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ブログを引っ越します。 It's time say goodbye http://jm7xbf.blog.fc2.com/?pc で更新します。 僕の書く文章には「公序良俗に反する表現」があるそうでアップできませんでしたので。 なお自動でジャンプもしなければ、クリックしても移動しませんのであしからず。スマホからの更新なんです。ごめんね。 追記:リンク張りました。こちらからどうぞ。
2013.06.10
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前立腺癌について書こうと思ったのですが、「公序良俗に反する表現」とのことでアップできませんでした。残念ながら僕の書きたいことは楽天では発表できないようです。ですので舞台を移動しようと思います。下記にてブログを更新します。「公序良俗に反する表現」かどうかご確認いただければ幸いです。 http://jm7xbf.blog.fc2.com/
2013.06.09
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イスラム教では偶像を拝むことを禁じているそうです。たぶん本来のイスラムの教えと何らかのモノを拝むことは相入れないということなんでしょう。もともと人っていうのは何でもかんでも拝んだり崇めたりお願いするのが好きな生き物で、太陽や月に始まり、大木、巨岩、山、滝、そして熊、鷲等々とにかくしめ縄を張ってしまって拝んでたんです。 仏教も最初は釈迦のすこぶる内省的というか自己啓発的な精神論だったはずなんです。ところが諸行無常だの色即是空を理解するよりは、仏像を作って拝んじゃった方が分かりやすいし大衆受けもしたということなんでしょう。大勢の人の心を救うためには必要かつ有効な方法だったのでしょう。イスラムだって偉大な指導者が出るとでっかい額に入れて飾ったりしますからね。あれだって偶像と言えば偶像だと思うのですが。 額と言えばあそことあそことの国なんですが、それについは後で触れます。 さて、岩でも木でも一度しめ縄を張って拝んじゃうと神聖なモノになってしまいます。子供はともかく、大の大人がその上に登ったり落書きしたりはできなくなるわけです。誰に咎められるというわけでもなく、キカイダーの良心回路みたいなのが埋め込まれていて、神聖なモノを汚すと気持ちが悪いわけです。昔はよく電信柱や板塀の下の方に鳥居が書いてありました。あれは何も電信柱を拝めってわけじゃなくて立ち小便除けだったんですね。鳥居という神聖なモノが書いてあるだけで、何となく汚したくなくなるわけです。考えた人はエライです。 東日本大震災以降、最も手垢にまみれた日本語といえば「絆」という言葉でしょう。「絆」ってさえつければ何でも許される、強要できるようになってしまいました。後で言われたような語源はともかく、最初は震災直後の「みんなで助け合いたい」「力を合わせたい」という純粋な気持ちから生まれた、というか選ばれた言葉だったのでしょう。だからみんな受け入れた。でもいつしかこの「絆」という言葉にはしめ縄が張られてしまったんです。言葉の偶像化が起こった。「絆」という言葉を穢すのはけしからん、何となく嫌だというモノになってしまった。 そうすると今度は電信柱の鳥居みたいに、批判されると困る事柄に「絆」という護符を貼る人達が現れました。言うまでもなく政府や政治家達です。「絆」の名の下に放射能を含んだ瓦礫は拡散され、「絆」の名の下に汚染された食べ物が作られ食べさせられている。次にしめ縄が張られたのが「復興のシンボル」という言葉だと僕は思ってます。この名の下に今度は放射能汚染が心配されるのも無視して農漁業が再開され、飲食店が再建されています。まさに言葉の偶像崇拝が勧められているのです。 「アベノミクス」「異次元緩和」を一言で言ってしまえば「霊感商法」でしょう。絆も復興のシンボルも少なくとも最初は実態がありました。助け合おう、立ち上がろうという実態があって言葉が生まれました。それを為政者が利用したわけです。ところがアベノミクスや異次元緩和には、そもそも実態がないところに産まれています。産まれたというより、誰かが机に向かって考え出した。そこら辺に転がっている壺に絵の具を塗ったくってしめ縄を張って「信じなさい、信じる者は救われる」って言ってるのと同じです。もちろん詐欺ですから少しだけ良い思いをさせておいて、後からがっぽりふんだくるつもりです。そして祭壇を作り派手に呪文を唱えてそれらしく見せているのがマスメディアなのはご推察の通りです。 これからもアベノミクスや異次元緩和の後をついで次々としめ縄が張られ、偶像が作られていくのでしょう。鎌倉時代、戦乱と天災、飢饉、疫病に見舞われ人々が不安でいっぱいになった時代、日本仏教の主な宗祖が現れています。現代もそうなのでしょう。ただ今現在、有効に機能している宗教はそう多くはありません。真に人々を思い救おうとする宗教を見つけられない。だから、カルトや霊感商法、マスメディアに簡単に騙されてしまうのでしょう。心に偶像を作ることなく冷静に物事を見ていく必要があると思います。 そういう意味でもう一つ、あえて苦言を呈したいことがあります。それはヒーローの存在です。反原発運動にあって様々な影響力の高い人達が登場しています。山本氏、小出氏、こころ氏、千葉氏、反原連、さらには各地のリーダー格の人もいるでしょう。これらの人や団体を本人の意図とは別に偶像化してしまってないでしょうか。偶像化してしまえば批判が許されない。全部受け入れるか、打ち壊すかです。人民軍と共に戦った毛沢東や金日成も偶像とされ額に飾られてしまえば、ご存知のようになります。レーニンの像だって引き倒されました。偶像化してしまうと「信じるか、信じないか」の二元論に陥ってしまうからです。ある種宗教的になってしまうので冷静な議論ができなくなってしまうのです。だから最後まで人間として付き合わないといけないと思います。彼らの話す一つ一つの内容や行動が大事なのであって、彼らを偶像として祭り上げて拝んではいけない。ちゃんと自分で考え、行動するしかない。ネットでの論争を見ているとそんなことを考えたりするわけです。
2013.06.08
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僕は朝の仕込みを終えると店を義父たちに任せ、スマホと充電器をデイパックに入れて駅へと向かった。6月29日、目的地は東京首相官邸前。 思えば僕の生活はすっかり変わってしまった。あの東日本大震災から…ではない。震災では宮城県とはいえこの辺りはほとんど被害はなく、停電こそ何日も続いたが、水道はすぐに開通したし、沿岸部とは違い食べ物にも困らなかった。ひどい行列に並んだのも2回だけ。1度は息子のオムツを確保するためにドラッグストアに朝から並んだ。それでも開店1時間前から並んで先頭から4人目。不安な心にラジオから流れるジャニス・ジョップリンが染みたのを憶えている。見知らぬ若い夫婦はロウソクを買い損ねた僕に譲ってくれた。ひどい災害だけど人の優しさにも触れられたと単純に喜んだりもした。もう一つはご多聞にもれずガソリンだった。いつも行く小さなスタンドに大行列ができていて1台10リットルずつということだったのだが、おやじさんは僕の顔を見て20入れてくれた。「あんたはウチのお客さんだから」という言葉がありがたかった。 やがてロウソクの灯りの中、ラジオから福島の原発が危ないとの声が聞こえてきた。不安を感じたが「まさか」という気持ちも強かった。若い頃は社会活動に興味を持ち、原発反対の署名にも協力したし広瀬隆の本も読んでいた。だから宮城県女川に原発があるのは少し気にはしていたが、いつしか生活に埋没し意識の外に置くようになっていた。この辺りは北西の風が多いというのを知っていたのも安心材料だったかもしれない。それでも一度事が起ればとどこかで心配していたのも確かだった。 当時の総理大臣の国民への呼びかけがラジオで放送されたのと、福島の原発が水蒸気爆発を起こしたというニュースとどちらが先だったのだろう。首相の声を薄明かりの中で家族と聴きながら、昔の怪獣映画かパニック映画のワンシーンを思い浮かべていたのと、事故のニュースを聴いたのと前後関係の記憶が定かではない。ただ、眠れない深夜イヤホンでただならぬ事になっている事を聴いたのは憶えている。 それからの事は多くの東北の人と同じだろう。「事故は大した事はない」「直ちに影響はない」という官房長官の会見を見て安堵していた。そう、見ていたのだ。義父の家にはソーラーがあり停電中も日中ならテレビが見られた。それはともかく、今にして思えばあの時点で車に乗って逃げるべきだったのかもしれない。念のためでも。まだ「信じて」いたのだ。 避難しなかったのにはもう一つ理由があった。震災三日目から店を開けたのだ。店に残っていたカップラーメンやお菓子、そしてプロパンガスが無事だったのでガスで焼く焼き菓子、揚げ物を売った。ボランティア精神も幾らかあったのだろうが、在庫を腐らせないという効果もあった。義父を疑うわけではないが。商品は飛ぶように売れた。人々は温かい食べ物に餓えていて、それ以上に心の不安を食べ物で癒していたのかもしれない。不本意ながら一人限定何個まで、という事もしなければならなかった。そうしなければ、並んでいるお客さんがパニック的に注文数を増やしていくからだ。人の心の弱さも見せてもらった気がする。 やがて電気が通じ、あのポポポポーンのCMを見なくなる頃、僕の生活は元に戻っていった。原発の事故などなかったかのように。
2013.06.07
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先日、読者の方からこの連載について「ヤマハ音楽教室の入口は自動ドアになっているから、近寄ると開いてしまい叩けない」という小賢しいご指摘を頂いたが、これはあたらない。前後の文脈をよく読解してもらうと分かると思う。もしかしたら報道が僕の発言の一部を取り上げてやり玉に上げたせいかもしれないが、それは現場を知らない机上の空論であって、一度でも実際にやってみればわかること。そもそも僕は以前からヤマハ音楽教室を支持し権利を護ることを表明しているわけで、だいたいあれは玄関であって「門」じゃあないと断言できる。ヤマハ音楽教室就業規則第9条3項を読めば誰だってわかる。問題は、みんなやっているのにどうしてヤマハ音楽教室だけが責められるのか?だ。そのことをご理解の上、顔を洗っておととい出直していただきたい。 本題に戻ろう。「ジャズの螺旋的発展における超弁証法的展開とレヴィナス的人生に関する最大公約数についての一考察」だ。若干自分のキャラを見失いつつあるが、もちろんここでは問わない。それをもまた弁証法的と思われる向きもあろうが、それは早計と言わざるを得ないし、僕の意図するものでもない。一つ言えるのは国民に知られたくない法律の名前を考える偉い方々はせいぜいこの程度のメンタリティではないかということだが、これはいささか毒舌に過ぎるやもしれない。 さて、ここまですこぶる大雑把ではあるが簡単にジャズの歴史を見てきた。ニューオリンズに始まり、スウィング、バップ、モード、フリーと発展してきたそれは自由を求めるジャズメン達の飽くなき工夫と、身を削るような努力の上に成し遂げられてきたのだ。 それは調理に飽き足らなくなった周富徳がバラエティに進出し、中華鍋をソリに見たててゲレンデを滑り降りる姿に例えればわかりやすいだろう(わからんて)。 