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本日のワイドショーは週刊文春によるアンジャッシュ、渡部氏の不倫の話題が新型コロナウィルスに関する報道を凌駕していた感がある。そんな中で私が気になったのは、渡部氏の謝罪的発言の「不徳の致すところです」というキーワードだ。このキーワード、ちょっと前には、自粛要請中に沖縄に行ってゴルフをした後で新型コロナウィルス感染が判明した石田純一氏が、退院後に発したコメントにも含まれていたものであり、それ以前にも、政治家や著名人が不適切な言動を非難された際の謝罪でしばしば耳にするキーワードである。では、「不徳」とは一体何なのか?古代中国の考え方(儒教の考え方)では、国を治める為政者には「徳」がなければならない。「徳」を以って国を治めれば、国が平穏になる。「徳」を以って国を治める者を「王者」と呼ぶ。「王者」に対して、武力で国を治める者は「覇者」と呼ぶ。そして、為政者に「徳」がなければ(不徳なら)国(民衆)が災厄にみまわれるという考え方である。原因と結果を逆転させると、民衆が災厄に見舞われるということは、為政者に「徳」がない(不徳)ということである。従って、「不徳の致すところ」という言葉の本来の意味は、民衆に悪いことが降りかかるのは、トップに「徳」(人望と言い換えても良いかも)がないからだということである。それは本人が直接悪いこと(不道徳なこと)をしたということではなく、人望がない者がトップになったことが災厄の原因であるということなのである。ここでいう「災厄」とは飢饉、水害などの自然災害や疫病、戦乱などを指す。これを更に逆転して考えれば、自然災害や疫病に際して、為政者が民衆に寄り添って誠実に対応していれば、その災害は民衆にとって大きな不満とはならず、「不徳」とはならないのである。このことを踏まえれば、渡部健氏や石田純一氏、及び本人が不祥事を起こした政治家等の「不徳の致すところ」という発言は、本来の意味からは外れているということになる。正に今、「私の不徳の致すところ」と謝罪し、言動の全てを改めるべきは、安倍首相なのではないだろうか。
2020年06月12日
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例え話です。とある学校の講堂に生徒1265人(1億2650万人)が居ます。生徒は講堂の外に出ることができない状況にあります。その講堂のどこかで有毒ガスが発生しているようです。校長先生が言いました。「2分間、息を止めていていてください。」「その間に毒ガスの発生源を見つけると共に、講堂の換気を行います。」校長先生は言いました。「息が苦しくなった人には酸素ボンベを配ります。」生徒たちは2分ならと思い、頑張って息を止めていました。 ・ ・ ・1分45秒経ったときに校長先生が言いました。「まだ毒ガスは発生しているので、あと2分、息を止めていて下さい。」毒ガスの発生源を見つけることもできておらず、講堂の換気もほとんどできていなかったのですが、そのことについて校長先生は何の説明もしないまま更に息を止めるように指示したのです。「あと2分(計4分)は無理でしょ」と誰もが思いました。当然、息継ぎしようとしました。すると、校長先生はじめ、先生たちは「緩んでるようです」と生徒たちをたしなめるのです。しかも、息が苦しいと訴えている生徒に約束した酸素ボンベを配ることさえしていないのです。結局4分後、いつの間にか毒ガスは稀釈されていました。(でも発生源がなくなったわけではありません)その間に、毒ガスに犯された生徒も出ましたが、それ以上に窒息で意識不明になった生徒や命を落とした生徒まで出ましたが、校長先生は言いました。「皆さんのお陰で毒ガスの被害は最小限に抑えられました。」「このことを他の学校に誇りましょう」(日本モデル)こんな学校(日本国)をどう思いますか?
2020年06月03日
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昨日の夕方、仕事もあと一時間という頃に携帯が鳴った。以前から神楽坂で呑もうと約束していながら、お互いの都合が合わず、なかなか実現できずにいた友人(カメラマン)からだった。「小石川の客先に納品に行ったら今日は仕事が終わりなので、神楽坂で呑みませんか」という電話だった。私も昨日は残業しない予定でいたので、急遽「神楽坂呑み」となった。6~7年前から気になっていた店があった。日本酒にこだわりがあるらしい看板が表に掲げられているのである。大久保通り沿いの「恒(つね)」日本酒の店に誘うのなら無類の日本酒党の彼だと思っていたのだが、やっと実現することができる。6時20分ぐらいに飯田橋駅で落ち合い、黄昏迫る神楽坂を歩く。表通りの神楽坂は人が多すぎて歩きづらいので、天ぷら「天孝」がある裏路地に入り、本多横丁から毘沙門天の前に出る。陽が永くなったもので、6時半を回ってもまだまだ明るい。まずはウィークデーのこの時間帯でなければ入ることができない「伊勢藤」の暖簾をくぐる。お酒は日本酒「白鷹」一種類しかない、ビールも焼酎も置いていない店である。お銚子2本づつを呑んで「伊勢藤」は小一時間で切り上げて、目的の「恒」へ。日本全国の地酒を常時30種類以上置いているという。初めて目にする銘柄ばかりである。二人でシェアしながら7~8種類の酒を味わっただろうか。気がつくと11時を回っていた。そんなわけで、今朝は若干二日酔い気味。夏至の今日、梅雨の晴れ間、台風のハザマの東京は蒸し暑く、二日酔いのカラダにはキツかった。
2012年06月21日
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昨夜開催された某イベントのスタッフへの差し入れにと、弁当12食分を作った。12食は流石に結構な手間であった。なにせ炊飯器が3合炊きのものしかないのである。名づけて「鶏づくし弁当」。鶏の炊き込みご飯、鶏そぼろ、鶏もも肉の直火焼き、鶏ムネ肉の粕漬け焼き。4種類の鶏料理である。高崎駅の「鶏めし弁当」を意識したものである。「鶏そぼろ」は、酒、みりん、砂糖、醤油の他に、試みで味噌も加えてみた。「鶏ムネ肉の粕漬け焼き」は長野県信濃町の地酒「松尾」の酒粕にみりん、砂糖、と塩麹を加えたものを鶏ムネ肉に塗り、一晩冷蔵庫で寝かせてからフライパンで表面を焼き、さらにオーブンで中まで火を通した。「鶏もも肉の直火焼き」はガスレンジ、魚焼き網で焼いたもの。もも肉の脂が滴り落ち、レンジの火の上に垂れると、凄まじい勢いで煙が上がる。さらに、その脂に火が着くと、煙の量は家庭用の換気扇ではとても間に合わないものとなる。部屋中に煙が充満して、視界が悪くなるほどである。しかし、その鶏の脂の煙が鶏肉を燻して、燻製のような風味が付くのである。春のお花見のときにも同じ手法で作った焼き鳥を持参したが、「炭火焼きだ!」と言われた。そう、多くの人が炭火焼の風味だと思っている焼き鳥の味は、火の上に落ちた鶏の脂から出た煙の風味なのである。フライパンや、水を張って煙が出ないようにした魚焼き用グリルでは出せない風味。部屋中に煙が充満し、レンジ周りが脂でギトギトになることを覚悟しなければならないのである。
2012年06月16日
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「線香臭いヤツ」などと言う表現がある。この場合の「線香臭い」とは、線香の匂いから連想される「葬式」「仏壇」「墓地」など、一般的な「陰気」なイメージにより、「暗い」「負のオーラを持った」といった意味で使われるのではないだろうか。(「葬式」「仏壇」「墓地」は神聖なものです)今日の私はイメージではなく本当に「線香臭いヤツ」だった。というより「蚊取り線香臭いヤツ」だった。現在住んでいるワンルームは、これからの季節、パソコンのように発熱する電化製品を使っていたり、料理などすると、あっという間に部屋に熱が籠ってしまう。そんな時は、窓を開けると共に、玄関のドアを細く開けて風が通るようにするのだが、いつの間にか蚊が入ってきて、夜中に虫刺されや耳元での蚊の羽音で目が覚めてしまうことがよくある。数日前から、夜、寝る前に蚊取り線香を焚いて寝ていた。昨夜は、今日通勤に着ていくためのYシャツを椅子の上に用意して寝たのだが、このYシャツが蚊取り線香の煙に燻されて、匂いが染み付いてしまっていた。今日は金曜日。一週間の最後の出勤日。Yシャツのローテーション的に最後の一枚で、他のものに代えることができず、蚊取り線香の匂いがするシャツを着て出勤したのだ。外を歩いているときはあまり気にならないのだが、エレベータなどの閉鎖された空間に入ると、自分の服の匂いが気になって仕様がない。今日一日、蚊取り線香の匂いが気になって、憂鬱な気分だった。服にシミがあることに気づいたり、髭の剃り残しに気づくなど、周囲の人はほとんど気づかないことでも、本人が一度気になってしまうと、その日一日がブルーになるものである。
2012年06月15日
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松田聖子が再々婚だって。特にどうでも良いことなのだけれども、出勤前の情報番組を見ていると勝手に入ってくる情報である。「塩谷瞬の二股」とか「中島知子が家賃滞納」とか、全く興味ない情報が朝の情報番組で繰り返し報じられると、否応無しに記憶させられてしまう。もっと有意義な情報があるのではないか思うのだが・・・そして、このテの情報を情報番組では「エンタメ・コーナー」と呼んでいる。「エンタメ」はエンタテインメントを略した日本独自の略語である。私は、10年位前にテレビ東京のニュース番組の仕事をしていた時、まだ耳馴れない「エンタメ」という略語が使われたのにかなり違和感を覚えたものである。ところで、聖子ちゃんの再々婚の相手は大学准教授とのことであるが、専門は口腔外科ということで、歯科医の分野に分類されるものである。二番目のお相手も歯医者さんだったはず。最初のお相手は言わずと知れた神田正輝であるが、現在、土曜の朝ワイドショー「旅サラダ」のMCを務めて、くだらないダジャレを連発している。聖子ちゃんはつくづく「シカイシャ」に縁があるらしい・・・・・って、こんな情報いらないですよね。もっと有意義な情報を・・・
