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2014年に我が家にやってきた千尋くんも十二歳になるのでした。祥之介は除霊整体に行ったら云われるのでした。「何をしたの?」「何をしたと云われますと?」「烏天狗が三体ついているわよ」祥之介は笑いそうになるのでした。それは高尾山の薬王院に行った次の日だったからなのでした。「球磨之介、本当に烏天狗というのがいるのであろうか?」「とうちゃん、ちょっと変なことをいう除霊先生だけど烏天狗なんて見えるなら結構本物なんじゃないか?」「ふむ。祓ってくれたんだけれどいてもらった方がよかったかね?」ハンサム団はお坊さんに聞いてみるのでした。「なんかお薬師さんとご縁があるらしいぞ」「ふむ、お坊さんがすすめるだけあって薬王院とは相性がいいのかね?」ということでハンサム団は伊勢原の日向薬師にでかけるのでしたといいますのも、この間大山の不動明王に挨拶にいったときにバスを乗り間違えてお薬師さんに行きそうになったのでした。「とうちゃん、呼ばれているかもしれないから行こうよ」「ふむ。お守りを返しに行くのである。改めてお薬師様には挨拶にいこう」ということでこの日と相成ったわけなのでした。それにしても土曜日だからか大山に行くバスはやたらくるのでした。「とうちゃん、せっかく電車の乗り合わせがよかったのに、また四十分もバスを待つ羽目になったぞ」「ふむ、時間が許すなら大山にも行きたかったのであるが今日はお薬師様だけにしよう」ハンサム団は高野山派の人が唱えている薬師如来の真言が非常に気になって覚えるのでした。おん ばい せいぜい ばい せいぜいばい せいじゃ さんぼり ぎゃてい そわかちなみに天台宗だとおん び せいぜい……となるらしいのでした。バスはやってきたのでした。「大山は人気なのにこっちは空いているね」「ふむ。昔は宿坊がいっぱいあってにぎわっていたらしいのであるが明治の神仏分離でずいぶん酷い目にあったようである」「大山のお不動様もなくなりそうになっていたもんな」お参りに行くというより山間部の村を訪ねたような風情なのでした。「とうちゃん、匂いが田舎の匂いだ」「ふむ。慣れ親しんで農家の匂いである」「なんの匂いだ?」「草木の匂いと肥料や作物の匂い、水もいい水が近くにありそうである。水の香りがするのである」「とうちゃん、山で迷ったら遭難だぞ。よく見ろ」「ふむ。高尾山もちょこちょこ遭難事故があるのである。山に入るのはこわいのである」「球磨之介、神社があるのである」「お参りをしていこうよ」天津祝詞を唱えてお参りをするのでした。由緒書きがあるので読んでみるのでした。ありがたいことに標識があるのでした。山奥の一本道という感じなのでした「とうちゃん、今年はこま参道にも熊がでたんだよな」「ふむ。ここで熊に遭遇しても困るのである」ここまでくればもう安心だと思うのでした結構距離があるのでした。途中で車がきて結構危ないと思うのでした。休憩所があるのでしたトイレをお借りしたのでしたありがたく小銭を入れるのでした手水舎でお浄めをするのでした中は撮影できないのですが地蔵菩薩、賓頭盧尊者、白衣観音様などがいるのでしたハンサム団は白衣観音菩薩の真言おん しべいてい しべいてい はんだら ばしに そわかを覚えるのでした。弘法大師には南無大師遍照金剛なのでしたこちらは虚空蔵菩薩様なのでのーぼーあきゃしゃきゃらばや おんありきゃーまり ぼりそわかなのでした。地蔵菩薩様にはおんかかかびさんまえいそわかなのでした。ちょっとどなたかわからないので地蔵菩薩真言と聖観音菩薩真言を唱えるのでした。お参りを終えたハンサム団は来た道をとことこ歩いて渋谷に帰路をとるのでした。疲れていたのですが山に行ったら少し元気になるのでした。いつもありがとうございます。
2025年11月22日
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「とうちゃん、更新していないから十一月の参拝が終わったぞ」祥之介は役所に行くことに気をとられてうっかり十八日が過ぎてしまうのでした「うぅ……何かがあるわけではないのであるが大変残念なのである。忘れること自体情けないのである」「一日遅れたけれどお酒を買って出かけよう」「ふむ、今年はくまのお墓にも一回行かなかったのである」ハンサム団は真言を唱えながら靖国に向かうのでした「とうちゃん、靖国で唱えられる祝詞があるといいのにな」「ふむ。いつも行くお寺の仏様の真言はほとんど覚えたのである」「愛染明王の真言もちゃんと覚えたし大金剛輪陀羅尼も覚えたな」おん まからぎゃ ばーぞろ しゅーにーしゃばーざら さとば じゃく うーん ばん こく「愛染明王真言なのである。これで来年補修から帰ってくる川崎大師の愛染明王にご真言があげられるのである」「大金剛輪陀羅尼も完璧だ」のーまく しっちりや じびきゃーなん たたぎゃたなんあん びらじー びらじー まかしゃきゃら ばじりさたさた さらてい さらてい たらい たらいびだまに さんばんじゃに たらまちしった ぎりやたらん そわか「薬師如来の中呪も覚えたのである。おばいせいぜい ばいせいぜい ばいせいじゃ さんぼり ぎゃてい そわかこの真言は天台宗ではよく唱えるそうなのである」「ふつうは おんころころせんだりまとうぎそわか だもんな」「ふむ、真言宗でも高野山派の人が唱えていたのである。なんだかとってもひかれたので教えてもらったのである」手水舎でお浄めをして拝殿に向かうのでした「一日遅れたのはやっぱり申し訳ないのである」「とうちゃん、御先祖様は気にしないと思うぞ」「そういう問題ではないのである。一年間は毎月靖国に通うと決めたのである。仕事の都合で早くしたのは仕方ないと思うのである。しかしうっかり忘れるというのは怠慢以外の何物でもないのである」お酒を奉納に行ったらいつもの巫女さんが対応してくれるのでした「あら!こんにちは」「いつもお世話になります」「とうちゃん。若かったら恋が芽生えたかもしれないな」「若かったら毎月靖国にきていないと思うのである」いつものように奉納書を書くのでした「こちらをお持ちください」「すいません、お酒を奉納しただけでこんなに頂いては……」「どうぞお持ち帰りください」「とうちゃん、顔を覚えてもらうといろいろサービスがいいな」「ふむ。なんだか巫女さんの笑顔と対応に癒されたのである。心なしか今日の靖国はなんだか安らぐのである」銀行で散々嫌な思いをした祥之介は「やっぱり人には丁寧、精神誠意が大切である」などと球磨之介と話し合いながら帰るのでした。
2025年11月20日
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「とうちゃん、十月の更新が全然間に合ってないぞ」「ふむ。いろいろ忙しいのである」十八日は恒例の靖国参拝なのでした「球磨之介、なんだかいつもと雰囲気が違うぞ」「なんだろうね? また落書きでもされたのかな」ハンサム団は進んでいくのでした「とうちゃん、鳥居ごとにお榊みたいなのがあるぞ」「ふむ、なんなんだろうね?」あとで知ったのですが秋の大祭だったようです手水舎でお浄めをして先に進むのでした「球磨之介。祝詞でも唱えた方がいいのかね?天津祝詞とかはちょっと違うような気がするのである」「英霊さんは高天原ではなさそうでしな」丁寧に御礼をして先に進むのでしたお酒を奉納しようとしたら閉まっているのでした……「困ったね」「御朱印所のおねえさんに聞いてみよう」「ふむ。申し訳ない。拙者どもは渋谷という田舎よりやってきた者です。本日はお酒を奉納しようとしたのですが閉まっておりました」「それはありがとうございます。この並びにインターホンがありますから押してください」云われた通りインターホンを押すといつもの場所に誘導されるのでした無事お酒を奉納してしばし休憩をするのでした拝殿の周りは非常に警備が厳しいのでしたみんなと並んでお参りをするのでした「とうちゃん、日の丸が半旗になっていないか?」「ふむ。今日は村山元首相が亡くなったと臨時ニュースが流れていたね」「元首相だから半旗なのかな?」「ふむ。どうであろうか?」仲良しハンサム団はうやうやしく帰路に着くのでしたいつもありがとうございます。これからもっと忙しくなってしまうかもしれないのでした……
2025年11月20日
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遅くなり申し訳ございません。祥之介は新しい仕事の面接に行ったりバンドのオーディションに行ったりその合間をぬって神社やお寺に出かけているのでした。いつものように愛宕・若宮神社からお参りをはじめるのでした。駅でお供物をもとめてお不動にやってくるのでした。七五三もたけなわで可愛い子供がたくさんいるのでした。手水舎でお浄めをして進むのでした常香炉でお線香をもとめて上杉堂に向かうのでしたお参りをして 古いお守りなどを納めるのでした素敵な不動三尊にもお参りをするのでした権現社にもお参りをして先に進むのでした本堂にお参りをして、六地蔵さんのお賽銭を入れて進むのでした今月も無事にこられたことを感謝するのでした素敵な菩薩様にもお参りをするのでした大きな人にもお参りをするのでしたにこにこ地蔵さんにもお参りをしてすすむのでした聖天堂にもお参りをするのでした大師堂にもお参りをするのでした八十八番のお薬師さんにもお参りをして進むのでした虚空蔵菩薩堂にもお参りをするのでしたお坊さんにもお参りをするのでしたお稲荷さんにもお参りをするのでした弁天堂にもお参りをするのでした。カメラマンの態度がすごい悪いのでした。今年も菊姫はやってこなかったのでしたそれと菊祭りなのにほとんど菊が出ていないのでしたあと十年後には消えているような気がするのでした今月は心願成就でちゃおりんさん、ぽにょたさん、まるまるぼんぼんさん、きてぃさんです。当病平癒でまりあもにかさん、るびーありすさん、みるぷぷさん、なおみんさん、めろんさん、ろぜさんとなっております。十二月の御祈願はお札の都合で月の中頃になるかもしれません。もうすぐ今年も終わりますがお元気でお過ごしください。
2025年11月04日
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ハンサム団は諏訪神社に出かけるのでした「とうちゃん。どうも長野の方に縁があるみたいだぞ」「ふむ。長野の人とは打ち解けられるのである」「長野までは行けないから、近くの諏訪神社にいこう」ということでバス停に降り立つのでした「とうちゃん、どっちの交差点だ?」「ふむ。地図によると先の交差点のようであるぞ」行けども行けども着かないのでした「とうちゃん、そうとう遠回りをしたみたいだぞ」「ふむ。けれどあそこに見えるものが神社だと思うのである」「どこから入るんだ?」「ふむ、ちょっとズルをしてここから入ろう」「すごく滑るから気をつけろよ」苦労をして登ったら入れないのでした……そうして滑りそうになりながら降りるのでした公園で相談するのでした「横の入り口に戻ってそこから入ろうよ」「初めてだから正面の鳥居から入りたかったのである」「さっき変なところを登っていたじゃないか」「ふむ、入れないのでしょうがないではないか」ということで裏口から入って正面に出て入り直すのでした。「とうちゃん、ここもお水がいいね」「そういえば子供の頃は新宿に浄水場があったと思うのである」「もともとお水のいいところだったのかな」手水舎でお浄めをして天津祝詞を唱えて挨拶をするのでしたお稲荷さんには 稲荷祝詞略詞を唱えて挨拶をするのでしたこちらにはひふみ祝詞を唱えてお参りをするのでした御神木にもお参りをするのでしたお水を頂いて神社の横の通りを出るとバス停があるのでした……「とうちゃん、三分で行けるところに五十分かけて出かけたんだな」「球磨之介、諏訪のお山は険しいのである」渋谷に帰ってきたらデモ隊に遭遇するのでした。行列が終わるまで信号が変わらないので十分くらいボーっと待つのでしたそれにしても年寄りばかりで盛り上がらないデモだと思うのでした祥之介は仕事の面接やひょんなことでバンドのオーディションに出かけたりしているのでした浪人は何かと忙しいと思うのでした
2025年10月30日
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ハンサム団はお守りを返しにいく相談をするのでした「とうちゃん、神田明神にいこう」「ふむ。行こうではないか」ということで神田明神にやってくるのでした表の手水舎でお浄めをするのでした大黒様に真言をあげてお参りをするのでしたつづいて恵比寿様に真言をあげてお参りをするのでした「とうちゃん、神田明神もいつも混んでいるよな」「ふむ。江戸の総鎮守だしとてもいいご神気があるのである」「いいじんじゃはわかるようになったよな」「神社ソムリエの人もほめていたのである」ハンサム団はここが好きなのでした「とうちゃん、今日はしんめちゃんがいないな」「ふむ、馬はなかなか会えないね」お守りを返しに裏にいくのでした「とうちゃん、今日はお参りをしていこうよ」お参りをするのでしたひたすらお参りをするのでした写真はこれだけですがいっぱいお参りをするのでした神田明神をあとにハンサム団は相談をするのでした「とうちゃん、日枝神社にもお守りを返しにいくんだろ」「ふむ、銀座線で帰れば途中だね」「まだ早いし寄っていこうよ」銀座線に乗って赤坂見附を目指すのでしたが「次は新橋って言っているぞ」「そういえば烏森神社にご無沙汰しているのである」「予定を変更して寄っていこうよ」ということでSL広場に降り立つのでした「とうちゃん、とっても大きな神社だったのにな」「ふむ。今はとても小さくなってしまったのである」「それでもここもご神気に満ちたいい神社だよな」「ふむ、あめのみなかぬしさんとうずめさんである」ふたりは端っこで天津祝詞を唱えて渋谷に帰路をとるのでした「とうちゃん、帰りはバスで帰ろうよ」バスに揺られて幸せなハンサム団なのでした
2025年10月20日
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九月は毎年いろいろお参りに出かけるハンサム団なのでした記事が前後してしまうのですが、九月二十八には祥之介の誕生日なのでした。「とうちゃん、不動明王のお寺は本縁日だから混んでいるだろうね」「ふむ。どこも大行列だと思うのである」「それじゃ、産土さんと川崎大師にでかけようよ」ハンサム団にはもうひとつ目的があるのでした「とうちゃん、先に馬頭観音に行かないと閉まっちゃうぞ」「ふむ。ご真言がいろいろあり過ぎて困るのである拙者は川崎大師の馬頭観音菩薩真言を覚えようと思うのである」ふたりは中に書いてある真言を見るのでした「球磨之介、眼鏡を忘れたのでよく見えないのである」「おん あみりとどばん うん はった ではなさそうだぞ」「ふむ。おん あみりと どはんば うん ぱった でもなさそうだぞ」ハンサム団の馬頭観音真言はおん あみりと どはんば うん はった そわかとなるのでした。ハンサム団は護摩行に出るために急ぐのでしたというか、最初に若宮八幡宮にお参りをしたんですが写真を撮り忘れてしまいました。「九月は退職の手続きが多くてあまり参拝できなかったな」「ふむ。愛宕・若宮神社、高幡不動尊、池尻稲荷神社、豊川稲荷、美喜井神社、上目黒氷川神社、妙法寺、多武峰内藤神社、代々木八幡宮、大山阿夫利神社、大山寺、高尾山薬王院、若宮八幡宮、川崎大師、成田山新勝寺」「ふむ、鹿嶋神宮にもいかなかったのである」お護摩が始まって三尊の近くに行ったら愛染明王が留守なのでした「球磨之介、藍染明王工事中だそうである」「チャンスだ。帰ってくるまでに絶対真言を覚えろよ」「ふむ。覚えたのであるおん まからぎゃ ばぞろ(う)しゅーにーしゃばざら さとばじゃく うーん ばん こくなのである」お稲荷さんに誕生日の御礼を云って稲荷祝詞略詞を唱えてみるのでした「とうちゃん、川崎大師の不動堂はそんなに混んでいないよな」「ふむ、なんでだろうね? お大師好きには不人気かね?」「今日はここのお水を頂いて帰ろう」「ふむ、ここのお水はいいね」お釈迦様に真言を唱えてお参りするのでした「なんで金色なんだろうな?」「ふむ。金色の人が歩いていたらハロウィンなのである」大好きな観音菩薩にお参りをするのでした。「球磨之介、ここのお薬師さんはいいね」「そうでね。なんかあたたかい感じがするよ」「病気も治りそうだね」「そりゃお薬師さんさ。なんでも治すさ」明朝寺さんは十一面観音菩薩様だそうなので「おん ろけい じんばら きりく そわか」と「おん まか きゃろにきゃ そわか」の二種類を唱えるのでした。「とうちゃん、どう違うんだろうね?」「これだけ違ったら両方覚えればいいのである馬頭観音みたいにいろいろあると困るのである」馴染みの小田切商店に寄って根付を買って住吉屋さんで久寿餅を買って渋谷に帰っていくのでした「とうちゃん。不動明王火界呪を覚えろよ」なかなか百字偈にたどりつかないのでしたいつもありがとうございます。
2025年10月13日
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一日を迎えたハンサム団は困っているのでした「とうちゃん。今日は雨だぞ」「ふむ、御祈願は明日にしようか」「それじゃ病院を早い時間にしてもらえよ」ハンサム団はとても困っているのでした「球磨之介。大根がしおれてしまうのである」「とうちゃん、大根だけでも届けるか?」「ふむ。病院は1時半からである2時には病院を出られるであろうから3時には着くのである」「昨日の天気予報だと夕方から晴れるみたいだぞ」なにやら門に見慣れない縄があるのでした「球磨之介、いつもはすぐに終わるのにもう三時なのである」「予定を変更したから混んでいたのかな?」「それに雨がひどくなってきたのである」「護摩も終わっているしお参りは明日でいいじゃないか」「ふむ。問題は大根なのである」門をくぐったハンサム団は一目散に聖天堂に向かうのでした「球磨之介、雨がひどくなってきたのである」「最近の天気予報はコロコロ変わるな」「夕方から大雨だそうであるぞ」ハンサム団はお浄めをして聖天堂に向かうのでした「球磨之介、傘がやくに立たないのである」「大根のためだ。とうちゃんが先延ばしにするから罰が当たったんじゃないか?」「歓喜天は怒らせるとこわいそうであるぞ」「本当は二本が一緒になった大根がいいそうなのである」「とうちゃん、尻尾が長いから繋ごう」「ふむ。ゾウの顔の人が抱き合っているイメージであるな」「ん~……足を絡めている感じしかしないぞ」「ふざけてると思われないかな?」「雨の中に大根を届けに来たんだふざけて来たわけじゃないだろ」「とうちゃん、真言は覚えたのか?」「ふむ。天部の真言はそんなに長いのや難しいのはないのであるおん ぎゃく うん そわか であるギャクが歓喜天を表す種字である」二十一回唱えてみるのでした「おい、球磨之介。大雨で靴の中がびしゃびしゃである」「祓の雨だ。それでなきゃ歓喜の涙だ」「歓喜天の歓喜の涙であるか?……」「不動堂で真言を唱えて帰ろう」お堂の中は片付けのお坊さんしかいないのでした次の日は非常に天気がよくなるのでしたいつものように愛宕・若宮神社からお参りをするのでした昨日もとめたお供物は食べてしまったので駅でお供物をもとめるのでした仲良くお浄めをするのでした「とうちゃん、ちょっと早いけれどお堂で真言を唱えようよ」「ふむ。まわるにはちょっと時間が中途半端である」ふたりは最近覚えた役業者、金剛蔵王権現、如意輪観音、馬頭観音、そして歓喜天真言などを唱えて待つのでした護摩修業が終わったのでお参りをするのでした「とうちゃん、お寺によって真言が違うな」「ふむ、真言が違うというよりアクセントというか高幡不動や深川不動はのーまくさんまんだ ばざらだ せんだ まーかろしゃーだーそわたや うんたらたかんまん なのであるがのーまくさんまん(だ) ばーざらだ(ん)せんだ(ん) まーかろしゃーだーそわたや うんたらたかんまん とかなのである久しぶりにお不動で一緒に真言を唱えたら合わせるのに五回くらいかかったのである」お線香とお供物を備えておんかかかびさんまえいそわか なのでした「そういえばとうちゃん。成田山では二十一回真言を唱えたけれどお参りの時は七回くらいがいいよな」「ふむ、観音菩薩とかならいいのであるが明王や虚空蔵菩薩、光明真言などは長いのである」お不動は大工事中なのでした「とうちゃん。権現社の本地仏の真言は全部覚えただろ」「ふむ。虚空蔵菩薩、如意輪観音、胎蔵界と金剛界大日如来金剛薩埵(変換できない)は憶えていないけれど釈迦如来、普賢菩薩と同じだそうである」「それじゃ真言を唱えろよ」唱えてみたんだすが「とうちゃん。長いよ」「ふむ。きっと迷惑である。ここは三回ずつにしよう」本堂はおんあびらうんけんばざらーだとばん なのでした「とうちゃん、六地蔵の真言も覚えろよ」「覚えるものがいっぱいあるのであるまず、愛染明王を覚えてからである」「百字偈も覚えないとお坊さんに失礼だぞ」「ふむ。中臣祝詞も覚えろといわれているのである」仲良くおん あろりきゃ そわか なのでしたおんかかかびさんまえいそわか円山町にもお地蔵さまがあるので朝晩何回も唱えるご真言なのでした「とうちゃん、歓喜天だぞ」「ふむ。大根は片づけられているのである」仲良くおん ぎゃく うん そわかなのでした大師堂は南無大師遍照金剛三唱なのでしたおんころころせんだりまとうぎそわかいつかお遍路にもいきたいのでした「とうちゃん。苦戦していた虚空蔵菩薩だぞ」「覚えるのは一日で覚えられるのであるただいろいろ混ざってしまうのでひとつずつ丁寧に覚えているのである」のーぼーあきゃしゃきゃらばやおんあり きゃーまり ぼりそわか なのでしたお浄めをし直して進むのでしたお坊さんには南無大師遍照金剛三唱なのでしたここでは稲荷祝詞略詞を唱えてすすむのでした大きな人には おんあろりきゃそわか弁天堂ではおんそらそばていていそわかなのでした今月は心願成就でちゃおりんさん、ぽにょたさん、まるまるぼんぼんさん、富病平癒でまりあもにかさん、るびーありすさん、キティさん、みるぷぷさん、めろんさん、ろぜさん、それといつもコメントありがとうございます。富病平癒でなおみんさんのお札を書きました早くよくなりますようにお参りを終えたハンサム団は渋谷に帰路をとるのでした遅くなって申し訳ございません。大根のせいです。
2025年10月08日
