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10歳ほど年上のいとこが、2週間ほど前に脳梗塞で入院した。8月には米の収穫でお世話になった。脳梗塞も心筋梗塞も、はっきりした前兆がないので、倒れたと聞いてびっくりした。幸い大事には至らなかったが、言葉が聞きとりにくい、左の手足がしびれるという症状が残っているようだ。リハビリでどこまで回復できるか。働き者で、ゴルフ好きで、週に一度はコースに行っていた。自作のゴルフ練習場があって、畑仕事とゴルフと、老後を楽しんでいた。息子がアメリカにいるので、年に一度は夫婦で出かけて行った。ちょうど、旅行を準備しているときで、元気だったら、今ごろアメリカで楽しんでいるはずだった。いつごろからか海外旅行が趣味となり、英会話を勉強して、日常会話には不自由しないくらいに上達したみたいだ。海外へ行けば、レンタカーを借りて、あちこち走り回っていた。小さな村に生れ育ったが、行動的で、新しいことを体験したり見たりするのが好きな人だ。80歳を前に、脳梗塞という、ひとつ間違えば生死にかかわる病気をしたことは、大きな彼の節目になると思う。70代80代で大病をすれば、ほとんどの人が、前へ進むのをやめてしまう。現状維持に意識が向かうのだが、そこからもうひと伸びする人もいる。ちょうど、ぼくも故郷へ帰り、これからいろいろ活動しようと思っていたころだ。退院してきたら、もうひとつ、深い話ができるかもしれない。
2024年09月22日
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バタバタと日が過ぎていく。引っ越しまであと10日ほど。こんな68歳とは思わなかった。どんな想像をしていたのだろうか。あまり先のことは考えてなかったな。その場しのぎの人生。行き当たりばったり。23歳のときに、ジョージ秋山さんの『浮浪雲』というマンガを読んで衝撃を受けた。こんな生き方がしたいと思った。流れる雲のごとく生きる。風まかせ。あの主人公のようにはいかないけれども、けっこう流れてきたと思う。よくぞここまできたものだ。60代が終わって70代になって、はてさて、どんな日々が待っているのだろうか。何も考えてないようで、上手に立ち回っているのではないかと、このごろ思っている。流れていると、いいタイミングでチャンスが訪れる。「こんなことしたい」ぱっとひらめくことがある。それまでの考えを捨てて、ひらめきの方向に進む。これがポイントだ。たぶん、このあたりにかけてはなかなかの才能だ。いわゆる成功する人というのは、ぼくのひらめき行動にプラスして、この世的な計算も働く人だ。ぼくは、お金持ちになろうとか、有名になろうとか、もう考えなくなった。困らない程度のお金があって、好きなことをやって、10人くらいの人に喜ばれたらいいと思っている。それくらいのことなら、ひらめきに従って生きていればいい。引っ越しは大変だけど、このあとは、これまで以上に気楽に生きようと思っている。気楽と言っても、隠居生活をする気はない。現役で働き続ける。適度にお金も稼ぐ。働き方、稼ぎ方は変わるけれども。いい70代に向かっていると思う。
2024年09月20日
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鈴鹿へ帰って、さてさてなにをやるか。山梨ではヤギに加えて、スモモや桃の栽培をした。鈴鹿でも果樹をやるのがいいかも。放置してあった田んぼを開墾するという案も出ている。知り合いがやってくれるのだ。土を入れて畑にする。そこに果樹というのはいいかも。そんなことを考えていたら、妻が新聞記事を見せてくれた。山梨でパパイヤを育てている人がいるという記事だった。ぴぴっときた。パパイヤがどんな実で、木の大きさがどれくらで、どうやって育てるのか、さっぱり知らないが、「やってみたい」と思ったのだ。新聞記事をていねいに読んで、ネットでも調べてみた。すると、新聞に出ていた人が、かつてぼくが会いたいと思っていた人だということがわかった。共通の知り合いがいる。さっそくメッセージを送って紹介してもらった。ぼくが彼に会いたいと思ったのは、パパイヤとはまったく別の話。いわゆるスピリチュアルな世界のことだった。彼の研究していることにすごく興味があったが、行動にはつながらなかった。それがパパイヤでピピッときたわけだ。こういうのも縁だろう。鈴鹿へ帰ったら、パパイヤ畑を作ろう。数日前までパパイヤのパの字も出てなかったのに、こんな展開になるとは。こういう調子だから、ぼくと一緒に何かをやろうとする人は振り回されてしまう。ただ、しっかりした根っ子は間違いある。ぼくの表現がへたくそなのもあって、まわりが理解できないだけ。でも、根っこは見えないもので、理解されなくても仕方ない。根っ子が大事なわけで、赤い花が咲こうが、黄色だろうが、実がなろうがなるまいが、ぼくはあまり気にしないというところか。簡単に言うなら、自分が楽しくできて、少しでも世の中の役に立つこと。堅苦しく生きている人が、こんな風に生きてもいいんだと思えること。そんなアピールができればいい。
2024年09月19日
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断捨離とよく言われるが、定期的に不用品を処分していくのは大切なことだ。ぼくは掃除が苦手で、いらないものがどんどん増えていく。なぜ処分ができないのか。どこに捨てればいいかわからないのが大きいことに気づいた。たとえば、ヤギを飼うための柵に使っていた木製のパレット。使わないので、借りた畑に積んでおいた。使わないのだから処分すればいいのだが、どうすればいいかわからない。だから、ずるずるとそのままにしておいたのだ。今回、引っ越しをするのでどうしても処分しないといけなくなった。いろいろ調べた結果、車で10分くらいのところに処分してくれる(有料だが)会社があるのを知った。妻と10数枚のパレットを、2回にわけて軽バンに積みこみ、処分場に運んだ。4000円ほどかかったが、気持ちもすっきりした。鉄製の柵が何枚かあった。鉄は買ってくれるよと教えられて、別の会社へ持ち込んだ。そしたら、1300円くらいで買ってくれた。車で40分ほどのところには、地域の処分場がある。本はブックオフに売りに行った。いらないものはどうしたらいいかを知っていれば、動こうという気になれる。断捨離しなければと思っているだけでは、片付けは進まない。まずは、処分してくれる場所を探すこと。そこが見つかると、次に進める。ぼくの場合は、そこがポイントだった気がする。
2024年09月18日
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今夜は仲秋の名月。子どものころ、団子やススキを前に、月を愛でた記憶はないが、仲秋の名月は意識していて、きちんと夜空を見上げたような気がする。田舎だったから、月もきれいだったと思う。宇宙の神秘へのあこがれもあった。大人になってからは、満月だろうが、三日月だろうが、別にどうでも良くなった。目の前のことに夢中で、遠いかぐや姫の世界とは無縁だった。年を取って、月へのリスペクトが戻ってきた。ぼくは月は遠くから見ているだけで満足だ。でも、行ってみたい、月面に立ってみたいという人もいる。面白いものだ。富士山も、山梨へ越してからは毎日のように見ている。朝起きて、玄関を出ると正面に富士山が見える。思わず「ありがとうございます」という言葉が出る。この富士山とも、半月もすればお別れだ。ぼくは見ているだけで満足。だけど、登ってみたいという人がたくさんいて、夏の富士山は大混雑のようだ。今夜はお月様に手を合わせて、感謝をしよう。
2024年09月17日
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大相撲。この間は、大関琴桜と平幕の王鵬との対戦があった。琴桜は祖父が横綱琴桜、父親が関脇の琴ノ若。王鵬は、祖父が横綱大鵬、父が関脇貴闘力。力士としては超一流のDNA。大関の豊昇龍も叔父が横綱朝青龍だ。ほかにも、若元春、若隆景の祖父、父も力士だった。幕下には、黒姫山という懐かしいしこ名もある(元関脇黒姫山の孫)。プロ野球では、長島茂雄さんの息子の一茂さん。最近では、清原和博さんの息子がプロ志願届を出したということでニュースになっている。しかし、相撲にしろ野球にしろ、スポーツの場合は、いくら親がすごくても、自分に実力がなければ大成できない。親の七光りが通用しない世界なのだ。そう言えば、政治の世界も世襲議員がたくさんいるが、彼らの実力はどう計ればいいのか。昔の政治家がすばらしかったのかどうかは疑問だが、何だか、総理大臣になる人が小粒になった。新しい総理大臣になる自民党総裁候補も、世襲議員を含めて、数だけは多いが、さてさてどこまでやれるのか。天災が頻発し、戦争、紛争も絶えない。感染症の恐怖も消えない。経済もガタガタきている。もうあとがない。日本のため、世界のためにがんばれる人が出てこないと。政治家のDNAというのは、本来、国民を幸せにするためというもののはず。全開にしてほしいものだ。琴桜や王鵬が横綱になる前に、政治家の本当の実力を見せておくれ。
2024年09月16日
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ある人に言われてハッとした。どんな人でも、自分の人生においては主役であるべきだと言うのだ。その通りだ。しかし、自分の人生であるにもかかわらず、脇役でいようとする人がけっこういる。自分がどう生きるかは自分で決めればいい。なのに、大人になっても親のいいなりだったり、やりたいことを我慢する。できないことを人のせいにする。みんながやっているからという理由で行動を決める。それでは気持ちがどんどん窮屈になってしまう。いい人生が送れるはずがない。ただ、今の自分の考え方や生き方は、親の影響を大いに受けている。社会の影響もあるということを念頭に置かないといけない。人間が社会的な生物である限り、仕方のないこと。まわりの影響はどうしようもない。よく「本当の自分」という言い方をするが、本当の自分がなにかはわからなくて当たり前。「これが本当の自分だ」と自信をもって生きている人がいてもいいが、そういう人とは、ぼくは話が合わないと思う。ぼくが大切にしているのは、自分の思考のパターンとか、行動の決め方とか、ひょっとしたら何かの影響でこうなったのではと考えてみること。たとえば、ぼくはこれから生まれ故郷である鈴鹿で暮らそうとしている。この判断には、ひとつには流れがそうなっているという自分の判断があり、もうひとつには小原田家の長男として、両親から言われ続けたことも影響している。もっと言うなら、ご先祖様の思いも関係しているだろうと思う。舞台は同じ小さな村であっても、ご先祖様、両親と同じことがぼくにできるわけではない。しかし、ぼくにしかできないこともあるはずだ。それを最後の仕事にしたいと思っている。ぼくにとっての、自分が主役の人生となるはずだ。
2024年09月14日
