人 郷学研修所)新という字を知らぬ者はない。然し新という字の真の意味を解する人は案外少ない。元来この字は「辛」と「木」と「斤」との組み合わせである。辛は努力を意味し、斤は木を斬る「まさかり」、「大を(お)の」であり、これで木をきること、それから、「斤斤」といへば明らかに見わける、又いつくしむ(慈愛)の意がある。即ちよく木を愛し育て、それを努力して加工し、新……あらたなものにして活用するといふことを表すものである。こんな深い正しい意味を知らないで「あたらしがりや」など、目先の変わった、ものめづらしいということに軽々しく解するのは、とんでもないことである。本當に新しくするのには大した用意と努力を要するわけで、新人などざらにあるものではない。年の始に勉強せねばならぬことは、先以って(まずもって)自己をどう維新するかといふことである。(昭和五十一年十二月)--------------------------------------------------------------------------
2011.01.03
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竹にフシがなければ、ズンベラボーで、とりとめがなくて、風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。竹にはやはりフシがいるのである。同様に、流れる歳月にもやはりフシがいる。とりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回はフシをつくって、身辺を整理し、長い人生に耐える力を養いたい。 そういう意味では、お正月は意義深くて、おめでたくて、心もあらたまる。常日ごろ考えられないことも考えたい。無沙汰のお詫びもしてみたい。そして、新たな勇気と希望も生み出したい。すがすがしくて、さわやかで、お正月はいいものである。 松下幸之助『松下幸之助 一日一話』松下幸之助 (1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)日本の実業家。パナソニック(旧社名:松下電器産業)を一代で築き上げた日本屈指の経営者。経営の神様とも称されている。この一日一話はパナソニックのサイトでも読むことができる。ここではその日の言葉しかないが、全部が読見たい人はこちらビジネスコラムネットで・・・この言葉は元旦の言葉として載っている。飾らない言葉だから、分かり易くて、そのくせすごく深い。おめでたいし、心あらたまるのは毎年そうなんだが、意義深いかというとどうも自信がない。光陰矢のごとしといわれるようにあっという間に月日が過ぎ去っていく。だからこそ、節目節目で区切って考える事が大事になってくる。とりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回はフシをつくって、身辺を整理し、長い人生に耐える力を養いたい。ホントそうだと思う。今年はそんな力を養いたい。養おう!笑ちなみに「光陰矢のごとし」は李益(中国・唐の詩人)の詩が出典のようだ。光陰如箭 日月如梭 「遊子吟」「箭」は「矢」の同意。「梭」は「杼(ひ)」と同意で、織機に使う横糸を通すための舟形をした道具のこと。「日月如梭」は、機織のさいの「杼(ひ)」のように、時間が素早く動く(過ぎ去る)の例え。
2011.01.02
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新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。 一年の計は元旦にあり 言葉通り、一年間の目標や計画は、元旦に決めるのが良いということ。転じて、何事も最初に計画や準備をすることが大切であり、初めの計画が駄目だと物事が上手くいかないという意味の諺にもなっている。 元旦の過ごし方で一年が決まるともよくいわれる。お正月にバタバタ過ごすとその年はあわただしい年になり、ゆっくり過ごせばゆったりとした一年を過ごせる。このお正月の姿がそのままその年の過ごし方として定着してしまうというのはかなり迷信的な要素が濃いように感じられる。でも、“過ごし方”を“行動”と取るとだいぶニュアンスが変わってくる。気持ちを新たにして何かを決意しただけでは話にならない。計画を立てて安心しているだけでは絵に描いたモチに終わる。その決意を活かし、計画を全うする為に必要な行動をしていく事で現実になっていく。早起きでも、食事でも、細かいことで構わないので始めてみてはどうだろう。この新しい年がピリリと締まった年になりそうな予感が・・・・しない?!海外でもお正月は重要らしく、英語の諺にもある。New Year's Day is the key of the year. (元旦が一年の要(かなめ)である。)日本語で「成功の鍵は~」というときに使う“鍵”と同じ用法でkeyも使われているのがおもしろい。最初が肝心という点では日本と同じだが、計画というよりは行動の事のような気がする。英語はさておき、一年の計は元旦にあり に戻って・・・・出典には諸説あるようだが、馮應京による『月令広義』が有力。 一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり、一生の計は勤にあり、一家の計は身にあり 一日之計在晨 一年之計在春 一生之計在勤 一家之計在身『月令広義』歳令「四計」 馮應京『月令広義』(正字体:月令廣義)中国・明代の官僚で学者でもあった馮應京(ひょう おうきょう)が著した、中国の伝統的な年中行事・儀式・しきたりなどを解説した本。七夕の「織姫と彦星」や「花咲か爺」の原典のひとつと考えられる説話など、諺や説話の出典にもなっている。超意訳一日は朝の計画で決まり、一年は年のはじめの計画で決まる。一生の計画はまじめに勤めることで決まり、一家の将来は健康で決まる。???前の二文は常識的な訳だと思うのだが、後ろ二文は全くの個人的解釈。特に最後の文は「身の振り方(生き方)」「身を修める(修身)」としているものが多い。でもそれらは“身”を使った熟語であって“身”の訳としては無理があるように思えたので健康とした。四文とも同じ形なのに前後二文づつでかなり違う・・・・・・・?こういう時は常識を疑う主義なので(逆にいうと自分の説が好き、自分に甘い。笑)「一日之計」が朝の計とはならないでしょ。一日の計画は朝で決まり、一年の計画は年のはじめで決まる。一生の計画はまじめに勤めることで決まり、一家の将来は健康で決まる。すっきりまとまった。・・・どこが違うか分かりづらい?「一日」と「朝の計画」 → 「一日の計画」と「朝」こうすると全四文が同じ構図になる。一日の計画(の成否)は朝(の行動)で決まり、一年の計画(の成否)は年のはじめ(の行動)で決まる。一生の計画(の成否)はまじめに勤めることで決まり、一家の将来(の繁栄没落)は(家人の)健康で決まる。( )を補足する方がわかりやすい。前段で行動が大事といいつつこれでは、無理やり「我田引水」したみたいだが、意図したわけではなく、自然にこういう結論に到達してしまったもの。(なんで言い訳してるのか・・・笑)他にも同種の言葉はたくさんある。『梁元帝纂要』一年之計在于春一日之計在于晨一年の計は春にあり、一日の計は晨(あした)にあり 『梁元帝纂要』中国(梁代)の史書。梁の元帝統治(在位552~554年)中のできごとの、要点を抜き出した書。『古今賢文』一年之計在于春一日之計在于寅一家之計在于和一生之計在于勤一年のはかりごとは春にあり一日のはかりごとは朝にあり一家のはかりごとは和にあり一生のはかりごとは勤勉さにある。 『古今賢文』この書物は中国・明朝の万暦時代(1574-1619)に原型が成立し、その後多くの人々により修正を加えられ、今日のような347大句の形になったと言われている。別名『昔時賢文』『増広賢文』と呼ばれ,古今の有名な諺などの文句347大句を収録している。中国のことばと文化・社会立命館産業社会論集(第40巻第4号) 日本では・・・『風流志道軒伝』(江戸中期)(巻二)平賀源内一日の計(はかりごと)は朝にあり、一年の計は元日にあり 『風流志道軒伝』風来山人(平賀源内)の談義本。5巻。1763年刊。当時実在した談義僧(講釈師)深井志道軒を主人公に仕立て,日本全国・大人国・小人国・女護島などを遍歴するという筋で、滑稽を交えて風俗・人心を風刺する。『譬喩尽』一年の計(はかりごと)は正月にあり、一月(いちげつ)の謀は朔日(ついたち)にあり 『譬喩尽』(たとえづくし) ことわざ集。八巻。松葉軒東井編。1787年成立。ことわざのほか、和歌・俳句・流行語・方言なども収める。『三計塾記』(江戸後期)安井息軒一日の計は朝に在り、一年の計は春に在り、一生の計は少壮の時に在り。 三計塾とは安井息軒の開いていた塾の名で、その由来となったのがこの三計の教え。この塾の門下生は陸奥宗光はじめ幕末・明治に活躍した者が名を連ねている。他にもこんなのを聞いた記憶が・・・一日の計は朝にあり 一年の計は元旦にあり 十年の計は樹を植えるにあり 百年の計は子を教えるにあり 作者不詳 みなさんは、今日、元旦にどんな計(はかりごと)をされますか?!はじめが肝心!お酒を呑みながらゆっくり思索を練ってみるのも、いい正月の過ごし方!
