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梅撮りに行くぜと言ったら、紅梅を撮ってきてと言われた。梅は白無垢、清楚、馥郁、芳香の文字が付いて離れないが、今は、紅梅が好まれているのかなぁ。その昔、清少納言や道真公は紅梅をことのほか好んだらしいがーー。紅梅は、桜川の高枕亭反対側に咲いていた。紅難波のレッテルが付いており、難波地域は自由で陽気な気風が漂っていたのだと花を見ただけで分かる気がした。*高枕亭は、水戸黄門の藩主時代の別荘で、湖を船で行き来していたらしい。湖の開拓、田圃、造成を経たその地に、10年前、偕楽園増設事業を行い梅を植えたから、この木も民家の庭園に植えられていたものを移植したのであろう。樹齢100年程度の樹木で枝振りものびのびとしており、紅梅の花が似合っていた。木の生育したその地名だけでも表示してあれば、おぼろげにもそのルーツを辿り花のイメージが膨らむのであるが残念である。
2012.02.27
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口を閉じた山梔子は、年が明けてから野鳥に突かれてやっと口を開けた。今、全身口だらけの山梔子ががなり立てている。なんとがなり立てているのかと問いたい。「春到来!」と叫んでいるのだという。 嘴だけでこのように繊細な加工をしたということは、ヒタキや、目白のような小鳥であろう。果肉まで嘗めるように食し、さぞや美味なのであろう。鵯が突いたとすれば、残骸が木にぶら下がっておられずにとうに落下しているはずである。今日も、雨の中、目白の声が聞こえたが、レンズを回している間にどこかへ消えた。その目白かもしれない。
2012.02.25
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ついこの間まで厚い氷に閉ざされていた蹲いは、すっかり氷が溶け一昨日の春雨に水が溢れている。見ると、水面に羽毛を浮かせ、野鳥が使用した気配を窺わせている。冬の間中、一度も取り替えなかった水は汚れ、野鳥も閉口したのではないかなぁ。早速、汚れた水を取り替えて清水にした。*今は、溜まり水で手を洗うと余計不潔になりそうだと敬遠されている。特に、インフル流行に伴い、流水を十分使って30秒以上洗浄しなければ洗った効果がないと啓蒙もされている。そのため、蹲いは身も清めて謙虚な気持ちで茶席に向かうためのものから、ただの庭の添景物、バードバスに成り下がってしまった。時代が変われば変わるもの、聡明な千利休もこのように軽く扱われつつある蹲いの有様を知る予知がなかったに違いない。
2012.02.25
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霜朽ちた小さい葉の雪の下が、昨日の雨で生き返ったように葉を広げ始めた。まだ冷たい雨であるが、植生にとっては、慈雨に違いない。その昔、雪の下は、いろいろな病を治癒するとして庭先に植えられた。かくして、人間と深い絆で結ばれ、生き変わり死に代わりして身近に親しんできた。今も、山野草料理が流行すれば葉を天麩羅にして話題にしたり、花の時期には優雅な姿にカメラを向けたりした。*雪の下は、匍匐して繁殖し、岩場もものともせずに登りつめて辺りを席巻し、行く先に大木があれば、その根元を隙間なく覆い尽くす。白い花が可憐だと増えるままにしておいて、知らぬ間に他の植生に被害を及ぼし、それを剥ぐのに難儀したことがある。当地には、葉の裏が赤いものと白いものの2種類があり、それを交配すべくいろいろの手を尽くしたが決して応じない不思議さがある。この種の競争意識から繁殖の意欲がかきたてられているのかもしれない。
2012.02.24
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11月下旬から咲き始めた蝋梅は、咲き疲れたようにだらけ気味である。桜や梅だったらとうに散って藻くずとなっているが、蝋梅は、寒ければ寒いほど蝋が固まるように枝にしがみつき執着する。昆虫も野鳥も呼ばず、芳香も次第に薄れていく。人も梅や椿の開花に気を取られて蝋梅を敬遠しがちとなる。*そして、春めくに従って蝋が溶けるように落花し、地表を汚くしたと愚痴られる。春の魁として咲いた花も、時の経過に従って無惨な姿になり、余計者になる宿命を帯びている。これもただ世の常なのであろう。出処進退、いかに大切かを実感するひとときではある。
2012.02.23
