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若草読書会も今年2月2日に開催したのを最後に、今日までずっと休会となっている。 若草読書会は、1月~2月初旬の新年会と3月下旬~4月上旬のお花見会の後、5月~12月の間に2~4回の例会を開くのを恒例として来たが、今年は新型コロナの流行に加えて、智麻呂氏のご入・退院もあったりして、再開の見通しがないままに今年は終わってしまいそうです。 今は、時折に交わされる「若草メール」によって連絡を取り合うことで、互いの無事や消息を知るという、心もとない状況であります。 そんな中、先日(10月29日)景郎女さんからのメンバー宛てメールが届きましたが、そのメールに添付されていたのが次の写真。 彼女は「野の花文庫」の活動をされているが、同文庫に集う子ども達に向けて、お作りになったものだろう。心和む作品であります。 景郎女さんの活動については下記記事で少しばかり紹介させていただいています。<参考>若草読書会 2011.1.30.(あまびえ)(どんぐり)(とんぼ)コロナ禍の 日々まだ止まず 若草の どちと逢へるを いつとか待たむ (偐家持)(本歌)朝がすみ 春日(はるひ)の晩(く)れば 木(こ)の間(ま)より うつろふ月を いつとか待たむ (万葉集巻10-1876) このところ、過去記事で写真の一部が横転してしまっているものについて、これを復元修正することに精を出していますが、2011年の要修正記事106件のうち、本日只今現在、51件が修正完了であります。 よって、2011年7月15日記事以前のものが修正未了となっています。
2020.10.31
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「おもしろきこともなき世をおもしろく」というのは高杉晋作の辞世の句だそうだが、その高杉晋作の最後を看取った野村望東尼(浦野もと子)が、これに続けた句が「住みなすものは心なりけり」だそうな。おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり まあ、面白く生きるや否やは、本人の心の持ちよう次第であるということですな。 そして、何を面白いと思うか否かも人それぞれであります。<参考>高杉晋作・Wikipedia 野村望東尼・Wikipedia 面白きこともなき車も、時に面白き顔を見せてくれることもありで、銀輪散歩で見かけた、その面白き顔を並べてみることにしましょう。 と言っても、車は銀輪散歩にとっては、並走した場合は「天敵」みたいなものですから、撮影などはもってのほか。と言うより、極力、車は避けて走りたいというのが銀輪の本音。 よって、それほど車に出会うこともなく、写真を撮る機会も滅多にないのであるが、それでも駐停車中の車などで時に面白いのに出会うとカメラを向けたりもするのであります。(犬型幼児バス) ネコ型の幼児バスも見かけたことがありますが、これは撮り損ねて写真がありません。(愛犬家の車) これは愛犬家さんの車であることがひと目でわかるというもの。(壁に耳あり車に目あり) 車にも目がつくと面白い表情になる。 これは夏場などの青空駐停車中の遮熱対策として、窓を覆う遮熱シートでの遊び心、という奴ですが、涼しくなった近頃はもう見かけない。 以前のブログ記事でも紹介した同種のものがこれ。(2020年6月3日記事掲載写真の再掲載) これで、ウインクしていたり、笑っていたりする目だったら、もっと面白いでしょうな。 次は、泳いでいるバス。(水陸両用バス) 以前のブログ記事でも紹介したこのバスと、同じなのか違うのか。(ダックツアーバス)※2014年4月9日記事掲載写真の再掲載。 これは、陸に上がれば、ただの普通のバスにて、面白くも何ともないのではあるが。 そのうちに、潜水も可能な水陸両用の「水中バス」とか陸空両用の「空飛ぶバス」なんかも登場するかも知れない。(派手なトラック) これは、トラック野郎でお馴染みの電飾トラック。 近頃は話題にもならず、見かけることもなくなったと思ったら、トラック野郎は変わることなく健在であったのですな。 そういえば、自転車にイルミネーションを付けて、全体がキラキラというのを走らせている人を見かけたことがあります。トラック野郎の自転車版ですが、少し離れたところをササーッと走り過ぎましたので、キラキラの照明が目にとまっただけで、夜ということもあって、どんな仕掛けなのか、乗っていた人物の年恰好は、などは不明です。男性であったことは身体の輪郭から見てとれましたが。
2020.10.29
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(過去記事の写真が歪んでいたりすることの続報) 2011年12月以前の記事について、掲載の写真が90度右に倒れ、タテ長とヨコ長の比率が入れ替わって歪んだ画像になってしまっている現象が生じていることに対する是正措置、つまり、当該写真の復元修正を順次行っていますが、なかなか捗りません。 2011年1月~12月の記事で修正を要するものは、チェックしたところ、全部で111件あることが判明しました。 2011年の記事総件数は222件ですから、半数の記事に写真の不具合がある計算になります。 記事アップ当初は正常に画像表示されていたのに、何故このような妙なことになったのか理解できませんが、嘆いていても仕方ないので、ぼちぼち修正を始めています。10月28日現在では12月分(7件)、11月分(5件)、10月分(14件)の計26件が修正完了となっていますが、9月→1月の分85件はこれからであります。 2010年分→2007年分の記事総件数は740件あり、これらについては未チェックで、修正を要する記事が全体で何件になるのか現時点では把握できていません。同程度の比率で存在するとしたら、更に300件程度増える計算になります(泣)。 毎日1件処理するとしたら1年以上かかる計算、2件ずつ処理するとして半年、閑人ヤカモチと雖も、かなり面倒なことであります。 まあ、こんなことを記事にする時間があったら、その分を修正に回したらというご意見もあるかと思いますが、この作業、単純な機械的作業なので、長くは続かないのであります。 こんな記事を書いて「息抜き」をする必要があるという次第(笑)。(花園中央公園) 10日余前の写真ですが、銀輪散歩の途中、花園中央公園のメタセコイアの木陰で、小学生たちがお弁当を広げている光景を目にしました。
2020.10.28
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銀輪散歩で見かけたマンホール蓋を、ということで始めたこのシリーズの記事ですが、最近は、ヤカモチ自身が銀輪散歩で撮影するというケースよりも、友人の岬麻呂氏が旅先で撮影されたマンホールの写真を送信下さったり、旅先でゲットされたマンホールカードをヤカモチ経由でひろみの郎女さんにお渡しするという関連で、カードから撮影したマンホール写真が手元にたまるなどのケースが多くなっています。 そして、今回は、ついにすべてのマンホール写真が岬麻呂氏関連のものとなってしまいました。 従って、「銀輪散歩・マンホール」というタイトルは、正しい表示とは言えなくなっていますが、継続性の原則(?)から、従来の表示を今回も踏襲することといたしました。 今回は、すべて北海道のマンホールになります。(注)★は、岬麻呂氏提供のマンホールカードを撮影したもの。 ●は、岬麻呂氏撮影のもの。1.札幌市のマンホール (★デザインの由来はコチラ) (★デザインの由来はコチラ)2.函館市のマンホール (★デザインの由来はコチラ) (●同左)3.岩内郡岩内町のマンホール(★デザインの由来はコチラ)4.古平郡古平町のマンホール(★デザインの由来はコチラ)5.小樽市のマンホール (● モノクロ・SL) (● カラー・ラッコ) 左のSL図柄のマンホールと右のラッコ図柄のモノクロ版のマンホールの写真は、銀輪散歩・マンホール(その5)に掲載されています。 (● 小樽運河) (★同左・デザインの由来はコチラ)(● 石原裕次郎記念館)6.北斗市のマンホール(★デザインの由来はコチラ)7.