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「とうちゃん、今日で九月も終わりだぞ成田山の新勝寺に出かけよう」「ふむ、連日の出動で疲れているが出かけよう」ということで日暮里にやってくるのでした電車は滞りなく京成成田駅に着くのでしたハンサム団はお寺に向かってひたすら歩くのでした「とうちゃん、見えてきたぞ」「ふむ、こっちももっと有名になってほしいのである」「お薬師さんだぞ」「ふむ、かわいい狛犬つきである」ハンサム団は挨拶をするのでした一年ぶりの再会を喜ぶのでした手水舎でお浄めをしてお参りをするのでした「とうちゃん、今日は真言二十一回にしろよ」「ふむ、そうしよう」お薬師さんにお参りを終えて不動明王がたくさんいる新勝寺を目指すのでしたひたすら歩くのでしたt対面が工事中で全体像は撮れないのでしたまず最初に前に忘れて困ったことになった弁財天にご挨拶に行くのでした小学生が走り回っていてとても楽しそうなのでした「とうちゃん、人がいないからゆっくりお浄めをしよう」「ふむ、今日は祝詞はいいよね」「お寺だからいいんじゃないか。お稲荷さんはダキニさんだし」階段を登っていくのでした素敵な提灯なのでした「とうちゃん、お年寄りは大変だな」「ふむ、年々弱ってくるのがわかるのである」「かば姐はもうこられないな」「ふむ、関節の変形症だからね」毎度お馴染みのこわれ不動なのでした新勝寺のお線香は折ったものです一掴み頂いてお焼香をするのでした本堂では護摩修業が始まっているのでした「球磨之介、いっぱいである」「今日はお参りだけにしようよ」いつものようにお稲荷さんに向かうのでした「今度お供えを買ってみようか?」「とうちゃん、豊川稲荷でもみんなお供えするけれど弁財天と大黒天だけじゃないか」 「ふむ、財運向上かね」「とうちゃんはなんで弁財天だ」「水の神様だからだよ。身体も心も浄く清しとお願いするよ」「とうちゃん、ダキニさんの真言が書いてあるぞ」「んっ? のーまくさんまんだぼだなんきりかくそわか であるか」のーまくさんまんだぼだなんばく……祥之介は云いなれてる釈迦如来の真言になってしまい何度もい唱え直してお詫びをするのでした「とうちゃん、なんか日本だな」「ふむ、ここからの眺めだけでも来た甲斐があったのである」釈迦堂に今度はのーまくさんまんだぼだなんばく と二十一唱するのでしたまた階段を登っていくのでしたここはなんだか忘れましたwここは歌舞伎の人たちが奉納したところでしょうか?愛染明王のお堂です来年までには真言を覚えてくれる約束をするのでしたここは清流権現だったと思いますお坊さんには 南無大師遍照金剛 三唱なのでしたここはお薬師段だったでしょうか?おんころころせんだりまとうぎそわか二十一唱なのでした不動明王がいるところですといってもいっぱいいるんですけれどwここは天神社だと思います天津祝詞を唱えてお参りをしましたもう一度本堂にお参りをして帰路をとるのでした塔なのでした聖徳太子にお参りをして山を下りていくのでした高齢の方は大変だと思うのでした「とうちゃん、死ぬまで登れるように鍛えておけよ」「ふむ。介助なしでお参りがしたいのである」山門が見えてきました帰り道に相談をするのでした「球磨之介、終点の上野から乗り換えようかね」「とうちゃん、日暮里には毘沙門天がいるぞ」「ふむ、駅から近いし寄っていこう」電車に乗るのでした空港の混雑で電車が遅れているのでした京浜急行で慣れているハンサム団なのでした駅の逆側に降りてしまったハンサム団は階段を登って毘沙門天を目指すのでした駅から近いのでとても有難いのでしたまずお地蔵さんにおんかかかびさんまえいそわか 七唱なのでした「とうちゃん、短い真言だったらいいけれど不動明王みたいのだと人に迷惑だ七回にしよう」「ふむ。特別な祈願でなかったら七回にしよう」中にお邪魔するのでしたここはなんだったでしょうか?お稲荷さんには稲荷祝詞略詞を唱えましたお釈迦様にはのーまくさんまんだぼだなんばく 七唱なのでした本堂は阿弥陀如来だったと思うのでおんあみりたていせいからうん 七唱でした「とうちゃん、毘沙門天だ」「ふむ、今日は中の様子がわからないのである」毘沙門天真言 七回吉祥天真言 七回を唱えてみるのでした「なあ、とうちゃん。天台宗だから真言を唱えてはいけないということはないだろうけれどそんなに真言は唱えないよな」「そうであるな。まあ静かにやっているから大丈夫と思うがお寺に怒られないようにしようではないか」「神楽坂の寅の狛犬毘沙門天は日蓮宗で真言はダメよなやっと見つけたのにな」「大丈夫。豊川稲荷があるではないかあそこには毘沙門天も吉祥天もいるよ」「そうだ。摩利支天だって大黒天だって恵比寿様だっているし最近は不動明王もできたよな。なんだっているんだ」渋谷に帰ったハンサム団は気づくのでした「とうちゃん、歓喜天に大根をお供えしていないぞ」「ふむ、高幡不動駅の青果売り場にはなかなかないのである」「明日は早いんだ。今日中に大根を買っていこう」「ふむ、まずはスーパーに行ってみよう」見当たらないので聞いてみるのでした「すいません、カットした大根しかないんですよ」次に神泉の八百屋さんに出かけるのでした「あいにく今日は入ってこなかったんですよ」「とうちゃん、駅前の大和田さんに出かけよう」あるにはあるのですがデカすぎるのでした……「とうちゃん、今はなき栄通り商店街に行こう」「球磨之介、切ったやつしかないよ」「よし、聞いてみよう。おじさん大根はありませんか?」「大きいのと小さいのがあるよ」と奥の箱を出してきてくれるのでした。やっと見つけた大根を持って明日は御祈願に出かけようと思う球磨之介と祥之介なのでした。
2025年10月04日
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球磨之介は云うのでした「とうちゃん、九月も終わりに近いよ。今日はお坊さんに云われた薬王院に行こう」「ふむ、少し鍛えなければいけないのである。行こうではないか」「なんだか香取神社に行った時の駅に似ているのである」「ここら辺は田舎だからいいよな」「ふむ。小学校の時来て以来のような気がするのである」「高尾山薬王院って書いてあるぞ」「ふむ。歩く人はここから入るのかね?」「球磨之介、切符を買おうではないか」「とうちゃん、リフトとケーブルカーがあるぞ」尋ねたみるのでした「すいません、リフトとケーブルカーは何か違うんですか?」「着く場所は一緒なんです。あとはお好みです」「球磨之介。ケーブルカーは待つね」「とうちゃん、リフトの方が気持ちがいいんじゃないか」「そうであるな。もう真夏の陽射しではないのであるからね」ちょっと戸惑いながらリフトに乗るのでした「とうちゃん、気持ちがいいね」「ふむ。適度な風もあるし、何より山なのである」「真言を唱えろよ」この日のために覚えた役行者の真言や飯縄権現の真言を唱えながらリフトに揺られるのでした「とうちゃん、もうすぐ駅だぞ。備えろ!」祥之介は真言を唱えすぎて酸欠気味でフラフラするのでしたw「これから歩くんだね」「ふむ。歩くのは好きなのである」歩いていくのでした 「とうちゃん、なんで山で蛸だ?」「竜巻で巻き上げられたんではないであろうか?」「なんかひっぱりだこって書いてあるぞ」よくわからないのでした「とうちゃん、六根清浄祝詞も覚えろよ」「ふむ。あんまり好きじゃないのである」「けれど半分くらいは覚えているんだろ?」「ふむ。そうであるがなんか仏教っぽくないか?」あとで知ったのですが洞窟のようなところにいる弁財天があるらしいのでした。「とうちゃん、ここは役行者じゃないか?」「ふむ、おん ぎゃくぎゃくえんのううばそく あらんきゃ そわか」と七唱して進むのでした飯縄権現の真言をあげて進むのでしたとにかく歩くのでした。 南無大師遍照金剛 三唱ですすむのでしたここはよくわからないので入らないのでしたとにかく歩くのでした御神木があったの再拝二拍手一礼ですすんだら三本あったので三回やるのでした「とうちゃん、着いたぞ」「ふむ。御嶽は急な坂が多いし大山はずーっと階段なのである結構歩いたかもしれないが段差がないと楽だね」「門には四天王がいるぞ」「毘沙門天の真言しかしらないのである」「来年までに覚えろよ」四天王なのでしたどれがどれだかわかりませんが四天王でした四天王ですから四人いますまぎれもなく四天王だと思うのでした。川崎大師でお馴染みなのでした「とうちゃん、お水がいいね」「ふむ、大山も薬王院もあまり祝詞の出番がないね」「ここで一切成就祓を唱えたらどうだ」「ふむ。そうしよう」一切成就祓と弁財天真言をあげながらお浄めをするのでした 飯縄権現様なのでした中に入って真言を唱えるのでしたここは八大竜王だったかな?今度くるときまで真言を覚えておこうと思うのでした。ここはなんだか忘れましたが倶利伽羅不動かな?お参りをして根付をひとつもとめるのでした本堂に歩いていくのでした丁度お護摩の最中でした無難に不動明王真言と書いてあった真言をあげるのでしたこの日は二十六日の金曜日だったと思うのですがすごく混んでいるのでした階段を登って奥の院に向かうのでした逆光でなんだかわからないのでした……こちらは飯縄権現様なのでしたこちらも飯縄権現なのでした違っていたらごめんなさい「とうちゃん、愛染明王だぞ」「難しい真言なのである」今月中には覚えようとしているのでしたこちらは大黒天と歓喜天だったかな?今日の日のために歓喜天の真言を覚えたのでしたあれ? ここから奥の院だったかな?どなたか忘れましたが真言をあげてすすむのでしたどこも階段は急なのでしたこちらはお稲荷さんです左奥に並んでお稲荷さんがあるのでした迷惑にならないように隅で稲荷祝詞略詞なのでしたこれは地蔵菩薩でしょうか?手元の石の種字は弥勒菩薩に見えますもしくは弘法大師?または布袋尊?お地蔵さんが並んでいるところがってよく見たら千手観音が並んでいたりするのでした「とうちゃん、階段は急だね」「愛宕山の階段より急だけれど短いね」すいません、順番が違うかもしれませんここが奥の院の飯縄権現かもしれませんお参りをするのでしたお参りをするのでしたひたすらお参りをするのでしたなんか順番がずれているかもしれませんここは干支の神様だったと思いますこれは役業者でしょうか?脚が丈夫になるのかな?横に下駄が奉納されているのでしたお参りを終えてハンサム団は昼食がまだだったのでお団子を食べることにしたのですが外人の団体さんが入ってしばし売り切れ状態なのでした「とうちゃん、あそこが売り切れでよかったな」「ふむ、こっちの方が美味しそうだったのである待つのが嫌なのであ」「いろんな種類があるぞ」「初めてきたところはお勧めを聞くのである」お勧めの全紛の黒っぽいお団子に江戸風の尼味噌をつけたお団子を頂くのでした。「とうちゃん、山は本当にいいね」「ふむ、お団子もおいしいのである」「もう一本食べようよ」「麓にもおいしそうなお団子があったのである」「それじゃ、そこのも食べてみよう」「とうちゃん、下りのリフトはちょっとこわいな」「ふむ。ちょっと慣れるまで落ち着かないね」「今度孫ときたら、上りはリフト帰りはケーブルカーがいいね」「ふむ、両方乗れた方が孫も喜ぶであろう」あとは降りるだけなのでした麓に着いて駅を目指すのでした丁度新宿行の特急がきているのでした「とうちゃん、いいところだったね」「ふむ。弁天様を見なかったのである」「十月中にもう一回、御嶽、大山、薬王院をまわろうよ」「ふむ、鹿島神宮にも行きていのである」楽しい薬王院をあとに渋谷に帰路をとるハンサム団なのでした御祈願は一日と二日に二回行って済ませましたその経緯は次に書きますねいつもありがとうございます
2025年10月03日
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ハンサム団は九月中に関東三大不動の高幡不動、大山、成田山をまわって更に智山派関東三大本山、成田山、川崎大師、薬王院別格本山高幡不動に行くことを計画するのでした退職した祥之介はいろいろな手続きの合間をぬって出かけるのでした「とうちゃん、お不動には毎月行っている御嶽のお山には行った、あとは大山だ。それとお坊さんに薬王院に行くように云われているんだ」「ふむ、早めにいろいろやろうではないか成田山とできれば香取神社も周りたいのである」「そんなことしたら寝込むと思うぞ」幸先よくすごく早い電車がやってきてくれるのでした平日で空いているのかと思ったらバスが行ったばっかりで30分待つ羽目になるのでした……「とうちゃん、せっかく特急に乗れて早く着いたのにな」「ふむ、大山寺到着は12時頃になりそうである」「三時間もあればお参りは終わるだろう」車内はみんなが座れるくらいの状況なのでしたバスは速やかに進んで終点に到着するのでした「とうちゃん、そんなに暑くないし水が清々しいぞ」「ふむ、綺麗な水はとてもいいのである」「弁財天の真言を唱えろよ」おんそらそばていえいそわか なのでした大山に入っていくのでした「とうちゃん、駒参道が見えてきたぞ」「ふむ、今日は御岳山の反省もあって金剛合掌はやめるのである」「真言はずーっと電車の中から唱えていたけれどどの真言で登っていくんだ」「ふむ、まず不動明王である、次に大日如来、光明真言でいこう」「とうちゃん、お稲荷さんだぞ毎日千代田稲荷で唱えている稲荷祝詞略詞をやれよ」「ふむ、やろう」珍しく一度もつっかえず淀みなく唱えられるのでした「とうちゃん、豆腐こんにゃくというものがあるぞ」「ふむ、この間御嶽でもとめたこんにゃくはとても美味しかったのである」「帰りに買って帰ろうよ」「とうちゃん、一昨年にできたやつだぞ」「ふむ。戸隠れ神社だからひふみ祝詞でいいかね?」唱えて進むのでした「おい、とうちゃん。もうすぐ駅に着くぞ」「ふむ。最近は歩きながら真言を唱えているのでこないだみたいに息が切れないのである」駅のところの神社なのでした。確か天津祝詞を唱えたと思うのでした。切符をもとめて列車を待つのでしたケーブルカーは上ていくのでした大山寺に着いたので降りるのでした「とうちゃん、もうすぐ十一面観音の石尊権現様だぞ」「ふむ、おんろけいじんばらきりくそわか なのである」真言を唱えながら進むのでした登っていくのでした。改めて十一面観音菩薩真言を七回唱えるのでした鐘を鳴らして……何を願ったか忘れたのでしたw確か今年も無事に来られた事を感謝したように思うのでした。東京大空襲の碑があるのでしばし止まって哀悼の意をあらわすのでした「とうちゃん、今日の初不動様だぞ」「今日は不動明王真言を五百回くらい唱えるのかね?」「明王の真言は長いからな」三唱して進むのでした「とうちゃん、取り敢えず地蔵菩薩真言だ」「六観音の真言は覚えられるんだけれど馬頭観音と天部になるのであるが歓喜天の真言はいろいろあってどれがいいのかわからないので完全には覚えていないのである」今度深川不動で教えてもらおうと思うのでした不動明王なのでした。ご真言を三唱して進むのでした「とうちゃん、最大の難関だぞ」「ふむ、一気に登らないと疲れるのであるが今日は真言をあげながら登らなければならないのである」「三十六童子をやれ」「覚えてないし、今のところ覚える気もないのである」着いたのでした。なかなか疲れると思うのでした弁財天真言をあげながらお浄めをするのでしたここでも弁財天真言を唱えるのでしたここは何んだか忘れたのでした……去年工事中だったところです「とうちゃん、三百円で鐘がつけるぞ」「きっとうるさいと思うので遠慮しておくのである」ここでは二回目の稲荷祝詞略詞を唱えるのでしたここはなんだったでしょうか?「とうちゃん、地蔵菩薩様だぞ」「ふむ、朝晩円山町のお地蔵さんに唱えているのである」おんかかかびさんまえいそわか なのでしたここでは 南無大師遍照金剛 三唱なのでした本堂の中は写せないのですが不動明王、阿弥陀如来、千手観音などに各種ご真言を唱えてお参りするのでしたお守りを替えてもらって階段を降りていくのでしたしばらくすると上りのケーブルカーがやってくるのでした実は八月、駒参道に熊が出没したのでした「球磨之介、こんなにお参りをするところが少なかったけ?」「ここではほとんどご真言で祝詞の出番は少ないね」「ふむ、ここはやっぱり不動明王なのである」「大山寺の階段もこれくらいだったら楽なのである」「大山は登りやすいよな」手水舎の写真を撮り忘れたようですちゃんとお浄めをして進むのでした拝殿に天津祝詞とひふみ祝詞を唱えてお参りするのでしたちゃんと邪魔にならないように 凄く端っこで地味にやるのでした「獅子山だぞ」「ふむ、八大仏なら全部真言を覚えているのである」「全部やると迷惑だから寅と丑の虚空蔵菩薩真言だけにしろよ」のうぼう あきゃしゃきゃらばやおんありきゃーまりぼりそわか なのでしたこの日に備えてちゃんと覚えたのでした天満宮では天津祝詞を唱えてお参りをしました浅間様にはひふみ祝詞でお参りをしました社務所が新しくなっているのでした古いお守りを交換してもらうのでしたあとで気がついたのですが、さざれ石や大黒様・恵比寿様などがいる地下に行くのを忘れたのでした浅間様の横にも入り口があるんですが拝殿の横から入ろうと思って忘れました江戸の若い衆に挨拶をして前はここにいた不動明王を思って真言をあげるのでしたそうして帰路をとるのでした山は素敵だと思うのでした。ケーブルカーを待つ間も真言を唱え続けるのでした帰りのケーブルカーの写真も撮り忘れたようです問題なく駅について また駒参道を下っていくのでしたハンサム団はお土産屋のおばさんと仲良くなってなにやら一番人気の餅菓子、豆腐こんにゃく、刺身こんにゃく、こんにゃくの味噌漬け、木耳の佃煮などを求めるのでしたバスの写真も撮り忘れたようでw無事に駅について渋谷に帰るハンサム団なのでした。この二日後には高尾山薬王院、川崎大師、成田山新勝寺とまわるのでした明日は雨でもお不動に出かけます聖天様用に大根を二本買ってあるのでしたwいつもありがとうございます
2025年09月27日
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小さい千尋は云うのでした「おじいさん、ご先祖様がわかったんですね」「拙者の血のつながったご先祖様は内藤つるさんというんだ」「その神社なら新宿にありますよ」ということで新宿は内藤町にやってくるのでした。「おじいさんは方向音痴なんです。慎重に行きましょう」「ふむ、取り敢えず新宿方向に歩いてみよう」「千尋、多分こっちである」「おじいさん、ただの住宅街じゃないですか」「いや、あそこが光っているのである」「おじいさん、ありましたよ」「ふむ、歓迎されている感じがするのである」「おじいさん、公園と一緒になっているんですね」「ふむ、公園や幼稚園と一緒のところが多いよ」「とても手入れが行き届いているね」「はい、とても綺麗で清々しいです」「千尋、水道なんだろうがお水がとてもいいね」「はい、何が違うんでしょうね?」「小さいのに御神気がすごいね」「大國魂神社の境内社のようです」拝殿にお参りをしてこちらの大国主さんと弁財天さんにお参りをするのでした。帰って調べたら八幡社も合祀されていたようです。「おじいさん、馬が死んでしまったのですか?」「ふむ、無理をさせてしまったようだね」「千尋、昔はうちにも馬がいたんだよ。どれ、お世話になった数々の馬に御礼を云おう」このあと歩いていたら新宿御苑に着くのでした。しばらく散策しながら神社を探すのですが渋谷駅行のバスがきたので乗るのでした。「おじいさん、新宿御苑って内藤家の邸宅だったところですよ」「ふむ、案内してくれたのかね?」「鳩森神社の近くですから今度はふたつ回りましょう」「ふむ、実はもうひとりのご先祖様は遠藤さんというんだよ」「鳩森神社と縁が深い家ではないですか」「鳩森神社も出先で偶然見かけたんだよ」「おじいさんは、鳩森様が好きですもんね」「やっぱり呼んでくれたのかね?」なんとなくご先祖様に感謝するのでした。
2025年09月27日
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「とうちゃん、十八日だぞ」「ふむ、お酒をもってお参りにでかけよう」ということでふたりは九段にやってくるのでした「今日は人が少ないね」「ふむ、まだ暑いのである」といっても靖国ですから人はいっぱいいるのでした「とうちゃん、今日は白いたまが見えないぞ」「ふむ、お盆はやっぱり霊が多いのかね?」「どうなんだろうね?」お浄めをして先に進むのでしたハンサム団はお酒を奉納するのでした。一応玉串料は用意しているのですが忙しそうなんでお酒の奉納だけにするのでした御神饌は辞退させて頂くのでしたみんなと並んで拝殿にお参りをするのでした鳥居を出て写真を撮り忘れたことに気づくのでしたハンサム団は大山に行ったり薬王院に行ったりで大忙しなのでした祥之介はもうすぐ誕生日なのでした
2025年09月25日
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ハンサム団は相談するのでした「とうちゃん、豊川稲荷に御礼にいっていないぞ」「ふむ、御礼は大切なのである出かけよう」ということで半蔵門線に乗って永田町駅で降りるのでした手水舎でお浄めをするのでした男みくじをひいてみるのでした本殿にお参りをするのでした中からお経が聞こえてきたのでしばし聞いてみるのでした融通稲荷にお参りをするのでした「とうちゃん、銀行を辞めるのは悪縁切か?」「ふむ、いつやめるのか迷っ ていたのであるそうしたらコロナになったのである」「それならアマビエのおかげじゃないか」「ふむ。けれどここにお参りをしたら会社から電話がかかってきたのである」「もうすぐ定年だしな。そろそろ次のこと考えた方がいいよ今日は良縁をお願いしよう」「とうちゃん、最近ご縁のある弁天様だぞ」「ふむ。おんそらそばていえいそわか なのである」「とうちゃん、ここにきたら大黒様にもお参りだろ」「ふむ。おんまかきゃらやそわか なのである」「家にいる布袋様だぞ」「ふむ。おんまいたれいやそわか 弥勒菩薩真言なのである」奥のみっつ並んだところにお参りをするのでしたいつも手を合わせるのか、再拝一拍手一拝なのか悩むのでした「とうちゃん、お世話になっている毘沙門天さんだぞ」「ふむ。おんべいしらまんだやそわか である」「最近できた不動明王だぞ」「ふむ、なんでもあるのであるのーまくさんまんだーばーざらだんせんだまーかろしゃーだーそわたやうんたらたーかんまんなのである」豊川稲荷でお参りを終えたハンサム団は美喜井神社にやってくるのでしたこの日は暑かったので日枝神社には寄らず帰るのでした渋谷ではお祭りの準備がおこなわれているのでした次の日、お祭りで交通規制がかかる道玄坂をすり抜けながら乗り合いバスに揺られてお墓にでかけるのでした大きな人にも挨拶をするのでした長いこと大切にしていたくま三尊がいなくなっているのでした大切に供養して頂いて感謝するのでしたいつもありがとうございます。今日はいきなり涼しいです
2025年09月16日
