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Jul 1, 2024
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人が仕事を作り出すものだと思う。数人でやっている時はお互いに動きが見えているから、情報共有も自然と出来るし、何かズレがあればその場で打ち合わせをすれば足りる。稟議書も要らないし、敢えて会議を設定しなくても、そこにいる仲間に声を掛ければ事足りる。これが10人、20人となってくると話がややこしい。その場にいない人も多くなり、なんらかのツールを使わないと情報共有も出来ないし意思決定もやりにくくなる。それでもリーダーがいて、文鎮型の組織でなんでもその人が決めれば物事が進むのなら、それはそれで(リーダーの能力に依存するが)上手くいく。これが100人、200人となってくるとそうはいかない。ボトムアップで決めようにも、担当者は多いし管理者もそれなりにいるし、トップ(または役員会?)の決定に至るためにはいくつもの階層と会議を経て、ようやく決まることになる。でもっと物事をややこしくするのが、人数が多くなると余計な仕事を作り出される傾向があることだ。すんなり決まるようなことでも、自分の存在意義を示すためなのか、余計なケチをつけたり、あれもこれも検討したり、リスクヘッジに傾き過ぎたりする人が現れる。これらはいわゆる「まともな会社になること」なのかも知れないけれど、「人が増えたので仕事が増えた」ような気がして仕方ない。すんなり決まることはすんなり決めた方が良いし、いろんな人の意見を聞いて結局は決まらない、時期を失するようなことは結局は組織のパフォーマンスを落としてしまう。例えば何かを入れる袋を購買するようなケース。これはそれを使う人が自分の業務に使いやすいものをネットかなんかで勝手に購買して貰えれば済む。しかし大企業になると、(大袈裟に言うと)「袋選定委員会を立ち上げて現場調査をした方が良いのではないか、そしてそれぞれの用途を分析し、3社見積もりを取って最適な購買先を選定すべきではないか?」と言う意見が出てくる。プロセスをきちんとしましょう、場当たり的なことは良くないという総論はその通りだから、「だったらあの人を委員長にしてやりましょう、委員は各部署から出して毎週打ち合わせをしましょう、討論した結果はレポートにまとめて、役員会に諮りましょう」みたいな話になってしまう。で、結果としては、どうでも良いこと、現場担当者が決めた方が良いようなことでもいちいち話がややこしくなって時間が掛かり、最悪なことに出てきた結果も「使えない」ものになる確率が高い。人が2倍になると仕事量は3倍になり、それでは回らないから人をもっと採用する、そうするとまた仕事が増えるという、無限ループに陥ってしまう。と考えると、やはり意思決定は分散型、現場の人が現場リーダーと相談して決めていく、役員や会社のトップはそれをモニタリングして、おかしなことがあればトップ自ら修正していくくらいのことが良いと思う。かつ余計な仕事を考え出す暇がないくらいプロジェクトを立ち上げて、即断即決でやらないと回らないんですというくらいにした方が良い。役職や委員会を作ると間接業務が増えてしまって、「なんとか委員長たるもの、やることがないなどとは言えない、何か生み出さないと」という変なプレッシャーも要らないと思う。当社は役職は(ほぼ自己申告で)あるにはあるが、間接業務は出来るだけ排除している。情報共有のための仕組み(=システム)をしっかり構築して誰が何をやっているかが公開されていれば(公開であって報告ではない)、あとはトップがくまなくリアルタイムでモニタリングしていれば、大抵の物事はうまく回っていくものだと思う。当社も社員が60人近くなってしまったが、それでも数人の組織のように運営したいと思っています。
Mar 2, 2024
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最近の経営課題と言えば、毎年毎年増収増益を目指すだけではなくて、溜めてきた利益や経験を使って、社員の本当の意味での物心両面の充実とか、他人・社会のためになる仕組みを考えることだ。稼ぐ理屈と利他の理屈は正反対のようで実は繋がっている。いや、繋がっているというより、コインの裏表の様なもので、稼ぐから他人や社会に貢献できる、他人や社会に貢献することを仕事とするから儲かるということなんじゃないかなと思う。稼ぐ=なるべく利益を残すと考えると、一銭も儲からないどころか持ち出しが殆どのボランティア活動なんて、稼ぐの反対のベクトルである。でもボランティア活動を何の疑問も気負いもなく、さてやりましょうかと行動に移せる組織が逆にいうと最も稼げる組織になれるのだと思う。顧客に貢献して売り上げをあげて利益を出す。社会や他人のためになることをやる。どちらも結局は同じことなんじゃないかなと思う。で、利他を当たり前と考えて行動に移せる組織にいると、社員は心の充実を感じると思う。そして上述の様に、そういう組織は結局は利益の出せる組織であるから、物的な満足も得られるのではないかと思う。難しいのだけど、あまり難しく考えずにシンプルにやっていこう。利他を考えれば、全てうまくいくような気がする。当社は「こういう社会貢献やってます」とか、僕もあまり自分のやってることを宣伝したいタイプでないけれど、自分が(自社が)それで良ければ言いふらすこともないと思います。地味にいきましょう。
Jan 5, 2024
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物事をなすには、情熱だけでもダメで仕組みがないといけない。逆に仕組みだけあっても、それを情熱を持つ人間の努力がなければならないと思う。僕の次男の話で恐縮だが、数年前のこと、彼は僕や長男が通った高校(A高校)を受験して、10人に1人しか落ちないのになんと落ちてしまった。やむなく近くの私立高校(B高校)へ進学したものの、そこは彼が中学時代から打ち込んだ水球部はおろか、プールすらもない高校であった。受験失敗を遡ること数年前、僕の長男の時に高校の部活動に重ねる形で、地域の水球クラブを立ち上げていた。外部からヘッドコーチを招聘し、春季・秋季も使えるようにと温水化設備を整備し、近畿における水球のメッカとして高校の枠を超えた活動を行う仕組みを作っていた。たまたま次男がB高校に進学してしまったので、次男はこの仕組みを使ってまさに受験に失敗したA高校に、地域クラブの選手として練習に参加させてもらうことになった。ここから次男の努力が始まる。水球はチームスポーツなので1人では出来ない。中学時代のクラブチームの後輩をB高校に勧誘し、3年生の時にはなんとかチームが組める人数が揃ってきた。すかさず僕がB高校に交渉し、水球部の創設を認めて貰った(校長先生、ありがとうございます)。そして4月に創部されたB高校水球部は、7月にはインターハイ、8月には国体の出場を決めるという快挙を成し遂げた。このゼロイチの経験を元に、次男は大学受験の時に推薦入試に挑戦し、非常に難易度の高い入試に受かってしまった。そして1年生から大学の看板を背負って中心選手として活躍し、キャンパスライフも謳歌している。後から考えると、もし彼がA高校に進学していたならば、水球でも(水球経験者のいない進学校なだけに)成果を残せず、受験でも準備が間に合わず、結局難関校には進学できてなかったように思う。人間全て塞翁が馬、高校受験に失敗したことが大学受験での成功に繋がったのだ。ここで大事なのは、本人の努力と仕組み(地域クラブの枠組み)が合わさったことだ。親の僕が作った仕組みと本人の努力、これらが合わさって成果が出た。会社経営も全く同じこと。社員の努力だけでも、ビジネスモデル、組織のあり方のどちらかが欠けてもダメ。仕組みと努力が重なって初めて成果が出る。個人的な(家族的な)エピソードだけど、多くの人に思わず語ってしまうほど、僕には非常に印象的な経験でした。
Aug 9, 2023
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僕は経営というものに関わって20年を過ぎることになるが、この間会社は8倍程度に成長し、ゆっくりだが安定的に成長し利益を出せる会社になってきた。成長段階としては1/3程度進んだところかなと思うので、これからの中盤でギヤを上げて、更に(自分のキャリアとしては)終盤となるステージに備えたいと思う。これまでの経験で得た僕なりの経営のコツはシンプルなものだ。究極、以下の3点ではないかと思う。会社は社員の物心両面の充実が第一の目標で、成果は社会の役に立つものでなければならない。経営者が金持ちになるために社員は頑張る訳ではないし、社会も経営者のためにある訳ではないことを明確にする。全部のプロセスを自社で行わないこと。製造は製造業の専門会社、ソフトウェアはソフトウェア開発会社、在庫や出荷は運送会社などそれぞれの専門分野で協力してくれるパートナーがいる。商品開発にしても、顧客が協力してくれる。自社は、どの他社でもやれない、しかもサプライチェーンの中で一番大事で難しい部分だけを行うことに徹する。一番難しいところ、つまり一番リスクも大きいところを担うのだから、他社からも顧客からも頼りにされる存在になること。そもそも競争しないこと。自社の強みを語っている時点で、それは競合の存在を前提とし、「良いものをより安く」の競争に陥っている。自社独自の立ち位置を確立し、自社独自の価値の提供の仕方を考えて、きちんと利益が出る価格設定が出来るポジショニング重要だ。上記の「戦略」の上位概念として、フィロソフィを大切にするという大前提がある。利他の心で経営を行うというのがそれだが、当社の経営戦略はこの「利他の心の実践」に尽きるのではと思う。利他だけで経営をやってきた結果が当社の業績だ。これからも利他の心で頑張っていきたいと思います。
Apr 8, 2023
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この秋は、怒涛のイベント続きであった。10月は業界のイベントがあってボストンへ(NPMA)。その後、11月6日から8日まで、FAOPMA PEST SUMMIT日本大会。この大会は、僕が15年程度関わっている害虫駆除業界のアジア連盟の年次大会だ。僕は実行委員長兼基調講演ということで、この一年弱、準備をおこなってきた。コロナ禍でリアル開催できるか、海外からの参加者が来日できるのか、見通しがつかない状況の中での準備は時に不安になることもあった。結果として、海外から500名を超える参加者、ヴァーチャルも含めて約1100名を集めての大会を、京都の地で成功裡に収めることが出来た。その二日後の11月10日にはルーマニアへ。副理事長を務めるNICCOのウクライナ支援事業のためだ。既に40日間のパイロット事業を行い、その最終局面を見届け、次の本事業申請に繋げるためである。羽田空港に帰国し、その翌日はForbes Japanが主催するスモールジャイアンツの決勝大会に参加した。最近は便利なもので、帰国途中の機内でプレゼン資料の打ち合わせを日本側と行えた。正直、ボストン出張、京都大会、ルーマニア出張と連続していたし、アワードには興味があまりなかったので準備不足。それでも視聴者が数百人に上ると聞いて、ちゃんとやらないとなと思い直した。アドレナリンが出て、当日は思いもかけずプレゼンは上手くいった。結果は2位だったが、良い出会いがあったりもっと会社を伸ばすべきという助言もあったりして、これも本当に実りがあった様に思う。次のイベントは、那覇マラソンだ。多忙でほとんど練習できてないけど、タイムはともかく完走できれば大成功だと思う。社員も3年ぶりの大会で、密かに楽しみにしているのじゃないかと思う(社員25人が参加)。忙しいのは忙しい、やるべきことはいくらでもある、でもそれは個人の理由、制約条件、言い訳であって単なる自己満足では意味がない。社会のためにはそんなことは関係ないし、やれることを粛々と(密かな情熱を燃やして)やっていくしかないですね。
Nov 23, 2022
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先日海外から帰国した際、日本のデジタル化は進まない理由の一端を見た気がした。ワクチン接種記録や、帰国前に受けたPCR検査の陰性結果はすべて事前に指定されたアプリ(MySoS)で登録してある。他国であれば、事前申告に依って入国手続きは普通にスムーズに行われる(そのための事前登録)。最近行ったシンガポールでもフィンランドでもスペインではそうだった。一方、日本に帰国時には、飛行機が空港に到着すると、長々とターミナルの端から端までたっぷり数百メートル歩かされた。最後の50メーター地点からは数十人の人たちが列をなし、まるでマラソンの最終地点のように「アプリの画面を開いてください」と声を掛けてくれる。で、歩いた挙句の目的地で何をしたかと言うと、アプリに表示されたQRコードを読んでもらう、それだけである。そしてまたUターンをして数百メートル歩いて入国検査へ向かう。単にQRコードを読むためだけに長々と歩かされて、そこに意味の分からない数十人もの人がいる非効率性を誰も疑う事はしない。普通に考えれば事前登録してるんだから、自動的に入国審査でデータが確認されるのが普通だと思う。デジタルデータとなっていてアプリまで用意しているのに、物理的に歩いてQRコードを読み取ってもらわないといけないと言う工程が入るところに、日本の弱さがあると思う。古いものを使い続ける、効率の悪いやり方に固執する、それを真面目な国民性で補おうとする。自分の頭で考えられない、非効率だとわかっていても変えることができない、変えようと言い出すと必ず反対する人がいる。その結果競争に負けても、我慢強い国民性で「効率や経済だけが人生にとって重要ではない」と言い出す。こういうメンタリティーが、日本の生産性が改善していかない理由だと思う。それに加えて、成功しても褒められない、失敗したら犯罪者の様に扱われる風潮もこれに拍車を掛ける。何かに100回挑戦して、99回上手くやっても、たった1回失敗したらそのことを責められる。なぜ失敗したのか、どうしたら防げるのか、そもそも無謀ではないかという議論はなされるけれど、99回成功したことの成果は評価されにくい。成功して当たり前、稀に失敗したらとことん詰められるという文化の中では、成長は難しいと思う。失敗したらその原因が分析され(そりゃ何か足らなかったのだろう)、次から失敗しないように準備することが増え、書類が増え、手続きが増えることになる。その結果、そもそも機を逃して、挑戦が意味のないことになることも多い。挑戦しなければ失敗もないのだが、それは本末転倒というべきものだと思う。当社は決して、お役所的な意味のないリスクヘッジの様なことだけはしたくない。あれこれ言い訳を考えておけば失敗した時には役に立つだろうけど、そもそもどうしてそのことに挑戦するのか、成功するためにはどうすれば良いのかを考える方が生産的だ。そうすれば失敗も稀にするだろうが、より成功してトータルでプラスならそれで良いではないかと思う。
Jul 31, 2022