2011.01.01
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『修身二十則』 一, 嘘を言うべからず 一, 君の御恩忘れるべからず 一, 父母の御恩忘れるべからず 一, 師の御恩忘れるべからず 一, 人の御恩忘れるべからず 一, 神仏ならびに長者を粗末にすべからず 一, 幼者を侮るべからず 一, 己に心よからず事 他人に求めるべからず 一, 腹をたつるは道にあらず 一, 何事も不幸を喜ぶべからず 一, 力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし 一, 他を顧して自分の善ばかりするべからず 一, 食する度に農業の艱難をおもうべし 草木土石にても粗末にすべからず 一, 殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろう ものは心濁りあるものと心得べし 一, 礼儀をみだるべからず 一, 何時何人に接するも客人に接するよう 心得べし 一, 己の知らざることは何人にてもならうべし 一, 名利のため学問技芸すべからず 一, 人にはすべて能不能あり、 いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず 一, 己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし 山岡鉄舟 鉄舟言行録21ページ目 山岡 鉄舟日本の武士(幕臣)、政治家、思想家。爵位は子爵。剣・禅・書の達人としても知られる。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。単身で官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、西郷と面会。勝海舟と西郷隆盛の会談を実現させた江戸無血開城の立役者。(最初、海舟は高橋泥舟を使者にしようとしたが、彼は慶喜警護から離れることができなかった。 そこで泥舟の推薦により、彼の義弟である鉄舟に白羽の矢が立ったようだ。)その行動力は、西郷をして金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられないと賞賛させたという。 報恩・感謝・謙虚・陰徳等などの徳目を具体的な行動基準として20項目にまとめている。どれも素晴らしい事を言っているのだが、個人的にはこれが特にお気に入り。一, 人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず 人はどうしても他人の欠点を見てしまいがちだが、欠点があるのは当たり前で、全ての人にできること、できないこと(長所短所)があるという。その欠点のためにその人を切り捨てたり、馬鹿にしてはいけない!本当にそのとおりだと思う。一, 人の御恩忘れるべからず 一, 神仏ならびに長者を粗末にすべからず 君主、父母、師ときて、その他の人すべてに対し、恩を忘れるな!といい、神仏、年長者を敬えという。これは誰でもいう当然のことだろうが、(当然のことでもなかなか実践できないので教訓となるのだが・・・)同時に若い者をなめるなという。一, 幼者を侮るべからず これはなかなかできない事なんじゃないか。新人だからといって、的外れの事ばかり言うとは限らない。子供だからといって適当にごまかしているつもりでも、バレバレだったりする。侮るべからず! この2つ以外にも人間関係を円滑にする項目が多いように感じる。山岡鉄舟という人は、“人間”が好きだったんじゃないだろうか。論語で孔子が言っていたことが頭をよぎる教訓も多い。日本人が長い間教科書としてきた儒教。当時の日本人には自然と体に染み込んでいる考え方だったのだろうと改めて気づく。でも、常に頭に叩き込んで“座右の銘”として教訓にするには20項目は多い!私自身考えるともう少し減らさないと覚えきれない~。気に入った項目だけでもいいかな?!笑一, 力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし 力が及ぶ限り、最後まで諦めず、善くなるように努力しあがくべきだ!もう後一日で2010年が終わる。今年はブログ再開してから、たくさんの方にご訪問頂いた。感謝、感謝。みなさま、ありがとうございました!来年も宜しくお願い致します!来年は何事にも力の及ぶ限り尽くそうぞ!
