全34件 (34件中 1-34件目)
1
ここ数日、「14歳の占星術師がコロナ事態を予言、第二予言も中国(無神論から)?」(2020.06.11)へのアクセス増が続いています。韓鶴子総裁も、神様が人類の親であることをすぐに知ることで、すべてを神様(天の父母様)を中心に考えるようになれば、いろいろなことを解決することができると語られています。韓鶴子総裁と故・文鮮明総裁は1960年聖婚し、今までに世界人類の平和のために多くのことをされました。いくつかの予言は、神は、この韓国を注目しているし、世界の中心になることもあります。なぜでしょうか? ここ韓国では二人(韓鶴子総裁と文鮮明総裁)があるからだと思います。皆さんは神を信じますか? 今からでも遅くありません。人類の親である天の父母様が人類に何を願い、私たちに何を望んでおられるのか、「統一原理」(こちらから)を学んで調べてみてください〜^^12月20日、21日のアクセス数は以下です。22日の今日も増大傾向の一途を辿っているように思われます。さて、6月11日記事は韓国ブログから拾ったものでしたが、12月20日からコロナの第2次感染が始まるとの予言もされていました。最近の韓国ブログでも14歳の占星術師の記事がいくつかを紹介しておきます。インドの少年予言者アヴィニアの2番目のパンデミック予言は本当に成就しましたか?占星術星座--コロナ・パシセラ氏が021はいつスタートしますか?インドの占星術家”天才少年”は、将来の2番目のパンデミックを予測!インド少年予言者は、世界の株式市場は2021年初頭にWワードに急落するかもしれないという?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 訂正:God is there , 神がそちらにいます, 大変申し訳ない,15分22秒,翻訳厳重間違い, God is there。 神がそちらにいます, God is deadに間違え。 皆さんお許しくださいませ。
2020.12.22
コメント(0)
インドの14歳の占星術師である少年が自分のYouTubeチャンネルで、今回のコロナ事態を正確に予測して話題になっています。この少年が2次感染症が2020年12月20日から開始されると予測しては、現在の世界で発生している多くの災害の源が「無神論」から来ているされており、人々が神を信じなくても、すべての問題を解決することができるという傲慢感に悪化したためだとしてしています。そして人類が災害を避けるためには、自然を破壊することを中止し、人類の道徳を回復させ、神様の前に謙虚にならなければならないとしました。韓鶴子総裁も、神様が人類の親であることをすぐに知ることで、すべてを神様(天の父母様)を中心に考えるようになれば、いろいろなことを解決することができると語られています。韓鶴子総裁と故・文鮮明総裁は1960年聖婚し、今までに世界人類の平和のために多くのことをされました。いくつかの予言は、神は、この韓国を注目しているし、世界の中心になることもあります。なぜでしょうか? ここ韓国では二人(韓鶴子総裁と文鮮明総裁)があるからだと思います。皆さんは神を信じますか? 今からでも遅くありません。人類の親である天の父母様が人類に何を願い、私たちに何を望んでおられるのか、「統一原理」(こちらから)を学んで調べてみてください〜^^一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.06.11
コメント(0)
韓国経済テレビ | 最終更新:2014-08-01午前1:46:00中国発の予言、「第三次世界大戦の予言?」 ▲中国から予測航空機惨事とメキシコ地震のニュースを合わせた中国からの予言が目を引く。先月30日(韓国時間)、メキシコ東部で強度6.3の地震が発生し、中国で拡散された「9·10 3次世界大戦の予言」が実現なるのではないか怪談が戻ってネチズンたちの関心が集められている。メキシコの現地時間では29日午前5時46分ごろ、メキシコ東部ベラクルス州(州)で発生した規模6.3の今回の地震でメキシコシティのホーム·などの照明やドアが揺れるなどの振動が検出されたことが分かった。世界的なさまざまな事故と最近の中国ウェイボで初めて流布されたことが知られている中国からの予言が話題になっている。ウェイボーで初めて知られているが、中国発の予言は中国人が作成したもので、今年3月ごろに書かれたことが分かった。しかし、驚くべきことに、この予言は7月17日、マレーシアの航空機墜落事故、7月23日、台湾の航空事故、7月24日アルジェリア航空機墜落事故を正確に予測したことが分かった。この中国発の預言では、7月30日チリで震度8の地震が発生するとした。ただし、チリではなく、メキシコと予測が間違っていた言葉も出てくるが、ネットユーザーらは「とにかく地震が発生したのはないか」と不安な様子を見せている。この予言が人を不安にさせる理由は、このにオンガが8月12日、中国全国を振ることスキャンダルが起こって以来、8月19日には、ロシアの地域戦争勃発、9月10日には、「歴史的な日...3次世界大戦勃発」と予測したからである。中国発の予言接したネチズンたちは"中国からの予言は、本当にだよね""中国発の予測、鳥肌たつ""中国発の予測、怖い""中国発の予言、予言実現なるか?"などの反応を見せている。 霊的支柱がしっかりしなければ!! 訪問ありがとうございますにほんブログ村OUT人気ランキングへ
2014.07.31
コメント(1)
"地球終末予言"何事もなかった... "終末論"なぜを繰り返しますが、入力2012.12.23 16:56:08、修正2012.12.23 16:56:08太陽の爆発で地球内部の温度が急激に上昇する。2012年12月21日になって待っていたように家が急に揺れリーダーなんて天井が崩れる開始した。太平洋から今まで経験したこと、大規模な地震が起きたのだ。建物や道路、人々は割れた地の中に吸い込まれてしまった。数百mの高さの津波が廃墟と化した都市を飲んだ。 "まさに地球終末の日だった。2009年封切りした映画'2012 'の場面だ。しかし、終末論が仮に映画だけに見られる現象ではない。23日ニューシースによれば、世界のあちこちで終末論に関連する数多くの物語があふれ出ている。特に、古代マヤが作成されたカレンダーが終わる時点で21日を控えて世界が"地球終末説"にひとしきり騒々しかった。'2012 'でマヤ暦で言った、 "地球終末の日"が素材として活用された。この映画で言った2012年12月21日"は、高度に発達した文化を誇っていた古代マヤたちが作ったカレンダーの最後の日知らされて"地球滅亡の日"となった。マヤ暦だけでなく、この日が地球滅亡の日という根拠が、ソーシャルネットワークサービス(SNS)で急速に広がった。まさに全世界のインターネット資料を集めて株式市場の変動をグラフに予測するプログラムである"ウェプボト"が2012年12月21日を基準として分析を拒否したというのだ。ウェプボトこの2001年の米国同時多発テロと2004年のインド洋津波事態などを予測した知らされて"地球滅亡"の信憑性が加わった。また、最近のビルボードチャート2位まで上がるなど、全世界の韓流熱風を主導している"サイ"も2012年地球滅亡の原因(?)で指摘された。ノストラダムスの終末論に"踊る馬(马)の数字0が9個ドゥェルテ静かな朝から終末が来る(from the calm morning、the end will come when of the dancing horse the number of circles will be 9) "というフレーズからである。ネチズンたちは静かな朝(the calm morning)は、韓国を意味して踊る馬(daning horse)は、サイのマルチュムを、数字の'0 "9つ(number of circles will be 9)は、ユーチューブ(youtube)で江南スタイルのミュージックビデオの10億(10億は0が9つ)回数を意味すると見込んでいる。つまり、 "韓国から来たサイの江南スタイルミュージックビデオがYouTubeでヒット10億を突破する日地球が終末する"という解釈したのだ。江南スタイルのミュージックビデオ視聴数は22日午前10億をユーチューブ史上初突破した。実際に韓国人10人のうち1人は、このような終末論を信じていることが分かった。去る5月1日、米国の世論調査専門機関の口ソース(Ipsos)が韓国人500人を含む世界21カ国1万6262人を対象に実施したアンケート調査の結果、韓国人の13%が終末論を信じていること明らかになった。また、アメリカ人の22%とイギリス人8%、フランスの6%が終末論を信じていると答えた。このためか、世界のあちこちでは、 "地球滅亡の日"を迎え、様々なことが起きた。中国政府は"全能の神(全能神) "という新興宗教が地球終末説を広める重要な勢力で見て1000人余りの信徒を取ってしまった。"全能の神"は、1989年ジャオウェイ山(赵维山·61)が創始し数百万の信徒を抱えることが分かった。ロシアは冷戦時代の核兵器の攻撃を避けるために作成されたバンカーからの地球終末を避ける24時間パーティーが繰り広げられる予定だ。1000ドル(約110万円)の入場券1000枚が皆売れるほど爆発的な人気を享受している。しかし、終末論が世の中を騒がせたのは今回が初めてではない。去る1992年'ダミエ宣教会"という団体の終末論が韓国を揺るがすた。国内·外9000人余りの信徒を確保していたこの団体は、同年10月28日終末が来ると主張した。信徒たちは、職場を辞めたり、離婚をした。さらに自殺をした人もいた。当時の教会の牧師は、現在も終末が来ると主張していることが分かった。千年を控えた去る1999年。ノストラダムスの'1999年7月、空から恐怖の大王が降りてくる"という予言で世界が賑やかだった。続いて2000年もY2K(ミレニアムバグ)が原因でコンピュータが年度を認識しないためネットワークが麻痺して世界的混乱が来る終末論も広がった。専門家は、このような終末論がときどき頭を上げて起こる理由3つの原因を挙げた。また、終末論を信じて、より現実の生活に充実するように命令した。ヒョンテクス高麗大学社会学科教授は"人間は超越的で超人的な世界と現象に対して好奇心を持っている"とし、 "このように不可思議で神秘的な領域への好奇心のために終末論が大豆になるだろう"と説明した。県教授は"現実の世界の堕落と社会の不安定性、危機意識と関連して終末が一つの"審判論"に登場する"とし、 "堕落し不条理な現実に対して"終末を迎えるはずだ"と自暴自棄になる場合がある"と説明した。県教授は"最近、異常気象が続き、自然の恐怖意識が終末論に火をジピンダ"とし、 "人間の科学的に予測していなかった恐怖が、全地球的に拡大される経験とそれに対して無気力な人間の姿が合わさり、表示される現象"だと指摘した。グァックグムズソウル大学心理学科教授は、 "終末論を信じている人は、すでに自分のとても多くのこと"終末"に投資したので執着すること"と言いながら"このため、終末論が続いている"と評価した。クァク教授は、 "終末論を信じ、より自分の人生を自分で振り返ることが必要だ"とし、 "すべてを無意味と価値なく表示よりも"明日地球が滅亡しても1本のりんごの木を植える"はスピノザの言葉のように、今日私たちが住んでいる生活を充実させて生きていく姿勢が必要だ"と助言した。世界ファイナンスニュースチームfn@segyefn.com 訪問ありがとうございますにほんブログ村・統一教会
2012.12.24
コメント(0)
昨年の8月に、タイトル「[奇知外記] ブログ村にハルマゲドンの戦い?」と題して書いたが、その時はまだそれに至っていないとした。ところが、現在のブログ村はまさにその時を迎えている。ほぼ2/3(?)がサタン(郭グループ、中山グループ、Y評論家等)が占拠している。聖書の予言では、統一教会もいよいよ終わりを告げず、残った1/3から巻き返して勝利を収めるといった「予言」が成就する時を迎えた!!明日、2012年12月21日はマヤ・カレンダーが予言する終末である。原理講論・終末論からは悪によって始められた人類歴史は、事実上、神の復帰摂理歴史であるがゆえに、サタン主権の罪悪世界はメシヤの降臨を転換点として、神を中心として三大祝福が成就される善主権の世界に変えられるようになるのである。このように、サタン主権の罪悪世界が、神主権の創造理想世界に転換される時代を終末(末世)という。したがって終末とは、地上地獄が地上天国に変わるときをいうのである。勝利の時は見えてきた。 訪問ありがとうございますにほんブログ村・統一教会 2000/09/24の『祝福移譲宣言』に関しては、16日の日記で書いたように「文顕進様には祝福権の移譲も委譲もなし!?」です。郭グループの郭氏自身が、『2000年9月には、顕進様への祝福の移譲はなかった』と明言されておられるのですから、ある二世さんは否定することも出来ないでしょう2010年10月の祝福式参加もされなかったとなれば(顕進様、郭グループは)、参加した私たち祝福家庭とは格式がはるかに違うということです。>ある二世さん今後、統一教会とは別に顕進様の祝福式があるとすれば、全く天の血統とは違うということを忘れないでください。また、gildong氏。9月にpeaceに投げかけた言葉を覚えておられますかpeace氏への質問http://ameblo.jp/gildong/entry-11356400081.html#mainその方々は、大部分(おそらく全員)が祝福中心家庭と見受けられるが、貴方の記事が祝福中心家庭を愚弄しているという認識はあるのか?……謝罪はpeace氏が侮辱した弔問者の方々に対してすべきでしょう。貴方のサムネールねつ造記事に関してはpeaceが全てを語りました。 証拠のサムネール「撮影日2012/08/19」はねつ造と判明!! --補講 http://blogs.yahoo.co.jp/naigaiten_ichikoku/36832564.htmlこれは、「顕進様が文鮮明総裁聖和式の乱入事件での不忠、不孝を隠ぺいするため、サムネールをねつ造したものである」との訂正記事をお願いしたにもかかわらず、未だにそれがなされていないではないですか。(gildong氏は、デマ・偽情報の垂れ流しのみですか。統一教会の悪イメージを流布することが目的ですから、Pカフェの匿名投稿者のそれを流し続けています)「祝福中心家庭を愚弄している」、その言葉をそのままgildong氏にお返しします。