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こんなこと書くとまた変人と思われるかも知れないが、僕が一番好きな曜日は月曜日だ。週末に前週にあったことを振り返ったりやり残したことをやったりして、月曜日にはスッキリした状態で現在の課題に取り組むことが出来る。綺麗に片付けた部屋で書き物をする様なもので(もしくは綺麗なキッチンで調理を始めるようなもので)(もしくは真っ白なキャンバスに絵を描き始める様なもので)、一旦頭をゼロにして「そもそも当社がやるべきことは何か」、「今取り組んでいる課題の次の展開は何か」ということに一から取り組むことが楽しいと感じられる。開き直る様だけど、社会人になって仕事を始めて、10年も20年もやってきて月曜日は憂鬱だと思っているならそんな仕事は辞めた方が良いと思う。そりゃ最初は先輩から言われたことに納得がいかなかったり、会社の方針が自分の価値観とぴったり合ってないこともあるだろう。でも長く勤めていれば、自分の努力で少しずつ周りの環境を変えていけるはずで、そのうち、快適な住処の様な仕事環境になっているはずだ。で、快適な仕事環境になっているなら、月曜日が一番好きになっているはずだと思うのだ。同じような文脈で、僕は仕事でストレスは全くない。嫌なことはしないし苦手な人とも会わない様にしている。働く場所も自宅であったりリモートオフィスであったり、やっぱり顔を見て話さないとなと思えば職場にも行くし、当然顧客やパートナー企業のところにも顔を出す。で一番大事なのは、それが楽しいと思えることしかしない、それでいてきちんとビジネスとして成り立つ様な仕組みを考え出すことが、働く人の、そして経営者の役割だと思う。僕はワーカホリックではなくて、人生楽しみホリックだと思ってる。仕事=人生の様な仕事環境を創れれば、社員であっても経営者であっても、月曜日が待ち遠しい、ストレスのない人生を送れると思う。理想主義みたいだけど、月曜日が一番好きなんだから、仕方ないじゃないか。当社の社員もきっとそうだと、僕は勝手に思っています。
Apr 18, 2022
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ウィンターオリンピックが開幕して、悲喜こもごもなドラマが繰り広げられている。審判の問題、もしくは風向きなどの自然現象、今日は羽生選手はリンクの穴に足を取られてしまった。4年間、いや競技を始めた子供の時から厳しい練習を積んできた結果が、ほんの少しのアンラッキーで報われないものになる。その一方では(ラッキーな)勝者もいる訳だが、人間の一生を左右するイベントが少しの偶然に大きく影響される。だからこそスポーツから得られる教訓は大きいとも言える。努力は必ずしも報われるか分からない。このことを劇的な形で本人、そして周りの人に教えるのがスポーツだ。しかし努力したその事実が、(大会では結果が出なかったとしても)その後の一生に必ず良い影響を与える。すぐに良い結果は出ないかも知れないが、10年20年のタームで見た時には、必ず良い結果が出る。そして何より、結果が出なかったとしてもそれは自分の中の出来事であって、誰に対しても責任を感じなくても良いと言うことだ。これまで支えてくれた恩師、スポンサー、関係者、保護者、いろんな人々がその選手の周りにはいるけれど、それらの人は結果を求めて応援していた訳ではなく、その選手を活躍を(結果の如何に関わらず)支えようとしていただけだ。オリンピックや大きな大会の結果は、選手はもちろん、誰も左右することは出来ない。結果を保証することも出来ない。そういう、不確かな未来に対して、選手本人、周りのサポーターの皆が夢見ながら努力すること自体に価値がある。これは企業活動も同じ。結果が良いか悪いかは結果論。悪かったからといって誰かを責めることは良くない。そして結果が良かったら、それこそ手放しで褒め合う、喜び合うと言うのが正しい姿ではないかと思う。
Feb 9, 2022
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TABIOの創業者で会長の越智さんが交通事故で亡くなったことをニュースで知った。以前は「ダン」という会社名で、僕は20年以上前に越智さんの経営セミナーを聴いたことがある。当時の同社は、越智社長の地に足が付いたベタベタな経営で有名だった。最近でもインタビューで答えておられたけど、「自社の新製品は噛んで品質を確かめている」とか、ものづくりの権化みたいな人だった。一方で会社の生産管理はコンピューターを駆使した最先端のもので、社長のキャラクターと実際の最先端の管理手法のギャップが大変興味深かったことを覚えている。経営セミナーは比較的少人数のものだったので、講演の後の質問タイムで質問をさせて頂いた。「越智社長の経営はモノづくりを究められている職人技の世界と仰られました。一方で、生産管理システムを駆使されていることも新聞などで知っています。越智さんは、経営者として毎日何をしているのか、教えて下さい」と聞いたのだ。こういう質問をした意図は、僕としては「職人技、モノ作りの情熱、義理人情みたいなことばかり話されたが、実は精緻な生産管理などされている合理的な経営手法があるはずで、社長としては後者も冷静に結構やられているのでは?」という多少、斜めに構えたものであった。で越智さんの答えがとても印象的だった。「わては毎日、靴下を作ってまんねん。」「靴下を作っている。」これは結構衝撃的、かつ的を得た(得過ぎた?)答えだと思う。細かいことは色々あるけれど、経営者の目的、会社の目的を一言で言えるのは重要だ。靴下を作っている、これ以上に簡潔に事業の目的を表す言葉はないと思う。さて当社は、一体何をしているのか、そして経営者の仕事とは何なのか。僕にはまだ一言で表せるほどの境地には達していない。でも近いうちに一言で言えるのようになりたいなとは思います。
Jan 13, 2022
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意識的に定期的に、非日常を経験することが大事だと思う。人は同じ環境に長くいると、その環境が「当たり前」となっていく。しかしその「当たり前」は当たり前とは限らない。昨日までの常識は一瞬にして非常識に変わっていくことは、このコロナ禍で多くの人が経験したと思う。「まずはご挨拶させて頂いて」は「まずはZOOMで打ち合わせましょう」となったし、会社に行かないことが当たり前にもなった。用事もないのに出社しようものなら、危機管理と自己管理ができない人と思われてしまうほどだ。コロナの前では、暑い夏でも上着とネクタイをするのが「当たり前」だったのが、今やネクタイ派は少数派。IT系の会社でなくても、スマートカジュアルが普段の仕事着となってきている。昔の話だと印象的だったのは、原付バイクでもヘルメットを被る規制が導入された時だ。ちょうど切り替えの時が海外旅行に行って帰ってきたタイミングだった。帰国すると、なんと(当たり前だが)全員が全員、ヘルメットを被っている。間違って違う国に帰ってきたような気になったことを今でもよく覚えている。1945年の終戦時に、軍国主義から一挙にアメリカ型の民主主義に180度転換して、「国の言うこと、大人の言うことは信用できない」と思った多くの若者たちがいた。価値観が180度変わってしまうことを経験したら、今日の当たり前が明日もそうだとは限らないことは身に染みて実感できただろう。だから、意識的に非日常を経験することは大事だと思う。僕も10月にはアメリカへ出張したり、この年末年始は北海道に旅行してきた。アメリカでは日本とは違って経済活動は普通に行われていたし、何より外国だから日本とは何かと勝手が違う。北海道は生憎の天候だったが、それでもマイナス15度20度の非日常な世界を経験することができた。ボランティアの海外支援の仕事でケニアに出張した際も、1日1ドルで暮らす人々の様子を伺うことができた。吉野家の牛丼は400円くらいだが、ケニアのスラムからすると4人家族が1日暮らせる金額だし(=高い)、スイスのビッグマックの半額でもある(=安い)。当社でやっているフルマラソン参加(今はコロナで休みだが)も、非日常を感じるためのイベントとも言える。オフィスで一緒に働いている人たちと、沖縄の朝9時にフルマラソンのスタートラインに立っている(しかも二日酔い)と言うのは、かなり貴重な体験である。日常の常識を覆す、昨日までの当たり前を意識して変えていくには、人事異動も有効だと思う。同じ仕事を10年間も続ければ、かなり熟練はするけれど、同時にその日常が当たり前になってしまう。当たり前を不変、普遍と感じてしまうとイノベーションは起こりにくい。他所者の目で、素人の真っ新な目で見て、初めて業界の常識は世間の非常識だと言うことに気づく。当社も常にアップデートを続けたい。そのためには無茶振りと言われようと、マラハラ(マラソンハラスメント)と言われようと、社員には非日常な機会を与えていきたいと思う。プロジェクトを切り出して分社化して社長をやってもらったりと言うこともこれからあり得ると思う。また今年はバルセロナで学会発表の機会を与えられた社員もいるけど、そんな非日常、なかなか機会はないと思うので頑張ってください。
Jan 9, 2022
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2021年もあと1日だけとなったが、今年は総じて良い年だったと思う。2000年に社長になってから21年が経過した訳だが、連続増収増益が(おおよそ)達成できた。社員の経験が蓄積されることで会社の力が徐々についてきて、だいぶんと強い組織とビジネスモデルが出来上がり、顧客から信用も高まってきたと思う。スポーツ振興として水球を長年支援しているのだが、一般社団法人を立ち上げて強化してきた努力の結果が今年出た。クラブの選手が属する地元私立高校で水球部を創部してもらい、初年度からインターハイに出場することができた。国体の出場権も大阪府として24年振りに獲得することができた(本戦は中止)。支援しているチームが結果を出すことが出来たことは本当に嬉しい。(段々と私事になるが)次男の大学受験も早々に結果が出たことも大変嬉しかった。高校受験に失敗しそれでもめげずに水球と学業の両立を頑張っていたが、その成果が認められた結果となった。もし高校受験で第一志望に受かっていたら、水球も受験も違った結果になったと思う。塞翁が馬と言うが、正にその通りで何が幸いするかは分からない。今年は良い年だったと思う。幸運もあったけれど、長い間、正しい方向で正しい努力を積み上げてきた結果だとも思う。良き社員や周りの人たちに恵まれ、さまざまな協力を得て、自分の能力や幸運を私物化することなく行動することで、神様が結果を伴わせてくれたに違いない。来年は謙虚にして驕らず、誰にも負けない努力をしていきたいと思います。当社の社員も新しいステージでのチャレンジをしてもらいたいと思うので、年末年始、来期の経営計画を練っていこうと思います。
Dec 30, 2021
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会社や組織を経営していくためには、(僕のやり方だが)社員の「心理的安全性」を実現することが非常に大事だと思う。僕の会社の運営方針は簡単だ。当社は全従業員の物心両面を充実させるために存在しています。そして活動を通して社会を良くすること。以上。という感じ。僕が金持ちになることが目的ではないし、あまり興味もない。ひたすら会社活動にコミットして、社員に幸せになって欲しい、顧客の役に立ちたい、そして社会(世界)を良くしたい、それだけだと言うことをまず明らかにすること。そして次に、会社の中では皆が安心してなんでも議論して、高い目標に向けて努力して欲しいと思う。なんでも議論するということは、必ずしも意見が一致するとは限らないから多少の衝突もあるのだけど、それは「l健康的な衝突」だ。意見を言っても罰せられない、叱られない、他人から批判、中傷されない、むしろ議論を活発化させたということで褒められる、評価される会社文化(=心理的安全性がある会社)が大事だと思う。社員にこういう心理的安全性があれば、健全に意見を戦わせ、生産的で良い仕事をすること、成果を出すことに力を注げるチームとなる。これがチームの学習の促進につながり、結果的に良いパフォーマンスに繋がる。更にはメンバーの離職率が低く、収益性が高い組織になっていく。会社の目的が社員の幸福にあることを明らかにすること、そのために活発に前向きな議論が出来る会社カルチャーを作っていくこと、これらが出来れば、どんな組織でもうまくいくのではないかなと僕は思っています。
Oct 16, 2021
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連日連夜、オリンピックの熱い戦いが行われている。これまでも何年も血の滲むような努力をしてきた選手たちが、全力を絞って戦う姿に本当に心を打たれる。毎日フルコースメニューの様でとても全部受け止められないのだが(例えば、全く注目されていない自転車競技の二人の日本代表選手も、それだけでドラマになるような代表争いを繰り広げてきたことをテレビの特集で知った)、始まってしまうとコロナの課題もあるけど、やって良かったんじゃないかと思える(むしろテレビ観戦の人が増えて人流は減っているはず)。全員人並み外れた努力をしているのだけど、結果を出している人はやはり努力の徹底度合いが異なると思う。グラウンドを一周する際も、少し線の内側を走るか、しっかり外側を走るかによっても結果は大きく異なると言われる。ほんの数センチしか違うだけなのだけど、それが一周数十センチ、毎日数十メートル、毎月数キロ、毎年数十キロの差となって現れてくる。とても卑近な例なんだけど、自宅の近くの山に泳げるような川が流れている。僕は家から走れる距離(1キロ)だけど、普通は車で来て駐車場に車を停めて歩いて行く。坂を越えてすぐ、河原に降りれるのだけど、ほとんどの人はそこで落ち着いて川遊びをしている。でも本当は、あと2百メートルほど行けば、つまり坂をもう一個越えれば、もっと綺麗で人の少ない場所がある。僕は毎回トレランで走って行くから「すぐそこ」の感覚だから、どうしてそこまで行かないのかが不思議でたまらない。わざわざ遠くから車で来て、最後の数百メートルを荷物を運んで歩いたのなら、どうしてあともう一つ坂を越えないのか。あと少しの努力で、大きく結果は変わる。当社はしつこく、あと一押し、あともう少しの努力、あともう一つの坂を越えて、本当に良い結果を出していきたいと思います。
Jul 29, 2021
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オリンピックが始まった。最近、オリンピック選手の特集をよく見るのだが、彼らの努力と決心はやはり並々ならぬものがある。オリンピック選手として選ばれるために、どれほどの努力をしてきたのだろう。そして激戦を勝ち抜き、多くの修羅場や挫折を越えてきたはずだ。そしてその周りの家族や指導者やサポーターの人たちの協力もあって、ようやくここまで来れた。コロナ禍の中でのオリンピック、賛否両論はもちろんある。否定論の中には、「どうしてオリンピックだけが特別、オリンピック選手だけが特別扱いされるのか?」という疑問がある。でも、やはりオリンピックは特別だし、オリンピック選手は何より普通の人の100倍も努力した人たちだと思うから「特別扱い」されても良いのではと感じる。もちろんオリンピック選手だけが特別なのではない。一生懸命地道に働く人、誰にも負けない努力をしている人、成功した企業人、職業人。どんなカテゴリーであっても、特別な努力をした人たちは特別な存在だと思う。努力をしていない人が努力した人に、あいつらだけずるいとか特別扱いは許せないという権利はないと思う。仕事を一生懸命している人なら、何かを一生懸命やっている人なら分かると思う。努力をして何かを達成した人たちを尊敬する気持ちはあって当然だ。それは突き詰めると、一人一人を尊重することに繋がっていく。努力して成し遂げた人を特別と思えない人は、結局誰も尊重出来ないのではないか。当社も、努力している人、そうでもない人はお互いよく分かっている。頼られる人は頼られる。そして特別な存在として認められる。それが自然だし、誰もがイコールではない。そして当社も、業界の中で、そして社会の中で「特別な存在」として認められたいと思います。
Jul 23, 2021
