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そのアパートに引っ越してから、”なにかいる気配”を感じるようになった。アパートの2階に住んでいるが、入り口は1階にある。そのため屋内には、2階に上る階段がある。階段は途中で折れ曲がり、そこには踊り場がある。”なにかいる気配”は、その踊り場に感じられた。階段は電気を消せば暗く、なおさらに不気味で、私は階段から離れた部屋に扉を固く閉めて篭り、踊り場から気をそらしてすごすのを常とした。しかし、踊り場の気配は、それからも感じられた。そうした、ある日、その踊り場の気配の理由に気付いた。アパートの防音は確かだが、完全ではない。階段の踊り場は隣室に最も近く、壁が最も薄くなる。そのため、その場所では、かすかに隣室の声が聞こえることがあるのだ。声は低くこもっていて、なにを言っているかまでは分からない。しかし、たしかに声が聞こえることがある。その聞き取れないほどのわずかな声でも、人の五感は捕らえ、”なにかいる気配”として感じていたらしい。踊り場の気配は、かすかな声を感じていたからだった。不気味でならなかったことも、理由が分かればなんでもない。おおよそ心霊現象というものは、科学で説明できるものなのだ。これでもう、安心して眠ることができる。もう忘れよう、踊り場からの声のことは。そうだ。もう忘れなくてはならないのだ。隣室には、だれも住んでいないということも。
2016.01.29
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宇宙の果ては、どの様な姿でしょうか。宇宙は膨張しています。その膨張は、どの方向を見ても同じ様に。地球から遠くの星ほど、遠ざかる速度が速くなります。遠くの星ほど速く遠ざかりますが、光速を超えることはできません。そのため、光速を超える距離が「宇宙の果て」になります。光速を超える距離は、138億光年の彼方です。138億光年彼方の宇宙の果てを見ると、138億年前の宇宙の姿を見ることができます。言い換えると、光の速度の限界で、これより遠くを見ることはできません。見えないから「宇宙の果て」なのです。宇宙の果てには、ビッグバンの時の宇宙が見えます。地球からどの方向を見ても、138億年彼方には同じ姿が見えます。宇宙の果ての姿は、138億年前の姿。今の宇宙の姿ではありません。宇宙の果ての、今の姿は見えません。しかし、私は宇宙の果ての姿を知っていると思っています。宇宙はあらゆる方向に、同じ様に膨張しているから。もし、138億光年彼方の宇宙の果てに”人”がいて、地球の方向を見たら何が見えるでしょう。そこには、138億年前のビッグバンの姿が見えるはずです。そして、その”人”はきっとこう言うことでしょう。「あの場所が、宇宙の果てなのだ」と。そうです。私たちがいる、この場所こそが、宇宙の果てなのです。
2016.01.27
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第9惑星を発見した可能性がある。この発表がカルフォルニア工科大学からありました。第9惑星は地球の10倍の質量で、公転周期1万年から2万年で太陽を回っているといいます。その軌道は海王星の20倍、つまり380天文距離と遠い位置です。冥王星の軌道よりも、さらに10倍遠い位置。しかし残念ながら、この発表はコンピュータシミュレーションの結果にすぎません。海王星やカイパーベルトの軌道の乱れから、未知の天体の存在を計算したものです。海王星の外側のカイパーバルト。この領域はまだ未知で、1000個程度の氷に覆われた天体が見つかったばかり。1992年からのカイパーベルト天体の発見で、冥王星は準惑星に格下げになりました。カイパーバルトが未知な状態で、「天体発見」は言い過ぎに思えます。発見は観察されるのを待ちましょう。かつて未知の惑星Xが、やはり計算で予測されたことがあります。しかし小さな天体を除いては、その存在は否定されています。最後に、以前からのNASAの発表を付け加えておきましょう。NASA「広域赤外線探査衛星での観測結果から、太陽から10,000天文距離以内には、土星質量以上の天体は存在しない。」土星の質量は地球の95倍、仮説の第9惑星はこれより小さな天体です。
2016.01.24
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先日、110万アクセスを越えました。ブログ開設の2006年5月20日以来で、9年8ヶ月。日記更新を真面目に始めた7月21日からは、9年6ヶ月。現在の日記数は、2,369件になります。皆さんのご訪問、コメント、ありがとうございました。アンケート募金は、現在9,500円。クリック募金総額は不明ですが、結果的にはアンケート募金より総額が多そうです。クリック募金の協力企業が減っているのは残念ですが。募金サイトSumabo運営のDFFさん、NPOの皆さん、ありがとうございます。【クリック募金】 「クリック募金のSumabo」ブログ更新でモンゴルなどに植林ができるグリムスは、20本目の木が成長中。グリムスの皆さん、NGO,NPOの皆さん、ありがとうございます。【グリムス】 「植林のgremz」スローペース、マイペースではありますが、まだまだブログは続きます。これからも皆さんとお会いできますように。よろしくお願いします。また、今夜から明日は冷え込みが厳しいそうです。路面凍結などには、十分にお気をつけください。
