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にととらさんのことで、とっても後悔していることがある。2018年ごろ、ほとんどパソコンを開かなかった時期がある。3月、4月、6月、7月は、全くブログを書いていないし、5月には、4月2日に生まれたイー君のことだけだ。産前産後、娘がエルちゃんを連れて家に戻ってきていたのと、白内障や眼瞼下垂の影響で、パソコンの文字が見にくかったこともあって、他の人のブログもあまり見なかった。でもその年の5月、にととらさんは腸閉塞で入院し、大腸がんが見つかった。そしてその後の、抗がん剤の影響で辛い副作用に悩まされる。抗がん剤の副作用のことを読んで、いつ癌になったの?と読み返して初めて知った。私が病気で辛い思いをした時期に、いつも優しい言葉で励ましてくれたにととらさんに、何も言葉を掛けられなかった自分が情けなかった。その年の年末、白内障の手術をし、翌年、眼瞼下垂の手術をして、やっとパソコンを見るのも困らなくなった。にととらさんからは、多くのことを学ばせてもらった。知識が豊富で、研究熱心。疑問に思うことがあると、子どもの頃の自由研究のように、色んな実験をして真実を突き止めていく。この年になって、普通だったら新しく学ぶ機会も少ないと思うけれど、何度「初めて知りました。また一つ賢くなりました。」と思ったことか。そして、生き方。抗がん剤を拒否してからの、にととらさんの行動力はすごい。台湾を旅行し、全国の鉄印巡りをし、コレクションの整理をし、遺言を正式に預け・・・パワフルさを見習いたいと思うけれど、ちょっと終活が手際よすぎて、生き急いでいるような不安感も覚えた。にととらさんの訃報が知らされてから、今までのブログを読んだりしているけれど、終末期旅行、死ぬ週間の5つの後悔などを参考に、本当に自分の気持ちに正直に、後悔の無いよう素晴らしい人生を送ったのだろうなと思えてきた。そして、今も自由に空を飛んで、17年セミを見に、アメリカへ行き、メンフィスにもいったに違いない。にととらさん、本当に今までどうもありがとうございました。あなたの生き方をお手本に、私もこれから生きていこうと思います。ここで、にととらさんクイズ1.「にととら」の名前の由来は?2. にととらさんは、大阪の住吉神社の楠珺社でお守りの招き猫を集めていたけれど、今何個集まってる?なんて、「ありがたき定年」は、大好きなブログだったので、マニアックなクイズがいっぱい作れるだろうな。
2023.08.06
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2011年の2月、在中一世さんが、奥さんと息子さんを連れて日本に帰ってきたので、再びブログ仲間で会うことになった。にととらさんが、品川のホテルを取ってくれて、一日目は川崎大師にお参りして、ホテルでみんなでディナー。もうすぐ1才になるJ君の表情が可愛くて、みんな心が和んだ。翌日の朝、窓から外を見たら、線路がいっぱいのまさに鉄ちゃん、鉄子さんのための部屋。にととらさんらしいなあと思った。朝食のレストランからきれいな富士山が見えた。その後、東京タワーに上って、芝公園を散策した。にととらさんのブログに、東京タワーから見た風景のことが書かれていた。別れてから、私はtakatobaabaさんと一緒に、宝くじが当たった時の大宴会の下見を兼ねて、伊豆へ。と、その頃は、ブログ仲間との楽しい時期を過ごしていた。「党首みっけ」と、テレビで、にととらさんを見たのもその頃。関西ローカルの「やしきたかじんの、そこまで言って委員会」という番組で、税金のことを取り上げていた回だった。にととらさんを見つけたのは、すごく嬉しかったけれど、せっかくゲストとして呼んでいるのに、ゆっくり話を聞こうとしないのに腹が立った。にととらさんも不満だったかもしれないな。そのやしきたかじんも、今は亡くなってしまったけれど。でも、ブログの仲間たちと会ったのも、その時で最後。在中一世さんは、中国のネット状態が悪くなって、楽天が使えなくなった。在中一世さんは、今どうしているのかなあ。ひじかた花梨さんは、facebookを始めると、そちらに移行し、takatobaabaさんも、金の像さんも、しばらくするとブログを閉じてしまった。私も、娘が結婚し孫が産まれたりして忙しいのと、白内障や眼瞼下垂のためか、パソコンの文字を見るのがだんだんしんどくなってきた。そんな時も、にととらさんは休まずにブログを書き続け、どんどんブログのお仲間が増えていく。