2012.12.20
コメント(1)
『【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書』もなかなか前進しない。今回もコーヒーブレイク。 ノストラダムスの預言は間違っていた?!2012年10月21日11時16分42秒 |ニューデイリースポットニュース 予言者ノストラダムスの預言は間違って主張が出てきた。 MBC "サプライズ"は、ノストラダムスが16世紀のフランスのみ数万人に達していた "占星術師"もなかったし、彼の予言がすべて間違っていると主張を伝えた。 1503年生まれノストラダムスは16世紀ペストの流行でヨーロッパの人口の3分の1が犠牲にされた時、自分の妻と二人の子供を失ったとする。 ノストラダムスはこの時から生と死を眺めることができない現実に疑問を抱いて未来への関心を持ち始めたという。 その後1555年に至って初めて預言書を出したとする。しかし、当時流行していた占星術の基本となる "天宮も"さえまともに描かなかったという。した米国の研究者によると、ノストラダムスは1529年モンペリエ大学で "偽フェスト剤"を作る追放されたりしたし、占星術また、きちんと学ばなかったということだった。 この研究は、ノストラダムスは予言の基礎もされておらず、彼の予言が間違っていると主張した。他の研究者は、当時流行した "ミラベルレス"という予言で120個近くを盗作したと指摘した。ノストラダムスが脚光を浴びるされたのは、当時の社会に不安を感じていた人々の心理を利用して象徴と中的曖昧な表現で人々を魅了したと主張した。9.11テロまで合わせはノストラダムスの予言はその後も間違っているのだろうか。これ研究者らは "歴史が繰り返さと同じようなことが起きるのにノストラダムスはその点を利用した"と主張した。ノストラダムスの地球終末の予言は果たしてどのようにされたのだろうか。 【関連記事】 "サプライズ"ノストラダムスは詐欺師?予言集のほとんどが盗作-曖昧な表現ノストラダムス、 "詐欺師"だというのに... 2012終末論 "も虚像に過ぎ?ノストラダムス予言 を知ってみると、100%嘘?詐欺師再照明 訪問ありがとうございますにほんブログ村・統一教会
2012.10.21
コメント(0)
「統一原理に見る予言」は、原理講論の「前編」が終わり「後編」に入る。後編は原理の聖書的解釈と、それを踏まえながら、より本質的な予言が多く提示されている。今回は、原理の諸論から第4章までを扱う。後編のまずは『諸論』だが、いきなり「蕩減(復帰、あるいは、条件)」、「信仰基台」、「実体基台」などといった原理用語が飛び出してくる。「蕩減復帰」というのはどういう意味なのであろうか。どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」というのである。……堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくことを「蕩減復帰」といい、蕩減復帰のために立てる条件のことを「蕩減条件」というのである。そして、このように蕩減条件を立て、創造本然の人間に復帰していく摂理のことを「蕩減復帰摂理」というのである。……アダムが創造目的を完成するためには、二つの条件を立てなければならなかった。その第一条件は「信仰基台」を造成することであったが、ここにおいては、もちろんアダムが「信仰基台」を造成する人物にならなければならなかったのである。その「信仰基台」を造成するための条件として、彼は善悪の果を食べてはならないと言われた神のみ言を守るべきであり、さらに、この信仰条件を立てて、その責任分担を完遂するところの成長期間を経なければならなかった。そうして、この成長期間は数によって決定づけられていくものであるがゆえに、結局この期間は、数を完成する期間であるということもできるのである。一方、アダムが創造目的を完成するために立てなければならなかった第二の条件は、彼が「実体基台」を造成することであった。アダムが神のみ言を信じ、それに従順に従って、その成長期間を完全に全うすることにより「信仰基台」を立てることができたならば、彼はその基台の上で神と一体となり、「実体基台」を造成することによって、創造本性を完成した、み言の「完成実体」となり得たはずであった(ヨハネ一・14)。アダムがこのような「完成実体」となったとき、初めて彼は、神の第一祝福であった個性完成者となることができたはずである。【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書などと大それた見出しを掲げてきたが、蕩減復帰原理を知ってみれば、大なり小なりの違いはあっても、これまでの予言の行き着くところは、世界の終わりではなく、神様が願われた本然の理想世界であるということが理解できる。まずは、後編の第1章「復帰基台摂理時代」は、アダム家庭からアブラハム家庭までを、第2章は「モーセとイエスを中心とする復帰摂理」について、アダム家庭で失われた「信仰基台」、「実体基台」を取り戻して「メシアのための基台」を造成してきたことについて、聖書を原理的観点から解説している。さらには、第3章「摂理歴史の各時代とその年数の形成」では、その歴史性をについて詳しく解説している。歴史学者トインビーが『歴史は繰り返す』と語ったが、何故なのかについては言及していない。ところが、それについては「第一節 摂理的同時性の時代」で説明している。また、第3章の2節以降は以下の表でまとめられていて、原理は、同時性の2000年周期から現代がイエスの再臨期に当たることを予言している。 にほんブログ村・記事ランキング参加中にほんブログ村・宗教 へ
2012.06.23
コメント(0)
原理の第7章は「キリスト論」である。救いを望んでいる堕落人間においては解決すべき問題が多い。その中でも重要なものは、神を中心とするイエスと聖霊との関係、イエスと聖霊と堕落人間との関係、重生と三位一体など、キリスト論に関する諸問題である。しかし、今日に至るまで、だれもこの問題に関する明確な解答を得ることができなかった。このような問題が未解決であるということによって、これまでキリスト教の教理と信仰生活に、少なからず混乱を引き起こしてきたのである。ところで、この問題を解決するためには、創造本然の人間の価値が、いかなるものであるかを知らなければならないので、この問題について先に論じたのち、上記の諸問題を扱うことにしよう。三位一体と重生(新生)論、それがいったい何なのか今日のキリスト教でも混乱を起こしている問題である。まずは、神とイエスと聖霊、についてだが、特に、「イエスは神御自身であられるのだろうか」である。それに対する答えは、聖書の記述からも "No!" である。統一教会が異端視される理由の一つとして三位一体論の解釈が挙げられるが、原理の以下の部分を読めば、聖書的観点からもハッキリとする。第一節 創造目的を完成した人間の価値第二節 創造目的を完成した人間とイエス第三節 堕落人間とイエスイエスは創造理想を完成した人間(第二のアダム)として来られたお方である。また、聖霊もまた、本来なら創造理想を完成した人間(エバ)として地上に生まれイエスと結婚するはずであったというのが原理の解釈である。以下の重生論は、以前は新生(論)として書かれていたものだが、原理用語の変化とともに重生(論)となった。(一)重生論(1) 重生の使命から見たイエスと聖霊イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロ・一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリント・一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリント・一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。さて、予言としていえば、2000年前のイエスと聖霊のように、イエスが十字架で亡くなって復活後、神様とイエス・聖霊が三位一体をなして霊的新生でクリスチャンたちが生かされたように、イエスの再臨の時は、今度はこの地上に真の父母として来られ、神様と三位一体をなして全人類を罪のない人間として生み直してくださる、ということだ。(二)三位一体論創造原理によれば、正分合作用により、三対象目的を達成した四位基台の基盤なくしては、神の創造目的は完成されないことになっている。したがって、その目的を達成するためには、イエスと聖霊も、神の二性性相から実体的に分立された対象として立って、お互いに授受作用をして合性一体化することにより、神を中心とする四位基台をつくらなければならない。このとき、イエスと聖霊は、神を中心として一体となるのであるが、これがすなわち三位一体なのである。元来、神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。もし、彼らが堕落しないで完成し、神を中心として、真の父母としての三位一体をつくり、善の子女を生み殖やしたならば、彼らの子孫も、やはり、神を中心とする善の夫婦となって、各々三位一体をなしたはずである。したがって、神の三大祝福完成による地上天国は、そのとき、既に完成されたはずであった。しかし、アダムとエバが堕落して、サタンを中心として四位基台を造成したので、サタンを中心とする三位一体となってしまった。ゆえに彼らの子孫もやはり、サタンを中心として三位一体を形成して、堕落した人間社会をつくってしまったのである。それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。このようにして、堕落人間が神を中心として創造本然の四位基台を造成すれば、そのとき初めて、神の三大祝福を完成した地上天国が復帰されるのである。 にほんブログ村・宗教 へ
2012.06.17
コメント(0)
以下は、 2011-12-18付の下書きからの書き足し。アッシー君でママさんと一緒に参加した原理講師試験、それの資格認定証が数日前に凡人の手元に届いた。原理講師の資格を持って、『原理講論の要約チャート』を外れて原理について書いていいものか? と悩むところである。原理の第6章は『予定論』である。予定論と予言書の予言とは深いかかわりを持っている。そのことを知れば、終末の恐ろしい予言も恐れることはない。古今を通じて、予定説に対する神学的論争は、信徒たちの信仰生活の実践において、少なからぬ混乱を引き起こしてきたことは事実である。それでは、どうしてこのような結果をもたらしたのかということを、我々は知らなければならない。特に、原理の『予定論』は神様のみ旨を中心とした予定について書かれているが、まずは「神様のみ旨」とは何か、について知る必要がある。予定論の『第一節 み旨に対する予定』から、神のみ旨に対する予定を論ずるために、我々は、「み旨」とは何であるかということについて、先に調べてみよう。神は人間の堕落によって、創造目的を完成することができなかった。したがって、堕落した人間たちに対して摂理される神のみ旨は、あくまでも、この創造目的を復帰することにある。言い換えれば、この「み旨」は、復帰摂理の目的の完成をいうのである。神様が絶対的であるように、このみ旨に対する予定も絶対的である。ところが、それの成就ともなると、創造原理によって、既に明らかにしたように、神の創造目的は、人間がその責任分担を完遂することによってのみ完成できるようになっている。したがって、この目的を再び成就させようとする復帰摂理のみ旨は、絶対的なものなので、人間は関与できないが、そのみ旨の成就に当たっては、あくまでも、人間の責任分担が加担されなければならない。……み旨成就は、どこまでも相対的であるので、神がなさる九五パーセントの責任分担に、その中心人物が担当すべき五パーセントの責任分担が加担されて、初めて、完成されるように予定されるのである。神様の予定だけでなく、人間の責任分担の遂行次第で変わってくるので相対的となる、というのである。したがって、予言書もまた、大きくは成功した場合と、また、失敗した場合の可能性で書かれることもあり、今日、我々に多くの混乱を引き起こす原因となっている。ところが、神様の予定は絶対的であるので、たとえ、その時に予言が成就しなかったとしても、時を違えて同じような現象が繰り返されるのである。 「歴史は繰り返す」といったその根拠もここにある。古今東西の予言書の最終的な結末が神様のみ旨成就にあると分かれば、予言の見方も違って見えてくるはずだ。特に、この予定論では人間の誰もがではなく、なかでも神様によって選ばれた中心人物について書かれているのである。聖書から、最初に選ばれた人物はアダムであり、ノア、アブラハム、、、イエス様。そして、イエス様の再臨に際しても。特に、第四節 予定説の根拠となる聖句の解明 から聖書を理解する上で、予定説と人間の責任分担について深く考察していく必要があるだろう。 