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【じゃんけんは日本で19世紀後半に誕生し、日本文化とともに世界に広まったといわれている。(中略) 日本に滞在するフランス人のブログ「L Echappee Belle de Christelle」では、日本のじゃんけんについて、自国とは少し異なる印象がつづられている。 「フランスでじゃんけんといえば、小学生の頃に友人と遊んだというおぼろげな記憶しかない。しかし日本で生活を始めてから、じゃんけんをする機会が増えた。日本では、子供の遊びだけではなく、年齢や性別を問わず、誰とでもじゃんけんをする」と述べている。 また、フランスでは話し合いで物事を決めるが、「日本では、じゃんけんで物事を決めることがある」と記している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/サーチナニュース:2010年1月28日) 外国人から見れば、日本の「じゃんけん」は、記事のように奇異に思えるのだろう。記事が指摘するように「じゃんけん」は、試合の先攻後攻を決めたり、特定の一人を選んだりの、「物事を決める」一つの手段として活用されている。 もちろん、外国にも「コイントス」と言う「物事を決める」手段がある。また、マッチ棒などを利用してのクジや、ダイス(サイコロ)やトランプ(カード)を使用する事もある。これら外国の方法のどれと比べても、「じゃんけん」の優位さは動かない。周知の事ではあるが、以下に「じゃんけん」の利点を幾つか記す。 コイン・クジ・ダイスなど、必要とする物が一切いらない。その事から、何時でも、何処でも、誰とでも(「じゃんけん」を知っている人なら)できる。かなりの多人数でもできる。多人数の中から一人の勝者も決めることができる(人数が極端に多い場合は、「多い者勝ち」や何組かに分かれて。)。多人数の全ての順番を決める事が出来る。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.31
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【伊豆の国市などの市民有志で組織する「伊豆どろんこの会」(白井忠志会長)はこのほど、5月23日に同市の休耕田で「伊豆どろんこフェスティバル(どろフェス)」を開催することを決めた。(中略)同市の狩野川でカヌー体験活動に取り組む実行委員長の上野裕晃さん(51)は「最近の子は泥に触れる機会が少なくなっている。大人も子どもも泥んこになり、心から笑い合える場をつくりたい」と意気込む。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/静岡新聞:2010年1月29日) 「泥んこ遊び伝えたい」の見出しが目に留まった記事だが、確かに都市部では、昔に比べて「泥んこ遊び」ができる場所が激減している。「泥んこあそび」に適・不適はともかく、土の地面そのものが露出している場所がほとんど無いからだ。公園の広場や学校の校庭でも、地面の整備が行き届き、水はけも良いところが多く、「泥んこあそび」が難しくなっている。 また、こどもの「泥んこあそび」を好ましく思わない親御さんも少なくないし、こどもたちの服装や履物も「泥んこあそび」には、あそびそのものに不向きか、泥では汚せない仕様のものも多い。さらに、こどもたち自体が嫌がる傾向もあるようにも感じる。 今、都市部で「泥んこあそび」を見る事ができるのは、こどもたちにあそびにかなり寛容な(特に、こどもを通わせる保護者の考えが)保育園か学童保育所などくらいだ。そこでは、本当に楽しそうにあそんでいる、こどもらしいこどもたちの姿を見ることが出来る。 だから、嫌がるこどもたちは、ひょっとしたら、それまでの成長過程で、おとなたちにそうさせられたのかも知れない。しかし、安心していただきたい。そんな、一見おとなびたこどもたちでも、勇気ある誰かが「泥んこあそび」を始めれば、やがてそのあそびに自然と加わるようになる。それもまた、こどもらしい姿なのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.30
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(その1からの続き)【子どもの読書推進とボランティア育成を目的とした「わたしにもできるかも読み聞かせボランティア講座」(奥州市教委主催)は26日、奥州市水沢区のメイプル地階えほんの森で開講した。(中略)サークル「芸術あそび虹色の部屋」を主宰する盛岡市の桜川ちはやさんが講師を務めた。 桜川さんは▽子どもの想像力を育てる▽安心感で親子関係をうまく結ぶ―など絵本の大切さを説いた。実践として、声の表現法や読み聞かせの導入部に興味を引きつける手遊び、手作りのおもちゃなども紹介。ユーモアある話を楽しみながら、参加者は体を動かして読み聞かせの技術と工夫を学んだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/岩手日報:2010年1月27日) さて、絵本の楽しみ方、特にこどもにとっての楽しみ方は、「読み聞かせ」が万能ではない。時には、こどもたち自身で絵本(本)を読む機会も、「読み聞かせ」と同じくらいに持つことが大切だ。感情表現豊かな「読み聞かせ」は、確かに絵本の情景・情動をわかりやすくこどもたちに伝え、その結果として絵本をより面白くさせる。 しかし、それだけでは、こどもたちが文字や絵から、自らの力で想像をたくましくして、絵本の内容をつかみとる力を培う事は難しい。その力は、やはり主として、こどもたちが自分で絵本を読む事により豊かになっていく。自らが、絵本に書いてある文字を読み、文字の意味だけでなく、言葉が紡ぎ出す情景・情動を感じ取ることが大切なのだ。 また、文章に添えて描いてある絵によって、情景・情動をより豊かにとらえたり、その反対に、文章によって絵を一層感動的に味わう事も、こどもたちにとっては極めて貴重な経験となる。そして、それが少なくとも、文字を覚えた年代のこどもたちにとっての、基本的な絵本の楽しみ方と考えてよい。もちろん、「読み聞かせ」が、このステップへの楽しい土台となる。 ところで、前記のことを考慮すると、次のような「読み聞かせ」のやり方も意義のある事となる。それは、絵を見せないで、感情表現豊かな声だけを聞かせる方法だ。これは、文章(言葉)があらわす具体的な光景(絵)を、想像豊かに自らの心の中に描かせる事につながる。もちろん、本無しで語る「お話」も、同じだ。 言葉や文章から絵を思い浮かべるのとは反対に、絵から文章や物語を想像する絵本の楽しみ方もある。と言っても、これは文字が読めない歳ごろのこどもたちにとっては、ごく自然な絵本の見方だ。楽しい「読み聞かせ」を沢山経験したこどもたちは、いつでも手の届くところに絵本があれば、そうした絵本の楽しみ方をするのは珍しくない。 この様に、絵本の楽しみ方は「読み聞かせ」だけでなく色々ある。もちろん、「読み聞かせ」は、絵本の様々な楽しみ方への、極めて有用な入り口となる。その入り口の先は、本という知の大海へと広がっている。なお、私の学童保育での経験では、本好きにするには、幼児でなくても小学生からでも、「読み聞かせ」は遅くはないので、お試しを。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.29
