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DE1039+60系客車:日中線国鉄日中線は、磐越西線喜多方駅から分岐するローカル線で、朝、午後、夕方に各1往復の計3往復のみ設定されていた超赤字ローカル線として有名でした。おそらく政治的背景から線路が敷かれたのでしょうが、私が1往復乗った時も殆どが鉄道ファンであり、地元で乗降する人は全くと言って良いほどいませんでした。折りしも春休みの期間でしたので、高校がお休み。普段は高校生くらいしか利用者が居ないのでしょう。3往復とも客車列車による運行で、無煙化後はDE10型がその任に当たっていました。上野からの夜行急行「ばんだい」に接続し、始発列車は会津若松から直通で終点熱塩まで運転されます。私もこのセオリーに則り、季節列車の夜行「ばんだい」で日中線を目指しました。※撮影は、全て昭和57年3月21日 日中線 熱塩駅にて。編成は、DE1039+オハフ613034+オハ612926で機関車込みの3両編成です。客車は2両ですが緩急車は1両しか連結されておらず、後部標識灯が1個付けられる純然たるローカル線を醸し出しています。しかし、この日中線はたったこれだけの運転本数、両数なのになぜ気動車化されなかったのが不思議です。磐越西線は圧倒的に客車列車が多かったのは事実ですが、気動車列車もそれなりの本数があったので、乗務員が手配できないわけでも無い筈です。このあたりは組合との確執があったのではないかなどと想像してしまいます。写真をご覧いただけるとお分かりと思いますが、確かこの日中線はこの山を越えなくては山形方面へ抜けられません。殆ど乗客が望めないような状況の中で、どれだけ資金をつぎ込むことになるのか、結果は考えるまでも無く「無駄」であることは誰にでも想像できましょう。無くなるべくしてなくなってしまった日中線。無くすべきではないという意見も多々あると思いますが、作るべきではなかった路線が全国にどれだけあったことでしょうか。無くしてしまうことを罪に感じることもありますが、作ることが罪になったケースはこの日中線だけではない筈です。送料無料◆A3672 マイクロエース キロ59系 リゾートサルーンフェスタ 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】A3672 キロ59系 リゾートサルーン・フェスタ 3両セット[マイクロエース]【送料無料】《08月予約》ほんと、色んなもん出しますんね。しかも髙っ!
2024.02.29
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営団地下鉄・東京メトロ:東西線 5000系帝都高速度交通営団(営団地下鉄)5000系は、東西線開業に向けた昭和39年に3連6本が製造されています。東西線は、当初の開業区間が高田馬場~九段下間であり、検車区も飯田橋と全線が地下区間であったため、地上から開口してクレーンで車体を下ろして搬入すると言う手段が取られたことは有名です。5000系の殆どは東西線用として製造されましたが、一部が千代田線用6000系の製造前に導入されています。千代田線でも50両ほどが使用されていましたが、昭和56年に東西線増強用として千代田線から転属となり、北綾瀬支線用を残して全てが東西線用となっています。5000系には製造年次によってアルミ車とステンレス車が存在します。当初は統一が図られていましたが、編成増強の際に混結されるようになり、コルゲートのないアルミ車とコルゲートのあるステンレス車で不統一な編成が存在しました。平成15年5月3日 原木中山駅にて平成15年5月3日 行徳駅にていずれも東西線の301系・103系の写真を押さえに行った際についでに撮影したものです。5000系は直ぐになくなるような感じはしなかったのですが、既に05系が登場して久しくなっていましたので、増備のペース次第ではあまり先が長くないなと思ってました。案の定、それからは東西線の写真を撮る機会もなくなり、いつの間にか同車も消えてしまってました。昭和56年頃 高円寺駅にて 東西線乗入れ車 5000系営団地下鉄時代の5000系です。この時代では、地下鉄車輛である以上、まだ冷房装置も搭載されていません。併走する103系冷改車の特別快速も懐かしいですね。昭和では当たり前の日常シーンでした。5000系の最終運行は、平成19年3月17日だったそうです。
2024.02.28
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国鉄 キハ22:美幸線美幸線は、1964年(昭和39年)10月5日に開業した国鉄線で、宗谷本線美深駅からオホーツク海に向けて東進、沿岸から興浜北線北見枝幸駅へ接続する計画でしたが、工事半ばに国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、その計画は頓挫することになります。1日3往復のみの設定で、朝、午後、夕方に各1往復する、北海道では良く見られたローカル線の典型的なパターンです。高校生の通学を見込んだ設定ですね。もちろん、単行のみです。※撮影は、昭和56年3月14日です。美深駅にて美深駅にて出発を待つ、美幸線の始発列車。美幸線はたったの4区間のみが暫定的に開業になっていましたが、距離的には21.2kmもあります。これは、最後の1区間である辺渓~仁宇布間が15kmもあり、それだけ人が住んでいない場所を走っていることを示しますね。山手線でしたら、この駅間に15~20駅くらい出来てしまいます。サボ写真は美幸線のサボですが、良く見ると下地から「北見行」の文字が凹んで見えます。1列車分の左右2枚あれば良いので、新調するまでもなかったということでしょうか?それとも、盗難にでも遭ってしまったんでしょうかね?仁宇布(にうぷ)駅にて私は同行した友人と一緒に乗りましたが、確か乗車は8人くらいだったような記憶があります。終点では10分もしないで折り返しとなりますので、その間に入場券を購入したり、できるだけ美幸線と判るように写真を撮るなど、かなり慌しい時間で終ってしまったように思います。バックには鉄道とは比較にもならないほど立派な道路橋が写っていますね。この頃から自動車免許の若者総取得時代みたいな感じになってきたように記憶しています。1両編成のホームには駅名板が1つのみ。この角度からだと「こうふ」にも見えちゃいますね。乗っていた8人の乗客のうち、7人は折り返しの列車に乗っていました。下りに乗ってきた女性1人だけが、雪に閉ざされた町中へと消えていった姿が印象に残っています。同線は、深名線や白糠線、添田線とともに、日本の最たる赤字ローカル線として毎年話題になっていました。これを逆手にとって乗客誘致なども行っていたようですが、それでもこの路線に乗客が殺到することなど考えられる筈も無く、お金を落とすべき乗客が「ワイド周遊券」で当たり前のようにタダ乗りしてしまう訳ですから、収入が上がる筈もありません。何度も日本一に輝いた赤字ローカル線は、当然のごとく廃止の対象となり、1985年(昭和60年)9月16日をもってその短い歴史にピリオドを打っています。
2024.02.27
