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取材をかねて、大学時代の先輩と、5年ぶりくらいに再会した。会ったのは、母校のある懐かしい、大好きな街。ずいぶん昔話に花が咲いて、うれしいひとときだった。ほんとうにタイムスリップしたようだった。もちろん、街はずいぶん変わっていたし、私たちも、もはやどこからみても女子大生にはみえないけれど。今月はなんだかダメージを受けることも多かったんだけど、懐かしい笑顔と優しさにずいぶん救われた。昔の知己というのは本当にありがたい存在だ。ちょっと元気がないときには、旧い友に会ったり、思い出の場所を辿るのはいいもんだな、と思う。いろいろなつもる話のなかで、先輩は、こんな話をしてくれた。数年前に、病気である難しい手術をしたのだという。死ぬ確率は高くはないが、ゼロではない。そこで、はっきりと死を意識して、人生観が大きく変わったのだという。「それまで、一生懸命やれば、なんでもできると思っていたし、実際やってきた。自分でも、まっすぐに生きてきたと思う。だけど、命のこと、病気のこと、そして子供……、人生には圧倒的に思い通りにはならないことがあるんだって、思い知らされたのね」今までより深い気持ちで「やりたいことをやっていこう」と思うと同時に、「何が残せるんだろう」、ということもよく思うようになったという。手術前に、大切な人に最後の思いと感謝を伝えたいと、この人と思う10人に1通ずつ、10通の手紙を送ったそうだ。ささやかな遺書のつもりだった。幸い、遺書にはならなかったが、それがきっかけで、思いがけず深い心の交流ができ、人間関係を見直す契機になったという。10通。私はとっさにイメージがわかなかったけれど、年賀状を思えば、それほど多くはない。けれど、それがそういう特別な手紙だったら、だれかれに出せるというものでもない。重荷に思われてしまうかもしれない。とても難しい。最後の言葉を伝えたくて、きっと受け止めてもらえる、だれか。私は、なんだかこの話が心に残り、限りある命と肉体、そして運命のなかで、なにをやっていこうか、どう生きようか……ということと、死を前に、家族以外で大切な10人に手紙を書くとしたら、私だったらだれに、なにを書くのかなぁ、なんて、考えていた。
2004.04.30
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私「昨日話したことを日記に書いたら、思いがけず評判よくてさ。メッセージも、いろいろ」夫「なんの話したっけ?」私「イラクの人質事件のこと、羽田に嫌がらせの出迎えがあったとか」夫「あれ、2ちゃん軍団だよね」私「なんで??」夫「空港にきた連中のプラカードのなかに、『ぬるぽ』ってあったから」私「『ぬるぽ』ってなによ」夫「2ちゃん用語でさ、ぬるぽって書かれたら、ネコがガッシン、なんだよ。本当は『ヌールポジション』の略とか説があってね」(語り出す)私「……」夫「何寝てんの?」私「あのさあ、アメリカの対イラク政策はどうなのよ」夫「そりゃ、ダメポでしょう」私「9・11のテロの犯人、ほとんどサウジアラビア人だったじゃん。遺族が在米のサウジの高官に慰謝料請求の訴訟起こしてたよね? サウジなんてイラク以上に独裁制。国民もいっぱい虐殺されてるのに、なんで先にしないの」夫「石油いっぱいもらってるからね。ブッシュん家とあっちの王家が超仲良し、親戚づきあい状態なのは有名な話。莫大なサウジマネーを引き上げられたら、アメリカ経済大打撃だし」私「そんなぁ。世界の警察官とか言って、そんなんでいいわけ」夫「イラクだって、80年代はアメリカと超仲良しだったんだよ。イランがソ連と超仲良しで、長いイラ・イラ戦争の歴史があって、イラクの武器なんて、あの時代にアメリカからもらったもんばっか」私「ちょっとー、なんで、そうテキトーなのよ」夫「それがアメリカ。フセインだって分かんないぜー。改心したとかいって、いきなりブッシュと肩組んで、イエー!とかやったりして。リビアのカダフィみたいにさ」私「カダフィ、、、」夫「日本もさ、なんでもかんでも追随してたら、恥かくよね。アメリカの日本への要求も、今までもいろいろ変わってきたわけ。対米貿易黒字を減らせ、自動車を輸出するな、市場を開け、農産物を買え、自由化だ、数値目標だ、借款だ、不良債権処理しろ……今回は自衛隊出せだったけど、来年はなにがくるか」私「アメリカがいつもコロコロ変わるのはどうして」夫「うーん。新しい国だからかな? その点、歴史の厚みっていうのか、ヨーロッパなんかはあまりそういうことはないように思うな。たとえば、イギリスでは、今回のイラク派兵について、歴代外交官が50人以上も連名でブレア首相政府に訴えた。