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ブログを引っ越します。 It's time say goodbye http://jm7xbf.blog.fc2.com/?pc で更新します。 僕の書く文章には「公序良俗に反する表現」があるそうでアップできませんでしたので。 なお自動でジャンプもしなければ、クリックしても移動しませんのであしからず。スマホからの更新なんです。ごめんね。 追記:リンク張りました。こちらからどうぞ。
2013.06.10
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前立腺癌について書こうと思ったのですが、「公序良俗に反する表現」とのことでアップできませんでした。残念ながら僕の書きたいことは楽天では発表できないようです。ですので舞台を移動しようと思います。下記にてブログを更新します。「公序良俗に反する表現」かどうかご確認いただければ幸いです。 http://jm7xbf.blog.fc2.com/
2013.06.09
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イスラム教では偶像を拝むことを禁じているそうです。たぶん本来のイスラムの教えと何らかのモノを拝むことは相入れないということなんでしょう。もともと人っていうのは何でもかんでも拝んだり崇めたりお願いするのが好きな生き物で、太陽や月に始まり、大木、巨岩、山、滝、そして熊、鷲等々とにかくしめ縄を張ってしまって拝んでたんです。 仏教も最初は釈迦のすこぶる内省的というか自己啓発的な精神論だったはずなんです。ところが諸行無常だの色即是空を理解するよりは、仏像を作って拝んじゃった方が分かりやすいし大衆受けもしたということなんでしょう。大勢の人の心を救うためには必要かつ有効な方法だったのでしょう。イスラムだって偉大な指導者が出るとでっかい額に入れて飾ったりしますからね。あれだって偶像と言えば偶像だと思うのですが。 額と言えばあそことあそことの国なんですが、それについは後で触れます。 さて、岩でも木でも一度しめ縄を張って拝んじゃうと神聖なモノになってしまいます。子供はともかく、大の大人がその上に登ったり落書きしたりはできなくなるわけです。誰に咎められるというわけでもなく、キカイダーの良心回路みたいなのが埋め込まれていて、神聖なモノを汚すと気持ちが悪いわけです。昔はよく電信柱や板塀の下の方に鳥居が書いてありました。あれは何も電信柱を拝めってわけじゃなくて立ち小便除けだったんですね。鳥居という神聖なモノが書いてあるだけで、何となく汚したくなくなるわけです。考えた人はエライです。 東日本大震災以降、最も手垢にまみれた日本語といえば「絆」という言葉でしょう。「絆」ってさえつければ何でも許される、強要できるようになってしまいました。後で言われたような語源はともかく、最初は震災直後の「みんなで助け合いたい」「力を合わせたい」という純粋な気持ちから生まれた、というか選ばれた言葉だったのでしょう。だからみんな受け入れた。でもいつしかこの「絆」という言葉にはしめ縄が張られてしまったんです。言葉の偶像化が起こった。「絆」という言葉を穢すのはけしからん、何となく嫌だというモノになってしまった。 そうすると今度は電信柱の鳥居みたいに、批判されると困る事柄に「絆」という護符を貼る人達が現れました。言うまでもなく政府や政治家達です。「絆」の名の下に放射能を含んだ瓦礫は拡散され、「絆」の名の下に汚染された食べ物が作られ食べさせられている。次にしめ縄が張られたのが「復興のシンボル」という言葉だと僕は思ってます。この名の下に今度は放射能汚染が心配されるのも無視して農漁業が再開され、飲食店が再建されています。まさに言葉の偶像崇拝が勧められているのです。 「アベノミクス」「異次元緩和」を一言で言ってしまえば「霊感商法」でしょう。絆も復興のシンボルも少なくとも最初は実態がありました。助け合おう、立ち上がろうという実態があって言葉が生まれました。それを為政者が利用したわけです。ところがアベノミクスや異次元緩和には、そもそも実態がないところに産まれています。産まれたというより、誰かが机に向かって考え出した。そこら辺に転がっている壺に絵の具を塗ったくってしめ縄を張って「信じなさい、信じる者は救われる」って言ってるのと同じです。もちろん詐欺ですから少しだけ良い思いをさせておいて、後からがっぽりふんだくるつもりです。そして祭壇を作り派手に呪文を唱えてそれらしく見せているのがマスメディアなのはご推察の通りです。 これからもアベノミクスや異次元緩和の後をついで次々としめ縄が張られ、偶像が作られていくのでしょう。鎌倉時代、戦乱と天災、飢饉、疫病に見舞われ人々が不安でいっぱいになった時代、日本仏教の主な宗祖が現れています。現代もそうなのでしょう。ただ今現在、有効に機能している宗教はそう多くはありません。真に人々を思い救おうとする宗教を見つけられない。だから、カルトや霊感商法、マスメディアに簡単に騙されてしまうのでしょう。心に偶像を作ることなく冷静に物事を見ていく必要があると思います。 そういう意味でもう一つ、あえて苦言を呈したいことがあります。それはヒーローの存在です。反原発運動にあって様々な影響力の高い人達が登場しています。山本氏、小出氏、こころ氏、千葉氏、反原連、さらには各地のリーダー格の人もいるでしょう。これらの人や団体を本人の意図とは別に偶像化してしまってないでしょうか。偶像化してしまえば批判が許されない。全部受け入れるか、打ち壊すかです。人民軍と共に戦った毛沢東や金日成も偶像とされ額に飾られてしまえば、ご存知のようになります。レーニンの像だって引き倒されました。偶像化してしまうと「信じるか、信じないか」の二元論に陥ってしまうからです。ある種宗教的になってしまうので冷静な議論ができなくなってしまうのです。だから最後まで人間として付き合わないといけないと思います。彼らの話す一つ一つの内容や行動が大事なのであって、彼らを偶像として祭り上げて拝んではいけない。ちゃんと自分で考え、行動するしかない。ネットでの論争を見ているとそんなことを考えたりするわけです。
