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クランチマガジンに Homa というペンネームで投稿していた文章です。こたふこだま ~心に届いた言霊を木霊にして還したい~心に響いた言葉に こたえる言葉を添えて やさしく木霊させられたら.... そんな想いが表わせたなら……呼吸過去を振り返るのが怖いかい?大丈夫君がいるのは今だから未来が怖くて現在の一歩が踏み出せなくなる?大丈夫眠っていても手足、身体動かさずとも君も私も人生という旅路をあゆみ続けてるから秒針が進む度に呼吸(生き)するたび(旅)に“頑張れ” なんて私は言わない勝っても負けてもいいんだよ頑張ってなんてことは絶対言わないのどうしてか知ってる?どう過ごすか?それは君の自由でそれこそが君だから私が見たいのはそこ!結果より経過君の真剣な姿に痺れるんだ、私はそして真剣が緩んだ時のニコでもニタ でもボケー でもその君の顔に惹かれるんだから痛い笑顔みっともなく転げ落ちても笑顔、笑顔でいたい痛くてもみっともなくても笑顔でいたいそれは笑顔になっていないだろうけれどその複雑な心境は自分の心なのに理解し難いそれでも笑顔でいたいそれはきっと私が....空仰ぎ、地を踏みしめるためかもしれないさくら頑なにした心を、春の兆しに笑われた気がしたそんなに寒さ抱え込まなくたって、春風の前にその冬のコートを脱がざるを得なくなるのだからそして難くした心としかめっ面は、さくらのように綻び咲くのだから……と自信不安も緊張も要らないんだ一瞬先にはどうしよう....なんて思う必要もないんだ未来はどう転んだって構わないんだものどう転んだってその次の一瞬があれば起き上がるから地を握り、地を踏みしめる手と膝があれば何度だって起き上がるから上手くいかないものは上手くいかなくてもいいんだ上手い結果を求めるから、上手くいかないとため息が出る人は上手く行かない方法は試さないから、神様が上手くいくんじゃないかと思わせて、君にそれをさせているのかもしれないよ君の云う上手い結果は必ずしも、神様が思うそれとは同じではないかもしれないから鍵穴みつけ鍵となれ逆境にはある場所で上昇気流が流れてる内緒花しいつも咲いていないといけないならわたしはきっと咲かなかっただろう光明後悔することも後悔をする必要もない時はただ流れているようで何時だってその一瞬を図っているから出逢いにも別れにも一寸の時の狂いはないから大切な事は受容することそして受容と同じ大きさの夢をみること不可能だらけを可能に描いて希望と笑顔を失わないために....明日は希望という昼と絶望という夜の半分で出来ていて夜だけって事は絶対にありえないから世の界と真の実世界に私が属しているのと同じぐらい、私が世界を構築できる真実を追求できるぐらい、真実を想い描くことができる誰でもない君が、誰でもない私が君でなければ、私でなければ、描けない世界が必ずあるということそしてその世界は、君自身であり、私自身であるとびらそう君が云う通りに、深淵を覗くことは、深淵を覗かれることそして深淵を覗いているのも、覗かれてるのも 〝わたし 〟に他ならないそのことに気づいたら覗くことからも、覗かれることからも解き放たれた扉をみつけに行こうわたしがなりたいものさんざん降り続いた雨の後に、荒れ狂った嵐の去った早朝に、仰ぎ見る晴れた空夢がひとつこぼれ落ちるたびに夢がひとつこぼれ落ちるたびに、夢を吸い込んでいった壁を眺めていた壁を打ち破ろうとしていたころもあったけれど、何時しか壁に立ち向かわず眺めるようになった 壁をよじ登るには抱えているものが多くなってた 多くを吐き出しつつも呼吸する度に抱え込み、吐き出しては抱え込むそれは空気のように姿形なく、いつまでも抱えられるものでなく、次々に新しく取り入れなければいけないものであるのに... 