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「とうちゃん、品川には水の神社が結構あるらしいぞ」「ふむ。昔はあそこら辺は海だったそうである」「荏原神社に行ってみようよ」ということで新馬場という駅にやってくるのでした「とうちゃん、品川神社もあるところだそ」「ふむ、荏原神社のあとに寄ろうではないか」「荏原神社は無事に行けるかな?」「川沿いだそうであるから大丈夫だと思うのである」「とうちゃん、赤い橋があるぞ」「ふむ、たぶん着いたのである」「「小さい神社なんだね」「ふむ。けれどいい感じである」早速手水舎でお浄めをするのでした狛犬さんも素敵です「とうちゃん、狛犬っていろいろあるんだね」「ふむ。どこの狛犬もいいのである」並んで拝殿でお参りをするのでした恵比寿様と思われる人がいるのでした「とうちゃん、品川神社の大黒様と対になっているのかな」「ふむ、そうかもしれないね」帰ろうとすると横に三つ並んだものがあるのでしたひとつずつお参りをするのでしたハンサム団は街道を逆に進んでしまうのでした「球磨之介、駅のまんまえだったけ?」「しばらく来てなかったからな」「来てみれば見覚えのある信号である」「球磨之介。思うに大黒天と云った時点でもう日本の神様ではないと思うのである」「やっぱり習合していた方がいいよな」「なんで神田神社も神田明神としか呼ばれないかわかるのである」「神田神社なんて云っている人は聞いたことがないよ」ここは浅間神社の本宮かと思ったら猿田彦さんの神社なのでした奥さんの鈿女さんにお世話になっている御礼をいうのでしたなんの神社か忘れましたがお参りをするのでした無事帰るとありますので浅間神社なのかな?とても立派な神社なのでした手水舎に河童がいたのですがコロナで大幅に手水舎が変わっていたのでした拝殿で天津祝詞を唱えてお参りをするのでした暑い午後だったこともあって人がいないのでした忠魂碑にお参りをするのでしたここは稲荷社だったかな?鳥居を下っていくと素敵な神社があるのでした「とうちゃん、ここのお水はいいね」「弁天社みたいな感じなのである」とっても素敵なお水でいろいろお浄めをして帰路をとるハンサム団なのでしたそうして帰りの電車も逆に乗って横浜に着いてしまうのでした……「球磨之介、京浜東北で帰るか?」「お金がかかるから素直に戻ろう」回り道ばかりのハンサム団なのでした
2025年09月10日
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球磨之介は云うのでした「とうちゃん、秋は雨も多いしお坊さんに薬王院に行くように云われているんだろなるべく早く行動しようよ」「ふむ。それでは武蔵御嶽神社に行ってみよう」「今年は真言をあげながら登らなければいけないんだろ?」「ふむ。一度正式に参拝もすることにしたのである。なので昨日やまやさんで一升瓶を仕入れてきたのである祝詞も真言もあげられる山岳信仰、修験道はとてもいいと思うのである」ふたりは不動明王真言を唱えながら坂をくだっていくのでしたふたりは汽車の中で相談するのでした「とうちゃん、蔵王権現様は釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の合体だそうだぞ」「弥勒菩薩の真言は布袋様と同じである。釈迦如来は覚えているのである」「それじゃ千手観音菩薩の真言を覚えながら行こう」おん ばざら たらま きりくを唱えながら青梅に着くのでした青梅で乗り継ぎに時間がかかるのでした。そうしてやっと御嶽駅に着くのでした。バスに乗ってケーブルカーの駅に着くのでした。待つ間に名物きび大福をもとめるのでした。「行きに買っておかないと帰りには売り切れているのである」ハンサム団は蔵王権現真言を唱えながら進むのでした。「とうちゃん、いよいよ入るぞ。一切成就祓を唱えながら一の鳥居まで行こう」きわめてきたなきもたまりなければきたなきとはあらじうちとのたまがききよくきよしともう~すと唱えながら進むのでした「とうちゃん、一の鳥居だ。天津祝詞を唱えろ」「ちょっと待って頂きたい」「どうした?」「思いっきり息が切れたのである」「まだ入り口だぞ」「想像はしていたけれど真言あげながら登るって大変だな」「とうちゃん。行者はバスやケーブルカーは使わないんだぞ。普通の大変さの三分の一じゃないか」「ふむ。まあ倒れることもないと思うのであるこないだの40度の方が大変だったのである」たかあまはらにかむずまります かむろぎかむろみのみこともちてすめみおやかむいざなぎのおおかみつくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらにみそぎはらいたまうときにあれませるはらえどのおおかみ……長いから省略しますが、ふたりで仲良く唱えて鳥居で礼をして「鳥居の神様お祓いください」と言って入るのでした。「とうちゃん、来年は鳥居の祝詞も覚えてこよう」ふたりはずーっとおん ばき ゆう そわかおん ばき りゅう そわか の方が一般的なのかもしれませんが修験道の人に従いましたひたすら おん ばき ゆう そわか なのでした「とうちゃん。お地蔵さんだぞ」「全部地蔵菩薩であろうか?」「なんて書いてあるかわからないぞ」おんかかかびさんまえいそわかと唱えて先に進むのでした「とうちゃん、御神木には何を唱える」「三種太祓でいいかな?」とほかみえみため かんごん しんそん りこん だけんはらいたまえ きよめたまえ「とうちゃん。手水だぞ」「ふむ、一切成就祓と弁財天真言を唱えよう」「ここから祝詞に切り替えようよ」最初にひふみ祝詞から初めて登っていくのでした次の鳥居からは布留の言と十種神宝を唱えて登るのでした「とうちゃん、ここから各種真言にしようか」知っている真言を三回ずつ唱えながら登っていくのでした「とうちゃん、お稲荷さんだ」「ふむ、稲荷祝詞はまだ覚えていないのである」普通に再拝二拍手一拝でお参りをするのでした「とうちゃん、最後の鳥居だぞ」「ふむ。蔵王権現の真言に戻そうかね」ずーっと おん ばき ゆう そわか を唱えながら登るのでした「球磨之介、社務所が見えてきたぞ」「もうすぐだダッシュしていこう」「無理である。なんだかお腹が筋肉痛である」ハンサム団は呼吸を整えながら登っていくのでした仲良く拝殿にお参りをするのでした「とうちゃん、お酒を奉納して参拝の申し込みに行こう」「すいません、昇殿参拝はお願いできますか?」「少しお待ちいただければ大丈夫ですよ」「とうちゃん、なんだか節目になりそうな年だな」「ふむ。そう思うのである。なので正式参拝である」しばらくして中に通されて参拝が始まるのでした「とうちゃん、もうひとり正式参拝の人がいるね」「ふむ。今日は空いているし、気温も25度しかないのである」「ちょっと肌寒いね。それとかなり他の神社と違うな」「祓詞は同じだけれど、祝詞が独特だね」正式参拝が終わって奥に参拝に行くのでした神様の長屋みたいなところにお参りをするのでしたコロナでなくなった蔵王権現の蝕拝所が懐かしいのでした。どこがどこだったかよく覚えてないんですがここは天照様だったと思います。十言神呪を唱えてお参りをするのでした各所に本地仏の真言をあげるのでした。そうしてひたすらお参りをするのでした天神社だけは本地がいっぱいありすぎてわからないので十一面観音菩薩真言でお参りをするのでしたいっぱいありすぎてよく覚えてないのでしたとにかくお参りをするのでしたお参りをするのでしたとにかくいっぱいあって楽天の機能もあまりよくなくて全部載っているかわからないですし だぶっているかもしれません「とうちゃん、さすが平日だ」「ふむ、誰もいないのである」「それじゃ、知っている祝詞と真言を全部唱えろ」「ふむ、人がいないから普通に声を出すのである」一切成就祓、天津祝詞、三種太祓、十種神宝、布留の言不動明王、大日如来、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来聖観音菩薩、十一面観音、千手観音、普賢菩薩、地蔵菩薩毘沙門天、弁財天、大黒天、吉祥天、摩利支天他「とうちゃん、人がいないといいな」「ふむ、気をつかわなくていいのっである真言や祝詞をあげる素人は大嫌いなのである」御神体なのでした。「とうちゃん、帰りは蔵王権現の千手、釈迦、弥勒と真言を唱えて帰ろう」「ふむ、ここから千手観音菩薩真言を唱えよう」「鳥居が見えたから釈迦如来真言に変えよう」次までがすごく長くて死にそうになるのでしたw最後に弥勒菩薩真言を唱えて戻ってくるのでしたケーブルカーを待っているのでした「球磨之介、なぜか背中とお腹が筋肉痛である」「真言って腹筋使うんだな」ケーブルカーがやってくるのでしたなるべく金剛合掌を保ったので肩も痛いのでした三日後に整体に行ったら「どうしたの?首から背中股関節、足首までずれているわよ」「実は山に行ってきました」「荷物の持ち方が悪かったのかな?日頃運動していないんだから前後にちゃんと準備運動しなきゃ」「それが金剛合掌をして真言をあげながら登ってみたんです」 「何を考えているの?w そんなことしたら身体を痛めるわよ」と云われたので今度大山に行くときは金剛合掌はやめようと思うのでした。いつもありがとうございます、写真が多すぎてうまくアップできていないかもしれません。
2025年09月07日
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ハンサム団は相談をしているのでした「とうちゃん、三日から雨が続くようだぞ」「ふむ。それでは予定を早く済ませて二日午後に出かけよう」高幡不動にやってきたハンサム団は拝殿で天津祝詞、小野稲荷神社にはまだ不完全な稲荷祝詞略詞を唱えてお参りをするのでした駅でお供物を求めて常香炉でお線香を求めて上杉堂にお参りをするのでした。「とうちゃん おん あろりきゃ そわか だ」ここではお手綱を合わせた手に挟んで「のーまくさんまんだあー ばーざらだーせんだーまーかろしゃーだー そわたやうんたらたーかんまん」なのでした。「球磨之介。如意輪観音菩薩真言とかまだ覚えていなにである」「虚空蔵菩薩真言だけはすぐにでも覚えろよ」「おん あびらうんけん ばざら だとばん」大日如来の真言だけで済ませるのでした続いて本堂でも大日如来真言を唱えるのでした。「のーまく さんまんだー ぼだなん あびらうんけん」「とうちゃん、大日如来のこの真言はどういう風に使い分けるんだ」「不動明王の真言に続いて唱えているのを聞いたよ」「のーまくさんまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃーだーそわたやうんたらたーかんまんのうまくさんまんだーぼだなんあびらうんけん」よくわかっていないのでした六地蔵さんにはおん かかかび さんまえい そわかなのでした。いつも円山地蔵さんに唱えているので大丈夫なのでした「とうちゃん、聖観音様には おん あろりきゃ そわか だ」本日二度目のおんかかかびさんまえいそわかでした「球磨之介、歓喜天は覚えていないのである」「虚空蔵菩薩真言と光明真言が優先だ」ここは 南無大師遍照金剛 なのでした「とうちゃん、八十八番はお薬師さんらしいぞ」「ふむ、川崎大師でおなじみなのであるおん ころころ せんだり まとうぎ そわか である」虚空蔵菩薩堂では書いてある真言を読むのでした手水舎でお浄めをしなおして先に進むのでした「とうちゃん、お坊さんの真言もあるんだろうね」「なんでもあるからきっとあると思うのである」こちらは普通に柏手を打ってお参りをするのでした。きょう二回目のおんあろりきゃそわかなのでした。ここで三時のお護摩が始まったので不動堂にあがるのでした「とうちゃん、般若心経も覚えなくちゃだめなのかな?」「便利だけれど、高幡不動で読まれるお経だったら観音経の方が好きなのであるそれに理趣経を覚えろと云われているし、百字の偈が先である」お坊さんと一緒に不動明王真言を唱えたあと不動堂と小さな人にお参りをするのでしたそうして弁天堂におん そらそば ていえい そわかと唱えて護摩木を書きにいくのでした今月は当病平癒でまりあもにかさん、るびーありすさん、きてぃさん、みるぷぷさん、めろんさん、ろぜさん。心願成就でちゃおりんさん、ぽにょたさん、まるまるぼんぼんさん、同僚女性(今月で会社を辞めたのでお札を書くのも最後にしますので御礼と書きました)みなさん気候も気温も不安定なのでお身体にお気をつけください。
2025年09月05日
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ハンサム団は除霊整体が終わって高島町にいるのでした。「とうちゃん、どっかの神社によって帰ろうよ」「ふむ。それでは横浜まで歩くことにしよう」「今日も暑いぞ」「ふむ。十分も歩くとルミネのところに着くのである」そうして相談した結果田町にやってくるのでした。「実はね母方の家の近くの神社は高房神社というのである」「藤原高家さんと房家さんを祀っていると書いてあるぞ」「ふむ。一度藤原さんに挨拶をしたいのである」「藤原さんはいろいろ分かれているから難しいぞ。春日神社はどうだ?」「健康診断の帰りに歩いていたらあったのでお参りしたのである慶応大学の隣だったと思うぞ」「それじゃ藤房さんを祀った神社があるぞ。鹿嶋様つきだ由緒が怪しいけれど。なんでもいきなり出家しちゃったらしいぞ」「ふむ。なんかいい人そうなんで行ってみよう」何やら狛犬のようなところを曲がると見えるのでした写真で見ると大きく見えるかもしれませんがこじんまりとした神社です芝浜囃の碑だそうですここいら辺は落語芝浜の舞台になった辺りなんだそうです元は違う神社だったんですが人間の都合で鹿嶋神宮と美穂神社が一緒になったようです渋谷でも豊栄稲荷が道玄坂辺りの豊澤稲荷と渋谷川のところにあった田中稲荷を一緒にしたものです狛犬さんも素敵ですとっても素敵です手水者もとても素敵ですいくつか祝詞を唱えて 拝殿にもお参りをするのでした駅に向かっていると渋谷行のバスが見えるのでした「とうちゃん、田町のバスだぞ」「ふむ。結構本数があるんだね」「とうちゃん、恵比寿にも氷川神社があるぞ」「ふむ、あまり聞かないね」「他にも神社や寺がいっぱいあるぞ」日本には本当にいっぱい神社があるもんだと思う祥之介なのでした
2025年09月01日
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「とうちゃん、十八日だから靖国にいこう」「ふむ、お参りはどうしようかね?」「お寺のご供養にするんじゃないのか?」「いろいろ予算の都合もあって両方はきついのである」「お酒を奉納するところが多いから酒代だけでもつらいよね」ということでふたりは地下鉄に乗り継いで九段下にやってくるのでした「とうちゃん、相変わらず暑いな」「暑いけれど四十度のときとはちょっと違うのである」「とうちゃん。かわいい小学生がいっぱい歩いてくるね」「ふむ。来年は寛子の娘が学校かね?」「じいちゃんはランドセルを買わねばならぬのであ~る」「お金がないのであ~るなのである」ハンサム団は考えるのでした「なあ、球磨之介。写真に写る白い球のようなものは前から写るのである。ところがな、先月からこのオーブと呼ばれるようなものがここでは写真に撮らなくてもハッキリ見えるのである」「なんなんだろうな?」「ふむ。なんなんだろうね。聞いたらね『見てみないとわからないけれど、生きている人死んでいる人に関係なくここにお参りにきた人の念のようなものに思うんだけれど』と云われたのである」「確かに靖国にくる人はやっぱり特別な気持ちでくるだろうからね。田舎だったらそうそうこられないだろうしね」「今の若い人だって外国の人だって、すごく真面目にお参りをしている人が多いしね」「何しろ悪い感じはしないし、悪いものではないようだよ」「靖国に恋愛成就とかで来る人もいないだろうしな」持参したお酒を奉納するのでした。「今日はお参りはいいんですか?」と知っている巫女さんに言われるのでした。「とうちゃん。戦争するんだったら人間だけでやってほしいよ」「ふむ。戦争になったら犬も馬も戦場である」「靖国はちゃんと馬や犬の像も作ってくれて有難いな」今月は落雁と小さなお札を頂くのでした。ふたりはみんなと並んでお参りをするのでした「とうちゃん、戦前も戦中も戦後もみんなお参りをしてたんだよね」「きっと未来永劫みんなお参りをすると思うのである」お参りを終えたふたりは鳩森八幡神社にやってくるのでした「とうちゃん、千駄ヶ谷にくるなら市ヶ谷まで歩けばよかったな」「ふむ、ちょっといきたい神社があったんだけれど迷いそうだからやめたのである。大変暑いので危険である」各所にお参りをして、古い根付などを返して渋谷に帰路をとるハンサム団なのでした。今日は一日で気温と相談して御祈願に行こうと思っています。もしかしたら三日くらいになるかもしれません。いつもありがとうございます。
2025年08月31日
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ハンサム団はいつものようにたくらんでいるのでした「とうちゃん、御先祖様がちゃんとわかったんだお寺にいこう」「ふむ、あと佐藤家と内藤家をご供養すれば大体いいと思うのである」そうして地下鉄にゆられて門前仲町にやってくるのでした。「球磨之介、失敗したのである異常な込み具合である」「とうちゃん、富岡八幡宮のお祭りみたいだぞ」「おみこしが見られるぞ」「ふむ、目的はお参りなのである」混雑していて歩きにくいのでした……「なんだかお寺も混んでいるぞ」「うう……人込みは渋谷で懲り懲りなのである」「毎日歩けないほど外人さんがやってくるもんな」最初に右側のお寺にお参りをするのでした「球磨之介、下町の人は楽しそうだね」「お参りの人も多そうだけれどお祭りだから地元の人も多そうだね」「子供の頃はお祭りも楽しかったのである」お塔婆供養の申し込みをしてお酒を奉納するのでした準備ができるまで表をお参りしてまわるのでした本堂の大きな不動明王にみんな真言をあげるのですがやっぱり上手くいえないのでした祥之介が のーまくさんまんだ ばーざらだん せんだーまーかろしゃーだーそわたや うんたらたーかんまん と唱えたらなぜか拍手と歓声がおこるのでした……「とうちゃん、不動明王の真言は長いからな」「ふむ。のうまく さんまんだ ばあざらだん せんだ まあかろしゃだ そわたや うんたらたかんまん と書いてあるのである。節がわからなかったら難しいのである」「とうちゃんも最初はしごろもどろだったもんな」「真言をあげる素人なんて大嫌いなのである」「じゃあなんで真言を覚えたんだよ」「お坊さんにちゃんと唱えろと云われて教えてもらったのであるなので唱えないわけにはいかないではないか」ご供養をしてくれたお坊さんに今度は理趣経を覚えろと云われるのでした……「長いのでちょっと無理です」と云ったら 百字の偈を覚えるようにと云われるのでした……その前に稲荷祝詞略詞を覚えてお祭りまでに奏上しなければならないのでした祝詞は読むものらしいので読めばいいのですが折角だから覚えることにしたのでした祥之介は非常に難儀なのでした……
2025年08月27日
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ハンサム団はたくらんでいるのでした「とうちゃん、産土さんに近況を報告しにいこう」「ふむ、しばらく行っていないので出かけよう」最初に川崎総鎮守の稲毛神社にやってくるのでした「ここは武御雷と山王様がいるのである」「とうちゃんに縁がある神社の親戚だ」狛犬さんのところの手水でお浄めをするのでした「とうちゃん、祓の祝詞を唱えろよ」「一切成就の祓でいいかな」「きわめてきたなきも たまりなければきたなきとはあらじうちとのたまがき きよくきよしともうす……」 「とうちゃん、こっちの狛犬さんにも祝詞を唱えろよ」「短いのがいいかね?三種太祓でいいかね」「とほかみえみためかんごん しんそん りこん だけんはらいたまえ きよめたまえ 」「とうちゃん、拝殿には天津祝詞だ」「たかあまはらにかむずまりますかむろぎかむろみのみこともちてすめみおやかむ いざなぎのおほかみつくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらにみぞぎはらいたまうときにあれませる はらえどのおほかみたちもろもろのまがごと つみけがれを はらひたまえきよめたまえともうすことのよしをあまつかみ くにつかみ やおよろずのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみ まもぉおぅす~」「ひふみ祝詞と十種神宝 布留の言もやれ」「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆいつはぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせうぇほれ~け~おきつかがみ へつかがみ やつかのつるぎいくたま たるたま まかるがえしのたま ちかへしのたまおろちのひれ はちのひれ くさぐさのもののひれひふみよいむなやここのたり ふるべゆらゆらとふるーべぇ~~」「とうちゃんは神職の人に 布留の言 ひふみ祝詞 とことのかじりを覚えるように言われたんだろ?」「ふむ。一か月目に布留の言 これは一日二時間から五時間くらい唱えられたよ二か月目 ひふみ祝詞 これも二時間から五時間くらい唱えていたよところがとことのかじりは続かないんだよ」「アマテラスオオミカミって唱えるだけなのになもっともとうちゃんは アマテラスオオカミと呼んでいたからアマテラスオオミカミに直すのに三日くらいかかっていたな」「ふむ とことのかじりは難しいのである」「とうちゃん、ここは山王系だから真言もありだろ」「ふむ、それじゃ天照様からいくか胎蔵界大日如来か十一面観音であるねおん あびらうんけん そわか でいいのかね?おん そけい じんばら きりく そわか八幡様は阿弥陀如来だったけ?おん あみりた ていせい からうん だったっけ?」お参りを終えたハンサム団は仲見世を通って駅に向かうのでした「とうちゃん、大黒天だぞ」「ふむ、おんまかきゃらやそわか………」一行は天津祝詞を唱えて若宮八幡宮にお参りをするのでした「とうちゃん お稲荷さんの真言は覚えたか」「簡単なのをひとつ覚えたのであるおん きりかく そわか なのであるがなんでも ダキニ天様 死んだら私の体あげます みたいな意味らしいのである」「稲荷ってなんか不自然だよな」「ふむ 水の神様の神社みたいな神気の稲荷神社が結構あるのである」「伏見稲荷の元の神様ってどんな神様なんだろうね」四時前なのにお寺が閉まっているのでした橋を渡ってお釈迦様にお参りをするのでした釈迦如来の真言はまだ覚えないことにしているのでした大好きな聖観音に おん あろりきゃ そわか なのでした「もうすぐ閉めますよ」「すいません、おんころころせんだりまとうぎそわか……」急いで真言を三唱して帰るのでした最後に忠魂碑にお参りをして帰路をとるのですが 久寿餅屋さんも終わりそうなのでしたなんとか残っているものをもとめて渋谷に帰るのでした川崎大師では商売ができないと思うのでした