2010.12.30
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一日一日を、たっぷり生きていくより他は無い。明日のことを思い煩ふな。明日は明日みずから思ひ煩はん。今日一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。舟を浮かべたいくらい綺麗だ。山茶花の花びらは、桜貝、音立てて散っている。こんなに綺麗な花びらだつたかと、ことしはじめて驚いている。何もかも、なつかしいのだ。煙草一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。まさか、本当には泣かない。思わず微笑しているという程の意味である。(中略)ああ、このごろ私は毎日、新郎(はなむこ)の心で生きている。 太宰治 『新郎』 太宰 治(1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)本名:津島修治。昭和を代表する日本の小説家。 1935年(昭和10年)に「逆行」が第1回芥川賞候補となる。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』など。諧謔的、破滅的な作風で、無頼派とも称された。大学時代より自殺未遂、心中未遂を繰り返し、1948年玉川上水にて山崎富栄と共に、入水自殺を完遂した。昨年2009年が生誕100周年で盛り上がっていたようだが、悲観的・破滅的な作風の所為か、 自殺したことの所為か分からないが、根暗なイメージが拭えずにいた。ところが、この『新郎』では一日一日を大切に、愛しんでいるのがわかる。とても優しい目で、なんでもない日常を楽しみ、感謝しつつ暮らしている。全文はこちらで青空文庫 「昭和十六年十二月八日之を記せり。この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。」と記している。(初出「新潮」1942(昭和17)年1月号。)時代が戦争に向かう暗い世相であったからこそ、明るくいたいという事なのか。戦争=死というイメージから生がきらめいて感じられたのか。なんにせよ、目に映るすべてが美しく感じられる心境。素晴らしいと思う。ああ、このごろ私は毎日、新郎(はなむこ)の心で生きている。私たちも毎日新郎・新婦のような気持ちで生きていきたいものだ!この幸せに満ちた文章を書いた6年半後に自殺してしまった。何があったのだろう・・・・・涙一日一日を、たっぷり生きていくより他は無い。明日のことを思い煩ふな。明日は明日みずから思ひ煩はん。未だ来てもいない明日の事を心配して、今日という日を無駄にしてしまうことなく、今日を大事にする。抜き出しても名言になる。今日一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。 大袈裟なものでなく、こんな生き方宣言も素晴らしい! ろまん燈籠改版
2010.12.26
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得たきものはしゐて得るがよし。見たきものはつとめて見るがよし。又かさねて見べく得べきおりもこそと、等閑に過すべからず。かさねてほゐとぐる事はきはめてかたきものなり。 与謝 蕪村『新花摘』超意訳欲しいものはあえて手に入れなさい。見たいものはできるだけ努力をして見ればいい。又、もう一度見たい欲しいというときにこそ、なおざりにしてはいけない。再び望みを遂げることは大変難しいことだ。※しゐ(い)て ・・・(強いて)困難・抵抗・反対などを押し切って物事を行うさま。 あえて。むりに。むりやり。 等閑(とうかん)・・・物事を軽くみて、いいかげんに扱うこと。ほゐ(い) ・・・(本意)本来の望み。本当の考え与謝 蕪村(1716年 - 1784年)江戸時代中期の日本の俳人、画家。「蕪村」は号で、中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠であり、江戸俳諧中興の祖といわれる。(この3人を三大俳聖と称することもあるようだ。)また、俳画の創始者でもある。写実的で絵画的な発句を得意とした。古典趣味、浪漫主義、唯美主義と評され、芭蕉の雅、蕪村の俗とも対照される。『坂の上の雲』にも登場する、明治の俳人・正岡子規らの近代俳句運動にも影響を与えた。今日は蕪村忌(春星忌、夜半亭忌)、つまり与謝蕪村の命日。救世主(キリスト)が生まれただけでなく、同じ日に亡くなった人も当然のこといるわけだ。もっとも、陰暦の12月25日(天明3年)なので、西暦では1月17日(1784年)になる。でも、亡くなったご本人にしてみたら、陰暦だとかは関係なく、師走も押し迫ったころに亡くなった訳だから、今日を忌日として間違いないだろう。松尾芭蕉と比較される事も多く、両者を比較しているサイト(蕪村 芭蕉)では『一般論として、テクニックは抜群であるが中身の単調さを指摘されるのが蕪村で、うたっていることはひどくシンプルのくせにその句には無限の奥行きを感じることができると言われるのが芭蕉である。』との比較がされている。(芭蕉の方が上といっているような・・・)この方が芭蕉贔屓なのか、そういった意見が大半なのかは分からない。閑さや 岩にしみ入 蝉の声 松尾芭蕉有名なこの句をみると、ど素人ながら「シンプルで無限の奥行き・・・」になるほどと思う。さみだれや 大河を前に 家二軒(『蕪村句集』) 与謝蕪村単調・・・?画家でもあるだけに絵画的な広がりがあっていいじゃないかと思うのだが。俳句の事を何も分かっていないのに小生意気にこんな話をしても仕方ない。上も下もない、どっちもスゴイということにして・・・さて、冒頭の『新花摘』(しんはなつみ)の言葉。ストイックに俳諧に生涯をかけた芭蕉に対し、“俗”といわれる蕪村。まさに蕪村らしい言葉。私は“俗”っぽい蕪村が好きだ。否定されがちな欲望を積極的に肯定している。我慢せずに敢えて、無理にでもという“しゐて”(強いて)が入っているのがイイ!自分が欲しいものは我慢せずに敢えて手に入れろ!見たいのなら、努力してでも見ればいい!もう一回見たい、欲しいと思ったら、経験済みだからと軽く考えるのではなく一生懸命求めろ!一回望みをかなえるのも大変なのに、また叶えるとなるともっと難しいゾ!さらにくだけるとこんな感じか?!意味も違うが何故か求めよ、さらば與へられん。(マタイ傳)を思い出す。得たきものはしゐて得るがよし。見たきものはつとめて見るがよし。新しい年は何が欲しいか、何を見たいか、考えるのも楽しそう!妹(いも)が垣根 三味線草(さみせんぐさ)の 花咲きぬ 祇園で若い芸妓を見初めたものの、金がなく座敷には行けず、垣根越しに覗いている。蕪村が64歳の時だそうだからビックリだ。この句の所為か、今日の言葉と女性が結びついてしまうが、女性に対して“しゐて”はダメよ。春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな(『蕪村自筆句帳』)辞世の句白梅(しらうめ)に 明くる夜(よ)ばかりと なりにけり 蕪村忌に 呉春が画きし 蕪かな 正岡子規蕪村忌や 画中酔歩の 李太白 水原秋桜子 合掌
2010.12.25