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面白い夢を見た。お米の夢。ある人と特殊なお米のお店へ行った。お米を加工しているお店。何が特殊かというと、あるものをお米に混ぜるのだ。何を混ぜるのか。これがすごい。生れて間もない赤ちゃんのウンチ。赤ちゃんの腸内細菌は、とてもバランスが良くて、いいウンチが作られている。それを混ぜることで、食べた人の腸内環境も良くなるのかも。お米の味はどうなのか。娘たちが赤ん坊のときに思ったことがある。こいつらのウンチを牛乳に入れればいいヨーグルトができるのでは。実際にはやらなかったが、いいアイデア? だったかもしれない。ただ、今の妊婦さんは、羊水が汚れているという話もある。胎児は、汚れた羊水を飲んでいるので、腸内細菌も乱れているかもしれない。ウンチは汚いと嫌われているが、見えないから平気でいられるけれども、ずっとお腹の中にあるわけで、出なかったら大変なことになる。本当はウンチに愛しさを感じないといけないんじゃないか。ウンチだけでなく、体をいたわらないといけない。しばらく前まで、胃が痛かった。食事時間が不規則だったり、空腹でもないのにお腹に詰め込んだり、間食したりと、胃に負担をかけたと思う。ここ1ヵ月、注意していたら痛みは消えた。体は、24時間365日、黙々と働いてくれている。ありがたいことではないか。それも大病することもなく、68歳の後半までがんばってくれた。起きたとき寝るときくらい、「ありがとう」を言わないと。食べるお米と出すウンチ。「体をいたわりなさい」というメッセージかな。
2024年09月12日
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「お前の言うてること、だれが聞いても大笑いするわ。夢みたいなことばっかや。近所の人には言わんといてな。私が住めんようになるから」実家へ帰るたびに、晩年の母によく言われた。自分としては、たいそうなことを言っている自覚はなかった。たとえば、「農薬や肥料を使わなくても米や野菜はできる」「お金第一の世の中はそのうち終わる」「食べるものや電気は自分で作らないと生きていけなくなる」「若者たちが田舎志向になる」「薬で治らない病気がどんどん増える」「大病をして人生が変わり、病気に感謝している人がいる」「氣のような目に見えない世界がますます大切になってくる」「100歳まで生きたいという気持ちはあってもいいけれども、いつ死んでもいいという覚悟を決めて生きる方がもっと大切や」「平穏無事ばかりを願うのは心配や不安を生み出す。とにかく、平穏無事なんて人生はどこにもないのだから」80数年、狭い世界で生きてきた母親にしてみれば、ぼくの言っていることは、危険思想に思えたのかもしれない。母に限らず、ぼくがあれこれ言うと、「そうは言うけど・・・」「理屈はそうかもしれんけど・・・」そんな反応が多い。ぼくは思っている。あと何年生きるかわからないが、残された人生、口先だけで生きるのはむなしいではないか。はったりなど時間の無駄だ。お金のためだけというのも寂しい。人を疑うのももういい。ていねいに、誠実に生きたいと思う。そして、自分の心に、魂に、これでいいのかと問いかけながら、理想を忘れず、現実に流されず、まっすぐに進んで行きたいものだ。
2024年09月09日
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実家の裏に、隣家の所有する大きな畑がある。ヤギーずにとって、良質の草が生えるので、ときどき、エサを食べさせに連れて行っている。何本か木があるので、夏場の日陰も十分だ。隣家の60歳くらいの家主は、町で暮らしていて、ときどき草刈りに来る。几帳面な男なので、空き家と畑の管理はしっかりやっている。「この畑、ヤギの放牧場に借りたいのだけど」顔を合わせたので頼んでみると、「ええよ、ええよ。好きに使って」とありがたい返事だ。使わない畑の草刈りというのはけっこう負担になる。ぼくとヤギーずで草を管理するのだから、彼にしてもありがたい申し出に違いない。そんなわけで、来月は、この畑に柵を作って、ヤギーずを放牧する。ヤギーずも快適な暮らしができるし、ぼくたちのエサを取りにいく手間も楽になるはずだ。あいつらが来た当初は、ずっとリードでつないでいた。わずかな行動範囲。今考えると、かわいそうだったと思うけれども、そうやって飼われているヤギはたくさんいると思う。そのあと、放し飼いができる小さな場所を作った。だいぶん自由度が増えたが、それでも走り回るほどはない。別の場所を囲って、スペースが大きくなった。大きな岩もあったりして、これだと億ションレベルだ。彼らにしてみれば、十分すぎる住まいだけれども、欲張りな飼い主は、もっと快適な場所を提供したいと思っている。今度はすぐそばに放牧場まで作ってもらえるのだ。どんどんゴージャスになるではないか。ヤギのいる公園みたいにできたら最高だ。ぼくの腕では、そこまでは無理かな。こういうときは、必ず助っ人が現れるもの。他力の小原田の本領発揮となりますか。
2024年09月08日
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田舎生活も丸4年になろうとしている。今、山梨県甲州市から三重県鈴鹿市に拠点を移そうと準備している。鈴鹿はぼくの故郷。高校3年まで住んでいた場所だ。実家があるのは、20軒ほどの小さな村。高齢者ばかりの、いわゆる限界集落だ。両親もいなくなり、兄弟も先に亡くなった。実家には、次女が動物たちに囲まれて住んでいる。ヤギが6頭、犬が4匹、ネコ1匹、烏骨鶏3羽、ちゃぼ1羽。車で数分のところに借家を借りた。ぼくと妻と長女が住む。どんな生活になるのか。午前中はヤギの世話と畑仕事。竹やぶもきれいにしないといけない。肉体労働で汗だくになってからランチだ。できたら午後は原稿を書く時間に当てたいのだが、山梨の経験からすると、午前中でクタクタになってしまうだろう。昼寝をして、ダラダラとパソコンに向かう。しばらくはそんな日が続くのではないか。70歳を前にして、また暮らしが変わる。「これをやった」と自慢できるもののない68年だった。これからも同じように、こんなことしたいと思ったことをやって、うまくいけば万々歳で、また違うことにチャレンジして、ダメなら仕方ないと次を探すといった生き方だろうと思う。鈴鹿に越したら、まずは裏の畑を借りて、そこをヤギの放牧場にすることから始めたい。日陰もあるし、良質の草がたくさん生えるし、ヤギたちにとっては快適な場所になるはずだ。
2024年09月07日
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「孤独を感じることはないですか?」質問された。ないわけないよね。孤独と言っても、いろんな種類のものがあると思う。今、実家にいて、一人でお昼ご飯を食べていると、一人暮らしをしているときの母の晩年を思ったりする。母が倒れたとき、救急車で運ばれてだれもいなくなった部屋の台所に入ると、小さな土鍋がガスコンロの上にあった。豆腐の味噌汁が半分ほど入っていた。前の晩、自分一人のために作ったものだろう。母の最後の晩ごはんをシンクに流し、土鍋を洗いながら、切なくなってきた。80歳を過ぎてから、夫を亡くし、娘と息子を見送った。残った長男のぼくだけが頼りだった。そのぼくもコロナもあって、ほとんど会うことができなかった。6人がけの大きなテーブルでたった一人の食事。かつては、このテーブルが狭いほどの家族が集まったこともあった。「寂しかったやろな。ごめんな」そう思ったときの、ぼくの心には孤独が宿る。父が死に、妹と弟もいなくなり、母が亡くなって、原家族はぼく一人になってしまった。今のぼくは、妻がいて、3人の娘も成人して、寂しい境遇ではないけれども、どこかにすき間風が吹く。母の孤独とは違うかもしれないが、ぼくもやっぱり孤独だ。人は、魂の故郷からたった一人でやってきて、たった一人で帰っていく。そもそもが孤独な存在だということを、忘れてはいけないのだと思う。だから、心の中にはすき間がいっぱいあって、そこを、冷たい風が通り過ぎていくのだ。だから、孤独でいい。孤独を感じることが、人間の本質なのだ。母は土鍋に入った味噌汁を残していった。いつかあるとき、ぼくはいったい、何を残していくのだろうか。
2024年09月06日
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昔の友だちが夢に出てきた。40年以上会ってない。3人で古い汽車に乗った。もう一人は若い女性で、友だちが連れてきた。挨拶もしないし、友だちも紹介しようとしない。まるでそこにいないような扱いだ。汽車に乗ったら、その女性は消えてしまった。2人で向かい合わせに座る。汽車はどこへ行くのかわからない。友だちは知っているようだった。「懐かしいね」会話が始まった。会話と言っても、一方的に彼が話をする。それも自慢話ばかり。「ぼくが部長をだったときにはね・・・」というサラリーマン時代の手柄話だ。あいつは確か、大手の会社で取締役まで出世したんじゃないかな。大成功のサラリーマン生活だったとおもう。でも、人の自慢話は面白くも何ともない。そんな奴じゃなかったのにと、右から左に聞き流しながら、ぼくは気持ちのこもってない相づちを打つ。そんな情景がダラダラ続いた。なぜか、ぼくの心にはかなしみが広がっていった。目が覚めてもきちんと記憶に残る夢だった。ぼくは思った。「あいつ死んじゃったんじゃないか」同い年だから、まだ死ぬのは早いが、死んでもおかしくない年齢でもある。最後に俺のこと思い出してくれたのかな。自慢して旅立っていくのだから、満足のいく人生だったのだろう。元気でやっていたら失礼な話だが、ぼくの夢に突然出てきて、それもリアルな感じだったので、何か意味がありそうな気がしてしまうのだ。70歳に手が届く年齢というのは、老人と言われると抵抗があるけれども、人生の終盤に差し掛かっているのは間違いない。若いころは、時間は無限にあると思っていたが、やっと、残された時間という感覚をもてるようになった。生きている間にこれだけはやりたいという気負いはないけれども、まだ動く体に感謝しながら、動けるだけ動いて、死ぬ瞬間まで「こんなことやりたいな」と若者のような希望をもって、やれるところまでやれればいい。いくつになっても、一所懸命に生きていれば、思わぬことが起こってくる。エキサイティングにスリリングに。そして、古い友だちが元気でがんばっていることも祈っています。まだ、死ぬのは早いな。
2024年09月05日