2012年06月14日
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この3月、大学時代のクラブの顧問の先生が、定年で大学を退官された。昨日(2日土曜)、その先生を囲んで大学時代のクラブの仲間50人位が集まった。先生がクラブの顧問をされていたのは10年程だったので、約12~3学年のOBが出席したことになる。私が大学2年のときに前任の先生から引き継がれた先生だったので、先生がクラブを担当されていた学年の中では、私は上から3番目ということになり、出席者は圧倒的に後輩が多かった。実社会では40代後半から50過ぎの年代の2~3歳の差など、誤差の範囲内であり、年齢の上下よりも、人生の経験値や社会的な地位、人間的な厚みの方が重んじられるだろうが、学生時代の上下関係(学年)は何年経っても変わらないようである。10年前にOB会があって、大半のメンバーとは10年ぶりの再会ということになるが、中には30年ぶりという人もいた。しかし、あっという間に学生時代の感覚が甦り、思い出話が止め処もなく溢れてきた。「合宿の時にこんなことがあった」とか「何年の文化祭で誰それがあんなことをした」とか・・・未熟で多感な学生時代、今思えば他愛のないないことに悩んだり、怒ったり・・、今となっては全てが笑い話なのだが・・・ただ、若い頃の恥ずかしい出来事は、今思い出しても恥ずかしいものである。
2012年06月03日
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22日の火曜日、強い風雨に見舞われた後、23日から今日まで清々しい快晴に恵まれた。気温は夏日のボーダーラインである25度に届く日もあったが、湿度が低く過ごし易い晴天である。「さつき晴れ」という言葉が頭に浮かぶ。「さつきばれ」が「五月晴れ」で「ごがつばれ」なら、梅雨入り前の、カラッとし気持ちの良い晴天が正にこれがその気候なのだろう。しかし、「さつき晴れ」が「皐月晴れ」の場合、意味が変わってくる。「皐月」は勿論、五月の昔の呼称であり、五月を皐月と呼んでいた時代の日本の暦は太陰暦(旧暦)である。旧暦の五月は、我々が慣れ親しんでいる太陽暦(新暦)では六月半ば頃になる。これは梅雨のド真ん中であり、「梅雨入り後の晴れ間」が本来の「皐月晴れ」ということになる。日本の伝統文化や昔から使われてきた言葉の言い回しなどを味わう際には、太陽暦と太陰暦のズレは常に意識する必要があるということである。
2012年05月26日
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昨日、小学校時代の同級生7人で恵比寿のスペイン料理店で食事をした。18時半からということだったが、私は仕事の都合で1時間遅れの19時半に恵比寿に駆けつけたのだった。男は私を含めて3人、女性4人というメンバー。小学校を卒業して40年になろうとしているが、何十年ぶりに会ったと言うわけではない。一昨年、母校が創立100周年を迎え、その記念行事の後に学年毎の同窓会のような宴が企画されていて、その折に顔を合わせているメンバーだった。しかし、数十人規模の同窓会では、話題が分散したり、正に何十年ぶりで会う同級生との表面的な近況報告に終始してしまったり、また、私の場合はカメラマンをやっているうちに、話題に入りそびれてしまったり・・その点、7人の食事会では皆で話題を共有でき、濃厚な時間を過ごすことができるのである。この年代になると、1年、2年はあっと言う間。100周年行事から1年半ぶりというのも、丁度良いタイミングだったのかも知れない。
2012年05月23日
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今朝は日本中が東の空を見上げていたのではないだろうか。TV各局のワイドショー番組も各地にレポーターを派遣して、金環日食を中継しようと躍起である。しかし、今朝の東京は曇り。雲の明暗で太陽の居る場所は判るものの、その輪郭は判らない状況だった。7時過ぎからいつものように弁当を作り始めたが、7時半が近づくに連れてTV番組のカウントダウンが気になりはじめ、7時半頃になると窓の外で湧き上がっる歓声に居ても立ってもいられない気持ちになってきた。通り一つ隔てた向こう側は小学校で、雲が薄くなる度に子供たちの歓声が沸きあがるのである。ついに弁当作りを中断して、マンションの屋上に上がってみることにした。7時32分。金環が完成する頃である。屋上に上ると、既に10人ほどの人が日食眼鏡などを手に、東の空を見上げていた。同じマンションの住人である。以前、管理組合の理事でご一緒したことがある方。出勤時刻が同じ時間帯で、週に1,2回、朝のエレベータでお会いする方。中には、今までお目にかかったことのない方もいらっしゃったが、皆同じマンションにお住いの方たちのはず・・・普段は同じマンションに住みながら、ほとんど顔を合わせることのない人たちが、同じ目的で屋上に上り、共通の話題で初めて会話を交わす。厚い雲のせいで、ほんの一瞬、しかも雲を通して金環を見ることができただけだったが、それ以上に新鮮な朝であった。おかげで朝食は食べ損なったが・・・
2012年05月21日
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9日間の大連休だったGWが過ぎて早2週間。今さらのという感じではあるが、黒姫山の往き帰りの長野駅で買った駅弁を載せておこう。往きに長野駅で買ったのは「味噌かつ弁当」。一人で夕方に別荘に到着する予定だったので、初日の夕食は駅弁で済ませようと思って購入したものだった。「味噌かつ弁当」950円(ちくま)長野駅の駅弁は数々食べてきたのだが、この弁当は、今回初めて見かけたものだった。今まで食べたことのない弁当を試してみたくて思わず買ってしまったのだが、色々と疑問の残る駅弁だった。ご飯の上に存在感のあるヒレカツが2個乗っていて、味噌ダレが別容器で添付されている。「味噌カツ」というと名古屋の甘辛い八丁味噌を期待してしまうのだが、この味噌ダレはそうではない。そして、何故だかヒレカツの隙間には鶏そぼろと錦糸玉子。「信州ポークのカツ」というのがウリなら、なんで豚で押さないんだろう・・・また、ご飯の上にカツを乗せるというのにも疑問がある。時間が経ったカツの衣は、ご飯の上でジメッとした感じ。揚げ物の魅力は失われている。味噌ダレが別に添付されていることとも矛盾しているような気がするのである。タレを後から掛けるようにしているのは、衣のサクッとした感じを保つためではないのか?それなら、なぜご飯の上に乗せるのかということである。どうせ衣がブヨブヨになってしまうのなら、いっそ最初から味噌ダレを衣に絡ませて、ご飯にも多少滲みこんでいる方が良いのではないかと思える。ということで、この「味噌かつ弁当」は少々期待外れだった。帰りに長野駅で買ったのは「信濃路 幕の内弁当」。こちらは長野新幹線の中で食べるのためのもの。「信濃路 幕の内弁当」1000円(ちくま)この駅弁、売り場に掲げられていた中身の写真を見て購入しているので、最初から分ってはいたのだが、私の「幕の内」の概念からは外れている。が、美味しそうなので買ってみた・・・この弁当、栗おこわと山菜おこわ、二種類のおこわとバラエティーに富んだおかずが入っていて、ビールを飲みながら美味しくいただいた。ちなみに、私の「幕の内弁当」の概念は、白飯にごま塩がふってあること(できればご飯は小さな俵型に押してあること)なのであるが・・・
2012年05月20日
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ブログ更新をサボって、気がついたら半年近く経っている。これはマズイ。昨日、知人に「最近、ブログ更新されていませんね。お忙しいんですね。」と言われ、ドキリとした。確かに忙しかったり、気持ちに余裕がなかったりと、ブログに思いが向かない時期が続いていた。しかし、そんな半年も放置状態のブログを、それでも気に掛けてくれている人がいることに、嬉しく、ありがたい思いと同時に、いつかは再開しようと思いつつ、先送りにしてきた自分に反省。というこで、半年ぶりのブログは食べ物の話題。GWの5月3~5日、久しぶり黒姫の別荘に行ったおりに、地元・信濃町の酒蔵「松尾」の純米酒と酒粕を買ってきた。 その酒粕を使って、塩鮭を粕漬けにしてみた。酒粕を酒とミリンで柔らかく延ばし、マヨネーズぐらいの柔らかさにする。(酒粕の固さによって加える酒・ミリンの割合は適当に)これに味噌を加えて練ったものを、塩鮭の切り身の表面に均等に塗って、ラップに包んで冷蔵庫で寝かせる。鮭の切り身の厚さにもよるが、2日目ぐらいが程よい漬かり具合になる。表面の酒粕を洗い流し、魚焼きグリルで焼いたら出来上がり。先週は鮭の切り身の代わりに鶏肉でも試したが、鶏肉もなかなか美味しく仕上がった。この鮭や鶏肉の粕漬け、実は一昨年の秋、黒姫に行った帰りに長野駅で買った期間限定の駅弁に入っていた料理であった。いつか自分でも作ってみようと思っていたのである。長野の駅弁紹介 2010年11月08日
2012年05月20日