2025年08月24日
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ハンサム団は球磨之介のお墓に出かけるのでした。「とうちゃん、相変わらず暑いぞ」「ふむ。この間のように動けなくなると困るのである」「日陰を選んで休み休みいこう」ダキニさんからお参りを始めるのでした。本殿にお参りをするのでした。この日はお盆の入りで球磨之介の月命日なのでお寺は混雑しているのでした。水行菩薩様の水を汲みにいくのでしたそうしてお参りをするのでした。大きな人に挨拶をしていくのでした「球磨之介、ゆうみさんが書いてくれたものがあるのである」「ここはなんでも丁寧に扱ってくれるね」動物のご葬儀は東宝前の動物霊園をお勧めします。この日はライターがきれていてお線香なしなのでした。渋谷に戻る乗り合いバスの中で相談するのでした。「とうちゃん、十一面観音をすすめられていただろ」「ふむ。西新井大師が有名らしいよ」「今からだと到着が夕方になるぞ」「それじゃ麻布の十一面観音様が立派らしいのである」「渋谷からバスで青山六丁目ならすぐだぞ」「ふむ。あそこら辺はややっこしいのである」「けれど今からなら迷っても大丈夫だよ」「けれど暑いのである。迷ったら命とりである」渋谷からのバスはとても本数があるのですぐ着きました。「球磨之介。大きなお寺だから見えないかね?」「見渡す限りは見えないぞ」「ちょっと横丁をのぞいてみよう」「とうちゃん。真ん前にあったぞ」「溜池に行くときに通る道にこんな立派なお寺があったんだね」「本当である。こんな立派なお寺なかなかないのである」手水者でお浄めをするのでした。「地蔵菩薩さんだぞ」「ふむ。おんかかかびさんまえいそわか……」「ここは休憩所であろうか?」「とうちゃん、稲荷社らしいぞ」「本当である。中に神棚みたいなものがあるのである」仲良く柏手をうってお参りをするのでした。「とうちゃん、立派な鐘と聖観音菩薩様か?」「ふむ、おんあろりきゃそわか……」「これは地蔵菩薩様だよな」「ふむ。おんかかかびさんまえいそわか……」こちらが本堂のようです「暑いから冷気が出ないように閉めているのかな?」「遠くて見えないけれどあれが十一面観音様かね?」「ご真言を…って曹洞宗でありか?」「記事によっては臨済宗になっているぞ。どちらにしろ禅宗だね」「唱えているお経なんかをみると真言も大丈夫そうだぞ」「おんろけいじんばらきりくそわか……」お参りをしたのですが誰だかわからないのでした……あとで記事を読んだらこっちに十一面観音様がいるらしいのでした。なんでもとても大きくて立派だそうです帰りのバスの中で話すのでした。「とうちゃん。今度は大きな観音様をゆっくり見ような」「ふむ。近くにこんな立派なお寺があるのである」「赤坂に行くときは手前だから寄ってからいこう」仲良し親子は無事に渋谷に帰っていくのでした。いつもありがとうございます。
2025年08月17日
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「とうちゃん。お守りを返しにいくんだろ?」「ふむ。けれど今日は気温が39度もあるのである」「ちょっと歩くだけじゃないか。病院の帰りに寄ろうよ」ということでふたりは病院にいって更に年金事務所にでかけて、バスで溜池山王で降りるのでした。すでに祥之介は汗だくなのでした……「とうちゃん、日枝神社は工事中なんだな」「ふむ、しかし暑いのである。歩くのが辛いのである」「とうちゃん、このお守りの人の願いが叶うようにお願いしよう」「ふむ、お守りがなくなるとよいといわれているのである。病気で困っているなら健康に恋人に困っているなら恋人をお金に困っているならお金持ちに……あとはなんであろうか?」「美味しいごはんとおやつだ」「それにしても暑いのである。人もいないのである」「おい!とうちゃん。41度をこして42度にせまる勢いらしいぞ」「ふむ。山など絶対いけないのである」「お猿のおかあさんにお参りをしよう」「おとうさんにもお参りをしよう」このあと拝殿のすみで天津祝詞、ひふみ祝詞を唱えてみるのでした。「とうちゃん、山王権現真言もあるみたいだぞ」「どんなのであるか?」「おん ここだや そわか だそうだぞ」「本当であるか?」猿田彦神社と八坂神社にもお参りをするのでした。美喜井神社にくる途中で祥之介は倒れそうになるのでした。「とうちゃん、お守りは返したんだ。無理しないで帰るか?」「頑張るのである」お線香をたいてお参りをするのでした。暑いので人もまばらなのでした。ろうそくをもとめて水戸の娘の肺病が治るようにお願いするのでした。「とうちゃん、大黒天の真言は覚えたんだろ?」「ふむ。おんまかきゃらやそわか である」この日は融通銭は頂かないのでした。「おい、とうちゃん。最近よく呼んでくれるんだからお礼をしろ」「ふむ、おんそらそばていえいそわか……」「とうちゃん、普段はお参りをしないけれど悪縁が切れるようにお参りをしよう」お参りを終えて表に出たところで電話がかかってくるのでした。「祥之介さん、病状を教えてください」「はい、回復の見込みがないので退職しようと思っています」「とうちゃん、豊川稲荷の縁切りはすごいな」「ふむ、偶然とはいえ出てすぐ縁が切れたのである」次の日は除霊整体にでかけるのでした。「とうちゃん、最近はすっかり普通の整体になったな」「ふむ。こちらもいろいろ覚えたのである」「こまかいのは自分でも祓えるようになったのである」「球磨之介。帰りにお水を汲んでいこうと思うんだよ」「丁度東横線だからとうちゃんが昔住んでいたところにお礼にいこうよ」「ふむ、大倉山はこの間いったのである。それでは元住吉の木月住吉神社に行こう」「十か所の神社を一緒にしたからほとんどの神様がいるぞ」「球磨之介、拙者はここで暮らしていたのである。今は清友ハイツとあるが前は清友荘でトタン張りの安アパートだったのである」「かあちゃんに聞いたことがあるよ、お寺にきたときに寄ったんだろ」「ふむ、竹子に『こんな汚いところに住んでいたの』と云われたのである」商店街を歩いてみるのですが知った店がマルエツだけなのでした。「とうちゃん、なかなかいい神社じゃないか」「ふむ。お祭りの時的屋の兄ちゃんとにらみあいになったのである」「袋叩きにされたか?」「違うのである。『かっこいいリーゼントですね』と云われてラムネを買ったら彼女の分をおまけしてくれたのである」「とうちゃん、金髪でリーゼントだったんだろ」「それがな七色にしていたのである。ストレイキャッツのファンだったのである」お浄めをしてお水を汲むのでした。「なあ、球磨之介。なんでこんなに楽しくないのであろう?あの頃は飯だって喰えなかったし貧乏だったのである」「それはとうちゃんが好きなことをやらないからだよ。仕事がないっていったってあの頃の方が仕事がなかっただろ」「ふむ。金髪の七色リーゼントの仕事は夜中の交通誘導くらいかな?」「コンビニだってバンドマン禁止だったんだろ」「ふむ。今は六十だけれどいろいろな仕事が選べるよ。給料もそこそこ頑張ればそれなりになるのである」「とうちゃん、もうそんなに長くないんだ。好きなことばかりはできないかもしれないけれど嫌なことはもうやるなよ」「そうであるな。あんまり長く生きられそうもないし年金ももらおうと思うんだよ。今度バンドをやろうと思っているのである」「なかなか人が集まらないしな。昔の歌謡曲とかなら人は集まるぞ」「とうちゃん、とうちゃんの青春はすごくいい青春だったんじゃないか」「ふむ。多分人も羨む青春だったんだろうね」「今は幸せそうに見えないと思うよ。もっと自分を輝かせろよ」地下から入る駅も高架とともに二階になっているのでした。「球磨之介。拙者がここに住んでいるころは踏切番がいたのである」「今だって東武線とかにはいるらしいぞ」「もっと子供の頃は踏切が手動だったのである。ガラガラ回していたのである。今の子供が見たらビックリである」祥之介は思うのでした。十年前だって年寄りだと思ったのですが、今はもっと年寄りなのです。もう髪を切るのはやめようと思うのでした。きっと今度はいいことばかりあると思うのでした。
2025年08月12日
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「球磨之介。白いところが多いのである」「データーがなんとか復旧したんだ。文句言うなよ」ハンサム団は御祈願に出かけるのでしたそれはいいのですが写真のデーターが壊れたのでしたまずは手水舎でお浄めをするのでした常香炉でお線香をもとめるのでした常香炉でお線香をもとめるのでした不動堂にお参りをするのでした権現社にお参りをするのでした本堂にお参りをするのでした六地蔵産に御真言を唱えるのでした聖観音菩薩様にも御真言を唱えるのでした地蔵菩薩様にもおんかかかびさんまえいそわかなのでした聖天堂に大根を供えるべく京王ストアに買いに行ったら切った大根しかなかったのでした……大師堂では南大師遍照金剛なのでしたお薬師さんにはおんころころせんだりまとうぎそわかなのでした虚空菩薩様の御真言は長いのでまだ覚えていないのでした線香で汚れた手を洗うのでしたお坊さんにもご挨拶をするのでしたお稲荷さんにもお参りをするのでした大きな人にはおんあろりきゃそわかなのでしたこのあと二時半のお護摩が始まったので不動堂にあがって不動明王真言をお坊さんに合わせて唱えるのでした護摩修業が終わって小さな人と不動堂にお参りをするのでした今月の護摩木は心願成就でぽにょたさん、ちゃおりんさん、まるまるぼんぼんさん、同僚女性當病平癒でめろんさん、ろぜさん、まりあもにかさん、るびーありすさん、きてぃさん、みるぷぷさん、みんささま暑いのでお大事にしてください。「すいません、お守りを落としましたよ」「とうちゃん。なんでとうちゃんなんだ?」「ふむ。お守りお届け人と呼んで頂きたいのである。どれ? 日枝神社のお守りではないか」「明日は赤坂見附か」御祈願を終えたハンサム団は大國魂神社の鈿女さんにお礼にやってきたのでした。「とうちゃん、人がいないぞ。いまだ!」天津祝詞、ひふみ祝詞、十種神宝、布留の言を唱えるのでした。手水舎でお浄めをして拝殿にお参りをして渋谷に帰路をとるハンサム団なのでした。今日は病院に行ったあと赤坂に行こうと思っていたのですが、写真の復旧に半日かかってしまったのでした。明日は病院に行って赤坂見附によって、銀行に行って辞めることを伝えようと思うのでした。
2025年08月04日
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「とうちゃん。十八日だから靖国に出かけよう」「ふむ、お酒を買ってでかけよう」ハンサム団は九段下に到着するのでした。「球磨之介。お手ぬぐいを忘れたのである」「とうちゃん、とめさんの手拭いが売っているぞ」「知覧の母、陸軍特攻隊の大恩人であるな」お手ぬぐいを買って進むのでした。「とうちゃん、今日はすいているね」「ふむ。またいたずらをした人がいるみたいだね」「鳥居のところが厳重になっていたね」「ふむ。靖国が嫌いでも変なことをするのはよくないと思うのである」「とうちゃんは靖国は好きか?」「ふむ。あまり神社という感じではきていないのである。戦没者に対して哀悼をあらわすところである」「まだみたま祭りの片づけ中だね」「ふむ。業者さんも忙しそうなのである」拝殿が見えてくるのでした。正式参拝を申し込もうと中に入ると『次の御祈願は二時四十分です』と書いてあるのでした。「とうちゃん。二時間近くあるぞ」「ふむ。お酒だけ奉納して帰ろうかね」「すいません、美しい巫女さんお酒を奉納したいんです」「はい、こちらでお受けします。こちらの紙に記入をお願いします」祥之介は住所や電話番号を書くのでした。「こちらは撤下神饌です」「えっ!お酒を奉納しただけでこんなに頂いては……」「とうちゃん。出されたものを返すのは失礼だぞ」ハンサム団は恐縮しながら頂くのでした。「球磨之介。お酒の奉納でこんなにいっぱい頂いては悪いのである」「羊羹と昆布が入っているぞ」「顔を覚えてくれてる人はサービスしてくれるのかね?」有難く頂くのでした。祥之介は小さい鳩をいつも気の毒に思うのでした。「球磨之介。靖国も鳩の餌がなくなったね」「とうちゃん、家から持ってきているんだろ」「ふむ。鳩にも喜んでもらおう」ハンサム団は拝殿でお参りをして靖国をあとにするのでした。「球磨之介。神田明神にお守りを返しにいかなくてはいけないのである」「末広町からいくか?秋葉原からいくか?」「ふむ、地下鉄のお茶の水でいってみようかね」「球磨之介、こっち側から降りたことがないのである」「方向がよくわからないから慎重にいこう」少し逆に歩いたのですがとどこおりなく着くのでした。「久しぶりだね」「ふむ。去年はいつきたっけね」大黒様にお参りをするのでした。続いて恵比寿様にお参りをするのでした。拝殿にお参りをしてお守りを返しにいくのでした。ハンサム団は花園神社にもやってくるのでした。「とうちゃん。花園神社はいくつかの神社が一緒になっていたよな」「ふむ。お参りする前に遠くから天津祝詞を唱えよう」「人に聞かれるなよ。神社マニアかスピリチュアルマニアか頭のおかしい人に思われるぞ」「ふむ。たまに長々と祝詞を唱えている人がいるが迷惑この上ないのである。それにへったくそなのである」こちらには普通にお参りをするのでした。霊電神社は確か弁天様が祀られていたと思うので御真言を唱えてお参りをするのでした。浅間様には圭子の夢は夜開くの碑があるので、藤圭子さんを偲んで歌碑の一番と二番を歌ってみるのでした。そうして渋谷の長屋に帰っていくハンサム団なのでした。祥之介は三回目のコロナになって大顰蹙をかっているのでした。もう銀行はやめようと思うのでした。
2025年07月29日
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祥之介は球磨之介に詫びるのでした。「球磨之介申し訳ない。六月は墓参りにいかなかったのである」そうしてお墓参りにでかけるのでした。水行菩薩様にお水をかけるのでした。改めてくまにありがとうをいうのでした。そうしてある日祥之介は相談するのでした。「とうちゃん。養子のご先祖の供養を全部したらどうだ?」「ふむ。十徳家と遠藤家なのである」「とうちゃん。婆婆様ってなんだ」「ふむ。塔婆の塔を書き忘れたら婆婆になったので様をつけたのである」この日は富岡八幡宮からお参りをするのでした。手水舎でお浄めをするのでした。拝殿にお参りをしてお寺に向かうのでした。まずは手前のお寺に挨拶をするのでした。この日は本殿だけお参りをして先に進むのでした。お寺に向かうのでした。まず手水舎でお浄めをするのでした。「すいません。ご先祖様のご供養をお願いします」「お酒も奉納させてください」「準備ができるまでお待ちください」「とうちゃん。ダキニさんからお参りをしよう」「ふむ。御真言がかいてあるから唱えてみよう」何やら特別な行事でしょうか?「本殿にもお参りをしようよ」「ふむ。お参りをしよう」「とうちゃん。人形流しの親戚みたいのがあるぞ」「ふむ。高いものではないのでやってみよう」「この池に流すみたいだぞ」「ふむ。紙がとけるのである」支度ができて二階に通されるのでした。お坊さんがお経をあげてくれるのでした。ひと通り終わってお願いをするのでした。「お坊さん。不動明王の御真言をとうちゃんに授けてください」「一応覚えてきました。の~まくさんまんだ~ ば~ざらだんせんだ ま~かろしゃ~だ~ そわたやうんたらた~かんまん」「はい、大丈夫ですよ」「御真言をあげるときに気をつけることはありますか」「特別な作法はないんですが、右の親指を上にして手を組むように合わせるんです」「金剛合掌というやつですか」「そうです。金剛とはダイヤモンドのことです。より絆が強くなり願いが叶うと云われています」部屋を出たところに不動明王がいたので早速御真言を試してみるのでした。「とうちゃん。お財布が落ちているぞ」「本当である。お賽銭用のがま口に見えるぞ」ふたりは受付に届けるのでした。そうして伊勢屋さんでお団子を買って深川をあとにするのでした。
2025年07月27日
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「とうちゃん、そろそろ出かけろよ」「ふむ、ちょっと金王様に寄っていくのである」祥之介は神前の八足台を三宝に変えたので今まで使っていた八足台をお払い箱にお願いしようとやってきたのですが家に忘れてくるのでした……この日は孫と焼き肉を食べる約束をしたのでした。身体がえらいので延期しようと思ったら先に「しょうちゃん!焼肉!」と云われて云われてしまったのでした。祥之介はお寺に返すお守りがあるので川崎に出ることを提案するのでした。そうして川崎にやってきたのでした。孫はガチャガチャが好きなようでした。祥之介は娘に聞くのでした。「じじいは焼肉はつらいのである。どれくらい食べるかね?」「私は二百グラムでいいかな」「ふむ。孫も二百グラムでいいかね?」「すごい食べるから三百がいいかな?」ハラミとカルビを適当に頼んで、祥之介はユッケとレバー焼きとノンアルコールビールを頼むのでした。「みんんは何を飲むかね?」「ハッチはカルピス、私はジャスミン茶でいいかな」孫と娘はユッケとレバーも好きなようで祥之介は孫の残した焼肉を食べるのでした。焼肉を食べたジジイと娘と孫は川崎大師にやってくるのでした。「孫よ!ジジイはこの観音菩薩様が好きなのである」ということで、そばにある鐘を鳴らしてみんなでお参りをするのでした。丁度風鈴市でにぎわっているのでした。記念撮影をしてみるのでした。そうして馴染みの小田切商店でお財布につけるダルマを買ってあげるのでした。メイプルちゃんも亡くなって、おばさんも体を悪くして施設に入ってしまって、さみしい限りなのでした。次の日は前から行くはずだった師岡熊野神社にやってくるのでした。この神社は大倉山などという田舎にあるにもかかわらず勅願所でとっても由緒のある熊野権現なのでした。「とうちゃん。どこだかわかるか?」「ふむ。街道沿いだから案内板が出ているはずである」ということで道を歩いていくのでした。「とうちゃん、五日と六日は星祭だそうだ」「ふむ。最近は行くところ行くところ行事にあたるのである」「なんか縁起がいいじゃないか」ハンサム団はまず最初に祈願の申し込みをしにいくのでした。「美しい巫女さん。とうちゃんと昇殿参拝にやってきました」「はい、準備ができ次第ご案内できます。御祈願の内容はどうしますか?」「神恩感謝でしょうか?具体的には私の家は田んぼを埋め立てたところに建っています。それと田舎の家を建て直した時に井戸と池を埋めてしまいました。井戸や池は子供の頃大変好きだったところです。水の神様や土地の神様を慰めるとともにお礼がしたいのです。それといい思い出がひとつもないんですが五歳から二十歳くらいまで大倉山で過ごしました。そのお礼もしたいと思ってやってきました。それとお酒も奉納したいのでお願い致します」参拝を待つ間ハンサム団はお浄めをしたりしているのでした。「あとで神前にお供えするお水を頂いて帰ろう」「ふむ。柄杓があるといいね」「ここは水道かな?」「昔はここら辺も手押しポンプの井戸がいっぱいあったんだけれどね」「もうそういう時代じゃないんだよ」ハンサム団は茅野輪をくぐったりしてお参りをするのでした。しばらくしたら拝殿に呼んでもらえるのでした。「とうちゃん、俺たちだけだぞ。権現様だから祓詞がちょっと違うな」「ふむ。祝詞も節々が違うね」「とうちゃん。大麻串じゃなくて鈴でお祓いしてくれるんだね」恐縮するくらい丁寧に儀式は執り行われるのでした。「祥之介さんのご健康と幸せをお願いしました」と云われるのでした。「球磨之介。ちゃんと水の神様に気持ちは伝わったかね?」「とうちゃん、お札に『奉修 神恩感謝』って書いてあるぞ」 「奉修ってなんであろうか?」ふたりはスマホで調べてみるのでした。「なんか特別なときにつかうのか?」「ふむ。昇殿参拝自体が奉修ではあるぞ」「普段の神社じゃ書かれたことないぞ」「権現様だからか?それとも星祭だからか?」「けれど丁寧な神社だったね」「ふむ。またお酒でも奉納しようかね」「とうちゃん。もう一度参拝して椅子じゃなくて正座して参拝しようよ」「ふむ、椅子に座っての参拝は慣れないのでとまどうのである」「最近は深川不動でも椅子をすすめられもんな」「球磨之介、脚の悪い年寄とかならいざしらず、そんなことしたら冗談なしに竹刀で百回くらい叩かれるのである」「時代が違うんだよ、昭和なんて若い人からしたら大昔だ」お参りを終えて表の池にくるのでした。「そういえばな、この池はちの池というのである。真っ赤に染まることがあると云われているのである」「本当か?」「ふむ。嘘である。実はないの池、のの池、ちの池、みっつあわせて命の池だったそうである。他の池は埋め立てられて、ちの池だけ残ったのである。そうして子供たちは血の池と呼んで怖がっていたのである」何気なく由緒書きを見ると「とうちゃん、これは弁天様だぞうだぞ。なんでも日本では水の神様で川や池に祀ってあることが多いと書いてあるぞ。こないだの上野の弁天様はとうちゃんを呼んでくれたんじゃないか?」「ふむ。偶然でも有難いね」楽しいお参りを終えてハンサム団は渋谷に帰路をとるのでした。お札が増えてしまったので、お寺のお札と神社のお札の場所を変えるのでした。いつもありがとうございます、
2025年07月14日
