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今月は中国地方や九州地方を、知人・友人たちと共に周遊する機会を得て、自宅にいた日はほとんどなかった。このブログを書いている今も旅行中で、現在は鹿児島県の指宿に滞在中だ。特に昨日の南薩摩は野間岬の海に沈んでゆく夕日(10月26日)は格別で、その風情をじっくりと堪能することができた。この野間岬近辺は、日本神話のある解釈では「笠沙岬」とされている場所である。この場所を巡ることで、私の中では「富士山」と「笠沙岬」を結ぶ軸線ルートを体感できたことになる。その軸線ルートには、伊勢の朝熊山、四国の室戸岬・足摺岬などのポイント地点があり、今年になって7月の富士登山をはじめとして、それら主要スポットを巡ってきた経緯がある。そしていよいよ、このたびの「笠沙岬」でのサンセット体感により、その「富士山⇔笠沙岬」の軸線ルートが、自分の中で確立したという実感がある。不思議なことにこの感覚は、今月の10月10日の夕刻に、出雲は須我神社の神体山である「八雲山」の山頂において、「富士山」と「出雲」を結ぶ東西軸を実感した時と同様だった。実は10日の「八雲山」では満月に近い月、そして26日の「笠沙岬」では新月に近い月と、つまり私にとっては「月読尊」の導きがあったという感じがしている。そういえば富士山頂で迎えた御来光では、十六夜の月も御出ましだったことを思い出す。本日の早朝は「新月」・・・大自然の懐に抱かれながら・・・有り難き幸せを噛み締める今日この頃である。
2011年10月26日
今回の旅路において、結果的に「壱岐」では、「月読尊」を追いかけることになった。まず壱岐国一宮の「天手長男神社」を参拝した後に、島内のほぼ中央部に鎮座する「月読神社」へ向かった。この壱岐島の月読神社は、延喜式では名神大社とされ、全国の月読社の「元宮」とされている。ところが、壱岐の神社誌などを調べていくと、その月読神社のもともとの社は、島内の東北方面に鎮座する「箱崎八幡宮」とされているので、何度か道を間違えつつも、ようやく当社に辿り着くことができた。そこではやはり、大いなる神氣が感じられ、壱岐島に渡海した実感が湧いてくるのだった。そしてさらには、その箱崎八幡宮の東北にあって、箱崎宮の神体山とされる「男岳」の山頂に鎮座する「男岳神社」に向かった。上述してきた、月読神社(箱崎八幡宮)の大元は、この男岳山(おんたけさん)に鎮座したことに始まるとされ、その境内には「月神」の依代たる「磐座(いわくら)」が残っているとのことだった。今日の画像は、その男岳の山頂部にあった、その「月神(月読尊)」を象徴するであろう「磐座」を撮影したものである。(本来の祭神は「天月神命(あめのつきのみたまのみこと)」。)その標高158mの頂上には展望台もあり、清々しい心地で壱岐島の大パノラマを楽しむことができ、感無量のひとときであった。(2011.9.27)
2011年10月10日
九州行脚を終えて十月の初めに帰宅。その充実した一週間は、思い出深いものとなった。さて今日の画像は、長崎県は「対馬」の北端に宿を取った際に、フロントで紹介を受けて訪ねた「韓国展望所」から撮影した夜景である。(2011.9.28)画像には、手前の明かりの向こうに、横一筋の薄明かりが確認できるわけだが、その薄明かりが、この地より海を挟んで約50キロメートル遠方の隣国、韓国は釜山の方面を映したものだ。もう夜の9時を回っていたと思うが、異国の息遣いが聞こえてくるようで、こんなに身近に隣国を感じることができるとは・・・この海峡は日本と韓国の「境界」なんだ・・・などと、しばし感動のひとときであった。また、夜間に車を走らせたその道中には、大きな「猪」と「鹿」が同時に現れたりして、野趣満点の対馬を体感することができた。
2011年10月09日
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