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元気だしてゆこう 作詞:河島英五元気だしてゆこう 声掛け合ってゆこうサムライでゆこう 日本男児でゆこう世の中の人は何とでも何とでも言うが良い我がする事は我が想いは 我のみぞ知る武士は喰わねど高楊枝 心は五月晴れこせこせするな くよくよするな青空に鯉のぼり 元気だしてゆこう 声掛け合ってゆこうサムライでゆこう 日本男児でゆこう志が少年を一人前の男にする志を持ち続ける事で 男は少年に帰る忍ぶ恋路に花が咲く 頑張ってゆこうめそめそするな うじうじするな夜空に「玉屋!」元気だしてゆこう 声掛け合ってゆこうサムライでゆこう 日本男児でゆこう繰り返し河島英五日本のシンガーソングライター、フォークシンガー、俳優。硬派で、男の心情を素朴に歌い上げた。2001年4月16日、肝臓疾患で死去。享年48歳。『酒と泪と男と女』『てんびんばかり』『野風増~お前が20才になったら』『時代おくれ』等などこの『元気だしてゆこう』は1998年、NHK時代劇『物書同心いねむり紋蔵』の主題歌。またシドニー五輪のサッカー日本代表のサポーターソングにもなっていた。固めの題材が続いたので今回はフォークソング。早いもので河島英五さんが亡くなってもうすぐ10年が経つ。非常に男くさく、心に染み入る歌ばかり。私はカラオケが大の苦手でダメなのだが、歌えるものなら河島さんの歌がイイ。オヤジの定番。笑元気だしてゆこう 声掛け合ってゆこうサムライでゆこう 日本男児でゆこう今の日本の状況が見えていたような歌詞。元気出して行こう!次の声を掛け合ってゆこうというのが河島さんらしい。その通り!みんなが大変な状況なのかもしれない今日この頃。自分の事だけで精一杯なのも頷けるご時世だからこそ、お互いに気遣いあって、声を掛け合って行かねばならない。そしてサムライでゆこう 日本男児でゆこうそう!私たちはサムライ!日本男児!(アーンド 大和撫子!)江戸末期のサムライ達はブロードウェイで高貴な民族だと讃えられていたのだから・・下向いてばかりいないで、誇りを持って、上を見上げてゆこう!!た~ま屋~!!坂本龍馬の事が好きだったそうなので、龍馬のオリジナルの方も・・・世の人は、われをなにともゆわばいえ、わがなすことはわれのみぞ知る 坂本龍馬『詠草集』
2010.12.23
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さてこのことを常に君の足の鉛として、 見当のつかぬ事柄については早急に是非を論ぜず、 疲れた人のように歩みを遅らせるがいいだろう。良し悪しをいうにせよ是非を論ずるにせよ 細かい判断もなしに肯定否定を行う者は 愚か者の中でも下の下たる者だ。だからはやまった意見はとかく 狂った方角へ曲がりこむ。 その上、情が知にからむ。真理を漁ってそれを取る技を心得ぬ者は、 来た時と同様手ぶらで帰るわけにはゆかぬというので むやみと岸を離れたがるが、それが危険なのだ。 (中略)まだ穂が実りもしないうちに畠に出て 穂の数を勘定するような、あまりに安んじて、 判断を下す人間にはならないでくれ。 (後略) トマス・アクイナス 『神曲』天国篇第十三歌 ダンテ・アリギエーリ 平川祐弘訳トマス・アクイナス(Thomas Aquinas, 1225年頃 - 1274年)中世イタリアの神学者・哲学者。ドミニコ会士。『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者。上記の表記はラテン語で、イタリア語ではトンマーゾ・ダクイーノ (Tommaso d'Aquino)。ダンテの神学論、天国観はトマスに連なっていて、尊敬する師から教えを受けている形をとった。(この実在の人物をダンテが『神曲』という物語の中に登場させた。 上記の言葉は登場人物として、ダンテが言わせた言葉。念のため)昔、教科書ではアキナスだったと思ったんだけど・・・昨日に引続き『神曲』。状況としては、トマス・アクイナスの言葉をダンテが思い違いをし、不審がった。それはどういうことかの説明があり、君の考えと私の言葉とは調和するはずだ。 という言葉に続いて、人間が是非の判断を下す際にあらかじめ取るべき慎重な態度について注意したもの。冬に棘ばかりの枝に咲いたバラや順調な船足で航海を終え港に着く寸前で沈没した船など、詩的な(全部が詩なので変な表現になるが・・・)美しい例えが続く。まだ穂が実りもしないうちに畠に出て 穂の数を勘定するような、あまりに安んじて、 判断を下す人間にはならないでくれ。 さすがに穂が実る前に勘定しようという人はいないだろうが、うまい表現。日本語でいうと「取らぬ狸の皮算用」と同じ。真理を漁ってそれを取る技を心得ぬ者は、 来た時と同様手ぶらで帰るわけにはゆかぬというので むやみと岸を離れたがるが、それが危険なのだ。これも漁(あさ)ってという言葉での漁師の連想と岸を離れるという表現で関連性を持たせてる。手ぶらで帰る・・・とは肯定否定の判断を決めないわけには行かないということ。判断を下す事に一生懸命になりすぎて結論を急ぎすぎることは危険だという。“詩”なので教訓としてはまだるっこしい感じがするが、風情があっていいしょ。細かい判断なしに肯定否定してしまうのは愚者の中でも下の下だという。あまりに安んじて、判断を下す人間にはならないでくれ。肯定否定、是非を決める際には慎重に考え、軽々しく判断してはいけない。気をつけよう! “カロンとアケロンの川”(地獄篇第三歌)ギュスターヴ・ドレ “ミノス”(地獄篇第五歌)ギュスターヴ・ドレ“ステュクスの沼-船頭プレギュアス”(地獄篇第八歌)ギュスターヴ・ドレ「地獄の見取り図」ボッティチェッリ
2010.12.19
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さあ、おまえは怠惰を捨てねばならぬ。 羽根布団の上に坐り、 錦の掛布団の下に寝て、 名声の得られたためしはない。名もあげずに生涯を終える者が、 地上に残す己の形見は、 いわば空の煙、水の上の泡だ。さあ立て、もしおまえの魂が肉体の重みに耐えるなら、 あらゆる戦闘に打ち克てるはずだ、 その魂の力で呼吸困難に打ち克て。鬼から逃れたというだけでは事は足りぬ。 もっと長い〔煉獄の〕坂を攀じ登らねばならぬ。 私のいう事がわかったら、おまえのためだ、頑張れ ウェルギリウス 『神曲』地獄篇第二十四歌 ダンテ・アリギエーリ 平川祐弘訳 『神曲』(La Divina Commedia:神聖喜劇)13 - 14世紀イタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作。「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の3部から成る、韻文による長編叙事詩。「三位一体」についての神学を文学的に表現していて、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史にも重きをなしている。あらすじ暗い森の中に迷い込んだダンテは(正道を失い自堕落な生活に落ちた事の寓意?)、そこで出会った古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄・煉獄・天国と彼岸の国を遍歴して回る。