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前略、やまこぅです。今日は吉祥寺でなんで屋を展開してきました。途中から下北沢を風で飛ばされたのしん君たちが合流。2店舗連店の賑やかななんで屋さんとなりました。手伝い、看板娘さんもたくさん来てくれて感謝です。連店は間口も広く新鮮でした。機会があったらまたやってみたいです。今日は路上ミュージシャンなんかも沢山出ていて、春の到来を感じさせる吉祥寺アーケードでした。24歳の新婚君が立ち寄りました。(正確にはもうすぐ入籍だそうです)彼から出たお題は「彼女(奥さん)より仲間の方が大事なのはなんで」!?入籍を控え、なんとかブルーなのだそうです。で、今日は独りで遊びに来ていたらしい。「仲間の方が大事」結婚を目前にして尚、そうした意識と言うのが現実なのだと思います。制度と意識のズレみたいなものを感じているのではないでしょうか。そしてまた、「お題」が呼び水になったとはいえ、そんな話が出来るのもしがらみの無い路上ならではと思いました。恋愛にしろ結婚にしろ、男女関係に求めているのは漠然とは安心感、充足感。でも独占関係にこだわると不安ばっかり。求めていた物とは正反対。逆に仲間といる方がまだ安心する。だから仲間に収束してしまう。彼はいちいち頷いていました。実感に直撃だった様です。一方、本来の男女関係は充たし合う関係。独占にこだわらない、相手を100%肯定視できる関係の先に、真に充たし合う関係があるのではないでしょうか。
2005.03.12
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「共同体って何?」私が確かな見通しを立てるために毎日読んでいる「るいネット」で出てくる新しい(昔はあった)形の集団のことです。参考に>共同体・類は、この様な時代認識に基づいて創られた。従って、創立当初から、経理を含む全情報を全社員に公開する情報公開システムを作り上げ、誰もが状況を把握できるようにして、その上で、全員が取締役となって経営に参画する合議体制を構築し、皆で組織や事業の方向を決定してきた。それを聞いて、未だに信じられないという顔をする人が多い。だが、民主主義を口にするのなら、日々の生産の場=企業を、真っ先に皆のもの=合議体に変革するのが本当ではないのか。誰もが日々エネルギーの大半を費やしている生産の場を権力統合体のままにしておいて、遥かに遠い国会に何年かに一回投票するだけの西洋式の民主主義など、全くの偽物である。「実現論」より簡単に言うと「自らの生きる場を、自らの手で築いてゆきたい」「自分たちで動かせる、自分たちの集団を作りたい」って思いから出来る集団の形。「人にまかせて」or「自分だけで」ではなく、みんなでみんなが元気がでる集団を作っていく当事者になれる集団の形。広く言うと「自分達が生きている社会を作っていくこと」だとも言える。これね~すごくビックリな事だけど、実はすごく元気(活力)がでるんよね。「社会を作っていく」なんてちょ~難課題なわけだけど、ちょ~難課題だからこそそれを突破する力が出るんよ。「外圧=内圧」(これもるいネットより)最近NEETと呼ばれる活力のない若者も多いけど、彼ら一人一人がどうにか活力を出していけばいいかって問題ではなく、みんながどうやって活力が出るかって問題なんよね。いかに「外圧」を察知出来るかってことね。活力が出ない原因の一つとして、庶民が社会と全く切り離されて、傍観者になってしまっているということもあるし。何かをしなくては!!でっ何をすればいいか!!一人ではとうてい出来ないこと。(一人だと何も出来ずに活力Downしていくのがおち)だから仲間と一緒に外圧「元気のない社会の元気を再製する」を課題として捕らえ、その中で役割を決め、「自分を含めたみんな」が「自分を含めたみんな」の期待に応えることが出来る集団を作っていくこと。まずはこれ第一歩。その集団が「共同体」。「共同体」の再生がみんなの活力UPへの足がかりになるっちゅうことやね。文章もしかしたら後で修正するかも…。(汗)次回は書いてて気になった「外圧=内圧」とは何?をやってみたいと思う。よろしく~。byいがっち
2005.03.09
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こんばんは。やまこぅといいます。今は土曜の夜に東京は吉祥寺で露店弟子をやってます。この度、いがっちと一緒に「なんで屋店長への道」ブログに参加することに決めました。もう決めた!私はコンピューターはとても苦手で、七転八倒、暗中模索の毎日となるかと思いますが、宜しくお願いします。ブログ参加のきっかけをくれたいがっち、露店のみんな、どうも有り難う。店長目指して一緒に頑張って行きましょう。答えの供給者として、露店にネットにブログ運営にと活躍できる日を目指して頑張ります!乞うご期待!!