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183系:特急「しおさい」「しおさい」は、昭和50年3月10日のダイヤ改正で、総武本線の全線電化により誕生した特急列車です。それまで、総武本線の優等列車は急行「犬吠」が気動車で運転されており、特急「しおさい」の誕生とともに電車化(153系・165系)されています。誕生当初は東京~銚子間を結んでおり、5往復の設定となっていました。昭和57年11月のダイヤ改正からは、ペア設定されていた急行「犬吠」が廃止となり、増発及び両国発着・新宿発着の列車が発生しています。昭和52年頃 錦糸町駅にて総武本線地下線用のATCを搭載した特急型としてデビュー。スピードは急行列車時代とあまり変わらず、料金値上げだけのような不満が起こりました。53・10改正前の文字マーク時代、撮っていたのはこの1枚だけでした。昭和54年頃 錦糸町駅にて53・10改正からは房総特急もイラストマーク化されました。昭和55年5月5日 佐倉~南酒々井間にて昭和55年冬頃 佐倉駅にて佐倉駅もすっかりキレイになってしまい、この頃とはかなり印象が変わってしまいました。昭和57年8月23日 佐倉~南酒々井間にてマミヤ645を買って写真を撮りに行きました。間もなく急行が全廃になるということで、急行「犬吠」を撮りに行ったときに撮影したものです。この場所は、比較的に南酒々井駅から近いところだと思いました。昭和57年8月23日 佐倉~南酒々井間にて同じ日に撮影したもので、かなり佐倉駅寄りまで歩いたところ。こちらは平らな田園地帯です。少し離れたところには、佐倉駅で分岐した成田線も見えた記憶があります。民営化されてからは房総地区への興味もなくなり、全く撮りに行きませんでした。平成17年12月、183系の撤退により、255系又はE257系での運転が継続されていますが、255系は令和6年3月ダイヤ改正により撤退すると発表されています。
2024.02.26
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E233系京浜東北線:根岸線 全通50周年記念ヘッドマーク令和5年、根岸線が全通50周年を迎えたということで、記念ヘッドマークを掲載した編成が運転されました。根岸線 全通50周年記念ヘッドマーク 掲出元々、現桜木町駅が日本最初の鉄道区間であり、当初の横浜駅だったそうです。東海道本線が現横浜駅から直進して西へ目指すと共に、桜木町を経由する線路は海へと向かって延伸され、昭和39年に磯子へ、昭和45年に洋光台へ到達します。私が初めて鉄道に興味を持ち、日本地図から駅名を覚えるようになった頃は、まだ西の終点が洋光台でした。この頃はまだ小学2年くらいでしたから、写真で記録する考えなど全くありませんでした。そして、昭和48年に大船へと到達し、それ以来50年にわたってほぼ変わらない運転形態が続いています。小学生のある日、突然に京浜東北線の行き先が「大船」に変わってしまった時は、何のことかさっぱり意味が分かりませんでした。令和5年7月28日EF641053牽引:団体列車「上野駅・高崎線開業140周年記念号」 の撮影の際、偶然に通りかかったヘッドマーク付きを撮ることができなかったので、40分程の時間ロスを覚悟で折り返しを待ちました。こうしたネタモノはいずれと思っているといつの間にか終ってしまうことが多いのです。令和5年9月22日もう撮ることはないかと思っていたのですが、また撮ることができました。その後ももしかしたらと記録したまま放置してしまったのですが、取り付けは10月末だったそうで、全然気が付きませんでした。こうした記念ヘッドマークは積極的には捕獲していませんが、さすがに地元ネタでもあり、洋光台時代の思い入れもあったため、記録とともに小学生時代を思い出す良いきっかけとなりました。送料無料◆A3672 マイクロエース キロ59系 リゾートサルーンフェスタ 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】A3672 キロ59系 リゾートサルーン・フェスタ 3両セット[マイクロエース]【送料無料】《08月予約》JR西日本キロ59系 リゾートサルーン・フェスタ 3両セット A3672 Nゲージ【予約】[鉄道模型]マイクロエース (Nゲージ) A3672 キロ59系 リゾートサルーン・フェスタ 3両セット
2024.02.25
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国鉄 キハ22:根室本線 普通列車昭和50年代、北海道の気動車と言えばキハ22が代表格で、荷物輸送が必要な長距離普通列車以外或いは地方交通線ではどこでも見られる形式でした。北海道においても、幹線には特急や急行列車が多数設定されており、輸送力が確保されていましたが、こと普通列車に関してはローカル線然としており、それほどの輸送力は求められていませんでした。根室本線も重要幹線ではありましたが、特に狩勝峠を挟む落合~新得簡は直通客が少なかったようで、荷物輸送主体の客車普通列車1往復の他は、わずか3往復のみしか設定されていませんでした。(昭和55年時刻表より)昭和56年3月13日 根室本線 落合~新得間にて 435D2回目の渡道で初めて着地した狩勝峠。初回は駅間撮影をしていませんでしたので、当時としては結構な冒険でした。あまり普通列車は撮影しませんでしたが、如何せん本数が少ないので撮っていた次第。キハ22がたった2両の本線普通列車。これでも輸送力としては過剰であったものと思われます。1日3往復の気動車による普通列車があり、撮影可能時間帯には午前中の上り2本と、午後の下りの1本のみです。この列車は下り列車でしたので、旭川発新得行きの435Dだけしか対象が無かったため判明しました。
2024.02.24
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国鉄 輸入電機 ED182:入換機械時代飯田線から引退した車両たちを撮影しようと、国鉄浜松工場に行ってみました。工場の回りを徘徊していると、ある物体を見つけました。そう、それが、かつて飯田線の貨物列車の牽引に活躍したED182でした。昭和58年6月29日 浜松工場にて(敷地外から撮影)ED182は、大正末期にイギリスから輸入されたED50に端を発するもので、その後ED17に改造、さらに飯田線入線に際し、昭和30年頃に軸重軽減のために遊車を設ける改造を施したものです。このED18の現役時代は飯田線には来たことがありませんので、実物を見るのはもちろん初めてでした。工場の入換用機械として使用されていることは雑誌か何かで見たことはあったのですが。なかなか趣のあるスタイルですね。感動しました。ただ、この錆びの浮き具合からして、使ってるようには見えませんでした。機械扱いなのに、ナンバープレートをつけたままなのは、工場に働く人の思い入れの表れだと思います。まさかこの車両が本線営業車に返り咲くとは夢にも思っていませんでしたが、さすがに老朽化に耐えることが出来ず、再度廃車になってしまいました。しかし、戦前生まれの古参車両が再び大手を振って本線を走ることができ、最高に幸せ者だったと思います。なお、同機の入換機械化にあたり、前後に小デッキが取り付けられたそうで、現役時代や佐久間レールパークでの保存、さらに車籍復活時にはオリジナルに復元されており、この写真に示す形態とは趣きが異なります。マイクロエースからED18が発売されるそうです。再販かと思いきや、前作はED18-1で今回はED18-2。復活後のスタイルのようです。値段が7700円→12980円!ふざけんな!って値段ですね。KATOからED19が数バリエーション発売された今となっては欠かせない形式ではあるんですが・・・。A3805 マイクロエース ED18-2 リニア鉄道館保存機 Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】A3805 ED18-2 リニア・鉄道館保存機[マイクロエース]《08月予約》ED18-2 リニア鉄道館保存機 A3805 Nゲージ【予約】[鉄道模型]マイクロエース (Nゲージ) A3805 ED18-2 リニア・鉄道館保存機【中古】Nゲージ マイクロエース A3801 国鉄 ED18-1 【A】