2015年の秋ごろ、にととらさんが100万アクセスのオフ会を企画し、お誘いを受けた。9月にエルちゃんが産まれて、ちょっと忙しかったので不参加にしたけれど、後になってすごく後悔した。その後、膝を痛めて、一人で遠出は行きにくくなったけれど、あの時なら行けたと思う。わからんtinさんや、nikさんにも会いたかったし、にととらさんのブログに集まる多くの人たちとも知り合えただろう。2006年から始めて、9年で100万アクセスだったにととらさんのブログも、数年で200万アクセス、300万アクセスとスピードを上げ、今795万アクセスを超えている。亡くなられてからも、どんどん増えているみたいだ。私も、毎日読んでいる。悔やむこともいっぱいで、いろいろ考えさせられる。
2023.07.31
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私は、小学校に勤めていたけれど、足首の関節を痛めて歩けなくなった。2006年の4月から休職して、10月に足関節固定術という手術を受けた。入院中や退院時には、にととらさんも時々コメントを書いてくれていた。私のブログには、もう一人、よくコメントを書いてくれる在中一世さんと言う方がいて、その人もよく応援メッセージを書いてくれていた。固定術というのがどんな手術なのか、ネットには全く情報が無かった。画期的な新しい方法ということで受けた内視鏡手術は、傷口が小さく、私自身、始めはすごく軽い手術のような気がしていた。でも、手術をしてから6週間後、ギブスを外したら、痛くて歩けなかった。もっと痩せないといけないのかもと食事制限したり、筋トレしていたらますますひどくなり、骨粗しょう症で、骨がすりガラスのようになった。4月に職場復帰を目指していたけれど、5m歩くのも辛くて、2007年3月で退職を決意した。1年休職したのに復帰できず、肩身が狭かった。その辛い時期を支えてくれたのが、ブログのお友達だった。にととらさんのコメントは、いつもあたたかかった。始めの頃のにととらさんのブログには、病気の人が何人かいて、辛い気持ちを持っている人には声をかけずにはいられない、優しい人なんだなあと思った。そのうち、にととらさんと在中一世さんは仲良くなり、にととらさんのブログに来ていたひじかた花梨さんやtakatobaabaさん、takatobaabaさんのお仲間だった金の像さん。みんなが仲良くなり、どこのブログに行っても知ったお名前が並んでいて、ブログを書くのも読むのも楽しかった。2007年の9月、固定術の再手術をした。入院中、定年退職したばかりのにととらさんは、在中一世さんに会いに上海に行った。2回目の手術で、私は痛みが無くなり、歩けるようになり、在中一世さんが日本に来た時には、みんなで会いたいなあと思うようになった。最初の頃のにととらさんは、何をしている人かわからなくて、興味津々だった。でも、退職のために身辺整理をしていたけれど、その量が半端じゃない。ボールペンを整理すれば段ボールいっぱいぐらい、1000本以上あるだろうと思うようなボールペンの量。カバンを整理すれば、革のカバンが20個ぐらい並んでいる。ビデオなのか8ミリなのか、テープの量も膨大で、この人何者?と思わずにはいられなかった。そして、何故か、にととらさんがブログで書いたことが、その後新聞で取り上げられることも時々あって、業界人にも読者がいるような感じだった。きっかけは何だったか忘れたけれど、仲間内で、にととらさんのことを党首と呼ぶようになった。にととらさんが宝くじがあたる夢を見たことがあって、ロト6の番号を書いていた。それで、「当たったら、伊豆で大宴会」というのも合言葉になった。あの番号どこにあるかなあ、にととらさんのブログでちょっと探してみようかな。
2023.07.29