『我が国の今までの中東政策を誤らせないでくれ』って」私「へえ、その記事、探してみよう」夫「日本にはそういう気骨のある外交官がいないよね。それこそまさに、本当の意味で『公務員』だと思う。日本だと公務員、というといい意味で使われないけど」私「日本の外交官って、なんでだめなの」夫「俺が思うに、世襲制だったからだと思う。2世、3世だけ別の試験で、外交官一家、みたいなのばっかり。試験制度がおかしいって、突き上げ食らって最近やっと同じ試験になった。それに最後まで抵抗してたのが、当の外務省だっていうんだから……」私「会社も、コネ入社のやつが仕事できない、みたいなもんかな?」夫「それのスケールがでっかい版。外交官名簿とか見ることあったら、名字見てみ」私「イラク、なんかもう、泥沼だよね」夫「かといって、アメリカが手を引いて、引き揚げちゃったら、イラクは内乱だよね。それでいいのかって話もある。もちろんこうなったのはアメリカの政策のせいなんだけど。ブッシュは今6月の選挙のことばっか考えてると思うけど……」(かなり、まんまなので、まとまってなくてすみません)
2004.04.29
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また、イラク・ファルージャ空爆が始まった。ニュースが辛い。痛い。ほんとうに、どうしたら解決するんだろうかと思う。夢をかなえるだとか、成功するだとか……、いろいろは、みんなみんな、平和な世の中だからこそだったんだと、そんな当たり前のことを思い知らされる。ゆうべ、あれこれ、夫と話した。私「もー、やだ。人質へのバッシングが酷すぎる。わざわざ羽田空港まで酷い言葉の書かれたプラカードを持って3人を出迎えに行った人が大勢いるって、テレビで見ても、信じられないし、信じたくもない」夫「九州のハンセン病の話も酷かったね。ホテルの宿泊を拒否されて抗議した人に対して、百通以上の差別的な嫌がらせの手紙。電話はもっとあったとか」私「うーっ、あれも酷かった。ねえ、なんで日本ってこんなになっちゃったんだろう? なんでいま、こんなに攻撃的で陰湿でやな空気なんだと思う?」夫「不況があるでしょう。なにか鬱屈した、閉塞感。ストレス、イライラ。バッシングをしている人には、なぜ彼らにこんなに苛立つのか、自分自身もよく分かっていないんじゃないか。政治家やマスコミが扇動したというのはあるけど、やっぱり大勢の心にそういうものがくすぶっていて、そこにはまったんでしょう。こういうの(テレビで3閣僚の国民年金未払いのニュースが始まる)が、積み重なって、ボディブローのように効いてくる……」私「景気のせいなの?」夫「景気が悪いと、人は自信がなくなる。『お上』に立てついた者を、ある『正論』でこきおろすのは、堂々と自分を強い立場、正義の立場におけるから、快感なんだよ。同時に、タカ派的な思想がもてはやされる。英雄を待ち望むとか、強い軍隊がほしいとか。石原慎太郎宰相論とか、いまだに支持の声あるでしょ。外国でも同じで、不況になると、スキンへッズだとかよその国の労働者排斥運動なんか起こる」私「じゃあ、それもこれも経済問題ってわけ? 構造改革が全然ダメダメだったり、デフレが終わらなかったり……みたいな」夫「経済は大きいよ。アメリカがあんなに戦争をやりたがるのも、軍需産業がアメリカの景気の最大の牽引車だから、やめられないんだし、ひたすら中東で主権をとりたがってるのは、石油の利権でしょ」私「利権をめぐる戦争で先に死ぬのは、その利権とは関係のない人たちばっかりじゃないかー」(泣く)
2004.04.28
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毎日毎日、いろいろなことがある。三菱自動車がドイツ・米国の自動車大手ダイムラークライスラーから支援を打ち切られた。中川昭一経産相、麻生太郎総務相、石破防衛庁長官の3閣僚が国民年金保険料を未払いだった。北朝鮮ではナゾの爆発があり、中東からは爆撃やテロ、死者負傷者の報がとぎれない。鈴木あみが文春からCDを出して復活し、雅子妃は海外行幸を取りやめて静養中。職場には、矢継ぎ早にニュースが飛び込んでくる。私は取材したり、パソコンに向かったり、ゲラに赤字を入れたり、おにぎりを食べたり、小泉首相を怒ったり、あくびをしたり、インターネットで検索したり、雑誌をめくったり、コーヒーを飲んだりする。耳にイヤホンを入れてつり革にぶらさがって、たくさんたくさん電車に揺られて家に帰る。起き出してきた子供がしがみついてくる。「ママあ、抱っこ」ぎゅうっと抱きしめる。やわらかくて、温かい。抱っこ。君を、私を、あなたを、だれかを。いろいろなことが起こっている世界を。抱っこ。
2004.04.24
