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今年は我が家にとって、いろいろなことがありました。娘の大学受験、合格発表、イタリア家族旅行、仔犬が我が家にやってきた、夫の母の死、息子のオーストラリア短期留学、それから家のいろいろな出来事…。数え上げればきりがないくらい今年は本当にいろいろなことがありました。後半はブログを書く間もなくなってしまい、更新できない日が続きました。それなのに、久しぶりに帰ってくると今までどおり、温かいコメントを下さる方々がおられ、ちょっと“うるるん”ときたりもしちゃいました。来年も、更新できないことも多いかと思いますが、時間が出来れば時々でも戻って来たいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。m(_ _"m)ペコリでは、皆様良いお年を。
2006.12.31
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アスクレピオスの父はアポロンだというお話はしましたね。今日は母コロニスについてのお話です。プレギュアス王はクレオペマという女性を妻に向かえ二人の間には輝くように美しい女の子が生まれました。彼等はこのこんなの子に「アイグラ(光り輝く)」という名前をつけますが、周りの人々はもっと親しみ深いコロニス(カラスの乙女)という愛称で呼びました。ややこしい名前が続きますが、今日はこのコロニスだけは覚えておいて下さいね。コロニスは成長するにしたがって光り輝くような美しい女性になり、世間だけでなく、オリンポスの神々にまで知れ渡るようになります。その噂を聞いたアポロンは一目見ようとコロニスに会いにやってきます。出会ったとたん美男美女は意気投合し、愛し合います。コロニスは身籠ります。忙しいアポロンはコロニスといつまでも一緒に居ることが出来ません。しかし、コロニスがあまりに美しかったのかアポロンがやきもち焼きだったのかアポロンはコロニスの素行を見張らせるためににカラスを見張り役につけます。では、なぜカラスだったのでしょうか。当時のカラスは神様のお使いとされていました。しかも、この頃のカラスの羽毛は黒ではなくて、雪のように真っ白でそれはそれは美しい鳥だったのです。しばらくして、コロニスの身辺に事件が起こります。父王の友人でアルカディア地方の貴族が息子イスキュスを預かって欲しいとの話です。イスキュスは家族同然暮らし始めます。イスキュスは美しいコロニスに一目ぼれしていました。始めはアポロンを待ち続けていたコロニスですが次第に、いつまでも会えないアポロンに不安を感じ始めていました。そんななか、いつも優しく誠実なイスキュスにひかれ始めて行くのは当然のことだったのかもしれません。アポロンのことを知らないコロニスの両親もコロニスとイスキュスを温かい目で見守っています。ついにコロニスの誕生日にイスキュスは告白します。彼女の心はグラリと傾きついに二人は愛し合います。ところが、イスキュスがコロニスの寝室を出て行くところを見ていたカラスはアポロンにその事を伝えます。それを聞いたアポロンの怒りはカラスに向けられました。燃え上がる嫉妬と怒りの炎をまともに受け雪のように白いカラスの羽は可哀想に焦げてしまい、とうとう今のように真っ黒になってしまいました。怒りの収まらないアポロンはコロニスとイスキュスを殺すことを誓います。しかし、気の小さいアポロンは自分の手でコロニスを殺すことが出来ずに妹のアルテミスに頼みます。アルテミスの矢はコロニスの胸を貫きます。コロニスは「お腹の赤ちゃんを産んでから罰を受けることも出来ましたのに、このままではこの子を道連れにすることになりますわ。」とアポロンに訴えて息絶えます。その言葉を聞いて涙もろいアポロンは自分のした軽率な行為を悔いて、医神らしくコロニスの手当てをしますが遅すぎました。まだ温もりの残るコロニスの胎内から胎児を取り出しました。つまり、アスクレピオスが世界で始めて帝王切開で生まれた子供だということなのです。帝王切開はシーザーが母親の腹を切り裂いて取り出されたという説もありますね。しかし、遥か後世のローマ帝国時代に、妊娠している女性の死亡と埋葬に際して特別な法律が作られました。