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祥之介は熊之介に謝るのでした。「球磨之介。お墓参りに行く前に六月が終わってしまったのである」「二千十四年三月以来の記録が途切れたな」「いろいろやっていて気がついたら七月だったのである」ということでハンサム団は御祈願にやってきたのでした。いつものように愛宕・若宮神社からお参りをするのでした。駅でお供物をもとめてお不動にやってくるのでした。お浄めをしていたら一時の護摩が始まる時間になるのでした。お経を聞きながら一緒に不動明王真言を唱えてみるのでした。護摩修業を終えたハンサム団はお参りを始めるのでした。常香炉でお線香をつけてお供えをしてお参りするのでした。素敵な不動三尊にお参りをするのでした。お気に入りの権現社にお参りをするのでした。本堂にお参りをするのでした。六地蔵産にお参りをして来月までに地蔵菩薩真言を覚えてくる約束をするのでした。ちなみにもう覚えたのでした。「おんかかかびさんまえいそわか」でした。菩薩様には「おんあろりきゃそわか」なのでした。にこにこ地蔵さんにも真言を覚えてくる約束をするのでした。ちなみになんですぐ覚えられる真言を覚えないかというと祥之介は今霊性向上ブログラムの三か月目で十言神呪(とことのかじり)しか唱えられないのでした。ア・マ・テ・ラ・ス・オ・ホ・ミ・カ:ミィと唱えるだけなんですが、なぜか私には難しいのでした。ちなみに一か月目は布留の言二か月目はひふみ祝詞なんで十言神呪が難しいのかわからないんですがとにかく入ってこないのでした。「とうちゃん、今月も大根を忘れたな」「そうやって一年が終わってしまうのである」大師堂では「南大師遍照金剛」と唱えてみるのでした。八十八番はお薬師さんなんで「おんころころせんだりまとうぎそわか」なのでした。虚空蔵菩薩の御真言は長くてまだ覚えてないのでした。ハンサム団はお線香で汚れた手を洗うのでした。「球磨之介、やっぱり柄杓はいいね」お坊さんにもお礼をするのでした。お稲荷さんにもお参りをするのでした。大きな菩薩様にも「おんあろりきゃそわか」なのでした。弁天様にはお礼をするのでした。「とうちゃん、三週続けて弁天様だね」「忘れていたけれど日本では水の神様だったのである」「おんそらそばていえいそわか」なのでした。最後に不動堂と小さな人にお参りをして護摩木を書きにいくのでした。今月は当病平癒でまりあもにかさん、るびーありすさん、きてぃさん、みるぷぷさん、めろんさん、ろぜさん。 心願成就でぽにょたさん、ちゃおりんさん、まるまるぼんぼんさん、きょんきょんさん、同僚女性となっております。ふたりは相談するのでした。「とうちゃん、大國魂神社か小野神社にいこうよ」「大國魂神社は先月行ったから小野神社である」「小野神社はふたつ行かないといけないから大変だぞ」「いつもお祓いでお世話になっている瀬織津姫様なのである」ハンサム団は久しぶりに川の方から神社に向かうのでした。桜が丘の小野神社にやってきたのでした。「とうちゃん。覚えた天津祝詞とひふみ祝詞をやれよ」「ふむ。天津祝詞はいまやってはいけないんで練習していないのである」覚えているのでつっかえながらなんとか唱えて、ひふみ祝詞は瀬織津姫をなぐさめる祝詞という説もあるのでゆっくりしたペースで神社の風の音に合わせて唱えるのでした。お稲荷さんにお参りをしてしばらく神社にいるのでした。「とうちゃん、瀬織津姫乃大神と書いてあるぞ」「ふむ。セ・オ・リ・ツ・ヒ・メ・オ・オ・カ・ミ乃を入れてしまうと十にならないのである」ふたりは「せおりつひめおおかみ」とか「はらえどのおおかみ」とか唱えて心身が浄められるように祈ってみるのでした。聖蹟桜ヶ丘から中河原に移動してもうひとつの小野神社にもお参りをするのでした。ヘトヘトになって渋谷に帰ってくる祥之介なのでした。なんでこんなに疲れているかというと七月いっぱいは金曜日に浄霊整体にいっているからなのでした。好天反応が出て次の日はすごく疲れが出るのでしたけれどおかげさまで体調がものすごくよくなってきているのでした。日曜日にはくまの月命日なのでお墓にでかけてくたくたになるのでしたw
2025年07月13日
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ハンサム団は神社に持っていくお酒を買いにでかけるのでした。「お武家様、これを落としましたよ」受け取ると見覚えがない根付なのでした。前の日にハンサム団はこう云われるのでした「祥之介さんはいろいろな神社やお寺に行くのよね?」「はい、週一回はどこかに行っています」「これはね、祟りがあるとか霊障があるとかではないんだけれど、水の神様か土地の神様かわからないんだけれどあなたの近くにずーっといるのよ。放っておいてもそんなに問題があるとも思えないし浄霊は必要ないと思うんだけれど、どこか思い当たる神社仏閣があるなら相談してみたら」「とうちゃん、とうちゃんは前から育った村の熊野権現にお礼にいきたいと云っていたよな?熊野様なら山の神様だ。水も土地も癒してくれるんじゃないか?」「ふむ。前に土器を掘りに行ったら勾玉を拾ったのである。それに氏子区が広くて、りまおばさんや前妻も氏子なのである」「一度お礼にいこうよ」と話していたら謎の龍を渡されるのでした。「とうちゃん、上野って書いてあるぞ」「ふむ、不忍池の弁天様である。池の真ん中にあったと思うのである」「弁天様なら、渋谷氷川神社、花園神社、高幡不動なんかにいるぞ」「ふむ。七月の五日は孫に会うのである。それに日曜日は御祈願である」「けれど、上野なら近いし手渡された龍を返しにいこうよ」「ふむ、かば姐の黒豆もアメ横で買えるしせっかくだから日暮里の毘沙門天にも行ってみたいのである」「それじゃ、お不動は十二日にしてでかけようよ」ということで真言が唱えられる天台宗のお寺に出かけるのでした。「駅から遠いのかね?」「近いけれど、とうちゃんは方向音痴だからな」ありがたいことに駅の裏の階段をのぼったらすぐお寺が見えるのでした。表のお地蔵さんにお参りをしてお寺に入るのでした。「ふむ。こじんまりしたいいお寺だね」「とうちゃん、あの大きいのは天台宗だから千手観音か?」「鎌倉の大仏の子供みたいなのである」まずお稲荷さんにお参りをするのでした。「とうちゃん、お釈迦様だったぞ」「ふむ、お大師の金ぴかお釈迦様より素敵である」「ここが本堂みたいだぞ」「見てもなんて書いてあるかわからないのである」「お目当ては毘沙門天だ。先に進もう」「これは珍しいぞ。学童守護地蔵って書いてあるぞ」「ふむ。子供は宝なのである。お参りをしよう」「とうちゃん。毘沙門天さんは扉が閉じられて見られないぞ」「ふむ。隣にいるのは吉祥天と四男だったかね?」「吉祥天だけでもみられてよかったな」「ふむ、綺麗な像なのである。お参りをしよう」「御真言を唱えろよ」「ふむ。おん べいしら まんだや そわか……」お参りを終えたハンサム団は相談するのでした。「球磨之介。吉宗公や慶喜公のお墓が近いらしいぞ。上野まで歩いてみようかね?」「やめろ。熱中症になったら大変だし、何より最近のとうちゃんは方向音痴だ」ということで電車に乗って上野駅に到着するのでした。「とうちゃん、不忍改札というのは三階なんだね」「上野駅もすっかり立派になっているのである」ふたりは地図を見ながらしばらく歩くのでした。「とうちゃん、弁天橋だ」「蓮がすごくて池が見えないのである」手水舎でお清めをするのでした。「とうちゃん、なかなか素敵なお寺だぞ」「ふむ。思ったより素敵なのである。それと外国の人がが多いね」「とうちゃん、御真言を唱えろよ」「ふむ。覚えやすいのである。おん、空。蕎麦、ていえい、そわか、である」「よし、おんそらそばていえいそわか……」ふたりで仲良く御真言を唱えて、無事龍を返して代わりに弁天様の勾玉をもらうのでした。そうして隣にある大黒天様にもお参りをするのでした。「とうちゃん、豊臣秀吉ゆかりと書いてあるぞ」「ふむ。三面大黒が有名だったと思うのである」「けれど、毘沙門天にお参りして、弁天様にお参りをして、大黒様にお参りをしたら三面大黒じゃないか」「ふむ。偶然とはいえ縁起がいいんね」「少しはお金持ちになれるんじゃないか」それにしてもすごい池の様子なのでした。「とうちゃん、上野にきたらやっぱり西郷さんだね」「ふむ、上野はやっぱりアメ横と上野公園である」このあとアメ横で北海道産の黒豆をもつめるのでした。「どれ摩利支天様にもお参りをしていこう」「日蓮宗のお寺だから御真言はダメだね」「ふむ。今度豊川稲荷で唱えようではないか。おん まりしえい そわか である」「ま~ろみ ま~ろみ……」「かあちゃんは元気かな」「ふむ。伊勢にもいきたいんだけれどね」お参りを終えたハンサム団は渋谷の村に帰路をとるのでした。七月は五日に孫と川崎大師にでかけて。六日は師岡大熊神社にお礼に出かけるのでした。御祈願は今週の土曜日か日曜日に行ってきます。いろいろお気遣いを頂きありがとうございます。
2025年07月06日
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「とうちゃん。十八日だ靖国にでかけよう」「ふむ。九段坂であるな」「球磨之介。お酒は用意したのである」「お参りはどうしたらいいだろうね」「ふむ。一応昇殿参拝の用意もできているのである」「というか、とうちゃんはいつも玉串料を持ち歩いているじゃないか」「病院を終えてくるとお昼ぐらいになっちゃうね」「ふむ。病院は待ち時間が多いね」「神社はみたま祭の用意で忙しそうだね」「ふむ、今年ももう半分終わるんだね」「どれ、よくお浄めをしようではないか」「柄杓がないとなんだか感じがでないよな」「それにしても神社の人が誰もいないのである」「なんだか警備が厳しいぞ」「とうちゃん。誰も出てこないぞ」「ふむ。行事のため次の時間が書いてあるのである」「それじゃちょっとあがってお酒を奉納しよう」「ふむ。お酒を奉納しようではないか」この日はは受付の人も巫女さんもいなくて神職の人が紙を探していたのですが見つからずいつもと違う紙に奉納書きを書いてくれるのでした。ハンサム団はみんなと並んで拝殿に参拝するのでした。「球磨之介。警備の人がついてくるのである」「とうちゃんが祝詞とか唱えたからじゃないか」「なんか特別な行事なのであろうか?さっきも歩いている人が注意を受けていたのである」「とうちゃん。今日はなんの行事だろうね」「ふむ。こんなに忙しそうなのは初めてだね」「来月はみたま祭りにあわせるか?」「ふむ。お盆は混むだろうから十八日でどうであろうか」「別にお盆は記念日じゃないからいいんじゃないか」「というかお盆って神道だったか?」「一応神道にもお盆はあるみたいだぞ」「それは習合していた名残かね?」「確かお盆の語源は仏教だったよな」「ふむ。だから鳩は小さいのかね」すごく暑くなっているので皆様もお気をつけください。
2025年06月22日
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ハンサム団は相変わらず相談をしているのでした。「とうちゃん。五月の末には命日の人が多いぞ。こまばあちゃんと三之助じいちゃん、それに重藏ちゃんだ」「昭和二十八年の五月は二十六日に重藏さん二十八日には三之助じいちゃんが相次いで亡くなっているのである」「きっと葬式続きで大変だっただろうね」「二十六日は通院で休みだから午後から深川不動にお経を聞きにいこうではないか」そうしてハンサム団は門前中町に出没するのでした。「球磨之介。ここのお水はいいね」「ブレスもお浄めしよう」「すいません。ご先祖の供養をお願いしたいのですが」「はい、少しお待ちいただければ大丈夫ですよ」「相談なんですが。家の供養と養子に来てくれた曾祖父の家の供養をお願いしても失礼になりませんか?」「養子先のお家のご供養ですか?」「はい」「別に問題ありませんよ」ということなので、三之助じいちゃんの鈴木家の供養もお願いするのでした。準備が整うまでお参りをするのでした。「とうちゃん。おじいちゃん、おばあちゃん、可愛がってくれた叔父さんの供養札を書けよ」「ふむ。そうしよう」お札を書いてお願いをするのでした。本堂にお参りをして護摩行を聞いていると二階の部屋に案内されるのでした。「とうちゃん。深川不動のお経はいいね」「ふむ。なんだかお塔婆をふたつ頼んだからかこないだより更にゴージャスになっていないか?」「今日は初めて聞いたものがいっぱいあるな」「ふむ。修験道の人が法螺貝を吹くけれどあの音程のお経なんだか真言なんだかわからないものを初めて聞いたのである」「そういえば、ひふみ祝詞にも音程があるけれど、本当は真言にも音程のようなものがあるんだろうな」「ふむ。お寺によって結構違うよな」途中のお寺にお参りをするのでした。「とうちゃん。誕生日が九月二十八日なんだから、今度不動明王真言をお坊さんから授けてもらえよ」「ふむ。そうだね。のうまくさんまんだばぁざらだんせんだーまーかろしゃーだーそわたやうんたらたーかんまんであるな。いつも聞いていたら覚えたのである」「旧盆にまたこようね」そうして富岡八幡宮に移動をするのでした。月曜日だからすいているのでした。手水でお清めをするのでした。拝殿に丁寧にお参りをして伊勢屋さんでお団子をもとめて帰路をとるハンサム団なのでした。
2025年06月21日
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球磨之介はすっかり人間嫌いになった祥之介の友達なのでした。「とうちゃんは考え違いをしているぞ」「なんであるか?」「靖国は田舎の供養じゃないんだ。自分の身内だけ供養してもダメだ。何百万というお国のために亡くなった人がいるんだぞ」「ふむ、そうであった。ひいじいちゃんの供養を毎月やってはダメでも戦没者に対してはいつでも哀悼の意をもっていなければいけないのである」ということでふたりはやまやさんでお酒をもとめて靖国やってくるのでした。「今月の十八日は日曜日なのに混んでいないね」「ふむ、やっぱり一日と十五日かね」この日は靖国でお水を頂いていくことにしたのでした。「靖国のお水はやっぱり気がひきしまるね」「ふむ、なんだか背筋が伸びるのである」そんなに混んでいなくとも、やっぱりそれなりに人はいるのでした。「こんにちは」「今日はお参りはどうされますか」「はい、今日は曾祖父の供養ではなく戦没者の皆様に哀悼の意を表したいと思ってきました。ご迷惑ではないでしょうか?」「はい、大丈夫ですよ。こちらを記入して少しおまちください」ハンサム団は昇殿参拝を終えて相談するのでした。「球磨之介。なんだかとっても申し訳ないのである」「ひと組だけだとなんか悪いよな」「ふむ。大切なのは気持である。来月からまたお酒だけにしようと思うのである」「そうだな。六月はお酒を奉納して七月はお盆、八月は旧盆、九月はお彼岸、十二月は年末でどうだ」「ふむ、他の月はお酒の奉納にしよう」靖国参拝を終えて渋谷に帰ってくるとおはらまつりの人がやってきていたのでした。「今月は球磨之介のお墓参りに行っていないのである」道玄坂を横切ることができないので、ハンサム団は109の地下を迂回するのでした。水行菩薩様のお水を変えて各所にお参りをするのでした。くま三尊はだいぶ薄汚れてしまいましたがとても大切にされているのでした。みんな死んじゃいましたけどとても感謝している祥之介なのでした。いつもありがとうございます。
2025年06月08日
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ハンサム団はとても気の毒に思うのでした。それは祥之介に七百年も前の母方の悪い霊が憑いているといわれて浄霊をしてくれたのでした。「とうちゃん、七百年前の霊って信じられるか?」「正直に云うと信じられないのである。けれどな球磨之介。お祓いをしてもらったら眩暈がしなくなったのである」その霊というのは霊というより恨みの念が集まって厄介なものになっているようで最初は龍神かと思ったそうです。よく見たところ念が集まって蛇のような形になっていたそうです。なんでも母方の女のご先祖様がとても悲しい思いをしたらしくて、自殺しているのかもしれないし、何か呪いをかけたのかもしれないとのことです。とても多くの念が集まっていて元がなんだかわからなくなっているそうなのでした。「その女のご先祖様も七百年苦しみつづけたようである。これはひとつお経でもあげて慰めなくてはいけないと思うのである」「とうちゃんを苦しめるとはちょっと許せない気もするけれどとうちゃんを頼りにしてきたんだなんとかしろ」「眩暈には困ったのであるが。ご先祖様にもいろいろ事情というものがあるのであろう。最近は母方の先祖の供養をしていないのである。お願いしにいこう」ハンサム団はお経をお願いしにいくのでした。「すいません。母方のご先祖様のご供養をお願いしたいのですが」「はい、今お護摩の最中ですからそれが終わってからになります」「それではその間にお参りをしています」「お塔婆の準備ができたらお呼びにいきますね」「とうちゃん、今日は亡くなった親友の誕生日だぞ」「子供の日であるから絶対わすれないのである」親友とこまひいおばあちゃん、三之助ひいおじいちゃん、重藏さん(祥之介のひいひいじいちゃんの子供)の供養をお願いするのでした。その間にだきにさんにもお参りをするのでした。しばらくお護摩のお経を外で聞いていると呼びにきてくれるのでした。二階の個室に通されるのでした。とても丁寧にお経をあげてくれるのでした。途中から木魚を叩き始めたのですがお腹に響くのでした。「球磨之介、木魚にあわせてお腹が動くのである」「きっとお腹のご先祖様が成仏していくんだよ」そうして祥之介はひどい下痢になるのでした……お経を聞き終えたハンサム団は弘法様にお参りをするのでした。「球磨之介。ここのお経はとてもいいね」「とうちゃん、五月は二十六日がこまばあちゃんの祥月命日。三十一日が三之助じいちゃんの祥月命日、二十八日が重藏おじさんの祥月命日だ」「二十六日は休みだからもう一回こよう。伊㔟藏ちゃんだけだと不公平だ。ちゃんとみんな平等にご供養をしようではないか」とても素敵なお経をきいたあと富岡八幡宮にやってくるのでした。手水舎でお浄めをして拝殿に向かうのでした。祭日なので大変混んでいるのでした。立派な富岡八幡宮をあとにして、伊勢屋さんで胡麻団子とずんだ団子を買って渋谷に帰路をとるハンサム団なのでした。
2025年05月29日
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昨年のある日ハンサム団は成田山にお参りに出かけるのでした。毎度のことながら西日暮里で乗り換えるのでした。そうして新勝寺に向かうのでした。まず旧本堂のお薬師さんにお参りをするのでした。こじんまりとしていますが、ハンサム団はここが大好きなのでした。いつの間にか薬師如来の御真言を覚えたのでした。「おんころころまとうぎそわか」と唱えてお参りをすると「とうちゃん『うんこころころうさぎがそわそわ』ってなんだ?」「ふむ。きっと兎さんが便秘で困っているところをお薬師さんが助けてくれたのではないであろうか」ここの狛犬が大好きなのでした。「球磨之介。狛犬としては御嶽神社の大口真神が素敵である。豊川稲荷の狛狐さんや渋谷御嶽神社の狼さんも素敵である。しかし、ここの狛犬が一番かわいいのである」風情の残る道を歩いていくのでした。山門が見えたので挨拶してお参りを始めるのでした。どんどん進んでいくのでした。みんなと階段を上っていくのでした。とっても立派な提灯なのでした。まずこわれ不動様にお参りをするのでした。ちょっくら細い道で結構危ないのでした。急な階段を上っていくのでした。新勝寺のお線香は無料で折られたものなのでした。三重の塔でしょうか?本殿の不動明王にお参りをするのでした。横を抜けてお稲荷さんに向かうのでした。鳥居をくぐって階段を上っていくのでした。ここは風が強くていつもロウソクの火が消えてしまうのでした。忘れないように弁天様にお参りをするのでした。お護摩の時間になったので本堂に向かうのでした。ここの畳はかたくて、しびれる前に痛くなるのでした。菊なども並んでいたのでした。ここは釈迦堂のようです。お参りをするのでした。奥の方に向かっていくのでした。え~……ここはなんだったでしょうか?愛染明王にお参りをするのでした。ここは裏手なのでした。ここは閉鎖中なのでした。お参りをするのでした。お坊さんにもお参りをするのでした。ここは病気を治してくれる仏様がいたと思います。ここは不動明王だったと思います。聖徳太子にお参りをするのでした。急な階段を下りていくのでした。どんどん下りていくのでした。帰りにお箸と記念品を買って渋谷に帰路とるハンサム団なのでした。
2025年05月11日
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球磨之介と祥之介は相変わらずいろいろやっているのでした。「とうちゃん、前に進められていたホルモン注射の予約がとれたぞ」「ふむ。除霊で楽になったのでもういいとも思うのである」「けれど、いつもお世話になってもらっている先生が、順番を飛ばしてとうちゃんにうってくれるんだぞ」「ふむ。男性ホルモンは禿にならないかね?」「大丈夫だ。前に円形脱毛症がいくつもできてつながって横と上が全くなくなったけれど戻ったんだ」ということでふたりは代々木八幡にある泌尿器科にお邪魔するのでした。「祥之介さん、男性ホルモンは正常値なんで効果は薄いかもしれません」「はい、ものは試しでうってみたいと思います」ということでうってもらうのでした。病院を終えて代々木八幡宮にお参りをするのでした。「ふむ。いっぱい元気になったらいっぱい働けるのである」「今まで霊のせいでいつも疲れていたけれど、前の半分も疲れなくなったんだろ?」「ふむ。こんなに違うとはびっくりなのである。更に生霊を抜いてもらったら背中と肩と首がすごく楽になったのである」「生霊はとうちゃんのせいだ」十九日には靖国神社にやってくるのでした。来月の三月までは毎月お参りをしようと思ったのですが、「百二十年も経ってちゃんと成仏している人に」とか「相手は神様といっても人間なんです。善意とはいえ毎月だと向こうだって気をつかうだろ」とか云われるのでした。「とうちゃんは前に先輩が亡くなった時だってみんなが四十九日までにしろというのに一年やると云って、結局お百日というのがあるからどんなにやっても百日までと云われただろ」「ふむ。確かにそうなのである。除霊してくれる人にも『とっても喜んでくれているけれど気を遣っているわよ』と云われたのである」「逆の立場だったらとうちゃんだって困るだろ」「ふむ。そうなのである。拙者はやることには慣れているのであるが、何かしてもらうのはすごく苦手なのである」「誰だって百二十年後に曾孫が、しかも靖国で供養してくれるとは思っていないだろう」「ふむ。親戚中誰もそんなことをしているとは思わないであろう。そうしていつものように『アイツは何を考えているんだ?』と云われてしまうのである」この日手水舎が清掃中で、バケツの水を柄杓で汲んでお浄めをするのでした。「球磨之介。やっぱり柄杓はいいね」「そうか。並んでいる人がいるから手短にしろよ」「ふむ。ブレスは豊川稲荷と日枝神社で浄めよう」「しかしだ。せっかく来たんだから正式参拝もしたいのである」「気持ちはわかるけれど我慢だ」「こんにちは。お酒を奉納したいんですが」「はい。今日は参拝はよろしいんですか?」「とうちゃん、覚えられているぞ。巫女さんもよく合う人だぞ」「はい。実は没後百二十年経っているのに毎月は失礼だと怒られてしまいまして、しかし、毎月こようと決めていたんでお酒だけでもお供えしてください」なんだか和やかにみんなに笑われて表に出るのでした。「一日遅れてしまったのである」「しょうがないじゃないか。休みはとってあって休んでもいいんだろうけれど、同僚ねえさんに孫ができて娘を病院に連れていかなければならないんだ。とうちゃんだって孫ができたばかりなんだ協力するだろう」「ふむ。正式に参拝するのではないし、理由が理由である。誰も怒られないと思うのである」ハンサム団は表から見える拝殿に向かってお礼をするのでした。「球磨之介。お酒を奉納するなら迷惑にはならないよな」「それでダメだったら乃木神社か明治神宮、東郷神社だって近くだぞ」「ふむ。一回乃木神社にお参りをするかね」「いつだって行けるんだからゆっくり考えろよ」「それじゃ、来年の月命日には明治神宮、乃木神社、靖国とまわろうかね」靖国の参拝を終えて豊川稲荷にやってくるのでした。実はこないだ赤坂にきたのですが、日枝神社にお参りをしたところで雨が激しくなってしまい、今日が豊川稲荷の初参りなのでした。「おい、とうちゃん。珍しく大黒様ががらあきだぞ」「それじゃ、ちゃんと お参りをしてみるかね」、「南無豊川大黒天三唱、真言オンマカキャロヤソワカ七唱だぞ」「オンマカキャロヤソワカって薬師如来じゃないか?」「それはオンセンダリマトウギソワカだ」「ふむ。オンコロコロマトウギソワカもあったと思うのである」「なんだかんだといろいろ覚えちゃうな」「明王とか長くて覚えられないのである」「虚空蔵菩薩もすごく長いぞ」「本殿にもちゃんとお参りをできたな」「ふむ。珍しいのである」「そういえばであるな、豊川稲荷ブレスを作ったのである」「これで何作めだ?」「豊川稲荷は神様が多すぎるのである。最初七福神ブレスを作ったのであるが変だったのである。なので、いつも必ずお参りする本堂と三神殿にしぼったのである。豊川稲荷の本尊は千手観音だそうである。しかし東京別院は荼枳尼天、大黒天、摩利支天、愛染明王だそうである」「なんで天部に愛染明王が入るんだ?」「最近は境内に不動明王もできたのである」「このごちゃごちゃしたところがいいんだろうね」 「しかもみっつならんだ真ん中のお堂は宇迦の御魂だそうである」「神仏習合、宗派を超えた素晴らしいお寺だと思うよ」「ふむ。隠れキリシタンのマリア像みたいなのもあるのである」写真を撮り忘れたのですが、美喜井神社にお参りをして日枝神社にやってくるのでした。最近は一年中七五三をやっているのでした。拝殿とお猿のお父さんお母さん、八坂神社、お稲荷さんなどにお参りをして、ブレスをよく洗って帰路に着くのでした。二十日にはくまのお墓参りに行って帰りに池尻稲荷神社にお参りをするのでした。来年で球磨之介も亡くなって十三回忌を迎えるのでした。お参りも節句とお彼岸お盆に年末くらいにした方がいいかと思うのですが、そうするとお参りの回数が増えるような気もするのでした。いつもありがとうございます。