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大好きだったブログのお友達のにととらさんが亡くなった。毎日書かれていたブログも、7月9日から更新されず、LINEを送っても既読にならない。もしやと思ったりもしたけれど、いやいや急に倒れてパソコンや携帯を触れないだけだろうとも思った。でも、一昨日(25日)のnikさんのブログで、にととらさんから「永眠のお知らせ」のはがきが届いたことを知った。自分で、自分の永眠のお知らせを作っておくなんて、几帳面で、先々のことまできっちり考えるにととらさんらしい。にととらさんの最後のブログには、どんどんコメントが届いていた。takatobaabaさんやひじかた花梨さんなど懐かしい名前も見つけた。葉書を見たと書いてあるけれど、私には届いていない。え?にととらさん、私には届けてくれないの?にととらさんは、「年賀状は必要」といつも書いていたけれど、私は、数年前からLINEが繋がっている人には年賀状の画像をLINEで送るようにしていて、にととらさんにもLINEの年賀状を送っていた。にととらさんのブログに、「LINEだと年賀状に返事が来て便利です」と言うようなコメントも書いていた。来ないのはちょっとショックで、私もお知らせのはがきが欲しかった。でも、今日、やっと届いた。日付は22日の発送なので、府か市の郵便局で手間取っていたんだろうけれど、「ね?こんな時、困るでしょう?やっぱり年賀状は必要なんですよ」と、にんまりしているにととらさんの顔が浮かんだ。にととらさんのことを初めて知ったのは、2006年の夏ごろ。私は2006年の5月の終わりごろからブログを始めたけれど、にととらさんは5月の初め頃、定年退職まであと500日という時期だった。書き始めて最初は、知り合いもいないし、コメントもないし、面白そうなブログを探す毎日。その頃の楽天ブログは、ブログ管理の画面に、いつだれが見たか記録が残るような仕組みになっていた。楽天ブログ書いている人は、こんな風に名前が載るので、見てくれた人のブログを見に行く。どちらが先かわからないけれど、だんだんにととらさんのブログを見るようになっていった。最初の頃のにととらさんのブログで面白かったのは、「生活習慣病」。「割り箸を割ったような性格症候群」というのがあって、竹を割ったじゃなく割り箸。割り箸を割るとほとんどきれいに割れているのに、最後だけまっすぐにならずに歪む人がいる。最後の最後だけ失敗する人って、いるいると思わず笑ってしまった。そんな面白いネタがいっぱいで、夢中になって今までの分を読んだりした。写真は古いブログの友だちの画像を使わせていただきました。ちょっと思い出を続けて書いていこうかなと思います。
2023.07.28
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私のブログの普段のアクセス数は、一日600~700。それが、4月21日だけ、6000アクセスを超えた。その日、夜8時ごろに「入院もあと1日」と日記をアップして、その後ぐんぐん伸びた。え?誰が見てるの?あまりにも多いのが不思議。この日、足の写真を載せたけれど、傷のある写真を見て、これは何?と思った人がいるんだろうか。レントゲン写真を載せた日も、ちょっと多かったけど、こんな数じゃなかった。2006年にブログを始めてから、こんなにも多いのは初めてで、今までで多かったのは嵐のことを書いた時。それは検索して出てきたからかな?と思ったけど、今回は訳が分からない。でも、記念に写真を残しとこ。
2021.04.25
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先日から、2013年で中断していたフリーページの旅行記録の続きを、順番に元の日記とリンクさせている。でも、2017年の分になって、ほとんど日記がかけていない。下書きに、書いたものもあるし、携帯の中には、写真がいっぱい残っているので、写真を見たらいろいろ思い出す。旅行記録を書くのも、後で読むのも楽しい。下書きの補足をして、少しずつ書いていきたいと思っている。今日アップした日記。2018年12月13日 激安 韓国の旅 2
2019.04.08
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ブログを開設したのは2006年5月30日。昨日ででちょうど10年たった。変形性足関節症で歩けなくなって、その年の4月から、仕事を休んでいた。ものを書くことが多い仕事だったので、仕事復帰した時のことを考えて、ものを書くことを習慣にしたいと思っていた。痩せたら歩けるかもと、食事療法と運動でダイエットに励んでいたので、最初はダイエット日記。歩けるようになるには、固定術しかないと言われていた。でもリスクが多いので、勧められませんといろいろな病院で言われた。どんな手術か知りたかったけれど、その頃のネットには、足関節固定術の情報が何もなかった。でも仕事復帰するには、手術するしかないし、翌月の6月に、手術を決心してから、自分の様子を書いていこうと決めた。