それは、この亡くなったコロニスの胎児から医神アスクレピオスが取り出されたことを思い出した人がいて、妊娠している女性が亡くなったときにはその女性のお腹を開いて胎児が生きているかどうかを必ず確認し、亡くなっていた場合には親子別々に埋葬するようにしました。そこで、「帝王Caeser=ローマ皇帝の法律によって定められた切開法」という意味から帝王切開というという説もあるのです。さて、あなたはどちらの説を信じますか。ところでアポロンが取り上げた子供は男の子でありアスクレピオスと名づけられました。「常に穏やかな」という意味です。(アポロンの軽率な行為を反省する意味があったのかもしれませんね。)アポロンにとってアスクレピオスは最愛の息子ではありましたが、忙しい身で一人では育てられません。考えた末、森の奥深くに住むケンタウロス族随一の賢者ケイロンという神に預けることにしました。ついに、アスクレピオスが登場しました。次回は、半身半馬のケイロンとアスクレピオスについてです。良かったら読んでくださいね。
2006.12.24
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昨日は久しぶりにちょっとした用事で和歌山を訪れました。和歌山市は以前住んでいたので大変懐かしく感じられました。和歌山のラーメン屋さんで最も人気のある『井出ラーメン』食べました。ブームが過ぎてもう何年にもなるのにやっぱり昨日も行列が出来ていました。勿論『井手ラーメン』はブームになる前からいつも並ばないと食べることが出来なかったので、当然といえば当然なのですが…。久しぶりに食べた『井手ラーメン』やっぱりおいしかったです。帰りは和歌山から大阪まで橋本経由で紀北筋沿いに帰ることにしました。随分久しぶりだったのですが、私が住んでいた頃は大変な田舎で何もない一本道でしたが、今回は以前と違ってお店も増え活気に溢れていました。橋本へ入る少し前にいくつか温泉ができているのでそのうちのひとつに入ることにしました。ところが、これが驚きです。思っていたのと違いちょっとした穴場なのです。国道24号線からちょっと入っただけなのに、まるで現代から大正時代にタイムスリップしたかのような別世界なのです。『野半の里』というところがあり、温泉の名前は『蔵の湯』です。元々酒蔵だったところに温泉のある鄙びた村に作り変えたらしいのです。『蔵の湯』の第一源泉は全国大4位の高濃度温泉です。療養目的とした本物志向です。関西では有馬天神源泉に次ぐ高張泉です。高張泉であって成分濃度が高いほど温泉の持つ成分が体内に吸収されやすく効能が高まるというのです。また、お湯の効能だけでなく『野半の里』自体がまるで大正時代の酒蔵のテーマパクでもあるかのようで本当に夢の世界のようです。食べるものも、和食・イタリアンなど雰囲気の良いお店がありお味も結構おいしいのです。「あ~、今日は疲れも取れ気持ちよかったね。」と満足しながら帰路に着きました。最近一押しの温泉です。橋本から近いですよ。お近くの方是非お薦めです。
2006.12.23
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せっかくの書き込みが全部消えてしまいました。もう一度書き込みます。変な更新になってしまってゴメンナサイm(_ _"m)ペコリ
2006.12.23
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今日はアスクレピオスの父であるアポロンについてのお話です。アポロンは父ゼウスと母レトの双子の兄として生まれました。双子のもう一人は妹でアルテミスです。アポロンは姿が美しいばかりでなく、さまざまなことに能力を発揮する本当に多芸に秀でた神様でした。彼は音楽、道徳、律法、哲学、医術、弓術、予言、家畜の神様であり、また光明の上として、太陽と同一視されたのでした。(ちなみに、妹のアルテミスは月の女神です。)アポロンは浮島であったデロス島で生まれた後、ヘラの目から逃れるために、直ぐにデルフォイという、ギリシャ本土の北の土地へと運ばれ、そこで養育されました。成長した彼をようやく見つけたヘラは、ピュティアという名前の蛇の怪物を送り込み、アポロンを殺そうとします。しかし、アポロンは逆にこのヘビの怪物を、自らの強力な百本の金色の矢で倒してしまいます。ところで、このピュティアという蛇の怪物の名は、ギリシャ語で『腐敗』を意味します。アポロンは太陽の神ですから、その強力な金色の矢は光の矢、つまり太陽光線を意味するのでしょう。