※ウェルギリウスは叙事詩『アエネイス』で既にあの世を旅する情景を描いている。 あの世を描く事についてもダンテの先輩。この物語のタイトルは直訳すると『神聖喜劇』だが、森鴎外がアンデルセン『即興詩人』を翻訳した中で用いた『神曲』が一般化している。天国に無事たどり着く事が、おめでたいお話しだということでダンテ自身は単に『Commedia』「コンメーディア:喜劇」とつけたようだが、この森鴎外の訳は秀逸。原題よりはるかにいい!映画『ランボー』も当初の原題は最高の兵士を意味する「First Blood」だったものが、邦題が本国アメリカでも受け入れられ、以降シリーズの題名は“RAMBO”に変更されていた。日本人の考えるタイトルってスゴイ!(タイトルではないが、福澤諭吉が英語を翻訳して作った訳語も素晴らしかった。)・・・でもビジネス書の邦題は持ち歩くのが恥ずかしいくらいのが沢山あるからな・・・笑脱線だっせん・・・汗この言葉の状況は地獄を旅し、汚職収賄の罪人が落とされている第八の圏谷(たに)第五の濠に付いた2人は、鬼(悪魔)を道案内とする。(第二十一歌)途中で鬼が仲間割れし、二匹が死んでしまう。途方に暮れる鬼達を残し立ち去る。(第二十二歌)怒り狂った鬼どもの追撃をどうにか振り切り第六の濠(偽善者達の地獄)に進む。各地獄で罪人と話をして歩くのだが、ここで鬼の道案内が嘘だった事が分かる。(第二十三歌)改めて聞いた正しい道は断崖で、岩角から岩角までやっとの思いで攀じ登り、頂上に着いたところでヘタリ込んだダンテにウェルギリウスが言った言葉。鬼から逃れたというだけでは事は足りぬ。とはこの鬼達の追撃をかわした事。 名もあげずに生涯を終える者が、 地上に残す己の形見は、 いわば空の煙、水の上の泡だ。厳しい!「空の煙」に「水の泡」、二重に儚い。故郷フィレンツェを追放されたダンテにとって「名をあげる」ことが悲願だったのだろう。このように名声を追い求める姿もそうなのだが、私の印象は、『神曲』を読む限り、ダンテという人は、非常に高慢ちきで、自己中心的なイヤなやつにみえる。(本人も自覚しているらしく、高慢の罪を清めている煉獄でここに自分も来ることになると 恐れている。)政敵は地獄行き、追放中のダンテに友好的だった恩のある人は天国。それはフィレンツェの党派争いの敵ばかりではなく教皇であっても容赦ない。ドンドン地獄に落とされる。天国にようやく辿り着いてからでさえその糾弾は止まないのだから恐れ入る。また地獄で悪魔の巣窟となっている城は円屋根のイスラム教寺院。イスラム教のマホメットなど地獄で滅多切りにされている。翻訳者の平川祐弘氏も解説で、「世界最高峰の文学とすることが賢明なのだろうか。」と疑問を呈する程の暴れ様。笑西洋=世界。キリストが唯一絶対の神。という前提条件で書かれているので仕方ない、といえばそうなんだろうが・・・。(とすると、キリスト以前のギリシャ・ローマの神々は邪教の神のはずだが、 ダンテは所々で、この異教の神々を讃えている。これも摩訶不思議。笑) いや、でもやっぱり面白かった。1回読んだだけなのでよく理解できていないが、何回も読めばより面白そう。ゴシック建築と呼ばれるだけあって、精緻に組み立てられている。韻や“3”という聖数に関わる構築だけでなく、伏線が到る所にあり、読込むほど味が出てくるんだろうなということは分かる。神曲〔完全版〕を読んだのだが、ギュスターヴ・ドレの版画も雰囲気がありとてもよかった。さあ、おまえは怠惰を捨てねばならぬ。 羽根布団の上に坐り、 錦の掛布団の下に寝て、 名声の得られたためしはない。 楽して、贅沢していて成功した奴はいない!精一杯頑張りましょう!他にもウェルギリウスの教訓があるが、時間についてのモノが多い。(先の言葉も下記のものも実際の言葉ではなく、神曲の中で ダンテがウェルギリウスをして語らせた言葉。一応念の為・・・)時はその値を知れば知るほど潰すのが辛い煉獄篇第三歌いいか、今日という日はもう二度とないのだぞ!煉獄篇第十二歌さあ行こう。私たちに与えられた時間をもっと有効に振り分けて使わねばならぬ煉獄篇第二十三歌“ベルトラン・ド・ボルン”(地獄篇第二十八歌)ギュスターヴ・ドレ“ジュデッカ - ルシフェル”(地獄篇第三十三歌)ギュスターヴ・ドレ“鷲”(煉獄篇第九歌)ギュスターヴ・ドレ
2010.12.18
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慮らずんば胡ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん 弗盧胡獲、弗為胡成書経(太甲下篇)書経(しょきょう)尚書(しょうしょ)ともいう。政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集。儒教の重要な経典として四書五経があるが、その五経のひとつに挙げられている。読み「慮(おもんばか)らずんば胡(なん)ぞ獲(え)ん、為(な)さずんば胡ぞ成らん」殷(いん)王朝を支えた伊尹(いいん)という名補佐役が、殷4代目の帝である太甲(たいこう)を戒めた言葉。超意訳思慮深くなければ、どうして成果をあげることができるだろうか、いや、何ごとも成果をあげることはできない。断固として実行しなければ、どうして目的を達成するることができようか、できるはずはない。考えも無しに猪突猛進しているだけでは、大きな成果は期待できない。反対に、考えてばかりで愚図愚図行動しなければ結果が出るわけがない。思考と行動。熟慮と断行を両立させなければ成果を挙げることはできない。当たり前すぎることなのだが、ついついどちらかに偏ってしまいがち。どちらかといえば、私は拙速をとる。動かなければ始まらない。考え抜いて万全の策を練れたとしても、機を逸すれば無駄になる。行動しながら考えるくらいが私には合っている。だがしかし、両方備えれば言う事なし!後半部分は上杉鷹山の言葉を思い出させる。
2010.12.16
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自分がどうなりたいか、まず自分自身に問え。 しかる後、しなければならないことをせよ。 エピクテトス エピクテトス(Επ?κτητο?, 55年 - 138年)古代ギリシアのストア派の哲学者。奴隷階級出身。奴隷からは開放されるがその後追放。亡命先で哲学の学校を開く。この学校は皇帝ハドリアヌスも訪問するほど有名になる。※ストア派・・・厳格な禁欲主義を説き、ストイックの語源となる。感情からの解放(理性主義)。あらゆる感情から解放された状態を魂の安定とし、最善の状態として希求する。当然、死に際しての恐怖や不安も克服の対象と考える。その理想としてよくソクラテスの最期が挙げられる。怒らず、悲しまず、ただ当然のこととして現実を受け入れ行動することを理想とする。以前登場してもらった、哲人皇帝マルクス・アウレリウスも暴君ネロの幼少期の家庭教師として有名なセネカもこの学派。(セネカは後に暴君化したネロの暗殺計画に加担した為自害) 感情から開放された状態を目指す考え方は、奴隷として生きたエピクテトスにとっては、ピッタリと符合するものだったのだろう。こんなエピソードが残されている。--------------------------------------------------------エピクテトスの足が不具になった故事として次のような記述もある。