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【子どもの読書推進とボランティア育成を目的とした「わたしにもできるかも読み聞かせボランティア講座」(奥州市教委主催)は26日、奥州市水沢区のメイプル地階えほんの森で開講した。(中略)サークル「芸術あそび虹色の部屋」を主宰する盛岡市の桜川ちはやさんが講師を務めた。 桜川さんは▽子どもの想像力を育てる▽安心感で親子関係をうまく結ぶ―など絵本の大切さを説いた。実践として、声の表現法や読み聞かせの導入部に興味を引きつける手遊び、手作りのおもちゃなども紹介。ユーモアある話を楽しみながら、参加者は体を動かして読み聞かせの技術と工夫を学んだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/岩手日報:2010年1月27日) 私も、娘たちに、時には膝の上に抱っこしながら、時には寝床の中で、絵本を読み聞かせてあげた経験がある。ひょっとしたら、男親では珍しい方かも知れない。また今では、上の娘は自分の娘に絵本の「読み聞かせ」をしている。しかも、昔読んだ同じ絵本でだ。もちろん、学童保育師(指導員)をやっていた頃は、小学生たちにも機会がある度に「読み聞かせ」をしていた。 この様に、絵本の楽しませ方(こどもたちから見れば絵本の楽しみ方)の一つのに、「読み聞かせ」がある。幼児はもちろんの事、小学校の高学年に至るまで、こどもたちには大変人気がある絵本の楽しみ方だ。出来れば自分を愛してくれる人に、読んで聞かせてもらう事は、「読み聞かせ」以上の経験を、こどもたちは受け取ってくれるだろう。 絵本の「読み聞かせ」は、こどもたちに本好きになってもらうには、極めて有効な活動だ。その効果を上げる意味で、記事のような取り組みが大切となるのだろう。だからと言って、あまり技術や工夫に、囚われすぎないように、リラックスして読み聞かせてあげるのが良い。読み手が、こども好きで本好きならば、こどもたちは必ず感動してくれるからだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.28
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【野外活動に役立つ技能や知識を学び、検定試験を行う全国初の「野外力検定」(アウトドアチャレンジ運営協議会県実行委員会主催)が24日、仙台市青葉区の宮城教育大付属小であった。(中略)参加した延べ約180人の小学生らは手旗信号やナイフでの鉛筆削りなど12種類のゲームに挑戦した。 野外力検定は、家庭用テレビゲームの普及により屋内で遊びがちな子供たちに、野外で友達とともに遊ぶ楽しさを教え、日常の暮らしで役立つさまざまな技能を身につけてもらおうと協議会が創設。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2010年1月24日) この記事も、今のこどもたちの「外あそび」の少なさを憂い、何とか「外あそび」の楽しさを教えようとする、全国各地で盛んに取り組まれている活動の一つで、大いに意義のある取り組みとなっている。ただ、この様な「外あそび」の楽しさを教える取り組みが始まって、すでにかなりの年数が経っているが、「外あそび」は減るどころか、未だに増加している。それだけ、こどもたちの「外あそび」の復興は一筋縄では進まない、難しい諸問題が山積していると言って良い。 記事が、「外あそび」減少の理由に挙げている「家庭用テレビゲームの普及」も、考えれば「家庭用テレビゲーム」を考案・製作・販売する企業の姿勢(営業理念)の問題もさることながら、それに魅かれるこどもたち自身の問題、疑問は持ちつつもこどもたちに与えてしまう親たちの問題、それ以外の問題も含めて、それぞれが複雑に絡み合って、記事のような対症療法的な取り組みでは、「外あそび」減少のスピードには追いついていかないのだ。 こどもたちが再び「外あそび」を満喫できるようにするには、やはり「外あそび」を妨げたり難しくしている、あそび時間、あそび場(空間)、あそび仲間などの、「あそびの三間(さんま)」を着実に改善していく事が大切なのだ。そうすれば、記事のような取り組みも大いに生きてくるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.27
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【松本市笹賀の二美西公園で昨年12月28日、複合遊具で遊んでいた小学3年生の男児が、背中に差し込んだエアガン(67センチ)が遊具に引っ掛かって宙づりになり、着ていた服で首が絞まって窒息し、今月になって死亡していたことが22日、分かった。(中略)公園の安全を考える市民団体「プレイセイフティネットワーク」(神戸市)の山本恵梨代表は「幼稚園のバッグやランドセル、おもちゃを持ちながら遊ぶと、思わぬ事故につながる恐れがある。フード付きの上着やコートも注意が必要だ」と話した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2010年1月22日) 次に、遊具の形状も複雑になっている。形状・構造が複雑になる事は、出っ張り部分や凹み部分を増やしたり、その形状さえも複雑にする傾向を強くしかねない。もちろん、不必要な装飾過多は論外だが、遊具としての機能よりも装飾的デザイン面が優先されていると思われる遊具も増えてきている。この様な遊具の変化だけで、事故が増える要因とはならないが、次に述べる衣服の変化を合わせると、相乗的な効果として事故増の一つの要因となるだろう。 こどもたちが普段の生活で着用する衣服も、単純なものからデザイン・装飾に凝ったものが増えてきている。特に、不必要なくらいに裾や袖が長いもの、何かに引っ掛けやすい飾り・紐類など、同じくポケット・フードなど、こどもたちのあそぶ服装としては、相応しくないものが近年目立ってきている。 この様な、遊具と服装の変化が相乗的に働くと、今までには予想できなかった事故、それも重大事故が、起こる一つの要因となるだろう。考えれば、学校の体育授業の時、こどもたちは体操着に着替えている。それは、身体を動かす事に適した服装が必要なのだ。ともすれば、体育よりも複雑・激しい身体の動きの多い、遊具を使ったあそびにも、ふさわしい服装があって当然だ。 今、外あそびが少なくなったと言われるこどもたち、メーカーや親・保護者などのおとなたちが、こどもたちに提供する服装が、外あそびに不向きな服装では、外あそびが昔のように盛んになるわけがない。それどころか、その服装が原因で、命さえも失う遊具事故に遭う場合もある。今一度、こどもたちのあそびを服装から見直す事が必要になっているかも知れない。服装だけでなく遊具の有り方も含めて、シンプルイズベストだと思うのだが。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.26
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【松本市笹賀の二美西公園で昨年12月28日、複合遊具で遊んでいた小学3年生の男児が、背中に差し込んだエアガン(67センチ)が遊具に引っ掛かって宙づりになり、着ていた服で首が絞まって窒息し、今月になって死亡していたことが22日、分かった。(中略)公園の安全を考える市民団体「プレイセイフティネットワーク」(神戸市)の山本恵梨代表は「幼稚園のバッグやランドセル、おもちゃを持ちながら遊ぶと、思わぬ事故につながる恐れがある。フード付きの上着やコートも注意が必要だ」と話した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2010年1月22日) 亡くなられた男の子のご冥福を祈り、こうした痛ましい遊具事故が無くなることを願いつつ、この問題についての私見を綴っていく。遊具に衣服や装着物・所持品の一部を引っ掛けての事故は少なくない。特に、首周りの装着物(衣服を含む)を引っ掛けた場合、命に関る重大事故につながる危険性が高いと言える。 こうした、首周りの装着物(衣服を含む)を引っ掛けた事による事故は、昔もあったとは思うが、個人的な印象で言えば、近年増加の傾向にあるように思われる。それには、幾つかの要因が考えられる。まず、公園にある不特定多数のこどもたちが利用する遊具そのものの変化がある。 最近の特徴的な傾向として、まず遊具が大型になっている事がある。大型複合遊具はその典型で、こども、時にはおとなの背丈を、はるかに越える遊具も少なくない。また、一つの遊具全体に対して背丈以上の高所の占める割合も高くなっている。高所の存在は、こどもたちにとっては魅力でもあるが、事故のリスクも高くする。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.25