つまり、この伝説の意味するところは、アポロンが太陽の光と風通しが腐敗の進行を止めるという、現代の医学常識にも合った説明であり、基本的な衛生観念がこの時代から伝わるものだということなのです。虫干しは奈良時代の東大寺の正倉院も行っています。洋の東西を問わず、古代の人々は太陽の光の恵を知っていたのでしょうね。また、アポロンの別名とされるパイエオンは古来パイオニア人の信仰する神の名前です。そして、このパイオニア人の本拠地は芍薬peony(シャクヤク)の産地で名高いところです。芍薬はその名の示すとおり古代から薬として珍重された植物で、その止血剤、鎮痛剤、痙攣を抑える薬としての効能は有名でした。そして、それは古代ばかりではなく現代の漢方医学にも伝えられ利用されています。アポロンが医学の神であるのにふさわしい逸話ですね。話は変りますが、アポロンといえば竪琴の名手でもあり、音楽の神様でもあります。十八世紀に活躍したジョン・アームストロングという詩人でもあり医師でもあった人の意見にこういうのがあります。「音楽はそれぞれの喜びを高め、悲しみを静め、疫病を追い払い、あらゆる苦しみを和らげる。さればこそ、古代の賢者たちが崇拝したことは、医術と音楽と詩歌による一つの力なのだ。」これは、現代の音楽療法や、アロマテラピーといった、代替医学に通じる考え方です。アポロンは神々の、そして音楽を通して、人々の病を治す医者であり、当時の人々の医術に対するさまざまな智恵と願いを一身に受けられた方だったのかもしれませんね。さて、次回はアポロンとコロニスの息子アスクレピオスのお話です。やっと、アスクレピオスまでたどり着きそうです。よかったら、読んでくださいね。
2006.12.22
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今日はアスクレピオスの父アポロンがゼウスとレトの息子として生まれたときのお話です。ギリシャ神話の神々の中で、一番偉くて力のある神様はゼウスです。アポロンはゼウスととても優しい女神レトとの間に生まれた双子の男の子でした。双子の妹の方はアルテミスといいました。ゼウスには戸籍上の正妻ヘラがいたので今で言う不倫であり、不義密通の子供とでもいえるのでしょうか。しかし、それは人間界の感覚というもので神様の世界ではちょっと違っていたのかもしれません。英雄色を好むとでもいいましょうか、ゼウスはレトだけでなく何度も何度も浮気を繰り返します。ゼウスにとっては神の栄光を広めるといった気持ちだったのかもしれません。ゼウスは大変にもてる神様で奥様のヘラ意外にも大勢の女神人間の女性との間に、たくさんの子供をもうけています。一説にはゼウスの付き合った女神と女性の数は神様の系図に載せられているだけで、合わせて26人で子供達の数は数え切れないともあります。アポロン、アルテミスだけではなく、ギリシャ神話の中で活躍する智恵の女神アテネ、美の女神アフロディテ、商業の神でもあるヘルメス、勇士ヘラクレス、トロイア戦争の発端となった絶世の美女ヘレネなど全部がゼウスの子供達です。ゼウスにはたくさんの子供ますが、同時に何度もの浮気を繰り返しているということでもあります。しかし、正妻であるヘラは結婚の神様です。ゼウスの浮気を許すことは出来ません。ギリシャ神話ではゼウスの浮気ヘラの嫉妬がその度ごとに世界を大きく動かすことになります。さて、アポロンの誕生についてのお話です。ゼウスが浮気をしたとしっただけでなく、相手の女神レトが身籠ったことを知った本妻ヘラは、嫉妬心を燃え上がらせます。呪術力のあるヘラは憎きレトに対して、今まで一度でも太陽の光を浴びた事のある場所では決して出産できないという、なんとも陰湿は呪いをかけてしまいました。かわいそうなレトは、大きなお腹を抱えて世界中をさまよいました。でも、かつて一度も太陽の光を浴びたことのない土地なんて見つかりません。それまで、オリンポスの山上から知らん振りをしていたゼウスも少しはやましい気持ちがあったのか、とうとう見るに見かねて、大海の波の下に漂っていた島を海面へと引き上げ、エーゲ海の真ん中にしっかりと固定しました。波の下を漂っていたのだから、一度も太陽の光を浴びたことがないというわけです。ヘラに対して、一種の良いわけをしているところがおかしいですね。ゼウスとの恐妻家ぶりが垣間見られるワンシーンです。この浮島の一本だけ生えていた椰子の木下でレトは無事出産を果たします。それは今までの神々の世界でも見たことのなかったような光り輝く双子が生まれた瞬間でした。その双子は男児アポロン、女児アルテミスだったのです。レトが光り輝く双子を出産した記念にこの浮島はデロス(輝く)島という名前を付けられました。今日はアポロンの生まれたところまでになってしまいました。次回はもう少し、アポロンについてのお話です。なかなか、アスクレピオスにたどり着けないですね。少しづつ進めていきたいと思っております。よかったら、どうかお付き合いくださいね。