変わって行くものばかりだった移ろはないものはない と思うほど虚(うつろ)になってった過去は胸のうちに、未来は頭のうちにあるものと知った 今という一瞬はその両方にあって、多分 今 だけが 本物 でどんな今でも、‘’今‘’ こそが私だ たまさかにみゆことふと見てしまったから 今は離れていたい 心落ち着くまで そんなもんで そうで そうだったんで それに気づいたら そのままを眺めるしかない 死角にあったものが見えて 知らなかったことに気付いてただそれだけ死角はずっと前からあったし、あり続けるのだから それを不快に思うのは心で 不快になるは心の勝手 好きにさせておこうだから離れていたい 心落ち着くまで 離れて眺めていたい眺めることをやめないために こたふこだま必死な時は心も身体もよほどの痛みでなければ感じないもの三ヶ月もの間、寝返りも、咳もできない程の激痛も心が必死の時は受けたことにも気付かない人は自分を護る術を、良きにせよ悪きにせよ備えているから見せなくても見えなくても皆、傷やら大きく深い傷痕を抱えて生きているのだろうそして心に響く言葉の多くには痛みが、傷が潜んでいるそんな言葉に心震えたから、私も木霊で還したいと思う一人で痛みに堪えている人に言霊の力を少しでもかりて木霊で還したいと思うそこにある世界 あなたの言葉で私は大地がこの身なら、空は心のように思った心は空でありながら、奈落となり、陥りかねない危ういものだが……それでも奈落には奈落の景色があり、其処に立つなら底がまた私の世界になるのだろう回帰星(ほうきぼし)この言葉は誰に向けて発してるのかこの手は誰に向けて差し伸ばしてるのか誰にでもなく言葉を発す誰にでもなく腕を伸ばす私に向けて言葉を発す私の腕で私をいだく想いを伝うその言葉はぬくもり伝うその腕は空を旅して還ってくるから出逢いも別れも還ってくるから厚い衣時というのは、もはや魔物3年で人柄や考えを根底から変えていた随分前から変わったなあ、とその行動、言葉から感じていた以上に、その行為と言葉の大元にあるその個人の性質が激変していた あなたのためにあなたを傷付けないために の言葉を容易に私流に受け取ってはならない あなたのためという厚意、好意の衣はその中心核にはとんでもないその人の自己中心的願望が潜んでいる場合は少なくない 距離人の心は複雑ではかりしれない握り拳の広さなのにいくつもの次元の空を備えているからひとつ曲がり角を間違え通り過ぎると遥か彼方に遠ざかっている心の距離は身体の距離とはまったく異なり身体は寄せているのに心は地球と月ほど隔たりがあったりするそして一度心が離れると修復はほぼ不可能に近い よほどよく切れる刀ですっぱりとみえぬ次元の壁を断ち切らぬ限りは…が、 まったくそれは不可能でもないのだ
2020年09月17日
イランの六拍子のリズムがよくわかる軽快な跳ねるようなピアノでの演奏です。 二拍子のように思いますが、六拍子です。 ディー(1、2) ダッ (3、4、5) タ (6 ……厳密に言うと6では完全にタの時に押す鍵盤の音はなり終わっている。5と6の間ぐらいでタは始まってないといけない) ↑ 足で拍子をとるときは 3と6 で爪先上げ、1,2,4,5 は爪先は下向きです。 こちらからどうぞ 六拍子であるのがわかりますか? イランの六拍子(八分の六拍子と楽譜では記されますが……)は軽快で速いテンポなので二拍で刻まれます。(二拍子で弾くことではなく、六拍子を二拍で刻みます。) 何はともあれ楽しい演奏です♪
2020年09月15日