上磯郡木古内町のマンホール (★デザインの由来はコチラ) (●同左 咸臨丸の図柄)8.室蘭市のマンホール(★デザインの由来はコチラ)9.苫小牧市のマンホール(★デザインの由来はコチラ)10.登別市のマンホール(★デザインの由来はコチラ)11.石狩郡当別町のマンホール(★デザインの由来はコチラ)12.滝川市のマンホール(★デザインの由来はコチラ)13.赤平市のマンホール(★デザインの由来はコチラ)14.空知郡南富良野町のマンホール(★デザインの由来はコチラ)15.河東郡音更町のマンホール(★デザインの由来はコチラ)16.帯広市のマンホール(★デザインの由来はコチラ)17.河東郡鹿追町のマンホール(●然別湖とオショロコマの図柄)18.野付郡別海町のマンホール(★デザインの由来はコチラ)19.足寄郡足寄町のマンホール(★デザインの由来はコチラ)20.北海道函館建設管理部のマンホール(● 北海道庁旧本庁舎の図柄)21.国土交通省北海道開発局のマンホール(● 規格品タイプ)※(追記・注)これと同じ図柄のマンホールは小樽市内でヤカモチも撮影していて、「銀輪散歩・マンホール(その5)」に掲載されていることが分かりましたので追記して置きます。<参考>過去の「銀輪散歩・マンホール」の写真はコチラ 過去のマンホール関連記事はコチラ
2020.10.25
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岬麻呂氏からの旅便りです。 前回の「大雪山系紅葉」に続き、今回も北海道の紅葉を訪ねてのご夫婦旅でありました。 では、例によって、先ずは同氏からのお便り葉書をご覧ください。(旅・岬巡り報告261「道東 里の紅葉」&同写真説明)※画像をクリックするとフォト蔵写真の大きいサイズの画面が開きますので、それでお読みいただくと読みやすいかと思います。 この場合、開いたフォト蔵画面が半透明のCM画面で覆われてしまうことがあります。その際には、同画面に表示されている×印をクリックしてください。CM画面が閉じて、フォト蔵写真画面になります。 旅の日程に従い、別途メールでご送付いただいた写真を、以下ご紹介申し上げます。10月13日関西空港→釧路空港→帯広・真鍋庭園→十勝が丘公園→十勝川温泉第一ホテル(泊)(帯広市のマンホールカード) 今回も、友人のひろみちゃん8021(偐万葉では「ひろみの郎女」)さんにお渡し願いたいとマンホールカードが4枚同封されていました。 その内の1枚がこれ。帯広市のマンホールカード。 旅程から憶測するに、これは初日の13日に取得されたものだろうと思われます。10月14日音更町経由→鹿追町・福原山荘→然別峡・然別湖(オショロコマ)→糠平湖源泉郷→足寄町・オンネトー→阿寒湖温泉・ニュー阿寒ホテル(泊)(河東郡音更町のマンホールカード) 2枚目のマンホールカードは音更町のもの。 そして、帯広市にあるスーパーマーケットの経営者の別荘だという、鹿追町の福原山荘へ。見事な紅葉です。(鹿追町 福原山荘の紅葉)(同上・水面に映える紅葉)(同上・紅葉の絨毯) 次は、然別峡。然別湖で養殖のオショロコマ(天然記念物の魚)の写真はありませんが、然別湖畔で撮影されたマンホールは、そのオショロコマの図柄でありました。(河東郡鹿追町のマンホール) 足寄町でもマンホールカードをゲット。(足寄郡足寄町のマンホールカード) そして、オンネトーの紅葉を楽しみ、(オンネトー) 写真後方の山は、右が阿寒富士、左が雌阿寒岳だそうです。 オンネトーとは、アイヌ語で「年老いた沼」または「大きな沼」の意とのことで、オコタンペ湖、東雲湖とあわせて北海道三大秘湖とされているそうな。 そして阿寒湖です。(阿寒湖)10月15日滝見橋→屈斜路湖湖畔道路→摩周第三展望台(摩周湖)→中標津・開陽台→別海町→霧多布岬→厚岸グルメパーク→ラビスタ釧路川(泊)(滝見橋) 滝見橋は、阿寒湖から阿寒川となって流れ出す唯一の滝口であるが、観光客は殆ど通り過ぎてしまう隠れた名所(岬麻呂談)だとのこと。 その滝見橋の近くで見つけられたマンホールがこれ。(国土交通省北海道開発局のマンホール) そして、屈斜路湖近くでご覧になった黄色い花の畑。 遠目にはヒマワリ畑かと思われたそうですが、近寄ってみると菜の花のようであったとのこと。芥子菜ではなく、別の菜の花だろうとのことですが、さて、何という名(菜)の花でしょう(笑)。 横着バカボン・ヤカモチなら、屈斜路湖ちかくなら「屈斜路菜」でいいのだ、と言うところですな(菜)。(菜の花畑) 確かに、季節を誤りそうな眺めであります。(摩周湖 第三展望台から撮影) そして、中標津でしか入手できないという地産地消の「チーズ」を大量購入されて、街路樹の紅葉などを楽しみつつ別海町経由のついでにと同町のマンホールカードもゲット。(野付郡別海町のマンホールカード) 別海町は大阪府の枚方市とも友好都市関係を結んで居られるようでありますが、いかなる経緯、理由によるものかは、調べておりませんので、これ以上の言及はいたしません(笑)。 以上ご紹介申し上げたマンホールカード4枚は、本日、喫茶「ペリカンの家」にお届けして、店主の「ももの郎女さん」に受け渡しをご依頼して置きましたが、午後5時過ぎに、ひろみの郎女さんから「受け取りました」とのメールが入りましたから、無事に受け渡しは完了したようであります。 さて、本題に戻って、霧多布岬を経て、厚岸グルメパークにて早いご夕食とされたとか。(厚岸) 写真の左よりの赤い橋の向こう側(左側)が厚岸湖で、こちら側(右側)が厚岸湾で、岬の奥は太平洋であります。(幣舞橋) 釧路川に架かる幣舞橋(上)。 そして、釧路川河口の港で出漁待ちのイカ釣り漁船です(下)。(釧路川河口に集結のイカ釣り漁船 幣舞橋から撮影) かくて釧路の夜は更け行きぬ、でありました。10月16日釧路湿原・細岡展望台→阿寒国際ツルセンター→釧路空港→関西空港(釧路湿原 細岡展望台) 紅葉を楽しむとともに、北海道ならではの、これはという食材を探索する旅でもあったようですが、どちらも首尾よく果たされての満足777kmドライブ旅であられたようで、何よりでございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。同上・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。
2020.10.24
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少しばかり前(先月28日のこと)の話になりますが、享仙(KYOUSEN)さんというお方から、2018年11月3日の当方の記事「オギ(荻)にノギ(芒)なし」にコメントを頂戴し、同記事に掲載の写真を「フォト俳句」用に拝借したい、というものでした。 当方に異論はなく、すぐに快諾の旨お返事申し上げたところ、このような形で、フォト俳句にされていました。(享仙さんのフォト俳句 同氏ブログ記事より転載)吹く風に 葦の穂絮の 靡きかな (享仙) ヤカモチ、脇句をつけてもみむと、いづちや雲の 流れ行くまま (偐家持) もう少し早くに気づけばよかったのですが、すっかり忘れてしまっていて、そう言えば、そんなことがあったと思い出し、今日、同氏のブログを拝見させていただくと、10月4日の記事に、このフォト俳句が掲載されていることを発見したという次第。 同氏は96歳のご高齢にして、フォト俳句を日々の記事に添えて居られるようであります。いつまでもお元気にお続けいただきたいものであります。<参考> 同氏のブログはコチラ。 本件フォト俳句掲載の記事はコチラ。 当方記事に掲載の元写真は下掲の通りです。(元画像) 同氏がフォト俳句に転用された写真は、元写真を左右逆転させた画像になっていますが、これは句を画像に挿入する関係で、左右逆転した方が、収まりがいい、構図のバランスがいいというご判断によるものでしょう。 ヤカモチの写真が、何であれ他人様のお役に立てたということは、それだけで嬉しいことです。 このようなご縁をいただいたことに感謝しつつ、遅まきながらそのご縁を紹介申し上げるとともに、KYOUSEN(享仙)氏のますますのご健勝をお祈り申し上げるものであります。
2020.10.20