聖書の予定論に関して、以下の記事から引用文も一考していただきたい。余談だが、この記事に関しては、韓国では信徒の約80%が長老派教会でカルヴァン派の流れをくんでいる。そのカルヴァン主義者たちが自己を正当化するために『魔女狩り』的行為をなしてきており、今日も自分らに属さない集団に対して異端視し、強制改宗などの蛮行を繰り返している、といった内容だ。[宗教企画]カルヴァンの長老派教会と聖書のイエス教……カルヴァン(1509~1564)は、ルターより20年遅れてフランスのノヨン(Noyon)の書記官であったジェラールカルヴァンの息子として生まれた。カルビンへの評価は非常に相反し、彼を追従する勢力は、"最高の聖なる英雄"という賛辞を惜しまなかった一方で、後世のキリスト教の歴史の哲学者たちは、カルヴァンの"最悪のクリスチャン"と評価しています。 時代が経つにつれ、後者の方が説得力を得ている。 カルビンは、スイスのジュネーブでの宗教の国という特別な機関の首長の在任中に宗教的な判断はもちろん、社会全般にわたって起こるささいな犯罪まで、非難するなど、まさに絶対的な権力を行使した人物だ。 ……宗教改革という見かけの良い旗を掲げたが、……カルビンジュウイ者たちが犯した別名魔女狩りは、自分たちの目的や個人的復讐のために使用され、その中で最も簡単な方法として選んだのが、"異端"と罵倒するものだったと歴史学者たちは伝えている。 カルヴァンの教理の中で最も代表的な予定論を見ると、"選択と有機のカルビンジュウイ神の予定は永遠不変だ""天使と人々のオブジェクトの永遠の命と予定に変わりなく、永遠の命に予定された天使たちのように人々のことも確定的で不変である。 また、永遠のいのちが予定された者が再びヨウンミョルロ予定されたりヨウンミョルロ予定者が再び永遠の命に予定されている変動はない"と主張する。 これは、聖書の主張とは正反対の主義として、後世の学者からの議論を買っている。 これは、非常に非論理的なもので、人間に許された自由意志を無視している。また、あえて選択されていない者が、神を信じる必要がないのはもちろん、選ばれた者がいかなる罪をジトドでも容赦されるという非聖書的な論理を主張している。 これによると、まだ生まれていない人間が、すでに救いを受けたか地獄という罰を受けることが決定されたと解釈することができる。彼は、"注釈の王子"というニックネームも持っている。 数多くのコメントを書いた彼も新約の預言書である黙示録だけは解析が困難で、黙示録を聖書的に認められていない。 ……
2012.03.24
コメント(0)
私たち誰もが、「昨日よりは今日、今日よりは明日へ」、また、時を刻む秒針の中でも、善くなろうと努力している。1秒前の自分と、1秒後の自分は明らかに違って善くなっているだろうと思うのである。そういった観点からみたとき、私たち一人一人は小さな予言者になれるのである。ところが、そうでない自分もある(「堕落論」によって)ことを発見することが、多々ある。原理の第5章は『復活論』である。 復活とは死んだ人が生き返るということであり、ここでは「死と生に対する聖書的概念」、そして、「復活の意義」についても解説している。以下、要点を抜粋すれば、創造原理によれば、肉身は霊人体の衣ともいえる部分で、衣服が汚れれば脱ぎ捨てるように、肉身も老衰すればそれを脱いで、その霊人体だけが無形世界に行って、永遠に生きるように創造されたからである。二つの死の中で、肉身の寿命が切れるという意味での死が、堕落による死ではないということが分かれば、サタンの主管圏内に落ちるという意味での死が、まさしく堕落による死であるという結論になる。復活は人間が堕落によってもたらされた死、すなわちサタンの主管圏内に落ちた立場から、復帰摂理によって神の直接主管圏内に復帰されていく、その過程的な現象を意味するのである。したがって、罪を悔い改めて、昨日の自分よりきょうの自分が少しでも善に変わるとすれば、我々はそれだけ復活したことになる。善悪の果を取って食べる日には、きっと死ぬであろう(創二・17)と言われた神のみ言どおりに、善悪の果を取って食べて堕落したアダムとエバが、死んだのは事実であった。しかし、彼らには、外形的には何らの異変も起こらなかったのである。変わったことがあるとすれば、不安と恐怖によって、瞬間的に彼らの顔色が変わる程度であっただろう。ゆえに、堕落した人間が善悪の果を取って食べた以前の人間に復活するとしても、その外形上には何らの変化も起こらない。ということだが。復活論の冒頭から:聖書の預言を、文字どおりそのまま受け入れるとすれば、イエスが再臨されるときには、既に土の中に葬られて、元素化されてしまったすべての信徒たちの肉身が、再び元どおりの姿によみがえって、出てくるものと見なければならない(テサロニケ・四・16、マタイ二七・52)。これも聖書の予言であるから信ぜざるを得ない。現に、エジプトのミイラなども肉体復活の信仰によるものである。ところが、科学が発達した現代人には受け入れがたい内容である。原理からは、堕落による死は肉体の死ではなく、霊人体の死を意味している。そして、復活の予言もまた、霊人体の復活を意味している。聖書の予言は、まさにこれである。同時に、すでに亡くなった霊人体の復活についての予言についても書かれている。上記の予言はそれについて書かれているのである。終末における時代的恵沢によって、自分たちが生きた当時の信仰・行いによって地上人の復活を協助することによって、霊界に行った人々も同等の復活するようになる。ところで、今日が終末といわれるように、イエス当時も終末であった。イエス当時の、その死人の復活に関する記述も新約聖書にある。原理からはマタイ福音書二七章52節を見れば、イエスが十字架で亡くなられるとき、墓が開け、眠っていた多くの聖徒たちの死体が生き返ったと記録されている。これは、土の中で既に腐ってなくなってしまった彼らの肉身が、再び原状どおりに肉身をとって生き返ったことをいうのではない。それは、どこまでも霊形体級の霊人体として、霊界にとどまっていた旧約時代の霊人たちが、イエスの十字架の贖罪の恵沢圏内における地上の聖徒たちを、生命体として完成できるように協助することによって、彼らの能力を受け、自分たちも共に生命体を完成するために、霊的に再臨したのを見て記録したにすぎない。もしも、聖書の文字どおりに、旧約時代の霊人たちが墓の中から肉身をとって、再び生き返ったとすれば、彼らは必ず、イエスがメシヤである事実を証したはずである。墓の中から生き返った信徒たちが証すイエスを、メシヤとして信じないユダヤ人がどこにいるだろうか。このような聖徒たちに関する行跡は、必ず聖書の記録に残ったであろうし、また今も地上に住んでいるはずである。しかし、彼らが墓の中から生き返ったという事実以外には、何の記録も残っていない。これから推してみても、墓の中からよみがえったと記録されているその聖徒たちは、霊眼が開けた信徒たちだけが、しばらくの間だけ見ることのできた、霊人たちの現象であったことが分かるのである。イエスの十字架の贖罪によって行くことのできる楽園に比較すれば、旧約時代の霊人たちがとどまっていた所は、より暗くつらい世界であるので、これを墓と言ったのである。今日の私たちも、同じく墓からの復活も、このように高い次元の霊人体となるという解釈から納得がいくものとなる。さらには、復活論では重要な予言がある。それは、『再臨復活による宗教統一』が挙げられる。終末論で論じたように、今まで同一の目的を指向してきたすべての宗教が、一つのキリスト教文化圏へ次第に吸収されつつある歴史的事実を、我々は否定することができない。それゆえに、キリスト教はキリスト教だけのための宗教ではなく、過去歴史上に現れたすべての宗教の目的までも、共に成就しなければならない最終的な使命をもって現れた宗教である。それゆえに、キリスト教の中心として来られる再臨主は、結局、仏教で再臨すると信じられている弥勒仏にもなるし、儒教で顕現するといって待ち望んでいる真人にもなる。そして彼はまた、それ以外のすべての宗教で、各々彼らの前に顕現するだろうと信じられている、その中心存在ともなるのである。このように、キリスト教で待ち望んでいる再臨のイエスは、他のすべての宗教で再臨すると信じられているその中心人物でもあるので、他の宗教を信じて他界した霊人たちも、彼がもっている霊的な位置に従って、それに適応する時機は各々異なるが、再臨復活の恵沢を受けるために、楽園にいる霊人たちと同じく再臨しなければならない。そして、各自が地上にいたとき信じていた宗教と同じ宗教をもつ地上の信徒たちを、再臨されたイエスの前に導いて、彼を信じ侍らせることによって、み旨を完成するように、協助せざるを得なくなるのである。したがって、すべての宗教は結局、キリスト教を中心として統一されるようになるのである。 にほんブログ村・宗教 へ
2011.11.14
コメント(0)
今回は、2000年前のイエス当時にタイム・スリップしていただく。原理の第4章は『メシヤの降臨とその再臨の目的』である。 「歴史は繰り返す」という観点で、イエスの時も終末、そして、イエスの再臨の時も終末であるということは、同じような出来事が終末という今日にも起こるということである。それはまた、現代の私たちにとっては歴史が残した教訓としても有意義なものとなる。イエスの時代、新約聖書はなかったし、ノストラダムスや韓国の『鄭鑑録』・『格庵遺録』は勿論、ハイカラな『原理講論』も存在しなかった当時の予言書といえば、『旧約聖書』。当然、ユダヤ人たちはその中に書かれてある予言を信じて、ひたすらにメシヤの降臨を待ち望んでいたのである。原理からは、メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味するが、特に王を意味する言葉である。イスラエル選民は彼らの預言者たちの預言によって、将来イスラエルを救う救世主を、王として降臨させるという神のみ言を信じていた。これがすなわち、イスラエルのメシヤ思想である。ユダヤがローマの属領となり、ユダヤ人たちが望んでいたのはそこから解放してくれる王であった。また、その王(メシヤ)が来る前に預言者エリヤを遣わす、というのが(旧約)聖書最後の予言である。(一)エリヤの再臨を中心とするユダヤ人たちの心的動向統一王国時代において、ソロモンの堕落により、彼の神殿理想はサタンの侵入を受けるようになった。そして、成就できなかった神殿理想を再び探し立てて、実体神殿としてのメシヤを迎えさせるために、神は四大預言者と十二小預言者を遣わし、サタン分立の摂理をされた。また、神は特別預言者エリヤを遣わし、カルメル山でバアル預言者たちと対決させて、バアル神を滅ぼされたのも、このような理想実現のみ言を遮るサタンを滅亡させるためであった。しかし、エリヤは彼の天的な使命を完遂できずに昇天したので(列王下二・11)、メシヤを迎えるためにサタンを分立していく路程で、再びサタンが横行するようになったのである。ゆえに、イエスの実体神殿理想が成し遂げられるためには、前もって、エリヤが地上で完遂できなかった、サタン分立の使命を継承完遂せしめる摂理がなくてはならない。このような摂理的な必然性によって、預言者マラキは、エリヤが再臨することを預言したのであった(マラキ四・5)。自分たちを救ってくれる王の出現を待っていたのは事実だが、それに先立って来ると予言されているエリヤの再臨も、彼らは待ち望んでいたのである。ところが、そのエリヤの噂もないままにイエスがメシヤを名乗って出てきた。ユダヤ人たちは、マラキの預言を信じる立場に立てば、まだエリヤは来ていないのであるから、メシヤとして自称するイエスを見捨てるよりほかはなく、これと反対に、イエスを信じる立場に立てば、エリヤが来たのちにメシヤが来ると預言した聖書を捨てる以外にはないという二者択一の立場であった。そこで、到底神の預言を捨てることができなかったユダヤ人たちは、やむを得ず、イエスを信じない道を選ぶ以外に仕方がなかったのである。むしろ、この予言がイエスに災いした。もちろん、エリヤに関してはイエスもいくつかの言及をしている事は、新約聖書からも読み取れる。ヨルダン川でイエスに洗礼を施し「神の子」と証言した洗礼ヨハネこそが、そのエリヤであると断言したのである。マタイ3章・3にも、洗礼ヨハネがそれであると書かれている。エリヤの使命としては、メシヤを証言し彼と共に行くべきであった。ところが、ヨハネはその後はイエスと別行動をとったのである。洗礼ヨハネが、後にヘロデ王につかまり牢獄から彼の弟子をイエスの元へ送った。そして、「あなたは、メシヤですか?」と尋ねたのである。イエスのこの時のやるせない思いが、聖書には記されている。まさに、この洗礼ヨハネの無知・不信こそがイエスを十字架へ追いやる元凶となったのである。さて、原理ではイエスの「十字架による救いの摂理」についても詳しく書かれている。旧約聖書からは、メシヤ降臨の予言については二通りの予言がされている。このシリーズ初めからも、予言のいい加減さを挙げているがそれである。一つは、ユダヤの王としての華々しい予言。そして、もう一つは苦難(十字架)の予言である。原理では、メシヤに関しては最初の予言を重要視している。しかし、洗礼ヨハネの無知と不信で本来の予言が成就出来なくて、イエスは二次的な救いの予言の十字架の道を行かれたである。では、再臨に際しても、もう一度十字架にかかるためにイエスは来られるのだろうか。否、決してそうではないはずだ。さて、新約聖書もまた、旧約聖書同様に二つの予言が書かれている。私たちは、2000年前の予言の教訓を生かして失敗を繰り返さないようにしなければならない。十字架の死が必然的なもののように記録されている聖句聖書に対する我々の態度 にほんブログ村・宗教 へ現代の洗礼ヨハネは一人か、というと、必ずしもそうではないようだ。アトランティックシティーでの「原理本体論修練会」の映像を公開