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気がつけば12月。今年もあと3週間である。そんな12月10日の今日、月は満月。そして皆既月食である。昨日、知り合いから教えてもらった。夕方見たときは真ん丸だった月だが、「妖怪人間ベム」を見終わった10時過ぎにベランダに出てみると、左下が見事に欠けた月食を見ることができた。昨日は冷たい雨が降っていたが、今日は明るい月が夜空に浮かんでいる。2~3分、ぼけーっと月を眺めていた。寒いので一旦部屋に戻る。10時半、もう一度夜空を見上げると、月の左側半分以上が欠けている。10時55分、月の右側がわずかに見えるだけになっていた。11時5分、月はほぼ完全に地球の影に入ったようで、薄っすらと暗いオレンジ色の影が見えるだけになった。満月の光を失った夜空には、月の南側にくっきりとオリオン座が分る。11時半、ついにオレンジ色の光も失った月。かすかな影だけ分る程度になった。こんなにはっきりと皆既月食を見たのは初めて。なんだかちょっと得した気持ちになれた。
2011年12月10日
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昨日夕方から降り始めた雨は、今日の午前中まで降り続いた。昼過ぎに窓の外を見ると、どうやら雨はあがったようで、どんよりとした曇り空。土曜日とはいえ、こんな日なら北の丸公園は人影も少ないのではないだろうか。そんな期待を抱きながら、北の丸公園に出かけてみた。人気の少ない公園で気分転換をしたい心持だったのだ。10月も後半となれば暦の上では十分晩秋のはずだが、上着を羽織って歩きだすと、若干汗ばむ気候である。昨夜来の雨のせいで、湿度も高いのだろう。北の丸公園・田安門あたりまで来ると、期待に反して結構な賑わいだった。どうやら、今夜、武道館で倉木麻衣のコンサートがあるようで、武道館前には日中からグッズ販売やファンクラブ入会受付のテントが並んでいるのだ。倉木麻衣ファンの密集する武道館前を抜けて、芝生の広場の方に行くと、さすがにこちらは人影がほとんどなく、空模様と相まって、物悲しい秋の風情。 芝生の広場から清水門方面に向かう途中に、昨年から今年前半にかけて工事をしていた場所があったが、いつの間にかそこに天気観測の設備が出来上がっていた。そういえば、桜に囲まれた吉田茂像は何度も写真に納めたが、紅葉をバックにした吉田茂は初めてだ。
2011年10月22日
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今日は連休明けの月曜日。そして「彼岸の明け」である。一昨日、昨日辺りから、先週までの暑さが嘘のような涼しい気候になっていて、今日などは半袖では過ごせないような気温である。「暑さ寒さも彼岸まで」昔の人は上手く言ったものである。「お彼岸」は仏教の言葉で、煩悩に満ちた現世「此岸(しがん)」(こちらの岸)に対し、悟りの境地、或いは極楽浄土を「彼岸」(向こう岸)と言う。インド、ネパールから中国を経て日本に伝わり、その後日本独自の変化を遂げた仏教であるが、この「お彼岸」の風習は日本独自のものらしい。「お彼岸」は春分、秋分を中心とした前後3日間づつの計7日間を指し、春分、秋分を「彼岸の中日」という。「お彼岸の中日」には「極楽浄土」に思いを馳せ、先祖を敬うという仏教の風習である。日本では極楽浄土(彼岸)は西方にあるとされていて(おそらく、仏教がインドから伝来したことに由来するのだろう)、太陽が真西に沈む春分、秋分が「お彼岸」の風習になったようだ。春分、秋分は二十四節気の基準ともいえる日であり、「お彼岸」は旧暦の名残りを留める風習と言える。ちなみに、「お彼岸」のお供え物と言えば「おはぎ」。蒸したもち米を団子状にまるめ、餡子でコーティングした和菓子であるが、「おはぎ」と呼ぶのは秋のお彼岸。春のお彼岸では同じ和菓子を「ぼた餅」と呼ぶのが正しい。「ぼた餅」は「牡丹餅」と書き、春の花「牡丹」から名づけられているのに対し、「おはぎ」は秋の花「萩」に由来しているのである。(和菓子職人を主人公にしたコミック「あんどーなつ」の第2巻で説明されていた)
2011年09月26日
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朝日新聞に「しつもん!ドラえもん」というコーナーがあるらしい。私はどの新聞も取っていないので、実際に読んだことはないのだが、TVで流されている朝日新聞のCMで「8月1日という意味の果物がある・・・」答えは「はっさく(八朔)」というものを見て、ふと気になった。「朔」の意味。この字は、地球から見て太陽と月が同じ方角にあることを意味する。このときの月がいわゆる「新月」であり、「朔月」(さくげつ)である。月の満ち欠けの周期を一ヶ月とした太陰暦では、朔月を含む日を一ヶ月の最初の日、「ついたち」とする。「朔日」あるいは「朔」一文字で「ついたち」と読むのである。(残念ながら私のパソコンでは「ついたち」と入力して変換しても「一日」しか出てこない。)ところで、日本語、特に漢字の読み方の難しいところは、色々と例外があるところである。その代表的なものが日付の表現。一日(ついたち)二日(ふつか) [ふた(つ)・か -> ふつか]三日(みっか) [みっ(つ)・か -> みっか]四日(よっか) [よっ(つ)・か -> よっか]五日(いつか) [いつ(つ)・か -> いつか]六日(むいか) [むっ(つ)・か -> むいか]七日(なのか) [なな(つ)・か -> なのか]八日(ようか) [やっ(つ)・か -> ようか]九日(ここのか) [ここの(つ)・か -> ここのか]十日(とおか) 「日」という漢字が「か」という読み方をするのは日付として読むときだけのような気がする。(他にもあるのかもしれないが・・)数字と「日」という漢字の組み合わせで上記のように読むのは、かなり例外的だと思われるが、中でも「一日」を「ついたち」と読むのは、例外中の例外ではないだろうか。「ついたち」という言葉は、元々は「つきたち(月立ち)」、月が現れる日、太陰暦の一ヶ月の始まりということだったようで、「一日」という漢字の一般的な読み方とはかけ離れたものになっている。ちなみに、一ヶ月の最後の日を「晦日」と書き、「みそか」あるいは「つごもり」と読む。現在でも12月31日(一年の最終月の最終日)を「大晦日(おおみそか)」と呼ぶことは一般的であるが、毎月の月末の日を「晦日」と表現する人は非常に少なくなったと思う。この「みそか」という読み方であるが、これは「三(み)」「十(そ)」「日(か)」、「三十日」という日付の呼び方そのものであり、太陰暦の一ヶ月=30日(小の月は29日)に由来している。また、「つごもり」という読み方は「つきごもり(月隠り)」が転じたもので、月が隠れることを意味する言葉だそうである。結局のところ、我々が何気なく使い、常識だと思っている日付に関する言葉は、随所に旧暦の名残りを留めており、旧暦(太陰太陽暦)の意味を知らない人でも、それに由来した言葉を使っているのである。
2011年09月25日
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一昨日、十五夜をテーマとした話題から旧暦(太陰暦)に言及したが、現在の西洋暦以前の日本の暦(旧暦)は中国から伝来した太陰暦と二十四節気に依存しており、江戸時代初期に確立したとされている。そんな数百年の歴史を持った日本の文化の一部とも言える「二十四節気」について、日本気象協会なる財団法人は「日本版二十四節気~新しい季節の言葉」に取り組み、2012年秋を目途に提案するとしているらしいことを、今日、知人から聞いて知った。同協会の2010年第3回理事会で決めたことらしいが、これを協会のHPで公表したのは今年4月の上旬。その理由として協会のHPでは「二十四節気は古代中国で成立したため、地域や時代などの違いから日本の季節感と合致しないところがあり、現代の日本にはなじみの薄い節気の呼称があります。例えば「小満」や「芒種」は、多くの日本人にとって日常生活で使う言葉ではなくなっています。」としている。が、そもそも西洋暦が一般的となっている現代において「二十四節気」というもの自体が日本人にとって日常生活にそれほど浸透しているものではない。むしろ、日本の文化(江戸時代の文化)の一部として残っているものであり、江戸時代の人々はこのようにして季節や暦を認識していたのだという、歴史的、文化的な意味の方が重要だと思うのである。これを現代の言葉に置き換えることになんの意味があるのだろうか?少なくとも二十四節気の基準となっている「二至二分」(夏至・冬至・春分・秋分)は太陽と地球の位置関係に基づく大前提であり、「春分」「秋分」にいたっては祝日の名称として現代のカレンダーでも定着している呼称である。これらは他の言葉に置き換える余地のないものだと考える。また、この「二至二分」から派生する「立春」「立夏」「立秋」「立冬」についても、春夏秋冬を分ける「節分」という風習が現代に受け継がれているわけだから、他に置き換えるべきではないと考える。では、その他の十六の節気はどうかというと、現代のカレンダー(西洋暦)のイベントとリンクするものではなく、もっぱら旧暦を意識する過程で必要となる区切りだと考える。閏月とは何なのかということに興味もない人には、無縁のものと言える。TVニュースの天気予報コーナーなどで、お天気キャスターが「今日は二十四節気の小寒です。小寒とは云々・・」などと説明していることがあるが、二十四節気が何なのかを知らない人にとっては「小寒」もどうでも良いことではないだろうか。単にキャスター側の都合で、日々の話題の素材として、場繋ぎ的に持ち出しているだけのように思える。逆に言うと、閏月とか旧暦を含め、江戸時代以前の歴史的日付、暦に思いを馳せる者にとっては、その時代に使われていた各節気の呼び名にこそ意味があり、それを現代の言葉で言い換えることには何の意味も無いと思えるのである。日本気象協会なる財団法人が無駄に金を浪費する事業としか思えないのは私だけだろうか?