2006年11月、足を手術したのに、よけい調子が悪くなって、5m歩くのも辛く、体調もすぐれず、仕事を辞めなければならなくなった。気が滅入って、鬱になるような気がしたけれど、ブログを書いているときは楽しかった。いつか自由に歩けるような気がすると、何度も書いていると、それが確信になってきて、お医者さんが反対する再手術を決めた。そして2007年9月の再手術。その後は、足の調子が良くなるのをどんどん実感していった。言葉には言霊が宿るというけれど、ブログを書いていると、ポジティブになれたし、人生は、願った通りに叶うんだと思えてきた。10年の間には、本当にいろんなことがあった。息子の子どもが3人になり、娘が結婚して、子どもが生まれ、孫が4人になった。2008年、心筋梗塞で心肺停止していた母が、死の淵から復活し、4年後に亡くなった。ダンナが定年退職し、一人暮らししていた義母が施設に入り、私たちは、3週間ごとに敦賀に行っている。私のハンドルネームにもなった愛犬のニコが眠るように逝った。4年間、子育て支援塾Team3の仕事をした。仕事に復帰したかった私の、心のリハビリになったようだ。今、学童保育を兼ねたようなこんな塾が増えてきている。自分たちの思いは間違いがなかったのだと思うけれど、やはり商売をするということには慣れていなかった。結局辞めてしまったけれど、満足感は残っている。好奇心は旺盛なので、新しいこともいっぱい経験した。フラダンス、ズンバ、そしてダイビング、韓国語、フランス語、習字、さをり織り、ステンシルアートフラワー、ビジネス文書、株、歌舞伎、文楽行けないと思っていた海外旅行も行けるようになった。今、自分のブログを読み返すと、とても楽しい。ここ1年は、ちょっと停滞気味でだったけれど、これからどんどん記憶力も劣っていくだろうし、頑張って書いていきたいなあと思っている。自己満足だけの、つたない文章ですが、読んでくださっている皆様、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いいたします。
2016.05.31
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今日で、ブログを初めて3000日目。先日、にととらさんがブログ開設3000日の日記を書いていたけれど、私にもその日がやってきた。にととらさんの日記記入率は100%ですごいけれど、私は約半分。でも、何とか途切れずに続いている。2006年5月、変形性足関節症で痛くて歩けなくなり、仕事を休業しているときに書き始めた。病院で、痛みを取るには固定術しかないけれど、リスクが多くて勧められないと言われ、どんな手術かネットで調べたけれど、情報が全くなかった。休業したけれど、病院とスポーツクラブだけしか行けない毎日。32年間、仕事中心の生活を送ってきたけれど、ぽっかり時間が空いて、この先自分はどうなっていくんだろう、固定術の情報がないなら、自分のことを書いていこうと、ブログを書き始めた。8年の間には、本当にいろいろなことがあった。職場復帰の希望を託して、2006年の10月に、1度目の足首の固定術を受けた。でも、全く痛みが取れず、手術前より歩けなくなった。2007年の3月、杖をついて仕事を退職した。元気者で通っていた私が、そんな状態だったので、みんなかける言葉もなかったらしい。でも、いつか元気に歩けるようになりそうな気がすると、ブログにはよく書いていた。書くことで、自己暗示にもなっていたんだと思う。2007年の9月、再手術。同じ病院で、医師も勧めない再手術を希望したことを、みんな不思議がった。でもこのままだったら命まで縮めそう、今度はうまくいく、と妙な予感があった。原因を知りたいので、全身麻酔は断って部分麻酔にしてもらった。ビスを外したとたんに、手術室の中がどよめいた。10か月間、足首の骨が繋がらないまま、骨折したままのような状態で過ごしていたことがわかった。ビスの数を増やし再度固定し、少しずつ様子を見ながら、ギブスをはずし、サポーターをつけて行った。足首ががっちり固定された違和感はあるけれど、痛みは全くなくなった。生活の中にも色々なことがあった。母が病気になり、そして亡くなった。息子には2人目と3人目の孫が生まれ、娘が結婚した。敦賀で一人暮らししていた義母が倒れ、ダンナが定年で退職した。友人と、子育て支援の塾を開き4年続けた。私は、韓国語を習って、検定を受けたり、大学の講座に通って、秘書検定を受けたり、習字をしたり、フランス語を習ったり、スポーツクラブでは、ダンスを踊ったり、今はダイビングのライセンスを取ろうとしている。