2011.11.05
コメント(0)
予言の多くには終末に関するものが含まれるが、つい先日も米国のハロルドキャンプ氏が、当初は今年5月21日、そして、10月21日こそが本当の終末の日として予言した。その10月21日もすでに過ぎ去った。さて、原理の第三章は「人類歴史の終末論」である。我々は、人類歴史がいかにして始まり、また、これがどこへ向かって流れているかということを、これまで知らずに生きてきた。したがって人類歴史の終末に関する問題を知らずにいるのである。多くのキリスト教信者たちは、ただ聖書に記録されていることを文字どおりに受けとって、歴史の終末においては天と地がみな火に焼かれて消滅し(ペテロ・三・12)、日と月が光を失い、星が天から落ち(マタイ二四・29)、天使長のラッパの音とともに死人たちがよみがえり、生き残った人たちはみな雲に包まれて引きあげられ、空中においてイエスを迎えるだろう(テサロニケ・四・16、17)と信じている。しかし、事実、聖書の文字どおりになるのであろうか、それとも聖書の多くの重要な部分がそうであるように、このみ言も何かの比喩として言われているのであろうか。この問題を解明するということは、キリスト教信者たちにとって、最も重要な問題の中の一つを解明することといわなければならない。ところで、この問題を解明するためには、まず、神が被造世界を創造なさった目的と堕落の意義、そして救いの摂理の目的など、これらの根本問題を解明しなければならないのである。聖書には上記のように、ハロルドキャンプの主張する天地が崩壊する予言が書かれている。また、一方でそれと異なる予言も混在している。その予言の原理的解釈についても(特に、クリスチャンであれば)気になるところだが、それについては省くことにする。知りたい方は、原理の本文から確認していただければ幸いである。原理からは終末について、悪によって始められた人類歴史は、事実上、神の復帰摂理歴史であるがゆえに、サタン主権の罪悪世界はメシヤの降臨を転換点として、神を中心として三大祝福が成就される善主権の世界に変えられるようになるのである。このように、サタン主権の罪悪世界が、神主権の創造理想世界に転換される時代を終末(末世)という。したがって終末とは、地上地獄が地上天国に変わるときをいうのである。と定義している。さらには、(1) ノアの時も終末であった(2) イエスの時も終末であった(3) イエスの再臨のときも終末であるそして、他の多くの予言と同様に、原理もまた、様々な兆候から今日が終末であると主張している。この終末論のなかで、注目して挙げたいのは、第五節の『終末と新しいみ言と我々の姿勢』である。終末には、新しい真理が出現するということ、なかでも、凡人が特記したいことは(凡人の原理でお気に入りの個所だが)、『終末に際して我々がとるべき態度』である。復帰摂理歴史の流れを見ると、古いものが終わろうとするとき、新しいものが始まるということを、我々は発見することができる。したがって、古いものの終わる点が、すなわち新しいものの始まる点ともなるのである。それゆえに、古い歴史の終末期が、すなわち新しい歴史の創始期ということになるのである。そして、このような時期は同じ点から出発して、各々その目的を異にし、世界的な実を結ぶようになった善と悪との二つの主権が、互いに交差する時期となるのである。ゆえにこの時代に処した人間たちは、内的には理念と思想の欠乏によって、不安と恐怖と混沌の中に落ちこむようになり、外的には武器による軋轢と闘争の中で戦慄するようになる。したがって、終末においては国と国とが敵対し、民族と民族とが相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう(マタイ二四・4~9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるを得ない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。ノア、アブラハム、モーセ、そしてイエスのような人々は、みなそのような新しい時代の中心として立てられた人々であった。それゆえに、このような歴史的な転換期において、神が願うところの新しい歴史の賛同者となるためには、神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探しださなければならないのである。このような新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。したがって、この摂理は古い時代の因習に陥っている人々には、なかなか納得ができないのである。新しい時代の摂理を担当してきた聖賢たちが、みなその時代の犠牲者となってしまった理由は、まさしくここにあったのである。……終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。 聖書のへブル人への手紙第11章1節~からは、さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。……これと同じことが、聖書でも書かれているのである。終末と言われる今日、「私たちがとるべき態度」として一考する内容として、何度も読まれることをお勧めしたい。また、文総裁の自叙伝『平和を愛する世界人として』も。。。余談だが、「歴史は繰り返す」――このように、歴史の周期や、あるいは、パターンを理解出来れば、私たちも予言者となることが出来るのである。占星術などもまた、これを応用したものであることはいうまでもない。 にほんブログ村・宗教 へ
2011.10.30
コメント(0)
シリーズ・前回のおまけにあった『イザヤ書』、そして、『格庵遺録』についてもお楽しみいただけただろうか。 にほんブログ村・宗教 へ約1ヶ月前に下書き一部を書いては、間がまた空いてしまった m(__)m統一原理に見る予言のそれと一線を引くのが、「第2章 堕落論」である:「第1章 創造原理」・創造目的で、被造世界を創造された目的について被造物の創造が終わるごとに、神はそれを見て良しとされた、と記録されている創世記のみ言を見れば(創一・4~31)、神は自ら創造された被造物が、善の対象となることを願われたことが分かる。このように被造物が善の対象になることを願われたのは、神がそれを見て喜ばれるためである。とある。あらゆる被造物が神様の願いどおりに成長期間を経て完成し、喜びの対象となるようになっていた。ただ、人間に関しては三大祝福を与えられて「人間の責任分担」も全うすることによって、神様の子女となるように創造されたのである。人間が自己の責任分担を果たしてアダム・エバが理想家庭をつくっていたならば、宗教は「アダム教」一つで、今日のような多くの宗教や予言自体は必要なかったはずである。統一原理で予言と一線を引くのが、この「堕落論」である。ところが、聖書の失楽園の物語――それを原理的に解説した「堕落論」――によって、それが成就出来なかったために、その創造本然の世界へ帰っていく道を示す多くの宗教や予言が出てきたと考えられる。この堕落さえなかったら、これら宗教・予言は必要なかったのである。原理(「アダム教」)も『創造原理』のみでよかった。さて、地域や時代によって、その宗教・予言の程度は大なり小なりに違うが、その方向は概ね一致するものがある。終末の予言、そして、救世主の出現等。ここで、漢字というものは面白いもので、「宗教」について文総裁は、「宗」は「家を示す」、「教」は「父に孝」と書くと解説されておられる。宗教・予言も、本然の理想家庭(世界)へ帰っていくための道筋を示すものであるということだ。原理講論の後編では、『アダム家庭』、『ノア家庭』、『アブラハム家庭』などと家庭単位で書かれているのもこのためだ。それが、さらにモーセの民族的基盤、イエスの国家的・世界的基盤へと拡大されてきた。「歴史は繰り返す」という言葉についても考察するならば、同じような過程を家庭・民族・国家・世界的に繰り返してきたことを、原理から発見することが出来る。予言とは関係ないが、「堕落論」でもうひとつ特記すべきことは、全知全能の神様であれば人間始祖アダム・エバの堕落の可能性についても、当然知っておられたのに、何故? 神様はそれを防ごうとしなかったのか、についてである。これまでのキリスト教では、それについては明快な解答がない。 第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由(一)創造原理の絶対性と完全無欠性のために(二)神のみ創造主であらせられるために(三)人間を万物の主管位に立たせるために (註:文責は凡人にある)韓国・大田日報から:[寄稿]新(神)の日と韓国の未来'神の日がきている。 神の日は必ず来る。" 閉塞南北関係、半額授業料の問題、福祉問題、労使問題で全国がシクロプドン6月中旬のある日、瞑想をしていたところ突然に浮かんだのが"神の日"だ。 神の日に"神"はよく聞く、特定の宗教に関連するシーンやスンベナ信仰の対象ではない。……これから来る未来は、我々の手にかかっている。 大韓民国が東方の灯りで、人類の精神指導国になるという予言は予言で終わるのではなく、それが私たちの民族の使命であり、運命ならば、現実に成し遂げることはできないか? 自殺率、離婚率、喫煙率世界1位、幸せ度100位圏外の不幸な国ではなく、人間性が回復し、精神と物質の調和を成し、成長と分配がバルマトチュゴ、個人と全体が一緒に完成に向かっていく、真の福祉の代を実現した世界最高の福祉国家を作ることはできないか? 私達がこの夢を達成するには、世界各国が先を争って学ぼうとするはずで、韓国は人類に精神文明の時代を示す精神指導国になるだろう。 ……
2011.10.22
コメント(0)
さて、原理講論(以下、特別に区別を要しない限りは「統一原理」、あるいは「原理」と記述する)でまず最初に出てくる予言は何か?第一の予言:新しい真理が現われなければならない『第一の予言』などと見出しを大きくしたので、火の出るようなものすごい予言を連想された方もおられるのではなかろうか 原理を聞かれた方であれば、火の意味を理解して首を大きく縦に振っておられることと思う。それに関しては原理の『終末に関する予言』で触れることになるだろう。そもそも、統一原理はクリスチャン向けに書かれた教義解説書である。聖書の中にも、やがては多くの新しい真理のみ言(みことば)が与えられると予言されているが、ヨハネ黙示録22章18節~に『この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、私は警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、……』この聖句をもって、聖書を絶対視する信仰者も少なからずいる。原理はそういった固陋(ころう)な信仰態度に警鐘を鳴らしている。しかし、それぞれの宗教の使命分野は、民族により、あるいは時代によってそれぞれ異なるものであり、それに伴って、上述のごとき理由から、その教典も各々異なるものとなってしまったので、各種各様の宗教が生まれるようになったのである。すなわち、教典というものは、真理の光を照らしだすともしびのようなものであり、周囲を照らすというその使命は同一であっても、それ以上に明るいともしびが現れたときには、それを機として、古いともしびの使命は終わるのである。(統一原理・総序より)聖書だけに限らず、統一原理もまた同様で、総序の最後にそれを示唆している。ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。暗い道をさまよい歩いてきた数多くの生命が、世界の至る所でこの真理の光を浴び、蘇生していく姿を見るたびごとに、感激の涙を禁ずることができない。いちはやくこの光が、全世界に満ちあふれんことを祈ってやまないものである。ここで、日進月歩、新しいものが誕生しているなかで、「新しい真理の出現」がどうして第一の予言なのか(?)と疑問を抱かれる方もおられるだろう。原理では、新しいというだけでなくさらには、その新しい真理の使命についても言及している。新しい真理の使命宗教が目的とした内的真理と科学が目的とした外的真理を統一した課題で解決神の実在性と神の心情を紹介唯心論を高次元に昇華させて唯物論を吸収し、全ての主義、思想及び宗教を統一 → 新世界全人類を神を父母として侍る兄弟愛で結びつけ、大家族世界、すなわち地上天国を造る。聖書の根本問題を解明する また、『第一章 創造原理』、特に、第三・四・五・六節は神様の創造理想世界について書かれており、これもまた、今後の未来世界の予言の一部ということになるのだろう。 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へおまけ。前回の【宗教と予言·達成】日の地震予測したタンホ、もう一つの予言は? に続き、【宗教と予言・達成】もシリーズとなっているので紹介しておく。 【宗教と予言·達成]預言者イザヤの預言 8月28日(日) | 天地日報 | イザヤは預言立っていたとして、"万軍の主の名で言われた、私の考えたのが、必ずさと私の経営することが必ずしもイルリラ(社14:24)"と言われた神様のお言葉のとおり、預言者イザヤが記録したこの預言の言葉も行われた... 【宗教と予言 ・成就 】格庵南師古の予言と聖書 9月2日(木)| 天地日報 | (天文)ボクサー(卜?)などトンダルヘ多くの知識人たちから認められている。" ? ?年の運輸で自分の道(タオ)が終わるの釈迦が予言ハヨトネ。終末をダンハヨ弥勒仏が下降することを本当に信じて波平。北斗七星の主人の優勢(牛性)が宿っている...