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イラク人質事件で渦巻いた「自己責任論」、ようやく風向きを変えてきたようだ。人質になった人をヒステリックに責め立てるのは、錯誤していることや、「自己責任」という言葉の持つ欺瞞に多くの人は気づいていたし、まさしく日本的な醜い嫌がらせそのものに不快感を示す人は少なからずいたけれど、攻撃の圧倒的なパワーに、有効なカウンターパンチがなく、立ちすくんでいたように思う。ネガティブなエネルギーは本当に強く、つくづく恐ろしかった。世論のなかに、このムードをつくった一翼は、明らかに、拘束の報の翌日から「自己責任」を書き、この視点から報じ続けた読売新聞だったと思う。イラクで邦人が拘束された、この事件は日本中にショックを与えたが、その「読み方」をじつに効果的に世間に提示してくれた。「再三の警鐘に関わらず、こんな時期に行った人間こそ、責められるべきである」もとより自民党べったりの取材・編集方針だし、出所は官邸だろうけど、この単純で分かりやすい切り口は日本中に喝采で受け入れられ、追従したメディアはとても多かった。放映される人質映像、家族の姿は悪意を持ってみられ、週刊誌はプライバシーを暴き立てた。スキャンダル報道というのは、えてしてそういうものかもしれないが、私がもっとも怖いと思ったのは、人質が解放されたことを報じる同紙の社会面で展開されているこういった論理だ。「3人が自ら招いた危機が、自衛隊の撤退という一国の姿勢と秤(はかり)にかけられた。人命か国策かという重い命題が、あまりにも軽い行動からもたらされたことに、だれもが戸惑った」「幸いにもこの8日間、自衛隊の進退について、政府、与党に姿勢のぶれはまったくなかった」「1人の振る舞いが、回り回って1億人の命運を左右することさえ起こしかねない。今回の事件で、そのことを改めて実感する」(4月16日 )政府、与党の姿勢ってなに? 「国家」に反する行動はいかん? 一人の振る舞いが一億人の命運?これって、まるで戦前の挙国一致の全体主義……と、ぞくっとした。どうしてこういう論理展開になってしまうのか。わりとリベラルだったはずの大正時代から、どうして昭和の苛烈な戦時体制が作られていったのか、実はちょっと不思議だった。どうして、ここまで突き進む前に、だれもNOと言わなかったのだろう?と。でも、なんとなく感じてしまった。よその国で戦争がはじまり、国内でこんなふうなことが積み重なって、国家と世論が息の合った共同作業をするんじゃないか・・・と。ちょうど、「世界」2003年2月号で、まさにこの事件を、「予言」あるいは解説するかのような記事を見つけた。テッサ・モーリス・スズキの「ヒステリーの政治学」の解説。「『多元主義的抑圧』とは、全体主義国家における抑圧とは異なる」という。それは、言論の自由の保証された民主主義的政治社会において、大多数の人々の同意を調達して立ち上がるのである。そこでは、支配的な物語に異議を唱える批判者の存在も許される。それにもかかわらず、ここでは批判者は変わり者と揶揄され、レッテルを貼られて周縁化される。少数者達は「危険分子」「非国民」とみなされて容赦ない抑圧に曝される。言論の自由にもかかわらず、あるいは、言論の自由があるが故に、集団的ヒステリ-が社会を席巻するのである。 こうした「多元主義的抑圧」を生み出す政治的ヒステリーの核には、「使いまわしのきく事実」が横たわっている。それは決して妄想の産物ではなく、意図的なデマゴギーにもとづくのでもない。現実の一部分から切り取られ、人々の怒りと不安を掻き立たせ、すばやく単純に、掻き立てられた不安を解消してくれるような説明が切望されるような、そういう「使いまわしのきく事実」が、政治的ヒステリーの出発点となる。その事実の核から増幅し、感情を激烈に刺激し、それ自身の自動運動を始めるような、物語が生成されてゆく。その結果理性は曇らされ、立ち止まって考えて見ること自体が集団的熱狂への共感を欠いた心ない態度表明だとして糾弾されることになる。 政治的ヒステリーは、活動家、利害集団、政治家、政府、マスメディア、大衆らの複合的な相互作用によって増幅され、過熱する。そうなるとメディアはその物語の経済的利益に味を占め、報道は更にエスカレートする。利害集団とメディアはお互いの受益のために関係を結ぶ。 かくして螺旋的悪循環が際限もなく進行する。この過程において、変化や不安におびえる時代に、この物語は人々に憤怒を呼び覚ます対象を指示し、気持ちを一つにする感情の共同体に人々を統括するのである。かくして。政治的ヒステリー現象は、共通の脅威に憤怒する国民共同体を創出する。この文章では、第一次世界大戦、ロシア革命直後の1919年、アメリカの都市であったテロリストによる爆破などで全土を覆った政治的ヒステリーと、例の9・11事件の酷似を解き明かすのだが、日本での今回のイラクでの人質事件の発展の仕方が、それとも重なるようで、空恐ろしかった。政治的ヒステリーと強すぎる共同体意識と内部の粛清、戦争状態とはとても相性がいい。「あの年が日本の分水嶺だった」と後世の歴史に書かれないことを。とても難しいけれど、政情不安なときにこそ、「それは感情論ではないのか?」と常に冷静に問いつづけていかないといけないと思う。