2013.06.08
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僕は朝の仕込みを終えると店を義父たちに任せ、スマホと充電器をデイパックに入れて駅へと向かった。6月29日、目的地は東京首相官邸前。 思えば僕の生活はすっかり変わってしまった。あの東日本大震災から…ではない。震災では宮城県とはいえこの辺りはほとんど被害はなく、停電こそ何日も続いたが、水道はすぐに開通したし、沿岸部とは違い食べ物にも困らなかった。ひどい行列に並んだのも2回だけ。1度は息子のオムツを確保するためにドラッグストアに朝から並んだ。それでも開店1時間前から並んで先頭から4人目。不安な心にラジオから流れるジャニス・ジョップリンが染みたのを憶えている。見知らぬ若い夫婦はロウソクを買い損ねた僕に譲ってくれた。ひどい災害だけど人の優しさにも触れられたと単純に喜んだりもした。もう一つはご多聞にもれずガソリンだった。いつも行く小さなスタンドに大行列ができていて1台10リットルずつということだったのだが、おやじさんは僕の顔を見て20入れてくれた。「あんたはウチのお客さんだから」という言葉がありがたかった。 やがてロウソクの灯りの中、ラジオから福島の原発が危ないとの声が聞こえてきた。不安を感じたが「まさか」という気持ちも強かった。若い頃は社会活動に興味を持ち、原発反対の署名にも協力したし広瀬隆の本も読んでいた。だから宮城県女川に原発があるのは少し気にはしていたが、いつしか生活に埋没し意識の外に置くようになっていた。この辺りは北西の風が多いというのを知っていたのも安心材料だったかもしれない。それでも一度事が起ればとどこかで心配していたのも確かだった。 当時の総理大臣の国民への呼びかけがラジオで放送されたのと、福島の原発が水蒸気爆発を起こしたというニュースとどちらが先だったのだろう。首相の声を薄明かりの中で家族と聴きながら、昔の怪獣映画かパニック映画のワンシーンを思い浮かべていたのと、事故のニュースを聴いたのと前後関係の記憶が定かではない。ただ、眠れない深夜イヤホンでただならぬ事になっている事を聴いたのは憶えている。 それからの事は多くの東北の人と同じだろう。「事故は大した事はない」「直ちに影響はない」という官房長官の会見を見て安堵していた。そう、見ていたのだ。義父の家にはソーラーがあり停電中も日中ならテレビが見られた。それはともかく、今にして思えばあの時点で車に乗って逃げるべきだったのかもしれない。念のためでも。まだ「信じて」いたのだ。 避難しなかったのにはもう一つ理由があった。震災三日目から店を開けたのだ。店に残っていたカップラーメンやお菓子、そしてプロパンガスが無事だったのでガスで焼く焼き菓子、揚げ物を売った。ボランティア精神も幾らかあったのだろうが、在庫を腐らせないという効果もあった。義父を疑うわけではないが。商品は飛ぶように売れた。人々は温かい食べ物に餓えていて、それ以上に心の不安を食べ物で癒していたのかもしれない。不本意ながら一人限定何個まで、という事もしなければならなかった。そうしなければ、並んでいるお客さんがパニック的に注文数を増やしていくからだ。人の心の弱さも見せてもらった気がする。 やがて電気が通じ、あのポポポポーンのCMを見なくなる頃、僕の生活は元に戻っていった。原発の事故などなかったかのように。
2013.06.07
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先日、読者の方からこの連載について「ヤマハ音楽教室の入口は自動ドアになっているから、近寄ると開いてしまい叩けない」という小賢しいご指摘を頂いたが、これはあたらない。前後の文脈をよく読解してもらうと分かると思う。もしかしたら報道が僕の発言の一部を取り上げてやり玉に上げたせいかもしれないが、それは現場を知らない机上の空論であって、一度でも実際にやってみればわかること。そもそも僕は以前からヤマハ音楽教室を支持し権利を護ることを表明しているわけで、だいたいあれは玄関であって「門」じゃあないと断言できる。ヤマハ音楽教室就業規則第9条3項を読めば誰だってわかる。問題は、みんなやっているのにどうしてヤマハ音楽教室だけが責められるのか?だ。そのことをご理解の上、顔を洗っておととい出直していただきたい。 本題に戻ろう。「ジャズの螺旋的発展における超弁証法的展開とレヴィナス的人生に関する最大公約数についての一考察」だ。若干自分のキャラを見失いつつあるが、もちろんここでは問わない。それをもまた弁証法的と思われる向きもあろうが、それは早計と言わざるを得ないし、僕の意図するものでもない。一つ言えるのは国民に知られたくない法律の名前を考える偉い方々はせいぜいこの程度のメンタリティではないかということだが、これはいささか毒舌に過ぎるやもしれない。 さて、ここまですこぶる大雑把ではあるが簡単にジャズの歴史を見てきた。ニューオリンズに始まり、スウィング、バップ、モード、フリーと発展してきたそれは自由を求めるジャズメン達の飽くなき工夫と、身を削るような努力の上に成し遂げられてきたのだ。 それは調理に飽き足らなくなった周富徳がバラエティに進出し、中華鍋をソリに見たててゲレンデを滑り降りる姿に例えればわかりやすいだろう(わからんて)。 