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世の中、どんどん暗い方向に行くけれども、文句を言っても、愚痴っても、嘆いてみても仕方ない。ぼくはとりあえずは、自分が面白い、楽しいと思うことをやるつもりだ。たとえばヤギを飼うこと。1頭目がやってきて3年になるか。今は6頭のヤギがいる。彼らの世話には、なかなか労力は必要だ。いくら大事にしても、彼らがお金をくわえてきてくれることはない。でも、あいつらはとてもかわいくて、今ではぼくの生活になくてはならない相棒たちだ。あいつらがいかに快適な暮らしができるか、を考えるのは楽しい。裏の畑を借りて、そこに柵を作って放し飼いをしてあげようと、頭の中でイメージする。とても面白いし楽しい。ぼくには大した技術はないのだけれども、見よう見まねでチャレンジするのも、やりがいがある。イメージ通りに出来上がったら、それはうれしいし、ヤギたちが、その中で喜んで走り回ったり、草を食べてくれれば、最高の楽しみだ。果樹栽培は3年やった。スモモはうまくいったが、桃は失敗ばかり。4年目は、新しい木を植えようと思う。そう言えば、亡父も4本くらい植えたことがあった。貧弱な桃だったけれども、実ったときはうれしそうだった。ぼくは、父を超える桃を作る自信がある。これも楽しみだ。もう一つの夢が家を建てること。住いというよりも、ヒーリングハウス。カフェもドッグランもヤギ牧場も併設されていて、特殊な素材を使って、昔ながらの建築法で作る。そこに入るだけ、近くにいるだけで癒される場を作るのが夢。お金もかかるし、簡単なことではないが、夢を見るのは自由だから、思う存分イメージしようと思う。明日、人類が滅亡しようとも、ぼくは面白おかしい、楽しいことをやっていきたい。世界が暗闇に閉ざされようが、心の中の小さな灯りは消えないようにしないと。
2024年09月03日
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今は亡き師の言葉を思い出した。「一歩は進み過ぎ。半歩前がちょうどいい」しかし、ぼくから見れば、師は世の中の10歩も20歩も先を行っていた。半歩とはどういう意味だろう?ときどき気になっていた。あるとき、「ああ、そうか」と合点がいった。世の中の一歩、半歩先ということではなく、自分の身の丈の半歩先ということではないかと気づいたのだ。ちょっとだけ歩幅を広める。それだけで、思ってもみなかったことが起こってくる。大事なのは、自分の身の丈を知ること。本を読んだり、講演会を聞いたり、ネットで見たものは、参考にはなるが、自分の身の丈を知らないままやろうすると、転んでしまう。ただ、ぼくも何度も転んだけれども、転ぶことで身の丈を知ることができるわけで、転ぶことも大切だ。転んで、「ああ、自分はダメだ」と落ち込むのではなく、自分がどれだけのことができるかを知る、いいチャンスととらえた方がいい。本に書いてあること、講演ので聞くことは、普通の人にとっては、数歩先の話だし、本当に著者や講演者がやっているとは限らない(だいたい、盛って書いたり話してる人が多い)。もうちょっとハードルを下げて、自分にとっての半歩を探すことだ。そのことに気づいて、ぼくは気持ちが楽になったし、やれることも増えてきた。
2024年08月31日
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台風10号、九州で大きな被害があって、このあと、どこへ進んでいくのか。雨もすごい。ぼくが住んでいる山梨県は、今のところときおり強い雨が降るくらいで、大したことはない。それにしても、新幹線や飛行機が止まり、日常ではない日が続く。大地震もそうだし、台風、大雨、それに火山噴火や原発事故、テロ、感染症、食糧不足など、いろいろな「災害」がこれから頻発するので、その予行演習をさせられているような気もする。これを機に、対策をとっておくこと。心の準備をしておくこと。生活そのものを変えることも大切だ。台風が過ぎて良かったで終わるのではなく、この大きなマイナスを、プラスにつなげていく。そう心がけたい。
2024年08月30日
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縁というのは不思議なもの。昨日、真氣光の中川会長の対談企画で、八木澤高明さんというノンフィクション作家にお会いした。八木澤さんにつながったのも縁から縁へという感じだ。10年近く前になるが、帯津良一先生の本の関係で文藝春秋の編集者と打ち合わせをした。ずいぶんと気が合って、「飲みに行きましょう」ということになった。彼の行きつけの銀座のスナックへ行った。そこに、偶然、彼が担当する作家がいた。それが早坂隆さんというノンフィクション作家だったのだ。ぼくよりのひと回り以上年下だったが、ベストセラーをたくさん出している優秀な作家だ。人見知りのぼくでもすぐに親しくなれるタイプの人だった。その上、ママさんがイルカ好きという偶然も重なった。早坂さんも見えない世界のことに興味があって、小さなお店は大いに盛り上がった。数年後、中川会長が早坂さんの本を読んで、対談してみたいと言い出した。ぼくが早坂さんと飲んだことがあるなんて、中川会長は知らない。すぐに早坂さんに連絡をして、対談が実現した。そこから7年がたった。早坂さんがFacebookに『忘れられた日本史の現場を歩く』という八木澤さんの新刊を紹介していた。大学の同級生だったとのこと。ぼくは、このタイトルを見て、「中川会長と対談したら盛り上がる」と直観で思った。真氣光の大事なテーマのひとつにご先祖様がある。ご先祖様がいてこそ、今の自分はいるわけで、それも大変な時代を、厳しい状況の中をがんばって生きてきた人がたくさんいたはずだ。今の自分があるのは、そうした苦難の歴史があってのことだ。そして、そのほとんどの人は、まさに「忘れ去られて」いるのだ。苦労を重ねたご先祖様に感謝すること。それが自分が幸せになる根底にあるのではないか。対談は楽しかった。対談がひと通り終わって、3人で雑談していたときのこと。ぼくの故郷の話題になった。「三重県の鈴鹿市なんですけど」「えっ」「・・・」「実は、うちの祖母が鈴鹿市の生まれで」「鈴鹿市のどちらですか?」「住所はわからないのですが、最寄り駅は近鉄の白子です。鈴鹿サーキットの近くで、いつもバイクの音がしていたと言っていました」「ぼくの実家もサーキットの近くです」「名字は金丸と言いました」「金丸だと、ぼくの中学時代の同級生にもいました。三宅という集落に多かったんじゃないかな」「そうそう思い出した。三宅ですよ」そんな思ってもみない展開になったのだ。ぼくは、こういう偶然が大好きで、ご先祖様が引き合わせてくれているのではと思ったりもする。あのときの出会いが、ここにつながってくるのかと、縁の不思議さに頭が下がる思いだ。まだまだぼくの人生は面白いぞ。ワクワクがまた始まった。
2024年08月28日
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今年は、実家のある鈴鹿で、ひょんなことから稲作をすることになった。わずか半反(500平方メートルくらい)だけど、志は高くもって、無肥料・無農薬にチャレンジだ。村の人に手伝ってもらいつつ、知り合いを呼んで田植えをやった。水の管理は娘がずっとやってくれた。雑草をどうするか、多くの人が頭を悩ませていることだ。ところが、うちの田んぼはどういうわけか、あまり草が生えなかった。 肥料を入れてないので、まわりの田んぼに比べると生育は遅かった。それでも、穂が出て、頭を垂れ始めた。 問題は稲刈り、脱穀、乾燥、もみすりをどうするかだ。うちには何一つ機械がない。稲刈り、脱穀は、だれかに頼めばコンバインでやってくれるだろう。問題は乾燥だ。今は大きな乾燥機でまとめて乾燥するので、うちのようにわずか半反、2俵や3俵だと、ほかの米と混ぜて乾燥させてもらわないといけないのだそうだ。せっかく無肥料、無農薬で栽培したのに、普通に栽培した米と混ざってしまう。それでは意味がない。頭が痛い。 ところが天は見捨てるようなことをしない。近くの親戚に相談したら、「うちに乾燥機あるから」昔ながらの古い乾燥機を使っているのだそうだ。それを使えば、2俵、3俵でも大丈夫だ。 そんなわけで、自然栽培米2俵(120キロ)が、昨日、玄米になった。去年は慣行栽培だった田んぼなので、厳密には自然栽培とは言えないだろうが、それでも、水の管理をしただけでできた米だ。 どんな味なのか、楽しみにしている。
2024年08月24日
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東京の雨がすごかったらしい。Xで見てびっくりしたのだが、ぼくも昨日は15時ごろから19時30分ごろまで東京にいた。仕事を終えて、池袋から新宿へ行こうとしたら、山手線が止まっているではないか。人身事故かなと思って、埼京線に乗ったわけだが、車内放送で「大雨のため」だということを知った。それに、山手線が止まれば、埼京線の電車は超満員のはずなのだが、ガラガラだった。駅までたどり着けない人がたくさんいたのだろうか。新宿から特急で山梨に帰る車内で、大雨のことは知った。それもとんでもない大雨。ぼくが新宿駅にいたころ、構内の雨漏りが大変だったらしい。ぼくは、ずっと屋内での仕事だったし、新宿駅でも埼京線のホームから階段を上って、南口のコンコース経由で中央線のホームに移動したので、まるで気がつかなかった。不思議なものだと思う。あんな豪雨だったのに、人と楽しく話をし、おいしいものを食べて、お酒を飲んでいたわけだ。雨のことは、ほとんど知らずに帰ってきたのだ。こういうとき、「守ってくださっている」と感じる。何か見えない力が、臆病者のぼくが怖がらないようにと、安全な場所に導いてくれているのではないか。ありがたいことだ。ていねいに日常を観察していると、いろいろな場面で、「守られている」という状況があるはずだ。たくさんの「守られてる」を見つけ、小さなことであっても、大袈裟なくらいに感謝する。そうすることで、運が集まってくるものだと、ぼくは信じている。
2024年08月22日
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どういうわけか、閉塞感が抜けない。不満とか不安があるわけではない。とても平凡で穏やかな日々なのに。平凡で穏やかだから心が詰まるのか。孤独なんだろうか。そんなことはない気もするが。東京を離れて4年になる。何となく生活がマンネリ化している。だいたい、妻以外の人と会話をすることがほとんどない。家にこもっているのではなく、どこかへ出かけて行けばいいのに、それもおっくうだ。ヤギたちがいたころは、午前中は草取りが日課だったが、「あいつらのため」という動機づけがあった。今は、借りていた畑を返すために、ひたすら草刈りに励んでいる。草刈り機の音と振動。刺激はこれだけ。だれかの、何かのためになるというものがないと、なかなかエネルギーが湧いてこないものだ。そういう意味では孤独かもしれない。田舎暮らしでの刺激は、待っていてもなかなかやってこない。都会だと、欲しくもない刺激がずかずかと押し寄せてきたりする。これも疲れる。刺激は、自分で上手に作り出すことで、身になっていく。変化する時期かもしれない。
2024年08月21日