2004.04.23
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予想外の忙しさと体調不良で、私のミッションのなかで最も大切と思われることが、とても遅れてしまっていて、悔しくてたまらず、だいじな人の信頼を失いそうで、ちょっと泣きたい気分。なんでやねん!本気で、必死でやろうとして、できんことやこ、あるかいな。とにかく、命がけで、取り返しちゃるでぇ。なんの、これしき。
2004.04.20
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今日も今日とて、Y新聞は、熱心にイラク人質の人たちを叩いておりますが、、、「自己責任」って言葉、どうしても好きになれないです。――自己責任って、有限責任でないの?と、いうようなことを考えていて、今回の一件、キーワードに、「自」という文字がいっぱい出てくるな、と思いました。自衛隊自民党自己責任(渡航)自粛・・・で、今日は四角い頭を丸くするコーナー(なんだそれ)。「自○○○」となる四字熟語を集めてみました。たくさんありますね~。「自○自○」っていうの、結構ありますね。並べて眺めていると、いろいろと興味深いです。好きなのはどれですか?自信満々自画自賛自主独立自分自身自由自在自己投資自己満足自由競争自由主義自信喪失自業自得自作自演自信過剰自己矛盾自分勝手自信喪失自虐史観自己実現自問自答自主学習自縄自縛自己中心自家中毒自己決定自己主張自学自習自動受信自衛隊員自民党員自社公民自己紹介自家発電自己申告自己評価自主保育自由日記自立支援自宅開放
2004.04.19
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ところで、「退避勧告」って、どこで分かるの?と人に聞いたら、「外務省のサイトに書いてあるよ」と教えてもらい、外務省の安全ページを見てみる。http://www.pubanzen.mofa.go.jp/わー。世界は危険地帯だらけだ!私が今まで歩いてきた国も、一人旅したい国も、ずいぶん書いてあるなぁ。ひえー。ここにのってる国に行って、なにかあったら、「自己責任」って言われちゃうのね。「ホームページで注意を呼びかけていたのに」って。気をつけようっと。しかし、思う。もし3人が拘束されたのが、イラクでなくて、同じ退避勧告が出ているハイチやパキスタンとかだったら、そして、要求されたのが現金1億円、とかだったら、果たして政府から「自己責任」だとか「自業自得」だとかいう言葉が出てきたのだろうか? ということだ。場所が「イラク」だったから。要求が、「自衛隊の撤退」だったから。政府にとっては「ヤバイ」ことだった。いちばんイタイ。もともと、自衛隊のイラク派遣には、たくさんの論議があった。参議院本会議では賛成138、反対103で、どうにかこうにか、与党の数の論理で押し切った格好。この人質事件で、またぞろ、世間が、「人質かわいそう、助けてあげて」気分になり、「自衛隊ってイラク人にいやがられてるじゃん? なら帰ってくれば」みたいな世論が盛り上がったら大変だ。それは大変だーっ。官邸の舌打ちはそのまま、記者にリークされた。「まずいことになったなぁ」「だいたい、こんなときに行ってる奴が悪いよ」そう、世間の目をそのイタイトコロからそらすには、矛先を人質に向けてしまえばいい。事件直後からたびたびのオフレコ会見があり、あれこれうわさ話。思えば、あれって妙だった。。。漏れ伝わる情報。映像で伝わる家族の混乱ぶり。これが、日本人のなんとなくストレスフルで攻撃的な気分にマッチした。「なんだ、こいつら」「みんなが迷惑している」「世間サマを騒がせた」……政府筋が「(解放までの費用は)税金20億円くらいかかったんじゃないか……」なんてリークしているのも、変。わざわざバッシングするネタを与えてるとしか思えない。(※ちなみに自衛隊派遣の予算は今年度だけで1188億円! 仮に今回の件で20億円がホントだったとしても1・7%。それくらいリスクの範囲だろうって)何度でも言う。いま、忙しくて楽天日記書いてる時間は1秒もないんだけども、でも、言う。ちがうんだよ、矛先を、人質になった人やその家族に向けるのは。昨日の日記で、ナホコがんばれとか書いてるけど、別にナホコでなくても、早稲田の吉村教授(彼はイスラム教徒)だったとしても、だれであっても、、、なぜ、外務省は「退避勧告」なんて、あいまいなものを出しているの?