公園人の散策記

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2011年09月14日
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一昨日、十五夜をテーマとした話題から旧暦(太陰暦)に言及したが、現在の西洋暦以前の日本の暦(旧暦)は中国から伝来した太陰暦と二十四節気に依存しており、江戸時代初期に確立したとされている。
そんな数百年の歴史を持った日本の文化の一部とも言える「二十四節気」について、日本気象協会なる財団法人は「日本版二十四節気~新しい季節の言葉」に取り組み、2012年秋を目途に提案するとしているらしいことを、今日、知人から聞いて知った。
同協会の2010年第3回理事会で決めたことらしいが、これを協会のHPで公表したのは今年4月の上旬。

その理由として協会のHPでは

「二十四節気は古代中国で成立したため、地域や時代などの違いから日本の季節感と合致しないところがあり、現代の日本にはなじみの薄い節気の呼称があります。例えば「小満」や「芒種」は、多くの日本人にとって日常生活で使う言葉ではなくなっています。」

としている。

が、そもそも西洋暦が一般的となっている現代において「二十四節気」というもの自体が日本人にとって日常生活にそれほど浸透しているものではない。
むしろ、日本の文化(江戸時代の文化)の一部として残っているものであり、江戸時代の人々はこのようにして季節や暦を認識していたのだという、歴史的、文化的な意味の方が重要だと思うのである。

これを現代の言葉に置き換えることになんの意味があるのだろうか?


これらは他の言葉に置き換える余地のないものだと考える。
また、この「二至二分」から派生する「立春」「立夏」「立秋」「立冬」についても、春夏秋冬を分ける「節分」という風習が現代に受け継がれているわけだから、他に置き換えるべきではないと考える。
では、その他の十六の節気はどうかというと、現代のカレンダー(西洋暦)のイベントとリンクするものではなく、もっぱら旧暦を意識する過程で必要となる区切りだと考える。
閏月とは何なのかということに興味もない人には、無縁のものと言える。
TVニュースの天気予報コーナーなどで、お天気キャスターが
「今日は二十四節気の小寒です。小寒とは云々・・」などと説明していることがあるが、二十四節気が何なのかを知らない人にとっては「小寒」もどうでも良いことではないだろうか。
単にキャスター側の都合で、日々の話題の素材として、場繋ぎ的に持ち出しているだけのように思える。
逆に言うと、閏月とか旧暦を含め、江戸時代以前の歴史的日付、暦に思いを馳せる者にとっては、その時代に使われていた各節気の呼び名にこそ意味があり、それを現代の言葉で言い換えることには何の意味も無いと思えるのである。

日本気象協会なる財団法人が無駄に金を浪費する事業としか思えないのは私だけだろうか?





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最終更新日  2011年09月15日 12時18分45秒
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