2006.12.20
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ギリシャ神話の中には数え切れないくらいたくさんの登場人物がでてきます。美男美女、神様、人間、神様と人間の間に生まれた英雄、ニンフ、怪物…。その中で、私が最も興味を覚えたのは『アスクレピオス』です。あまり有名でないのでご存知の方は少ないかもしれませんね。アスクレピオスは紀元前900年頃に、ギリシャの北部テッサリア地方のトリッカという町で生まれました。アスクレピオスをご存知でない方でも、ヒポクラテスの名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。実はヒポクラテスはアスクレピオスの17代目の末裔になります。ヒポクラテスによって、今に伝わる西洋医学の礎が築かれたといっても過言ではありません。その意味から、彼は医聖」と呼ばれています。さて、今回の主役アスクレピオスはいったいどんな方だったのでしょうか。たくさんの薬草や治療方法を伝えてことは分っているのですが、彼が偉大であったのは、それだけでは無いと思うのです。病を治療するということはどういうことなのでしょうか。患者に薬を与えて、病気を治すということだけではないのです。同じ病気、同じ症状であっても彼は決して画一的な同じ治療をしたのではありませんでした。ひとりひとりの身になった治療、本当の意味での治療を行ったのでした。アスクレピオスは下半身が馬の姿をしたケイロンに育てられます。ケイロンはアスクレピオスに医学の全てを教えようとします。薬草について、治療法法について、医学の道についてです。あるとき、病で苦しむ婦人がいました。彼女はもう全て分っているのです。自分の命も、今から何をすべきなのかを。一緒にいたアスクレピオスが薬を与え命をしばらくの間、長らえようとします。しかし、ケイロンはそれを止めるのです。彼女は家族との別れをしています。薬でそれを阻止して、また苦しませ見苦しい姿を見せ家族に迷惑をかけることを彼女は望んではいないのです。正しい治療とは一人一人方法が違うのです。患者である婦人は彼に感謝して神様のところへ旅たちました。それが、ケイロンが教えてくれた本物の治療なのだとアスクレピオスは気づきます。アスクレピオスの数々の偉大な行いは語りつくせません。次回は、アスクレピオスがゼウスの息子アポロンの息子であるという生い立ちについて、お話してみたいと思います。では、今日はここまでです。次回に続きます。
2006.12.19
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ルミナリエに行ってきました。元町駅で降りて歩きます。駅から90分って表示が見えました。かなりの人です、頑張って歩きました。見えてきました正面です。綺麗!綺麗です。光の門をくぐり、会場へ進みます。美しい音楽が流れ夢の中のようです。今日は並んだだけのことがありました。神戸の町は震災で多くの人が犠牲になりました。私もあの日のことは忘れられません。復興が進み、街は美しくなりましたが、震災の傷跡は完全に消え去ったとはいえないと思います。震災のことを忘れてはいけません。しかし、神戸の人々は一歩一歩前を向いて歩いているのですね。この美しいルミナリエの本当の意味を考え、神戸の方々の未来へ向けての幸せを心から祈りたいと思います。
2006.12.16