ある日、主人がエピクテトスを虐待して脛をねじったので、エピクテトスは物柔らかに「そのようにしては私の脛は折れてしまいましょう」と言ったところ、主人は聴くことなくして更にねじったので遂に折れてしまった。これにエピクテトスは従容として「だから私は脛が折れると言ったではないですか」と述べたという。--------------------------------------------------------「許してください!」と言えばなんて事のないことだっただろうが、こんな事を涼しい顔で言われたら折る気などなかったものでもカッとなる。笑もっとも、奴隷だった彼に哲学を習わせた主人がこんなことするのか?哲学者ではない奴隷の時代のエピクテトスがこんな態度で入られたのか?と疑問が残る。おそらく彼の考え方を紹介する為、寓意的な意図で創作したお話しだろう。エピクテトスの考え方、私は基本的には好き。何年か前に大ヒットし、私の大好きな本でもある、『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー)の大部分が彼の思考に負っているのではないかと思わせる。ただ、先程基本的にと言ったのは、あまりに禁欲的な所が気に掛かる。例えばこの部分。自然の意志というものは、私たちが区別をしない物事から学ぶことができる。 この教えの例として、お気に入りのカップが壊れた時のことを、隣人の事として聞いた場合は平静に受取る事ができるのだから、自分の事となった場合でもそうあるべきだ。という。まぁ、その通りでしょう。うんうん。この考え方をより重要なものに応用しなさい。誰かの子どもや奥さんが亡くなった場合だって、人は必ず死ぬという事は分かっている。「人の命とはそういうものだ」と言えない人はいないだろう。それなのに、自分自身の子どもや奥さんを亡くしたなら、嘆き苦しむ。しかし私たちは、このような出来事に対して、同じ事が他人に起こった時とまったく同じ気持ちでいなければいけない、ということを忘れてはいけない。 えぇ~~!言いたい事は分かるけど・・・・・感情のないロボットじゃないんだからさ。そうはいかんでしょ!悲しみを克服するために役立つならこういう考え方もありなのかな、とも思うが、特に悲嘆に暮れているわけではない、平常な心ではこの説は違うような気がしてならない。みなさんはどうでしょう??より詳しく知りたい方は『The Enchiridion』を邦訳しているサイトを見つけたのでそちらで読んでみて下さいませ。 エピクテトス 『生きる手引き』 (The Enchiridion by Epictetus)そんなちょっと付いていけない部分は若干あるが、大いに勉強させられる人。冒頭の言葉は肝に銘じたい!自分がどうなりたいか、まず自分自身に問え。 しかる後、しなければならないことをせよ。このブログの趣旨として考えていたところとドンピシャ!改めて正面から問われてズドンと来る。この問いと行動が合わさって初めて成果となる。行動する事が大事!エピクテトスによる他の言葉もどうぞ自分に欠けているものを嘆くのではなく、自分の手元にあるもので大いに楽しむ者こそ賢者である。 きみが第一になすべきなのは、人生の途上において出会う物事について、それがきみの「権内」にあるのか、それとも「権外」にあるのかを吟味することだ。そして、きみはきみの「権内」にある物事のみを相手にするがよい。「権外」のことをいちいち思いわずらうのは詮ないことだ。 これなんか、本当に『7つの習慣』の肝の部分。
2010.12.12
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私に欠けているのは、私は何をなすべきか、ということについて私自身に決心がつかないでいることなのだ。(略)私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見することが必要なのだ。「ギーレライエの手記」セーレン・キルケゴール セーレン・オービエ・キェルケゴール(S?ren Aabye Kierkegaard)デンマークの哲学者。実存主義の創始者。ヘーゲル哲学やデンマーク教会を痛烈に批判した。「世界中で最も多量のインクを使った人」といわれている。『実存への3段階』が有名。代表作『あれか、これか』『反復』『死に至る病』等。(1813年 - 1855年)冒頭の言葉の後にこう続ける。いわゆる客観的真理などをさがし出してみたところで、それが私に何の役に立つだろう。哲学者たちのうちたてた諸体系をあれこれと研究し、求められればそれについて評論を書き、それぞれの体系内に見られる不整合な点を指摘しえたにしたところで、何の役に立とう確かに、哲学の学派・体系などどうでもいいし、客観的真理より自己にとっての真理がすべてだ。人間の真の生き方に到達する道を、3段階に分けて考えている。それが『実存への3段階』(1.「美的段階」→ 2.「倫理的段階」→ 3.「宗教的段階」)-------------------------------------------------------------------1.「美的段階」欲望のままに快楽を追う生き方。快楽が人生の目的。全ての人間は退屈であり、気を紛らすのは人間の宿命だとする。しかし、すべての欲が満たされるはずはなく、やがて絶望する。人は快楽では真の幸福は得られない。2.「倫理的段階」欲を抑え、道徳的に生きる生き方。人生の意義は責任と義務を負って生きることにあるとする。(1.)の審美的人生は、所詮退屈しのぎで、そこに待っているものは虚無でしかない、一方(2.)の倫理的人生は現実に足をつけたものである。しかし、真剣に善く生きようとすればするほど、良心の働きが鋭くなって、自分の悪が見えてくる。その結果、罪悪感が深まり、またもや絶望する。3.「宗教的段階」人間を超越した絶対者の力によってしか幸福にはなれない。不完全で、有限な人間の内側を探しても、絶対者は存在しない。 だから、信仰の決定的飛躍によってのみ絶望からの救済は得られると確信する。-------------------------------------------------------------------三段論法的でわかりやすい。代表作で挙げた『死に至る病』の正体がこの“絶望”のこと。無宗教で楽観主義の私自身としては、(2.)の段階で充分だのだが・・・・それこそ人間が完全ではなく無限でもないことをそのまま受け入れてしまえばいい。自分が完全な善ではないからといって絶望することはない。純粋というか真面目過ぎ!と思うのだがどうでしょう?でもこれが彼自身のみつけたイデー(理念)だったんでしょうね。キルケゴールは客観的な真理というものを否定していた。ということは、この『実存への3段階』だって誰にとっても正しい真理だとは思っていなかったはず。あなたにとって真理であるような真理を発見し、あなたがそれのために生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見することが必要なのだ。ということでしょう!真理とか理念というと大袈裟に聞こえるかも知れないが、理想とする人生や生き方、こうなりたいという人間像を発見するだけでも素晴らしい!
