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カメラ持参で冬枯れの庭を散策したが、撮るべき対象物は見あたらない。寒さが厳しくて冬芽も膨らまず、椿もしっかりと蕾を閉じている。ふと藪の中を見ると、万年青の赤い実が輝いており、シャッターを切った。葉にも根茎にも強い毒性があると言うが、葉の色、厚さ、実の色具合共に毒の固まりのようにも見える。*万年青は鉢植えにして愛玩すべき植物であるが、厳寒の中でスックと立ち、葉を広げている様に惹かれてあちこちに植えたことがあった。でも、このような奥まったところに植えた覚えはないから、鳥に運ばれて芽生えたに違いない。個人的には、鉢植えの生活よりも、大自然の中で生育した方が幸せではないかとも思っている。が、オモトに聞いてみなければ分からず、いずれにしても、住めば都と言うから深く考えるに及ばない。
2012.01.31
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偕楽園の吐玉泉の周辺には、隈笹が密生している。特に、崖には浸食を防止する役割を担って広い範囲で繁殖し、それは人工的に植えられたものとは断じがたい。見方にも寄ろうが、遙か昔の縄文海退の浸食を防いだと鼻高々に繁殖しているようにも映る。でも、公園散策する人の目には留まらず、いつも、無視され続けていて哀れでもある。*人類が定住生活をする以前から、住居は竪穴式だったのであろう。穴を掘った土でできた法面に熊笹が繁殖し、土砂の流出を防いで居室を守り、長雨で食料に事欠いたときは、手の届く場所にあった熊笹を粉砕して腹を満たした。また、病に冒されたときは熊笹の繁殖エネルギーに薬用効果があると信じ、医薬として用いられた。今でも、寿司、医薬品、笊、装飾家具などに熊笹が使われ、縄文人と切っても切れない深い繋がりかあることを、この崖下を通るたびに実感する。
2012.01.31
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偕楽園の吐玉泉から流れ出ずる寒の水が、地下を潜って岩に伝わり表土に現れる。寒中だというのに飛沫の立ちこめる一寸した岩場辺りは青い苔で覆われている。小さな水の命は、此処を伝わり桜川、那珂川を経て太平洋の一滴となる。*子規は、水戸から大洗を目指して那珂川を下るとき、寒気がし、動けば体が燃えてくると思って船頭の櫓を奪って漕いだが、船が左右に揺れて爆笑され直ぐ櫓を返したという。着流しの着物が川面を吹きさらす寒風に棚引き、子規の病弱そうな躯体は30分間、徹底的に冷やされ蝕まれたのであろう。当時はまっさらな湧水、吐玉泉の水も那珂川の流れの一部となって、彼の櫓に打たれながら強がりをする若造を冷たく垣間見ていたのかも知れない。結果的に、那珂川の船下りこそが、彼を肺炎-喀血-夭逝をさせた一因だったと思いながらウォーキングの足を速めた。
2012.01.30
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昨日、かねてから目印を付けておいた冬至梅が、開花したかを確かめるために偕楽園へ行った。咲いていたのは、2,3輪で後続の蕾はまだまだの状態であった。いつもの年であれば、今頃満開だった寒紅梅は、堅い蕾のままであった。丁度、創園者斉昭公が天保の藩政改革をしても、門閥勢力の反発にあって改革が頓挫し、その上、僧侶勢力に足をすくわれ失脚の憂き目にあったが、その当時の公の寂しい姿を彷彿させている。*未だに斉昭公の風評は冴えないが、稗倉を設置して天保飢饉を乗り越え、餓死者を発生させないように努めた農民救済の歴史的事実が消されたままとなっている。また、コレラ流行時は自子に種痘接種をするなどして民衆の啓蒙にあたり、コレラ蔓延を阻止した事も忘れられたままである。少なくとも、自分たちが今生きているのは、その当時の飢饉で救われ、コレラ罹患を免れた遠祖の生きた血が流れているからだと信じたい。そう思いながらゆっくりと梅園を散策していると、殿様だって思うようにはいかず大変だったのだと胸が詰まる思いがした。
2012.01.28
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写真は玄関に活けられてある花の片鱗。庭に花、鳥がない場合は仕方なく玄関の花を撮ってブログの話題とする。しかし、玄関の花は、季節を先取りしていてブログの素材としては相応しくないので、活ける姿などを通して厳寒の様を記録したい。*今は肌に密着した下着が普及しているが、それだけでは、今年の冬は寒さが沁みる。結局、下着を重ねて着ることになり着ぶくれする。元々、年々膨らんでいくボデーは唯でさえ重ね着している観を呈しているが、それ以上つっこんで分析することはタブーであろう。でも、「活ける人再々年々同じからず。」と婉曲な表現なら許されそう。
2012.01.28