余談だが陳健民、陳健一、陳健太郎と続く陳家も3代目となってだいぶ存在感が薄れてきたし、テレビに媚びる姿勢が鼻に付いてきたような気がしているわけだが、何と言われようがここでは問わない。 またここで、ウェストコーストはどうした?とかファンキーやフュージョン(!)は無視か?という声が聴こえてきそうだか、あ•え•て•ここでは触れない。ここでは弁証法的な螺旋に組み込まれていたとだけ言い添えておく。興味のある方はぜひカワイピアノ教室に入門していただきたい。言っておくが決して面倒なわけではない(ちなみに入門の際、お月謝は年間一括払いにするのがお得だと言い添えておく)。 さっぱり進まないではないか…。 ともかく、ジャズはメロディ、コード、そしてリズムからも自由を獲得した。そして先述した悟りを開いた禅師のごとく、到達した境地に留まることなく日常を取り戻していった。だから、彼らが教育テレビの「初心者のためのジャズ入門」などという番組に出演して、にこにこ笑いながら解説をしていたとしても揶揄や批判の対象にしてはならない。そんなことをしたら、頭に座布団を乗せて出て行ってしまうだろう。 閑話休題…。 ここに、彼らジャズメン達の戦いを3周遅れぐらいで追体験した高校生がいた。お調子者の彼は妄想した。「三種の神器から解放されたジャズは、次には何から解放されうるのか?」それは勉強と校則に抑圧された彼の青臭い、しかし止むに止まれぬ考察だった。本人は気づいていなかったかもしれないが。 なんて書くとかっこいいけど、要は目立ちたがり屋で、人とは違ったことをしたかったんだね。「俺が俺が」って性格でカラオケのマイクを離さない、欲求不満だった…。ん? とにかく彼は考えた。楽器?これはもう多くの人が演っている。じゃあいっそ音楽という形態を捨てるか?それじゃ芝居やパフォーマンス、舞踏になってしまう。 行き詰まった彼は開き直る。「え〜い面倒だ!いっそ人生そのもの、死ぬまでを一曲のジャズにしてしまえ!」と。 こうして高校3年生のレポートは完成したのだが、あろうことか彼はその後、その理論を実践してしまった。ただ、その結果彼の人生がどのようなものになったのかはここでは問わないし触れもしないが、曲はまだ終わっていないし、そこそこクールな曲になりつつあることは言い添えておく。(了) 一方その頃、桶狭間の戦いに勝利し、寧々の膝枕で、耳を掻いてもらいながら居眠りを貪っていた木下藤吉郎は、豊臣秀吉になる前に連載が終了したことなど知る由もなかった…。 参考文献 「ジャズは死んだか⁈ -ジャズ100年史」相倉久人 「至高の日本ジャズ全史」相倉久人 「ピアニストを笑え!」山下洋輔 「道元」立松和平 「正法眼蔵随聞記」孤雲懐奘 「小沢昭一的こころ」小沢昭一 橋下徹 on Twitter アルバム 「ルイ•アームストロング Best」 「チャーリー•パーカー Best」 「Kind Of Blue」Miles Davis 「至上の愛」John Coltrane 「バラード - Ballads」John Coltrane 「寿限無 VOL.1」山下洋輔
2013.06.06
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Tribute to Shoichi Ozawa… え〜〜、ご案内のようにチューチュートレインを歌っていたZOOのボーカルと大黒摩季はまったくの別人なんだそうですが、あたしゃね、今でも疑ってますよ、あれは、顔を出さない間にヤマハ音楽教室に通ってたんだってね。その証拠に大黒摩季になってからずいぶん歌が上手くなりましたからね。 そういや今の筒美京平は3代目だって話も聞いたことがありますが、それはさておいて、仏教の悟りの話に戻りますよ。え〜〜「悟りを開いたらそれさえ忘れて暮らしに戻る」と言うことなんですが、考えてみたらこれ、なかなか大変なことですな。もとの生活に戻っちゃってるわけだから、どの人が悟りを開いたのか、はたからはとんと分からないわけで、向こうから歩いてくるおじいさんが悟ってるかもしれないし、アクビしながら鼻毛を抜いてるお父さんがそうかもしれないんで油断も隙もあったもんじゃあないですな。 床屋で髪を切ってもらいながらいい気になって人生論なんか語っちゃってて、ふと鏡の中に写ってる床屋のオヤジさんの口元を見ると、片方の唇の端がピクリと持ち上がっているのに気がついたりしたらもういけない。思わずその場に土下座して教えを乞うたりするわけですが、床屋のオヤジさんだって悟ったことを忘れてるわけですから、頭に座布団を乗せて出て行ってしまったりするわけです…。 ♫♫♫ 今日もお父さんは奥方に追い出されるようにウチを出てきましたよ。宮坂さんとの約束は5時だったんですけど「邪魔だから散歩でもしといで」って奥方に言われたお父さん、仕方なしに駅前にある行きつけの喫茶店で時間をつぶそうとブラブラ歩いて行ったんですな。ところがその喫茶店が休み。「さてどうしたもんか」とふと見ると今まで気づかなかった薄暗い露路を見つけましたよ。 その時お父さんの頭の中で「知らない角を曲がれば、それはもう旅の始まりです。桃屋の空き瓶に七円の歌」って舌の長い放送作家の声と例の歌が聞こえたのかどうかは確かめようがないんですが、とにかくお父さん、その露路に入って行きましたよ。あわよくば小股の切れ上がった妙齢のご婦人と偶然の出会いを…なんて期待は早々に裏切られまして、どこか寂しげで時代に取り残されたような道が細々と伸びてるだけだったんですな。 しばらく行くと、お父さんの目に一枚の看板が飛び込んで来ました。近づいて見てみるとどうやら喫茶店らしい。お父さん考えましたよ。こういう寂れた場所にこそ隠れた名店があるんだってね。さっそく地下へと伸びる階段を降り始めたお父さん、妙にお腹に響く低音が気にはなりましたが足を止める程のものじゃあなかった。