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2023.07.12
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カテゴリ: 牧野富太郎
「らんまん」第73回 場面写真(C)NHK


大窪「標本を見せてくれ
マキノ俺は口先だけのクズだと教授に言われた
何年経っても成果をあげられない。」

「手伝わせてくれ。このとおりだ。俺を研究に参加させてくれないか?」

万太郎はみんなでやろうと提案
波多野は、大窪と共同で研究すれば、東大の植物学教室との共同研究となり、「これが新種だったら大学の実績になる」と強調し、よく考えるようにという。
藤丸は、大窪が田邊の差し金ではないかと疑う。
大窪はそれを否定。初めて自分が植物学を学びたいという気持ちになったと訴えた。



「俺の父は旗本の出で、東京府府知事になり、今は元老院の議官だ」

「父が勝先生に頼んでくれて、ようやく、植物学教室の御用係に採用された」

「勝先生の口利きがあってさえ、そんなところにしか職がなく情けなくてたまらなかった」


*大窪昭三郎のモデルは実在する人物「大久保三郎」という植物学者。

牧野富太郎と連名で1889年(明治22年)に『植物学雑誌』にヤマトグサを日本で初めて学名をつけて発表している。

幕臣で後に明治初年の 東京府知事・子爵となった大久保一翁の息子 として安政四(一八五七)年五月二三日に誕生。

1871年(明治4年)にアメリカ合衆国のミシガン大学に留学し、植物学を修めさらに1876年(明治9年)にはイギリスに渡り研鐙を積む。

帰国後の1878年(明治11年)に内務省に務めた後、明治14年には東京大学御用掛、小石川植物園の植物取調に任じられる。

伊豆諸島、小笠原諸島の植物相の研究を行った。
1883年(明治16年)に松村任三とともに帝国大学理科大学に昇進し、矢田部良吉を補佐し、標本施設拡充に貢献した。

ヤマトグサ(2012年5月26日、伊吹北尾根にて)




1887年(明治20年)にも伊豆諸島を調査した。1889年(明治22年)に『植物学雑誌』に牧野富太郎と連名でヤマトグサを日本で初めて学名をつけて発表した。

☆牧野富太郎がヤマトグサを最初に発見したのは、1886年高知県でのこと。
当時は標本がないため、誤って「ハシカグサ」と同定していた。

しかし、その後同じ場所にて最適な標本を得たことからヤマトグサの研究が始まる。
後に植物学者である大久保三郎との連名で、「植物学雑誌」にて研究結果の論文を発表。


*明治14年~18年頃まで植物学教室に在籍していた宮部金吾が、この当時のことを次のように書いている。
「別館の実験室はその一部を仕切りて二つ(或は一つなりしか)の室を作り、その中の一番奥に矢田部教授、次に松村、大久保両氏在り。実験室には画工、箕作、斎田氏等と共に小生机を並べ、その他小使も居りて標本の製作等をなせり。又室の中央には机あり、其上にて食事をなし、其際には松村、大久保氏等も一緒なり」(『東京帝国大学理学部植物学教室沿革』所収「一ツ橋時代」宮部金吾)





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最終更新日  2023.07.13 06:50:07


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