いっそ渡航禁止にすれば?できないんだ。それは、そういうところに自衛隊を送っているのは憲法違反になっちゃうから。自衛隊は、「非戦闘地域」に派遣される(それも今回は特措法という措置で)。「給水や医療、公共施設の復旧、物資輸送などの人道復興支援活動と米英軍支援の安全確保支援活動」のため。そもそもが、矛盾しているわけさ。ちょっと前まで、自衛官のヒゲのスズキさんがイラク人に人気、だとか、平和なムードをさんざんたれ流し、「イラク戦後感」をあおっていたじゃないかー。あれはなんだったんだよー。全土から退避命令? 記者もカメラマンも???そんな国のどこに「非戦闘地域」があるというんだ。そう。もう認めよう。戦争は終わっていない。イラクは戦場。イラクとアメリカは目下戦争中。イラクは自国への攻撃力を減らしたい。イラクにとって日本の自衛隊は「アメリカの戦力」。だから、「自衛隊の撤退」を要求する。その手段が、たまたま人質だっただけ。今度はまた違う方法がとられるかもしれない。だって、もし、自衛隊がこっちの目的通り、「給水や医療、公共施設の復旧、物資輸送などの人道復興支援活動と米英軍支援の安全確保支援活動」として受け止められていたらさー、ありがとう!ニッポン!ヤバーナ!シュックラン、ジエータイ!でしょう。米国人ジャーナリスト、マイケル・ムーアはさすが、おもしろい。「『手をあげろ、武器をこっちへよこせ!ようし、それじゃ石油をいただくぜ』などという強盗まがいの行動をやめること。どうせなら国を建て直してやるの、民主主義を確立してやるのと白々しい口実をつけないで、直接油田へ行って石油をぶんどってきたらどうでしょう。これだって悪いことですが、安上がりだし正直です――都市の住民を爆弾で無差別に殺す必要もなくなります」(『おい、ブッシュ、世界を返せ!』より)私が思うに、戦争をやめる一番いい方法。次の大統領選でブッシュが負けること。ケリーはもともと中東戦争には賛成じゃなかったから、ケリーが当選すれば、すぐじゃないにしても、2年くらいかけて段階的に撤退、ということになると思っているんだけど。がんばれ、ケリー。(ケリーって、アメリカではどんなタマなの? 大統領選ってどんなことになっているのかな?)しかし、そうなったら、共和党べったりの自民党、ブッシュの座敷犬・小泉はあわてるだろうね。
2004.04.18
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人質が解放されて本当によかった。だけど、家族に対するいやがらせやバッシングにはほとほと、嫌な気分になった。閣僚の「自己責任」「税金」発言、プライバシーまで暴き立て、個人攻撃の限りを尽くすマスコミ……。まさに集団いじめ。ひどすぎるよ。だいたい、3人がどうして行ったかとか、個人的にどういう背景があったかなんて、どうでもいいじゃん。わが国の戦力を送って復興を支援している国で、邦人が「政治的な理由で」拘束された、という事実を、日本としては、もっと重く受け止め、考えるべきじゃないの。もっと、「筋」のところを。ブッシュもアメリカも嫌いだけど、パウエル長官が今回のバッシングについて聞かれて、「危険をかえりみず命をかけて行っている若者や兵士を、日本人は誇りに思うべきだ」とこたえていたのに、思わず救われた気持ちになってしまった。仏のルモンド紙でも、「日本、人道主義の勢い」と題して、今回のことを、大きく特集している。「事件は、外国まで人助けに行こうという世代が日本に育っていることを世界に示した」なんで、テメーの国の政治家がだれか一人でも、そういうこと言ってあげられないかなー。「日本、人道主義の勢い」かぁ・・・。高遠菜穂子さんのことには本当に驚いた。同世代に、ああいう人がいたんですねぇ。知らなかった。イラクの孤児を捨て身で救って、抱きしめて、イラクの子供たちに母のように慕われていて。日テレの報道で、イラク人通訳が「(解放の話が進んだのは)みんなあなた(高遠さん)のこと、知っていたから」と言っていた。川口外相がアレコレ言ってるけど、対日感情なんて、ああいう身を挺した草の根の努力で、薄皮を重ねるように少しずつ少しずつ積み重なっていくものだと思う。日本だって戦後はずいぶん「酔狂な外国人」に助けてもらったじゃないの。そうだよ、川口サン、君ももともとはそういう人の味方じゃなかったのか(なんだか、最近人相も変わっちゃったよね。。。)。あんな目にあって、私なら、「もう、コリゴリ」ってなりそうだけど、ナホコってば、「イラクでの活動を続けたい」とこたえてる(それでまたやいのやいのと言われているわけなんですが)。あたしは気に入ったね。マザー・テレサも、生前はずいぶんバッシングされたもの。負けるな、がんばれ!