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(その2からの続き) もし、こどもたちに豊かな観察力を育もうと思うのなら、相手を必要とするあそび、できれば沢山の相手が必要な集団あそびをさせるのが良い。それも、同じあそびだけでなく、様々なジャンルのあそびが望ましい。あそびの違いにより、育まれる観察力は違ってくるからだ。 もちろん、違うあそびを次々と変えるのは間違いで、一つのあそびを十分に堪能して、厭きれば次のあそびというようにするのが望ましい。おとなが変にこどものあそびに関らなければ、こどもたちは自然にその様なあそび方をするものだ。あそびを適度な期間続けながら、ジャンルの違ったあそびをいろいろする事により、様々な観察力を養う事ができる。 そして、こどもたち個人個人のあそびの経験は、当然その期間やジャンルが違ってくる。それは、こどもたちそれぞれが培う観察力が、個性を持って違ってくる事を意味する。その違う個性(観察力を含む)を持っているこどもたちが、あそびを通して交流する中で、お互いに影響し合い、その個々の観察力がさらに磨きがかかってくるのだ。 この様な、こどもたちの個性と個性がぶつかり合うあそびが、昔に比べて少なくなってきている事を考慮すると、今のこどもたちは観察力が、昔に比べて乏しくなっているのかも知れない。それが、学力の低下の一つの背景ともなってはいないだろうか。こどもたちが再び、あそびの中で観察力を培えるようにと願っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.24
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(その1からの続き) さて、こどもたちが最も意識的に観察するのは、どのような時だろう。一つは、親や保護者、あるいは学校の先生など、自分たちを育て導いてくれるおとなとの関わりの中だ。こどもたちは、そうしたおとなの援助なくしては、日々の生活をまともに送れないからだ。それらのおとなたちから見放されないように、必死になっておとなたちをつぶさに観察する。 その次に、こどもたちの観察力が発揮されるのは、あそんでいる時だ。特に、あそび相手との競い合う(勝負する)あそびにおいて、鋭い観察力が駆使される。当然、するあそびの違いによって、相手の何を観察するのかも違ってくる。相手の手や足の使い方や身のこなし、時には相手の表情が語る心理を読み取ったりもする。その事は、相手に勝つための大きな条件ともなる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.23
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【「観察」は考えることの第一歩。親子のコミュニケーションを楽しみながら、観察する力を養いましょう。「子どもにやらせる」のではなく、「親もチャレンジしながら一緒に楽しむ」姿勢が大切です。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/Benesse 教育情報サイト:2010年1月21日) 人間の一生の内で、ある種の「観察力」が最も優れている時期は、乳幼児期から小学生の時かも知れない。親の顔や声を巧みに判別する赤ちゃんや、トランプの神経衰弱で簡単におとなを負かすこどもなど、それを裏付ける例は数多い。考えれば、衣食住を全ておとなに頼らざるを得ない、こどもたちにとっては、このある種の「観察力」が無ければ生きて行けない。 この乳幼児から小学生にかけての時期、脳内では、一方で新しい回路が急速に造られ、その一方でいらない回路が急速に壊されていく。生きていく上で必要な回路を造り、不必要な回路は壊されていくのだ。前記のある種の「観察力」は、このような脳内の動きの中で形成されるので、ある意味では鋭い「観察力」となる。 これまで論じてきた「観察力」に、「ある種」と言う装飾をつけてきたが、それには理由がある。乳幼児から小学生にかけての時期、特に乳児期に形成される「観察力」は、どちらかと言うと見たもの聞いたものなど体験した事を、無意識的に脳内に刻み付ける「記憶力」に近いもので、意識的な観察力は十分に育ってはいないと言える。 また、観察したものを言語によって再認識する高度な観察でもない。その観察力は、幼児期での言語の習得により、徐々に獲得されていく。また反対に、初期の観察力は、言語の獲得にも大きく貢献しているのも確かな事だ。なお、観察力は、「観察」の字にあるような目で見るだけの「観察」ではなく、聞いたり嗅いだり触ったりの、いわゆる五感を通した、対象物の認識と捉える必要がある。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.22
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【頭部に取り付けたヘッドセットで脳波を検出し、念じることでボールを浮かすというなんともアヤシゲで未来的な玩具がTOYフォーラム2010のセガトイズブースで展示されていたため、恐る恐るその性能を確かめてみました。(中略)プレイしてみた感想としては、ボールから目を離したりすると気を散らすとすぐに落ちてしまうので、まさに集中力を試されているという感じ。リングの位置までボールを上げるよう意識をコントロールしながらダイヤルを回すのは結構難しく、集中力だけでなく根性もいるような気がします。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/GIGAZINE:2010年1月18日) 「脳波でコントロールする玩具」と銘打っているものの、とても「コントロール」とは言い難いものだ。昨日のテレビでも、こどもたちが実際にあそんでいる様子を放映していたが、極めて異常な光景に見えた。脳波の強さで、ボールを浮かす送風機の強さを変える単純なものだが、実生活でその様な「念じ方」をして脳波を出す機会は、全くと言っていいほど無い。 また、「集中力」を鍛えるかと言えば、その集中の仕方も実生活ではほとんど無いばかりか、極めて異質な「集中」の仕方となる。「脳波」と謳われていれば、脳が鍛えられるかのような幻想も抱きかねない。確かに、無意味な「念力」や無意味な「集中力」は鍛えられる?かも知れないが、こうした脳の使い方をすると、かえって脳に問題を起こさないか危惧される。 脳内のシナプスが急速に発達しつつあるこどもたちが、普通の生活にはほとんど有り得ないような、脳の使い方をすれば、おとなより深刻な悪影響がでる可能性もある。こうした、馬鹿げた「おもちゃ」が広まらないうちに、科学的な調査研究が望まれる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.21
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(その3からの続き、引用記事は再掲)【宮城県警仙台南署は16日、仙台市若林区にある古城(ふるじろ)小学校の体育館に火をつけようとしたなどとして、非現住建造物放火未遂と器物損壊の容疑で、いずれも若林区に住む男子中学生2人=いずれも(14)=を緊急逮捕した。(中略)2人は若林区の中学校に通う同級生で、調べに対し「遊び半分でやった。怖くなり、自分たちで消火して逃げた」などと供述しているという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2010年1月16日) それに反して、あそび相手が少なかったり固定化すると、時には勝負が一方的になり、負ける経験が少なくなる場合もある。それでも、相手が人間の場合は、まだ勝負が変動する可能性が残される。しかし、相手が人間でないゲーム機(ゲームソフトの対戦相手)の場合、リセットや攻略本などで、必ず勝つ様にあそんだり、たとえ負けても人間の場合と違って、相手(ゲーム機)からは嘲笑されない。 この様に、あそび相手が少なく固定的であったり、機械相手のあそびでは、自己制御力を豊かに育む事は難しくなる。特に、あそび相手がいない、いわゆる「一人あそび」においては、多くの場合わがまま三昧の「あそび」となる。このわがまま三昧の「あそび」に慣れると、人相手の「あそび」は煩わしくもなり、ますます「一人あそび」に傾いて行く傾向が強くなる。 考えれば、極めて自明の事だが、この「一人あそび」において、楽しいのは自分だけなのだ。これは、「自分だけが楽しければ、それでいい。」と言う状況にもつながりかねない。だから、「いじめ」と言う「不法・不当遊び」が生まれる一つの所以だ。もちろん、そうした「自分だけが楽しければいい」が集団になっても、「その仲間だけが楽しければいい」となれば、集団による「いじめ」を生み出す。 仲間との「あそび」や「集団あそび」においては、その他にも、教え教わる関係、助け助けられる関係など、お互いに思いやる経験も少なくない。このような経験は、他の人を傷つける「不法・不当遊び」への歯止めともなる。仲間との「あそび」や「集団あそび」は、「不法・不当遊び」を根本的に防ぐ一つの手立てとなるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.20