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僕はたまたま出会った人と意気投合したり、日頃考えていることに大変役に立つ人とたまたま会うと言うことにとても優れていると思っている。自分でも超能力かなと思うくらいである。先日来、虫繋がりと言うことで「コウロギなどの昆虫由来のタンパク質製造」に注目しているのだけど、そうするとそれをやっているスタートアップ企業と次々と繋がっていくと言うことがあった。思うから繋がるのか、繋がるから思うのかはわからないけど、次々と出会いが連鎖していくのは大変面白い現象だと思う。また、たまたまこの組織で生じていることが僕が別に関わっている組織でも同時に生じたり、また稲盛さんの講話を聴講していたらまさしくその話が出てきたり、同じ類のことが同時に発生する。これをシンクロニシティ(同時性)と言うらしい。たまたまと言えばたまたまなのだけど、それはある意味、必然である。つい先週も、この人と会って話をしたいなと考えていたら、たまたま在来線の同じ電車で出会ったことがあった。潜在意識に透徹するまで四六時中考えていると、不思議なことに現実世界においてもそのことが生じるのだ。正しいことを潜在意識に透徹するまで思うことで、現実社会においても顕在意識でも実際に物事が生ずると言うのはとても面白い。世の中精神的なことばかりではないけれど、当社は正しいこと、良きことを思いながら、頑張っていきたいと思っています。
Jun 27, 2021
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スポーツは、勉強が出来ると言うこと位、社会で評価されて良いし、もっと言うなら「文武両道」を真剣に追求し評価すべきだと思う。受験科目が勉強科目だけのためか、体育が出来るとか部活を頑張ったとかが全く評価されない。東大、京大の入試科目に体育や部活での実績が考慮されることは全くない。ゼロである。一方で、トップアスリートの大学スポーツ推薦(セレクション)で、勉強の成績が問われることも殆どない。結果として、勉強かスポーツかの二択で、勉強で進学校、有名大学に進学しようとするとスポーツやっている暇はない、逆にスポーツをやるなら勉強なんかやってる暇はないという奇妙で歪な状況になっている。で、社会で通用するのはどう言う人材か?もちろん、頭が良くてリーダーシップがあって、人の気持ちがあって、苦しい時に笑顔を周りを引っ張っていける人材が良い(に決まっている)。受験エリートが満たしそうなのは、「頭が良くて」の部分だけで、リーダーシップがあるとか人の気持ちが分かる、他人を引っ張っていけると言う能力はむしろスポーツで培われるものだと思う。だから実際のところ、学校の成績が良くてスポーツも出来る人を採用したいのだが、入試制度がそうなっていないからそう言う人材を見つけるのがとても困難だ。良い大学の体育会出身者を採用すれば良いのだが、それも数が限られていて中小企業では難しい。世の中が普通に、勉強もスポーツもと言う評価基準になっていればもっと分かりやすいのにと思う次第です。当社では、勉強も一流ではなく、スポーツもそれほどと言う人が多いので、頭を使うことは会社に入ってから鍛える(少なくとも地頭が良い人を選ぶ)、スポーツは入ってから鍛える(と言うことでフルマラソン必須)と言うことにしている。大人になってどうして頭使って、運動もしないといけないのかと思うかも知れないけど、社会で通用するには両方必須なのだから、仕方ないですねと言うことで、皆さん頑張って欲しいと思います。
Apr 10, 2021
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経営とは、会社の「資源」(=ストック)を使って顧客満足や社員の満足社会貢献と言う「成果」を出していくことだと思う。当たり前のことだけれども、それは毎月・毎年の売り上げと利益を見ているだけではわからない。フローである売り上げと利益を見るだけの経営は、卵の数ばかり考えてそれを生み出す親鳥やその生育環境に注意を払わないと言うのと同じことだと思う。(フローで)良い卵をたくさん産んでもらうためには、(ストックである)親鳥が健康でなければいけないし、そのための環境を整えなければならない。会社経営も同じことで、会社には様々な「資源」がある。一番大事なものは、人材である。人材は短期間では育たない。いろんな経験を経て、だんだんと業界の事や製品のことがわかってきて、顧客からの信頼も得られる。事業を効率的に運用するためのソフトウェアも簡単には作れない。様々な紆余曲折を経て、少しずつ使えるシステムが出来上がってくる。もっと抽象的なものでは、会社文化がある。会社の雰囲気、ものの考え方、案件の進め方やスピード感などは、成果を生み出すための重要な資源だ。これも経営者の考え方が反映されると思うが、熟成には時間がかかる。稼いで蓄積された自己資金も、重要な資源だ。フローで毎年稼いだ利益を、そのまま現金で積んでおくだけでは勿体ない。とは言っても、金融資産で運用してもそんな上手い投資話しはないし、リターンがあったとしても大きなものは期待できない。やはり大事なのは、既存事業のブラッシュアップまたは新規事業に再投資して、余剰資金も活用してしっかり利益を上げ続けることだと思う。稼いだものも単なる蓄積とはせずに再投資に回してその分も追加で稼ぐこと、これによって企業は「複利的に」成長していくものだと思う。フローの経営からストックの経営へ、当社もこのことを意識して長期的な視点が頑張っていきたいと思います。
Jan 29, 2021
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昨年春からの新型コロナの影響で、出来なくなってしまったこととも確かに多い。国内外への出張は基本自粛、外食・会食、目の前での議論・交渉・説得、リアルな研修会など。リアルで会うのは熱が伝わる。先方の反応が分かり易く、関心の程度も分かる。空気も読み易い。スポーツイベントは水球関係もインターハイも国体も中止で、国際大会も中止、それらを目標に頑張ってきた選手たちはやるせない気持ちだと思う。大人の1年は何十年の中の1年だけど、学生時代の1年は掛け替えのない、「高校最後の1年」であったり短い大学生活(楽しいキャンパスライフ)の中の1年が失われてしまった訳だ。僕も出張とかで新幹線に乗ったり街を歩いていたりで、物理的に動くことが結構気分転換になっていたことが分かる。アポの合間にカフェに寄って作業をしたり、ふと本屋に立ち寄って良い本に出会ったり、歩きながら何かを思いついたり。人と会ったり雑踏を歩いたりすることで、いわゆる「偶然のなせる技」「ふとした思いつき」が起こるべくして起こっていたのだろう。今はそれが起こりにくい。こう言う状況下では、リアルで会う、人が集まる価値を再認識させられる。一方、今でも出来ることは沢山あるし、この状況下のお陰で?出来る様になったこともあるまずはオンラインでの出会い。これまで東京でのリアル会合はなかなか参加できなかった。興味のあるセミナーは大体東京開催で、19時開始とかだと日帰り出張だと参加出来ない。それらがほぼ全てオンライン開催となり、僕も参加できる様になった。しかもどのイベントも同じ事情で、数多くのオンラインイベントが日経新聞の広告欄にも溢れる様になった。高い参加費を払ってわざわざ東京まで行かねばならなかったものが、無料または安い参加料で自宅から聴講できることは本当に素晴らしい。海外のリアルイベントにも気軽に(時差さえ気にしなければ)参加できる。双方向型の会合の様なイベントだと、全く会ったこともない人たちと繋がれたり話せたりもする。これは画期的なことだ。コロナ以前もオンラインイベントはあったかも知れないが、これ程の頻度で、参加者も講演者も慣れた感じで運営されているのは素晴らしい。当社でも年間100回以上開催していたリアルセミナーは全てオンラインのウェビナーに変更して、今まで参加頂けなかった顧客にも参加してもらえる様になった。そう言えば、毎年アメリカとアジア諸国で行われている害虫駆除業界の大会も全てオンライン開催になり、費用は出張費一人30万円以上掛かるところが5000円で参加出来たのは良かった。異国の地での会食が出来ず、観光がてらの早朝ランニングなかったのは全然物足りなかったけれど。打ち合わせの頻度も上がっている。わざわざ日程を合わせて集まって月に1回とか数ヶ月に1回とかやってた打ち合わせが、オンラインで毎週短時間で進捗を確認することも出来る。画面共有も出来るから、会議室でリアルに集まるのとあまり変わりのない生産性が確保できる。特に全国から複数の組織に属する人たちが集まる場合には(例えば協会の理事会とか)、オンライン開催が非常に(仕事だけを考えると)便利だと思う。従来のやり方に囚われているから、やれないことに目が向いてしまうのだと思う。新型コロナが収束したとしても、元の世の中には戻らない。在宅勤務の良さ、オンライン会議の便利さが分かってしまった今、完全に全てリアルに戻す必要もないだろう。世の中が変わったのだから、本質は変えずにやり方だけを変えれば良い。別に会社に出勤しなくてもリアルに会いにいかなくても、顧客のために社会のために出来ることはいくらでもある。日中決まった時間に決まった場所で働く必要はない。自宅でも散歩しながらでも、山の中をトレイルランしながらでも「働く」「考える」「電話する」「オンライン会議に参加する」ことは可能である。今までのやり方に拘らず、自由にやり方を編み出せば良いと思う。緊急事態宣言下の東京や大阪から来社しないでくれと言われたら、独身の人なら一人で、もしくは自宅を離れられる人は1ヶ月でも出張地域に「移住」しても良い。四国に1ヶ月住んでも良いし、東北の田舎で(今だと雪の中?)自主隔離を経てどっぷり地方の顧客の近くにいることも面白そうだ。今時流行のワーケーション である。(とか言うと、冗談にならないからやめてくださいとか社員に言われる。)考えてみると、在宅勤務は、生き方を見直し、読書をし、自己研鑽を行い、身体を鍛えるチャンスだと思う。何も9時から夕方まで決まった時間に働く必然性はないのだから、かつ移動時間や出張の機会が減ったのであれば、自分のために使える時間は確実に増えているはずだ。昼間の暖かい時間帯に散歩に出て運動して、その分夕食後に仕事をしても良い訳だ。出来ないことではなくて、出来ること、神様に貰った?時間を使って有意義に過ごしたいと思う。自分は何のために生きているのか、自社の仕事はどう社会に役に立っているのか、それらのためにゼロベースで仕事のやり方や自己研鑽のやり方を変えても良いなら、どうするべきなのか?ということを問い続けることだ。リアルで人に会えない、移動できないからと言って落ち込んでても仕方がない。オンラインや在宅で出来ることはやり切り、次にリアルで会った時に「長く会ってなかった気がしませんね」「会ってなくても十分満足しています」と言われる様に、当社の皆と頑張っていきたいと思います。
Jan 26, 2021
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思ったことがたまたま現実になる、似た様なことが続き様に生ずることをシンクロニシティー(同時性)と呼ぶらしいが、僕には昔からよくそういうことが起きる。会いたいなと思った人にたまたま出会すことは結構あって、例えばシンガポールで宿泊先ホテルの前でタクシーを待っていたら、下車してきた先客がまさにその時会いたかった(日本の)取引先の人だったり(で、ホテルも同じだった)、山手線に飛び乗ったら、目の前にそろそろ連絡しようと思っていた人がいたり。外国の路上で大学のクラスメートに会ったこともある。社会貢献をできる事業を始めたいなと考えていたら、日本人のレジェンド企業家の方(カンブリア宮殿出演、今年の初めケニアでお会いした)から、除虫菊農園を一緒にやらないかとお誘いがあったり、ふと思い立って有機農作物ベンチャー企業家に会いに行ったら、ベンチャーキャピタリストを紹介して貰って、彼らが社会的インパクト投資の専門で面白い接点が出来そうになったり。高校の後輩のM&Aの話の相談に乗っていたら、翌日当社にもそういった出資機会の紹介が舞い込んで来たり。水球関係でも、日本代表チームへのサポート、茨木ウォーターポロクラブへのコーチ招聘、来年のチームづくりに関わる様々な環境づくりが同時にリアルタイムで進んでいて、これまた「同時多発」状態である。また公益社団法人日本国際民間協力会の方も、新人が入って組織の見直しを行ったり、来年からの新規事業を練っていたり、あれこの話は会社だったかこちらだったか、たまに分からなくなる様な感じである。多分偶然なんだろうけど、こちらが求めていることが神様に伝わるのか、似た様な話が同時多発的に生ずるのが面白い。もちろん同時多発的な案件を全部やる訳ではないけれど、そういう「流れ」ってあるんだろうなと思う。そう言えば、久々に当社の知財関係をお願いしている弁理士の旧友に電話したら、同じ時間帯のフライトで大阪に移動するらしい(で、僕も今羽田空港)。大阪に到着したら一緒にお好み焼きを食べることになった。これも一つのシンクロニシティーか。あ、先ほどもJALラウンジで当社にソーラーパネルを設置してくれた、同じ経営塾の仲間にもばったり会った(彼とはよくばったり会う)。まあという訳で、僕も当社も「偶然」の機会を活かして、(調子良く?)前向きに進んでいます。
Nov 12, 2020
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事業を伸ばしたいのに、「当社はこれだけしか提供できないです」というのはもったいないばかりか、顧客に対して誠実さに欠けるとさえ思う。確かに、現在自社が提供している製品やサービスは、「メリットを感じるなら買ってください、そうでなければ当社が売りたくても買って貰えませんよね」というものかも知れないが、顧客は本当は、「もっと提案してもらいたい、納得すれば是非買いたい」と考えているに違いないと思う。例えば、自社の本業がスポーツジムの経営だとしよう。その場合、「当社はこの場所にこの様な施設を用意しています。月謝はいくらです。良ければ入会してください」というのが一般になされていることだと思う。でもそれはとてももったいない。本来は、「当社は貴方の健康の増進を全部請け負います。そのためには、当社の施設を使ってもらうことはもちろん、健康診断データも共有して貰いたいし、医者のカウンセリングも受けて貰いたいし、月に一度、体組成計にも乗って貰いたい。そして解決策として、運動メニューであったり、サプリであったり、整体であったり、日々摂る食事であったり、できることを全て提供したいのです。なぜならそれが貴方のためだから。」と言わなければならない。人との関わりにおいて、特に顧客との関わりにおいて、謙遜は美徳にならない。風呂敷を広げて、「当社にもっと任せてくれたら、もっと出来ます」と言えなければならないと思う。当社の事例で言うと、メーカーが開発、販売している製品を、代理店として右から左に売っているだけでは顧客に対して、社会に対して誠実だとは言えない。当社が目指しているのは、顧客企業である害虫駆除サービス会社が、如何にして経営を伸ばすかであり、その結果として、社会がより衛生的で、また白蟻によって被害を受ける住宅を少なくするかが本来の姿である。そのためにはなんでもやる。売上に直接結びつかなくても、技術セミナーや経営セミナーをやったり、防蟻業界か社会からもっと認められるためのスキームを、(誰から頼まれた訳ではないけど)苦労して構築したりしている。これは、害虫駆除の未来は、当社が責任を持って構築していきます、世の中の一戸建て住宅の長期的な維持補修は、当社が責任を持って対応していきます、と言う大風呂敷を広げていると言うことだ。そして結果的にそれは、当社の事業領域を広げることにも繋がっている。などと言いながら、風呂敷を畳むのに苦労している社員の皆さん、それはそれで面白いチャレンジだと思うので、今しばらくお付き合いください。
Oct 8, 2020