余談だが陳健民、陳健一、陳健太郎と続く陳家も3代目となってだいぶ存在感が薄れてきたし、テレビに媚びる姿勢が鼻に付いてきたような気がしているわけだが、何と言われようがここでは問わない。 またここで、ウェストコーストはどうした?とかファンキーやフュージョン(!)は無視か?という声が聴こえてきそうだか、あ•え•て•ここでは触れない。ここでは弁証法的な螺旋に組み込まれていたとだけ言い添えておく。興味のある方はぜひカワイピアノ教室に入門していただきたい。言っておくが決して面倒なわけではない(ちなみに入門の際、お月謝は年間一括払いにするのがお得だと言い添えておく)。 さっぱり進まないではないか…。 ともかく、ジャズはメロディ、コード、そしてリズムからも自由を獲得した。そして先述した悟りを開いた禅師のごとく、到達した境地に留まることなく日常を取り戻していった。だから、彼らが教育テレビの「初心者のためのジャズ入門」などという番組に出演して、にこにこ笑いながら解説をしていたとしても揶揄や批判の対象にしてはならない。そんなことをしたら、頭に座布団を乗せて出て行ってしまうだろう。 閑話休題…。 ここに、彼らジャズメン達の戦いを3周遅れぐらいで追体験した高校生がいた。お調子者の彼は妄想した。「三種の神器から解放されたジャズは、次には何から解放されうるのか?」それは勉強と校則に抑圧された彼の青臭い、しかし止むに止まれぬ考察だった。本人は気づいていなかったかもしれないが。 なんて書くとかっこいいけど、要は目立ちたがり屋で、人とは違ったことをしたかったんだね。「俺が俺が」って性格でカラオケのマイクを離さない、欲求不満だった…。ん? とにかく彼は考えた。楽器?これはもう多くの人が演っている。じゃあいっそ音楽という形態を捨てるか?それじゃ芝居やパフォーマンス、舞踏になってしまう。 行き詰まった彼は開き直る。「え〜い面倒だ!いっそ人生そのもの、死ぬまでを一曲のジャズにしてしまえ!」と。 こうして高校3年生のレポートは完成したのだが、あろうことか彼はその後、その理論を実践してしまった。ただ、その結果彼の人生がどのようなものになったのかはここでは問わないし触れもしないが、曲はまだ終わっていないし、そこそこクールな曲になりつつあることは言い添えておく。(了) 一方その頃、桶狭間の戦いに勝利し、寧々の膝枕で、耳を掻いてもらいながら居眠りを貪っていた木下藤吉郎は、豊臣秀吉になる前に連載が終了したことなど知る由もなかった…。 参考文献 「ジャズは死んだか⁈ -ジャズ100年史」相倉久人 「至高の日本ジャズ全史」相倉久人 「ピアニストを笑え!」山下洋輔 「道元」立松和平 「正法眼蔵随聞記」孤雲懐奘 「小沢昭一的こころ」小沢昭一 橋下徹 on Twitter アルバム 「ルイ•アームストロング Best」 「チャーリー•パーカー Best」 「Kind Of Blue」Miles Davis 「至上の愛」John Coltrane 「バラード - Ballads」John Coltrane 「寿限無 VOL.1」山下洋輔
2013.06.06
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Tribute to Shoichi Ozawa… え〜〜、ご案内のようにチューチュートレインを歌っていたZOOのボーカルと大黒摩季はまったくの別人なんだそうですが、あたしゃね、今でも疑ってますよ、あれは、顔を出さない間にヤマハ音楽教室に通ってたんだってね。その証拠に大黒摩季になってからずいぶん歌が上手くなりましたからね。 そういや今の筒美京平は3代目だって話も聞いたことがありますが、それはさておいて、仏教の悟りの話に戻りますよ。え〜〜「悟りを開いたらそれさえ忘れて暮らしに戻る」と言うことなんですが、考えてみたらこれ、なかなか大変なことですな。もとの生活に戻っちゃってるわけだから、どの人が悟りを開いたのか、はたからはとんと分からないわけで、向こうから歩いてくるおじいさんが悟ってるかもしれないし、アクビしながら鼻毛を抜いてるお父さんがそうかもしれないんで油断も隙もあったもんじゃあないですな。 床屋で髪を切ってもらいながらいい気になって人生論なんか語っちゃってて、ふと鏡の中に写ってる床屋のオヤジさんの口元を見ると、片方の唇の端がピクリと持ち上がっているのに気がついたりしたらもういけない。思わずその場に土下座して教えを乞うたりするわけですが、床屋のオヤジさんだって悟ったことを忘れてるわけですから、頭に座布団を乗せて出て行ってしまったりするわけです…。 ♫♫♫ 今日もお父さんは奥方に追い出されるようにウチを出てきましたよ。宮坂さんとの約束は5時だったんですけど「邪魔だから散歩でもしといで」って奥方に言われたお父さん、仕方なしに駅前にある行きつけの喫茶店で時間をつぶそうとブラブラ歩いて行ったんですな。ところがその喫茶店が休み。「さてどうしたもんか」とふと見ると今まで気づかなかった薄暗い露路を見つけましたよ。 その時お父さんの頭の中で「知らない角を曲がれば、それはもう旅の始まりです。桃屋の空き瓶に七円の歌」って舌の長い放送作家の声と例の歌が聞こえたのかどうかは確かめようがないんですが、とにかくお父さん、その露路に入って行きましたよ。あわよくば小股の切れ上がった妙齢のご婦人と偶然の出会いを…なんて期待は早々に裏切られまして、どこか寂しげで時代に取り残されたような道が細々と伸びてるだけだったんですな。 しばらく行くと、お父さんの目に一枚の看板が飛び込んで来ました。近づいて見てみるとどうやら喫茶店らしい。お父さん考えましたよ。こういう寂れた場所にこそ隠れた名店があるんだってね。さっそく地下へと伸びる階段を降り始めたお父さん、妙にお腹に響く低音が気にはなりましたが足を止める程のものじゃあなかった。黒く分厚いドアを開けるとお父さんはもくもくと煙るタバコの煙と地獄の鬼が演奏しているような馬鹿でかい音に包まれましたよ…。 店の中は極端に照明を落としてあり薄暗く、裸電球がいくつかぶら下がっていた。そして右手奥の方にカウンター、左手にはなおいっそう薄暗いスペースがあって、その奥から地獄の音楽は聞こえているらしい。カウンターが満席だったので鈴木は左手の席へと向かう。目が慣れるとそこには5人程の先客がいた。皆目を閉じうなだれたように下を向いている。何人かは腕を組み、また何人かは灰が伸びるに任せたタバコを指に挟んで灰皿の上に伸ばしたままにしている。よく見ると皆、小刻みに足首を揺らしリズムをとっている。眠ったように見える男もまた小さく肩を揺らしていた。「珈琲でも頼むか…」鈴木は少し伸び上がりながらマスターらしき男に向かって声をかけた。 「すいませ〜んっ!」 ガバッ。周りに座っていた男たちが一斉に顔をあげ、それこそ鬼のような目で鈴木を睨みつける。口をへの字に閉じたまま鈴木の上から下まで舐めるように見定める。そしてまた、それぞれの世界へ戻っていった。鈴木は何が起こったのか分からないままもう一度マスターを呼ぶ。「コーヒー…」いい終わらぬうちに慌てて近寄って来たマスターらしき男が人差し指を口に当て、優しさとも哀れみとも取れる表情を浮かべながら小さく首を横に降っている。鈴木の口が閉じたのを確認すると安心したらしく、神父の笑顔で軽く頷くとカウンターに戻って行った。どうやらオーダーは通ったらしい。 それにしてもこの音楽は何だろう?普段は演歌しか聴かない鈴木にとってそれは未知の音楽に聴こえた。一定の拍子を取りながら上へ下へとうねる低音。ガシャガシャとやかましくあまつさえ時折シンバルの破裂音が炸裂するドラム。リズムに乗ろうとすると邪魔をするピアノの音。そして極め付けは悲鳴のようにも、卑弥呼の挙げる祈りの声にも似たサックスの音。鈴木は軽い頭痛のようなものを感じながらも心の奥底が揺さぶられる感覚も味わっていた。 レジの横にレコードのジャケットが立て掛けてあるのが見えた。今演奏中のレコードらしい。軽い尿意を覚えた鈴木はトイレへ行くついでにそのジャケットの文字を読んだ。「ジョンコルトラネ」鈴木は英語が苦手だった。スタンド替わりの譜面台には小さな紙が貼ってあり「お気軽にリクエストをどうぞ!」とマジックで書いてある。さっきから原因不明の不安に襲われていた鈴木は、それを解消しようとさっそくリクエストすることにした。周りの音にかき消されないように大きな声で。 「三波春夫の田原星玄蕃ありますか?」 今度は店中の客の顔が持ち上がった。珍しい動物でも見るように鈴木を見つめている。中には小刻みに肩を震わす者もいる。またしてもマスターは泣き出しそうな慈父の笑顔で首を横に振っている。 「それじゃあ、さいたまんぞうのなぜか埼玉…」 その時鈴木の頭の中に声が聴こえたような気がした。「目を覚ますんだ」鈴木は周りを見回すが皆が不思議そうに鈴木を見ているだけだ。また声がした。「ほら、目を覚ますんだ!」今度ははっきり聴こえた。身体がガクガクと震える。鈴木はしっかり目を閉じると腹から声を出した。「お前は誰だ⁈」「僕は君だよ」「お前が俺だと?」「そう、僕は君!」 鈴木の中で光が炸裂した。鈴木は上下から引っ張られたように直立すると自身の頭を飲み込むほどの大きな口を開け、声を超えた声を放った。LUXの真空管が破裂し棚のグラスが弾け飛ぶ。天井の裸電球も次々と割れていく。暗闇となった店内に鈴木の姿がぼんやりと浮かび上がる。不思議なことに音楽はさらに大きな音でビートを増し鳴り続けている。鈴木の体はビートに合わせてうねるように振動している。その振動がピークに達した時、鈴木の目が開いた。 鈴木の目からJBLの巨大スピーカーに2本のビームが届くと、スピーカーの中から3人の男達が現れた。手にはピアノ、ベース、そしてドラムセットを持ち、たちまちセットを終えると音速のビートを叩き始める。いつしか激しいサンバのリズムに変わっていた。鈴木の口からスキャットが漏れた。「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」。床に伏せていた客たちがムクリと上半身を起こすと鈴木に唱和し始める。「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」鈴木のソロが始まる。 「あーけのかなたのー」 「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」 「さいかどーはやかた」 「シャバドゥビダ、シャバドゥビダーヤ」 覚醒した鈴木が今度は軽々と神の垣根を越えようとした時それは起こった。今度も始まりはピアノだった。突然ピアノはサンバのリズムを無視し蟹の様に両肘を広げると、右は23分の11拍子、左は19分の7拍子の変則3連シンコペーションを叩き始めたのだ。彼は歯をむき出し苦し泣きそうな表情を浮かべている。そして鍵盤にひじ打ちが炸裂した。もはやベースは「縁の下の力持ち」という偽善者の仮面をかなぐり捨てセンターに立とうとにじり寄る。「キープはしない。何もキープなどするものか!」ベースは攻めに転じた。その頃ドラムはすでに恍惚の表情を浮かべ右斜め45度上方を睨みながら、口からヨダレを垂らし、何やら和歌のようなもなのをつぶやいていた。鈴木が雄叫ぶ。 崩壊と新生が同時に始まった。メロディはなくなりコードは超越された。そしてこの瞬間、ジャズはリズムからをも解き放たれた。 もうこうなったら誰にも止められない。リズム無きビートのグルーヴはありとあらゆるものを現出させる。ピンクの象はムラサキのワニにヘッドロックをかますわ、ドカヘルにタオルマスクの青年は角棒を脚にして案山子に化けるわ、自作の詩は読むわ、這いずり回るわ、百匹目の猿は芋を洗うわ、アハハハハハハ、先生は生徒に謝り、彩ちゃんはヒロシ君を罵倒するわ、自分のパンツに手を突っ込むわ、電話機に説教を始めるわ、ピアノは燃やすわ…。 やがて大団円の時が来た。ユニゾンブレークを13回ぶちかますと静寂が訪れた。なぜ13回だったのかはここでは問わない。 一方その頃、たった三日で壊れた石垣を修繕し、大工達の労をねぎらっていた木下藤吉郎は、そろそろネタ切れしかかっていることなど知る由もなかった。 「…………あかんわ…」 「…………あかんか?」 「…………ヤバイしな」 「…………ヤバイか?」 「………………………」 「…………………ん?」 え〜〜意気揚々とジャズ喫茶から引き上げて来たお父さん、不思議なことに露路から表通りに出ると今あったことをみんな忘れてしまいましたよ。ついでに宮坂さんとの約束も忘れてウチへ向かったんですが、もちろん、ウチでは奥方が帰りの遅いお父さんを、今か今かと待ち構えてたんですな。でもこの続きは明日のお父さんの心だ〜っ! 次回「初恋はどんな味?ジャズは生き方だ!」に、ズームイン!バンザ〜イ、なしよ。