2010.12.11
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われら若き時より身の掟ともなして心を用いし一時は飽くまで他の模倣をせずして一機軸を出さんという事なり、人には其人相応に長所というものある事ゆえ、他の模倣をするは大きな損なり、他によき所あらばこれをとりて己の長所に加え自分のものとなすことに心掛くべし、それに尤も必要なるは品行を慎む事なり、己の身の行い立たずして立派なる役勤まるものに非ず。 九代目 市川 團十郎 『團州百話』松居松翁著九代目 市川 團十郎(新字体:団十郎)幕末・明治時代の歌舞伎役者。江戸生。屋号は成田屋。写実的な演出や史実に則した時代考証などで歌舞伎の近代化を図る一方、伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して今日にまで伝わる多くの形を決定、歌舞伎を下世話な町人の娯楽から日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めることに尽力した。それまで河原乞食と蔑まれてきた役者たちの地位の著しい向上に貢献。その数多い功績から「劇聖」と謳われた。あらゆる役をこなしたが時代物を得意とし、自ら創始した活歴劇・腹芸はいまなお手本とされ、不世出の天才と称された。また歌舞伎の世界で単に「九代目」(くだいめ)というと、通常はこの九代目 市川團十郎のことをさす。俳号に紫扇・團州・壽海・三升、雅号には夜雨庵。本名は堀越 秀(ほりこし ひでし)。今話題の市川海老蔵のお父さんが十二代目市川團十郎。養子が入っているので血の繋がりはないが成田屋・市川團十郎家のご先祖さま。家系図 團州百話坪内逍遥の門弟で劇作家、演出家の松居松翁著。九代目没後に纏められた芸談集、巻末に略伝・年譜つき今週は市川海老蔵さんが事件(飲食店で殴られ、重傷を負った)後初の会見という事で大騒ぎだったようだ。唯の喧嘩に随分大袈裟なように思うのは私だけ?「そんなのどうでもいいよ!」と馬鹿らしくさえ感じる。(松竹さんにしてみれば大問題でしょうが・・・)と言いつつも自然と耳に入るニュースによると加害者に近い人達、いわゆる関係者の話は海老蔵さんのとは全く違うらしい。海老蔵さんの話も不自然だが、“関係者”の話というのはどうも怪しい。本人がとっとと出て来りゃいいのに。どうして出て来れない、来ないのか??関係者の話の通り、先に海老蔵さんの方がご無体な態度を取ってたという事なら、族の頭だった人が、何であのお坊ちゃんの為すがままで我慢するの??あの坊ちゃん、マル暴のお友達でもいてその名前だして調子こいてたんじゃないのかな・・・伝統芸能と御高く留まろうと大相撲と一緒で、ご贔屓筋にその筋がいても何の不思議もない。繋がっているとしたら、それ相当の大御所だろう。それで我慢してたけど、堪忍袋がきれてボコボコ。でもやっぱり怖いから出て来れない?それとも、示談金欲しくて、裏で交渉中????どうでもいいと言いながら、野次馬根性で想像してしまう。いい年こいてくるとこういう邪推で見てしまう自分がいる。笑でも素直に海老蔵さんの話を信じるより、こんな想像の方が自然で、話が通る気がする。ま、この想像が万が一当たっていたとしたら、加害者が出てきて逮捕されたって、事実を明らかにする訳はないのだから、第3者が本当のことを知ることは絶対にできないでしょうけど・・・どちらにしても、海老蔵さんには周囲が期待する才もおありのようだし、勿体無い。偉大なご先祖さまの言葉を噛締めて品行を慎しんで欲しいものだ。(ご本人も驕りが原因と言っていたようだが・・・)それに尤も必要なるは品行を慎む事なり、己の身の行い立たずして立派なる役勤まるものに非ず。我々も、「対岸の火事」とせずに「他山の石」として品行を慎み、己の身の行い立たせるように注意していきましょう!※「他山の石」『詩経』「他山之石 可以攻玉」他の山にあるどんなつまらない石でも、自分の宝石を磨くのには役に立つ。つまり、他人のどんな悪い行いや言葉でも、自分を向上させるのに役に立つ。「他人の振り見て我が振り直せ」人には其人相応に長所というものある事ゆえ、他の模倣をするは大きな損なり、他によき所あらばこれをとりて己の長所に加え自分のものとなすことに心掛くべし これもいい言葉だ。模倣ではなく一機軸出す!長所を伸ばせ!われら若き時より身の掟ともなして心を用いし一時は・・・ 若い時から模倣ではなく一機軸をだすという掟を定め、そのためには品行を慎むことが最も大事とは、九代目はやはり只者ではない!--------------------------------------------------------------------------追記“26歳の男”伊藤リオン容疑者逮捕されたみたい。どうなることやら・・・・-------------------------------------------------------------------------- 筑摩書房・長田秀雄/松居松翁他現代日本文學全集92 現代戯曲集【中古】afb
2010.12.10
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2010-12-05 23:08:29ご訪問者60000人達成! 60000人目はアルプちゃん2さんでした! アルプちゃん2さん、ありがとうございます!!40000の時は散々でしたが、今回はちゃんとした方で、ホント良かった~♪2004/06/16に開設したようなので、6年半で60000だから・・・・ようやく達成という事ですね。随分ゆっくりだったんだ。汗ずっと非凡塾(あ、以前主催していた異業種交流会です)の開催告知がほとんどで月に1回の更新だったから仕方ない。そして2年超の休眠。2010/4/1の休眠明けが34800人さまだったことを考えると、半年で倍増!ちゃんと更新さえすれば見てくれる人もいるのね♪その前の6年はなんだったんだ??(;^_^A アセアセ・・・いや、本当にご訪問してくれる皆さま、ありがとうございます!!今後とも、ご贔屓に!ヨロシクお願い致します~!kenkenppa こと 藤川賢治
2010.12.05
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心訓七則一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。 一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。 一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。 一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。 一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。 一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。 一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。 作者不詳昨日(水五訓)に引続き作者不詳の訓示。偽書シリーズ!一般には福沢諭吉の作によると流布されているが、全くの偽作とのこと。慶応大学もそのHPできっぱりと偽作と断定している。[慶應義塾豆百科] No.98 福澤心訓流石、慶応大学!『作者自身が「一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。」と言っているのが 皮肉である。』と軽妙な文章でおもしろい!『普及には業者が介在し、立派な額入りにして有料で配布する商魂のたくましさに、 いささかお手上げといったところである。』昨日と同じで商魂逞しい!爆ね、水五訓と全く同じ、つい思い出してご紹介してしまった・・・・作者が誰かという議論もなしで断定されちゃってるから、より悪質(?)もっとも偽書の可能性を疑われるということになると、論語を始めとする儒教の四書五経や仏教等の経典、古事記などの歴史書と際限なくなってしまう。