2011.09.02
コメント(0)
書き込みが前後するが、【シリーズ】13回で紹介した故・劉孝元(ユヒョウォン)教会長が統一原理(原理講論)を執筆された。文総裁が直接ではないので、劉孝元教会長が書かれた予言書では(?)、と凡人が主張しているのである。 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へ 以下は、『真の御父母様の生涯路程No.4』からの抜粋。 これまでのコラムで、予言書にはただの予言だけでなく『終末に関する予言』、『救世主(再臨主)について』も書かれており、その予言の的中率がその信憑性につながると説明した。同様に、原理講論には韓国、日本、そして、世界(第三次世界大戦の必然性など)についての予言も書かれており、終末論・再臨論に関してはいうまでもない。ここで断っておくが、原理講論には「再臨主が誰か」についての記述は一行もない。ただただ、文総裁夫妻が再臨主ということは、キリスト教の信仰告白に見るように、これも統一教会の信仰によるものである。信仰について聖書・へブル人への手紙第11章1節~をみると、さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのではないことを、悟るのである。信仰によって、・・・余談になるが、日本における統一教会信者の拉致監禁被害が過去4300名にもなる。再臨期の迫害については、聖書の予言の中に書かれており、また、原理講論でも聖書のそれが明記されている。ということは、予言の一つについては的中しているということになる。 何度も繰り返しで申し訳ないが、あくまでも、真実は、これを読んだ読者自身が考えるべきである 最近では、文総裁の自叙伝『平和を愛する世界人として』や『キング牧師と文鮮明師』といった書籍も出版されており、それらも一つの参考文献となるであろう。おまけ:【宗教と予言·達成]日の地震予測したタンホ、もう一つの予言は? 2011年08月27日(土)19:25:18 キム・ジヒョン記者 "人類史実が韓国土地で結ばれること" [天地日報=キム・ジヒョン·ソン・ソングク記者]呑虚(タンホ)僧侶が生前に予言した通り日本大地震は去る3月想像を超越した衝撃と被害で地球村をさらった。 これに伴い,僧侶が残したまた他の予言に世間の関心が集められている。 去る3月日本,本州,仙台東側179km海域で発生した規模9.0の地震は日本全地域を途方もない恐怖に追い込んだし死亡者と失踪者数が数万人に達した。 これは1900年代以後世界で4番目に大きい地震で記録された。 僧侶はまた,6.25韓国動乱(朝鮮戦争)と蔚珍(ウルチン)·三陟(サムチョク)共産軍浸透事件を含んで,ベトナム戦争当時米国がベトナムで勝つことができなくて退くことも予言したと発表された。 僧侶が日本の未来に対して予言した本の中で‘主役善良で(周易禅解,全3巻,82年出版)'きて‘仏様がおられるならば'これという二冊の本は忘れられて行って去る3月日本を強打した地震と津波でまた注目をあびている。 彼は‘主役善良で(第3冊)'で現在の地球表面は陸地が1/4程度なのに,前に地球大変化を経て,陸地が地球全体の3/4になることと予言した。 僧侶はこの中一部を我が国の領土回復で見た。 僧侶は"北極の氷河が地球の中の火勢で溶けていて我が国西海(ソヘ)の約2倍大きさ土地がわき上がって,満州と遼東半島の一部がまた私たちの領土で回復する"故説明した。 反面日本に対して"日本は沈没する。 日本は過去の作った悪業の報いで最も不幸な国になって ミョ,被害後には自主力がないので韓国の影響圏に入ってくる"故予言した。 僧侶は地球大変化を体験しながら成熟した後天世界には極限と極暑の苛酷な気候がなくなるので我が国と隣国の関係の中で血を流す犠牲が伴うのは自明だと伝えた。 乗ったホ僧侶がキム・イル香典(富の)‘情駅'ウイ原理を根拠とした予言もある。 "これからは王道政治が立てられるでしょう。 誰のおかげで生きるのか分からない世の中が繰り広げられるでしょう。 ところで宗教は果たしてどのように変貌するのかが心配らしいことだが,すべてのうわべ(殻)を脱いでしまい宗教の裸が世の中とあらわれるでしょう。 現在の宗教は滅びなければならないでしょう。 掃いてなくさなければならないでしょう。 信仰人どうし反目嫉視して君の宗教,私の宗教がオルタゴハミョ元帥(敵)のように対する異邦人といって,動物のように取り扱う浅はかな宗教の壁が崩れるという意です。 その障壁が崩れれば諸宗教になるでしょう。 キム・イルブ先生は儒·仏·仙が一つになるといったし,カン増産先生もそうなるといいました(‘仏様がおられるならば'中で)." 僧侶は合わせて"人類史の実がすぐにこの土地で結ばれること"これと話した。 韓国問題の解決は世界問題の解決と直結して我が国を焦点で開始と終わってくるということだ。 これは我が国の南北分断問題と統一問題が人類次元で見れば小さい問題のようだが,今日国際政治の最も大きい争点で現れるような脈絡だ。 実際に北朝鮮の核問題は米国をはじめとする世界指導国家の注目をあびている。 僧侶は特に"世界救援の方案がすでに韓国土地で準備されている"コ話した。 "ながくなくて我が国には偉大な人物が出てきて祖国を統一して平和的な国家を建設することであり,すべての国内の問題を解決して私たちの国威を宣揚するでしょう。 そのように見れば韓国は世界的な神都,言い換えれば精神首都の根拠地としても過言ではないだろう(‘主役善良で,第3冊'中で)." 民族宗教協議会企画局長イ・チャング博士はこれに対して"我が国に対する予言は乗ったホ僧侶だけでなく150年余り前から民族宗教の先覚者らも話したことがある"面で"乗ったホ僧侶は70年代以後から情駅を通じて,宇宙の変化問題を勉強しながら,科学的に接近したこと"これと説明した。 引き続き"乗ったホ僧侶の予言のとおり我が国は地球が成熟していくことと同じ過渡期,すなわち精神的混乱期に直面している"面で"こういう混濁している世の中で多くの人を治癒して正しい道に引き渡す霊的·精神的指導者が必要だ"コ付け加えた。
2011.08.28
コメント(0)
08/13日記 【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(15)-- 格庵遺録の信憑性について で、「格庵遺録は偽書ではないか?」とのコメントをいただいた。今回はそれへの追加ということで、特別に(15 - その2)とさせていただく。格庵遺録は偽書ではないか?アメリカの呼び名から偽物と思われます。格庵遺録本文中の記載に「米国」とありますが、韓国でも中国でもアメリカの漢字表記は「美国」です。したがって、格庵遺録は米国をアメリカと理解できる日本人に対して書かれた偽の預言書ということになります。著者高坂満津留氏も偽書ではないか? と質問を投げかけています。1944年の筆写本ということを考えれば、当時韓半島を統治していたのは日本であり、日本人が分かりやすいように原本の「美国」を「米国」に移し替えたとの説も考えられます。重要なのは、1944年以降もの予言の的中率であり、その信憑性を左右する内容ではないかということです。いずれにしても、著者は、 『あくまでも、真実は、これを読んだ読者自身が考えるべきである。』と文を締めています。-----P.S.また、すでに気づかれたことと思いますが、1944年といえば、戦時下であって敵国を『美』化するような表現は当然、厳しく統制されていたことが推察されます。当時の文献資料を調べれば、そういった事実関係もはっきりするものと思われます。一歩ゆずってこの『格庵遺録』が偽書であるとして、予言書『格庵遺録・偽書』と書かれていたとしても、1944年以降の的中率を考えれば、他の予言書と遜色ないものと言えるのではなかろうか。また、それに書かれている日本に対する予言も信憑性のあるものとして、今一つ気になるところとなる。さて、ここで追加して書きたいことは、ちゃぬの日記で『格庵遺録』は、文総裁、あるいは、ある宗教団体の都合のいいように書いた「偽書」であると断言されておられることについてだ。この写本に「朝鮮総督府中央図書館」の印が押されていることからして、その主張自体が空を切ったものだ。他の記事も同様で、どれだけのヒットがあるか多くの疑問をいだくものである。「ちゃぬの日記」だけでなく「北風と太陽」他ブログにも、予言書と同様に、その信憑性が問われる時を迎えつつある 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へ
2011.08.21
コメント(0)
シリーズも3回で終わるはずが、17回目を数えることとなった。その2回目で、すでに凡人の結論については書いた次第である。統一原理(原理講論)は、半世紀以上前に書かれた統一教会の教義を記した書物である。ところが、書かれた当時に戻って読んだとすれば、予言めいたことが少なからず書かれていることを発見する。見方を変えて統一原理は、また一つの予言書では(?) とういうのが、凡人の主張である。凡人のブログに限ったことで、公式な見解ではないので誤解がないようにお願いしたい。また、「統一原理を10倍楽しむ方法」という本が出版されるとすれば、歴史学的観点から、トインビーが『歴史は繰り返す』といったが、何故、そうなのかについては言及していない。ところが、統一原理では神様の復帰摂理的観点から明快な解答が提示されている。近世・近代史についても違った観点から考察がなされており、研究してみる価値は充分にある。創造原理からは、科学的思考にも大きなヒントが含まれている。統一原理のほか、勝共理論(頭翼思想)・統一思想もあり、それらは三本柱とも言われたりしていて、思想面からも楽しむことができる。勿論、宗教学や比較宗教学はいうまでもない。それからは、統一原理の第4章メシヤ論を読めば、2000年前のイエス様の十字架、当時のユダヤ教の迫害と、今日の統一教会員の拉致監禁事件といったものが二重写しになって見えてくるはずだ。神学的・信仰的に勉強されたい方も大歓迎である。異端視されているからといって、反対牧師の色メガネの見地からは到底考えられないものがそこに眠っていることには間違いない。 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へあくまでも、真実は、これを読んだ読者自身が考えるべきである
2011.08.17
コメント(0)
『ついに解明された1999年』(1994年・高坂満津留著)の続編として出版されたのが『大予言が証す救世主/奇跡の1999年』(高坂満津留・佐藤昌樹 共著)である。今まで凡人も大見出しだけで気付かずにいたが、その表紙の中右にその時日本は 沈没する?というのが目に留まった。改めて、その積ん読本を開いてみる。[主な内容]日本沈没の恐ろしい予言が格庵遺録にも!!ノストラダムスの最大のキーワード「太陽の法と金星の法」が解けた格庵遺録が予言する世紀末日本の様相救世主は理解されず、嘲笑、迫害される確実に広がる救世主の世界救済運動そして1999年、世界はこうなる!! 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へ日本沈没といえば、小松左京のSF小説『日本沈没』を連想される世代の方もおられるのではなかろうか。TVドラマや映画化もされ、かなり話題になったようだ。凡人もついでがあり、レンタル屋でそれを見つけた次第。さて、今回の高坂氏のインタビューは、予言者・南師古の子孫で南ヒヨンジョンさん、南家の家系を専門に研究されておられる方である。本著からの抜粋は以下(P.42~51)。「2000~2010年に日本が滅亡することが書かれているというのです」……「その予言はそれだけでしょうか」「具体的には日本が沈没すると書かれているようです。その後、韓国が中国を統一し、世界平和を実現するということも書かれている。予言は秘訣だから、暗示であって直接的に書かれているわけではない」……「それによると、日本は防波堤になると言っている。太平洋からすさまじい大波が来て、日本はその渦にのみ込まれてしまう。そして、その日本が防波堤となって韓国は助かるというものなんですよ」日本が韓国の防波堤?そんなことがありうるのだろうか。そんな予言が南師古の予言にあるのだろうか。日本に対する恨みがそういう空想を作らせたのだろうか。もし、そうだとすれば、これは何事でも日本が悪いという例の日本悪人論の一種かもしれない。が、そうではなく、もし、これが本当だとしたら――。私は全身に寒気を感じた。いったいどんなふうに日本は太平洋の藻屑(もくず)となるのか。五島勉氏の言うように、宇宙から飛来した小惑星の衝突によってか。それとも、エドガー・ケーシーが言う極ジャンプ、地軸が移動することによって起こる災害か。いずれにしても、大きな振動によって、太平洋に津波が起き、それはかつてなかったほどのスケールで日本を襲うことは間違いない。それが2000年から2010年ごろに起きるのだろうか。いや、他の多くの予言はその前に日本のカタストロフィー(破滅)は起こるとしている。これが南師古に予言されていたことなのだろうか。……●「日本の悲劇」回避の道はどこに……400年前の大予言者、南師古。彼はいったい何を告げたかったのだろうか。少なくとも、韓国民族には救済の道を示すと同時に、わが日本民族にも何かを伝えたかったのかもしれない。何しろ予言書で記されている救世主は、この日本と深いかかわりをもっているのだから。世界の中でも統一教会の会員数は日本が最大であるという。これは何を意味しているのか。日本沈没予言を回避する秘密がそこにあるのではないだろうか。本著は1995年出版の書であり、タイトルからは1999年だが、意外にも南師古氏の予言は2000年~2010年である。しかし、1999年が過ぎ2010年も過ぎ去った と笑い飛ばすことが出来ないのは、凡人だけではないはずだ。 2011年3月11日14時46分 東北地方太平洋沖地震がそれだ。さらに読み進めていく(P.100~)。注釈を付けるまでもないが、凡人が勝手に書いているとは思われていないと思う。疑われる方はアマゾンの中古本なり、図書館でも調べるなりされたらいいだろう。 もう一度申し上げるが、あくまでも、真実は、これを読んだ読者自身が考えるべきである本著では、1~3章を高坂氏、4~6章は文鮮明師の生涯と南師古予言の共通性を、より深く具体的に照合した佐藤昌樹氏が担当する構成になっている。4章からのそれは、凡人は見出しのみにとどめる。詳細をお知りになりたい方は直接に本著を手にされて見てください。4章 救世主は理解されず、嘲笑、迫害される思いがけない救世主の現れ方聖人は三八度線以北に誕生する「天より来られる父母」を理解できず罵りわめく血涙をながして、世界平和を祈る救世主転々とする救世主の住む家次々と続く迫害のあらし救世主と信徒との特別な関係無学の者が先に救世主を受け入れる5章 確実に広がる救世主の世界救済運動世界的共産主義と闘う救世主世界が注目した文鮮明師と金日成主席の出会日本での大講演会すべての宗教を統一する「十勝」6章 そして1999年、世界はこうなる!!苦難の終末蘇るモンゴルの大王平和の訪れ天使人類の子孫あとがき――その時は近づいている!!