2024.02.23
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キハ40系:函館本線 普通列車(その1)国鉄時代、旧型の10系や20系気動車を置き換えるために誕生した新鋭キハ40系。使い勝手や性能の良さ、故障の少なさなどから長年使用されてきましたが、近年は老朽化による廃車が進み、さらには財政状況の悪化から新車の導入も進まず、列車や編成の減便など厳しい状況に陥っているようです。しかし、JR北海道ではこのところ急速に置き換えが進み、2024年度中にすべて撤退することが発表されました。今回の写真は、あくまでもメインではない被写体でありながら、たまたま撮影していたキハ40系使用の普通列車2枚です。昭和58年9月7日 大沼~大沼公園間にて社会人になってからは初めての渡道。国鉄に入社して休みが取りづらくなったため、青函連絡船と特急「北海」と的を絞った撮影でした。とにかく、東京を出てから帰ってくるまで、1度も雨が止まなかったという最悪の撮影コンディション。誰一人として居ない公園施設が悲しいですね。昭和63年2月24日 石倉~野田生間にて青函連絡船の廃止が絡んで撮影に行ったとき。ちょうど「おおとり」も廃止がアナウンスされていたかもしれません。JR化されてから1年近くが経っていますが、全体の印象としてはまだ「国鉄」だった頃ですね。
2024.02.22
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キハ65系エーデル車:急行「シュプール白馬・栂池」『DE10牽引14系リゾート車:急行「シュプール白馬・栂池」』『DE10牽引20系リゾート車:急行「シュプール白馬・栂池」』『キハ181系:急行「シュプール白馬・栂池」』に続き、最後のカテゴリであるキハ65系エーデル車による急行「シュプール白馬・栂池」をご紹介いたします。平成2年2月16日 平岩付近にて 427D平成2年2月17日 北小谷駅付近にて 427D2日間にわたって撮影したキハ65系エーデル車による急行「シュプール白馬・栂池」号です。当時のDJから運用を割り出したところ、該当である「シュプール白馬・栂池5号」は金曜夜に神戸を出発して土曜日の早朝に南小谷に到着。キハ181系の場合と同様に、糸魚川まで普通列車として折り返し、その日の夕方までに向日町に戻ります。整備の後また夜に神戸を出発し、前日と全く同じ行程を辿り、糸魚川から富山へ整備回送され、また午後の発車までに間に合うように糸魚川へ回送されます。ここでまた普通列車で南小谷へ行き、折り返しが「シュプール白馬・栂池2号」として神戸まで運転されます。この動きを毎週繰り広げていたようです。この5号の運用では南小谷着が7:29となっており、さすがにこれを撮影することは出来なかったようで、折り返しの普通列車運用である427Dを2日間にわたり撮影したようです。厳密にいえばただの普通列車の写真ですが、「シュプール白馬・栂池」が運転されなければ実現されない運用ということで、ここでは「シュプール白馬・栂池」として整理することにしました。このエーデル車も関西では遭遇することなく終わってしまいましたので、これが最初で最後の出逢いとなってしまいました。98778 JR 485系・キハ65形(北近畿・エーデル丹後)セット(8両)[TOMIX]【送料無料】《08月予約》送料無料◆98778 TOMIX トミックス JR 485系・キハ65形 (北近畿・エーデル丹後) セット(8両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】JR西日本485系・キハ65形(北近畿・エーデル丹後)セット(8両) 98778 Nゲージ
2024.02.21
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183系田町車:イベント団体列車「美里 雪の夢列車」平成22年2月20日、十日町雪祭りと渡辺美里25周年のタイアップで、団体臨時列車が走りました。列車は「美里 雪の夢列車」のタイトルが付き、ヘッドマークが掲出と言うこと。完全のノーマークの列車だったのですが、確認したところ同年3月号DJにも掲載されていました。キヤE193系の回送との競合を考慮し、ここは敢えて与野駅近辺で済ませようと、久し振りに行ってみました。※撮影は、平成22年2月20、与野駅にて。逆光で障害物の多い先頭は捨てショット。正面アップのみの撮影。ヘッドマークどころではなく、装飾が珍しく派手にしてありました。しかも、正面だけではなく。サイドのドア付近にも装飾があり、方向幕もヘッドマークと同じようなデザインのシールが張られていたようです。しかし、このヘッドマークは凄いですね。シールである筈なのに、まるで液晶画面を表示しているかのような鮮やかさを持ったものでした。金が掛かってますね。後部も残念ながら陽が回るのが正面のみ。側面の装飾までは表現できませんでした。この列車、実はもの凄くゆっくりとしたスピードで走っていたんですよね。考えてみれば、余裕で側面も撮れた筈なのですが、非常にタイトなスタンスの場所に4人も居たので、確実に後部を押さえることに集中してしまった結果、考えを失っておりました。こういうときこそ、大宮駅での駅撮りのようなケースの方がジックリ記録できましたね。良く見ると、先頭のヘッドマークの日本語版、後部のマークは英語版でした。ところで、DJでは大宮車OM編成充当との情報だったのですが、実際には田町車H61編成が充当されています。ただ、この装飾を考えた場合、特急マーク付きの多い大宮車では難しくなってしまいますので、敢えて田町車に振り替えたのではないかと思われます。
2024.02.20