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(承前) 中断していた「唐崎から坂本へ」という、10月6日の銀輪散歩の記事の続編です。 坂本城本丸跡碑、明智塚を見て、県道558号を北進します。 藤ノ木川という小さな川を渡って少し進むと、県道の西側を通っていた北国海道(西近江路)が接近して来て、県道と交差し、県道の東側、即ち湖岸側を通ることになる。交差点より先は、県道とお別れし、湖岸側を行く旧道の北国海道を進む。 すると、大きなムクロジの木のある神社があった。 磯成神社という名の神社である。(磯成神社)(同上・説明碑) 説明碑によると、弘仁2年(811年)創立と伝えられる神社で、元は日吉大社の社家(特定の神社の奉祀に専従する神職家)の祖霊を祀る神社であったが、社家が坂本に移住した後は地元の氏神として崇敬を集めているとのこと。 日吉大社の社家と言えば、樹下氏、生源寺氏であるが、ここの祭神は「祝部西麿」とあるように、祝部氏は両氏の祖になる。 日吉大社の社司は、祝部氏がこれを務め、代々継承してきたが、10世紀に至り、祝部氏は、左方と右方の二流に分かれ、それぞれ大比叡神(西本宮<大己貴神>)、小比叡神(東本宮<大山咋神>)の禰宜を務めるようになる。その後、左方は生源寺氏、右方は樹下氏を称するようになったという訳である。(境内のムクロジの巨木) 立派なムクロジの木である。 年深からし、神さびにけり、という風情である。 県の保護樹木に指定されているようです。 神社から数十メートル北に行ったところにある緑地、新唐崎公園には、磯成神社御旅所の石碑があり、小さな祠が祀られていた。(磯成神社御旅所の石碑)(新唐崎公園)(同上・説明碑) 唐崎の松の二代目が、こちらの松のようです。 この松も天然記念物らしい。 天然記念物というには、些か貫禄に欠ける気もするが・・。(新唐崎の松) 奥には、祠があるので、御旅所でもあることが分かる。(磯成神社御旅所の祠) そして、比叡の辻です。 辻の前にあるのが若宮神社。(若宮神社)(同上・説明碑) 前記の磯成神社と同じく、この若宮神社も、日吉大社の社外108社の一つとのこと。 祭神は、大山咋神と国常立命とある。 4月の日吉大社の山王祭では、先に立ち寄った坂本城址公園の南側にある七本柳の山王鳥居の前から出発して唐崎まで船渡御した神輿が、この若宮神社を下船場として、日吉大社へと還御するらしい。 比叡の辻から真っ直ぐ、道なりに西へと進めば、日吉大社に突き当たる。 ヤカモチの銀輪も、その道を辿って、西へと向かうこととする。(旧比叡の辻) 上の写真で、バイクが進入して行く道を行くと、JR比叡山坂本駅を経由して、日吉の馬場の通り(県道316号)で、日吉大社に至る。(旧比叡の辻の碑)若宮神社の前、北国海道(西近江路)から坂本を経て日吉大社・延暦寺へ続く道の辻にあたり、若宮神社の祭神が小比叡大明神(東本宮)であることから、比叡辻と名付けられたといわれています。室町時代には、運送業者の馬借・車借が集住する交通の要所でした。 碑文を転記すると上記の通りです。 先の磯成神社の説明碑でも記されていた「馬借・車借が集住する」地域という言葉。旧街道(西近江路)沿いのこの付近一帯は、今風に言えば、レンタカー屋さん、レンタルサイクル屋さんが軒を連ねていたということになる。 まあ、マイ自転車・トレンクル持参のヤカモチには用のないことではあります。 JR比叡山坂本駅前近くにやって来ると、前方に銅像が見えた。 何であるかと近づいてみると、最澄の像であった。 像のある一角は、「坂本石積みの郷公園」というこじんまりした公園になっている。いつ整備されたものかは知らないが、それほど古いものではなさそうである。 この駅は何度か乗り降りしているが、駅の東側に回ったことがないので、この公園のことも最澄の像のことも存じ上げませんでした。(坂本石積みの郷公園)(穴太衆積みの石垣) 像の銘板には「若き日の寂澄」とある。(若き日の最澄像)(同上・説明碑) 最澄か寂澄か。 妙なところで拘った結果、上のような説明碑を掲示せざるを得なくなったのでしょうが、素直に「最澄」として置けばいいものを、というのがヤカモチの感想。(同上・副碑) この後、日吉の馬場の通りを日吉大社方向に坂道を上って、西教寺へと行くのでありますが、途中、写真撮影をおざなりにしたりで欠落やピンボケがあるため、もう一度訪ねてみてから、ブログ記事にしたいと思いますので、続編の記事アップは、暫し、お待ちいただきたく存じます。(つづく)<参考>銀輪万葉・京都府、滋賀県篇(その1) 銀輪万葉・京都府、滋賀県篇(その2)
2020.10.17
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毎年10月14・15日は、地元の枚岡神社の秋郷祭であるのですが、今年は、神事などは例年通りに行われたのかどうか存じませんが、近郷の集落から神社に集合する太鼓台の巡行は、コロナで中止。 人出もなく静かなことでした。 例年なら我が家の前の道も、枚岡神社へと向かう人、帰る人の姿が夜遅くまで絶えることがないのですが、今年は「シ~ン」です。 それでも太鼓台を出す地区もあったと見えて、朝、神社の方向へ我が家の前の道を一台の太鼓台が台車に乗せられて曳行されていきました。 書斎の窓から撮影したのが以下の写真です。(太鼓台)(同上) この後、外出し、帰宅したのが午後3時少し前でありましたので、この太鼓台が神社の境内に入ったのかどうか、どの道を通って帰ったのか、などは存じ上げない。 例年のような観客もなければ、神社境内に入ったところで、盛り上がらず、間の抜けたものであったことでしょう。 通常であれば、過去にその様子を撮った写真をブログに掲載していますが、下掲<参考>記事で紹介している通りなのです。<参考>枚岡神社秋郷祭2009 2009.10.16. ヤカモチは近年、祭り見物に出かけることもないので、祭りが中止になっても、どうということもないのであるが、この季節には祭りの当日は勿論、その何週間も前から、太鼓を打ち鳴らす練習やらで、どの地区でもドンドコ、ドンドコと騒がしく、今年も早やそんな季節になったのかと感じるのが常でありましたから、今年は静か過ぎて、何やら物寂しく、物足らない気もします。
2020.10.15
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今日は囲碁例会。 今日も好い天気なので、MTB(マウンテンバイク)で自宅を出て、銀輪散歩を兼ねての梅田行き。 中央大通りから大阪城公園経由のいつものコースで、新梅田シティの梅田スカイビルへ。(大阪城公園) 両サイドに植木市がズラリ。 確か、先週(10月7日)も同じように植木市だったかと。 公園を通り抜け、天満橋を渡り、れんげ亭(今日も「支度中」の表示)の前を通過し、天神橋筋商店街の通りに出た処で、「フクロウのみせ」を覗くと、フクロウの多くは、もう新しい店の方へ引っ越したのか2羽が残っているだけ。(フクロウ) 前回(10月7日)は、このフクロウの写真は撮っていなかったようなので、窓ガラスにカメラを密着させて、撮影。 盛んに首をくるくる回転させるので、「こっちを向け」と言うと、聞こえたのかどうか定かではありませんが、こんなポーズを取ってくれました。 なかなか可愛い(笑)。 梅田スカイビルに到着。 駐輪場にMTBを駐輪し、いつもの店で昼食。(Bar & Cafe ラーゴ・ディ・チェーロ・パルコ) ランチ&珈琲の後、中庭・ワンダースクエアの一角にある喫煙コーナーで一服。コロナの所為か、ビル内の喫煙ルームはロックされていて、喫煙ができるのは、ここだけになっているようだ。 少し、里山を散策。 里山には柿の木が1本あり、実がなっている。(梅田の里山の柿の木) ズームアップすると・・。(柿) これは多分、渋柿だろう。 色々な花が咲いている中、水際にはミゾソバが群生していました。(ミゾソバ) 金平糖のような花である。(同上) 別のところでは、キツネノマゴ。 尤も、この写真は、前回(10月7日)に撮ったものであるが、今日も同じように咲いていました。(キツネノマゴ)(同上) 花の写真を掲載したついでに、これも掲載して置きます。 