2011.08.14
コメント(1)
前回は、1998年に発行された予言書研究家・具成謨(グソンモ)氏の『彼は誰なのか』の本を紹介したが、それを前に『ついに解明された1999年』(1994年・高坂満津留著)という本でも格庵遺録の秘密について書かれている。高坂氏はこの書を書くにあたっても、具成謨氏と会ってインタビューをしたりしてもしている。ちゃぬさんの指摘されたように、格庵遺録は偽書ではないか(?)との疑問を感じて、著者は具氏にその質問を投げかけたりもしている。本著(P.72~)から もし、その予言が天地神明に誓って正しいとするならばだが――。 私はこの点に関して疑問を感じたので、失礼かとは思いながらも、重ねて 「本当にこの遺録は四百年前のものなのでしょうか。あまり当たるので、かえって後世の偽書とも思えてしまうんですが――」と聞いた。 具さんはそれはもっともな質問だといいながら、格庵遺録のある部分を指さした。そこには、「甲申閏四月丙申」という記述があった。 つまりこの筆写本が原本より移されたのは、1944年ということなのだ。少なくとも、1944年以前にこの世にこの予言書は存在していたことになる。 この写本は「朝鮮総督府中央図書館 古書目録『古1496』」というふうに印が押されていた。植民地時代にその存在が確認されていたわけだ。 現在、この写本は国立図書館に秘蔵番号「1496-4号 古集 3749号」として秘蔵されている。 一歩ゆずって、この書が写本された1944年に書かれたものだとしても、1950年に勃発した韓国動乱やそれ以降の歴史的事実を正確に予言したことからも見て、後世の偽書ということはまったくありえない。 明らかに具さんのいうように「神霊」が働いているとしか言いようがないのである。 ここで、その問題の救世主を明らかにする前に、まず格庵遺録のほぼ全容を紹介したい。その中で、救世主の名前も、予言が正しいかどうかも、徐々に明らかにされていくだろう。 あくまでも、真実は、これを読んだ読者自身が考えるべきである。 参考までに、本著の巻末の資料――「格庵遺録予言年表(具成謨氏の表を参考に作成)」を以下に挙げておく。格庵遺録の信憑性についても、ここから伺い知ることができる。凡人もまた、あくまでも、真実は、これを読んだ読者自身が考えるべきであると、一言付け加えておく。 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へ
2011.08.13
コメント(3)
凡人の日記で『【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書』、気のみ気ままに散文的に書いてきたもだが、まずは、これまでのものを分かりやすくするために以下にまとめてみた。【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(1)【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(2)【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(3)-- 弥勒仏とメシア:救世主は誰か【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(4)-- 幸せな思考する科学者が多ければ【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(5)--予言書としての聖書 【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(6)--予言書としての聖書(2)【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(7)--予言書としての聖書(3)【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(8)-- 5月21日が審判の日なのか【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(9)-- 5月21日が審判の日なのか【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(9 - 2)-- 5月21日が審判の日なのか【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(10)-- 終末に逃げ道はある【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(11)-- 終末の予言・救世主【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(12)-- 予言書の信憑性と統一原理【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(13)-- 原理講論を執筆された劉孝元教会長さて、これまでの話から、予言書といっても直接的に書かれた内容ではなく比喩や象徴でもって書かれており、解釈次第ではどうにでもなるといった代物である。ところが、その予言書の研究家たちは血眼になってこれまでの史実と照らし合わせ、その信憑性を高めようと努力している。そして、その審判の日の予言をより現実的なものとして紹介しているのである。では、この終末の予言は、天変地異が起こりこの世が消滅することだけを書いているのか。否、そこからの避難所(逃げ道)をも提示している。そして、そのキーワードが、「人類を救う"子供"」、「正道令」、いわゆる聖書などでも書かれている「救世主の出現」であるということだ。余談になるが、ブログ「ちゃぬの韓国日記」さんでも、特に、予言書「格庵遺録」についても多くのスペースを割かれて、単なる推測からそれが最近になって都合のいいように書き換えられたものだとして、その信憑性を否定されようとしておられた。一つには、1998年に発行された『彼(真 メシヤ・弥勒菩薩・鄭道令・真人)は誰なのか』で、予言書研究家・具成謨(グソンモ)氏が多くの韓国の予言書を取り上げながらも「格庵遺録」をもって、そのお方こそ「文鮮明」先生ではないか! と明言したからだ。先にも書いたが、ノアおじいさんのように洪水審判だけをもって語ったとしても変人扱いされるのが落ちで、予言書はその信憑性についても問われる。イエス様も、聖書の預言や、洗礼ヨハネのような証し人があって、(神様が)彼を救世主として私たちが認知出来るようにしてくださったのである。終末と叫ばれている今日もまた、イエス様当時と同様であることはいうまでもない。 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へ
2011.08.01
コメント(0)
順番から行けば後の話となるのだが、ニュース性ということでここで紹介しておく。ユヒョウォン先生第41周期追慕礼拝行事あれこれ - ホヤンギョグジャンイ報告祈りをしている。- ソクジュンホ協会長が追悼の辞をしている。- 回顧談をしているパクポヒ会場- 家族の挨拶をしているサギルジャ会場 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へ『原理講論』(統一原理)は文総裁が執筆されたものではなく、劉孝元(ユヒョウォン)初代教会長がされたものである。このコラムで、原理講論も予言書との見方についても書いているが、この「予言書」を書かれた予言者が劉孝元教会長であるということだ。
2011.07.22
コメント(0)
もし、予言書の内容が、 「終末の予言」の一つだけが書かれていたとしたらどうだろうか。まさに、そのよい例がノアおじいさんだ。洪水審判の啓示を受け、平地ではなく山頂に方舟を造った。その間、当時の人々はノアにその理由を尋ねなかっただろうか? ノアおじいさんは洪水審判の話をしたに違いない。ところが、それを聞いた人々は、彼を奇人変人扱いしたのだ。時満ちて、その時はすでに遅し、その人たちは全て水に呑まれてしまった。また、多くの未来予測だけが羅列されていたとしたら。。。耳につければイヤリング、鼻にすれば鼻ピアスといったもので解釈次第で、どうにでもなる。また、占い師か、予知能力者の程度で、さほどの関心も示さないであろう。ところが、『驚くほどの、古今東西の予言書』には、未来予測だけでなく、終末に関する予言も混在する。ノストラダムスの予言然り、聖書の黙示録、中国の預言書"チュベド"、マヤのカレンダー 、格庵遺録、等々。予言書のカギをひも解く研究者らは、未来予測と史実とを照らし合わせてその的中率の高さを誇るとともに、その予言書の信憑性にもつなげようとしている。それが、この『終末の予言』をも見過ごせなくしているのである。さて、このコラムの結論的内容はすでに 【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(2) 、および、 【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(3)-- 弥勒仏とメシア:救世主は誰か で書き記した。(統一教会の)原理講論は、聖典の一つではあるが、半世紀前に書かれた予言書という見方もできるのではないか、と思うのである(公式のものではないので、凡人の日記次元で)。2000年前、「ナザレから何のよきものが出ようか!!」と言われていたように、半世紀前までは韓国もそのナザレ同様であった。原理講論では、その韓国を中心とした環太平洋時代の到来を予言していたのである。今日の韓流ブームなど、到底予想できない時代に、である。そして、 『終末論』の記述があるのはもちろんのことである。 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へ
2011.07.12
コメント(0)
日にちを長くおくと、何をどのように書いていいものか、また、あれもこれもと複雑にからんで何から書こうかとそれだけで時間が過ぎていくようである。とにかく、いつまでも放っておくわけにはいかないので、乱文でも進めてみることにする。予言書といえば、単純に過去に未来の出来事を予測したものというくらいなら、そこそこの関心があっても「占い」程度のものであろう。ところが、私たちが最も注目するのは『終末に関する予言』である。古今東西を問わず予言書には、天変地異が起こると予言されている。果たして、その時が人類滅亡の時なのかもう一度、このコラムのタイトルとなった元記事(第1回目)に目を通してみることにしよう。以下一部抜粋。このように57番目の予言は、今後の人類を救う"子ども"が登場すると説明している。 この子が表示され、世界に平和が到来し(58)、その後悪を行わない者だけが救われることができる(59~60)と伝える。 私たちが知っているノストラダムスの予言は、4行詩で合計1100編にのぼる。ここで、特異な点は、予言が一様に具体的ではなく暗示的というのだ。それで耳にかけると、イヤリング、鼻にかけると鼻ピアスという言葉のように解釈次第という評価を受けたりもする。 "格庵遺録"の結末は、一般的な終末説とは異なり、救い説を土台にしている。 本の記録によると、将来の世界は、"不老不死"、すなわち、不変も死ぬこともない人生が繰り広げられる。 "不老不死"を持ってくる人、すぐにジョンドリョン(正道令)が表示され、この人は、韓半島で出現する。予言は、このまま終わらないでジョンドリョンがいつ、どこでテオナミョ、持って表示される印は何なのか、どのような話をするのかを詳しくソスルドェ象徴的に記述されたノストラダムスと比較される。予言書や秘訣書が世紀を越えて関心を受ける理由として、"将来の不確実性"が挙げられる。 また預言書に否定的な内容が肯定的なよりも相対的に多くの理由は、最悪の事態に備えて、心理的な圧迫を軽減することができるというのが主な分析だ。 予言や秘訣書の結論は、生存率というのが研究者たちの共通した意見だ。 "ノストラダムスの予言書> <チュベド> <送お金の秘密> <南斜面と秘訣"そして最近のミネルバの経済予測などを延ばして見ると予言や予測が、社会的政治的背景と関連が深く、最悪の状況を準備するように暗黙的なメッセージを読むことができるだろう。 例えば、天地開闢が起きた時に命を維持することができる場である"シプスンジ(十勝之地)"は、いくつかの秘訣書に記載されている重要な単語だ。 予言書といっても、イヤリングか鼻ピアスのようなもので解釈次第ということ、また、最悪のケースが発生した場合でもその準備のための暗黙的なメッセージと解釈できるということだ。コラムの中で、聖書・ヨナ書についても言及したことがあるが、その最悪を回避した一例である。さらに、もう一つのキーワードは、最悪の場合のノアの方舟のような「避難地」、そして、「人類を救う“子供”」、「正道令」、いわゆる聖書などでも言われている「救世主の出現」である。 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へポロロ平昌マスコット署名運動'雪道'
2011.07.09
コメント(0)
5月21日が終末と予言したアメリカのラジオ放送だが、その日は何も起きなかった。そして、改めて5ヶ月後の10月21日に日にちが延ばされた。終末とは何か? についてはっきりとした回答があるわけではなく、様々な予言書を通して漠然と理解されている。終末は、果たして世の終わりなのか? あるいは、新天新地が現れるときなのか。もう一度、 【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(1) に戻って考えてみよう。最悪の事態を考えながらも、予言書にはその逃げ道が隠されている。救世主の出現を待ち望むのもその一つだ。また、最近の文章からは[作家パクサンウの映像を読む]終末が来てもハトは叫ぶ……ヒュゴナ終末への予言は、昨日今日のことではありません。 それにより、致命的な事例もストハゲ伝えられています。 スイスとフランスで起きた『太陽の寺院'信徒集団自殺事件は、日本で起きたオウム真理教サリンガスのスプレー事件などもそれに関連するひどいケースです。 終末論が社会的に蔓延すると、社会の構成員が自分の人生の精神的足場を失ってさまようことになります。 終末を前提とすると、まじめな生活を、目的の人生がすべてブジルオプゲ考慮されるからです。 まさにその点で、私たちはいつもスピノザを満たしています。彼が『明日の地球の終末が来るも、私は今日一本のリンゴの木をシムゲトダ』という言葉の意味が私たちに伝えたいメッセージは何なのでしょうか。 終末は、人間が扱うことのできる領域の言語ではありません。たとえ終わりが来るとしても、それを理性的に対処することができないからです。別の方法で表現しようとする人間は、日常的に終末を住んでいるので終わりにあえて言及する必要はありません。スピノザが悟らせがっていた知恵の核心のように、人間は自分に与えられた'今日'を最善を尽くして生きればされています。一日一日終わりだという考えで生きる姿勢、??それが情熱を注いで最善を尽くす人生の姿勢です。日常的に終わりを告げて、日常的に開闢の生活は、それによって私達は日々生まれ変わる存在になります。神様が決められたD-Dayを目の前にして、まさに、日一日をこのように深刻に過ごしておられるのが文総裁、であられるといえる。 にほんブログ村統一教会へ
2011.06.05
コメント(1)
5月21日、大したこともなく(?)過ぎていった。twitterなどにはそれを嘲るように、昇天して服だけ、あるいは、散歩中の犬と服だけといったフォトまで登場していたとのこと。 しかし、何も起こらなかったのだろうか地理的に疎かったのだが、21日の騒ぎを起こしていた都市とラスベガスがわずか飛行機で1時間というのには驚いた。そのラスベガスで文総裁の大会がされたということは、、、これまでのシリーズで、聖書のヨナ書の話もしてきたが、オークランド市の『審判の日』騒動は、正にそれであったのでは、と考えることもできる。ニネベの町の王様をはじめとして民が灰をかぶって悔い改めたので、神様はその審判をやめられた、と。むしろ、これこそが大きな変化(奇跡)ではなかっただろうか。ギャンブルもまた、、、このゲームのトーナメントに参加した300人余りは、神が創造した一つの遊び文化に喜びを味わったし、その喜びを困難な社会に還元して共有するもう一つの喜びを分かち合いました。統一教でも、2013年1月13日をD-Dayとして騒いでいる。
2011.05.24
コメント(0)
米国5月21日、地球終末の拡散... 92年の韓国のダミ宣教会と似ている 22時間前、午前0:00 | 民衆の声 | View 翻訳しながら、最初に使用したことで知られている。 続いてこの章の森は、1987年に『来るべき未来を準備してください'は、 預言書 を出して、時限付きの終末論を積極的に主張した。 1992年10月28日24時歓喜の現象が現れて、1999年に終末が来ると主張した... ノストラダムスは、歓喜...忘れさえすれば、訪れる地球終末論 昨日、5月20日(金) | エックスポツニュ | メディアの次 ている。 最も有名な地区の終末論は、やはりノストラダムスの予言である。 16世紀のフランスで生まれた彼は生前の 予言書 を残した。 彼の 預言書 には理解しにくい様々な解釈が小笠原だが、いろいろな仕事を正確に合わせて話題になった。 彼は特に... 地球の終末の預言? 不安な世の中のせつない肖像 13時間前、10:03 | View 地球終末の兆しが、複数の場所で検出されるとし、さらに不安を造成している。 実際に地球の終末論は、 キリスト教 や仏教、イスラム教など、ほとんどの宗教で挙論されておりノストラダムスは、古代マヤ文明の... 地球の終末預言、新興宗教団体ファミリーラジオもう終わり主張 13時間前、9:53 | メディアの次の ファミリーラジオ(略称WYFR)は、去る1959年に米国カリフォルニア州オークランドで設立された非営利 のキリスト教 の福音放送である。 現在、ファミリーラジオは、 キリスト教の ギョパナ教団どこも属していないカルト宗教...