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(その2からの続き、引用記事は再掲)【宮城県警仙台南署は16日、仙台市若林区にある古城(ふるじろ)小学校の体育館に火をつけようとしたなどとして、非現住建造物放火未遂と器物損壊の容疑で、いずれも若林区に住む男子中学生2人=いずれも(14)=を緊急逮捕した。(中略)2人は若林区の中学校に通う同級生で、調べに対し「遊び半分でやった。怖くなり、自分たちで消火して逃げた」などと供述しているという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2010年1月16日) 次に、予防的な方法として、「不法・不当遊び」をやらないような、人格・能力を幼い間に培う事が、さらに大切になる。その事を最も合理的に進めるには、あそび期(幼児から小学生)の「あそび」が決定的な意味を持ってくる。だからと言って、難しく考える必要はなく、ごく普通の「あそび」、特に他のこどもたちとの「あそび」や「集団あそび」がいいのだ。 何故なら、「あそび」全体を見れば、「不法・不当遊び」以外の「あそび」が圧倒的に多い。また、相手が必要な「あそび」は、基本的にわがまま勝手が通らないので、それぞれが自分自身を制御しないと「あそび」が成立せず、自己制御力を育む土壌となる。たくさんのあそび相手を必要とする「集団あそび」は、絶好の条件となる。 人は誰しも、嘘をついたり、人を欺いたりなど、道義的に許されない行為に走る誘惑に駆られる時もある。そんな時に、自分を制する力の程度が、実際にそうした誘惑に打ち克つ事が出来るかどうかを決める。「不法・不当遊び」を避けるためにも、当然この自己制御力が大いに力を発揮する。 また、相手との勝ち負け(勝負:しょうぶ)がある「あそび」は、自分の勝ちを喜ぶ事もあるが、相手の負けを喜ぶ(時には嘲笑う)場合もある。しかし、相手が人間の場合、いつも勝つわけではないので、負けて相手が喜ぶ事の辛さも経験する。あそび相手が多く居ると、その機会も多くなる。こうした経験により、相手の心の傷みも、我が身の実感として理解できるのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.19
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【宮城県警仙台南署は16日、仙台市若林区にある古城(ふるじろ)小学校の体育館に火をつけようとしたなどとして、非現住建造物放火未遂と器物損壊の容疑で、いずれも若林区に住む男子中学生2人=いずれも(14)=を緊急逮捕した。(中略)2人は若林区の中学校に通う同級生で、調べに対し「遊び半分でやった。怖くなり、自分たちで消火して逃げた」などと供述しているという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2010年1月16日) さて、この様に「遊び」や「面白さ」にこだわって論を進めてきたが、それには訳がある。それは、「面白い」事は、なかなか止められないと言う事を押さえた上で、「遊び半分」「面白半分」と称される、犯罪やいじめなどの不法・不当な行為への対処を考える事が大事だからだ。 では、このような「遊び」や「面白み(楽しみ)」としての不法・不当行為(「不法・不当遊び」と略記)を、止めさせたり、させないようにするには、どうすればいいのだろうか。法的にも厳しく罰したり、叱責・指導するのは当然として、その一方で、「不法・不当遊び」をさせない、繰り返させない、根本的な対策が必要となる。以下、私見を綴る。 まず、実際に進行している「不法・不当遊び」を止めさせる事を考えてみる。それは、「不法・不当遊び」の動機が「面白さ」にある事を考慮すると、一つの方法として、「不法・不当遊び」の代わりになる「遊び」、できればより「面白い遊び」をさせる事だ。もちろん、スポーツ・芸術(広義の「遊び」に入る)などの「面白い活動」もその代わりとなる。 ただ、注意しなければならないのは、そうした「面白い遊び」を、けっして無理やり押付けない事だ。どんな「面白い遊び」でも無理強いは、肝心の「面白さ」を奪ってしまうからだ。「面白い遊び」を、まずは知らせたり教えたりし、それだけでだめなら、共に遊んだりするなど、自発的に「面白い遊び」を始めるように配慮することが大切だ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.18
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【宮城県警仙台南署は16日、仙台市若林区にある古城(ふるじろ)小学校の体育館に火をつけようとしたなどとして、非現住建造物放火未遂と器物損壊の容疑で、いずれも若林区に住む男子中学生2人=いずれも(14)=を緊急逮捕した。(中略)2人は若林区の中学校に通う同級生で、調べに対し「遊び半分でやった。怖くなり、自分たちで消火して逃げた」などと供述しているという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2010年1月16日) Infoseek マルチ辞書によると、「遊び半分」とは【重要な物事をいいかげんな気持ちですること(さま)。】(【】内は「Infoseek マルチ辞書」から一部引用:2010年1月16日現在)となっており、この意味で考察すると、事件を起こした中学生の供述にある「遊び半分」は、少しニュアンスが違うようで、罪を軽減するための言い訳として使ったと考えられる。ただ、「遊び半分」のこの様な使い方は、ごく普通にあり、それはそれでいいのだろう。 しかし、この中学生の「遊び半分」で「やった?」事は、実は徹頭徹尾「遊び」でやったと考えるべきだろう。もちろんの事、「遊び」だからと言って、罪が軽減されるわけではない。記事の中学生の行為は完全に「遊び」であり、完全に「犯罪」なのだ。 一般に「遊び半分」で行われる犯罪行為は、半分どころではなく完全に「遊び」なのだ。また、「愉快犯」と呼ばれる犯罪も、その行為も「遊び」と考えていい。同様に、大麻や覚せい剤の使用も「遊び」である。もちろん、それらの行為が「遊び」であるからと言って、犯罪である事に変わりがない。 この「遊び半分」と同じニュアンスの言葉に、「面白半分」という言葉があるが、これもまた「面白がっている」のは半分ではなく、完全に「面白がってやっている」行為なのだ。例えば、「面白半分のいじめ」は、完全に「面白がって」いじめている行為なのだ。だからこそ、いじめを「面白がる」ことは、断じて許されない行為となるのだ。考えれば、「遊び半分」も、遊んで面白がっているのだから、この意味では「面白半分」と同義になる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.17