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全米オープンで大坂選手が見事2回目の優勝を果たした。急遽WOWWOWを復活させて朝5時から試合を観たのだけど、女子の試合とは思えないスピーディーかつパワフルな展開で、とても良いゲームだったと思う。無観客での開催だったせいか、緊張の中でも淡々と試合は進み、優勝が決まった瞬間も表彰式の時も、喜びを爆発させることはなかった。これもコロナや黒人抑圧の問題があって、大坂選手にしても、手放しで喜べる状況でないことが影響しているのだあろう。で、テニス以外に話題になったのが、Black lives matterの活動。大坂選手も前哨戦をボイコットすると一回は言ってみたり、全米オープンでも被害者の名前が入った7種類のマスクを順番に付けたことが話題(物議)になっていた。この点、大坂選手としては、こんな時にテニスなんてしている場合ではない、観客もテニスよりもそちらにもっと注意を払うべきだと、自己否定にもなりうる様な気持ちだった様だ。これに対して外野の声は煩い。海外ではどんな評価かは分からないが、日本では「スポーツに政治を持ち込むな」と言う声も少なからずあった様だ。僕は、国中で問題になりデモが多発している問題に対して、若いスポーツ選手であっても意見を言っても良いし、そのことで葛藤があっても当然だと思う。まさしく大坂選手が言った様に、「テニスプレーヤーである前に一人の黒人女性だから」である。この手の、「何々が専門なのだから、他のことは考えなくても良い、言わなくても良い」と言う考えは、窮屈だし、人間の本質でもないと思う。「ビジネスマンは商売のことだけを考えていれば良く、社会問題には興味を持たなくても良い」とか、「スポーツマン、芸能人は政治に口を出すな、意見を言うな」とか、そんなことを言い出すと「男は、、」とか「女は、、、」とかもおかしいと思う。人間は、色々なことを考え、試行錯誤し、色んな立場を同時に持つものだ。誰かの親であったり子供であったり、地域住民であったり、企業人であったり、主権を持つ国民であったり、趣味人であったり、一人の人間が様々な面や役割を持つことが当たり前だと思う。当社の例で言うと、敢えて「公私混同」を勧めている。企業人として収益を出すこと、顧客に貢献することは当たり前、同時に良き過程人であり、良き市民であることも同等に重要だと思う。会社という「公」の理屈が勝り過ぎれば、儲かるためには何をしても良いと言うことにもなりかねないし、そこには「善意」とか「公正」、「誠実」と言う私人としての道徳観も必要だと思うからだ。話は全米オープンから随分逸れてしまったが、大坂選手、おめでとうございます。手放しで喜べる社会が来ることを願い、当社も社会のためになる様、頑張ります。
Sep 13, 2020
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最近、またブログの更新頻度が下がっていることを社員の前田くんに指摘され、サボっててはいかんなと思い直して再開。最近の社会はコロナの話題がずっと続いていて、社会や経済のあり方も強制的に大きな変化が起こっている。GDPの昨年比が四半期でマイナス30%近いなんて、誰が予想したことだろうか。ほとんどのイベントが中止になり、出張がなくなり、在宅勤務も普通のことになっている。今年は1年間、ずっとステイホームな感じでつい半年前まで会食や旅行、出張に明け暮れていたのが嘘のようである。とは言え、世の中は動いているし動かさないといけないから、ではどうやってこの新しい状況に対応するか、そしてそこから進歩していくかが課題となる。当社では、以前から(多分20年前から)インターネットやソフトウェアを使って情報共有に務めていたり、組織の階層・役職をなくしたり、稟議などの書類仕事をなくしたり、チームワークを重視して成果主義を採用しなかったりしてきたから、今のリモートワークにもほぼ完全に対応出来ていると思う。リアルなセミナーもウェビナーに変更し、以前よりも頻度をあげて開催したりもしている。もちろんプラス面とマイナス面もあるのだが、これも「新しい現実」に対応して、生産性や付加価値を向上させる試行錯誤として、そのうち常態になっていくのだろうと思う。で、未来は正しく予測出来ないのは確かなのだが、コンピューター科学者でパソコンの父と呼ばれるアラン・ケイの言葉が秀逸だ。曰く、「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創りだすことである。」なかなか出来ることではないけれど、新しいことを始めて、それが世の中に普及して「当たり前のこと」になると、一部分であっても「未来を創った」ということだから「予測は当たった」ということになるのだろう。当社は、防虫業界というニッチな場所にいるけれど、その未来を創っていきたいと思う。人工知能を使った防虫モニタリングの仕組みを開発しているのだが、それも未来を予測し創り上げることだ。また一戸建て住宅を長年に渡ってメンテナンスする仕組みも開発している。これも普及すれば、未来の一部を自ら創ることになる。新しいことはチャレンジングだけど、成功するまで諦めずに頑張りましょう。
Aug 19, 2020
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最近のコロナウイルス感染症の関係で、いろいろな活動が制限されている。イベントは延期・中止、外出も自粛ということで、経済活動も停滞してきている。企業として考えないといけないのは、社員の活動方法、内容である。当社でも3月の全国セミナーは5月に延期、4月のセミナーも実施できるかは予断を許さない。もちろんウェブでの開催も用意しているが、やはりそこに人が集まっての場の雰囲気も大事なので、なるべくなら集まってのセミナーを開催したいと思う。この様な環境下で、企業によっては自宅勤務(=テレワーク)や出張禁止、会議も延期などの措置を取るところもある。特に大企業はそうで、多くの社員を抱える組織では「原則自宅勤務」の様なことも止むを得ない場合があるだろう。もちろん当社でも日々考えている。幸い、当社は、工場はなく実務サービスも提供していない「コンサルティング商社」の業態のため、また情報共有や意思決定はほぼクラウド化しているので、特に特別な措置は必要がない。営業担当者も原則直行直帰なので、これまたリスクが低いとも言える。そもそも僕もあまり社員と会ったり、毎日長時間会議したりしていない。とは言え、例えば出張を禁止するとか、電車通勤を禁止する(=テレワーク)とか、大企業の様にとり得る選択肢はなくはない。だからこそ、経営者として社員にどう発信するのかは日々考えることではある。で考え続けて思うのだが、究極、僕は「自分の身は自分で守る」ということを言いたい。会社に来なくてもプライベートで外食したり、ついカフェに寄って休憩したり、一方でマスクをしたり、密閉空間を避けたり、個人の生活も含めて考えた時に、リスクはそこら中にあるし、かつそれを避けることも個人の判断として実際上行っている。家族に対しても同様に注意したり、何かと備えをしていると思う。それが大事であって、会社に言われたからといって何かを自粛したり、会社に言われないからと言って何も気をつけないというのはおかしいと思う。だから当社では、リスクを避けるためのツールは用意しながら(ウェブ会議の仕組みとか自宅で勤務出来る方法とか、万が一感染者が出た時の社内消毒の資材とか)、また自分で危ないと思えばそれを避けることも(訪問はやめてウェブで打ち合わせしますとか)、何の問題もなく受け入れることにしている。要は、個人の判断で自分の身を守る、それでいて生産性を下げない様な工夫をしてください、そのためにはいろんなやり方やツールは提供します、ということである。その対応が一律でなくても良いし(リスクに対する感受性も人に依って異なる)、ある社員が参加しているのに他の社員が参加していなくても誰も咎めない。子供の頃から先生や親の言うことを守ってきた人たちには、この様な「一律でない対応」は分かり難いかもしれない。でも自分の頭で考えて、自分で責任を持って行動し、尚且つ結果も出す(人に依ってやり方も違う)。そして良いと思うやり方は皆で共有すると言う、「独立した自律的な社員」が望ましいと思う。なので、電車通勤がリスクだと思うなら、会社の近くのホテルに泊まり込んでレンタル自転車で通勤したら(なんでもあり)と言うのだが、誰も実行はしてはくれていない。
Mar 29, 2020
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最近のコロナウィルス騒ぎで、多くのイベントや活動が停止してしまった。各社、各個人の捉え方や対応は様々だけど、日本国内においては(今のところ)瀬戸際で抑え込んでいる方だと思う。当社でも恒例のレベルアップセミナーを直前になって延期したり(5月にやります)、会合などが中止、延期になったりした。学校の部活動も大会も中止、(趣味の?本職の?)水球活動も、初の全国大会出場(17歳以下の全国大会、大阪代表チーム)が決まっていたのに中止になるなど、かなりの制約を受けている(とても残念)。こう言う事態に対して、毎日状況が変化する中でも、リーダーは毎日判断を下していかねばならない。ピンチの中にチャンスもあるし、ピンチを組織の存亡に繋げないような危機管理も必要だ。その場合に、情報が足りていると言うことはまずない。自分が専門でないばかりか、専門家の意見も様々で、正解などはその時には分からない。後になって振り返ればもっとうまくやれたと言う「ベスト回答」があるんだろうけど、その時には誰にもリーダーにも分からないのが現実だ。リーダーでなければ、「どうしてその結論、対応に至ったのか」と言うプロセスさえ正しければ、また安全サイドに傾けて判断して、その反対側にある機会損失が許される傾向にある。リーダーであれば、プロセスはなんであっても(リーダーの勘であったとしても)、「結果」で判断されるだけだ。しかもその結果はすぐに出るものでもない。事態が収まってからと言うより、数年、10年20年経って「その時の判断」が良かったか悪かったが分かることもあるだろう。そう考えると、リーダーの資質として「他人の評価を気にせず、自分だ正しいと思ったことを躊躇せずやれる」と言う、少し人格破綻者?的な要素が必要だと思う。他人の意見は意見として聞き入れ、その上で自分が正しいと思い、実際、後で振り返って見てやはり正しかったことが証明されるような精度の判断が出来ると言うことだ。その意味で安倍首相の「休校措置」は非難もあったし、高齢者の活動制限とのバランスも欠いていた面もあったと思うが、結果としては世の中が自粛ムードになって活動が抑制され、ウィルスの拡散には一定の効果があったと思う。後から考えて、まあ仕方ない、妥当な手段だったなど思う(でも、水球の全国大会が中止になったのだけは許せない)。次の難問はオリンピックだ。後数ヶ月で、何万人の選手が日本に集まり、数百万人の観客が世界から押し寄せるイメージは全くない。イタリア代表チームを茨木市(茨木高校)に招待までしている僕としては、中止になってしまうのは本当に悲しい。せめて延期になれば良いのだけど、IOCがアメリカのスポンサーに頼っている関係で、それも難しい(秋は野球とアメフト中継がある。来年夏も世界陸上、世界水泳、再来年はワールドカップ)。そうだ、アメリカのスポンサーが支払うであろう放映権、日本が国で買い取ったらどうだろう。そもそもはホスト国が国を挙げて行う、国際イベント、アメリカの放送局に牛耳られているのがそもそもおかしい。2000億円でスタジアムを作ったのだから、NBCが支払ったたかだか1200億円の放映料なんて日本政府が叩きつけてやって、秋にでも延期開催して欲しいと思う(特に水球)。ここは安倍首相、情報のない中で延期開催、決断してくれないかなと思います。そしたら支持率上がりますよ。
Mar 17, 2020
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生産性が高いというのは、圧倒的な速さで多くの業務をこなせる状態のことではない。ましてや、大量の業務を残業をしながら行っている会社のことでもない。生産性が高いというのは、本質的に大事なこと、多くの課題の中から最も重要なものを見抜き、そこに注力して結果を出すことだと思う。ここを間違えると、「解くべき問題」を取り違えてしまって、やたらに多くの「些細な問題」に取り組んでしまって時間オーバーになってしまったり、解いたところで何も事態は変わっていない、好転していないことすらあり得る。問題を解くスピードが遅いのではなくて、解くべき問題を間違っている状態が「生産性が低い」状態となって現れる。企業活動も、幾らやっても報われない衰退市場、激戦市場で頑張ったところで、結局は「最も安いところが勝つ」市場であれば、誰も勝者がおらず単に消耗するだけ、結果として「生産性が低い」という烙印が圧されてしまう。社員は頑張っているのに、「間違った市場」にいる限りは、勝つこと、幸せになることは大変難しいと思う。勝てる市場を選ぶ、その中でも本質を考え抜き、創意工夫を凝らして他社と差別化することで、努力の量が結果に結びつく。これが「生産性が高い」状態だ。当社ではそれを「レバレッジが効かせる」と呼んでいる。当社は、特に個人として「仕事ができる人」はそんなに多くはいない(もしくは、いない?)。しかし防虫業界というニッチマーケットの中でも、業務向け開発型商社、コンサルティング商社として独自のポジションを取り、セミナー活動や製品開発、ソフト開発、サービスネットワーク作りなどの創意工夫で高い生産性、高いレバレッジ効果を保っていると思う。一番大事なことは、「跳ぶ前に考えろ」(もしくは「跳びながら考える)ということ。何が求められているのか、何が重要なのか、当社に勝算はあるのか、本当にやるべき仕事なのか、様々なことを考えて、そしてその一点に注力すること、これが生産性を高めるコツだと思います。
Jan 5, 2020
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マラソン大会には相変わらず参加していて、これで始めてもう12年、回数的にも25回目位(多分)になってしまった。継続は力なりと言うけれど、確かに練習量は少しずつ減っているものの(良くない)、タイム的には4時間(練習結構した時)から4時間40分(練習不足の時)位の間に入っている。この前の日曜日もシドニーマラソンに参加してきた。オーストラリアでのマラソンは、2016年のゴールドコースト、昨年の同じシドニーに続いて3回目である。オーストラリアは時差が1時間しかなくて、気候は気持ち良い、景色は綺麗、食べ物美味しい(クラフトビールやワインも美味しい)ということで、極めて快適だ。9月のマラソンは、日本の夏はとても練習できる環境でないので(というか、じっとしててもバテる)、あまり練習出来ずに参加となってしまう。体重もそれ程減らず、そう言えば昨年も死にかけたなあと思い出しながらも、あまり改善できなかった。レースそのものは、意外にもハーフまでは好調でちょうど2時間、まあそろそろ脚が終わるだろうなと思っていた25キロでばったり死にそうになって失速、それでもまだ10キロ以上あるなと思いながら、歩いたり走ったり、時にはベンチに寝転がって休憩するという、なんとも意外でも何でもない結果でした(タイムは4時間35分)。次は12月の恒例となった那覇マラソン。今回が12回目となる。僕のGarminに残っている過去9年の記録によると、年、結果タイム、9月10月11月の練習距離は以下の様になっている。2018年 4時間12分(9月84キロ、10月156キロ、11月122キロ)2017年 4時間18分(9月82キロ、10月132キロ、11月148キロ)2016年 4時間36分(9月71キロ、10月150キロ、11月131キロ)2015年 4時間15分(9月140キロ、10月166キロ、11月135キロ)2014年 3時間59分(9月156キロ、10月142キロ、11月149キロ)2013年 4時間32分(9月154キロ、10月201キロ、11月120キロ)2012年 4時間6分(9月138キロ、10月171キロ、11月188キロ)2011年 4時間29分(9月123キロ、10月187キロ、11月104キロ)2010年 4時間43分(9月83キロ、10月225キロ、11月106キロ) これを見るとあまり走行距離との相関関係はなくて(2016年は28度の猛暑で例外)、「10月・11月に月150キロ走る+体重を2、3キロ減らす=4時間ちょっとで完走」という「キロ6分の勝ちパターン」が見えてきた。これから海外出張やセミナーなどで忙しくなるが、月150キロは週30キロ強、つまり平日に8キロ2回、週末に10キロと8キロで達成可能な練習量だ。体重もこれから月1キロ減らしていけば良い。こうやってブレークダウンしていくと、今年のゴールシーンが「カラーで見えてくる」から不思議なものだ。もう出来たような気持ちになってくる。本当は、タイムよりも健康でスタート地点に立つことの喜びの方が大きい。今年も感謝しながら、準備をしていきたいと思います(社員の皆んなもな)。