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Xに流れている動画を見ていると、動物に関するものがたくさんなって、ほんわかした気持ちにさせられることが多い。親ネコが子ネコを助けたり、犬とネコが仲良くしていたり、動物が人間と同じ行動をして笑わせてくれたり、こいつら、人間と同じ感性をもっているやんと感心させられたり。人間がなくしてしまったやさしさや思いやりを感じさせてくれる。ぼくは思った。人間のエゴによってエネルギーが低下した地球。その影響で、さまざまな天災が起こっている。意識や行動を改めないと、地球は破滅へと向かっていく。この流れを止めるためにはどうしたらいいか。人間の意識のエネルギーを高めていかないといけない。しかし、さまざまな警告が出されているにもかかわらず、自分たちの利益のために平気で戦争をする人間。人間を変えるのは難しい。そこで、この世を作った何者かは、人間に近い動物たちの意識にアクセスしているのではないか。彼らはとても素直で、何が大切かを、行動で示してくれる。人間の子どもも純粋で素直なのだが、すぐに大人に毒されてしまう。動物たちの意識を高めることで、人間が大事なことに気づいていく。まどろっこしい方法だが、そうせざるを得ないところまで追い込まれてきている。13年前、東日本大震災という大変な出来事があり、福島第一原発の大事故は、日本が破滅する寸前まで、ぼくたちを追い込んだ。しかし今では、当事者の人たちは違うだろうが、多くの人たちは、あのときの衝撃を忘れたかのように、自分さえ良ければいいという、一時的な快楽に埋没してしまっている。大地震は嫌だ。津波も嫌だ。戦争も原発事故も勘弁してほしい。病原菌、食糧難も怖い。それなら、どうすればいいの?考えて行動しないと。ぼんやり生きているうちに、世の中はどんどんおかしくなっていく。
2024年08月19日
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一週間ほど前に未来から来た人が8月14日に南海トラフ地震があると予言しているとの話を聞いた。ネットを見たら、その話に関する情報がいっぱい出ていた。 びくびくしながら14日を過ごした。結局、大きな地震はなかった。 ホッとしている。 あれは、とんでもないデマだったのか。 ぼくは、時空を超えて未来の人が現代に来るという話は否定しない。 そんなこともあるかもしれない。 ただ、不確かなことをあまり声高に言ってしまうと、すべてが当たればいいけれども、今回みたいに外れてしまうと、本当に未来から来た人であってもウソつきにされてしまう。 よく量子力学では、量子は観察された途端に動きが変わってしまうと言われる。量子という極小物質は、まわりのわずかなエネルギーの影響を受けて変化するものなのだろう。 現実というのが、量子の動きによって作られているとして、8月14日に大地震があると予言されたら、多くの人の意識が変わるわけで、そのエネルギー変化が量子を介して現実の現象に影響を与えるなら、予言された途端に未来が変わってしまうということになる。 アメリカインディアンのホピ族の預言では、人々の意識が変化すれば未来は変わるとされている。 人間が物質を神様とする生き方をしてきた結果、歪んでしまった世の中を浄化する現象が起こってくるとされている。浄化というのは、人間が腐った物を食べたときにはおう吐したり下痢をするのと同じように、決して心地いいものではない。地震かもしれないし、戦争かもしれない。 でも、今、人間も物質よりも大切なものがあることに気づき、行動を変えることで、浄化の形は変わってくると言うのだ。 「予言」は絶対的なものとして語られるけれども、「預言」はそのときのエネルギーによって変わるもの。特に、人間の意識のあり方は大きいのだろう。 絶対的な未来はない。 あくまでも今が未来を決める。 こういう考え方は好きだな。 つまり、予言は予言された途端に変わってしまう。 タイムトラベラーは、未来を変えてはいけないと言うけれども、タイムスリップしたことによって、未来は変わってしまうものなのではないか。 パラレルワールドという考え方もある。 空間や時間というのは、ぼくたちが考えているほど単純なものではない気がする。
2024年08月17日
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お盆だ。昨夜、亡母が夢に出てきた。お盆のせいなのか、アマゾンプライムで『母と暮らせば』を半分くらい見た影響か。 生前から心配症だった母は、夢の中でもやっぱり心配していた。 「お前なあ、このごろちょっとも仕事してへんやないか。大丈夫なん?」 心細そうな顔をしていた。ぼくがなにか新しいことをやろうとするときに見せた、困りっ切った表情だ。ぼくは昔から、「こんなことがしたい」とひらめくと、すぐに行動に出るタイプだった。「よし、やるぞ」と心の中でエネルギーが沸き立ってくる瞬間が好きだった。 ついつい、母にも話してしまう。すると、母の顔が曇る。 ぼくは気勢がそがれた気がして、機嫌が悪くなったものだ。 娘がこんなことを言ったことがある。「おばあちゃんは、お父さんを籠に入れて、ずっとそばで見ていたいんじゃない」ぼくを文鳥のように育てたかったのか。よく観察している。 大空を飛び回りたいぼくとは相容れない感性だった。 夢の中でも、ぼくは不愉快になっていた。 「仕事はしてるよ。前よりもずっと働いている」ヤギの世話をしたり、畑の草刈りをしたり、自分でも感心するほど汗をかきながら働いている。 ただ、収入にならないことばかりをしているのが、母の不安でもあるのだろう。 そのことは、ぼくも「大丈夫かな」と思ったりもしているが、もう人生の集大成の時期だから、目先の安定だけを求めるという、安易な方向には流れたくない。 新しい時代のライフスタイルを体現したいというのが、ぼくの夢だ。そして、自分の思いや体験を文章にして残すこと。 お金について、母は心配してくれているが、ぼくもお金はとても大切だと思っている。ただ、求めなくても、やるべきことをやっていれば、思わぬ形で循環するのがお金というもの。 それも新しい時代のスタイルではないか。実践したいものだ。 母が亡くなって2年になる。こんなふうに心配して夢に出てくるというのは、まだあちらの世界へ行ってないということか。 もしそうなら、お盆を機に、この世への未練を断ち切り、次のステップに歩を進めてもらいたいと思っている。
2024年08月13日
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昨日、夕方から妻とスパランドへ行ってひと息入れた。食事のあと、帰る前にひと風呂浴びようと露天風呂にいたら、緊急地震速報が鳴った。慌てて身構えたが、揺れはあまり感じなかった。山梨は震度4だとテレビで言っていたが、ぼくの体感では震度1とか2。妻に聞くと、お湯がチャポンチャポンと跳ねるほど揺れたとのこと。ぼくが鈍感なのか。九州、関東と2日連続での大きな地震。地震ばかりではなく、大雨、雷、台風と不気味な気配がする。そんな中、オリンピックも終盤になっている。ぼくの中ではあまり盛り上がりがってないが、それでも日本人の活躍は気になるものだ。女子レスリングで藤波さんが金メダルを取った。彼女は、ぼくと同じ三重県出身。応援にも力が入る。高校野球では三重県代表の菰野高校が一回戦で勝った。三重県のチームは弱くて、だいたい一回戦で負けているので、勝ってくれてうれしかった。世界大会だと日本、国内の大会だと三重県。どうしても地元を応援する。ぼくは18歳のときに故郷を出て、名古屋、富山、東京、埼玉、山梨で暮らした。三重県以外での生活の方が長い。でも、三重県と言うのが特別な場所としてある。妻にしても、札幌の生まれ育ちだから、北海道への思い入れは強い。生まれ育った場所というのは意識の中に強く残っているのだろう。うちの娘たちは、埼玉で生まれて、小学校は埼玉、中学・高校は東京で育った。彼女たちに故郷意識というのはないみたいだ。「故郷は?」と聞かれても答えに困るようだ。埼玉出身の人に会っても、同郷ということで盛り上がることもない。それだけボーダレスになっているのだろうが、ぼくの中からは故郷意識は抜けないな。天災は地域を選ばない。ぼくが今住んでいる山梨も、故郷の三重も、長く住んだ東京も、妻の大好きな北海道も、どこで何が起こるかわからない。そんな危うい中でぼくたちは生きているわけだが、そこからいろいろなことを学ばないといけないのだろう。まずは、目の前のこと、やろうと決めたこと、しっかりとやっていく。尊敬する故・佐藤初女先生は、「今を生きる」とよくおっしゃっていたが、今をしっかりと生きていくしかないわけで、改めて、今に足をしっかりと置くようにしたいものだ。
2024年08月10日
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九州で大きな地震があり、気象庁から南海トラフ大地震の危険性が高まっているという臨時情報が出された。テレビでも盛んに注意を促している。地震の場合、台風情報とは違って、不確定な部分が多く、いつ何が起こるのか、どうしていいのか、戸惑うことが多い。家具を固定する。水や食料を用意する。ハザードマップをチェックする。避難所の場所や家族との連絡方法を確認しておく。今まで言われていたきたことを、もっと徹底してやるしかない。大事なことだから、これを機にチェックしたいと思う。しかし、いくら準備をしても、地震への不安は募るばかりだ。特に、一人暮らしの人は心配や恐怖に押しつぶされそうになっているのではないか。こういう不安の時代には、地域の人間関係がとても大切になってくる。一人よりも二人、二人よりも三人。人が集まって、励まし合い、慰め合う。食べ物を持ち寄ったり、これからどうするかを話し合う。そういうつながりが、心を落ち着かせ、適切な判断を呼び込むことになる。都会は人間関係が希薄だと言う。しかし、今では田舎でもだんだん、人と人との距離が離れている。それぞれ考え方が違うので仕方がないことだけれども、違いを超えて、協力し合って生きるのが、人間の知恵というものだ。災害はないに越したことはないが、災害によって、きずなが強まることもある。マイナスをプラスに転化できるのも人間の知恵だ。2011年の東北地方はじめ、今年の能登や九州。さらには水害もたくさんある。被災された方は大変だったと思う。心からお見舞いしたいし、明日は我が身と、気持ちを引き締めて暮らしたい。
2024年08月09日
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妻と2人で草刈り三昧の日々。6月にヤギたちが鈴鹿へ移住した。彼らのために、庭を仕切って住処にし、畑を借りて遊び場にした。ヤギがいなくなると、雑草の生え具合がすごいことになってしまう。しばらく留守にしている間に、ジャングル状態だ。改めて、あいつらの働きには感謝している。そろそろ、畑も返さないといいけない。返すにはきれいにしておかないと。それで草刈り三昧なのだ。草刈り機は1台しかない。ぼくがそれを使って広い範囲で草を刈り、刈り残した部分をきれいにしてくれている。この暑さだから、汗の出方も半端ではない。休み休みでないと熱中症になってしまう。500ミリのペットボトル2本くらいのお茶が、体に吸い込まれていく。昼頃に戻り、お風呂場で汗を流す。ぼくはビールを飲む。これがおいしい。すると眠気がくる。ソファに横になってうたた寝。これも気持ちいい。その後、原稿の仕事に向かうのだが、なかなか進まない。雷が鳴ったり、雨が降ったり、今日は、九州の方では大きな地震があったみたいだし、落ち着かない午後だ。草刈りのおかげで、しんどいけれども、充実した毎日かな。あとまだ大きな畑が2ヵ所。それに自宅の庭。まだまだやることはいっぱいだ。