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【子供に有害というイメージばかり強調される携帯電話を子供に役立つツールにしていくため、「動く絵本●●●」は親と子の関係を高めるツールとして、発達心理学などの有識者の方々にアドバイスをいただきながら、設計を行っております。(中略)1. 電車やバスなどの移動時間に赤ちゃん・子どもが集中する何かが欲しい ⇒ Flash絵本、動画コンテンツは乳幼児が興味のある素材を絞り込み、親子でコミュニケーションを取りながら、楽しめる内容となっています。 2. 子育てには、ただ遊ぶだけでは物足りない、子どもの実生活に役立ち、親と子で達成感を感じたい ⇒ 「動く絵本●●●」のコンテンツはしつけ、早期学習を概念に置き、ただ楽しむ以上の一歩進んだコンテンツを提供します。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/Dream News (プレスリリース):2010年1月12日、元記事の●●●部には固有名詞が入る。) 「動く絵本」は絵本とは全く異質なものとは思うが、この記事で気になったのはそんな事ではない。「電車やバスなどの移動時間に赤ちゃん・子ども」に「動く絵本」を見せる事と、「子育てには、ただ遊ぶだけでは物足りない」と言う個所だ。 この「動く絵本」は、携帯電話のコンテンツ(ソフト)で、0歳から6歳までのこどもたちを対象としている。ただでさえ、小さな携帯画面を幼いこどもたちが見続ける事は感心できないのに、目に有害な不規則な振動のある「電車やバス」の車内で見せる。コンテンツ提供企業は、この事のおかしさに気付いているのだろうか。 携帯電話を使用して、コンテンツを楽しむ事そのものは、おとなはもちろんの事こどもたちに対しても、それなりに意義のある事ではある。だからと言って、幼いこどもたちへのコンテンツの提供については、企業には節度が望まれる。ナイフや小刀などの刃物の扱いが大切だからと言って、こどもたちに無造作に与えはしないのが、おとなとしての節度だ。そうした節度がないからこそ、大変便利な携帯電話を「子供に有害」なものにしてしまうのだ。 さて、前記の事よりも気になったのが、「ただ遊ぶだけでは物足りない」と言う一節だ。これは、記事の「動く絵本」のコンセプトだけでなく、他にも「知育絵本」「知育玩具」「脳トレ玩具」などなど、こどもたちの「あそび」に、様々な「別の目的」を持たせようとするコンセプトは、巷に満ち溢れている。 この事が、こどもたちの成長・発達、強いては学力の形成にとっても、有用だと言われている「あそび」を、全く台無しにしてしまっているのだ。「あそび」に、「別の目的」を持たせれば持たすほど、こどもたちの成長・発達・学力の形成を損ねてしまう事は少なくない。もし、あそびに何かを期待するなら、「ただ遊ぶだけ」が最も効果的なのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.16
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【初詣で“おみくじ”を引いた人も多いと思うが、そんな運試しが楽しめる“マッチ”が登場した。兼松日産農林から発売されている「おみくじ燐寸」(210円)だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ウオーカープラス:2010年1月14日) 先日、夕食で久しぶりに鍋を囲む事となったが、我が家の卓上ガスコンロは旧式なので、着火にはマッチが必要なのだが、なかなか見つからなかった。考えれば、家庭でマッチを使用する機会は、極めて少なくなった。ガス器具の多くは電子着火装置が付属しており、タバコを吸う人が居る家庭でも、ライターで火をつける。これでは、マッチが減るのは当たり前。 さて、記事のように特製のマッチだけでなく、マッチを着火以外に利用する事は、昔はマッチの利用頻度が高かったので、今以上に多くあった。こどもたちのあそびにも利用された。もちろん、マッチを擦っての火遊びは論外だが、マッチの軸(じく/棒)や空箱は、あそびの色んな場面で活用された。 終了した大人気のテレビ番組「脳内エステ IQサプリ」でも取り上げていたマッチ棒パズルは、今よりも昔の方が盛んだった。こども向けの雑誌などにも、毎回のようにマッチ棒パズルが掲載されていた。当然、解くにはマッチ棒を使ったのは言うまでもない。今のこどもたちは、マッチ棒パズルを解くには、マッチ棒より他の物で代用することが多いのだろう。 マッチの軸だけでなく、マッチ箱も様々なあそびに利用された。特に、少し底が深い、木(経木)製の箱は、そのまま小さな箱として利用したり、何個か糊で貼り合わせてミニチュアの箪笥(たんす)を作ったり、輪ゴム鉄砲などの的(まと)にしたり、ユニークなところでは、勝手に開くマジック箱の手品なども作った。 これらの、マッチとマッチ箱を利用したあそびは、今となっては懐かしい想い出のあそびだ。今や、マッチの擦り方(着火の仕方)さえ知らない、こどもたちも増えており、それを使ったあそびのほとんどは、「懐かしのあそび」となってしまった。ライターでは、これほどのあそびが出来るわけはない。便利になったが、失ったものも決して少なくはない。これも世の流れと言って、素直に割り切れないのが団塊の世代なのかも知れない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.15
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【正月遊びの定番だった、明治から昭和時代の色とりどりのすごろくを紹介する「目で見る双六(すごろく)」展が、高松市牟礼町牟礼の「石の民俗資料館」で開かれている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2010年1月9日) ところで、同じ「すごろく系」あそびでも、「サイコロ」を使うものと、「ルーレット」などを使うものがある。これは、ただ単に使う道具だけの違いだけでなく、実は確率論的な違い、すなわち進む目の出方に違いがあるのだ。「サイコロ」を1個だけ使う場合や「ルーレット」を使う場合は、どの目も均一(同じ確率で)に出る。しかし、「サイコロ」を2個使う場合は、進む目の出方が均一ではないのだ。 例えば、「2」や「12」が出るのは1/36で最も確率が低く、反対に「7」は1/6で最も出る確率が高い。何と6倍の差があるのだ。要するに、最小・最大の目が最も出にくく、それぞれ中央の値「7」の目に近付くにつれて順に出易くなっていくのだ。 これは、ほぼ自然や社会の多くの出来事の起こり方と似ており、例えばテストの最低・最高点は人数が少ないが、平均値あたりは最も人数が多くなる。その点で、「サイコロ」を2個使った「すごろく」あそびは、自然や社会の出来事を反映していると考えても良い。 なお、余談だが、「サイコロ」2個を振って出る、奇数の目と偶数の目は全く同じ確率で出る。これは、「丁半博打(ちょうはんばくち)」が成立する所以ともなっている。「すごろく系」あそびは色々あるが、この面白い特徴をもった「サイコロ」を使った、昔ながらの「すごろく」をお奨めしたい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.14
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【正月遊びの定番だった、明治から昭和時代の色とりどりのすごろくを紹介する「目で見る双六(すごろく)」展が、高松市牟礼町牟礼の「石の民俗資料館」で開かれている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2010年1月9日) 「すごろく(双六)」には「サイコロ」が付きものだ。と言うより、「サイコロ」を二つ使った遊びだから「双六」と言うのが正解だ。この「すごろく」あそび、「正月遊びの定番」となった正確な時期は定かではないが、江戸時代の頃には「双六売り」が正月に出たそうなので、少なくとも江戸時代には「正月遊び」として定着していたのだろう。 さて、現在でも、、昔に比べたら少なくなったとは言え、正月を前後して、巷には様々な「すごろく」が出回る。しかし、果たして、どれほどのこどもたちが「すごろく」であそんでいるのだろう。少なくとも、団塊の世代の私のこどもの頃(1950年代)に比べると、すごろくであそんでいるこどもたちは少なくなり、あそびの継続期間も短くなっているのは確実だ。 その一方で、「人生ゲーム」や「モノポリー」などの「すごろく」に似たあそびは、正月だけの季節的なあそびではなく、季節を問わない普段のあそびにも見られるようになっている。おそらく、「すごろく」よりも、あそぶ人数・頻度は多くなっているのではないだろうか。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.13