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殺風景な冬枯れ庭の片隅に、はこべの花が咲いていた。5ミリほどの小さな花をアップしてしみじみと観察した。5弁花の中にリング模様があり、蕾は白い棘のようなものでガードされている。寒冷の地表で細い根茎から血脈のように枝葉を伸ばし、辺り一面を席巻する。*このエネルギーが民間薬として注目され、血の道の妙薬としての大役を担ってきた。そして古血を浄化し、子々孫々、新鮮な血を譲り継いできたに違いない。医薬効果の有無は兎も角として、自然界に生きとし生けるもの、大自然の治癒力によって現在の繁栄を勝ちえた。そして、更なる未来へ繋げようとしている。
2012.02.22
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脱穀用麦押しは、かつて、大農家の庭で牛に曳かれて活躍したが、今は、蹲に加工されバードバスとなっている。先日の雪の日には、雪を被っている姿を見て、石材-麦押しー蹲-庭の添景-バードバスとなった経過を思い返した。麦は、遠く奈良時代から穀物として栽培され、特に、飢饉時には遠祖を救ってきたが、麦飯、麦藁屋根等の「貧」文字と隣り合わせのイメージを抱く者は自分達で最後の年代となった。*この想いをそっくりあの世へ運んでしまいたいと想いながらも、展示場の転用加工石材を見てつい手元に呼び寄せてしまった。設置したばかりは、鵯のバスに過ぎなかったが、最近はあらゆる種類の小鳥の水飲み場となりバスとして利用され、野鳥の仲間では、当方のトレードマークになっているかも知れない。そして、俺は、毎日、汲みたての水と交換するのが日課となった。
2012.02.21
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昨日も定刻、8時半にヒタキが来た。先日と違う個体だ。「昨晩は、彼女が共同ねぐらで此処の水は地下水だと言っていたが、水道水ではないか。」と尻を向けて水を飲み始めた。地下水が凍っていたので水道水を入れたが、水の質が分かるのかもしれない。ひたきは、常に単独で行動しているが、ねぐらは一定個所でそこで餌、危険、渡りの日時等の情報交換をしているのであろう。*水を飲む際は、雀や鵯は複数でやってきて見張り役を立てるが、ヒタキは単独で来て堂々と尻を向け、悠長に水を飲む。大陸育ちであるから肝っ玉が据わっている。伊達に何千キロの大海を渡ってきたのではないのだ。常に単独行動で寂しいだろうなぁと心配するが、夕刻、ねぐらに帰れば、好きな相手がいて体を暖めあっているに違いないから、心配するに及ばない。あの清んだ目を見ればわかる。
2012.02.20
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一昨日の朝、ビオラが雪の中で震える姿を発見しレンズを向けた。白無垢を覆った花嫁姿のようにキラキラしていた。しかし、ネット情報によると毒草なのだという。少なくとも、サラダの上にアレンジするなどもってのハップンなのだろう。 美しい花に毒があるーーーと考えるとその花は何かの精。差詰め、土の精かなぁと考えたりした。生き替わり死に替わりして守ってきた土地が、原発の影響で半世紀も立ち入りできなくなるなんて、誰も夢想だにしなかったに違いない。小沢さんも、土地の問題で政治生命を問われようとしている。ことほど左様に、なんと土は人間を翻弄するものかと溜息を禁じ得ない
2012.02.19
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昨日、降雪の予報がないのに外は一面に真っ白であった。今冬に入って2度目の雪、シャッターチャンスを求めて起き抜けに戸外へ出た。雪が積もったアンテナの上に、哲学雀が1羽留まっていた。餌を探して徘徊するよりも、重大な悩みを抱えているのかのようだ。*年々減少する個体数。何とか歯止めを掛ける妙案がないものかと少子化対策に悩んでいる。でも、雀が悩んでも、詮無いこと。大きな原因は、過度の農薬散布で昆虫が激減し、その上、草の実が付かないこと。要するに食糧不足に最大の原因があるからだ。人間に、農薬の過度の使用について反省を求めたいが、猫の首に鈴でもあるまいし、難問だなぁと悩んでいる。
2012.02.18
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昨日、花台の花が変わった。枝の先端をアップすると桜の映像が飛び込んできた。雪の降り積もる逢阪の関には、今も小町桜が咲いているのであろうか。そこを小野小町姫が通りかかる。花台にも姫がーーーという夢を見たいと思ったがーー。
2012.02.17
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連日の底冷えする寒さで閉口していたが、昨日は、木々の枝先が微かに色づいて血脈が通じたように見えた。外へ出ると椿が咲いていた。その傍らには開ききらずに寒さで縮んでいる花もあって、出処進退が難しいと嘆いていた。*でも、天気予報ばかり気にしていては、気持ちまでが委縮してしまいそうだ。優柔不断を捨て試行錯誤の意気で咲いた姿にエールを送るぜ。出る杭は打たれるというが、打たれた杭は盤石の礎となる。