2024年08月08日
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経済状態が激震だ。株価が大暴落したと思ったら、また大幅に値上がりした。損した得したという話だけでなく、資本主義が大きな転機にきているのではないか。資本主義がなくなるわけではないだろう。お金が絶対神とされてきた資本主義から、もっと価値観が多岐にわたる資本主義。お金を絶対として、必死になってお金を稼ぐ人たちもいるだろう。それはそれでいい。同時に、適度にお金を稼ぎながら、気の合う仲間が助け合って生きるようなコミュニティが作られる。それもいいじゃん。すごい教祖のもとで、狂信的に生きる人たち。それも仕方ない。お金なんかいらないと、世捨て人的な生き方をする人もいてもいい。不平不満、愚痴だけを言って一生を過ごす人もいるだろう。口先だけの人たち。大抵の人はここだな。多様な考え、生き方のもとで、自分なりの道を選んでいけばいい。確実に世の中は変わっている。変化を敏感に感じ取って、上手に波に乗っていかないと。
2024年08月06日
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「お前の言うてることは夢物語ばっかや」亡くなった母によく言われた。「現実を見なあかん」亡父の口癖だった。両親にとってみれば、ぼくの生き方は、根無し草、地に足がついてないように見えたのだろう。そういう部分は間違いなくあったと思う。だけど、70歳近くなった今まで夢物語を生きてこられたのは、とても良かったと思っている。40年以上前、会社勤めも2年、3年しか続かず、いきなり文章を書く仕事をすると言って東京へ出て行った息子。当時28歳。同年代のほとんどは、家庭をもって安定した生活をしている。わが息子だけが、夢みたいなことを言って、30近くになって東京へ出て行った。心配だったことだろう。大丈夫やろかと思いながら亡くなっていった両親。そんな両親の不安をよそに、ぼくは今でも「夢物語」を生きている。新しい夢物語の始まりは、自然栽培で野菜や米を作って、電気も自給すること。野菜はまだ畑を整備している途中。米は、半反だけ進めている。電気はソーラーシェアリングで電気代ベースでいけば、自給できていると思う。と言っても、ぼくがやっているわけではない。野菜や米は、次女ががんばってくれている。近頃、キッチンカーの出店も増えてきて、もうこれ以上は頼れないだろう。まだ体は動くから、ぼくがやらないといけない。心していることがある。今の段階では、なるべく人を巻き込まないようにしようということ。ある程度の道筋ができるまでは静かに進める。そうしないと、まわりを振り回すだけで、何もできずに終わってしまう。あれこれやってきて、痛感していることだ。今回は、あくまでも主役は自分ということで、せっせと汗を流そうと思っている。これまでの夢物語は、自分にとってはなかなかのものだったが、もう一段、レベルアップした夢にチャレンジするつもりだ。夢はチャレンジするためのもので、実現するしないは気にしない。夢を見られただけ幸せな人生だったということで、ぼくは満足だ。ただ、やれることはやらないと。今日も汗を流して草刈りをした。とてもいい気分だ。
2024年08月01日
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この間テレビを見ていたら、ある老夫婦がカルガモの赤ちゃんを拾って育てたという話を紹介していた。海外での話。夫は膀胱がんで何度も手術をし、妻も難病で体が思うように動かない。夢も希望もない中で、惰性で暮らしている夫婦。見かねた息子が父親を釣りに連れ出した。仕方なくついていった父親。釣り場で親からはぐれたカルガモの赤ちゃんを見つけた。家へ持ち帰り、妻と一緒に育て始めた。かわいくて仕方ない。まるで子どもか孫のようにかわいがった。大きくなって自然に放してあげることにした。かなしい別れだ。「さみしいけど仕方ないね」また、夫婦2人の生活になった。ところが、あるとき、庭にあのカルガモが帰ってきたのを見つけた。それも子連れではないか。以来、毎年、小さな子を連れて、カルガモは帰ってくる。そして、しばらく夫婦の庭(池まで作った)で過ごすのだ。2人の生きがいになった。すると、夫のがんが消えてしまっていることにわかった。妻も体調が良く、まったく苦痛がなくなった。カルガモの存在が影響したのは間違いない。人体に秘められている自然治癒力の正体に近づく、いい例だと思う。芸人の司会者が、「動物には癒しの力があるんですね」と締めていたが、そんなレベルではなく、なぜがんが消えたのかを、研究する医学者が出てきてもいいのではないか。物資的、肉体的な治療ばかりではなく、心のあり方が、治癒に深くかかわっているはず。そこを追求してもらいたいものだ。
2024年07月28日
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7月29日は2年前に亡くなった母の命日。段ボール箱に両親の日記が残っている。日々の生活を簡単に綴ったものだが、その中に、鉛筆で書きなぐったような母のメモがあった。自分が亡くなったあとのこと。ぼくにやってほしいことをまとめていたようだ。80歳を過ぎて、夫を亡くし、まさかの娘、息子の死(ぼくの妹と弟)。長男のぼくは、東京暮らし、山梨暮らし。母は、一人ぼっちになって不安だったのだろうと思う。メモには、自分を無縁仏にしないでほしいと何度も書いてあった。弟が亡くなったときに、立派なお墓を作った。弟の供養と死んだあとの自分の居場所と考えてのことだっただろう。しかし、だれもいなくなったら、花も供えられず、草に覆われてしまう。そんな未来はつらかったのだと思う。2年前の朝、布団の上で意識不明になっているところを発見された。病院へ運ばれた。脳出血だった。しばらくして意識は戻ったが、ぼんやりしている状態。山梨まで介護タクシーで移動して、我が家の近くの病院に入院。しばらくして介護施設に入り、そこで亡くなった。正気に返った瞬間が3度あった。亡くなる2日前、一方通行であったが、ゆっくり話ができた。ぼくの言うことはわかっていたと思う。ベッドに横たわる母の目から涙がこぼれた。その後の実家だが、次女の氣恵が住んでくれるようになり、仏壇にもお墓にも、きれいな花が供えられている。ありがたいことだ。ぼくはいま、鈴鹿に来ている。ヤギが6頭、こちらへ移ったので、世話をするのがぼくの仕事。汗だくになって、あいつらのご飯(草や葉っぱ)をとっている。本当はもっと早くに山梨に帰るつもりだったが、いろいろ用が重なって、まだこちらにいるわけだ。そのおかげで、母の命日には、お墓参りができる。朝、お墓に行って、お線香をあげて手を合わせてから、山梨に帰ろうと思っている。次女のおかげで、たぶん、母が望んだ以上のことが、今はできているだろうと思う。心配症の母だったから、満足しているかどうかわからないが、こんな展開になるとは、母としてもうれしい誤算だっただろう。次女は、自分で決断したこととは言え、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんのためという気持ちもあったと思う。もっと自由に生きてもいいのだが、無意識のうちに、ぼくがプレッシャーをかけてきたのかもしれない。ご先祖様を大切にしたいという次女の気持ちは、本当にありがたい。ご先祖様にも伝わったやずだ。応援してくれると思う。あとは、やりたいことをやって生きるということにフォーカスして、思う存分、自分の才能を生かしてもらいたいものだ。この村のことは、お父さんに任せればいい。ぼくは、外の世界で思いっ切りやりたいことをやってきた。今度は、実家をベースに好きなことをする。お父さんが死んだら、そこで、この村の物語はジエンドにすればいい。3人の娘たちは、それぞれが自分たちの物語を編んでいっておくれ。それで、ぼくの父母たちも喜んでくれるに違いない。だれもが、こう生きたいという思いをもって生まれてきた。その思いを実現することが、ご先祖孝行であり、親孝行だ。
2024年07月27日
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ぼくはスポーツを観るのが好きで、この間はボクシングを楽しんだし、ラグビーのテレビ観戦では悔しさとため息だった。もうすぐオリンピック。ぼくの中ではもうひとつ盛り上がらないが、テレビをつけると、たまたまバスケットボールやバレーボールの特集をやっていて、普段はあまり見ない球技だけれども、劇的なドラマがいっぱいあって、オリンピックでは日本代表を応援したくなった。スポーツというと、ぼくは10年くらいラグビーをやっていた。だけど、生まれつき、運動神経が鈍いため、ずっとへたくそなまま。まじめに走るので試合には出してもらえたが、ボールをもっても、ひたすらパスをすることに専念し、たまに自分で仕掛けても、ただまっすぐに走るしか能がないので、すぐに倒される。タックルに行っても、簡単に外されてしまい、地面に寝転がって、相手の背中を目で追う。下手の横好きで、草ラグビーチームを作って、試合をやったり、合宿もした。30歳を過ぎて試合でひざを骨折。それ以来、もっぱら観戦ばかり。スポーツを観るのが好きなのは、運動ができる人間へのあこがれがあるから。そもそも、何事に対してもストイックになれない。スポーツで一流になるには、生来の運動神経に加えて、寝食を忘れて練習をするストイックさが必要だ。スポーツに限らず、ストイックに何かに打ち込むのは、ぼくにはない能力だ。自分にないものをもっている人は魅力的だ。70年近く、そういう強烈なエネルギーもなければ、ストイックに物事に取り組む、興味、執着もなく生きてきた。それでいいのかと思うこともあるが、ずっといい感じで生きてきたのだから、ぼくの持ち味と言えば持ち味なのだろう。ストイックに何かに打ち込める人は、そうすればいいと思う。でも、ぼくみたいに、意思が弱くて、何でも途中で投げ出してしまう人の方が多いだろう。できない人がやろうとすると、ネガティブなことに巻き込まれることが多い。ぼくは、ストイックでなくても何とかなるよ。満足できる何十年かが送れるよという、お手本になりたいと思う。10年か20年か、何をやっているのか、何がしたいのか、まわりも本人もわからないのに、あれっ、こんなことできたじゃないかというお手本。そう、これでも本を30冊近く出している。簡単にできることではない。別に、文才があるわけでもなく、努力したわけでもなく、何となくできちゃった。人に恵まれ、機を見るに敏な感覚と、ここぞというときに動ける行動力があった。それだけのこと。こんな人生もありだと思う。これからも、ストイックさは求めず、今までみたいに生きていくか。パリオリンピックも、涼しいところで観戦しながら、ああだ、こうだと、好き勝手を言っていたいと思う。