もう行けないだろうと諦めていた海外旅行にも行ってるし、オールスタンディングのコンサートにも行っている。変形性足関節症は症例の少ない病気だけれど、固定術で検索すると私のブログが出てくるので、同じ病気で悩む人から、メールをもらうことがある。全国から、私の主治医を頼って、手術を受ける人が出てきている。主治医は、全国の病院で手術を行って、広めて行っている。2回目の手術から7年経って、私の2回目の手術方法がそのまま続いている。どうも私が、この手術方法の日本での成功例の第一号みたいだ。細々だけど、続けてきてよかったと思っているし、続けて行かないといけないと思っている。
2014.08.15
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iPhoneから、実験。 9月13日は、母の誕生日。 母を連れて、いつもお彼岸に四天王寺さんに行ってたので、 いつの間にか、私自身の習慣になってしまった。 でも、今回、お彼岸の間、ずっと留守になる。 お墓参りだけは、してこなくっちゃ。 母の作ったパッチワークの写真を貼り付けようと思ったけど、 重すぎるのか、送信できない。
2013.09.15
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「可愛いICOCAがあるけど、欲しい?」「欲しい~」と、娘に買ってもらったのが、相互利用記念ICOCA。にととらさんの買ったカードの、ICOCAバージョン。このカードはもう手に入ったのかしら。発売から2週間。並ばずに買えるこの駅は、穴場です。
2011.03.22
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パソコンの調子がおかしくて、ブログのお友だちの所におじゃまして、コメントを書くと、1クリックしかいていないのに、コメントが2つ書き込まれてしまいます。ごめんなさい。削除してください。と言っても、コメントが多いと削除するのもお手間ですが。カーソルも思ったところにいかず、すぐドラッグしてしまって文字が消えたりするので、やりにくいです。どこか設定が変わってしまっているのかな?
2010.11.29
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おかげさまで、昨日の夜中10万アクセスを越えました。100003 2010-08-04 06:40:22 *.ocn.ne.jp 100002 2010-08-04 06:00:15 ***.yahoo.net 100001 2010-08-04 05:03:55 59.106.*.* 100000 2010-08-04 05:03:27 ***.west-wing.com 99999 2010-08-04 04:26:30 ***.yahoo.net 99998 2010-08-04 02:56:16 202.248.*.* ブログを始めて4年半。お気に入りのお仲間に比べると、ゆっくりペースですが、何とか続けていけてるのも、読んでくださる人がいるおかげ。ありがとうございます。10000アクセスの、「***.west-wing.com 」さんはどなたなんでしょ。私の知ってる方かしら?
2010.08.04
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今、東京へ向かっている。にととらさんが、在中一世さんの赤ちゃんの写真をアップして、祝い酒を飲むと言う。私も会いたい。そして私もお祝いとお礼を言いたい。行かなきゃ。それで、一緒に参加させて欲しいとお願いした。在中一世さんは、ブログを始めてすぐにお気に入りに登録した方。いつも温かいコメントを書いてくださって、四年前の一回目の手術の時は、成功するまで剃らないと、髭を伸ばしたりしてくれた。同じ頃、お気に入りに登録したのがにととらさん。お二人のコメントに、私はどれだけ励まされたことだろう。いつしか在中一世さんとにととらさんはお友達になり、それぞれのお気に入りがリンクしあい、どこに行っても知り合いがいるようになった。一回目の手術の後の11ヶ月は、私にとって、本当に辛い時期だった。5メートル歩くのも痛く、せっかく休業させてもらっているのに、思うように回復しない。医師も成功しているはずなのにと首をかしげ、同僚からは頑張って直しやと言われ、体重が増えてきたから食事制限したら、骨粗鬆症になるし、日々悶々としていた。そんな時期を顔も知らないブログのお友達が支えてくださった。仕事を辞める時、再手術する時、新しい仕事を始める時、大きな決断だったけど、私に大丈夫と勇気をくれた。そんな状態でも、いつか自分はスタスタ歩けるようになるような気がした。在中一世さんが以前日本に戻られた時、上野で桜を見たと書かれていたのを読んで、来られた時にオフ会しましょうと、コメントを書いた記憶がある。そして桜の下でのオフ会をイメージしていた。いい天気になったし、きっと桜が見られるだろう。夢って本当に叶うんだなあ。