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キハ40系:快速「深浦」平成26年3月のダイヤ改正において、五能線と青森駅を結ぶ直通の快速列車「深浦」が廃止されました。この列車の歴史は古く、伝統のある優等列車でした。昭和40年10月ダイヤ改正において、鰺ヶ沢~青森・鮫を結ぶ準急「岩木」として誕生し、昭和43年3月に準急列車の制度がなくなったために急行列車となり、同年10月ダイヤ改正で名称を「深浦」と変えています。その後、運転区間の変更や、他の急行列車との併結、一部区間の普通列車化などの変遷があり、昭和57年11月改正において快速列車へと格下げになって、終焉の頃までそのスタイルが続きました。最終的な運転区間は深浦~青森となっていましたが、下り列車の深浦発は弘前行きとなっており、鰺ヶ沢で増結された2両が青森行きとなります。下り列車は青森~深浦となっていました。住まいからして縁のない列車でしたが、特急「日本海」の最後を撮影に行った際、そのダイヤの関係から快速「深浦」を撮影することが出来ました。平成24年3月12日 鶴ヶ坂~津軽新城間にてキハ48とキハ40の2連のようです。過去に五能線を訪れた時は、まだキハ40系がすべて首都圏色(いわゆるタラコ)であり、キハ58系も走っていました。最後の頃は五能線色と、一部タラコ色があったようです。平成24年3月13日 鶴ヶ坂~津軽新城間にてこちらは翌日に撮影したもので、キハ48の2連になっています。運転本数の少ない区間ですから、このような直通快速列車と言うのは重宝されそうなものですが、時刻表を見て唖然としました。全運転区間の中で通過する駅はたった2駅のみ、しかも電車普通列車が37分ほどで走る区間を50分も掛けている訳ですから、乗り継ぎで電車化したほうが所要時間を短縮できる可能性があります。車両の違いからボックス席云々という声も聞こえそうですが、それはファンの心理から来るモノだけで、現地の利用されている方からすればどうでも良いことだと考えます。「これは廃止になっても仕方ないか・・・」と思うより先に、「良く今までもっていたな・・・」という印象でした。いずれにしても、伝統のある列車がなくなることは寂しいものですが・・・。A8576 シキ801B1(積荷なし) 日本通運株式会社(NX)[マイクロエース]【送料無料】《06月予約》送料無料◆A8576 マイクロエース シキ801B1 (積荷なし) 日本通運株式会社 (NX) Nゲージ 鉄道模型 【未定予約】[鉄道模型]マイクロエース (Nゲージ) A8576 シキ801B1(積荷なし)日本通運株式会社(NX)
2024.02.19
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183系OM車:特急「新雪」(幕回し)川越センターで撮影したOM車の幕回しですが、臨時特急「新雪」をご紹介いたします。この列車も小学生の頃から知っていましたが、冬場のみの運転で上野駅発が早朝のため、撮影することがままならない列車でした。高校生の頃、ASA400のフィルムも手頃になり、低速撮影のテクニックも身についたので、朝でも夜でも撮影は十分にできた筈ですが、53・10改正以降、イラスト化されたヘッドマークに興味がなく、あまり特急列車の撮影もしなくなってしまいました。まして、当時は「いい大人が駅撮りなんて」という風潮もありましたし。そんな時代背景もあり、183系や185系による臨時特急「新雪」は未撮影となっていました。※撮影は、平成23年10月22日 OM101 川越車セにて。企画列車で運転されたような記憶もあるのですが、おそらくその頃はリバイバル運転に興味がなかったころだと思います。文字マークは新鮮で、実際に走っていた時代を思い起こさせます。181系が撤退した昭和52年初冬以降、翌昭和53年の秋にはイラスト化されている筈ですので、実際には長くても2シーズンしか運転されなかったものと思われます。こちらはイラスト化されて以降のマークになります。昭和54年以降の使用で、昭和62年まで運転されたようです。しかし、昭和57年以降は185系も登場しており、この間も183系0番台や485系・489系などの応援で設定されたことも多くあるため、183系1000番台が使用された日数はそれほど多くなかったかもしれません。この写真を撮った時代に企画列車としての「新雪」が設定されれば間違いなく撮影に行っただろうと思いますが、OM183系はそんな機会もないまま廃車となってしまいました。10-1910 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) C編成 3両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》送料無料◆10-1910 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1910 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)C編成 3両セット送料無料◆10-1909 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1909 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) A編成+B編成 6両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1909 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)A編成+B編成 6両セット送料無料◆セット販売 10-1909/10-1910 KATO 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット+C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆10-1911 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) 三重連 9両セット (特別企画品) Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1911 近鉄10100系〈新ビスタカー〉 三重連 9両セット 特別企画品[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1911 近鉄10100系「新ビスタカー」 三重連 9両セット
2024.02.18
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弘南鉄道:旧型車両たち(昭和55年)弘南鉄道は、青森県の弘前を中心として設置された路線です。私自身は弘南鉄道を訪れたことは一度もありませんが、初めて北海道に渡るにあたり急行「津軽」を利用、大鰐駅を発車する際に窓から見えた弘南鉄道の写真を撮影しています。列車の加速が悪いだけに、数枚撮ることができましたのでご紹介いたします。※写真は、昭和55年3月19日、奥羽本線 大鰐駅にて。こちらはED221とキ106ラッセル車のコンビです。キ106は元国鉄のキ100型で、蒸気機関車時代の雪国を支えた貢献者です。そして、電気機関車のED221は、国鉄から西武鉄道→近江鉄道→一畑電鉄を経てやってきました。この2台は未だに現役であり、冬になると活躍のシーンが多く見られるようです。今もってこのような車両が現役で居てくれるのは素晴らしいことですね。国鉄駅に隣接して電留線があります。私はこの鉄道に詳しくないので、どの車両にどんな生い立ちがあったのか良く分かっておりません。モハ105(真ん中の写真)は日本車両標準型でしょうかね。ローカル私鉄で良く見られるタイプのものだと思います。左には元富士身延鉄道のモハ2250が見えます。風貌は国鉄省電のモハ14にそっくりですね。こういう車両、大好きです。今ではご他聞に洩れずに経営は厳しいようで、東急電鉄や南海電鉄から購入した中古車で細々となっているようですね。その後、寝台特急「日本海」」「あけぼの」の撮影に訪れた際、大鰐線だけは実際に乗ることができました。その際、大鰐駅は「大鰐温泉」に改名され、弘南鉄道はそのままとなっているため、連接された駅ながら駅名が違っていることを初めて知りました。