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一昨日の初雪の朝、庭の花を撮ろうとして外へ出た。侘び助が雪を被って震えていた。この花は、侘助氏が文禄慶長の役に朝鮮から持ち帰ったものだという説が定着している。侘助氏は明軍に包囲され苦戦の最中に、この花を見て感動し勇気づけられたのであろう。*また、当時頻発した震度7超の大地震、うち続く余震に怯え、その度に故郷の妻子の安否に心痛めた。もしも生きて帰れたら、家族にもこの花を見せてあげたいとポケットに種を忍ばせていたのに違いない。そして、ポケットに手をさしのべる度に、種の感触で故郷を想い生きる希望を繋げていた。断末魔に差し掛かったとき、希望こそが生きる道筋を与えてくれる。
2012.01.26
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昨日は当地では初雪。あちこちで車のトラブルがニュースになっていた。息子の通勤はどうだったかと携帯した。「スキーで雪に馴れているから心配無用」の返事が返ってきた。*晩生の山茶花が葉に隠れて寒を凌ぎ赤々と咲いていた。特に、葉が雪を遮って咲かせている姿にキューンとなった。雪の中の花を再現するために改良を重ねて一般化したのであろう。痛みいたぶられても挫けずに生きる元気を貰おうとして作り出したのであろうか。
2012.01.25
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昨晩は風邪気味のため6時に就寝し、締めて13時間床の中にいた。その間、何度も目覚めてその度に火照った喉に水を注ぎ込んだ。寒の水は、病を治す霊験あらたかなものがあると聞いていたが、その効果を初めて知らされた思いがする。*お陰で今日は、普通に仕事もでき、ウォーキングもできそうだ。外は植え込みの葉に小雪が掛かっていた。目で確認できる雪は今冬初めて。その厳寒の中の水が正に寒の水だったのだ。
2012.01.24
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昨日の朝、四十雀の一群が来た。庭先の蝋梅の黄色い花に惹かれてきたのであろうか。イヤ、軒下の風見鶏の矢羽根に留まったところからして窮鳥に違いない。というのは、四十雀は、不用意にこのような低木の枝などに降りてこない。人に救いを求めるときの仕草である。道理で、近くにじっと音も立てずに鵯が睨んでいた。*四十雀は、森から森へ渡る途中で不用意に鵯のテリトリーに迷い込み、睨まれたのだと想像した。程なくして何事もなかったように飛び去った。小振りであるが、時間を掛けての降雨、植え込みにとっては恵みの雨に違いないが、野鳥にとっては厳しい冬の雨なのであろう。厳しいのは雨ばかりでなく、大自然には至るところでバトルが展開されている。
2012.01.22
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大寒になって、蝋梅の芳香が辺りを取り囲む。分厚い葉が日に日に薄くなり、寒風に吹き飛ばされて辺りが明るくなり身軽になる。蝋細工のような薄く透き通った花弁が美しい。同時に酢酸香の微かな匂いが目でも味わえるようになる。が、残っている葉もこのまま残しておきたいと思うほど美しく惜しむ気持ちも沸いてくる。*すべからく省エネの時代となり、身軽がもてはやされ、寒風のように外からの力で身軽にしてくれないものかと思いたくなる。当面、何もかもパソコンの中に格納し本棚や抽斗を空っぽにしたい。そのためには、捨てる勇気を奮い立たせ、惜しむ気持ちをカットする。この延長線が老い支度で早晩取り組まなくてはならない作業と心得、一日1コーナーを目標に取り組んでいる。
2012.01.22
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偕楽園の子規句碑前の園路補修が完了して気安く通れるようになった。「梅ことごとく斜めなり」と詠まれた梅の枝が、句碑案内板に影絵となって映り、在りし日を彷彿とさせている。百二十数年前、子規二十歳過ぎのやんちゃでバンカラな時代。着流しの徒歩旅行姿を揶揄されて粗末な扱いをされて憤慨し、持ち前の地方蔑視の言葉でやり返していた。そのときの雑記帳に記されてあった句であり、当時の句誌に公表されたものではなかったらしい。*でも、ウォーキングで句碑を見るたびに口ずさんでいると心に沁みるものがある。特に、帰宅直後に喀血して死の病の自覚症状を確認した若者の心境いかばかりかと察するに余りある。それにめげず「鳴いて血を吐くホトトギス」と洒落込んで「子規」の名を使用し始めたところに当時の若者の気風が読みとれる。子規にとって、そのときの水戸紀行、特に、この梅の木は生涯忘れられなかったに違いない。
2012.01.21
