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雪模様と思いきや立ち枯れの木にとりついたきのこたちのオーナメントでした。 まもなく大寒。かくして冬はその実態を現わせぬまま春に寝取られることに。無念なことですが温暖化の今しばらくはこのスケジュールで押し通すことでしょう。
2025年01月14日
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日々の歩行訓練で出会う風景はいつも発見があり新鮮だ。 今日はいつも通り過ぎる公園の片隅に不思議な区画を見つけた。なんのための区画かはわからないが夕影が忍び寄りまもなく森の精霊たちが現れて宴が開かれるのではと思わせる空間だった。 それにしてもおびただしい数のどんぐりが公園のいたるところに散乱している。ほとんどが根付くはずもなくむなしく朽ちていくのだ。彼らは精霊の食べ物となってふたたび森の木々をうるおすのだろうか。 そんなことをふと思った。
2025年01月14日
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昨日は今年の冬二度目の積雪を見て、ようやくわが町も中嶋美嘉の"雪の華"的雰囲気に染まってきた。正月以来、一念発起して晴読雨読の日々を続けてきたが、歩行訓練だけは欠かさず続けており、今日は郵便局へ挨拶に出たついでに公園の動物たちの間中見舞いに行くべくいつもと違うルートを選んだ。やはりクロクマくんもキリンさんも急な冬の訪れに戸惑い複雑な表情で淋しく突っ立っていた。ウサちゃんはまで雪雲が残っているのを不安気に空を仰いでいる様子。口が点になっているのがなんとも面白い。 キリンさんは春夏秋冬ずっとずっと長い首を地面に投げ出したままふてくされており、冬が楽しいはずのシロクマ君も悲しげな様子。それぞれを激励して帰ってきた。 去年のクリスマスは心待ちにしていた可憐なフェアリーちゃんが登場する近隣の路側帯利用のプチ・ガーデニングが見られずじまいだったが、今日に至るも無しのつぶて。さみしい年明けとなった。 この週末までは不穏な天気が続くらしい。さて、明日の三宮へのバス旅行を皮切りに来週からはいよいよ忙しくなりそうでうれしい。といっても今年は秦氏たちの日本史シリーズ-2の空海と対決すべく籠ってやるべき課題が山積しており、苦しくも楽しい1年となりそうだ。
2025年01月10日
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仕事初めは終日雨の一日。年末以来の久々の雨にものみなうるおいにみちた表情をみせていてよい年の初めとなった。 冬至より10冊あまり空海と最澄の書を再読したが、本というのは映画と同じで何度読んでも初めてのように新鮮で、ということは身についていないことが痛感される。とはいえ、にらの花が咲くころまでにはなんとか空海像がより鮮明に心に焼き付けられそうな予感がしている。「月のしずく」2025年新年号に描いたように、彼は生涯を私度僧としてつらぬいた点が最澄とのもっとも際立った差異であることがみえてきた。そして彼の周辺には多くの支援者が影のように寄り添っていることが以前より鮮明に浮かびあがってきた。より重大なことは彼は真言宗の始祖である以上に、我が国において宗教の核心部分にふれえた最初にして最後のひとだったということだ。良くも悪しくも空海・最澄の達成地点からそれを夫々の支持階層に翻案し、弘めなおしたものが鎌倉仏教であったことも見えてきた。その点で最も大きな示唆を与えてくれたのは五來重氏だった。彼の『空海の足跡』は今回読み返してみて全く何も読み得ていなかったことが判明した。
2025年01月07日
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兵庫県には戦前の名残りのモミの純林が方々に残されており、私にとってひそかなデートの愉しみの場となってきたが、旧年(2024)中は、アカモミタケは僅少に終わった。そのかわりにこれからしばらく関わり続けることになる空海ゆかりのサンコタケとドクツルタケが顔をのぞかせていた。 わが居住地の近辺では、近年新たに加わった͡コガネテングタケの類が新しく仲間入りし温暖化の影響が静かにしかし着実に進行しているようである。 2025年はあらゆる意味で節目となる年のはじまり。最も深い意味での宗教心が問われる時代の始まりでもある。そんな日々の中で空海と再び対話する機会を与えられたことは幸せというべきであろう。
2025年01月04日
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