2004.04.17
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命に関わるできごと以上に人の感情、情緒を揺さぶるものはない。だから人質や戦争が最高の攻撃になり得るのだろう。絶たれた命への報復が連綿と連なっている。殺された、だから殺す……死の連鎖。だから、雪だるまのように武器はどんどん進化し、大量に残酷に殺せるようになる。恨みや憎しみの感情は、何より恐ろしい武器だとつくづく思う。冷酷や非情もまた、感情のひとつで。あらゆる感情は、あまりにも強く深く存在し、私たちの判断や考え方に浸透している。支配しているといってもいい。私たちは、自分の頭に浮かぶ考えのどこまでが論理なのか、どこまでが冷静な判断なのか、自分が思っているほどには、見分けがついていないものだ。というより、論理や正義なんて、そもそも存在せず、湧き上がる感情をもとに論理を組み立て、正義の名のもとに自己を正当化するのが人間なんじゃないかとさえ思う。だから、正義や論理だけで相手をねじふせようとすると、最後は戦争をするほかなくなってしまう。心の傷の癒し、憎しみからの解放がないかぎり、真の解決にいたることはできない。心の傷に効く薬は、昔からたったひとつしかない。愛。だから、あらゆる宗教や哲学が、愛や慈悲を謳い、赦せよ、感謝せよと説くのだろう。なのだけど、この連鎖、どこからどう、手をつけたらいいものか。アホな閣僚たちや読売新聞には、どうやらなにも期待できそうもないことだけは分かってるんだけど。今日の読書。「おい、ブッシュ、世界を返せ!」(マイケル・ムーア)「イラク派兵を問う」(岩波ブックレット)
2004.04.16
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イラクで拘束されていた日本人3人が解放。よかったぁー。よかった、よかった。。。あとの2人も早く解放されますように。そして、もう、こんな戦争、おしまいにしよう。
2004.04.15
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地下鉄で、「あと2駅、ちょっとだけ」と思って目を閉じたら、かなり深く熟睡してしまった。目が覚め、慌てて停車中の駅で降りたら、目的の駅の手前の駅。ずいぶん眠った気がするのに、たった一駅しか進んでおらず、時計をみるとほんの数分しかたっていない。なんだったんだろう、今のは……。ヤレヤレ、と次の電車を待つ。このところ、そんなことばかり。今日は娘の幼稚園の教材を持たせ忘れ、保育園の連絡帳を忘れてしまった。(ゴメンナサイ!!)なんか今、人間としてイロイロダメかも。しかし、会社ってなんか「プロジェクトX」みたいだ。みんな熱いなぁー、と思ってながめていたら、事務の女の子が、「高校の部活みたいですよね」だって。・・・笑った。そうそう、「疲れたー」と言いたくなったら、その代わりに、「充実したー」と言うと、いいそうである。なるほど、少し、感じがちがう……かも。では、またあとで。――――――――――――あとで、といいながら、書けない。。ちょっと寝て、起きて仕事します。疲れたぁ・・・でなくて、充実したぁ・・・ね、いいでしょ?
2004.04.14
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一日一日が、綱渡りのように過ぎていく。もう少ししたら、慣れてくるんだろうか。「ペース」がつかめてくるんだろうか。カレンダーが3月だったのが、もうずいぶん前、半年くらいは前のことのように思える。はー。(ああ、もっとマイルドに社会復帰したかった・・・)時間って、つくづく意識に属していると思う。時計もカレンダーもない時代、ものごとを振り返るのはとても難しかったんじゃないかと思う(そのころの人類には、「振り返る」必要はなかったかもしれないけど)。と、書いていて、ふと、ロビンソンクルーソーが流されたとき、一日が過ぎると、壁にしるしを刻んでいたのを思い出した。そういうことをしないと、いまがいつなのか、あのときからどれくらい時間が立ったのか、ということなんて、人は簡単に分からなくなってしまうのだ。同じように24時間が過ぎ、一週間が過ぎていくけれど、一人一人、きっとぜんぜん違う時間の流れのなかにいる。赤ちゃんの時間。新入社員の時間。受験生の時間。仕事している人の時間。旅している人の時間。入院している人の時間。リタイヤした人の時間。うれしいときの時間。かなしいときの時間。楽しいときの時間。がんばっているときの時間。そして……戦争の時間。
2004.04.11
