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6月にわが家へやってきたこっこ。とっても大きくなりました。娘は虫を見つけては捕って与え、私は朝昼晩と野菜くずを刻んでやり、とっても過保護に育ててます。私たちの後を追ったり、要求があると鳴いて呼んだり、かわいいんですもん。その雰囲気と優しい表情(?)、甘えた声から、雌鶏さんだと思い込んでいましたが、こっこちゃん、雄であることが判明。コケコッコーを練習中です。まだ、コケコッコーの「コー」しか言え(言う?)ませんが、朝の5時半から練習を始めてしまうので、朝寝坊できません。農業を目指しながら朝寝坊な私たちへの神さまからの贈り物(おしおき?)かもしれません。けっこが猫に噛まれて死んでしまってから、一羽で寂しかったので、先日、雌鶏さんをもらってきました。ぽぽちゃんです。卵を温めていたので確実に雌だということで、卵と一緒にもらってきました。しばらくは卵を温めていたのですが、このところ、めっきり温めてくれません。娘が楽しみにしていたヒヨコさんは望み薄…。こっことぽぽを慣らすために、夜は鶏小屋に一緒に入れています。けんかするといけないので、まずは寝床にしているコンテナにこっこを入れたまま。そうしたら、こっこさん、持ち手の穴から顔を出したところをぽぽちゃんに突かれたみたいです。鼻の辺りに出血が…早く仲良しになってね。人気ブログランキングクリックで応援お願いします♪
2012.08.31
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ぼっこ(日本の児童文学)またしても、ブログを更新しないまま、日々が過ぎてしまいました。やっぱり、夏休み中は、まとまって書く時間が取れません。書きたいことはたくさんあるけれど…。その夏休みも、もう終わり。夏が終わる…。まだまだ暑いけれど、8月も20日を過ぎると、なんだかさみしい気持ちになります。残り少ない夏休みを惜しむ小学生のように…。あるいは、「また一つ、夏が終わってしまった。あと何回、夏を迎えることができるのだろう」という気持ちも混じっているのかもしれません。まだ若いくせに、と笑われるでしょうか。夏休みの小学生と宿題は切っても切り離せないもの。中でも最難関の読書感想文。娘は、うんうんうなりながらも、早々に仕上げて、登校日には提出していました。何としても私の手助けが必要でしたが…。娘が読んだ本は、富安陽子さんの「ぼっこ」。父親の転勤で東京から大阪に引っ越してきたしげる。おばあちゃんが亡くなり、山の中の古い家に住むことになりました。その古い家の、奥の座敷でしげるは座敷わらしに出会います。オレはぼっこや。おまえにはオレがついとるから、心配すんな。しげるは、ぼっこと一緒に不思議なことをたくさん経験します。転校、虫だらけの山の家、全校生徒67人の学校…。娘が感情移入しやすいだろうと思って、私がおすすめしました。娘も自分と重ねて、読みやすかったのだろうと思います。半日で読み終えてしまいました。でも、書くのは時間かかりましたヨ~。娘は、絵は得意ですが、文章は大の苦手デス。人気ブログランキングクリックで応援お願いします♪
2012.08.28
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いろいろなことがあり過ぎて、しばらく書くことから離れてしまっていました。日記を書いていないと、自分の中が整理できず、ざわざわした気持ちになります。書いてはじめて、ちゃんと生きたと感じるんです。中毒…みたいなものでしょうか。でも、こうしていざ書こうとすると、何から書いていいものやら、さっぱりわかりません。本当に怒涛のお盆休みでした。始まりは、地区の子供会(5家族だけです)で開いてくれた私たちの歓迎バーベキュー。その翌朝早く、メンバーのお家の大おばあさんが亡くなりました。お通夜、お見送り、ご葬儀…。噂には聞いていましたが、田舎の冠婚葬祭はご近所がお手伝いすること、たっぷりです。福岡の主人の実家にも行ってきました。髪を切ったり、買い物したり、下山したら、これまたやっぱりやることがたっぷりです。今度いつ町へ出るかわからないので、買い忘れのないようにしなければいけません。でも、お昼も夜もご馳走になり、快適お風呂にも入れてもらって、ゆっくりして帰ってきました。自分の実家でもないのに、いつものんびりさせてもらっちゃってすみません!デス。おしまいは、お観音様のお祭りです。お昼過ぎから集まって、お料理を用意し、公民館で観音様をお参りできるようにセッティング。夜、地区の女性と子供たちがお参りに訪れ、お食事をします。片付けが終わって、帰宅したのは10時半でした。翌日、観音様の祠をお掃除して終了。家族で、映画「おおかみこどもの雨と雪 」も見ましたよ。よかったですね~。主人公の花(声/宮崎あおいさん)はおおかみおとこ(声/大沢たかおさん)と恋に落ち、おおかみこどもの雪と雨の姉弟を出産します。けれど、おおかみおとこが不慮の死を遂げ、花は、遠吠えをしたり狼に姿を変える雪と雨を一人で育てていきます。おおかみこどもを都会で育てることに限界を感じた花は、田舎への移住を決意。山里の古民家を借りて、自給自足の生活を始めます。花に畑仕事を教える韮崎っておじいちゃんが、お隣のおじちゃんに似てたり、完全に自分たちに重ね合わせて見ていた私たちでした。人気ブログランキングクリックで応援お願いします♪
2012.08.21