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【駄菓子界のスターとして昭和の子供たちを熱狂させた日本初の当たり付きアイスクリームバー「ホームランバー」(税込み63円)が今月、発売50周年を迎え、記念に濃厚な味わいの大人向け「プレミアムホームランバー」(同105円)が発売されるのだ。(中略)「ホームラン」「一塁打」などの当たりが子供の心をとらえた バーに「ホームラン」の焼き印があると、もう1本。「一塁打」のバー4本でも、もう1本。(中略)80年代から各地の駄菓子屋が姿を消し、同業他社はスーパー向けのお徳用箱売りアイスに重点を移した。協同乳業も当たりなしの10個パックを売り出したが、埋没感は否めなかった。89年に1本30円から50円に値上げすると、お得感を失ったためか、売り上げは下降線をたどった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/カナロコ(神奈川新聞):2010年1月11日) 団塊の世代の小学生時代ギリギリに、「ホームランバー」は発売された。当時、一般庶民のこどもたちが日常に食する氷菓といえば、アイスキャンディーが主流で、アイスクリームは値段が高く、たまに映画館で買ってもらって食べるくらいだった。 そのアイスクリームが、日々のお小遣い程度で買える事、その上「当り付き」と言う形で発売された。しかも、日頃から通いなれている駄菓子屋さんでの販売だ。当時のこどもたちに歓迎されないわけはない。「ホームランバー」は駄菓子屋さんと共に歩み続けたと言える。だから、記事の指摘のように、その衰退も駄菓子屋さんと共にする。 ともかく、「ホームランバー」は「当り付き」が人気の理由だが、その当り方にはもう一工夫があったのだ。それは、「当り」なら単純にもう1本と言うのではなく、「ヒット」ならば4本貯めなければ、もう1本もらえないと言う仕組みだ。要するに、さらに何本か買い続けなければ、賞品がもらえないので、こどもたちは買い続けることとなる。 そして、「ヒット」ばかりではなく、見事「ホームラン」が出れば、そのままアイスがもらえるので、「ホームラン」を引いた時の喜びが大きくなる。実に巧みな商法だと言える。こうした、「当り付き」菓子には、有名なところで「チョコボール」がある。どちらも、例え「外れ(はずれ)」でも、商品価値が価格とは、かけ離れていないことが、ヒットした理由ともなっている。 最近は、あくどい「当り付き?」商法が横行しているが、「ホームランバー」などの、良心的な「当り付き」菓子の、健闘を祈りたい。こどもたちがワクワクしながら期待はするが、けっして落胆はしないような「当り付き」菓子は、昔の駄菓子屋さんには沢山あった。そうした、駄菓子屋さんの復活の日を、こどもたち同様、待ち望んでいるのだが・・・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.12
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【[道がたり・Street Story] 歴史が刻まれた宿道、戦後復興の象徴となったメーンストリート、生活道、子どものころ石けりをしたスージグヮー…。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/沖縄タイムス:2010年1月1日) この様に、昔の路地は、こどもたちのあそび場として活用される中で、あそびという地域文化の伝承と、それを通じた世代間交流の、ひとつの場となっていたのだ。その事を可能していたのは、路地に車と言う物騒な代物が進入しなかった事と、舗装されていない土の地面が存在していた事だ。 しかし、時代の推移し、細い路地まで車が進出したり、ほとんどの路地の舗装化が進むと、路地であそぶ事が急速に難しくなって行く。それでも、車に神経を使いながら、今でも舗装された路面を活用したあそびは、こどもたちにより逞しく展開されている。ただ、それを見つめる人々の目は、昔のように優しい眼差しばかりでは無くなっている。 車は見知らぬ人たちを路地に運んでくる。そうした人たちの中には、路地であそぶこどもたちを、邪魔者扱いにする人たちも少なくない。もちろん、交通ルールからすれば、あそぶこどもたちに非はある。しかし、少なくとも路地は、人間優先にすべきではないだろうか。通行禁止とはいかないまでも、せめて車の方が遠慮するような心意気が欲しいものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.11
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【[道がたり・Street Story] 歴史が刻まれた宿道、戦後復興の象徴となったメーンストリート、生活道、子どものころ石けりをしたスージグヮー…。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/沖縄タイムス:2010年1月1日) 記事の「スージグヮー」とは、「筋小」と書いて、路地の事を指す沖縄の方言だ。なお、大阪では路地は「ろじ」と読まずに「ろおじ」と発音する。ともかく、路地はこどもたちの最も身近にある、屋外のあそび場だ。特に、まだ路地まで車がほとんど進入しなかった昔は、公園よりも専ら路地であそぶ事が多かった。 記事の「石けり」はもちろんの事、「かくれんぼ」「ゴム段とび(いちだんとび)」「どうま」「ビー玉」「コマ回し」「竹馬」「死刑(番号あて)」などなど、ありとあらゆるジャンルのあそびが、路地で展開されていた。家の直ぐ傍だから、当然周りの人たちに見守られていて、その意味で治安的にも安全なあそび場でもあった。 また、こどもたちにあそびの手ほどきをするお年寄りたちもいた。さらに、歩き始めて間もない幼児たちも、お兄ちゃんお姉ちゃんたちの、あそぶ様子を見て育つので、地域での世代を超えたあそびの伝承も、スムーズだった。そして、これらの事は、地域での世代間のコミュニケーション(交流)をも活発にしていたのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.10
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【子どもたちはどんな夢や目標を持って新しい年を迎えたのか。県内各地で小中学生に聞いた。 質問項目は「今年の夢・目標」と「政治や大人社会に求めたいこと」。(中略)「1年生から始めた習字がうまくなりたい」と目を輝かせる。大人へは「自宅近くの公園に遊具が少ない。体をいっぱい動かせるアスレチックみたいな遊具がほしい」と求めた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2010年1月7日) あそび相手が必須の遊具やおもちゃが減っていくのには理由があり、それは誰しもの想像通りに、こどもたちのあそびが一人あそびに偏重しているからと思われる。こどもたちが好む好まないに関係なく、一人あそび指向になれば、あそび相手必須の遊具・おもちゃの利用が減り、それらを製造・販売するメーカーも、その方向に営業方向を変えていくのは当然の事となる。 そうした遊具・おもちゃが供給され続けると、こどもたちの一人あそび傾向に拍車がかかって行くと言う様に、こどもたちの一人あそびを促進する、一つのスパイラル状況となる。そして、それは自ずとあそび仲間ではなく、遊具・おもちゃに依存するあそびの裾野を広げる事となるのだ。 この様なあそび環境にあるこどもたちにとっては、「自宅近くの公園に遊具が少ない。体をいっぱい動かせるアスレチックみたいな遊具がほしい」との訴えは、その是非はともかく極めて当然の訴えとなる。それでも、この記事のこどものように、屋外で身体を使ったあそびを指向するのは、まだ良い方なのかも知れない。 ひょっとすれば、室内で存分にあそべるゲーム機とソフトを欲しがっているのが、多くのこどもたちの本音かも知れないが、たとえそうだとしても、これらのこどもたちを含めて、ほとんどのこどもたちに共通しているのは、あそぶ時間を心底から欲していると、私には思えるのだが。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.09
