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『アンの夢の家』 の、もじりなのですが。これについて親しい友人に話しましたら、彼女は・・・ぶっ!!!と紅茶にムセたついでに、私がしばし退屈するくらいに長々と笑い倒してくれました。腹筋をいつになく使った、ダイエット協力をありがとうと御礼を言われてしまいましたが、私だけをは釈然としません。二階建て屋内の御不浄本のみ詰める部屋、換気扇付きオプションで、ミニ座敷牢さして特別なことを言ったつもりはないのですが・・・。
2004年11月07日
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皆様、お元気でしょうか。またしても大型の台風が接近中とのこと、全く、今年はどうしたことやら・・・ですね。お互いに、充分に気をつけて過ごしましょう。いやはや、大騒ぎをして恐縮でした。おかげ様で、親不知の治療は無事に終わりました。3回の通院だけで済みまして、ホッとしておりまするぅ(感涙)また痛むかも知れないのですが、今の真っ直ぐな生え方のままならば、その都度の服薬でイイでしょうとの、先生のお見立てでした。ついでに、歯石取りと口内チェックもしていただけました。歯石は、5年間触らなかったにしては少ないとのこと。「よく磨けています」 と誉めて下さいました。 わーい☆気持ち、磨きに力が入り過ぎている箇所があるそうなので、ソフトなブラッシングを意識しようと思います。親不知が再び痛み出さない限りは特に問題はないので、2年に一度くらいの割で歯石取りに来てくれれば充分ですネ、とのお言葉でした。欲を言えば、最後の念押しに、もう一回イソジンを塗ってもらいたかったよーな気がします(笑)これにて一件落着・・・ではあるのですが、いちおー。半泣きでビビった恐怖は、まだ私の心を去ってはおりません。今回いただいた薬が、まだ2日分ほど残っていまして・・・私はそれをピッチリ密封して、大事に薬箱にしまいました。袋の上には、マジックで 「たり用・親不知の薬」 とデッカリと記してあります。土曜や祭日の前夜に、唐突に痛み出さないとは限りませんのでね・・・。それは誰にも解りません(ひそひそ)招かれざる客とゆーのは、いつも急なモノです、はい。招かれざる客と申せば、最近の熊騒動ですね。台風は何度も来るわ、熊は出るわで、今年は恐ろしい客の話ばかりです。私の住まう県にも二度ほど熊出没のニュースが入りまして、正直、素朴に驚いてしまいました。「熊、いるんやぁ」 って。山の面積もそこそこある田舎の県ですので、まあ、いても不思議はないのかも知れませんが・・・?全く馴染みがありませんでした、いたなんて初耳です。猪でしたら、別に珍しくないのですけれどねー。もっとも猪にしましても、私が見ましたのは一度っきりなのですが・・・そんなの、まだ乳歯が残っている頃の話ですけんの。それはさておき。同じ県内の、もっと北に住まう友人と、話をしておりました。彼女の家の、わりと近くでも熊が出たとニュースで聞き、大丈夫かと電話をしたワケです。たりぞうは軽くバカなので、心配性でありんす。友人曰く、何ともなかったけれど、地域の自治体からは警戒するよう指示が来た、とのことでした。近所の手芸店や雑貨屋さんでは、鈴が一気に出払って、仕入れ待ちの状態だそうです。熊は、鈴などがジャラジャラ鳴る音が嫌いなのだそうですね。カバンなど、持ち物に付けて出歩くようにとの指示があったとのことです。こんなことは初めてだと、友人も申しておりました。「たりちゃの家の方は大丈夫なん~?」と、友人。ありがとー、こっちは知っての通り住宅街だし、(そっちよりは)山から離れてるからぁ、と気楽に答えました。・・・が。「そっかぁ? 今年の熊って、住宅街にも出てるやん。 それに、たりちゃの家って、山から直線コースやろ。 熊やったら充分、行動範囲やからなぁ」などと、変にマジメな声音で申すではありませんか。うっ・・・確かに。事実、彼女が我家に来ます時には、山のバイパスから真っ直ぐばぶ~んと降りて来ますな、そーいや・・・。朝刊を取ろうと、アクビしながら勝手口を開けたら、熊が庭の柿をモギュモギュ食べてるとか・・・うわぁ、イヤですねぇ。つるかめつるかめ・・・「まー、お互いに気をつけようってコトで。 そそそ、なぁあ? 柿で思い出したけどぉ」おっ、何なに? 熊よけに何か効果でも?「いや、ダンナがね、今年もたりちゃトコの柿を分けてもらえたら嬉しいんやけど・・・って、ちょーど夕べ、言うてはったとこなん。 去年もろたの食べて、めっちゃハマらはったて話したやろ? どうかなぁ」がくぅ・・・何かと思えばダンナの話かいな、と失笑いたしました。マヂな口調のまま続けるので、何事かと思いましたぞな。袋パンパンにあげるから、もう少ししたら取りにおいで~、と答えておきました。熊に先を越されなければ、ですけれど(爆)熊ほどの脅威はないながら、もっと現実的な侵入者が、我家には来ておりまして。多少・・・困惑している今日この頃でござります。パンダ - 熊 = 猫 白黒ブチならぬ、黒と燻金の斑模様で、なかなか美しい姿の持ち主でありんす。母と私の話を突き合わせましたところ、どうも1ヶ月前くらいから、我家の庭で見かけるようになりました。近付くと逃げますが、動きは非常におっとりしていますので、多分、人馴れした飼い猫なのでしょう。別に何の悪さをするワケでもなくて、ふと気付けばユッタリと・・・まるでクッションに身体を預けているかのよーな姿勢でそこにいた、という感じです。紫陽花かツツジの木の下、もしくは桜の木の分かれ目がお気に入りスポットである様子。シキミや金木犀の木には近付かない(らしい)ところを見ますと、香りが強い木は嫌いなのかも知れませんね。エサなどあげないようにねっ、と、母から早々に牽制を受けましたが・・・言われる間でもなく、居付かせる気はありませんのコト。今回のことで初めて気付きましたが、私は、どうやら猫があまり好きではないようです。33年目の自己発見でした。好きではないと申しますと、多少、語弊がありますか(頭ポリポリ)。可愛い子猫の写真集などを見るのは大好きですし、日替わり画像が載る猫ちゃんサイトも幾つか 「お気に入り」 に登録してあります。してみますと、ライヴの、生身の猫は好かない、ということになるのでしょうね。考えてみませば、道行くおネコ族に、自分から近付いたことはないなぁ・・・と。お犬サマでしたら、目と目が合った途端にニュアンスして(ふるっ^^;)しまい、雨風も遅刻も度外視で駆け寄って、熱い友情を結ばずにはおかない私です。ひとつ人より犬が好き~、ふたつフサフサ触らせろ~、てなノリですね、ハイ。いささかヘンタイちっくなまでに犬好きなのは確かですが、猫族にパッションを感じない、直接の理由ではなさそうな。うーん、猫好きの方には申し訳ないのですが、言ってしまいます。ちと薄気味悪いのです、猫って。先般、庭を訪れるコにしても、そうなのですが。この間の夕方、母は縁側、私は庭という構図でテレテレとしゃべっておりました。猫が来てはるねぇ、来たらアカンて言うてますんやけどー、どこのコやろうねぇ、さあねぇ、あんまり気分良ぅないねぇ、大人しそうやけど、案外クセがありそうな・・・てなカンジで、話題にしておりました。で、私、フッと・・・ホントに何の気なく、門の方を見たのですよ。話が出来すぎと笑わないで下さいね、いたのですよ・・・薄暗くなってきた夕方、門の所に、件の猫が。門扉の丁度真ん中を背にして、一縷の乱れもない絵のような座り姿で、じっと静かにこちらを見ていたのです。エジプトの猫の神様・・・えっと、バステトでしたか。 あれを思い出しました、一瞬。ゾクッとしました、不覚にも。ウチらの話、ずっと静かに聞いていたのかな・・・と。頭をフッと振って気を取り直して、「来たらあかんて言うてるやろ」 と言いながら近付きましたら、スルリと門扉の下をくぐって出て行きましたけれどね。この一月くらい、似たようなことは、実は何度かありました。何やら、こう・・・上手く言えないのですが、全部見透かしているということを隠して接しようとしているんだよ、という多重構造の作為が、チラチラと見え隠れに伝わってくるとでも申しますのか。考えすぎなのかも知れませんが、薄ら寒い気持ちになるのですね。猫をオカルティークな小道具として使う小説や漫画は多々ありますが、『あさきゆめみし』 を描かれた大和和紀さんのホラー漫画、『影のイゾルデ』 に出てくる猫(こちらもイゾルデ)には、特に怖い思いをいたしました。いやいや、『あさき~』 でも、柏木が女三宮を恋慕する場面では、猫が効果的に、冷たい怖さ醸し出していましたっけ・・・。読まれた方、おいででしょうか?猫では、マヂで腰を抜かした恐怖の経験もあります。我家の御不浄は二ヶ所とも半分外にあるのですが、メインで使っております母屋の方の仕切り戸は、昔はガラス障子でした。その引き戸の向こう、つまり小庭の外からですね・・・大きい猫が立ち前足でバンバンと叩きながら、もンのすごい形相で喚き散らす姿を目の当たりにしたことがあるのですよ。真夜中で、外は暗闇。 ガラス越しに室内の電気が猫の目に映って、金色にビカビカ光っていました。こっ、怖かったー!!!こうして過去の話として書いておりましても、震え上がって、お尻で後ずさった夜の記憶がビビッドに蘇ります。 ブルブル。あの夜の猫の狂乱の理由は解らないままなのですが、こちらは3倍勝ちのパニックを起こしましたので、それどころではありませんでした。あんなに怖い思いは、私の人生の後先、そうはないと思います。あとは・・・そうそう、屋根裏の猫。もう閉じましたが、我家には屋根裏がありまして。閉じます前は、外から野良猫が入り込んで出産をしていたものでした。臨月前で気が立つのか、ギャースカドカドカと走り回ってうるさいことでした。うるさいだけなら時期の事と諦めますが、夜中の鳴き声がね・・・とても気持ち悪いのですよ。産む苦しみの声なんて、それはもう・・・低く天井(向こうにとっては床ですか)を振るわせる底声。生まれた子猫ときましたら、細く頼りなげな声。猫の声だと解ってはいましても、一人で起きている夜中には、かなり気持ちの悪いモノですよ~~~。こうしてツラツラ挙げますと、ボンヤリと見えてきました、私が今イチ猫に気を許す気になれない理由。得体の知れないものは、ヒヤリと怖くて嫌なのでしょうね。熊でしたら、普通に怖がればそれで済むのですけれど。鈴を・・・我家でも買うべきなのでしょうか。ともあれ、猫にも熊にも有用だということは、ハッキリしましたね。パンダには・・・どうなのでしょう(笑)
2004年10月19日
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おいで下さる皆様、アロ~ハでございまする。sakura姉さんを筆頭に数名よりの励ましを得まして、勇気を出して歯医者さんへ行って参りました。ちょっと変わった場所に出来た口内炎だったよ、アハハハ~♪・・・と話が済めば、御心配下さった皆様からタコ殴りをいただいて、ついでに日記のネタにもなろうってトコでしたが。基本的に面白みに欠ける私の出す結果ですので、やっぱりヒネリも意外性もありません。ごくごく直球に、親不知でございました。 あうう(涙)痛みの原因は、炎症だそうです。まずは服薬で炎症を鎮めて、その様子で後の処置を考えましょうとのコト。当日に問答無用で麻酔 → 切開 → 抜歯だと思い込んで、決死の覚悟で参りましたので、思いもよらぬソフトな診断にビックリでした。明日できることは来月でいいや という、私の基本思考にピッタリ合います(こらこら^^;)。後で聞きましたら、別にセンセが呑気であられるのではなくて、炎症が鎮まらない内は切るに切れないのだそうでしたが(笑)一度出た以上は引っ込まないのが、親不知だそうです。いずれは抜かねばならぬそうな。しかし、普通に真っ直ぐ育っているだけなので、化膿でもしない限りは急いで触る必要はないですよー、とのコト。思わず、感謝で縋りつきたくなりましたよ、K先生。漫画のスーパードクター・K は、センセがモデルですね? そうでしょう、きっと^^ (←アホ)アホと書いて思い出しましたが、今回の通院で、ちと・・・小さな恥をかいて参りました。歯医者さんでは、治療後に口をゆすぐのですよねぇ。思い出せば何でもない、当たり前のことなのですが、私はスポーンと忘れておりました。処置(と言いますか、単に観察で済んだ)が終わり、電動の椅子がウィ~ンと上がって、仰向けから普通の腰掛け状態に。その時、助手の方が 「○○○くださーい」 とおっしゃったのですよ。よく聞こえませんでした、奥歯にトントンしてもらったイソジンの風味にウットリしておりまして。私は、無類のイソジン偏愛者なのですよ・・・って、そんなコトはどーでも良くて。「えっと・・・すみません、何でしたか?」と尋ねますと、助手さんは、可愛らしい手つきと目線で、小さな紙コップを示されました。たれぱんだ柄の小さな紙コップには、水が入っています。「これ?」 と目で尋ねますと、「そそ」 と、やはり目でお返事。・・・飲んだらいいのかな?紙コップを手に取って、しばしの戸惑い・・・今思いませばホントにアホなのですが、冗談抜きで解らなかったのですよぉ^^;一口、コクリ・・・おいし、ノド乾いてたんだぁ飲んだ瞬間、コップが用意してあった台の真横にある、洗面所の排水口の小型版みたいなボウルに気付きました。そして、一気に思い出しました。そうそうそう~、飲むんじゃなくて、ゆすぐためのお水だったー! と。助手さんは多分、「(終わったので)ゆすいで下さーい」 とおっしゃったのですね。聴こえなかった○○部分が判明しました、とほほ。いきなり水を飲んだ私を見て、先生と助手さんは一体、どう思われたことやら・・・赤面です。でもでも、ちゃんと目で尋いて、向こうさんもお目々パチパチで頷かれたのにぃ。目は口ほどにモノを言い。。。なんて、真っ赤な嘘ですね。アイコンタクトなんぞは幻想です。 横文字にしたからって、何も変わりません。だから歯医者さんはイヤなんだよぉ・・・って、単なる逆恨みなのかも知れませんが(爆)ともあれ、炎症鎮めの薬を日に3度飲むことになりました。カプセルと錠剤が1コづつですから、余裕のたりぞうです。粉薬でなければ、非常に鷹揚に、こまめになれるのです、ワタシ。次回は火曜日に、経過見せに行って参ります。とほほほ・・・この私が、歯医者さんに予約を入れる時代が来ようとは~~(落涙)
2004年10月10日
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皆様、こんばんは。すっかり秋めいて参りましたね、気持ちの良い毎日でございます。のっけから自慢話で恐縮ですが、しばし御辛抱下さいますか。私の数少ない取り柄に、虫歯がないことが入っております。永久歯に生え変わってからというもの、掛け値なしに一度も虫歯を患っておりません。幸い、歯自体の質は悪くないのでしょう。加えて、健康な歯をキープする努力も続けてきました。とにかく、こまめに磨くことを信条にしております。歯磨きセットと口内洗浄液とフロスが三種の神器です。出先でも、事情が許せば すかさずシャカシャカ、モゴモゴやっております。財布やケータイを忘れて出かけることは時々ありますが、三種の神器とハンドクリームを忘れることはありません。 ふむっ!間抜けなエバりネタですね、こうして書いてみますと(笑)なして、こげに気合いを入れて歯のお守をしちょるかと申しますとですね。要するに、歯医者さんが怖いのですよ。 ははは(^^;歯医者さんに行かずに暮らすためならば、どのよーな根気も努力も惜しまへん! といふ姿勢で、ギンギンに構えておりまする。基本的にコダワリの薄い人間なのですが、そんな私をして、これだけは譲れないっ、とテンパらせるほどに、歯医者さん恐怖症は根深いのでありんす。歴史は遡って、たりぞうの乳歯時代。その頃には、虫歯がありました。子供ですから、否も応もなく、歯医者さんに引っ張って行かれたものです。当時に掛かりました歯医者さんが、それはそれは怖いセンセイだったのですよ~~~(涙)かなりお年を召したオジイチャン先生で、今思いませば、いささか癇症であられたなぁ、と。ちゃんと口を開けなかったり、途中で泣いたりしましたら、遠慮なく大声で叱りつける先生でした。まあ、良く言えば昔風の・・・年降りてもカクシャクとしておられた方なのですけれどね。先に診察室に入った、同年代の子の泣き叫ぶ声と、それを凌駕するセンセイの怒声。父親にすら怒鳴られたことのない私にとっては、大変な恐怖でした。待合室の時点で、既に泣いて帰りたがる私を宥めすかすのは大変な苦労だったと、いまだに母が申します。その苦心を、他の、もう少しソフトな歯医者さん探しに向けてくれれば良かったのに(爆)ま、田舎ですからね・・・当時は、選択の余地が少なかったのでせう。ちなみに私が住まう県は、今でも歯科医院の軒数が一番少ないのだそうです。 何ででしょ。閑話休題ともあれ、怖い怖い歯医者センセイに、骨の髄まで震え上がった私なのでした。歯医者さんは怖い、行きたくない → 虫歯がなければ行かなくていいと、いささか短絡的ながら結論しますのに、時間はかかりませんでした。永久歯が生え揃いましたのをきっかけに、私は生まれ変わりました。恐怖と屈辱に満ちた過去を捨てて、新しく生き直す決意を固めたのです。幸いにも、様々なタイプの歯ブラシと歯磨きペーストが開発され、追々とフロスや口内洗浄液なども商品化されました。時代の波が、私の決意を後押ししてくれたのです。洗面所で歯ブラシを握り締め、朝日に誓いました。もう決して、歯医者さんに縁は持たないと。実際は、もうちょっとヘナチョコ風味でしたか。持ちたくないなぁ~~~、それにつけても眠たぃ・・・てなカンジで(爆)あ、それでもですね。永久歯になりましてから、一度だけ歯医者さんに行ったことがありますよ。先述の怖い歯医者さん(と申しましても、お孫さんの代になっておいでですが)ではなくて、歩いて行ける、ごく近所のクリニックです。父が、まだおりましたから・・・そう、5年ほど前でしょうか。目覚めると同時に、奥歯の強い痛みにドッキリ。昨夜は何ともなかったのに、一晩で虫歯になるモンですか??? と、台所に駆け込んで母を詰問。母曰く・・・現に痛いんやったら(お医者に)行かんと解りませんやろ、と、非常に現実的な返事でした。そのお医者に行きたくないから、ギャーギャー騒いでいるのに(涙)ウダウダと時間を稼いでいる内に、本格的にうっとうしがられまして、保険証とお金と一緒に追い出されました。焼き芋屋さんのトラックから拾われたイモ娘らしいので、こーいう時に冷たい扱いを受けるものですよね(爆)急に歯が痛むなんて・・・今までのケアは何だったんだという厭世観と、歯医者さんでナニされるんやろという恐怖とで、冗談でなく半泣きでトボトボ歩いていました。ゆっくり歩いても10分の距離です。一歩ごとに近付く阿鼻叫喚の時間・・・怖さと情けなさの余り、気付くのに多少の時間がかかりました。道のりの8割ほどを歩いた頃、ふと違和感が。・・・あれ? 痛くない???いえ、多少の疼きはあるのですが、起きた頃の痛みに比べますと、止まったも同じようなモンです。鎮痛剤なんか飲んでいないのに、何で・・・?訝る内に到着してしまいました、地獄の門、もとい、歯医者さん。このまま帰ろうか? いや、しかし、夜中に再び痛んでも困るし。ここは一発、度胸をキメて・・・最小限の辛抱で乗り切るべきだナ。勇者たりぞう、意を決してドアを開けました。 じゃじゃーん☆んが、しかし・・・すぐに案内された診察室では、オドロキの事態が待っていたのです。「特に悪いトコありませんよー。 なかなか気を付けてはるみたいですね、この調子で大事にしてください」といふ、明るい診断ではあーりませんか。 何ですと???いえ、しかし起きた時にはすごく痛くて・・・と、いささかムキになって説明する私。半泣きで嫌がっていたくせに、大丈夫だと言われると、理不尽な気分になる勝手なヤツでありんす。「あー、それはね。 多分、歯が浮いてたんですよ。 よくあることです」歯が浮くって何だ・・・起き抜け早々、ラテン男性に口説かれた覚えなぞありゃしませんぞ(←心の声)冗談はさて置き、センセイの説明では、要するに疲れか肩こりが原因でせう、とのコトでした。そーいう状態の時には、起き抜け時などに、しばらく歯が痛むことがあるそうです。現に、今は痛くないでしょ? と尋かれて、グッと詰まるたりぞう。せっかく来たのだからとハハハと笑われ、少しあった歯石を取っていただいて帰されることになりんした。治療ではないから、お代は不要とニコリと微笑む受付の方に見送られ、何やら・・・今イチ釈然としない気持ちでホテホテ歩いて帰ったものでした。ともあれ、たりぞうの ノン・デンタル生活は、際どくも守られたのです。さて、こっからが本題。。。遅い!(爆)5年前は勘違いで済みましたが、今度は本当に、じっくりとお世話になるかも知れません。奥歯が、痛いのです。起き抜けの一時的な痛みではなく、この2日間、ずっと痛んでおります。歩くと響きますし、食物を噛むとズキズキ。正確に言えば歯ではなく、一番奥の歯の、もう一つ向こう・・・ええと、歯肉の部分?奥歯の更に奥で、下は骨か何かで、触ると固い箇所。痛んでいますのは、どうやら、その部分らしいのです。これって、もしや・・・巷で噂の 「親不知」 ではないのでしょうか???友人の何人も、身近では兄も患いました、恐怖の親不知。本来は不要な歯が、歯肉を突き破って生えてくる現象だと聞いております。同じく痛んでも、虫歯とは関係ないとやら。虫歯対策は出来ても、親不知の発達は防げないとのことです。兄ぞうなどは、一番奥の歯がせり上がって、隣の歯を無理に寄せるような変則的な生え方をしたとかで、手術で歯肉を切り拓いて除去する大事になったものです。上げて寄せて喜ばれるのは、ブラだけですね(意味不明)こうして書いております間も、ちょっとした身動きの度に、低音でズンズク痛む私の奥歯なのです。歯医者さんに行きなさいと、母よりの厳命が下りました・・・あうぅ(涙)鎮痛剤を飲んでいるところをウッカリと見つかりまして、理由を説明する羽目になったのです。明日一番にと騒ぐ母には、予定が詰まっているからと逃げましたが・・・明後日の言い訳を考えつけずにおります(;;)痛みで辛いのは、母でなく私なのですが・・・もしも親不知でしたら、どのような苦行を耐えねばナランのかと思いますにつけ、クリニックの門を叩く勇気が出ないのですぅ(号泣)どーぞ大事になりませんように・・・しくしく(落涙)
2004年10月05日
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・・・って、何なのでしょうか?(汗)どーいう訳か、この言葉がですね・・・空きスペースの多い我が脳内を、縦横無尽にヒュンヒュン飛び回っておりまする。どこで仕入れた言葉なのやら、全く見当がつきません。御殿場とは、静岡ですよね。断食道場でもあるのでしょうか・・・あるのかも知れませんが、何故に御殿場?静岡だということ自体、念のために地図帳で確認してしまったくらいに縁も用事もない場所なのですが・・・ううむ。何かの流行で、TVか本屋の平台ででもチラリと目にしたかと思い、ネットで検索したり友人に尋ねてみたりもしましたが、全てアウト。 ハズレでブッブー。「御殿場ダイエット」 という一繋ぎの用語は、どうやら私の脳内にのみ存在して、この2日ほどお祭りをやっているとしか思えないのです。「コレだよ」、もしくは 「コレと混同していないか」 等のアイディアをお持ちの方、どうか御教示下さいませ。あうー。考え過ぎて、夜も眠れずお昼寝してしまったので、いささかボンヤリしております。何となく、エアロスミスを聴きたひ・・・あう、仮眠導入みうじっくには不向きでありますなぁ。あ、でも、『PINK』 ならイケるかな・・・ルーティンプレイに設定しておけば???そげなコトを考えてキャーキャーしている間に、さっさと横になれば良さそうなものだと思うのですけれどね(爆)
2004年09月21日