2013.06.05
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「牛追いの図」というのをご存知だろうか?仏教、特に禅における「悟り」というものを、童が山に牛を探しに行く過程に見たてて何枚かの掛け軸にしたものだ。どういうことかというと、 1.牛を探しに行く決心をする 2.山に分けいる 3.牛の後ろ姿が見える 4.牛を捕まえる 5.牛の背にまたがり村へと帰る 6.牛のことは忘れ、いつもの暮らしに戻る お分かりだろう。言うまでもなく牛が「悟り」である。僕がこの話を大好きな理由は、最後に牛のことをすっかり忘れてもとの生活に戻るからだ。そして、ここに1人のジャズメンがいた…。 彼の名前はジョン。テナーサックスを吹いている。ジャズを志した彼は、ぶっきらぼうで骸骨のような顔をしたラッパ吹きの下で日々修行に励んでいた。彼の師匠はコードを超える理論「モード」を手にいれていた。ジョンはそのモードを我がものとするため夜毎、師匠と共にプレイを続けていた。 3丁先のクラブでプレイしていた同じくテナープレイヤー、ソニーの破天荒でインスピレーションに飛んだプレイとは対象的に、ジョンのそれは内省的で理論に忠実に音を辿りながら何かを模索し続ける、まさに修行の名にふさわしい音を紡ぎ出していた。それはまるで数珠の一珠一珠のように紡ぎだされる。呪詛のように繰り出される音の一粒一粒は、あるいは祈りのようでさえあった。 ある日師匠が言った。「そろそろ独立したらええんちゃうん?たいがいのことは教えたで。」ジョンは答えた。「ほんまでっか?ほなら、そうさせてもらいますわ」ジョンは自分のバンドを持つこととなった。最後に師匠がジョンに授けた言葉は「フォースはいつでもあんさんと一緒やで」その言葉がいかに未来を予言していたか、その時の2人は知る由もなかった。 その日は独立して初めてのステージだった。ジョンはやや緊張しながらもこれから始まる旅の期待に胸を膨らましていた。ベースのソロから始まる。ぶーんぶーん、ぶーんぶーん。次にドラムだ。だぱんどとん、だぱんどとと、だぱんどとん、だんとだーん。ピアノ、ぱーんぱんぱっぱぱん・・・。ジョンがテーマを高らかに宣言する。だっだーーーー、だたららたーららーー、たらたーたたー、たららたらららたらららたーららー。3回繰り返したところでソロが始まる。 余談だがここで3回繰り返すことに意味があるのかないのか?ないのか?あるのか?そのことに言及する余地はここではないので言葉の裏の余白をぜひ読み取って欲しい。 ジョンはイタコの前に座っていた。イタコは筵の上に正座し、苦悶の表情を浮かべ、苦しそうに大きく息をしながら上半身を前後左右に揺らしていた。その様は海底で揺らぐ海藻のようでもあった。ジョンは手にした数珠の一粒をまさぐりながら尋ねた。「あなたは誰ですか?」 「く、暗いっ…」イタコが応える。 「そこは何処ですか?」「寒いっ…」 「何があったんですか?」 「わしが悪かった〜〜っ、あっあっあっ」 「何が悪いのですか?」「暗い…」 「暗いのですね?」「寒い…」 「どうしてそこへ…」 「わしが悪かった〜〜っ、あっあっあっ」 ジョンはペンタトニックからシンプルなマイナースケールに移動した。 そこは南米のジャングルの奥深くだった。ジョンは今、スフィンクスとなって大地に根をおろし地上を見下ろしていた。高音のピアノが乾いた風のように吹き付けてくる。風はジョンを風化させ鼻を削り顎を落とし、やがてすべてを砂に帰し何事もなかったかのように砂漠を取り戻す。 次にジョンは毛虫になった。葉っぱの上を這いまわりながら齧るべき葉の弱った部分を捜していると、唐突に鳥につまみ上げられ食べられてしまった。 鳥はシンバルだった。地を這うように迷いの中で涙を流すジョンを見かねて繰り出された鉄槌だった。マイナーはメジャーへと移行する。 鳥に喰われたジョンは鳥の眼線を獲得する。上昇気流に乗り一つのパターンを繰り返しながら、少しずつ位相をずらし慎重に高度を稼ぐ。行き着くべき場所は見えている。後はいかに「逆転層」を超えるかだ。旋回を繰り返しながら螺旋階段を昇る。ベースもドラムも彼が何を求め何処へ行こうとしているのか気づいていた。彼が行くなら自分たちも共に上り詰める覚悟だった。たとえそこに何が待っていようとも。 きっかけはピアノだった。ピアノがFとA#を連打し、それに呼応するようにベースがグリッサンドを繰り返す。ドラムが戦いの響きを轟かせるとジョンは「もはやこれまで」とばかりにハイトーンでの32連符を叫ぶ。その時、扉が開いた。 ジョンは万華鏡の中にいた。きらびやかな色に囲まれ、ありとあらゆる音に囲まれながら、なおかつそこは静寂に満ちていた。ジョンは頂のすぐ下にいた。「あと一歩、あと一歩でたどり着ける。」ジョンは狙いを定めた。万華鏡の中心に「あの音」を差し込めばいい。それですべてが理解できる。神と合流できるのだ。ジョンは唇に力を込めると一気にフレーズを奏でた。 「ぷらぷらぺべら〜のしたんぱりかーっ!」 外れた。ベースが落胆したように低音に下がる。ドラムは息を整えるようにシンプルなビートを刻む。演奏を始めてはや3時間、タイムリミットは近い。おそらくチャンスはもう一度あるかないか。ジョンは態勢を整えると、次のチャレンジに向けて耳を澄ましドミナンドに移行すると仲間の音に集中した。 その時声がした。 「ジョン、耳ふさがんかい」 ジョンは耳を疑った。「ジョン、耳ふさげ言うとんねん!」それは、あの戦いのさなかダークフォースに自ら身を投げ出し、現生での存在を消滅させた師匠の声だった。 「そやかて耳ふさいだらドラムもベースもピアノの音も聞こえへんやん!」ジョンがさけぶ。 「心や。心の耳を開くんや。フォースを信じるんや、ジョン。フォースはいつでもあんさんと一緒やで」 ジョンは耳を閉じた。どう閉じたかは定かではないが、とにかく閉じた。すべての音が消え真の静寂が訪れる。ジョンは心の耳を開くとフォースに接続し、本来あるべ自分の姿と宇宙の中で自分の占める位置を探り、最後のフレーズを奏でた。 ドレミ〜レド、ドレミレドレ〜! ジョンはまったくの光に包まれ高みに上り詰めた。 そこは、一部でありすべてだった。個と全体が垣根を越えて一体となり、憎しみと慈しみは区別されない。もはやそこには悪も善もなく、すべてはあるがままに許され愛されるのであった。ジョンは至福の時を享受していた。この一瞬のために自分の人生はあったのだと確信した。そして、確かにそれは一瞬であった。 ジョンは落ちていった。羽根を失ったイカロスのように、地獄へ突き落とされたルシファーのように彼は地上へと落ちていった。 彼は堕天使だった。一度天上の歓びを知った者にとって現実は地獄に近い。しかし、彼は間違いなく神を見た。その誇りを宣すべく、再び高らかにテーマを3回奏でると曲は終わりを告げた。なぜ3回なのかはここでも問わない。 元ジャズ評論家相倉久人氏によると、この数時間にわたるライブの後、楽屋にジョンを訪ねたところ、彼は、今見た世界を取り戻そうとするかのようにサックスを吹き続けていたそうだ。 この後ジョンは一枚のアルバムをリリースする。そこにはほとんどアドリブすることなく、原曲のメロディを淡々と、かつリリックに奏でるだけの彼の姿があった。アルバムのタイトルは「バラッド」。彼もまた牛を忘れたのだろう。 一方その頃、都の南には金目教という怪しい宗教が流行っていた。木下藤吉郎は飛騨の山奥から3人の忍者を呼んだ! 次回「シャバドゥビダはお父さんの心なのだー!」読まないと、月に代わってお仕置きよっ!
2013.06.05
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ジャズがコード(和音)から自由を獲得した経緯を説明するためには、ここで否が応でも、ハイが長嶋だろうとアドリブのルールを説明せねばなるまい。 コードとはご存知のとおり、ドミソの音をいちどきに鳴らすアレである。じゃ〜ん、だ。で、曲にはコード進行というのがあって、ギターの楽譜のように、C Am F G7 とか和音が変化していく。メロディを崩していったり、アドリブで新しいフレーズを作る時は、その変化していくコードの構成音(Cならドとミとソ)を鳴らすと伴奏の音と不協和音にならないから心地よく聞こえる。 まあ、決められたトラックの中を周回しながら戦う日米対抗ローラーゲームにおける東京ボンバーズの佐々木ヨーコのようなものといえばわかりやすいだろう(わからんて)。 ちなみに佐々木ヨーコは梶芽衣子であったとか、後の浅野温子であるとか、大陸に渡ってチンギスハーンになったとかとの説もあるが、ここでは触れない。 さて、アドリブでコード音だけ鳴らしていればいいかというと、そうはイカの塩辛、天地茂の眉間のシワなわけで、それではリチャードクレイダーマンみたいなメロディしか出てこない。そこで経過音とかブルーノートなどを駆使するわけだが、ここから先は専門家の解説に任せるとする。興味のある方はぜひヤマハ音楽教室の門を叩いてもらいたい。言っておくが、決して面倒になったわけではない。 閑話休題…。 ここに1人のラッパ吹きがいた。彼は常日頃、従来のアドリブフレーズに限界を感じていた。何か新しいことがしたい…。ある晩いつものようにセッションに参加しアドリブフレーズを追いかけていた時、考えに熱中するあまり本来あるべきでないフレーズを吹いてしまう。一瞬会場に緊張が走る。ざわめく客席。「おい、間違えたぞ」「下手なんじゃね?」メンバーもいっせいに彼の顔を見る。 しかし、ここで「しまった」という顔を見せることはジャズメンとしては致命的であり、市中引き回しの上張り付け獄門は免れない。彼は何食わぬ顔でもう一度まったくあり得ない音を奏でる。そして上目使いに客席を睨むとこう呟いた。「So what?」(それがどうした?) 「クール!」誰かが呟く。「クール!」「クール!」ざわめきが拡がる。次に彼が音を外した時ピアノが付いてきた。コードごと外しにきた。それでいてペットのフレーズとは緊張感のある協和音を響かせる。次にはベースが合流する。やがてコード進行という堤防を決壊した音の奔流はとどまることを知らず、朝ぼらけの中をどこまでもトリップして行くのであった。 一方その頃、いまだ岐阜城で足留めを食らっていた木下藤吉郎は、ジャズがコードから解放されたことなど知る由もなかった…。 次回、「疾風怒濤のインナートリップ。私は神を見た!の巻」をお楽しみに!