Sep 19, 2019
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最近(ここ数年)よく思うのは、会社も社員(個人も)、業績や自分の人生については、自らがトータルに責任を持たないといけないということだ。まず、会社が業績について責任を持たなければいけないことは当然として、社員に対しても報酬以外の面でも責任を負うべきだと思う。社員の健康、家族の幸せ、やりがい、そしてその会社で働いて良かったと思える満足感、それらは(もちろん社員の頑張りもあるけれど)、トータルで会社は個人に対して責任を持つものだと覚悟している。業績をあげて原資を稼ぎ、生活に必要な報酬を支給し、その上で社員のやりがいや健康にも責任を持つ。当社では後者については「好きな仕事」を仕組み化して収益の出る「変換装置」を考え、半年に一回マラソンに(僕も)参加して(尋常でない)体力作りに励む。どちらもなかなか大変だけど、経営者も社員も同じ人間だから、何かのために何かを犠牲にする仕組みはどこかおかしいし、長くは続かないと思っている。逆に社員も会社(=公)に対して責任を負う。裏返しの話になるのだけど、「好きなこと」を活かして仕事をして、健康面も家族などのプライベートの面でも会社に支えられている面があるのなら、公私の区別なく、惜しみなく精一杯働き、組織(=みんな)のため社会のため貢献しなければならない。会社という(ある意味バーチャルな)組織は個人のために、個人は組織(=みんな)のために頑張るというのが、現代の組織、集団のあり方なのではないかなと思う。簡単な言葉で説明するのは難しいけれど、「会社は個人の集まり、個人は会社によって支えられている」(逆に、「会社は個人によって支えられている、個人は会社の一部」)というのが理想なのではないか。善かれ悪しかれ、働く人は起きている時間の大部分は会社で過ごしているわけだし、そこを「公私」で分けるには無理あるというのが僕の見解だ。従って?当社には階級も上下関係もない。同じ立場の人間が集まって、力を合わせて社会のためになるように頑張っているというシンプルな構造だ。決まった上下はなくとも、実力差はあるし専門性もある。そこは「自然と」適材適所に収まっていくというのが、これまた「正しい人事政策」でないかと思います。なんだか取り留めないですが、最近ブログの更新が少なかったので、頭に浮かんだことをつらつらと。
Sep 4, 2019
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金融審議会の「市場ワーキング・グループ」が作成した、「高齢社会における資産形成・管理」に関する報告書が物議を醸している。話題になっているので、全文をざっと読んでみたが、別にどうってことのない、当たり前の現状分析と対策提言となっているだけだ。物議を醸しているのは、「引退した後に普通の生活を送ろうと思えば、年金だけでは不足額が出て来る、その額が2000万円になる」という部分だ。金額を2000万円と明示したことや、政治家も官僚も誰もが知っていてけれど言えば損になることをずばり言ったということでは意義ある報告書だと思う。少子化に歯止めがかからず、寿命が長くなって高齢化が進み、所得も低迷が続く中、年金給付額の切り下げは不可避であることなんか、世の中の常識で、65歳で引退してから100歳まで生きても35年間ずっと国が養ってくれると思っている方が、よほどおかしいと思う。40年働いて残りの35年間は他人に養われるのだったら、年金だけで給料の約半分は税金として国に納めておかないといけない勘定になる。実際には税金は年金以外にも公共目的で使われるのだから、所得の半分は年金、残りの例えば1/4はその他の公共サービスということで、所得税は平均75%とかにしないと計算が合わない。つまり社会主義国である。毎月5万円足らないとすれば年間60万円、引退後30年で約2000万円足らないとのことだが、むしろ、月額20万円貰えて年間240万円、引退後30年で7000万円貰えることの方がよほど有り難く感じる。まあ上記の議論は別として、一番びっくりしたのは、単に事実を分析したに過ぎない報告書に対して、憤慨したり、果ては「受け取らない」と言った麻生財務大臣だ。部下が事実に基づく報告をあげて、その内容が気に入らないからと言って受け取りを拒否する上司がどこにいるのだろう。如何に(選挙前で)不都合な事実であっても、「不都合な真実」を受けてどうするのかを考えるのが上司の仕事だろうし、少子高齢化、それに伴う将来の財政、年金破綻は誰を責める話しでもない。国民が子供を産まず、医療が進化して長生きになった結果である。不都合な事実でもしっかり受け止めて、ではどうするのかということを個人で出来ること、国がやらねばならない責任に関して建設的に議論していくことが大事なのに、「本当のことを言いやがった」、「そんなことけしからん」、「そんなこと言われてももう無理」という反応は残念としか言いようがない。まあ嘆いても仕方ないので、当社こそ100年続く企業を目指し(今年50周年です)、社員全員が豊かな老後を過ごせる様、死ぬまで働かせることにしよう、あ、違った、健康でしっかり稼いで貰うことにしましょう。
Jun 11, 2019
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人生の成功の秘訣は、高い目標を掲げ、誰にも負けない努力をすることだと思う。その時点において高い目標を設定して努力の末なんとか達成できれば、又次、また次と次々と高い目標を設定し、それらをクリアしていくことで素晴らしい成果をあげることになる。しかし人生はそんなにまっすぐには進まないから、必ず必死になって頑張ったけれど結果が伴わなかったという「挫折」を経験することになる。そのような時、どう考えるべきか?挑戦せずに楽をして当然素晴らしい成果を得られないと言う結果と、高い目標を設定して努力をしたけれど結果として達成できなかった挫折、どちらが良いのだろうか。成功した時には、息継ぐ間もなく次の挑戦が待っているから、考えている暇はない。大事なのは、結果が伴わなかった時に如何に気持ちを切り替えて、失敗にも懲りずにまた新たな高い目標に向かって努力が出来るかである。言うは簡単、しかし実行が難しい。なんせ「やってもダメだった」と言うことが実証されてしまっているから、「一生懸命努力すれば上手くいくはず」と言うのは根拠が薄い。しかし一回や二回失敗したからと言って諦めていては、思い通りの願った人生を送れるはずはない。何回失敗しても「自分は出来るのだ」と言う「根拠のない自信」が必要だ。では、「根拠のない自信」はどこから生まれるのだろう。それは持って生まれた性格もあるだろうが、やはり子供の頃から「この子は大物なる」とか「大器晩成」とか、親や周りの人が「根拠のない賞賛」を与え「無責任な希望」を持つことが必要だろう。経済的に恵まれていなくても「貧乏」と感じず、足るを知り、むしろ「豊か」だと思える心持ち、世間的には地位がなくとも自分に矜持を持っている職業人、将来は明るいと信じることが出来る明るさ、閉塞的な周辺だけでなく世界に目を向ける視野の広さ、などに囲まれて育った人は、「根拠のない自信」を持ち易いと思う。会社経営においては、「自社は特別な存在で、社員も働き易く、会社の将来は明るく、そして社会のためになっている」と根拠なく自信を持てる会社が強い。そうであれば多少失敗したり業績が落ちてしまっても、落ち込むことなく「また明日から頑張ろう」と思うことが出来る。何回失敗しても笑って高い目標に向かってまた頑張れる会社が、そのうち本当に成功して、成長していくのだろうと思う。
May 19, 2019
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人生には、自分の第一志望が実現せず、第二志望またはそれ以下の道に進まざるを得ない場合がある。いわば人生のBプランだ。しかしBプランであったとしても、それが悪いこととは限らない。長い人生、何が幸いするか分からないし、本当に自分がやりたいことへの道筋が変わっただけで、BプランならBプランなりに幾らでもやりようはある。稲盛和夫さんも、第一志望の大学に受からず、地元の鹿児島大学に進学する。そして就職難から、専門の有機化学ではなくて無機化学の京都のセラミック会社に就職したのだが、そこは給料も遅配する様な会社で、挫折感を味わった。しかし腐らず誰にも負けない努力で周りを巻き込み、その後独立して今日の超優良企業である京セラ、そしてKDDI、更には日本航空の再建まで成し遂げ、現存する最強の経営者であり多くの人々から尊敬される経営者になった(そして縁もゆかりもない我々経営者をずっと指導してくれている)。僕も子供の頃から外交官になって、世界平和に貢献することが夢だった。それがひょんな事で家業の中小企業継ぐことになった。外交官でも国際機関でもなく、また大学の友人たちの多くが勤める大企業でもなく、弁護士などの専門職に就くこともなく、中小企業経営者となった。だから僕の今の姿はBプランもBプランそのもの、CプランかDプランなのかも知れない。むしろずっと第一志望でAプランだけでいける人生の方が珍しいのではないか。思い通りのAプランの人生には思わぬ落とし穴が待っている場合もあるし、謙虚さを忘れて自ら墓穴を掘ってしまうことも十分あり得る。上手くいっている時こそ謙虚にして驕らず、誰にも負けない努力を継続することが大切なのだが、人間なかなかそこまで悟ることは難しい。Bプランになってしまって当初は不本意だったとしても、初期の目標、高い目標を諦めず、臥薪嘗胆しながらも明るく前向きになれる人間が本当に強い人間だと思う。 いや、Bプランに進みながら、最終的に大成する人が、むしろ本当の価値がある。若い頃は苦労は買ってでもしろと言われるが、それはBプランでどこまで這い上がる経験を積む時期だからだと思う。Bプランに進んだ様に見えた僕の人生も、気がつけば(Aプランでずっと進んだ人も含めて)友人の中でも一番良い人生を送れていると思う。そして当初の目標、自分の力と独特なやり方で「世界をより良く、平和にする仕事」に近づいていっている。途中経過は何でも良い、どんな道を通ろうと、折れず腐らず視点は高く、ずっと努力していきたいと思います。
Mar 25, 2019
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様々な組織を見てみると、当社とは根本的にやり方が違うなと思うことが良くある。担当者は、その人が決定権を持つことについては(当然)自分で判断できる。自分で判断する訳だから、そんなに時間は掛からない。大抵の問題は数分考えて結論を出すくらいの話だし、數十分考えて判断が出来ない場合には、判断材料が足らな過ぎるか、設問自体が間違っているのだと思う。時間が掛かるのは、その人が決定権を持たないことについて、その上司に判断して貰わないといけない事柄だ。その人に決定権がない=その人では判断できない、能力や知見が足らないと言うことなのに、その上司が判断できるだけの材料をその人がどうして準備できると言うのか。まるで生徒が先生に問題を出す様な話で、生徒が問題を出して先生に答えて貰うなら、その生徒は「先生以上」と言うことになってしまう(大抵はそうでないので、成り立たない)。担当者があーでもない、こーでもないと考える時間は、無駄だと思う。担当者が解決できない、整理できない問題を一刀両断に判断するのが上司の役割であって、部下に完璧な判断材料を揃えさせて誰でも判断できる様になっているのであれば、その上司は不要だ。こんなことをさせるといつも判断が遅れ、結果として「迅速な経営」はできなくなってしまうと思う。おそらく正しい「今時の組織」は、トップが最も難しい問題を解いていく、次に難しい問題を次に高いポジションの人が解いていく、普通の人が解ける問題は普通の担当者が取り組むと言う、「試験会場で一斉に、異なった問題を解いている」雰囲気の会社でないかと思う。当社には稟議書はない。稟議書が必要なほど組織が大きくないからと言うことではなくて、「上司にお伺いを立てる」と言うプロセスがないからだ。担当者の手に負いかねるなら、それは担当者からその仕事を「奪って」上司がやってしまえば良い。上司の仕事とはそう言うものだと思う。と言うわけで当社では、実力がなければ役職で威張ってられない。だって、役職は「自己申告制」で、実力があって難しい問題に取り組む気概があれば、誰でも何でも役職を付けてもらっても良いから。ただし、「社長」以外。
Dec 27, 2018
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このところ災害続きで、僕が住んでいる大阪では地震、台風、そしてまた今日台風に見舞われている。JRは昼前に運行を停止し、店舗やスーパーは早々と休業することにしている様だ。今日も朝から散髪しようと思ったら、台風はまだ九州にいて大阪は無風だというのに、臨時休業の留守番電話。スポーツジムも百貨店も「台風24号の影響のため、9/30は全館終日休館とさせていただきます。」という状況だった。前回の時は平日だったから、昼には会社から帰宅することを求められたり(実際に直撃したは午後2時〜4時位だった)、最初から出社しない様にしている会社も多かった。災害時に被害、特に人的被害があるのはもちろん良くない。だから用心深く、早々と運行停止や休業を決めることも良くわかる。それでもどうかなと違和感を感じるのは、あまりにもリスク回避、しかも一律のリスク回避になっていないか?ということである。台風は刻一刻と進路を変える。今回の事例で言うと、結果的には大阪では22時頃に風速10メートルが30分続いただけだった。現在24時、ほぼ無風で雨も降っていない(台風が過ぎた)。朝から休業していた店舗は一体何だったんだろう。万が一事故があれば、非難轟々だから、万が一の為に休業を決める。これは1000人に1人の事故が怖いのではなくて、なんかあった時の非難轟々が怖いから休業していると思われる。個人的には、台風の時に外出して事故に遭う個人の判断ミスであって(しかも1000分の1の確率)、その時に責められるべきは「その不注意な個人」であって、「開店していた店舗側」ではないと思う。店舗側は世間の目を気にして万が一の時のリスクが取れないから、何の問題も起こりようのない「休業」という選択をしてしまう。もちろん、災害時も店を開けろと言っているのではない(散髪行けない、車の修理もしてくれなかったのは不満だけど)。お店の人も大変だろうから、遠くから通っている人、いつ何時学校が休校して子供を受け入れないといけない保護者など、理由がある社員は当然休んで良い。でも自転車で5分で帰宅できる人、自宅より堅牢な造りの会社の方が安全な独身者なんかは、様子を見ながら働いて、危なくなってきたら帰宅したり避難したり、お客さんが来なければ休業したりしても良いと思う。要するに、情報蒐集しながら臨機応変に対応すれば良いだけだ。何かあった時に、前述の様に「その個人がリスクを取って失敗した」と解釈することも出来るし、「そもそも店が営業している方がおかしい」と解釈することも出来る。言えることは、前者は「リスクを許容出来る社会」、後者は「リスクを取れない社会」であると言うことだ。そしてどちらが成長する可能性があるかは、言わずもがなである。鉄道なんて、これまで最後の最後まで運行する努力をしていた様に思う。もちろん電車などの公共交通機関は事故があると被害が甚大だから、なかなかリスクを取れないことは分かる。しかし無風の状態で昼からの運行を全部止める(関空も閉鎖)と言うのもどうかしていると思う。当社の場合、平日に直撃した前回台風の時は興味深かった。虫好き研究者たちは普段から自然に親しんでいる野生児なのか、強風に揺れる会社で台風をやり過ごした。当社も鉄製の看板の柱が折れるなど被害があるくらい強風に見舞われたのだが、普通に勤務して台風が過ぎた後の掃除など、後始末をしてから普通に夜に退社した様だ。近くに住んでいる社員が多いから、ギリギリまで待てる余裕もあったのだろう。僕は僕でどうせ仕事にならないかなとスポーツジムで走っていた(途中で営業停止になったが)。今は社会がそうだから、リスクを取らない側の判断に対しては非難が向きにくいとは思う。万が一を考えて何かを止めるのは簡単だ。しかし、個人が自分でリスクを判断し臨機応変に対応する姿勢がないと、個人も組織もどんどん弱くなっていくと思う。これは成熟社会の悪い点だ。当社はいつも、個人が自分の頭で判断してリスクを取り、チャンスも逃さない組織でありたいと思います。