2025年04月20日
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ハンサム団は十七日の日から大忙しなのでした。「とうちゃん。うちで初めて迎える祥月命日だぞ」「ふむ。百二十年目にして初めて知った伊㔟藏さんなのである」「靖国にもっていくお酒を買いにでかけようよ」「二本まとめてしばってもらおう」「玉串料もちゃんと用意しろよ」「ふむ。忘れないように手拭いと一緒につめておこう」「お酒も忘れないように風呂敷に包んでバッグにくくりつけておこう」「とうちゃん。お昼にかかってしまったら失礼だぞ」「ふむ。祝詞をあげる人が昼ご飯抜きになってしまうのである」「早く病院に行こう」しかし、検査の人がいて到着が十一時二十分になってしまうのでした。「球磨之介。はかま姿の女学生が多いのである」「とうちゃん。なんか年寄りが多くないか?」「また、団体客がきているのであろうか?」「今日も並ばなければいけなくなるぞ」「しかしだ。団体がいるとその後またひとりだけとかになるかもしれないのである」「今日は少人数でゆっくり気持ちを込めてお参りをしたいよな」「ふむ。なんといっても祥月命日なのである」「やっと去年に名前と正式な命日がわかったんだ」「ふむ。今日はケチをしないで御馳走も用意して近所にもいろいろ配ろう」「何しろうちで初めてご供養をするんだ」「おい。とうちゃん。すごい人数の人がいるぞ」「なんであろうか? 今日は三月十八日の平日である。何かの記念日のような気はしないのである」「なんか偉い人でもきているのか?あきらかに堅気に見えない人がいるぞ」「ふむ。人相も体つきもプロのボディーガードに見えるのである」「とうちゃん。ちょっと回し蹴り蹴ってこいよ」「今日は神聖な祥月命日である。ふざけないのである」拝殿に入ったら百人ぐらいの人がいるのでした。「とうちゃん。横浜市の遺族会の人が慰霊にきているみたいだぞ」「ふむ。橋本聖子さんが挨拶しているぞ」「安倍派の人だから靖国参拝に賛成な人だ」「なんだか昨日もどこかの遺族会に挨拶に行ったみたいなのである」などと話していると神社の人がやってくるのでした。「団体の方が先になりますので、こちらのお部屋でお待ちください」「こんな部屋あったんだな」「ふむ。無料のお茶があるのである。頂いて薬を飲もう」三十分くらい待っていると呼ばれるのでした。入ったところで手水でお清めしたらまっすぐ進むのでした。「おい、球磨之介。前の団体さんがまだ終わっていないのである」「とうちゃん。いつもと道順が違うぞ」拝殿の手前に通されるのでした。「残念である。本日は団体の人がいるからいつもと違うところでの参拝になるようである」「とうちゃん、そうじゃないみたいだぞ」神社の人がいうのでした。「まずこちらでお浄めを受けて戴きます」「とうちゃん。拝殿の手前にあるのは……」「祓殿である」「こっちが正式だよ。いつもは突き当りの神前で略式だと思うよ」「有難いな。ちゃんと祓殿でお浄めをしてくれて参拝できるのである」「待った甲斐があったし、最高のお参りになるじゃないか」いつもとは逆に廊下を回ってお参りするのでした。「球磨之介。感動である。七回目にして初祓殿である」「しかも今日は伊㔟藏さんの祥月命日だ」「本当に有難いな。しかもいつも一番先に名前を読み上げてもらえるし」「本当に有難いね」ハンサム団はご供養が終わってみんなと一緒に表からお参りをするのでした。「とうちゃん。なんて有難いことだろうね」「有難いね。多分なかなか祓殿からのお参りはないんだろうね」「なんで今日は通してくれたんだろうね」「理由はどうでもいいけれど祥月命日に正式にお参りできたのは有難いのである」「しかしだ、球磨之介。有難いのであるが、なぜ鳩は小さいのであるか?」「きっと悲しみは空に放たれると小さくなるんだよ」「そうなのであるか?」「そういうことにしておけよ。それよりみんなに配るお菓子を買いにいこう」「ふむ。靖国で頂く羊羹でおなじみの宝来屋さんにいこう」「気前よくみんなに配ろう」「頼もう!日持ちのするお菓子はどれとどれですか?」「こちらにあるのが一週間くらいもちます」「それでは三十五個ずつくさい」「お参りの方。すいませんが在庫がこれしかありません」「それじゃあるだけください」お菓子を買い占めて帰るハンサム団なのでした。「なあ、とうちゃん、足りないからって最中や栗饅頭なんか買って若い子は喜ぶかな」「ふむ。ちょっとトラディショナル過ぎたかね」今度は予約しておこうと思う祥之介なのでした。
2025年03月19日
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祥之介は云うのでした。「球磨之介。ご先祖様に熊之助という人がいるぞ」「明治三十三年五月二十四日生まれで明治三十三年六月十五日に亡くなっているね」「ふむ。未熟児ででもあったのかね?熊之助にするかね?」「どっちでもいいよ」ということで靖国神社に向かうのでした。「右膝を痛めてしまって歩くのがつらいのである」「そんなこと云ったら笑われるぞ。これから靖国にいくんだ」「ふむ。行軍をしていたらこんなのは痛くないのである」「そうだ!兵隊さんは文句を云ったってどうにもならないんだぞ」「ふむ。戦地は大変なのである」「とうちゃん。遼陽って寒いんだぞ。黒溝台の会戦では彼我共凍死者続出だそうだぞ」「ふむ。二月の平均気温は零下二十度から三十度だそうである」「更に強風が吹き荒れているんだぞ」「ふむ、歌に出てくる満州も全部寒そうだぞ。♪ 銃に氷の花が咲く ♪である」「上海だよりだな。♪ もずよ寒いと鳴くでねえ アンサはもっと寒いだろ ♪」「もずが枯れ木でであるな。とにかくどの歌も寒いのである」「東京の冬なんて短パンにランニングだ」「ふむ。高校の時はそんな恰好で皇居や武道館の周りを走らされたのである」「どうだ。汗も出てくるだろ」「いや、老人は冷えているのである」「毎月十八日にこようと思ったのに残念だよな」「ふむ。わがままも云っていられないのである。同僚の人が白内障の手術の前検査なのである」「十七日に休みをもらったけれど、十五日のほうがいいよな」「ふむ。実は三月の十八日は目の手術の日なのだそうである。けれど初めて迎える祥月命日であるから休ませてもらうのである」「大体過去帳に二月一日って書いてあるからいけないんだよな」「ふむ。どうしてそうなったんだろうね。役所に死亡届を出したのは七月になってからである」「なんったって明治時代だからな。戦死の知らせがきたのが三か月遅れなら早い方じゃないか」「ふむ。戦死者続出だからね。それを全部人の手で処理していたんでは、三か月くらいはかかってしまうよね」「奉天会戦までに五万人以上の人が戦死しているんだね。記録をとるだけでっ大変そうだぞ」「なあ、球磨之介。熊之助にしよう。拙者は赤紙がきたら割と喜んで行くとは思うのである。けれど三歳の娘がいたら行きたくないのである」「そりゃあそうだろう。靖国で待っている間に流れるビデオでも妻と子供を残して出征する人の遺書が流れるじゃないか」「ふむ。そんな人がいっぱいいるとは泣けてくるのである」靖國は工事中なのでした。「とうちゃん。一年に一回ちゃんとした慰霊の日をつければいいのにな」「ふむ。教科書だと数分で終わってしまう、日清、日露戦争であるが、もし負けていたら日本なんてなくなっていてもおかしくないのである」「というか、なんで中国とロシアに勝ったんだ?調べれば調べる程わからないぞ」「中国は見下しすぎだけど、ロシアなんてあと二年くらい適当に長引かせておいたら勝手に日本は負けたぞ」「ふむ。やっぱり日本海海戦の大勝利が決定打かね?」「神風どころの騒ぎじゃないよな」申し込みにいくと「次回二時四十分」と書いてあるのでした。「とうちゃん。朔日と十五日は参拝の人が多いのか」「わからないのであるが、初めて時間の制限がついたのである」「いつもひとりかふたりでやってもらっているもんな」小一時間あるので一度表に出るのでした。先に拝殿にお参りをするのでした。「球磨之介、今日は祝詞を唱えてもらっている間に兵站病院勤務の人たちにお礼を云おうと思うんだよ」「機関銃の弾の中に突っ込んでいくのも大変だけれど、後方の看護兵も大変だよな」「ふむ。日露戦ではご婦人は戦地にいかなかったようである。四十人くらいの看護婦さんが殉職なさっているようであるが、病院船でひとり亡くなっている以外は内地勤務のようである」「さすがに内地で脚気で死んだ看護婦さんはいないみたいだよ。ほとんどが赤痢、腸チフスなどの伝染病だね」「今だったら抗生物質ひとつで治るのにね」待つ間に休憩所前のベンチに座っているのでした。「とうちゃん、今日は忘れ物はないか?」「大丈夫である。玉串料にお酒に手拭いである」「そろそろいこうか」この日も一番に名前を読んでもらえたのでした。驚いたことに同姓の若い兄弟か従妹か?三人で慰霊にきていたのでした。とてもいい教育を受けているように思うのでした。「とうちゃん。また袋を間違えたのかな」「ふむ。今日はお酒と羊羹にもどているね」「今日は知らない巫女さんだったよ」「ふむ。神饌の中身などどうでもいいが、鳩を大きくしてくれないかね」「そんなの無理だろ」「それじゃ。ジブリに頼もう」「なんだ!?いきなり」「ふむ。日露戦では赤い兵隊が出没したそうである」「記録によると愛媛から香川の狸が決起したヤツだな。天狗の部隊とか甲冑を着た八幡部隊とかいろいろあるぞ」「ふむ、なので蛍の墓みたいな感動巨編を鳩が主人公でつくってもらうのである。そうすれば募金も集まって大きな鳩の像が作られると思うのである」熊之助は思うのでした。「うちのとうちゃんは何を考えているんだ……」
2025年02月17日
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ハンサム団は企てているのでした。「とうちゃん。深川不動には供養の札があるそうだ」「ふむ。それはなかなかないのである」「今日は曾祖母の代の家族のご供養をしてみよう」「ふむ。こまさんと三之助さんだね」ということでふたりは門前中町にやってきたのでした。「球磨之介。山門隣の伊勢屋さんは相変わらず大混雑である」「ここの赤福もどきは美味しいよな」「ふむ。餡子も美味しいし餅も美味しいのである」この日は一月末だったのでお寺は大混雑で護摩修業にも入れないのでした。こまさんとさんのすけさん、子供のりまさんとみつさん、祥之介のおじいさんであるげんじさんのお札を書くのでした。ここはお札を書いてからのお会計で「これは戒名ですか?」「いえ」「そうしましたら上に俗名とお書きください」と云われてしまうのでした。「球磨之介。過去帳をもってくればよかったかね?けれど武徳院義獄良忠居士とかでは誰だかわからないのである」「それにしても嫌味な感じもするな。曾根三之助なんて戒名はあるのか?」「お金が無ければ戒名がつけられないとか、戒名自体をつけない宗派とかあるかもしれないぞ」「球磨之介、混んでいるのである」「どこにどう並んだらいいのかわからないな」お札の申込書とかを聞かれるのですがどこだかさっぱりわからないのでした。ダキニさんにお参りをするのでした。混んでいるので富岡八幡宮に移動するのでした。「それにしても伊勢屋さんは混んでいるね」「おい、球磨之介。これではお参りどころではないのである」「まともに参道をあるけないな」なんとか手水舎にやってくるのでした。拝殿にお参りをするのでした。「そうだ!深川不動の横にお参りをし忘れたのである」ということでお寺に戻るのでした。相変わらず伊勢屋さんは大行列なのでした。こちらはすいているのでした。ひととおりお参りをするのでした。お参りをするのでした。ここにも戦争犠牲者の供養塔があるのでした。「とうちゃん。これくらいなら並んで買えるぞ」「ふむ。かば姐にあんみつを買っていこうではないか」あんみつは売り切れで、赤福みたいなお餅とずんだとごまのお団子を買って帰るのでした。ここの胡麻の串団子はちょっと他で食べたことがないものなのでした。渋谷に帰路をとるハンサム団なのでした。
2025年02月16日
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ハンサム団は前の日にお酒を買って支度をしているのでした。「とうちゃん。今年一年は十八日にお参りに出かけよう」「ふむ。一年は重点的にご供養に出かけよう」「十八日は通院日にして休みをもらおう」「ふむ。いままでは二月一日だけであったが、これからは毎月十八日を通院日にしようではないか」ということでハンサム団は九段にやってくるのでした。「とうちゃん。兵籍簿を請求したら何もわからなかったな」「ふむ、しかしだ、ちゃんとした命日がわかったのである。しかも清国盛京遼陽兵站病院で亡くなったこともわかったのである。ここまでわかるとは思っていなかったのである」ふたりは仲良くお参りに向かうのでした。「とうちゃん、忘れ物はないか?」「ふむ。正月早々忘れ物はいけないのである。ちゃんと御玉串料ものしにつめたのである」「今日はまた混んでいるな」「ふむ。お盆にきたとき以来の込み具合である」「みんな初詣を済ませてないのか?」手水舎で気がつくのでした。「球磨之介。お手ぬぐいを忘れたのである。普通の参拝なら自然乾燥で大丈夫であるが拝殿内で手を浄めるときはきれいな手拭きが必要である」「洋服で拭いたらお浄めにならないよな。靖国の手拭いがあったはずだよ」授与所で聞いたら戻らなければならないのでした。お食事処は大混雑なのでした。「とうちゃん、手拭いを買うのに随分待つな」「ふむ。このあとは帰るだけである。のんびりいこう」今治タオルとコラボしたお手ぬぐいを求めるのでした。「とうちゃん、もう一回のし袋とお酒の確認をしろよ」「ふむ。大丈夫である」ふたりは慰霊をお願いするのでした。「球磨之介、旧字の㔟を忘れたのである」「スマホのブログを見ろよ」無事書き終えて待っているのでした。「とうちゃん、今日は随分待つね」「ふむ。拙者達と同じで慰霊の人がひとり、あとは新年の御祈願の人が何人かいるのである」靖国は相変わらず行列なのでした。「一番に名前を呼んでくれていたね」「ふむ。先月来て過去帳や戸籍を見てもらったから巫女さんも覚えてくれていたようだよ」この日はいつもくれるお酒の奉納書きをくれなかったのでした。座って薬を飲んでいたら声をかけてくれるのでした。「お酒を奉納されていましたよね」「はい」「神饌の交換札をお持ちですか?」「はい、御神饌でしたら頂きましたが」「間違って渡しているみたいです」見ると台の上に紙袋がひとつ残っているのでした。「とうちゃん、中身が違うらしいぞ」「ふむ。最初のはお神酒と羊羹だったのである。こちらは更に鰹節と昆布、和三盆の干菓子が入っているのである」「お酒を持っていくと中身が増えるんだな」「そうでもないと思うぞ。お酒はいつも持っていくのである。最初にきたときはお酒と羊羹だったのである」「何度もきているとおまけも増えるのか」二十分くらい並んでお参りができるのでした。「とうちゃん、正式参拝をしてから普通にお参りをしてもいいんだよな」「ふむ、ネットによると正式参拝したらそれでいいようである」「けれどみんなと並んで参拝するのもいいよな」「ふむ。けれどほとんど初詣の人のようだよ」「外人さんも交じっているよ」「ぎこちないけれど一生懸命お参りをしてくれると有難いのである」「靖国がどんなところか知っている感じの外人さんが多いね」「どこの国とも戦争なんかしてほしくないのである。しかしだ、球磨之介鳩だけ小さいではないか」「とうちゃん、馬は大きいし、犬も鳩の何倍もあるんだ」靖国を出て右を見ると武道館が見えるのでした。「球磨之介。武道館ってこんなところにあったんだな」「とうちゃんは高校の時武道館の周りを走らされていたじゃないか」「ふむ、武道館はコンサートでよく来たのである」球磨之介は思うのでした。「うちのとうちゃんは何も考えてないとしか思えない」なのでした。
2025年01月19日
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ハンサム団は日曜日をのんびり過ごしているのでした。「球磨之介、今日は川崎大師にいこうと思っているのである」「とうちゃん、明日は仕事納めだよ。今日は近くの神社をまわろう」「ふむ。明日は休めないのである。ゆっくりやろう」まずは氷川神社にお参りにやってくるのでした。今年一年のお礼をいうのでした。本日は忠魂碑にお礼をいいにやってきたのでした。無事ご供養ができたことを感謝するのでした。続いて金王八幡宮にやってくるのでした。やっぱり今年一年のお礼をするのでした。「とうちゃん。金王様がご供養してくれたらいろいろ調べなかっただろうな」「ふむ。拙者の名前しか書かないのである。戸籍なんか調べないと思うのである」「結局これも神様の思し召しか?」「ふむ。神様は悪いようにはしないのである」忠魂碑にお礼をいって無事ご供養ができたことをご報告するのでした。忠魂碑の横にとんがったものが見えるでしょうか?砲塔のようなものもあるのでした。豊栄稲荷神社は今の住居当たり豊栄村のお稲荷さんなのでした。道玄坂は大好きなのでした。いつもお礼をいうのでした。六地蔵さんにもいつものように挨拶をして帰路をとるのでした。駅の工事もほぼ終わったようです。一応南口のようです。「とうちゃん、昔の友達が訪ねてきてももうどこがどこだかわからないよな」「ふむ。建物が変わるだけじゃなくて道も大幅に変わったのである」「桜が丘なんて街ごとなくなったもんな」三十日の日は会社に出社して一時間ぐらいで本店に向かうのでした。大手町で降りて将門塚にお参りをするのでした。本店で用事を済ませてお礼を云って東京駅から川崎を目指すのでした。川崎駅から乗り合いバスで若宮八幡宮前で降りるのでした。境内は正月の容易で慌ただしいのでした。馬頭観音や明長寺さんにご挨拶をして大師にやってくるのでした。本堂にお参りをするのでした。写真には写っていないんですが、正月の屋台が並んでいて稲荷神社の鳥居の前にまで屋台があるのでした。屋台を設営する人や、物品の搬入で寺はごった返しているのでした。「球磨之介。いつもしょう塚のばあさんにお参りをするのを忘れるのである」「だから肌荒れが治らないんじゃないか」地蔵菩薩さんにもお参りをして薬師堂を目指すのでした。本日は出勤用のかばんできているので鳩の餌が少なく途中のイオンでもち麦を買い足してくるのでした。大好きな聖観音様にお参りをして金色のお釈迦様にもお参りをするのでした。「とうちゃん。今日は最後だからちゃんと十二神将にもお参りをしよう」「ふむ、お賽銭もたくさん持ってきたのである」そうして帰路に就くのでした。参道を出たところで気がつくのでした。「とうちゃん、なんか忘れていないか?」「……今日は忠魂碑にお礼をしにきたのである。今度じゃダメであるよな」「ダメに決まっているじゃないか」ということでさっきお金を入れた托鉢のお坊さんに挨拶をして大師に戻るのでした。「球磨之介。忠魂碑のまわりも屋台だらけなのである」「というか屋台で全部隠れているじゃないか」斜めから失礼してお参りをするのでした。「とうちゃん、きた道を戻るのもなんだから旧門から出ようよ」「ふむ。子供の頃はこの門だったのである」「いつもはこっちから出ないから色々見られるな」「ふむ、薬師堂がきれいに見えるよ」「いろいろな会館もあるんだね」「たまにはこっちからも帰ろうかね」「こないだこっちから出たら道に迷っただろ」久寿餅をいつものように買って帰るのでした。毎年一日の早朝にやってくる大山稲荷に今年は大晦日の夜にやってきたのでした。「ふむ。これから初詣までは誰もこないのである」「人に見つからないといいな」白い紙を敷き詰めて今年は三方?三宝をしいれました。果物と野菜を用意しようと思ったのですが、皆さんがお供えしている油揚げをお盆に乗せてお酒は左に並べてお礼をして帰るのでした。「とうちゃん。今年の暮れはどこの神様にもいい報告ができたな」「心からお礼が云えるのは有難いね」昨年は有難うございました。今年も宜しくお願い致します。
2025年01月01日