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本日の持ちコマを終えて、やっと一息。ホテホテと階段を降りていた私は、後ろから呼び止められました。見れば、中2の男の子・・・仮にA君としておきましょう。今年は教えていないのですが、本好きなせいか、私によく話しかけてくれる子の一人です。「センセ、しりこだまって何?」・・・理解するまでに、一拍分の沈黙。一瞬、脳内の漢字変換機能がストップしてしまいましたぞな。「あー、河童の尻子玉のこと?」「そおそお。 それって何?」年上の人に尋ねる時は、「何ですか」 でしょ・・・っと、そこはセンセイらしく軽くたしなめて時間を稼ぎ(こら)、急いで記憶のスコップを握った私。こりゃまた、よりにもよって地層の奥の奥、残っているかどうかも危ういフィールドを、急遽掘り返さねばならないことだ・・・。「泳いでたら抜かれるんやんなぁ?」テキは、呑気な顔で畳み掛けてきます・・・ち、ちと待ちなされ、混乱するから。若人よ、そんなに急いでどこへ行く(大違)泳いでいる時は、足を引っ張られるのですよね、確か。尻子玉を抜かれるのは、悪いことをした場合だったと思うのです。大人が、叱る時に言うんですよね・・・「こらっ、そんなコトしたら河童に尻子玉抜かれるぞっ!」 なんちて。でも、尻子玉を持っているのは、男の子だけだったような記憶があります。持っていると言いましても、架空のブツですし。好物はキュウリです。 これだけは何故かはっきり覚えています。と、まあ、いささかアヤしい記憶を辿りながら、上記のような内容を説明したワケです。「確か」 とか 「多分」 とか 「思う」 などを やたらに挟んでしまいましたが、ずっとずっとずーーーっと昔に読んだ昔話や、大人から聞いた(?)話の記憶だけが頼りでしたので(汗)ふむふむ・・・と頷きながら聴いていたA君、まだ逃がしてくれません。クーラーがよく効いた校内・・・暑くもないのに、何故か汗がジワリと。「尻子玉って、抜かれたらどーなんの? 死ぬの?」「いや、死にはせんと思うよ・・・確か、フラフラの無気力になるんやなかったかなぁ」「なんで男子だけ抜かれんの? 女子は?」「ハハ、言われてみたらその通りやなぁ。 何でやろうねぇ」思うに尻子玉とは、「魂」 と言いますか、男の子らしさ(と思われていた要素)の象徴なのかも知れませんね。勇気とか、決断力とか、冒険心とか、やる気とか、勤勉さとか・・・まあ、そういったイメージです。男子と生まれたからには、こうでなくちゃならん! という刷り込みが、昔は殊に強かったでしょう?理想の素を詰め込んだ玉を取られますと、もう、箸にも棒にも掛からない、今で言う 「ヘタレ」 になってしまうワケですな。男権社会では、死活問題です。それだけ大切な、万一にも抜かれては困るもの・・・が転じて、悪さ封じの脅し文句になった・・・と。こんな感じではないのでしょうか?咄嗟に記憶を繋ぎ合わせたにしては、そこそこ理屈が通った・・・ような気がします。 自画自賛モード全開。男の子だけ、という点に不満気ながらも、テキ・・・じゃなくてA君は、それなりに納得してくれたようなので、ひとまずホッ。出来れば、この話はこれっきりになって欲しいと願っています。新たな疑問点を仕入れてぶつけられた日には、夜中に泣きながら民俗学の本でも紐解いて調べるハメになりそうでコワイ。・・・想像しますと、非の打ち所のないヘタレ姿ですね(爆)はふー、不意打ちってオトロシイものです。無知の言い訳で恐縮ですが、つらつら思い出してみますと、とんと河童に縁のない子供時代だったのですよ、私。河童がいそうな沼や川が、近所になかったせいでしょうか。周囲の大人も、私達の悪さを叱るために河童を持ち出すことがありませんでした・・・信憑性が出ませんものね。私の記憶の中では、河童は非常にマイナーな存在なのです。世代的にも、河童より口裂け女の方が、よほど怖い存在でありました。口 裂 け 女おおお・・・こうして改めて文字にしますと、当時の記憶がビビッドに蘇ってきます。全国の小学生を恐慌状態に陥れた、ある意味でピンクレディーと並ぶ、時代のヒロインでありんす。怖かったですねぇ・・・私が最初に聞きましたのは、小2くらいではなかったかと思います。丁度、学校の怪談などに興味を持ち始める年頃です。私達も例外ではなく、夜中の音楽室のピアノだの、木造校舎の大鏡だの、開かずのトイレだの、話を持ち寄ってはキャーキャー騒いでおりました。怖いのも楽しみの内なのです。そげな楽し怖し気分を吹っ飛ばしましたのが、口裂け女の風評でした。一時は、夕方遅くまで遊ぶ小学生がピタリといなくなったそうです。小学生の遊びたい心を封じ込めるとは、ただものではありません。今でもよく覚えていますのが、ピアノの稽古が少し遅くなった夕方のことです。当時は御近所のお教室に通っていたのですが、出て数メートルの曲がり角に、自転車で兄ぞうが来ていたことがありました。口裂け女を心配しまして、迎えに来てくれたのでした。今となっては笑い話ですが、当時は大マジでしたよー!「(口裂け女が)出たら飛ばすから、しっかり掴まってなあかんぞっ」と言う兄ぞうに従い、荷台に揺られた夕暮れ間近の帰り道でした。後ろからは見えませんでしたが、兄ぞうは、大きい目を更にひん剥いて必死に自転車を走らせていたのでしょうね(笑)ちなみに両親は・・・今考えますと大笑いしたかったのでしょうけれど、そこは超人的な努力でこらえて、上手く仕込みにすり換えましたものです(笑)まずは、自分も怖いだろうに、堪えて妹を迎えに行った兄を誉めちぎりまして。お兄ちゃんに、おおきに言いなはいね・・・と、私に薫陶をば。そして、並んで座った私達に、「口裂け女は怖い人やけど、しっかりお題目上げてる子ぉらは御本尊様に守られてるから、怖くて近付いて来はらへんの。 さ、今晩もしっかりお勤めしましょうな」うーむ、上手い。 出来すぎてイヤミですね(笑)物心つく前からの習慣とは言え、そろそろ、朝夕のお勤めを面倒がったり反抗したりする年頃だったような気がします。口裂け女がもたらせた恐怖は、両親にとりませば、中だるみの時期であった信仰教育に絶妙のスパイスであったと言えましょう。 ぷぷぷ。そげな両親の内心なぞ露知らず、ド真剣な顔で二人並んで正座をし、子供用の小さい数珠をスリスリしながら懸命にお題目を上げる兄と妹・・・可愛いと言いますか、他愛ないと言いますか。あーいう時期もあったのだなぁ、と(笑)こうした、子供心の 「利用」 には、おや? と思われる方もおいでかも知れませんね。んー、考え方は色々なのですが。少なくとも、私どもには良い向きで結果が出ましたので、単なる笑い話として紹介させていただきました。物心つかない内からの信仰教育の是非につきましては、後年の私が、大学時代に反発を覚えまして、家人に対してかなり物々しく構えましたものです。ま、その折の話は長くなりますので、また機会に応じて追々と。結論としましては、しかし、「畏れと自信は同じところから」 という点で、私は落ち着きました。畏れ敬うから、そこ(私の場合は仏前)では生身になれる。生身の私は守られているから、思うように頑張って生きていける。呼吸しておりますのと同じくらいの自然さで、そう信じられるように、ある時からなりました。「大きな存在に見守られている」 という、理屈抜きの絶対の安心感を持たせて下さったことに、両親の信仰教育の真髄があったように思います。逆に言いませば、その安心感が土台にありますからこそ、大学時代の反発を自由にやれた・・・という気もいたします。 何となくなのですが。あう、随分と話が脱線してしまいました(汗)小腹が空いてきたような・・・ユーワクに負けない内に、とっとと寝て参りますね(汗)カッパ巻き、食べたいなぁ・・・(←キュウリ好き)
2004年09月08日
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大きくて長い地震が二回ありまして、震え上がりました。皆様には、大事ありませんでしたか???一度目は、母も私も出先でした。母と私の安全確認の電話がバッティングしてしまい、しばらく不通状態でした。お互いにイライラと不安が極まって、やっと通じました時には、いささか喧嘩腰の話し方になってしまいました(汗)近場の姉、大阪の兄、和歌山の新宮に一人暮らしの祖母に電話・・・皆、何ともなくて有難いことでした。二度目があるとは思いませんでしたから、母は寝室へ、私は自室へ。静かな夜長が一転、グラグラ・・・ユサユサっ! と来ました時には、母と私の阿吽の呼吸で玄関に走り、庭に飛び出しました。有難いことに多少のゆとりがある庭なので、万一屋根などが崩れても避けられます。しかし、金木犀の木の下で眺めた揺れる我家・・・恐ろしいものでした。古い木造家屋ですので、心配も一入です。我家は石垣の上に建っていますので、石垣が崩れたらという不安もありました。思いがけずブルブル震えて母と抱き合い、揺れの治まるのを待つしかありませんでした。一応、治まった様子・・・まだ安心出来ませんので、非常対策モードに入りました。我家で大切なものは、御本尊様と過去帳、そして一部いただいた父の遺骨と遺影です。すぐに手を洗って手袋をし、シキミの一葉を口にくわえて、御本尊様を紫袱紗と新品の風呂敷に包んで、畏れながら玄関近くへ。御本尊様に手を掛けて仏壇から降ろさせていただくなぞ、文字通り、「あり得ない」 所業なのです・・・地震とは別の意味で震えました。父のお骨と過去帳は、一段格下の袱紗と風呂敷に包んで、御本尊様と同じ鞄に納めさせていただきました。そして、御本尊様や父を守り申しますのは生きている人間であります。 母と私が無事であることが肝要です。かねてより用意しておいた防災グッズを玄関先に揃え、底の厚い靴と懐中電灯、タオル類も支度しました。自然災害に苦労した経験がない、穏やか千万の地域ですので・・・浮き足立って、ソワソワしております。
2004年09月05日
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皆様、お久しぶりでございます。暑さも幾分は和らいで参りましたが、お元気でお過ごしでしょうか。昨夜は特に涼しい夜長でした。扇風機すら切ってしまって、漫画を読みながら、眠くなるまで団扇をハタハタしておりました。私が愛用しておりますのは、某大手製薬会社の広告入りの、どこかでいただいたペナペナ団扇でございます。しかし、兄や母は、優雅な絵入り、もしくは舞妓さん・芸妓さんのお名前入りの、作りもシッカリしたブツを使っております。すわ! 家庭内イジメか???3歳くらいだった兄ぞうが、焼き芋屋さんトラックからヒョコヒョコと持ち帰ってきた赤子だったと噂されている私。拾ってきたなら仕方ない・・・といふコトで娘として育てていただいたものの、細かいトコロで差別はあるのか。配給する団扇の質で差をつける辺り、間抜けっぽく見えますが、なかなか陰湿・・・?といった、『氷点』 ばりのドラマティックな理由ではありませず(笑)恥ずかしながら寝相が悪い(らしい)私ですので、木作りのシッカリした団扇は身に合わないと、ずっともらえずにいるのです。ずっと昔のことですが、サンバ並に乱れた(らしい)寝相の勢い余って、団扇をバリンバリンに壊したことがある(らしい)のですよ。壊したのは・・・ホントに私なのでしょうかねぇ???どうもスッキリ納得できないのですが、私に甘かった父すらも、この点だけはフォローしてくれなかった・・・むむむ。誰が壊しましたのかはともかく、その折に裂けた木で、右頬を怪我しまして・・・って、私は全く知らずにカーカー寝ていたのですが(汗)朝、起きてきた母が、頬から流血しているトド娘の寝姿を発見して腰を抜かした・・・という事態でした。 ハイ。以来、母は私に、ちゃんとした団扇を与えてくれません。もらえるのは、広告入りのペナペナのばっかりです・・・しくしくしく。頬の傷跡なんぞ、その気になって見ないと解らないくらいの微細なモノなのですから、そうまで気になさらずとも・・・と思っていました。ああ・・・でも、こーいうのも母親心なのかな?苦笑交じりに、口にはしませんが、そう理解しておりました。嘘はないと思います。なかったと思います・・・小声で過去形。一縷の傷も付けまいと腐心した可愛い末娘も、30を過ぎますと、ただの色白不良債権に成り下がりまして(爆)母は多分、私が団扇で怪我したコトなどは忘れておられるな・・・と思いましたぁ。 ぶーぶー。先日、お盆休みで兄が帰っておりました時に、久々にチラシ寿司を作りまして。それは良いのですが、寿司飯を煽いでちょうだいと渡されましたのは、私が細々と愛用している、ちと折れ曲がり気味の広告ウチワ・・・。わざわざ、私の枕元から持ってきはったんですかぁ?ううう、煽ぎ潰しても構わないブツなのか・・・母の愛は、酢飯の湯気と共に飛散したのねーーーー(爆)と懇々グレてみましたら、「ま、たりちゃん・・・アホなこと言うてんと。 そうそう、新しいのもろてきたんや、たりちゃんにあげるから使いよし^^」と、サササと差し出してくれました、おニュー団扇。・・・前回は胃薬で、今回は栄養ドリンクの広告入り。ママンよ、この製薬会社に何か弱味でもありますのか。それともやっぱり、私はイモねーちゃんだから嫌われているわけぇ??(爆)あうー、優雅な団扇を枕元で使えるのは、いつのことやら・・・。ともあれ、寝相が悪い疑惑を冤罪と証明せねばなりませんねっ。冤罪だと・・・思うのですが・・・多分・・・。
2004年08月22日
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お暑うございます。皆様、お元気でお過ごしでしょうか?台風が通過して数日は涼しく過ごせましたのに、またもや陽射しギンギンの日々に戻ってしまいましたネ。まだ8月ですから、これで当たり前なのですけれどねー(苦笑)おかげ様で風邪は治りましたが、多少の咳と食欲不振を引きずっております。 ずるりら。夏でも食欲が落ちないことを自慢にしておりましたのに、今年はどうしたことやら・・・むむむ。多少なりと痩せるのでもあれば、まだ納得もゆくのですが、そちらの兆しは一向にナシ。損しているような気分です、とほほ。そんな我家の本日の昼食は、素麺と天ぷらでした。私は素麺だけで結構・・・という気分だったのですが、病み上がりにはスタミナが必要だと、母に諭されまして。それもそうかと了解しますと、いそいそと冷蔵庫を開けて、野菜を取り出し始めた母。「これとこれ・・・あ、これも半端やね、これも揚げちゃえ」見る間に卓袱台には、残り物の野菜が積み上がりましたぞな。もしや・・・ハメられたのかな、私(爆)「アホ言うてんと・・・さ、小エビも使ってええさかい、かき揚げにでもしよし。 たりちゃん、好物やもんねー♪」私の追求をツルツルとかわして、何やら恩着せがましくホザく母です。えーっ、しかも私が作るんですかぁ???(爆)野菜を刻むの、面倒だなや・・・ぶつぶつ。母は楽して、勝手に素麺茹で係に。そうめん~ ひとすじ~ さんじゅうぅねぇん~~~ ゆでますゆでます~ あついなぁぁつぅ~~~などと、わけの解らぬ歌で、一人で盛り上がっておりました。出かける時には帽子をかぶれと、あれほど言ったのに(謎)素麺なんぞは、すぐに茹で上がり・・・食器も用意した母は暇になって、麦茶を飲みつつボン・ジョヴィのライヴビデオなぞ観ております。「たりちゃんたりちゃん、今の歌詞、どういう意味え?」野菜を刻んだり、衣を合わせたりと忙しい私に、ノーテンキなる御下問。説明しかけますと、「あーっ、ストップー! ここが好きなんやわ~~~」と遮って、ボン・ジョヴィの絶唱姿にウットリ。・・・私、血の涙です。 るるるー(T-T)疲れる母でありんす、とほほ。素麺ソングがうるさいからビデオをかけたのでしたが・・・あんまり変わりませなんだ(爆)そこへ、お隣の奥さんの訪う声が。回覧板を持ってきて下さったようです、母は玄関へ出て行きました。その間に、私はカセットコンロを出して、天ぷらを揚げる支度をば。電熱式の卓上フライヤーが、数ヶ月前に壊れてしまいました。その時、注目を浴びたのが、それ以前に壊れた炊飯ジャーのお釜です。何かに使えるかと、お釜だけ取っておいたのでしたが、これが卓上揚げ鍋にピッタリ♪電熱鍋のように油の温度をダイヤルで調節することこそ出来ませんが、カセットコンロでの火加減に慣れてしまえば、問題ではありませんでした。お客様の前には出せませんが(笑)、家族だけで天ぷらをする分には、これで良いのです。 ふふふ。さて、お釜に油をトクトクトク・・・天ぷら用の山椒塩とカレー塩も用意し、後は席につくだけ。しかし母は、まだ玄関でおしゃべりしているようです。油を温め始めていいものやら悩みつつ、ふと卓袱台を見ますと、素麺の麺つゆが出ていません。あらら・・・と思い、冷蔵庫を開けました。・・・ありません、麺つゆの壜。冷蔵庫2台とも丹念に探し、調味料をストックしている棚は勿論、まさかあり得ないと思う場所まで見ましたが、ないのですよ。面倒なのじゃが、急いで作るだ・・・と味醂の壜を掴みましたら、漫画のようですが、本当に5ミリしか残っていなかったり(爆)コンビニに走るべし! と、お財布を掴んで、台所の勝手口からバカッと飛び出しました。我家の勝手口から見ますと、メイン玄関は右手。お客様に目立たないように家人が出入りできるからこそ意味のある勝手口でしょうに。我家の場合、どちらの玄関から出ましても隠れられない位置に勝手口があるのですよ・・・絶対ヘンだ、これ(爆)急に出てきた私を振り返った隣家の奥さんに、ともあれ御挨拶をば。御挨拶の間に、目の端に入ったものに愕然といたしました。「どうしはったん?」と、何も気付いておらぬ母。「おネギが、足らへんかったので」と、お財布を背後にポイして即興で返しました私、我ながらオトナー! です。自画自賛もーど120%要らないネギを庭で数本摘んで、ソソソ・・・と台所へ戻りました。やっぱり あるやんかっ、麺つゆー!おかしいと思っていたのですよー、一昨日に使った時に、壜の半分くらいは残っていたと、何となく覚えていたのですぅ。母ときたら、おそらく、用意しかけであったのでせう・・・麺つゆの壜を持ったまま、玄関に出たのでした!正座した母の膝の横に、チョコンと麺つゆ壜が並んでいるのを見ました時の私のクラクラ気分、どうぞお察し下さいませー(爆)前回の日記で書きました心理テストへの結果を、かぼねぇさんへのお返事に兼ねて紹介しております。お寄り下さったおついでに、御参照下さいませ☆
2004年08月10日
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お久しぶりの、たりぞうです。皆様、お元気でしょうか?私事に かまけておりましたら、随分と間が開いてしまいました。終わりました2日後に、高熱の夏風邪でゴロンと倒れまして、ヤマは越えましたが、いまだにズビズバしております。 キタネ。御存知のように、私は軽くアホちゃんな末っ子であります上に、足のサイズは21.5です。傍目には普段と変わらぬトボケた様子と、小足のチョリチョリ歩きなのですが、実は熱があってホケラン~、と過ごしております。ちょっと、ハイで気持ち良かったりして・・・(笑)そげな私の、今年の夏風邪のテーマは、「痛み」 であるようです。熱でピシつく関節、咳で身が張る下腹、赤剥けした鼻の下。そして、熱でボケつつも発露してしまいました、ちとイタい(かも知れない)私の深層心理・・・。昨日の夜中チャットで、友達が心理テストをば出してくれました。有名な状況設定らしいのですが、私には初耳でした。下記の設定です。「あなたは、両親と妹の4人家族です。 今日は、お母さんのお葬式です。 あなたは、弔問に来た初対面の男性に一目惚れします。 翌日、あなたは妹を殺します。 あなたは何故、妹を殺したのですか」最初にヒラめいた答えを! と、設定を聞く前から念を押されていましたので、即レスで最初の思い付きを素直に答えました。考えちゃったら、心理テストではありませんしね。そうしたら・・・非常に驚かれてしまいました。統計上、極めてレアな答えなのだそうですよー。さて、クイズです。パッとした思いつきで、私は何と答えたのでせう。そして、貴方のお答えは、いかがでしたか?宜しければ、お返事を下さいませ♪ >皆様
2004年07月29日
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京阪神をクルクル飛び回って担当物件の販売にこれ努める我が兄ぞう。相変わらずの一人三都物語状態であります。一昨日から明日は京都販売所に詰めているそうで、我家に帰って来ています。それは良いのですが・・・帰宅した兄ぞうがですね、茶の間に入って来るなり、こう言うではありませんか。「お母はん、ウチにグレイの糸ってあるんか?」兄の夕飯を温めていた母が、当然ですが訝しげに振り返ります。小学校の家庭科以来、兄ぞうが裁縫箱の中身に思いを寄せたことなど一度もありません。「そら、ありますけどな(と、一応答えて)・・・どないしたん、また急に」兄ぞう、そこでおもむろにスーツの上着を脱ぎまして、ノソリと後ろを向きました。「実は、こうなってしもて・・・」しかし母も私も、何がどうなったのか解りませんでした。すると兄ぞう、「分かる?」 と言って軽く上体を曲げました。「あらーーーーーーーっ!!!」と、仲良くカブる母娘の嬌声。そうです、兄ぞうのズボンのお尻の縫い目が、パックリ裂けていたのです!いっそ見事な、と感心したくなるほど真っ直ぐ潔い破れ方でした。何でまた、こんなことに・・・と尋ねたのですが、兄ぞう自身も解らないとのこと。一体、何時間この状態で歩いていたのやら。 そこが問題です。茶の間は急遽、取調室になりました。全部吐いたら、ウナ重食わせてやるよ・・・って、単に今夜の献立なのですが。残念。 カツ丼だったら、もっと気分が出たのにな(爆)・・・とアホらしいことを考えながら話を総合しました。母の証言では、朝、アイロンで折り目を付けた時には何ともなかったとのこと。兄ぞうの供述によりますと、午後3時過ぎに会社の同輩に指摘されて初めて気付いたとのこと。取調官(私ですが)に、兄ぞうは以下のように話しました。調書の雰囲気を出すために、ちょっと脚色してみましょうね(笑)内容はそのまんまです、ふふふ。「今日はお客の訪問数が少なく、販売センターは暇でした。 私は元よりじっと待つのが嫌いですので、私達の用語で言うところの 『キャッチ』 に出かけました。 いえ、若い娘さんやお年寄りを騙すようないかがわしい内容ではありません。 方々のモデルルーム展示場付近などにアミを張り・・・もとい出向き、我々の物件のチラシなどお見せして来ていただく方法です」(被疑者兄ぞう、ここでお茶を一口すする)「はい、頑張った甲斐があり、数名のお客様を案内することが出来ました。 いえ、まだ買ってもらえるかは解りません。 大きな買い物ですからね・・・ここからが我々営業マンの腕の見せどころなんですよ、ハイ。 ともあれ数件の下地を作り、一段落しました。販売センターは再び我々社員だけになり、それがおそらく、午後3時頃でした」(兄ぞう、ウナ丼はまだかなぁ・・・と訴える目。 先に吐いちまいな、田舎のおっ母さんを安心させてやるんだ。 証人Aを兼ねて目の前に居はるけどさ)「パーテーションで仕切った向こうに、我々のためのスペースがあります、はい。 窓口をしばし後輩と女子社員に任せて、私は同僚二人と共に休憩に入りました。 今日初めて上着を脱いで・・・そうです、お客様に接する場所では上衣着用が常識ですから・・・ハンガーに掛けましたところ、私の後姿を見た同僚が、急に笑い出し、言いました。 『Kさん、今日のパンツの色、当てたろか』 と。 何事かと振り返った私に尚も笑い、同僚は 『青と水色の縦縞やな、そうやろ!』 と。 暑い京都の昼下がり、私は驚愕を覚えました。 当たっていたからです。 確かに私は今朝、たまたま洗濯物を畳んでいた妹が無作為に渡してくれた、その柄のパンツを着用に及んでいましたが、同僚が知るはずもないことです。 日々のパンツの柄を報告し合う習慣は、基本的に野郎だらけの我が社にはないのですから・・・」(取調官たりぞう & 証人母、笑いすぎてお茶もロクに飲めないほど。 被疑者兄ぞう、空腹に負けて自白を急ぐ)「はい、その通りです。 私のズボンの尻が、いつとも解らぬ間に破れていたのです。 はあ、見られたのが同僚だけだったのは不幸中の幸いと言えましょうか。 パンツも一緒に破れていたら、それはシャレにもならない事態でしたね。 前回の東京出張で歌舞伎町を通ったなぁと、不意に思い出したものです。 クワバラクワバラ。 アンタら、笑いすぎです。 私はそれから一日中、仕事が終わるまで落ち着かず、挙動不審を絵に描いたような動きしか出来なかったのですよ。 近々出るらしいファースト社内広報に、私のあられもない後姿を載せてはどうかと、冗談か本気か知りませんが同僚が携帯カメラを構えますので、全く油断がならなかったのです。 仕事だけでも大変なのに同僚には散々笑われ、くつろげるべき我家ではもっと笑われ、私の立場は・・・。 あのぉ、それはともかく、そろそろ御飯を・・・」お腹が6つに割れるくらい笑い倒した母と私でしたが、取調室ごっこを終えてワラワラと急いで支度をば。祖父と父の流れを継いだ兄ぞうは、食事の支度を急がせたり文句を言ったりはしない人なので・・・遠慮がちながら言うからには、よっぽどお腹が空いてきたのですね。ゴメンゴメン^^;ウナ重とお吸い物、野菜の炊合わせに漬物で、兄ぞうは嬉しそうにモリモリ食べました☆さて、ズボンの処遇です。兄ぞうは、母が繕ってくれるだろうと思っていたようです。ちなみに私のことは最初からアテにしていなかったそうで・・・はいはい、アンタの判断は正しいよ(爆)しかし母も、「これは出来ませんわぁ」 と。たまたま我家にあった予備の共布と一緒に、明日にも専門の方に預けて掛け継ぎをお願いすることになりました。では、明日は何を着て行くかな・・・と、兄ぞう、思案顔。スーツの大部分は大阪のマンションにありますから、実家に置いてあるのは、ほんの数着です。また間の悪いことに、薄物がありませんでした。明日だけ我慢するか・・・暑くて耐えられなかったら昼休みに抜けて、間に合わせに吊るしで一着買うわ、と兄ぞう。その時、母がパン! と手を叩きました。薄物一着、クリーニングが上がっているはず、と。御自宅とお店が一緒なのでラッキー。朝一番でもらってきましょうということで、一件落着しました。・・・したのですが。「どんなスーツやったっけ?」と、兄ぞうが何の気なしに尋ねましたところ、母が説明に詰まりました。「緑の・・・」 とは言いましたが、緑系のスーツは何着か持っている兄ぞう。 説明になりません。「たりちゃん・・・ほれ、言うたげてぇな」いやいや、私にフられてもっ(^^;カッターシャツのアイロンくらいはしますが、スーツの出入りまで知らないもんね。「アレですやん、あの色の・・・そう、国防色!」・・・シーン兄ぞうは湯呑みを、私はビールのグラスを手に、しばし茶の間に静けさが。コクボウショク・・・並んで座っていた兄と私の頭上を、テロップがツツツ~と流れました。先に反応したのは私で、爆笑してしまいました。言うに事欠いて国防色・・・!せめて、オリーブ・グリーンとか言いましょうよう! とツッコミましたら、母、ツルンとした表情で「そうそう、そう言うつもりでしたんや」と、ヌケヌケと言うではありませんか。今夜は一体、どうなっているのでしょう。私の腹筋を鍛えるキャンペーンかぁ???イヤやぁ、もう~~~と、母の肩をバシバシ叩いて笑い転げた私でしたが、フと見ますと、兄ぞうキョトン。テロップは、別の意味で兄ぞうの頭上に流れたようです。「コクボウショクって、何?」何って・・・知らんの、お兄ちゃん!ほれ、戦争映画で見るやろう、旧日本軍の軍服の色やん!「ああ、あれか。 いや、色は知ってるけど国防色っていうんは初めて聞いた」おいおい・・・(クラリ)それはないでしょー、日本人が知らないでは通らないよお・・・「そうかー、ゴメン。 俺、戦後生まれやからなぁ」一年だけですが間違いなく年上の人間から、戦後生まれだと言い訳された私の立場は一体・・・(汗)母は、「そっそ、オリーブ・グリーンですわなぁ」 と鼻歌交じりに繰り返して、もう聞いていません。こんな家族を抱えて、唯一シッカリ者の私はどうしたものか・・・(涙)二人をそれぞれの布団に追いやって、ようやく静かな自由時間をば。さて、勉強やらネット巡回やら始める前に、ちょっと続きを読もうかな・・・と取り上げた本は、昨夜は何とも思っていなかった国防色、もといオリーブ・グリーンでした。関係ないのですが、前髪を切りすぎて、一昔前のオリーブ少女一歩手前になっている私でもあります。手品師がハットから次々と出してくるような、オリーブ尽くしの符牒が続いています。BGMは、やっぱり例の・・・『首飾リ』?笑えなーい、さすがにそこまで悪趣味にはなれません(笑)