これは、梅田の里山でのものではなく、坂本城址公園から東南寺川沿いに北国海道へと続く遊歩道脇に咲いていたもの。 ヤブデマリの花。(ヤブデマリ) 手毬も色々あるようですが、コデマリでもオオデマリでもなくヤブデマリである。 花をアップで撮ると。(同上) ガマズミ科の植物だそうだが、葉は確かにガマズミのそれに似ている。(ヤブデマリの葉) 話が花へと移ってしまっていますが、今日の記事は囲碁例会でした。 会場の部屋に行くと、西〇さんが居られた。彼は囲碁サークルのメンバーではなく、写真サークルと茶道のサークルの中心メンバー。今日は何か別の用向きで来て居られたよう。久々にお会いしたので、あれやこれやの雑談をしているところへ福麻呂氏が来られた。 福麻呂氏は、前回は腰痛で欠席されたのであるが、軽快されたようで、今日は出席。早速、同氏とお手合わせ。西〇氏は「では、失礼します。」とお帰りになりました。 第1戦は、楽勝かと思われた優勢局面から、受け間違いをしたようで、死んでいた筈の大石が生き返り、上辺の我が黒石の一部がもぎ取られて死んでしまうという展開となって逆転負け。 第2戦は勝って1勝1敗。 そこへ、平〇氏が来られたので、平〇氏と対戦。中盤で悪手を打ってしまって、一挙に情勢が悪くなり、最後まで挽回できずで、完敗。 今日は1勝2敗。これで、今年に入ってからの成績は6勝8敗。 帰途も大阪城公園を経由しましたが、桜広場の方を走ったところ、チラホラ花を咲かせている桜の木がありました。 秋にも花を咲かせる品種の桜のようです。(秋にも咲く桜)(同上) 本日は、フクロウと季節外れの桜花とヘボ碁の話でありました。
2020.10.14
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銀輪万葉「唐崎から坂本へ」の記事を一時お休みして、今日は、過去記事に掲載の写真が珍妙なことになっているものがあることに気づきましたので、これについての記事を書くこととします。 同記事を書いている中で、関連した過去記事を<参考>として引用したところ、その記事に掲載の写真の向きが右へ90度傾き、つまり横倒しになっていて、その縦横比率が逆になっているため、へしゃげた形に画像が歪んでしまっている、という現象です。 以前にも、同様の不具合記事に気が付いたことがあり、その修正復元をしたが、その時は、他の記事についてのチェックをせず、当該記事の修正だけで済ませましたので、それっきりという状況になっていました。 今回は、「京都から唐崎へ」の記事(2011年9月10日~13日)と「ふる雪はあはにな降りそ」の記事(2011年12月25日)との計6個の記事について、そのような不具合のあることに気づきましたので、他の記事についてもチェックしてみました。 すると、以下の記事について写真の異常が見つかりました。 2012. 1.20. 蹴鞠 2011.12.30. 年も極つらむ 2011.12.27. 山の際にいさよふ雲は・・ 2011.12.26. 山も誓ひも深き谷川 2012年1月20日の「蹴鞠」を最後に、それ以後の記事については、不具合は生じていないようです。 2012年2月8日の記事にあるタテ長写真は正常に表示されているほか、同年3月、4月の記事でもタテ長写真に異常は見られませんので、多分そういうことではないかと判断しました。 どうやら2012年1月か2月の時期に、楽天側のなんらかのシステム変更かメンテナンス操作の間違い乃至不適切な処置があって、これ以前の記事について、タテ長写真を配している場合に、不具合が生じたということではないか、というのがヤカモチの推測ですが、真実のほどは不明です。 2011年9月から12月までの4か月分の記事を遡ってチェックしたところ、35件の記事について写真の不具合が発見されました。 2011年12月の記事 7件 2011年11月の記事 5件 2011年10月の記事 14件 2011年 9月の記事 9件 (4か月だけで35件の記事が不具合) 同年8月以前の記事は未チェックですから、それらも含めれば一体どれだけの数になるのやら。うんざりしてしまうが、暇を見て、追々にチェックし、気づいた都度、修正・復元を試みることにしよう。 それはともかく、言葉を連ねても、どんな不具合なのかはちょっとイメージしにくいでしょうから、その不具合記事をPC画面に呼び出し、その一部を撮影してみました。それが、下掲の写真です。(ブログ掲載写真の不具合の例)※「ふる雪はあはにな降りそ」2011年12月25日の記事の一部です。 例えば、上の矢印の写真の例で言うと、正しい写真は下記の通りであるのですが、(正しい写真A) それが下のような写真になっているのです。(誤って掲載されている写真B) AB両者の違いは何かというと、 写真Aは、タテの長さ300に対してヨコの長さ168の比率になっている。 Aの写真のタテの長さ300を168に、ヨコの長さ168を300にし、これを90度回転させると、Bの写真になる。ということにあります。 要は、当初は、Aのように正しく表示されていた筈なのに、記事アップ後のいつかの時点で、タテ長写真については、このようなタテ・ヨコ比率が逆転した歪んだ画像のBのように、なってしまったということであるが、当方がそんな操作をする訳もないから、楽天側のシステム変更か何かがあって、一部写真にこのような不具合が生じたということではないかと思う。 当方の写真投稿の特殊性で言うと、2017年8月23日の記事までは、フォト蔵に登録したマイ・ピクチャーをフォト蔵が提供する「写真のブログ投稿機能」を通じて、記事に貼り付けていた経緯がある。 そんなことで、フォト蔵の写真登録機能と楽天ブログシステムとの間の何らかの連携不備があったのかとも考えたのであるが、フォト蔵写真からの投稿を採用したのは、2012年10月30日の記事が最初であるから、連携不備の問題でないことは明らかである。 もし、皆さんの中に、2012年1月以前からブログ記事を書いて居られるお方が居られて、タテ長の写真を投稿されているケースがおありのようなら、一度、それらの過去記事をチェックなさった方がいいかもしれません。 本件と同様の写真の不具合が発生している可能性があります。 こんな何が写っているのかもよく分からない写真が記事の随所に出てくるとあっては、見苦しい限り、いかに過去の記事とはいえ、そのまま放置して置くことはできないというものである。 この不具合を修正・復元する方法は色々あるのかもしれませんが、当方のやり方は、10月9日の記事にも書きましたが、以下の通りです。 当該写真が、PCに保存されているなどで、使える場合はもっと簡単かもしれませんが、当方は、ブログに掲載した写真は、掲載完了後PCから削除し、保存するということをしていないので、次のような手順となります。1.当該ブログ記事を開き、その写真を当方PCに取り込み、横倒しになっているのを90度回転させて正しい向きに修正する。2.ブログ管理ページを開き、当該ブログ記事を呼び出し、横倒しになっている写真を削除し、PCの正しい向きの写真をそこに貼り付ける。3.公開ボタンを押して、修正完了。4.一時的に保存したPC上の当該写真をPCから削除する。 まあ。結構面倒である。 2011年12月末日以前の記事総件数は962件であるから、これら記事を全てチェックするということ自体、そこそこの手間である。 そして、おそらく300件を優に超す多数の記事の修正になるとも懸念されるので、更にも厄介、気の重いことである。 しかし、急いでやらなくてはならぬことでもない。何かのついでの折にでも、気が向いたら修正するという、ゆる~い対応で行こうと思います。昔の古い記事なんぞを見る人はそうは居ないでしょうから。 本日は愚痴の記事と相成り候、でありました(笑)。 (左:正しい写真、右:不具合写真 「蹴鞠」記事のケース)
2020.10.12