2024.02.17
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国鉄 キハ10系:キハ1212キハ12は、国鉄キハ10系の酷寒地向けトイレ付き両運転台車です。昭和31年に22両が製造され、全て北海道内でのみ使用されています。寒冷地用キハ11形100番代とは二重窓になっている点で違いがあります。昭和55年3月 釧路駅にて 側線に留置されていたキハ1212当時でもキハ10系は全国的に廃車になってしまっていた時代ですので、北海道でも元々少数派のキハ12に逢えるとは思っていませんでした。昭和55年までに全車が除籍されたことになっていますので、同車も既に廃車又は廃車前提の休車になっていたと思われます。キハ10系自体の写真を持ち合わせていないので、私の数少ないキハ10系の資料となっています。出来ることなら、元気に本線を走っているシーンを撮ってみたかったです。
2024.02.16
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789系:特急「スーパー白鳥」平成14年12月1日、東北新幹線八戸開業に当たり、アクセス特急「はつかり」を引き継ぐ形で誕生した特急「白鳥」。JR東日本485系3000番台の「白鳥」及びJR北海道789系の「スーパー白鳥」の2形態で運転が開始され、東北新幹線新青森開業後も同様の運行形態で推移しました。平成28年3月21日、北海道新幹線の開業に当たり、切替工事の関係で早めの廃止となってしまいました。「はつかり」から「白鳥」への移行後、まったく北海道に渡ったことが無く、さらに青森の地でさえ足を踏み入れたことがありませんでしたので、「日本海」の最後を見届けに行った際に出会った789系が最初でした。平成24年3月11日 青森駅にて 789系 「スーパー白鳥25号」平成24年3月11日 青森駅にて 789系 「スーパー白鳥31号」平成24年3月12日 青森~油川間にて 789系 「スーパー白鳥25号」平成24年3月12日 青森~油川間にて 789系 号数不明青森をうろついている間に何本もの「スーパー白鳥」を見ましたが、駅撮りを何本しても同じなのでこれしか撮っていません。また、青森駅内に長い時間滞在していた訳ではないので、485系「白鳥」は1回も逢えませんでしたし、785系300番台は目撃したものの、他の列車を優先したために見送り、翌日からは増結が解除されて結局は撮影することができませんでした。その後も訪れる機会があるかと思っていましたが、月日があっという間に経過してしまい、この時の撮影が最初で最後となってしまいました。青森駅に到着した際、1分差で発車した新青森までの「スーパー白鳥」に思わず飛び乗り、1駅だけでも乗ることが出来たのがせめてもの救いでした。
2024.02.15
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EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」随分前に『EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」』にてEF58が牽引する臨時特急「踊り子」をご紹介いたしました。数年後、再度運転の機会を捉え、東海道ブルトレを撮りがてら、撮影に出掛ける機会がありました。既に『EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」』でご紹介した写真の翌日、伊豆急線内で挑戦した写真があります。結果的に14系客車による臨時「踊り子」を撮影した最後の写真となりました。※撮影は、昭和62年2月14日、撮影場所不詳。EF5861牽引 14系客車 「踊り子55号」前回のEF65牽引「踊り子」の翌日でした。こちらの日は、確か事前にEF5861牽引の情報が公表してあったように記憶しています。やっと来た!という感じでした。今のようにブログでご紹介することが分かっていれば、もっとアップで撮っておけば良かったと思いますが、当時はSLを含む景色重視の写真に拘っていた時代であったため、こんな写真しか撮っていませんでした。今だったら終着まで追い掛けて、これでもかっていうほど記録を残していたことでしょう。
2024.02.14
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東武鉄道 8000系:東武東上線(池袋口10連)平成27年1月17日、東武東上線の池袋~小川町間における8000系による運転が最後となりました。同区間の信号装置の切り替えに伴い、8000系には対応工事を施工しない。つまり乗り入れることが出来なくなってしまうため、との理由のようです。8000系自体は東上線北部区間や越生線で残りましたが、池袋へ顔を出さなくなることにより、10両編成での運用が消滅するというものです。平成21年5月3日 朝霞台駅付近にて 8111F平成21年5月3日 朝霞台駅付近にて 8112Fこの時は、有楽町線乗入車の7000系Y編成を記録するために出掛けたものですが、8000系がまだまだ残る中、原型顔は2編成のみとなっていたため記録できればと思っていた程度でした。この写真、記録を見ると全く同じ7時59分となっています。下りの8111Fを見送って直ぐにファインダーに飛び込んで来たのが8112F、といった絶妙のタイミングで2編成とも記録できました。平成22年7月28日 池袋駅にて仕事で現場に向かう際、乗り換えのために東上線ホームに上がると、停まっていたのが8111Fでした。写真を撮るために下り方へ移動していくと、朝のラッシュタイムのために直ぐに発車してしまい、ホーム端まで間に合わず、カメラを出しながらなんとか撮った写真。なので構図も出来高と言った感じに。平成22年7月28日 大山~中板橋間にて 8660先頭は2両編成の8560F?運転台の乗務員ドアと助士席側の乗務員ドアって裾の長さが違うんですね。初めて知りました。平成22年7月28日 大山~中板橋間にて 8416こちらは4両編成の8116F?を先頭とする10両編成。これも結構初期車ですね。いずれも現場待ち合わせのわずかな時間での撮影。本数がありました。実はこれだけしかありませんでした。これ以降も仕事やプライベートで4~5回くらいは写真を撮る機会があったのですが、タイミングが悪かったり来なかったり、記録することが出来ませんでした。並走する埼京線から、毎朝当たり前のように眺めてきた8000系が無くなるというのも信じられない気がします。時代は徐々に進み、ある日突然姿を消してしまうんですね。
2024.02.13