2024年07月23日
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これはイメージだけど、ドジャースの大谷。彼は、使いきれないほどのお金をもっているけれども、あるとき突然、野球がなくなり、お金が消滅したとして、それでもあの涼しい笑顔でいられるのではないかと思う。体の大きな美男美女が、畑を耕して、大根やニンジンを作って、自給自足を嬉しそうにしていたら面白いだろうな。お金があってもおごることなく、それでも、何十億を、まるで100均で買い物をするように使い、なくなったら、土にまみれて、米や野菜を作って、おいしい、おいしいと食べる。そんな男だったらすてきだな。俳優の工藤阿須加もすてきだよ。親はお金持ちだし、いくらでもぜいたくな暮らしができるのに、山梨で農業をやっている。ひょっとしたら、ぜいたくな暮らしをしているかもしれないが、お金があるのだからすればいい。でも、もし、お金が消滅したとして。それでも彼は生きていけるタイプだと思う。お金というものを、あれば使うし、なければ使わないというくらいに、軽く考えられるといい。あっても困らないし、なくても困らない。そんな心境に達することができれば、きっと幸せだな。
2024年07月17日
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唐突だが、お金はなくならないと思う。地球は人間が成長するための修行の場と考えた場合、成長するために足かせとなる道具が必要だ。重いバーベルを持ち上げることで筋力がつくようなもの。その重要な道具のひとつがお金ではないか。地球上で起こっている大きな問題の大多数にお金が絡んでいる。お金で人生を狂わせる人はいっぱいいる。人類のほとんどが、お金に振り回されてしまっている。そんな強烈な負のエネルギーをもつお金だからこそ、魂の成長には効果が高い。魂のレベルが高くなると、お金に振り回されなくなる(振り回されてないふりをしている人、勘違いしている人も多いが)。お金という荒波に飲まれているようなもの。多くの人は溺れかけている。しかし、中には、上手に波に乗れる人もいる。経済的に大成功している人は優秀なサーファーなのかもしれない。ただ、すごいサーファーでも、ちょっと油断すると、転倒してしまう。そういう意味では、お金に振り回されているグループに入るだろう。まれに、荒波の向こうの静かな海で優雅に過ごしている人もいる。お金に振り回されてない人たち。お金よりもはるかに大きな価値観に気づいたか、もともともっていたか、お金があろうとなかろうと、生き方も心の状態も変化がない。お金がなければなくてすむ生活をするし、あれば、世の中のために上手に使う。そういう人は増えていると思う。でも、限りなく少ない。お金の役割は、お金にこだわらない、振り回されない人間を作ること。今は、多くの人がお金への執着ばかり。振り回されてアップアップ言っている。だから、お金の役割は終わっていない。だから、お金はなくならない。ぼくはまだまだ修行が足りない身。お金はありがたい修行の道具と思って、執着を減らし、少しでも振り回されないようにしないと。そんなぼくなりの理屈でした。
2024年07月16日
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40代50代だと、先がいくらでもあるように錯覚してしまう。あれもできる、これもしたいという、欲張りな気持ちになって、いろいろ手を出しては、放り投げてしまう繰り返しになってしまう。少なくとも、ぼくの場合はそうだった。今、68歳になると、体力的な衰えも感じるし、あと10年かな、20年がんばれるかな。そういう気持ちになる。夢とか目標が、現実的、具体的になってくる。雲をつかむような話はしなくなるのだ。大病をせず、無難に生きようとする人もいるだろう。それもひとつの道だが、ぼくは、自分がやりたかったことを、形にして人生を終えたいと思っている。近未来的な生活をすること。それは、食とエネルギーの自給自足。食は、畑や田んぼで食べ物を作ること。エネルギーは、今の時点ではソーラーシェアリングというシステムを作ったので、それで少しはできている。炭も焼きたい。さらに進めたいのは、医療、教育、福祉の自給自足。これは次世代に期待するとして、とっかかりだけは作りたいと思っている。とりあえず、自分で少しずつ動く。それを見て、何か感じてくれる人がいるかもしれない。いないかもしれない。いればありがたいし、いなければ一人でやるだけで、ぼくは困らない。今日は、その動きに役立ちそうな、ひとつの情報を仕入れにいく。ぼくの「老いらくの夢」は、3歩進んで2歩下がる感じで、ちょっとずつ前進している気がする。
2024年07月15日
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寝付きの悪い日は、無理に眠ろうとせずに、布団にうつぶせになって、YouTubeでサンドウィッチマンのコントを見る。笑える。ぼくの年代だと、コント55号や、やすし・きよし、ツービート、B&B、紳助・竜介、ザ・ぼんちなどの笑いが懐かしいが、サンドウィッチマンは、昔の漫才とは違うし、今の浮ついた笑いでもない、表現は難しいが、「地に足のついた笑い」という気がする。大笑いというよりも、体の芯から笑いが沸き起こってくる感じで、ぼくは大好きだ。とにかく、面白かったら声を出して大笑いすることにしている。笑いは自律神経を整える。おかげでこのごろゆっくり眠れている。笑いで大病から回復した人もいる。医学的にも、免疫力を高めることがわかっている。笑いもいいし、感動もいい、スポーツでハラハラしたり興奮するのもいい。泣いたり、たまには怒りもあっていい。感情を表に噴出させて、心を撹拌する。それが自律神経を鍛えるトレーニング。ぼくは、サンドウィッチマンの笑いのほかに、ラグビーが好きなので、2015年ワールドカップのジャパン対南ア戦かな。YouTubeで見る。心が動く。間違いなく、免疫力がアップする。
2024年07月13日
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戦前は都市生活者の7割は借家に住んでいたそうだ。敗戦で、都会は焼け野原になって、目先のきく人間が、土地を買いあさった。ただのような値段だった。1950年に朝鮮戦争が始まり、1955年ごろから日本の経済が一気に成長し始める。1958年から61年、未曽有の岩戸景気。都会に人が集まってくる。そこで商売上手な人が出てくる。鉄道を敷き、その周辺の山林を安く買って、住宅を建てる。銀行と組んで、住宅ローンというシステムが作られる。田舎は持ち家が当たり前だから、買える状況を作れば、大量に都会に出てきた地方の人たちは、こぞって家を買おうとするだろう。その仕掛け人が、小林一三さん(阪急阪神東宝グループ創始者)。山梨出身の大実業家だ。テレビや新聞であおる。「夢のマイホーム」「一国一城の主」家をもつことが庶民の夢となるわけだ。家や土地は、上がり続ける資産だと思わされてきた。海外から「ウサギ小屋」と揶揄されても、何千万円という借金をして家を買う。それが現在にもつながっている。ぼくはずっと賃貸で暮らしている。現実問題として家を買えるような収入がなかったし、フリーという立場ではローンも組めないが、もし、お金があったとしても、家やマンションを買おうなどとは思わなかっただろう。妻も持ち家が欲しいとはひと言も言わなかった。「家をもって一人前」とか、「賃貸なんてお金をどぶに捨てるようなものだ」と、さんざん言われた。しかし、ぼくのように、仕事も住むところも、一ヵ所でじっとしていられない人間にとっては、家をもつのは足かせとなる。サラリーマンなら、35年ものローンを組めば、会社を辞めたくても辞められなくなってしまう。ぼくには無理だ。都会で家を買って、ローンを抱えてしまえば、今のように、山梨でヤギを飼う生活などできなかっただろうと思う。いい流れの中にいるなと思っている。
2024年07月11日
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とある農法のことを話していたら、聞いてくれていた人が、「小原田さん、取材して原稿にすればいいじゃないですか」と言ってくれた。十分に本にする価値のある農法だと思う。もっと前なら、すぐに動いたかもしれない。でも、そういう舞台から降りてしまったのか、気持ちが動かない。どうしてだろう?考えてみた。ふっと答えが浮かんだ。今のぼくがやりたいのは、いい農法があったとしたら、自分で試してみること。それを、文章にして紹介すること。その農法に関する情報は、いくらでもYouTubeで見られるし、考案した方のセミナーも受けられる。農地もあるし、自分で試すことができる。こんなのがありますよという話ではなく、すごいと思ったのでやってみたら、こんなふうにできたし、いろいろ言われていることと違う難しいこともあった。あくまでも、農業の素人であるぼくが自分なりにやってみたら・・・という視点で、書くことができるなら、気持ちは動く。となると、やれることも限られてくるから、あれもこれもと欲張ることもなくなる。電子書籍を使って、コツコツと、自分にできること、ある出来事や人を通して、自分が強く感じたことを発信していく。それがぼくのスタイルだなと思った次第だ。↓ヤギ飼いになった話、果樹栽培を始めた話です。購入はこちらから
2024年07月10日
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もうすぐパリオリンピックが始まる。ぼくはスポーツ好きだが、まるで盛り上がらない。世の中はどうなのだろう?メダルが期待できるのは、バレーボールにバスケット、体操、柔道、卓球かな。陸上競技にも期待できる選手がいるようだ。水泳はどうなのだろう。新しい競技も増えてきて、ルールもわからないし、オリンピックもずいぶんと薄味になったなという気もする。ぼくが年を取ったせいか、オリンピックそのもののエネルギーが低下しているのか。興味がわかない。
2024年07月09日