Oct 1, 2018
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先週あったジュニアオリンピック(小学校・中学校・高校以下の女子の全国大会)で、中三の次男が属する豊中水球クラブがなんと全国優勝を飾った。水球は競技人口が少ないマイナースポーツだけど、流石に全国優勝はすごい出来事だ。と言う訳で先週は何も他の事には手をつけられず、毎日毎日勝ち進むチームを全力で応援し、同じ様に毎日消耗しながら盛り上がった一週間であった。この豊中水球クラブは練習場所の確保もままならず、僕の母校の茨木高校のプールを頻繁に利用させていただいたり、遠征などを繰り返して強くなってきた。強いと言っても大会前は実力的には全国ベスト8くらいだったかなと思う。大会で予選と決勝トーナメントで二回当たった石川のチームには、これまでの練習試合や公式戦でも一度も勝てなかったし(2ヶ月前の地方大会では結構大差で負けていた)、競泳と掛け持ちの選手なんかは水球の練習自体十分に行えなかった中での今回の大会であった。それが予選からの試合でどんどん強くなり、途中危ない試合もあったけれどその度にミラクルを起こして勝ち上がり、あれよあれよと言う間に決勝に進み、その決勝戦では前述の石川のチームに快勝(予選では同点、ペナルティーシュート負け)すると言う快挙を起こした。この大会を通じてチームは本当に成長し、「こいつらこんなに強かったかな」と思うほどの素晴らしい結果を残したと思う。子供達も頑張って多くのことを得たと思うけど、観戦している保護者や応援の大人たちにも大きなインパクトを残した。皆口々に「良いものを観せていただきました」と感想を言い合い、相当興奮、感動した様に思う。僕も確信を深めたことがある。何年も前から相当な準備をして、人生を左右する「大一番」、実力の限りを尽くして勝負に挑み、どれだけの成果を挙げられたか、修羅場をどれだけくぐってきたかが、その人の実力を決めていくと言うことだ。受験でも、部活でも、発表会などでも、ベストの結果を出せるメンタルと実力が問われる「本番」で、人は相当に鍛えられる。また人生のピンチで如何に修羅場を乗り越えるか、「若いうちの苦労は勝手でもしろ」と昔の人は言うが、それは目の前の大変な苦労という「本番」を乗り越えたときに人は大きく成長するからだと思う。したがって、「子供の教育方針、社員の教育方針は?」と問われれば、それはなるべく多くの「本番」「大一番」の機会を与えることだ。日頃から努力を積み重ね、苦しい練習や準備を行って挑む「本番」でしか身に付かない「実力」と言うものがある。適当に仕事して適当に成果を挙げても、やり直しの効く練習で良いプレーをしているくらいの話で、なんの成長もない。与えられた場所でコツコツ頑張って、その成果を皆の目前で発揮して「大一番」で勝っていく、いや例え負けて悔し涙を流したとしても、その経験は必ず自分の成長に繋がると思う。これからも当社も(子供達も)、いろんな「本番」が待っていると思う。多くの修羅場をくぐり抜け、本当に強いチーム、人間を育てていきたいと思います(自分も)。
Aug 31, 2018
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製品開発などのプロジェクトにおいては、予算が少なく締め切りが早い、つまり「スモールスタート」が成功し易いというのが一つの法則である。プロジェクト予算が多ければ、色んな要素を詰め込める。仕様を上げれる、あれもこれも機能を盛り込める、十分に経費を使って立派なカタログ、専用ウェブサイト、その他広告戦略を展開できる、つまりあれもこれも出来てしまう。締め切りのない仕事はないけれど、締め切りが余りに先であったり、「なる早だけど締め切りのない」プロジェクトだと、色んな可能性を検討できるし、打ち合わせにしても、「顔合わせ」、「会議のための下打ち合わせ」、「担当グループ会議」、「グループ長会議」、「月例定例会議」とか、様々なレベルとメンバーの組み合わせで、一体誰が責任者で物事を決めているのか分からないほど、打ち合わせばかりが延々と続く。プロジェクトに関わる要素が多ければ多いほど、細部に渡って完璧になるまで時間が掛かる。カタログの表現とか誤字とか、様々な利害関係者の契約書の準備とかやりとりに時間がやたらに掛かる。「待ち」の時間や会議の時間設定にも時間が掛かるし、良い?タイミングで不測の事態も生じることが普通だから、ますます製品完成が遅れることになる。結果として、何もかも詰め込んだ、やたら手間暇かけた(コストも高くついた)製品が長い時間を掛けて出来上がり、でも出来た頃には事情も市場環境も変わっていて、なんだかボンヤリとした戦略の下、そういう製品はまず売れない、というのが典型的な展開である(当初の責任者もとうの昔に異動してしまったりしている)。それに対して予算も少なくて、早く製品化する必要がある場合はどうなるか。予算がないから出来ることは限られている。立派なカタログは出来ないから、パワポのプレゼンで用を済ませるしかない。仕様も最低限のものだけ、ややこしいことはない、ストレートフォワードな内容になっている。やること、やれることがあまりないから、最低限のミスは修正してすぐにデモ機でも完成させて、取りあえずは見込み顧客のところに持っていく。スモールスタートということだ。顧客のところに持っていけば、そのまま採用ということはない。ああだこうだ言われて、それを修正しまた持っていく。その内、デモ機を売ってくれとなって、「製品」として取りあえずは価格を決めて一台、二台と売れていく。その度に顧客から、ああしてくれこうしてくれと、使ってみて初めて分かる点を指摘され、またそれを修正してバージョンを重ねていく。そのうち完成度が上がり、売れる場合には本当に売れる製品として仕上がっていくというのが、典型的な成功ストーリーだ。プロジェクトを成功させるのに大切なことは、なるべく早くシンプルな形で「タンジブル(=手で触れられる)」な具体的なものを作り、取りあえず早く顧客に使い勝手を試してもらう事だ。タンジブルなものなしに顧客にヒアリングしても批評のしようがない。具体的なものがあって、スウィッチの位置とか押し具合とか、大きさ・重さなどの感触、ウェブの使い易さ(見やすさ、動線のスムーズさ)、サービスの快適さ、見た目の良さなどが分かる。製品の本質的な良さがあれば、カタログがなくても機能が極めてシンプルでも、筋が良いものは良いと分かるものだと思う。当社でも、なるべく早くデモ機を出せ、サンプルを作れ、取りあえず見込み顧客に見せてみて、そこから分かることを盛り込んで、バージョンを重ねていけと言っている。そのためには責任者がしっかり最低限のことを行って、自分が責任者だと自覚して意見を聞きにいかねばならない。自分がう良いと思っても他人は違う意見を持つだろうし、早く「違う意見」を言ってもらうこと自体が大事なのだ。最近当社も組織が大きくて?予算も使える様になった(なってしまった)からか、どうもスピード感が失われている気がする。タンジブルなものを出さねば、仕事をしたことにならない。それくらい思って、スモールスタートの手法を思い出して欲しいなと思います。
Aug 21, 2018
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当社は自社開発のIT日報などのツールを用いて、社内外の情報共有に努めている。社員間に限らず、ビジネスパートナーとの情報共有の重要性はこの20年来、機会があるごとに言い続けている。何故なら、それほど重要で、一番効果的な経営戦略だと常に痛感するからだ。人間の能力には特徴があって、物理的な制約はかなり大きい反面、精神的な(頭脳の)制約はほとんどないことだ。このところの酷暑では、なかなか肉体労働は続かない。集中力はすぐに切れてしまう。移動するだけで疲れる、寝不足もダメだし、栄養過多、運動不足は中長期的にパフォーマンスの低下を招いてしまう。これらは人間が生物である限り、仕方のない制約条件である。これに対して、頭脳はいくら速く回転させても疲れない。もちろん時間の制約はあるけれど、1日に数時間、おそらく8時間くらいは「頭だけ」ならフル回転させることは可能だ。その時間のパフォーマンスもほとんどなんの制約も受けない。雑踏で千人くらい人が集まっていたとしても、その中の家族や知人は瞬時に見つけられるのが人間の「超能力」だ。本は飛ばし読みが出来るし、「ながら」で聴いている情報も自分に有益なものは無意識のうちに気がつく。仕事も何本も掛け持ちをしながら「並行処理」を行い、一瞬一瞬で全く異なることを切り替えながら処理できる能力も備わっている。この人間の頭脳がフル回転する前提条件は、「情報が自動で与えられている、少なくとも簡単に取りに行ける状況になっていること」である。沢山の情報の中から有益な関係のある情報を瞬時に読み取って自分の頭を使っていくのは出来るけれど、そもそもその情報にアクセス出来なければ、頭の使い様もない。従って、「生産性の高い組織」とは、「必要な全ての情報が与えられ、自分の頭で考え、また発信できる組織」であると言える。ここまで言ってもシステムを使い易い様に改善継続しても、当社でも日報をなかなか書かない、あまり読まない社員もいるにはいるのだが、それは限られた情報で頭を中途半端に使い、また発信しないことで他の社員の頭脳を活用できず、自分一人分(以下)の仕事しか出来ていないことになる。だから(肉体的に)多少頑張っていても、組織としては「半人前」の貢献しか出来ていないとも言える。組織は全体で一つの「脳」を持つ。一つ一つの脳細胞(=社員)が発信・受信しなければ、脳の本体から外れた「かさぶた」みたいな細胞になってしまう。理想は、組織の全てのメンバーの活動日報をお互いに、読み合い、議論し合うことだ。「時間がない」というのはそれが出来ない理由の様だが、他のメンバーが行った活動報告(結構詳細)を、1秒で良いから「チラ見」することで、有益な情報は自分のアンテナには引っ掛かってくるし、また自分もその様に発信しなければならない。情報共有と組織の生産性、これは不可分一体のものだと思うのだけど、本当にそうなのだから徹底していきたいと思います。
Aug 6, 2018
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最近思うのは、世の中の多くの問題は、コミュニケーションの課題が大きいということだ。良いことを思いついても、それを他人に説得しなければ実現はしない。全部自分でやることは出来ないから、実際に手足を動かしてもらう人、知恵を出してもらう人が実際に納得し、自らの行動として具体化して貰わなければならない。そのためには、こちらがよほどきちんと説明して「腹落ち」させなければならない(しかも時折催促しなければならない)。人間というのは驚くほど「自分本位」で、自分の置かれた立場や能力、考え方によって、同じことを言われても受け止め方、その後の具体的行動はかなり異なる。しかも悪いことに、「礼儀」として分かってないことでも分からないとも言わないし、他人の懐に手を突っ込んで聞いていく、質問することも通常は行わない。行儀は良いのだが、話も全然伝わらないのが、現代社会、現代の組織である。僕は中高生の水球チームをよく見ているが、お互いに声を掛け合わない、掛けたとしても「もっと泳げ」とか「パスが悪い」とか、抽象的な言い合いだけである。チームとして何を目指すのか、このプレーはどこが悪かったのか、良かったのか、お互い議論したり言い合わないから、チームという組織であるのに、結局自分の頭の中だけ、自分のイメージだけで小さくまとまってしまっている。顧客に対しても、親切のつもりで「厳密には必要ないとも言えますが、、、」と言うより、「原則的には必要です、あった方が絶対良いです」という方が、それを採用したい人にはストレートに伝わる(当たり前ですね)。何のリスクヘッジか知らないけど、わざと「逆」の視点や解釈、言い訳を加えると、意図とは違って相手はそのまま「逆」の意味で捉えてしまう(やる気、採用する気を削いでしまう)。あった方が良いですよねと聞いてくる顧客に、「厳密には必要ない、なくても大丈夫です」と言うことないだろうにと思う(当社ではよくある。本来は「はい」だけでいいのに)。組織でも同じで、分かっている様で、言葉にして誰にでも伝えらえるほどは分かっていない、分かってないのに質問しない、お互いを気遣って詰めた議論をしない、具体策に結びつかない、結果として組織として動きがバラバラで、チームとして強くならないことがよくある。強い会社とそうでない会社の違いは、上記の様な「本当のコミュニケーションが出来ているか」という点だと思う。当社は比較的、それって本当はどういうことか?その対応で良いのか?結局どうするのか、どうなったのか?を個別具体的に議論するようにしていて、そのための独自の情報共有システムもフル活用しながらコミュニケーションを徹底する様にしている(日報をサボると働いているとは見做されない)。いちいち書かなくとも、常に情報を共有しているじゃないですか、メールでCCしたじゃないですか、言ったじゃないですかと言うのは通用しない。人は言われたくらいでは理解していないし、情報を共有したとも言えないのだ。何度も繰り返し言って、文章にもして、議論して、それを何度も蒸し返して、そして行動に移してもらって伝わっているかを確認するくらいのプロセスをサボってはいけない。これらはつまりは「コミュニケーション」の問題、もっというと「説得の問題」である。こういうプロセスを真摯な態度でお互い遠慮せずに行っていこうと改めて思います。
Jul 26, 2018
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当社は高槻に本社があるのだが、昨日の震源地はほぼ近所で、かなり揺れたのだと思う。被害は軽度で、物が落ちたり壁紙が多少破けたりした程度でした。多くの人からお見舞いの連絡を頂き、また昨日は新潟から日帰りで支援物資を届けて頂くなど、大変ありがとうございました。こういう災害時にもそれぞれの組織、企業の考え方や特徴が現れる。災害にどの様に備えるのか、企業活動の継続、存続のために事前にどの様な措置を取っているのかという実際的な「備え」の部分は勿論、災害が起こった時のそれぞれの社員の「行動」にもそれらが反映される。当社は日頃から、「本社が火災で焼失、地震で倒壊しても翌日からなんの問題もなく事業が継続出来る仕組みづくり」を行っている。データはリアルタイムでクラウドでバックアップを取り、必要な専用ハードウェアの予備は遠隔地にある社員の自宅に保管している。事業が継続出来る仕組みは当社の危機管理だが、同時に顧客に迷惑を掛けないという覚悟もなければならない。事業の存続のために何が出来るのかを冷静に見極め、出来ないことは出来ないと早めに決断しアナウンスする、一方で「災害時だから」と甘えずに出来ることは例外処理であっても知恵を絞ってやり抜く覚悟を持つことが大事だ。社員については、どうしても会社にいかねばならないとは思わずに、まずは安全な場所を確保して、社外や自宅での勤務を容易に出来る仕組みを使って普段通りに業務を行うことが期待される。災害時は電話は通じにくいが、ネットはかなり使える。東日本大震災の時も電話はダメだったけど、スカイプは(携帯でも)使えたし、今回もそうだった。実際に、当社では、安全と通信の確保を最優先にして、足止めを食った駅前や自宅で必要な業務を行えたと思う。翌日の出張も夜には回復した交通網を使って(新幹線の駅までは送って貰ったり)前乗りで移動して予定変更せずに済んだし、皆が冷静に出来ることをしっかり実行できた。今後も何が起こるか分からない、分からないからこそ、「その時はその時」ではなく、日頃から「災害への備え」が必要だと思う。