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一畑電鉄:デハ3私は旧国鉄派の人間ですので、特にひいきしていたり執着している私鉄は無いのですが、旧型車は食指が勝手に動いてしまうので、ローカル私鉄は寄り道程度に撮影に行くことがありました。59・2ダイヤ改正により、その時勤務していた「大宮操車場駅」のハンプ入換えが廃止となり、余剰人員として何もすることが無くなってしまい、同期の同僚と旅をすることにしました。国鉄大社線を訪れたとき、帰り際にチョット立ち寄ったのが一畑電鉄でした。昭和59年2月12日 一畑電鉄(当時名称)出雲大社前駅で折返しを待つデハ3昭和59年2月12日 出雲大社前駅を発車し鉄橋を渡るデハ3駅に立ち寄らないうちに線路に出てしまい、停車中の電車を見つけました。何時発車するか分からないし、ローカル線のことですから次の電車まで待たなければならない不安もあったので、発車してくるのをひたすら待っていました。この旅行のときは雪又は雨の天候で、非常に寒かった記憶があります。当時はあまり貴重な車輌とも思っていませんでしたので、オレンジ色をした車輌も見かけたのですが、写真には撮りませんでした。せっかく時間があったのですから、もう少し乗るなり撮るなりしておけば良かったと悔やまれます。
2024.02.12
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20000形RSE車:特急「はこね」小田急電鉄20000形RSE車については、20000形RSE車:特急「あさぎり」にてすでにご紹介済みですが、同車は「はこね」にも共通運用されており、2コマだけ記録がありました。今回はRSE使用の「はこね」をご紹介いたします。平成23年10月29日 登戸駅にて 「はこね2号」平成23年10月29日 喜多見駅にて 「はこね15号」
2024.02.11
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681系・683系:特急「はくたか」昭和40年10月ダイヤ改正において誕生した特急「はくたか」は、その姿、経路を変えながら東京と北陸を結んできました。上越新幹線の開業で一旦は姿を消しましたが、北越急行線の開業をもって北陸への新しいアプローチと再び登場し、在来線では異例の狭軌160km/h運転を行うスーパー特急として走り続けてきました。平成27年3月、北陸新幹線の金沢開業に伴い、その役割を終えることになりました。それまであまり遭遇したことは無かったのですが、廃止を目前に多くを記録することができました。平成20年4月22日 金沢駅にて 683系 「はくたか」新性能化されて初めての北陸でしたが、この時は金沢以西に行ってしまったため、「はくたか」はこの1枚だけでした。平成23年5月4日 直江津駅にて583系「きたぐに」を撮影するために信越本線内に行った際、帰路に立ち寄った直江津駅。駐車場で「妙高」の写真を撮っていると、ちょうど上り「はくたか」が到着しました。混結編成に驚いたものですが、日常的に「当たり前」であることは知りませんでした。平成27年1月23日 越後湯沢駅にて 681系 「はくたか4号」北陸新幹線開業前最後の姿を撮るため、初めてほくほく線経由で「はくたか」に乗車しました。乗った車両は自由席車、クモハ681-2501でした。平成27年1月23日 黒部~生地間にて 「はくたか9号」平成27年1月23日 倶利伽羅~津幡間にて 「はくたか10号」平成27年1月23日 倶利伽羅~津幡間にて 「はくたか19号」平成27年1月23日 金沢駅にて 「はくたか23号」平成27年1月24日 小杉~呉羽間にて 681系 「はくたか13号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 681系 「はくたか17号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 681系 「はくたか10号」 平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「はくたか12号」今回の撮影ではかなり枚数を撮りましたが、残念ながら統一された編成では運用されていなかったようで、最後の1枚だけ683系のホール赤でした。しかし、アングルの関係から全編成が構図にされていないので、ちょっと残念でした。平成27年1月25日 越後湯沢駅にて 681系 「はくたか15号」一連の撮影で最後に乗って帰ってきたのがクハ681-6を先頭とする編成。長年親しまれてきた「はくたか」の名称は、北陸新幹線の各停タイプとして引き継がれることになりました。在来線「はくたか」の廃止とともに、高規格線路で「はくたか」の俊足を支えてきたほくほく線が、ローカル然とした鉄道になってしったことを非常に勿体無く思います。
2024.02.10
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EF15165牽引:14系客車「サロンエクスプレス東京」総数202輌が製造され、東海道や近畿、首都圏を闊歩していたEF15ですが、昭和60年には全国からほぼ姿を消してしまい、高崎第2機関区に165号と200号の2輌が残るのみとなっていました。両機は、両毛線や吾妻線専用のような運用となってなっていましたが、両線とも既に貨物営業はなくなっており、工臨が主な仕業となっていました。そんな中、EF15にスポットライトの当たる時が巡ってきました。団体のサロンエクスプレスの入線にあたり、EF15の仕業が組まれたのです。私の記憶では、この時が初めての組み合わせだったと思います。撮影は、昭和60年2月9日です。長野原~川原湯間にて (2枚とも:駅名は当時表記)小野上~祖母島間にてこの日は、生憎雨又はみぞれのようなカメラマンにとって一番うっとうしい天気でした。どうせだったら雪のほうが良かったのですが・・・。それでも、このイベント並みの組み合わせは、ファンを集めるには十分すぎるシチュエーションでした。しかも、この日はもう1台の僚機である200号機も工臨として運転されたため、天候不良にも拘らず、かなりの人出がありました。※実物の写真はもう少し明るいのですが、スキャニングの都合で暗くなってしまいすみません。
2024.02.09
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DE10(DE15)牽引 貨物列車:釧網本線国鉄時代、釧網本線における貨物輸送も普通に行われていたわけですが、駅間距離が長く単線では多くの列車を走らせることができず、輸送量もそれほど多くはなかったため、客車列車との混合列車によるものが一般的でした。昭和59年2月の貨物大合理化において、釧網本線における一般貨物列車が廃止となり、混合列車の運転が消滅してしまいました。しかし、石油輸送などの専用貨物列車は少ないながらも存続したため、平成になってから1度だけこの貨物列車を撮影に行ったことがあります。平成2年3月15日 釧網本線 遠矢~細岡間にて釧網本線を行く石油輸送貨物列車ですが、プリントからのスキャンで画像が良くなく、DE10かDE15か判別できません。両数が多いときは重連運転もあったようです。釧網本線における専用貨物列車が廃止になるというアナウンスがあったため、急遽友人と撮影を強行してきました。結局はこの後、平成9年まで走り続けたらしいですが、私自身も結婚してからは同線を訪れる機会がなくなってしまい、JR貨物の列車としては最初で最後の1枚となってしまいました。初代「オホーツク流氷ノロッコ号」国鉄 釧網本線:混合列車国鉄 釧網本線:普通列車(客車列車)