お久しぶりです。ようやく朝夕に秋の気配を感じるようになりました。皆様はいかがお過ごしでいらっしゃいますか? 私はコロナとの日常にも慣れてきましたが、それでも時々コロナの存在を忘れていることもあります。これから涼しくなり、寒くなっていくとマスクをつけていやすくはなりますが、子供たちの顔をきちんとみられないことを、残念に思いながらバイトしてます。 気候の変化とともに私のバイト生活にも変化があり、1月から通っていたKUMONは9月一杯で辞める予定、そして今週から新しいバイトを始めました。新しいバイト先も百名以上の小学生と時間を過ごしその中には、KUMONバイトで顔見知りになった子供たちもいくらかいます。 今時の都会の小学生と時間を過ごして、少しでも心を近づけることができると良いなと、田舎で生まれ育ったオバサンは思っています。
2020年09月11日
クランチマガジンに Homa というペンネームで投稿していた文章です。螺旋(二)〜意識のプリズム〜概念から意識へと促す第一集に続く第二集は、意識の多元化、多角化。意識は万華鏡となり、ひとつとして同じではない文様を造り生み続ける。その文様は空に描かれる曇のようでもあり、また大海の大浪小波のようでもある。誰にも何にも今日は五人で遠出しようと途中まで行ったのに、引き返すことになった 予定は未定であり、自分にも誰にも何にも決められるようでありながら、決められないもの満足とは精神的に満たされることと 物質的に満たされることは 正反対のようだけれど 実はイコールなのだろう 私が満足を感じる場合を考えると 精神的満足も 物質的満足も どちらも 私を満たしている質量の内容は何時でも 全く問題ではなかった 私が満足を感じた対象とは 誰とも何とも比較は不可能である という認識のうちに存在していたから心得日常とは、 季節・天候・状況・環境など移り変わる、現象という海を、 感情という大波小波の中で手足動かし泳ぎ浮くのに似ている潮流が生じている刻は逆らわず、流れを利用することを考える無理や無駄な動きは極力減らし、まずは浮かび保つことを心得る混沌とした完璧さこの世の仕組みはあまりにも精巧で 万象は全て巨大な細密画のワンピースであり ぴったりときつくはめ込まれて出来ているが、 その完璧さは混沌とした抽象のヴェールを深く広く纏っているある疑問能力に、存在に、限界があるからこそ選択が可能であるとしたら、 神には選択する必要性は皆無ではないだろうか?第三の瞳時の川の潮流は、私の知らぬところで定められゆく 私でなく、わたしという意識の瞳は、 意志とは無関係のところに既存している道を透かし彫りにして示すことができる可能性言葉に、語句に、文章になった時点で それは虚構となる。 現実よりも、事実よりも、 真実となりうる虚構に……可視化感情の波の動きを眺めて過ごすよう努めるすると、感情以外のものでも私は、物事、現象、事象を認識している身体や五感の快不快は、むしろ感情と密接に関わっていることを強く感じるまた、心と身体の反応の間にある、なんとも言葉では表現出来ない隙間に、”道”のようなものさえ見えてくるそしておそらくその道は運命などと呼ばれるものと関わりがあり、 潜在している意識と未知を、可視させる可能性を含んでいるものと私には思われてならないはんせい生きることは、並大抵なことではないから、 出来るだけ平坦な道を選べたらいいなとは思うしかし辿ってきた道を振り返ると、 どういうわけか入り組んだ見通しの悪い、 行き先が全く不明な道ばかり選んできたように思うもう少し気楽に人生を歩めた道は、 少なくとも二つや三つは存在していたにも関わらず……天秤数年前まで私は、人間関係に悩んだり ある人とうまくいかないことがあったら、 与えることと、与えられることのバランスによって、 もっとも適切なその人との距離を弾き出していたギブアンドテイクは、 情に流されたり思い込みや思い入れで、 その人物と保つ関係の距離を測り誤らないための、 私のメジャーであり、天秤だったのかもしれないでも今は、ギブアンドテイクの天秤は使わず、 私自身を天秤と為すよう努めているそれは言うならば、 私自身がある一点から吊り下げられて宙ぶらりんとなり、 