2011年09月14日
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最近、ふと気になったキーワードが「むむまっふぁ」。TVで流れている車(パッソ)のCMで仲里依紗が言っているあれである。車の中で彼氏とのシチュエーションを妄想し、一人芝居をする仲里依紗「なー 里依紗、あれやってくれよ」「えー、あれはちょっとー」「いいだろー、むむまっふぁぐらい・・・」そこに森三中の三人が 「むむまっふぁって?」「な~に?」というCMである。これは沖縄(宮古島)の方言で「太もも」のことを「むむに」、「枕」のことを「まっふぁ」と言うらしい。これを繋げた「むむまっふぁ」は、いわゆる「ひざ枕」のこと。「むむまっふぁ」と言われると、なんとなく淫靡な響きで、ワクワクしてしまう・・・
2011年09月13日
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今日は満月。中秋の名月、十五夜である。中秋の名月、十五夜の月が本当の満月であることは実は珍しいことのようで、2005年以来、6年ぶりのことである。ちなみに、昨年(2010年)の十五夜は9月22日だが、満月は23日だった。「中秋の名月」とは、旧暦八月十五日の月のことであり、限りなく満月に近いが、必ずしも満月ではないのだ・・・・ということをあらためて知った。(「中秋の名月」とは9月の満月だと思っていた・・・)旧暦(太陰暦)では新月(朔月)の日を月の最初の日、一日(ついたち)とし、次の新月の前日までが1ヶ月である。月の朔望周期(新月から満月を経て再び新月になる周期)は約29.53日なので、1ヶ月はほぼ30日ということになる。従って、毎月15日という日が1ヶ月のほぼ中間となるわけだが、厳密には15日と16日の境目あたりが新月から新月まで中間となり、実際の満月(望月)は16日になることが多いというわけである。(月の公転軌道が楕円であるため、稀に17日になることもあるようだ)また、旧暦では一、二、三月が春、四、五、六月が夏、七、八、九月が秋、十、十一、十二月が冬であり、「中秋」とは「秋の真ん中」、八月十五日を指す。「中秋の月」とは旧暦八月十五日(十五夜)の月ということになるわけだ。この歳になって、十五夜が満月とは限らない(満月でないことの方が多い)ということの意味を知った・・・人生、いくつになっても勉強ということである。といった難しいことはさておいて、今夜の満月は明るくきれいだった・・・
2011年09月12日
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アメリカが911同時多発テロの首謀者とされているアルカイダの指導者・ウサマ・ビンラディンを殺害したという報道が流れた。パキスタンの首都イスラマバードの近郊でのことだという。オバマ大統領は「正義が達成された」という声明を発表、NY市民は戦争に勝利したような歓喜の表情を見せている。しかし、これは本当に合法なのだろうか?911同時多発テロの被害者の心情を考えれば、その首謀者は「殺害されて当然」ということになるのだろうが、少なくとも911テロは国家間の戦争ではなく「犯罪」だということを見誤ってはいけない。「犯罪」を「国家間の戦争」にすり替えたのは当時のアメリカ政府・ブッシュ大統領なのである。テロ組織「アルカイダ」を匿ったとして、タリバン政権のアフガニスタンに戦争を仕掛け、更に、結局はアルカイダと無関係だったフセイン政権のイラクにも戦争を仕掛けた。そして、今回、アメリカ人(軍)はパキスタンという自国外で犯罪の容疑者を殺害した。犯罪の容疑者は裁判で有罪が確定するまでは、あくまでも「犯罪の疑いがある人物」のはずである。しかも、それがアメリカ国内ではなくパキスタンであれば、アメリカはパキスタン政府に対して身柄の獲捕とアメリカへの送還を要請し、アメリカに送還された後に裁判を経て処罰するのが法に則った対応ではないのか?自国外で有罪が確定してもいない人物を殺害する行為は、単なる「殺人」ではないのか?それがアメリカの軍事作戦であれば、アメリカ軍の最高責任者であるオバマ大統領自身が「殺人」の首謀者ということになるのではないだろうか。これがアメリカ人の言う「正義」なのか??
2011年05月02日
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快晴に恵まれ、ちょっと歩くと若干汗ばむほど気候となった今日、東京の桜はほぼ満開となっていた。北の丸公園の日本武道館ではどこかの小学校の入学式が執り行われるらしく、朝、九段下駅から田安門にかけてはそれらしい身なりをした親子連れでたいそうな混雑ぶりだった。桜満開の北の丸公園での入学式は、さぞ強いイメージで子どもの記憶に残るのではないだろうか。例年より4~5日遅い満開は、入学シーズンにはドンピシャだったようだ。そんな北の丸公園の桜はこんな感じ・・・ 田安門の外の品川弥二郎像は桜の絨毯の上を歩いているようである。東京スカイツリーが634メートルの高さまで到達したとニュースも伝えられたが、東京タワーも桜の季節には存在感を失わない。青空と桜に映えるのは、やはり東京タワーの方ではないだろうか。タワーのてっぺんをよく見ると、地震の影響で曲がってしまったアンテナが確認できる。
2011年04月07日
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巨大地震や巨大津波が日本を襲い、原子力発電所が大事故を起こそうとも、季節は廻る。桜は咲いて春の訪れを告げている。今年も北の丸公園・千鳥が淵の桜は美しく咲き誇っている。桜をダシに、お酒を呑んでバカ騒ぎをするような浮かれポンチの「花見」はご遠慮願いたいが、全て「自粛」で日本中が沈んでいる場合ではない。静かに、しかし誇らしげに咲きそろった桜は、そんなふうに励ましてくれているように思えるのである。昨日、今日と温かい日が続いた4月5日、東京の桜は一気に咲き進み、七部咲き程度。この分なら明日か明後日には満開となるだろう。北の丸公園、日本武道館側の入り口「田安門」の桜。 北の丸公園、千鳥が淵側の石垣の上から。 北の丸公園内の美しい桜の風景を皆さんにお届けし、元気になってもらいたい。 千鳥が淵緑道から情景。 そして、田園調布「桜坂」は・・・
2011年04月05日
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311の大震災以来、日本中が自粛ムードに包まれている。東京の名だたる桜の名所も、例年行っていた夜桜のライトアップを今年は中止。まあ、電力供給が逼迫した状態だから、夜桜ライトアップの中止はいたしかたないとは思うが、昼間の花見を自粛する必要はないと思うのである。というわけで、呑み仲間達と毎年恒例の葛西臨海公園でのお花見。今年は開花時期が例年より一週間ほど遅かったので、今日の時点で三部咲き程度。お花見をするとすれば、この週末(2日、3日)か来週末(9日、10日)ということになろうが、それにしては今日の葛西臨海公園は閑散とした感じである。(これも震災による自粛ということか)快晴とはいかなかったが、天気も気温も丁度良いお花見日和。参加者が銘々、料理やお酒を持ち寄るの我々のお花見のルール。ダイソーで買ってきた赤いフェルトを緋毛氈の代わりに敷いて、その上に料理を並べてみた。私が持参したのは、「筍と春の野菜の炊き合わせ」(左)、「レンコンと牛肉のピリ辛煮(ゆず風味)」(右)、豚の角煮の煮汁で炊き込んだ茶飯のおにぎり、福島の酒「大七 純米」。東日本大地震で被災した地域を応援する意味で、東北地方の食材やお酒を持ち寄ろうということになっていた。 「筍と春の野菜の炊き合わせ」は、筍、蕗、アスパラ、菜の花、にんじん、高野豆腐をやや甘め出汁で炊いたもの。「レンコンと牛肉のピリ辛煮(ゆず風味)」は、牛肉、とレンコンを砂糖、酒、みりん、醤油、鷹の爪でやや濃い目の味付けにし、ゆずの皮で風味付け。ちなみに、我々のお花見ルールは、1.各自がお酒や料理を持ち寄る。2.使い捨ての食器(紙皿、紙コップ等)は使わない。各自がコップや皿を持参すること。3.ブルーシートは使わない。各自がレジャーシートを持参し、人数相応のスペースにシートを敷く。我々のお花見は、会費などはなく、皆が自慢の料理やお奨めの酒を持参するというスタイルである。事前に持って行くお酒や料理を考えるところからお花見が始まっているのである。二つ目の「使い捨ての食器を使わない」というのには、ゴミの軽減ということは勿論であるが、その他にも二つの理由がある。料理や飲み物は器で味わう部分もある。紙皿、紙コップでは折角の料理やお酒が味気ないものになる。さらに、アウトドアでの食事には、風で簡単に飛ばされる紙皿、紙コップは本来不向きなのである。キャンプなど、アウトドア遊びをしている仲間なので、その辺り皆心得たものである。三つ目の「ブルーシートは使わない」にも理由がある。昨今、ある程度の規模(人数)のお花見では、ほとんどのグループが安価で丈夫で面積が確保できるブルーシートを使っている。お花見が終われば、そのまま捨てて帰っても惜しくない値段(10人ぐらいのグループで頭割りすれば一人当り50円ぐらいだろうか)だから、いちいちたたんで持ち帰ったりしない連中が多い。勿論、ちゃんと持ち帰れば何度でも使えるわけだが、一度広げたブルーシートを綺麗にたたむのは結構手間がかかる。さらに、地面に敷いたブルーシートは下の面には泥や草が付着しているし、上の面もこぼしてしまったお酒や料理の汁などでかなり汚れているので、持って帰った人がきちんと掃除しないと次回また使おうという気にならない。面積が広いだけにこれがかなり面倒なのである。お手軽にお花見しようという連中には、ブルーシートは使い捨てアイテムの一つなのだろう。ブルーシートを使わず、銘銘が自分の分のシートを持参するというのは、ゴミの軽減、或いは、誰か一人に苦労を押し付けないということなのである。また、このブルーシート、元々は工事現場などで資材を雨から守るために使われたりしていたもの。あの青いシートを見ると、どうしても工事現場を連想してしまう。年に一度の美しい桜の風情をブルーシートがぶち壊していると思うのである。夜の花見のために朝から広大なブルーシートで場所だけ確保しているなどというのは、私からしたら以ての外である。できればゴザと緋毛氈を敷いてお花見したいものであるが、そこまでは無理なので、今回は赤いフェルト生地を部分的に敷いて雰囲気を出してみた。アウトドアの遊びは、安易な「お手軽」ではなく、スマートに楽しみたいものである。