2011.05.21
コメント(0)
Daum検索「予言書」から8日付でのもの。キリスト教系のネット紙がでたらめな予言に対して、聖書的観点から警鐘を促している。5月21日が審判の日なのかハロルド キャンプのでたらめ時限付き終末論が持ってくる害悪に対し 折りしも、19日に真のご父母様がヨーロッパ巡回から米国に戻られて、その5月21日には、ラスベガスのアリアホテルで御父母様の大会が予定されている。この3月には、ラスベガスで自叙伝『平和を愛する世界人として』の5万冊配布を記念しての大会があり、現在、その数が8万冊である。12万冊に達すれば、というみ言葉も耳にする。ここで、予言書としての統一原理にも終末論について書かれている。ところが、天変地異とかの大変動や、あるいは、人類滅亡といったような内容ではない。統一原理『終末論』より、(一) 終末の意義 神が、人間始祖に与えられた三大祝福は、人間始祖の犯罪によって、神を中心としては成就されず、サタンを中心として非原理的に成就されたのだということを、我々は既に述べた。ところが、悪によって始められた人類歴史は、事実上、神の復帰摂理歴史であるがゆえに、サタン主権の罪悪世界はメシヤの降臨を転換点として、神を中心として三大祝福が成就される善主権の世界に変えられるようになるのである。 このように、サタン主権の罪悪世界が、神主権の創造理想世界に転換される時代を終末(末世)という。したがって終末とは、地上地獄が地上天国に変わるときをいうのである。それゆえにこのときは、今までキリスト教信徒たちが信じてきたように、天変地異が起こる恐怖の時代ではなく、創世以後、悠久なる歴史路程を通して、人類が唯一の希望としてこいねがってきた喜びの日が実現されるときなのである。詳しくは、後編第一章に譲ることにするが、神は人間の堕落以来、罪悪世界を清算して創造本然の善の世界を復帰するための摂理を、幾度もしてこられたのであった。しかしそのたびごとに人間はその責任分担を完遂し得ず、その目的が成就されなかったので、結果的には、終末が幾度もあったかのように記されている事実を、我々は聖書を通して知ることができるのである。5月21日大会が、その善悪転換の一大行事となることを期待したい。 にほんブログ村統一教会へ
2011.05.10
コメント(0)
ユダヤ教とキリスト教については、イエス様がメシアであるかそうでないかで分かれている。また、聖書は逐語霊感説(ちくごれいかんせつ)といって、神の霊感によって書かれたものとしてその一字一句までも大切にする説があり、その一方で、イエス様が多くの喩えで語っておられるように、聖書自体も象徴・比喩で書かれているとする見方もある。これだけでも、聖書解釈に大きな開きが出ており、多くの宗派に分かれる原因となっている。統一原理での聖書(経典)の見方は、原理講論「総序」から新しい真理が現れなければならないという主張は、宗教人たち、特にキリスト教信徒たちにとっては、理解し難いことのように思われるかもしれない。なぜなら、彼らは、彼らのもっている聖書が、それ自体で完全無欠なものだと考えているからである。もちろん、真理は唯一であり、永遠不変にして、絶対的なものである。しかし、聖書は真理それ自体ではなく、真理を教示してくれる一つの教科書として、時代の流れとともに、漸次高められてきた心霊と知能の程度に応じて、各時代の人々に与えられたものであるために、その真理を教示する範囲とか、それを表現する程度や方法においては、時代によって変わらざるを得ないのである。したがって、我々はこのような性格をもっている教科書そのものを、不動のものとして絶対視してはならないのである(前編第三章第五節参照)。既に述べたように、人間がその本心の指向性によって神を求め、善の目的を成就するために必要な一つの手段として生まれてきたのが宗教であるとするならば、あらゆる宗教の目的は、同一のものでなければならない。しかし、それぞれの宗教の使命分野は、民族により、あるいは時代によってそれぞれ異なるものであり、それに伴って、上述のごとき理由から、その教典も各々異なるものとなってしまったので、各種各様の宗教が生まれるようになったのである。すなわち、教典というものは、真理の光を照らしだすともしびのようなものであり、周囲を照らすというその使命は同一であっても、それ以上に明るいともしびが現れたときには、それを機として、古いともしびの使命は終わるのである。既に論じたように、今日のいかなる宗教も、現世の人々を、死の影の谷間より命の光のもとへと導き返すだけの能力をもっていないということになれば、今や新たな光を発する新しい真理が現れなければならないといえるのである。このような新しい真理のみ言がやがて与えられるということは、聖書の中にも数多く記録されている(前編第三章第五節参照)。 以上から、時代的恵沢によって順次その内容が高められてきており、変化しているということだ。予言書としての聖書、その他の予言書にも当時は暗号のようであっても時代の経過とともに解明されて来ているのを見ることができる。また、凡人の主張する半世紀前に書かれた予言書としての『統一原理』も然りである。一つの例として、統一原理では言語の統一の必要性について書かれているが、昨今の世界的「韓流ブーム」を見たとき、その傾向を示している。 にほんブログ村統一教会へ さて、聖書からの話でイエス様の血統についてちゃぬさんの考えが今一歩はっきりしないと書いたが、その後も回答がない。ゲーム「リバーシ(オセロ)」というのがある。白黒が表裏で変わるそれである。これと同じで、イエス様がユダ族の血統なのか、レビ族なのか(?)、また、レビ族が12部族に入るかどうかで、内容も大きく変わってくるのではないかと思うのだが。【参考文献】古代日本、ユダヤ人渡来伝説著者: 坂東誠 (レビュー)また、最近のDaum検索「予言書」からは、予言書に近い小説として以下が紹介されている。▲複本(ガンビョンチョン著· 図書 出版夜明け社発行)世界の 新聞名 の運動 連合を率いている著者の構図 の話 。 主人公テオルランウン 地区 での長年の生まれ変わりの経験を通じて悟りを遂げた後、故郷の星である北斗七星に戻りますが、新時代到来のメッセージを伝えるために、UFOに乗って再び地球に戻る。 地球に到着したテオルランウン精神的な共同体の村を訪問し、精神的なメッセージを伝える。 古代および超大文明、地球外文明への探求をもとに書いたものでミョンサンロクや預言書に近い。 1万3000円
2011.05.03
コメント(0)
Daum検索「予言書」より【素人神学講座]聖書の人物の探求 (42)復活と宣教のモデル、ヨナ預言書の最後の12ソソンジ(ホセア~マラキ書)の一つであるヨナ書をアライことや比喩として見るべきか、『ヨナ』が実在の人物であるかどうかなどについて、意見が分かれている。 しかし、旧約聖書は、彼を実在の人物として紹介し、(2列05:25、ヨン1:1)、イエスは、ヨナの経験を歴史的事件として認定されたという事実(マタイ12:39~41、ルカによる福音書11:29~32)、特にヨナは、『大魚』のお腹の中に三日間閉じ込められているが生きて出てきた事件を、自分の死と復活への目標と理解れたのを考慮すると、ヨナの歴史性を認めるしかない。 ヨナソを読んでいる少年にした大人が、"まだヨナが鯨のお腹の中に入った出てきた話をbelive"と尋ねると、"わからないときは、私が天国に行って、ヨナに聞いてきますね"と答えた。 また、"天国へ行って、ヨナがない場合はどうするか"という大人の質問に少年は"じゃあ、おじさんが地獄で聞いてみてね"と返事したかじゃないか? 審判の預言しかなく、どの預言者もヨナのように、神の召命を逆らった者がないからだ。 しかし、ヨナの故郷ガドゥヘベル(列王記下05:25)近くのナザレの出身であられるイエスは、ヨナの魚('ケトス'/ Sea Monster /マタイ12:40)のお腹の経験を自分の墓(猫/行2:31)の中の経験のイェピョとして解釈したし、特にイスラエル人初のヨナは、外国の宣教師として召命を受け、御言葉を宣言すると、ニネベの民と獣までに参加させて後悔したという事実だけでもヨナソは、預言書として認められるのに充分だ。 ヨナは、アッシリアの首都ニネベに行って、預言することを好まないの動機は、まず、ニネベの人々がヨナの祖国を滅亡させた不倶戴天の敵だったからだ。 ヤウェは、あわれみと慈悲の神、脾臓(ヨナ4:2)、たとえヤウェがニネベを審判しに向けるれたのウルジラドニネベの人々が悔い改めと許していただくことを知ったからだ。 ヨナが憂慮したように、イエス様は、ニネベの人々をユダヤ人よりも、正しい人に褒められた(マタイ12:41)。ヨナはこの格好ボヌニいっそ、神に逆らい、ニネベと正反対竹を割ったタルシシュに逃亡して、続きを受ける死んだほうがましだという考えで、暴風の中の船員たちに、自分を海に落としてもらうよう依頼する。 ヨナ書を預言書に見るもう一つの理由は、主人公ヨナ(鳩)がイスラエルの運命を予告したのである。 『鳩』は、イスラエルを象徴し、(時74:19、号11:11)に、その存在目的が人類のための宣教的使命(出19:6)にあるという事実を、この本が保証する。 捕虜以降エズラとネヘミヤが既にグクジェギョルホンハンの人たちまで強制的に離婚させるほどに、異邦人の憎悪の雰囲気がペンベハン状況でヨナソは、そのような高慢な選民主義の歴史観と偏狭なナショナリズムを警戒して、散らばった全てのユダヤ人が異邦人の国で行う必要があるウォンシムジョク世界宣教こそが異邦人の子供たち(4:11)はもちろん、獣の足車のツル(4:6)までも愛しておられる神の宇宙の救いの計画に準拠することを教える。 預言者ヨナを使って私たちは、昔も今も、ヨナのように高慢にして、偏狭な牧会者が存在することができるということ、特に、神はシムパンマンなさるには怖い方ではなく、グクガドゥン個人でも後悔すると、決してしからぬありませんし赦しと救いに恵まれては方で、大きな慈悲と愛の中の宇宙の神の国建設のために韓国の教会を呼んでおられることを悟るようになる。 チョウヨウイル長老会神学大学総長 12部族に諸説があるのと同様に、預言者ヨナが実在したのかどうか。大人と子供の笑い話が、予言書としての聖書の実態である。ところが、聖書に限らずそこに多くの教訓を盛り込んでいるのが、予言書である。 にほんブログ村統一教会へ 余談:ちゃぬさんは、イエスの血統について聖書から『ユダ-ダビデの系譜』を書かれながらも、凡人がイエスが私生児としてお生まれになったというそれに対して、元統一教会員としてレビ族ザカリヤの名が挙がった。そして、レビ族が12部族に入らないとの主張されていかれた。(ザカリヤについては、文総裁が初めて明かされた内容ではなく、凡人も聖書外伝くらいの存在については耳にしている。それには、イエスの父ザカリヤのこと、そしてイエスの幼少のころについても書かれているようで、統一原理が明かすところと一致する内容もある。)ここで、ちゃぬさん自身の考えが今一歩はっきりしない。イエスがユダの血統なのか、レビ族なのか。以下、ちゃぬの日記から。私も統一教会信者だったのでイエスの父はザカリヤであることは教会から講義を受け知っています。奇知外記氏に限らず統一教会信者なら誰でも、そういうことを考えるのは理解できます。しかし、ザカリヤがイエスの父だというのは「世紀の大発見」ではなく、長い間、ユダヤ教とキリスト教の間に「イエスは預言者かキリストか」と意見が分かれるくらいに、血統問題というのは大きな問題でした。なぜならユダ-ダビデの系譜から、もしイエスが出ていなければ、メシアとして認められない宗教的背景があるからなのです。血統問題で宗教的背景があるということなので、別の宗教的背景についても検証してみたい。「ナザレから何の良き者が出ようか」これが、イエス当時ナザレについて、イエスに反対する方々が語られた宗教的背景である。そのナザレの出身といわれたのがイエスである。では、現代のナザレはどこなのか? 以下は、反対派の方のブログからであるがイエス当時の言葉で 「ナザレからなんの良きものが出ようか、、!?」 というのがありますが、クリスチャンたちは「反手」にとっての解説をしていますが、 全くその言葉道理です。 「ナザレ」を「朝鮮」におきかえて考えて見てください、これは、凡人のいっている話ではない。ということは、もしかして、、、
2011.04.26
コメント(0)