左右の片寄りを少しずつ修整していく中でみえてくる、 ニュートラルの感覚を霊に覚えさせる作業なのかもしれない御業一寸違わぬタイミングで、最適な人材を選び抜き、全く予想外の題材をもって役を与え、全く知らない誰かの心象に大きな波風を立てるものなのだな…と、ただただ驚きの面持ちで私は、神の御手による業を眺めている驚くべきことに神の御業は、我々にとって全く個人的なものでしかないと思われる心象と思考を君が、彼(女)が、私が有するが故に為されている神は、極々個人的なものでしかない心象と思考を用い、風が吹き抜けると同時に事を為し、事を終えている劣等感の行方自信のありすぎるのは如何なものか……とは思うけれど、自信満々の人もそんなにはいないそれゆえに人は、劣等感に裏付けられた自尊心の姿見で己が身を映して眺めてるのだろうしかしそんな現身の空蝉をじっと見つめてみたところで、案外人は自分自身の良さを見落としがちで、自分自身を公平に見定めることは難しい一方通行過去とは実に個人的なもので、 事実より主観という小説的要素が濃厚なもの と思っている過去が現在に影響を及ぼしているというのは承知の事実だが、 過去の方も同じぐらい色濃く、現在に影響されている(現在進行形表現であることに注意)ということに、 概して人は気が付いていない想いの次元世界だけでなく、私だけでなく、たったひとつの想いにも、幾重の次元があることに私は気づいた想いの次元のレイヤーは、その想いを抱いてる人の思考、言動、仕草、表情にも異なる世界を思わせるしかしそれらは多重人格とは明らかに異なる人格は状況に対応しようとする ”私” が分裂をおこし、その過程で人格の一部分が強化、特殊化されたもののように私は感じているが、一方想いの次元とは、時と場には左右されず、 状況が如何様に変化し、うつろって行こうとも、時空の流れを超えた処の ”わたし” という光のプリズムであるから無秩序の秩序どうやら 私が感じているよりもずーーーっと 時 というものは 魔性のような目に見えない力 を持っているようだ 時は単に流れではなく 見えない方向性を持ち、その流れの力は 万物を 混沌 という 《絶対的秩序》をもって 序列させているようだ その序列の数は数えきれず それに伴って 星の数ほどの方向性を生むバケツ夢は単なる夢に過ぎぬが、夢の一部分は確かに現実を映しているただその鏡は、多種多様のフィルターやエフェクター、性質や素材も被写体をそのまま映すようには出来ていない絵画や映画を嗜好、趣向、社会的作品というならば、夢は心、感情、私的作品であろうか.... また夢は現だけではなく遠い過去と、遠い未来をもその心象が生み続けてきたフィルター、エフェクターで映している……いやなに、それだからって夢をマヤカシと一掃することはないんだよ…そもそも過去にも未来にも実像、真相など存在しないのだからわれわれが転生し続けてきた連鎖の井戸は深淵極まりなく、当然ながら底が見えぬだが、夢 というイメージを受け容れる小さなバケツ、普段は脳のほんの片隅に身を潜めている時空、存在せぬ ”格納スペース” ともいえるバケツが、ひとたびこの井戸に投げ入れられれば……果てしもなく高い空 にさえ繋がっている雲の流れゆく先に矛盾も混沌も 意思も意志も喜怒哀楽さえ 月や、陽を一時的に覆う雲に過ぎず 月と陽の運行を妨げるものではない たとえ雲は風呼び、嵐を呼ぶとも… たとえ月日の運行は この地から観る月の姿変え この地に春夏秋冬もたらそうとも… 雲の流れさえも 偶然などではない時空というマヤカシ時も 空間も あってないもの 時空の存在を無視できない ということそのものが メクラマシの魔術みたいなもので 人がみなその術に すっかり陥ってしまうのは