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偕楽園構内には、桜川の土手や園路階段部分にアセビの列植がかなり見受けられる。今盛んに黄赤色の蕾を膨らませ、早春を期して一斉に真っ白な風鈴状の花を咲かせる。蕾は、連日の寒さで文字通り寒焼けの状態で、すべてのものに拒否反応を示している。全草が毒性を帯び、その昔は輪地としてイノシシ防御の役割を担わせた。*墓地にも植えられて居たが、それもイノシシを防除したのであろう。花は綺麗でも、墓地の花を見せつけられていたので、誰に言われなくても体で忌み嫌っていた。しかし、不特定多数の市民が出入りし、しかも、幼児が沢山遊ぶ公園に植えられているというのが解せない。動物は先天的に毒草かどうかを判断できるが、人間は誰かに教わらなければ毒性として認識しない危うさがあるからだ。
2012.01.20
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昨日の探梅、桜川沿線の梅園にポツント咲いていた。他の枝の蕾は固くてこれでは開花宣言というわけにはいかないが、咲いていることの現実には変わりはない。レッテルには「冬至梅」と表示してあった。*2012年偕楽園の魁の梅と記録する。折しも大寒の4日前。これ、当ブログが目指す地球温暖化の足跡の記録。そして、本日の仮説。「温暖化が進めば梅の生理現象で開花が遅れる。」
2012.01.19
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北国では、積雪が例年の2倍だと震災と関連して物議を醸している。当地でも、降雪はないものの底冷えする寒さで、流感が危ぶまれている。しかし、ふと庭を見ると、ロゼット状のハルジョオンが伸び伸びと葉を広げている。か弱い太陽光を集め、太陽熱を葉の下に溜め込んで春を待っている。このような大きなロゼットを見たことがない。*当地では、ハルジョオンは「貧乏草」と蔑まれているが、これだけは雑草としていたぶらずに花を見たいものと思っている。貧乏草と言えば、インターネットの世界では、「抜いたり踏んだりすると貧乏になる」という言い伝えの草であると説明されている。1940年代の国土の荒廃を忘れた今では、真実味のある言葉、花を愛する心情が読みとれる言葉と化している。ときが変われば考え方も変わると思いながら、例年にない厳しい寒が明ければ何かが変わるという希望が沸いてくる。
2012.01.17
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ブルーベリーの冬芽。枯葉と縁が切れず、子離れ、親離れができずに春を迎えようとしている。考えると人事を思い起こさせるので以下書くに絶えず割愛。
2012.01.16
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今日は小正月。あと僅かで大寒になるのに未だに木の実が冬日に冴えている。梅もどきも潰してみると直ぐに崩れて完熟の度が過ぎている。万両、梔子などは新芽が出ても、ぶら下がり木に負担をかける結果になるのかもしれない。確かに蝋梅は、生き物に害悪を及ぼす成分があって毎年かなりの数が残留となるが、その昔は、啄ばむ野鳥がいて平らげられたのであろう。そうでなければ、創造主は、そのような果実を創るはずがない。*木の実の売れ残りは、豊作を物語っているのであろうが、それを啄ばむ野鳥の数が少ないことにも大きな原因がある。野鳥の激減の原因を考えあぐねているが、次第にこれが慢性的になった場合、自然環境上どのような影響を及ぼすかが心配だ。一過性の現象であればよいが、大自然が弄ばれつつある現代では杞憂として片付けられない何かがある。これを究明することも、プログやツイッターの役割であり目的でもある。
2012.01.15
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連日の寒さで降参した野薊が、再起不能の状態である。蕾を膨らませてあと一息というところで、冬将軍に降伏した図である。彼はロゼットで越冬するか、暖冬を予測して花を付けるかの二者択一の冒険をした。人は、この図を見て哀れ、侘びを感じとるかも知れない。*しかし、薊にとっては、敗退しても初冬の太陽を十分に浴びて光合成活動をし、他より多くの養分を蓄えたのであるから無駄ということはないと力んでいる。生きている限り無駄という時間はこれっぽっちもなく、そのときそのときに何らかの意義があるはずだ。年間に3万人以上が自らの命を絶っているが、薊にはそのような暇はない。枯れ茎は、スックと立って春が直ぐそこに来ているから万全の地下活動をするよう、地上の情報を送り指令をしている。
2012.01.14