2004年06月13日
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亀3部作(←いつの間にタイトルが^^;)、最終回であります。中国地方某県にて旧交を温めた友人のHPにですね、私のことが書いてありました。そうです、例の亀の一件です。「元々が、鶴亀千年、たり万年の呑気モンと評判で・・・」ちょっとちょっと、初めて聞くのですけれどーっ(爆)「一つ人より犬が好きってくらいの犬フリークで・・・」当たっていなくもないけれど、電脳世界にまで宣伝しないでおくれ(汗)「迷い込んできた犬と遊んでいたら(茶会の)席入りに遅れた逸話を持ち・・・」だーっ、うるさいなぁ、昔のことをいつまでもっ(爆)「ともあれ動物に優しい呑気な人です。亀とは特にテンポが合うのではないかと思いました。連絡が取れない時は、竜宮城へ旅行中なのかも知れません」・・・言いたいこと言ってくれるやんか、ふふふのフ。誰のテンポが亀と一緒だとぅ??? うっきー!(><)閑話休題・・・ちとムッツリ。見当外れな(←ここ重要☆)友人の評価は横に置きまして、今回のキーワードは 「竜宮城」 でありまする。竜宮城と言えば浦島太郎で、浦島太郎と言えば玉手箱。件の御伽噺の不思議かつ不愉快な点は、「開けてはいけない」 玉手箱を、何故わざわざ持たせたかに尽きるのではないでしょうか。竜宮城での手厚いもてなしを受けた後だけに、太郎のショックと絶望は計り知れません。異界の者が、彼らにとっては短命で卑小なる人界の者をアップダウンで嘲弄した・・・ということなのでしょうか?もしもそうであれば、この上なく嫌な話であります。日本で小学生をやれば、その気がなくとも耳に入る噺であるだけに、ずっとスッキリしない気持ちでした。この点への疑問に、多少・・・完全にとは言いませんが、それなりに腑に落ちる説明を得ましたのが、実はほんの10日ほど前です。たまたま本棚で行き会いました、泉鏡花の 『海神別荘』 を久しぶりに読み返しまして。鏡花の戯曲の中では評価が低いようなのですが、私は割と好いています。ちなみに主人公の海神公子は、乙姫の弟という設定なのですよ、御存知でしたか?^^姉の乙姫は竜宮城、弟公子は琅かん(「王干」 ←という字です。出ないので、合成)殿に住んでいます。琅王干とは、極上の翡翠の一種です。 優雅な殿舎名ですねぇ。蛇足ながら、『海神別荘』 の粗筋をば。千尋の海底に豪奢な宮を構えて海を司る海神公子は、この度、人界から嫁を迎えることになり、到着を待ちわびています。お嫁様は、その父親が海の幸を祈願して公子が応じたことで、いわゆる生贄として海に沈められた娘です。人目には溺れ死んだはずの娘は、公子から遣わされた侍女や海の兵士らにかしづかれて、花嫁衣裳で海底の琅かん殿に向かいます。着いた時こそ、公子の竜神姿(鮫にさらわれた侍女を救った時のままの龍の鎧を着けた状態で対面したので)に怯える彼女ですが、綺羅を尽くした殿舎や、与えられた豪華な装飾品、登仙風味の美酒などなどで、すっかり夢見心地です。 もはや、生贄であった哀しさも過去のものです。陶然とした彼女は、公子にねだります・・・自分のこの姿を、里の者に見せたい、と。生きていることを知らせたいだけとの殊勝気な言葉の裏にあるのは虚栄であり、公子は即座に見抜きます。「貴女は栄耀が見せびらかしたいんだな、それは不可(いか)ん。 人は自己自分で満足せねばならん。 人に価値(ねうち)を付けさせて、それに従うべきものじゃない」「人は自分で活(い)きれば可(い)い、生命を保てば可い。 しかも愛する者と共に活きれば少しも不足はなかろうと思う」「宝玉とてもその通り。 手箱にこれを蔵すれば家宝そのものだけの価値を持つ。 人に与うる時十倍の光を放つ、唯(ただ)、人にみせびらかす時その艶は黒くなりその質は醜くなる」・・・何度読んでもドキリとします、この下りの台詞。公子は、つまり、人間であれば多少なりとも持つ見栄などの感情一切を捨てて、海の人、つまり異界人となれと言っているのですね。人界での価値判断を捨てて、もっと大らかなる境地に来なさい、と。泉鏡花の代表作として有名な戯曲に 『天守物語』 や 『夜叉ヶ池』 がありますが、登場人物はいずれも、純粋な真情と熱い想いによって異界の存在から認められ、永遠の幸福と命を得ます。『海神~』 の娘も、見栄に迷いはしますが元は親のエゴにも逆らわず、これも孝行と思い定め、逍遥と海に沈んだ身です。鏡花作品の中では、異界=真理の世界 なのですね。到達できる人界人は、異界人の心を動かすパッションや純情を尽くした、選ばれた人だけなのです。私達のよく知る一例は、「お七」 です。御存知、焼け出されて避難したお寺の小姓に恋焦がれる余り、再会するために放火の大罪を犯した17歳の江戸娘ですね。お七は火刑になりますが、『海神~』 では、意気に感じた乙姫が、お七の魂を竜宮へ引き取り、幸せに暮らさせているという設定です。ここで話を浦島太郎に戻します。「魂を引き取る」 という箇所に、ピクリときました。引き取るからには、保存されているはず・・・そのまま適当にウヤムヤってこともないでしょう、多分。もしや、太郎の魂は・・・竜宮に行った時点でパック詰で永久保存されるはずだったけれど、本人が帰りたいと言うからには、一緒に持たせない訳にはいかなかったのかなぁ、と。魂なくしては、人界では生きられませんからね。出来れば開けて欲しくないけれど、人界に戻っては不可欠のものだから、開けざるを得ない意味深な言葉と共に玉手箱を持たせたのかなぁ・・・と、こう思ったわけです。鏡花作品では、異界に迎えられて永遠の幸福を得るための通過儀礼(イニシエイション、ですかね。 オ○ムとは無関係で、単に人類学的用語)として、現世での生命と肉体、義理人情などとの決別を課します。浦島太郎の場合、一度は通過出来そうだったのですが・・・ギリギリで思い切れなかったということですか。もっとも、太郎の立場になれば!戻ればそうなると知っていたら、戻らなかったでしょうにねぇ。乙姫さんも、躍るタイもヒラメも説明不足でありんす(笑)弟の海神公子は、ちゃんと彼女に説明して実際に体験させて、納得させた上で改めて婚姻の儀を交わすのですよ。女は結局、意地悪・・・という感じでありましょうかね。かなりの部分に私なりのオチがつきましたが、この点はまだ、未消化であります(笑)ま、うかうかと亀関係には手を出さぬが花ということですネ。オシッコされても嫌ですし、事後保障もなく別天地へ連れて行かれても困りますし、ストイックな禅宗もイヤ~ンだしぃ。私は、やっぱり現状で呑気にホケホケしていたいです。長々と書いたくせに、こげなオチで申し訳ないことです、ハイ(^^;
2004年05月30日
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先週の日曜、最終日に行って参りましたー♪なんで一週間以上前のネタなのかと言いますと、それだけ日記をサボっているからです、はい(爆)新幹線で京都に戻ったのが、夕方4時ちょっと前でした。むむ、もう少し早く着く予定だったのですが・・・友人と話し込み過ぎちゃったかな?滅多に会えない人なので、つい名残惜しくて。さて、6時閉館だから急がねば・・・お土産を入れた紙袋をコインロッカーに預けて、市バス乗り場へタタタっ。京都国立博物館は、通りを挟んだ三十三間堂の真向かいにあります。しばらく来ていませんでしたが、いつ見ても立派な建物ですのぅ。エントランス前で傘をチャッと畳み、おもむろに財布からチケットを出しました。今日でお別れだね・・・明日からは、財布を開いてもこのチケットはないのね・・・つまり、それだけ長い間、入れたままにしておったとゆーコトでありんす(爆)実はこのチケット、いただき物なのでした。茶道繋がりの知り合いが、この展覧会の関係者招待券をお持ちで、1枚を私に回して下さったのです。「南禅寺展、楽しみなんですよー♪」 と、私が別の方にキャッキャと話しているのを耳にされたそうで、後日、共通の知り合いを介して私に届けて下さいました。知り合いとは言いましても、年に数回会うだけの方です。大して親しいとも言えない私のために・・・と、驚き感激しました。1枚だけでは却って失礼かと存じますが、(中略)お楽しみいただければ幸いです・・・云々と、水茎の跡も麗しいお手紙まで。慌てて御礼状を参らせましたが、かなり恥ずかしかった・・・。どーいう巡り合わせで、私の周囲には、こうも達筆 ・ 麗筆の方が多いのでしょうねぇ(;;)字には悩まされます・・・書の守りであるウサギさんに、悪さなんかしたことありませんのに。あ、亀を助けたからぁ??? (←超違)話が逸れました。有難い御配慮を受けたことで、何倍も楽しみになった南禅寺展です。時間が空いたらいつでも行けるようにと、財布にチケットを忍ばせ・・・そのまま、どうにも取り出す機会に恵まれませんでした。気がつけば、遠出する当日の金曜日です。早めに出て、新幹線に乗る前に観ていこうと思っていましたら、これまた急用でアウト。こうなりますと、帰京する日曜の最終日しかチャンスはありません。何としても開館時間内、閲覧に足る時間内に戻ってこねば・・・と、自分の楽しみを逃すだけならば残念で済みますが、楽しみをボトムアップして下さった御厚意を無には出来ませんし、何より、そうしたくなかったのです。雨で道が混むかと案じましたが、有難いことにバスは順調に進んでくれました。着いてしまえば近い場所のこと、時間は4時半少し前。6時の閉館時間まで、たっぷりと堪能して参りましたー^^正確には6時を過ぎましたが、最終日ということで、博物館の職員さん方も大目に見て下さったのでしょう。閉館アナウンスはありましたが、追い立てられることはありませず、同じく観覧中の皆さんと共に存分に楽しめました。かつて南禅寺は、禅宗寺の最高位に叙せられた名刹であります。当時の南禅寺僧と言いませば、有徳の宗教者であり、辣腕の外交官であり、風雅な書画人でありと、まさしく国家の心技身を彩った面々です。そうした方々が遺された書画は勿論のこと、随一の禅寺に奉じるべく妍を競った当時の芸術家達の作品も多く展示されていました。禅寺向けならではの、抑えた表現の中にも隆盛を忍ばせる雰囲気が興味深く思えました。最上位の奥ゆかしさかと思いました、僭越ながら。立寺あそばした亀山法皇御忌700年記念の展覧会に相応しい、京都らしい展示会であったと思いました。素晴らしい幽玄の世界でした。嬉しかったことを、プチ自慢させて下さいね。出口前の、展覧会に因んだ物品販売ブースで、私の名前の篆刻印を見つけました♪雅号などによく使われる字だけを集めた、200ほどの中に入っておりました。ややマイナーな名前の私ですので、見つけました時には、嬉しさよりも先に、「何で(あるの)??」 と、少なからず驚きましたけれどネ(笑)別売りのケースと一緒に、ウキウキと買いましたー。名前一字の篆刻印、実は昔から欲しかったのです。ちょっと気取って、蔵書印に早速使っておりまする。ポケン、ポケン、と捺す くっきりタの字。うれしー^^拙いレポにて、失礼いたしました。亀に触った後に亀山法皇と、カメカメしい日記になりましたので、次回も亀関連で参ろうかと開き直っておりまする~。お時間よろしければ、読んでやって下さいませ^^
2004年05月25日
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あんなに臭いモノでしたかねぇ!20年以上ぶりにマトモに触りましたが、記憶では、多少の生臭さを超えるモノではなかったように思うのですが・・・むぅ。話は、先週末に遡ります。茶道の集まりで、はるばる中国地方の某県へ泊りがけで行って参りました。着物と荷物のバッグは、コンビニから宅急便をお願いしたので身軽なものです。 ついでに、お財布も軽くなった・・・(爆)地元の友人が、車でJR駅まで送ってくれます。夕方には京都に戻っていたい私のために、少し早めの出発となりました。もっとも、新幹線にさえ乗ってしまえば2時間程の距離ですから、途中でお昼を食べて、駅前でおチャして・・・と計画しながらのノンビリした道中です。途中、開いたばかりの温泉(入浴のみもOK)に寄って、貸し切り状態で優雅な朝風呂としゃれ込む余裕ぶりです。旅先ならではのプチ贅沢が、後の私を助けてくれることになります・・・湯上りのピカピカした顔で車に乗り込み、市街に向けて再び出発ばぶ~ん。左には緑濃い山の連なり、右には大きな河を眺めながら、気の合った友人とのトークが盛り上がる快適なドライヴです。1時間ほど走った頃でしょうか・・・お昼には、まだ少しという時間でした。急におしゃべりが途切れ、車内が一瞬シン、と。道路の端っこに黒っぽいコンモリとした物体があり、のそのそ動いていたのに同時に気付いた友人と私は、思わず絶句したのでした。「・・・亀やんな、今の」「うん、多分・・・てゆっか、亀」人家もまばらな、山と河に挟まれた田舎の環境です。亀がいること自体は不思議でも何でもないのですが、アスファルトの道路、それも真ん中に向けて歩いていたことは問題です。「あのまま歩いてたら、車に轢かれるで・・・」友人は一瞬黙り、それからキッ、と路肩に車を駐めました。「どーする、戻るか? 気になるんじゃろ?」「うん・・・ええか? 手間かけるけど」「いーよ、たりちゃんのビョーキじゃからね」友人は苦笑いでUターンしてくれまして、車はすぐに件の場所に戻りました。いるいる。 やっぱり亀です、間違いなく。勤勉な性格であるのか、ものの3分くらいの間にも結構移動していました・・・車道の真ん中を目指して。30センチはあろうかという大きな亀ですから、歩幅も大きいのでしょう。これを使えと、友人が後ろの座席から取った孫の手を渡してくれました。何で孫の手なんか車に乗せているのかとツッコミを入れる余裕は、その時の私にはありませんでした。ゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る近付きました。はい、そうです・・・ムチャクチャ怖かったのです!勢いで戻って来たのは良いのですが、カミツキ亀だったらどうしようかと思って。数年前から、飼い主が持て余して捨てたカミツキ亀に喰いつかれて大怪我をしたという事件が増えています。まともに噛まれたら、指の一本や二本は持っていかれるとのこと。私の住む地域でも、安易に触るなとの警告ポスターやCMを目にします。なるほど、と理解してはいたつもりでしたが、実際に見知らぬ大きな亀に接する機会があるとは思っていませんでした。暑くもないのに、ジワリと汗が・・・。私の躊躇いなど知るはずもなく、亀はチックリチックリと歩を進めています。まずは、この孫の手で突ついて反応を見るべきです。グワッ! と噛み付いてくるようでしたら、それはそれで然るべき役所に連絡せねばなりません。停めた車から離れてはいけない友人は、私を気にしながら、ケータイで近場の保健所の番号を探してくれています。大丈夫、カミツキ亀であっても飛びやしないんだから・・・と、孫の手を握り締めて一歩踏み出しました。と、そこへ後続車が!それまで車が来なかったのをいいことに悠長にビビッていましたが、曲がりなりにも国道ですから車は通ります。亀はもう、かなり出ています・・・車は快調に走ってきて、シャッ! と通り過ぎました。轢かれた! と思い固まった私が見た光景は・・・亀の怯えでした。亀が声を出せれば、「うわあっ!」 と叫んだことでしょう。幸いにも車の両輪の間だったのですが、頭と四肢をバッと引っ込めたのです。 その瞬間を、私は見ました。車が通り過ぎても、甲羅の中に隠れたまま出てきません。亀としては大きくても、車とは比すべくもなく・・・そもそも、高速で自分の上を抜けて行った大きなモノが 「車」 であることなんぞ、亀には解りません。怖かったはずです、甲羅の中でブルブル震えているのかも知れない・・・。可哀相に! と思ったパッションが、怖さを超えました。そして、その反動か、いささか冷静にもなりました。TVやポスターで見たカミツキ亀とは、甲羅の色や形が違います。思い切って駆け寄って、孫の手でツンツンしてみましたが、反応ナシ。ガタイが大きいだけで、普通の亀なのかな?そこへ、更なる後続車が近付いて来るのが見えました。今度は大型トラックです、あれに轢かれたら間違いなく死にます、この亀。カミツキ亀ではない(らしい)だけで、私の知らない凶暴な種類なのかも知れません。でも、このままでは必ず死ぬ・・・ついでに、どんな亀でもお尻を持てば大丈夫(らしい)。この二点を解ってしましたので、ままよ! とお尻に近い甲羅をガッシと掴み、路肩に駆け戻りました。近くに迫っていたトラックに、「すみませんでしたー!」 と大声で叫びましたら、助手席のアニさんが笑顔で手を振ってくれていました。 ホッ。さて、次にこの手をどうしたものか・・・亀のお尻を掴んだまま、ンッ、と考え込む私です。河岸ですかね、戻すとしたら。と思い、タタタと道路を横切って河へ出ますと、昨夜の雨で水量が大幅に増えています。土手は急傾斜しているだけで、平らな部分がありません。 こっちはNGですな。車を数台やり過ごして、また道路を横切って山側へ。腕を思い切り伸ばした中腰の姿勢で支える30センチの亀は、非常にドッシリと重いものでした。このような辛い体勢で歩き回った理由はですね、身近に引き寄せた途端に噛みつかれてはという恐れもありましたが、それより何より、臭かったからなのですよ(爆)触れている指先の色が変わるんじゃなかろーかと、本気で心配したくなったほどの臭いです。昔、洗面器で飼った小亀は、こんな臭いしなかったぞぉ・・・と思いながらフと見ますと、指に何やら黄金色の液体がタラリと。うげげ、アンタもしかして・・・(爆)友人のアドヴァイスに従い、しばし歩いた田んぼの側道に安置しました。ここが良いのかどうかは解りませんが、少なくとも水と食料には困るまい、ということで。もうヒョコヒョコ出てきたらあかんえ、アンタも亀ならまっとうに長生きしよし、と声をかけて、キョンシー体勢で車へ戻りました。手がくっさーーい、一刻も早く洗いたいのに、近場には人家すらなし。困ったなぁ、と話していますと、友人がパンと手を打ち、私の荷物をガサゴソ。そうです、朝風呂で使ったままの濡れタオルがあったのです!私は狂喜して、思う存分手を拭いました。 はぁ、スッキリ。それでも気持ち悪かろうという友人の配慮で、20分ほど走ったドライヴインで、早めの昼食タイムとなりました。お手洗いの石鹸で手を洗い直し、ついでに、内緒でタオルも水洗い・・・スミマセン^^;その後は予定通りにJR駅前の喫茶店にてゆっくりとオチャして、友人に見送られて無事に新幹線に乗りました。あの亀、どうしているかな・・・と、窓の外を眺めながらボンヤリ。強いて戻って助けたかった理由は解っています。先述の、子供時代に洗面器で飼っていた小亀をむざむざと死なせてしまった胸の痛みがあるからです。私の不注意で洗面器を戸外に出したままにしたところ、庭に入った猫にやられたのです。小亀の甲羅の無残な様子は、いまだに忘れられません。小亀を死なせてしまったことへの贖罪に置き換えるほど能天気でも感傷的でもありませんが、単純に何らかの助けの手を出せる立場にいるのならば、素直に手出ししたいとは思います。その場限りという批判もありましょうけれど、まずは窮地を脱させて次を考えられる環境に誘うくらいは穏当の範囲だと思います。京都駅に戻ってからは、またもや汗を浮かべながら移動・・・。京都国立博物館の、南禅寺展の最終日でした。こちらのレポは、また後日。
2004年05月19日
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ハムの悪口を書くと予告しましたら、階段を踏み外して、ハムのよーな我が足首を捻挫してしまいました。腫れは大したことありませんが、動かさなくてもズキズキ・・・いてて。これって、ハムの呪いなのでしょうか(汗)試験直前のこと、右手でなくて幸いでした。ハムの圧力には屈しません、書くと言ったからには書きます(←意味不明に気合☆)ええと、冷やし中華が嫌いになったきっかけでしたよね。あれは多分、4つか5つの頃だと思います。当時、大阪の銀行に勤めておりました父が大事な書類を家に忘れて出まして、急遽、母が届けに行くことになりました。ついて行きましたのは私だけで、これは母も理由を覚えていないとのことです。姉は学校だから解りますが、兄はどうしたのでしょう。それに私も、どうして幼稚園をお休みしていたのかなぁ。あうっ、イキナリ本筋から外れました(汗)ともあれ、母と共に大阪に出まして、無事に書類を受渡しました。父が食べさせてくれたアイスクリームが美味しかったことを、よく覚えております。ここまででしたら、楽しい思い出の一つで済んだのです・・・が。父と別れた後、遅い昼食か何かでしょう、母は街中のラーメン屋さんに入りました。ここで私は、生まれて初めて冷やし中華なるものを食べたのです。両親が特に好きではないので、冷やし中華が食卓に上がることも、外で注文することもなく、それまで一度も食べたことがありませんでした。思い出せば、ものすごく暑い夏の日中でした。母が、好物でもない冷やし中華を注文する気になるほどに・・・。ガラスの器に盛られて出てきた冷やし中華は、私が見たことのない派手な一品でした。冷たい麺と言えば、ザル蕎麦や素麺くらいしか知らなかった当時の私には、結構なインパクトです。子供心に、あまり食べ物っぽく見えませんでした。麺と錦糸玉子の黄色、キュウリの緑、モヤシの白、キクラゲの焦茶、そして、以後の私に大きな影響を与えることになるハムの赤とピンク・・・。そのハムですけれどね、あああ~、お若い方は、もう御存知ないかも知れません。昔の日常的なスライスハムは、縁が赤かったのですよ。もちろん、着色料です。縁だけが鮮やかに赤く、真ん中の部分も現在のハムよりはピンクが濃かったと思います。世間が着色料の弊害に敏感になるにつれて市場から消えていきましたが、この当時はごくごく普通に出回っていたのでした。冷やし中華に乗っていましたのは、このハムを刻んだものでした。ちゃんとした(?)焼き豚なり茹でササミを使うお店もあったでしょうから、普通のお安いハムを使うこのお店は、わりと庶民的な部類だったのでしょうね、今思いますと。で、このハムがですね・・・みょ~~~に生臭かったのですよ。いつも家で食べる時には、こんな臭いはしません。一緒に乗っていた野菜にも臭いが移ってしまっていて、ハムだけ除けて食べればいいというものでもありませんでした。麺だけでもと思いましたら、所々がダンゴ状にくっついて茹で上がっている始末で、食べにくいときています。それにやはり、初めて味わう酢醤油スープの味は突飛すぎて、どうにも困ってしまいました。見れば、向かいに座った母の箸も進んでいないようです。子供の手前、大幅に残すわけにもいかないと思っていたのでしょうけれど、美味しいと思ってはいないことが明らかでした。残して良いかと尋ねると、アッサリと許してもらえましたのでね・・・。今思えば、あのハムは、少し傷みかけていたのではないでしょうか。お腹を壊すほどではなかった(そうなっていたら、立派な食中毒ですものね!)ものの、臭い始めてはいた・・・という、非常にビミョーな線だったのかなぁ、と。母と私は、結構危ない橋を渡ったのかも知れませんね(汗)知れませんね、で話のオチがつけば良かったのですが・・・。幼かった私の心に、この出来事は深く根を張りました。それ以後しばらくは、ハム自体が気持ち悪くて食べられなかったくらいです。ハムは食べられるようになっても、冷やし中華に対する気持ちは戻りませんでした。冷やし中華はマズい、臭い、気持ち悪い! という固定概念が出来上がり、ビクともしません。元より我家では誰も特に好まないので、以後も食卓に上がることはありません。そして、お店で注文することもありません。月日は流れ流れて約28年、私はそれきり一度も冷やし中華を食べずに過ごし、食べていないこと現在進行形で記録更新中であります(爆)冷やし中華といいますのは、極めてポピュラーなお料理であるわりに、食べずにいようと思えばそれで通る品でもあります。夏にラーメン屋さんに入っても、暑いのさえ構わなければ、普通のラーメンを注文すれば済みます。他所のお宅でお招ばれする際にも、冷やし中華がドンと出る機会というのは、ありそうでないと思いませんか?もっとも、私の冷やし中華嫌いを御存知の場合は、あえて避けて下さったからでしょうけれどね・・・。もっとも、ここ数年くらいの私の気持ちは、そこそこ軟化しております。あのお店で当たった一皿の方が例外であり、本来の冷やし中華は、そう気持ち悪くもマズくもないお料理なのだと理解しているのです。グルメ番組で紹介される冷やし中華は、材料も良いし手間もかかっているしで、素直に美味しそうだと思って観ておりまする。親しい友人達も、「必ずたりちゃんに新しい世界を開いてあげる!」 と、それぞれゴヒイキの美味しいお店に連れ出す気合い満々でいてくれています(笑)昔の私は謝りつつも断っていたのですが、ここ数年は、機会さえあればチャレンジ・・・という気持ちです。んが、しかし!その機会がね、ずっとないのですよー(笑)食べに行こうと約束した日にどちらかの都合が悪くなったり、他のものが食べたくなって針路変更したり、理由は様々ですが、どういう訳かタイミングを逃しております。一度などは、本当にお店まで行ったのですが、前日から改装休業に入っていたということもありました(爆)嫌いだ嫌いだと言い続けていたので、向こうからも嫌われてしまったのでしょうかねぇ???心理学を修めた友人に言わせますと、「軟化したものの、まだホントは逃げたいという気持ちがあるからだよ」とのことです。改装休業は例外としましても、都合が合わなくなったとか、急に他の料理が食べたくなったという理由は、決して偶然ではないそうです。深層心理の部分でフッ切れていず、その心の動きが別の用事を作ってしまうのだとやら。ふむ、これは何となく納得できるなぁ・・・。しかし、都合が悪くなるのは私ばかりではなかったし、他の料理にしようという時は、友達も一緒に盛り上がっていたけれど?「それはね、大雑把に言えば、お友達がたりちゃんを好きだからだよ」へっ???説明によれば、これも友人の深層心理によるものなのだとか。美味しい冷やし中華を食べさせたいという気持ちは、一点の曇りもない真心から。しかし、気持ちのもっと深い部分では、私がまだ微妙に引いているのを感じ取っているのだそうです。好きな友達に嫌な思いをさせたり、我慢をさせたりすることへの抵抗感が、やはり他の用事を作らせたり、他の料理を食べようと提案させるコトになるのだ、とのことです。「世の中に偶然はないんだよ。 一般に言う偶然っていうのは、意識に上らない心の動きが、上った部分の意識に及ぼす錯覚の一種なのよ」ふわぁ・・・たかだか冷やし中華を食べるか食べないかだけの話が、えらく大きなテーマに(^^;友達に気を遣わせていたのか・・・悪かったなぁ、と言いますと、カラカラ笑い飛ばされました。向こうは自覚していないよ、自覚できたら深層心理じゃないじゃん、と。そりゃそうか(汗)彼女の説明の当否は別としましても、今年こそは機会を逃さず、美味しい冷やし中華の世界に踏み出せればなぁ、と思っております。体質に障るものと、宗教的禁忌を除けば、何でも楽しく食べられるのが一番ですものね♪私の右手は、試験のためのみにあらず。美味しいお食事を楽しむべく、お箸を持ったり料理をしたりのためにも活躍するのですよ~ん。流れとしては右手だったはずの捻挫が足首に回ったのを吉祥に、この夏こそは手首のスナップを効かせて、冷やし中華の麺をたぐり寄せたいところです、ハイ。・・・それにしても、足首痛い(涙)