2005.03.07
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るいネットより>改めてサル以来の男女関係を振り返り、恋愛がイデオロギーに過ぎず、しかも日本の庶民層においては戦後60年(90年半ばからは実質衰退過程に入っていることを考慮すれば50年)の命しか持っていないことが明らかになった。(日本人はどのように恋愛観念を受容したのか?~明治編)この事を知った時は正直ビックリした。確信していた(昔を調べていた)わけではないが、恋愛っちゅうものはむか~しからあるもんだと思いこんでいた。一時期(笑われるかもしれないが)、恋愛って生きている意味を感じれるものだよね。恋愛が無かったら生きている意味無いんでは。ってまで話してたこともある。恥ずかしい…。生存圧力がなくなって課題が無くなり、課題(外圧)を自分の頭の中(観念)でそう作っていただけ。あ~恥ずかしい。という様に(ちょっとごまかし)(汗)「恋愛」にこだわらずにこれからの男女関係を作っていこうと思っているのが師匠のブログ(恋愛の行方)だよ~宜しく。まずは、>なんでや劇場でも問題として取り上げられたように、日本人になじみのない恋愛観念が定着するには、不倫をタブーとする厳格な一対婚規範が定着する必要があるが、日本人はどうしてそんな窮屈なものを受け入れてしまったのだろうか?自我の性が衰弱し和合共認が再生されつつあるにも関わらず恋愛観念の呪縛が解けないでいる現在、一対規範と恋愛観念受容の日本近代史の解明は、その突破口を考えるヒントを与えてくれるかもしれない。(日本人はどのように恋愛観念を受容したのか?~明治編)重要なことですね。次回に続く…
2005.03.02
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先日なんで屋露店で「大人の言ってる事は正しいの?」ってお題を高校生の男女2人が聞いてきた。これは今度27歳になる自分自身も中高生の頃に感じていたこと。正直「正しくな~い。そりゃ~昔の話だろ。今は違うんだって。」と何度か対立したことも覚えている。聞いてきた高校生も同じ事を言っていた。しかし、今と昔の何が違うかなんて考えてはいなかった…。単なる「反抗期」ってやつかもしんない。お父さんお母さんごめんなさいm(__)mしかし、露店で一緒にお題を進めていくと、まず昔と今何が違うのか?社会はどう変わっているのか?が鮮明になってきた。これは単なる「反抗期」ではない。確信した。実感で捉えられる大きな違いは「豊か」になったこと。これは誰もが感じている。親に対して口に出していった事がある人もたくさんいるんでは?(昔は食べ物を粗末にするなんて考えられなかった。だから好き嫌いせずに食べなさい。→今は違うんだよ~ みたいな…)しかしもっと重要なことは「生存圧力」が無くなった事。生きていくために誰もがしなきゃいけない事が無くなったって事。大人の言うことは「生きていく為に必要だ」と思うこと。しかし今の若者は「生きていく為に必要なものはない」が実感。ここがズレている。さらに言うと「生存圧力」が働いているから社会は「序列原理」で統合されていた。「目上の人が言うことは聞きなさい。」はここから来ている。しかし「生存圧力」がなくなった今「序列原理」は崩壊し、特に若者は「共認原理」で仲間関係も成立している。なんかズレまくりやね。だから「大人が言うことが正しいのか?」という質問には「昔はこうだった。だからこうしなさい」は正しくない。しかし、大人の言うことをその背景から知ろうとすることは重要だよ。という答えになった。「大人」なんやけど、昔は「生存圧力」という外圧に向かって闘い、家族(大きくは集団)を守ることをやっていた人の事をさす。これからの「大人」は?「生存圧力」は克服したが、その代わり外圧を失い、活力が出ない社会になっている。簡単に言うと、活力のない社会をどうする?という外圧を体で感じ「活力のでる社会を作って行く」のがこれからの「大人」ではないかなと思い「なんで屋」をやっている。次回に続く…
2005.03.01
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