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山梨生活4年目も後半に入った。 いろいろやった。 ライター稼業を40年も続けた。これは、自分でも立派だとほめてあげたい。 とりあえずは売り物になる文章は書けた。しかし、人の話を聞いて、それを文章にするというのは、飽きてしまった。 そんなときの山梨移住だった。 ぼくは、何もできない。農家の長男に生まれた。でも、農業はやったことがない。父は、「農業なんか未来はない」と、ぼくに学歴をつけることをすすめた。まあ、成績は良かったから、大学を出て、大きな会社に就職したが、仕事ができない。つまらない。2年で辞めてしまった。 アルバイト生活をして、小さな会社に再就職したが、やっぱり、仕事ができない、つまらない。 縁があって東京へ出て、フリーライターになった。これだけは、どうにか続いたし、それなりに面白かった。たくさんの人に助けてもらったおかげで、長くやってこれたわけだ。 すごい人たちに話を聞いた。「自分は何もできないな」という思いが募った。虚の世界をうろついているだけ。本を何冊出そうが、コンプレックスだったな。 そして山梨。ヤギを飼って、果樹を育てて。これまで取材した人たちからの話を参考にして、見よう見まねであれこれやった。 まわりの人が教えてくれた。 いろいろできるようになった。60代も後半になって。草を刈って、畑を耕して、果樹の枝を切って、おいしい果物を実らせて、ヤギを飼う柵を作って、知恵と技術が広がっていった。 これまで虚の世界で生きてきたぼくが、実の世界でも少しは通用することがわかったわけだ。 ぼくの父親は、実の世界の天才だった。農業はもちろんだけど、家の修理から子どもたちの散髪まで、当時、男の仕事とされていたことは、人に頼まずとも、ほとんど自分でやってしまった。 学歴はなかったけれども、ぼくは父を見ていて、「自分は大人になれるのだろうか?」と不安だった。 何しろ、何もできない。母から「お前はどん臭いから何もせんでええ。勉強だけしとれ」と言われるくらいの子どもだったのだから。 だからと言って、勉強をしたわけでもないし、成績も、田舎の小さな学校で上位にいる程度で、大したことではない。 この年になって、山梨で動かない体に鞭打ってがんばって、農機具も大工道具も使えるようになって、やっと父の足もとくらいには届いたかなと思っている。 若いころ、本が売れたこともあった。あちこちで講演を頼まれ、セミナーをやり、「先生」と呼ばれた時期もあった。 それはそれでうれしかったけれども、スモモや桃が実ったり、ヤギたちの面倒を見ている今の方が、充実度、満足度が高い気がする。 山梨の4年間で、ぼくという人間はどうやって生きていけばいいのか、少しは気づけたようだ。 それをベースに、壮大で華麗なとは言わないが、「生まれてきて良かった」「生きてて良かった」と思える、すてきなラストシーンを演じたいと思っている。 おかげさまで、そのシナリオは、ぼんやりだけど頭に浮かんでいる。アマゾンで購入できます。
2024年07月07日
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暑い!つぶやいても怒鳴っても、何も解決しないのだが、言わずにいられないほど暑い!昨日まで何日か鈴鹿にいた。同じ三重県の松阪市が日本で最高の気温。39・7度だったらしい。「えっ、もう少しで40度じゃん!!」耳を疑った。鈴鹿でも35度。日本各地で当たり前に40度になる時代が近づいているかも。暑い中、汗だくになりながら、ヤギたちのスペースに日よけをかけた。その下でぐったりしているヤギたち。ハーハーいっている。水をまいてあげたりして、何とかこの暑さからのダメージを軽減してあげないと。一昨日も暑かったが、畑の草取り、ちょっと遅いけれども、サツマイモの苗を植えるなど、畑仕事で汗を流した。そんなことで、クタクタになって、昨日帰ってきたわけだが、我が家は、標高5~600メートルのところにあるので、日が沈むと気温がぐんと下がる。これは助かる。エアコンなしで4年過ごしている。昼間はきつけれども、古い農家だから、家に入るとひんやりするし、窓を開けておけば、涼しい風が入ってきて、昨夜は布団をかけて眠った。ヤギたちもずっとここで過ごしていたから、鈴鹿に移って、夜は眠れてないかもしれない。今は7月の初め。あと2ヶ月以上、こんな調子かも。上手の乗り切らないと。
2024年07月06日
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日本にあるさまざまな問題。貧困、環境、経済、政治などなど。山積みだ。単純に「政治家が平気でうそをつく社会でいいのか」と疑問に思うのが当たり前のような気がするが、どうもそうではないようだ。普通に暮していると、社会問題には意識が向かないのかもしれない。たとえばテレビをつければ、どのチャンネルもバラエティ番組。目玉は、あれがおいしい、これが食べたいという内容。ときどき何気なく見るけれども、あれを見ていると、ずっとぼくたちは、飢えることもなく、食べたいものを腹いっぱい食べられると錯覚させられてしまう。会社や学校のことにブーブーと文句を言っても、とりあえず、今のままが良くて、だから、選挙にも行く気にもならないし、今度は何を食べよう、どのお店へ行こう、とことで頭がいっぱいで、それが幸せだと思ってしまう。大衆には社会のことを考えさせたくないんだろうな。それを「家畜化」というのかな。原発の再稼働って大丈夫なの?コロナのワクチン、安全なの?自分の頭で考えるようにならないとな。ぼくも、まだまだ日和見菌だから、偉そうなことは言えないけれども、やっぱり変だよ。もうすぐ東京都知事選。ぼくはもう東京都民ではないから選挙権はないが、投票するなら、原発を止めようという人を優先する。とにかく、どんなにいい世の中になっても、原発が再度大爆発を起こしたら、闇の世界だからね。もっとも考えないといけないことだと思うな。それと、食糧問題をきちんと考えてくれる人。東京の最大の問題のひとつ。東日本大震災のとき、ぼくは東京にいたけれども、近くのスーパーの棚から食料品が消えた。怖かった。食べ物がなくなるのは都会からだから。そんなことを考えながら、ぼくは、まずは自分と家族の身を守るため、食べ物とエネルギーを自給できるように、あれこれ知恵を絞っているところ。
2024年06月30日
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電子書籍「ライター ヤギ飼いになる!」を出した。お金を出して買っていただくものだから、書くときにも緊張感がある。今は、第二作として、「教えて裁判長~どうして原発はすぐに止めないといけないの?」を制作中。原発を止めた裁判長の樋口英明氏にも原稿をいただき、少しずつ進めているところだ。これまで、ぼくは30冊近い本を出してきたけれども、自分で企画をすることはなかった。編集者との雑談の中で、「それ面白いね」と決まったものばかりだ。もちろん、ぼくの体験や考えの中から編集者が拾ってくれた企画だから、ぼくの書きたいことではあったが、自分で企画を考えて進めるのとは、ちょっと違う。純粋にぼくの興味から作れるのがいい。ぼくのまわりにはすてきな人がいっぱいいる。すてきな人に、いいお話を聞いて、ぼくの視点で、その人柄や考え方、体験、活動のすばらしさを伝えていくのもいいなと、今は考えている。ぼくが文章を書くのは、一人でも二人でも、生き方の選択肢はいくらでもあるということを知ってもらいたいから。ぼくのように、大した才能がなくても、40年も文章を書いて生きてきた人間もいる。60代後半になってヤギを飼って、果樹を育てて、電子書籍をやり、まだまだいろんなことに挑戦しようとしている。ぼく自身もひとつの題材だ。妻も、10年も大手の銀行に勤めて、たくさん給料をもらって、安定した生活が送れたのに、自分のむち打ちが瞬時に治ったことから、気功に興味をもち、自らもヒーラー、占い師になった。都会で生まれ育って、小さな虫でもキャーと大騒ぎしていたのに、今では、田舎で暮らし、平気で草むらに入っていける。娘たちも、まったく勉強はできない子たちだが、多くの女の子たちが進む道を選ばず、それぞれが右往左往しながらも、自分がしたいことを模索している。わが家族だけでも、「いくらでも選択肢はあるよ」というモデルになれる。外を見回せば、ぼくたちの経験など、本当にささいなものだと思えるような、壮絶な人生を生きて、自分の道を見つけた人がいる。そうした人たちを紹介するのも、ぼくの役割だな。電子書籍だからこそできることをやっていこう。
2024年06月29日
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電子書籍「ライター ヤギ飼いになる」に書いたように、山梨へ移住して4年目になった。家にこもって原稿を書く生活から、ヤギを飼い、果樹を育てるというまったく違う毎日になった。スモモと桃を無農薬で栽培している。ただ、10本ほどのスモモ、3本の桃、かなりの老木なので、ていねいに育てないといけない。スモモは今年で3年目。病気で半分くらい落ちてしまうが、がんばっておいしい実をつけてくれる。昨日から収穫を始めた。桃はうまくいかない。近所の農家からは、「もう木が弱っているから植え替えた方がいい」とアドバイスされている。確かに、ほかの畑の桃と比べると、葉っぱの色が淡いし、量も少ない。実は、ゴルフボールと野球のバールの中間の大きさくらいまでは育つが、そこで足踏み。去年は、ほとんどがそれ以上大きくならずに、落ちてしまった。昨日は、久しぶりに、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんと電話で話をする機会があった。木村さん、相変わらず忙しくて、電話で話をするのも、けっこうハードルが高いのだが、昨日は、タイミング良く、手の開いているときにつながったみたいだ。桃のこと相談した。さすがだと感心した。今の桃の状態を話すと、すかさず言った。「強くせん定をするといい」。せん定というのは、冬場に不要な枝を切り落とすこと。今年は、バタバタしていてせん定が中途半端だった。きちんと見透かされてしまっている。「強いせん定ですか。どういう理由ですか?」「桃の木が弱るのはいろいろ理由があるけれども、たぶん、小原田さんの木は、根が弱っていると思うのな。根に負担がかかり過ぎている。だから、地上の部分を小さくしてあげて、根への負担を少なくしてあげる。思い切って切った方がいい」そういうことか。根まで考えが及ばなかった。どうしても、目に見えない部分はおろそかにしてしまう。スモモも何本か、同じような症状が出ている。こっちも強いせん定が必要なのかもしれない。せん定というのは、けっこうきつい仕事だし、切り過ぎると、木が弱ってしまうのではないかと、及び腰になってしまうというのが、ぼくの3年で体験したこと。せん定と根への負担についても、考えたことがなかった。樹木の形を整え、栄養が全体に行くようにするということで、適当に切っていた。木村さんのおかげで大発見だ。桃栽培も一歩、前へ進んだ気がする。
2024年06月27日