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【子どもたちはどんな夢や目標を持って新しい年を迎えたのか。県内各地で小中学生に聞いた。 質問項目は「今年の夢・目標」と「政治や大人社会に求めたいこと」。(中略)「1年生から始めた習字がうまくなりたい」と目を輝かせる。大人へは「自宅近くの公園に遊具が少ない。体をいっぱい動かせるアスレチックみたいな遊具がほしい」と求めた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2010年1月7日) 記事には、引用部の他に数人の「夢と注文」が掲載されていたが、この引用部の大人への注文が気になった。記事のこどもの住む地域の公園はどうかはわからないが、団塊の世代の私は、今の公園は遊具が有り過ぎると思っていたからだ。昔は、遊具が少ないと言うよりも、公園自体が少なかったのだ。にも拘らず、「遊具を欲しい」とは、思ったことが無かった。 こうした印象は、決して引用記事のこどもだけの話ではない。今のこどもたちのあそぶ様子を見ていて、遊具やおもちゃに頼らないとあそべないと言う印象が強い。こうした印象は最近の事ではなく、私が学童保育に関り始めた1970年代末でも、すでにそうした思いを感じ始めていた。 学童保育のこどもたちを、何にも無い空き地に、あそびに連れて行った時のこどもたちの様子が、それを物語っていた。なかなかあそびが始まらないばかりか、「何にも無いやん!」と愚痴を言う子や、ただつまらなそうにぶらぶらしている子ばかりで、こどもの頃広い空き地に着けば、直ぐにあそびを始めた、私には信じられない光景だった。今のこどもたちが、このように遊具やおもちゃなどに頼らないと、なかなかあそべないのは、何故なのだろうか。ちょっとした思い付きを綴っていく。 考えてみれば、遊具やおもちゃは、基本的に一人であそぶか、一人でもあそべるような物がかなりの割合を占めている。言い換えれば、遊具やおもちゃの多くは、あそび相手を必要とはしていないのだ。例えば、公園などの不特定多数が利用するような遊具は、誰でもあそべる使用になっており、当然利用者が一人の場合もあり、一人でもあそべる仕様になっている。 もちろん、シーソーのように複数の利用者を前提とした遊具も有るが、遊具全体の中で、シーソーのように必ずあそび相手を必要とする遊具の占める割合は低い。また、最近の傾向として、公園に設置のシーソー自体が、少なくなりつつある。この辺の事情は、後に簡単に触れる。 一方、おもちゃの方は種類としては、遊具に比べて、あそび相手を必要とする物も多い。しかし、これもおもちゃ全体の割合からすれば、一人であそぶか一人でもあそべる物が圧倒的に多い。さらに、最近の傾向として、あそび相手が必須のおもちゃは減りつつあるようにも思われる。要するに、そうしたあそび相手必須のおもちゃは、売れ筋では無くなっているのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.08
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(その1からの続き) 年長のこどもたちの、「かくれんぼ」や「どろじゅん」などの「かくれ系あそび」が、衰退した原因はいろいろあるが、街の様子が大きく変化した事も一つの原因だ。「かくれ系あそび」には、当然かくれるための適当な遮蔽物が、多数ある方が望ましい。しかも、極端に狭い場所ではなく、走る事が可能な適度な広さの場所が必要だ。 昔で言えば、車が進入しない広めの路地や、余り広くない社寺の境内、小規模の林などが、「かくれ系あそび」に適した場所だった。今の大都会では、そうした場所が極めて少なくなってしまっている。その反面、大規模集合住宅、いわゆる「団地」に於いては、住宅の構造が「かくれ系あそび」に向いてはいるが、住民からの苦情があるのは仕方がない。 昔のような町の姿に戻せば良いのだが、それが実現不可能なくらいに、大都市のたたずまいや交通事情は変貌してしまっている。せめて、新たに造ったり改修したりする公園があるなら、遊具も良いが「かくれ系あそび」が、出来るようなデザインの公園も、考えて欲しい。幼いこどもの「かくれんぼ」はもちろんの事、年長のこどもたちの「かくれ系あそび」が永久(とわ)に続く、そんな町づくりを願っているのだが。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.07
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【パキスタン軍による対テロ戦の主戦場となっている北西辺境州。イスラム強硬派タリバーン系勢力に対する大規模な掃討作戦と、報復テロの応酬が続く。恐怖と隣り合わせの生活を送る子どもたちの表情を、州都ペシャワルの学校で取材した。 顔にかかる濃い茶色の巻き髪をはらいながらホワイトボードを見つめ、真剣にノートを取るザラさん。一見どこにでもいる7歳の女の子だ。学校で楽しいことは、との問いに、英語で「かくれんぼ」と、恥ずかしそうに答える。だがその後すぐに、「爆弾がとてもこわい」と付け加えた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/CNN Japan:2010年1月1日) 本ブログのテーマである「あそびはこどもの仕事やで!」は、テロや戦争が続くパキスタンでも、かえって胸が締め付けられる思いだが、こどもたちはあそぶ!。しかし、「こわい」思いをしながらのあそびだから、十分に楽しめてはいないだろう。あるいは、「爆弾」の怖さを一瞬でも忘れるために、あそぶのかも知れない。 テロも戦争もおとなたちによって始められた。無心にはあそびきれないこどもたち、こんな悲しい痛ましい光景は、一刻も早くこの地球から無くさなければならない。そのために、私なりに微力ではあるが、努力する決意をここに表明して、「かくれんぼ」についての思い付きを綴っていく。 「かくれんぼ」の一つの魅力は、鬼に見つかるまでのドキドキ感だ。耳を澄ませば、鬼の足音、時には息遣いまで聞こえてくる。さらに、鬼の接近に、高鳴る自分の心臓の鼓動まで聞こえてきそうだ。このドキドキ感、あそびだからこそ、魅力となるのだ。実世界のドキドキ感は、必ずしも魅力とはなり得ず、時には恐怖ともなるのは言うまでもない。 「かくれんぼ」と言えば、小学校低学年やそれ以下の幼児があそぶ、幼稚なあそびと思いがちだが、少なくとも昔の時代は、中学生くらいのこどもたちまで楽しんだものだ。今、ご近所のこどもたちの様子を見ても、「かくれんぼ」をしてあそんではいるが、昔ほど頻繁には見かけない。 特に、小学校中学年(3・4年生)以上中学生くらいまでの、年長のこどもたちがあそぶ、本格的な「かくれんぼ」や少し複雑にしたチーム対戦型の「どろじゅん(どろけい・けいどろ・探偵ごっこ)」などは、極端に見かけなくなってしまった。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.06
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(その2からの続き) 「メンコ」のあそび方が、蒐集(コレクション)へ偏重していくと、その図柄はその時のもっとも人気のあるキャラクターが選ばれるようになる。高い人気のキャラクターは、その人気に見合って、版権・使用権も高くなり、ますます「メンコ」単価は高騰していく。 そうなると、その時点ですでに出始めていた「トレーディングカード(トレカ)」に、人気を奪われて行く事となる。そうなれば、勝負してはあそばれなくなった「メンコ」に、その未来は無い。やがて、おとなの懐かしの玩具としての位置に、甘んじなければならなくなっていくのだ。 「メンコ」は、絵が描かれているから「面子」たる所以なのだが、その絵が描かれていると言う理由により、やがて価格が高騰し、あそび方も勝負から蒐集へとシフトし、それが「メンコ」の衰退を促し、とうとう国産「メンコ」の消滅となる。「メンコ」は「面子」故(ゆえ)に、隆盛もし消滅もしたのだ。 もし、国産「メンコ」が復活する時があれば、こどもたちが「メンコ」を賭けて勝負出来るような、環境が整う時となるだろう。それは、安価な「メンコ」の製造・販売がなされ、さらに地域にこどもたちのあそび集団が復活して、可能となる。そして、そうした選択をおとなたちが、こどもたちにプレゼント出来るかどうかが、その分かれ目となる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.05