2004年05月05日
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京都には、全国比でラーメン屋さんが多いそうで。他所を知りません私には、そうなん? という程度の気持ちしかありませんが、この時期には、急に意識いたします。確かに・・・多いのかも?道をテクテク歩いておりますと、市街地でしたら10M毎??? という頻度で、ノボリを目にします。「冷やし中華始めました」始めたからには、はよ終わっておくれ・・・といふキモチです、毎年の私。嫌いなのですよ、冷やし中華たら冷麺たら(--;)あ、ちなみに、冷やし中華と冷麺って、どう違うのでしょうか?御存知の方、どうか御教示下さいませ(ぺこ)。閑話休題。私の、冷やし中華や冷麺への苦手意識&避け続けた年数は、多分28年目を越そうとしております。ワインならば、28年熟成の意味もありましょう・・・と言いますか、むしろ、喜ばれるのでしょうけれど。30を過ぎた一人のオナゴが、アレルギーもないのに夏の国民食とも言えそうな一品を嫌い抜いておりますのは、ただのワガママとしか申せませんねぇ。詳しくは、また明日にでも・・・って、わざわざ言うほどのコトでもないのですが^^;ハムですよ、全てはハムから始まりました・・・(爆)
2004年05月04日
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ここ1年くらい、とても気になっている男性がいます。予備校近くのコンビニで、よく会う人です。私は、登校前に飲み物と軽食の調達。先方も、やはり飲み物や雑誌、お菓子などを買っておいでです。わりと決まった時間に同じお店で会うということは、近所に職場があり、休憩時間中なのかなー、と見当をつけています。実はこの方とは、店内で会えば会釈を交わし、時には二言三言くらい話したりします。話すと言いましても、お天気のことくらいですけれどね(笑)ずっと前に、たくさんコピーしたものをバサーッと落としてしまわれて、近くにいた私が拾うのをお手伝いしたことがあるのです。その時に、「よく会いますよねー」 と場繋ぎ的に話しかけてこられて、以来、会えば上記のように義理堅い態度を示して下さる・・・と、こーいう背景(てほどじゃないか^^;)なのですよ。 ハイ。初めて声を聞き、真正面からお顔をシカと捉えたその日その瞬間・・・私の中に、チカリ☆ とひらめくモノがありました。以来、ひらめかせっぱなしです。お顔と声、おそらくお店の近所にお勤めという以外は何も知らないのです。当然ですが、お名前も知りません。知らないだけに、思いはつのる・・・いつまでもお天気や、修学旅行生の多さを話題にしているだけでは、女がすたろうってモノです。最近は、女性の方が積極的でも問題ないもんネ。言いたいな・・・言ってしまいたいな、この一言。「あのー、猫丸先輩って御存知ですかぁ?」あはははは、ナニカを御期待下さった皆様、もーしわけございませんっ(笑)気になるとは言いましたが、色っぽい方面とは関係ナッシングなのですよ。私は活字中毒、ことに推理小説フリークでありまして。小学校時代に読んだ、ジュブナイル版のルパンやホームズから初まって、足掛け20年以上になんなんとする、押しも押されもせぬミスキチでありんす。そんな私ですので、面白そうな作品には常にアンテナを張って、コレというブツはすかさず入手するのを信条にしています。いるのですが、読みたい読みたいと気にしていながら、つい後回しになってしまう作品やシリーズもあるのですね。そうした掴みズレ作品の一つが、倉知淳氏の 「猫丸先輩シリーズ」 なのでした。作品の存在を知ったのは高校時代なのですが、「読むぞよノート」(←ホントにあるんですよ) に書きつけたまま、心ならずも放置していました。ちょっとした好機を得て、やっと読みましたのは、1年半くらい前でしょうか。本名、年齢、職業といった、社会生活向けのプロフィールは一切不明の 「猫丸先輩」 が探偵役です。この人、実にアヤしい(^^;年齢30歳前後、本名不明につき、通称「猫丸先輩」。童顔で小柄、おそらく丸顔。煙草は吸うが酒には弱い。スーツの似合わなさは、「見ていてイヤになるほど」(作中)。寄稿したり三味線を弾いたり、一月フラリと山篭りしたり、の極楽トンボ。 定職はないらしい、あったら怒るってば(爆)飄々とした口調と風体で、人をケムに撒くのが大好き・・・私見ですが、ちょっとおネェ言葉寄り???推理力は卓越しており、「まぁ、ちょっと考えてみなさいよ」 が枕詞であります。アヤし過ぎて、却って自然に受け入れて読んでしまう自分が怖い(汗)ちと説明が長くなりましたが、話をコンビニの君へ戻しましょう。その方がですね、私のイメージする猫丸先輩像にピッタリビンゴなのですよ。いや、話の順序が逆か・・・先方と目を見交わせた瞬間に、雷の如くひらめいたのです。「あっ、このヒト、猫丸先輩や☆」って。 少なくとも、外見は。太っていると言われる一歩手前の、ややコロちゃん気味のスタイル。勤め人には違いないようなのに、スーツは着ておられない。丸顔に丸眼鏡でホヤンとした印象ですが、よく見ると賢そう。お店の方に接する様子からも、ソフトな人当たり。おおお・・・これこそ猫丸先輩!シリーズを実写にするなら、猫丸先輩役は彼しかいませんよぉ。どなたかに指摘されたことは、あられないのかなぁ。身近にミステリ小説好きの方がいらしたら、必ず一言あったと思うのですよぉ。尋ねてみたい・・・ウズウズ!でも、イキナリ尋ねるのでは、猫丸先輩よりアヤしい人になってしまいます。お天気の話以外に、何かキッカケが欲しいなぁ。もっとも、仮にキッカケがあったとしても、一足飛びにミステリの話題には・・・難しかろうなあぁぁ!自然にノッてこられたら、却ってこちらが引きますわナ(笑)京都の猫丸先輩、そっとしておくのがベストかも知れない・・・ぷぷぷ♪・・・アホなことばっかり言うてんと、支度しよ(^^;お稽古、いってきまーす☆
2004年04月22日
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私ではなくて、兄ですが。先日の住宅情報番組に、販売中の物件担当者代表で話せとのお座敷がかかったのです。元が短い番組ですし、司会者様が上手にまとめて下さいましたので、兄が話した時間は正味10分足らずだったかと思いますが・・・。固唾を呑んでラジオに聞き入る我ら家族には、長い長~い時間に思えたものです。極めて正直な心境を申しますとですね、「頼むし、はよ終わってぇ~~~~~~~!!!」でした(爆)録音済みだとは知りつつ、トチらないか、黙り込んでしまわないかと、それはもう心配で心配で。低い声でモグモグ話す兄しか知りませんので、ちゃんと内容が伝わるものだろうかと・・・。母に至っては、「あのヒト、ちゃんと朝ごはん食べはったやろか・・・お腹が鳴ったりせぇへんやろなぁ」などと、トンチンカンなことでソワソワしておりました。さすがに私は、そこまでは思いつきませんでしたナ(笑)チャララ~ン、と、番組のテーマ音楽が流れまして。司会者様の紹介にあずかり、兄貴登場です。 声だけですが。確かにヤツの声です・・・んまぁ、アタマのてっぺんから出しているような、気取り返った声!(笑)緊張はしているようですが、あれが営業マン魂というものなのでしょうかねぇ。つかえもせず、いかにもコナれた調子でツルツルと宣伝文句を述べるではあ~りませんか。3日前から おイナリさんを食べて備えておったか、兄よっ(^^;ふーん、これが仕事モードのお兄ちゃんかぁ・・・またたく間に放送は終わり、録音したテープを聞きなおしながら、ふと感心。特に弁が立つ訳でもなく、どちらかと言うと大人しい性格の兄。大学では民法専攻で、不動産ゼミに入っていましたから、そっち方面に進むのだろうとは思っていました。不動産鑑定に興味があったようですから、どこかの鑑定士事務所に就職して、見習いをしながら資格を取るつもりなのかなー、なんて。そんな人が、生き馬の目を抜くが如き不動産営業の会社に就職を決めたものですから、当時は家族のみならず、親戚一同も驚いたものです。周囲が引いているのをヨソに、本人はパッと宅建主任免許を取り、卒業と同時に営業マンに。決して器用ではなく、口の重い兄のこと・・・畑違いだろう、続かないのではないか? との目はありました。 御近所さんまで心配してはったくらいですから(汗)事実、兄も苦労したと思います。 言わない人なので、あまり知らないのですが。しかし、きゃつはコツコツ型なのですね・・・目立って華々しい活躍はないけれど、確実に積み重ねて成果を挙げるタイプ。引き抜かれて今の会社に移り、私達が知らない内に、朝食は油揚げ10枚でーす的な、ツルツルトークの営業マンに変貌しておりました。たまに帰って来る様子を見ている分には、相変わらずのモソモソぶりなのですが・・・ううむ、解らないものです。私達にとって目立った変化と申せば、食事の好き嫌いがなくなったことくらいです。結構なことやね、変わらはって・・・と、何年か前に言ったことがあります。 からかうつもりで。そしたら兄、TVを見ながら、「ああなぁ。好き嫌いでおカズを選ぶ時間が惜しいねん」 と。何でもない会話でしたが、一生忘れないだろうなぁ・・・と思う、兄の横顔と口調でした。閑話休題。身内がメディアに乗るとは、かくも大騒ぎすることなのですねぇ。親戚から頼まれたテープのダビングと封筒の宛名書きと一筆御挨拶書きでコマコマ・・・ウチかて5月間近で忙しいのにぃ、もう(涙)私どもでもコレなのですから、TVにしばしば出られる芸能人の御家族となれば、どんなお気持ちなのでしょうねぇ!好評もあり、批判もあり・・・悲喜こもごものお気持ちで、じっと静かにしておいでなのでしょう。あんまり、無用の批判はしない方がいいな・・・という気持ちになってしまいました。好かない方なら、黙ってチャンネルを変えれば良いこと。身内を悪く言われることほど辛く悔しいことはありませんのでね。身内を思い遣る気持ちは、他の方にも向けるべきだと思うのです。そんな風にツラツラ考えました、今回の出来事でした。身内自慢で、失礼いたしました(今更ですが、ちょっと赤面)
2004年04月19日
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放映時にも再放送時にも飛び飛びにしか観られなくて悔いていたのですが、ネットで知り合ったお友達が、有難いことに全話をダビングして送って下さいました☆母と共に、毎日一話ペースで楽しみに観ております。良いですよぉ、何度観ましても。田中美里、香川京子、篠田三郎、竹下景子、平田満、伊原剛志、三田村邦彦、榎木孝明、田中邦衛、土田早苗、山本陽子、などなど、演技派で鳴らす、そうそうたるメンバーです。原作よりもTV版の方が ずっと良かったと思う、数少ない作品でもあります。視聴率の観点からは地味でありましょうけれど、極めて優れた作品だと思います。土佐の方言指導も行き届き、着物の所作も危なげなく。まだまだ旧弊な時代を描いた作中にも、他者への敬いや美しい言葉遣い、控えるべき部分など、現代人の目にも見習うに恥ずかしくない要素が多々あります。「出しときゃ稼げる」 といった、サル廻し的ゲーノー人主体のドラマは、そろそろ止めて欲しいなり・・・。ドラマの寒冷期と言われる昨今だからこそ、本当の実力派を揃えて、中身の濃いモノを作っていただきたいところです。出会って恋して、一度別れて、また再燃して・・・という黄金パターンであっても、モノは作りようですよ。ケータイがないと繋がらない恋じゃ、ダメねー。まずは、きれいな日本語からです。 そう思うのです。
2004年04月18日
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ないんです、実は。いえ、お犬サマのことですけれどね。私は、ブラウザの初期画面を 「Yahoo JAPAN」 に設定しています。お使いの方は御存知かと思いますが、検索小窓の右横が広告欄ですよね。色々の広告が入れ替わり立ち代わりしますが、最近は、「ア○フル」 の動画広告をよく見る気がします。幸いにもクレジットを利用せずに暮らせていますので、一連のCMで興味を引かれましたのは、チワワの愛らしい姿だけです、ハイ。そのチワワが問題になろうとは・・・。テレビでは、しばし家出をしていたらしき 「く○ちゃん」 が、お嫁さんと大勢の子供を引き連れて帰宅するヴァージョンを放映中です。ネット広告も、当然テレビCMを受けて・・・くう○ゃん、お嫁さん、次に子犬がパパパと浮かんで、という動画です。こーれが気持ち悪いのなんのって!(爆)子犬が何匹も映るのですが、広告窓が小さいものですから、画像も小さいワケです。ちびっこチワワの黒い両目と鼻がですね、おぞましき点の密集に見えるのですよ。ボディが白いので、一頭につき3つ持っている黒点が際立ってハッキリ見えます。しかもご丁寧に、画像がブルブルブルッと小刻みに揺れるではありませんか。ぞおおおおおおおお~~~っ!!!!!としましたね、あたしゃ。昔から、点々や粒々の集合体が大嫌いなのです。鳥肌が立つのです、喩えでなく。で、その鳥肌を見て更に震え上がるのですから念が入っております。現在テレビ放映中のヴァージョンも、ですから、好きではありません。子犬がズラリと居並ぶシーンになる前に、画面から目を逸らしますもの。点々嫌いが主な理由ですが、どちらにしても、多すぎるものって大抵は気持ち悪くありませんか?テレビより小さいブラウザ画面の、更に小窓に密集した黒点(しかもブルブルするし)が、私にとって如何に不愉快なものか、何となく想像していただけるでしょうか。出来るだけ初期画面を経ないで、ネットを巡回しておりますが・・・全く開かないということも、ちょっと無理が。検索する用事だって、何かとありますのでね。ううう、CMのヴァージョンが代わるまで、別の初期画面を設定しようかなぁ(泣)自他共に認めるワンコロ大好き人間でありますが、お犬サマさえ絡めば何でも我慢できるというワケではない・・・ということを、このCMで知った次第です、ハイ。このCMがなければ、もしかすると一生気付かずにいられたかも知れないのに。憎い、憎いぞぉ、ア○フル。逆恨みで悪いか、どんなにお金に困っても一生利用しないからねっ(爆)
2004年04月13日
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一昨日ですが、行って参りました、京都駅ビルギャラリー。楽しみにしていた、高畠華宵展です。 やっと行けました♪先日の日記で自慢しました、美しき友人と待ち合わせ。彼女も私も、レトロ・ビューティの世界が大好きなのです。大正ロマンティシズム ~ 昭和モダニズム時代に一世を風靡した華宵画伯。予想していましたよりも、充実の展示内容でした。苦難時代のスケッチから始まり、津村順天堂(現・ツムラ)の広告画を認められ、挿絵画家としてカリスマ的人気を博し、注文を超えた創作段階へ日本画から、生涯の大作である六曲一双屏風 『移りゆく姿』 は圧巻でした。行きつ戻りつ眺めていた時間は、時計の上では2時間くらいであったようですが・・・半日過ごしていたかと錯覚するような、濃密な時間でした。華麗な画想、繊細を極めた色遣いの微妙、茫洋の視線・・・形容は何とでも出来ますが、本当に良いものの観賞は、語彙比べではありません。ただ惹きこまれて、陶酔するのみです。じっ・・・・と、ひたすらに観ておりますと、向こうからも呼ばれるような気になるのが不思議。ニーチェ哲学の、逆ヴァージョンなのだろうか? と思いました。ニーチェは、「暗闇に目を向け過ぎるなかれ、暗闇もまた、覗く者に興味を向け返すものだから」 という意味の言葉を著作に残しています。今日の観覧を思い返しますと、逆も真なりなのかな、と。極めて美しいものに真剣に向き合おうとしますと、美しさもまた、こちらに微笑んでくれるものなのかも・・・またしかし、真の美は、案外・・・暗闇と紙一重だからこそ一層輝くのかなぁ、などといったことも、ツラツラと考えつつ。ああ、でも、そういったコトは、本当はどうでも良いのです。美しいものには、ただ素直に感心し、飽かず細部の宇宙を追って陶然となれば充分だという気持ちを持ってもおります。画集では解らなかった精緻な筆使いや配色を、大きく間近で見られたことも大層な眼福でありました。特に色味が、気が遠くなるほどにピタリと決まっているのです。チリ一抹分ほどでも絵具の配合を変えれば、全くもって違う印象の画面になったであろう・・・と。実際に変わるかどうかはともかく、見る者に 「変わるだろう」 と確信させる引力の有無こそが、芸術家の作品と、ただ器用なヒトの手遊(すさ)びとの分かれ目であるのでしょうね、多分。華宵描く人物画には、「玲瓏珠の如し」 という表現がピッタリくるように思います。しっとりと、真珠色のヴェールをまとったような神秘的な麗しさ・・・というイメージで、この言葉を出しました。華宵の筆になる人物、特に女性は着物姿でも極めてモダンであり、洋装であれば現代人の私の目にもキワどいと映るような大胆なものもあります。それでいて、あくまでも典雅であり、奥深い叙情性が香り立たんばかりです。お洒落の多様さや肌の露出度では、現代女性も負けていないはずなのですが・・・「玲瓏」 という表現を思わせるものではないような?時代と美意識の違いと言ってしまえばそれまでですが、華宵を始め、夢二や虹児といったレトロモダニズムの具現者が飛躍的に脚光を浴びている現状を見ますと、単に 「時代が違う」 という言葉では説明がつかないようにも思います。堅苦しい話は、さて置き・・・友と二人、お互いのペースでゆったりと観賞しました。順路などは無視して お互いに勝手に眺め歩いていたのですが、見終わった時間は ほぼ同じだったのが笑えます。出口のお土産ブースで、彼女は絵葉書と栞と髪飾りを、私はミニ画集と半襟文様集を記念に買いました。素敵だったねぇ、あの絵が特に良かった、いやいや、あの絵も・・・と語り合いながら、とある紅茶専門店へ。目立たない場所にあるのですが、紅茶が抜群に美味しくて、茶器にも凝っているお店なのです。ケーキとタルトを半分こして、彼女はアッサム、私はアールグレイで優雅なティータイムを過ごしました。あああ、深い深い充実・・・心の奥底から潤いました。あの時間の私は、普段よりは美しく見えていたのではないかな・・・造作は同じながら、満ちた気持ちが表に出ていたのでは、と思うのです。華宵美人には及ばないとしましても、ですけれどネ(笑)会期中に、出来れば、もう一度見ておきたいものです。時間があれば良いのですけれどね・・・しょっちゅう通る京都駅なのに、たかが1時間少々の足止まりに いちいち考え込む自分がイヤですな(^^;高畠華宵展、おススメです。今月21日までにJR京都駅付近にお越しの際は、是非、御覧下さい♪
2004年04月11日
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自分で、500カウントを踏んでしまいましたぞな・・・サイテー(涙)ううむ、幸先いまイチですな。明日(いや、もう今日ですが)はお茶会、それも野点ですのに、昨夜からの雨が止みません。お天気、戻りますかねぇ・・・心配。小雨決行ですから、一応、少々濡れても構わない着物と帯も一揃い準備しまして、朝の様子で決めようと思います。足袋はもう、野点ですから、晴れても降っても一足潰すこと前提なので構わないのですけれどね。襟から足首までコッポリ包める着物用レインコートもありますから・・・まあ、かなりの段階まで大丈夫でしょう。でも、正直なトコロ、どんなにお気軽な着物でも絹ですから、雨は嬉しくありませぬ。晴れはしなくとも、せめて雨だけは止んでもらいたきココロでありんす。出ていないお星サマに願いをかける・・・流れはらんといてやっ、お願いぷりーず(^^;セーメー様、映画を2回づつ観た私に御加護をっ(謎)
2004年04月03日
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なんとな~くサミシンボたりぞうでありんす。これも、ある意味でペットロス症候群でありますか、違うのでしょうけれど(苦笑)充分に お礼の言葉をいただき・・・私としては、これで良かったのです。でも、「改めて御礼に参ります」 との お言葉。 むぅ。お引っ越しの片付けもあられること、ドサクサで忘れて下さるだろう、いや、むしろ忘れておくんなさい、という気持ちでした。改まったコトは苦手なのですよ、実は(^^;んが、しかし・・・律儀にも、一日置いて御礼訪問に お越し下さいました飼い主サマ。F堂のお菓子をお持ち下さいまして、重ねてのお礼のお言葉です。パヨちゃんは元気にワホワホしていて、お子様方が、殊に喜んでおいでだとのお話。いなくなってから一週間だったそうで、もしや死んでいるかも・・・と悲しい覚悟もなさったとのことです。お引越しとは言え、お近くとのこと。近くにおいでの際は、ワンコ連れで寄ります~、との お言葉で、すっかりホケホケしておりました。お礼は不要と思っていましたが、これも形式。しかも、F堂のお菓子は大好き・・・恥ずかしい話ですが嬉しくて、有難く頂戴しました。早速、仏壇へお供え。袋から出しましたところ、ヒラリと封筒が。アイタタ・・・こんなん、要らん。飼い主サマの、新しい連絡先を伺わなかったのが悔やまれます。言い訳ですが、尋ねる必要を感じませんでした。預かった お犬サマを無事に戻して、お礼訪問を受けて・・・私としては、ザッツオールだったのですぅ。保健所に電話&事情説明をして教えて下さいとお願いしたのですが、個人情報なので教えられないとのコト。当たり前のことですが、今回ばかりは もどかしい思いでした。お役所の方を責めても仕方がありません。ついつい、アドヴァイスをくれた友人に、メイルで愚痴をば。お金なんか要らんのに~、なんかカナシイよぉ、と。翌日早く、お返事が。素直に取っておきなさい、と。たりは、そーいうコト気にし過ぎ、とも言われました。私のペットを同じように保護してもらったら、同じようにお礼をするし。。。たりだったら、もっと丁寧にするぜヨ、と言われました。まあ・・・そうだろうけれど。だろう、自分はするけれど、人から受けるのはシャットアウトって、おかしくないか?心からのありがとうには、心からのどういたしましてでエエんと違う? と 諭されました。そのお金で、パヨちーに似たコが載っている写真集でも買って記念にしたらいいやん、とカラリと言われた・・・ふむぅ。母と、今夜も帰った兄に尋ねましたら、彼女の言う通りだ、そーしなさいとアッケラカン。「カネ目当てじゃないのにって言うけどな、それぐらい、向こうの方がよくわかってはるわ。絶対そうや」と、兄貴。ホンマかいな、飲んでラリホで帰ってきたくせに・・・。明日の朝に別な意見やったら、玉子焼きにアンタの嫌いなカニカマ入れるぞ(爆)閑話休題。庭に眠るワンコに、いつもより深々と合掌・・・ジョンよ・・・キミが死んで後は、フカフカぼでーが可愛いぬいぐるみ以外のお犬サマは家に入れなかったのにねぇ。庭は散歩させたけれど、キミの場所には入らせなかったから許してくれるかえ?放っておけなかったのだ・・・解ってたもれ。この先も、どんなお犬サマも、キミの上は歩かせないからね。生まれ変わったキミが、幸せでありますように。 今朝も合掌。
2004年03月29日
