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私のなくなった父親は、なぜかイタリア人の神父さんと親交があった。その方から一周忌のお布施をご丁重にも頂戴した。祖末なお返しをした所、お礼のはがきが届いた。うーん、これ本当に本人が書いとらすとだろうか、日本語うますぎる~。と感嘆しながら読んでいたら、結びの言葉にぎょっとした。「亡くなったお父様のことが忘れられない○○より」と〆てあったのだった。こ、これは…。言えない、日本人なら絶対言えないよなあ。送るなら愛する人、それも何十年も連れ添った老夫婦ではなく、まだアツアツの関係の恋人関係でしょ。イタリアって何事にもこんなに熱烈な表現をするのだろうか。いや、ありがたいんですけどね。ほんとに。
2008年04月26日
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秋川雅史 / 千の風になって「千の風になって」がはやり始めた頃、坊さんの娘に生まれ、坊さんを夫とする私は、背中を巨大なロックアイスでなでられたような感触を抱いたものだ。言葉にすれば「墓の中にいないですってぇ~~??なんてことを流布してくれんのさ。日本古来の墓参りの風習を愚弄するか」といったような多少ヒステリックな叫び。実のところ、寺院業界を取り巻く気配は、けして明るいものではない。家制度崩壊、少子化、宗教への無関心、後継者不足ー不安材料を列記し続けることは造作ない。そこへきて、この歌のロングにしてビッグなヒットだ。長島か、私。「この歌はそんなに現代人の気持ちにぴったりくるのかな。やっぱり宗教に関心のない人が増え続けているってことなんかな」。あの頃は、歌を聞く度に暗うつたる気持ちに襲われたものだった。現在はそう思うこともない。よくよく聞けば、この歌詞からは現代の宗教に対する揶揄のようなものは読み取れない。全編、お墓の前で泣いてしまうほど死者を忍ぶ者を気遣う、死者のひたすらな慈愛で覆われている。年を重ねれば、愛しい人を亡くす経験はいやでも向こうからやってくる。経験のある人ならば、この歌は心の深いところで響くはずである。やはりあの頃は、跡を継いだプレッシャーで心がぎくしゃくしていたんだろう。今後お寺がどうなっていくか心配する暇があったら、傷心のご遺族の方に温かいお茶をさしあげる準備をする、そのほうがよっぽどいい。今はそう思える。奇しくも、先代、つまり私の父が生涯で最後に買ったCDがこれだった。モルヒネで意識も朦朧としている病室の中、この歌は流れていた。死を目前にした彼が、僧職という身分でこの歌をどうとらえていたのか、かなうものなら聞いてみたい。これで1000件目。
2008年04月25日
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今回の日記で我が「てろてろ」も、999回めのエントリーになるらしい。999といやあ、我らの年代、まず浮かぶのは「銀河鉄道ー」である。当時の松本零士人気は、渦中の子供から見ても社会的に大きなムーブメントを形成していた。その人気の両屋台骨が、「宇宙戦艦ヤマト」と「999」。と言うものの、私はヤマトについてあまり詳しくない。いつも奇麗なロングヘアーのお姉ちゃんから呼び出されてハイハイ出かける話と言う印象。これじゃキャバクラ通いの男性と変わらんがな。だからかどうかは知らないが、どっちかと言うとヤマトは男子に人気があった。そもそも「戦艦」なんだから、戦争ごっこが大好きな男子が面白がるのは当たり前なんだが。休み時間は、教室中いたる所で波動砲が発射されていた。一方999は、銀河を走る鉄道というロマンチックな舞台設定のため、女子が肩入れする要素が多かった。映画版は主人公鉄郎とメーテルの淡いラブストーリーでもある点も要因であろう。話の筋もよくできている。途中下車する星々で、鉄郎が様々な人に出会い、学び、成長していくという王道ストーリーと、謎だらけの美女メーテルの正体は?そして終着駅はいったいどんな場所?といくつものミステリーを混ぜ合わせて、飽きさせることなく終着駅まで導いた。小学生女子の私は最後の美しいキスシーンでコロっとやられた。ラストシーンは大泣き。これを読んでいるあなたが私と同世代なら、走る鉄道車両を追いかけて鉄郎よろしく「メーテル~~」と叫んだことがあるはずだ。ところで、当時の松本零士のインタビューで、「メーテルの名前は『青い鳥』の作者メーテルリンクから」というものがあり、「へーそうか」と読み流していた。が、今、これを書いてて腑に落ちた。「銀河鉄道999」て、松本零士版「青い鳥」だったんだ。よう考えたら「きっといつかは君も出会うさ青い小鳥に~」とテレビ版の主題歌にあるもんなあ。30年の時を超えてやっと理解した。
2008年04月16日
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