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球磨之介は糠野目村からの文を待っているのでした。「遅い。今日届かなかったら年内の参拝は無理だ」きっかけは日露戦争で戦没したひいおじいちゃんなのでした。「球磨之介。田舎の庭にあるお墓が誰の墓だか誰も知らないのである」「それはいけないよ。お国のために亡くなったんだ。ちゃんとお礼をしなければ」「ふむ。金王八幡宮には戦後記念の碑もあるのである。お願いしてみよう」ということで金王八幡宮にお願いをしたら「うちは死者を供養するところではありません」「ご供養というより感謝をあらわしたいと思っているのです。そこで氏神でもあり乃木大将の筆になる忠魂碑もありますし、こちらでお願いしようと思ったのです」「そういうことなら靖国にいってください」と断られてしまうのでした。ということでふたりは毎年命日と記されている二月一日に正式に参拝をするようになったのです。ところが過去帳を見ると戒名しか書いてないのでした。「すいません。管理が悪くて戒名しかわからなくなっているのです」「それではお名前は空白でいいですよ」去年一昨年と名字だけ書いてご供養をお願いしたのですが「とうちゃん、これじゃ供養にならないよ」「ふむ。名前も知らないとは恥なのである。調べよう」「とうちゃん。インターネットで書類を出せばわかるよ」「ふむ。一応役場に電話をして聞いてみよう。すいません。ひいおじいさんの名前が知りたくてお電話をさしあげました」「はい。どういうことでしょうか?」「日露戦争で戦没したひいおじいさんなんです」「ひいおばあさんのお名前はわかりますか?」「はい、ほまさんです。ひいおじいさんは三之助。私が知りたいのはほまさんの最初の夫、婿養子としてうちに入ってくれた方のお名前です」「はい、確かにありますね。それでは必要書類を送って頂ければよろしいかと思います」「球磨之介。一応父との関係がわかる謄本の写し、過去帳にはおばあちゃん以外の御先祖の実名があるので添付しよう」ということでハンサム団は書類の到着を待っているのでしたが届かないのでした。そうして電話がかかってくるのでした。「すいません。お尋ねの方の命日が違うのですが一応の確認です」「はい。二月一日というのはこちらでも違うのではないかと思っておりました。推測でしかないのですが、山形32連隊は明治38年1月25日より始まった黒溝台会戦に第八師団傘下として援軍でかけつけています。戦死した日は早くて26日戦闘は29日には終わっています。戦場で遺体確認ができたものをまとめて二月一日としたのではないかと考えています。それに一日と十五日は神社ではお朔日参り、十五参りと特別な日です。もしかしたら合同供養でもしたのかもしれません。それと口伝でしかないのですが戦病死とも伝え聞いております」「わかりました。それでは書類に不備はありませんので送ります」「申し訳ない。今からでは年内のご供養が間に合いません。コンプライアンスが厳しい昨今無理を承知でお願いします。漢字二文字か三文字かわかりませんが字だけでも教えて戴けませんか」何度かの問答のあとに教えてくれるのでした。「三文字です。伊東の伊。勢い。旧字で崩してあるので説明はしにくいです。更に倉です」「イトウのイは井伊直弼の伊。勢いは勢力の㔟。倉は倉庫の倉ですか?」「そうです」「ふむ、伊藤の伊に勢いに倉であるか」「とうちゃん。伊勢じゃないか」「そうか伊勢である。倉はゾウかね?」「イセクラではないと思うぞ」「ふむ。いせぞうさんかね?」ふたりは困ってしまうのでした。「球磨之介。お札は何枚か頂いているのであるが、伊勢だけはお参りに行っていないのである。今年から中央は靖国にしようかと思っているのである」氷川神社で聞いてみるのでした。「やはり、中央には神宮大麻を祀らないとダメですかね?」「絶対ということはないんですが、日本の氏神様ですしできれば中央に神宮大麻を祀られてはいかがですか」と言われるのでした。「なあとうちゃん。伊勢倉さんじゃ伊勢のお札は外せないな」「ふむ。間違いなく伊勢からとった名前だろね」ということで今度は靖国のお札の順番に悩むのでした。そうして金曜日にやっと文が届くのでした。「おい。球磨之介。すごい名前の御先祖様がいるぞ」「十徳徳之助ってナイフみたいな名前だな」「球磨川球磨之介くらいすごいぞ」「ほまばあちゃんは。明治十九年八月一日生まれだ。けれど、これで本当にほまさんか?」「いいじゃないか。俺たちはひいおばあちゃんとしか呼ばないし」「あったぞ。伊勢蔵ひいじいちゃんだ」「倉じゃなくて蔵だったな」「ふむ。伊勢は旧字もいっぱいあるけれどこれは。生まれるに丸に力。よくあるやつだ。蔵も旧字だね」「おい!とうちゃん没日が全然違うぞ。明治三十八年三月十八日清国盛京省遼陽兵站病院に於いて死亡とあるぞ」「ふむ……黒溝台会戦で負傷して入院していたのか、それとも戦病死なのかここからではわからないな」「とうちゃん。山形県に兵籍簿の請求をすれば最後の様子がわかるかもしれないよ」「ふむ。けれど冷たい雪の中で死んだんじゃなくてちょっとほっとしたのである」球磨之介と祥之介はやまやさんに出かけるのでした。「とうちゃん、お酒は二本しばりだ」「ふむ。こないだ遊就館にいって思ったのである。一本じゃ全然足りないのである」「いつか金持ちになったら一ダースくらいは奉納しよう」「ふむ、一斗樽を奉納できるようになりたいものである」「どうやって持ってくるんだ?」「とうちゃん。役場から送ってくれた資料によると伊㔟藏ひいじいちゃんには長女がいるじゃないか」「本当である養子伊㔟藏長女とあるぞ。りまさんとあるぞ。お子さんがいたんだな」「会ってみたいよな」「ふむ。おじいちゃんは三人兄弟である。姉二人でやっと生まれた男の子として大切に育てられたそうだよ」「とうちゃん。戸籍を見ると伊㔟藏じいちゃんの長女。とうちゃんのじいちゃん。妹になっているぞ」「ふむ。別紙によると昭和二年に神奈川県橘樹郡鶴見生麦町で長女昭子さんを出産して除籍になっているようだよ」「鶴見はまだ横浜市ではなかったんだね」「それに生麦はうちの三人の娘を生んでくれた前妻の出身地である」「日本は狭いよな。栃木の小林さんと結婚したみたいだね」「……ちょっと待って。球磨之介!おじいちゃんの姉がひとりしかいないのなら追浜のおばさんしかいないのである。その旦那さんが小林さんなのである。横浜のうちの家を買うときに保証人になってくれたおじさんで、娘さんの昭子さんってアメリカのネイビーさんと結婚して田舎中大騒ぎになったおねえさんである。拙者のはとこ、青い目の金髪の男の子がふたりいるのである。父が再婚する前にはよく遊んでもらったのである」手水舎でお清めをするのですが、お酒が邪魔で難儀するのでした。「とうちゃん。探すまでもなくりまさんと会っているじゃないか」「ふむ。けれど多分拙者の父も知らないと思うぞ。昔親戚中に庭の墓のことを聞いたことがあるのである。一番上の伯母さん浄子さんが『庭のお墓のおじいさんは家にきて三日で出征したと聞いたことがあるんだよ』と教えてくれた以外、日露戦争で亡くなった人だということしかわからなかったのである」「今度一度本家にいってみよう。おばあちゃんの墓参りも済ませてないのである」「とうちゃん。明日お寺に行ってお塔婆でもたててもらおうか。りまおばさんももう生きていないよな」「ふむ。昭子ねえさんの弟が家をついでいると聞いているよ。昭子ねえちゃんはハワイにいるそうだよ」「まだ生きているかな?」「ふむ。もうあうこともないだろうね」本日はお酒が重たくて地面に置くわけにもいかないので、拝殿に参拝する前に正式参拝をすることにしたのでした。「正式参拝のお申込みですか?」「はい、一年に一度曾祖父のご供養をお願いしております。名前がわからなかったのですが判明したので御祈願をお願いします」「ご遺族への御参拝ですか?」「はい、そうなんですが家にお札をもって帰り家でも来年一年は重点的にご供養をしたいのです。故人の名前でお札を書いてもらったりはできないですよね」「そういうことはできません」「それでは祈願参拝を私の名前で『神恩感謝』にしたらどうでしょうか」「いいと思いますよ」「それと名前がわかりましたので合わせて曾祖父のご供養もお願いします」ふたつ申し込むのでした。「球磨之介。初めて『曾根伊㔟藏』と祝詞をあげてもらったのである」「やっぱり名前を聞くとグッとくるよな」「ふむ。少しは伊㔟藏じいちゃんも喜んでくれたかな?」「来年で120年だろ? とっくに成仏しているさ」「変な子孫がきたと思ってるかね?」「あの世の話のネタにはなりそうだな」そうして並んで拝殿にお参りをして帰路に就くのでした。鳥居をいくつかくぐって思い出すのでした。「球磨之介。鳩の供養塔があるらしいのである。見物して帰ろう」「とうちゃん。案内には書いてないぞ」「スマホで調べよう。軍馬と軍用犬と並んでいるらしい」戻ってみると確かにあったのでした。「球磨之介。なんで鳩だけ小さいのであるか?これでは目立たないではないか、犬や馬と同じ大きさにしてほしいのである」「おいとうちゃん。そんな鳩はおかしいだろ。これだって普通の鳩よりは随分大きいぞ」「ふむ。それなら鳩の群れにしてほしかったのである」「とうちゃん、明日はお寺にいこうか?」「ふむ、しかし予算を使い果たしたのである。お年玉はペイペイにしたら怒るかね?」「お寺の塔婆はカードじゃダメだしな」明日はどこかのお寺に行こうと相談するハンサム団なのでした。
2024年12月28日
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「とうちゃん、靖国からお誘いの封書がきているよ」「ふむ。みたままつりだね。今年は休職中だし出かけてみようかね」「とうちゃん。お酒を買っていこうよ」「そうだね、手ぶらでは悪いね」球磨之介とに祥之介は九段にやってくるのでした。いつもと違って靖国も心なしか華やいでいました。「提灯がいっぱいだね」「ふむ。陽登がもう少し大きくなったら家でも提灯をお願いしようかね」「まだ戦争の話はわからないよな」「戦争の話は拙者にもわからないよ。けれど肉親を失う気持ちはわかると思うのである」「そうだな。俺たちは戦地に行ったこともなければ、内地で空襲にあったこともないもんな」「提灯がずーっと続いているね」「一人でいくつもお願いしている人が多いよ」海外の人も多いのでした。「夜来たら綺麗だろうね」「ふむ。来年は孫と一緒に夜きてみようかね」「戦争のことはわからなくても、将来靖国に行った思い出は残るよ。そのとききっと戦争について考えてくれるさ」「ふむ。こういう歴史があったということを知って自分で何かを感じてほしいのである」「とうちゃん。やっと拝殿が見えてきたよ」「ふむ。人も普段とは違う人が多いね」「なんだか靖国が華やかだな」「本来は暗いところではないと思うぞ」「今だって暗くはないだろ」「ふむ。しかしここに祀られている方々や、当時の人たちのことを考えたら、朗らかにはなれないであろう」「とうちゃん、九段の母でも唄いながらいこう」♪ 上野駅から九段まで 勝手しらないじれったさ杖を頼りに一日がかり せがれきたぞや 会いにきた ♪「海ゆかばも唄おう」♪ 海ゆかば 水漬くかばね山ゆかば 草むすかばね大君の辺にこそしなめかえりみはせじ ♪拝殿にみんなとお参りをするのでした。とても熱心にお参りをしている人が多く祥之介もいつもより心をこめてお参りをするのでした。軍用犬にもお礼をいうのでした。お馬さんたちにもお礼を云うのでした。インドのパール判事さんです。こちらは海防艦の碑です。これは後期型の零戦五十二型(四十二型)ですが、これに乗って護衛に出て敵戦闘機と交戦して、洋上の木の葉みたいな母艦に戻ってきて着艦するってどうやったらできるのか不思議なのでした。球磨之介と祥之介は二階にあがるのですが、ほとんど撮影禁止なので一番見てほしいものが撮影できないのでした。「彗星である。艦爆である」「とうちゃん、固定脚の九十九式艦爆とはえらい違いだな」これは哀しい「桜花」なのでした。藤井中尉とご家族 是非クリックしてください「とうちゃん。戦死した人たちの遺書や手紙がいっぱいだ」「遊就館の二階にくると胸が詰まってしまうね」「とうちゃん、これ……」「これは藤井中尉の手紙とご家族の写真ではないか」「ものすごくきれいに保存してあるんだね」「もしかしたら知覧に本物があってこちらはコピーかもしれないね」「写真を見るのが辛いな」「何にも云えなくなってしまうな」「今の人たちはいろいろいうだろうな」「当時の人たちだっていろいろ云っただろう」「特に特攻で死んだ人は軍神だったのに敗戦と同時に『戦犯・国賊』だものね」祥之介は思うのでした。孫たちに大石伍長と静ちゃん クリックしてください「昔こういう戦争という時代があってこういうことがあったんだよ」と。何も云わず考えるのではなくこういう人たちに思いをはせてほしいと思うのでした。いいとかわるいとかではなくこういうことがたくさんあったと。そしてわからなくてもいいしなにをおもってもいいけれどこういうことがあったんだということをずーっと伝えてほしいとおもうのでした。「これでどうやって米軍の戦車と戦うんだ?」「ふむ。近寄れもしないのである」境内には著名人の作品が並んでいるのでした。子供の頃より慣れ親しんだちばてつやさんの絵を撮ってみるのでした。「とうちゃん、ちばさんだって満州の引揚者だったよな」「赤塚さんや釣りバカ日誌の人もそうだったと思うのである」「とうちゃん、当時は生きているだけですごいことだったんだな」平和な日本をありがとうございます
2024年08月07日
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祥之介は毎月のお墓参りに出かけるのでした。「旦那、香取神宮にはいついかれるんですか?」「ふむ、実はどうやって行くのかわからないのである」「私はカエル、旅の安全と無事の縁起物です。心配しないでお出かけになるといいですよ」ということでハンサム団は成田にやってくるのでした。「とうちゃん、バスはダメか?」「土日は数本あるようであるが、普段はほとんどないのである」「降りる駅は香取か?」「徒歩三十分と書いてあるのである」「佐原からバスがいいんじゃないか?」ということで一時間に一本しか出ていない電車に乗るのでした。「とうちゃん、幸いあと十分で発車だぞ」「ふむ。行ったばかりだったら大変だったね」ということで佐原駅にやってきたのでした。「球磨之介、バスの時刻表がよくわからないのである」「よし、それなら駅員さんに聞いてやるよ。とても素敵な駅員さん。香取神宮に行きたくて渋谷からきました」「香取神宮ですか?……今日は日が悪いですね」「香取神社には行ってはいけない日があるんですか?」「そうではないんですが、巡回のバスは火曜日と木曜日だけですし、神宮に行くバスも土日祭日だけなんです。これからですと一時四十分のバスを待たなくてはなりませんよ」「そうなんですか?」「歩いて行くとしても香取駅に行く電車は今出たばかりです」「球磨之介、今出た電車とは拙者たちが乗ってきた電車ではないか」「噂通り一時間に一本だな」「丁度昼時であるから食事をして待とうではないか」「とうちゃん、駅の周りにお店がないぞ。それにお参りを終えたら三時くらいになるぞ。バスも電車もあてにならないし、歩いて三十分だぞ」ということで相談したハンサム団はタクシーでやってくるのでした。「とうやんの一週間分の米代がなくなったぞ」「ふむ。昔はどこでもタクシーだったのであるが、最近は両替所勤めで貧乏なのである」「とうちゃん、立派な鳥居があるぞ」「ふむ。なんだか有難いのである」「これで三大神宮にすべてきたな」「ふむ、伊勢はお参りをしなかったが五十鈴川も綺麗だったのである」「球磨之介、神宮というのはどこもこういう参道なのかね?」「そうなんじゃないか。明治神宮もこういう感じだよ」「とうちゃん、ここは来にくいから逃さずお参りをしようよ」「ふむ。難儀なところであるな。そうそうこれないであろう」ということで奥宮と要石を目指すのでした。鳥居の横には護国神社とあるのでした。階段をのぼっていくのでした。鳥居をくぐっていくのでした。「とうちゃん、ここが奥宮だそうだぞ」「手前にあるのに何故奥宮なのであろうか?」「鹿島と同じで昔と参道が違うんじゃないか」後でわかるのですがやはり旧参道があるのでした。奥宮にお参りをして要石を目指すのでした。要石があるのでした。「とうちゃん、鹿島の要石の下にはなまずがいて地震を抑えているそうだけれど、ここも何かあるのか?」「ふむ、なんでも香取様凸型、鹿島様は凹型だそうであるぞ」「どんな意味があるんだ?」要石の前のお稲荷さんにもお参りをするのでした。再び参道に戻って拝殿を目指すのでした。「おい、とうちゃん。大きな鳥居が見えるぞ」「ふむ。あちらが本殿と拝殿であるな」みんな大きくて見上げているのでした。「とうちゃん、俺たちは大きな鳥居には慣れているよな」「ふむ。東京なら靖国に明治神宮だね」門が見えてくるのでした。手水舎でお浄めをするのでした。「球磨之介、門が修理中なのである」「この時期はみんな修理するのか?」「とうちゃん、茅野輪があるぞ」「はらえたまいきよめたまえかむながらまもりたまいさきわえたまえ」「やっぱり三唱なのか?」末社にもお参りをするのでした。割と早くお参りを終えてしまうのでした。「とうちゃん、バスどころかタクシーもいないぞ」「ふむ。なんでも団子屋や蕎麦屋で呼んでもらうかタクシー乗り場の隣の公衆電話で呼ぶそうである」「観光地でも平日はそんなもんか?」祥之介は歩くことにするのでした。「とうちゃん。三十分も歩けるか?」「何を云っているのであるか。御嶽のお山だって大山だって歩くのである」道すがらの神社にお参りをするのでした。「ところでとうちゃん、道はこっちでいいのか?」「よくわからないがたどり着かなかったらどこかでタクシーに乗ろうではないか」「タクシーは田舎だから手をあげても乗せてくれないぞ」「とうちゃん、二十分くらい歩いているけれど何も見えてこないぞ」「いいではないか。まだ昼過ぎである。一時四十分のバスに乗っていたらまだ駅前なのである」「とうちゃん。標識があったぞ」「ふむ、二キロで三十分であるか?」「ここからすごい階段か急な坂が続くんじゃないか」「大山寺や愛宕神社よりはマシであろう」「とうちゃん。確実に駅に近づいているようだぞ」「ふむ。なんでもっと最初に出してくれないのかね?」「球磨之介。懐かしいな里芋である」「芋煮が名物の米澤が懐かしいか?」「違うのである。里芋などどこでも売っているのである。拙者は手作りの芋がらが食べたいのである」「ズイキとして売っているじゃないか」「ああいう上品のじゃなくて、あく抜きが悪くて喉がイガイガするようなのが食べたいのである。芋がら干しは子供の仕事なのである。夕方入れ忘れると怒られるのである」こちらは入ったら長くなりそうなので体力温存のため礼をして先に進むのでした。神社がふたつ並んでいるのでそれぞれお参りをするのでした。伊邪那岐さんと伊邪那美さんのようなのでした。こちらにもお参りをするのでした。中はこんな感じなのでした。「おい、とうちゃん、鳥居が見えるぞ」「球磨之介。歩いてきてよかったのである。これは香取様の思し召しだと思うのである」「とうちゃん。これは噂の一の鳥居、津宮鳥居か?」「そうである。ふつうに電車できたらここは通らないのである」「昔は船でここからきたんだね」「そのようである。与謝野晶子の歌碑もあるのである」「とうちゃん。電車もバスもなくてよかったな」「ふむ。偶然がなかったら絶対ここにはたどり着けなかったのである」「今度もしくることがあったらちゃんとここからお参りをしようではないか」なんだかとっても有難いのでした。素敵な鳥居を見られたのはよかったのですが駅がわからないのでした。花に水をあげているお婆さんにきいたら、「そこの信号を曲がったらすぐです」と教わったのですが十五分くらい歩くのでした……「とうちゃん、香取駅は無人駅だぞ」「ふむ。誰もここから歩いてこようとは思わないのではないか?」「どうやって行くんだよ」「車がないとお参りがしにくいね」ハンサム団は駅の標識を見て二番ホームで座っているのでした。「とうちゃん、なんだか電車がこっちにこないぞ」「ふむ。なんであろうかね。もう一度見てみよう。なになに、基本的に電車は一番ホームにしかきません……」なんとか成田にたどり着くのでした。「球磨之介。せっかくだから新勝寺にもお参りしていこうかね」「やめておけ。明日起きられなくなるぞ」無理すると寝込むので帰路をとるのでした。帰りの電車が上野行だったので相談するのでした。「とうちゃん、この間買った黑米が美味しかったから買っていったらどうだ」「ふむ。赤米というのも食べてみたいのである」下りたら上野公園の前だったのでちょっと寄り道をするのでした。西郷さんを見ながら鳩に餌をあげて「球磨之介、上野の東照宮にいきたいのである」「相当歩くぞ。それにもう夕方だ」「それじゃまたにしようかね。急に具合が悪くなるからね」千手観音様にお参りをしてアメ横に向かうのでした。アメ横は信号を渡ったらすぐなのでした。「お兄さん毎度!きびと黑米はとても美味しかったです」「そうでしたか、それはよかったです」「今度は煮干しを入れて炊いてみようと思うのであるが」「煮干しはやめた方がいいですよ」「ふむ、そうであるか」「豆を入れる人は多いですよ。大豆なんかよくでます」「大豆であるか?黒豆なんかどうであるか?」「好き好きですよ。煮干しよりはおすすめできます」ということで、赤米、黑米、黒豆、クコの実などをもとめるのでした。摩利支天さんには表からお参りをして帰路をとるのでした。ハンサム団は早速帰って白米、黑米、もち麦、キビとクコの実、黒豆を入れたご飯を炊いてみるのでした。かば姐は豆入りご飯をたいそう気に入ったようですが、祥之介は豆はいらないと思うのでした。そうしてハンサム団は再度鹿島神宮に行く計画をたてるのでした。
2024年06月20日