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前回の日記の続きです。済んだことですが、とても楽しい体験でしたので、自分の思い出のために書き留めておきます。さて、二日目です。わりと早くから出る用事のあった私は、お犬サマのお世話に使う時間を考えて、目覚ましを5時半にセット。すでに、3時過ぎ・・・2時間ちょっと眠れれば御の字です。(お犬サマは、クゥクゥと軽いイビキをかいて、よく眠っている・・・半端に起こすのは可哀相だけれど、私が出たら二度寝するだろう。 ともあれ、おトイレと食餌をさせて・・・)ホヤンと納得して、布団へゴソゴソ。日中の気疲れが出たのでしょう、枕に頭を乗せると同時に寝入りました。シラフでも、やれば出来るものですね(謎)ケン! ケン! ケン! (カタン、コトン)フッ・・・と薄く目覚めた私。何の音だらう、ま、いいか・・・目を閉じフカカ・・・ケン! ケン! ケン! (カタリ、コトリ)なんだよぉ、目覚ましじゃないよねぇ・・・スゥ~・・・はっ!!!お犬サマだ!なんとっ、今は何時???眼鏡をかけて時計を見ませば、ガーン、もう6時前ではありませんか。ケータイも置時計も、全部鳴った形跡があります。一滴も飲まずに熟睡して、なおかつ目覚めなかったとは・・・おおお、あり得ない~!寝ボケつつもビックリしまして、起きたままの姿勢で、しばらくポカンと座りこんでしまいましたぞな。いやいや、ボケている場合ではない・・・玄関からは、ミョーに規則正しい呼び声が。はぁい、ちょっと待ってよん・・・ともあれ、冷たい水で顔をザブザブ。お犬サマの待つ三和間までは、襖と木の引き戸の2つの仕切りを挟んでいます。ヨレヨレと柱にぶつかりながら襖を開けますと、小間向かいの、わざと5センチ開けておいた木戸の隙間から、黒い鼻面が突き出ているではありませんか。カタカタ鳴っていた音は、顔で木戸を開けようとしていたからなのか・・・むっ、面白いぞ、キミ(笑)木戸を引きますと、待ちかねた様子で ボディーアタックです。 ばぼんっ!こらこら、三和間から上がってはイカンよ、と嗜めつつも、しばし戯れタイム。フと見れば、待ちきれずにウンPをしてオル。やばっ、寝坊しちゃったよ・・・散歩と掃除、朝ゴハンに加えて、私の支度!遊んでいる場合じゃないよ、いそげーっ(@@アタフタしておりますと、救いの神が寝巻きで登場。6時になりましたので、母が起きてきたのです。顔を洗って着替えて、お茶を一口・・・そんな母から、ツルの一声。「たりちゃん、リードだけ付けてくれたら、庭なりと散歩させましょか」えっ、マヂですか???動物好きとは言えない母・・・今回のお犬サマのことも、怒りはしないながら、私はノータッチですよ、のスタンスであるはずなのに。ま、不思議がる時間も惜しいところです。気が変わらない内にと、リードを付けて任せることにしました。当のお犬サマは、リードが付いたので お散歩タイムの開始をハッハと期待。戸口の前で待ち構えています。 つくづく気楽なやっちゃ。玄関の引き戸を開けた途端に、ピンポンダッシュの勢いで駆け出しました。「あははは、パヨちゃんは朝から元気やねー」掃除を始めておりますと、庭の奥から、母のゴキゲンな声が。それは良いのですが、パヨちゃんって?いつの間に名前が付いたのだろうかと、首を傾げながらウンPの始末をした私でした。今朝、解ったな・・・ネーミングセンスの無さで鳴らした私ですが、顔立ちだけでなく、この点も母譲りであるらしい(爆)閑話休題。気もそぞろに、サササと用事を済ませてダッシュで帰宅しました。三和間の様子を覗いてくれるとは言いつつも、不安やストレスで鳴いたら、母では対処できませんのでね。しかし、今回も杞憂でした・・・3回目。聞けば、非常に大人しくしていたそうです。オモチャになるかな? と母が丸めて与えた軍手を齧ったり、ウトウト眠ったり・・・全く手がかからなかったとのこと。丁度、昨日の相談に乗ってくれた友人からメイルが入りまして、困ったことはないか~? との有難い気遣い。昨夜から今朝の状況をお返事しましたら、安心した、とのメイル返しです。何が有難いって、家族と友達に優るものはありませんねぇ。保健所に、再度お電話をば。昨日に続いて、全く連絡がつかないとのこと・・・何故だろうかと、職員さんも困惑しておいででした。当方は構いませんから、と話しておりますと、フと先方のお声が改まりまして。もしも、ずっと連絡が取れないまま、もしくは届出の犬と違った場合は、どうなさいますか? と。どう、とは?手に余るようでしたら回収します、一定期間は保健所で保護します、とのこと。期間が過ぎたら、どうなりますか?飼い主も、他の引き取り手も現れない場合は、処分ということに・・・そうですか、そうでしょうねぇ・・・「では、お気遣いは無用です。 飼い主様との連絡がつくまで当方でお世話しますし、万一見つからなければ我家で飼います」言ってしまった・・・アタマよりキモチが口をききました。電話を切って、おそるおそる母を振り返りますと、非常にシブい顔。安請け合いしはって・・・と、苦言がありました。「今朝のことは、あのコはお客やと思うから面倒みましたんえ。 万一ウチの子になったら、アンタが全部しなあかんよ。 酔っ払って寝坊したなんて通りませんえ」はーい、ゴメンナサイ(涙)とは言え、母も笑い出しました。ま、我家で飼うかどうかより先に、迷い犬のポスターを作って近所のコンビニやお店に貼らせてもらいなさい、と。ノンキな田舎の良いところでして、そーいう告知は、わりと普通なのです。それでもダメなら、その時に考えましょ・・・と。 ナルホド。そうと話が落ち着きましたら、次は当面のことをば。私は予備校 & バイトですし、母も仕事に出ます。今度こそ、パヨちーは夜に一人のお留守番・・・スマンね。たっぷり散歩させておかねば、と、卒業以来の中学にまで足を伸ばしました。普通に歩いても30分近くかかる道のりを、ちょっとした草むらや電柱に いちいち立ち止まってフンフンとチェックを入れるものですから、進まないこと甚だしい(^^;電柱なら必ずオシッコをかけるかと思えば、そうでもないようですね。素通りすることもありますし、かける場合でも、微妙に量を加減しているらしい・・・ということが、見えてきました。お犬サマ社会の決まり事なのかと、少々感心して眺めておりました。さて、休み中ながら門が開いておりますのを良いことに、懐かしの中学校内を散策。あんまり変わっていませんでしたねぇ・・・記憶通りの部分が多くて懐かしい反面、ショボくも感じました。公立とはいえ、少しはリフォームすればいいのに(苦笑)懐かしさに任せて、ずっと通っていない道を辿る帰路でした。途中、地元では有名な ドッグ・ロード(笑) へ参入。要するに大きな農道なのですが、いつからか、近在の方々のお犬サマの散歩道 & 飼い主の方々の交流広場になっています。その ドッグ・ロードを横折れして、昨日のホームセンターへ。ミルクの追加と、小さいオモチャを2つ買いました。長逗留になるようなら、ちゃんとした寝床も必要かなぁ・・・と、コーナーをチラリ。さぁ、思ったより長引いた・・・出かけるから、帰ったら遊ぼうね~、と、買ったばかりのオモチャを見せながらの坂道。あ、ウンPですか。 はいはい、ちょっと待ってね、片付けるから・・・ガサゴソ。さぁOK、と立ち上がったところで、見知らぬ方から声を掛けられました。「失礼ですが・・・その犬は、お宅で飼っていらっしゃいますか?」私よりは少し年上かな? という感じの、いかにも家庭的な暖かい雰囲気の女性です。「いいえ、事情がありまして預かっております」お返事しながら・・・ああ、終わりだな、と解っていました。「こちらこそ失礼ですが、Sさんであられますか?」保健所の方から、名字だけは伺っていました。そうです、Sです! とのお返事・・・ああ、やっぱり。聞けば、お引越しの真っ最中であられたとのこと。なるほど、連絡が取れなかったはずですね。忙しい合間にも探して歩いておられたそうで、この日この場所で出会えたのはラッキーです。とても感謝して下さって、こちらは却って恐縮・・・。家に近い場所でしたから、ちょっと お寄りいただきました。ペットフードやミルクなど、パパッと包んで・・・解らずに与えましたが、とお断りして、持ち帰っていただきました。事情を説明し合って、よく会えましたよねー、と感動して盛り上がる飼い主サマと私の間で、パヨちゃんワホワホ。オイラも入れてよー! とばかりにハシャぐハシャぐ・・・ちょっとは落ち着きよしっ(^^;門を出る時に、パヨちゃんがクルリと私を振り返り、そのままピタリ。お世話になりました・・・お目々には、うっすらと涙が。だったら、非常にウツクシイのですけれどねぇ!違いますね、アレは。 「何してんの、はよ来ぃや」 という顔でした、間違いない(爆笑)最後まで笑わせてくれました。迷子になっても明るく、人間のことを好いて楽しませてくれたパヨちゃん。ありがとう、2日間だけれど、いつもは女二人で静かに暮らしている家に、バタバタのトキメキ風を吹き込んでくれた。また会いたいよ、今はバイバイ^^良かった良かった・・・と門を閉め、さあ、予備校に行く前に、少し片付けておこうかな。散歩から帰ったら寝床を入れ替えようと用意していた 古シーツや古毛布は、密封袋に戻して押入れへ。紙の皿やボウルなども始末しました。三和間は、明日、水を撒いて洗えばいいな・・・ああ、もう出かける支度をする時間だ。お茶を飲もうと台所に行きますと、私の座る場所に袋包みが。開けますと、百均の袋に浅めのボウルが3つ入っています。メモには母の字で、 「紙皿では動いて食べにくいようですから、これに入れてあげて下さい」 と。私が散歩に出ていた間に、百均ショップに走ってくれたようです。そうか・・・母はバイバイ出来ずじまいだったなぁ、と思い、急にジワリと涙が。順当に行けば、ごく近い内に返すことは納得していましたし、それを待ってもいましたが・・・今からお別れだよ、という心の準備というのですか? そーいう時間が欲しかったな・・・短くても良かったから。いやいや、ゼータク言ってはいけませんね、馴染んだ御家族の元に戻れたことを喜んであげねば・・・グスッ、チーン(;;)案の定、仕事から帰りました母に顛末を話しますと・・・そうですか、よろしおしたな とは申しつつ、軽いショックの顔でした。でも、いい体験をさせてもらったねぇ、楽しかったねぇ、と二人でシンミリ。お互いに、出来ることしてあげた・・・今夜は一杯づつ飲んで、早めに寝ましょうか、と。そこへ、私の携帯がピルルル!兄ぞうです。もう、すぐそこまで来ている、今夜は実家に帰るワ、と。きゃつは今、大阪と神戸と京都の物件を担当し、一人で三都物語をやっちょります。京都の日は、たまに帰ってくるのですが・・・おいおい、何も今夜でなくてもよかろう(汗)こちらは忙しくて、今夜は残り物で済ませようと話していたのにぃ。シンミリ気分を慌てて片付けて、布団と部屋を暖め、御飯を炊き、おカズを作り、通りすがりのお風呂に入浴剤パパパ。着替えは出してあるか、明日のスーツとシャツにアイロンを、と、大騒ぎです。ああ、もう・・・お犬サマより、よっぽど手がかかる!(爆)ラリホ~と帰ってきた兄ぞう、開口一番「ぷっちゃんよ、おかーサマから聞いてるで、イヌどこや、見せてぇな」・・・キミも三和間で寝るか、オイ(爆)アニキはどーでも良いのですが(爆)、もう少しだけ書きたいことがありますので、ぱーと3を次回に。
2004年03月26日
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いやはや・・・脱力感。昨日の日記に書きましたように、お犬サマは、我家での一宿一飯を経て、無事に飼い主サマの元へお帰りになりました。あ、一飯とは慣用句上だけのことでして、実際は、ちゃんと四飯ほど食べさせましたからね(笑)はあああ~~~~、つかれたっ(^^;無事に帰せた安心感で気抜けしてしまいまして、ドッときています。良かった良かった・・・密度の濃い2日間でした。話は、一昨日のお昼頃に遡ります。リードを付けたままのワンコに、私は出会いました。非常に(いや、ホント)人懐っこく、お犬サマラヴァーの私としては、至福の気分で一緒に遊んでいたのですが・・・。そうそう浮かれてばかりもいられません。何せリードが付いていますから、どなたかの飼い犬であるのは間違いなし。おまけに、パピヨンです。パピヨンにしては大きいなぁ、とは思いましたが、そういう種類なのかしらん? と軽めに納得。ほれ、あの小さいプードルも、改良前の原種はかなり大きいですからね。 同じようなモンかな、と。パピヨンであることに加えて、見れば毛並みもキレイです。可愛がられて暮らしていることは一目瞭然・・・してみますと、飼い主サマは探しておいでだと判断がつきます。そうであれば、このままバイバイとはいくまい・・・と、困惑しました。車に撥ねられたり、売買目的で連れ去られたり、掴まって虐待の犠牲になったり・・・と、心配のタネは尽きません。幸い、私のことを好きなようですから、しばらく止め置こうと決めました。適当な紙ボウルに水を入れて出しますと、嬉しそうに飲みます。お腹も空かせているだろうかと思い、勝手に食べさせる迷いはありましたが、コンビニで買った犬缶を与えてみますと、貪るように食べます。ひもじかったのね、可哀相に・・・。家の電話で保健所に問い合わせてみましたら、特徴に合うパピヨンの届出があるそうです。リードの色も青で同じでしたし、配色の感じも性別も合っています。更なる決め手は、「パピヨンにしては大きい」 というポイントでした。飼い主サマも特徴として挙げておられたのでした。改良云々の話ではなく、単にこのコ、大きいのね(笑)早速、飼い主サマに連絡を取ります・・・という保健所の職員さんに、では、それまで宅で預かっておきましょうと お返事。幸いと言いますか、数日前に風邪をひいて寝込みました私は、治りましたが念のために、もう一日の休みを取っていたのでした。「もうすぐ迎えに来てくれはるからね~」 と言い聞かせつつ、更にワホワホと戯れ、ハシャぎ疲れて昼寝をする横で本を読んだりして過ごすこと数時間・・・気がつけば、もう夕方も更けてきました。あれぇ? と思い、もう一度、保健所に問い合わせましたら、飼い主サマに一向に連絡がつかないとのこと。もう少し、預かってもらうことは無理ですか・・・? と、電話の向こうで非常に恐縮なさる職員さん。構いませんよ、とお返事しました。それから更に数時間。 もう夜です。保健所の業務はとっくに終わったのですが、職員さんは、個人的に何度も連絡をつけようと頑張って下さったそうです。でも、繋がらないとのこと。乗りかかった船でもありますし、幸いにも我家は一戸建て。適当に遊ばせるくらいの庭もあり、玄関が2つありますから、夜になって冷えてきたら、使っていない方の三和間に入れられます。泊めることになっても構いません、と申しましたら、本当に安心したお声で、「お願いします!」 と おっしゃった職員さん。彼女も、かなり犬好きと見た(笑)さて、やや長丁場になりそうね・・・ということで、散歩がてら、近所のホームセンターに買い物に行きました。ペット連れで入れるお店ですので、助かります。それは良いのですが、ペットコーナーに入って、固まりました。多種多様なペットフードがあるのは勿論、犬種や年齢その他、ダイエットフードだの、カルシウム豊富だの、あらゆる個性に対応する品物が、オラオラ状態で揃っているではありませんか。パピヨンだという判断以外は、年齢も普段の食生活も判断のつかない私です。犬を飼っていましたのは、かれこれ20年ほども前・・・しかも大型の雑種で、家族の残り物を、味を薄めて与えていた経験しかありません。うっかりした物を食べさせて、何かあったら大変だ・・・選べないよぉ(;;)たまたま、ケータイをポケットに入れていたのがラッキーでした。パピヨンを飼っている友達に電話して相談しましたところ、大きさ(「デカいなぁ、そのコ!」 と、やはり驚きの声)や状態を詳しく聞いてくれて、丁寧にアドヴァイスをくれました。これなら間違いなかろう、と勧めてくれたペットフード2種類(ドライと生タイプ)をカゴに入れ、犬用ミルクのパックと、おやつも追加。見知らぬ家で、変に長居しているのですから、そろそろ異状に気付いて神経質になるかも・・・と思い、何でも食べられそうなものを、と思ったのです。杞憂でしたけれどね(笑)ともあれ三和間に入れて、あり合わせのホイル皿や紙ボウルで水と食餌を与えたところ、嬉しそうにバクバクです。お腹が膨れたら、遊んで遊んでと元気一杯でジャレついてきます。石張りでは寒かろうと思い、適当な段ボール箱に新聞と古毛布や古シーツを入れ、寝床もオッケイ。帰宅しました母に、恐る恐る事情を話しましたところ、驚きはしましたが冷静に受け止めてもらいました。怒られると思っていましたので、ホッと一安心。怒るどころか、「どれどれ・・・」 と、三和間に出向いて対面しましたら、初手からワフワフ懐かれて、なかなか可愛いではないか、まあ、しばらくなら・・・と、満更でもなさそう。寝る前にウンチとオシッコを済ませさせるべく再度の散歩に連れ出しました。歩かせて、疲れさせて寝てもらおうという計画でした。夜中に不安になって鳴かれては困るからのぅ・・・というハラだったのですが、今度も杞憂でした。1時間近く歩かせて帰りましたところ、私より先に軽快に階段をタッタカ上がり、玄関の引き戸前でクルリと振り返ります。「開けてよ」 という表情・・・おいおい(^^;その後、リードを外して身軽になり、ミルクを美味しそうに飲んだら、即席寝床にコロン。明け方近く、寝る前に そっと覗きに行きましたらですね。何と、小さなイビキをかいて熟睡しているではありませんか。しかも、箱に入れたシーツや毛布を好みの感じに整えている余裕ぶり。もしや・・・迷子の現状そのものを理解していないのではないか、と、冷汗タラリの気分になった私でした(苦笑)レポート1ということで、今夜は失礼いたします。続編は、明日・・・ちょっと寝て参りますね。
2004年03月24日
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5時半に起きて散歩に連れて行き(かれ?)ますので、とっとと お風呂に入って寝ることにします。理由も状況説明も、今はスッ飛ばしますが・・・現実に、我家には、お犬サマが、一頭いて、しかもグースカ寝ておりますこの状況を説明するために生まれたのかと、思わず勘違いしそうになるほど的確な一語があります。 「 な り ゆ き 」詳しくは、また書かせていただきます。ともあれ今日を無事に済ませた疲れが出てきまして(^^;我家で飼うワケではありません、(多分)一宿一飯の仮の宿なのですが。お犬さまラヴァーの面目躍如、可愛さにヘラつきっぱなしであった顔のお肉を、お風呂で引き締めてくることにします。ではでは、これにてドロン☆
2004年03月23日
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美容師をしております姪っ子が、3日前、本を借りに来ました。大正から昭和にかけての雰囲気を知りたいので、何か適当な本はないか、とのこと。何でも、最近のレトロブームを受けて、耳隠しに結ってほしいというお客様があったのだそうです。多分そうだろうと、聞く前からオチの見当をつけておりましたが、アタりまして。お店のスタッフの方々は、「耳隠し、それナニ???」 だったそうです。側で聞いていた姪に至っては、咄嗟にイヤーマフのことかと思ったと、明るく告白してくれました(爆)幸いにも、イラストに長けたお客様であったそうで、紙に描いてもらったものを元に店長さんが仕上げられて、事なきを得たそうですが。最近の、お若い美容師さんですと、御存知ないのかも知れませんねぇ。和服用のヘアも当世風のみ、着付けは受けないという美容院さんが増えているそうです。姪の勤めるお店では、着付けは受けるけれども畳のブースはないよ、とのことです。 うーむ。もっとも私とて、耳隠しを結っている方をライヴで見たことは・・・多分、ありません。古い写真や映画で見ましただけだと思います。母に尋ねますと、さすがに知っておりました。戦前と戦後数年間は、わりと普通に見かけたそうです。耳隠しで思い出しましたが、亡き父の3度目の初恋(おいおい^^;)が、母の母、私の祖母でありましたそうで。私が生まれる前に亡くなったので、古い写真でしか見知りませんのですが、それはもう、なまじの女優程度でしたら裸足で逃げ出すような華麗な美女です。当時の弁護士令嬢でありますから、それこそ乳母日傘育ちの、文字通り、ろくに台所にも立ったこともないピカピカのお嬢様です。曽祖父の書生弁護士であった祖父は、師の令嬢を巡って、同輩の書生方と、なかなかにアツい恋の鞘当てを演じたそうですヨ。そうした美女の祖母に、少年時代の父は憧れていたとのこと。耳隠しの髪が あれほど映える女性を他に見なかったと、父は申したそうです(by母)長火鉢に軽く肘をあずけて、どこを見るともない茫洋とした眼差しで長煙管を弄ぶ姿を垣間見るにつけ、まさしく一幅の絵であろうか・・・とトキめいた由。昔の少年は、なかなかロマンティークでありますな。結構、おマセでもありましたのかも。おとと、話がズレてしまいました。閑話休題・・・さて、「誰も知らない耳隠し事件」 を経たことで、レトロムードも知っておかねばなるまい・・・と発心しました我が姪っ子。図書館に行こうにも、まだまだ下っ端スタッフでありますので、開館時間に間に合う時間には、とても上がれません。それなら・・・と我家を訪ねて来ました辺り、うむうむ、なかなか殊勝な心がけであります。 可愛いやっちゃ。時代の風俗や雰囲気を手っ取り早く知りたいのであれば、花柳界を描いたものに当たるのが一番でしょう。それで良いか? と尋ねますと、「花柳界」 という言葉自体から説明せねばならぬと解ったのでありますが。いささかの不安を覚えなしたが、まあ、読めば解るものだし・・・と思い直しまして。花柳界風俗の描写で入り易い作品と言えば、永井荷風です。本棚からヒョイヒョイと数冊抜いて、持って帰らせました。これが、冒頭に書きました、3日前のことです。3日後の今夜、姪っ子が、本を入れた紙袋と共に、また参りました。もう読んだの? と思いましたら、さにあらず。「たりちゃぁん、読めへんかったぁ」と、世にもヘナチョコなことを申すではありませんか。どれくらい読んだのかと尋ねますと、一冊目の10頁くらいだとのこと。3頁読むと睡魔に倒れるので、3日で10頁ね・・・なるほど。などと、感心している場合ではありませんか(^^;「だぁって、こんなムズいの読んだことないんやもぉん」ええいっ、この根性ナシめがっ。どの本だって、最初に読む本は、読んだことがないブツでありますがな。永井荷風は、とっかかりが良いので勧めましたのに・・・日本語が解る人間が読めないという道理はありませぬぞよ。「日本語やけど、日本語やないやん、こーいうのって」などと、姪っ子は、ワケの分からぬことを申して、丸い頬を更にプリプリと膨らませます。彼女の言う日本語の方が、よっぽど解り辛いのですけれどね、ウチには(汗)ううむ、現代の23歳には、永井荷風はNGなのか・・・。当時の 「カフェー」 の描写など、体験したことのない世代の私であってもワクワクしますのに。嗚呼、昭和は遠くなりにけり・・・というところでせうか(苦笑)では、写真付きの風俗史の本があるから・・・と見せましたら、パラパラと見て、こちらを喜んで抱えて帰った姪っ子でありました。ウマシカ者め・・・そちらの方が、説明の文章は難解であるのじゃぞ(爆)目で見る方が良いのなら、4月1日から京都駅ビルのギャラリーで、高畠華宵展があるから見ておいで・・・ともアドヴァイスをば。これは私も楽しみにしておりまして、友人と行くことになっています。姪っ子ときましたら、「タカバ ケカショーって? ハーフの人?」と申しますので、喩えでなくズッこけました、私(汗)天ぷらを揚げながら話していましたので、私も気付かずヘンな所で切ったのかも知れませんが・・・とほほ。「タカバタケ、カショウ」と、訂正する私の語尾には、いささか血管が浮いていましたかも(笑)そんな私の心情を知ってか知らずか・・・いえ、知りませんな、間違いなく。姪っ子は、揚がってくる天ぷらを嬉しそうにモリモリと食べて幸せそうでした。ま、可愛いですね。 ふふ・・・^^姪っ子の話で触発されたわけでもありませんが、昭和モダニズムのお洒落をしたい・・・という気持ちは、最近、高まっています。当時風の派手派手しい組合わせは、離れて見ますと、可愛いとも洒落ているとも思うのですが、いざ自分で着ますには、いささかの躊躇が???耳隠しに結って、浪漫あふるる様子でキメて歩いてみたいものですね☆
2004年03月17日
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甘いものが苦手・・と言いつつも、キャンディは わりとよく食べる私です。ちょっと疲れた時、口寂しい時などに、こそこそっと取り出してヒョイパク。いつも、バッグにはキャンディを入れた缶を忍ばせています。小さなキャンディが与えてくれるくつろぎ感は、煙草とはまた違った性格のものですねぇ。甘さ控えめのフルーツ味かソーダ味が多く、たまに紅茶味・・・というのが定番です。何故か、ノンシュガーの品は好みません。味が薄いような気がするのですよね・・・風味がないと言いますか。 うむぅ。そんな私の最近のお気に入りは、「フルーツ天国」 です。セブンイレブンでしたら、大抵置いてあります。他のお店では見ませんので、セブンイレブン限定商品なのでしょうか?さて、その 「フルーツ天国」 ですが。品名通り、数種類のフルーツキャンディの詰め合わせです。レモン、いちご、メロン、マスカット、オレンジ、りんご、ぶどう、ピーチ、そしてチェリー。おお、こうして挙げますと、なかなかのヴァラエティですね。フルーツの味が出ていて、しかも甘くもくどくもない・・・ということで、最近のマイブーム商品であります。どれも美味しいのですが、中でも特別に好んでいますのは、チェリー味です。元々サクランボが大好物ですし、「フル天」(略さんでも^^;)のチェリー味は、他のチェリーキャンディと比べましても、特に好みに合いまする。これぞ待っていた風味! というトコロでして。一つ残念に思いますのは、数が少ないことです。はっきり数えてはいませんが、一袋に上記の9種類がランダムに、大体30ヶくらい入っているかと思います。その中で・・・チェリー玉は、基本的に2ヶであるようです。ごく稀に3玉入っている袋もありますが、4玉入りに当たったことは一度もありません。大まかに30ヶの内、多いのは イチゴとぶどうとオレンジであるようですな。定番の味ですから、この3種の個数で半分くらいになりますかも。後のシェアを6種が分け合うことになりますが、どの袋を買いましても、一番少ないのはチェリー玉です。ううう、納得がいきません・・・美味しいのにぃ(涙)製造元に、直訴メイルでお願いしたいくらいの気持ちです、しくしく。ギヴミー・チェリーーー!甘味の話題で思い出しましたが、先日はホワイト・ディでしたね。同僚(とは言いましても、結構年下ですが)の男性講師が、笑えるドジを踏みました。 うふふ^^方々のお付合い場面からチョコを受け取った彼は、お返しのお菓子を仕入れるべく、とあるデパートの特設売り場へ行きました。そしたらですね、バイト先の女の子の集団に見つかってしまって。本命は何人いるのだ(おいおい^^;)、流行のお菓子はコレだ、お菓子以外には何を買うのか、etc.・・・女学生が鈴なりに後ろを付いて来てピーチャカピーチャカと囃し立てられ、おまけにお茶を御馳走するハメになって、まこと参ったそうです(笑)「アホやなぁ、休みに女の子らがいそうなトコに買いに行かはるからアカンのやんかー」と、職員室でも更に笑いものにされて、彼は全く踏んだり蹴ったりですな。一番ケラケラ笑いましたのが私であったなんてコトは、どなたにも内緒でありますが・・・ぷぷ。彼を交えて4人で、仕事帰りにお茶タイムをば。ヴァレンタインや、ホワイト・ディの意義について、何となくしみじみとした話になりました。温度差はあっても、お互いに気持ちがホカホカする好意の交換なのだよねー、と。それが、本来の意味でありましょうし、とも。好きな人からもらえたら、キャンディ1コが永遠の宝物に思えた頃もあったのにね、などなど。イヴェントは楽しいものですが、一夜明けて貧しくつまらない昼食に甘んじる日々といいますのも・・・ちょっとね^^;ま、考え方次第であります。今日は、授業中にカサコソとお菓子を口に含んでいた生徒にメッ。動詞活用を暗証させるペナルティを課しました。甘いモノの誘惑にノッた代償は、何であれ大きいようですな(笑)