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(その1からの続き) 戦後直ぐの時代には、「メンコ」に印刷された絵や写真は、ほとんどが版権や使用権の許諾を得ていない、いわゆる「ばったもの(パチモノ)」だった。だから、「メンコ」の単価は高くなく、当時のこどもたちの日々のお小遣いで、何十枚も買えたのだ。 そうした違法行為に著作権者が寛容だったのか、それとも模写技術・印刷技術が粗悪で、明かに偽者とわかるから見逃していたのか、ともかくこどもたちにとって、多量に入手しやすかった事は、「メンコ」あそびに打ち込める条件となった。 その事が、「メンコ」あそびを広範なこどもたちの間に広め、「メンコ」あそびが長期間に渡って流行る事が出来たのだ。また、その事により、こどもたちは、「メンコ」の図柄よりも、専ら「メンコ」を賭けて勝負するあそびに、絶大なる魅力を感じていたのだ。だから、こどもたちにとっては、図柄の良し悪しは二の次で、粗悪な「ばったもの(パチモノ)」の「メンコ」で十分だったのだ。 その後、著作権や肖像権などが、厳しく守られるようになり、「メンコ」の図柄が版権・著作権をクリアした図柄に急速に変化していった。そうなれば当然、「メンコ」の単価が高騰していく。そして、もはや日々のお小遣いでは、数枚程度しか買えないようになって行く。 「メンコ」単価の高騰は、「メンコ」を賭けた勝負を、容易くは出来なくする。その「メンコ」価格の高騰が、学校による「賭け事?禁止」に拍車をかけて行き、ますます「メンコ」勝負が出来なくなっていく。それは、「メンコ」のあそび方が、勝負から蒐集へ様変わりの始まりとなる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.04
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先日のブログ記事で、日本国内の「メンコ」製造業者が無くなった事を、報道するニュース記事を紹介したが、「メンコ」がこの様な運命に至った理由について、「メンコ」の歴史を簡単にふりかえりながら考察して行く事とする。私は、「メンコ」「ビー玉」「おはじき」は、石ころや骨のかけらを使った、同じルーツのあそびだと考えている。 それらが何時の時代に分化したかどうかは定かではないが、「泥面子(どろめんこ)」と呼ばれたおもちゃが人気のあった時代(主に江戸・明治)には、同じ「泥面子」を使って、「メンコ」「ビー玉」「おはじき」のようにあそんでいたと考えられる。 その後、紙製の「面子」の登場によって、「メンコ」とそれ以外の「ビー玉」・「おはじき」に、ほぼ分化したと思われる。紙製の「メンコ」の登場は、厚みの薄い形状により、そのあそび方も大きく様変わりして、裏返したり、特定の「メンコ」を台から落としたり、飛ばす距離を競い合うような、今のあそび方に発展・定着していく。 「メンコ」は「面子」と言うように、その表面が様々な絵や文字で装飾されている。やがて、その時代時代の人気キャラクターが、「メンコ」の表を飾るようになる。実在の武将や架空の英雄、戦前・戦中は軍人や兵器が、「メンコ」に描かれるが、平和な時代になると、漫画・映画・アニメの主人公たちが「メンコ」に多用されるようになって行く。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.03
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【小中学生や高校生の暴力行為が急増しているという調査結果が、昨年十一月末に文部科学省から発表された。県内でも二〇〇五年度の千二十件から、〇八年度は三千百件に。低年齢化が進み、小学生の増加も目立つ。「ここ十年の子どもの育ち方に原因がある」と指摘する千葉大教育学部の明石要一教授に子どもの変化を聞いた。(中略)家庭裁判所の調査官に聞くと、非行少年の共通点はギャングエイジを経験していないことだという。集団にはルールがあり、カッとなっても「ここはやめておこう」と感情を抑制することを学べた。(中略)大きな原因は時間がないことだ。二年前、千葉と横浜の六年生を調べたら、四割が手帳を持っていた。家のカレンダーでスケジュールを管理している児童を含めると約七割だ。塾やおけいこなどでかなり忙しい。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2010年1月1日) 記事の、千葉大の明石要一教授の指摘は、これまでにも多くの指摘があり、本ブログでも指摘している事だが、こども集団が形成し難い背景としての、「四割が手帳」「スケジュールを管理」などの、こどもの忙しさの実例には、ここまで来たかと驚かざるを得ない。 おとなでもスケジュールで、がんじがらめに縛られると、イライラもする。こどもならなおさらの事で、それだけでも、十分に直ぐにカッとなる条件となる。その意味で、こどもたちを余りにも忙しくし過ぎる事は、こども集団の形成の難しさと、スケジュールに縛られる事によるストレスの、二重の意味でこどもたちを暴力的にする条件となる。 他人を傷つける暴力行為は、こどもたちの「教育?」に費やした、時間的負担と経済的負担をも、台無しにしてしまう可能性を孕(はら)む。記事には、この様な状況の改善策として、「交換ホームステイ」や「通学合宿」を提案しているが、根本的な解決は、昔のようなあそびのあり方に戻す事により実現できるだろう。それには、まず十分な「あそび」時間の確保から始めるのが、得策だと思っている。 こどもたち皆が、十分に「あそび」時間が満たされれば、自ずと「こども集団」は、地域に形成され長く根付いて行くだろう。もちろん、あそび場の確保も必要だが、現状では「あそび」時間の確保よりも、容易いと思われる。「あそび」時間を飛躍的に増すように、おとなたちの価値観が変われば、あそび場の確保は思った以上に早く進むだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.02
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(その2からの続き、引用記事は再掲)【読売新聞とgooリサーチが「もう一度楽しみたい正月遊び」を尋ねたところ、「たこ揚げ」が1位になった。今も全国各地で大会が開かれているポピュラーな遊びだ。2位にはボードゲームの原点でもある「すごろく」が入った。3位は、かるた遊びや坊主めくりでおなじみの「百人一首」だった。(中略)正月遊びの玩具で、今も売れているのは、たこ、こま、羽子板です。幼稚園や、小学校の学童保育での遊び道具として人気ですが、最近は老人ホームからの引き合いも増えています。 街から駄菓子屋が消え、昔ながらの玩具を作るメーカーも激減しました。昭和の遊びの代表格「メンコ」を製造する会社は、国内ではとうとうなくなり、今は中国製のみ。大人が懐かしむだけでなく、楽しい遊び道具として、今の子どもたちにも伝えていきたいものです。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年12月28日) 「メンコ」あそびが衰退していった要因は、こども集団の様変わりだけでなく、「メンコ」そのものの変化にも見られる。それは、このブログでも以前に指摘したことではあるが、簡単に触れておく。「メンコ」あそびのあそび方の基本的性格は、賭け事であることだった。その賭ける「メンコ」の価格が、高騰する事により、賭け事と言うあそび方を難しくして行ったのだ。 仮に、さんざんあそんだあげく、勝負に負けて手持ちの「メンコ」を無くしてしまっても、日々のお小遣いの額と比較しても、「メンコ」自体の価格は大したことはなかった。だから、負けても直ぐにお小遣いで「メンコ」を補充できた。安価に「メンコ」が手に入ることは、「メンコ」あそびが継続的に流行る一つの条件となる。 その「メンコ」の価格が高騰すると、そうは気安く勝負は出来ないし、ともすれば勝負さえ躊躇するようにもなる。負けがこんでくれば、金額的負担も大きくなるのは当然だ。その事が、学校などで「メンコ」あそびなどの「賭け事?」禁止を促進する条件ともなった。こうして、「メンコ」あそびの流行は難しくなって行ったのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
2010.01.01
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