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(承前) 唐崎神社を出て隣の緑地公園、唐崎苑に入る。 此処には人麻呂の歌碑があった筈。(湖岸緑地・唐崎苑)(柿本人麻呂万葉歌碑) この歌碑である。 前回訪れた時、と言っても9年も前のことになるが、この歌碑の写真をブログにアップしている。<参考>京都から唐崎へ(その5) 2011.9.13.ささなみの 志賀の辛崎からさき 幸さきくあれど 大宮人の 船待ちかねつ (柿本人麻呂 万葉集巻1-30)(ささなみの志賀の唐崎は無事で変わらないが、昔の大宮人の船をひたすら待ちかねている。) 前頁記事で紹介した人麻呂の「近江荒都歌」の反歌の1首である。「昔の人にまたも逢はめやも」で、空しく待ち続けているだけで、寄せ来るものは白波と湖面を渡る風のみ。 その時のブログ記事を見ると、この歌碑だけをブログに掲載しているが、現地にはもう2基、万葉歌碑があった。 この2基については、前回は気づかなかったのか、それともその当時は存在しなかったのか、ヤカモチの記憶にはなく、今回が初対面のような気がする。(舎人吉年万葉歌碑)やすみしし わご大王(おほきみ)の 大御船(おほみふね) 待ちか恋ふらむ しがの唐崎 (舎人吉年(とねりのよしとし) 万葉集巻2-152)(<やすみしし>我が大王の御船を、待ち焦がれていることであろうか、志賀の唐崎は。) この歌は、天智天皇の「大殯(おほあらき)」の時の歌2首のうちの1首である。 「殯」(「もがり」または「あらき」)とは、本葬の前に、仮に遺体を安置することである。 他の1首は額田王の次の歌である。かからむと かねて知りせば 大御船 泊(は)てし泊(とま)りに 標(しめ)結(ゆ)はましを (額田王 万葉集巻2-151)(こんなことになると、あらかじめ知っていたなら、大君の御船が泊った湊にしめ縄を張って置きたかったのに。) 舎人吉年も額田王も宮廷に仕える女官である。(但馬皇女万葉歌碑)後(おく)れ居(ゐ)て 恋ひつつあらずは 追ひ及(し)かむ 道の隈廻(くまみ)に 標(しめ)結(ゆ)へ吾背(あがせ) (但馬皇女 万葉集巻2-115)(後にのこって恋しく思っているくらいなら、追いかけて行って追いつきたい。道の曲がり目ごとに、しるしを付けて置いて下さいな、あなた。) 穂積皇子が志賀の山寺(崇福寺)に遣わされた時に、彼を慕う但馬皇女が詠んだ歌であるが、二人の恋物語については、下記<参考>の記事をご参照下さい。<参考>ふる雪はあはにな降りそ 2011.12.25.(注・余談) この参考記事についても、掲載写真13枚中、6枚が横倒しになって、歪んでしまっていることが発見されました。 追って修正しますが、何故、こういうことが頻発するのでしょう。楽天スタッフさんに照会して、この不具合を楽天側で修正できるものかどうか尋ねてみましょうかね。仏のヤカモチも少しばかり立腹して居ります(笑)。 余談はここまで。 本題に戻ります。 唐崎苑を出て、北国海道(西近江路)を北上。 やがて路は分岐する。 北国海道とお別れし、分岐右手の湖岸側の道を進む。 家並が途切れた処では琵琶湖の景観が広がる。 これを右手に眺めながら軽快にペダルを漕ぐ。 風が心地よい。 われ~は う~みの~子 さす~ら~いの~♪という気分(笑)。(琵琶湖) 山王鳥居と七本柳が見えて来た。 坂本城址公園のようだ。(山王鳥居、七本柳と三上山) 山王鳥居の中央に三上山(近江富士)がすっぽりとおさまっている。(坂本城址公園入口) はい、坂本城址公園の入り口に到着です。 入り口の「坂本城址」という石碑の前に、男性が次々と袋詰めしたゴミを運び込んで居られる。公園で出たゴミでもあるか。 写真的には頂けない眺めであるが致し方なきこと。ゴミ袋の山が入らぬように石碑をアップで撮る。(坂本城址の碑) 公園に入って行くと、明智光秀の像などがあった。 真新しいものである。 何やらとってつけたような感じで、いささか白けた気分になるが、ブログ的にはこんなのもあった方がいいのかも・・とカメラを向ける。(坂本城址公園の明智光秀像)(同上・明智光秀歌碑) 明智光秀が唐崎の松を詠んだという歌の碑もありました。 その隣には、歌謡曲の歌碑も。 大和の山の辺の道でも、水森ナントかいう女性歌手(度忘れして名前が出てこない)のご当地ソング(曲名も思い出せない<笑>)の立派な歌碑を目にしましたが、最近は、この種の歌碑も多くなっているようです。(鳥羽一郎の歌謡曲「光秀の意地」の歌碑) まあ、万葉集巻頭の「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児・・」だって民謡みたいなものだし、この手の歌は万葉集にも色々とありますから、蓼食う虫ではないけれど、そこはそれ「好き好き」ということでいいのでしょう。(坂本城址公園)(坂本城跡・案内看板) 上の案内看板を見ると、公園となっている部分は、坂本城の域内からは外れているようである。(本丸は、この林の向こう側のよう。) 光秀像の裏側に立って、本丸方向を眺めるが林があるだけ。 小径のようなものが、林の向こう側に続いているようなので、何かあるかと行ってみると・・。(林の向こうにあったのは、ボートの格納庫のような建物) 何もなし。いや、ボートの格納庫らしき建物がありましたから、ここは私有地にてみだりに踏み込んではいけないのかも、と思い引き返すことに。(ここから、ボートを漕ぎ出すのでもあるか。) どうやら、ここもまだ本丸の域内ではないようだ。 この区域の更に北側が本丸跡になるようだが、先へは進めない。撤退するしかないのである。 公園入口の道路向かいに遊歩道がある。 この道をたどると、北国海道沿いに、もう一つの坂本城址碑があるようだから、行ってみる。(東南寺川沿いの遊歩道を坂本城址碑へと行く) 東南寺を経て、北国海道(西近江路)へと至る。 北国海道から来た道を振り返って撮った写真が下掲写真です。(坂本城址碑と東南寺) 奥に見えているのが東南寺。(坂本城址碑の副碑) 東南寺まで戻り、そこで左折して湖岸側の道路に出たところにあった店で昼食とする。 昼食を済ませてから、明智塚に向かう。(明智塚) 明智塚は民家の庭先という感じで、ひっそり、こじんまりとある。 塚の右隣に写っているお屋敷には、村田という表札。 塚の前に立てられている「高札」には「地主 村田」と書かれているから、この塚のある土地は、この村田さんの所有のようだ。 この塚そのものも、この村田さんが私費で整備された、ということなんだろうか。(同上)(同上・説明碑) 明智塚から南に少し戻った道路脇に「坂本城址 湖中に残る石垣見学ルート」と書かれた木札が立っていた。(坂本城址・湖中に残る石垣見学ルートの標識) どうやら、この辺りが本丸跡のようだ。 上の写真に写っている建物、この日は閉じられていて如何なる性格の建物であるかは不明であったが、その前庭の入り口には「坂本城本丸跡」と刻まれた石碑があった(下掲)。 さて、この木札の示すところに従い、畑中の小径を湖岸方向へと辿る。(行き止まりです。) はい、行き止まり。こんな景色でした。 写真の左側では、お見苦しいところをお見せしますが、わが相棒のトレンクル君が、だらしない格好でひっくり返っていますな(笑)。 湖中の石垣なるものは、この行き止まりの奥の湖中にあるようです。 渇水期になって、水位が下がると石垣が姿を現すのでしょうが、何も見えない。がっかりした人への申し訳か、せめてもの何とやらで、このような懇切な説明板が設置されている。(湖中の石垣・説明碑) わずかに水面から顔をのぞかせている石が見えるから、これがその石垣の一部なのかもしれない。(湖中の石垣の一部がこれか) 上述の建物前庭入り口にあった坂本城本丸跡の石碑は、これです。(坂本城本丸跡碑) この後、湖岸沿いに走り、旧比叡の辻から、明智光秀一族の菩提寺である西教寺へと向かいますが、今日はここまでとします。(つづく)
2020.10.11