2013.06.04
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ジャズがメロディからの自由を獲得したのと時を同じくして、もう一つ獲得した自由がある。歌詞だ。これはもう有名な逸話が残っている。山寺宏一扮するところのサッチモことルイアームストロングがボーカルを吹き込む際、歌詞を忘れた。とっさに彼は「シャバドゥビダバダバ〜」とアドリブでやった。これがスキャットの始まり。 これはサッチモの確信犯だったとか、歌詞カードを譜面台から落としたとかいろいろな説があるが、歴史はそのときどきの権力者によって改変されることもあるわけで、その細部の事情は重要ではなく、いかに本質を見抜くか?というのが大事なのであり、やがて、大橋巨泉の「ハッパフミフミ」タモリのハナモゲラへと続く言葉の解体がこの時始まったのは間違いがない。エラフィッツジェラルドのスキャットアドリブソロが好きです。 さて、バンジョーも軽やかなデキシーキングスが「地球の上に朝がきた〜、その裏側は〜夜だろ〜」と歴史的なフレーズを残した後、ジャズはダンス音楽として洗練され、ベニーグッドマン、グレンミラーなどのスウィング、ビッグバンド時代を迎える。映画「スウィングガール」のアレだ。 ビッグバンドではアドリブソロが効果的に挿入されはするが、あくまで全体の構成の中での部分であり主役はダンス音楽としてのノリとわかりやすさ。バンドマスターという天皇陛下のもと許された権利を行使することしか許されなかった。 そんな演奏に飽き足らず、生業としてのバンド演奏を終えた後、深夜のクラブで自由に、思う様アドリブ演奏を繰り広げるミュージシャン達が現れた。統制された演奏に抑圧された自由な精神が溢れ出したのは当然の成り行きだったと思われる。 って書けばかっこいいけど、要はマイクを離さないカラオケおじさん状態だったのかも。だって、ビッグバンドでのアドリブソロってほんの一瞬。それでなくても「俺が俺が」のミュージシャンがそれで満足できるわけがないわけで、ひとたびソロが回ってくるや、延々と演りたかったのだろうことは想像に難くない。欲求不満だったのさ。 ビーバップの誕生だ。それまでダンスの伴奏として位置付けられていたジャズが、鑑賞する音楽としての地位を手に入れたとも言える。主役はバードことチャーリーパーカー。そして、この深夜のセッション大会の中でジャズの重要な要素が鍛えられていく。それはコールアンドレスポンスと呼ばれる。 例えば今サックスが「えへらぴ〜」と吹いたとする。するとピアノが「ぱぷりぽん」と受け、同時にドラムが「だばとととん」と反応する。ベースは意に介する事なく「ぶんぼんぶんぼん」とリズムをキープするが、ピアノにインスパイアされたサックスが「してらの〜にや」と吹くに至ってはガマンならず「どどどぶ〜ん」と反応してしまう。すかさずドラムが「ずたっ」と合いの手を入れると、もはや容赦のない悪役キラーカーンと化したビアノは禁じ手のフォーク攻撃。受けるドラムことアントニオ猪木はブレンバスターからアメリカンデスロック、締めはコブラツイストで…。 とまあ、ことほどさようにコールアンドレスポンスとは恐ろしいまでに人を魅了する麻薬的な作用を持つわけであったのだ。ただし、このことと多くのミュージシャンが麻薬を愛好するようになったのとは関係がないことを言添えておかねばなるまい。 で、お気づきのように(ほんとか?)このコールアンドレスポンスこそが弁証法的なのだ。Aというフレーズに対してBというフレーズが示され、結果Cというフレーズを導き出す。テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの関係に擬せられる。ここが大事なところで、AもBも互いに否定し合うのではなく、新たなCというフレーズに昇華していく。しかも、それで終わりではなくCに対してさえ新たにDというフレーズが示されれば別の展開を考えなければならない。素晴らしいではないか。永遠の進化であり深化である。我々もこうありたい。 もはや原曲がわからなくなるほどのインプロビゼーション(アドリブをカッコ良く言いたい時はこう言う)と、高速テンポで自由を得たかに見えたジャズであったが戦いのリングとして共有すべきルールはまだ存在した。すなわちコード(和音)とリズムだ。 ジャズはまず手始めにコードからの解放を求めた。 (一部、山下洋輔の文体をパクりました。ゴメン)
2013.06.04
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今は昔、高3の音楽の時間にレポートを提出することになった。当時聴いていた音楽といえばジャズ。それもグレンミラーから始まった僕のジャズ遍歴はナベサダを通過して一気にフリーへと入り山下洋輔に傾倒していた。 山下洋輔といえば、タモリ、赤塚不二夫、筒井康隆とくるわけで、日本ハチャメチャSFを音楽で体現していたといえばわかりやすいだろう(わからんて)。 さらに生意気盛りの高3生は倫理の授業で哲学などをかじってまたシニカルに世の中を斜め45度ぐらいから眺めたりしていた。そこで、書いたレポートの題が「ジャズにおける弁証法的発展と人生に関わる一考察」まあ、なんかそういう題名を使ってみたかったんだね。かわいいなぁ。 さて、その内容とは… ご存知のようにジャズの発生はアメリカ南北戦争終了後、不要になった南軍の楽器と解放されたアフリカ系奴隷の出会いに、ブルースの哀愁、アフリカのリズム、そして西洋の旋律がプラスされて生まれたとされている。ニューオリンズジャズだ。 その頃の音が聴きたくて買ったレコードがあったんだが、その録音秘話がイカしている。元祖ジャズコルネット(トランペットみたいなの)と噂される人物の音を録りたくてプロデューサーが探したところ、ある農園で働く老人と出会う。演奏を依頼するが返事はNO。何か理由があって音楽から足を洗ったのかと尋ねると、帰ってきた返事が「前歯がなくなったので吹けない」と。ギャラはいいから入れ歯を作ってくれるなら演奏してやるとのことで、プロデューサー氏、早速歯医者に連れて行きめでたく録音とあいなったとか。 この演奏が枯れてていい感じだったね〜。パフッ、パフパフ〜って。まあ当時ギトギトの高校生だった僕には少し枯れ過ぎてたけど。でもこの頃からもう「おじいさん」に憧れてて、早く渋いじいさんになりたいなぁなんて考えてたんだけど、ここではまったく関係ナッシング。 当時のジャズメンは、最初見よう見まねで演奏してたらしい。楽譜も読めなかったらしい。らしいと書くところに僕の誠実さが現れているわけだが、それはともかく、適当に演奏しているわけだからどんどんメロディが崩れてくる。そのうち歌のメロディをなぞるのがバカらしくなったのか即興でメロディを作ったり、後ろで装飾音を鳴らす奴が出てくる。アドリブの誕生だ。 ジャズはまずメロディから自由を獲得したのだ。 全然前に進まないうえに、面白くなっちゃったので続きます。飽きたら途中でやめるかもしれないけど…。まあ、ジャズですから。
2013.06.03
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不足するとウツ病の原因ともなるセロトニンの95%が小腸で作られるそうです。また、小腸は脳から独立して機能しているとも。 考えてみるとニンゲンという生物は太古にワームやミミズみたいな動物であったと思われます。つまり腸を含む消化管そのものの生き物だった。その消化管生物に効率よく餌を取り込むために手足、目鼻などの器官が発達し、それらを統御するために脳が生まれたと考えられます。 つまり腸が「主」で脳の方が「従」のはずなんです。であればこそ、脳を安定的に働かせる物質であるセロトニンは腸で作られるのでしょう。とはいえ、今や脳が無ければ腸が生存できないのも事実です。要はつながりあって、協調して働くのが理想的なのです。 ところが今は「脳万能主義」とでも言うような考え方になっています。脳が喜ぶことだけをしようとしています。 例えば、味覚というのは脳で感じているわけですが、先述した腸主義から言えば、「生命を維持していくために必要なもの」を美味しいと感じるはずです。つまり、ビタミンが足りなければ野菜が美味しく感じられるし、エネルギーが欲しければご飯が美味しい。何より空腹は最大の調味料でしょう。 ところが、グルメ番組や雑誌による脳への刺激(誘惑)や、過剰な脂食品の記憶、人工調味料、健康への間違った知識などにより「脳由来の食欲」が刺激され、それらを食べることで「美味しさ」も感じてしまう。脳が発している欲求ということは、幻想でもあります。だから、食べても食べても満足することが少ないのかもしれません。 マボロシの食欲で食べ続けた結果が、肥満、糖尿病、高血圧、動脈硬化、そしてガンなのはご存知の通りです。要求していない食べ物が入ってくるんですから胃痛、胃炎、下痢、など消化管の拒否反応が出てくるのも当然でしょう。 さらに一歩進んで、栄養過多に困った腸がセロトニンを減らすことで、意図的に脳の働きを衰えさせ、餌の摂取能力を落とそうとしていると考えるのは考えすぎでしょうか?脳の働きが衰えれば、仕事はできない、考える能力も落ちる。結果、腸は必要な分だけの栄養に抑えることができると。 この考えは糖尿病にも当てはまり、糖尿病による失明や手足の切断などの合併症も、腸への栄養を減らす働きとなっているのではないか?という話を、一日一食を推奨する南雲氏が書いていました。 腸の逆襲とまでは言いませんが、苦肉の策であり警告でもあるのかもしれません。 「体の声を聞く」と言います。そんなに難しいことではなく、まずは食事量を減らし、肉や脂などの消化の悪いものを避け、添加物、甘味料を摂らない。プチ断食もいいでしょう。そして一度腸と脳をリセットして、和解させてあげるんです。仲良くしてもらう。そして改めて「美味しいもの、体が喜ぶもの」を感じればいいのだと思います。 くれぐれもテレビ番組やCMに踊らされないように。脳と腸を分断されてはダメです。
2013.06.03