2004年03月14日
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↑ の出典を、どうにも思い出せず、いささか焦っておりまする。何かで読んだ(と思われる)一節であるのですが・・・むぅ。浅くとも印象に残ったフレーズであれば、時間さえかければ必ず出所を思い出せますことに、密かな満足感を覚えていたものですが。慢心ゆえか、年齢ゆえか・・・どちらの理由でありましても、狎れの後に来る陥穽は、特別に深く思えるものですね。まったくもって、怖いこと。 ぶるり。読み始めて数頁で、タイトルに挙げましたフレーズを思い出し・・・その出所が解らないまま、非常に不安定な気持ちで読み進んでいる小説です。『調律師の恋』 (ダニエル・メイスン著 ・ 小川高義訳 ・ 角川書店)原題は、『The Piano Tuner』 、単に、「(ピアノ)調律師」 です。邦題に、「~の恋」 を足しましたのは、まあ、出版社の意図でありましょうか。何やら、ロマンティックな雰囲気ですものね。ぶらりと本屋を巡るお客に、おや? と思わせるには、原題のままの 『(ピアノ)調律師』 では、弱かったでしょう。うっかり者の店員さんでしたら、小説棚ではなく、音楽評論書類の棚に放り込んでしまうこともあったかも・・・と邪推してしまいます。そうした例を見たことが、何度となくありますので(苦笑)閑話休題。『調律師の恋』 を、丁度半分読み進めたところです。一気に読破したいところですが、集中できる時間に限りがありまして・・・とほほ。舞台は、19世紀。ヴィクトリア女王治世の英国ロンドンから、物語は始まります。名器 「エラール」 に通暁するピアノ調律師エドガーに、英国陸軍から、風変わりな要請が寄せられます。キャロル軍医少佐なる人物の要請により、当時の英国人には文字通り 「世界の果て」 と思える南国ビルマに赴き、当地にて過酷な環境下にある 「エラール」 を調律されくれたし、とのこと。エドガーは、当惑しつつも・・・当時の 「大英帝国」 に生きる人物のこと、ヨーロッパ文化の粋を広める一翼とも思い、愛妻をロンドンに残してビルマへ向います。いささか迂遠ながら、何もかもが目新しく面白く、適度に郷愁を感じる旅程。しかしエドガーは、ビルマの感性や風習に接するにつけ、英国的支配感覚に、疑問を持ち始めます・・・今は、ここまで読みました。結論を、今の私は知りません。エドガーをビルマに呼ばしめたキャロル軍医少佐は、まだ伝聞の範囲だけの登場です。半分は読みましたのに、まだ実体として登場しない・・・少々、 「?」 です。ガス燈と石畳と濃い霧のロンドンから、むせかえる熱気に満ちたビルマへ。陰鬱な天気に覆われ、求道的キリスト教感性を盾に、「啓蒙」 という刃を振りかざす支配国。驕慢なまでの原色文化に隠れた、敬虔かつ根強い仏教思想と郷土宗教を持つ被支配国。いえ、こうしたことも、どうでもよい・・・何が是であり、何が不是であるのか・・・。エドガーの旅と、その過程で目にし感じる様子を読んでおりますと、彼もこうであったか・・・と、クラクラしてきます。深く厚い緑の中を、湿気でズブ濡れになって歩き続けていたはずなのに、ふと気が付けば砂漠の真ん中で途方に暮れている・・・落差で揺すぶられるが如き不思議な感覚に、陶然とします。こうした感覚について・・・読めば足りるのか、実際に体験してみたいのか。我が身のことながら、よく解らずにおりまする。薄いながらも、窓の外に雪を見ながら亜熱帯を舞台にした小説を読む状況に酔っているだけであるかも知れませんけれどネ。
2004年03月07日
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今年のひな祭りも無事にお開きとなりまして。本日、母と一緒に人形を片付けました~。ふぅ、毎度のことながら、結構な手間でござりますナ(^^;まずは、手を洗って歯磨きをしまして・・・と。お雛様に感謝を・・・別に拝んだりはしませんが、また再来年、お会いしましょう。お疲れ様でした・・・という意味合いの声を掛けます。そう、この雛壇とお人形を出しますのは、次回は再来年です。我家には、姉の人形と私の人形と2セットありまして、交互に出すのが慣例となっています。結婚当時は、姉夫婦も狭いマンション暮らしでしたし、雛人形を持って出ますのは、到底不可能でした。娘が生まれた時に渡せば良かったのですが、義兄のお家の方で、早々に新しい人形を誂えてしまわれまして。結局、姉の人形は実家である我家に置いたまま・・・という形になっているのです、ハイ。もっとも、2セットとも何代か前から ずっと我家にある品ですから、特に面倒とも不自然とも思わないのですけれどねー。いつの頃の物かは知りませんが、何代か前には、今の姉と私のように、女の子が2人いた時期があったのでしょうね。わざわざ尋ねるほどの興味はなかったのでしたが、父でしたら知っていたかも知れません。さて、次は埃払いです。飾っている間も適当に払っていますから、本当に埃が掛かっているワケではありませんが・・・ま、形式ですね。最近は、静電気で埃を吸着するハンドモップがあって便利です。そーっとそーっと、全体を優しく撫で降ろしていきます。昔は確か、新しい晒布を裂いて束ねたものだったなぁ・・・と、懐かしく思い出しました。そして、母と私は、おもむろに白手袋を装着。人形を一体づつ降ろして、まず小物や飾りを外します。外した物は、お道具類と一緒に後で磨きますので、ひとまず まとめるだけ。人形の頭(かしら)に、和紙の覆いを被せていきます。手袋をはめた手でコヨリを結びますのには、ちょっとしたコツが要ります。母なんて、面倒がって、別のことばっかりいたしますよ・・・ずるいなぁ(苦笑)お体は布で包んで、防虫剤と一緒に箱の中へ。緋毛氈は、明日 陰干ししますので、縁側へ。ここで、一旦休憩。台所にて、お茶と煙草タイムです。毎年の一つ話ですが、やはり父の思い出になりました。昔の男性にしてはマメなタイプでした父は、身体が動きました頃は、雛飾りを一手に引き受けておりました。毎年、2月の中盤過ぎのお天気の良い日にイソイソと倉庫へ入り、いかにも嬉しそうに雛人形を出していらしたもの・・・と、母が懐かしそうに話します。飾る並びも小物もビシッとソラで覚えていて、母が手伝いますのは、段組みの時くらいであったとか。普通は、両親が飾り付ける様子を見せて、娘にも順序を覚えさせるものですが、父の場合は、飾り付けの間は私達を部屋に入れませんでした。仕上がってから おもむろに襖を開き、私達が喜ぶ顔を見たがったものでした。おかげで姉も私も、かなり年齢がいきますまで、雛飾りの手順も並べ方も知りませんでしたネ(^^;父の身体も言葉も効かなくなりまして以後は、母と私が飾りつけをするようになりましたが、父を司令官のように安楽椅子に座らせまして、作業を点検してもらいましたものです。これは、右? 左?お囃子の並びは?この小物は何に付けますのん? etc.ブルブル震える父の手と、イエス・ノーの頷き具合を測りながら段取りしたものです。かつては仕上がりを楽しませてくれた父を、いつしか私達が楽しませんようになりました。 子煩悩な父をして、特別でありましたのが私であったようです。最初の子である姉、男の子である兄と、各々意味があったのですが、40を過ぎて生まれた末娘への思い入れには、母も苦笑を禁じえなかったそうです。「たりちゃんは、お嫁になんか行かさんでよろしやろ。 苦労さすことあらへん」と、公言して照れもしなかったそうです。そうもいきませんやろ・・・と母が申しますと、非常にイヤな顔をしたそうです。「結婚するにしても、好きなようにさせてくれる男やないとあかんなぁ。 たりちゃんは本が好きやから、本だけ読んでたらええ、他は何もせんでええって言うくらいやないとなぁ」などといった 「妥協案」 を、シブシブと大真面目に申すものですから、母は何度も目を点にしたそうです(笑)そのせいか否か、雛人形につきましては、出すのは早いのに、片付ける時期には言を左右にして、実に遅かったとのこと。うっかりしますと、3月半ばを過ぎましたとやら。姉が、極めて早く嫁ぎましたので・・・それもあって、私のことは出来るだけ長く手元に置きたがったのかも知れません。しかし、母曰く、「いやいや、お姉ちゃんのことは関係おへなんだやろ。 単純に、お父サマは たりちゃんが可愛かったのやわ。 特別な子やったさかいね」とのこと。確かに父は私について、良い部分は120%増し、悪い部分は見ないので無いのと一緒、といったノリでありました(爆)そうした強烈な贔屓目に照らしましても、父の想いに叶う娘には仕上がらなかった我が身ですが・・・ともあれ、30を幾つか越しましても、実家にデデンと居座っておりますこと現在進行形。この点だけは、お釣りがくるほど お父サマのお気持ちに沿いましたなぁ、と、ドッと笑う母娘のお昼前でありました(笑)さてさて、腰を上げて、今一度 手洗いと歯磨きをば。段組を解き、小物とお道具の始末をします。コマコマと小物を磨く私のデコの前を、母が外した板がブンッ!あぶないなぁ、もうっ・・・と文句を言いつつ、小分けして各々の箱へ。普段は閉めている、昔の風呂焚き場へ通る重い扉を開けて、もう一つ扉を開けますと、裏庭の倉庫へ渡れます。どんどん運び込みながら、来年出す方の雛人形セットを前出ししておきます。防虫剤の様子を見ておくと言う母に後を任せて、私はシャワーを浴び、出かける支度を始めました。ふぅ、肩コキコキ・・・お昼御飯は、今日に備えて昨夜から拵えておいた おでん です。身内を褒めますのは恐縮ですが、深みのある薄味をば、母は極めているように思います。なかなか同じように出来ませんので、私としてはムムム・・・と悩むところであります。味付けの・・・うーん、「引き際」 でしょうか。こうした辺りを、掴めきれずにおりまする。母は、御自分の若い頃よりも私の方が上手だし、色々のお店の味も知っているから応用が出来ると慰めてくれますけれども。父の意趣もさりながら、もうちょっと、「お嫁」 に参りますには修行が必要でありましょうね(笑)などと殊勝そうに申しつつ、ホケホケと快適な実家暮らしを満喫する私なのであります。ホホホ(^o^)ちなみに、母の実家の方では、「雛流し」 の行事があるそうです。川沿いに灯りを燈して、とても情緒豊かな眺めであるとのこと。一度、見に参りたいものです^^
2004年03月04日
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麻原被告の一審判決が、死刑と出ました。厳刑の極みを死刑と位置づける現行法上、これ以外の刑罰は、いかに重くとも死までは要求しない軽減措置という位置づけです。麻原被告の罪について、死刑以外の罪を問う・・・つまり、軽減する理由に合理的な説明をつけることは、誰にも出来ません。彼を死刑にすれば全てが片付くという訳ではないと知りつつも、極刑を願わずにいられず、また、今回の判決に わずかなりとも区切りを見出された御家族や関係者の方々には、ただ深く頭を垂れるしかない思いです。おそらく、この先、控訴、更には上告もありえましょうし・・・死刑という結論自体は十中八九動かずとも、彼の生き汚さと申しますか、生き死にへの無頓着ぶりに、もっと傷付かれ悔しい思いをなさる月日は、まだまだ続くと思われます。経験はありませんが、我が身に起こったなら・・・という想像と、人間としての怒りを通して、深い同情を寄せさせていただくより他の道がないことです。こうした、聞くも辛い無残な事件であればあるほど・・・死の恐怖を、まともに認識しない人間に、果たして死刑は意味を持つのか・・・という疑問を、自分の中で解決できずにおります。刑罰の存在意義は、「怖いからやめておこう」 と思わせる未来的抑止力か、「もう二度とすまい」 と思わせる過去的抑止力か、大きく分ければ、プロセスはともかく、上記のどちらかに尽きると思います。問題ではない、とばかりに罪を重ねる向きもありますが、死刑に至るようなレヴェルは避けるのが普通でありましょうし、至ると言われそうな場合は、大抵は必死で弁明するものでありましょう。しかし、麻原被告の場合は・・・被逮捕直後こそ率直に事情聴取に応じたそうですが、ある時点を境に、精神異常を演出するが如き振舞いに終始したとやらは、周知のことであります。10年近く そうした状態で通させるを許し、やっと昨日の一審判決に至ったのです。本人は、反省どころか、相変わらず自分の裁判であるということすら認識しているか否かの状態。これは・・・この一審判決には、意味があるのでしょうか?死ぬにしても、「不当な弾圧」 としか。。。いえ、もっと単純に、「何でー?」 くらいの認識しかないであろう者は、厳粛ではあるけれども画一的でしかない法執行上の 「極刑」 に、果たして沿うのでしょうか。麻原被告という生命体が、この世から消えれば それで済むことなのでしょうか。弁護団は、これからもクルクルと入れ替わり、被告本人の声(あるとして、ですが)を ますます遠ざけていくことになります。意図してはいなくとも、結果として、そうなります。 他に、なりようがありませんので。もしもこの先、死刑以上に重く辛い刑(憲法で許されませんから、あくまで仮定ですが)が設定されたとしても、刑法の規定上、麻原被告には適用されませんので、こうした慨嘆は無意味なのですけれど・・・。殺したことにも、殺されることにも無感覚な者に対する死刑は・・・ある意味、空回りでしかないのでは?哀しく辛いのは、遺族や関係者だけ。義憤に駆られるのは、世論だけ。司法関係者は、法律上の当てはめを超えられない。なのに、肝心の被告は知らん顔。アーレフ内でも、新生派と オウム時代派の分裂があると聞く・・・問われるべき当事者ほど、自分達のこと以外には無関心という この状態をこそ、問題にすべきなのだろうと思います。「アイツは死刑や」 と言うだけで済む話でしたら、いかに日本の裁判が遅くとも、10年はかかりませんでしたので。死刑という言葉と意味さえ知っていれば、事件の年に生まれた10歳の子供にも言えることです。世界に冠たる粘り強さを誇る日本司法機関とジャーナリズムが10年以上を費やして検証したカルト教団の怖さと、相反した脆さを、後世に伝えていかねば・・・と思います。ただ脅かされ、殺されただけでは、この世代に生まれた人間として哀しすぎます。上手く申せませんが・・・そういう気持ちでおります。
2004年02月28日
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むふふふふ・・・やりましたよ、ワタクシ☆デヴィッド・シルヴィアンの大阪公演チケットを、無事に予約いたしましたー!(激嬉)嬉しくてたまりません。私よ、よく頑張ったな、へっへっへっ・・・そわそわそわそわ・・・本日の正午より、先行予約の受付開始でありました。7時に起きて朝の勤行と朝食の後、いつもの勉強をすべく自室に入ったのでしたが。きたる正午のことを考えて、気はそぞろです。時計は合っているかと何度も時報やTVで確認したり。まさか時間変更でもあって、既に受付が始まってはいないだろうか・・・と、チケットセンターのHPを何度も開いたり。ホントに今日は、今年の(←笑)2月27日ですよねぇ? と母に尋ねてはウルサがられたり。そわそわそわそわ・・・机にこそ向っていましたが、午前中のノルマはサッパリでした(^^;テキストの同じ行ばっかり読んでしまったり、まだ解いていない問題にOKマークを付けてしまったり、果ては湯呑みを倒したり(お茶が冷めていて良かった~)、もうもう、ワヤクチャでござりますがな状態です。いらいらいらいら・・・ ← これは、母です。どうせ勉強にならないならと、家事を手伝わせたらトンチンカンなことばかりしでかすし、突然背後から、「もし取れへなんだら、ウチどうしよう!!!」 と大声で叫ばれて お皿を落としそうになるし、やたらウロウロと歩き回られて気ぶっせいで仕方ないし、母にとっては、極めてアタマの痛い午前中であったそうです。後で聞きましたところ、朝のお勤めを終える際、仏壇の父の遺影に向って思わず心中で頼んでしまった言葉がふるっています。「どーぞ無事にチケットを取らせてやっておくれやす。 このままでは、あの子につられてウチまで おかしなってしまいそうです」私につられてって・・・むっ、シツレイな。でも、今朝の我が身を振り返りますと、あながち そうとも言い切れないモノが。話を振られた父こそ気の毒で、妻の頼みの原因たるバカ・・・もとい、まなムスメの壊れっぷりに、彼岸の彼方から さぞかし困惑なさったことでせう、ははは(汗)時間の進みだけは正確に静かに・・・母にも娘にも長かった午前中は、遅くないかい?! と不当な文句(笑)をつけられながらも、着実に時を刻んでいたのでした。そわそわそわそわ・・・もうすぐ正午・・・緊張が高まります。私のPCはダイヤルアップ接続ですので、目当てのページを開くまでに、いささかのタイムラグがあります。数秒前を狙って、申し込み画面を開くか・・・いやしかし、クリックが1秒でも速ければ、受付時間外として弾かれてしまいます。画面を戻して再トライするためのラグの方が勿体ない。グルグル悩んだ挙句、正午と同時にクリックすることを決めました。実際には大差ないのですが、ここまでテンパりますと、もう気持ちの問題です。それなら元より悩むなよ、という話でもありましょうけれどね(苦笑)そわそわそわそわ・・・ピッ、ピッ、ピッ、ピーン♪同時に、申し込み開始ボタンをクリック!!!ブラウザ下で、進捗を示す青ラインが動き出します・・・が、半分以降の所で止まり、なかなか進みません。同時にアクセスなさっている方が多いからでしょう。商業ベースでの評価だけで言えばマイナー部に分類されますが、息の長いファン層を保つデヴィッド・シルヴィアンです。滅多にない来日公演の申し込みのため、万難を排してPC前に陣取り秒針を睨み続けたファンは、私だけではありませぬ。チクリ、チクリと動く青ライン・・・ジリジリしながらも、待つのが吉と我慢いたしました。ここで短気を起こしてクリックを重ねますと、フリーズしかねませんからね。待つこと、どれだけでしたか・・・パッと画面が変わりました。会員番号、公演日、チケット枚数などを尋ねる欄に、ダダダッと入力。 そして、「確定」 をクリック!またしても、少々のタイムラグがあり・・・「予約を受け付けました」 との画面が出ました時には、思わず座っている椅子から降りて床に座り込んでしまいましたー(汗)指示通りに当の受付画面をプリントアウトして、受付完了メイルの受信を確認して・・・と。先行予約の申し込みが確保席数を上回る場合には抽選になるそうですが、B'z やボン・ジョビのような激戦区ではありませんので、おそらく これでチケットを確保したと考えて間違いないでしょう。ふぅ。。。長くも疲れ、しかしながら確かに ときめいた幸せな時間でありました☆今でこそ、チケットをオンラインで申し込みますのが普通である時代です。私自身、どの公演のチケットを申し込みますにも当たり前に考えております。しかし、ほんの10年前頃のチケット先行予約と言いませば(あ、別にシルヴィアンに限らず)、電話のみでありました☆受付開始時間と同時にチケットセンターに電話の猛攻撃を開始。繋がらないのですよー、これが!ネットでしたら対象ごとにページを設けてありますが、電話申し込みの時代は、どの対象も一緒くたですもの。電話が繋がって初めて、「この公演のチケットを」 と特定する形でした。何度も何度もプッシュして、何度も何度も通話不能のプープープー×(かける) いつ果てるともないループ作業 の繰り返しです。人気の公演の申し込み日でしたら、2時間や3時間は電話の金縛りサマになりますことは当たり前でしたなぁ・・・フッと遠い目。今でこそ、苦労を懐かしみに代えて話せることでありますが。当時は本当に、どの公演に申し込むにしましても、のるかそるかの真剣さでギンギンしていたものです。年齢のわりに白髪が多いのは、この時代のチケット争奪戦によるストレスも理由の一つであろうと確信しております、ワタクシ(爆)いやいやいや・・・デヴィッドのコンサートに赴ける身で、少々の白髪なぞが何程の悩みであらうか、いやない(反語)チケットを押さえた午後からはシッカリしたかと申せば さにあらず、緊張後の安堵感でボヘボヘしておりました。かと申して、「どうしたの?」 とは、出先で会いました どなたからも特に尋ねられませんでした。 どうして?いつも通りであったといふコトなのでしょうか。納得がいかないのですが・・・むぅ。
2004年02月27日
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朝、起きましたら蚊に喰われておりました。手首と足の甲との2ヶ所です。昨年の夏以来のことですから、実際以上にカユく感じました。多少暖かくなったとは言え、早すぎる登場であります。シーズンでもないのに勝手に出てきて、しかも私を選んで喰いつく理由はナンだ(爆)こうした愚痴に、マジレスを返してくれましたのは、例によって我が能天気母上であります。昨夜のお酒の匂いが残っていたのでせう、とのこと。蚊は、喰いつく相手を、体温と肌の匂いで選んでいるそうです。そりゃまた、朝っぱらから胡散臭い話をおおきに~(爆)・・・などと苦笑して、お味噌汁をいただいた今朝の私でしたが。ふむ、飲んで陽気な深夜の御帰還だったのは、事実です(笑)昨夜は久しぶりに、アメリカンスクール時代の友人と会いました。お顔を見ますのは、彼女の結婚式以来です。お式の後、彼女は外国か関東住まいでしたので、折々の挨拶を交わすお付合いに留まっていました。そんな彼女が、ひょんなことから関西に移っていらして。当然、会おうよ会おうよ、という話になります。イソイソと時間を打ち合わせ、昨夜、JR駅の改札で待ち合わせました。ああ・・・相変わらず綺麗やなぁ改札越しの遠目にも一目で解った彼女の姿に、良い意味で軽い嫉妬交じりの慨嘆を覚えたものです。学生時代と大差なく気取らない格好に、何よりも変わりませんのは、その端正さです。優しい作りの目鼻立ちに、教養と育ちの良さが さり気なく光っているとでも申しましょうか。内側から、ホンワリと照り映えるような雰囲気の人です。ナルホド、私が美しいと感じる女性は、こうしたタイプなのだな・・・と、久々の再会を喜ぶハグを交わしながら、頭の隅で考えていたものでした。久々の再会を祝して、ちょっと奮発した美味しい和食のお店に席を構えました。時間は早めながら日本酒(笑)も交えての語り合い。最初こそ、やや改まって近況報告を交わしましたが、すぐに昨日からの続きといったノリの おしゃべりになりました。何年も会っていなくても、お互いのちょっとした呼吸がピタリと合った途端に くつろぎムードに入れますのが、学生時代の友人の良さですねぇ。思い出話の直後に現在の話、友人の噂話と同時進行で流行のお化粧の話題、三味線(二人とも弾くのです)の話に絡めて、お互いの宗教・信仰観について議論・・・などなどなど、話題の種類も時系列も問答無用の縦横無尽といった私達のしゃべりっぷりは、さながら結界のようであったろうな、と思います。今の私達の小宇宙には、誰も入って来られない、ついてこられないという、心地よい排他意識です。勿論こうしたことは、後から考えたことですけれどネ。おしゃべりの花が爛漫と咲く側では、お料理が粛々と進んでいきます。繊細な趣向に、控えめながら奥深い美味と、目も舌も存分に楽しませていただきました。お給仕の方からの説明を傾聴することで、更に興も味わいも深くなります。二人とも関西人だからでもありましょうけれど、やっぱり、お料理もお給仕も、京都が一番合うねぇ・・・という結論に至りました(笑)昔も今も、同席しますのが心地良い友人です。どんなに話が盛り上がっている最中にでも、お給仕の方に必ずお礼の言葉なり会釈なり、最低限でも視線を自然に向ける様子が素敵です。私もしますことですが、彼女の場合は外国仕込みでもあり、同じことでも、より洗練されていると感じました。早速、真似をさせてもらわねば☆そう思って正直に申しましたら、彼女は彼女で、私の様子に心動いた部分があったとのコト。どこが何とは、恥ずかしくて聞きただす気にならず、説明しようとする彼女の言葉をば、やや強引なお酌で封じました(爆)他人(ひと)の美点を言葉にしますのは好きですが、我が身への お褒めには弱くて、身の置き所のない思いがいたします。恥ずかしくてたまりません、誤魔化すためならベリーダンスでも躍ってみせようかといふくらいに。いや、躍れませんけれどね(苦笑)座を移しまして、静かなバーで、もう少し飲みました。彼女と、特に深く語りましたことに、お互いの稽古事への観念がありました。わざわざ師匠に就いて、礼を尽くして厳しく躾けていただく意味は何だろうね? と。お互いの背景や経験を交えながら、あくまで静かに意見を交換し・・・しかし尽きることなく、時間を忘れて語り合ったものです。ジャンルこそ異なりながら、基本精神は同じだわね・・・と、お互いに確認できまして、欣快でありました。どうした内容でありましたかは、機会を改めて書かせていただきます。長くなりますので(苦笑)まずまず今夜は、美しき友人を自慢させていただきました☆しかし彼女は、御自分の話題に入る前フリが 「蚊!」 だと知ったら・・・(笑)どう思うでしょうね、書き直しのクレームが入るかなぁ。 ぷぷっ♪