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そろそろ冬至梅が咲いたろうと期待して探梅した。しかし、元日に白く顔を覗かせたものは、ひねた姿になって縮んでしまった。たまらなくなって白く割れたものを撮ったが、これ以上は開けないだろう。作業中のガーデナーが、「残暑が続いて寒さが遅かったから咲けないで地団駄を踏んでいる。」と言った。*約半月の遅れだ。人間も若いときに苦労しなければ、開花が遅いのだと付け加えた。そのガーデナーが、寒紅梅が咲いているかも知れないと場所を教えてくれた。行ってみても全く咲いていなかったが、梅花について誰かと話をしただけで満足した。
2012.01.12
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万両が野鳥に啄まれずに真っ赤に完熟している。梅擬きも見向きもされずに赤熟して、とうとう黒ずんできた。野鳥は、手元にある美味な餌だけを平らげるから、まずい万両や梅擬きは見向きもしないのであろう。それほどまでに去年は、生り物が豊作であり、酷暑が生り物に好影響を及ぼしたと思われる。*万両は、園芸作品として日本からアメリカ、フロリダに移入されたものが大繁殖して、今では、勢力範囲を山林にまで拡大し、テキサス、ルイジアナ地方にまで広がり、帰化有害植物に指定されているという。明治初年に園芸品種として移入されたハルジョオンが、繁殖して貧乏草と蔑まれたような現象が醸し出されている。鵯を日本から連れて行っても、別の美味な餌を求めて万両を食しないとすると鵯の害が表面化する。いずれにしても人間の都合で生態系を乱せば、その付けは人間にはね返ってくる。
2012.01.11
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写真は、庭先の枯れ芙蓉。晩秋まで美麗な花を咲かせ夏草を睥睨していたが、今は花殻となっても、木々の落ち葉を見下げるようにすっくと立ち誇っている。かつての、なよなよした花茎とは違って、身を引き締め強風にも耐えられる頑丈な茎となってーーー。その殻を間近に観察すると無数の毛で覆われている。さながら、空中に浮かぶ母船の中に沢山の小舟を係留し風を待っているかのようだ。*毛は動物の体を保護する大切な機能を担って入るが、植物の毛も伊達に付いてはいない。多分、一陣の強風に見舞われても、毛で抵抗しながら種を小出しにして運ばせる役目をしているのかも知れない。一陣の風で全部を飛ばされ、発芽の環境にない場所に運ばれたときに全滅すると危惧していて、風を選んでいるのではなかろうか。植生は、それぞれの創意工夫で身を守り種の保存に躍起になっている。少なくとも、原発をこれでもかと再稼働し、子孫を傷つけ廃人にしてまでも、他民族と競争しようとしたり、刹那的享楽に耽溺しようとは絶対にしない。
2012.01.10
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庭先の岩の隙間に白い花が咲いていた。冬枯れの庭にはどのような花でも貴重である。種漬け花。棒状の小枝のように上を向き途中で切れたようになっているが実である。その昔、籾を撒く際、芽出しが良くなるようにと水に漬けるのが農作業の始まりであったが、その頃に咲く花なのでこの名が付けられたらしい。当時の農業は、度重なる飢饉で蒔く種がなく、高い借り賃を払って籾を確保したらしい。*正に、苛斂誅求と飢饉のダブルパンチの歴史の始まりであった。種籾も食しなければならないひもじい生活の中、この花の種が籾であったらと思ったかも知れない。これほどまでに遠祖が苦しみぬき、そして今がある。今日行った家電センターでは、石油ストーブが売り切れであった。悩みの種は違っても、遠祖の苦労を想うにつけ、今までの暖房器具でこの冬を過ごそうかとも想った。
2012.01.09
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寒に入り庭は一面に枯れ葉に覆われた。しかし、よく見ると枯葉の間にいろいろな冬草がそれなりの活動をしている。腹這いになり小さな花を撮った。写真は「雀のカタビラ」。むしり取っても取っても直ぐ雑草化して農耕民を悩まし続け、貧乏草と疎まれた帰化植物である。草取り作業を「草むしり」と言うが、民族の体験的、歴史的それなりの意味合いが含まれている。花は緑白色と思っていたが、拡大して僅かに赤みが掛かっているのだと初めて知った。*久しぶりに地べたに腹這いになり、防寒具の下の地の吐息が体に伝わり、肥満の体を立てるよりも楽だと瞬間味わい苦笑した。3.11の巨大地震を契機にして当地の地殻を調べ、6千年前の縄文海進時にも台地であり、強固な地殻であると知った。そのうえ関東ローム層が2,3メートルもあり、生きとし生けるものを育んできた豊かな土壌であると改めて思い知らされた。生ける限りこの恵みを十分堪能させていただきたく、いつも踏み付けにしてきた大地に感謝する一時であった。
2012.01.08