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今日は四天王寺さんへ行ってきました。石の鳥居から入っていきます。 正面に見えてきたのが金堂と五重塔です。 左に曲がり、北鐘堂の方へ行きました。“ゴーン”という鐘の音が聞こえてきます。中に入るとお坊さんがお経を読んでおられます。私も、義母と義父の戒名と先祖代々をお札に書いてもらいお経を上げてもらいました。厳かな落ち着いた雰囲気の中、静かな気持ちでお経が心に染み込んできます。北鐘堂を出てお札を水に流してもらいに亀井堂の方へ向かいます。途中亀の池が見えてきました。 大阪の人はご存知かもしれませんが落語とかにも良く出てくる有名な亀の池です。何百匹かの亀が住んでいます。じっと動かないので始めは何か分らなかったのですが、本当にたくさんの亀が随分昔からいるのです。今いる亀は一体何代目なのでしょうね。その横には六時堂とその前の石舞台が見えます。この石舞台は毎年4月22日に“聖霊会舞楽大法要”が行われるところです。美しい衣装と美しい舞を見てみたいものです。 そのあと、お札を水で流しもらいました。そして、宝物殿へ向かいました。宝物殿の中は500余点の国宝・重要文化財や貴重な文化財でいっぱいです。残念ながら写真撮影は禁止だったのでご紹介することは出来ませんが、入館料は300円とリーズナブルなので、もし四天王寺にお越しの時には是非お薦めのところです。その後私たちは、西重門から金堂へ入ったり、五重塔のてっぺんまで登ったりしました。帰りは、門前でおいしいと有名な釣鐘饅頭を買うことも忘れませんでした。久しぶりに訪れた四天王寺。聖徳太子の偉業を思い出しつつ素敵な一日を過ごすことが出来たことに感謝の気持ちでいっぱいでした。(※お気づきの方もおられるかもしれませんが、今日は雨が降ってきて良い写真が撮れなかったのでこれらの写真は前回、この夏に行った時の物を使いました。)
2006.12.02
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お久しぶりです。長い間ブログをお休みしていました。今年は本当にいろんなことがありました。楽天のことを忘れていたわけではなかったのですが、本当に忙しくてPCの前に座ることすら出来ない毎日です。ギリシャ神話に関する本だけは毎日読んでいました。落ち着いたら、そのことについてもゆっくりとブログに書いていきたいと思っています。ところで、昨日は京都へ行ってきました。実はこの秋2度目の京都です。前回はルーブルの“ギリシャ展”を見たのですがブログにかく時間がなくて残念でした。昨日は、金閣寺→龍安寺→仁和寺の順で歩きました。そして、その後京福電車で嵐山へ行きました。まずは金閣寺です。昨日は本当に良いお天気でした。空の青さが目にしみるくらいでしたよ。修学旅行生もいました。海外からのお客様もたくさんいました。金閣寺を出て龍安寺へむかいました。実は今回私が最も行きたかったのは龍安寺でした。龍安寺の枯山水は自分の目でしっかりと見てみたかったのです。 庭には石が全部で12個あります。左から、5・2・3・2・3です。ところが、どこから見ても一度に全部の石を見ることはできないのです。ふしぎなのです。(実はうーんと後ろに下がれば見えるのですが、そこは入れないのです。)石は象が小象を加えて川の中を渡っているともいわれています。石の象、石群、その集合、離散、遠近、起伏、禅的、哲学的に見る人の思想、信条によって多岐に解されているのだそうです。今回は紅葉がきれいだったのですが、ここ龍安寺の石庭の枝垂桜、春には綺麗なのだろうななんて想像しながら見ていました。もう一つ龍安寺で私が見たいと思っていたのは銭型のつくばいです。真ん中の四角を“口”の字と考えると周りの漢字を上から右回りに読むと『吾唯足知』(ワレタダタルヲシル)となります。 まさに、禅の心ですよね。私の好きな言葉の一つです。龍安寺の後は仁和寺へ行きました。 紅葉がとってもきれいです。突然降ってきた雨も直ぐに上がり、日が差してきました。その光がまるで、天使の通り道のようです。 仁和寺の庭園も木々が色づいてとても美しい。仁和寺を出るとまだ4時くらいだったので京福電車に乗って嵐山へ行くことにしました。嵐山ではちょうど紅葉のライトアップをしていると聞いたのです。天龍寺塔頭の『宝厳院』というところです。 なんとも美しく夢の世界のようです。 紅葉の時期の京都は最高です。お天気にも恵まれ本当に素敵な一日でした。今日はここまでです。読んでくださってありがとうございました。
2006.12.01
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