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ぴかぴかのお天気が続いた(暑かったですね~!)ので、梅さんたちの土用干しを始めました。三日三晩、戸外に干します。まず三日間、10時から2時くらいまでお日様に干します。そして次の三日間は、夜に干して、夜露にあてます。その間、雨に当てないように注意します。現在、三日と一晩干しました。けれど、ここ数日大気の状態が不安定で、雷なんかがゴロゴロいっているので、夜に干すのを中断しています。それにしても、梅干しってやっぱり、手間がかかるんですねえ。毎回毎回、干すときに一つ一つざるに広げ、取り込んだらまた一つ一つ梅酢に戻す。なかなか根気のいる作業です。でも、郵便屋さんが干してある梅干しを見て、「梅干しがきれいですね~」と言ってくれて、なんだか鼻がピノキオになってしまいましたヨ。人気ブログランキングクリックで応援お願いします♪
2012.08.08
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わが家の畑でも、夏野菜が採れるようになってきました。きゅうり、トマト、オクラ、ナス、枝豆、とうもろこし…どれも少~しずつしか採れませんが…オクラは、ある程度の株数を植えてないとダメですね。今、うちには2株しかないので、一度に1本か2本しかできず、これ、どうしよ…となります。ぬか漬けでもしていれば、ぬか床に入れちゃうんですけど。先日、娘が幼稚園に通っていた頃からのお友達一家が、遊びに来てくれました。7月の初めに、千葉から福岡の糸島に引っ越してきたのです。私たちが引っ越して以来、4か月ぶりの再会でしたが、ちっとも久しぶりという気がしませんでした。ずっと、一緒にいたような…親しい友同志というのは、時間や場所の隔たりなんて簡単に超えてしまうものなのでしょうね。わが家の畑で採れた野菜をふんだんに使ったランチをご馳走…といきたかったのですが、あいにくその日はオクラが一本きり。直売所で買ってきたオクラと一緒に湯がいて、おそばの薬味に使いました。「この中に、わが家のオクラが一本だけ入っているよ~!当たるかな~?」なんて。いつ何時、お客様が来ても、うちのお野菜をどっさりご馳走できるようになりたいものです。人気ブログランキングクリックで応援お願いします♪
2012.08.03
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海からの贈物私が外へ働きに出て行かれない最大の理由は、煩雑な生活への恐怖にあります。私は仕事が遅いです。でも、心を込めて、丁寧にします。丁寧にできないと、ストレスを感じます。ダンナさんなんかは、「なんでこんなに時間がかかるんだ~!」とイライラすることもあるようです。最近は、だいぶあきらめモードに入っているようですが…仕事を持っていて、あらゆることを迅速かつ丁寧に仕上げられる女性もいます。けれど、仕事の遅い私が外に働きに出れば、煩雑な生活が待っていること間違いナシ。それが怖い。生活するためのお金は必要ですが、それと同じくらい私にとっては、落ち着きと静けさが必要なのです。大西洋横断飛行にはじめて成功したリンドバーグの奥さまであるアン・モロー・リンドバーグは、私の最も尊敬する女性著述家の一人です。彼女の「海からの贈物」を読んでいると、「ああ!この人はどうしてこんなにも私の想いをわかってくれているのだろう!」と感じます。こう感じることは、読書の喜びの一つですよね。リンドバーグ夫人は言います。煩雑な生活は、私たちを統一にではなくて分裂に導き、恩寵を授ける代わりに魂を死なせると。このことは女性の本質的な問題だと言います。それは、女であるということが、丁度、車の輻(や)のように、中心から四方八方に向かっている義務や関心を持つことだからである。私たちは夫とか、子供とか、友達とか、家とか、隣近所の人とか、凡てを受け入れなければならない。こう考えたとき、リンドバーグ夫人は、なぜ、女で聖者だった人たちが稀にしか結婚しなかったかを理解します。子供を産んで育て、食べさせて教育し、一軒の家を持つということが意味する無数のことに頭を使い、いろいろな人間と付き合ってうまく舵を取るという、大概の女ならばすることが芸術家、思索家、あるいは聖者の生活には適していない。だからと言って、無人島に一人で住むことも、家族に囲まれて私だけ尼さんの生活をすることもできない。ではどうするか?できるだけ気が散らないようにするのですって。まずは、生活を簡素にすること。どれだけ少ないものでやって行けるかで、どれだけ多くでではない。そして、一人でいる時を持つことです。その時を使って、自分の内部に注意を向ける必要があるのです。女はその生活をなしているいろいろな活動の中心にあって、車の軸のように静かでなければならないのであり、自分が救われるためだけではなしに、家庭生活、また社会、そして或いは我々の文明さえもが救わるためにも、この静寂を得るのにかけて先駆をなさなければならないのである。さて~、私も不要なものを手離すことから始めましょうか。簡素の大切さがわかってはいても、油断すると、モノってすぐに溜まっていってしまうんですよね。断舎離ブームが衰えないのは、生活が簡素であることの大切さに、たくさんの人が気付き始めたからなんだと思います。人気ブログランキングクリックで応援お願いします♪
2012.08.02
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