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女房と畳みは新しい方が良い、という諺が日本にありますが、仏には、女とワインは古い方がいい、というのがあります。日本の殿方は鮮度、仏は熟成度に重きを置く為に、そういう違が出て来たと思います。また、恋人は一瓶の葡萄酒であり、女房は葡萄酒の瓶である、と昔の仏の詩人、シャルル・ボートレールは書いている。恋人としての妻が、葡萄酒になる為には、女房という献身的な瓶が必要である、と私は勝手に解釈している。私事ですが、6年前に旅立った妻は、ニガイ青汁であった。しかし、今は発酵して上質の葡萄酒になっている。きっと、女房という献身的な瓶が、古くなって来たからだと思います。 旅立つ前、妻が言った。 「あなた、私が逝ったら、新しい人探しなさい」 私は答えた。 「私には、古畳しかない」 妻は暫くして答えた。 「ありがとう!」 11月22日になると、その言葉がいつも聞こえる。
2013年12月11日
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母の曾祖母は、百歳近くまで生きていた。背が高くて面長で働き者、野良仕事によく出かけた。しかし、世間の風は冷たく、子供や孫たちが死ぬ度に、彼女がその命を吸い取っている、と陰口を言われたそうです。 それで、彼女は自分の長寿を嘆き、プーッチ、スナバーユー(早く死ねばいいのに)と、当時7,8歳の母に口癖のように漏らしていたという。彼女の時代の平均寿命は短く、40を過ぎると、ほとんどがあの世へ旅立ち、60過ぎの人はあまりいなかったそうです。短命の原因は、納税の為の過酷な労働にもあったと思われる。人頭税とは17世紀から20世紀初頭にかけて、宮古、八重山の農民にかけられた税の事で、15歳から50歳までの男女がその納付義務者となっていた。 宮古島では粟約2石、7俵前後が1人当たりに割り与えられていた。しかし、それだけではなく、他に48種目に及ぶ物産(なまこ、貝柱、ジュゴン、猪皮、松脂、煙草、船具、など)、半布(30cm×50m)などを納めねばならなかった。さらに、公共工事に無償で従事する義務も負わされていた。当時の農民は朝4時に起きて畑仕事に就き、夜は月や星の明かりを頼りに懸命に働いた。 滞納者には脛やま、鋏棒、革鞭などによる恐ろしい拷問が科せられた。そういう時代に、母の曾祖母が、百歳近くまで生きていたという事は驚きであり、深い感動を覚える。彼女は 「アカミー・ウマ」 と呼ばれていた。
2013年12月06日
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小学3年生の時、今から60年ほど前、宮古島全校バレーボール大会があった。それが終って、中学生の姉とその友人達と私は、揃って帰途についた。その間、姉たちの会話は弾み、笑い声や奇声が飛び交った。 道半ばまで来た時、突然強い風が吹いた。驚いて上空を見上げると、いつの間にか、不気味な黒雲が渦巻いて、空全体を覆っていた。次の瞬間、叩きつけるような強烈な衝撃が轟音と共に炸裂、全員砂利道の路面に叩きつけられた。同時に視界を遮る横殴りの豪雨となり、渦巻く風が、怪獣の咆哮ような音を出して吹き荒れた。私たちは姉の導くままに、這いずりながら、道下の岩の窪みにたどり着き、中に入って身を寄せ合った。 近くでドカーンという音がし。真っ黒い、巨大な何かが、まるで何物かに引き上げられるかのように吹き上がってくのが見えた。見上げるとデイゴの巨樹が根こそぎ引き抜かれ、上空高くで枝葉を撒き散らしながら回転していた。他にカヤ葺きの屋根や、山羊、馬らしき家畜も上空でぐるぐる回っているのが見えた。岩石が猛スピードで飛交い、目の前を折れた木が、ボロ切れのように吹飛ばされていく。あまりの恐ろしさに、私は泣叫んだ。 爆風は1時間ほどで止んだ。この時の風速は80メートルまで観測出来たが、気象台が吹き飛ばされてそれ以上は観測不可能となった。気象台の人の話だと、最大瞬間風速百メートルを越したのは確かだという。
2013年12月05日
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