黒く分厚いドアを開けるとお父さんはもくもくと煙るタバコの煙と地獄の鬼が演奏しているような馬鹿でかい音に包まれましたよ…。 店の中は極端に照明を落としてあり薄暗く、裸電球がいくつかぶら下がっていた。そして右手奥の方にカウンター、左手にはなおいっそう薄暗いスペースがあって、その奥から地獄の音楽は聞こえているらしい。カウンターが満席だったので鈴木は左手の席へと向かう。目が慣れるとそこには5人程の先客がいた。皆目を閉じうなだれたように下を向いている。何人かは腕を組み、また何人かは灰が伸びるに任せたタバコを指に挟んで灰皿の上に伸ばしたままにしている。よく見ると皆、小刻みに足首を揺らしリズムをとっている。眠ったように見える男もまた小さく肩を揺らしていた。「珈琲でも頼むか…」鈴木は少し伸び上がりながらマスターらしき男に向かって声をかけた。 「すいませ〜んっ!」 ガバッ。周りに座っていた男たちが一斉に顔をあげ、それこそ鬼のような目で鈴木を睨みつける。口をへの字に閉じたまま鈴木の上から下まで舐めるように見定める。そしてまた、それぞれの世界へ戻っていった。鈴木は何が起こったのか分からないままもう一度マスターを呼ぶ。「コーヒー…」いい終わらぬうちに慌てて近寄って来たマスターらしき男が人差し指を口に当て、優しさとも哀れみとも取れる表情を浮かべながら小さく首を横に降っている。鈴木の口が閉じたのを確認すると安心したらしく、神父の笑顔で軽く頷くとカウンターに戻って行った。どうやらオーダーは通ったらしい。 それにしてもこの音楽は何だろう?普段は演歌しか聴かない鈴木にとってそれは未知の音楽に聴こえた。一定の拍子を取りながら上へ下へとうねる低音。ガシャガシャとやかましくあまつさえ時折シンバルの破裂音が炸裂するドラム。リズムに乗ろうとすると邪魔をするピアノの音。そして極め付けは悲鳴のようにも、卑弥呼の挙げる祈りの声にも似たサックスの音。鈴木は軽い頭痛のようなものを感じながらも心の奥底が揺さぶられる感覚も味わっていた。 レジの横にレコードのジャケットが立て掛けてあるのが見えた。今演奏中のレコードらしい。軽い尿意を覚えた鈴木はトイレへ行くついでにそのジャケットの文字を読んだ。「ジョンコルトラネ」鈴木は英語が苦手だった。スタンド替わりの譜面台には小さな紙が貼ってあり「お気軽にリクエストをどうぞ!」とマジックで書いてある。さっきから原因不明の不安に襲われていた鈴木は、それを解消しようとさっそくリクエストすることにした。周りの音にかき消されないように大きな声で。 「三波春夫の田原星玄蕃ありますか?」 今度は店中の客の顔が持ち上がった。珍しい動物でも見るように鈴木を見つめている。中には小刻みに肩を震わす者もいる。またしてもマスターは泣き出しそうな慈父の笑顔で首を横に振っている。 「それじゃあ、さいたまんぞうのなぜか埼玉…」 その時鈴木の頭の中に声が聴こえたような気がした。「目を覚ますんだ」鈴木は周りを見回すが皆が不思議そうに鈴木を見ているだけだ。また声がした。「ほら、目を覚ますんだ!」今度ははっきり聴こえた。身体がガクガクと震える。鈴木はしっかり目を閉じると腹から声を出した。「お前は誰だ⁈」「僕は君だよ」「お前が俺だと?」「そう、僕は君!」 鈴木の中で光が炸裂した。鈴木は上下から引っ張られたように直立すると自身の頭を飲み込むほどの大きな口を開け、声を超えた声を放った。LUXの真空管が破裂し棚のグラスが弾け飛ぶ。天井の裸電球も次々と割れていく。暗闇となった店内に鈴木の姿がぼんやりと浮かび上がる。不思議なことに音楽はさらに大きな音でビートを増し鳴り続けている。鈴木の体はビートに合わせてうねるように振動している。その振動がピークに達した時、鈴木の目が開いた。 鈴木の目からJBLの巨大スピーカーに2本のビームが届くと、スピーカーの中から3人の男達が現れた。手にはピアノ、ベース、そしてドラムセットを持ち、たちまちセットを終えると音速のビートを叩き始める。いつしか激しいサンバのリズムに変わっていた。鈴木の口からスキャットが漏れた。「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」。床に伏せていた客たちがムクリと上半身を起こすと鈴木に唱和し始める。「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」鈴木のソロが始まる。 「あーけのかなたのー」 「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」 「さいかどーはやかた」 「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」 覚醒した鈴木が今度は軽々と神の垣根を越えようとした時それは起こった。今度も始まりはピアノだった。突然ピアノはサンバのリズムを無視し蟹の様に両肘を広げると、右は23分の11拍子、左は19分の7拍子の変則3連シンコペーションを叩き始めたのだ。彼は歯をむき出し苦し泣きそうな表情を浮かべている。そして鍵盤にひじ打ちが炸裂した。もはやベースは「縁の下の力持ち」という偽善者の仮面をかなぐり捨てセンターに立とうとにじり寄る。「キープはしない。何もキープなどするものか!」ベースは攻めに転じた。その頃ドラムはすでに恍惚の表情を浮かべ右斜め45度上方を睨みながら、口からヨダレを垂らし、何やら和歌のようなもなのをつぶやいていた。鈴木が雄叫ぶ。 崩壊と新生が同時に始まった。メロディはなくなりコードは超越された。そしてこの瞬間、ジャズはリズムからをも解き放たれた。 もうこうなったら誰にも止められない。リズム無きビートのグルーヴはありとあらゆるものを現出させる。