2011年04月02日
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飯田橋駅の南側に2~3年前にできたスーパー。開店当初から気になっていたことがある。缶詰、瓶詰食品の商品棚の端っこの商品。輸入物のとある瓶詰食品の棚に「サワークラフト ¥・・・」と商品名と値段が書かれた札がつけられている。オープン当初からず~~っと。「サワークラフト」って・・・「ザワークラウト」(Sauerkraut)なんですけど・・・ドイツの漬物。刻んだキャベツを塩漬けにして乳酸醗酵させたもの。ドイツ料理の店でソーセージを頼むと、付け合せとしてお皿に盛られている、あの酸っぱいキャベツのピクルスである。先日そのスーパーに行ったときに、たまたま、その付近の商品棚に商品を補充している店員がいたので、「これってサワークラフトじゃなくて、ザワークラウトですよね」といってみると、店員は「あっ、そうですね。本部のマスターデータが間違っているんだと思います」という。この人、本当にザワークラウトという食品のことを知っているのだろうか?と思わせる反応だった。(缶詰、瓶詰の商品の補充をしていたのだから、乾物類が担当の店員だと思われるのだが)今日、またその棚の前を通ると、「サワークラフト」と書かれている札の「サ」の部分に手書きで濁点が書き足されていた。が「クラフト」は相変わらず「クラフト」のまま。やはり、あいつ「ザワークラウト」知らないな!
2011年04月01日
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28日の「桜開花宣言」を受け、昨日は再び桜坂に行ってみた。桜の見ごろにはもう少し日にちがかかりそうだが、咲いている花がちらほら見られた。まだ一部咲きといったところだろうか。今後一週間の陽気(気温)にも左右されると思うが、4月7~8日頃が満開になるのではないだろうか。 今週の土曜日(4月2日)はいつもの呑み仲間のお花見。毎年恒例の葛西臨海公園である。今週末だと三~四部咲き程度だろうか・・・Message for you
2011年03月31日
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週末の寒さとはうって変わって、週明けの今日はポカポカ陽気。そんな気候のせいか、東京では今日、桜の開花が宣言された。靖国神社の標本木に数輪の花が咲いたということである。昨年より6日遅い開花宣言である。その標本木の「数輪の花」がこちら。ちなみに、東京の開花の基準となる「標本木」は能楽堂の横にあります。
2011年03月28日
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今日は冷たい風が吹き荒れる寒い日だった。11日の東関東大震災から2週間が過ぎたが、福島第一原発の状況は一向に収束の様子が見られないのが不安である。被災された方々の避難所生活も、こんな寒い日には一層辛いものあるだろう。3月もあと一週間を切っているというのに、東京に桜の便りはまだ届かない。今日、東京のソメイヨシノの開花の基準である靖国神社の標本木を見に行ってみたが、まだこんな状況。2006年から昨年2010年までの東京の開花日は2006年 : 3月21日2007年 : 3月20日2008年 : 3月22日2009年 : 3月21日2010年 : 3月22日と、ほぼ春分の日頃になっているのだが・・・。千代田区九段の靖国神社の後、大田区の桜坂にも足を延ばしてみたが、こちらもまだ蕾の状態だった。桜橋から一番近い枝が剪定されていたのが寂しかった。
2011年03月26日
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昨日は政府発表の「東京電力管内で予測できない大規模停電が起こる可能性」のおかげで、16時過ぎには仕事を終えることになった。夕方5時には飯田橋に着き、その足でスーパーを覗いてみると、この時間ならそこそこ商品はあるようだ。三日ぶりにスーパーで食材を購入。アスパラ、オクラなどの野菜と、冷凍のお弁当用ハンバーグを買った。今日のお弁当は・海苔ご飯・ミニハンバーグ(アスパラ添え)・オクラの胡麻和え・高野豆腐・こんにゃく煮・きゃら蕗・小茄子のからし漬け(海苔を乗せた上からご飯の型押しをすると、海苔が破けちゃうのね)
2011年03月18日
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一昨日に続き、昨夜のスーパーも商品棚はガラガラの状態だった。家に残っている食材で何が作れるだろうか・・・というところだ。で、今日のお弁当は・鶏そぼろの麻婆豆腐・出汁巻き玉子・ほうれん草の胡麻和え・こんにゃく煮・ごぼう煮・きゃら蕗・小茄子のからし漬け以前、鶏ひき肉で作ったそぼろ(残った分を冷凍しておいた)をお湯でのばし、豆板醤を加える。これに、賽の目に切ったて塩茹でした豆腐を投入。みじん切りにしたネギを加えて、片栗粉で強めにトロミをつけたら、ごま油で香り付けして出来上がり。ほうれん草も、以前に余ったものを、茹でてから小分けに冷凍しておいたものがあったので、これを解凍して胡麻和えに。
2011年03月17日
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福島第一原発はどうなってしまうのだろう・・・当初1号機だけが問題だったものが3号機にもトラブル発生。更に2号機で爆発。続いて、元々運転していなかったはずの4号機までが爆発事故。地震直後からトラブル発生していた1号機、3号機については、ある意味不測の事態といって言い訳できるだろうが、震災直後、問題がなかったはずの2号機、4号機に関しては、東京電力の発表は俄かに信じ難いものがある。想定された事態だったが、対応が間に合わなかったということであれば、対応の不手際は責められるべきであるが、まだ救いはある。しかし、これが全て想定外の事態だということであれば、そもそも東電の想定が甘すぎると言わざるを得ない、致命的な問題である。そして、それぞれの爆発事故で作業員の負傷者を出しているということは、想定していない事故であることを物語っている。(想定した事態であれば、対処が間に合わなくとも、作業員の避難は可能だと考えられる)このような東電に、原発という極めて危険な施設を運営する資格は無いと思えるのだ。また、15日の菅総理の会見を聞いて、嘆かわしい気持ちになった。彼は「放射能」とな何なのかを全く理解していない。(或いは、大きな誤解をしている)「東京でも放射能の濃度が濃くなっている・・」という発言である。そもそも「放射能」とは放射線を放出する能力のことで、「放射能」という物質は無い。東京(新宿)で観測されたの放射線量であり、「放射能の濃度」などではない。「放射能」とは能力を現す言葉であるわけだから、「放射能の濃度が濃くなっている」という表現は、例えば「英語力の濃度が濃くなっている」と言っているようなもので、日本語として全く意味不明である。こんな意味不明な発表をすることが国民の混乱を一層増していると思うのである。
2011年03月16日
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昨日の夜、近所のスーパーに朝食や弁当の食材を買いに行って驚いた。生鮮食品の棚が軒並み空っぽなのだ。野菜コーナーは根菜類が何種類か残っているだけで、葉物系はほとんどない。鮮魚、精肉コーナーは本当に商品が一切無い状態。加工食材コーナーもハム、ソーセージ、シュウマイ、餃子といった商品がほとんど売り切れている。食材の調達は諦めて、ストックしてある材料で弁当のおかずを考えることにした。卵と冷凍食品の鶏つくねは冷蔵庫にある。常備菜として5日ほど前に煮た、こんにゃくとごぼう、そして牛肉のしぐれ煮がある。乾物系のストックとしては、高野豆腐と乾燥ひじきが使えそうだ。そんなわけで、今日のお弁当は家にストックしてあった食材だけで作ったもの。・ひじきの炊き込みご飯・鶏つくね団子(しし唐添え)・牛肉のしぐれ煮・ひじき入り出汁巻き玉子・高野豆腐・こんにゃく煮・ごぼう煮・小茄子のからし漬け、生姜の味噌漬けしし唐と絹さやのおかげで緑の色味を加えた盛り付けができた。
2011年03月16日