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そろそろスモモの収穫期になった。今年は天候不順で、病気も多いような気がする。それでも、家族で食べる分と、毎年、お中元として送っている分はとれそうだ。桃は、今のところ大きくなっているが、近所の桃農家から言わせると、「あの木は切ってしまって新しいのを植えた方がいいよ」というくらい勢いがないので、大多数が落ちてしまうのかもしれない。山梨へ来て4年になる。ひょんなことから東京を離れ、山梨の山間の村でヤギを飼い、果樹を育てるという生活を始めた。東京では40年近くライター業をやっていて、ライターをやりながら農業もやるという、いわゆる「半農半X」の生活に突入したわけだ。けっこう健康的で快適な日々だ。それを、電子書籍にまとめた。題して「ライター ヤギ飼いになる!~やればできる!60代からのチャレンジ」。60代になれば、みなさん人生着陸体勢に入るけれども、ぼくは離陸します。そんな意気込み。と言っても、何となくそういう流れになって、ぼくはすごく充実している。今まで、いろいろな経験を積んできて60代になって、ここから次のステップに足を踏み入れる。そういう気持ちがあってこそ、人生の後半を楽しく生きることができる。もう十分にやった、あとはのんびり生きると決めているならいいけれども、ぼくはダメだ。60代で、それも無農薬で作ったスモモはおいしいよ。プレゼントすれば、みなさんとても喜んでくださる。「すごいね」と褒められるのもうれしいね。桃がうまくいかなければ悔しいし。来年こそと思う。そういう刺激が、元気のもとになっている。高齢化社会と言われて、年寄りが元気になれば、日本は活性化する。電子書籍も、ぼくの新しいチャレンジ。これまで熟成してきたものを、きちんと残しておく。大して売れなくても、一人でも二人でも、「元気をもらった」と言ってくれれば、それで十分。人生の幸せは後半にあり。そんなふうに言えるよう、ぼくは生きていきたい。
2024年06月24日
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集中力がない。言い訳になるが、理由がある。妻はインド占星術をやっているが、彼女の占いによると、ぼくは、それほどエネルギーが高くない。高くない中で、文章を書くことが少しだけ高めに設定されている。つまり、今生のぼくは、高くないエネルギーを、文章という技術に注ぎ込んでいるのだ。「とにかく書くこと。ベストセラーになるとか何か賞をとるとか、考えずにチャンスがあれば、どんどん書く。そこからいろいろなことが生まれてくる」そんなことらしい。ただし、全体のエネルギーが低いのだから、あまり集中し過ぎると、オーバーヒートしてしまうのだ。だから、ある程度のところでストップがかかってしまう。だから、自分を守るための防衛の手段として、ぼくには集中力がないのだ。集中力がないからこそ、40年間、細々とだけれども、ライターという仕事を続けることができて、30冊近い著書も出せた。10万部を超えるベストセラーもあったわけだから、ぼくのもって生まれたエネルギーからすれば、出来すぎなのだ。そのことを踏まえた上で、次に進んでいかないと。上手にエネルギーを充電しながら、効率よくエネルギーを使っていく。初めての電子書籍「ライター ヤギ飼いになる!」、好評発売中です。
2024年06月23日
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いくつになっても行動してないと、人は信頼してくれない。若い人たちに、少しでも農業に興味をもってもらわないといけないと、ぼくは思っている。だったら、まずやるべきことは、自分で農業をやってみる。農家の長男に生れながら、60過ぎまで農業などやったことがなかった。自然栽培をやっている人を取材して、口先だけは自然栽培家だった。それでは、単なる自己満足で終わってしまう。家庭菜園ではちょっと説得力に欠けるが、とにかく、知識を実践してみることだ。スモモや桃を無農薬で栽培して3年目。うまくいっているとは言えないが、自分で食べたり、知り合いに分ける程度には実ってくれる。それだけのことでも、日に焼けた真っ黒な顔をした話せば、まわりの人は耳を傾けてくれる。この間も、知り合いの息子さんと初めて会った。まだ20歳そこそこの学生さん。ちょっとあいさつをして、「農業、興味ない?」と軽く話を向けると、「面白そうですね」という返事が返ってきた。話を合わせてくれているだけかなと思ったけれども、とにかく、せっかくのご縁だから話をしてみようと、ぼくが山梨でやっていることをいろいろしゃべってみた。そしたら、翌日、連絡があって、もっと農業のことお聞きしたいというではないか。ちょうど、スモモの収穫に時期だから、遊びにおいでというところまで進んだ。うれしかったね。もうひとつ、ぼくの実家のそばに、小さな大学がある。次女が文化祭にキッチンカーを出店したのがきっかけで、職員の人が、ぼくが生まれ育った年寄りばかりの村に興味をもってくれて、たとえば、田舎料理を食べる会とか、ヤギの写真を撮る会をやってみたいという話になってきた。特に留学生。日本の文化に興味があるから、村の人たちと交流したいというのだ。ぼくが、実際にあれこれ動いているからこそ、そういう縁が広がっていく。アイデアと行動。年を取れば体力も落ちるけれども、それなりに動いていると、必ず助けてくれる人が出てくる。楽隠居では、なかなか物事は展開していかない。そんなこともあって、ぼくは、電子書籍の事業も始めた。自分がどう動いているのか、何がやりたいのか、あるいは、世の中にはたくさんのすてきな大人がいるよということを、若者に知らせていきたい。口先だけでお金儲けをしている人もいるけれども、そうじゃなくても、馬鹿を見ながらも、使命感や志をもって正直に生きている人。ぼくのまわりにはたくさんいる。それが、若者の生きる希望につながるはずだ。ちっちゃくても発信していかないといけない。その第一弾が、ぼくの山梨移住とヤギ飼いになった話。「ライター ヤギ飼いになる!」。今日22日まで99円。読んでいただきたい。
2024年06月22日
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人は、この世で何をするのかを決めて生まれてくるとのことだ。だけど、生れて数年すると、それを忘れてしまう。世間の価値観に振り回されて、何をしにきたかわからなくなるのだ。それでも、やっていて楽しいこととか、得意なこと、出会って影響を受けた人、やってみたいと思うことなど、生活の中にヒントが散りばめられている。日々の出来事が、自分がやろうと決めてきたことを思い出すヒントだと考えれば、次第に方向性が決まってくるはずだ。ぼくの場合、子どものころから学校の成績はそこそこだったけれども、ほかにできることはないし、すごく興味のあることもなかった。非常に乏しいヒントの中で生きてきた。特に20歳くらいまでは、ただぼんやりしているだけだった。大学を出て、当たり前に就職したが、そこで「ちょっと違うぞ」と思い始めた。やっと自我が芽生えてきたって感じだ。そして、28歳のときに、縁があって東京へ出て、フリーライターになった。これも何となく始めたことだったが、文章を書くのが好きとか得意ではなかったのに、とても居心地が良くて、ついに40年を超えた。40年間、これで生活してきたのだから、ぼくにとって文章を書くのは、「これをやろう」と決めてきたことだと思う。ただ、文章を書くことが目的ではなさそうだと思う部分もある。表現手段のひとつとして、ぼくは文章を選んだ。大事なのは、何を表現するかだ。電子書籍という手段を得て、目的に向かって動き出すのではないかと思っている。60代も半ばになってから、ぼくは山梨に移住し、ヤギを飼い、果樹を栽培し、これから野菜作りもしようと思っている。エネルギーの自給も進めている。これからの時代に必要とされるライフスタイルに、ぼくは向かっていると、自分では確信している。気功、代替療法、イルカの癒し、自然栽培・・・。ぼくは、大きな流れになるちょっと前に、こうしたものに興味をもってきた。本にもした。世の中の流れをキャッチするセンスがある。「これからはこういうことが大事だよ」と伝えるのが、ぼくのやりたいことで、自分で実践しながら、その手段として文章を使うということではないか。電子書籍「ライター ヤギ飼いになる!」を出版した。山梨へ移住した経緯、山梨でのヤギとの生活、果樹栽培などをまとめた。これから、どんどん文章を書いて、電子書籍を出そうと思っている。ぼくが、今生でやろうと考えてきたことが、果たして、この方向にあるのか。試してみよう。
2024年06月21日
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山梨へ移住した経緯、山梨でのヤギとの生活。電子書籍にまとめた。題して「ライター ヤギ飼いになる!」(ヤギーず出版)。ぼくに強い意思や、確固たるビジョンがあったわけではない。新型コロナがあって、キッチンカーの仕事がなくなった次女が、山梨の農園に果樹栽培のお手伝いに来た。ぼくたちも何度か農園にうかがううち、山梨のことが気に入った。東京にいなければならない理由もなかった。「山梨で暮らすか」そんな流れになったのだ。ひょんなことからヤギを飼うことになった。桃の無農薬栽培にもチャレンジした。意外にもエキサイティングな生活が始まったのだ。ぼくはもともと田舎で生まれて育ったので、田舎生活も苦にならなかったが、妻は札幌生まれの札幌育ち。結婚してからは、東京、埼玉の生活。都会でしか暮らしたことがない。アスファルトの上しか歩かないと宣言していた妻が、田舎生活を楽しみ始めたのは驚きだった。玄関を出ると、正面に富士山が見える。車の音もほとんどない。聴こえるのは、野鳥のさえずり、ヤギやニワトリの鳴き声。ほとんど村を出ない生活。60代後半になって、こんな生活が待っているとは思わなかった。ぜひお読みください。購入はこちらから。
2024年06月20日
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今年は東京都知事選があって、衆議院議員選挙もあるようだ。どうなるのか?トップにいる政治家が、裏金問題だとか、学歴詐称とか、おそまつすぎる。「嘘つきは泥棒の始まり」とか、「お天道様が見ているぞ」というのは死語になってしまった。上手に嘘をついて、ごまかして、その場をしのいでいく能力のある人が出世するわけだ。そういうしたたかさや、技術を身につけるのが、「帝王学」というやつかもしれない。正直者はバカを見る。そうかもしれないが、不条理がまかり通る時代だからこそ、できるだけ正直に、誠意をもって生きる努力をしたい。これまで、人に迷惑をかけたことは多々あるけれども、心を入れ替えて、「いい人」になろうと思う。
2024年06月19日
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ジャガイモ掘りをした。ちょっと遅めだった分、けっこう大きなのが掘れた。「ここ掘れわんわん」と庭で犬が鳴くので、そこを掘り起こしたら、大判小判がザクザク出てくるという話がある。ジャガイモが大判小判に思えてきた。ただし、大判小判は、いくらたくさん出てきても食べられない。その点、ジャガイモなら保存もきくし、我が家の畑で採れただけで、半年はいろいろな料理を楽しむことができる。採りたてを茹でて、バターや塩、メンタイマヨネーズで食べたり、肉じゃがもおいしいし、カレーもいい。小さいのは素揚げにして塩で食べる。ジャガイモだけでなく、大地は、人間の命を育むためのさまざまなものを産み出してくれる。お金も大事だけれども、食べ物を自分で作る生活の尊さが感じられる、ジャガイモ掘りだった。もうすぐ、スモモや桃も実る。畑こそ、宝箱かもしれないな。
2024年06月18日
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