ピンクの象はムラサキのワニにヘッドロックをかますわ、ドカヘルにタオルマスクの青年は角棒を脚にして案山子に化けるわ、自作の詩は読むわ、這いずり回るわ、百匹目の猿は芋を洗うわ、アハハハハハハ、先生は生徒に謝り、彩ちゃんはヒロシ君を罵倒するわ、自分のパンツに手を突っ込むわ、電話機に説教を始めるわ、ピアノは燃やすわ…。 やがて大団円の時が来た。ユニゾンブレークを13回ぶちかますと静寂が訪れた。なぜ13回だったのかはここでは問わない。 一方その頃、たった三日で壊れた石垣を修繕し、大工達の労をねぎらっていた木下藤吉郎は、そろそろネタ切れしかかっていることなど知る由もなかった。 「…………あかんわ…」 「…………あかんか?」 「…………ヤバイしな」 「…………ヤバイか?」 「………………………」 「…………………ん?」 え〜〜意気揚々とジャズ喫茶から引き上げて来たお父さん、不思議なことに露路から表通りに出ると今あったことをみんな忘れてしまいましたよ。ついでに宮坂さんとの約束も忘れてウチへ向かったんですが、もちろん、ウチでは奥方が帰りの遅いお父さんを、今か今かと待ち構えてたんですな。でもこの続きは明日のお父さんの心だ〜っ! 次回「初恋はどんな味?ジャズは生き方だ!」に、ズームイン!バンザ〜イ、なしよ。
2013.06.05
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「牛追いの図」というのをご存知だろうか?仏教、特に禅における「悟り」というものを、童が山に牛を探しに行く過程に見たてて何枚かの掛け軸にしたものだ。どういうことかというと、 1.牛を探しに行く決心をする 2.山に分けいる 3.牛の後ろ姿が見える 4.牛を捕まえる 5.牛の背にまたがり村へと帰る 6.牛のことは忘れ、いつもの暮らしに戻る お分かりだろう。言うまでもなく牛が「悟り」である。僕がこの話を大好きな理由は、最後に牛のことをすっかり忘れてもとの生活に戻るからだ。そして、ここに1人のジャズメンがいた…。 彼の名前はジョン。テナーサックスを吹いている。ジャズを志した彼は、ぶっきらぼうで骸骨のような顔をしたラッパ吹きの下で日々修行に励んでいた。彼の師匠はコードを超える理論「モード」を手にいれていた。ジョンはそのモードを我がものとするため夜毎、師匠と共にプレイを続けていた。 3丁先のクラブでプレイしていた同じくテナープレイヤー、ソニーの破天荒でインスピレーションに飛んだプレイとは対象的に、ジョンのそれは内省的で理論に忠実に音を辿りながら何かを模索し続ける、まさに修行の名にふさわしい音を紡ぎ出していた。それはまるで数珠の一珠一珠のように紡ぎだされる。呪詛のように繰り出される音の一粒一粒は、あるいは祈りのようでさえあった。 ある日師匠が言った。「そろそろ独立したらええんちゃうん?たいがいのことは教えたで。」ジョンは答えた。「ほんまでっか?ほなら、そうさせてもらいますわ」ジョンは自分のバンドを持つこととなった。最後に師匠がジョンに授けた言葉は「フォースはいつでもあんさんと一緒やで」その言葉がいかに未来を予言していたか、その時の2人は知る由もなかった。 その日は独立して初めてのステージだった。ジョンはやや緊張しながらもこれから始まる旅の期待に胸を膨らましていた。ベースのソロから始まる。ぶーんぶーん、ぶーんぶーん。次にドラムだ。だぱんどとん、だぱんどとと、だぱんどとん、だんとだーん。ピアノ、ぱーんぱんぱっぱぱん・・・。ジョンがテーマを高らかに宣言する。だっだーーーー、だたららたーららーー、たらたーたたー、たららたらららたらららたーららー。3回繰り返したところでソロが始まる。 余談だがここで3回繰り返すことに意味があるのかないのか?ないのか?あるのか?そのことに言及する余地はここではないので言葉の裏の余白をぜひ読み取って欲しい。 ジョンはイタコの前に座っていた。イタコは筵の上に正座し、苦悶の表情を浮かべ、苦しそうに大きく息をしながら上半身を前後左右に揺らしていた。その様は海底で揺らぐ海藻のようでもあった。ジョンは手にした数珠の一粒をまさぐりながら尋ねた。「あなたは誰ですか?」 「く、暗いっ…」イタコが応える。 「そこは何処ですか?」「寒いっ…」 「何があったんですか?」 「わしが悪かった〜〜っ、あっあっあっ」 「何が悪いのですか?」「暗い…」 「暗いのですね?」「寒い…」 「どうしてそこへ…」 「わしが悪かった〜〜っ、あっあっあっ」 ジョンはペンタトニックからシンプルなマイナースケールに移動した。 そこは南米のジャングルの奥深くだった。ジョンは今、スフィンクスとなって大地に根をおろし地上を見下ろしていた。高音のピアノが乾いた風のように吹き付けてくる。風はジョンを風化させ鼻を削り顎を落とし、やがてすべてを砂に帰し何事もなかったかのように砂漠を取り戻す。 次にジョンは毛虫になった。葉っぱの上を這いまわりながら齧るべき葉の弱った部分を捜していると、唐突に鳥につまみ上げられ食べられてしまった。 鳥はシンバルだった。地を這うように迷いの中で涙を流すジョンを見かねて繰り出された鉄槌だった。マイナーはメジャーへと移行する。 鳥に喰われたジョンは鳥の眼線を獲得する。上昇気流に乗り一つのパターンを繰り返しながら、少しずつ位相をずらし慎重に高度を稼ぐ。行き着くべき場所は見えている。後はいかに「逆転層」を超えるかだ。旋回を繰り返しながら螺旋階段を昇る。ベースもドラムも彼が何を求め何処へ行こうとしているのか気づいていた。彼が行くなら自分たちも共に上り詰める覚悟だった。たとえそこに何が待っていようとも。 きっかけはピアノだった。ピアノがFとA#を連打し、それに呼応するようにベースがグリッサンドを繰り返す。ドラムが戦いの響きを轟かせるとジョンは「もはやこれまで」とばかりにハイトーンでの32連符を叫ぶ。その時、扉が開いた。 ジョンは万華鏡の中にいた。