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今日のお弁当は・茶飯(角煮の煮汁の味付けご飯)・煮玉子(筍煮、ささがきごぼう、しし唐)・こんにゃく煮・ごぼう煮・青梗菜の中華風おひたし・アスパラ・プチトマト・小茄子のからし漬け、生姜の味噌漬け大量に作ってしまった豚の角煮は、三日間食べ続けたがまだ三分の一ほど残っている。さすがにもう食傷気味なので、残りは冷凍することにして、その煮汁を使った料理を何品か。角煮の煮汁で味付けた茶飯。きざみ海苔と絹さやを添えて。煮玉子、筍、ささがきごぼう、しし唐もすべて角煮の煮汁で煮込んだもの。青梗菜の中華風おひたしは、さっと茹でた青梗菜を醤油とごま油で和えて白ごまを混ぜた。
2011年03月15日
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「計画停電」超巨大地震で、福島第一、第二原発が計7基停止、その他にも5箇所の火力発電所で9基の発電機は停止している東京電力である。(13日15時時点)月曜日から再開される首都圏を中心とする経済産業活動に対して、電力供給量が大幅に不足することは致しかたないと思われる。そんな電力不足で、不測の停電とならないように、地域と時間帯を決めて順番に意図的に電力供給をストップする。これを「輪番停電」と呼ぶらしい。止むを得ない措置だと思う。地震から二日半という短い期間の中で、原発の大きなトラブルへの対応が最優先課題であったこともあるだろう。しかしだ。それにしても、昨夜から今朝にかけての「停電」に関する情報の混乱ぶりはひどすぎる。今朝の通勤時間帯、鉄道各社は、運休となるところがあったり、区間を限定して運行する路線、運転間隔を広げて運行する路線、大混乱となっていた。その駅や社内でのアナウンスに必ず出てくるフレーズが「計画停電のため・・」であった。この「計画停電」という言葉に大きな違和感と苛立ちを感じたのは私だけだろうか?全然「計画的」に行われていないではないか!「計画停電」というのは「不測の停電ではなく意図的な停電だ」というだけで、とてもまともな計画が立てられているとは思えない。東京電力のHPを見ると、「本日(3月14日)の当社サービスエリアの計画停電につきまして」という記事の「ご注意事項」として「当日の需給状況によっては、予めお知らせした時間以外にも停電する場合があります。」「当日の設備状況によっては、お知らせしたグループと違う時間帯に停電させていただく場合があります。」繰り返すが、もともとの原因が未曾有の超巨大地震である。予測不能な事が多々あることは仕方ないと思う。目の前の事態に対応することで精一杯。まともな計画など立てる余裕がない。それも許容しよう。だからこそ「計画停電」などという言葉が神経を逆撫でするのである。
2011年03月14日
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今日(未明)開催されるはずだった某イベントの差し入れのために、一昨日の夜から仕込みをしていた料理。昨日発生した大地震の影響でイベントが中止となり、困ったことになってしまった。十数人分のお弁当の食材。どうすれば良いのだろう・・・ちなみに、こんなお弁当になるはずでした。<<豚の角煮丼>>メインのおかずは「豚の角煮」。(私の得意料理です)角煮を煮込んだ汁で味付けした炊き込みご飯に刻み海苔を敷き、その上に豚の角煮、青梗菜、にんじん、ごぼう、うずらの卵、玉こんにゃくなどを盛り付けたもの。青梗菜と絹さやはさっと湯通し。にんじん、ささがきごぼう、うずらの卵は角煮の汁で味付け。玉こんにゃくは鰹だしの醤油味が中の中までしみこむように煮込んだもの。味のアクセント(香の物)に味噌漬け生姜を添えた一品です。
2011年03月12日
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一昨日の地震などとは比べ物にならない地震が発生した。今日11日は15時に仕事を上がらせていただき、税務署に確定申告に行く予定でいた。予定退社時刻の15分前、一緒に作業しているお客様の責任者に、私の担当部分の説明をして、私が帰った後の作業のお願いをしているときに地震が発生した。茅場町のオフィスビルの6階、50年間生きてきて初めて体験する激しい地震の揺れ。しかも、これも今までに経験したことのない揺れの時間の長さだ。食器棚からはコーヒーカップが床に落ちて砕け散り、オフィス内の机やコピー機の位置が変わるほどの揺れ。1分以上も続いたのではなかと思われる揺れがおさまり業務に戻ったが、気が付けば退社予定の15時である。確定申告は蒲田の税務署に行かなければならない。交通機関が麻痺していることは想像に難くないが、取り敢えず地下鉄茅場町駅に向かってみる。途中、大きな余震があり、周りのビルが大きく揺らいでいる光景を目の当たりした。案の定、東京メトロは全線運行見合わせ。東京駅まで歩けば何らかの交通手段があるかも知れないし、途中でタクシーが捉ればそれでも良い。そんな思いで日本橋、昭和通りと歩きだすが、東京駅に近づくにつれて増えていく歩道に溢れる人の数に、絶望的な気分になってきた。税務署の受付時間内に蒲田まで行くなどということはとても無理そうだ。東京駅八重洲中央口方面に曲がる交差点を渡ろうとしたときに、見覚えのある後姿を見かけた。飲み友達、遊び友達のM川さんだ。全くの偶然である。丁度信号が赤になり、お互いに信号待ちとなったので、後ろから近寄って肩をたたくと、振り向いたM川さんもビックリしていた。二人して八重洲口まで行ってみるが、やはり鉄道は全て止まっている。タクシー乗り場やバス停には長蛇の列。そもそもバスやタクシーが来る保証も無い。蒲田に向かうことは諦め、M川さんと二人で飯田橋まで歩くことを決めた。時刻は15時45分。大手町から内堀通り-白山通り-靖国通りと歩いて九段下へ。九段下交差点にはおびただしい数の緊急車両(救急車)が集結していて、何か大きな事故があったようだ。(後で九段会館の壁面崩落だと分った)飯田橋駅に着いたのが17時前。通常であれば40分ぐらいで歩ける大手町-飯田橋間だが、今日は人ごみのせいで1時間以上かかってしまった。飯田橋に着いてもJRも地下鉄も動いていない。私は飯田橋まで帰れば良いのだが、M川さんは阿佐ヶ谷。コーヒーショップにでも入って一息つきながら情報を確認しようと思ったが、どの店も満席で、待ち行列ができているありさま。脇道に入って開いている店を探すと、大きなTVモニタを点けているスポーツバーが開いていた。大画面で流されている報道を見て、事態の深刻さに愕然とした。八戸の町並みが、今まさに大津波に呑み込まれていく光景が映し出されている。そんな映像を見ながらも、何度も余震の揺れが伝わってくる。歩いている間はあまり気づかなかったが、店に腰を落ち着けると、断続的な余震が肌で感じられる。画面に流れるテロップで、交通機関の復旧の目処がたっていないことも分り、M川さんには私の自転車をお貸しして帰宅されることを提案した。私のマンションでM川さんに自転車をお貸しし、M川さんと別れたのが17時半ごろ。自室に戻ると、床一面に色々なものが散乱しているものの、幸いなことに倒れた家具は無かった。ただ、冷蔵庫やパソコンラックなど、重たい家具類の位置がかなり移動していることに驚いた。東京駅近くで、奇跡的ともいえる偶然でM川さんと会い、行動を共にすることができたので、不安や苛立ちを覚えずにこの状況に対応できた。なんと幸運なことだろう・・・
2011年03月11日
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昨日(9日)のお昼ごろ、宮城県を震源とする地震があった。東京(中央区)のオフィスビルで仕事中だった私も、かなりの揺れを感じたのだから、震源周辺ではそうとうな規模の地震だったことが想像できる。ところで、その地震とは全く関係なく、昨夜、私のネグラである千代田区のごく狭い範囲で停電があった。東京電力の予定の工事によるもので、事前(2週間ほど前)に郵便受けに通知のチラシが入っていた。通知の内容は「10日午前1時から5時の間停電します」というものだったが、昨今の電気工事の技術であれば、予備の系統を用意し、系統を切り替える間の数分間停電し、工事終了時にもう一度系統復元のための停電がある程度のことだろうとタカを括っていた。また、いくら深夜だからといって「1時から5時」の4時間というのは、かなり余裕を見ての通知だと思っていた。そんなわけで、特に停電に向けての準備をするでもなく、いつものように10時半ごろからTVの「報道ステーション」を流しながらパソコンに向かっていた。いつしかTVの番組は「 シルシルミシル」に替わり、さらに時間が過ぎていたが、私は気にも留めずにパソコンに向かい続けていた。9日の深夜12時を回り、10日になって1時間、まさにきっかりの時刻に、パソコンの画面、部屋中の照明、テレビ、エアコンが一斉に切れた。部屋の中が真っ暗闇と、静寂に包まれた。手探りで身近なところにあるライターを探し、ライターの火を頼りに玄関脇の棚にしまっておいたはずのローソクを探しにいく。ローソクに火を燈すと、真っ暗闇からは解放されたが、まだ部屋の中を移動するには不便な暗さだ。続いて、ペンライトがどこかにしまってあったはずだと思い出し、工具類を入れてある引き出しからペンライトを探し出す。しばらく使わずに放ったらかしだったので、電池が頼りなげだが、暗がりの中ではそんな頼りない光でもありがたい。