この身体があるからにほかならない繰り返す誕生私の意思をも用いて、ある意識が流れているのだろうか? それを確かめ見極めようと、私はできるだけ意思を持たずに日々過ごす時の流れはただ、ただ流れているのではなく、月と陽の引力、天候、風向きという理(ことわり)という偶然をも用いて潮流操り、私という 木片 を決められたある一点へと流し続けているのではないかと? その木片を見つけるではなく見つけ、何の気なしに手にとり己のものとする存在まで図って……継続の意味すること一方的な関係というものは続かない人間関係に限らず、継続の意味する事とは、良きにせよ悪きにせよ、そこにある均衡が存在しているということそして、生きていること、この世にある という ”今 という 継続” にもおそらく同じことが言えるのだろうと私は想っている今、此処に在ることには、天地と吾との三点にある均衡が存在するのではないか…と鏡真理、真実、信念、信仰の 差し出し方、突きつけ方、 その用い方、理由、目的のうちに 人間性を如実にみる“今”という“門”生は死、有は無、光は影、過去は未来 これらは相対の様相でありながら、片方が存在しなければ、もう一方も存在しないことを前提としている 即ち相対でありながら形を変えた同一の存在であるとも言える 相対の世界は形を変えながら連なっていく まるで昼と夜のように 相対の世界にとどまる限り 時に人は昼に喜び 昼に悲しむ 時に人は夜に憩い 夜に恐怖する相対の世界にありながら 絶対 あるいは 絶対ではない世界と重なっている唯一の点がある それは 今 という瞬間 秘密は今にある 今この時にも 相対の世界に並行する或る世界が扉を開けている裏切りの裏誰かには叶えど 誰かを裏切る 誰かの中には自分が含まれてたり 含まれてなかったり 無意識であっても 身を切られる思いを抱えてても 天命、容赦なし 今、此処に 人が、この身が在ればこそ良くも悪くも裏切り続け裏切りの裏に存在の証をみる 君は君を裏切り続け此処に在る 私は私を裏切り続け此処に在る 良くも悪くも裏切り続けるうちに此処に在る 世界も人も裏切り続ける 在るがままに裏切り続ける そして良くも悪くも裏切りがやんだ時 その存在は私のうちで永遠となる運命 さだめ運命にしても、偶然、必然、縁にしてもあると思うからあるのだろう宇宙は確かにあるのだろうそしてまた無くても構わない 何れにせよ意識する〝私〟がなければ 世界は、万物は、 あっても無いに等しいものとなるたとえば、赤ちゃんには偶然、必然、運命、縁はないその事実は、 私達は皆、それらを持っていなかったことを意味する意識を持つ、意識が分化することで世界を有し、また世界を、私を枠付けることになる但し 忘れてはならないこととはそれと同時に又 私達は皆 各々が枠付け創り上げた 意識に、私に、世界に “枠付けをされる運命にある” ということ芸術家の模倣と矛盾模倣されるほうも、模倣する方も、オリジナリティー(独自性)を有していないと芸術は成り立たたない一つ目の矛盾そうであってその芸事のオリジナリティーは、強固な純朴さ従順さという基盤がないと、金剛石にまで磨かれないという二つ目の矛盾時の魔法嘘はいつか真実に真実はいつか嘘に時の魔法と心の謎言葉は石に刻まれ遺る想いを描いた心は風となって去来するいつかその言葉は遺跡となるのか、ならぬのか?いずれにせよ風化する心も痕跡(あと)も常時記載された透けたスケジュール私の存在の有無は、単なる予定のひとつに過ぎない結果より経過結果より経過が大事結果と言っているものは結果ではないから合格にも、就職にも結婚にもその先、その続きがあるから今日が終ろうと明日があるからいうならば、明日へ至るまでが結果で明日そのものが結果で結末は死という終焉なのかもしれない死さえも経過だったなら?!螺旋第二集~完~
2020年09月03日
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