きらびやかな色に囲まれ、ありとあらゆる音に囲まれながら、なおかつそこは静寂に満ちていた。ジョンは頂のすぐ下にいた。「あと一歩、あと一歩でたどり着ける。」ジョンは狙いを定めた。万華鏡の中心に「あの音」を差し込めばいい。それですべてが理解できる。神と合流できるのだ。ジョンは唇に力を込めると一気にフレーズを奏でた。 「ぷらぷらぺべら〜のしたんぱりかーっ!」 外れた。ベースが落胆したように低音に下がる。ドラムは息を整えるようにシンプルなビートを刻む。演奏を始めてはや3時間、タイムリミットは近い。おそらくチャンスはもう一度あるかないか。ジョンは態勢を整えると、次のチャレンジに向けて耳を澄ましドミナンドに移行すると仲間の音に集中した。 その時声がした。 「ジョン、耳ふさがんかい」 ジョンは耳を疑った。「ジョン、耳ふさげ言うとんねん!」それは、あの戦いのさなかダークフォースに自ら身を投げ出し、現生での存在を消滅させた師匠の声だった。 「そやかて耳ふさいだらドラムもベースもピアノの音も聞こえへんやん!」ジョンがさけぶ。 「心や。心の耳を開くんや。フォースを信じるんや、ジョン。フォースはいつでもあんさんと一緒やで」 ジョンは耳を閉じた。どう閉じたかは定かではないが、とにかく閉じた。すべての音が消え真の静寂が訪れる。ジョンは心の耳を開くとフォースに接続し、本来あるべ自分の姿と宇宙の中で自分の占める位置を探り、最後のフレーズを奏でた。 ドレミ〜レド、ドレミレドレ〜! ジョンはまったくの光に包まれ高みに上り詰めた。 そこは、一部でありすべてだった。個と全体が垣根を越えて一体となり、憎しみと慈しみは区別されない。もはやそこには悪も善もなく、すべてはあるがままに許され愛されるのであった。ジョンは至福の時を享受していた。この一瞬のために自分の人生はあったのだと確信した。そして、確かにそれは一瞬であった。 ジョンは落ちていった。羽根を失ったイカロスのように、地獄へ突き落とされたルシファーのように彼は地上へと落ちていった。 彼は堕天使だった。一度天上の歓びを知った者にとって現実は地獄に近い。しかし、彼は間違いなく神を見た。その誇りを宣すべく、再び高らかにテーマを3回奏でると曲は終わりを告げた。なぜ3回なのかはここでも問わない。 元ジャズ評論家相倉久人氏によると、この数時間にわたるライブの後、楽屋にジョンを訪ねたところ、彼は、今見た世界を取り戻そうとするかのようにサックスを吹き続けていたそうだ。 この後ジョンは一枚のアルバムをリリースする。そこにはほとんどアドリブすることなく、原曲のメロディを淡々と、かつリリックに奏でるだけの彼の姿があった。アルバムのタイトルは「バラッド」。彼もまた牛を忘れたのだろう。 一方その頃、都の南には金目教という怪しい宗教が流行っていた。木下藤吉郎は飛騨の山奥から3人の忍者を呼んだ! 次回「シャバドゥビダはお父さんの心なのだー!」読まないと、月に代わってお仕置きよっ!
2013.06.05
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ジャズがコード(和音)から自由を獲得した経緯を説明するためには、ここで否が応でも、ハイが長嶋だろうとアドリブのルールを説明せねばなるまい。 コードとはご存知のとおり、ドミソの音をいちどきに鳴らすアレである。じゃ〜ん、だ。で、曲にはコード進行というのがあって、ギターの楽譜のように、C Am F G7 とか和音が変化していく。メロディを崩していったり、アドリブで新しいフレーズを作る時は、その変化していくコードの構成音(Cならドとミとソ)を鳴らすと伴奏の音と不協和音にならないから心地よく聞こえる。 まあ、決められたトラックの中を周回しながら戦う日米対抗ローラーゲームにおける東京ボンバーズの佐々木ヨーコのようなものといえばわかりやすいだろう(わからんて)。 ちなみに佐々木ヨーコは梶芽衣子であったとか、後の浅野温子であるとか、大陸に渡ってチンギスハーンになったとかとの説もあるが、ここでは触れない。 さて、アドリブでコード音だけ鳴らしていればいいかというと、そうはイカの塩辛、天地茂の眉間のシワなわけで、それではリチャードクレイダーマンみたいなメロディしか出てこない。そこで経過音とかブルーノートなどを駆使するわけだが、ここから先は専門家の解説に任せるとする。興味のある方はぜひヤマハ音楽教室の門を叩いてもらいたい。言っておくが、決して面倒になったわけではない。 閑話休題…。 ここに1人のラッパ吹きがいた。彼は常日頃、従来のアドリブフレーズに限界を感じていた。何か新しいことがしたい…。ある晩いつものようにセッションに参加しアドリブフレーズを追いかけていた時、考えに熱中するあまり本来あるべきでないフレーズを吹いてしまう。一瞬会場に緊張が走る。ざわめく客席。「おい、間違えたぞ」「下手なんじゃね?」メンバーもいっせいに彼の顔を見る。 しかし、ここで「しまった」という顔を見せることはジャズメンとしては致命的であり、市中引き回しの上張り付け獄門は免れない。彼は何食わぬ顔でもう一度まったくあり得ない音を奏でる。そして上目使いに客席を睨むとこう呟いた。「So what?」(それがどうした?) 「クール!」誰かが呟く。「クール!」「クール!」ざわめきが拡がる。次に彼が音を外した時ピアノが付いてきた。コードごと外しにきた。それでいてペットのフレーズとは緊張感のある協和音を響かせる。次にはベースが合流する。やがてコード進行という堤防を決壊した音の奔流はとどまることを知らず、朝ぼらけの中をどこまでもトリップして行くのであった。 一方その頃、いまだ岐阜城で足留めを食らっていた木下藤吉郎は、ジャズがコードから解放されたことなど知る由もなかった…。 次回、「疾風怒濤のインナートリップ。私は神を見た!の巻」をお楽しみに!