ペンライトの先端のカバーを取り外し、小さな豆電球をむき出しにして、天井から吊るすと、部屋全体の様子ががぼんやりわかるようになった。さらに、自転車用のライト(自転車に乗らないときは取り外してある)を探して点けてみる。こちらはLEDライトで光量は十分なのだが、照射範囲が極めて狭い。移動するときに足元を照らす用だな。灯りを確保したことでなんとなく安心し、椅子に落ち着いてタバコを一服。いつも就寝時には部屋の明かりを消すのだが、それでもデジタル時計のLEDやDVDデッキのモニタ、TVやCDラジカセのLEDランプが暗がりの中で光っていて、ぼんやりとその周囲を照らしている。照明器具を全部消しても本当の闇にはならないのだ。そんなことに気づかされた。そして、光もさることながら、部屋の中でいつも音を出している物が、今は一切沈黙している。TV、CDプレーヤーはもちろん、パソコンのファンだったり冷蔵庫、エアコン、換気扇のモーターの音。日常生活の中、いつも色々な音に囲まれていながら、それが当たり前になり、感じなくなっていたことに気づかされた。そこそこ壁の厚みがあるマンションなので、日ごろは隣の部屋(隣家)の物音などほとんど聞こえてこなかった。それが今はどこかのベランダでかすかに風鈴が鳴っているのが聞こえる・・・っていうか、いつまで停電なんだ?本当に5時まで?気が付けば時刻は午前1時35分。普段は大体1時ごろに明日の朝食と弁当用の米を炊飯器にセットし、タイマーをかけて、1時半ごろに床に就くのであるが・・・もう横になっているはずの時刻なのだが、そんな気分になれないのである。テーブルの上のローソクの炎を眺めながら、ワインでもの飲むか・・・冷蔵庫に飲みかけの赤があったはずだ・・と思い、冷蔵庫を開けると中が暗い!普通、冷蔵庫って扉を開けると中でライトがついて、中身を照らしてくれているんだよね。揺らめくローソクの灯り中で赤ワインをグラス2杯飲んだ。時計を見ると2時過ぎ。もう寝よう。ローソクは消して・・・結局、停電は早朝4時前には復旧したようだ。というのも、早朝4時とはいってもまだ夜明け前の時間に、煌々と明るい部屋の照明とTVの通販番組の音で一度目が覚めたのだ。そう、停電したときのまま、スイッチを切っていなかったのだった。というわけで、今日はお弁当はなし。炊飯器のタイマーもセットできない状態だったのだ。
2011年03月10日
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今日のお弁当は・ビーフシチュー入りオムレツ・里芋の鶏そぼろあnかけ・ピリ辛こんにゃく・ごぼう煮・アスパラ・プチトマト・小茄子のからし漬け、しば漬け一週間ほど前に作って、冷凍しておいた牛スネ肉のシチューを使ってオムレツを。お箸で切れるぐらい柔らかくシチューで煮込んだ牛スネ肉を、卵の中に巻き込むようにしたオムレツである。ケチャップの代わりにシチューソースをかけた。里芋のそぼろあんは、冷凍里芋をカツオ出汁の薄めの味付けで炊き上げ、先日の鶏そぼろご飯で残ったそぼろを出汁でのばして、片栗粉で固めにとろみ付けをしたもの。
2011年03月09日
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今、一緒に仕事をしているベトナム人の技術者が「今日は女性の日です」と言った。今日、3月8日はベトナムでは「女性に感謝する日」らしい・・・母親、妻、恋人、娘・・自分にとって大切な女性に花束やプレゼントを贈ったり、家事を手伝ったり。日本のバレンタインの逆バージョン+「母の日」といった感じらしい。どうやらこれは「国際婦人デー」(3月8日)に由来するものらしいが、その起源などとはあまり関係なく、男性が女性に愛情を表現するイベントに転化してしまったようだ。まあ、日本におけるクリスマスやバレンタインデーも本来の主旨と関係ないイベントになっているわけだから・・・
2011年03月08日
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今日のお弁当は・肉じゃが・わさびの葉のおひたし・こんにゃく煮・ごぼう煮・煮豆・小茄子のからし漬け、しば漬け今日は純和風なおかずになった。煮豆、こんにゃく煮、ごぼう煮は、どれも作っておけば冷蔵庫で4~5日はもつといった常備菜である。今日のメインは「肉じゃが」。牛肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎのほかに、ごぼう煮を作ったときに余った中途半端なごぼうをササガキにして加えた。牛肉とごぼうは結構相性がよいのだ。そして、ちょっと珍しいおかず、「わさびの葉のおひたし」。「わさびの葉」自体が、東京のスーパーなどではあまり見かけない食材である。昨日、たまたまスーパーの野菜売り場で見かけたので、一束買ってきたのだ。わさびの葉はサッとお湯に通し(20~30秒)、すぐに冷水で冷まし、水気を絞ったら、密閉容器に入れて冷蔵庫で数時間寝かせる。こうすると、わさび特有の辛味が出てくるということだ。わさびの辛味は揮発性の成分なので密閉容器というのがポイントらしい。また、このわさびの揮発性辛味成分は、殺菌作用もあるので、弁当のおかずに知れば、弁当を長持ちさせる効果もあるのではないだろうか。おひたしの味付けは、市販の麺つゆ二倍濃縮タイプを薄めずに使用。
2011年03月07日
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今日のお弁当は・ベーコンと小松菜炒め卵とじ・つくね団子(しし唐添え)・煮豆・オクラとプチトマト・小茄子のからし漬けベーコン、小松菜、油揚げをフライパンで炒め、麺つゆとみりんで味付け。溶き卵を廻しかけて卵とじにした。つくね団子は冷凍食品を使用。ちょっと一品足したいときに冷凍のお惣菜を買い置きしてあると助かる。
2011年03月04日
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今日三月三日は「ひな祭り」。「上巳(じょうし)の節句」、「桃の節句」とも呼ばれる五節句の一つである。「桃の節句」と言うぐらいだから、桃の花を飾ってお祝いする風習があるわけだ。「ひな祭り」の唄でも「灯りを点けましょぼんぼりに、お花を揚げましょ桃の花・・・」となっている。では、本当に桃の花が三月三日に咲いているのだろうか?梅、桃、桜の三つの花だと、多くの人が梅 -> 桃 -> 桜の順で咲くと思っているのではないだろうか?梅は二月の花。桃は三月三日の「桃の節句」の花桜は三月下旬から四月上旬、卒業式とか入学式の花というイメージがある・・・花札では、一月「松に鶴」、二月「梅に鶯」、三月「桜」・・・となっている。でも実際には桜(ソメイヨシノ)と桃の開花時期はほぼ一緒。一括りに「桜」とか「桃」とかといっても、それぞれ多様の品種があるので、一概には言えないのだが・・・なぜ、「ひな祭り」の花である「桃」が「桜」と同じ時期なのか・・・それは、またしても「暦」の問題なのである。平安時代が起源とされる「ひな祭り」の三月三日は、当然のことながら旧暦で数えなければならない。現在の四月ということなのだ。ここでも日本の伝統文化と西洋暦によるズレが生じているわけなのだ。
2011年03月03日
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今日のお弁当は・揚げ餃子・塩昆布キャベツ・煮豆・オクラのごま和え・小茄子のからし漬け最近ハマッているのが塩昆布キャベツ。作り方は2月下旬の日記で紹介しているので省くが、いたって簡単に作れて、もう一品というときに便利な料理だ。塩昆布の量で塩味の濃さが簡単に調節できるのもお弁当のおかずとしてはありがたい。ごま油の風味も食欲を誘う一品である。
2011年03月02日
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昨日に引き続き、今日も鶏肉を中心としたお弁当。・鶏そぼろと炒り卵を載せた鶏ひき肉の炊き込みご飯・鶏肉の照焼き・チキンソテー(しし唐添え)・玉子焼き・しめじの塩炒め・煮豆・アスパラとプチトマト(タルタルソース)・たくあん・しば漬け昨日のお弁当に使った鶏そぼろも鶏のモモ肉もまだ残っている。鶏肉は足が早いので、早く使ってしまわなければならない。そんなわけで、今日も昨日とかなりかぶったお弁当となった。ただし、昨日より完成度は高くなっている(つもり)炒り玉子は裏ごしして、肌理を細かく。ご飯も炊き込みに。今日のテーマは、より高崎の「鶏めし弁当」に近づけること。ご飯に海苔を乗せたのも「鶏めし弁当」を意識してのこと。本物の「鶏めし弁当」と比較してみてください。
2011年03月01日
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今日のお弁当は「かしわ飯弁当」、・鶏そぼろと炒り卵の二色ご飯・鶏肉の照焼き(しめじ・しし唐)・オクラのごま和え・ゆで卵・アスパラとプチトマト(タルタルソース)・たくあん・しば漬け「かしわ飯」と言うと、鹿児島本線折尾駅(福岡県)の駅弁が有名である。折尾駅の「かしわ飯弁当」は鶏そぼろと錦糸卵・刻み海苔がご飯の上に敷き詰められている。「かしわ」とは鶏肉のことだから、鶏肉を使ったご飯なら何でも良いわけである。鶏肉系の駅弁なら、私は高崎の「鶏めし弁当」が好きで、鶏のダシで炊いたご飯の上に鶏そぼろと鶏の照焼きが載っている。今日の「かしわ飯」はどちらかと言うと高崎の「鶏めし弁当」に近い感じかな?