2004年02月24日
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・・・と言えば、映画 『卒業』 ですね。何も、ああまで派手に奪うことなかろうと思うのは私だけでしょうか。落ち度もない花婿や親類が、気の毒でありんす。そんなコト言っていたら、映画らしい華々しさなんて出せないのでしょうけれど・・・うむぅ。どうにも、独りよがり(あ、二人ですか)にしか思えないラストシーンであります。バスの後部座席で、満足気に微笑むホフマンに一言。「笑ってる場合かいな、訴えられたらどう対応する気よ、アナタ」(爆)のっけから文句で、失礼いたしました(笑)映画とは無関係に(おいおい)、世間はもうすぐ、卒業式シーズンですね~。卒業式には、花吹雪舞い散る中、卒業証書の筒を掲げて学び舎に別れを告げる・・・といった、美しいイメージがあります。実際の卒業式シーズンには満開の桜は望めませんのが、ちょっと残念です。沖縄辺りでしたら、満開とまではいかずとも、咲いてはいるのでしょうか?アルバイト先の教え子にも、今年卒業組が大勢います。高3生とはお別れですが、中3生とは引き続きのお付合いになりますから、少し気が楽かなぁ、と。全員とお別れでは、いかなビジネスと割り切っている私でも、寂しさでシュンとしてしまいますのでね~。あ、送り出す高3生も、「全員」 ではありませんな・・・浪人組がいるんだ、忘れてた(爆)送り出す側も送られる側も、式の予行演習に忙しそうです。ある高1の生徒数人が、この間、授業の終わった教室に残ってガサゴソしておりました。何やってるの? と尋ねますと、卒業生退場時に撒く紙吹雪を作っているとのこと。ノルマなのだそうです。数人が輪になって、細く束ねた色画用紙をチョキチョキ切っては、段ボール箱に落としていたのです。それは構いませんが、受け皿の段ボール箱は、一人の女子が大きく開いた膝の間に挟んでいるのですね。しかも、その本人も作業中ですから、自分の開いた膝頭に肘をドカリと乗せて・・・その肘で、上げたスカートが降りてこないように押さえてもいるではあーりませんか(爆)こらこら、若い娘っ子が なんちゅうコトを(^^;せめて段ボール箱は机か椅子に置きなさい、オヤジ臭いなぁ、もう!と、思わずツッこんでしまいましたヨ。なのに娘達ときたら、笑う笑う・・・この年代って、年がら年中、お箸かラッキョ工場の地震に立ち会っているようなモノですね(謎)呑気な小娘ちゃんどもは さて置き・・・話を聞きますと、卒業式に使うメイン曲には、森山直太郎氏の 『桜』 が圧倒的な人気であるようですネ。送る側、例えばブラスバンドが演奏することもあり、送られる側が斉唱することもあり、なのだそうです。さもあらん、時期も歌詞も曲調も、そして認知度も、これ以上はないというくらいにピッタリですものね~。しかしながら・・・ブラス演奏であればともかく、斉唱となりますと、かなり難しい曲のでは???歌に血道を上げる余り、卒業式の感動を味わうヒマもなかった・・・なんてコトにならねば良いのですが(^^;などと案じておりましたら、歌わせる大抵の学校では、斉唱でなく合唱アレンジだそうで。それが良いでしょうねー。試しに、 「ちょっと聴かせてよ~」 と、高3の男の子をおだてて歌わせてみました。カラオケが趣味と公言して憚らない彼のこと、形ばかりイヤイヤした後は、実に簡単にノッてくれまして(笑)なかなかどうして、数ある難所をモノともせず立派に歌い上げるではありませんか~(@@「一人やからエエねん」とのこと。彼の学校では、合唱式だそうでして。皆と合わせると、別のパートが耳について、欲求不満になってしまうのだそうです。彼の立ち位置が、バス群との境目なのだとのこと。あああ、それは気の毒に・・・と、深ぁく頷いてしまいました。私も昔、合唱の際には、別パートに引きずられて苦労したものです。 よく解るぅ・・・「ちゃうよ、センセ」へっ???「オレは引きずられるワケやないねん。ただこの曲は、オリジナル通りがサイコーやと思ってるん。 わざわざパート分けしてまで皆で歌うことないやんって思うんよ。 あー、オレ、正直言って、一人で歌いたいワ」あはははは、ナルホド。オレだけオンステージ状態が良い訳ね・・・そりゃ失礼いたしました。うっかりと、合唱(と言いますか、歌自体が)苦手で苦労したなどと口走ったものですから、そこをツッこまれましてね。一緒にカラオケに行こう、バッチリ鍛えてあげるで~! と、矢のような勧誘から逃げるのに、大変に苦労いたしました(汗)これも一種の、仰げば尊しわが師に意趣返し、ってヤツでしょうか(爆)卒業後の御礼参りや、校舎のガラス叩き割り行脚に比べませば、随分と友好的かつ楽しい内容ですから、穏やかに断りはしましたものの、嬉しくなくはないのですけれどね(笑)私が中高を卒業しました折には・・・そう・・・『赤いスイートピー』 や、『春なのに』 といった曲が定番でした。中学時代はブラス部でしたから、これらの曲で先輩方を送り出しもしましたしねー♪仕事柄、年代は変われど中高生と接する機会が多いもので、何かにつけ当時の自分を思い出す機会があります。部活の先輩への花束憧れの先輩の第二ボタンレース編み風の、足首までのソックス「湯上りの香り」 のコロンLPの貸し借りには 「R堂」 の袋がブランドセーラーリボンの結び方下駄箱の交換日記etc.etc. ・・・今となっては馬鹿馬鹿しく、モノによっては気恥ずかしいことばかりです。でも、純情一路に一喜一憂した記憶は、全体的には悪いモノではありませんね。くすぐったくも、愛おしい思い出であります^^そう言えば私も、ドカンと膝を開いてキャーキャー笑いながら、アイスなぞ買い食いしておりましたわ・・・しまった、余計なコトまで思い出して参りました(汗)この辺りは、ウヤムヤにしておきましょう・・・記憶にシャッター、カシャーン!これこそが、現役学生にはない、大人だけに許される特権なのでありましょうね。「エレーン!」 と叫び倒した彼も、数年後には、この特権を行使したのかな・・・そうでなければ良いのですけれど(笑)
2004年02月20日
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男性諸氏にとっては、魅惑の響きなのだろうなぁ・・・などと、勝手に考えております(笑)しかし、今日の話は、笑っている場合じゃない内容です。ホントに書いてしまって良いものやら、迷いつつ指だけ動かしている私です。自他共に認める呑気モノではありますが、まさかここまで・・・と、いささか動揺してもおります。この文章を最後まで読んで下さった方には、口封じが必要なのではないか・・・いやいや、それ以前に 他人のフリをされちゃうかも(爆)まずは、画面をスクロールしていただき、去る1月29日の日記の冒頭部分を参照して下さいますか。私は、こう書いております。「生まれてこの方34年、誰と一緒に過ごした時間が長いかと言いますと・・・(略)」自分でも確認しまして、「ああ、やっぱり・・・」 と、ガクリと肩を落としてしまいました。私は、嘘を書いています。故意ではありませんし、全体的には小さなコトですが、嘘には違いありません。何かと申しますと、年齢の部分です。・・・1コ、多いんですぅ(小声)そうです、私は当年とって、33歳なのです。ただのミスタイプだろう、大袈裟な・・・と思われましたか?違うのです、数字キーを間違えてなんかいません。1月29日当時の私はですね、本当に、自分の年齢を34歳だと思っていたのです。正確に言いますと、昨日の午前2時まで そう思い込んで疑っていなかったのですっ、ダダーン!!!話は、昨日深夜の、友人との電話に遡ります。数年前にネットで知り合って以来、先方が7つ年下という年齢差にも拘らず意気投合し、親しい関係が続いています。彼女はお休み前夜、私は勉強の息抜きということで、漫画や映画などの気軽な話題で楽しいおしゃべりを交わしていました。そう・・・思えば、漫画の話題が分かれ道だったのです。現在、ドラマ人気を受けて、原作も改めて脚光を浴びている 『エースをねらえ!』 の話になりました。彼女も読んでいる最中だとのこと、私の目にも古く思える当時の絵柄やキャラ設定、作風は、更に若い貴女には却って新鮮だろうと笑っていました。・・・そうした流れで、年齢の話にシフトしていったのです。「私が今、34だからぁ・・・」と言いますと、電話の向こうが一瞬、沈黙しました。「・・・違うやろ? たりは今、33やん」「ちゃうちゃう、2004年やもん、34やで」「だって、(19)70年の(昭和)45年やろ? どっちもキリがいいから数え易いって、前に聞いたの覚えてるで」「(???)そうやで、その通りやもん」「それやったら、今年の11月で34になるんやんか。 私も同じ11月生まれなん知ってるやろ? 7つ違いで、私は次、27になるんやもん」・・・頭の中が、ホワイトアウトしました。え? え? え???2004 引く 1970 は、34・・・でしょ?「たりっ! それやったら昔の数え年やんかーっ!」電話の向こうからキンキン言われて、たりぞう、パニックになりました。待って待って・・・そう、私は11月生まれ。今年は 2004年、2004年とは、次の大晦日まで続くのであって、次の11月は大晦日より前・・・「うっそーーーーーー!!! ウチ、33歳なん???」夜中だということも忘れて、私は愕然と叫んでしまいました!ショックなんてモノじゃありません、私の知らない間に過ぎた1年があったとでも???「(ガクッとする気配) そーじゃなくて、たりの勘違いなのっ! ええか? 引いた数は34で間違ってへんけど、2004年の誕生日が来るまでは33なワケ! 1コ年が上がってからお正月までは、ウチらの場合、1ヶ月半ぐらいしかないの! アンダスタン??」おおお、なるほど論理的だ・・・などとと感心している場合ではありません。私、昨年11月の誕生日以来、34になったと公言して歩いていたのです。一瞬たりとも疑いませんでした。 だからこそ・・・「どうしよーっ! 一昨日出した願書に、ウチ、34って書いたよーっ!!!」あああああ、ホントなんですよ、これ(涙)年齢欄に記入する際、頭にあった別の数字を無意識に書いてしまったので、訂正して 「34」 とシッカリ記入した記憶があるのです(爆)「何か言われたら、数え年と間違えましたって開き直っときー」と、電話の向こうでは、彼女が大笑い。年齢欄の左には、「満」 と印刷されていますし、別紙の注意事項にも、「満年齢を記入のこと」 と、わざわざ注釈してあるくらいですから、それは通りませんけれどネ(苦笑) いざとなったら、逆ギレするしかありませんかね(爆)まあ、願書不受理になる性質の誤記ではありませんから、それは大丈夫なのですが・・・。ひとしきり笑い倒した後、彼女はフと、しみじみした口調になりまして。「なぁ、たりぃ。 ムツカシイ試験も大事やけどさぁ、自分の年ぐらいは普通に数えようよぉ。 4歳の子かて、尋かれたら自分は4つだって言うんやからさぁ(^^;」・・・ごもっともでございます、反論の余地ナッシング(涙)電話を終えて、何となく虚脱状態になり・・・そそくさとお風呂を使って、昨夜は寝てしまいました。それでも何となく不消化気分が抜けず、お昼過ぎに、出先から友人(このヒトは同い年)に電話をば。「ヘンなこと尋くけど・・・ウチらって、何歳やったっけ」「はぁ???」赤子ちゃんをあやしながらの親友は、当たり前ですが不審気に理由を尋ねてきました。かくかくしかじか・・・友人は、電話の向こうで、長い長~~~いため息をついたものです。「あんなぁ、たりちゃぁん。 貴女ってな、頭イイし、趣味は広いし、裁縫以外の家事はドンとこいやし、行儀もできてるわ努力もするわで、ウチとしては自慢の親友なワケよ」このテの前フリは・・・怒られる前兆だ、ドキドキ「でもさぁ、こう・・・何で??? って部分でスットコドッコイやねん、昔っから」くるぞ、くるぞ・・・「先週の電話でイラク情勢をな、めっちゃ上手に説明してくれたヒトがやな、貴女は。 ウチ、ダンナにも受け売りして、ダンナも、さすがたりさんやなって感心してはったん!」上がってきた、きた・・・昔からヴォルテージが高いんだ、このコ。「そんなヒトがやな、何で河原町の真ん中から、わざわざケータイで心細げに年なんか尋いてくるねんなっ! ハンドボールの負け組同志で一緒にウサギ飛びして、お弁当のおかずもお菓子も交換したバリバリの同級生やんかっ! 金さん銀さんを目標に、アタシ百歳、アナタも百歳、ヒャヒャヒャって笑いながら一緒に長生きしてお茶とかしようって約束した仲やろう! ウチの年は貴女の年や、違うか???」い、息継ぎしなくて大丈夫かっ?? ・・・とは、さすがに言いませんでした。口を挟める隙間がなかったとも言えますが、ひょんなコトから篤い友情を再確認して、ちと胸が詰まったのも理由でして。「もーっ、勝手に年取らさんといてよっ。 シッカリしてぇな、たりちゃんよ! ウチやから冗談と思わんと真面目に聞いたけどさぁ、他の人は違うんやでっ」ボケるには早すぎ、勘定間違いを許される年は過ぎ・・・と、非常に中途半端だと やっつけられました(^^;こうなりますと、逆恨みすべきは 我が母であります。私の年は、実は33だそうで・・・34だと言いました時に、不自然と思いませんでしたかと尋ねますとですね。「ああ、そうでしたん?」これ一言!しかも、大根をおろしてくれと渡しながらの横着ぶり。関係ありませんが、昨夜の我家の夕飯に、中華風大根餅をこしらえたのです。「だぁって、たりちゃんが34やって言わはるから。 まあ、それくらいなんやろうなぁと。。。」なんですとーっ(爆)誕生日はこちらからアピールしますが、男女一人づつのお産経験者が、このような態度でヨロシイものですか??1つ下なら、よろしおすやん・・・と、ケロケロ笑う母。まあ、そうなのですけれどね。小学校入学時の境目でしたら真剣に考えるべきなのでしょうけれど、30を過ぎたことは間違いない現在、驚きはしましたが、一晩置いてみますと特別の感慨もない・・・というのが、正直な気持ちです。そして母親族の対応や態度こそは、大抵の場合は正しいのだなぁ・・・と、ヘンな意味で感心してしまいました。ふん、少しばかり業腹ではありますけれどね(爆)1年を遡ったような、でも、大したことではないという気持ちの間で、やはりホケホケとしております。あと何年生きれば、何冊読んで何曲聴いて弾いて、何服点てて、そして・・・家族と、あと何日何時間、一緒に過ごせるのだろうか・・・と。フッ、と頭を振って、今は考えまいとしております。取り急ぎ目指すべきは、お若い殿方に憧れてもらえるような、麗しの 「年上の女性(ひと)」 でありましょうか(笑)
2004年02月19日
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千年には負けますけれどね(笑)正確に言いますと、もう22年になんなんとする私の恋・・・(うっとり)しつこいと言うか情が深いと言うかは意見の分かれるところですが、ともあれ揺るぎなく愛し続けているカレがいます。この4月、久しぶりに顔を見せてくれることになりました。そうです、デヴィッド・シルヴィアンが来日するのです♪・・・今、「なーんだ」 と呟いたアナタ、退場っ!(爆)2ヶ月前に告知とは急な話ですが、何を置いても馳せ参じるのは間違いありませんので、時期は問題になりません。チケットの先行予約開始が来週早々ですので、その点だけはヒヤリとしましたけれどね。幸いにも、出先ながら どうにか電話に集中する時間を空けられます。良い席が取れるといいなぁ・・・♪前回と同じく、東京 ・ 名古屋 ・ 大阪 の3箇所のみの小規模なツアーです。東京公演は さすがに無理ですが、名古屋と大阪には行きたいな・・・と、カレンダーを睨みつつ画策中です。少なくとも、大阪公演には必ず参りますっ☆4月27日です、今から楽しみで楽しみで・・・(*~_~*)ああー、ちゃんと元気に活動してくれていて、しかも日本のファンのことも考えてくれた・・・などなど思いますと、嬉しくて目頭が熱くなるのですぅ。ここ数年は、それでも程々に作品を発表して ファンに健在ぶりを報せてくれるので、有難いことです。何年も、ウワサ一つ聞けない辛い時期もありましたのでねー。いやいや、過ぎたことのグチは言うまい・・・うむっ。「黄金の砂が静かにうねるような」 と言われたデヴィッドの歌声と楽曲に惚れ込んで20年余。これよりも何度も惚れ直し続けて、フと気がつけば一生やってたワ・・・というコトになるのではないでしょうか。呑気モノたりぞうのこと、あり得るだろう・・・と ヘンに納得なさったアナタも退場っ!(爆)来日公演で、姿を見せてくれるだけで有難や~、とは思いつつ。そこはオナゴの身のこと、行くと決まれば、次かつ最大の心配は 「何を着ていこうかな~♪」 です(笑)5月に近い4月の気候は、どんなものだろう・・・この冬は冷えるのが遅かったから、寒さが順送りになるだろうか?いやいや、それよりも、洋服か和服か どちらにしよう???かくかくしかじか、携帯アドレスを変えた報せを兼ねて兄にメイルをしましたところ・・・「(変更は)了解。 まあ、たまには着るモンで悩むのも女子の道やろう。好きなだけ悩んで当日の天気で決めろよ」と、愛想もヘッタクレもない返信でありました。二十年どころか三十年以上も培った家族愛ですが、この際、チャラにしても良いのではなかろうかと、真面目に考えている早朝の私であります。皆様の御意見を募集いたします(爆)
2004年02月18日
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名画タイトルのもじりを、変に面白がって続けております。クラい性格。映画 『ロード・オブ・ザ・リング』 完結編が話題をさらいましたね。周囲の評判を聞けば聞くほど、大した感動巨編であるようです。初編すら観ていない私なんぞは、もうすっかり置いてきぼりでござりまする(^^;どうも私という人間は、ファンタジー音痴でありまして。脳内の、ファンタジー対応ソフトが旧い上に貧弱ときております。他人様と比べて想像力が格段に劣る・・・という程ではないと思うのですけれどねぇ。想像力とは、また違った次元の話なのでしょうか。何ですかもう、気がついたら拒否反応まで起こるようになりましたよ、まったく・・・。エルフだの魔法の呪文だのドラゴンだのが飛び交う世界が目の端に入りますと、バタッと死んだフリをしてしまいます。カンベンしておくんなさい、あたしゃ一介の素浪人なんです。ファンタジーな展開なら、アタシに構わずとっとと先に進んでおくんなっ、と言いますか、お願いだから行って下さい、というノリでして。我ながら、意味不明な反応なのであります(汗)小説でしたら、いわゆる代表的作品は、少々紐解いてみたこともあるのですが・・・。殆ど楽しめる要素を見つけられなかった、というのが、正直な感想です。苦手を克服しようという前向きな姿勢ではなく、言うなれば教養の一つという気持ちで接しましたのも敗因でしたでしょうネ。入り込めない ・ ついていけない ・ ワケわかんないファンタジー三重苦を抱えて、少しは気にしておりましたが。もっと興味を惹かれる対象が他にいくらでもありましたし、今もありまする・・・という流れであったのです、ハイ。唯一、ファンタジー拒否症を蹴飛ばしてくれる面白さに酔い倒しましたのが、『グイン・サーガ』(栗本薫・早川書房) でありましたが・・・。途中(←この区切りを何巻目と置くかは、各々のお好みです)から、読むに辛くなって参りました。 とほほ。『ネヴァー・エンディング・ストーリー』 は、主題歌にホレましたのを きっかけに、ちと真面目に観て、原作にも当たりました。結論としては当方の受け皿が狭くて、話の流れには大した感慨も持てないままにおりますが・・・リマール歌う映画の主題歌は、我身の寡聞による贔屓ばかりではなく、世紀の記録に残るべき美しき作品であると思います。話が逸れました、シツレイ。オチを予定して始めたのですが、書いております内に忘れてしまいました。魔法か呪文で、思い出せれば良いのですけれどネ(笑)
2004年02月12日
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とうとう我家にもやってきましたっ、ジャジャーン♪低反発マクラでぇす。わぁい、ずっと欲しかったんだぁ☆・・・おとと、1行目からビミョーに嘘を書くワタクシ。正確には、「我家」 ではなく、「私の布団」 にであります。そう、買った低反発枕は1コきりなのです。「わー、たりぞうってケチンボ! 御家族にも買ってあげればいいのに、自分のだけだってサ」いやいやいや、そうおっしゃる前に釈明させて下さいね(笑)始まりは、別の用事で立ち寄ったデパートでした。1Fのファンシーショップで、商品入れ替え前の売り切りセールをやっていたのです。低反発枕、パジャマ、フリースの部屋着、室内履き、クッション、毛布などといった、ベッド周りのくつろぎグッズが セールの目玉でした。こうした品物が、どれでも好きなペアで5千円になっていたのです。どの品も生地・縫製ともにシッカリしていて、しかも手触り抜群です。肌ヨワ大将の私が言うのですから、間違いありません・・・って、こんなことでエバっても仕方ありませんか(苦笑)他のお品も魅力でしたが、やはり、低反発枕が私にとってのメインでした。健康に良いと聞いていましたし、使っている友人達から聞く評判も上々です。TVの通販では、更に上等のマグネット入りを紹介していますが、私は体型のわりに滅多に肩が凝らないので・・・そこまでの品は要らないなぁ、と常々考えていたのでした。このお店に置いてある品はマグネットなしですし、試しに軽く押してみましたところ、ヘコみ加減にトキメキのシットリ感があります。しかも、あんまり分厚くないのですね。 ここが最大のポイント。実は私、分厚い枕が大の苦手なのですよ。市販の枕は どれも私には厚すぎて、首の寝違えや、目覚めた時の倦怠感のモトになっていました。お恥ずかしい話ですが、ここ10年ほどは、バスタオルを8つに畳んだものにカバーを巻いて枕代わりにしていたのです。それでも用は足りていたのですが、やっぱり、普通の枕が欲しい・・・出来れば流行の低反発モノ・・・と、ボンヤリ憧れていたのでした。滅多に寄らないデパートで、たまたま在庫一層セール中の、しかも理想の肌触り&厚みの低反発枕です。これで買わねばオンナがすたるというものです、ハイ。これを頭に敷いて眠ったら、さぞかし気持ち良かろうなぁ~~~♪と、私の目はすでにトランス状態ユ~ラユラ(笑)さて、品物はペアで5千円です。ちなみに1コだけを買う場合は、枕ですと3800円。それだと勿体ないと思った訳ではなく、私は当たり前に、同じ枕を2つ取りました。母と私で一つずつ新調しよう、という心積もりです。母は、昔気質と言いますのか、こうして問答無用で買って帰りでもしませんことには、御自分の普段使いの品を新しくするなどということをしませんのでネ。兄の分は・・・まあ、滅多に帰ってこないヒトですから、この際、カウント外でいーや、と(笑)枕2つを入れた袋は重かったのですが、せっせと持って帰りました。さてさて、母が帰宅したところで、枕のお披露目をば。まあ、試しに頭を乗せてみて下さいなと横にならせてみたところですね。母は、どうも・・・頭をモソモソ動かしながらフクザツな顔をするのですよ。合いませんかと重ねて尋ねますと、すごく申し訳なさそうな様子で頷くではあーりませんか(@@母曰く、固めなのと、枕の隆起が首にグッときて落ち着かないのだそうです。母は、ここでも昔人間・・・長年愛用中の、蕎麦ガラがたくさん詰まった枕の方が好み、とのこと。 あちゃー。せっかく買ってきてくれたのだし、健康にも良いそうだから使いますよと慌てる母ですが、いやいや、と断りまして。片方だけ品物を代えてもらえるかどうか、朝イチでお店にお電話して尋ねることにしました。幸いにも母が頭を乗せた方は、まだセロファンカバーを巻いたままでしたので。何度も謝る母ですが、なぁに、私が勝手に買ってきたものですから別に腹も立ちません。代えてもらえない場合は 兄に使わせるか、私のPC椅子の腰クッションにすれば良いのですからね。翌朝(一昨朝ですが)、お店にお電話して尋ねましたところ・・・とっても気持ちの良い御様子で、片割れだけの交換に応じて下さるとのお返事でした。御迷惑にはなりませんか・・・? と念を押したのですが、全く問題ないとのコト。枕以外の品は不要ということならば、1コだけお買い上げという形でレジを切り直しますから御遠慮なくどうぞ、との、御丁寧な対応です。では、火曜日くらいに伺います、レシートは持っておりますので、と申しますと、「いえいえ、結構です。 お客様のことは覚えております、あの方だと解っておりますから」とのコト。シビれましたワ・・・扱うお品も良ければ、店員さんもナイス☆とっても嬉しい気分で電話を終え、横で心配気に待機していた母にも、得々と会話を再現して聞かせましたものです。分野こそ全くもって違いますが、私も かつてサーヴィス業で長くお勉強させていただいた身だからでありましょうか。心温まる、しかも綺麗な対応をしていただきますと、嬉しさに胸が騒ぎ躍るのです♪上等のサーヴィスとは、「最高級」 とか 「有名」 といったメディア向きの軽々しい形容とは、実は合わないモノでありましょうネ。閑話休題。低反発枕を 早速にも使ってみましたところ、二晩目ながら、とーっても具合が良いのです。隆起部を避けて(厚みは嫌いです)、低くなっているラインに頬を当てるようにして用いましたところ、好フィット感が過ぎて寝過ごしてしまいましたぞな(爆)前夜は3時半まで眠って、家を出るまでの間、模試のために詰め込みをする予定だったのですが・・・起きましたのは、なんと、7時過ぎでした。 アカンやん(^^;道中の電車やバスの中で、コマコマと復習する気でしたが・・・かなり改善したとは言え、元が乗り物に弱い身のこと。ものの3分も俯いておりますと、偏頭痛と胃のムカムカに耐えられなくなるヘナチョコぶりであります。 ふぅ。しかし、予定よりも深く長く眠ったからか、身体は軽く頭はクリアである気もする・・・。睡眠=お肌 ですし、お化粧ノリをも左右することになれば、本当に効果があると考えても良いのかも?どちらにしても寝坊は困りますので、もっとギンギンに鳴り響く目覚まし時計を買わねば・・・の、結局は追いかけっこになったりして(笑)交換させていただく片割れは、何にしましょうかね。パジャマは素敵な触り心地でしたが、私は浴衣派ですし・・・。かる~い心地の室内履きも綿入れも愛用の品があり、ヘタれてもおりませんし。毛布か、クッションでしょうね。わざわざ買うとなると躊躇いますので、こうしたチャンスには素直に乗ろうと思います♪それにしても、母の好みの解らないところ・・・蕎麦ガラ枕なぞ、無駄に厚い上に 動く度に耳元でザリザリうるさいと思うのですけれどネ。オレンジ豆灯と、小さい音ながらラジオかけっぱなしが必須の母に対して、暗闇無音でないと落ち着いて眠れない私という違いもあり・・・自他共に認める一卵性母娘ながら、細かいトコロでは合わない箇所があるものです。どちらも、お互いの好みで安眠をしていること・・・お互いに気をつけて、寝過ごしのないように気をつけ合いましょうねー、という話に落ち着きましたのでありんす。安眠とは、用具の機能とは別に、独りだけでは徹底できないモノだと思いました☆