ちゃぬの韓国日記『文教祖は予言書に出てくる再臨主なのか?』は、7回目を数えることができない。6数を超えることができないのが、。。。ちゃぬさんは7回目として書くべき内容を、すでに、タイトルを変えて書かれてしまった。聖書についてだ。聖書はキリスト教などの経典ではあるが、予言書としても認められている。たとえ、7回目のそのタイトルを挙げられたとしても、もはや、凡人はそれを認めることができない。 教会に対する悪イメージを植え付けるといった目的遂行のためならタイトルは何でもよい、という考えだからだ。凡人のシリーズ3回目で、イエスの系図は「ユダ族の獅子、ダビデの若枝」の子孫に非ず、と指摘したところ、意見を翻された。それのみならず、文総裁がそのようにおっしゃられた、レビ族は12支派に属していないといった内容まで書かれておられる。文総裁は聖書を真っ赤になるほどに読まれながらも、聖書には無知蒙昧だと非難されている。しかし、その言葉をそっくりそのまま、ちゃぬさん--「たらい回し文」からの引用--にお返ししたい。出かける時間となったので、この続きは後ほど、この文に続く。ザカリヤのことをご存知なら、何故、最初からそのように書かれないのか真偽はどうでもいいこと(これまでに書かれていることも含めて)、目的さえ適えば何を書いてもいい、というお考えであろう。また、ちゃぬの韓国日記(2011年04月13日(水) 14時38分47秒記入)から。■レビ族は12支族とは別の祭祀担当文教祖はみ言葉の中でレビ族が12支族の中の一つだと誤解をしているようですが、レビ族は祭祀担当として抜けて12支族と別に独立した支族でした。<出エジプト12支族>ルベン(母レア) ⇒1.ルベンシメオン(母レア) ⇒2.シメオンレビ(母レア) ⇒祭祀担当 ユダ(母レア) ⇒3.ユダ族 ダン(母ビルハ) ⇒4.ダン族 ナフタリ(母ビルハ)⇒5. ナフタリガド(母ジルハ) ⇒6.ガド族 アシェル(母ジルハ)⇒7.アシェル イッサカル(母レア)⇒8.イッサカル ゼブルン(母レア) ⇒9.ゼブルン ヨセフ(母ラケル) ⇒10.マナセ、11.エフライム ベニヤミン(母ラケル)⇒12.ベニヤミン族 (註:楽天では丸数字が使えないため) 『レビ族が治める教会の祭壇の前に(他の)11支派は』『イスラエル民族の十二支派のレビ族は』などと語っているところをみると語った当時はレビ族が12支族の中の一つだと思っていたようです。文教祖は聖書が真っ赤になるくらい研究したらしいですが、このレビ族の話を持ってきたのは単に教会長や牧会者、教会員に10分の1献金や所有権放棄の内容を話すために持ち出したもので、イエスやザカリヤの血統とは関係ありません。創世記35章22~16節、創世記46章8節~34節、創世記49章1~28節を参照していただきたい。レビ族に関して長い文章を書かれておられるが(凡人は3行しか読んでいない)、これのために全てが駄文だ。赤っ恥を曝しておられるのはどちらか12部族に関する話はこれまでだ。ちゃぬさんの細かなことに一つ一つ答えるつもりはない。■霊界役事と霊界メッセージは現役信者も信用していない?に対しても、然りだ。むしろ、■文教祖の神社に関するみ言葉(霊界の実相と地上生活 第七章 大隈重信の霊界メッセージ)(『聖本』に関して(西東京教区での大塚克己会長の講話)( 久保木修己著「愛天愛国愛人」)これら引用文は文総裁のものではない。あたかもそうであるかのような、誤解を招く文章表現にも注意を払っていただきたいところだ。今回も前置きが長くなってしまった。シリーズ第1回の[ 驚くほどの、古今東西の予言書 No.4]"予言に何度も目が" からも、予言にもいくつもの目がある、ということだ。また、心理効果も影響すると。さて、予言書としての聖書を見てみよう。まず、聖書には矛盾した予言が並列されて書かれている。原理講論>第4章第1節(五)十字架に対する預言の両面 を見るだけでも、イエスの十字架に対する予言の二面性が描かれていると。また、聖書に限らず予言書は一種の暗号文だ。そのほとんどが、比喩や象徴といった内容、特殊記号で書かれている。それを解読するには、それなりの鍵(時代と人物)を要する。 にほんブログ村統一教会へ
2011.04.17
コメント(0)
Daum検索「予言書」の更新があった。科学者の方が書かれた随筆。幸せな未来の夢 <ナジェジュンウイ興味深い科学の話>……終末論は、1300余年前に書かれた中国の予言書チュベド(推背?)、『マヤ文明の暦』、『火星の少年』と呼ばれる12歳の少年ボリスキー李夜ノビチの地球を失った大災害予測、2009年にフランスで公開されなったベルナールベルベル人の長編小説『カサンドラの鏡』の中に出てくるの未来を見ることを知る一人の少女の兄が、"世界は2012年12月21日に終わる。ブタのインフルエンザと狂牛病が発生し、その次にはいたるところでテロが起きている。続いて、空気と水との党が取り返しのつかないことなく、汚染され、最終的に終わりが来るだろう"と展望一から始まったと考える。 しかし、これらすべてのことは、人間の考えで始まった。 地球の終末論は、悪夢のようだ。 不快感を見れば不安を解消するために『夢は現実には逆に起こる』と注意するだけであまり深く考えることはなと言う。 幸せな未来を夢見る者には、幸せな未来が、不幸な未来を夢見る者には不幸な未来が来ると考えている理由だ。 科学は人間の思考である。 幸せな思考をする科学者たちが多ければ、幸せで便利な世の中が作られるべきである。 ナジェジュン/メグェゴ教師·教育学博士(財)未来科学研究運営委員 にほんブログ村 14日のアンビリバボー「ハドソン川の奇跡」、視られたでしょうかそこには、統一教会員メンバーも二番目のボートとして現場に駆けつけ、内14名を救助しました。2009/01/28日記で紹介済み。 にほんブログ村統一教会へ
2011.04.15
コメント(0)
日本ブログ村の人気記事ランキング上位に上がるのを嫌うほどに(凡人も、ポイントが加算されないエクスプローラのお気に入りからの訪問に。。。)、悪質ブログに警鐘を鳴らす方も少なくない。そして、その対策として、見ないのが1番です。とのこと。ちゃぬの韓国日記『文教祖は予言書に出てくる再臨主なのか?』、8日で第6回を数える。3回目以降は原理講論を中心として書かれており、原理講論もまた一つの予言書ではないか(?)、といった凡人の主張の賛同者として歓迎したい。また、それを見れば、ちゃぬさん自身のものというよりは教会反対派の批判テキストからの「たらい回し文」のようでもあり、さらに、《友だちの輪》が拡大された想いである。ただ、物足りないといえば、予言書にはノストラダムスもあれば、マヤ文明のカレンダー、「鄭鑑録」、最近の韓国では中国の予言書「チュベト」も話題だ。それらがいつでてくるのか予言書とあまり関係のない神社参拝についても多くのスペースをとっておられるが、比較宗教の観点からは非常に興味深い内容となっている。「各宗教教義の7割は共通性がある」、といった文総裁のそれを確認できるものである。聖書からもイエスは「ユダ族の獅子、ダビデの若枝」の子孫でしょうか?<アダムからイエスの系譜>アダムーセツーエノシューケナンーマハラルエルーエレデーエノクーメトシェラーレメクーノアーセムーアルパクシャデーシェラフーエベルーペレグーレウーセルグーナホルーテラーアブラハムーイサクーヤコブーユダーペレツーヘツロンーアラムーアミダナブーナフションーサルモンーポアズーオベドーエッサイーダビデーソロモン・・・ヨシア・・・マタンーヤコブーヨセフーイエスと系譜を出され、イエスは「ユダ族の獅子、ダビデの若枝」の子孫であると。確かに、マリアはヨセフと結婚したが、聖書には「マリアは、聖霊によって身重になった」と記されている。イエス様は、父親がわからない私生児として誕生された。しかし、この系譜にこそ、秘密が隠されていることを悟るべきである。不適切な引用文についても指摘しておこう。「霊界の実相と地上生活」は霊界からのメッセージ文であって、その真偽を疑う人も少なくない。(このメッセージを引用文として使われるからには、これを信じておられるのであろう)大塚会長(徳野会長を含めて)のようなの漫才師講和( 動画 http://yfrog.com/e471hz )もまた、引用文として相応しくない。さて、前置きはここまで。シリーズ2で横着と言ったのは、そのままのタイトルのDaum検索【驚くほどの、古今東西の予言書】をシリーズ1で貼り付けたことだ。今回からは、Daum検索を【予言書】に幅を広げてみよう。まず目に飛び込んできたのが(2011/04/10/21:00現在)、弥勒仏とメシア:救世主は誰かである。また、予言書とは異なるが、全北が豊富すれば、韓国が豊かになる、チョガダンギェジョルファ先生が明らかに.. これもまた、一つの予言として捉えることも出来る。余談になるが、偶然か、地区長による10日の日曜礼拝でも予言書の話が出て、2012/12/21、マヤ・カレンダー等、D-Dayについての話もあった。予言書だけでなく、2012年は科学的な面からも地磁気や地軸の大きな変化が予想されており、何が起きてもおかしくはない。また、科学者の話としてバタフライ現象を取り上げられ、「チャンプモニムオンマンセイ」、これも小さな振動だが、、、ノアの洪水審判についても語られ、方舟に乗って助かったのはノアの家族8人だけであった。今日の方舟についても知るべきである。今回の100万冊の奇跡、これは何を意味するものなのか(凡人談) にほんブログ村
2011.04.09
コメント(0)
日記で『【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書(1)』を書いたその午後に、ブログ「ちゃぬの韓国日記」さんの『文教祖は予言書に出てくる再臨主なのか?(1)』が出てきた。しかも、昨日で3回目を数える。偶然に、ということもあるが文末には凡人のそれも紹介されているところを見れば、そうでもないようだ。凡人自身、横着で、韓国の先生が「み旨の応援歌」を日本語で歌われたくらいだ「奇跡だ!」というくらいの変人、気まぐれ、遊び人である。【シリーズ】とは書いたが、予言書といっても、さほど関心がある凡人ではない。今回がその2回目。第3回目は文総裁の定めたD-Dayが「最終回」ということも有りうる むしろ、「ちゃぬの韓国日記」さんが根拠に欠ける連載を第何回まで続けられるか、そこに凡人の遊び心が働く。ここで、本末転倒してはならないことは、予言書はあくまで予言書であって、ちゃぬさんのいうような、それ自体がメシア(再臨主)を決定付けるものではない、ということだ。それでは、誰がそれを決定されるのか神様 ですキリスト教についていえば、「イエス様をメシアと告白する」信仰がそれで、私たち人間がメシアと決めたのではない。現に、聖書を信じる信仰者の中には、今日もイエスはメシアでないと主張される方々も少なくない。また、ちゃぬさんの韓国日記で驚くべきことは、第3回目にして原理講論(webより閲覧も可。ピンクマーカーだけ読まれても概要がわかります)を取り上げられたことである。原理講論は、聖典の一つではあるが、半世紀前に書かれた予言書という見方もできるのではないか、と思うのである(公式のものではないので、凡人の日記次元で)。そのことについても、のちには書こうとしていたのだが、書かれてしまったこのシリーズ、第3回目はD-Dayかな(お詫び:04/01、原理講論のリンクを訂正しました)にほんブログ村統一教会へ
2011.03.31
コメント(0)
以下は韓国で、昨年のハイチ地震、そして、2月に4回シリーズで書かれた予言に関するものである。(凡人の横着で、検索をそのままに貼り付けて訂正したものであるので、下から順番となっている。)2012年については、映画にもなったりで様々につぶやかれている。凡人も、これによって何か不安をあおるつもりはないし、そこには、これからのヒントが隠されていると思う。[ 驚くほどの、古今東西の予言書 No.4]"予言に何度も目が" 先月、2月16日(水) | 天地日報 | View 古今東西 を問わず、将来的に行われることを知りたがっているのが人シムリダ。 予言と預言の概念は違うが、将来の危機を期待している人々が対策を...ポロ効果』で予言は、事後に説明される。 朝鮮末期荷送高齢者が書いた 預言書 ...[ 驚くほどの、古今東西の予言書 No.3]世界救う正道令出現 先月、2月13日(日) | 天地日報 | View 登場人物たちがキリスト教の『ヨハネの黙示録』と南との<格菴遺?>を比較する場面が登場する。 主人公は、両方の 預言書 で14万4000という共通項を探す。 韓国の 予言書 で有名な<格菴遺?>は、多くの場合、ヨハネの黙示録と比較される... [ 驚くほどの、古今東西の予言書 No.2]"2012年に何が?" 先月、2月9日(水) | 天地日報 | View ノストラダムスの予言が再び注目されている。 最近のノストラダムスの予言を表す80余点の写真が盛られた 予言書 が発見され、2012年終末説が頭を上げたもの。 ノストラダムスは、1万3000年ごとに表示される3回の日本食が [ 驚くほどの、古今東西の予言書 No.1]"子供の現れの世界救うこと" の2ヶ月前、1月29日(土) | 天地日報 | View 終末論、マヤ文明のカレンダー、南高の<格菴遺?>、キリスト教の『ヨハネの黙示録』。 未来を示す 予言書 は、 古今東西 を問わず、人々の注目を集めている。 それぞれの 予言書 は、書かれた年代や国が異なりますが、同じような内容を盛り込んでいる... [編集者コラム]物質が支配していた生まれるは終わり、精神が支配する後天時代を開けると 、昨年、2010年1月21日 | 天地日報 | View この時代には既にユブルソンウルを含む多くの 預言書 が一様に予告している。 その中でも、今から二千六百年前のエレミヤの預言者を含む宗教の終末が来たこの時代をよく説明している内容がある。 "この地に風変わりで、 驚くべき ことが... にほんブログ村統一教会へ <<続く>>
2011.03.28
コメント(0)
全34件 (34件中 1-34件目)
1