2010.04.03
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明日イベントがあるので、いつ来るのかなとインターネットで調べてみたら、昨日の午後、ペ・ヨンジュンが関空に到着したという。その2時間前まで、関空から4kmのりんくうタウンにいたのに、今朝まで知らなかった。ご近所さんが、「昨日来たねえ、きっと行ってるんやろうなと思ってたんやで」と言ったけど、到着した頃は、ちょうど仕事の真っ最中。先日、ソウルでパークBOFに行ったら、事務の人が、「ヨンジュンさんは、いまNYにいます」と言っていた。でも、ネットで当日ソウルのゴリラと言うレストランにいたことが判明。ゴリラはペ・ヨンジュンがプロデュースしたお店で、行こうかなと思ったけど、値段が高そうでとりやめた。ああ、やっぱり私って、生ヨン様には会えない運命なんだな。でも、こんなにニアミス(と言えるのか?)が続いても、2・3年前には、生ヨン様が見たいなあと思ったのに、あまり残念とも思わなくなった。昨日で、ブログを始めて2年たったけれど、この2年に、いろいろなことがありすぎた。ブログを始めた頃は、仕事をやめるなんて思ってもみなかった。仕事には、文を書くことが多いので、復帰したときに文を書くことに抵抗を感じないですむように、と言うのもブログを始めた理由のひとつだった。インターネットのペ・ヨンジュンサイトを見るのが好きだった。海外サイトから画像を集め、ドラマの二次創作を読み、情報もいち早く取り入れていた。でも、一回目の手術のあと、痛みが長引いて、仕事をやめなければならないかも・・・と思った頃、私の気持ちは、日々ころころと変わり、落ち込んだ日は、そういうものを全く見る気がなくなった。プールへ行って、泳いだり歩いたりすることと、ブログを書いたり、読んだりするのが一番心が落ち着いた。自分のことをわかってくれている人がいると思うと安心した。書き続けてきたから、やりたいことも見つかったのだと思うし、コメントを入れてくれる方がいるから、新しいことを始める勇気も持てたのだと思う。2月にtakatobaabaさんと実際に会ってみると、初対面なのに、旧知の友だちのように話せた。毎日話をしているのと同じだもんねと、言い合ったけど、本当に素晴らしい方たちと知り合えたのを嬉しく思う。今日は夜7時からジムへ行ったら、久しぶりに友だちと会ったので、お茶して帰ってきた。ソウルへ行って、歩きながら笑えてきた。と言うと、生き生きしているのが嬉しいと、喜んでくれた。生き生きして見えるのは、今、私が自分を大好きだからだろう。歩けるのを喜んで、いっぱい歩いてみる自分も好きだし、収入が無いのに、仕事を楽しんでいる自分も好きだし、この仕事が成功するんじゃないかと、夢見ている自分も好きだし、ぺ・ヨンジュングッズを買って、ファンしている自分も好きだし、仕事やジムやハングルや講座で手一杯なのに、ちょっとの隙を見つけて、旅行しようとする自分も好き。この2年間で、私の人生が大きく変わったけれど、今後の自分の行く末もとっても楽しみ。3年目に突入したけれど、今後ともよろしくお願いいたします。
2008.05.31