2012.02.16
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庭は冬枯れのまま殺風景であるが、壺庭は取り込まれた5鉢の棕櫚竹で緑いっぱい。棕櫚竹は半円形の扇型で、20個に深裂する線の様な葉を、繊細且つ優美に広げている。その割れ目から雅楽を奏でているように聞こえ、見ていただけで癒される。その上、一年に4枚程度しか葉をつけず成長が遅々としていて、今流行のゆっくりズムそのもの。時間がないと急きたてる加圧からガードしてくれる。*時には幅が広い葉が現れるのも愛嬌である。日照が不足しているのかも知れないが、それはそれで面白い。葉が不揃いなだけ評価が低くなるが、もてるものをすべて貨幣価値で表現する時代は終わった。そのものの有り様を正面から受け入れ、慈しむことが大切だと棕櫚竹が教えてくれている。
2012.02.15
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外界が時ならぬ酷寒に喘いでいても、岩松は静かな冬眠を続けている。何年か前に久慈の山を想定して石に張り付かせた岩松である。春分を迎え春の長雨が続けばスックと目覚めるに違いない。これを蘇生とか復活とか評しているが、岩松は環境にただ順応させているだけである。*蘇生は死したるものが息を吹き返すことであろうが、死したように見えるだけであって決して死してはいない。復活も、肉体の死後、新たな生命を授かることであるが、岩松だって、枯れてしまったものは絶対に命を吹き返すことはない。外観上枯れたようでも、地下では、地上の状況を把握し、極寒であれば雪崩れを予想して地下活動を旺盛にし、流出防止に懸命である。今、茶色の枝葉を巻いて痩せ細っているが、春雨を受ければ、青々とした枝葉を車輪状に広げて活発な光合成活動を開始する。景気低迷に打撃を受けても、体力消耗を防いで矮小化しているだけで、明日への想いは従前よりも旺盛にし、来るべき日への準備活動に精を出している姿と同じである。だから自分的には、岩松の姿に触発されて蘇生とか復活という言葉は絶対に使わない。
2012.02.14
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今年はピンクの梅にあわないと思っていたら、目の前に御在所が咲いていた。薄紅色でありふれた花であるが、御在所の文字が気に掛かる。斉昭公が水戸に滞在されたときの花と聞いていたが、眉唾物のような気がしてならない。*神世の時代を想定した名称ではないかと考えながら歩いていた。三重県に同じ地名があり、しかも、知名度が高く歴史的意味合いもあるところからして、そこで開発された梅なのかと思い始めた。梅の品種がどんな経緯で特定され、一定の品種として安定的な地位を占めたのかが知りたいが、殆ど藪の中で調べようがない。
2012.02.13
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桜川縁の梅園に寒紅梅が咲き始めた。もう立春を過ぎたのに、折からの寒風で怯え、或るものは開ききらずに固まり、萎えてしまっているものもある。映像は辛うじて蘂がはっきりしているが、このようなすんなりとした開花は珍しい。寒梅だって温かいことが何よりのご馳走なのだろう。*その昔、紅梅は白梅よりも珍重され、道真公は紅梅をこよなく愛し「紅梅殿」と称された。太宰府に追われた主を忍んで筑紫まで飛び、その庭に生えたという梅が「飛び梅」であるが、それはなぜか白梅らしい。紅梅が苦労を重ねて飛び、着地した時点で白梅になったのか、苦労の末に白くなったのか。いずれにしても、そのような伝説を生んだ道真公の魅力は何処にあったのか、いつかは訪ねてみたい「飛び梅」である。
2012.02.12
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昨日、ウォーキングの帰路、もみじ谷に差し掛かるとヒタキに逢えた。3.11後、何処へ逃れたのかと気に病んでいたが、此処にも来ていたのかと安堵した。子作りのための帰省の準備で忙しい最中、別れしなに姿を現したのかと、かってに考えたりした。*風は冷たいが、正に春の日差し。春の温もりを感じて出てきたのであろう。目白、四十雀にも逢えたが、翡翠は全く姿を消したままである。
2012.02.11