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(レ○プという言葉は楽天の倫理規定に引っかかるらしく投稿できないので性犯罪と言い換えています。変換してお読み下さい) 性犯罪は単に性欲から来るものではなく、抑圧されたストレスなどを、歪んだ征服欲を弱者に向けることにより発散するものです。軍隊というきわめて抑圧的かつ暴力的な組織の中で、上層部はこの心理を利用して兵隊のストレスを別方向へ向けさせ、管理し戦闘へ追いやったと想像されます。であればこそ慰安所では実際の行為以上の暴力が行われ許されたんだと思います。決して「休息」なんていう生易しいものではなかったと思います。 多くの兵隊は戦争という異常な状況下で「性犯罪の心理システム」につけ込まれ慰安所へ「誘導」されたんだと思います。多くはそそのかされたのです。なぜなら、抑圧された男が全員性犯罪に走るわけではないように、軍隊でも理性を持ってストレスと立ち向かう男は決して少なくないと思うからです。 平時なら趣味や酒、スポーツ、読書など、ストレスを発散させる方法はさまざまあります。でも、戦地ではそういうわけにはいかないから(支配者にとって)簡単な一方向に連れていかれたと思うのです。 (もちろん戦争=殺し合いと性という、生々しい行為同士が近しいものであるのも利用された理由の一つでしょう。また、慰安婦を利用した兵隊にまったく責任がなかったとも思いません。) そういう意味では、慰安婦問題は「男全体の問題でもあるけれど、戦争時の指導者の責任は特に重い」と思うのです。単純に男の性の問題にしてしまうと見誤ると思います。責任の所在が拡散してしまい隠れ蓑になってしまいます。「原発事故の責任は国民みんなにもある」という言い方に近いでしょう。国や政治は常に責任を庶民に転嫁しようとするみたいです。 ここまでをまとめると… 1.慰安婦とは「性欲と休息」などというものではなく、性犯罪心理を利用した、抑圧されたストレスを暴力的に発散させる仕組みであった。 2.その仕組みは兵隊が希望したものではなく、統治者が誘導したものである。多くの責任は国、軍隊にある。 この過程でどれだけ多くの女性が傷つけられ苦しめられ、今なお苦しみ続けているか。ここでは本論から逸れますので書きませんが、必ず心にとどめ置かなければなりません。 さて、ここに橋下徹という「風俗で金を払ってコスプレさせて…」で休息していると思われる男がいます。彼はこう言い放ちました。 「慰安婦制度というのは必要なのは、これは誰だって分かるわけです」。 我々を自分と一緒にしないでもらいたい。まずはその一言です。彼は「女性をストレス発散の道具として扱う」ことを当然とし、それを軍隊が利用することも「誰にだって分かる(容認できる)」と言ったのです。「過去の話をしているのであって僕が容認しているわけじゃない」と釈明していましたが言い逃れです。その証拠に、この発言の後、沖縄の米軍司令官に風俗の活用を勧めたのです。 つまり彼は「米兵の性犯罪を減らすために、米軍の慰安所がわりに沖縄の風俗を利用し、在沖風俗女性を慰安婦にしろ」と勧めたわけです。彼が現在も軍隊と慰安婦がワンセットだと考えていて、それを容認しているのは間違いありません。 彼は、女性のみならず男性、米軍をも愚弄しました。皆が自分と同じメンタリティだと考えているらしいのです。また彼が統治者側の目線でモノを考えているのも間違いないでしょう。橋下徹は庶民の味方や代弁者ではありません。ガリガリの権力亡者なのです。 もちろん米軍がこんな申し出を本気で検討するわけはありません。さらには世界中から批難の声が挙げられました。当然です。そして、ここへきて初めて彼は「慰安婦を利用していたのは日本だけではないではないか」と言い出したのです。 「慰安婦容認」を批難され弁明できなくなると、謝罪するのではなく「みんなやってたじゃん」と論点をずらしたのです。 ですからここで「各国の慰安婦事情」などを議論したのでは彼の思う壺です。ましてや「慰安婦の強制はあったか、なかったか?」などという議論も「ここでは」愚の骨頂です。そんなこととは関係なく「今、橋下徹が慰安婦を容認している」そのことが問題なのです。 また「日本の政治家が言えないことをよくぞ言った」と考えるのも間違い。なぜなら彼は、元慰安婦やアジアの国々、日本国内に対しては謝罪も撤回もしないにもかかわらず、米軍、米国、さらには米国民にまで謝罪の意思を表明したのです。何をか言わんやです。 ただ謝罪したくても面会を拒否されたようですが…。 彼は相変わらず「弁護士テクニック」を駆使して言をあちこちに散らし、マスコミに責任を転嫁しようと必死ですが、国際政治がそんな感覚でできるわけもなく、さすがに今回はだまされる人は少ないようです。 繰り返しになりますが、今回の騒動は「慰安婦を容認している橋下徹という男の政治家としての資質が問題」にされていて、さらには「橋下徹の詭弁テクニック」がわかりやすい形で現れた。それ以上でも以下でもないのです。 残念なのはそのことをマスコミが「安心して」糾弾するには、やはりアメリカをはじめとする外国からの圧力が必要だったことでしょう。
2013.05.30
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ツイッターでの僕の書き込みに批判的なリプをつけられる方のプロフィールを拝見すると「ニート希望」とか「永遠のニート」とかよく書いてあるので、本当なら…と考えてみました。 #ニート いわゆる#ネトウヨ と呼ばれる方々、あるいは#反原発 に反感を覚え、発言されている方々へ。(つまり、社会生活をストレスなく送り、かつ積極的に原発推進を訴えている方々はここに含まれないということです) 僕らは意外と近しい存在なのかもしれません。これは懐柔のためおもねって言っているわけじゃなく本当にそう考えているんです。というのも、あなた方が既存の社会に適応することを拒否する、あるいは苦痛に思っているのと同じように、我々の仲間にも既成概念やいわゆる「常識」に馴染まない人達が少なからずいるからなんです。 僕自身「社会人」になることを拒否した時期もあったし、働かない時期もありました。子を持つ身になった今でもPTAや子供会では違和感を感じ、他の親たちと価値観を共有できないことが多々あります。 では、僕たちとあなた方を隔てるものは何か? それは僕らが「社会に適応できないことを肯定的に捉えている、あるいは誇りにさえ思っている」ということだと思うのです。 きっかけは様々だと思います。ある人は本を読んで、または仲間と出会って、空からの景色を見て、海外を旅して、はたまた生まれつき自信を持っている人もいるでしょう。50も過ぎてやっと確信した人もいます。いずれにしても、人や社会と上手く付き合えないことに一抹の不安を持ちながらも、その事を否定せず、面白がってさえいるんです。 つまり社会に適応したくない自分の方を肯定的に捉えてるんです。まず社会に疑問を持つ自分がいる。そこから始まる。そういう目で社会を見ると様々な歪みが見えてくるわけです。 さて、皆さんはどうでしょう?ここからは僕の想像なのですが、皆さんは心の奥で「生きていく上での居心地の悪さ」を自分の責任にしていないでしょうか? 最近の社会や教育は、まるで工業製品を作るように人を育てていて、規格から外れた人間は除外してしまう傾向にあります。もちろん社会に出てからも常に試されています。そして不幸にも何らかの理由で適応できなくなるとつまみ出した挙句「除外された方が悪い。努力が足りない」と思い込ませているのです。これは本人が望むと望まないに関わらず子供の頃から心に刷り込まれているんです。 ここまでは僕らも皆さんも同じです。さっきも書いたように、幸いここから僕らは自己肯定へジャンプできた。今流行りの言い方だと洗脳が解かれたんです。本来、人は生きているその事だけで尊重される存在であると。企業の使い勝手の良さに価値があるんではないと。言葉にしなくともそのことを知ったんです。 じゃあ、社会生活も息苦しい、かと言って自己肯定もままならない人はどうするのか? 「自分を否定した社会とつながりを持ち続けるために、今の社会を批判する人を攻撃することによって、『自分は社会の側にいる』とアピールし続けている」んです。 言い方を変えれば「敵の敵は味方ですよ」と言っているんです。 誰に? 僕は「自分自身に」だと思っています。だって工作員(というのが本当にいるとしたら)は、報酬ももらうでしょうが、そうでない人は褒められるわけでもなく、ネットで騒いだからといって就職できるわけでもないでしょう。ただ自分のアイデンティティを既存の社会側に繋ぎとめる、そのために発言しているとしか思えない。 または(社会には否定されたから)「他者を批判することによって、相対的に自分を規定している」と言ってもいいかもしれません。相手との相対的な関係でのみ自分を語るしかない。だから自分の意見より、他人の意見を批評する書き方が多くなる。「××を批評する存在」という2次的な存在ですから仕方がありません。 また、「相対的な自分」しかもたないから「○○派」とか決めつけられることも嫌いますよね。 その立ち位置は、一見自由で中立な批評家のようにも見えますが、そうではありません。元々が「規格外とされた社会に戻りたい」という要求が底にあるのですから自ずから既成社会側に寄らざるを得ないわけです。 ここに、「社会から疎外された当の本人が、その疎外した社会を支持する」というなんとも哀しい逆転現象が成立するんだと思います。 社会へのラブコールと言ったら言い過ぎでしょうか? でも実はこれって、何とか社会生活を続けている多くの人にも当てはまるかもしれません。 日々試され、過酷な労働や勉強に追いやられる中で、 排除されそうなほんの小さなシグナルに気付いた時や、社会を本質的に批判する者が近くで声をあげた時は「私は裏切りません、まだやれます!」と決意表明し、その証として批判者を糾弾するのです。裏切り者を差し出すことで自身の身の潔白を証明する必要があるのです。 再び、誰に? ここでも「自分に」と言うしかないでしょう。「内なる彼の声」と言うべきかもしれませんが。一般常識、現実、世間、自分が信じている世界を信じ続けるために、自分に言いきかせるために、裏切り者を糾弾するのです。自主的な相互監視社会でもあります。 話を拡げ過ぎました。 僕はここで「だからダメなんだ」って言いたいわけじゃないんです。そうじゃなくて「みんな同じなんだ。同じ側にいるんだ」ということを言いたいんです。僕らだって自分を見失えば同じことをすることだってあるんです。 ベタな言い方かもしれませんが、この不毛なののしり合いから抜け出すには「各自が自分で自分を認める。信じること」だと思います。誰に評価してもらうのでもなく、誰かを批評する存在としてでもなく、自分が自分であることに満足する。それができれば本当に声を挙げなければならない相手も目的も見えてくると思うのです。 だって、誰だって年をとれば能力は落ち「規格外」になってしまいます。もちろん障害者や妊娠した女性もそうでしょう。でも企業にとってはそうでも、回りにいる人々にとってはそうであってはならないと思います。もちろん、僕もできればひ孫に囲まれて婆さんと縁側でお茶を飲んでみたいですから。 あ、また「自分のことしか考えてない」って書かれそうですね(笑)
2013.05.27