2024.02.08
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キハ53500番台:深名線深名線は、函館本線深川駅から朱鞠内を通り宗谷本線名寄駅を結んでいた路線で、特定地方交通線が次々と廃止される中、道路事情が悪かったために廃止が遅れていた最後の超ローカル線です。北海道には過去11回も訪れていますが、鉄道が通っているとはいえ非常に不便な場所ですから、この撮影を合わせて2回しか訪れたことがありません。1回はマイカーで行ったと思いましたが、本数が非常に少ないため1本しか撮影できませんでした。乗ったことが無いまま廃止されるのも悔しかったため、敢えて雪のある時期に決死の覚悟で訪れたのです。※撮影は、平成2年3月12日 深名線 朱鞠内駅の前後にて。名寄発の朱鞠内到着列車朱鞠内発深川行き ここまで乗って来た列車の折り返し名寄から来た列車はそのまま折り返し 名寄行きとなるこの辺り道央部は、全国でも屈指の極寒に地です。ひどい時には零下30℃以下くらいまで下がることがあるくらいですから、クルマでの移動すら危険な場所であります。3月とは言っても北海道では真冬の気候となりますので、名寄本線~深名線の撮影では相当な覚悟が必要となるわけです。しかし、現地に行って驚きました。雨だったのです。一般的には、地表温度が4℃を下回わると雪になると言われていますので、まさかこの時期に雨に降られるとは思いませんでした。確かに、そんなに寒く感じなかったですね。撮影を続けているうちに雪に変わり、逆に何かホッとした感じがしました。昭和55年・56年と同じくらいの時期に北海道を訪れたときには、このようなことは考えられないほど何処に行っても寒かったので、当時はあまり騒がれていませんでしたが、既に温暖化の影響がかなりあったのではないでしょうか。朱鞠内を境界として、多少本数のある深川方面と、1日3往復しかない名寄方面は異なった表情があり、出来るだけ撮影に都合の良い時間帯を選定し、数時間の滞在で4カットの撮影をすることができました。雪が余り無かったので、除雪シーンを見ることが出来なかったのは残念でしたが・・・。使用車両がいずれもキハ53500番台のみで、変化が足りない気がしましたが、単行運転による暖房性能確保のためには止むを得ないのでしょう。結果的には最初で最後のような感じで終わってしまった深名線の撮影。極寒の地に存在した超赤字ローカル線の事実は、日本各地にあった赤字ローカル線と共にいつまで語り継がれるのだろうか。そんなことを考えてしまいました。送料無料◆10-1910 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆10-1909 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1909 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) A編成+B編成 6両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》送料無料◆セット販売 10-1909/10-1910 KATO 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット+C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆10-1911 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) 三重連 9両セット (特別企画品) Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1911 近鉄10100系〈新ビスタカー〉 三重連 9両セット 特別企画品[KATO]【送料無料】《06月予約》
2024.02.07
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国鉄型ディーゼル機関車 DE156(品川駅展示)除雪用機関車として蒸気時代のキに代わって登場したのがDE15形ディーゼル機関車です。DE10形を母体とし、ラッセルヘッドを連結することで除雪車となり、蒸気時代ではできなかったラッセルヘッドからの走行操縦もできるようになった優れものです。さらに、冬季以外はラッセルヘッドを外すことにより、DE10と同様に客車列車や貨物列車の牽引、入換機としての運用もできる万能機でした。国鉄時代の末期、貨物輸送が大幅に整理されると共に、客車列車の電車化・気動車化によって機関車需要そのものが減少したことに加え、降雪量の減少も相まって除雪車の出動量も減少したことにより、作業機械化が進むことになります。このような経緯から、大型の除雪機であるDE15、DD14、DD15といった除雪機は殆どが引退となりました。昭和55年頃 品川駅にて DE156過去ログ『建築限界測定車:オヤ31』でご紹介したことのある品川駅での車両展示において、一緒に展示されていたDE156を東海道・横須賀線ホームから撮影したものです。現像が硬調で粒子が粗くなってしまったのですが、なんとか6号機であることが読み取れます。所属札も差さっていますが、残念ながらこちらは判読不能です。JR化後は富山地域鉄道部富山運転センターで最後の0番台車として在籍していたようですが、残念ながら平成25年度に廃車になってしまったということです。かつて、D51498牽引の列車を撮影に行っていた頃は、会津若松機関区にゴロゴロしていたDE15ですが、夜間訪問ばかりだったので1枚も撮影したことはなく、自身の記録としては貴重なラッセル車であり、0番台としても唯一の記録となっています。
2024.02.06
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国鉄・JR貨物:EF651063(EF652063)令和5年12月4日、JR貨物のEF652060・2063・2065の3両が廃車のために回送されたそうです。既にEF65の全般検査が終了したと発表されているため、検査切れになったものは廃車となってしまいます。今回は、改番前のEF651063号機と、改番後の2063号機時代の記録をご紹介したいと思います。まずは改番後の1063号機です。平成21年5月9日平成22年5月22日 おおみや鉄道ふれあいフェア2010この時点までは3色更新塗装で、このフェアでちょうど入場して展示されていたのが1065機。おそらくはこの入場時に塗装が2色更新塗装変更のタイミングであったと思われます。この時点ではそんなことは全く意識していませんでした。平成22年8月1日 2071レ平成23年1月22日 2082レ平成23年7月27日 8685レやはり塗装変更されて出場してきました。入場期間が短いようですので、全検ではなかったのかもしれません。改番後の2063号機です。平成26年5月17日 8588レ令和元年5月3日 8876レ2000番台になってからはあまり撮影に当たらなかったようです。同機は国鉄色への復活が無かったので、保留期間が長かったためでしょうか?