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記事が前後しますが、今日の記事は、去る6日の銀輪散歩についてのものであります。 今年8月4日の銀輪散歩、愛車(自転車)トレンクルのパンクで途中取り止めとしましたが、その続きです。<参考> 宇佐山・大伴黒主神社そしてトレンクル爆発(上) 2020.8.6. 宇佐山・大伴黒主神社そしてトレンクル爆発(下) 2020.8.7. 上記銀輪散歩が頓挫したJR湖西線唐崎駅前からの出発です。 JR唐崎駅下車、持参の輪行バッグ(袋)からトレンクルを取り出し、組み立てていると、取引証券会社のS君より電話。丁度依頼したい事項もあったので、それを伝える。彼の用件は、これから自宅にお伺いしたいがご在宅か、というもの。今は唐崎駅前にて無理、ということで日をあらためて貰うこととする。 ところが、彼は翌日の7日午後1時と理解したようだが、ヤカモチは翌々日の8日午後1時のつもりで話していたつもり。どちらにミスリードの帰責事由があったのかは不明であるが、彼は7日の午後1時に拙宅へ、家内が対応したようだが、ヤカモチは囲碁例会で梅田まで出かけていて留守。 すべからく約束事の電話は、最後に復誦して双方に誤解・行き違いがないかを確認すべきでありますな。当方に原因があったのであればS君には済まぬことでした。彼に帰責事由があるなら彼の自業自得(笑)。 さて、閑話休題。トレンクルを組み立て、出発である。(JR唐崎駅) カメラを向けていると、電車が入って来たので、もう1枚撮影。(同上) これから向かう湖岸方向、東方向に目を向けると、こんな景色。(駅前、東方向の眺め) 全国市町村国際文化研修所(JIAM)の「ようこそ」の看板が出迎えてくれているが、ここには用がない。 この道を奥に進むと、北国海道(西近江路)に出る。 今回のコースを図示すると以下の通りである。(銀輪散歩コース図 ―線) 先ずは、唐崎神社へ。(唐崎) 唐崎というと、柿本人麻呂の「近江荒都歌」の反歌2首が先ず思い浮かぶのであるが、上のような景色を眺めつつ、この歌を味わうのもいいだろう。 もっとも、人麻呂の歌の季節は春であるから、ちょっと季節的には合わないのであるが・・。ささなみの 志賀の辛崎からさき 幸さきくあれど 大宮人の 船待ちかねつ (巻1-30)楽浪ささなみの 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またもあはめやも (巻1-31) 唐崎には、もう何度来たことやら。 直近は、とブログ記事で調べてみたら、2011年9月9日が最後のようだから、実に9年ぶりの訪問になるのでした。 この折のブログ記事を開いてみたら、「京都から唐崎へ」というタイトルで(その1)から(その5)までに分けて9月10日から13日の記事になっている。それらの記事中の写真の一部がどういう理由でか横倒しになっていて歪んだものになっている。 こちらは、何も触っていないのに、どうして写真の向きが変わってしまったのだろう。滅多に過去記事を遡って見ることはないので、こういう不具合が生じていても気が付かないのであるが、以前にも同様の現象を発見し、写真の向きを正しくする修正を加えたことがある。今回も同じ現象である。 楽天ブログ側の何らかのシステム変更かメンテナンスによる影響なんだろうか。皆さんのブログ記事ではこのような不具合は生じていませんか。 これの修正は結構厄介なのだ。 先ず、1.当該ブログ記事を開き、その写真を当方PCに取り込み、横倒しになっているのを90度回転させて修正する。2.ブログ管理ページを開き、当該ブログ記事を呼び出し、横倒しになっている写真を削除し、PCの正しい向きの写真をそこに貼り付ける。3.公開ボタンを押して、修正完了。4.一時的に保存したPC上の当該写真をPCから削除する。これで、修正完了であるが、今回は、5個の記事について、計29枚もの写真が横倒しになっているので、相当に面倒な作業になる。 当記事のアップが完了したら、取り掛かることとして、先に進みます。(唐崎の松) 唐崎と言えば「松」であるが、何やら松の様子がおかしい。(同上) ながらくご無沙汰している間に、台風などで枝が折れたりの破損があったのだろう。何やらうらさびれた景色である。唐崎は 幸(さ)きくあれども 松が枝の 荒れまく惜しも うらさびにけり (偐家持)(同上) 前回(2011年9月9日)訪問時の写真と比べてみて下さい。<参考>京都から唐崎へ(その5) 2011.9.13.(唐崎説明板) 唐崎神社です。<追記>(唐崎神社http://hiyoshitaisha.jp/karasaki/より転記)ご由緒日吉大社で代々神職を務められた家の先祖である、琴御館宇志丸という方がこの地に居住され、「唐崎」と名付けられました。この頃、天智天皇が奈良の三輪山から大己貴神を大津にご勧請された際に、琵琶湖を渡り、この唐崎の地に降り立ったとされており、日吉大社西本宮のご鎮座に大変縁のある場所です。ご祭神女別当命は琴御館宇志の御妻君であり、持統天皇の御代697年に創建されたと伝えられています。ご祭神女別当命(わけすきひめのみこと)(唐崎神社社殿・北側から)(同上・南側から) 唐崎神社を出て、北隣の緑地・唐崎苑に向かいますが、本日はここまで。 上記の過去記事の修復という面倒な仕事もありますので・・。 (つづく)
2020.10.09
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半年ぶりに囲碁例会が再開です。 マスク着用などコロナ対策をしての再開となりました。 ブログ記事を見ると3月11日が囲碁例会の最後の記事となっているから、実に7か月ぶりということになる。 朝、9時45分頃にMTBで家を出て、喫茶・ペリカンの家で珈琲タイムをとって、10時20分位にペリカンの家を出発。 中央大通り(R308)を西へ。 大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡り、滝川公園で暫し休憩。 利麻呂氏に囲碁例会再開の連絡をしていなかったことに気がつき、今日はもう間に合わないだろうが、次回の14日やそれ以降のこともあるからと、公園で彼にメールを打つ。 滝川公園から西へ100mほど行くと「れんげ亭」である。(れんげ亭) れんげ亭は「支度中」の表示。久しぶりにここで昼食をと思ったが、少し時刻が早過ぎたか。是非に及ばず。 天神橋商店街の通りへと向かう。 通りに出た処の左側角の建物の窓を一人のご婦人が覗き込んで居られるのが目に入り、ヤカモチも目をやると、窓際に、ガラス越しに沢山のフクロウが並んでいるではないか。 何やら面白い光景なので、カメラを向けたが、ガラス越しだとガラスが反射するため、ずらり並んだ姿を撮影することは出来ない。 仕方がないので、カメラを窓ガラスにくっつけて、アップで撮影することとした。(フクロウたち) これはメンフクロウですな。 少し、カメラを窓ガラスから離したので、撮影者のヤカモチの手やカメラが写りこんでしまっている。(同上)(同上) 「ここは何ですか?」とヤカモチ。 「フクロウのお店。フクロウを触らせてくれるの。」とご婦人。 もひとつ合点が行かないヤカモチであったが、余り質問を重ねるのも野暮というものと、会話を打ち切る。(同上) ガラス越しということで、このようなドアップの接近した撮影も可能。 と言うより、人に触られることに慣れているフクロウたちで、カメラが接近して来ても動じないということなんだろうか。(フクロウのみせ) 別役実の「ふな屋」が連想された。 「ふな屋」というのは、フナとお話しさせてくれるお店、というか露天商なのである。 夕方になると、お爺さんがリヤカーを引いてやって来て、公園の木の下で店を開く。ミカン箱の前に水槽を置き、お爺さんは客を待つ。水槽にはフナが泳いでいる。客は釣竿と釣り糸を借り、フナを釣るのではなく、フナとお話しさせて貰えるのである。 「フクロウのみせ」のフクロウと「ふな屋」のフナとを一緒にするなんて怪しからん、とフクロウは言っているようですが、「ふな屋」のフナだって、お客の垂れた釣り糸を「つんつん」とつっついて、そっとお話しをしてあげているのですから、フクロウさんたちとちっとも変わるところはないのですよ、とヤカモチは申し上げて置きました(笑)。 表にまわってみると、貼り紙がしてあって、「フクロウのみせ」はこの場所から近くの別の建物へ移転するようです。移転先では「フクロウに触ることは出来ない」ようで、移転の案内と共に、その旨の注意書きもされていました。「でも、お話しは出来ます。」と書いて置けばいいのに、というのはヤカモチの意見(笑)。 これまで何度となくこの前を通り過ぎていたのに、「フクロウのみせ」には気づきませんでした。引っ越しのために、店のフクロウたちを窓際に並ばせて、引っ越し作業と部屋明け渡しのための原状回復の工事をしているのかもしれない。