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仮称・みやぎ99%の会を立ち上げます。主な趣旨は以下の通りです。1.目的 反原発、反TPP、反増税、反戦争、食品に対する不安、動物も含め命を守る等のマルチイシューで勉強会、対話集会等を行い、宮城知事選、宮城県議会選、参院選等の候補者擁立をめざす。2.参加資格1.相手の人格を攻撃したり、一方的に主張を否定したりせず冷静に議論できること。2.「それは無理だ」「できっこない」等の観念を捨て、目標実現のために前向きな意見を考えられること。3.あらゆる既存の固定概念、刷り込まれたかもしれない価値観から自由であること。またはそうあろうとする意思を持っていること。4.実名での参加ができること。3.活動内容1.対話集会…自由に意見を述べ、お互いに意識を高めあう場を持つ。同時に広く周知。2.パーティ…目的に向けての周知活動と共に資金調達も目指す。3.候補者の模索…上記選挙へ向けて候補者を擁立、または既存の政治家への応援を模索する。4.拠点の確保…仙台における活動拠点となる場(ベジタブル飯屋、飲み屋、塾等)を作る。その意志を持つ人を応援する。4.参考リンクプロジェクト99%5.その他目指すところをまとめてみました。まだまだこれからみんなでたたき上げて、活動していきたいと思っています。どうぞ「自分たちの会」を作る意気込みで、楽しんで参加していただけたらと思います。疑問点、改善の提案などありましたらコメント欄に書き込んでください。積極的に関わっていこうといいう方はメーリングリストへの登録をお願いします。なれないもんで、かたぐるしい書き方になりましたが、まあ、「ユルユルとつながりあいながらも芯は強く動いていけたらな」ということで始めようと思います。以上、「いいだしっぺその2」でした。
2012.12.25
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「幸せ」という状態が固定してあるのではなく、「幸せを求める」動態の中にこそ「真の幸せ」があるということを知るべきである。 仮に目標としていた「幸せ」にたどり着いたとしても、それで満足してしまえば怠慢に陥り、しがみつけば執着となる。 求め続ける中にこそ「幸せ」はある。 これは、道元が「悟りの境地」というものが独立してあるのではなく、悟りを求め修行し続ける中にこそ「悟り」はある、と説いたことと同じである。 ただし、目標を見誤れば、「欲」の無間地獄に落ち込んで行くことは容易に理解できる。この二つは上昇と下降と相似形、もしくは対称をなしている。 仮に原発再稼働を防ぎ、大飯を止めたとしても、満足、油断すれば新たな勢力によって再開されてしまう。これもまったくこの道理と重なっている。 戦争もしかり。平和を求め続ける心、行為を「続ける」中にしか「真の平和」は存在し得ない。 「終わりはない」ということを心するべきである。 「終わりのない行為、思考」が求められるならば、それは「尽きることのない幸せ」が我々には与えられているというべきである。 デモや抗議行動の中で「幸福」を感じたとしても、なにもやましいことはない。それは自然なことである。正しい行いを続ける限り幸せであるのだから。 しかしながら、「今感じた幸せをもたらした行為を持続させたい」繰り返したいと指向した瞬間に、その行為は執着へと変わり、意味を持たなくなる。 偶然起こったシチュエーションを喜んだ幼子が、その偶然を繰り返し親に求めるのになぞらえてもいいかもしれない。 諸行無常、すべては移り変わり動態としてある。今、成功した方法が明日には用をなさなくなる。 ならば変幻自在、自らを鍛え、柔らかく粘り強く、水が山から海へ流れ下るように「幸せ」に向かって、自然体で歩きつづけるのである。 僕も一歩だけ前に進むことにします。 牛豚鳥は食べることをやめます。
2012.12.18
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昨日の学習発表会、6年生の演目は劇「白虎隊」。修学旅行で会津て行った絡みだそうな。内容は白虎隊の出陣から切腹までを、象徴的な演出で描いたもの。小学生らしからぬ演技力もあり、中々の力作でした。しかしながら、いくつか疑問が。 最後のまとめは「勇敢だった彼らを忘れずに、僕達も力強く生きていきたいと思います」と言わせただけ。また途中の台詞では「名誉のために戦って、死んでも未来に名を残そう」「死ぬ時は皆一緒だ」「城が落ちたからにはここで腹を切ろう」など死を美化するようなものも。 最後には、一人生き残った隊員に「どうして一緒に死なせてくれなかったんだ」と叫ばせる始末。あれでは、白虎隊や特攻隊的なものを肯定するだけになる。 会津の方々の郷土の誇りを貶めるつもりはないが、他所のものとして白虎隊から学ばなければならないのは「年のはもいかぬ少年達を無駄死にさせた戦争の残酷さ」であり「大人の責任」だろう。 教師ならば、ひるがえって「教育の恐ろしさ」に肝を冷す必要もあるかもしれない。 話はかわるが、昨日、今夏息子達の参加した「大崎100Km徒歩の旅」の記録映像を見た。小学4~6年生が5日間かけて歩くというイベント。 初日は緊張していた子供達も、最終日にはボランティアのリーダーのコールに合わせて大声で叫びながら涙のゴールを迎える。やたら明るく一生懸命なボランティアさん達にやや違和感を覚えながらも感動はした。 また、「100Kmを歩く」という子供にとっては初めて経験するであろう極限状態が、彼らの意識に影響しているのは間違いないだろう。さて「極限で寝食を共にする」究極の形はまさに戦争ではないだろうか?極限の中で集団を強調し教育すれば戦闘員としての教育は容易になるのがわかる。 ここまで考えた時に、イベントスタッフに感じた違和感が理解できた。もちろん政治的なものはないのだが、この「洗脳効果」に主催者も学生ボランティアもあまりに無自覚で無邪気なのだ。ただ変わっていく子供達を楽しんでいる。そこに在る危うさに気づいていない。 そこで思い出したのが白虎隊。わずか5日間カンヅメにして寝食を共にするだけで、子供はここまで変わってしまうものだ。長期にわたり教育すれば特攻隊でも集団自殺でも自由自在にできる。 学校の教師もイベントスタッフ同様に、無自覚に、無邪気に子供達の迫真の演技を楽しんでいただけもしれない。しかし、ナレーションでも語られたとおり「演技を通して白虎隊になり切り」決死隊を追体験した子供達に与えた影響を考えると、戦争や大義のための死を否定する、何らかのフォローが必要だろう。 教育の右傾化、尖閣や竹島をめぐる愛国心の鼓舞などを考えると、意図的に選ばれた演目ではないのかと疑いたくもなるのだが。 唯一の救いは、切腹する隊員達が「会津バンザイ」ではなく「お父さん、お母さんありがとう」だったことかな。もしかしたら担当教師のささやかな抵抗だったのかもしれない。
2012.10.22
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官邸前へ行って、初めてのデモに参加したとき、6時になってすぐ近くで鳴り出したドラムの音。僕にはアフリカか何処かの闘いの合図に聞こえて一気に興奮した。で、気分は桶狭間に向う木下藤吉郎(笑)LOVE&PEACEなんてもんじゃなかったなぁ でも、なかなか声は出なかった。近くにコーラーがいなかったせいもあるけど。すると、誰かが妙なコールを始めた。「俺は原発反対だ~!」とか何とか。ついていけなくてみんな苦笑気味。そのうちに「みんなはどうなんだー?」なんて叫び出したんで思わず「俺だって反対だ~!」って叫んでた(笑) 叫んだ瞬間、自分の中でスイッチが入るのがわかった。「分別ある大人」から「理想を語る青年」に戻った瞬間でもあった。そこからは大声をあげることに何の躊躇もなくなった。やがてマイクを持ったコーラーが来て「再稼働反対!」のコールを始めた。僕の顔には涙ではなく不敵な笑みが浮かんでいた。 1時間後、僕は歩道から決壊した人の波に乗って官邸前交差点近くまできていた。気が付くと付近で最も大声で叫んでいる一人だった。しかし、あまりの人ごみでコールが乱れてきた。揃わないのだ。僕は空撮用に持っていたペンライトを頭上高く後ろに向けて照らしながら、左右に振った。指揮者のように。 声が揃い始めた。数人先のコーラーと僕の指揮でコールが整った。わずか2時間前には怯えてキョロキョロしていた僕が先頭に立ってコールしていた。まだまだ僕にも何かができる、と確信した。 このとき先頭では、ミサオさんが警察の拡声器で暴走を抑えていたらしいのだが、そんな事は知る由もなかった。 ------------------------------/ 初めてのデモの様子です。ツイートをまとめました。
2012.10.15
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笠間市へ瓦礫の広域処理をしないでくれとメールしたところ、返事が帰ってきました。以下全文です。 ○○様 お返事大変おまたせしました。 本市のがれき受入れにつきましては、東日本大震災後、甚大な被害を受けた東 北2県(岩手県・宮城県)の復興・復旧が震災がれきの影響により、思うように 進まないことを受け、平成24年3月に内閣総理大臣及び環境大臣から茨城県に 広域処理に対する要請がありました。 その後、茨城県が宮城県の災害廃棄物について、最優先で広域処理を図る自治 体と位置づけられました。 笠間市は、同じように被災した自治体として、東北地方の復興・復旧の一助を 担うべく、地元住民を始め、様々な関係者と協議・調整を重ねるとともに、現地 踏査や試験焼却などを行いながら安心と安全の確保に努め、8月30日のがれき 受入れに至っております。経過については(添付ファイル:災害がれきの受入経 過.pdf)のとおりです。 宮城県の震災がれき広域受入れに関しましては、個人個人、様々なご意見やご 要望があるとは思いますが、関係者の思いを酌んでいただき、今回の笠間市の行 動をご理解いただきますようお願い申し上げまして、メールのご返事とさせてい ただきます。 貴重なご意見ありがとうございます。 【添付ファイル】 災害がれきの受入経過.pdf 143KB 担当課:笠間市役所環境保全課 〒3xxx-xxx-xxxxx笠間市中央3-2-1 TEL0296-77-1101 送信元:笠間市市長公室秘書課広報広聴グループ メールアドレス??????@city.kasama.lg.jp 丁寧な文章ですが、きっぱり断られました(苦笑)
2012.09.26
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7月から始まった仙台でのデモ。今回は300人弱の参加で盛り上がってます! 仙台デモは繁華街を突っ切るのと子連れさんが多いのが特徴的とか。毎週金曜日にやります!もちろん参加自由ですから、気が向いたらふらっと参加して見てくださいね。 したのリンクで動画も見られます。 http://m.youtube.com/?reload=3&rdm=m8wlv74yl#/watch?desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DMztYt0U2Mjw%26feature%3Dyoutu.be&feature=youtu.be&v=MztYt0U2Mjw&gl=JP
2012.08.24
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8月17日 仙台は国分町から一番丁と、全国でも珍しい飲み屋街→繁華街の脱原発デモに奥さんと末っ子の4歳児とで参加してきました。息子はちょっとびっくりしたらしく、靴擦れで足が痛かったのに何も言わず歩いてくれました。ごらんのようにデモといっても、ウダウダ歩いてもOK これが今どきのデモなんです。おもしろいよ!