2016.01.23
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節分に豆をまく。鬼の目を豆で射るから、節分の豆は「魔目」という。小さくても、魔目なら威力があるだろう。これなら安心して、鬼を払える。鬼を祓うのに、威力不足を心配しなくて良い。ただ、魔目を食べても大丈夫だろうか。どうしよう。今度は節分の豆が食べれない。【過去の日記1】 「我輩は鬼である - 節分 -」【過去の日記2】 「鬼は内 - 節分2 -」【過去の日記3】 「恐れるのは 鬼よりも - ヒイラギ -」
2016.01.21
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愛猫家で知られる、平安時代の一条天皇の話。天皇の愛猫が生まれた時、左大臣・右大臣・女院で祝宴を執り行いました。その祝宴は、生まれた日、三日目、五日目、七日目、九日目と何度も開かれました。そして高級女官「馬の命婦」を養育係に任命。さらにその猫に「命婦のおとど」の名を与え、従五位下の高位の位まで与えました。ある日、命婦のおとどが犬に襲われたことがあります。その咎めで女官の馬の命婦は任を解かれ、襲った犬は叩かれ追放されました。しかし犬は戻ってきて、涙を流したので許されたと言います。この話は、清少納言の「枕草子」にあります。枕草子では、清少納言は「猫は背中が黒く、他は白いのが良い」とも語っています。犬好きと言われる清少納言ですが、猫にも愛着が感じられます。彼女は枕草子で、こうも語っています。「不快なものは、猫の耳の内」彼女が猫の耳に何を見たのか。それは、今では誰にもわかりません。・・・・・・・・・・・・ 枕草子 ・・・・・・・・・・・・・むつかしげなる物。 縫物の裏。 ねずみの子の、毛もまだ生ひぬを、巣の中よりまろばし出でたる。 裏まだつけぬ裘(かはぎぬ)の縫目。 猫の耳の中。 ことにきよげならぬ所のくらき。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2016.01.19
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夜になってこちらでは、強風が吹いています。雨もたたきつけるように。並みの台風より厳しい暴風雨。今回の低気圧は、980hPaもの勢力なのですね。冬の嵐、皆さんもお気をつけて。
2016.01.18
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お正月に使う特別の箸、柳箸。柳は木肌が白く、清浄で邪気を祓います。また折れにくいことからも、柳は縁起が良い木とされています。柳箸は、両端が細く削ってあります。一方で自分が食事をする時、他方で神様が食べるように。柳箸での食事は、神様との食事です。自分が食べれば、神様も食べる。どうりで正月は、よく食が進むと思いました。【過去の日記】 「助け合う - 箸 -」
2016.01.16
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しめなわ(注連縄)は「神の威力を”注”ぎ込む稲藁を”連”ねた”縄”」。注連縄は、大別すると2種類に。一本の稲藁に、藁の切り下げが垂れた「一文字」。そして、稲藁を輪にした「輪飾り」。一文字は、神の結界。家に邪気が入るのを防ぎます。輪飾りは、神の依代(よりしろ)。神様を招きます。一文字が結界で、輪飾りが依代なら、一文字と輪飾りの、両方の注連縄を飾っていたい。そしてできるなら、注連縄を一年中飾っていたい。いつまでも、邪を払い、神様に守って欲しいから。【過去の日記1】 「お招きしましょ - 注連縄 ー」【過去の日記2】 「神社でキョロキョロ - 注連縄(しめなわ) -」
2016.01.14
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以前の台湾旅行、花蓮の話を書いていませんでした。花蓮は有名な観光地ですが、日本人観光客は台北の1/10。理由は簡単。花蓮は台北から220km、特急電車で3時間もかかるからです。「特急」花蓮は、特急の終点ではありませんので、油断せず途中下車する必要あり。「ファーリェン(花蓮)」という車内アナウンスを聞き逃してはなりません。特急の窓からは、台湾の郊外が見えます。そして車窓から見えるのは、郊外を駆ける野犬の群れ。野犬狩りがないので、野犬が自由に生きています。花蓮の観光といえば、太魯閣国家公園。写真の様な奇岩の渓谷が続きます。渓谷は落石注意。ガードレールがつぶれている箇所は、落石の結果ですからご注意を。岩にできた腐食痕、燕子口が特徴。花蓮では、原住民の衣装を着て記念撮影もできます。台湾では先住民ではなく、原住民と呼びます。先住民では「既に滅んだ」の意味になるから。ホテルは海辺です。花蓮の港は、日本軍が整備しました。珍しく日本軍の行いが感謝されている地でもあります。ちょっと変わった台湾を楽しみたい方。花蓮へどうぞ。【過去の日記】 「無駄ではないでしょう - 台湾 美麗島駅 -」