お陰で、窓際のフクロウたちに気が付いたという次第である。 尤も、一人のご婦人が窓を覗き込んでいなければ、ヤカモチも気づかずにやり過ごしていたかも、であります。 梅田スカイビルに到着。 先ず、昼食。(Bar & Cafe ラーゴ・ディ・チェーロ・パルコ) 梅田スカイビルの付属棟の一つ、ガーデン5棟の5階に囲碁をする部屋がある。その1階にあるのがこの店。店の名前がなかなか覚えられない。 久々に入ってみると、従前は、喫煙席用の部屋であった部分が模様替えされていて、他のスペースと同じく、禁煙になっているようで、灰皿も置かれていない。従来無かったバーカウンターも新設されていた。カウンターに男性が一人、部屋側に二人連れ客がひと組、先客あり。 食事を済ませてから、スカイビル中庭の喫煙コーナーで一服。ヤカモチが現役の頃の会社の知り合いD君とバッタリ。少し言葉を交わす。 里山を少し散策してから、会場の部屋へ。まだ誰も来ていない。 暫くして、村〇氏が来られ、遅れて平〇氏が来られ、本日はヤカモチを入れて全3名と寂しい再開初日となりました。 対局の方は、村〇氏に中押しで負け、平〇氏には十数目の大差で負け、2戦2敗と、いいところなしでありました。 帰途は雨がポツリ落ちたりしていましたが、自宅近くになるまで、降り出すことはなく、自宅まで数十メートルという辺りで、雨粒が大粒になり、やがて本降りとなりました。しかし、その頃にはもう家の中でありましたから、囲碁は不調なるも、銀輪散歩は順調であったという次第。<追記>囲碁関連の過去記事は下記の通り。 囲碁関係 2008~2019.6. 囲碁関係(その2) 2019.7.~ 鳥関連の過去記事はコチラ。(余談)前ページ記事で述べましたプリンターの反抗ですが、今朝(10月8日)、ひょっとすると正常に復しているかもしれないと、試しに印刷をしてみたら、正常に印刷ができました。丸2日間放って置いたら、プリンターのご機嫌も直ったとみえて、「反抗」は止んでいました。あの不具合は何であったのか、不具合の原因もその解消の経緯・理由も不明ですが、先ずはめでたし、めでたしであります。今後は、横着をせず、正しい手順でインク・カートリッジの交換を行うように努めます。以上、ご報告まで。
2020.10.07
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A4版全64ページの文書を作成し、それをプリントアウトしていました。 両面印刷で10セット、プリントアウトする予定で、そのように印刷設定して、プリンターに接続、印刷を開始しました。 1セット目の途中でC(シアン)のインクが無くなった旨のメッセージが表示され、プリンターの動作が一時停止しました。 この場合でも「OK」欄を押すとそのまま印刷が再開されますので、そのようにしました。インクが無くなると色に変化やムラが生じるので、そのようになれば、インク・カートリッジを交換しようと考えました。 ケチった訳ではありませんが、上記のような表示が出ても、かなりの枚数は問題なく印刷できるということを過去の経験から知っていたので、色ムラが出だしたら、交換しようと考えたのでありました。(そいうのを「ケチっていると言うのだ。」という声もしていますが<笑い>。) 2セットまで問題なく印刷完了。 3セットの終わり位から、字によっては赤みがかっている部分が少しばかり出て来ました。 しかし、それほど目立つほどではない。ということで、4セット目もそのままにしていました。すると、かなり赤っぽい字の部分が多くなり、見苦しい様になってまいりました。 それで、インクを交換すべく、インクカートリッジ・カバーを開け、インクの交換をしました。予備のシアンのインクカートリッジの買い置きがあったからです。 古いのを外し、新しいカートリッジをパチリとはめ込みました。カバーを閉め、OK欄を押すと、印刷が再開しましたが、新しいインクに交換したのに、色ムラは変化なしです。 そういえば、インク交換をすると、新しいインクを認識しました、というようなメッセージがプリンターに表示されていたことを思い出し、今回はそれがなく、印刷が再開されたから、プリンターは新しいインクカートリッジを検知し損なっているんではないかと考えました。 で、印刷をストップし、カバーを再び開け、Cインクカートリッジ(正しく赤ランプが付いていましたが)を外し、もう一度、カチリと嵌め直しました。赤ランプが正しく点灯しています。 すると、プリンターの画面に「使用履歴のある純正インクを検知しました。」というメッセージが表示されました。 OKを押し、PCの当該文書についての印刷設定をして、印刷を開始しました。てっきり、正しく印刷されたものが出てくると期待したのですが、完全に期待は裏切られ、インク交換前と変わらぬ色ムラの状態で、印刷物が出て来ました。すぐにストップを押して、中断。 プリンターの電源を入れ直し、印刷を再度トライ。結果は同じでした。 全く新しい純正インクのカートリッジなのに、「使用履歴のある・・」インクというように認識されると、そのカートリッジからのインク供給はストップしてしまうというシステムになっているのか。 たまたま電話してきた友人に、この話をしたところ、「自分のプリンターでは、使用中のインクカートリッジを一度外し、すぐに再セットしても、問題なく動き、印刷に支障は生じない。」とのこと。 訳が分からないので、ネットで、プリンターについての相談窓口の「よくある質問」とかいうのをチェックしてみたが、このようなことについて説明しているものは見当たらない。 我が家で使っているプリンターは、これが2代目で、現在のものはキャノンのピクサス・TS8030という型式のもの。 仕方がないので、キャノン・パーソナル機器修理受付センターに電話照会してみようと思っています。平日・土曜9:00~17:00の受付らしい。 明日か、明後日にでも電話してみるつもり。 同じような経験をなさったお方がいらして、対処方法をご存じでしたらご教示いただけると幸甚に存じます。 ということで、印刷は何であれ、暫しお預けであります。 困った、困った(笑)。 尤も、コピー機能は問題ないようで、正しく印刷されます。 つまり、インクノズルが詰まっているなどという物理的な不具合ではないようであります。念のため、自動クリーニングの操作もしてみましたが、特に変化はありません。(問題のプリンターです。PIXUS TS8030)
2020.10.05
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昨日2日は月例の墓参でした。 ツユクサの咲く朝の道を・・。(ツユクサ) ツユクサは、万葉では月草、都岐久佐、鴨頭草などと表記され、「つきくさ」と訓む。 友禅の下絵はツユクサの青い花(苞葉)からとった染料で描くとのことで、滋賀県の草津辺りでは、それ用にツユクサが栽培されている。 この花で衣を摺り染めにした。「つきくさ」と呼ぶのは染め色が付きやすいというところから来ているのだろう。 つきくさの染め色を縹(はなだ)という。縹は移ろいやすい色、すぐに消えてしまうので、下絵には適しているという訳であるが、そんなことから、つきくさは「移ろひやすいこと」の比喩として使われる。 また、朝に咲いて、夕べには萎んでしまうので、「消ゆ」や「はかない命」の比喩としても使われる。鴨頭草の仮れる命にある人を いかに知りてか後も逢はむとふ (万葉集巻11-2756) 鴨頭草というのは、花の形から鴨の頭を連想してのものだろう。 ホタルグサともいうが、これは、黄色い蕊と下部の白い苞葉に蛍火を連想したものであるか。 トンボグサともいう。これは学生時代に付き合っていた女性がそのように呼んだことで、初めて知った名前であるが、2枚の青い苞葉をトンボの目玉と見ての呼称だろう。(同上) ホタルグサやトンボグサという名前ではそうは言えないが、「朝咲き夕は消ぬる」という儚い「つきくさ」の咲く道というのは、墓参の道としては似合いの道というものであるだろう(笑)。(同上) ツユクサは、ヤカモチの好きな花の一つでもある。 青い色が印象を深くする。白花のツユクサもあるようだが、ヤカモチはまだ目にしたことがない。 トキワツユクサは白い花であるが、花の形が少し異なる。