2012.08.18
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なぜ原発に反対なのか、再稼働してはいけないのか?今時点での認識を書き連ねます。このブログを見てらっしゃる方なら真偽のほどを確認する方法はお持ちだと思いますので、どうか最後までお読みの上、ご自身で調べてみてください。また、そこかしこで喧伝されているように、最新の情報へのアクセスはツイッターが良いかと思います。まだアカウントをお持ちで無い方は、ぜひ登録されてみてください。無料ですしね。なお、私のアカウントは@jm7xbfです。ここを足掛かりにされて、私のフォロワーさんなどから芋ズル式に色々な情報にアクセスできると思います。ただ、全ての情報が真実とは限らないのでご注意下さい。って、今やマスコミだって信用できないんだから当然ですよね。では、始めます。1.福島第一原子力発電所の事故は全く収束のメドが立たず、4号機に至っては再度爆発の危険さえあること。2.事故に伴う放射能漏れは、現在もかなりの量が「漏れ続けて」おり、その汚染範囲は福島、宮城のみならず、茨城、千葉、群馬、東京までも及んでいること。3.特に福島に在住の妊婦、子供はすぐにでも西日本等へ疎開する必要があるが、政府、県共に、そういった動きはない。行政は安全を喧伝し、自主避難さえもしづらい街の雰囲気作りに懸命。4.放射能による食物汚染は深刻で、三陸沖から東京湾に至る海産物、宮城から関東に至るまでの農産物、また、これらの地域の牧草、フスマ等を飼料とする畜産物、乳製品等が特に危険。さらに、これらの加工品。5.魚は水揚げされた港の所在地が産地として表示される。このため福島沖で獲れた魚が宮城、三重、鹿児島等遠くの港で水揚げ、流通している場合も。6.そもそも、100ベクレル/kgという基準値は、本来の法律では低レベル放射性廃棄物として、厳重に管理されるべきもの。40ベクレル/kgが限界。7.食物や呼吸による内部被曝は、体の中に放射性物質が留まり放射線を放ち続け、被曝し続けること。8.どんなに低レベルとは言え、「本来ならしなかったであろう被曝」であるから、自然の放射能、レントゲンでは云々というレトリックに騙されてはいけない。そこに、さらにプラスして被曝している。9.セシウムの値は公表されているが、もっと恐ろしいプルトニウム、ストロンチウムは測定されることさえ稀である。つまり、基準値以下として流通しているものにも含まれている可能性は大であり、これらの物質は極少量でも危険である。10.被災地支援の名の下、震災ガレキが、汚染の少ない西日本に運ばれ焼却処理されようとしている。静岡県島田市、北九州市等で試験焼却が行われ、試験後、放射能の汚染が確認されている。10.宮城、岩手はすでにがれき処理のメドが立ち広域処理の必要はないと判断。京都等多くの自治体は受け入れ中止。北九州市、大阪市、島田市及び村井宮城県知事(!)のみが前のめりに推進。11.事故後さかんに枝野経産大臣が口にした「ただちに人体への影響はないと思われる」との文言。チェルノブイリの事故で実際に被害が大きくで始めたのは、5年後だった。確かに「ただち」には被害はでない。今後何十年にもわたってジワジワと被害がで続けることになる。12.しかし、汚染の深刻な福島ではすでに突然死、子供の鼻血が止まらない、アトピーが悪化、甲状腺に異常等々実際の被害、さらに避難生活を苦にしての自殺多数。福島の一部は半永久的に失われた。13.これらの情報が政府からもマスコミからもほとんど知らされることがない。そのため多くの人々が現在も被曝し続けている。ここまでが事故の影響。さらに原発自体の問題として、、、1.原発敷地内に活断層がある。地盤が緩い。標高が低く津波に対して脆弱等の自然条件に加え原子炉自体の老朽化等設備面でも再度事故が起こらない保証はない。2.今回の事故を見ても明らかなように、一度重大事故が起これば、コントロールはほぼ不可能。3.発電に伴って発生する放射性廃棄物は最終処分方法が未だ確定されていない。にもかかわらず今後数十万年単位で厳重に管理保管されなければならない。4.再処理、核燃サイクルは破綻が明らか。夢の国産エネルギーはもう無い。5.にもかかわらず、事故後、設備面でも法律面でも、何の新しい措置も取られないまま、なし崩し的に再稼働されている。6.夏場の電力不足はウソ。大飯原発再稼働の直後に関電管内の火力発電所が8基停止している。火力停止による電力量の減少分は、再稼働で増えた電力量より多い。関電は「経済効率の悪い発電所を停止した」と説明。ここまでの問題を抱えながら、国民の7割以上が反対している再稼働を強引に実施し、さらに原発を存続させようとしている理由は、エネルギー戦略などではありません。単に「経済的理由」です。さらには「核」の保有による安全保障、つまり軍事目的もちらほら。経済=お金のためなら、一部の国民や国土を失っても構わない、というのが野田首相以下、現在の政府の認識なんです。これから我々は、それこそ一部の政治や経済を握る人達のために、多くの子供が、大人が老人が、もがき苦しみながら死んでいくのを見ることになります。もうこれ以上、このテクノロジーは使ってはいけないと思います。では、何ができるのか?ここまであげてきた危険には、それぞれ現地の方や、全国的な活動としてさまざまなデモや抗議行動、署名などが行われています。これらに参加しあらゆる機会を捉え意思表示をします。カンパや署名、情報の拡散など、様々な活動の支援をします。次の選挙では真剣に検討し投票します。もちろん、あらゆる方法で情報を得て子供達を被曝から守らなければなりません。最悪、西日本への移住も視野に入れなければならないでしょう。子供や孫や友達やまだ出会わぬ人達のために、あなたは何をしますか?
2012.07.27
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ラーメンは例によってゲンコツを強火で炊き出したスープに醤油。チャーシューはスープと一緒に1時間煮たあとに醤油へ付けただけ。薄切りにしてどっさりと。あと九条ネギね。モヤシとメンマは省略(^^;; 砂肝は血抜きしたあと中華スープに醤油、酒、砂糖で煮込み汁気がなくなる頃みりんで照りだし。 毎度の料理なんだけど、写真がうまく撮れたので載っけてみました。
2012.07.24
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残念ながら、しばらく畑は休むことにしました。 タケノコ、椎茸、ふきのとう、最近は栗原市のブルーベリーが基準値を超えて出荷停止になりました。基準値といっても、震災前は低レベル放射性廃棄物として黄色いドラム缶に入れて管理されていた値です。 しかも、今、現在も放射能は降り注ぎ続けています。畑につもり続けているんです。 さすがに、ここの作物を、しかも検査もなしに食べ続けることは自殺行為かと、、 おととい、草刈りも兼ねて刈り払い機で丸坊主にしました。でも、青い実をつけ始めたトマトだけは刈れませんでした(T_T) 頭にきたのでデモに行きます!(*`へ´*) 大飯を止めろ!女川再稼働するな!子供を守れ!汚染はいらない!みやぎ金曜デモ (略称:脱原発みやぎ金曜デモ) 【日時と場所】 7月20日(金)18時元鍛冶丁園集合、フリートーク 18時40分デモ出発 デモコース 元鍛冶丁公園→一番町→青葉通→19時30分ごろ仙都会館前流れ解散
2012.07.18
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大飯、女川原発の再稼働に反対する仙台市民ウォークに参加してきました。 今回も仕事中に抜けてのバタバタ参加。でも、なんかやってないとね。コツコツと。 で、雑草だらけの畑にはそら豆。それらしきものが収穫できたのでまずは満足。やっぱり秋蒔きの方がいいみたいです。
2012.07.09
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子供のころ 空高く 道は広く 父は大きく 船乗りを夢見た外国航路 本当のことは忘れたけれど誰が弾いたかギターがあった ラジオと弾いた レコードと弾いた船乗りはカウボーイに取って代わり 本当のことは忘れたけれどそれからはギターが友達 ずっと俺の友達15のときの3つの誓い 酒もタバコも女もやらぬと二つまとめてまずは破れ 本当のことは忘れたけれど高い敷居をやっとまたぎ 後ろ手に戸を閉めたのは夜だった後から聞けば親は泣いてたそうな 本当のことは忘れたけれどそれからはギターが友達 ずっと俺の友達赤い寝袋、ギターもって 地下道で寝た、路で歌ったポリ公に追われ、子供に笑われ 本当のことは忘れたけれど北はオホーツク網走の雪 南は琉球、コザの夜男と飲んだ、女と笑った 本当のことは忘れたけれどそれからはギターが友達 ずっと俺の友達船乗りにもならずカウボーイにも 親を泣かして今、ここにいるでも後悔なんかしないよ 本当のことは忘れたけれどくたびれるのは人だけではない 太陽も水も土でさえギターよ今夜を飛ばせておくれ 本当のことは忘れるけれどこれからもギターが友達 たぶん俺の友達これからもギターが友達 たぶん俺の友達by 豊田勇三
2012.07.05
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だそうです。親バカ第2段でしたw
2012.07.04
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6月29日、首相官邸前抗議に行ってきました。テレビなどでも報道されたとおり、すごい人が集まりました。そのレポートを、、、と思っていたのですが、とりあえず、今リアルタイムで起こっていることを優先します。今、福井大飯原発前では、再稼動に反対する大勢の市民が雨の中、徹夜で抗議行動を行っています。機動隊のバリケードに対して非暴力で対抗しています。今、?日本で行われている「現実」から目をそらさないでください!下記のユーストリームでライブ放送されています。 世界中で見ています。そして多くの目で監視することが不当逮捕な?どを防ぎ、非暴力抗議活動の力となります。ぜひ参加してください?! http://www.ustream.tv/channel/?iwakamiyasumi http://www.ustream.tv/channel/?%E5%A4%A7%E9%A3%AF%E5%8E%9F%E7%?99%BA%E6%AD%A3%E9%96%80%E5%89%?8D%E3%82%88%E3%82%8A%E4%B8%AD%?E7%B6%99 http://www.ustream.tv/channel/?iwj-oita1いろいろ意見はあるでしょうけど、まず自分の目で見て、また考えてみてください。お願いします。
2012.07.01
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明日は昼まで仕事して、車で仙台駅まで1時間、新幹線で東京、首相官邸前行動に6時から8時まで参加して、9時前の新幹線で仙台駅へ、11時ごろ着くので車で自宅へ1時間、風呂はいってビール飲んだら1時だろうけど、土曜日は早朝5時からダンゴの仕込み。 大変だけど、目標が定まった人間は強い! とは言え、もう寝ます、はい。 原発再稼働反対!
2012.06.28
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いろいろ迷ったけど、29日金曜日の首相官邸前抗議行動に行くことにしました! お金のこと、カミさんの不安そうな顔、仲の悪い舅に休ませてもらうこと、翌日も早朝から仕事なので体が持つかとか、、、などなど 昔、嘉手納基地包囲っていうのに一人で行った時のなんとも言えない虚しかった記憶とか、、、 まあ、でも、行かないで後悔するより、行って落胆した方がましかなということで決心!今行かないと、自分終わっちゃいそうな危機感もあったしね(苦笑) なんとか休みも取れて、今は不安よりもワクワクしてます。あ、遊びじゃないんで、真面目な社会活動なんだけど、選挙じゃない活動がやっとできると思うと、やっぱり嬉しい。結果どうなるとかは、今は考えないことにしました。 さあ、御用とお急ぎでない方は、、あ、いや御用とお急ぎの方も、10分でもいいので、皆さんお誘い合わせの上、参加されてください! ヨッシャ、行くぞ~!(`_´)ゞ 【今週金曜!】大飯原発再稼働決定をただちに撤回せよ !6/29(金)18時~首相官邸前と大阪・関電本店前にて再稼働反対の超大規模抗議!次こそ10万人の抗議を!http://t.co/8ZWoIq58”
2012.06.27
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去年の秋に植えたニンニクです。ちっちゃいけど味は良し。むくのがたいへんだけどね。
2012.06.25
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先週11000人、今日は45000人!確実に歴史は動いています。声をあげれば動くんです。 そして今、声をあげているのは、普通の人達なんです。 いよいよ、TVでも報道されました。報道ステーションと23Xです。NHKは45000人を黙殺しましたけどね。なにが起こっているか分かりますよね? 大きなうねりが動き始まったのです。もう止められません!
2012.06.22
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大手マスメディアではまったく報道されませんが、先週末、首相官邸前では11000人のデモがあったんです。動き始めています。動かせます。こんなこのでいいはずがありません。つながりましょう!