2011年02月28日
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今日のお弁当は、・豚肉のしょうが焼き・きんぴらごぼう・切干し大根・アスパラとプチトマト(タルタルソース)・小茄子のからし漬け今週、月曜日にも豚のしょうが焼きの弁当を作っていた・・・「豚肉のしょうが焼き」には大きく分けて二種類のタイプがある。一つは、豚の薄切り肉を、おろししょうがを効かせたタレに漬けてから、スライスした玉ねぎなどと一緒に炒めるもの。もう一つは、やや厚めの薄切り肉(?)に軽く小麦粉をまぶし、ポークソテーの要領でフライパンでソテーしてから、仕上げにしょうがを効かせたタレを絡めるもの。月曜日のしょうが焼きは前者のタイプ。今日のはポークソテータイプである。どちらが正式だとか、どちらが美味しいということ全くない。人それぞれの好みもあるだろう。また、そのとき冷蔵庫にあった豚肉が薄切りなのか、やや厚めなのかで作り分ければいいことだ。タモリさんは、このポークソテータイプがお好みで、自分で作るしょうが焼きは絶対小麦粉をまぶしてから焼くタイプなのだとか・・・最近、誰かが言っていたのを耳にした・・・が、真偽のほどは定かではない・・・ところで、昼休みにちょっと買い物に出かけてびっくりした。何だ、今日のこの暖かさは!
2011年02月25日
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今日のお弁当は、・ごぼうとニンジンの豚肉巻き・ニンジンとシメジのきんぴら風・ほうれん草のごま和え・オクラの塩茹で・プチトマト・小茄子のからし漬け細い拍子木に切ったごぼうとニンジンを豚肉で巻き、軽く塩を振って薄く小麦粉をまぶす。フライパン(中火)で転がしながら表面に薄く焼き色が付いたら、お湯でのばした「焼肉のタレ」を投入。蓋をして4~5分煮込み、「焼肉のタレ」が煮詰まってとろみが付いたら肉巻き全体に絡めて出来上がり。
2011年02月24日
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今日のお弁当は、・ウインナーのロールキャベツ風・塩昆布キャベツ・しめじのごま和え・オクラのうに和え・小茄子のからし漬けサッと茹でてしんなりさせたキャベツでウインナーソーセージを巻き、コンソメの素で濃い目に作ったコンソメスープで4~5分煮たら「ウインナーのロールキャベツ風」の出来上がり。そして、キャベツでもう一品。ザク切りにしたキャベツに塩昆布(細切り)を適量加え、ざっくり混ぜて置いておく。(昨晩寝る前に冷蔵庫に入れておいた)キャベツの水分で塩昆布がしっとり、昆布の塩分でキャベツがしんなりしたら、風味付けにごま油を一垂らし。(これチェーン居酒屋「わたみん家」のつきだしででてきます)
2011年02月23日
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今日のお弁当は、・豚肉生姜焼き(千切りキャベツ)・だし巻き玉子・切り干し大根・オクラの塩茹で・小茄子のからし漬け豚肉の生姜焼きは、市販の「焼肉のタレ」に一晩漬けた豚コマ肉に、焼く際におろし生姜を加えたもの。この2月から常駐しているお客先のオフィスにはお弁当を温める電子レンジがあるので、大変ありがたい。私が使っている弁当箱は二段重ねになっていて、一段目は約三分の二がご飯スペース、残り三分の一におかずが入る。お弁当を温められる場合、この一段目の三分の一のおかずスペースには温かくした方が美味しくいただけるおかずを。そして二段目には冷めた状態でも美味しくいただけるおかず、及び、加熱しない方が良いおかずを詰め、一段目だけを電子レンジでチン。コンビニ弁当などで「お弁当を温めますか?」と聞かれ、「温めてください」とお願いすると、弁当のパック丸ごと電子レンジに入れられてしまう。付け合せのポテトサラダや香の物までホカホカ、グズグズになっていてガッカリすることが多い。加熱しちゃダメなおかずはチンしちゃダメなんだよネ。
2011年02月21日
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この日記に手作り弁当の記事を載せるのはほぼ一年ぶり。お客さんのオフィスに常駐する仕事がほとんどで、お弁当を持って行くわけにはいかない場合も多々あるわけで・・・で、一年ぶりのお弁当は、・豚肉と新ジャガの煮物・切り干し大根・ほうれん草の胡麻和え・ブロッコリー・小茄子のからし漬け先日、広島の伯母からいただいた切り干し大根を、昨日煮て常備菜に。
2011年02月17日
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今日は「立春」である。従って当然のことだが昨日が「節分」。「節分」とは、その字の通り「節を分ける日」、季節の区切りの日である。節分の翌日である今日から「春」ということである。更に述べれば、各季節の最後の18~19日間が「土用」であり、「土用」の最後の日が節分ということになる。「節分」と言うと年に一度、二月三日だと思っている方も多いのではないだろうか。二月三日は冬の終わり、冬と春の節を分ける「節分」であり、この他に春の終わりの節分、夏の終わりの節分、秋の終わりの節分があるわけで、「節分」は年に四回存在するのである。同様に、「土用」というと、「土用丑の日」に鰻を食べる風習がある七月後半から八月初旬だと思われているが、一年に四回、立春、立夏、立秋、立冬の直前の18~19日間が「土用」なのである。「鰻を食べる」土用は、その中で立秋直前(夏の終わり)の土用ということだ。本来の日本の暦では春が一年の始まりであり、旧暦のお正月は二月になる。お正月に「新春」「初春」「迎春」など「春」の付く言葉が使われるのはその為である。現在の西洋暦の新年「お正月」は、冬のド真ん中なのに「新春」とか「初春」とか言われても、ピンと来ないのである。話を「節分」に戻すが・・・「節分」の風習と言えば「豆まき」。私が子供の頃には、二月三日の夜には家族皆で、家中の窓から外に向けて「鬼は外」と言って煎り大豆を撒いたものである。そしてその後で歳の数だけ煎り豆を食べる・・・。ちなみに、北海道では殻付きの落花生を撒くらしい。これは余談だが、まだ幼稚園に上がる前の幼い頃の私は、節分の日の夜に父親に「窓から庭に向かって『オニハソト』って言いながらお豆を投げるんだよ」と言われ、「『お庭はお外』ってことなの?」と言って大人たちを笑わせたらしい。幼稚園に通っていた頃は、幼稚園の行事として、鬼のお面をつけて鬼に扮した先生に対して、豆を投げて退治するというものがあり、「節分の豆まき」という風習を子どもながらに理解した。小学校低学年の頃の某年の節分の日、例年のように家族総出で豆まきをしようとしていたときに、祖父が「豆を撒く人の後ろからすりこ木を持って付いて行って、『鬼は外』って豆を撒いたら後ろから『ごもっとも!』って言ってすりこ木を突き出すんだ」と言って、私にすりこ木を持たせた。母や伯母は「そんなの聞いたことない」と言いながらも面白がっていた。が、最近ネットで調べたところ、京都の商家では古くから節分の豆まきに『ごもっとも様』という風習があるらしいことが分った。また、節分の日には「鰯を食べる」という人もいるが、これは柊(ひいらぎ)の葉と鰯の頭を玄関先に飾り、鬼を寄せ付けないという風習が転化したものと思われる。鬼は鰯の生臭い匂いと柊の尖った葉っぱが苦手らしい。「鰯の頭も信心から」という諺の由来である。最近、全国的に定着した観のある「恵方巻き」。若い人の中には、遥か昔からの風習だと思っている人も多いようだが、少なくとも東京では10数年前までは全く聞いたことのないものであった。この「恵方巻き」、大正時代に大阪の花街で流行した遊びが発祥ということである。その花街の流行を40年ほど前に大阪の海苔問屋の組合が商業戦略に利用し、大阪ローカルの風習として定着、更に10年ほど前(1998年)にセブンイレブンが節分のイベント商品として全国展開させたものである。「その年の恵方を向いて無言で食べる」というもっともらしい演出が、日本古来の風習のような印象を与えるが、歴史的にはごく最近生まれた新参者であり、正に商業戦略の産物なのである。そして、昨日スーパーのお惣菜コーナーやイベントコーナーで見かけたのは、「恵方生春巻き」とか「恵方ロールケーキ」。ベトナム風生春巻きやロールケーキが太巻き寿司と並べて売られていた。棒状に巻いてあれば何でもいいのかよ!って感じである。商業路線の節操の無さを見た思いだ。また、昨年あたりから、「節分は二月だけじゃない」といった謳い文句で、夏や秋の節分でも恵方巻きを売り出すようなところも出てきている。確かに節分は年四回あるわけだが、立春前の節分は本来は一年の締めくくりであり、他の三回の節分とは違った特別なものであるからこそ、伝統的に受け継がれてきた節分の風習である。勝手な商業戦略で、伝統の風習がもてあそばれているように感じるのは私だけだろうか?
2011年02月04日
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