2024.02.05
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DE10牽引 20系寝台客車:急行「シュプール白馬・栂池」『DE10牽引 14系リゾート客車:急行「シュプール白馬・栂池」』に続き、今回は20系寝台客車による急行「シュプール白馬・栂池」です。平成2年2月16日 平岩駅付近にて 急行「シュプール白馬・栂池7号」牽引機の車号は不鮮明で読み取れませんが、後部はDE101035と読み取れます。リゾート車と同様に、客車列車の場合は終点での機回しを省略するため、やはりプッシュプルでの運転となっています。こちらは3枚組の連続写真となりますが、とても移動無しで撮ったとは思えないほど景色の変わる線形でした。平成2年2月16日 平岩付近にて 回9133レ糸魚川送りの回送列車。俯瞰写真を撮るためにかなり歩いて登った記憶がありますが、途中からかなり雪が降ってきて、厳しい条件だったように記憶しています。平成2年2月17日 北小谷駅付近にて 急行「シュプール白馬・栂池7号」翌日、この列車は何故か後部だけ。しかも中途半端なアングルになっているのですが、何故このような事態になったのか、全く記憶がありません。子供の頃から大好きだった20系寝台車ですが、ヘッド帯がなくなってしまったり、短編成になったりと、とにかく末期は悲惨な使われ方をされていたように思います。それでも西日本では時刻表に載る臨時寝台急行などにも使用されていた時代で、最後まで寝台客車として比較的にそられしく使われていたかもしれません。10-1910 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) C編成 3両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》送料無料◆10-1910 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1910 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)C編成 3両セット送料無料◆10-1909 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1909 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) A編成+B編成 6両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1909 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)A編成+B編成 6両セット送料無料◆セット販売 10-1909/10-1910 KATO 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット+C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆10-1911 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) 三重連 9両セット (特別企画品) Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1911 近鉄10100系〈新ビスタカー〉 三重連 9両セット 特別企画品[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1911 近鉄10100系「新ビスタカー」 三重連 9両セット
2024.02.04
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キハ40系:釧網本線 普通列車過去に11回渡道したことがあり、就職してからは時間の関係で道南・道央までが精一杯になっていましたが、個人的には道東の「なにもない」風景が一番北海道らしい風景と思っています。特に、本線とは名ばかりでも、単行気動車だけではなく貨物列車や客車列車が走っていた釧網本線が好きでした。娘が生まれてからは宿泊の撮影などもなかなか行く機会が無くなり、特に時間が掛かる道東などは近寄るチャンスすらありません。そして時は流れ、令和5年になって道東地区から国鉄型のキハ40系がなくなるそうです。平成2年3月15日 細岡~塘路間にて キハ40×2連JRに移行し、既にキハ54形が進出しており、キハ40系の写真はこれ1枚だけでした。他はキハ54が単行で運転されていました。キハ10系時代から暖房性能の問題が残っていたのか、キハ54は単行運転であるのに対し、キハ40系は2連が組まれていたようです。3月の北海道はまだ真冬です。この時だったか、帰路の快速「しれとこ」は2両編成でしたが、積み残しが出そうなくらいの満席で、終点の釧路までぎゅうぎゅうの立ち続けで参ったものです。平成3年7月7日 原生花園付近にて キハ40721単行翌年は夏に本州からクルマを持ちこみました。釧路から釧網本線~石北本線を経由するという強行スケジュール。その途中に立ち寄った原生花園で、1枚だけ撮影することができました。既にJR北海道色が派生してきたようで、キハ54ではなかったために貴重な記録が残せました。この時は、この撮影の際にクルマのカギを紛失してヒドイ目に遭いました。スペアキーを財布に入れてあったため、難を逃れましたが、一緒に付けてあった列車のカギを紛失しまったのも人生の痛手の一つとして忘れられません。釧網本線ではキハ40系どころかキハ54までが運用から撤退してしまうそうで、景色は何十年も変わりませんが、旅情は激変してしまいそうです。
2024.02.03
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キハ20系 キハ2177:函館本線?キハ21は、キハ20に耐寒装備を盛り込んだ寒地向けとして昭和32年に誕生しています。主に北海道への配置となりますが、一部は東北地方でも使用されていたようです。車内レイアウトがキハ20と同様でデッキがないため、構造的に寒冷地には向かなかったようです。そのため84両の製造にとどまり、翌33年からは耐寒・耐雪性能が強化された酷寒地向けキハ22へと製造がシフトされることになります。昭和56年3月 札幌駅にて 普通列車に運用されるキハ2177基本はキハ20ですが、二重窓やエンジンカバーなど耐寒装備がされています。写真でもお判りのとおり、既にキハ40系も導入されていますので、キハ21にとっても晩年の時代の写真ということになります。昭和57年までに殆どの車両が廃車され、昭和59年に最後の1両の廃車によって幕を閉じることになります。【トミーテック TOMIX】TOMIX 9460 国鉄ディーゼルカー キハ22-0形 T9460 TOMIX トミックス 国鉄ディーゼルカー キハ22-0形 (T) Nゲージ 鉄道模型(ZN106603)キハ22-0形(M)【TOMIX・9459】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」TOMIX Nゲージ 国鉄 キハ22 200形 前期型 セット 98108 鉄道模型 ディーゼルカー
2024.02.02
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EF71牽引 50系客車:普通列車(JR改軌前)『EF71&ED78牽引 50系客車:普通列車(国鉄時代)』に続きまして、民営化後の50系客車による奥羽本線普通列車をご紹介したいと思います。平成2年2月18日 峠駅にて EF712+50系平成2年2月18日 板谷駅にて EF717+50系平成2年2月18日 赤岩駅にて EF71+50系このときは列車での訪問となったため、殆どが駅撮りでした。既にスイッチバックの廃止がプレスされていたので、各駅を訪問するのが目的でした。荷物輸送は廃止となり、さらに短編成化され、50系客車2~3両の編成となっていました。重連運転もなかったように記憶しています。平成2年6月30日 赤岩~庭坂間にて有名な庭坂の大カーブにて。最後の活躍を続けるEF71牽引の50系客車です。冬の写真から半年も経過していませんが、既に手前の線路(下り本線)は新幹線規格1435mmへの改軌工事が終わっています。客車を50系化したために遅くまで客車列車が存続した奥羽本線ですが、改軌とともに専用の車両しか走ることができなくなってしまい、スイッチバック共々その歴史にピリオドが打たれることになりました。
2024.02.01
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