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まさか、会えると思わなかった。ある超ビッグプロジェクトの立役者。もうすでに引退しているとのことで、会社の広報にあたってもダメで、ダメ元で直当たりしてみたら、アポ、取れてしまった。。。大きい人だった・・・。体躯でなくて、人間としての器が。スケールが。大きい人物だから、大きいことを成し遂げることができるのか、大きいことを成して、スケールの大きな人間になっていくのか。同行した女性カメラマンが、「今日来て、ほんとうによかったです……」と目をうるませていたほど。ついつい、本題以外の話を、いっぱいいっぱい聴いてしまいました。うーん、ぜいたくな時間でした。「次から次へと挑戦して、ダメだったらダメで、それもまたおもしろいじゃないですか。いっくら挑戦したって、いいんですよ」「たった一度の人生だもの、凝縮して、凝縮して生きていきましょうよ」人生が楽しくて楽しくて、おもしろくておもしろくて仕方がないっていう、少年のような瞳。私の倍以上生きて、まだまだ、したいことがたっくさんあって、ワクワクドキドキしているのだ。取材を終えて、ふと思う。人生って、「ああ、充分やったなー」と充実感のなかで死ぬのが幸せなんだろうか。「まだまだやりたいことがあるー」とあれこれ思い浮かべながら死ぬのが幸せなんだろうか。・・・どっちも幸せなんだろうな。自分の人生が大好きだったら。やってることが楽しくてしかたなかったら。「京都にはいろいろなところに『抜けられません』って書いてあるでしょう?本当は通れるんだけど、そう書かないと、通り道にされてしまうから。人生にも、いたるところに『抜けられません』って書いてあるんですよ。本当は通れるところにね」
2004.04.08
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友人が日記に書いていた。「人生は旅のようなもの。旅は人生のようなもの」本当にそうだと、毎日毎日思う。気持ちはほてるが、体はとてもだるい。風景が妙にくっきりと、細密画のようにみえるわりに、どこか夢のなかのできごとのようでもあって。ああ、これは、外国を一人旅している時の感覚にそっくりだ。と、気づいた。見知らぬ国にやってきたような毎日だからだろう。「ああ、また遠くへ行きたいなあ」とひとりごと。旅をしているような毎日のなかで、やっぱり旅のことを考えるわたし。目的地までの旅か、旅そのものが目的か。という有名な問いがあるけれど、人生が旅だとするなら、どこかへたどり着こうとしているのかな、旅そのものがうれしいのかな。そして、その人は、「いつもそばにいてくれる」のかな、「どこかで待っていてくれる」のかな――。今日も、元気に歩きましょう。忘れ物は、ないように。
2004.04.07
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その昔、恋を覚えたてのころ、好きな人に好きになってほしかった。話しかけてくれますように。一緒に帰れますように。好きって言われますように。両思いになれますように。一生懸命お祈りしたり、おまじないをしたりした。振り向いてほしい、ここにいることに気づいてほしい、触れてほしい、愛してほしい。ほしい、ほしい、が恋だった。いつか成就するのを夢見てがんばるのが、恋だった。思いがかなわないと、傷ついて落ち込んだ。だんだん、大人になって、恋がかなうかどうかは、たいしたことではなくなった。愛されているかどうかも、声をかけてもらうことも、触れてもらうことも……、心の中に恋があるというだけで、そのことだけで、とてもうれしくて幸せな気持ち。夢もおなじ。夢見る気持ちを抱いているというだけで、とてもうれしくて幸せで。もちろん、夢ならかなえたいし、目標を立ててがんばる。計画もする。戦略も立てる。着実に仕上がっていく喜びがある。でも、いまこうして心のなかに大事な大事な思いがあることわくわく、どきどきしていること…もう、それだけで、そのことだけで、恋が心のなかにあるように、ほっこりあったかくて、幸せなことだなあ、と思う。きっとそれは、大人になると、だんだんと恋ができなくなるから。たくさんの常識とかいろいろがじゃまをして。大人になると、だんだんと夢がみられなくなるから。日々の忙しさとかいろいろがじゃまをして。そうか、恋ができることが幸せだったんだと、夢みることができることが幸せだったんだと、いろいろタイヘンなこともあるけど(通勤とか…笑)、がんばろう。
2004.04.05
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ふーーーー。とりあえず、日曜日が来た。(土曜は出勤)なにをしたというわけではないけど、行くだけで疲れるもんだなー。通勤が大変。会社行っただけで、「あー、今日もよく働いたー」っていう気分になっちゃうよ。それでも、会社のほうが楽な点もある。いちばんは、パソコンでものを書いていても、なにをしていても、じゃまする小さい人がいないこと(笑)。歩くのも、ご飯を食べるのも、本を読むのも、自分のペース。自分の歩幅で過ぎる一日。これが、すごい開放感なのだった。へー、だな。子供といるときって実はすごく緊張していたんだな、と思う。全身で母親を求める力強さ。ひっきりなしに求められるリアクション。心配、気遣い……。うーむ、やっぱり、子育て以上に大変な仕事ってないんじゃないかなー、、、育児休業の休業をくれ(←なんだそれ)。復職は2度目なので、1人目の時もこんな感覚があったはずなんだけど、ちっとも覚えていない。人の記憶っていい加減なものだ。なので、書き留めておこう。後で懐かしく思うときがくるかもしれない。――――――まだ3日なので、会社の景色が旅先の風景ようで、なにもかも新鮮に映る。ネットの時代、ちょっと留守しただけで、あらゆるシステムが変わっていて、浦島太郎状態なのだ。いちばん変わったと思うのはセキュリティー。自分のパソコンを立ち上げるのにパスワードがいる。さらに、奥の情報に入るのにIDカードを差し込み、また別のパスワードを打ち込み……。