2016.01.11
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家猫が日本の歴史に登場するのは、弥生時代後期から奈良時代初期以降。平安時代になると、「源氏物語」でも家猫が登場します。しかし、奈良時代の「古事記」や「日本書紀」には家猫は登場しません。動物の歌も多い「万葉集」の4,500首の中にも、家猫は登場しません。日本人には家猫は、比較的新しい仲間です。弥生時代の遺跡からも、猫の骨の発見例があります。諸説ありますが、家猫は中国から渡来したと考えられています。家猫の登場は、稲作が始まり人々の生活に余裕が生まれてから。食料を蓄えた人間たちを、猫は見逃しませんでした。人間の食料をねらって歴史に登場した家猫。やはり家猫も、ハンターなのです。
2016.01.09
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昨年はカラーマンホールの写真を撮っていました。観光地に限らず、各地の街中になにげなくあるマンホール。特に着色されたカラーマンホールは、写真に撮れば観光の思い出にもなります。カラーマンホールの着色は、塗装によるものばかりではありません。カラーのセラミックスを溶かして吹き付けたマンホールもあります。セラミックスを吹き付けたマンホールは、滑り止めにもなります。表面がざらざらして滑りにくいため。カラーでおしゃれしても、みんなに踏みつけられるマンホール。せっかくのおめかし、みなさんも目を向けてください。
2016.01.06
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その白い犬は「白」と呼ばれていました。ある静かな春の日、白は仲良しの「黒」が犬殺しに狙われているのを見ました。あぶない、と思った時、犬殺しは殺気の籠った目で白をにらみました。思わず逃げ出した白の背後から、かわいそうな黒の悲鳴が聞こえました。「きゃあん。きゃあん。助けて!」死に物狂いで白は家に駆け帰り、ご主人様に怖かったよと叫びます。しかし、ご主人様は白を冷淡に迎えました。「このすごく吠えている黒犬、きっと狂犬よ」そうなのです。驚いたことに白の体は、なぜか真っ黒の毛並みに変わっていたのです。白は血がにじむほど強く石を投げつけられ、なすすべなくご主人様のもとを去りました。あてどもなくさまよう白の心には、最期の黒の声が響いていました。助けてというあの声は、臆病だった白の罪を咎めているようでした。「ぼくはなぜ、黒を助けなかったのだろう」白は火事場に飛び込み人を救い、暴風雨に遭難した人を安全な場所へ導きました。大蛇を退治し猫を救い、動物園から逃げ出した狼さえ撃退しました。それらの行いは白の贖罪であり、黒く染まった自らの体を滅ぼしたいという願いからでもありました。しかし、白は如何に危険な場所に飛び込んでも、死ぬことはできませんでした。ある秋の夜、疲れ切った白は月に願います。「わたしは黒を見殺しにしました。 そのため、私の体は黒く染まり、ご主人様からも追われました。 ご主人様に会えば、私は狂犬として打ち殺されてしまうかもしれません。 それでもかまいません。最期にもう一度、ご主人様に会わせてください。」半年ぶりに家に戻った白は、月に願うとそのまま深い眠りに落ちました。朝、懐かしいその声を聞くまでは。「白。帰ってきたの? 一体、どこに行っていたのよ」白は思わず飛び退きかけましたが、ご主人様のお嬢さんの瞳に映る自らの姿に魅入られます。お嬢さんの瞳に映るのは、白い体に戻った一匹の犬でした。やがて、その瞳に映る白犬の姿は揺れ滲み、お嬢さんの頬を涙が伝いました。「白、よく帰ってきたね」白はもう、涙をこらえることができませんでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・芥川龍之介の名作「白」に、今年のあり方を想う。【青空文庫】 「白」【過去の日記】 「きみに ちかう - 捨て犬 -」
2016.01.02
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新年となりました。今年もよろしくお願いします。まずはご挨拶まで。通常日記の更新はできれば明日、遅くとも明後日には更新します。よろしくお願いします。
2016.01.01
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