Jun 20, 2018
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当社は、ウェブ上の独自システムを活用して情報共有や意見交換を日常的に行なっているので、これまでほとんど会議をしない会社であったが、さすがにたまには顔を合わせての会議も必要と言うことで、今期から月例会議などをやっている。で改めて思うのは、「会議は答え合わせの場」ということだ。会議までに課題を見つけ担当者間で話し合い、やり取りを行い、一応の答えを出した上で会議当日、すなわち「本番」を迎える。 逆に、会議の日に問題は何か、それってどうしようか、そのために必要な資料は何なんだ、とか会議当日に言ってるようではまったくダメである。当日になっていきなり議論をしても良い結果は生まれない。やりとりを会議までの間に担当者間で行い、内容が相当詰められた上で、一定の答えが出され、本当にそれで良いのかを皆で確認し検証する場が会議であるべきだ。それは当社で半年に一回行なっているフルマラソンと同じかもしれない。マラソンに参加する上で大事なのは、本番当日に頑張ることではなくて、(当然)それまでの練習、普段の健康管理である。そもそも大会に参加することは日頃の健康管理のためのモチベーション維持のための「手段」であって「目的」ではない。日常的に運動していて、試行錯誤して十分準備をすることが大事、大会本番はその「答え合わせ」、すなわち日頃の練習や節制が正しく十分であったかどうかを検証する場であると思う。さて、うちの社員の皆さんは十分準備ができて本番を迎えれるであろうか?楽しみにしています。
Jun 11, 2018
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僕は(多くの方がご存知の様に)もう二十年来(正確には丸二十二年)盛和塾に入っていて、稲盛和夫塾長を経営の師匠として研鑽している。盛和塾の塾生であれば当然、その哲学(フィロソフィー)を学び、また社内でも輪読会などを行って浸透させることが当然の様に行われている。当社の経営理念そのもの、経営の目的もフィロソフィーに即したものになっている。「利他の心の経営」、「会社の目的は社員の物心両面の充実を実現すること」、「損得よりも善悪をまず考えること」、「誰にも負けない努力」、「仕事を通じて人格を磨く」 などは、いつも何かにつけて強調し、実践しているところでもあると思う。しかし、当社では、僕自身フィロソフィーを本当に理解し実践しているとは自信がなかったこともあって、長年そのフィロソフィー輪読会を行って来なかった。しかし二十年も盛和塾で学んできてまだその哲学を社内で共有できてないとすれば、このまま行くと一生やらなくなってしまうと思い直し、今からでも遅くないと思ってこの度、始めてみようかなと思った次第です。そもそも仕事のノウハウでなくて、「生き方」や「人生哲学」の様なものを会社で学ぶ必要、意味があるのかということだが、仕事は人間がやること、会社は利益は必要だがそれは手段であって、本当の目的は「全従業員の物心両面の充実」と「社会貢献」であることを考えると、やはり「考え方」に踏み込まざるを得ない。仕事を通じて人格を磨く、魂のレベルを上げていくことが、「働く意味」だと思う。能力に限りがあるけれど、熱意や考え方が素晴らしいものであれば、人生の結果も素晴らしいものになるというのが稲盛哲学の教えだ(人生の結果=考え方x熱意x能力)。特に中小企業においては、学歴も能力もバリバリでほっといても素晴らしい成果を上げる人はなかなか入ってこない(大企業でもそうだが、仕組みや既得権益が強固だからやっていける)。「考え方」が重要になってくると思う。「考え方」(=フィロソフィー)と言っても難しいものではない。「真の勇気を持つ」、「綺麗な心で願望を描く」、「素直な心を持つ」、「仲間のために尽くす」、「心をベースとして経営する」、「公明正大に利益を追求する」、「原理原則に従う」などなど、小学校の先生や親に教えられた様な、プリミティブことがその大部分である。この様な簡単な「考え方」なのだけど、それを実践するのは優しいことではない。人間はついつい、少し成功するとすぐに「謙虚であること」を忘れてしまうし、「公明正大」でありたいと思っても、月末の数字が足らないとか楽して勝ちたいと思ってついついずるいこともやったり、正当化してしまったりする。学歴の高い人でも考えられない様な不正を行ったりするのは、残念ながら新聞などでもよく見ることだ。稲盛塾長が手掛けたJALの再生でも、全く同じ人たちが働いているのに(むしろリストラで少なくなった)、心の持ち様(考え方)が変わったからこそ、それまでとは全く異なった、素晴らしい会社に生まれ変わった。人間の心は畑の様なもので、常に手入れをしておかないと雑草が生えて荒地の様になってしまうものだと思う。当社の場合は、経営方針や社員との関係がある程度は稲盛哲学を反映するものであったからこそ、これまで安定的に成長し、辞める人も殆どいなかったのではないかと思う。今後、実際に集まって輪読会を行い議論することで、その「考え方」はより強固になっていくと思うし、「物心両面の充実」がより図られていくのではないかと期待できる。まずは本社でやってみて(先週やって案外面白かった)、今後東京や九州のメンバーとも合わせてやってみたいと思います。
Jun 4, 2018
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会社で働くというのは、非常に簡単であると同時に腹落ちすることが難しい行為だと思う。何故なら、そこに「お金」が絡んでいるから。「何のために働くのか」と問われれば、多くの場合は「生活のための給与を得るため」「より豊かな生活のため」「家族を養うため」という金銭的理由、「他人に認められるため」という承認欲求があるのだとは思う。でも青臭いのかも知れないが、「会社とは何か?」と聞かれれば、僕は「社会への貢献(=他人のためになることを行う)を通して社員が成長でき満足できる、その仕組み」と答えたいと思う(やっとそう思える様になってきた)。当社はいわゆる成果主義を採っていない。営業成績を上げれば給与(やインセンティブ)が上がる、下がればそれも下がるという「働き」と「お金」が連動することはしない。営業成績(つまり会社の利益)は会社という仕組みが回っていくのに必要な「道具」であるかも知れないが(道具は多い方が良い)、決して目的ではない。特にオーナー企業の中小企業は還元すべき株主が社長であるから、その社長が「会社が安定的に永続的に継続するため以外のお金は要らない」と言えば、社員がどうして利益自体を目的とする必要があるのだろう。きちんと社会から評価されることを効率良くやっていれば「儲かる」ことは当然だから、目的と手段を取り違えずに、事業の目的と意義を正面から実現目指してやっていけば良いと思う。これは甘い様で厳しい考え方だとも思う。社会にプラスのことをする、そこに「だけど数字は上げているでしょ」という言い訳は通用しない。そして会社の目的の一つは「社員の成長と満足」だから、数字は上げたけど社員が不満足で人間的にも成長しないなら意味はない。一方、社会のためになっているから儲からなくても良い、ということにもならない。何故ならそれでは「社会のため」を永続的に続けることが出来ないから。とりとめのない話だが、要は「たかが仕事と思うな、人生だと思え」ということである(余計に分からない?)。人生をお金で売るのか、それとも社会や自分の成長と満足のために仕事をするのかっていう話である。今日は盛和塾自主例会で、いつも親しくさせて貰っている中村さんの講演を聴いて、特にこう思いました。
May 7, 2018
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久しぶりの海外出張となるが、僕が副理事長を務めるボランティア団体(日本国際民間協力会)の案件で、フィリピンに行ってきた。たった4泊5日で、事業地候補のレイテ島(第二次世界大戦の激戦地)とマニラを訪問し、まだ不十分だけど大体の枠組みを作ってきた。当会では、2013年11月にフィリピンを襲ったハイエン台風(現地では「ヨランダ」と呼ばれている)の後の緊急復興支援を2014年、2015年と行っており、その後のプロジェクトとして縁が出来たレイテ島で何かやろうということだ。結論として、最近世界的にも需要が高まっていて、フィリピン政府も注力しているカカオ栽培が良いのではないかということになった。助成金をこれから申請するJICA(国際協力事業団)のマニラ事務所(担当者は4名とも女性だった)、何か研究でも良いから一緒にやって頂きたいアジア開発銀行のチーフエコノミスト(日本人で、局長クラスのかなり偉い人だが、たまたま友人の友人で紹介して貰った)、現地で電話アポを取ったフィリピン農業局の担当者、そしてもちろん現地(レイテ島)の農民組合、農地、地元有力者などと実質三日間の間に立て続けに訪問、打ち合わせを行った。カカオはなかなか面白い作物で、苗を植えてから3年目くらいで実がなる。なった実を割ると大きなタネが出てきて、これを一週間ほど発酵させ、天日で干す。それをローストして砕いて、、、、途中は端折るが、チョコレートとなる。今回のプロジェクトでは天日で干した豆のところまでを考えていて、そこからチョコレートメーカーに販売しようとしている。途上国ではまず、主体者となる農民組合がしっかりしていない。見よう見まねで目の前のことしか出来ない、リスクを取れない、なるべく努力したくない、結果として品質管理がうまくいかない、僻地では輸送費も結構掛かる、また台風が来ればほとんど被害を受けてしまうなど、障害になることだだらけだ。しかも最初は少量生産にならざる得ないから、カカオだとガーナとか隣のインドネシアなどの大量生産国に供給量も価格でも負けてしまうのが現実だ。この秋くらいの補助金がうまく採択されれば、その頃からカカオプロジェクトを始めることが出来る。既に当社でもこの会の活動で出来たヨルダン産有機オリーブオイルを日本に輸入して販売しているけれど、数年経ってチョコレートを加えられたら良いと思う。まあこんな感じでゴールデンウィーク前半は終了、で後半は、水球普及活動に注力することにしよう。
May 2, 2018
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最近、車を購入したディーラーに行って感じることがある。とにかくこの会社、横の情報共有が悪過ぎる。営業担当者、受付担当者、整備サービス担当者、本社のカスタマーセンターが全く連動していない。それぞれの人にいちいち事情や要望を伝えないと話が通じない。冬用タイヤから夏用タイヤに交換するのも、先方に預けているので取り寄せなければならない。サービスの人に取り寄せておいてくださいと伝えても、決して営業担当者からは連絡は来ない。それでいて、後日カスタマーサービスから電話が掛かってきて「先日のご入庫、如何でしたか?」と(事情も知らずに)電話が掛かってくる。アポを取って訪問すると、満面の笑みで営業担当者(僕の担当ではない)が迎えてくれるものの、「どちら様ですか?」って聞いてくる。そんなに来客もないのだから、かつナンバープレートを見れば推測出来るはずだから、「何々様、お待ちしておりました」くらい言えても罰は当たらないと思うのだけど(望み過ぎ?)。最近は、燃料が漏れているという、割と深刻と思える故障があったのだけど(しかも車検直後)、引き取りに行く都合が悪くて自宅に持ってきて貰ったのは良いとして、持ってきてくれた営業担当者に「で、結局何が悪かったのですか?」と聞いたら、「僕もサービス担当に聞いたのですが、専門用語が多くて分かりませんでした」という驚きの答えが返ってきた。車のディーラーの営業担当者が分からなかったら、顧客の僕はどうしたら良いのか苦笑するのみだったけど、結局修理報告書もまだ貰ってない。なんかおかしい会社なんだけど、入庫記録は残っていると思うので、明日辺りにカスタマーサービスから明るい声で「如何でしたか?!」って掛かってくるのだろう。これらの事態は個人の能力もあるのだろうけど、会社としての情報共有の仕組みも大いに関係あるだろうと思う。顧客データの共有、やり取りの記録、今日の予定、修理記録などが全て共有され、いくら気の利かない営業担当者でも朝礼かなんかで「今日の動き」を再確認するミーティングがあったり、スマホにプッシュ通知が出てきたりすれば間違いようもない。これは社風の問題でもあるしシステムの問題でもあるのだと思う。これからの組織は、たまたま担当している個人の能力に依存してはいけない。個人がナイスで優秀であるだけでは競争に勝てない。その人でなくても組織内の最善のソルーションを顧客にリアルタイムで提供できないと、情報共有システムと組織としての知恵を集める仕組みが整っている競合には間違いなく負ける。当社はリアルタイムの情報共有と知恵を集める仕組みで少しずつ勝ってきた。この強みをまた基本から磨かないといつでも危なくなる。最近日報書くのが遅くなったり、「情報共有したところで、、、」と分かってないことをいう人もいないではないのだが、原点に戻って徹底していきたいと思います。
Apr 16, 2018
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最近よく、中途採用の面接をしているのだが、一つ気が付いたことがある。面接者にどんな仕事をどんな風にするのかを説明する際に、ついつい「周りを見てやるべきことを、自分の判断でやってくれれば良いです。毎日の活動は相談してくれても良いし、経費も常識的に使っても良い、自分の能力を最大限に活かして頑張ってください」とか言ってしまう。そうすると大抵はポカンとされるか、なんとなく理解不能で固まってしまうことが多い。決められた目標とやり方の範囲内でどれだけ頑張れるか、能力を活かせるかが普通の会社だが、当社の様にニッチ分野で新規事業やR&Dを多くやっている企業では、「王道」とか「決まった道」はないのだから、「状況とその人のやる気と能力次第」で仕事内容や働き方が変わってくるのは仕方ない。当社は定例会議もほとんど行わないし、毎日リアルタイムでスラックや自社SFAで情報共有し、情報共有している。別に書類も稟議書も要らないし、個人個人がチームの一員として、市場環境や取引先の動きを見ながら動けば良い。サッカーの試合でもルールはある程度あっても、「どんなプレーをすれば必ず点が取れるのか」なんて決まってないし、状況に応じてベストのプレーをしてくださいとしか言いようがないはずだ。とは言え、やっぱり普通の会社の様に、「こんな風な業務範囲でこのくらい頑張ってください、評価基準は明確で、フィードバックも丁寧に行うのでキャリア的にも成長しますよ」くらいは言わないといけないのですかね。まあ言おうと思えば言えるけど。
Apr 5, 2018
