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2025.01.31
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記を読む 報徳記   【3】物井村岸右衛門を導き善に歸せしむ



成田山先生水垢離の碑

「二宮尊徳傳」で佐々井信太郎氏はこう記述している。
「先生に反対した随一は物井村の岸右衛門であると報徳記に見えているが、
文政12年4月8日に先生の帰村の節は、すでにその5日に横山司右平等の一行中に岸右衛門の名が見えるから、その悔悟は先生の帰村以前であるようである。報徳記の岸右衛門の謝罪は、先生の成田山参籠より帰村までの間とすれば事情が適応する。
 そのほか、村民の私曲をただし、村役人の責任を問い、あるいは仕事に精出す優秀な者を賞し、村役人が江戸へ出張中の費用25両余を給与し、厳正な態度で仕法停滞中の滞った事務を処理した。
その記録は日記原本70枚の多きに及んでいる。
特に大久保家では三幣(さんぺい)又左衛門を以て御知行所の勤務役とし、小路(こうぢ)只助は櫻町陣屋の勤番となり、上下疎通し、仕法は順序よく進展するに至った。」と。


「文政12年の成田山参籠は、二宮先生の生活の道程に最も大なる転機を画した。
先生は一身一家の生活を困窮より救い出すのくらいの技術はすでに修得しておられた。
さきには服部家の家政を改革し、桜町においても村治の面目を一新した事業を行った。
しかし一村を挙げて予定通りには行かなかった。
豊田正作始め数人の役人が、岸右衛門始め数人の百姓と結託した。
先生はあくまでこれに対抗した。

 先生は両親、親戚、君恩のかたじけなさを知り、これに報いることの大切さを教え農耕に努力すべきことを示した。
 しかしその事業に反対する妨害物をも愛するようには至っていなかった。一たび27日間の断食静思を体験された後は、豁然として自他対立の境地を離れて、一円一元の琴線に触れ、ここに一円融合相和の心境が開けてきた。


一円に 御法正しき 月夜かな

 田畑(でんばた)の 御法今宵の 月夜かな

 仁心に 民の心のつく夜かな



報徳記  巻之二

【3】物井村岸右衛門を導き善に歸せしむ

物井村岸右衛門なるものあり。
少しく才知あり、性吝嗇(りんしょく)にして剛氣なるものなり。
先生櫻町陣屋に至るより、日夜艱難苦行を盡(つく)し、衰邑(すいいふ)を興し、百姓を安ぜんとするに、之を嘲り之を誹り、邑(いふ)人をして先生の徳に歸せざらしむ。
自から大言を吐き三絃(げん)をひき謡(うたひ)をうたひ、再復の仕法に相反するの行ひをなし、歳月を送ること七年に及べり。
先生寛大を主としてこれを戒めざるは、其の自然に己が非を知り、自ら悔(くゆ)るの時を待つなるべし。
然るに先生の丹誠實業月を重ね年を経るに及びて彌々(いよいよ)厚く、功績次第に顯れ、良法の良法たる所以明白になるが故に、岸右衛門思へらく、
前々小田原より此の地を再復せんが爲に出張するもの幾人、一年を待ずして或は退き、或は走れり。
二宮氏命令を受け來ると雖も、必ず前轍を踏まん而己。
假令(たとひ)如何なる仕法を下せしも、此の地の再興成就すべき道ある可(べか)らずとせり。
然るに七年に及び、其の丹誠益々厚く、功驗日々(にちにち)に著し。
我斯の如き仕法に敵し、年を經(へ)ば三邑(いふ)再興近年に成り、罪人に陥らんこと眼前なり。
今速に前非を謝し、共に興復の事に力を盡(つく)し、後榮を取らんには如ずと。
是に於て人をして岸右衛門仕法に感じ、力を盡(つく)さんことを願ふと言はしむ。
先生其の舊惡(きうあく)を咎めず、悦びて其の請(こひ)を許せり。
岸右衛門陣屋に來り、先生の指揮に隨ひ、丹精を盡(つく)さんと云ふ。
先生之に教ふるに仕法の大意、人倫の大道を以てす。
岸右衛門始て廣大の道理を聞き、大(おほい)に感激し、是より日々邑(むら)に出でて指揮に隨ひ、土功の率先となり、專ら力を盡(つく)せり。





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最終更新日  2025.01.31 00:00:22


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