このツユクサの形のままで白い花というのはどんな印象になるのだろう。 まさか花白(鼻白)む眺めということはないだろうと思うが。 ツユクサに混じって、イヌタデも咲いている。(ツユクサとイヌタデ) 墓参の坂道に取り掛かる。 少し上った先の民家の庭先のギンバイカの実。どんなものかと今月も覗いてみたが、ご覧の通り、さしたる変化はなしである。(ギンバイカの実) 暗紫色というか黒く熟したら食べられるそうなので、ブルーベリーのような味がすれば上首尾ということになるが、一粒だけ無断で試食してみる気でいるヤカモチなのであります(笑)。殺虫剤などが噴霧されていないことを祈るのみ。(ギンバイカのほつ枝と秋の空) さらに坂を上ると「門前の言葉」の寺であるが、今回も門前の言葉は掲出されていない。まだ休眠中である。 墓参の折に、掲出された「言葉」について、あれこれ書くというのも、当記事のお決まりのパターンになっていたが、この一年、そのパターンから遠ざかっています。(門前の言葉休眠中) 寺の門前を通って、一つ南側の坂道に移る。 その途中にある空き地にはザクロの古木がある。 沢山の実がなっている。(ザクロ) 南側の坂道を少し上るとテニスクラブがある。 その手前で咲いていたのがアメジストセージ。(アメジストセージ) 別名がメキシカンブッシュセージというから、中南米原産の花か。メキシコゆ 来たりしものか 紫に アメジストセージ 燃えて咲きたる (偐紫田舎家持) そして、テニスクラブを過ぎた道端に咲いていたヒガンバナは・・。(ヒガンバナ) 舗装のわずかの隙間を見つけて顔を出した、ど根性ヒガンバナである。天上に 咲く曼殊沙華 地にあれば 地獄の割れ目も 一定住処 (難渋沙華) この先から坂道は急登となる。 マンチュウシャカならぬ難渋坂なのである。 急坂を上りきった処に小さな池があり、その畔にアキニレの木が一本ある。秋楡の木に夏藤がまといついて豆鞘をつけている。 秋に夏がまといついているなんぞは、いかにもこの時期らしき風情ではないか。ニレにはハルニレとアキニレがある。春に花咲くのがハルニレで、秋に花咲くのがアキニレで分かりやすい。西日本で目にするニレはアキニレと見て先ず間違いがない。 この木はカブトムシやクワガタムシが樹液にたかっていることが多く、子どもの頃には、この木を先ず探ったものである。(アキニレの実) アキニレの傍らの草叢には、イタドリの雌花がキラキラと日に輝いているのでありました。(イタドリの雌花) もう墓地の入り口である。 ヤカモチの人生の残高もかなり乏しくなっているから、今現在のその立ち位置もこの付近になるのだろう(笑)。 西行さんは、桜を愛し、桜の咲き盛る時に死にたいと願い、その通りに死んだようだが、太宰治の「斜陽」にも「お母さま」の言葉で似たようなのがあったような、と書棚の奥の奥から本を引っ張り出して調べてみたら、こんな部分があった。「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていふけれども、本當かしら。」けふもお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんな事をおっしゃった。(略)「私は、ねむの花が好きなんだけれども、ここのお庭には、一本も無いのね。」とお母さまは、また、しづかにおっしゃる。「夾竹桃がたくさんあるじゃないの。」私は、わざと、つっけんどんな口調で言った。「あれは、きらひなの。夏の花は、たいていすきだけど、あれは、おきゃんすぎて。」「私なら薔薇がいいな。だけど、あれは四季咲きだから、薔薇の好きなひとは、春に死んで、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければいけないの?」二人、笑った。 上で、ツユクサの花が好きと書いたから、ヤカモチは夏から秋にかけて死ぬのであるか。 萩やコスモスも好きだから、秋かな? 梅や桜も好きだから、春かもしれない。 ひとり苦笑である(笑)。 60年に1回咲くというリュウゼツランの花を愛するひとは、一度、死ぬチャンスを逸したら、次に死ねるのは、早くても60年も先のことになるのだろうか。 まあ、こういう呑気なことを思っているひとには次の花が似合いでしょうか。(ゴクラクチョウカ) この花は、墓参の折に撮影したものではなく、喫茶・ペリカンの家でランチした後の帰り道に、信号待ちをしていて、ふと道脇に置かれている鉢植えに気が付いて撮影したものである。(同上) いかにも極楽鳥な花である。(同上) 極楽トンボならぬ極楽鳥の花である。 うつそみのはかなき命の比喩ともされ、トンボ草とも呼ばれるツユクサで始まり、天上の花(マンチューシャカ)のヒガンバナへと展開した、本日の記事にてあれば、その締め括りとしては、極楽トンボとも語呂の合うこの花こそが相応しいでしょう。<参考>花関連の過去記事は下記参照。 花(1)・2007~2011 花(2)・2012~2016 花(3)・2017~2020.3. 花(4)・2020.4.~
2020.10.03
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今日10月1日は中秋の名月である。 と言っても、ススキや萩や里芋やお団子を供えてのお月見をするということはない。ヤカモチの子供時代にはそんな風習も残っていて、庭にそのような設えをして月の出を待ったものであるが、今はベランダからお義理程度に月を眺めるだけにて、情緒も何もあったものではない。 旧暦では7月、8月、9月が秋である。7月は初秋、8月は仲秋、9月は晩秋になる。8月仲秋の真ん中の15日が中秋の名月となる。実際の月の満ち欠けと暦とは一致しないので、中秋の名月が満月とは限らない。今年の名月もそのようです。 中秋の名月は芋を供えることから「芋名月」とも呼ばれる。 もう一つ、名月がある。旧暦9月13日の月である。 中秋の名月が単に「十五夜」と呼ばれることもあるように、この名月は単に「十三夜」とも呼ばれる。また、栗や枝豆を供えることから、「栗名月」または「豆名月」とも呼ばれる。 今年の十三夜は10月29日になるので、今夜お月見をされたお方は、忘れずに十三夜のお月見もなさって下さい。どちらか一方だけの月見は、片見月または片月見と言って縁起が悪いとされていますので。もっとも、これは江戸時代の遊里での話ですから、令和の今どき「縁起が悪い」なんてことを思う人はいないでしょうが(笑)。 お月見についての詳しいことは、下記<参考>をご参照下さい。<参考>月見・Wikipedia 中秋の名月 2013.9.19. さて、十五夜、十三夜の「お月見コンビ」ではないですが、KKコンビのお話であります。 妹からケンとカエデの写真が数枚送られて来た。 カナダ在住の、彼女の娘(即ち、ヤカモチにとっては姪)Mの子どもたちである。 カエデもケンも当ブログに以前に登場済みであるが、2年ぶりにて見違えるように大きくなった姿にほっこりでありました。<参考>カエデとケンの写真掲載記事は下記。 ケンとカエデがやって来た 2018.4.9. 墓参・ザクロとマルバルコウソウ 2017.9.2. コロナの所為で来日は出来ないから、当分は再会叶わぬとて、写真を送ってくれたのであろう。(カエデとケン) カエデとケンが来日したのは一昨年の4月のこと。 二人とも随分大きくなりました(笑)。 上の写真は、ケン3歳の誕生日のもの。(カエデ) お姉ちゃんのカエデは勿論、楓の意であるが、カナダでは、カエデでも楓でもなくKaedeである。 万葉では蛙手であるなんぞということは、彼女には教えない方がいいだろうと思う(笑)。 随分と女の子らしくなりました。(ケン) ケンも大きくなりました。 ケンは、Kenseiで、Kenはヤカモチの名の漢字・ケンを頂戴した、とは姪Mの弁であるが、漢字圏ではないカナダであるから、KenseiのKenを漢字で表記する機会はないことだろう。 それにしても、上の写真のポーズなかなか決まっているではないか。 吾輩の「ケン」を名乗るだけのことはある(笑)。 コロナが収まって、二人にまた会えることを楽しみにしています。
2020.10.01
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