この時代、安全確保はたいへんなのだった。社のアドレスやメールのシステムが変わっている。いままで個人のボックスに紙で入っていた通達がみんなメールで送られてくる。メールソフトのなかに全社員のアドレス帳がすでに入っていて、職場全員に同送とかも楽々。飲み会の連絡とかに重宝ですな(そーやって使うもんじゃない?)。しかし、うっかり同期の○○ちゃんへのメールをみんなに送っちゃわないようにしないと・・・資料を探すのも、いちいち調査室へ探しに行かなくてよくて、自分のパソコンでサクッと引っ張れるようになってる。めんどくさい経費精算も、フォームに記入して送信。へー。自分のページにアクセスすると、ポイント?が出てきて、いま辞めたら退職金がおいくら、なんてのも。社歴ってポイントだったのかー、なんか目からウロコ。そう思うと、会社行くのもお得感♪(って、そうじゃないだろ)。もうすぐ、紙の給与明細も廃止になるらしい。ネット環境の進歩は日進月歩なのだった。入った頃はまだ原稿用紙に鉛筆で書いてる人もいたのになー。時代が変わっていく。いろいろなことが変わっていく。リニューアルとバージョンアップ。再生と変容。変わりゆくもの、変わらないもののなかで、私は心に温めている、この、大切な大切なものを、必ずつくりあげる。あふれる思いを、形にしていく。――と、『夢をかなえる人の魔法の手帳』に書き込みました。
2004.04.04
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昨夜は興奮していたのか、疲れているはずなのに、なんとなく寝付けなかった。布団に入っても、頭のなかに、いつまでもわーんという音が響いていた。やっぱり、ブランクはかなり大きいな、と思う。会社は、刺激の渦だ。周りに大勢の人がいる。目が合えばあいさつもするし、他愛の無い話で笑いあう。電話がかかってくる。来客がある。急な仕事がある。いろんな音がする。人間は環境にすぐに慣れてしまうから、なんだかんだいって、この刺激にも、すぐに慣れてしまうんだろう。この、びりびりするような皮膚感覚を、よく覚えておこうと思う。強い刺激は、しばしば私たちを混乱させ、感情を揺さぶる。そのたび泣いたり笑ったり怒ったり悩んだりする、それこそが自分の感情だと思ってしまうけれど、それは、「反応」「反射」なのだ。皮膚のすぐ下の神経は、感じることで体を守っている。神経が熱さを感じてパッと手をはなすから、やけどをしないし、気持ちがよければ、それに触れていたい。感受性もきっと同じで、起こるできごとに心を動かされるというのはなにか大切な働きなのだろう。そして、本当の自分の思いは、さらにそのなか、奥にある。なにがあっても、静かに穏やかにたゆたっているもの。いつもそばにいてくれるもの。出会う人、できごとすべてを包み込み、愛したいと願う思い。ゆるがない、確信めいたもの。自分の中心。深くて広い世界。いろいろなできごとを、落としこんで深めて熟成させてくれるのが、この世界のはたらきなんだと思う。人生のなかでの意味を教えてくれ、思い出や追憶にかえてくれる。郷愁を覚えさせる。ある人になりかわってその人の思いをくみとる。ことをおこす強い力を与えてくれる。つねに高い目標を指し示してくれる。表面の感受性の快感や安心を求めたり、不快感を振り払うことに躍起になったりしていると、「中心」の存在を忘れてしまう。あわただしい日々だからこそ、意識して内側にアクセスしたい。内なる心を育て、限りなく優しく豊かな自分になっていきたいな。
2004.04.02
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朝、中央線に揺られていて、なんだか、ひと仕事終えて地球に還る宇宙戦艦ヤマトにでも乗り組んでいるような気がした。ひと駅、ひと駅、育児休業中にあったいろいろなことが心に浮かんだ。電車内が混み合ってきて、自分のなかの「あっち側」と「こっち側」が反転するような、不思議な感覚に包まれていった。慣れ親しんだ風景が遠くにぼやけ、同時に、ずうっと忘れていた、でもやけに懐かしい感触がよみがえってくる。満員電車、地下街の通路、地下鉄、朝の会社の雰囲気、混み合うエレベーター……会社に着いただけで、長い旅をしたような、興奮と疲れがあった。久しぶりの仲間は優しかった。編集長と話す。新しいデスクに座る。会社のシステムなどはずいぶんと変わっていて、技術の人に丁寧にパソコンの設定をしてもらう。キャップからの指示で、記者会見の取材へ。ちょっとホットな話題だったので、報道陣が押しかけ、テレビカメラが並び、場内は騒然とした雰囲気。久しぶりの取材に、なんだかとてもドキドキした。会社に戻る。親しい同期と再会し、ちょっとお茶をする。帰路、駅はとても混んでいた。12時まで開いているスーパーで、子どものオムツを買う。家の前の大きな桜の木の花が夜空に白く浮かんでいた。ちびたちはかわいい顔してスヤスヤ眠っていた。なんだかすごく小さくみえる。こんなちびっこかったっけ?連絡ノートによると、初めての保育園で二人仲良く楽しく過ごしてきたそうだ。いい保育園に出会えてよかった、ほんとによかった。。。明日も、がんばろう。(――あ、夕飯を食べそこねた)
2004.04.01
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