2004年02月07日
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ヒソかに名画タイトルのもじりが続きます・・・ははは。さて、今年の節分も無事に過ごせました♪これでやっと、鬼に笑われずに年内の話題が出来るというものですね、ぷぷぷ(意味不明)姉の家族がやって来て、いつもは女二人で静かな我家も賑わいました。太巻きとお吸い物を作り、鰯を焼き、豆をまき・・・と、内容は変わらないのですが、今年は豆を変えてみましたヨ。皆さんは、節分豆って お好きでしょうか?我家は、どうもアレが苦手だったのですよ。口の中が、ガジョゴジョしませんか???味も、何となく素っ気無いし・・・うむむ、美味しい豆も、それなりのお店で買えばあるのでしょうけれどねぇ。とても年齢+1コも いただく気になれず、撒いて残った分は大半を処分してしまうのが常でした。豆には違いないのだから、ミックスナッツで代用してはイカンものだろうかと、かなり真面目に考えた時期もあったくらいです(爆)それがですね、今年は、ふと気紛れを起こしまして。炒っただけの豆ではなく、「砂糖がけ」 というブツを買ってみましたところ、これが なかなか美味しいのです♪豆自体の質は同じ(毎年買っていた豆と同シリーズですので)だと思うのですが、歯触りサクリ、口どけサラリでありました。砂糖で薄くコーティングするだけで、こうも違うものなんですねぇ。料理でも、少しの砂糖を足すだけでフカッと柔らかく煮えるものですから、考えてみれば当然なのかも知れません。豆に味が付いたことで食べやすくもなりましたし♪甘いものの苦手な私ですから、食べたと言っても知れているのですけれど、抵抗感はなくなりました。よぉし、来年からは、砂糖がけ豆で鬼やらいだ~~~☆・・・あ、来年の話をしてしまった(笑)さて、今年の恵方は東北東でしたね。我家では、流しの湯沸かし器を見つめながら黙々といただきました。ちなみに、去年は冷蔵庫(大)の向きでした(謎)黙りこくった大人が一部屋に詰めて6人、同じ方向を向いて太巻きをパクつく光景って・・・(^^;行事と解ってはいても、冷静に考えれば、やはり異様な光景としか言いようがナイ(滝汗)せめて、話せれば良いのですが。仲の悪い家族みたいではありませんか。 ねぇ(笑)天から下界を見下ろす大きな目があるとしまして、この日の関西地方を どう考えるものでしょうね。平安絵巻の、あのイメージです。ああした絵巻の視点は、御存知のように、遥か上空から見下ろす位置に設定されていますよね。遠近法が入っていなかった時代だからと言えばそうなのですが、屋敷内や宮中の様子が描かれている端に雲がたなびいていたりしますから、やはり、上方からの 「大いなる目線」 を意識した構図と考えられるのでしょう。その視点を、現代に持ってきまして・・・と。「大いなる目」 が、各お家の屋根を取り払って、上から眺め下ろしてみると、見える人皆々が、大人も子供も同じ方を向いて太巻きパクパク。「目線」 の持ち主は さぞかし、抱腹絶倒しているのではないかなー、と想像して、つい笑ってしまう毎年の私であります。そうそう、ちょっと疑問なのですが・・・。節分と言えば 太巻き、鰯、豆の3点セットだとばかり思っておりましたが、これに、盛り蕎麦も加わるものでしょうか??京都市内のコンビニでですね、「節分には盛り蕎麦を!」 なるポスターが貼ってあり、なるほど、麺コーナーにおソバが積んであったのですよ。厄除け、円満、長生きを願って、古来から節分には盛り蕎麦を食べてきました・・・・と、説明が書いてありました。聞いたことありませぬぞ、ワタクシ(@@少なくとも地元と京都では、そのような習慣を耳にも目にもせずに今年まできたものです、ハイ。地方によっては、おソバも一緒に召し上がるのでしょうか。どなたか御存知の方がいらしたら、御教示下さいませ(ぺこり)
2004年02月04日
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先月末日、十代桂文治師匠が亡くなりました。折り目正しく粋な芸風が大好きで、ファンの末席から私も楽しませていただいたものです。心より御冥福をお祈り申し上げます。チャキチャキ江戸っ子にして、古典落語一徹の至芸に酔わせて下さいました師匠を、遺し下さったテープやCD、ビデオを通して、変わらずお慕い申します。我日記をお読み下さる皆様には、申し訳ないことなのですが・・・3日考えて、やはり想いを書きたいと思いました。
2004年02月02日
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生まれてこの方34年、誰と一緒に過ごした時間が長いかと言いますと、それはもう、ダントツで母であります。姉は結婚が早く、兄は仕事で大阪住まい、父は2年半前に亡くなり・・・と、家族が一人一人、順に家から出る中で、母と私は変わらず一緒におりますこと現在進行形です。もうしばらくは、未来進行形でもありそう・・・ぷぷぷ(謎)ただ長いだけでなく、俗に言う一卵性母娘というタイプでもあります。あ、逆ですか・・・一卵性だから長く一緒にいられるのでしょうね。 ま、どちらでも良いのですが。長い上に、密度の濃い母娘関係だと思って下されば結構なのです、ハイ。時々は派手な喧嘩もしますが、まずまず以上に上手くいっている二人です。呼吸や基本の発想が似ていることもありまして、お互いの頭の中身は、いちいち説明しなくても解り合っている・・・はずだったのですが!いやはや、一卵性母娘と言いましても、やはり違う人間なのですよねぇ。お互いについて、「何を今更(@@」 と目を丸くするネタは、まだまだ残っておりました。こちらが当然だと思っていたことに驚かれますと、こちらは3倍驚いてしまいます。今日は、かな~り久々に発生したネタを御紹介しましょう。例によって前置きが長いのですが、どうか御辛抱下さいませ(ぺこ)母は、もうずっと昔から、自分の娘に ある小さな違和感を感じていました。口に出して尋ねるほどのことではないので黙っていましたが、ヘンだなぁ、とは常々思っていたのです。そして娘も・・・母ほどではないにせよ、どうしてだろう と思うことが、時々ありました。こちらは、別に黙っていたわけではなく、思った端から忘れていただけなのですが。なまじ普段からツーカーで通じ合う場面の多い母娘だけに、声に出して確認するという点が疎かになっていたのは否めません。しかし、一番大きな原因は、いちいち確かめるほど重大な話でもないから、という点に尽きるでしょう(爆)何かと言えば、お天気の話です。母は、娘の告げる天気予報を、昔からかなり信頼していました。サンサンと晴れた午前中に洗濯物を干そうとしていると、散歩からフラリと帰ってきた娘が、「今日は、お昼には取り込む方が良さそう」などと言います。まさか、こんな上天気なのに・・・と思っている内に、俄か一点かき曇り、大雨が降り出したなどということがありました。明日は雪だと聞いて覚悟していたら、学校から帰ってきた娘は、「雪は、降っても少し。 むしろ、風の方が心配」と言い、母が用意していたスノーシューズを靴箱に戻しました。翌日の朝、娘は強風に小柄な身体をキリキリ舞いさせて、ヨチヨチと登校して行きました。こんなことが、娘の子供の頃から何度もありました。TVの天気予報、特に全国版では市どころか県名すら挙がらない田舎のこと、母にとっては大助かりなのでした。どうして解るのか? という事は二の次で、当たってくれればそれで良い・・・という呑気な姿勢は、奇しくも娘に丸ごと受け継がれたのでした。・・・増幅されたかも知れませんが。 ぼそ。ともあれ、それだけでしたら、母は助かり娘は喜ばれというシアワセな関係が続いたはずなのでした。しかし、母は・・・時々、「???」 と思うことがありました。たまに、「今日のお天気はどうですやろな?」と尋ねますと、熱心に本を読みふけっている娘は、「さあ、知りませんのやけど」と、いかにも面倒そうな口調で言い、本から顔も上げない始末です。読書を中断されることを非常に嫌う娘なのは知っていますが、なんと横着な態度・・・と、ちとムッとする母。またある日は、二人で大阪に出て、買い物や用事をしていました。「今頃は、(家の方では雨が)降ってますやろかな」と娘に言いますと、「え、天気予報で言うてましたん?」と、キョトンとした顔で応える娘です。出る前に、娘が洗濯物を取り込んでいたのを見た母は、てっきり降るのだろうと思っていたのです。「いやぁ、別に他意はおへんやったのよ。 今日は一日出てるから、一応入れておこうと思っただけで」と、ヘラリと応える娘。天気のことより、洗濯物を干しっぱなしにして、空き巣に目をつけられては剣呑、と案じただけだったのでした。はたまた、大阪ならぬ、住んでいる市内の県庁に用事で出向いていた娘が、雨に濡れて帰ってきました。「急に降り出すんやもん、参りましたわぁ」とブーブー言う娘に、母は不審を抱きました。「降るって解らへなんだん?」濡れた服を苦労して脱いでいる娘は不機嫌に、「ウチ、今日は京都からチョクで(県庁に)回りましたんやもん」と、母には繋がりの解らない理由で答えて風呂場へ飛び込んで行きました。当たる時はズバズバと当たるけれど、外れることも多い娘の天気予報。いえ、外すと言いますより、最初から解らない、予想自体をしていないこともあるらしい・・・?母は、時々、不審に思っていました。そしてまた、口には出さないながら、娘も同様に、おかしい母だなぁ、と思っていたのでした。母は 時々不意に、天気はどうなるかと尋ねてくる・・・世間話ノリではなく、本気で知りたそうに。風邪で寝込んでいて、昨日から家を一歩も出ていない私が見たはずがないではないか。大阪にいながら、住まいの方の天気なぞ見通せたら却ってコワおすがな。昨夜は、京都の友達の部屋に泊めてもらっていたのに、どうして見ることが出来ようか。市内でも、県庁の辺りからは建物が邪魔で眺められませんてば。今、丁度いい所を読んでいるのに、わざわざ外に出て見て来いとは御無体な・・・。お気付きでしょうか、「眺め~」 または 「見て~」 というフレーズに。そうなのです、私は、お天気の変化を、比叡山を見て占っているのです。占っているなどとは御大層な言い方で、見れば大体のところは解るのです。 それだけです。これは何も、私だけに授かった特殊な観察眼でも何でもありません。地元、特に比叡山(私達は、「お山」 と言いますが)の麓近辺で育った土地っ子ならば、誰でもやっているコトなのです。TVの天気予報よりも、よほど確かに、お山は天気を教えてくれます。何となくお山が近くに見える今日は、一日中晴れだな、とか。晴れているけれど、奥のあの辺りに雲が掛かっているから降るね、とか。夜であっても、稜線の映え具合で明日のことは大体ですが解るものです。逆に言いますと、(私にとっては)当然のことながら、お山を見ないことには予想も何もないワケなのであります。外に出ていて、しかも眺められる位置にいてこそ解るという、極めて局地的な天気予報です。学齢前のわずか数年を除いては、ずっとこの地元・・・琵琶湖と比叡山の真ん中で育った私にとっては、それこそわざわざ口に出すなど考えもしない、ごくごく当たり前のことなのです。当然と思うヒトがいれば、当然ではないヒトもいる・・・人間の数だけ、各々の当然があるものだなぁ、と。・・・いうコトを、付き合って34年目の昨日、母娘はお互いに再認識し、呑気モンなりに驚き入ったワケです(爆)母は、和歌山育ちです。そうです・・・極めて親密な母娘と言えど、育った環境が大きく違うのです。母は海を横目に眺めて暮らしたヒト、片や娘は湖と山しか知らないヒト。言うなれば、海幸彦と山幸彦の関係なのです。京都で父と結婚してこの地に移り住んだ年数が、和歌山で過ごした年数を越した母ではありますが、「お山」 で天気を判断するという感覚は、とうとうと言いますか、そもそもと言いますか、根付かなかったようです。海のない県に住む以上、TVの予報か 娘の「お告げ」か どちらかで天気の推移が解ればいいワ、と太平楽に考えていたとのこと。「やぁっと解ったわぁ、たりちゃん! まあまあ、自分が育てた娘でも、まだまだ知らへんコトはあるもんやわねぇ♪」などと、大笑いしながら手を打ち合わせて興がる昨夜の母でした。・・・そのお言葉、主術語を入れ替えて、そっくりそのままお返し申しますゼよ、ママン。貴女にとって、お山は西日の蓋か何かでしかありませんのかいなと言いたい、いえ、言いましたけれどね、更にウケ倒すこと限りなし(爆)あああ、疲れるおヒトでありまする~。明日、姉に電話する用事がありますので、ついでにグチってやろっと・・・ブチブチ。グチりましても、姉はどうせ、ワハハと笑うだけでありましょうけれどねっ。 んで、「まあまあ、たりサン、宜しゅう おもりしてあげてぇな☆」などと、ヘラヘラするのデス。 聞かずとも解る・・・むぅ。行き場のない私のモヤモヤは、こうして、御訪問下さる方々に向くのでした(笑)さてさて、お茶を点てましょうか・・・って、あっ、逃げないでえええ(^^;
2004年01月29日
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母が、お裾分けにいただいて参りました 「おかき」 の美味にクラクラでありんす~。さすが、お米処の新潟です。歯ごたえも風味も、この辺りで手に入る品とは一線も二線も画したモノですよぉ。新潟の 三幸製菓(HPアリ)のお菓子、おススメです☆
2004年01月27日
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「枕頭の書」 という言葉があります。字面だけ見れば、「枕元の本」。そのまんまです、ザッツオール。しかし、わざわざ小難しく言うからには その意味合いはもう少し深く、「常に身近に置く愛読書」 であり、「座右の銘の源」 とでも理解するのが一般的でありましょう。少し古い文筆家の随筆集など読みますと、この言葉は、我が母の小言と大差ない頻度で実によく登場します。作者自身の枕頭の書を紹介するのは勿論のこと、その書を書いた人の枕頭の書は何であったか、更にその書を書いた人の・・・と延々と続くのも、ごくフツー。これぞイモ蔓式、入れ子構造の見本ここにあり、の世界です。マトリョーシカかキャベツか、ってなモノです。母親族の小言の構造も、まさしくこの形式・・・いや、この話は置きましょう(ゴホゴホッ)こうした、眉間のシワの数と深さを競う文筆家面々の枕頭の書となりますと、話は俄然、真面目になって参ります。「枕頭の~」 とはレトリックで、おそらく諸氏は、布団にゴロンと寝転がって読んだりはしなかったのではないでしょうか。枕を肘当てにくらいは、したかも知れませんが・・・。つまり、恐ろしく深刻な面持ちと気持ちで、各々の「枕頭の書」に対峙したであろう、と推察するワケなのです。「対峙」 ですね、まさしく。 ただ「読」んで、あぁ面白かった~、ではなくて。ともすれば、文筆で身を立てる(立てようとする)己の自我や自負を叩き伏せ、食い破りかねない 「危険物」 としての側面もあったのではないかと思います。文学者にとっての 「枕頭の書」 とは、書物に姿を借りた抜身の白刃ではなかったでしょうか。こんな言葉があります。実は、昨夜の日記で申しました 「ちょっとした調べ物」 とは、ここを確かめるためでした。フランスの哲学者ギットン先生曰く、「枕頭の書としては、君に対してもっとも手きびしい、もっとも理屈っぽい反対者の書いたものを当てるがよい。パスカルがモンテーニュを、モンテーニュがセネカを枕頭の書としたように。」(J・ギットン著・安井源治訳 『読書・思索・文章』 中央出版社)かなりの含蓄のある言葉だと思い、記憶の端っこに留めておりました。ギットン先生は、何もマゾっ気(爆)から仰ったのではなくて。(要約→)優れた筆者の思想に一度は完全に入り込み、追体験のように同化し深く理解することで、自ずから自分の思想も明らかに確かになる・・・という意味合いのことを仰っておいでです。上記で私は、「抜身の白刃」 という言葉を使いました。見当違いを承知で、敢えてもう少し広げてみます。抜身の白刃は、ただ我が肌に当てたり他者に向けたりすると危険な代物でしかありませんが、刀剣製作者の精進や魂の籠もった神聖な作業ぶりをよく知れば、自ずと正しい使い方も解ろうし、心の支えにもなろう・・・と、こういうことなのでしょうか。生齧りの知識の断片を都合良く繋ぎ合せて得々と申しまして、皆様には噴飯の至りであられましょうけれど、この場を借りて文章にしてみました。いい加減恥ずかしくなって参りましたので、この辺で(赤面ポッポ)。ここまで書きますと、私の枕頭の書を紹介せずには話のオチがつきませんね。えっ、別にいいヨと仰る???お待ち下さい、お茶をもう一服点てますから。ホントは、ここからを書きたかったのですよ(笑)コホン、気を取り直して・・・「枕頭の書」 を、敢えて素直に字面通りに捉えますとですね。 「自分にとって最も手厳しく理屈っぽい」 書物なんぞ、今から寝ましょうという時に読みたいと思われますか???哲学者まで持ち出して滔々と話したくせに何だ、とお叱りを受けましょうけれど、私は言います。「しんきくさ~い」 と。お鼻にソラ豆を詰めておられるが如き発音が、邦訳文の行間からフガついて聴こえそうな気がする・・・とまでは申しませんけれどネ、ふふふのフ(謎)引っ張りまして、失礼いたしました。私の、最近の枕頭の書は、『ハムスターの研究レポート』、略して 『ハム研』(大雪師走・偕成社) であります。小学生時代からハムスターを飼育・観察する著者が、「可愛さ余って愛しさブッちぎり」 の世界を展開しておられます。かと言ってベタベタした内容とはほど遠く、4コマ~12コマで上手に起承転結をつける絵柄とコメントは、むしろ殺風景でもあります。なのに、なんでどうして、こんなに面白いんだろお~♪現行7巻を文字通り枕元に常備して、眠る前に数頁を眺めております。何巻の何頁なりと適当に開いて、クスクス笑いながら読む内に、いつしか本を支える手の力が抜けて、トロロ~ンと眠りに就く・・・。まさに至福でありまする。入り組んだムズカシイ本も眠気を誘いますが(おいおい^^;)、こちらは、起きた時に 「ちゃんと読まなかった・・・」 と、せっかくの熟睡をマイナスにするような自己嫌悪に繋がる恐れがあります。同じく熟睡しますのならば、その導入部はホンワカ・うふふふ・・・で宜しいのではないでしょうか☆
2004年01月26日
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今日、とても恥ずかしい思いをしました。2列目の、真ん中寄りの席で授業を聞いていた際に、何の気なく・・・ホントに無意味に、右手首を曲げたのですよ。そしたら、ものすごく大きな音で関節が鳴ってしまいました。自分でもギョッとしたのですが、周りも同様だったらしく、一気に注目が。 うひゃー。板書していらした先生までが、思わずお手を止めて振り返られたくらいですから、いかに大きい音だったか解ろうというものですな(^^;普段は手首なんて鳴らないのに、間の悪いことがあるものです。あーっ、恥ずかしかった!後で隣席の友達に、「折れてへんか?」 と笑われた始末です、 うぅ・・・。さてさて、話はコロッと変わりまして、帰宅後です。バイト先の同輩に、『エースをねらえ!』 のコミックスを貸す約束がありまして、漫画棚の地層を発掘しました。これが、なかなか時間と手間を取る作業でありまして。数が多い上に、漫画家も作品もバラバラに詰めているものですから、目当ての本がスッと出てくる方が珍しいのです。しかも、漫画棚はここだけではない・・・ははは(^^;不便と言えば不便なのですが、私、この発掘作業が必ずしもキライではないのですよ。せっせと積み下ろしをする私を、母はケーベツの目で眺めていました。昔は、作者と作品でまとめなさいと再々言われたものですが、ここ数年は、そのお小言すらなくなり、どうやら完全に見放されたようです。なぁに、お小言のネタは他にいくらでもありますから、一つくらい捨てても、母としては惜しくないのでしょう(爆)閑話休題。今回の 『エースをねらえ!』文庫版全14巻の発掘作業は、珍しく順調に進みました。わりと浅い地層に、数冊ずつまとまって埋まっていたのです。9巻と13巻を除いて、30分強で揃いました。 快挙です。更に奥へ進んで、9巻をゲット。さて、最後に13巻は・・・と、棚を浚いましたが、どうやらないようです。巻が生き別れになっていることは珍しくありません、私は別室の棚へと発掘の範囲を広げました。更に1時間ほどが経過しましたが、見つかりません。既に積み下ろした分も再度見ましたが、見落としてはいなかった様子です。1冊だけ、それも途中の巻を人に貸しているはずもなく・・・ようやく私は、少し困り始めました。貸すのならば、きちんと全巻を揃えてから渡したいものです。この場合の 「~たい」 は、私の場合、「~ねばならぬ」 と同義であります。半分だけでも先に渡して、ということが、どうにも気持ち悪くて嫌なのですよ。整理して片付けておくという大前提を無視して、貸す時は一分の隙もなくと拘る辺りが、私という人間のトンチンカンな処です、ハイ。着ていた丹前も脱ぎ捨てて、たりぞう本気の大捜索をすること更に1時間。ブツは見つかりました、やれやれ。本棚にあったのは間違いないのですが、これが漫画や文庫本の棚ではないのが御愛嬌。ハードカバー専用の棚で、なおかつ、兄と私が大学時代に使った本をまとめてあるコーナーに紛れ込んでいたのです。探している時は、テンから相手にしていなかった場所ですし、13巻だけが目的でしたら見なかったでしょう。何故開いたかと言いますとですね。本気で捜索モードだったくせに雑念の多い私のこと、今日帰ったら確かめておこうと思っていた事があったのを思い出したのです。大学時代のテキストに書いてあったのを覚えていましたし、丁度、その本がある部屋にいましたし・・・というコトで、探し物の対象を一時切り替え(笑)背表紙を目で追っていましたら、本の天と棚板の隙間に、この本棚では見るはずのないサイズの本が。もしやとは思いませんでしたが、出してみますと・・・おおお、何でこんなトコにの13巻ではあーりませんか(@@何故ここに紛れることになったのか理由は見当もつきませんが、まあ、めでたいことです。全巻揃ったのを確認し、袋に詰め、肩をコキコキ。積み下ろした各部屋の本の山を地層に戻して、長かった発掘作業は終わりました。 はぁ、疲れたっ(^^;ちなみに、調べ物は忘れてしまいまして、先ほど、ネットで確かめました(笑)何だか、今夜はお蝶夫人が夢に出てきそうな気がします。「よくって、たりぞう!」 とか言われるのでしょうか。言われても困るのですけれど、とりあえず、「はいっ、お蝶夫人!」 と答えておくことにします・・・(どーいうオチや^^;)
2004年01月25日
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テストを兼ねて、少し書いてみます。ちと思うことあって、楽天にページを持たせてもらうことに決めました。先輩の皆様方、どうぞ宜しくお願いいたします。少し体裁を整えてからリンクをお願いしようと思い、コマコマと触っておりまする。設定その他に使うのは、日に1時間コッキリと決めて始めたのですが、進まないこと甚だしい。いやぁ、なかなか難しいものですねぇ・・・「見栄え良く仕上がってからお披露目したいな♪」 なんてゼータクを言っていましたら、いつまで経っても皆さんとコミュニケイト出来なさそう。まっきーちゃんが いち早く見つけて駆けつけてくれたことですし、もうカッコつけてないでデビューしちゃおうかなぁ、ぷぷぷ(^o^)さてさて、この文章は無事にアップされますかな?
2004年01月24日
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