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今日は母校の水球部で生徒と顧問の先生方対象にミーティングを招集し、この4月からの新入部員勧誘方針について話し合った。僕はOB会の幹事長(兼ジェネラルマネージャー)を務めていて、日頃から現役選手の支援や大会の開催、遠征企画などを行なっている。水球はいわば絶滅危惧種で、もともと超マイナースポーツでよほど支援を行い、選手を集め、必死で強化していかないと続けることができないスポーツだ。母校の茨木高校は戦前は競泳(=近代水泳発祥の地)、戦後は主に水球で名を馳せてきた。大阪屈指の進学校でこれだけ必死に体育会系の部活動が続いているのは、選手も頑張っているが卒業生たち、顧問の先生方、校長先生などの物心両面の支援があったからだと思う。ところがこの数年、水泳部の中に競泳チームが出来て雲行きが怪しくなっている。結局水球は高校から始めるケースが多く(しかも練習も長くて厳しい)、慣れ親しんだ競泳があるならそっちでいいんじゃないの?僕は(私は)何も進学校に来てまで必死でスポーツするつもりもなかったのに、と、わざわざ水球を選ぶ生徒はかなりの「変人」だけとなり入部する部員も昨年は少なくなってしまった。この非常事態を受けて、OB会である水泳団の代表として、「今年の新入部員からは少なくとも三年生が引退するまでは水球は必須」としますという方針を打ち出したのだ。「個人の意思を尊重して」というのは、一般論としても総論としても正しい。しかし結果として水球をやる生徒が減ってチームが成り立たないと伝統の水球活動は消滅する。水球チームが消滅すれば、水泳部に対する支援もなくなり、かなりの部分をOB会に頼っている部活動も(競泳も含めて)成り立たなくなる。いわば、「小善は大悪に似たり」を地で行くことになっている。これは一重に「危機感がないから」ということが原因になっていると思う。「何だかんだ言ってこれまで水球は続いて来たし」「OB会が急に支援を打ち切る訳はないし」「ほっといても新入部員は入るし」、と言った様々な「危機感のなさ」が本当の危機を招いている。今日僕が生徒に言ったのは、「水球の伝統を消滅させてしまってはいけない。個人の意思も大事だししかし伝統を守ることも大事だ。個人の自由VS伝統を守るということは白黒付けれる問題ではない。一年生の間は水球もしてください。その上でどうしてもなら競泳に選任するのは仕方ない。だけどこの高校に入ったからには水球は避けてもらっては困る」ということだ。生徒から「水球を強制するのか」(←強制はしない。競泳をやりたいという強い意志があれば個別に例外判断)、「水球は練習も厳しくてもっと効率的にやったらどうか」(←大きなお世話)、「水球部員が十分に確保出来たら競泳専任を勧誘しても良いのか」(←はいそうです。結果を出せば良いのです)、「自由じゃないですか?」(←自由は伝統と義務の上に成り立っている。伝統が失われればOB会の支援も打ち切られる)などなどたくさんの質問(クレーム)が出て、30分の予定の説明会は2時間にも渡ってしまった。面白いのは、女子は既に水球と競泳の両方をやっているということだ。水球の試合で数名は全国大会に行きながら、競泳の試合にも出ている。それはそれでうまくいっていて特に不満もないのに、新入生(今回既に在籍している新2年生、新3年生は対象にしていない)、「自由意志を尊重すべき」という一点で女子からの反発が大きかった。今回のことに、(大昔の)卒業生の「横暴」と感じてしまう人がいるのは当然だが、ではそれで水球が滅びて良いのかというとそうではない。物事には色々な要素がある。「方針」・「原則と例外」、「個人の自由と伝統・学校の特色」があって、そして具体的に「誰々さん」という新入生の適性や希望という個別要因もある。その新入部員がいないところで抽象的に「個人の選択」と「クラブの方針」という原則論を戦わせても結論は出ない。結論は、様々な要素(と実際の勧誘部員数)を総合的に考えるということだと思う。支援を先頭に立ってやっているのに恨まれ役になるのは割りが合わないことだ。女子部員には泣かれるし(発言していると感極まる)、男子生徒(競泳男子)には睨まれるし、水球男子には通じてるのか通じてないのか分からないし(水球男子の体たらくでこんな事態になったのに)、それでも「大善は非情に似たり」と思って損な役回りをやらして貰っている。このことは会社経営も同じことだ。存亡の危機になって綺麗事は言ってられない。一番頑張ってリスクを背負って仕事をしているなら、会社の生き残りのためには横暴と思えることでも言い、顰蹙を買いながらも「何が大善か」という信念にしたがって行動すべきだと思う。それにしても我ながら、「たかが」高校生の部活動にコミットしているものだと思う。他にも海外支援の公益社団法人NICCOでも似たような話もあるし、これは性分なのかなとは思う(別にそれでストレスもない)。ということで高校生に対しても「(僕が考えるところの)正論」で手加減は出来ない。ましてや大人達が集まる会社において、社会においても遠慮することもない。明日から第二四半期、気合いを入れて頑張っていこうと思います。
Apr 1, 2018
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担当者個人でなく、会社として組織として最善の対応、解決策を提案、提供するというのが当社の方針である。そのためには情報共有をリアルタイムで完璧に行い、知恵を出し合いながらチームで対応しなければならない。これは仕組みの問題であるけれど、同時に一人一人の意識が大事だと思う。「知りませんでした、聞いてませんでした、指示されませんでした、私は私の立場でやるべきことをやりました」というのは、その人なりの言い訳であるかも知れないけれど、当社では「なんで知らなかったのか、なぜ関係者に相談しなかったのか、知らなかったことは自分の責任ではないのか、結局物事がうまくいかず、当社としての本来出来たはずのことが提供できなかったことは良くないのではないか」ということになる。しかも当社は完璧な情報共有の仕組みがあるのだから、仕方ないでは説明できないというのが僕の言い訳に対する反論の根拠でもある。経営者はそこまでライフワークとして人生を賭けているのでそこまで考えるかも知れないが、社員は給与を貰ってその分働いているのだから、ある意味「結果責任」を取らないといけないことは酷だと考えることも出来るかもしれない。でも経営者であろうと社員であろうと、「かけがえのない自分の人生の時間の大部分を使って行なっていること」、そこに軽重はないと思う。誰だって、「適当に」生きている訳でないし、どうせやるなら社会に貢献できること、人生を終える時に悔いなしと思えることを望んでいるはずである。また元に戻るけど、「知らなかったので仕方ない、そこまで考えてなかったです(そこまで考える義理はないです)」というのは、チームの一員として不十分という以上に、自分の人生を軽く考えているとも思える。だからそういう「適当な対応」、「雑な対応」を見ると無性に「そうじゃないだろ!もっと人生を大事に考えろ!」思って、つい言ってしまう。ということで、「たかが仕事と思うな、人生と思え」というのが今日のメッセージです。
Feb 23, 2018
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この間、友人の経営者と話していて、彼の会社で、地方の国立大学を卒業して新卒で入って三年経った社員が、なんと大手企業により良い条件で転職してしまうと嘆いていた。せっかく、必死の想いでリクルートして意気投合し、大阪の片田舎の中小企業に就職してもらい、三年の間心血を注いで育ててきた。その社員が、ちょっとしたボタンのかけ違いで転職サイトに登録し、もちろんネームバリューもある大手企業に良い条件で転職していく。これは中小企業の社長としてはやってられない、理不尽ことに思えるのだろう。教訓は二つ。いくら中小企業で、意気投合して惚れ込んで貰って入社したとしても、数年経って家族も持とうかという年齢になると、やはり人材の市場価値を反映した給料を払わないとその人は残ってくれない。「分かって貰っているから」、「新人の頃から育ててきた恩があるはずだから」というのは、中小企業の経営者の「甘え」、「油断」であって、現実は大手企業はそうやって経験を積んだ、もともと能力がある若い人たちを常に狙っていると考えた方が良い。対抗策としては、現実的には「大手並の、少なくともその市場価値にあった待遇を提供する」しかない。育てれば育てるほど、市場価値が上がっていって待遇も上げないといけないのは矛盾なんだけど、潜在的な敵が常にその人材を狙っているのだから、好むと好まざると対抗して事前に待遇をよくしておくしかない。「タレントを巡る戦争」からは中小企業も逃れられないと覚悟すべきだ。もう一つは、そうやって転職していく人も、「世の中は不確実性と思わぬ出来事」に溢れているを知らなすぎると思う。ちょっとした行き違い、自分は全く悪くないのに訳の分からぬ理由で物事がうまく進まないことなんて、むしろデファクトで当たり前のことだ。海外貧乏旅行をしていれば、否応無く経験するだろうが、予約は当てにならない、注文したものは大抵出てこない、待ち人は来ない、わざわざ訪れた場所は閉館日、バスは来ない、知り合った人は大抵詐欺師が「普通のこと」である。「決められた通りにやりました、それでうまくいかなくても自分のせいではありません」というのは世間を知らな過ぎるし、国際競争力は全くない。受験勉強の弊害というのか、正解を書けば点数が貰えると思っているのがオメデタイ。当社でも若干、「物事は理屈通りに動くはず」と思っている節がある。物事は常に理不尽である訳ではないけれど、実は様々な要素に依存していることは知っておくべきだと思う。いろんな人がいろんな動機に基づいて活動している。お金のこともあれば出世のこともある、趣味のこともあれば社会正義を追求する人たちも普通に存在する。一筋縄ではいかない「異種格闘技」、「事実は小説より奇なり」が現実の世の中である。だから仕事は面白くて、そのような様々な人たちや組織を組み合わせて、全ての参加者が幸せになる仕組みを作り出すのが醍醐味だと思う。物事は時に理不尽、油断ならない、だからこそ面白いというタフな人材がこれから求められると思います。
Feb 17, 2018
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会社の存在意義は、社会に貢献すること仕事を通じて社員が成長し、また豊かな生活を送れることしかないと思う。以上の目的を永続的に、様々な経済環境の中で高いレベルで達成するためには、高収益であり続け、新しいことに挑戦し続けることが必要だ。財務的に安定し高収益でないと少しの逆風で社会貢献や待遇を改善し続けることができなくなってしまう。高収益であれば、将来に向けた投資が出来る。従って、経営の目的は、社会貢献と従業員の物心両面の充実を実現しながら、高収益なビジネスモデルを考え出し、実行していくことだ。これしかない。以上のことは言うは易しであるが、実現の仕方も明らかだ。会社の存在意義はそれらしかないと本当に思うこと(潜在意識に染み込むまで思うこと)、そして常に高収益なビジネスモデルを考えること、誰にも負けない努力をすることだ。こんな「簡単なこと」で素晴らしい経営が出来ると思っている。努力することは一番確実で、目標の実現には近道だと思う。マラソンで4時間を切りたければ毎月200キロ走れば良いし、200キロ走るには月に20日間、毎日たった1時間走れば良い。3時間切りたければ、それらを倍にすれば良いだけの話である。近道はなく、その道を通れば必ず目的を達成できる。社会に貢献し、従業員の物心両面の充実を実現するには、もう少し努力が必要だ。複数のことを同時に行い(並行処理)、顕在意識でも潜在意識でも高収益なビジネスモデルを考え(重層処理)、情報を共有して協力して動けるチームを作る、フットワーク軽く現場に行く、健康を保ち、常に明るく前向きに考える。今年ももう半月が経過してしまって後51週しかないのだが、常に原点に戻って毎日毎時考え実行していきたいと思います。今年もよろしくお願いします。
Jan 14, 2018
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僕が所属している盛和塾では、稲盛塾長の経営12か条が基本的な考え方となっている。その第一条が、「事業の目的、意義を明確にする。公明正大で大義名分のある高い目的を立てる。」というものである。「事業の意義、目的」とは、会社の活動が社会貢献に繋がっているか、つまりどの様に利他になっているかを明確にするということである。売り上げとは顧客に自社の製品やサービスを買って貰うことだから、当然ながらそれらが顧客のためになっていなければならない。そして顧客ニーズの総体が社会ニーズであり、社会的意義であると言える。すなわち、大上段に「事業の意義、目的」を考えなくても、自社の製品・サービスが如何に目の前の顧客に役に立っているのかを考え、それってどの様な社会ニーズに貢献しているのか?を深く考えていけば良いということになる。顧客に買って貰えれば自社の利益になるが、あくまでそれは副次的なことで、社会ニーズを満たすことで、結果として高収益になることが王道である。高収益であることで社会により貢献できる仕組みづくりにお金を使えるし、会社が永続的に安定的に運営するための原資となる。働く社員の物質的な幸せも実現することも出来るので、高収益であることは絶対に必要なことだ。そして会社で働く主体の社員が、人間として成長することが大事である。だから「仕事を通じて社員が成長すること」も重要な会社の目的に挙げたい。そして働き方としては、自分が得意なことで貢献して欲しいと思う。得意なことでないと生産性が低いし、それは他の得意な人にやって貰った方が良い。だから当社では、情報共有や助け合いを重視したチームワーク経営を目指している。実はこれは当社と他社との関わり合いも同じことで、当社は得意なこと、つまり防虫技術や知識、ネットワーク化、仕組み化を活かして会社同士の協力関係で社会に貢献しようとしている。生産が得意な会社、サービス提供が得意な会社、ソフトウェア会社、要素技術を持つ会社、また大学などのアカデミックな人たちとも協力して、社会にインパクトのある活動を全体として行いたいと思う。ということで当社の事業の意義、目的を整理すると、以下の様になると思う。防虫技術を活かし、衛生的な環境を提供する仕組み、住宅資産を守る仕組みを作るIT化を進め、生産性を高める働く社員が人間的に成長するそして結果として、他社を巻き込んだネットワークが構築され、当社も高収益になっていくはずである。という訳で、今年もこの目的を達成するために、社員一同頑張っていきたいと思います。
Jan 3, 2018
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最近、米メジャーリーグのイチローが日本に帰ってきていて、子供達相手のイベントでこう語ったそうだ。自分に自信を持つチームメートから信頼されるやるべきことを自分で見つけられる「僕もいまだにできているか分からないけど、野球をやってきて感じた大事なことです。44歳もまだまだ頑張ろうと思う。」やはりその道で達人の域にいる人らしい、本質を突く表現だと思う。これはまさしくどんな分野でも、もちろんビジネスの現場でも通用することだ。自分に自信を持たなければ、社会のためになり顧客のためになり、かつ自社も成り立つ大きな構図は描けない。その自信には根拠は要らなくて、要は「自分ならできる」と思えることが必要だ。とは言え、自分一人ではできる事は限られている。チームとして目的を達成する仕組みの基に、チームメイトから信頼されてチームとして強くなる。こうでないと今の競争的な市場では生き残ってはいけない。そして一番大事な事は、やるべきことを見つける課題設定能力である。今の世の中で、特に戦後の先進国に追いついてしまった日本が会得しなければならない能力とは、置かれた状況での課題設定を正しく行う力である。歴史上、トップランナーを走る国の責務は、世の中が進むべき道を試行錯誤しながら示す先見力だと思う。その点、この「やるべきことを自分で見つけられる」能力はもっとも重要な力だと思う。これは企業活動でも同じで、皆と同じことを後追いでやっていても、競争力は付かない。置かれた環境で周りを見渡し、自社が得意なことで一番市場にインパクトを与える「秘策」を発明しなければならない。それが「やるべきこと」だと思う。そう、組織の中でも最も重要なのは、課題を正しく解決できる人間だけではない。そもそもの課題を見つけ出し、それを組織としての課題と認識させ実行できる人材が最も重要だと思う。当社は、もちろん、社会における課題設定、解決型の企業でいたい。そのためにはあくまで頭は柔らかく、視野は広く、将来を見通す能力を持った社員を育てていきたいと思います。
Dec 29, 2017
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