2012.06.19
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6.22緊急!大飯原発再稼動決定を撤回せよ!首相官邸前抗議 6月16日、野田政権は、大飯原発3、4号基の再稼動をついに正式に決定してしまいました。 野田首相、枝野経産相、細野原発担当相、藤村官房長官らによる、閣僚会合での中長期の安全対策をすべて後回しにした、「暫定的な安全基準」による「安全」との政府判断。 おおい町議会の、再稼動に慎重な多くの住民の意見を無視する形での再稼動容認。 福井県の原子力安全専門委員会による、「安全」との政府判断の追認。 野田首相の再稼働の必要性を訴える記者会見の「儀式」。 責任を負いたくないばかりに、この「儀式」を受けてようやく再稼動に同意した、西川知事や時岡町長。 こうした出鱈目で拙速なプロセスにより、今回の大飯原発再稼動は進もうとしています。 私たち、首都圏反原発連合は、3月29日より毎週、大飯原発再稼動反対の首相官邸前抗議を行ってまいりました。 当初300名程度だった参加者は、1000人→2700人→4000人→12000人と、回を追うごとに劇的に増加していきました。 福島第一原発事故の収束もままならないまま、そこから何の教訓を得る事もなく、再稼動ありきで物事を進めていった野田政権に対しての怒りがいよいよ噴出する形で、この抗議行動の規模は拡大を続けています。 野田政権は、世論の大半を占める再稼動に慎重な市民の声を無視し、今回の決断を下しました。 したがって、私たちもまた、今回の決定を黙って受け容れる必要は一切ありません。 6月22日(金)18時より、首相官邸前にて原発再稼動反対の抗議行動を行います。 また、大阪でも 前回の12000人をはるかに凌ぐ、10万人規模の抗議行動で、大飯原発再稼動決定をただちに撤回すること、私たちが一切諦めていないことを、野田政権に対して突きつけましょう。 今まで以上の情報拡散とご参加をどうか宜しくお願い致します。 この抗議行動の情報を拡散する為に、緊急拡散ツイートキャンペーンに皆様のご協力をお願いします! 参加方法:原発再稼働に反対の方は、以下のボタンをクリックして、首相官邸前抗議の情報を拡散して下さい。 ツイート文:【今週金曜!緊急大拡散!】#大飯原発再稼働決定をただちに撤回せよ !6/22(金)18時~首相官邸前と大阪・関電本社前にて再稼働反対の超大規模抗議を行います。10万人規模で抗議しましょう!このページの「ツイート」ボタンで拡散にご協力を!→ http://twitnonukes.blogspot.jp/2012/06/622.html 東京: 【日時】6/22(金)18~20時予定 【場所】首相官邸前(国会記者会館前、国会議事堂前駅3番出口出てすぐ) 【呼びかけ】首都圏反原発連合有志 大阪: 【日時】6/22(金)18~19時半予定 【場所】関電本社前(大阪府 大阪市北区中之島3丁目6-16) 【呼びかけ】TwitNoNukes大阪
2012.06.18
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いやね、あまりに親バカなんで、どうしようかと思ったんですけどね、やっぱり見せちゃう(^^;; 四歳の四男が幼稚園で書いてきましたよ。けっこう似てたりしますw
2012.06.15
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さて、私は何を収穫したのでしょう?w 昨日、裏の畑で去年植えたニンニクの試し収穫。取れたてのニンニクに自家製ミソを付けて食す。ウンマァ!調子に乗って食べてたので、今日はハイな感じw
2012.06.11
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Twitcasting、略してツイキャスなんていうサイトがあります。live動画サイトと言うんでしょうか、シロウトな人たちがグダグダと配信してたりするのが多いのですが、けっこう面白かったりします。 中にはセミプロや紛れもないプロな方も歌を歌ってたりするので、侮れません、、って、前にも書いたなorz ま、ともかく昨夜もツラツラ覗いて歩いてたのですが、1人の女性の歌に魅了されてしまいました。少し飲みながら、なんとウクレレ爪弾き歌うんですなぁ。 こう言ってしまうと身も蓋もないのですが、所謂、癒し系?涙が出てきてしまったんですわ(^^;; いや、疲れてんのかな~? このtamamixという人、YouTubeに投稿したのが目(耳?)にとまりCDも出してるそうな。あ、iTunesで買っちゃいましたp(^_^)q 「このおっさん、どんな歌聴いて泣いてんねん?」と興味のある方は、下記YouTubeを見てください。なんと堺正章の「街の灯り」です。 http://www.youtube.com/watch?v=0U_wsFVg4A0&sns=em ............................................ さてさて、北九州市の瓦礫、ひどいことになりましたね。ふうっ、、、(-_-#)
2012.05.24
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ラーメンのスープを取るのに買ったのだが、家庭で扱うにはチョット大き過ぎました。奥さんも、呆れて笑ってました。 でもね、できたラーメンは大好評!家庭とは思えない味でした。 もっとも、家から半径10メートルほど豚骨を煮る、あのラーメン屋さんの匂いが立ち込めてましたけどね。
2012.05.22
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検査に引っかかった。値はほんのわずかな陽性。精密検査だって。嫌んなっちゃうな~orz
2012.05.21
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ふぉふぉふぉ、美味しそうでしょ?ボロネーゼとベシャメルは自作ぞな。ビーフ100%ときたもんだ、こりゃ!
2012.05.14
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お花見が始まった。 忙し~っ!ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
2012.04.25
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昨日、小学校の修学旅行の行き先が発表されたのだが、それがなんと会津だってorz なんで、こんな時期にフクシマに行かなきゃなんないんだか、、、 大事な息子2人の未来をどう考えてるんだ? 戦うしかないな、、、
2012.04.23
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やっと梅が咲きました。桜は、まだ仙台あたりかな?
2012.04.20
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おととい、町の健康診断でバリウムを飲んできました。 終わったあと、指示どうり下剤と水を飲み、4時間後と8時間後に白いものを排泄しました。 だから安心してたんです。それなのに、、、 昨日の朝、トイレでいたしておると、何やら硬いものが肛門につっかえました。 まるでラムネのビー玉のように内側から栓がされています。そっと指で探ってみると、石のような感触が、、、間違いなくバリウムが固まっています。 泣きそうになりました。実は以前にも一度経験していました。だから気をつけていたのに、、、 諦めて思いっきり気張りました。顔が真っ赤になって行くのがわかります。激痛が襲ってきます。でもまだこれからです。ここで出さないと病院です。それはなんとか避けたい。 やがてメリッという感触と最大の激痛と共にヌルッと塊が排泄されたのがわかりました。 ホッとしました。なんとか成し遂げたのです。ささやかな満足感と安堵を感じながらウォシュレットのスイッチを押しました。 ぎゃ~っ!悲鳴と涙が流れました。 そっと紙で拭い、水で流すと便器の底には洗われて真っ白になった卵大のバリウムの塊が沈んでいました。 ちなみにバリウムはアルコールで固まるらしく、検査後は禁酒だそうです。 そんなのどこにも書いてなかったぞいorz
2012.04.19
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ほーら、いたよorz
2012.04.17
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前からいるのは知ってたし、ずいぶん畑を荒らされもしたのですが、こうやって見てみると、やっぱりびっくり。でも、とてもきれいだし、何だか嬉しい気分。 なんで風呂にも入らないのにこんなに清潔感があるんだろう?動物園にいるのは、もっと薄汚いよな。 今年もここで子作りかな?お手柔らかにね。 冬越しの小松菜はもうすぐ蕾菜になるかな。このアングル好きだ(笑)
2012.04.17
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ニラの畝に小さな花がいっぱい咲いた。こんな感じで、みんな仲良くできればいいのに、、、って、実際は花達も生き残るために戦ってるんだろうけどね。 ふくらむ梅のつぼみ、「これから」という状態も無限の可能性を秘めているようで満開より好きかな? 散りゆく桜に美を感じるか、サザエさんの憂うつを感じるかは人それぞれ、その時にもよるか。あたしゃ後者が多いような、、、おっと、まだ春先なのに秋みたいな話になっちまうな、こりゃ(^^;; 息子から、友達にゲームを貸したのだか返してくれないと、相談される。さて、どう対処するか?トラブルを絶好の教育のチャンスにできるか?それとも地獄の一丁目? 欲張らず、恐れずたんたんと対処すべし。真の智慧が問われますな、こりゃ。 人生の先輩方、何か留意することありますでしょうか?
2012.04.16
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黒いカレーが作ってみたくて、フライパンにバターと小麦粉を入れて弱火で炒め始めた。 この段階で缶ビール2本に焼酎1合ぐらいだったかなぁ、、、 最初クリーム色だったフライパンの中身はだんだんきつね色になってくる。30分位でデミグラスみたいな色に。お、いい感じじゃん。 ここまでに、さらに焼酎2~3合ぐらいかな、、、 でもまだ黒くないので、炒め続けること30分、ようやく濃いこげ茶色になった。 ちょっと味見を、と指にとって舐めてみたら、指と舌とを火傷する。そりゃそうだ。バター=油だけなんだからorz この辺りでだいぶ酔っていることに気付く。+焼酎1合。 気を取り直して、フライパンを火から下ろし、濡れ布巾で少し冷ましてからカレー粉を投入!やや少しクミンやクローブ、カイエンなんかも足して本物っぽい香りへ、、、ん?少し香ばし過ぎるかなぁ?で焼酎をグビッ。 ルーができたようなので、スープに取り掛かる。今日は実験なので、鳥ももとタマネギだけでシンプルに。炒めたあとコトコトと15分位煮込んで、ふとフライパンを見ると、おお!ルーが真っ黒ではないか!ヤタッ、黒いカレーになるぞっ!グビッ。 ちょっと目の焦点が怪しくなってきたけど、グビッ、スープをフライパンに少しづつ入れて、ダマにならないようにルーを溶かす。グビッ。最後にゆるくなったルーをスープに投入!おお!紛れもなく黒いカレーだ!ぐびぐび。オット塩を忘れるところだった。投入。ん?多いかな、グヒッ。まあ、いいんだ、ご飯にかければちょうどいいはずさ。グルグル、ぐびぐび。 よっしゃ~、黒いカレーの完成です!味見を、、、、 苦いっ!しょっぱい!まるで鍋の焦げ付きを洗ったお湯に塩を大量にいれたみたい(-_-#)くそう、失敗じゃん!ぐびぐびぐびぐび。 よっしゃ、そっちがその気なら、こっちは風呂に入ってやる! いやー風呂上りにはやっぱり冷たいビールどすな~、ぐびぐびぐびぐびぐびぐび。 あ、もうこんな時間や、寝よ。寝酒は必要やね~、ひっく、ぐびっ、、、 と言うわけで、今日は二日酔いの上、空腹という非常に辛い朝を迎えたのでした。チャンチャン。 あ、カレーの写真撮るの忘れてたorz
2012.04.11
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もちろん、うちの畑は無農薬さ!肥料だって化成肥料は使わない。去年はボカシと牛糞堆肥を使っちまったけど、本当は自然農っていって、無耕起、無肥料にしたいのさ。そのためには何年間かは収穫は少ないけど、いずれ安心で力強い野菜が食べられるのさ! 食べられるはずだったのさ、、、 だけどね、空から放射能って毒か降って来て、畑に積もったらしい。農薬なんかとは比べ物にならないくらい毒なんだ。特に成長期の子供には良くないらしい。 悔しいねぇ、頭にくるねぇ。せっかく野菜くらいは自分の手で確実にと思ってたのに食べられなくなっちまった。 確かにこの辺は福島県なんかに比べれば汚染は酷くないかもしれないけど、家庭菜園の野菜なんて、誰も測定してくれないから、不安で食べる気にならないさ。 除染?表面の肥沃な部分を捨てちゃったら野菜なんてできないよ。それに、まだまだ放射能は降り続いているらしいし。 そんな放射能がガレキと一緒に全国にばらまかれるんだって。四国も九州も沖縄にもだってさ。もう日本中どこにも野菜の作れるところはなくなっちまうのかねぇ。 安全だって言ってるって?誰が言ってるか知ってる? ガレキを処理すると儲かる人達だよ。市長さんだって、息子が産廃処理の会社をやってたり、お父さんが処理会社の社長さんという大臣とか。 そんな人達の言うこと信用できる? そもそもガレキをもっていってまで処理してくれなんて、我々は言ってないんだよ。復興のためのお金をかっさらおうって魂胆なのさ。 まあ、それはともかく、安心で安全な無農薬野菜。守るためには何かをしなけりゃいけなくなっちまったよ。 ほんと悔しいねぇ。
2012.04.04
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スマホからメールで更新してるのだが、写真はデカイし上下が左右だし、むちゃくちゃになっとるやん。・゜・(ノД`)・゜・。 ところで、枝野さんが意外と頑張り始めてくれてますね。京都、滋賀の知事さんにも一踏ん張りしてもらって、なんとしても大飯原発の再起動をやめさせてもらいたいな。 予定どおりなら5月5日のこどもの日に全ての原発が止まることになる。子供達には最高のプレゼントなのだが、、、
2012.04.03
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やっと梅も膨らんで来ました。 前の記事、写真の上下が逆でしたね。・゜・(ノД`)
2012.04.03
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