2013.06.04
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ジャズがメロディからの自由を獲得したのと時を同じくして、もう一つ獲得した自由がある。歌詞だ。これはもう有名な逸話が残っている。山寺宏一扮するところのサッチモことルイアームストロングがボーカルを吹き込む際、歌詞を忘れた。とっさに彼は「シャバドゥビダバダバ〜」とアドリブでやった。これがスキャットの始まり。 これはサッチモの確信犯だったとか、歌詞カードを譜面台から落としたとかいろいろな説があるが、歴史はそのときどきの権力者によって改変されることもあるわけで、その細部の事情は重要ではなく、いかに本質を見抜くか?というのが大事なのであり、やがて、大橋巨泉の「ハッパフミフミ」タモリのハナモゲラへと続く言葉の解体がこの時始まったのは間違いがない。エラフィッツジェラルドのスキャットアドリブソロが好きです。 さて、バンジョーも軽やかなデキシーキングスが「地球の上に朝がきた〜、その裏側は〜夜だろ〜」と歴史的なフレーズを残した後、ジャズはダンス音楽として洗練され、ベニーグッドマン、グレンミラーなどのスウィング、ビッグバンド時代を迎える。映画「スウィングガール」のアレだ。 ビッグバンドではアドリブソロが効果的に挿入されはするが、あくまで全体の構成の中での部分であり主役はダンス音楽としてのノリとわかりやすさ。バンドマスターという天皇陛下のもと許された権利を行使することしか許されなかった。 そんな演奏に飽き足らず、生業としてのバンド演奏を終えた後、深夜のクラブで自由に、思う様アドリブ演奏を繰り広げるミュージシャン達が現れた。統制された演奏に抑圧された自由な精神が溢れ出したのは当然の成り行きだったと思われる。 って書けばかっこいいけど、要はマイクを離さないカラオケおじさん状態だったのかも。だって、ビッグバンドでのアドリブソロってほんの一瞬。それでなくても「俺が俺が」のミュージシャンがそれで満足できるわけがないわけで、ひとたびソロが回ってくるや、延々と演りたかったのだろうことは想像に難くない。欲求不満だったのさ。 ビーバップの誕生だ。それまでダンスの伴奏として位置付けられていたジャズが、鑑賞する音楽としての地位を手に入れたとも言える。主役はバードことチャーリーパーカー。そして、この深夜のセッション大会の中でジャズの重要な要素が鍛えられていく。それはコールアンドレスポンスと呼ばれる。 例えば今サックスが「えへらぴ〜」と吹いたとする。するとピアノが「ぱぷりぽん」と受け、同時にドラムが「だばとととん」と反応する。ベースは意に介する事なく「ぶんぼんぶんぼん」とリズムをキープするが、ピアノにインスパイアされたサックスが「してらの〜にや」と吹くに至ってはガマンならず「どどどぶ〜ん」と反応してしまう。すかさずドラムが「ずたっ」と合いの手を入れると、もはや容赦のない悪役キラーカーンと化したビアノは禁じ手のフォーク攻撃。受けるドラムことアントニオ猪木はブレンバスターからアメリカンデスロック、締めはコブラツイストで…。 とまあ、ことほどさようにコールアンドレスポンスとは恐ろしいまでに人を魅了する麻薬的な作用を持つわけであったのだ。ただし、このことと多くのミュージシャンが麻薬を愛好するようになったのとは関係がないことを言添えておかねばなるまい。 で、お気づきのように(ほんとか?)このコールアンドレスポンスこそが弁証法的なのだ。Aというフレーズに対してBというフレーズが示され、結果Cというフレーズを導き出す。テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの関係に擬せられる。ここが大事なところで、AもBも互いに否定し合うのではなく、新たなCというフレーズに昇華していく。しかも、それで終わりではなくCに対してさえ新たにDというフレーズが示されれば別の展開を考えなければならない。素晴らしいではないか。永遠の進化であり深化である。我々もこうありたい。 もはや原曲がわからなくなるほどのインプロビゼーション(アドリブをカッコ良く言いたい時はこう言う)と、高速テンポで自由を得たかに見えたジャズであったが戦いのリングとして共有すべきルールはまだ存在した。すなわちコード(和音)とリズムだ。 ジャズはまず手始めにコードからの解放を求めた。 (一部、山下洋輔の文体をパクりました。ゴメン)
2013.06.04