(成立の経緯という話で内容がどうのこうのや経典かどうかとは別の話という意味で・・)ま、これも同じで内容に感激して自身の座右の銘にするのもいいとは思う。否定しているのに広まっているという事は、逆に言うと内容的には素晴らしいと受け入れられているという事なのでしょうからね。が、少なくとも額入りで福澤諭吉作となっているものはちょっと恥ずかしいかも・・・・・笑小説家の清水義範氏によると、福澤諭吉の「ひびのおしえ」にある「おさだめ」を参考にして作成されたではないかとしている。(wikipedia)(清水義範 『福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説』) おさだめ 一、うそをつくべからず。 一、ものをひらふべからず。 一、父母(ちゝはゝ)にきかずしてものをもらふべからず。 一、ごうじやうをはるべからず。 一、兄弟けんくわかたくむよふ。 一、人のうはさかたく無用。 一、ひとのものをうらやむべからず 福沢諭吉『福沢諭吉選集〈第3巻〉』(岩波書店)収録の「ひゞのをしへ」でもこの「おさだめ」の方は小学生対象じゃないかと思わせる内容。モノを拾うな、父母に聞かずに貰うなとか兄弟喧嘩無用って・・・・笑教訓世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。嘘はやめましょう!慶応大学は福澤諭吉心訓とされることを、偽書と迷惑がっています。私だったら、素晴らしい言葉であるなら、それをkenkenppa作とか藤川賢治作と言って広めてくれる分には大歓迎なんですけどね。笑
2010.12.05
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水五訓一、自ら活動して他を動かしむるは「水」なり。一、常に己れの進路を求めてやまざるは「水」なり。一、障害にあいて、激しくその勢力を百倍しうるは「水」なり。一、自らを潔うして他の汚濁を洗い、清濁併せ入るる量あるは「水」なり。一、洋々として大洋を充し発しては蒸気となり、雲となり雨となり雪と変じ霞と化し、 凝っては玲瓏たる鏡となり、而も基性を失はざるは「水」なり。作者不詳どこで読んだのか記憶にないが、結構有名な言葉。手元にある本では谷沢永一『名言の智恵、人生の智恵』に掲載されているが、この本では作者を王陽明伝としている。記憶では黒田如水だったはずなので、この本で知ったのではなさそうだ。ググってみるとかなりの数がヒットする。(若干、表現が違ったり順番が異なる箇所もあるが、概ね同じもの) 中條高徳氏(アサヒビール名誉顧問)が『致知』(2006年9月号連載「巻頭の言葉」)に寄稿したものを引用したブログが多い。メルマガもあるので引用し易かったのか?!(『人間力・仕事力が確実にアップする致知出版社メルマガ』)-------------------------------------------------------------------------「水は方円の器に随う」という。自分を主張せず、すべてに柔軟に順応しながら、自分の本質を失わない老子の水哲学を、先人が見事にまとめ上げられているのでご紹介しよう。-------------------------------------------------------------------------氏は老子を引き合いに出し、その哲学をまとめたものとして紹介している。それでは超意訳。一、水は自ら流れを作り流れていく。またその流れは他のものを押し流す力がある。(主体的に自ら動け!率先垂範していれば他の者を動かす事ができる。)動かすという言葉を原動力としても意味が通じる。 水は自ら流れている。それだけではなく、草木・鳥獣、人間さえも水がなければ動けない。 水はその生命の原動力となっている。(自ら主体的に動け!そして他の者へ恩恵を施し役に立つ人間となるべきだ! あるいは、他の者が動く原動力となれ!)一、絶えず流れ進んでいるのが水である。自分の進路を求めるのを休む事がない。(人間も自分の進路(目指すもの、志)を常に心に留めておかなければならない)一、水が障害にあった場合、水量が溜まることで勢いが増し、力を百倍にもすることができる。(障害に遭遇した場合、諦めるのではなく、水のように力を倍化させていくことが必要)一、水は自らは清い存在であるのに、すべての物の汚れを洗い流し、また清流だろうと濁流だろうと 併せて呑みこんでいく度量がある。(自らは清く生き、他の者を教え導く人間になれ。 その一方で清濁(善悪・好悪)併せ入れる度量を持て!包容力が大事)一、水は自然の中で様々に変化し美しい姿になる。 しかし、どのような形になっても「水」本来の性質は変わらない。(「水は方円の器に随う」と同義。環境に合わせ柔軟に姿かたちを変えることも必要。 だが、付和雷同し自分をなくす事がないように、自分本来の芯をきっちりと持つべきだ)ホントに超のつく意訳。私自身がこう読み取ったと言うだけなので、あしからず。水を例にしながら人として理想とする姿を指し示し、分かり易く説いてくれている。中條氏が紹介したくなるの気持ちがよく分かる。結婚式のスピーチでも使われているそうだ。黒田如水の作というのが大方の意見のようだ。如水という号からもさもありなんと思わせる。(私もすんなりそう思い込んでいたからね・・・・汗)また前出の本のように王陽明という説も結構根強い。(この本を底本としたというHPで伝習録と決め付けているものもある。 底本では“伝”つまり“云われている”と言ってるだけなのに・・・・しかも論語の先生。汗)ところが・・・中国文学者でコラムニスト・高島俊男氏によると、そんなわけはない、俗流人生訓というしかないものだと一刀両断。仮名遣いや言葉から『これは黒田官兵衛どころではない。江戸のものでも明治のものでもない。 昭和、それも戦後のものである。』とにべもない。『これは現代人が作って、文末に「なり」をくっつけるという幼稚単純な手口で 文語文に見せかけたものである。』 幼稚な手口?・・・・・『なかで、「えっ、ここまで」と思ったのは「水五訓 黒田如水」と題した色紙を売っていることだ。 その説明に「晩年、如水と号した黒田如水(官兵衛)の人生訓と言われています」とある。「言われています」が、色紙では、何の疑念もなく 「水五訓 黒田如水」と決定されているのである。』((o(>▽<)o)) がははっ♪ ありそうなことだ。爆『社会的にはわりあい地位が高い人たちで、そのなかの、むかしの文章を見たことのない、 知的レベルの高くない人たちに信奉者が多いらしい』なんだとぉ~!確かに私はレベル低いかも知れないが・・・・笑こんな言い方せんでもいいっしょ!痛快でおもしろい!詳しくは下記で楽しんでくださいませ!『新・お言葉ですが…』高島俊男「水五訓」の謎(1) 「水五訓」の謎(2) 俗流人生訓だろうと、いい言葉、役に立つならそれでよし!解説のために名前を出してしまった中條氏には、申し訳なかったが、氏は「先人が・・・」と言ってるだけで、いつの時代とも、黒田・王の名前を出したわけでもないという事を強調しておく!騙されたのは、私!笑ただ、初めは作者不詳だったものが、名前からして黒田如水ではないのか・・・とか老子の教えと関連していそうだ・・・という憶測が始まりであって、最初から騙そうとした意図があった訳ではないような気がする。幼稚な“手口”というのは違うんでないかな??最後に前出の中條高徳氏が引き合いに出した老子。その言葉を上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず、衆人の憎む所に居る。故に道に幾し。老子人としての最高のあり方、理想の姿は水の如くあることである。水は万物に恩恵を与え、万物と争わず、人の嫌がる低いところへながれていく。それゆえ人の目指すべき道に近いのである。 上善如水。水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不争、故無尤。
2010.12.04
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