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朝の出かけはさほどの寒さを感じなかったが、午後になって一段と冷えてきた。冴えざえとした空、目の健康にと努めて空を見上げているが、凍てつくような空は初めてである。でも、凍結した水道が溶けて使えるから、寒さは序の口なのかも知れない。テレビの天気予報は小寒だと話題にしていた。*鵯が一羽で来てテレビアンテナで囀っていた。ダミ声で鶯に真似て鳴いているような、最近はめっきり聞かなくなった鳴き方である。相手に警戒の合図を送るときの鳴き方でもなく、寒に入って寒さが応えてきて相手を呼ぶ声である。カメラにも動ぜず、人間と話がしたい仕草のようにも見える。万両、梅擬きも十分あり、柑橘類も食べ頃だからゆっくり逗留していけばいいぜ。
2012.01.07
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偕楽園公園の一隅、少年の森の西側崖に青木の実が生っていた。列植したように揃っていて花や実の時期は格別な場所だと新たな発見をした。此処は、縄文海退時に地盤が突出し、更なる浸食によって切り立つ崖になったのであろう。丁度、子規が「崖急に梅ことごとく斜めなり」と詠んだかつての対岸にあたる。*青木はその崖を護る役割を担っているのかも知れない。何せ青木の根は太くて長いからその役割を担うにもってこいだ。青木の実は房状になり、春先まで枝に付いていられるように完熟が緩やかで実ものでは珍しい。今回の大地震でも、その青木の実、一粒一粒が崖を護り崖下の通行人や建物を保護する役割を全うしたのに違いないと思い、植物は有り難いと感じながらウォーキングの歩を進めた。
2012.01.06
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昨日の探梅。寒さがもっと厳しくなることを予測して蕾の生長を停止し、白く口を開けた冬至梅も開花を躊躇している。が、タンポポは破れかぶれに咲いている。*どうせ、冬将軍に踏み潰されても、地中の根に被害が及ぶはずがないと高をくくった咲き方である。土手の野草も、項垂れ溶けそうな仕草でも、夏の間に蓄えた地下貯蔵庫の力量を信じて一時撤退しただけの話である。日だまりの土手に弁当を開いている親子が居た。こんな長閑な正月の過ごし方もある。
2012.01.05
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年が明けても、庭の蜜柑を生らせている。多少は鵯が突いているが、本当の木なり完熟の味は出ていれば一気に啄んでしまうはず。その寸前に収穫することに蜜柑栽培の醍醐味があり、鵯との争奪戦のスリルが味わえる。願わくば、啄む前に「完熟したぜ」と何らかの合図をしてくれればいいのにと願っているが、所詮無理な話。鵯の賞味時期を判断する能力は天才肌であり、人間は到底追いついていけないから、その寸前を狙っているのだ。*鵯は、餌がないからとか誰かに先取りされるとかとは関係なく、果実の最高の状態で頂戴し、絶賛する喜びを木々や他の野鳥と共有する喜びを味わっている。豊作だからといって過食に走らず、独り占めにしようとせず、また、食についての争いをせず、けたたましく吠えたりもしない。人間界では、「衣食足りて礼節を知る」と言い古されている。が、テリトリーを僅かに犯されても、主権を侵害されたと発砲問題に発展するから、鵯の方が礼節を知っているように見え、正に庭の王者の風格がある。
2012.01.04
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山茶花、椿も冬帝に気兼ねして縮こまっているが、ローズマリーだけは独りそれなりの花を付けている。でも、寒さは容赦なくまともな花が少ない。幸い、幾重にも重なる枝に隠れるように咲いている花を見つけて撮った。*ローズマリーは若さの秘訣と庭先に植えてハーブティに用いていたが、馴れると見向きもしなくなる。でも、災禍に見舞われどおしの歳を思い返すと、今年こそはと花にも藁にも頼りたい心境になる。ローズマリーは聖母マリアの薔薇、マリアの掌の薔薇のように平穏な日々が送れるようにローズマリーにあやかりたい。
2012.01.03
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昨日元日、桜川上流近辺をウオーキングした。南に面した土手にタンポポの花が顔を覗かせていた。良く咲いているなぁと感心していると、足下に動くものの気配を感じて、カメラを向けた。ツチイナゴ(土稲子)であった。背筋をピーント張っていたが、飛び立つ元気は全く喪失していた。*この寒さで硬直していても不思議はないのに、微かに動いていて姿勢を立て直している。成虫のまま越冬し7月まで生きていると言うが辛かろう。でも、初夏が産卵期だからそれまで生きることが天命だ。冬の陽が影ない内に枯葉の下に潜れとエールを送って引き上げた。
2012.01.02
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