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ヒヨドリが直ぐ上の電話引っ込み線に留まった。頭の羽毛がひらめき勇壮な様を見せつけている。いつもは5羽程度で行動していたが、今日は傍らに小振りの相手を従えていた。ペアを組み此処をテリトリーとして確保した挨拶なのかも知れない。*これから初夏まで子作り作業に勤しむことになるのであろう。が、先ずは愛を深めることが先決のようだ。まだ、万両や梅擬の実は残っており、椿が咲くまで餌には事欠かない。俺は、毎日清水を換えやるから、羽を清潔にして鳥インフルに掛からないようにするがいい。
2012.02.10
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この蹲は、鵯の水飲み場であるが、ヒタキも利用していることを先日初めて知った。庭に訪れる野鳥は、そこの常連の行動を観察して、水、餌が何処にあるかを知るのであろう。昨日は寒が和らぎ水道も解凍したので口いっぱいに水を足した。* 昼食で帰宅すると水は7分目に減っていた。留守の間に、鵯たちが沐浴、水飲みをしたことが分かり、これも一日一善、良いことをしたと自己満足した。もしかしたら、ヒタキも来訪したのかもしれない。
2012.02.08
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昨日、水仙が躑躅の叢生の下部に窮屈そうに花茎を伸ばし、開花しているのを見つけた。折からの雨の滴を垂らして涙ぐんでいるようにも映る。一輪しか咲いていないが、周囲に芳香がだだ寄っている。何のための芳香かなぁと考えたが、昆虫を呼ぶ芳香でなくして馬や羊の食害から身を守るための目的かも知れない。でも、水仙は、全草が有毒で花茎1本で人を殺したというほどのもの、匂いでもガードするのは過剰防衛ではないか。*剪って水仙が咲いたぜと妻に見せて、一輪挿しに挿して貰おうと思ったが止めた。有毒と知って家の中に運びたくないし、冗談でも、悪戯な誤解を受けたくない。それに、剪れば球根は大きくならないし、折角の滴を零したくなかった。水仙はやはり水の仙人。冷たい雨の中で咲かせるにしくはない。
2012.02.08
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昨日の朝食後、ヒタキが軒下にやってきた。園路のプレートをピョンピョンして蹲いに上がった。蹲いの水は結氷していて水が飲めない。さも、氷を割ってくれろと言いたげである。*一昨年までは、公園の要所要所に、テリトリーを守るかのようにそれぞれの野鳥がいた。しかし、スケジュール的農薬散布で体に良くないぜと、林に逃げそれらが人恋しくて民家の庭を渡り飛ぶようになったのかも知れない。庭の主が気づかない内にたびたび飛んできて、それぞれの庭の水のあるところや昆虫がいる樹を熟知しているのだろう。シャッターの音を楽しんでいるようにポーズをとるヒタキは、飼っている鳥のように映る。
2012.02.06
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立春を時ならぬ厳寒で迎え、庭の木々はすべからく項垂れている。が、玄関に活けられた花が春の息吹を先取りしている。こぶしの蕾は割れかかって春を待ちこがれている。我が家では、春は真っ先にこぶしの花に引き寄せられて此処に来るに違いない。*こぶしは桜の花に前後して咲き、桜が指標植物といわれるように、こぶしも農耕作業の目安とされてきた。偕楽園の一角の桜山では、こぶしと桜の大木の花が絶妙な間隔で咲くと、春が来た実感を味わうが、その昔、農事振興を意図して植林されたのではないかと思う。今年は、全国的な厳寒で梅の花が遅いが、梅、桜、こぶしの花の協演が見られるかも知れない。このような現象は見たことがないが、近時、予期しないことが起こりそれが当然視されている事情からするとこのようなことがあっても驚嘆しない覚悟をしていなければならない。
2012.02.06
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いつもの年なら、早生蜜柑は、腐ったり鳥に突かれたりして落果するのに、今年は、木になったまま立春を迎えた。異常気象の厳寒が続いていることと、野鳥の数が少なくなったことが原因しているのであろう。正に木生り蜜柑である。*切ると甘い汁がほとばしった。木にぶら下がりながら大寒を耐えたエキスは甘露そのものである。甘露は神々の飲料で霊薬とされたが、天然の滋養強壮剤のような気がし元気いっぱいになった。
2012.02.05
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立春だというのに冬至梅はこの程度しか咲かない。世界的な異常気象のせいなのだろう。でも、早く咲けば散るのも早くなるんだから、急いたり焦ったりするには及ばない。ゆっくりと春を楽しむがいい。
2012.02.04
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