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球磨之介は告げるのでした。「とうちゃん。孫が終点の逗子駅に行きたいと云っているぞ」「ふむ。逗子は横浜市民としては馴染みがあるのである」ということで待ち合わせをして横須賀線に乗るのでした。この日も人身事故がありダイアは大乱れに混乱しておりまして、車内は非常な混雑をしているのでした。そうして孫が「混んでいて嫌だから降りる」と云い出したのでした。丁度お昼時だったので昼食をとろうと駅を出ると白くて大きなものが見えるのでした。祥之介は「あの白いものを探検に行ってみないかね?」と云うと「賛成、行ってみたい」というのでその方向に向かうのでした。その場所は大船観音というそうでかなり有名なところのようです。一同は拝観料を払って中にすすむのでした。もとは観音経をもとにしたもので日中戦で亡くなった敵兵も平等に慰霊するべく建設がすすめられたようです。あまり知った人はいないんですが頭山満さんなどが名を連ねているようです。工事が始まってすぐに世界恐慌、日中戦の泥沼化、続く対米英戦、敗戦となり計画は頓挫しておりましたが、戦後十年くらいして悪名高い五島慶太などの尽力でやっと昭和も三十五年になって完成を見るのでした。祥之介は云うのでした。「はっちゃん。行き先を決めずぶらりと出かけるのもいいものであるな。ハッチが『ここで降りる』と云わなければこの素敵な場所に来ることはなかったのである」これも神様の思し召しであろうかと思うのでした。本来は立像になるはずだったようですが、地形と地質がそぐわなかったようで座像に変更、それも叶わず独特の観音像になったようです。戦没者とともに原爆犠牲者の供養塔などもあります。この観音像は海外にもファンが多いようです。観音様の中に入れるので探索に行ってみるのでした。やはり海外の人、東南アジアの人も多かったです。千個並んでいるそうです。ここは座禅を組んだりするお堂のようです。祥之介は記念に今年小学校一年生になったはっちゃんに「はっちゃん、ランドセルにこれをつけておくといいよ」と云って交通安全のお守りを渡すのでした。これでブレーキとアクセルを間違えて踏んだ車がきても孫だけはよけていくと安易に思うのでした。そんなに広くはない境内を散策して昼食を一緒に食べる、じいさんとむすめとまごといぬなのでした。文章が遅くなってすいませんでした。
2024年06月13日
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祥之介は霊能者に云われてしまうのでした。「あなたの後ろにたくさんの霊がいます」ハンサム団は相談するのでした。「よくわからないけれどお経がいいらしいぞ」「ふむ、お経を聞くと霊が安らかになるのかね?」「なんか怪しいけれどお坊さんのお経が聞けるお寺に出かけろよ」「ふむ。霊の人もきっと大変であろう。お経くらいでいいなら出かけようではないか」「とうちゃんが避けていた門前仲町に行ってみようよ」「ふむ、なんだかおっかない富岡八幡宮にも行ってみよう」ということでハンサム団は門前仲町にやってくるのでした。「球磨之介、ここが東京の成田山であるか?」「小さいけれどいい感じだぞ」「ふむ。今日は13時と15時のお経を聞こうではないか」「お経の間に富岡八幡宮にいってみようよ」「血まみれの人とか出てこないかね?」お参りを始めるのでした。ここはお稲荷さんなのでした。ここは座席があって脚が悪い人も楽にお経を聞けるのでした。「とうちゃん、太鼓の音がすごいな」「ふむ、サラウンドであるな」「とうちゃん、南無妙法蓮華経と聞こえたぞ」「ふむ、観音経のように思えるよ」「真言宗のお寺で聞くのははじめてだね」「ふむ。浅草寺が混んでいなかえれば聞きにいきたいのである」「人が多くて大変だよな」一時のお経を聞き終えて、近所の富岡八幡宮に移動するのでした。「とうちゃん、とうとうきたぞ」「ふむ。由緒ある神社なのにね」拝殿を目指して進むのでした。「とうちゃん、鳥が胃液をはいているぞ」「ふむ。胃酸過多かね」手水舎でお浄めをするのでした。拝殿でお参りをするのでした。お参りを終えて境内を散策するのでした。改めて手水舎を見てみるのでした。「とうちゃん、ここは相撲とゆかりがあるんだね」「ふむ、江戸の三相撲。金王八幡宮、品川神社は行ったことがあるのである」「今度世田谷八幡宮にもいこうよ」「ふむ、行ってみよう」伊能忠敬の像もあるのでした。このあと三時のお経を聞いて渋谷の長屋に帰るハンサム団なのでした。
2024年06月05日
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「とうちゃん、明治神宮のお守りを拾っただろ?」「ふむ。道玄坂で拾ったのである」「それを返しにいこうよ」「ふむ。ちょうど表参道に出かけるのである」ということで久しぶりに明治神宮にやってくるのでした。二番目の鳥居をくぐっていくのでした。拝殿が見えてくるのでした。「とうちゃん、なんかよくなったな」「ふむ、一時期観光客でひどいことになっていたのである」「ここが観光名所じゃないことをわかってくれたのかな」拝殿にお参りをして御神木にお参りをするのでした。そうしてお守りを返そうとお払い箱を探すのですが見つからないので職員の人に頼むのでした。「とうちゃん、古いお札は手水舎の横に納めるところがあるぞ」「ふむ、勉強になったのである」「明治神宮もいいね」「ふむ。特別な神社だからね」「家から近いんだから一年に一回はこようよ」奉納されたたくさんのお酒なのでした。ワインもたくさん奉納されtいるのでした。お参りを終えてハチ公バスで帰路に着くハンサム団なのでした。いつもありがとうございます。
2024年06月05日
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球磨之介は叱咤激励をするのでした。「とうちゃん。どうなるかわからないんだ。鹿島神宮にお礼にいかなきゃいけないんだろ」「ふむ。死んだらいけないので頑張るのである」ハンサム団は相談をするのでした。「とうちゃん。バスがいいみたいだぞ」「ふむ。拙者は電車が好きなのである」「鹿島に行く電車は一時間か二時間に一本だぞ」「ふむ。バスしかないではないか」ということでハンサム団は東京駅八重洲口にやってきたのでした。「結構本数があるんだね」「ふむ。二十分に一本くらいあるね」「とうちゃん。バスのくせに結構スピードを出すね」「ふむ。ほかの車を追い抜いているのである」「お城みたいのが見えるぞ」「ふむ、掃除をするのが大変そうである」何やら最初のバス停に着くのでした。いくつかのバス停を経由して鹿島神社のバス停に着くのでした。「球磨之介。どっちにあるんだろうね?」「大きな神社だから方向さえ間違わなければ必ず着くさ」「とうちゃん、あったぞ」「ちょっと小さくないか?」「間口は小さく中は広いに違いない」「伊勢と書いてあるように見えるぞ」「お参りをしようよ」しばらく行くとまた神社があるのでした。「ここはお稲荷さんだよな」お参りをしてみるのでした。「とうちゃん。なんとなく参道に入ったんじゃないか」「ふむ。鹿島の人は商売っけがないんだね」「普通の民家が並んでいるよ。けれどお蕎麦屋さんもあるよ」「どれ神社があるではないかお参りしよう」「球磨之介、鳥居が見えてきたのである」「また小さいやつじゃないか」「そんなことはないのである。大きく見えるぞ」「とうちゃん。鹿島神宮って書いてあるよ」「本当である。やっぱり立派な神社だね」境内の案内を見てみるのでした。手水で浄めるのでした。あいにく門は修理中なのでした。拝殿があったので並んでお参りをするのでした。お参りをするのでした。どんどん進んでいくのでした。「球磨之介、懐かしい茨城訛が聞こえてくるのである」「故郷の訛懐かし鹿島様の中にそを聞きにきたか?」「ふむ、ここは茨城なのである」「球磨之介、ここの神社はとてもいいね」「そうだな、平地にあるのにすごいね」「東京だと明治神宮に印象が似ているのである」「こちらは天然の山だからなんか御神気が違うような気がするね」「そんなに苦にならないから一年に一回はお参りにこようかね」こちらはさざれ石だそうです。売店で人参を買って鹿に食べてもらうのでした。お参りをするのでした。いよいよ奥の方に入っていくのでした。階段を下りていくのでした。こちらは名物御手洗池なのでした。「とうちゃん、水がいいね」「ふむ、こういう空気と水で育ったら健康になるね」「とうちゃん、ブレスやお数珠をお浄めしろよ」「ふむ、少し飲ませt頂こう」とても美味しい水なのでした。お参りをするのでした。とても歩いていて気持ちがいいのでした。「とうちゃん、武御雷と建御名方と間違えただろう」「ふむ、名前が似ているのである。それにしても大国主さんって素戔嗚さんの娘婿だろ?そしたらタケミナカタさんって天照様の甥っ子じゃないのか?なんか神話がおかしくないか?」「とうちゃん。歴史というのはみんな違うじゃないか。大東亜戦争だってアメリカと韓国とロシアと中国じゃ全く違うだろう。みんな自分の立場で書いたら矛盾がでるもんだよ。氷川神社に行ったら氷川神社に従って、鹿島に来たら鹿島に従えよ」「ふむ、そうすると大国主さんと恵比須さんは親子でいいのか?」お参りをするのでした。奥宮は混んでいるので並んでお参りをするのでした。お参りを終えて戻ってくると稲荷社があるのでした。そうして鹿島神宮をあとにして帰りのバス停を探すのでした。「また迷うんじゃないか?とうちゃんは最近方向音痴だ」「ふむ、けれど大きな通りに出ればいいだけだからね」と云いながら通りに出ると丁度バスが走ってくるのが見えるのでした。「走れとうちゃん!」ハンサム団は速やかにバスに乗れるのでした。「とうちゃん、いいところだったね」「ふむ、今度は霧島神社に行ってみたいんだよ」「九州だろ? いけるかな」「お遍路も行きたいし、伊勢にも行きたいんだよ」四時過ぎに東京駅に着いたハンサム団は相談するのでした。「球磨之介、黍を買い求めたいのである」「渋谷の百貨店などにはなかったんだよな」「飴屋横町にはあるらしいのである」「渋谷から上野は遠いからな。東京からなら近いよな」ということで御徒町にやってくるのでした。「とうちゃん、摩利支天ののぼりが見えるぞ」「ふむ。豊川稲荷で有名なのである、お参りをしていこう」黍を探して雑穀屋に行くと……休みなのでした……「とうちゃん、アメ横なんだ他にも売っているところがあるよ」「ふむ、世の中便利になったのである、スマホで調べよう」「あるじゃないか。しかもアメリカ屋から一分。すぐだぞ」木の実や雑穀を揃えたお店がガード下辺りにあるのでした。「おねえさん。私たちは黍を買いにきたのです」「黍ですか、こちらが北海道産、こっちが中国産です」「味は違いますか?」「どちらも変わらないですが、みんな国産を喜びますよ」「味が変わらないのなら中国産でいいです。それと黍と比べて粟はどうですか?」「粟は黍より小粒で硬いです、黍の方が無難だと思いますよ。ところで黍や粟をどうするんですか?」「はい、貧乏なんで鬼に宝を分けてもらおうと思っているんです。お供を集めるのに黍団子と粟団子のどっちが喜ばれるか考えていたのです」ということで黍を買って帰るのでした。ハンサム団は本堂にお参りをして末社をまわるのでした。摩利支天の縁日は猪の日だそうです。「とうちゃん、俺たちは寅年だから毘沙門天さんだと寅の日だぞ。かあちゃんは猪年だから摩利支天なのか」「それにしてもさりげなくここは三大摩利支天だそうである」「いいお寺だよね、これからもいろいろ行こうね」こちらは石橋稲荷神社だそうです。「球磨之介、これはお馴染み寛一お宮であるか?」「とうちゃん、足蹴にされていないぞ」「ふむ。昔の女性はか細いんだね」こちらは七面大明神様だそうです。法華経を守護する天女さんだそうです。迫力のある日蓮上人に御挨拶をして帰路をとるのでした。渋谷に帰ったハンサム団は餅黍でおかゆを作って食べるのでした。その晩から身体が思いっきりだるくて三日ほど寝込む祥之介なのでした。「とうちゃん、鹿島神宮の波動は強烈だったのかな」「ふむ、身体が浄化されているのかもしれないね」「とうちゃん、なんかいい方向に向かっているように思うぞ」「ふむ、なんだか身体もよくなりそうなのである」今週中に香取神宮と成田山新勝寺にお参りに行こうと思っている祥之介と球磨之介なのでした。身体の滋養をつけるために米ともち麦ともち黍のおかゆを食べていることにしたのでした。
2024年05月28日
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球磨之介は諭すのでした。「とうちゃん、具合が悪いからといって寝ていてはダメだぞ」「ふむ。身体を動かさないとなまるのである」「大山に出かけよう」ということで伊勢原にやってくるのでした。バスに並んで乗るのでした。混んでいるようで座れたのでした。バスはケーブルカー乗り場に着くのでした。「とうちゃん。今年はペースを落とし目でいけよ」「ふむ。ゆっくりペースを落とさず進むのである」「こま参道に入るぞ。具合はどうだ?」「ふむ。悪いけれど大丈夫である」階段を上っていくのでした。「道を知っていると楽だよな」「ふむ。知らないところだと、ゴールがわからないので気疲れするのかね?」ちょっと足が怠いのですが元気に上っていくのでした。とにかく上るのでした。「とうちゃん、一昨年できた神様だぞ」「ふむ。神様はなくならないけれど増えるね」「渋谷の神社は減ったじゃないか」「球磨之介、本気で上ったら十分でこられるな」「一昨年は調子がよかったけれど、あとは毎年具合が悪いよな」「来年は元気に上りたいと思うのである」ケーブルカーの駅でお参りをするのでした。ケーブルカーに乗り込んで座っていると老夫婦が乗ってきたので席を譲ったら「そこに立ったら前が見えないじゃない!」などと云われて仕方がないのでしゃがんでいるのでした。途中の大山寺でケーブルカーを下りてお寺と十一面観音様を目指すのでした。ハンサム団は駅からの近道を覚えるのでした。今年もお参りができるのでした。石尊権現の本地十一面観音菩薩立像なのでした。「とうちゃん、鐘は静かにうてよ」「ふむ、強く突くと耳がキーンとなるのである」しばし山の空気を吸って休憩をするのでした。たくさんあって全部は入りきらないのでした。十一面観音様を後にして大山寺を目指すのでした。山道を歩くのでした。こんな山道をひたすら歩いてみたいと思ったりするのでした。最初の不動明王にお参りをするのでした。六地蔵さんにお参りをするのでした。お参りをするのでした。去年はここの不動明王が光っていたのでした。どういうわけかわからないのですがお参りをするのでした。「球磨之介。ここが大山で一番きつい階段なのである」「ひたすら下を見てマイペースで上れよ」本堂が見えるのでした。「今年は池の周りが工事中だね」「ふむ、ひどく壊れていたところがあるのである」「来年は綺麗になっているだろうね」「こっちは壊れたものがなくなって新しくなっているぞ」「ふむ。新しいものもいいけれど、古い方が有難味があるように思うのである」お稲荷さんにお参りをするのでした。塔にもお参りをするのでした。「球磨之介。少しだけお水を飲んげみようかね」「あまり飲むとおなかを壊すぞ」「ふむ。なんか有難い水なのである」「山の水は美味しいね」「とうちゃん、左手に錫杖右手に宝珠。これは地蔵菩薩か?」「何かで千手観音と読んだような気がするのである」「けれど手がいっぱいないぞ」「ふむ。不空なんとか菩薩さんもいたけれど、手がいっぱいあるからいろいろ持っていたと思うぞ」「やっぱり地蔵菩薩様かな?」「ふむ、それが一番しっくりくるね」こちらはお大師様なのでした。「これは火消しの人たちが建てたやつだよな?」「ふむ、確かそう書いてあったと思うのである」お参りを終えて階段を降りようとするのですが急すぎて怖いのでした……「とうちゃん、隣に駅への道があるぞ」「そうであるよな。年寄りは落っこちると思うのである」「とうちゃんだって落ちそうだ」「ふむ、階段が不規則なので踏み外しそうである」上りのケーブルカーを待っているとすぐにやってくるのでした。頂上にやってくるのでした。ケーブルカーが急こう配なのがわかるのでした。「とうちゃん、ここからはすぐだぞ」「ふむ、あっけないくらいすぐなのである」階段を上って阿夫利神社を目指すのでした。最後の鳥居が見えてくるのでした。「とうちゃん、阿夫利神社だ」「ふむ。大山はお寺以外は階段であるから楽なのである」まずふたりして今年も来られたお礼をするのでした。日本一の獅山なのでした。「球磨之介、いつか親子になれたらいいな」「今だって親子と変わらないじゃないか」「ふむ、まあそんなもんであるな」 「とうちゃん、昔の人たちはみんなこの大太刀をもってきたんだろ」「そうらしいね。みんな体力があったんだろうね」「そりゃそうさ、だってみんな歩かなければいけないんだぜ」「ふむ、なんでも人力だものな」「ケーブルカーができる前には年寄りを担ぐ人がいたらじいぞ」「ふむ。拙者も年寄りひとりくらいならまだ担いで登れるぞ」「相手が百貫デブでもか?」「それは無理である。それと上りはいいのであるが下りは自信がないのである」神社から江の島方面を眺めるのでした。「とうちゃん、今度江の島神社にも行こうよ」「ふむ、確か小学校三年生の遠足で行ったきりである」天神様にお参りをするのでした。川崎の人が建てたらしい像なのでした。浅間様にもお参りをするのでした。下の方に入っていくのでした。大黒様と恵比須様なのでした。これは仲のいい夫婦だそうです。こちらはさざれ石なのでした。お参りを終えたハンサム団は帰路をとるのでした。ケーブルカーで麓を目指して駅に着くのでした。帰りはゆっくり下りていくのでした。綺麗な滝を見ながら歩いていくのでした。みんな下っていくのでした。「とうちゃん、来年もまたきたいね」「ふむ、身体を治して元気に走りたいのである」仲良く帰っていくハンサム団なのでした。
2024年05月28日
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球磨之介は問いかけるのでした。「とうちゃん。今年は秋にでかけられないぞ」「ふむ。調子が悪くても身体を動かさないといけないのである」「御嶽のお山にいこう」ということでハンサム団は御嶽にやってくるのでした。この日は人身事故の影響で三時間もかかってしまったのでした。「ただでさえ調子が悪いのに困ったのである」「今日はゆっくり登ることにしよう」遅れていた人がいっぺんに到着したのでバスも二台満員で三台目に乗るのでした。「とうちゃん、いつも急いでケーブルカーに向かうけれど、具合が悪いんだからゆっくり行こうよ」「ふむ。次のケーブルカーを待たなければならないけれど仕方ないね」「とうちゃん、最初のケーブルカーに乗れなかったけれど座れるぞ」「ふむ、座れると楽だね」「みんな徒歩で登っているのかな?そんなに混んでいないぞ」あっという間に終点に着くのでした。早速御嶽神社を目指すのでした。「遅くなったから結構人がいるね」「ふむ。急がずペースを落とさず行こうではないか」二番目の鳥居が見えてくるのでした。「とうちゃん、半分くらいきたぞ」「球磨之介。山菜のおにぎりが売っているよ」「頂上で食べようよ」刻んだ木の芽と中に山椒の佃煮が入っているのでした。人を追い越しながらマイペースで進むのでした。最初のお参りをするのでした。今年もご神木に御挨拶ができるのでした。手水舎でお浄めをして先に進もうとしたら犬用の柄杓でお浄めをしている人がいるのでした。「とうちゃん、ちょっと整理していけよ」「ふむ。ペット用の方に大きな柄杓を置いて、真ん中に人間用の柄杓をふたつ並べておこう」最後の門が見えてくるのでした。いつも思うのですが、門にいる人は誰なんでしょうか?どんどん階段を上っていくのでした。お参りをするのでした。続いてお参りをするのでした。最後の鳥居をくぐって進むのでした。社務所が見えてくるのでした。「とうちゃん、あれは本堂と呼ぶのか?それとも拝殿か?」「ふむ。蔵王権現なら本堂だろうけれど神社だからね」今年もお参りができたお礼をするのでした。日本一の狛犬だと思うのでした。「とうちゃん。豊川稲荷の狐さんと同じくらいでかいな」「ふむ。向こうは狐さんで、こちらは絶滅した日本狼なのである」お参りをするのでした。今年は丁寧にお参りをするのでした。たくさんの神様がいるのでした。お参りをするのでした。お参りをするのでした。とにかくお参りをするのでした。お参りを続けるのでした。お参りをするのでした。お参りをするのでした。ここは昔の本堂だったと思います。「とうちゃん、前に見えるお山が御神体だそうだぞ」「ふむ、初めて知ったのである」「山岳信仰のお寺なんだよな」「それではお山にお礼を云おう」丁寧にお参りをするのでした。人がくるので避けて……何度か丁寧にお参りをするのでした。お参りを終えたハンサム団は帰路に着くのでした。二番目の鳥居が見えてくるのでした。「とうちゃん、まが来年もこような」「秋に休みがとれたら今年もう一度きたいね」ケーブルカーで麓に降りてバスに乗って駅に向かうのでした。田舎の駅で電車を待つのでした。田舎の山々はいいなぁ~と思う祥之介なのでした。それにしても国分寺までの電車が長いのでした。もう少し電車が早ければもっと頻繁にきたいと思うのでした。いつもありがとうございます。
2024年05月28日
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弁天様にお参りしそびれたハンサム団は相談するのでした。「弁天様が悲しんでいるようだぞ」「ふむ、一年に一回しかお参りしないのである。お参りをし直そうでははないか」ということでハンサム団は成田を目指すのでした。渋谷駅から日暮里を経由して成田にやってくるのでした。まず最初に旧本堂のお薬師さんに御挨拶をするのでした。手水舎でお浄めをするのでした。「とうちゃん、お薬師さんは三尊かな?」「ふむ。真言宗で三尊はあまりみないね」「お大師も十二神将だもんな」隣の家にいそうななんとも素敵な狛犬さんなのでした。この狛犬を見るとほっとするのでした。いつ来ても成田のお不動さんは混んでいるのでした。素敵な門が現れるのでした。本堂に向かって階段を上っていくのでした。とても立派な提灯なのでした。お馴染みの壊れ不動さんなのでした。常香炉でお線香を焚いて先に向かうのでした。本堂に御挨拶をして、真っ先に弁天様を目指すのでした。「球磨之介。この間はこっちの方を通り忘れたんだね」「天神様にもお参りをしなかったぞ。まず俺が弁天様にお詫びをするよ」球磨之介に続いて祥之介もお詫びをしてお参りをするのでした。相当古い成田の弁天様を宜しくお願い致します。山門左側の方に鎮座しております。わりとわかりやすいです。「とうちゃん。こっちの方は初めてかな?」「ふむ。広いからね。お参りをしよう」お馴染みの出世稲荷さんに向かうのでした。ここのお稲荷さんもいつも混んでいるのでした。この日はお参りだけで先に進むのでした。こちらは釈迦堂と聖天堂があるのでした。ハンサム団は階段を上って進むのでした。ここにはなんおお堂だったでしょうか?ここは藍染明王だったでしょうか?お坊さんにお参りをして先に進むのでした。不動明王に御挨拶をして進むのでした。ここは天神様だったと思います。 一通りお参りをして帰路に着くのでした。「とうちゃん、無理してもお参りをすると気持ちいいだろ?」「ふむ。電車もそんなに苦にならないね」「清流権現さんがいるらし いぞ」「今度来たらさがしてみよう」渋谷の長屋に帰っていくハンサム団なのでした。
2024年05月27日
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