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今は昔、高3の音楽の時間にレポートを提出することになった。当時聴いていた音楽といえばジャズ。それもグレンミラーから始まった僕のジャズ遍歴はナベサダを通過して一気にフリーへと入り山下洋輔に傾倒していた。 山下洋輔といえば、タモリ、赤塚不二夫、筒井康隆とくるわけで、日本ハチャメチャSFを音楽で体現していたといえばわかりやすいだろう(わからんて)。 さらに生意気盛りの高3生は倫理の授業で哲学などをかじってまたシニカルに世の中を斜め45度ぐらいから眺めたりしていた。そこで、書いたレポートの題が「ジャズにおける弁証法的発展と人生に関わる一考察」まあ、なんかそういう題名を使ってみたかったんだね。かわいいなぁ。 さて、その内容とは… ご存知のようにジャズの発生はアメリカ南北戦争終了後、不要になった南軍の楽器と解放されたアフリカ系奴隷の出会いに、ブルースの哀愁、アフリカのリズム、そして西洋の旋律がプラスされて生まれたとされている。ニューオリンズジャズだ。 その頃の音が聴きたくて買ったレコードがあったんだが、その録音秘話がイカしている。元祖ジャズコルネット(トランペットみたいなの)と噂される人物の音を録りたくてプロデューサーが探したところ、ある農園で働く老人と出会う。演奏を依頼するが返事はNO。何か理由があって音楽から足を洗ったのかと尋ねると、帰ってきた返事が「前歯がなくなったので吹けない」と。ギャラはいいから入れ歯を作ってくれるなら演奏してやるとのことで、プロデューサー氏、早速歯医者に連れて行きめでたく録音とあいなったとか。 この演奏が枯れてていい感じだったね〜。パフッ、パフパフ〜って。まあ当時ギトギトの高校生だった僕には少し枯れ過ぎてたけど。でもこの頃からもう「おじいさん」に憧れてて、早く渋いじいさんになりたいなぁなんて考えてたんだけど、ここではまったく関係ナッシング。 当時のジャズメンは、最初見よう見まねで演奏してたらしい。楽譜も読めなかったらしい。らしいと書くところに僕の誠実さが現れているわけだが、それはともかく、適当に演奏しているわけだからどんどんメロディが崩れてくる。そのうち歌のメロディをなぞるのがバカらしくなったのか即興でメロディを作ったり、後ろで装飾音を鳴らす奴が出てくる。アドリブの誕生だ。 ジャズはまずメロディから自由を獲得したのだ。 全然前に進まないうえに、面白くなっちゃったので続きます。飽きたら途中でやめるかもしれないけど…。まあ、ジャズですから。
2013.06.03
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不足するとウツ病の原因ともなるセロトニンの95%が小腸で作られるそうです。また、小腸は脳から独立して機能しているとも。 考えてみるとニンゲンという生物は太古にワームやミミズみたいな動物であったと思われます。つまり腸を含む消化管そのものの生き物だった。その消化管生物に効率よく餌を取り込むために手足、目鼻などの器官が発達し、それらを統御するために脳が生まれたと考えられます。 つまり腸が「主」で脳の方が「従」のはずなんです。であればこそ、脳を安定的に働かせる物質であるセロトニンは腸で作られるのでしょう。とはいえ、今や脳が無ければ腸が生存できないのも事実です。要はつながりあって、協調して働くのが理想的なのです。 ところが今は「脳万能主義」とでも言うような考え方になっています。脳が喜ぶことだけをしようとしています。 例えば、味覚というのは脳で感じているわけですが、先述した腸主義から言えば、「生命を維持していくために必要なもの」を美味しいと感じるはずです。つまり、ビタミンが足りなければ野菜が美味しく感じられるし、エネルギーが欲しければご飯が美味しい。何より空腹は最大の調味料でしょう。 ところが、グルメ番組や雑誌による脳への刺激(誘惑)や、過剰な脂食品の記憶、人工調味料、健康への間違った知識などにより「脳由来の食欲」が刺激され、それらを食べることで「美味しさ」も感じてしまう。脳が発している欲求ということは、幻想でもあります。だから、食べても食べても満足することが少ないのかもしれません。 マボロシの食欲で食べ続けた結果が、肥満、糖尿病、高血圧、動脈硬化、そしてガンなのはご存知の通りです。要求していない食べ物が入ってくるんですから胃痛、胃炎、下痢、など消化管の拒否反応が出てくるのも当然でしょう。 さらに一歩進んで、栄養過多に困った腸がセロトニンを減らすことで、意図的に脳の働きを衰えさせ、餌の摂取能力を落とそうとしていると考えるのは考えすぎでしょうか?脳の働きが衰えれば、仕事はできない、考える能力も落ちる。結果、腸は必要な分だけの栄養に抑えることができると。 この考えは糖尿病にも当てはまり、糖尿病による失明や手足の切断などの合併症も、腸への栄養を減らす働きとなっているのではないか?という話を、一日一食を推奨する南雲氏が書いていました。 腸の逆襲とまでは言いませんが、苦肉の策であり警告でもあるのかもしれません。 「体の声を聞く」と言います。そんなに難しいことではなく、まずは食事量を減らし、肉や脂などの消化の悪いものを避け、添加物、甘味料を摂らない。プチ断食もいいでしょう。そして一度腸と脳をリセットして、和解させてあげるんです。仲良くしてもらう。そして改めて「美味しいもの、体が喜ぶもの」を感じればいいのだと思います。 くれぐれもテレビ番組やCMに踊らされないように。脳と腸を分断されてはダメです。
2013.06.03
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