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昨日の朝、takatobaabaさんから宅急便が届いた。先日、「ホワイトデーと開業祝とかねてお菓子送るね」とメールを頂いたけれど、その量に驚いた。箱を開けてびっくり。伊東銘菓の「ホールイン」が箱にぎっしり。なんと太っ腹なばあばさん。(細くてスマートだけどね)初めて食べるけれど、このお菓子美味しい。中は、温泉でゆでた卵を使った黄味餡。薄い皮の周りをホワイトチョコレートでコーティングしていて、ゴルフボールみたいにコロンとした形。しっとりと甘味を抑えた黄味餡の口当たりがよく、ホワイトチョコレートにもよく合って、とても美味しい。早速ダンナと2個ずつ食べてしまって、写真写真。だから蓋で隠しているの。包装は、銀紙に重ねた文字入りのハトロン紙で包んだだけで、密封や糊付けしていないシンプルなもの。こういう包装も初めて見た。品質に自信ありということかな?ばあばさんが言うには、伊東といえば「ホール・イン」というぐらい有名なお菓子なんだそうだ。久しぶりにばあばさんと話した。気風の良さもさることながら、実際に会ったばあばさんも、すごくかっこいい。男前な潔さと、きめ細かい心遣いを併せ持った人。伊豆の最終日、お葬式に行くばあばさんと会った。喪服に身を包んだその姿は、一分の隙も無く、凛として生きてきた、ばあばさんの品格を感じた。学校という限られた世界しか知らなかった世間知らずの私には、人生をよく知っているばあばさんから学ぶことも多い。あらためて、ばあばさん、ありがとうね。
2008.04.07
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夕べ、20000ヒット越えました。皆様、いつもありがとうございます。20005 2007-08-06 22:58:12 にととらさん 20004 2007-08-06 22:57:24 在中1世さん 20003 2007-08-06 22:34:54 *.ucom.ne.jp 20002 2007-08-06 22:31:07 iモード 20001 2007-08-06 22:30:54 iモード 20000 2007-08-06 22:26:02 ぬめばさん 19999 2007-08-06 22:25:24 *.dendai.ac.jp ぬめばさん、お初ですがどうもありがとうございます。このところ、足がむくんでくるとパソコンの前から離れるので、抜ける日もありますが、出来るだけ毎日更新したいと思っています。今後ともよろしくお願いします。さて今日は、医大でCTを撮る日。診察がないので15時45分予定と遅かった。先日、お返しに全国百貨店共通商品券をもらったこともあり、先に病院から車で10分ぐらいのところにあるデパートへ行くことにした。このところ外出はいつも誕生日にプレゼントしてもらったクロックスのサンダを履いているのだが、軽くて、脱ぐのも履くのも楽で、長時間歩いても疲れなくてとっても楽だけれど、やっぱり普段履きっぽい。白浜も九州もこれで行ったのに、デパートへ買い物に行くのにもうちょっとおしゃれしたいなあと、今日は普通の靴を履いていった。普通の靴といっても、足の固定手術をしてから足首が曲がったままなので、今までのかかとのある靴はほとんど履けなくなってしまった。一番楽に履けるのが、2年前の夏にスイスで買った靴。ぺたんこんこ靴なのに、ちょっとおしゃれで気に入っている。ベルンの町で足が痛くなって、この靴を買ったんだけど、その頃から前兆があったんだなあ。特に買いたいものがあるわけじゃないけれど、久しぶりにおしゃれな服や小物を見て2時間あまり、歩き出したら手術前よりはよく歩けるので嬉しくなって、お盆のお供えやバーゲンの玄関マットなどを抱えて車に乗り込んだ。病院へ着いて、車から降りようとしたら、ない。杖がない。大失敗。杖はどこだあ?最後に買った玄関マットを持つ時、杖が持ちにくいなあと思った記憶がある。その後、車で飲もうとペットボトルを買った時か、駐車券をチェックした時か。取りに戻ろうにも、もう時間がない。あんなに歩けたのに、車から降りる時はものすごく痛い。ちょっと立って待っていても、なかなかしっくり来ず、足を引きずりながら、今日この靴を履いてきたことを激しく後悔。帰り、またデパートへ戻ろうか、もうあきらめてどこかで杖を買おうか迷ったけれど、やっぱり杖を取りに戻ることにした。近くの売り場の人に尋ねると、忘れ物の保管場所に、ちゃんとどなたかが届けてくださっていた。杖が手に入ると駐車料がもったいないので、またうろうろ。結局本を3冊買って、駐車料を無料にした。そんな訳で、今日はもう歩きすぎで足がぱんぱんに膨らんでいる。帰り道は車で約1時間。車の中で、左足だけ靴と靴下を脱いだらちょっとほっとしたけれど、一度脱いだらもう履けない。車から降りる時は、かかとを踏んで家の中に入ってきた。足首の太さが、右と左で3cmも違うなんて、やっぱりこの足変だ。
2007.08.07
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